夫婦にしかできない事は? 家族は人間存在の最小単位といえます。

人生について想う(4)
夫婦にしかできない事は?
家族は人間存在の最小単位といえます。こう書くと不思議に思う方がいると思います。人間の基本
単位は個人ではないですかと。もちろん人間は個人個人で独立しています。十分に一人で行動できま
すし、食事をすることも、眠ることも、風呂に入ることも、悲しむことも、笑うことも、その他、一
つのことを除いて何もかも一人でできます。しかし、ただ一つだけ絶対にできないことがあります。
それは何だと思いますか。
人間には男性と女性がいます。人間であれば、男性と女性のどちらかなのです。中性というわけに
はいきません。何故、男性と女性がいるのか。これは、愛し合って子供を産み育てるためです。どん
なに金持ちで逞しい男性がいても、一人では赤ん坊を産み育てることができません。もちろんどんな
に気がつく優しい女性がいても、一人では決して赤ん坊を産み育てることもできません。どんなに科
学が発達しても、男だけ、あるいは女だけでは決してできないこと、それは赤ちゃんを産み育てるこ
となのです。赤ちゃんを産み育てることだけは、一人では決してできません。男性と女性が一つにな
ること、精子と卵子が受精することが絶対に必要なのです。
キリスト教に根ざした西欧文明では、個の確立が強く叫ばれます。西欧文明を個の文化とすれば、
東洋文明は家族の文化と言われています。個を重視するのが近代的で、家族を重んじる旧来の日本文
化は古風だというような風潮の中で、近代日本の進歩的文化人と呼ばれる方々は時代を先取りしてい
ると思って走ってきたように感じます。個の確立は当然、必須の課題ですが、個の確立はそれ自体が
自己目的ではなくて、良き家庭を作るためにあるという意識が希薄になったように感じます。その結
果、家庭の崩壊や今の結婚しない若者の姿として現れているようです。今一度、個の文化から、個の
確立を前提とした家庭の文化樹立という観点で社会の在り方を考える必要があると思います。
夫婦を結びつける力は?
夫婦になったら、愛し続けないといけません。今、世界的に見ると夫婦の危機が沢山起こっていま
す。実際、夫の中には、お金を出して娼婦を買うことを平気で行う人がいます。そのため沢山の商売
が成り立っています。古今東西、男の浮気話は掃いて捨てるほどあります。夫と比べると少ないでし
ょうが、奥さんの中にも刺激を求めて、夫以外のパートナーを求めることが行われています。これで
は真の夫婦とはいえません。夫婦の本質を知らないために取っている行為なのです。夫婦とは男性と
女性が愛によって一つになるための関係なのです。ですから、そのために心の底から愛し、信頼し、
いたわり、大切にし、愛おしく思わないといけません。世界に 2 人といない、人生において、かけが
えのないパートナーなのです。
夫婦愛が目指すものは?
男性と女性は愛し合って夫婦になれば肉体的に交わります。男性と女性が一つに交わることによっ
て受精し、女性の胎の中で 10 ヶ月間ほど育つことにより、産道を通って初めて赤ん坊が誕生します。
男性と女性が一つになることは、生命の繁殖を目的としたもっとも崇高な行為です。余談ですが、赤
ん坊が産道を通って生まれてくるのは、母親にとっても赤ん坊にとっても命がけの行為です。人間は
大脳が進化して巨大化しました。その分、お産は命がけの行為になりました。お腹の中で大脳が大き
く育つので、大脳を保護する頭蓋骨も大きくなります。大きな頭蓋骨のままでは、物理的に産道を通
ることが出来ないので、頭蓋骨は天頂部で割れて細くなって産道を通り抜けます。このような神業と
も思えるような仕組みに守られて人間の命は誕生してきます。
人間は個人が最小単位ですが、個人だけでは種の保存ができないことも事実です。男と女に分かれ
ているのは、遺伝学的に見れば、男と女の遺伝子を合体させて、新しい生命を誕生させる仕組みを通
して遺伝子の多様性を確保するところにあります。そして、家族という観点から見れば、子供として
親から無条件に愛された愛情を基盤に夫婦となって、男女が互いに愛し合う愛情をはぐくむ場です。
また、愛し合うことにより子供を授かれば、親として子供を無条件で愛する愛情をはぐくむことにな
ります。
このように家庭には、子供が全幅の信頼で親を愛する愛、兄弟同士が愛し、信頼する愛、夫婦同士
が男女として愛し合う愛、そして親として無条件に子供を愛する愛が、全て包含されることになりま
す。言い換えれば家庭には愛の全ての原型があるといっても過言ではありません。したがって、家庭
が人間生活の最小単位となります。家庭で培った平和の精神が地域に展開され、さらに国家に、世界
へと展開されていくことにより、世界平和の実現が可能となるのです。
今日の夫婦の姿は?
