報道関係 各位 アール・デコ・ジュエリー 宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと輝ける時代 Art Deco Jew ellery — Charles Jacqueau, Genius Jew ellery Designer of the Cartier and the Brilliant Age of Boucheron, Lalique etc. 2007 年 1 月 20 日(土)∼2007 年 2 月 25 日(日)於:海の見える杜美術館 時下、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 このたび海の見える杜美術館では、2 2 00 7 年 1 月 2 0 日(土)∼2 00 7 年 2 月 2 5 日(日)の会期 で、「ア ール ・デ コ・ ジュ エリ ー −宝 飾デ ザイ ンの 鬼才 シャ ルル ・ジ ャコ ーと 輝け る時 代− 」 展を開催いたします。ぜひご高覧いただき、当館の広報にご協力いただければ幸いに存じます。 フランスを代表する宝飾ブランド、カルティエ。シ シャルル・ジ ャ コー (1885∼1968)は 20 世紀前半のアール・デコの時代にカル ティエで活躍した宝飾デザイナーでした。1909 年、高級宝飾店が 軒を連ねるパリ、ラ・ペ通りのカルティエで、ジャコーの才能溢 れるデザイン画は 3 代目ルイ・カルティエの目に止まり、華麗な 色彩と幾何学的な形を駆使した独創的な宝飾品が数多く制作され ました。美しいジュエリーを生み出す源である彼のデザイン画は、 宝石同様に繊細な色彩と透明感のある輝きを持つ芸術作品といえ るもので、 “ジュエリー・デザインのピカソ”と評されたほどです。 シャルル・ジャコー 《ブローチとペンダントのデザイン画》 1913 年頃 パリ市立プチ・パレ美術館蔵 本展では、輝きの詩人ジャコーの革新性と高貴さを併せ持つ 宝飾デザイン画を含め、計 計 1 85 点 の デ ザ イ ン 画を軸とし、彼の 創造性がフェミニティと深いつながりがあることを理解してい ただくために、フランス・ファッションを身にまとった女 女性 像 の 肖 像 画 6 点 や同時代のファッション誌『ガゼット・デュ・ボ ン・トン』などからポ ポシ ョ ワ ー ル ( ス テ ン シ ル 版 画 ) 5 0 点 以 上 を展示いたします。またジャコーのデザインを元に世に送り出 された宝飾品やブシュロン、ラリックなど同 同時 代 の 宝 飾・ 装 身 ジョルジュ・バルビエ 《夜のバラ》 1921 年、パリ市立プチ・パレ美術館蔵 具約 4 0 点が展示に輝きを添えます。 開催要項 アール・デコ・ジュエリー 宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと輝ける時代 【会 期】 平成 19 年 1 月 20 日(土)∼ 平成 19 年 2 月 25 日(日) 【休 館 日】 2 月 11 日(日曜日) 【開館時間】 午前 10 時∼午後 5 時 【会 海の見える杜美術館 場】 館内喫茶室「カフェ・ド・ラ・ポスト」は毎週火曜日定休 (毎週金曜・土曜日は午後 7 時)まで 〒739-0400 広島県廿日市市大野亀ヶ岡 701 Tel 0829-56-3221 / Fax 0829-56-0661 URL 【主 催】 http://www.umam.jp/ 海の見える杜美術館 朝日新聞社 【後 援】 フランス大使館 広島県教育委員会 (社)宮島観光協会 【協 力】 廿日市市教育委員会 大野観光協会 (株)日本航空 【企画協力】 アートコンサルタントインターナショナル 【料 一般・大学 金】 廿日市市観光協会 1,000 円、 シニア(60 歳以上)800 円、 小・中・高校生 300 円 *6 歳未満の幼児は無料(保護者の付き添いが必要です) *障害者手帳等をお持ちの方、およびその介護の方1名は半額 展覧会の見どころ アール・デコ・ジュエリー 宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと輝ける時代 Point 1 「ジュエリー・デザインのピカソ」 ヨーロッパ宝飾には長い歴史があり、時代の流行や様式にあわせ て、絶えず変化してきました。その中でも特に革新的なデザイナー として、ジャコーは「ジュエリー・デザインのピカソ」と称えられ ています。 彼はダイヤモンドとプラチナで表現される花や蝶といった従来のデ ザインのスタンダードから離れ、大胆な幾何学文様と鮮やかな色彩 を取りいれました。本展では、展覧会の柱となるジャコーの 160 点 を越えるデザイン画から、その革新の軌跡をたどります。 シャルル・ジャコー 《マハラジャの宝冠》 1926 年頃、パリ市立プチ・パレ美術館蔵 Point 2 小さなジュエリーに凝縮! 「ジャコーのデータバンク」 ジャコーはスケッチをすることやメモをとることに大変熱心だったようです。彼のスケッチ帖 には、伝統的なヨーロッパ宝飾工芸や、ペルシアやアジアなどの異文化を研究しつくした跡が見 られます。その膨大なデータバンクから、卓越したアイディアが生み出されたのです。彼の色彩 感覚や空間構成には、モロッコの建築意匠や、日本の着物の柄などの影響がうかがえます。世界 中のあらゆる文化が、ジュエリー・デザインという小宇宙に凝縮されています。 