ていよう 綴葉 '16 1 2 No.344 あなたが創る生協の書評誌 ▶ 話題の本棚 リチャード・T・シェーファー著『脱文明のユートピアを求めて』 助川幸逸郎著 『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』 特集/ギリシャ 新刊コーナー/新書コーナー/ 私の本棚(こたつのお供にコスモグラフィー/ 読みものとしての旅行ガイドブック) 〒606-8317 京都市左京区吉田本町 Tel:771-6211 / E-mail:[email protected] 綴葉HP: http://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/ 京大生協綴葉編集委員会 話題の本棚 現代社会の脱文明を求めた人々 脱文明のユートピアを求めて リチャード・ ・シェーファ ー、 通読する中で、アメリカは短い歴史の中でもこれほど多様な社会集 団を抱えているのかという驚きと、一つ一つの社会集団があまりに も違い、それぞれが自明の社会とは異なる歴史を歩んできたのだな と思わせてくれる。 もちろん全てが肯定出来るわけではない。外部の常識と折り合い がつかず消滅する組織もあれば、内的な闘争から消えていった集団 アメリカで宗教社会学の教科書として使われている本書は、現代に ることと、異なる他者に対して寛容性をもつことでもあると思う。 生むだろう。社会に多様な生き方の選択肢があることは、希望があ の理解がない。絶望への宿命的な思考はニヒリズムと、排外主義を 社会に希望がないというのは社会に選択肢がないという状況と似 ている。自分たちの社会に多様性はなくオルタナティブな生き方へ か」という視点を一度置いて本書を読んでみて欲しい。 時代の社会性を表している。肯定か否定か、まさに「カルトかどう に留まったのか。それはちょうど外部社会の映し鏡のように、その もあった。諸集団の構成員が何を幸福と思い、何を求めてその内部 やしている集団もある。そしてその社会の中には葛藤もあれば幸福 もある。また知られていないだけで、今も規模を拡大し構成員を増 於いても人々の暮らしのあり方が多様であることを教えてくれる。 自明と成されているものを拒否した人々である。車にのることを拒 が並列的に述べられている。そこで記述される集団は、現代社会が 邦題をつけられた本書は、まさに文明を否定したアメリカの共同体 希望を模索する方向性だろう。『脱文明のユートピアを求めて』と 原発事故以降「脱文明」という言葉を耳にした。それは文明社会 が背負っているある種の宿命を否定し、そうでない社会の方向性に 一見一様に思えるこの社会にどんな風変わりな集団がいるかはまた 身近な日本でもきっと多様な「脱文明」の社会集団がいるはずだ。 最後に本書の分析はアメリカに留まるが、日本でこのような分析 をしている本をそのうち紹介したい。アメリカが特殊な訳ではなく、 の共生の可能性を開く。 への理解に心を開いてみて欲しい。それは幸福の形が異なる他者と しかしたとえ自分自身が納得することは出来なくても、異なる社会 セックスの集団に嫌悪やディストピアを思い描く人もいるだろう。 否し馬車で生活するアーミッシュ、共有社会の中でフリーラブを思 (六四三頁 税込七〇二〇円 (きもの) 月刊) 考するオナイダ共同体、逆に性的接触を一切禁止したシェイカー教 徒。その他多くの‘風変わりな’集団が簡潔にまとめられている。 何を受容し何を否定したかは共同体によってそれぞれだ。本書を の機会に紹介したい。 明を考えて 脱文 恐らく文明も脱文明もユートピアを実現できないだろう。人間の 幸福の形に答えはない。本書を読んで自給自足する生活や、フリー ウィリアム・ ・ゼルナー著 松野弘 他訳 筑摩書房 WT 9 2 話題の本棚 時代のキーワードを散りばめ、鮮やかに描き出す。 ない。それでは小泉は時代とどう適応してきたのか。『 Santa Fe 』、 オリーブ少女、負け犬、マウンティング……と、彼女が通り抜けた に煽られる人々は多い。著者は、時代が生んだ「失敗例」も見逃さ あるか勘違いしてしまうタレントが続出したのだという。時代の波 うこと。著者によれば、経済的豊かさに目がくらみ、自分が何者で 愛されたい、願わくば「痛々しさ」 なしで 小泉今日子はなぜ いつも旬なのか 助川幸逸郎著 朝日新書 り上げた一方で、ハイブロウな映画や書籍を紹介するようなアイド 泉が、文芸誌ではジュニア向けファンタジーや少女漫画を中心に取 ただ、「失敗例」の一つとして語られる「文学系アイドル」に心 惹かれる読者も多いのではないか。「芸能界一の読書家」である小 最近では『小泉今日子書評集』の出版が耳に新しいが、彼女がいか に「新しい」アイドルで、いかに自分の売り出し方を見極め考えて 小泉今日子といえばドラマ「あまちゃん」への出演が懐かしく、 いたのか、知っているだろうか。 面白いことで、近年のアイドルコンテストの一つ、「ミス 」にて、 ルもいたらしい。これはなにも批判することではなくて、これ自体 本書は、時代を超えて愛される小泉今日子を、同時代のアイドル ――松田聖子や中森明菜、松本伊代など――の動向とともに振り返 ーソドックスなアイドルの姿とはかなり異なっていた。しかし、ア に出たり。その姿は、可憐で純粋な「理想的カノジョ」を演じるオ ミュージック風の曲を歌ったり、はたまた全身黒塗りで雑誌の表紙 機から始まっていた。ショートヘアへの「断髪」に始まり、ハウス と、友達が受け入れてくれないから」という(やや後ろ向きな)動 ろ「やめて田舎に帰ろうと思ったけど、帰る前に何かしでかさない もやってのける。未知の扉を開ける軽やかさ。それは駆け出しのこ り、その独自性を浮き彫りにする。飄々として見えて、書評も作詞 くは、「既にやってるよ」)」と見るか、新機軸への突破口と見るか とめの「小泉今日子に学ぶ7カ条」を、「やってらんねーよ(もし ミ」と呼んでいたのは痛々しくないのか? いう気分にもなる。(逆にいえば、彼女が若いころ自分を「コイズ きるための最低限の心得であり、今さら何を言っているのか? ティングをしない」という小泉の美点は、一般人にとって社会を生 しなみ」となっているのではないか? 最後に一つ。彼女が減速を見せないアイドルであることは確かだ が、彼女の「痛くなさ」は、すでに多くの女性にとって当然の「た 個性豊かな女の子たちの可能性と関わらせた読み方もできそうだ。 (二五五頁 税込八四二円 (貝殻) 月刊) と疑問が浮かぶ)。ま と 例えば本書でいう「マウン イドルグループ戦国時代と称される現代。いわゆる「ウケ狙い」の はあなた次第だ。 アイドルも多く、いまいちインパクトが伝わらないかもしれない。 ﹁勘 違い﹂と﹁見極め﹂は何が違うのか 一つは、彼女が活躍した時期はまさにバブル真っ只中だったとい 3 iD 10 2016. 1. 12 綴 葉 特 集 ギリシャ 考古学・美術史学の祖、ドイツのヴィンケルマンは、ギリシャを美のイデア としながらも生涯ギリシャの土を踏むことはありませんでした。彼ほどではな いけれど、ギリシャへ行きたしと思えども、あまりに遠いことを嘆くそこのあ なたを誌上でのギリシャ旅行に誘いましょう。 (ヒストリア) 古代ギリシャの雑談技法 古代ギリシャの人々というと、友愛、美、 正義など、何やら抽象的な事柄について日夜 に長い引用を行い、食卓を盛り上げていく。 調するために、些細な内容であっても意識的 魚や調理法について、各々が自身の意見を強 対話を交わしていた印象がある。しかし、実 か」、「なぜ肉は日の光よりは月の光にあてる くれる。こちらでは「鶏と卵ではどっちが先 は彼らとて、難解な哲学的議論と同じくらい 歓談集』(岩波文庫) プルタルコス著『食卓 真剣に、世俗的な会話に耽っていたのだ……。 も、饗宴の場における対話風景を垣間見せて 食卓を囲んで寝そべって り海のほうが珍味が多いか」というテーマを 的な命題が肴として多く挙げられる。 「山よ と腐りやすいか」等、食に関する比較的抽象 おいしい料理はギリシャ人を雄弁にしたの な料理に関する薀蓄を披露しながら、宴を愉 だ ろ う か。 ア テ ナ イ オ ス 著『 食卓 の 賢 人 た ち 』( 岩 波 文 庫 ) で は、 宴 の 席 を 囲 み、 様 々 が海の幸の良さを肯定する弁論を行う。例え 称賛する多くの出席者に対抗し、少数の論者 しむギリシャ人たちの姿が虚構的に描かれる。 巡っては、山海の珍味を前にして、山の幸を 材の名前が目次に並ぶのがユニークだ。例え 「無花果」「キャベツ」「兎」など、様々な食 ばシュンマコスは、食物に風味を与えると同 、 時に薬にもなる唯一の調味料である塩が海か 、 ば、鮪の塩漬けが出されたことを契機に「塩 、 ら取れることや、海産物は肉と比較して消化 、 漬 魚 」 に つ い て の 衒 学 的 な 対 話 が 始 ま る。 、 されやすく健康に良いことを論理的に説明す 、 《シシリーの鮪の切り身を、モスコス君、召 、 し上がれ。塩をして、瓶に漬けて、切ったの を。黒海の珍味と評判のかわすずめだいだが、 ることによって、また、ランプリアスは、動 言葉や、芝居・文学 アルケストラトスの ぞ。》 と い う 美 食 家 俺は軽蔑してやる るため、精妙な論理によって、技巧的に語る かれる。宴会の席であっても、相手を説得す とによって、海の幸を擁護していく情景が描 えに食べて構わないという詭弁を駆使するこ 抗を感じるが、魚は別世界の存在であるがゆ 何だあんなもの、あれがうまいというやつも、 物は人と世界を共有するので食べることに抵 の中に登場する塩漬 4 人間を対象とした語り口も興味深い。テオ 人間観察と恋愛訓 ことを意識していることが伝わってくる。 な事柄においても、知性を働かせてユーモラ 遺すことになった》感情的になりやすい恋愛 世界の人間に、嘆きに満ちた『イリアス』を れた人々に対しては、われわれは誰に対する も「 人 柄 」 と い う 要 素 で あ っ た。《 人 柄 の 優 ための強力な道具として挙げたのは、意外に 技法について分析される。ただ、彼が会話の よりも多くの信を、より速やかに置くものな スな書き方を試みていることがわかる。 プラスト ス著『 人さまざま 』(岩波文庫)で は、 ギ リ シ ャ の 庶 民 が 観 察 さ れ、「 噂 好 き 」 整然たる思想から形成された古代ギリシャ人 のである》巧い弁論技術に頼るばかりでなく、 の高潔な「人格」に到達し、そこから流れる 技術よりも大切なのは⋮⋮ ここまで見てきたように、酒の席の世間話 であれ、人を説得し、楽しませるように話す 「お節介」「へそまがり」など、三〇の人格に ついて説明されている。例えば「上の空」を ためには、第一に技術が必要だ。アリストテ ように、生活の中でも愉快で、魅力ある会話 義 し た 上 で、《 計 算 早 見 表 を 使 っ て 勘 定 し、 《言語動作における心の動きの遅鈍さ》と定 あり、ペネロペは賢 色香に惹かれた。オデュッセウスには分別が 示 さ れ る。《 ヘ レ ネ は 富 に 惹 か れ、 パ リ ス は のための、ウィットに富んだ約五〇の教訓が は深い。プルタルコス著『 愛をめぐる対話 』 (岩波文 庫)の「結婚訓」では、幸せな結婚 男女の深い関係、恋愛模様についても洞察 に満ちていて大変面白い。 の項目も、テオプラストス独特のアイロニー 何を考えるだろうか。お金も暇もある大学生 仕事を……とボヤくだろうか。では、読者は 要だと啖呵を切るだろうか。いや、それより 偉大な文化を創造するためには、奴隷制が必 繋ぐだろうか。それともニーチェよろしく、 える英雄に自らを重ね合わせ、明日に希望を 現代ギリシャ人は何を思うだろう。困難に耐 英雄主義が主題の古代ギリシャ悲劇をみて、 ものだろう。運命に立ち向かう人間の苦悩と をみるに、悲劇もまた人間にとって普遍的な このように、古代ギリシャ世間話は普遍的 なものを探求した。現代ギリシャの経済危機 いう神託を受けたにもかかわらず、子を授か れ る。 テ ー バ イ の 王 は、「 子 が 親 を 殺 す 」 と 開幕前に次のような劇の背景が観客に知らさ 劇の効果を内容と一緒に紹介しよう。まず、 の効果が台無しだ。フロイトの論はさておき、 うまとめてしまうとソポクレスがしかけた劇 う、父を殺し、母と姦淫する話。しかし、こ エディプス・コンプレックスの元ネタだ。そ べ て、 ち く ま 文 庫 )。 ィ プ ス 王 』(『 ギリ シア悲劇Ⅱ』以下す を試みていきたいものだが……。 (ミント) 明だった。そこで後 の た め に、 ギ リ シ ャ 悲 劇( 現 代 の ギ リ シ ャ 愉しいギリシャ悲劇 レ ス 著『 弁論 術 』( 岩 波 文 庫 ) で は、 文 体、 発声法、比喩など、弁論術を構成する様々な 総計を出しておきながら、隣席の人に「いく らになるんですかな」などと尋ねる》《雨が 降ると、他の人たちが、漆よりも暗い、と言 っ て い る と き、 彼 は、 星 よ り も 暗 い、 と 言 者の結婚はしあわせ り、その子を捨てる。