セクシュアル・マイノリティのアイデンティティ形成に関する質的研究 キーワード:セクシュアル・マイノリティ、アイデンティティ、ホモフォビア、ライフヒストリー 行動システム専攻 横木 麻子 1.問題と目的 本研究はセクシュアル・マイノリティ(性的少数者) が、現在では「レズビアンやゲイ男性に対する否定的な 態度」という広い意味で使われている。 の中でも特に男性同性愛者のアイデンティティ形成過程 を明らかにすることを目的として行った。 <「同性愛は病理ではない」> 1990 年代に入ると「同性愛は病理ではない」と公的に <病理だった同性愛> 認められるようになる。1993 年、WHO(世界保健機構) 1869 年、オーストリアの臨床医 Krafft-Ebing が法医 が『国際疾病分類(ICD)改訂第 10 版』で「同性愛はいか 学の視点から『性の精神病理学』を刊行した。この中で なる意味でも治療の対象にはならない」と宣言したのに 彼は異常性欲の総目録を作り、同性愛を病理学の中に初 続き、1994 年には DSM-Ⅳで同性愛は精神異常のリスト めて位置づけた。 つまり、 同性愛は先天的なものであり、 から外された。日本では 1994 年 12 月に厚生省が ICD 治療の対象として考えられていた。 を公式基準として採用し、1995 年 1 月に日本精神神経 これ以降、「なぜ同性愛者が生まれるのか?」を明ら 医学会が ICD を尊重するという見解を出した。 かにするための研究が医学の分野を中心に行われてきた。 例えば、生殖ホルモンが性的行動や脳の性差に影響する 近年の研究は同性愛者を初めとするセクシュアル・マ こと(Goy&McEwen,1980)や、胎児期の生殖ホルモンが イノリティが、ヘテロセクシズム(異性愛中心主義)の 神経に影響を与え、異性愛者になるか同性愛者になるか この社会の中で生きていくことの意味を探るものへと変 を 促 進 す る 働 き が あ る こ と (Hines&Green, 1990; わっている。そして、これらの知見の中では、セクシュ Money, 1987, 1988)は明らかになっているものの、胎児 アル・マイノリティがアイデンティティを形成する初期 期の生殖ホルモンや脳の性差と性的指向(性愛・欲望の の段階で、ホモフォビアやヘテロセクシズムの影響を受 対象の性別次元)の間のメカニズムは明らかになってい け、混乱に直面するといったことが明らかにされている ない(Byne&Parsons,1993)。 (Cass,1979 など) 。 <パラダイムの変換> <ゲイアイデンティティの形成モデル:Cass(1979)の理 1971 年、ドイツのロサ・フォン・プロハイムが『変態 論的モデル> なのは同性愛者ではなく、彼の生きる社会のほうだ』と 段階 1:アイデンティティの混乱 いうタイトルの論文を発表し、翌年にはフランス人のギ 段階 2:アイデンティティの比較 ー・オッカンガムがその著書『ホモセクシュアルな欲望』 段階 3:アイデンティティの寛容 の中で「問題なのは、同性愛の欲望ではなく、同性愛に 段階 4:アイデンティティの受容 対する恐怖なのである。なぜ、その[同性愛という]こ 段階 5:アイデンティティの尊厳 とを単に述べることが嫌悪や憎悪の引き金になってしま 段階 6:アイデンティティの統合 うのだろう」と述べる。これは同性愛問題を、同性愛者 しかし、実際には段階:6 まで到達するケースはまれで の欲望そのものに当てるのではなく、社会側にある同性 あり、段階:1,2 で停滞するケースも多々あると考えら 愛嫌悪(ホモフォビア)に焦点をあてるという、パラダ れる。 イムの変換をおこなった。 異性愛中心の価値観の中で生きていかなければなら <ホモフォビアとは> ないマイノリティは、異性愛者の想像を超えたエネルギ ホモフォビアは「レズビアンやゲイ男性と近い距離に ーを使って生活することを余儀なくされている。特に思 いるときに起こる恐怖」(Weinberg,1972)と定義される 春期においては自分の性的指向をはっきりと自覚するに 伴って、動揺や混乱をきたすことが考えられる。その原 のは事実である(北丸,1997) 。 因としては「正確な情報がない」「ロールモデルがいな 同性愛者の存在自体が否認されてきた欧米の歴史と い」 「社会からの偏見・差別」があると考えられる。 の比較を通じて、日本は同性愛に寛容な歴史/文化を持 そして、これらは「自分は世の中から受け入れられない つという結論がよく導かれてきている。