医療分野において RFID を利用する場合の 個体識別子のあり方について

稲葉 達也
Auto-ID Lab Japan White Paper
Auto-ID ラボ・ジャパン
慶応義塾大学 SFC 研究所
〒252-8520
神奈川県藤沢市遠藤 5322
Phone: 0466-49-3618
Fax: 0466-49-3622
1
E-Mail: [email protected]
Internet: www.autoidlabs.org
Business Processes & Application,
Hardware, Network, and Software
医療分野において RFID を利用する場合の
個体識別子のあり方についての考察
概要
RFID の利用分野が少しずつ広がりつつある。医療分野では、まだ実験が行われている段階
ではあるが、現在我々が直面している医療過誤などの問題を早期に解決していくためには、
この技術を医療分野においても普及させることが重要と考えられている。RFID を医療で使
うために解決しなければならない問題はいくつか存在するが、その中のひとつとして、
RFID タグに書き込まれる個体識別子の仕様の決定がある。仕様を決定する際には、数多く
の要求や制約を加味する必要があり、各々の条件の優先順位などの社会的なコンセンサスを
得ていく必要がある。このような状況を踏まえて、本考察では、医療分野における個体識別
子の仕様を決める上での必要な議論のフレームワークを提案する。また、そのフレームワー
クに基づく議論から、個体識別子に求められる条件とスキーマを提案し、提案のスキーマが
現存する標準(ISO/IEC、EPC、ucode)で実現できることの検証を行う。
2
1.
はじめに .................................................................................................................................4
2.
医療分野における個体識別子への要求条件と制約条件..........................................................6
3.
4.
5.
3
2.1.
要求条件と制約条件 ..................................................................................................................... 6
2.2.
条件間の関係の整理 ..................................................................................................................... 8
2.2.1.
患者の安全とプライバシーのトレードオフ関係 ............................................................. 8
2.2.2.
グローバルでの統一と業界間の統一 ................................................................................. 8
2.2.3.
コンパチビリティと個体識別子の役割 ............................................................................. 9
2.2.4.
冗長性..................................................................................................................................... 9
2.2.5.
バーコードと RFID............................................................................................................. 10
個体識別子構造の提案..........................................................................................................11
3.1.
要件の整理................................................................................................................................... 11
3.2.
基本構造の提案 ........................................................................................................................... 12
実在する個体識別子標準での提案のスキーマの実現性評価 ................................................15
4.1.
ISO/IEC ........................................................................................................................................ 15
4.2.
EPCglobal .................................................................................................................................... 16
4.3.