その子がオイディプス う》といった具体的性質を列挙していく。ど で人も羨むものとな 「悲劇」ではない)の傑作を三つ紹介しよう。 一 作 目 は、 ソ ポ ク レ ス の『 オイ デ り、前者の方は、全 5 綴 葉 No.344 2016. 1. 12 綴 葉 何も知らないのはオイディプスただ一人だ。 が開幕する。観客は真相を知らされている。 疫病が流行りだす……。なんと、ここから劇 ンクスを退治した功績が認められたオイディ の父)を殺害する。テーバイにつき、スフィ 旅にでるが、道中のいざこざである老人(実 代ギリシャ人は何を思っただろう。最高神ゼ ス、二人の攻防を観て、政治的動物である古 と、その不正義を暴く権力批判者プロメテウ 判の構図に基づいている。権力の象徴ゼウス 母)を妻に子を授かり幸せに暮らしていたが、 ウスを非難する。この劇はあきらかに権力批 プスは新たな王として迎えられ、王妃(実の ウスの破滅までも預言するプロメテウスを英 臓を食われ続ける。それでも彼は動じず、ゼ テウスは、ハゲ鷹に胴を引き裂かれ永遠に肝 明を与えてくれた神だ。そんな不死のプロメ かでも唯一人間に共感し、火=技術を奪い文 市民ではないか、ギリシャ人は。 そう思うと、なんと野蛮な娯楽を愉しむ文化 劇を観ては、拍手喝采をおくっていたことを。 らいたい。アテネ市民は、祭りのときにこの りそうな描写だ。だが、ちょっと想像しても つ母、この地獄絵図は、サブカル漫画にもあ って戯れるのだ」。息子の生首を狂喜して持 ペンテウスさまの肉片を、毬のように投げ合 れるし……やがてどの女も、血まみれの手で、 うだ。「イノ様が殿様の肉を引きちぎってお な描写に快感を覚える現代の若者にもウケそ 劇が進むにつれ、自分の素性を知ったオイデ そう、人生に必要なのは忍耐だけではない。 気晴らしも時には必要だということをギリシ プロメテウスは、横暴なギリシャの神々のな ィプスは、自殺した妻の針で自らの目を何度 雄的に描く、アイスキュロスの立場を心配し だ。成長したオイディプスは、実の親を探す も 突 き 刺 し、 こ う 語 る。「 あ あ、 い か ば か り てしまうのは評者だけだろうか。 三作目はエウリピデス『バッコスの信女』 (『ギリシア悲劇Ⅳ』)。バッコスとは酒神ディ オニュソスのこと。人間の姿をした神ディオ に忠告するかもしれない。ギリシャ劇場はも と古代ギリシャ人でさえも、現代ギリシャ人 ャ悲劇は教えている。だが、気晴らしばかり この針の刺傷と不幸の記憶とがおれの心を深 ニュソスを捕らえ蔑んだ君主が、神罰をくら う営業終了だ。 せ主人公プロメテウスは、ゼウスの拷問に耐 もが思い浮かべるギリシャ像に忠実で、市場 の輝かしい文化を真正面から扱っている。誰 このコーナーを書こうとして筆を執る砌、 他二人の執筆者の書評を垣間見る。古典古代 扱ってあげなければ可哀そうではないか。 ャは無住地域であったわけではない。誰かが のである。古典古代以後の千六百年、ギリシ しかしちょっと待ってほしい。「飛鳥時代 の歴史」と「明日香村の歴史」は全く違うも (砂ずり) だ と、 家 計 は 悲 劇 だ。「 祭 り は ほ ど ほ ど に 」 閉じる。高貴な人間が苦悩しそれに耐える様 う悲劇だ。悲劇といえば悲劇だが、啓蒙君主 く貫いたことか」。こうしてオイディプスは にギリシャ人は悲劇の美学をみた。そして劇 が狂信集団に引きちぎられるシーンは、残酷 何の希望もなく闇のなかに堕ちてゆき、幕が の緊迫感を高めるのが、真相を知らず語る役 それからのギリシャ 者 と 真 相 も 結 末 も 知 る 観 客 と の 対 照 効 果、 「悲劇的アイロニー」だ。 二作目はアイスキュロス『縛られたプロメ えて耐えて耐えまくるのだから。それも劇の 原理にも則った選書であろう。 みぎり 最初から最後まで。彼の罪は、人間を憐れみ テウス』(『ギリ シア悲劇Ⅰ』)。こちらは劇の 手法よりも英雄の生き方に注目したい。なん 生きるための火をゼウスから盗んだことだ。 6 ンティン帝国︱ローマ的なるギリシャ ビザ ローマ帝国の東西分裂以降、ギリシャ地域 を支配した東ローマ帝国――所謂ビザンティ そこで、欧亜を股に掛けた「スーパーパワ ー」オスマン帝国を描く新井政美著『オスマ ヨーロッパ』をお勧めしたい。オスマン ン トルコを描いた邦語文献には他にも好著があ 一八三〇年独立を果たした。しかしそれはギ リシャにとり新たな苦難の始まりでもあった。 新書で読むことができる。 そんな苦難の道程は村田奈々子著『物語 近 現代ギリシャの歴史』の刊行により今や中公 の下に置かれるが、 したオスマントルコ。ギリシャは長くその軛 一三世紀末に勃興し、一四五三年にコンス タンティノープル(イスタンブール)を攻略 オスマン時代︱牙城遥かなり 人は「狡猾なギリシャ人」と映った。 十字軍の目には現実主義をとるビザンティン あるが、トルコの脅威が迫る中、派遣された 機能から繁栄を極めたビザンティン帝国では いく。度重なる改革と国際貿易拠点としての て、次第にキリスト教的専制国家に変貌して の東方の失陥、パンとサーカスの廃止等を経 「新しいローマ」として出発したビザンテ ィンは皇帝専制の確立やエジプトやシリア等 という啓蒙精神で書かれている。 細かい史実より、日本人に異文明を紹介する に敗退する過程をより鮮明に欲しかった。 で、オスマントルコが一七世紀、ヨーロッパ れよう。著者は近代トルコの専門家であるの 史の結末が自明ではなかったことも教えてく なかったのを知っているが、同書はそんな歴 我々はその鋭鋒が二度ともウィーンにとどか 家の神聖ローマ帝国の集権化を強く促した。 近世ヨーロッパの国際秩序はオスマントル コ中心に決定し、トルコの脅威はモザイク国 後継者だったのである。 はオスマントルコはまぎれもなく古典世界の たことを描いている事である。見方によって ルを攻略させ、ウィーンとローマを羨望させ 識がオスマントルコにコンスタンティノープ ル(スレイマン一世)と自己規定し、その意 ドロスの後継者(メフメット二世)・カエサ それはオスマントルコの君主が自身をスル タンやカリフとしてのみならず、アレクサン 「国境の外のギリシャ人」のような二一世紀 続く公務員過多の淵源や旧ソ連等に流出した りに癒着しすぎていた。