家族の訴え・飯塚繁雄、市川龍子

家族の訴え
飯塚繁雄さん(田口八重子さん兄、家族会代表)
拉致問題は相当長い時間がかかっております、この問題にご理解とご支援を
いただき本当にありがとうございます。私たちは、皆様のバックアップがある
か ら こ そ 活 動 を 続 け て こ ら れ た と 深 く 思 っ て い ま す 。ま た 拉 致 問 題 は 、
「政府が
責任をもって解決しなければならない」という今の段階にやっと来ました。私
たちは、全国を廻って皆様のご理解を得ながら、拉致問題を一日も早く解決し
てほしいと訴えています。
私 の 妹 は 拉 致 被 害 者 の 田 口 八 重 子 で す が 、 も う 31 年 も 経 っ て し ま い ま し た 。
そし てま た冬が 来 ま した 。私 たち は冬 が 来て も暖 房が あ りま すし 、 栄 養も と れ
ます。しかし、北朝鮮にいる被害者たちはどうしているだろうか、ということ
を私たちはいつも考えています。厳寒の冬を迎え、暖房用の燃料が少なく電気
も早く消えてしまう、着るものも少ない、栄養もなかなかとれない。万が一病
気に でも なった ら 病 院に いき 病気を な お す術 が北 朝鮮 に はな いと い う こと で す。
あらゆることを考えますと、一刻も早く返してもらわなければという気持ち
が毎日いっぱいになります。そして時間が過ぎていきます。横田めぐみさんも
厳 寒 の 冬 を 32 回 も 通 り 越 し て き て い る 。 向 こ う に い る 人 に と っ て は 生 死 に 関
わる 非常 に難し い時 期な ので す。 帰 国 者 に話 を聞 きま す と、 相当 ひ ど いと い う
ことです。私たちが普段生活している中では、全くそういうことを感じません
が 、向 こ う に い る 人 た ち は 、辛 い 思 い を し な が ら 、日 本 の 家 族 あ る い は 政 府 が 、
「いつ助けに来てくれるのだろう」と待ちこがれているわけです。
拉致問題は人権問題として色々と取りざたされていますが、まさに人権を蹂
躙されたまま今も北朝鮮にいるということが事実であり、これを放っておくと
いうことは国家の大きな問題です。また国民一人ひとりの責任と言っては失礼
ですが、そのままにされてしまうというのも大きな問題と思っています。
97 年 3 月 25 日 に 家 族 会 を 立 ち 上 げ て 13 年 経 ち ま す が 、皆 様 に 訴 え る 活 動 を
地道に、根気よく、身体にむちを打ってやってきました。救う会の皆さんが協
力し、全国のボランティアの方々が活動してくださっています。
そ し て こ の 3 、4 年 は 、自 治 体 や 県 会・市 議 会 議 員 の 方 々 が 拉 致 問 題 を 大 き く
取り 上げ ていた だ き 、こ の問 題を早 く 解 決し よう とい う 動き が全 体 的 に盛 り 上
がってきています。拉致問題はまさに、一刻も早く解決しなければならない問
題で す。
しかしながら、難しさという点でも、今までに経験がないくらい大きな問題
です。日本政府は、長い間、北朝鮮に対する政策がおおろそかだったと思いま
す。 一人 ひとり の 人 権と いう 問題を あ ま りに も粗 末に し てき たこ と が 、長 い 時
間が 経っ ても解 決 で きな い原 因にな っ て しま った と言 え るで しょ う 。 北朝 鮮 に
対し ては 、以前 か ら だま され 続けて き た とい うの が実 態 です 。何 回 か 政府 は 変
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わ り ま し た が 、 そ の 都 度 言 わ れ て き た こ と は 、「 た か が 10 人 く ら い の 被 害 者 の
ため に、 北朝鮮 と の 国交 をま ずく する の か」 とい う発 言 が国 会の 中 で もあ り ま
した。
国 会議 員 は 、 国民 一 人 ひと りの 暮らし と安 全を 守る のが最 低限 の 仕 事 だ と思
っています。拉致問題は、国としても、国民としても、何にもまして優先すべ
き問題だと訴えてきました。色々な議論がありますが、これまで北朝鮮がとっ
てきた態度、あるいは日本政府がとってきた態度について相当反省すべきこと
があります。それについて追求しても解決にはなりませんが、そういう経過を