ユビキタス ID センター ............................................................................................................. 16
まとめ...................................................................................................................................18
1.
はじめに
技術開発や標準化の進展により、RFID(Radio Frequency Identification)1の実用化がより現実的なも
のとなってきている。遠隔にある人やモノを自動で識別できるという特徴を活かすための利用方
法が、様々な分野において考えられており、実用化のための実証実験も数多く実施されている。
RFID の利用分野の一つとして注目を集めているのは、医療分野における利用である。これは、
医療においては使用する医療機器や医療材料、医薬品と、その対象となる患者を正確に把握する
ことが極めて重要であり、その正確な把握のために RFID の特徴が活用できると考えられている
ためである。
このように、RFID の医療分野における利活用は大きな期待をされているが、一言で、医療分野
といっても、いくつかの用途が考えられている。また、各利用シーンによって、RFID がどのよ
うな形で使われるのかも異なっている。このような利用シーンの違いは、RFID 技術を構成して
いる各要素技術の仕様に影響を及ぼすことになる。これは、RFID の基本要素の一つである、
「物体を一意に識別するために RF タグの中に格納されている情報」である個体識別子について
も例外ではない。個体識別子の仕様も、利用シーンから抽出される様々な要求条件を満足する形
で決定する必要があると考えられている。
個体識別子の仕様をどのようなものとするかは、基本的に、明らかになっている利用シーンから
要求条件を抽出し、各種の制約条件を満足するように決定すればよい。要求条件とは、識別子の
一意性、グローバル性、拡張性、既存のコードとの整合性などである。制約条件とは、タグの限
られた保存容量の中に格納するという物理的な制約、RFID に内在するプライバシーへの懸念か
ら来る制約などを指す。しかし個体識別子はあまりに基本的な存在であるため、要求条件や制約
条件の数が多くなってしまい、医療分野に限定したとしても共通仕様の決定が困難なものとなっ
てしまっている。さらに、これらの諸条件は、それぞれが独立に存在しているのではなく、それ
ぞれが相互に依存関係にあることも、この個体識別子の仕様を決定するのを困難なものにしてい
る。個体識別子管理、配分にかかわる主体が多いことも問題を複雑にしている。
個体識別子は、RFID 利用における要であり、この個体識別子をどのようなものにするかを決め
ることなしに、この技術が本格的に市場に展開していくことはありえない。と同時に、上記のよ
うに個体識別子に対する条件が複雑に絡み合った現状で、その仕様を簡単に決定してしまうこと
1
JIS X0500“データキャリア用語”によると、RFID は「誘導電磁界又は電波によって、非接触で半導体メモリの
データを読み出し、書き込みのために近距離通信を行うものの総称」となっている。近距離通信の構成要素は
RF タグとリーダ/ライタである。本稿でもこの用語および分類を用いることにする。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
4
も容易ではない。このような状況において重要なのは、仕様をすぐに決めてしまうのではなく、
どのような点に考慮して仕様を決めなければならないかの枠組み(フレームワーク)を、関連す
る主体間で共有し、その上で議論を重ねていくことだと考えられる。以上を踏まえ、本考察では、
まず個体識別子の仕様について議論をする上でのフレームワークの提案を行う。そして、そのフ
レームワークでの議論を踏まえ、その結果としてのスキーマ案の提案を行う。さらに、提案のス
キーマ案を現在利用可能な標準(ISO/IEC、EPC、ucode)を用いて実現可能かどうかの検証を行
う。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
5
2.
医療分野における個体識別子への要求条件
と制約条件
2.1.
要求条件と制約条件
本節では、個体識別子の仕様を決定する上での考慮しなければいけない要求条件、制約条件につ
いての整理を行う。それぞれの条件についての、トレードオフなどについては、次節において細
かく分析を行う。
患者の安全:医療現場における、医薬品、医療機器の使用ミスや、患者の取り違えなどに起因す
る医療過誤から患者を守るためには、正しく(一意に)人やモノを識別することが必要であり、
そのためには個体識別子の存在が必須となる。また、リコール対象製品自体や、汚染薬・血液が
使用された患者を正確に発見し、必要な処置を速やかに施すためにも個体識別子は必要となる。
グローバルな生産、流通、規制への対応:医薬品、医療機器などのメーカーはグローバル企業で
あるため、各国で独自のコード体系が採用されてしまうよりも、統一的なコード体系である方が、
メーカーにとっては生産計画や在庫管理が容易になる。
サプライチェーン企業間のシステムの接続:メーカー、卸、小売(薬局)、病院において、整合
性の取れたコード体系と、システムである必要がある。
医療現場でのシステムの共用:医療行為の信頼性や効率性を確保するために、これらの行為を支
援する病院システムや在宅介護システムは、医療行為で使われる医薬品、医療機器、血液などの
各種の医療品を統一的に扱える必要がある。仮に、システムがこれらの医療品を統一的に扱えな
かった場合、本来の目的である信頼性や効率性が確保できないだけでなく、最悪の場合、個体識
別子の読み違いが発生し、それが医療事故につながる可能性もある。
コンパチビリティ:現在行われている生産、流通、治療における各種のプロセスとの整合性を確
保するために、医療品に付与されている何らかの識別子と、RF タグに格納される個体識別子と