現代ギリシャに引き ためか、ギリシャにおいては現実政治とあま 国民国家形成期に日本を含めどの国も経た 思想的混乱は、あまりにも偉大な始祖たちの された。 の試みは二〇世紀の軍事独裁政権により悪用 らす。口語ギリシャ語を純化した「純正語」 ン半島の政情不安とも相俟ってトルコやマケ せんとする「メガリイデア」の思想はバルカ った。古典世界の歴史的ギリシャ領域を恢復 を「未熟な非文明国」と断じる者たちでもあ 夢を見た西側知識人は同時に現実のギリシャ 思想の浸透によるものだったが、ギリシャに 線的に結合したことで生まれた。それは啓蒙 世紀のギリシャが古典古代と近代を安易に直 冒頭で冗談めかして述べた古代にあまりに 偏したギリシャのイメージは、そもそも一九 一般書でその時代の 近代ギリシャ︱古典古代は還らず 社学術文庫に再録された。全体として同書は ギリシャのみを扱っ 分野における注目の一冊。 (ヒス トリア) に続く諸問題にも視点が行き届いた、未開拓 ドニアを始めとする周辺諸国との角逐をもた た書籍は見いだせな 『生き残った帝国 ビザンティン』を挙げたい。 るが、ある特色が同書をこの特集に適したも のにしている。 講談社現代新書として刊行された同書は講談 ン帝国についての邦語文献として井上浩一著 VS イギリスの詩人バイロンをはじめとする親 ギ リ シ ャ 主 義 者 の 支 援 も 有 り、 ギ リ シ ャ は かった。 7 綴 葉 No.344 新刊コーナー んだよ》。麦彦にはその言葉の意味がわから なかった。けれど、その後スーパーから足が ど、ゆっくりと記憶に沁み込んでゆき、心の 深いところで何かを決断させたり、あるいは いたい人がいてさ、会えるんだったら、ぜっ ちゃうんだよ》《だから会いたいときに、会 なるなんてこと、しらないままにいなくなっ ね》《いなくなっちゃう人も、自分がいなく 男に連絡をとって自宅に呼ぶ決心をする。 っかけに、高校時代に仲の良かった同級生の をする二人。優美子は、景子のある言動をき を呼ぶ。掘り炬燵でまったりと「炬燵蜜柑」 表題作。三十四歳の作家である矢吹優美子 は、一人暮らしを始めた一軒家に友人の景子 そんな出来事だ。 遠のいていた。でも、もう一度会いたかった。 密やかな傷や憧憬となって残り続けるような、 たいに会っておいたほうがいいと思うんだよ ヘ ガ テ ィ ー が い う。《 人 っ て、 い つ ぽ っ か りいなくなっちゃうか、わからないんだから 冬が近づくと川上 未映子が読みたくな ね》。麦彦は描いた絵を渡そうと意を決する。 あこがれ るのはなぜだろう。 川上未映子著 新潮社 灰色になる景色の中 「いい女さまよう」。コミックスの原案を考 える仕事をする長谷川那美は、実家でレスト と結婚しようとしない)に語る。 浩之と、彼を手伝っている浩子(浩之は浩子 んらかの形でさまよう話の連載で、その話を 考えているのは、いろんなタイプの女性がな ランを経営する兄の浩之を訪ねる。那美が今 で、ひとが恋しくな るからだろうか。 この冬の私はあの蜜柑だ (二四八頁 税込一六二〇円 暗く辛いことはなくならない。けれど、そ れでも、進もう、と思える一冊。 ( れく た) 月刊) あこがれ――うまく言語化できない思いを、 説明するのではなく、子供の目線から示して くれる本。特に前半は本当にすばらしくて、 微笑みたいのに、涙があふれてくる感じ。 の短い彼女のまぶたにはいつもおんなじ水色 チ」が気になって仕方がない。ものすごく髪 篇が描くのは、生き な文章で書かれた九 最新短編集。ドライ 奇抜なタイトルが 目を引く片岡義男の が、優美子の心の動きをリアルな切なさの感 けに横たわる姿なのだが、官能的なその描写 どの話にも他にない独特のリアリティとど ことなく切ない感じが共通している。その由 がべったりと塗られている。無愛想だけれど、 ている中でじんわりとした仕方で我々に影響 片岡義男著 講談社 彼女の目を見ると落ちつかなくなる。 を持ってくるような出来事――決して派手で 覚とともに読者に伝えるのだ。 (犬) (二五六頁 税込一八三六円 月刊) ャツをはだけ、スカートをたくしあげて仰向 美子の行動の機縁となるのは景子が炬燵でシ らせる描写にあると思う。例えば表題作で優 来は、場面々々の具体的な細部にすべてを語 しかし、ある日、彼女の態度に怒った男性 客が吐き 捨てる。《おまえみたいな顔面改造 はない(明確な筋があるわけでもない)けれ 小学四年生の麦彦は母子家庭で、父子家庭 のヘガティーと同級生。少し前から、近所の ブス女なんかな、人前に出てくる資格はない 11 ス ー パ ー で 働 く「 ミ ス・ ア イ ス サ ン ド イ ッ 10 2016. 1. 12 綴 葉 8 ゼロからトースターを 作ってみた結果 トーマス・トウェイツ著 村井理子訳 新潮文庫 に難しすぎた。さらにプラスチックは危険す うのは高品位の鉱石の枯渇もあって、あまり みる。ところが「産業革命以前の手法」とい 少年法が理念とするような更生はなされるの な状況に置かれており、何を考えていたのか。 れない。これら事件の当事者たちはどのよう 集めた一年だったと言うほうが適するかもし 息子が逮捕された。しかし、捜査関係者は おろか弁護士に対してさえ、全く何も話そう か。本作は一四歳の息子が死体遺棄容疑で逮 本書で語られる挑戦と失敗の数々には、現 代の生活が個人では全貌を知ることのほぼ不 としない。男は息子に向き合ってこなかった ぎて自作不能である。そこでルール違反も駆 可能な技術に支えられていることを改めて実 ことを悔いながらも必死に手を差し伸べ、声 使するが、結局トースターとはかけ離れた見 ある趣味だ。某動画 感させられる。気楽に読める一冊だが、トー 捕された男の視点から更生を描いたフィクシ 投稿サイトを見てみ スターの完全自作という謎の試みから見えて 澄ましていく。それは少年の、不信に凍えた にならなかったその叫びを聞き返そうと耳を ョンである。 ても、「作ってみた」 た目の代物が完成する。 と題された動画はたくさん挙がっていて、再 何かを自作すると いうのは案外人気の 生回数も結構伸びている。PCを自作する人 心が融け始める過程でもある。親子の関係が 昨年は少年司法に とって画期的な一年 作られていくとともに、動機がいじめにあっ たことが明らかになる。