踏まえ、反省の上に立って、ではこれからどうするかということがはっきりと
論議されなければ、また前と同じように、北朝鮮にだまされ続けることになり
ます。
我々が活動してから、幸い 5 人の人が帰ってきました。我々としてはこれは
嬉しいことです。しかしまだたくさん被害者が残っているということを忘れて
はな らな いと思 い ま す。 しか し 、 5 人が 帰っ てこ られ た のは圧力 があ った か ら
で す 。ア メ リ カ の 強 い 圧 力 に よ っ て 北 朝 鮮 が そ う せ ざ る を え な い 状 態 に な っ た 。
それによって日朝首脳会談となりました。北朝鮮は拉致問題を解決させた形に
して、日本から相当な額の支援をもらおうとしました。国交正常化をすれば日
本 か ら 多 額 の 支 援 が も ら え る と い う 思 惑 か ら 、 ま ず 5 人 を 返 し て 、「 も う 後 は
いません」というのが、北朝鮮が言ってきたことです。
これからの対応としては、北朝鮮に対する強い態度、強い姿勢を堅持してい
かなければならないということが過去の反省から分かると思います。
「 対 話 」と
いうのは、なんとなく「お話し合い」で、仲良しになって「被害者を返してく
ださい」というような雰囲気だと思いますが、それでは絶対に帰ってこないの
で す 。こ れ ま で 何 回 も に が い 経 験 を し て い ま す 。北 朝 鮮 に 15 0 万 ト ン 以 上 の お
米を支援しましたが、日本にとって何の国益もなく、被害者も返してくれなか
った。北朝鮮に対する柔な対応がこの問題を長引かせたのですから、今後は、
「日本国民が怒っているのだ」という態度を示すべきだと思います。
その強い怒りは北朝鮮にも響きますし、日本政府に対する大きなバックアッ
プに なり ます。 こ れ はも う立 証され た こ とで す。 最終 的 には 交渉 し な けれ ば な
りませんが、単なる対話ではなく、強いカードを持たなければ交渉にならない
の で す 。そ の カ ー ド は 国 民 の 世 論 、政 府 に よ る 制 裁 で 、こ れ が 絶 対 に 必 要 で す 。
カードがない限り、
「 返 し て く だ さ い 」と い う 交 渉 は 成 り 立 た な い の で す 。そ し
てま たな められ て し まう とい う こと に な りま す。
私たちは、愛しい家族を取戻すためには、相当な覚悟で取り組まなければな
らないという思いがありますが、実際に取戻す窓口は政府です。我々がのこの
こと 北朝 鮮に行 っ て 被害 者を 取戻す と い うの は不 可能 で す。 一部 の 議 員が 行 っ
て 、全 員 を 取 り 戻 せ る か と い う と 、こ れ も 全 く 不 可 能 で す 。従 っ て 政 府 が 、
「日
本 人 被 害 者 を 全 部 返 せ 」と い う 強 い 態 度 を 貫 い て 、
「そうすれば相当の支援がも
らえるぞ」ということもカードとして交渉ができます。
これは交渉というより要求なのです。北朝鮮は犯罪国です。日本は被害国で
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す 。 犯 罪 国 に 「 返 せ 」 と い う の は 要 求 で す 。「 無 条 件 で 返 せ 」 と 言 う べ き で す 。
しかしあのような国ですから、それだけではうまくいかないかもしれない。だ
からこそ強い交渉をすること、そして早く交渉の場に引きずり出すこと、これ
が我々が考えている解決法の一つです。
また、先ほどアメリカの圧力について述べましたが、北朝鮮にとってはアメ
リカ が一 番の脅 威 で す。 従っ て、日 本 政 府が 主体 とな っ て交 渉を し ま すが 、 ア
メリ カの 協力を 含 め 、北 朝鮮 をま わり か ら追 い詰 める 。 北朝 鮮を そ の 気に さ せ
るためにはそのくらいのことをやらなければ、話に乗ってこないと思います。
今回、政権が変わりましたが、我々は政府にお願いするしかないわけで、現
政府にさらなるお願いをしていきます。幸い、拉致問題対策本部を引き継ぎ、
拉致担当大臣も作り、中井大臣が即動き始めたということですから、期待して
いきたいと思っています。日本は色々な問題を抱えていますが、拉致問題は優