しかし、それは 否定された存在である」という認識を形成し、自分の存 同性愛者という主体を非在へ導くような、欧米的ではな 在そのものの価値を低いものであると思い続ける危険性 いもうひとつの抑圧形態にほかならないことをヴィンセ を生み出す。さらにそれは社会的にも感情的にも認識的 ントら(1997)は指摘している。1996∼1997 年に行われた にも孤独感を深めていくことになり、これが自殺や精神 「ノンヘテロセクシュアル(非異性愛)女性の性意識調 病理へと結びついていく可能性も否定できない。 査アンケート」 (性意識調査グループ,1998) によると 「ヘ テロセクシュアルではない、または性自認が女性ではな <内面化されたホモフォビア> いということで、差別されていると感じることがある」 異性愛者と同様にレズビアンやゲイ男性も文化的に公 と答えた女性が 46.1%存在した。そして「差別されてい 認されている反同性愛バイアスをもたらされている ると感じるのはどのような時か」との問い(自由記述) (Malyon,1981,1982,1982)。 には「TV などで、ニューハーフやレズをネタにしたも のを一緒に見ているときに、自分たちにはまるで関係の 幼いときに「周りとは違っている」という意識 ↓ その意識は否定的に見なされていることを学習 ↓ ない、人間以下のもののように言われるとき」といった マジョリティにも明らかに差別であると分かる回答があ った。だが、他方で「メディアにおいて親子または家族 が一番の幸せだと強調されているところ」「同性愛は不 同性指向に対する否定的な社会の反応を理解し、 自然だとか文明病だとか、幼い頃に傷ついているからな 自己イメージに取り入れられる るのだとか、非難や間違った解説を聞かされるとき」と いった回答もあった。これらの回答はマジョリティの側 こうして自己イメージとして取り入れられたホモフォビ が差別と明確に自覚していない言動であってもマイノリ アは「内面化されたホモフォビア」と呼ばれ、 「他者の同 ティが差別であると感じているケースが存在することを 性愛に対する否定的な態度や感情と自分自身の同性愛の 示す例である。 特徴に対する否定的な態度や感情が 1 セットになったも の 」 (Shidlo,1994) 、「 レ ズ ビ ア ン や ゲ イ 男 性 自 身 の gayness に対する否定的な感情」(Herek ら,1998)と定義 これらの知見をまとめると、図 1 のようなモデルがあ ることが想定される。 されている。 ホモフォビアの内面化は異性愛主義者や反ゲイ社会 <日本のセクシュアル・マイノリティ研究の現状> の中でのほとんど全てのレズビアンやゲイ男性にもたら 欧米ではセクシュアル・マイノリティに関する学術誌 さ れ る 発 達 的 な 出 来 事 で あ る (Fortein,1988; が発行されるなど、研究が活発に行われている。だが、 George&Behrendt,1988;Gonsiorek,1988;Sophie,1988) 。 日本では社会学の領域を中心に若干の研究が行われてい 内面化されたホモフォビアはしばしば心理的な苦悩の重 るものの、心理学的な視点から行われた研究は非常に少 要 な 原 因 と な る (Committee on Lesbian and Gay ない。つまり、日本にいるセクシュアル・マイノリティ Concerns,1991;Gonsiorek,1982;Malyon,1982)。 を心理学的視点から捉える枠組みがまだ存在していない というのが実状なのである。以上のことを考慮し、本研 <日本は同性愛に対して寛容か?> 究では量的なデータではなく、 質的なデータを採用した。 欧米ではソドミー法などによって同性愛が犯罪化さ 箕浦(1999)が「人の日常行動の背後にある文化は当人 れたという歴史がある。 ソドミー法とは 1965 年にニュー さえ感知されないくらいその人の一部分となっているこ ヨーク州で制定された同性愛行為に対する刑事犯罪法で とが多く、質問紙調査や面接などのその人の意識を頼る あり、1986 年にはアメリカ全州に存在、1997 年の時点で ような研究方法では取り出せないことも多い。それを、 も 25 州で有効であった。 