の間にコンパチビリティを確保する必要がある可能性がある。また、既存の識別子は、国単位に
異なることが想定されるため(例:アメリカでは、小売と卸は NDC を使わなければいけない)、
この問題は、グローバル対応の問題も含んでいる。
個体識別子の役割:個体識別子の役割としては、オブジェクトを識別するための「オブジェクト
ID」という考え方と、製品とオブジェクトをあわせて識別するという「プロダクト ID」という
考え方がある。関連する企業、病院、患者がどのようなものを望むかによって、識別子への要求
条件は大きく変わってくる。
冗長性:プライバシーに関連して、医薬品や医療機器の情報が個体識別子から取り除かれてしま
った場合には、何らかの方法で医薬品や医療機器の情報を確認する手段を設けておく必要がある
© Auto-ID ラボ・ジャパン
6
バーコードと RFID タグの共存の可能性:RFID がバーコードの置き換えになるか、あるいは、
共存するものなのかは、選択する仕様に少なからぬ影響を与える。また、共存するとした場合に、
その期間が暫定的なものなのか、ある程度長期にわたるものなのかの影響も大きい。
薬剤加工プロセス:薬剤は、メーカーで製造されたままの形で患者に投与されるだけではなく、
病院で再度加工(混ぜ合わせ、小分け、再包装)される場合がある。この場合に、同じ容器に入
っていたとしても、薬剤の種類が変わる可能性があるので、そのように扱われる薬剤の場合に製
品情報が入った個体識別子を使う場合には注意が必要となる。
下位レイヤー技術からの独立性:RFID は代表的には LF 帯、HF 帯、UHF 帯、マイクロ波帯が使
われ、リーダと RF タグ間での無線プロトコルもさまざまである。個体識別子はこれらの下位レ
イヤー技術と独立していることが望ましい。
プライバシー:医薬品、医療機器に RFID タグが貼付されている場合に、そのタグの情報が対象
となる患者本人の了解なしに、遠隔から読み出してしまうことは、その患者に対するプライバシ
ーの侵害に当たると考えられる。そのようなプライバシーの侵害を防ぐために、RF タグを簡単
に読めなくする仕組みや、治療とは関係のない部外者に読まれてしまっても、何を持っているか
分からなくする仕組みが必要となる。
利用可能な RFID タグの機能:プライバシーに関連して、現在比較的低価格で利用可能な RF タ
グは、暗号化機能やアクセス制御機能が含まれないため、遠隔から情報が読み出される可能性が
ある。また、必要な情報を保存するという観点において、現在比較的低価格で利用可能な RF タ
グは、容量が小さいため、識別子以外に格納可能な情報に制限がある。市販 RF タグのメモリ量
を表1に示す。
表1
周波数
2.45GHz
UHF
HF
LF
市販 RF タグのメモリ量
製品名
ミューチップ
UCODE EPC G2
MB97R8020
UCODE HSL
I-CODE SLI
MIFARE
HI-TAG1
HI-TAG2
HI-TAG S
SpeedPass
メーカ
日立
Philips
富士通
Philips
Philips
Philips
Philips
Philips
Philips
TI
メモリ量
128bit
512bit
256Byte
2048bit
112Byte
1KByte/4kByte
2048bit
256bit
322562048Bit
60bit/80bit
以上が、個体識別子の仕様を決定する上で考慮しなければならない条件である。これらの条件は、
それぞれが独立な条件ではなく、相互に依存関係のある条件を含んでいる。次節では、上記の項
目について、依存関係がある項目のトレードオフの状況等の分析を行う。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
7
2.2.
条件間の関係の整理
2.2.1. 患者の安全とプライバシーのトレードオフ関係
医療安全のためには、どこに何があるのかを一連の行動の中で、ネットワーク上のリソースなど
に頼ることなく、検出できることが望ましい。つまり、RF タグの中に医療品情報(製品名、ロ
ット、使用期限等)が入っていた方が望ましいということになる。しかし、なんらセキュリティ
対策がない状態で、タグの中に情報を保存することによって、患者のプライバシーが損なわれる
可能性がある。このプライバシーの問題は、アメリカでは大きな問題となっており、EPCglobal
における個体識別子の仕様の決定にも大きな影響を及ぼしている。このプライバシー問題に対す
る対応としては、以下のような案が考えられている。
(a) 薬剤、機器情報が含まれない識別子を使う
(b) 高機能タグを使い簡単に情報を読み出せなくする
(a)については、薬剤・機器情報のない個体識別子(オブジェクト ID 方式)を用いて管理すると
いうやり方である。この場合に、患者の安全を実現するには、その個体識別子が付与されたもの
が、何であるのかについての情報を何らかの手段で、取得する必要があることになる。この方法
で問題になるのは、まず、誰がその関連情報を作成するのかということと、識別子とその情報を
結びつけチェックするためのシステムが必要になってくるということ、また、システムダウンな
どの場合に情報が入手不能になった際の対応策を考慮する必要があるということがある。
他方の(b)の場合、正常に稼動した場合には、プライバシーの問題も患者の安全の問題も解決する
ことが可能となる。しかし、こちらにもいくつかの問題がある。まずは、高機能なタグの価格で
ある。高機能なタグの場合に、低機能なタグよりも高価になることが予想され、現在考えられて
いる低機能なタグよりも経済的に正当化される状況にはなりにくいという点である。また、タグ
情報を隠蔽する際に、リーダなどの RFID システムにおける鍵情報の管理などが必要になると考
えられるため、(a)の場合と同様に、システム異常になった場合に情報が取り出せないという問題
が発生する。
2.2.2. グローバルでの統一と業界間の統一
医療品(医薬品、医療機器、血液等)が各国政府の厳しい管理下におかれていることを考えると、
ある国で販売するように製造された製品の完成品を、そのまま別の国の市場に出荷するというこ