先すべき問題だということを国会の皆様、政府の皆様にご理解いただいて、国
民一人でも人権侵害があればなくしていくという意識をもって、拉致問題に強
い態度で対応していただきたいと考えています。
もう総理大臣も何人も変わりましたが、私は、拉致問題を解決すれば、日本
の歴 史の 中で、 歴 史 に残 る総 理大臣 に な ると 言っ てい ま す。 是非 そ う なる よ う
お願 いし ていき た い と思 いま す 。
北朝鮮にいる被害者が一番大変なのですが、待っている私たちも歳をとって
いきます。帰ってきたが、親も家族もいなかったということには絶対させたく
な い の で す 。少 な く と も あ と 1 年 か 1 年 半 の う ち に は 解 決 し て ほ し い と 思 い ま
す 。皆 様 か ら も 是 非 政 府 に 意 見 を 言 っ て い た だ き た い と 思 い ま す 。FAX で も 手
紙で も、 電話で も メ ール でも 結構で す の で、 声を ぶつ け てい ただ き 、 政府 が 腰
砕けにならないようにお願いいたします。これからも、皆様の問題でもあると
意識していただき、応援を宜しくお願いいたします。
市川龍子さん(市川修一さん義姉)
「今年こそは、今年こそはきっと息子修一に会える」と春の来るのを、耐え
て 耐 え て 待 ち 続 け た 母 が 、 昨 年 11 月 15 日 、 旅 立 っ て し ま い ま し た 。 こ の 日 、
偶 然 か も し れ ま せ ん が 、 3 つ の こ と が 起 こ り ま し た 。 11 月 15 日 は 、 横 田 め ぐ
み さ ん が 新 潟 で 拉 致 さ れ た 日 で す 。そ し て 私 の 長 男 が 、ア メ リ カ の NASA の ケ
ネディ宇宙センターで仕事をしていました時、エンデバーがものすごい爆音と
ともに大空に向かって飛び立った時刻と、おばあちゃんが天に昇った時刻が符
合していたよと、帰国した時に聞いた時は、偶然かもしれないけれど、本当に
この世の中には、科学で証明できないこともあるのかなと思いました。
またこの日は、夏から 2 か月半に及ぶ密着取材で、母を主人公にしたドキュ
メ ン ト が 放 送 さ れ た 日 で し た 。母 も と て も 楽 し み に し て い ま し た 。
「家族みんな
で見ようね」と言って楽しみにしていたのですが、6 日前に倒れ、母はとうと
う 見 る こ と が で き ま せ ん で し た 。次 男 は 、母 の 亡 骸 を テ レ ビ の 前 に 引 い て き て 、
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「お ばあ ちゃん 、 よ く頑 張っ たね 」と 言 って 、頭 や顔 を なで なが ら 泣 き崩 れ て
いました。
本当ならば、長生きした母にお祝いしてあげたかったのですが、どんなにか
息子修一に会いたかっただろうかと思うと、残念で無念で、悔しくてたまりま
せん。
先 月 15 日 、母 の 一 周 忌 を 済 ま せ ま し た が 、こ の 1 年 何 の 進 展 も あ り ま せ ん 。
母の墓前に明るい報告もできず、本当に悔しい思いでいます。母に修一を抱か
せ て あ げ る こ と は で き ま せ ん で し た が 、今 94 歳 に な る 父 が い ま す 。そ の 父 も 、
日に日に記憶が薄れていくような気がしています。なんとしても父には修一を
抱か せて あげた い 、 記憶 がな くな らな い うち に修 一に 会 わせ てあ げ た いと 思 っ
ています。
もし修一が北朝鮮で病気でもしているのなら一日でも早く連れ戻して日本で
の医療を受けさせ、一日でも長く鹿児島での生活を満喫させてあげたいという
思 い で い ま す 。 そ う 思 う と 被 害 者 も 家 族 も 時 間 が あ り ま せ ん 。 修 一 は 、 10 月
20 日 で 55 歳 に な り ま し た 。 23 歳 で 拉 致 さ れ ま し た か ら 、 31 年 と い う 北 朝 鮮
での生活を余儀なくさせているのです。
私 に は 23 歳 の 修 一 の 顔 し か 思 い 浮 か び ま せ ん 。増 元 る み 子 さ ん と の 間 に 、男
の子 が二 人いる と い う情 報も 入 って き ま した 。一 人は 3 年前 の情 報で す。北 朝