ソドミー法は同性愛行為のみを その人の生きている文脈ごと抽出しようと試みるのがフ 禁じていたが、同性愛者自体を生来の犯罪者としてみな ィールドワークである」と述べているように、異性愛中 す風潮を生み、ソドミー法が差別と偏見の前提になった 心主義社会というある種の文化の中にあるセクシュア 社会 「差別するべきではない」という認識 ---------------------------------------------ホモフォビア (同性愛などに対する否定的態度) 3.結果 事例 1 T さん(関東在住/20 代/学生) 性自認:男性 性的指向:男性 ・ゲイという自覚がないまま、成人同性愛者向けの映画 ――――――――――――――――――――――――― セクシュアル・マイノリティ 館(いわゆる薔薇族映画)で出会った男性と性行為を 行う(高 1) 。 ・性的欲望の対象として男性を据えた話をする友人のこ ホモフォビアの内面化 とを「ホモだ」と思ったことから、自分自身もゲイだ ろうと気付く(高 2) 。 ・ゲイ雑誌に載っていた記事の内容が自分に当てはまる アイデンティティの混乱・葛藤 ので、このときに「自分はホモだ」とはっきり自覚し た(高校生) 。 ・その後は、薔薇族映画館へ行く、新宿 2 丁目へ行く… メンタルヘルスの悪化 と行動の範囲を拡大(高校生∼大学生) 。 ・カミングアウトに関しては以前の環境では周囲がほぼ 図1:セクシュアル・マイノリティのアイデンティティの葛藤 知っている状態。現在はごく親しい人に対してのみ。 に関するモデル 親は気付いていると思うが、はっきりと言ったことは ない。20 歳前後はゲイであることを隠していることに ル・マイノリティに関わる言説を抽出するためには、研 ストレスを感じていたが、現在では「どっちもワタシ」 究者が作ったフォーマットに沿ったデータを収集するよ と考えており、ストレスに感じることはない。 りもフィールドワークの手法が適していると考えられる。 ・ゲイ・リブ(ゲイの権利獲得活動)は必要ない。権利 本研究ではフィールドワークの一種としてライフヒスト を求めると縛られる。マイノリティ優先の社会は生き リーインタビューという形式を使った調査を行うことと づらい。マジョリティ優先の社会を作った上で余裕が した。 あればマイノリティのことを考えてほしい。 事例 2 <ライフヒストリーインタビューの利点> ライフヒストリーインタビューでは「個人の歴史」に 関する語りから、セクシュアリティに関するアイデンテ ィティ形成過程をより詳細に、また時系列的に辿ること を可能にすることが利点として挙げられる。また、個々 K さん(九州在住/20 代/学生) 性自認:男性 性的指向:男性 ・近所に女の子が多く住んでいたことから女の子と遊ぶ ことが多かった。男の子の遊びが嫌いだった(幼児期) 。 ・男子を好きになるが「たまたまかな?」と思う(小 5) のセクシュアリティに関する情報量が増えることにより、 その後も好きになる相手が全て男性だったことから セクシュアル・マイノリティという大きな枠組みから見 ゲイだと自覚する(小 6 頃) 。 るだけではなく、マイノリティの中に存在する差異を明 らかにすることが可能であると考えたためである。 ・ 「それ(ゲイ)っぽいね」とからかわれるが認めずに否 定していた(小 6) 。 ・ゲイであることを嫌だと思ったことはなく、認めたら 2.方法 具体的な方法としては、被験者 3 名と個別に会い、ラ イフヒストリーを語ってもらうという調査を行った。 被験者は「 『性自認』は男性、 『性的指向』は男性」い わゆる「ゲイ」であり、3 名とも 20 代である。調査者は 被験者に対して特にあらかじめ質問を用意することなく 調査に臨み、被験者にこれまでの人生を振り返りながら 自由に語ってもらった。 「変な目」で見られるのが嫌だったから否定していた にすぎない。ゲイであることは個性のひとつだと思っ ていた。 ・ゲイ雑誌の投稿欄をきっかけとして文通を始める(大 1) ・ゲイである友だちと過ごす時間が楽しいが、学校の友 だちとの付き合いも多い。 ・偶然が重なり、友だちにカミングアウトし、学校の同 級生はほぼ知っている(大 4 頃) 。 ・家族にはカミングアウトできない。家族に嫌われるの は怖い。 4.考察 Cass のモデルと今回の 3 名のライフヒストリーを比較 すると、決定的に異なる点が 1 つある。Cass は「段階 5: ・差別されなくなったらもっとやりたいことが出来るの かもしれない。 アイデンティティの尊厳」で「 『同性愛者=良い、異性愛 者=悪い』と考える」ことを指摘しているが、今回の 3 事例 3 名の語りの中にはこのような善悪の二元論的な思考が現 G さん(関西在住/20 代/社会人) れていない。