だから彼は冷たく問 う、《「どっちの罪が重いの?」……「心とか ら だ と、 ど っ ち を 殺 し た ほ う が 悪 い の?」 だった。改正少年院 薬丸岳著 講談社 造から始めようというのだ。さらに、産業革 そこにいたる過程は過酷ながら美しい。し かし現実は……。少年司法に関心のある方は、 ではない君と くるものは意外にも深い。 (蕨餅 ) (二一一頁 税込八一〇円 月刊) も多い。ところで、こうした「自作」は、ナ イフなどの単純なものならともかく、大抵の 場合パーツを入手するところから始まる。こ れは自炊を野菜の栽培から始めたりしないの と同じだ。 命以前の手法しか使わないという縛りまで入 法及び少年鑑別所法 同テーマを描く薬丸岳の他作品や藤原正範 ……「 ぼ く と あ い つ と ど っ ち が 悪 い の?」》 れてくる。現代文明に慣れきった身には、こ が施行されたのであ 『少年事件に取り組む』などとともに、被害 (三五二頁 税込一六二〇円 9 が完全に向き合えるようになってからだ。 と。罪に慄き、その重みに慟哭するのは親子 れがどの程度すさまじい試みなのかは案外想 る。といっても私たちの肌感覚には、名大の 、 一九歳、北海道の一七歳、川崎の一八歳によ 、 像しづらい。鉄を入手するときも、鉱山まで 、 『絶歌』刊行と、少年事件が耳目を 、 行って鉱石をもらい、製鉄しようとする。他 元少年 の材料も同様に、その原料の産地まで行き、 ところが恐るべきことに、本書ではトース ターを自作するのに金属やプラスチックの製 10 る各事件に佐世保の一六歳への保護処分決定、 者遺族の手記なども手に取られたい。 ( 明) 月刊) 原料を精製・成形してパーツをつくろうと試 9 A A 綴 葉 No.344 ゆげ塾の中国とアラブが わかる世界史 ら漫画で描いている。 的道徳に従い、日常を描いた作品を思い浮か な捻れにことごとく関わっており、美女化さ マンガを通読して、この本の陰の主役はイ ギリスだろう。イギリスは現代社会の国際的 小説の流れを組むメアリー・シェリーの掌編 ピア的な提案は衝撃的だ。そして、ゴシック まず、『ガリヴァー旅行記』の作者スウィ フトによる風刺文から始まる。そのディスト べている。その言葉も一つの真実だろう。し べてしまう。柴田自身も「英文学は家庭の団 またもう一つの主題はアラブだ。何故アラ ブは長きにわたって統一が出来なかったのか。 欒へ向かう」と編訳者あとがきで図式的に述 テロ事件、国家間 の問題、国際社会で れてかわいらしいイギリスの笑顔の裏に、獰 が続き、更にディケンズ「信号手」などの怪 かし、本書に選ばれた作品群はそんな固定観 起きている現実を理 猛な狡猾さを感じさせてくれる。あの国は本 分断され紛争の頻発する地域の裏にはもちろ 解するためにはその 当に立ち回りが上手い。クラスにいたらイジ ん国際的な情勢の関係性がある。 奥の歴史をどうして ゆげ塾著 飛鳥新社 も理解しなくてはいけない。世界史という知 みつつ、三作収録している。幻想小説好きに 談を、ワイルド「しあわせな王子」を間に挟 念をいい意味で裏切ってくれる。 識は受験勉強の枠に留まらず、常に今の問題 はお馴染みの作品だが、こうした怪談も英文 学の伝統だ。コンラッド「秘密の共有者」は 海洋船を舞台にしており、こんな小説が書か れるのも、数多くの植民地を得ていた海洋大 国イギリスだからこそだろう。 前作『構造が分かる世界史』に引き続き、 本書も各国を美女化しわかりやすく歴史の構 れてくれれば幸いだ。 マンガを切っ掛けに世界史を学ぶ面白さに触 を追ったベスト盤を。スウィフトやディケン 説揺籃期の作品から二〇世紀に至るまで時代 かも、十八世紀の小 幸が英文学のアンソ 現代アメリカ文学 の名翻訳家・柴田元 知らない英文学の魅力が待っているはずだ。 本書を手にとってほしい。そこにはあなたの ディケンズを真っ先に思い浮かべる読者こそ 柴田の述べる人生への諦念は随所に感じら れるが、必ずしも「家庭の団欒」だけが英文 造を描いている。本作で主題となるのは中国 ズを柴田が訳したというだけで興味を惹かれ (投稿 ・眼鏡) (二六三頁 税込二二六八円 月刊) ナップだ。英文学と言えば、オースティンや 学ではないことを思い出させてくれるライン とアラブ。何故中国は国際協調に欠け強気の 7 ロジーを編んだ。し 姿勢なのか。何故彼らは情報統制をあれほど る。ただ、英文学と言うと、ヴィクトリア朝 柴田元幸編訳 スイッチ・パブリッシング ブリティッシュ アイリッ シュ・マスターピース メてやりたい。 ( きも の) (一五五頁 税込一〇 八〇円 月刊) を理解するために必須の教養だ。 とはいっても大学生の皆さんは歴史を一か ら学ぶ時間はないだろう。そんな多忙の合間 に手に取るマンガを今回は薦めたい。可愛く て面白くて、ちょっとシニカルなこのマンガ を読めば忘れていた教養を思い出すだろう。 12 までにするのか。その実態を近代史の観点か また世界史を学んでこなかった学生も、この & 2016. 1. 12 綴 葉 10 り、後を絶つことが を超えて白熱してお 身体と社会をめぐ る学術的議論は分野 性を持つ考察の先に、身体と社会の親密な関 横無尽に――再解釈される。広い射程と可能 「若者論」に「身体の声を聴く健康学」と縦 中美津による「取り乱しウーマン・リブ論」 ギとしたオリジナリティあふれる考察は、田 い 振 る 舞 い の 次 元。「 外 見 」 と「 秩 序 」 を カ まう身体。その時々で要求される、ふさわし れるべき舞台としての社会、役者としてふる 学者・ゴフマンに依拠して語られる。演じら サルトルは〈非‐知〉という観点からも分析 能なものとして現われたこの主体性について、 びつき――さらには「放射能をめぐる懸念」、 も考えた。自己の外部において、対象化不可 や、バトラー、セルトーらの政治的論考と結 を加え、自らについて考えている瞬間の反省 然的に現われた表象を解釈したものであると 想起すれば容易に理解できる――、そこに偶 ものでもあり――ロールシャッハ・テストを 内面性を通して読解した外部に、投射される て、主体性とは、そうしたヴェールとしての の超越性の媒介として内面性を捉える。そし 物質と自己の身体の外部の諸物質という二つ 日常の最前線としての身体 ない。