とは、想定しにくい。そのため、個体識別子単独で考えた場合に、グローバルでの統一というの
はそれほど重要ではないと考えられる。しかし、個体識別子が格納されるキャリアや、そのキャ
リアから情報を読み取るプロトコルまでを考慮した場合には、その重要性が異なってくる。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
8
医薬品の場合に、複数の市場に製品を供給しているメーカーは多く存在しているが、これらのメ
ーカーは、パッケージまで最終製品をいくつかの工場で製造して、それを複数の市場に輸出する
ケースと、いくつかの工場では、薬剤レベルのものまで作って、それを輸出し、最終製品は市場
で(あるいは市場のそばで)包装するというケースの、大きく2つの製造形態をとっている。後
者の場合で、キャリアとして RFID が用いられた場合には、キャリアとしての RFID タグなども、
その市場用として独自に調達されることが考えられるが、前者の場合には、一箇所で調達し、一
箇所で製造・包装されることが予想される。ここで、各国が異なる方式の個体識別子、キャリア、
プロトコルを採用してしまった場合、その工場で生産設備の共用ができなくなる可能性がある。
また、関連する問題として、識別子を読み出すために使われるシステム(リーダー、医療系のシ
ステムなど)が、各国が独自の方式に対応するために、各国の仕様にあわせてカスタマイズを行
うことが必要となり、その結果、低価格化が進まない可能性がある。
他方の医薬品、医療機器など業界間の統一についてであるが、医療品が扱われる環境である病院
や、在宅介護などの現場では、それぞれの種類の製品をばらばらに扱うのではなく、統一的に扱
うことになることが予想される。これらの観察から、医療品が利用されるシーンを想定した場合
については、個体識別子のみならず、キャリア周波数、プロトコルについても、医療品間で統一
されていることが望ましいといえる。キャリア周波数、プロトコルについては、現在バーコード
の読取システムで起こっているように将来的には複数の方式を読取ることができるシステムが必
要に応じて開発されていくことが予想されるが、その場合であっても個体識別子は統一的に扱え
るものであることが望ましい。
2.2.3. コンパチビリティと個体識別子の役割
グローバルの要件に関連して、既存のコード体系との整合性の問題もある。医療に関連する製品、
サービスが各国で厳しく監督されている状況において、国がコード体系を指定している場合も存
在する。また、業界として異なっているという理由から、医薬品、医療機器が異なるコード体系
を使っている場合も存在する。国が指定している例としては、アメリカの医薬品の NDC(National
Drug Code)の指定がある。また、アメリカの場合に、医療機器は、UPC と HIBICC を使用してい
るため、業界間だけではなく業界内でも異なるコード体系を持っていることになる。
ここで重要となるのが、RFID で採用する個体識別子が、これまでのコードの代用か、あるいは
まったく別物であるかということである。現在存在する何らかの識別方式の代用品として RFID
が位置づけられた場合で、これまでのコードと整合性を取る必要があるという判断がなされた場
合には、既存コードを包含する形で個体識別子を生成することが必要となる。それとは逆に、こ
れまでの識別方式とは別物であるという、あるいは、補完的なものであると位置づけられた場合
には、従来のコード体系とは独立した仕様にすることが可能になる。
2.2.4. 冗長性
医療品は、いつ必要になるかの予測がつかず、緊急性が要求されるので、安全確認などをする場
合においても、システムに頼りきりになるのではなく、最終的には人が確認できることが望まし
い。その点において、仮に個体識別子としてオブジェクト ID だけを採用した場合、あるいは、
© Auto-ID ラボ・ジャパン
9
個体識別子の製品情報が何らかのセキュリティで隠蔽されている場合に、製品情報の参照用のシ
ステムがダウンしてしまった場合には、それらの個体識別子から製品情報を取り出すことができ
なくなってしまうという問題が発生してしまう。RFID とバーコードが併用される世界であれば、
オフラインで確認できる情報をバーコードシステムに記録することによって、ある程度の安全性
の確保などが行えるが、そうでない場合には、パッケージの目視だけに頼ることになってしまう。
この問題は、製品種の識別ではあまり問題にならないと考えられるが、製品の真贋判定に個体識
別子を使用する場合には、ヒューマンエラーを発生する要因にもなりうる。
2.2.5. バーコードと RFID
RFID が、バーコードの置き換えであるか、あるいは、別の役割をもつものとして普及していく
かについては議論が必要となる。日本においては、2004 年の RFID の実証実験の結果、医薬系の
業界団体(日薬連)が、RFID は時期尚早であるという判断を行い[2]、その後、監督官庁である
厚労省も含めて、バーコードによる詳細情報(製品、ロット、使用期限)の表示を行う方向での
検討が重ねられている。医療機器業界は既に、バーコードベースで製品情報を表示していくこと
を業界で決定しており、現在はその推進を行っている段階である。アメリカにおいては、現在既
に使用単位ベースでのリニアバーコードの義務付けがされており、RFID については、それとは
独立の、偽造薬防止のための取組に用いられることになっている。
このように、短期的には、バーコードの普及が進むと考えられていて、RFID はまだ使われない
かあるいは、別の目的で使われることになりそうな状況である。このような状況から、RFID が
医薬品、医療機器、血液に貼付されるのは、RFID が必要とされる用途を中心とした限られた場
合になることが想定され、その場合でも、現在推進されているバーコードの代用ではなく、バー
コードに加えて RFID が貼付されるという状況が想定される。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
10
3.