今、家族が人間生活の基本単位であるということに危険信号がともりつつあります。多くの夫婦が
離婚しています。また、結婚しないで子供を産み育てるシングルマザーも多く存在します。更には、
男性同士や女性同士が愛し合えば、男と男のペアが、また女と女のペアが夫婦として認定されるとこ
ろもアメリカなどで出てきました。男性同士、女性同士でも結婚届を出せば受理されるところがある
のです。これは明らかに種の保存という観点からは問題です。また、親が子供を虐待して殺すとか、
子供が親を殺すとか、兄弟が殺し合うとかいうような、本来の愛情が詰まった家庭とはほど遠い姿が
見受けられるようになりました。さらに、夫が、妻が、それぞれに浮気をするとか、複数の夫婦が集
まってパートナーを変えて愛し合うというようなことまで行われています。
人間社会が豊かになって、
何か本質的価値観からずれつつあるように感じます。また、社会にこのような形態を個人の自由であ
るとか、さらには進歩的であるとかと言って、許し、また助長するような動きがあることにも危惧を
感じます。
本来の愛情を育てる場としての家庭の姿からは、ほど遠い家族の形態が生まれつつあります。夫婦
の浮気、喧嘩、離婚など、子供にとって、本当に幸福といえる出来事でしょうか。明らかに不幸であ
り、子供の精神的な成長に大きなダメージを与えることは間違いありません。家庭が崩壊して、夫婦
喧嘩が絶えないとか、親が子供を虐待するとかすれば、子供の精神が崩壊します。その結果、子供が
たった一度のかけがえのない人生を送るに当たって、取り返しのつかない傷を心に負うようになるの
は自明のことです。
愛するとは何パーセント投入する力なのか?
愛情とは何だと思いますか。愛情とは相対関係を結びつける目に見えない力だといえます。物と物
を結びつける力として万有引力があるように、心と心を結びつける力として愛情があるのです。目に
は見えませんが確かに存在しているのです。ところで、愛情を細かく分けてみると、子供を愛する親
の愛、夫婦同士が信頼し、男女として愛し合う夫婦の愛、兄弟同士が互いに信頼しあう兄弟の愛、そ
して子供が絶対的信頼で親を慕う子供の愛があります。このように、一言に愛情と言っても、様々な
形態があるのです。
愛する時に私たちはどれだけの力を投入すべきでしょうか。愛する時のエネルギーの投入とはどの
ようなものでしょうか。私たちは愛する時に 100%の力を投入して、全身全霊の力を投入して愛する
のです。愛の本質は無限のエネルギーです。50%の力でもなく、80%でも、90%でもなく、100%の力
を投入することにより、2 つの個体が一つになって喜びを感じます。夫婦も中途半端な愛で一つにな
るのではありません。お互いに 100%の力で完全に愛し合って喜びを感じるのです。夫婦は精神的に
も、肉体的にも 100%の愛で完全に一つにならなければいけません。愛し合うことが、信頼し合うこ
とが夫婦の本質です。このこと以外に夫婦の本質はありません。人間は 100%の力で完全に愛された
ときに、安らぎを感じ、幸福を感じるようになっています。人間の持つ愛情への欲求は無限大です。
ですから、満足するためには、100%の力で完全に愛し、愛されないといけません。
愛の本質は奪う愛か、与える愛か?
愛の本質を考えてみます。愛すると奪いたくなりますか。それとも与えたくなりますか。愛の本質
は与えるということです。愛する子供から奪い、愛する夫から、愛する奥さんから奪いたくなるでし
ょうか。愛すれば愛するほど与えたくなります。愛の本質は全て与えたい、命までも与えたいところ
にあります。与えても、与えても、さらに与えたい。与えたことさえ忘れるのが愛の本質です。子供
から何か奪って喜びを感じる親がいるでしょうか。与えても、与えても、もっと、もっと与えたいと
思うのが親なのです。愛する対象がいれば、何の見返りも求めるまでもなく、ただひたすら無条件で
流れていく、これが愛情の本質です。
愛情を注ぐ
我が家には4匹の猫がいます。何れも雑種の捨て猫で、そんなに可愛い猫ではありませんが、一緒
に住んでいると愛着が湧くものです。猫から奪うものは何もありませんから、当然、奪うとか、いじ
めるとかはしません。可愛がってあげる、愛してあげるという感情が自然に出てくるものです。家に
ある植物に対しても、飼っている熱帯魚や金魚に対しても同様です。奪うことはせずに、いじめるこ
とはせずに、世話をしてあげる感情がごく自然に湧いてきます。人間は何か対象物があれば、そこに
愛情が湧くように出来ていると思います。もちろん愛情豊かな人もいれば、比較的希薄な愛情しか持
っていない人もいます。愛情の程度に個人的な差異はありますが、全ての人が奪うよりも、与える愛
情を、より強く持っているのは間違いのない事実です。
何故、与えたいのでしょうか。それはお互いが完全に与えることにより、愛し合うことにより一つ
となり、それで至上の喜びが得られるからです。したがって、個人において、心と体が完全に一致す
る時に、家庭において親と子供が完全に一つになる時に、兄弟が完全に一つになる時に、夫婦が完全
に一つになる時に至上の喜びを感じます。奪うことにより多大な喜びが生じないのです。お腹をすか
せた犬や猫を見ると、何か食べ物をあげたくなります。そのような動物を殺して、至上の幸福感を感
じる人はいないでしょう。植木に水をあげずに枯死させたり、熱帯魚に餌をあげずに餓死させて喜ぶ
人は、まずいないと思います。多くの人間は、愛する対象を絶えず見つけて、それが、犬か、猫か、
小鳥か、花か、植木か、人によって様々ですが、何かに愛情を注ぐようになっています。その中で、
最も強い愛情が流れるのは、親子愛、夫婦愛、兄弟愛などの家族愛なのです。
男性と女性が愛し合い、精神的に、肉体的に交わる時に、一つになる時に究極の喜びを感じるのも、
愛の本質がそうなっているからです。このように夫婦は愛し合わなければいけませんし、また、愛し
合うようになっているのです。それが宇宙の真理なのです。他の真理は論理的にあり得ません。今の
夫婦関係には間違った関係が多く見られます。愛する力が足りなくて、信頼する心が不足して、大切
に思い、慕う心が不足している夫婦が多数見られます。これは不幸な結果を招きます。
(2012.2.8)
(人生について想う 続く)