しかし、抽象 草柳千早著 世界思想社 的なタームや科学的方法を経なくとも、身体 の非反省的な意識を考慮し、主体性と関連す 的な意識と、自らについて考えていないとき と社会のつながりは個々人の実感に根差して るものとされた意識を、主体の統御から解放 を行ない、マルクス 一九六一年、サル トルはローマで講演 しようとする。サルトルは、純粋に内面的な 自己規定によって形成されるものとしての主 体性、という思考を回避し、主体性の本質を 外部との関連から見出し、外的なものを統合 本心をあらわにしてしまう。こうした時々に ジャン = ポール・サルトル著 澤田直、水野浩二訳 白水社 主体性とは何か? 係が待っているはずだ。 (貝殻 ) (二七六頁 税込二七〇〇円 月刊) いるのではないだろうか。例えば、国会議員 が女性であるだけでファッションや容姿をあ げつらわれたりすること。もっと卑近な例だ と、場違いな格好をして、恥ずかしいと思う こと。 感じる居心地の悪さは、私たちが社会に生き 主義哲学上の諸原則、 ージュマンの下、変化に身を浸しながら突破 する「全体化」へと向かっていく思弁を試み るに先んじて、すでに体を持っていることに 諸 言 説 の 中 で、「 主 口を開くのも一つの手かもしれない。 (二二二頁 税込二八〇 八円 (ミント) 月刊) でなく、自己の外部の現実への小さなアンガ 何を決断するべきか迷ったとき、深い内省 に耽って強い主体性を回復しようとするだけ たのだろう。 起因する。自分の体であるはずなのに、一方 体性」の可能性について論じた。 身体は、いつも思い通りに動いてくれるわ けではなく、ときに取り乱し、時に意図せず で身体は社会に晒されており、しかも「持ち サルトルによれば、「主体性」とは自己内 部の自己認識によってのみ、その本質が現わ れるものではない。彼は、自己の身体である 11 11 主」を表現する媒体として扱われている。 自分のものでありつつ、社会に開かれた身 体。この微妙な関係について、本書では社会 11 綴 葉 No.344 さ迷い歩くとき、あ 見知らぬ街の雑踏 のなかをあてもなく さえも放棄したベンヤミンの「気散じ」な思 い。きわめて断片的で、定式的な論の組み方 本書を読むとき、本書末に収められたベン ヤミン研究者の晦渋な解説は読まないでほし とつの啓蒙のあり方をみたのだろう。 げるその態度のうちに、ベンヤミンはもうひ 作や批評を通じて、近代人の主体性を鍛えあ ゴリーやメランコリーであった。あまたの詩 文化批判の方法としてもちだしたのが、アレ 本書は、彼の機能分化論がどのような対抗 軸に導かれていたかを明らかにする。ルーマ して描くことだった。 ステムが並存する、頂点や中心のない社会と り政治や経済、法、宗教、学問などの機能シ テム理論の巨大な知を通じて彼が目指したの 由来の概念を縦横無尽に再構成した社会シス エーシス、構造的カップリングなど自然科学 四〇〇以上。システム、複雑性、オートポイ とした。刊行された著作は七〇以上、論文は パリ論 ボ \ードレール論集成 ヴァルター・ベンヤミン著 るいは酔っ払った状 考をあえて追いながら堪能してもらいたい、 ちくま学芸文庫 浅井健二郎、久保哲司、土合文夫訳 態でいつもの街を散 マン主義者であるというアンビヴァレンツを であり、プチブルであり、ある種の政治的ロ 彼が嫌悪する対象と同じように、自らが群衆 なかった。しかし、それらの一連の発言は、 近代都市や無教養層にたいする嫌悪感を隠さ 三六歳で官僚から学者に転身したルーマン は、「 社 会 の 理 論 」 の プ ロ ジ ェ ク ト( 所 要 期 刺激的な著作が刊行された。 政治思想的な位置と系譜を特定しようとする 理論。この度、その ス・ルーマンの社会 らず、疎外と不自由の増大についても論じて は慎重に検討すべきだろう。彼は自由のみな 論 は、「 読 み 替 え 」 と し て は 頷 け る が、 実 際 まさに目から鱗の洞察である。ただし、ル ーマン理論の自由主義的な性格についての議 義」を批判的に継承することだった。 会 と 国 家 の 二 元 論 に 基 づ く「 市 民 的 自 由 主 に対抗し、シュミットが廃棄しようとした社 目指すカール・シュミットの「全面国家論」 化を論じることで、社会の包括的な政治化を ンが目指したのは、政治の脱特権化・脱中心 は、 近 代 社 会 を「 機 能 分 化 し た 社 会 」、 つ ま 歩するとき、見慣れた人、物、商品が別の相 シュミットからルーマンへ 小山裕著 勁草書房 市民的自由主義の復権 そんな一冊だ。 (砂ずり) (五九九頁 税込一七二八円 月刊) 貌をみせてくれる、そんな感覚を味わったこ とはないだろうか。近代都市をこのように観 察する人を「遊歩者」と名づけ、その人物の 眼差しのうちに近代の「原史」なるものをみ いだそうとしたのが、本書、ベンヤミン『パ リ論/ボードレール論集成』だ。 いまだその思想的 意義が不鮮明なドイ 自覚した上でなされたのであった。そんな近 間:三〇年/所要経費:ゼロ)を生涯の目標 (れくた) 月刊) (二五四頁 税込四八六〇円 11 作。 ての新たな見方と理解を可能にしてくれる秀 いたからだ。とはいえ、ルーマン思想につい に彼がどの程度まで内在的に目指していたか 代人の両義性が刻印された「遊歩者」が美的 歩者」=ボードレールは、散文や詩のなかで、 ツの社会学者ニクラ それゆえ、ベンヤミンの課題は、ナイーヴ な近代批判とは一線を画する。たしかに「遊 11 2016. 1. 12 綴 葉 12 サークルクラッシャーの恋愛論 岡田斗司夫の愛人になった彼女となら なかった私 地図から読む江戸時代 自民党政治の危機 「戦後保守」 は終わったのか 評者は「話も聞けず、地図も読めない男」 ではあるが、京大総合博物館の古地図展示の 様々な角度から論じた一冊である。 本 書 は 今 日 の 自 民 党 政 治 が か つ て の「 保 守」から変質したことを指摘し、その内実を 日本再建イニシアティブ著 角川新書 如き古地図の閲覧は大好きである。今回は同 上杉和央著 ちくま新書 本書の題名はミスリードだ。ほとんど内容 は岡田斗司夫と関係ない、そんな陳腐な世論 自民党はその昔、ハト派からタカ派までが 揃った、イデオロギーに偏りのない政党だっ 鶉まどか著 コア新書 の話題に回収されていい内容ではない。 好の士に向けた一書を紹介したい。 命になれる様なことをもたない。ありのまま 「イタい」と笑う彼らは、自分自身が一生懸 しない人々への考察。