3.1.
個体識別子構造の提案
要件の整理
前章の分析から、以下のような個体識別子に対する要求条件が抽出できる。
複数の発番管理機関対応:2つの理由から、複数の発番管理機関が管理する個体識別子
を包含する体系である必要がある。第一の理由は、医療品のグローバル性である。前の
章でも述べたように、医療が各国で政府によって管理されている現状を考慮すると、今
後 RFID が普及した際にも、この傾向は続く可能性があると考えられるため、個体識別子
は、各国が異なる発番体系をとった場合にもそれらを包含できる体系であることが望ま
しい。第二の理由は、サプライチェーンに属する企業間及び、現場でのインターオペラ
ビリティの確保のためである。製品については、メーカーが所属する業界団体などが、
識別子の一意性を保障するコード体系を発行することが考えられるが、それらが使われ
る現場においては、異なる業界で製造された製品や、病院などが独自に個体識別子を付
与した製品が混在すると考えられる。このような状況においても、インターオペラビリ
ティを確保するために、コードは複数の発番機関が管理する体系のスーパーセットであ
るようなものとすることが望ましい。
製品種別の挿入、非挿入の自由度の確保:個体識別子内には、製品種別を挿入する場合
と、挿入しない場合が混在するようなコード体系とすることが求められる。これは、以
下に示す4つの状況に対応するために必要となる要求条件である。1)プライバシー保
護の観点から医薬品などの製品種別を隠蔽する必要がある、2)薬剤の混合などによっ
て、パッケージは同一だが中身が変わってしまうものへも対応する必要がある、3)医
療過誤、医療事故防止のために、個体識別子内に製品種別を挿入しておく必要がある、
4)病院内などの医療システムがダウンしている場合にもコード内に含まれている製品
種別情報をオフラインで利用できるようにしておく必要がある。医療過誤防止の観点か
らは、製品種別が挿入されない場合には、バーコードなど他の媒体によって製品種別を
識別する必要があると考えられる。
コード長:コード長については、固定長としつつも、拡張性を持たせられることが望ま
しい。現在普及している RF タグやプロトコルにおいて、個体識別子用に割り当てられて
いる領域が固定長であり、現時点での利用を想定した場合に、それらとの整合性を取る
必要がある。また、将来的には、発番機関の増加や、発番者の増加などに対応するため
に、現在想定しているコード長よりも長いコードを利用することが必要になる可能性も
存在する。この将来的発生しうる要求に対応するために、コード長は拡張性があるもの
とすることが望ましい。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
11
3.2.