これは「日本の」男性同性愛者の特徴であ 性自認:男性 るといえるのではないだろうか。 性的指向:男性 ・意識的に「自分は男の子が好きやな」と思ったのは多 分 5 歳くらい。 Kさんは社会と同性愛者の関係について考えることが ほとんどなかったようであるが、Tさん・Gさんは考え ・小学校低学年のとき「男の子が好きやから結婚でけへ た上で全く別の結論を導き出している。これまでのセク ん」と思ったことから社会に出ることを極度に恐れる シュアル・マイノリティ研究は当事者による研究が多か ようになる。 「何歳まで生きなあかんのかな」と思い ったことなどからGさんのようなタイプの人間を典型例 始め、この疑問は大学時代にゲイ・サークルに関わる として描き出しているが、潜在的なゲイの中にはTさん ようになるまで続く。結婚しなくてはならないという のようなタイプが数多く存在している可能性がある。そ 考えは本家の長男であることから発生している。 して、この 2 つのタイプへと分かれていく要因としては ・小学校 4 年生まで非常におとなしい子どもだったが、 やはり「ホモフォビアの内面化」が関係しているように これは「根本的に自分はなんか変やからみんなと交わ 思われる。Tさんは比較的ホモフォビアを内面化するこ って喋ってたらバレるのが嫌やった」というのが一因 となく、他のゲイ男性へと関わっていった。しかし、G ではないかと考えている。 さんは幼少期にすでにホモフォビアを内面化し「何歳ま ・大学時代、ゲイ雑誌の投稿欄をきっかけとしてゲイ・ で生きなあかんのかな」と思いながら成長し、その結果 サークルに参加したことから一気に世界が広がるこ として「性の問題は人権問題」と考えるに至っている。 とになる。関西の大きなセクシュアル・マイノリティ 3 名へのインタビュー以外に数名のゲイ男性と会話す の団体の一部門の代表者を 2 年間務めた。 る機会があったが、その際興味深い話を聞いた。 「ゲイに ・25 歳のときに父・母・親友の 3 人に手紙を書き、ゲイ なるのは家庭に問題がある場合が多いと言うが、そうで であることをカミングアウトした。母からは肯定的な はない。家庭に問題があるが故に親から結婚を初めとす 返事が返ってきた。親友はゲイであることに未だ触れ る気体を課せられないで済むためにゲイとして生きるこ ないが、友人関係が続いている。父はその当時「なん とを選択できるのである」という話であった。つまり、 か変な手紙が来たけど、よう分からん手紙やったわ」 これはヘテロセクシズムが強調されることのない環境に と他人事のように言ったが、その後、亡くなる 1 か月 あれば、ゲイとして生きていくという選択肢が現実的な 前に訪ねていくと「お前ほんまにいいんか?」と質問 ものになるという可能性を示唆している。 を投げかけてきた。Gさんは「俺はすごく今一生懸命 生きてるし、別に全然人に恥じることをしているとは 5.主要引用文献 思ってない」と答えるが、これに対し父は「お前は自 Cass,V.C. 1984. Homosexual identity formation: 分の好きなことをしたらいい」と言った。 ・家族らへのカミングアウトと同時期に職場でもカミン Testing a theoretical model. Journal of Sex Research, 20, 143-167. グアウトした。これは職場が福祉系であることから、 自分がゲイであるということは、人々に人権について 6.主要参考文献 語りかけていく上でひとつの武器になるのではない Cass,V.C. 1979. Homosexual identity formation: A かと考えたからである。 ・性の問題は人権問題。それを社会が認めなければ生き ていくことの環境すら整わないと考える。ピア・サポ ートを行いながら社会に対して主張していくという セルフヘルプグループの重要性を認識し、活動を行っ ている。 theoretical model. Journal of Homosexuality, 4, 219-235. キース・ヴィンセント・風間孝・河口和也. 1997. ゲイ・ スタディーズ. 青土社 桜井厚. 2002. インタビューの社会学 ライフストーリ ーの聞き方. せりか書房
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