一生懸命であることを 人間関係の煩わしい部分をうまく付き合わ せていく過程を否定し、関係を深める努力を 察は巷の恋愛論に波紋を投げかける。 さいことをしたくない」という視点からの考 けじゃない、ただ(恋愛に紐づく)めんどく 慮されて いなかった。「恋愛をしたくないわ うな徹底的に「受け身」でありたい視点が考 強者により書かれていて、本書に出てくるよ の「モテる」ための本は恋愛をしたいという た私は息をのんだ。彼女の考察は深い。昨今 中世でも近代でもない「近世」を的確に切 布した「近代図」だというのである。 図であり、かの有名な伊能図は近代にこそ流 て、その潮流が生んだのは長久保赤水の日本 重視の出版業にも影響を与えたとする。そし 学的知性の発達で説明し、それが地図の美観 江戸中期に知識人の間で流行した地図作成 を、由緒の探求と鑑定の必要性からくる博物 なりきった著者の思考法である。 正確性や実測性のみを基準とせず、近世人に し精緻に分析するが、注目したいのは徒らに 始まった近世日本の地図史を三つに時代区分 著者の上杉は近世の地図を読み解く歴史地 理学者である。中世のマジカルな行基図から ない人も一度は読むべき一冊だと言える。 本書の論調のいくつかは党派的であり、賛 否が予測されるが、自民党を評価する人もし 各々が判断すべきだろう。 ぞれの専門家が分析した本書を通じて、読者 の自民党が打ち出す政策を執筆陣であるそれ よりバランスがとれた「中道保守」の出現 はあり得るか? その可否については、今日 非常に重要な点である。 る。今日ややすれば忘れ去られることだが、 本書はそのような「古き良き自民党」への 郷愁だけでなく、その限界にも言及されてい だが、この立場は共有されているようだ。 いるという。本書は数人の研究者による共著 教授はその「中道保守」が今こそ求められて た。本書の執筆陣の中心人物である中野晃一 この本は昨今の恋愛至上本の中で群を抜い ている。本書を読んで前回特集で性愛を論じ の自分を認めて欲しいために、ありのままの の研究姿勢は歴史地理学という分野自体への (投稿・藪池広司) (三三五頁 税込九二九円 月刊) り取っていく研究姿勢は専門書『江戸知識人 と地図』より一貫する。高度ながら簡明なそ 11 相手を認めようとしない人達。本書は「理解 格好の入門ともなろう。 (ヒストリア) (二三四頁 税込一〇一五円 月刊) 13 し合う過程」という人間関係のコストを徹底 的に排除した世界の恋愛論だ。 ( きもの) (一九〇頁 税込八五〇円 月刊) 8 9 綴 葉 No.344 私の本棚 こたつのお供にコスモグラフィー さて、宇宙について解説する本は多くあるが、どうしても最新の 宇宙論に傾きがちである。そんな中で、天体の紹介はもちろん、古 宇宙を知る 今の宇宙観に加えて現代の科学・宇宙開発の歴史までもが包括的に 寒くて何もやる気がしないので、こたつに一日中籠りたい。とは いえ、本当にそうすると夕暮れが苦しい。貴重な一年の三六五分の 一を無為に過ごした後悔が一挙に押し寄せてくるのだ。せめて、何 ろもある。とはいえ、これだけ多岐にわたる内容を有機的に連関さ か仕事を終わらせたなら、あるいは知識を増やせたなら、まだ気楽 せて記述し、一つの世界観にまとめ上げてゆく様は圧巻だ。また、 紹介される松忠孝典著『宇宙誌』(講談社学術文庫)は異色の一冊 である。一九九四年発行の本の文庫化なので、内容にやや古いとこ もし一日をこたつで過ごすと決心したなら、普段考えていないこ とに思いを巡らせるのも良いだろう。あるいは、普段気にも留めな だったろうに……本を読むべきであった。きっとそう思うだろう。 かったことを調べるのもよい。「戸を出でずして天下を知る」とい うことだ。例えば、この地球と宇宙のことを知るのはどうだろうか。 分厚いのでかなりの時間にわたり楽しめるだろう。 的な解説を含まず、寝転がりながらでも読める本を紹介しよう。 るのだ。こう言うとちょっと格好いいのではないか。まずは、技術 とではかなりの違いがあるものだ。そのような物理的背景の解説と 以上の二冊では物足りない方は、もう少し技術的な側面に触れて みるのも良いだろう。話に聞くのと、実際に自分で計算してみるの 全世界がどうなっているかの記述、すなわちコスモグラフィーを知 地球を知る ど多くないので、文章を読むだけでも十分楽しめるかもしれない。 (もちろんこれ一冊で専門家になれるわけではない)。数式もそれほ は 丁 寧 で、 高 校 物 理 の 知 識 が あ れ ば 計 算 を 追 う の は 容 易 い だ ろ う 宇宙に関する最新の話題については、福江純著『完全独習現代の宇 宙物理学』(講談社)を薦める。書名はやや恐ろしく見えるが内容 うなっているのか。そもそも、陸地があるのはなぜなのか。こうい ごく近くのことでも、謎は多い。空はどれだけ高いのか。なぜ息 のできる大気があるのか。あるいは、足元をずっと掘っていくとど った疑問は地球という星の構造、ひいてはその成り立ちに関係して うシステムを固体地球や水圏などいくつかの圏に分け、そのそれぞ 事情を知るには、 Martin Redfern 著『地球 ︱︱ダイナミックな惑星』 (丸善出版)がコンパクトにまとまっていて読みやすい。地球とい な知識に触れてみて頂きたい。こたつで一日を過ごす言い訳にはな 今のところ唯一の種なのだ。どうか、一生に一度くらいはこのよう 体無いことではないか。人類はこの宇宙の構造を知ることのできる、 せいで縁遠く感じられる人も多いに違いない。なんとも、それは勿 いるが、案外その詳細を知らないのでは無いだろうか。この辺りの れについて解説される。それぞれの圏同士の相互作用が、この星の 「この世はどうなっているのか」という疑問は非常に基本的であ る。しかし、今やこれはおおよそ科学的な問題となっており、その 複雑さを形成しているのだ。この本を読み終えた後初めて外に出た るだろうから。 (蕨餅 ) 時、きっと周りの風景は違って見えるだろう。 14 私の本棚 読みものとしての旅行ガイドブック ンバランス」であると認めた上で、でも好むと好まざるとに関わら ▼『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)は、「ディズニーと いうものは、混雑しすぎ、ご飯はぬるくて高い、トイレの場所はア 解ではあるが、いくつか挙げてみよう。 まりに寂しい。