基本構造の提案
3.1 の要件より、以下のスキーマを提案する。なお、本考察では、スキーマ案の提案を行ってい
るが、新しいコード体系の提案は行わない。その代わりに、次章で、提案のスキーマが既存のコ
ード体系(ISO/IEC、EPC、ucode)で実現可能かどうかの検討を行う。
共通部分
ヘッダ
個別部分
発番機関
発行形態
発番機関・発行形態依存部分
図 1 提案する基本構造
表2
大項目
共通部分
個別部分
小項目
ヘッダ
発番機関、
発番形態
依存部分
依存部分の
例
各部分の説明
説明
個体識別子のスキーマ(コード長を含む)を指定する。固定
長。必須。
コードの発行者および、発番形態を指定する。固定長、拡張
機構付き。必須。
発番機関・発番形態に依存する部分
パーティショ 個別部分の分割パターンを指定する。発番機
ン
関・発番形態のコードに従属で固定長。
梱包形態
個体識別子が添付されているものの梱包形態
を指定する。発番機関・発番形態のコードに
従属で固定長。
企業コード
発行機関が指定する企業(商品コードとシリ
アル番号の管理)を指定する。発行機関・発
番形態のコードに従属で固定長。パーティシ
ョンの値で桁数を指定される。
商品コード
企業が商品種を指定する。発行機関・発番形
態のコードに従属で固定長。パーティション
の値で桁数を指定される。
シリアル番号 企業が指定するシリアル番号。
以下でいくつかの利用例を紹介する。
GTIN(Global Trade Item Number)を利用する場合
ヘッダで指定するのは、個体識別子が提案のフォーマットであることと、識別子長(例、96 ビ
ット、128 ビット、256 ビットなど)。そして、発番機関・発行形態では、GS1 の SGTIN
© Auto-ID ラボ・ジャパン
12
(Serialized GTIN)を指定するコードを挿入する。以下、個別部分としては、SGTIN でアサインさ
れている番号を挿入することができる。
共通部分
ヘッダ
個別部分
発番機関
発行形態
(GS1)
(SGTIN)
パーティ
ション
3 bits
図2
梱包形態
3 bits
企業
商品
コード
コード
20-40 bits 24-4 bits
シリアル
番号
GTIN を包含する場合
ベルギーの医薬品コード(CNK)2の場合
ヘッダで指定するのは、個体識別子が提案のフォーマットであることと、識別子長(例、96ビッ
ト、128ビット、256ビットなど)。そして、発番機関・発行形態では、ベルギーのAPB
(Association Pharmaceutique Belge – Algemene Pharmaceutische Bond)が発行している CNK
(National Code – Nationale Kode) を指定するコード挿入する。CNK は、製品識別コードで、7 桁の
数字からなっている。図 3 のように、提案のフォーマットが別のスキーマを持つコード、例えば
このような他国の医療コードも包含可能となる。
共通部分
ヘッダ
個別部分
発番機関
発行形態
(APB)
(CNK)
CNK部分(製品識別)
24 bits
図3
シリアル
番号
ベルギーの医薬品コードの場合
2
ベルギーでは、医薬品の個品に製品識別子(7 桁の数字)とシリアル番号(8 桁の数字)をつけることの義務付
けが検討されている。ベルギーの場合には、医薬品の保険請求が、実際に使用された薬に対してなされているか
を政府が確認するために個体識別子の付与が検討されている [9][10]。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
13
GTIN を基準とした製品コードを含まないコードを利用する場合
GTIN を包含するコード例から、商品コードを除去したもの。発番機関・発行形態の部分のコー
ドの値を変更することで、コンパチブルなコード体系が実現可能となる。
共通部分
ヘッダ
発番機関
発行形態
パーティ
(GS1)
ション
(SGTIN)
3 bits
商品コード
なし
図4
© Auto-ID ラボ・ジャパン
個別部分
梱包形態
3 bits
企業
コード
20-40 bits
シリアル
番号
GTIN を包含するコード(商品コード含まず)
14
4.
実在する個体識別子標準での提案のスキー
マの実現性評価
4.1.
ISO/IEC
ISO/IEC において個体識別子のスキーマを規定しているのは、ISO/IEC15459[3]シリーズである。
ISO/IEC15459 シリーズでは、個体の一意性を、発行団体コード(IAC)、クラス、シリアル番号
で確保することになっているが、この標準単独では、何のための個体識別子であるかの指定であ
るクラス(アプリケーション・アイデンティファイア(AI)もしくは、データ・アイデンティファ
イア(DI))の特定はできず、GS1 の AI などの表記を利用して、識別子外で指定することになっ
ている。このことから、ISO/IEC15459 のみを用いて、本稿で提案するコードを実装することは
できない。このため、ISO/IEC の識別子を使用して、提案のスキーマを実現する場合には、
ISO/IEC154959 で規定している以外にクラスの情報の取り扱いについての取り決めが必要となる。
ISO/IEC で提案のスキーマを実現する場合の案
上述したように、ISO/IEC を用いて提案のスキーマを実現するには、ISO/IEC15459 以外にクラス
情報についての取り決めが必要となる。具体的な方法としては、2 案が考えられる。まずは、
ISO/IEC15459 で規定している項目以外に、クラス情報を付加したものを個体識別子として扱う
というものである。クラス情報としては、その識別子が医療関連の識別子であることを示す機能
と、識別子の桁数を示す機能が必要になる。別の案としては、ISO/IEC15459 とは別の標準であ
る、ISO/IEC15961[6], ISO/IEC15962 [7]において規定されているアプリケーション指定のための識
別子、Application Family Identifier (AFI)を用いるというものである。クラスの情報及び、識別子
の桁数などの情報を示す AFI のインスタンスを確保することで、AFI 及び、ISO/IEC15459 の個体
識別子を利用することで、提案のスキーマを実現することが可能となると考えられる。3
3
実際にタグに個体識別子を書き込む場合には、メモリ領域のアドレスの取り決めが必要となる場合もある。ま
た、AFI とユーザーメモリ情報を読み取るために複数の読取ラウンドが発生し、個体識別子の読み取りに時間が
かかってしまうことも考えられるため、読み取り時間に対する要求が厳しい場合には注意が必要となる。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
15
ただし、ISO/IEC15459 の IAC が数字もしくはアルファベットだけを用いて発番機関を指定する
ことになっているために、十分なスペースが取れない可能性がある。各国政府が個別の発番をす
る可能性を考慮すると、この IAC の予備部分を使用した拡張機構も必要となると考えられる。4,5
4.2.