鮮 は 拉 致 し た翌 年 の 9 月 4 日 、水 も 冷 た い 元 山 海 水 浴 場 で 溺 死 し た 、お 墓 は 洪
水で流されてない、と全くでたらめな回答をしてきました。
この前、長男が韓国の板門店に行き、北朝鮮側に足を踏み入れることができ
た 。お ば あ ち ゃ ん の 写 真 を 胸 に 抱 い て 、
「 お ば あ ち ゃ ん 、修 ち ゃ ん の い る 北 朝 鮮
に 、今 僕 は 入 っ て い る よ 。修 一 お じ ち ゃ ん 、早 く 早 く 帰 っ て き て よ 」と 言 っ て 、
おばあちゃんの写真をなでながら泣いていたそうです。
親兄弟だけでなく、甥っ子までもこんな悲しい、むごい仕打ちをする北朝鮮
の金正日が、私は憎くてたまりません。今日は主人がいないので過激な発言に
なりますが、私は、八つ裂きにしても足りないくらいの心境なのです。金正日
が 拉 致 を 認 め た 2 00 2 年 以 降 も 、 新 た に 5 人 の 拉 致 被 害 者 が 出 て い る と い う 情
報 も あ る と 聞 き ま し た 。拉 致 問 題 を こ の ま ま 風 化 さ せ て し ま う と 、ま た 、い つ 、
どこ かで 拉致が 起 き るか もし れない の で す。 日本 国民 の 子や 孫や ひ 孫 が、 安 心
して 安全 に遊べ る 日 本列 島に するた め に も、 強い 制裁 圧 力を かけ る こ とは も ち
ろ ん で す が 、さ ら に 強 い 圧 力 が 必 要 だ と い う こ と を ご 理 解 い た だ き た い の で す 。
金 正日 は、 日本 国 憲法の 9 条を熟 知し てい ます 。日 本は 手 も足 も出 せ な いと
甘く見られているのです。いつまでも北朝鮮の言いなりになっていては、被害
者 も 家 族 も 、 た だ む な し く 時 間 だ け が 過 ぎ て い き ま す 。 被 害 者 の 31 年 の 過 去
を 取 戻 す こ と は で き ま せ ん が 、未 来 ま で も 奪 う 権 利 は ど こ に も な い と 思 い ま す 。
一刻も早く、皆様の力で救い出していただきたい、もう時間がないというこ
とを分かっていただきたいと思います。そうでないと、拉致被害者は北朝鮮で
一生を終えなければなりません。彼らは北朝鮮の人民ではない、日本国民なの
です。どうぞ私たちを助けてください。
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何年か前、
「 奪 還 」と い う タ イ ト ル の 本 が 出 版 さ れ ま し た 。奪 還 の 意 味 、誘 拐
し た 国 に 、 こ ち ら 側 か ら 頭 を さ げ て 、「 お 願 い で す か ら ど う ぞ 返 し て く だ さ い 」
と い う こ と で は あ り ま せ ん 。力 づ く で で も 奪 い 返 す の が 奪 還 で す 。
「 力 づ く 」と
は、 現在 制裁を か け てい るこ の圧力 で す が、 もっ と強 い 圧力 をか け て いた だ い
て、一日も早く奪還していただきたいと思っています。
西岡先生の話にもありましたが、なにやら北朝鮮からの指令で、朝鮮総連が
日本 のい くつか の 団 体を 動か して、 日 朝 国交 正常 化の ム ード づく り を して い る
と聞きました。その一例が、真向かいの会館で行われたそうですが、彼らに私
は言いたいです。
「 あ な た た ち に も 家 族 が あ る で し ょ う 。も し 自 分 が 北 朝 鮮 に 捕
らわれていたら、それでもそんな行動を起こしますか。それならあなたたちは
北朝 鮮に渡っ て 、 北 朝鮮 の人 にな りな さ い」 と私 は言 い たい ので す 。 少し も 被
害者家族の心情を分かっていません。
先 の 天 皇 陛 下 ご 在 位 20 年 の お 話 に も 、平 成 14 年 美 智 子 皇 后 陛 下 の お 話 の 中
にもありました。
「 ど う し て 日 本 社 会 全 体 が 」と し て 、認 識 が 薄 か っ た と い う こ
とを 、お っしゃ っ て いた だき ました 。 政 府と 国会 議員 は 、必 ず奪 還 し なけ れ ば
