ウェストミンスタ-小教理問答 34 問「子とされること」 1、信者がこの世で受ける祝福は、義認、子とされること、聖化が柱でした(32 問) 。 2、34 問は、これらの祝福の内、子とされることについての教えです。 3、人間は、本来は、神の子ではありません。 ①神と人間の関係は、創造者と被造物の関係です。神は人を生んだのではありませ ん。全宇宙を造られた偉大な神と被造物に過ぎない人間の相違は大きいのです。 ②人間は、罪人として、神に背き、神から離れている存在です。神のさばきを恐れ なければならない存在で、神を父として仰ぐ権利はありません。 4、しかし、神様は、恵みにより、イエス・キリストを信じた者を神の子として取り 扱って下さいます。神の独り子イエス・キリストに信仰によって結びつく事で、私 たちもキリストを長兄とした神の子とされるのです。 5、そこで、本来的には神の子ではない私たちが、「神の子の数に入れられる」事自 体、大きな恵みなのです。 6、神の子であることの特権は次の通りです。 (1)神の愛を確信できること ①聖書は神の愛を、夫婦の愛(エレミヤ書 2:2 など)や友情(イザヤ 41:8 など) に喩えることもあります。それらの愛はそれぞれに独自の素晴らしさがあり、 神の愛をそれらに喩えるのは意義深いことです。 神の愛は、契約に基づいて互いの真実を誓い合う夫婦の愛のように、人の応 答を求める愛です。 神の愛は、また、互いに心を打ち明け合う友の愛のように、人との交わりを 求め、喜んで下さる愛です。 ②しかし、愛の安定性という事から言えば、神の愛を親の愛に喩えるのが一番適 切です。男女の愛も友情も途絶える可能性がありますが、親の愛は途絶える可 能性の一番低いものです。 人間の親はそれでも多くの欠けがありますが、神様は完全な父として永遠不 変の愛で私たちを愛して下さいます。私たちは、神の子とされる事により、父 なる神の愛を当然期待し、信頼できるものとされるのです。私たちはこの信頼 によって「アバ、父よ」と神を呼ぶことができるのです(ロマ 8:15)。 (2)神の父としての配慮の内に置かれること。 親が子供を守り、配慮するように、私たちは神の配慮のもとに置かれます。こ の世の衣食についても、天国に至る旅路についても、私たちは父である神の配慮 のもとで、万事を益としていただきながら、生きることができます。 (3)神に似る性質を与えられること。 主イエスを信じたその時から、私たちの内に神と似た者となることができる性 質が与えられます。「父が完全であられるように、あなたがたも完全な者になりな さい」(マタイ 5:48)、と命じられるのは、そのためです。なお残る罪のために、 私たちのこの性質は曇らされていますが、私たちが神の子であればこそ、聖化は 必ず時と共に現れます。 (2)神の国を嗣ぐ者とされること。子は相続者として親の財産に権利を持ちます。そ のように神の子とされた者は神の国を受ける権利を持つのです。 7、子とされることは、「神の決定」だ、と言われています。これは、一度限りの決 定を意味します。親は、子が良い生活をしている時だけ、わが子と認めるわけでは ありません。どんなに反抗しても、生活が崩れても、放蕩に身を持ち崩しても(ル カ福音書 15:11~32) 、親は子をわが子と考え続けます。そのように、一度子とし た者を神はいつまでも子として取り扱って下さり、背く時にも待ち続けて下さるの です。
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