Point 3 カルティエやブシュロンなどのきらめく宝飾作品 宝飾のデザイン画がどのように実作になるのかということをご理解いただくため、カルティエ、 ラリック、ブシュロン、ラクロシュなど約 40 点の宝飾作品を特別展示いたします。デザイン画 やファッションプレートとともにご覧いただくことにより、造形の美しさをよりリアルに感じて いただけると存じます。ジャコーと同時代のさまざまなメゾン(ブランド)の競演も、見どころ のひとつです。 Point 4 ファッションプレートに見る理想の女性像 当時、ジャコーのジュエリーをまとったのは、どのような女性た ちだったのでしょうか。その姿は当時のファッション誌を彩ってい たポショワール(ステンシル版画)に見ることができます。 男性のためではなく自らの楽しみのために装い、街や社交の場へ と出かける自立したお洒落な女性たち。華やかな都市文化のアール・ デコの時代は、それまでの旧態依然とした時代から、ようやく女性 たちが自分を積極的に表現しだした時代の幕開けでもありました。 ファッションプレートに描かれた女性の持つ華やかさ、強さは、そ のまま同時代の女性たちの憧れの女性像だったのです。 ジョルジュ・バルビエ 《魔力》 1922 年、パリ市立プチ・パレ美術館蔵 展覧会を楽しむためのキーワード アール・デコ・ジュエリー 宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと輝ける時代 ◆ア アール・デコ (Art Deco) ヨーロッパに発祥し、アメリカなど世界各地で 1920 年代から 1930 年代にかけて流行した様式。 近代的な都市文化や工業製品の登場にともない、直線や円弧を組み合わせた幾何学文様、流線型な どの機能的・合理的なデザインを特徴とする。また古代エジプトや南米の古代文明、ロシア・バレエ (バレエ・リュス)、日本や中国などの東洋美術の影響も顕著に表れている。美術や工芸の他、建築 やファッションなど多岐の分野にわたる。 アール・デコの名称は、1925 年パリで開かれた「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」の略称から。 ◆ブ ブシュロン (Boucheron) フランスの宝飾ブランド。 1858 年、宝石細工師のフレデリック・ブシュロンにより創設される。1893 年、ヴァンドーム広場に 店舗を移転。高級宝飾店やホテル・リッツなどが並び、モードの中心地として知られるヴァンドーム 広場に出店した最初の店となる。 アール・ヌーヴォーの時代にも高い評価をうけたのに続き、1925 年のアール・デコ博の際にもブシ ュロンの華麗な宝飾は大変な評判を呼んだ。 ◆カ カルティエ (Cartier) フランスの宝飾ブランド。 1847 年、宝石細工師のルイ=フランソワ・カルティエがパリにアトリエを開いたことにはじまる。 1899 年、ルイ=フランソワの息子アルフレッドにより、パリのラ・ペ通り(モード業界の中心地)に 移転。彼の息子たちはロンドンやニューヨークに支店を開き、世界戦略をすすめる。イギリス王室を はじめ多くの王室の御用達となり、 「王の宝石商、宝石商の王」と評される。 特に 3 代目当主であるルイ・カルティエは、アール・デコ様式の宝飾やファッション性の高い時計 を作り上げ、カルティエの名声を高めた。 ◆シ シャルル・ジャコー (Charles Jacqueau) (1885∼1968) アール・デコ期のカルティエの宝飾デザイナー。 パリの装飾美術学校で学んだ後、ブロンズ鋳造師のもとで燭台やシャンデリアなどをデザインしな がら経験を積む。1909 年ルイ・カルティエに才能を認められ、カルティエに入社。さまざまな色の貴 石をちりばめたガーランド・スタイル(花や葉のモチーフを帯状につなげた装飾様式)のジュエリー で人気を得る。 アラブ、日本、中国、ペルシアの装飾から着想をえた革新的でエキゾティックなジュエリーを生み 出したことでも知られる。 ◆ラリック (Lalique) ルネ・ラリック(1860∼1945)による宝飾工房。 アール・ヌーヴォーを代表する宝飾工房として、植物や昆虫、女性をモチーフとした詩情豊かなジ ュエリーを数多く制作した。加工しやすいガラスを宝飾の素材としてはじめて使用し、色鮮やかなジ ュエリーを創り出した点で、アール・デコ・ジュエリーの登場を用意した。 ◆ポショワール (Pochoir) 亜鉛や銅板を切り抜いた型を用い、刷毛やスプレーで彩色する西洋版画の一種。 それまでのエピナールという版画技法を、日本の型染めにヒントを得たフランス人版画職人のジャ ン・ソデが改良した。発色がよく、微妙な色合いも再現できたことから、20 世紀初頭のグラフィック デザインにおいて活用された。熟練した職人の高度な技術が必要であったため、1930 年代に入ると工 業印刷におされて衰退した。 ◆『ガゼット・デュ・ボン・トン』 (Gazette du Bon Ton) 1912 年に創刊されたファッション誌。 (∼1925 年) 「ガゼット・デュ・ボン・トン」とは「上品で美しい雑誌」を意味し、上流・中流階級の女性たち 向けの洗練された読み物として人気を博した。 毎号 10 枚ほどのポショワールで刷られたファッションプレートが収められており、パキャン、ポ ワレ、ウォルトなどのオートクチュールが、ルパープ、バルビエ、マルティ、イリーブらの筆によっ て紹介された。モードの紹介を超えたドラマティックなファッションプレートは、他の雑誌を圧倒し た。
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