な ら な い 責 任 が あ る と 思 い ま す 。政 権 が 代 わ り ま し た が 、民 主 党 で あ れ 、自 民 、
公 明 党 で あ れ 、 私 た ち の 代 表 が 衆 参 合 わ せ て 700 名 以 上 の 国 会 議 員 が い ま す 。
本当に真剣に取り組んでいただいて、国の恥を、国会議員の恥を国内外にさら
さないでほしいと思います。
日 本 の リ ー ダ ー が メ デ ィ ア を 通 じ て 、国 民 に 向 け て 、
「いつまでも返さなかっ
たら 承知 しない ぞ 」 とい う強 いメッ セ ー ジを 発信 して い ただ けれ ば 、 一気 に 国
民の怒りが、世論が湧き上がってくると思います。それが必ず金正日の耳に入
ります。金正日は、日本の世論の動向を大変気にしているとのことですので、
大いに効き目があると思います。オバマ大統領のノーベル平和賞ではありませ
んが、日本人全員を奪還して、鳩山総理にノーベル平和賞を上げてください。
お願いします。
あの羽田のタラップの下に日本人全員を降ろすまで、この拉致問題を重視し
てい ただ きたい と 思 いま す。 そし てさ ら に大 きく 国を 動 かし てく だ さ い。 そ し
て拉致被害者全員を取戻してください。私たちはそうお願いするしかありませ
ん。どうぞ力を貸してください。お願いいたします。
斉藤 文代 さん( 松 木 薫さ ん姉 )
市川さんも言われましたように、毎日毎日、怒りがこみあげてきます。自分
はど うし たらい い の だろ うか という こ と を毎 日考 えま す 。し かし 、 な かな か 自
分の 思う 通りに は 進 まな いは がゆさ が あ りま す。 毎日 反 省し ては 、 床 につ く時
に、明日はどうしたいいだろうかと思います。長い年月が経ち過ぎていますの
で、毎年毎年悩み、北朝鮮で待っている家族に力になれない、何もしてあげら
れないという思いが募ります。
今 日、 熊 本 か ら来 る 時 に、 北九 州の皿 倉山 を見 なが ら、八 幡に 住 ん で い たこ
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とがありましたので、薫が小さい頃を思い出していました。山は少しも変わっ
ていませんが、私が住んでいたところは跡もありませんでした。こんなに時代
が変わってしまっているのに、どうして助けてあげられないのか、どうしたら
いい のか と悲し い 思 いを しな が らこ ち ら に向 かい まし た 。
当 時は 、 貧 し いけ れ ど 家族 が全 員揃っ てい て本 当に 楽しか った で す 。 か なし
いことなんか何もなかったです。夕方になると父や母が仕事を終えて帰ってき
ます 。み んなお 風 呂 に入 らず に待っ て い まし た。 当時 は 薪で 炊い て い まし た か
ら 、地 元 で は( 釜 の 墨 を )へ ぐ ろ と 言 う の で す が 、
「姉ちゃんへぐろがついてる
よ」と言われて、笑いながらご飯を食べたことを思い出します。
弟はスペインのマドリッドから拉致され、8 年後に北朝鮮に住んでいること
が分かったのですが、その時にはもう父は亡くなっていませんでした。あちこ
ち必死で探して、お願いしてまわっていたのですが、会うことなく亡くなりま
し た 。母 に 手 を さ し の べ 、
「 頼 む 」と い う こ と だ っ た と 思 い ま す 。ど う す る こ と
もできず母親に託したのでしょうが、母は気が弱くて動転したと思います。そ
れでも自分が頑張らなければと気丈に動いていました。
私たちは、お母さんはまだしっかりしているから働けると思って、一生懸命
頑張 って いたの で す が、 一人 で抱え て い た苦 労と いう の は本 当に 辛 か った だ ろ
うと思います。そして認知症というか、徘徊が早かったですね。どうしても母
親の 側に いなけ れ ば なら ない という こ と で、 私た ちは 少 し遠 いと こ ろ にい た の
ですが、母の側に来て、自宅で 5 年くらい介護しましたが、どうしても自宅で
は介護できなくなり、病院の先生が入院させなければならないということで、
入 院 さ せ ま し た 。 も う 15 年 も 寝 た き り で す 。 全 然 動 け ず 、 母 は 何 度 も 死 ぬ 思
いをしています。
し か し 、 15 年 寝 た き り で 薫 を 待 っ て い た の で す 。 家 族 は 皆 そ う で す 。 1 日 で