EPCglobal
EPCglobal において、個体識別子を管理しているのは、EPC Tag Data Standard[8]で、その中にい
くつかのフォーマットが定義されている。SGTIN、SGLN(Serialized Global Location Number)など
モノや場所についての識別子が定義されているが、これらのフォーマットの共通項は、ヘッダの
みで、それ以外の値について、各々のフォーマットにおいて規定されている。
EPC で提案のスキーマを実現する場合の案
EPC のヘッダを、提案のスキーマのヘッダに、EPC の残りの領域で、発番機関・発行形態情報と、
発番機関・発行形態依存部分を実現することで対応可能である。なお、現在 EPCglobal において
も、本考察と同様な議論から、他の発番機関の発行した個体識別子を包含するような方法が提案
され、その是非が議論されている。
4.3.
ユビキタス ID センター
ユビキタス ID センターが提案する ucode[11]は、バージョン(4 ビット)、トップレベルドメイ
ンコード(TLD、16 ビット)、クラス(CC、4 ビット)、ドメインコード(DC)、アイデンテ
ィフィケーションコード(IC)の 5 つの要素から構成されている。DC と IC のビット数は、クラ
スの値で決定される。
4
個体識別子の解釈として、object identifier を使用する方法も考えられるが、医療現場において、独自に資産管理
やコンテナの管理をすることを想定すると、AI/DI の機能自体を object identifier に持たせ、医療現場に存在するタ
グのグループについては、上位概念であるアプリケーションファミリーで管理した方がよいと考えられる。
5
ISO/IEC によると、タグにおける AFI のサポートは必須ではないため、多くのタグが AFI をサポートしていない
場合には、上記の案 2 は実現できない。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
16
図5
ucode 体系[11]
ucode で提案のスキーマを実現する方法の案
ucode はもともと、他のコードを包含できるメタスキーマとして設計されているため、基本的に
他のスキーマも包含可能であると考えられる。提案のスキーマを実現する具体的な方法としては、
TLD に提案のスキーマ用のインスタンスを定義することによって、残りの発番機関・発行形態情
報及び、その関連情報については、DC および、IC を用いて表現することが可能となると考えら
れる。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
17
5.