では、どんな本がおもしろいのか、評者の個人的見 言葉でありきたりで、旅行が終われば仕舞われてしまう、それはあ 旅行ガイドブックはもっとおもしろくなってほしい。よくあるも のはカラーで大判で写真いっぱいで楽しそうだが、全部が全部褒め の写真が美しく、なかなかに飽きない。いろんな廃墟とそのいわれ い。『新・廃墟の歩き方 探訪編』(二見書房)は赤サビと緑のツタ おそらく法的にはアウトだが、それでもあの空間の魅力はすさまじ ックの醍醐味だろう。廃墟は立ち入り禁止されているところも多く、 みで、食事に肉が多いとやや低評価になるのには留意されたい。 宿の雰囲気を知るという点ではとても実用的だ。ちなみに著者の好 までに起こった出来事、夕食に出た一品一品が丁寧に語られており、 ことから伝わる、率直で好意的な語り口が印象的。宿にたどり着く だそうだ)。しかし、普通の宿ガイドとは違い、実際に行ってみた ずディズニーに行く人向けに、いかに効率よくサバイバルしていく トラクション・全レストランの紹介の他、ファストパスの取り方ス になってしまったのか、その理由がありありと分かってきてもの悲 を眺めるうち、遊園地、ラブホテル、温泉旅館それぞれがなぜ廃墟 ▼絶対に行けないようなところを知ることができるのも、ガイドブ かをガイドした本である。本書の特筆すべきは、その詳細さ。全ア ケジュール、パレードが見えるエリア、空いているトイレの探し方 いえ、本書は全くのところ辛口ではない。 点『一度は泊まりたい有名宿 覆面訪問記』(角川マガジンズ)は消 費者心をくすぐるタイトルである。とは なる旅館・ホテルの紹介だけでは、書籍として生き残れない。その ▼今や「口コミ」という形で、利用者の本音が発信できる時代、単 者の文章が気に入ったなら、列待機中の待ち時間に最適の一冊。 著者の書き方は評者的には好きだが割りと癖があるほうなので、著 述があったりして、なぜだか思い巡らすのも楽しい。 国の温泉巡りのための一言紹介。よく読むとビックリするような記 き、駕籠に乗るとき、落馬したときにどうすれば良いか、そして諸 ブックのようなものである。旅行は非日常といえども庶民の楽しみ になってくる。『現代訳 旅行用心集』(八坂書房)は、元は江戸時 代(文化七年)に八隅蘆菴によって刊行された、日本の元祖ガイド ▼また、どんな平凡なガイドブックでも、年月が経てば趣深い史料 まで、著者の実地調査に基づく統計的データを駆使した労作である。 しくなってくる、行けなくとも考えさせられる本である。 著者が『自遊人』の編集長ということも さてこれまで個人的に「おもしろい」と感じたガイドブックをご 紹介した。特殊なものに偏ったが、一般的なガイドブックも読みご たえがあってほしい。皆様もオススメがあればご一報を。 ( エル ) になってきた時代、つつがなく旅程を終えられるよう、船酔いのと あり、五段階の星評価は最低の星一つが 「 ま あ 悪 く な い か な 」 で あ る( 後 書 き に よると、掲載されている時点でオススメ 15 綴 葉 2016. 1. 12 編集後記 当てよう!図書カード 『綴葉』編集委員として今年度の後期、時 2016 年おめでとうございます。お正月に 代の流れを否応なく感じさせることが二つあ はいろんな風習がありますが、百人一首をた りました。全ては夏休み明けに生協に並んだ しなむ方はおられますか。さて、次に挙げる であろう本誌 10 月号に起因します。 のは有名な女流歌人ばかりですが、このなか その号で私が担当した二冊の内、まず新書 で百人一首に収められていない歌人は誰でし ょう? 『道路の日本史』著者武部健一が急逝したと 1.紫式部 2.赤染衛門 某学術雑誌の書評で知りました。齢 90 歳の 3.伊勢 4.額田王 著者ですが、書評した年度中の訃報に衝撃の (エル) 大きかったことを告白せねばなりません。 《応募方法》読者カードに答えを書いて生協 そんな衝撃の中、某学会の書籍展示コーナ のひとことポストに入れてください(または ーをぶらつくと、なんと古日記『小右記』の e-mail:[email protected])。正解者の中から抽 訳本の第一巻が刊行されているではありませ 選で 5 名の方に図書カードを進呈いたします。 んか。かくして特集『日記で読む 日本中世 締切りは 2 月 15 日です。 史』の書評内容も、年度中に「古記録」に変 貌したのでした。 10 月号の解答 戦後日本の歴史学を「戦後史学」などと呼 ぶことがありますが、既に戦後も 70 年が経 ち、暫時的な時代区分ではなくなりつつあり 10 月号「サラブレッドの『三大始祖』に当 ます。戦後に生まれて、死ぬ人も増えていく てはまらないのは?」の解答は、4 のエクリ ことでしょう。そんな中で平成 20 年代の歴 プスでした。応募者 9 名中 9 名の方が正解で 史学の成果物を拙い筆でも記録し続けること した。図書カードの当選者は、はじめさん、 が、雄勁な筆致も、ほとばしるアクチュアリ ゆきおさん、ブッフォンさん、ふむさん、小 ティもない拙評の使命ではないか、と一人思 (阿修馬) す。 読者からひとこと ○特集のテーマ「翻訳」を表現した表紙絵が すごく好 きです。「訳本を読む 私は何重の眼 鏡をかけているのだろう?」毎号、すっきり した表紙絵を楽しみにしています。 (八 樹 木) ――ありがとうございます。表紙絵は担当者 の方が描いており、編集委員も絵に隠された 意味を毎号楽しみにしています。 ○『セブン』 (乾くるみ著)めちゃくちゃ面白 かったのでぜひ綴葉で紹介して欲しいです。 (るりこ) ――基本的に綴葉は、半年以内の新刊本を扱 っていますが、特集や企画コーナーで新刊以 外も扱うことが出来ます。編集委員が扱って も良いですが、読者からお勧めの本を投稿し て紹介していただけたら嬉しい限りです。 ○これだけの量のクオリティの高い書評を毎 月出し続けることは大変だと思います。私も 貴族) 楽しみにしている者の一人です。多くの人に 手にとってもらえたら良いですね。( ――ありがとうございます。もう四〇年もの 伝統のある書評誌ですが、確かによく続いて (きも の) いるなと感じます。こうした読者様の声が励 みになります。今後とも気を引き締めて頑張 ろうと思います。 r. M 竹林さん(順不同)です。おめでとうございま (ヒストリア) う冬の晩方でした。 16
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