まとめ
物流や商品管理をはじめとして、セキュリティの向上や日常生活の行動支援などの目的のために、
どのように RFID を活用できるかの検討や実証実験が数多く行われている。医療分野もその活用
分野の一つであるのだが、そもそも医療分野の中に数多くの要求条件があることや、医療のグロ
ーバル性(標準、メーカー)やローカル性(利用者、規制)などの特徴があることから、RFID
を利用する上での基本コンポーネントの一つである個体識別子のあり方についても、様々な要求
や制約が存在しており、また、それらは相互に関連をもっているという状況である。
このような、状況において、個体識別子の仕様を明確に決めてしまうことは困難ではあるが、と
同時に、状況が落ち着くまで結論を先送りにするというのもまた困難な状況である。というのも、
日本のみならず、アメリカを始めとした諸外国でも既に RFID を医療分野で使う検討が開始され
ており、個体識別子の仕様についても遅かれ早かれ、何らかの意思決定がなされる可能性がある
からである。こうした状況において必要なことは、この個体識別子に対してどのような要求条件
があるかということ、また、個体識別を実現する時期にどのような制約条件が想定されるかとい
うことについて議論をし、仕様を決める上で必要なことを明確にしていくことであると考えられ
る。このような背景と考え方を踏まえ、本考察では、個体識別子に必要となる条件を議論する上
でのフレームワークを提示した。各々の条件が絡み合っているために、絶対的な結論を下すこと
は困難ではあるが、それぞれの関連を整理し、優先順位をつけていくとこによって、必要不可欠
な条件や、条件同士の優先順位を明確にすることができると考えられる。
また、本考察では、フレームワークに従った議論から導き出した要件に基づいた、個体識別子の
スキーマについても提案をした。ここで改めて強調したいのは、本考察で提案しているのが、新
しい個体識別子体系ではなく、既に提案されている個体識別子体系で実現可能な、スキーマの提
案であるという点である。本考察から、ISO/IEC、EPCglobal、ユビキタス ID センターの提案す
る個体識別子体系を利用した実現案を示したが、このことが意味するのは、実体としての個体識
別子を表現するのに、これら 3 つの識別子体系のいずれも相互運用を確保した上で、使用可能で
あるということである。
以上がまとめであるが、本考察が一番期待することは、今回提議した問題が、上述のフレームワ
ークを用いて議論されることである。医療の分野において、この RFID 技術を活用するためには、
電磁波が、人体、医薬品、医療機器などへ与える影響の研究、使われる環境に合わせたタグの研
究など(水分や金属への対応、タグのサイズや形など)、まだまだ解決されなければならない問
題も多い。しかし、これらの課題と同様に、物理的に存在する医療品を明確に識別し、活用する
ための礎石である、この識別子についての課題も非常に重要といってよい。というのも、この問
題が、医療品の個体識別子がプライバシー問題を含むかどうかなど、われわれがかつて経験した
ことがない問題を含んでいるからである。そうした問題への理解を含め、標準仕様を決定したり、
将来的に必要になる技術要件を明確にしたりするためには、この新しい問題についての議論を行
うことが必要である。
© Auto-ID ラボ・ジャパン
18
謝辞
本考察を行うにあたり、多くの時間を割いて議論をしていただき、多くの示唆を与えてくださっ
た元オート ID ラボ(現、サプライスケープ社最高戦略責任者)の Robin Koh 氏に感謝いたしま
す。また、ISO/IEC 標準の使用方法などに関しまして情報をご提供いただきました株式会社デン
ソーウェーブ柴田彰主幹、ISO/IEC 15961 and 15962 のプロジェクトエディターの Paul Chartier 氏
に感謝いたします。さらに、本考察をレビューしていただきました、オート ID ラボ・ジャパン
各位に感謝いたします。
参考文献
[1]
(社)日本自動認識システム協会編, “これでわかった RFID,” オーム社,(2003)
[2]
日本製薬団体連合会 医療用医薬品流通コード標準化検討プロジェクト, “医療用医薬品流通
コード標準化の現況について,” 日本製薬団体連合会 (2005)
[3]
ISO/IEC, “ISO/IEC 15459 Information technology – Unique identifiers、2nd Edition,” (2006)
[4]
ISO/IEC, “ISO/IEC 18000-3 Information technology – Radio frequency identification for item
management – Part 3: Parameters for air interface communications at 13,56MHz” (2004)
[5]
ISO/IEC, “ISO/IEC 18000-3 Information technology – Radio frequency identification for item
management – Part 6: Parameters for air interface communications at 860 MHz to 960 MHz” (2004)
[6]
ISO/IEC, “ISO/IEC 15961 Information technology – Radio frequency identification (RFID) for item
management – Data protocol: application interface 1st Edition,” (2004)
[7]
ISO/IEC, “ISO/IEC 15962 Information technology – Radio frequency identification (RFID) for item
management – Data protocol: data encoding rules and logical memory functions 1st Edition,” (2004)
[8]
EPCglobal, “EPC Tag Data Standard Ver1.1 rev 1.27,” (2005)
[9]
Belgian Federal Service for Public Health, Food Chain Safety and Environment, “Advice n° 6 of the
Telematics Commission "Telematics Standards in relation to the Health Sector",” (2002)
[10] Belgian Federal Service for Public Health, Food Chain Safety and Environment, “Royal Decree of 21
December 2001,” (2001)
[11] YRP Ubiquitous Networking Labs, “Philosophy of Networked RFID Technologies and Applications,
ASTAP,” (2005)
[12] (財)医療情報システム開発センター, “標準医療品マスター,”
http://www.medis.or.jp/4_hyojyun/download/iyakuhin.html
© Auto-ID ラボ・ジャパン
19
© Auto-ID ラボ・ジャパン
20