も 1 時 間 で も 会 え た ら い い と 思 い な が ら 待 っ て い る の だ な と 思 い ま す 。顔 を 見
るの が辛 いので す が 、私 は長 女でも あ り ます し、 お母 さ んを しっ か り と守 ら な
ければならないという気持ちで病院に行きます。去年、一昨年は、私が足を骨
折して、同じ病院でリハビリを受けたこともありました。薫と体形が似た先生
がおられて、リハビリを受けながら母を見ていますと、その先生を目で追うの
です 。先 生がこ ち ら を向 くと 薫では な い と分 かる ので 、 ちょ っと 恥 ず かし そ う
に苦笑いして、さみしそうな感じでした。
そういう時はたまらなくなります。日本政府が何十年も解決できないこと自
体が、私は不思議でならないのです。よその国なら絶対に助け出す筈なのに、
日本 とい う国は こ ん な国 だっ たの だろ う か。 そう 思い な がら も国 民 の 皆様 に ご
支援をいただき、力をいただいて今日に至っていることを感謝しています。私
た ち が で き る こ と は 、皆 様 の 前 で お 話 を す る こ と で す 。少 し で も お 力 を 借 り て 、
全員を日本の地に取戻し、家族と一緒に過ごせる時間ができればいいなと思っ
ています。
弟 は 、 2002 年 と 2 004 年 に 、 北 朝 鮮 か ら 骨 が 出 さ れ ま し た 。 一 人 だ け 呼 び 止
め ら れ て 、外 務 省 の 方 と お 話 を さ せ て も ら っ た 時 に 、
「 こ れ は 弟 さ ん の 骨 だ 」と
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言って出された時は、本当に悔しくて泣きました。1 回じゃないんです。2 回
も 出 さ れ た の で す 。「 向 こ う は ど う お っ し ゃ っ た の で す か 」 と 聞 く と 、「 か も し
れ な い 」と 言 う の で す 。
「 か も し れ な い 」と は ど う い う こ と な の だ ろ う と 、当 時
は分からなかったのですが、結局、その骨は、他人様の骨と動物の骨でした。
本当 に失 礼な話 で す よね 、家 族をこ ん な に苦 しめ て。 北 朝鮮 は許 せ な い国 だ と
私は一人で怒っていましたが、お父さんには悲しい思いをさせなくてよかった
と思いました。
「 お 父 さ ん 、薫 が 帰 っ て き ま し た よ 」と 報 告 し た い し 、お 母 さ ん
にはいつもベッドの側で、
「 も う 少 し だ か ら 」と 言 っ て い ま す 。日 本 国 中 の 皆 様
が助 け出 さなけ れ ば と思 って いる のだ か ら、 なぜ か分 か りま せん が 、 私は も う
少 し し た ら 帰 っ て く る と 思 っ て い る の で す 。そ れ で 、
「今まで頑張ってきたのだ
か ら 絶 対 頑 張 ろ う ね 」と 言 い ま す 。
「 頑 張 り ま す 」と は 言 い ま す が 、や は り 辛 い
ところがあるようで、1 日でも 1 時間でも会わせてあげたいと思います。
「母がいてくれてよかった」と薫が言う日がくるまで、私たちは頑張ろうと
思 っ て い ま す が 、母 も 88 歳 に な り 、拉 致 さ れ て 30 年 に な り ま す 。何 で こ う い
うこ とに なって し ま った のだ ろうと 思 い ます が、 助け 出 さな けれ ば 一 生悔 い が
残ります。歳はとっても、皆様と一緒に奪還できるよう北朝鮮と戦っていきた
いと思います。ボロボロになるまでやるのが私の宿命だと思っています。取戻
さ な け れ ば な ら な い と い う こ と が 、私 の 頭 の 中 に い つ も あ り ま す の で 、家 族 会 、
救う会、皆様のお力をいただいて、頑張っていきたいと思います。お願いばか
りで すが 、帰っ て く るま で頑 張 りま す の で、 どう ぞ宜 し くお 願い いた しま す 。
平野 フミ 子さん ( 増 元る み子 さ ん 姉)
私 た ち は 、も う 1 回 、家 族 の あ の 笑 顔 を 見 た い 。そ の た め に 活 動 し て い ま す 。
家 族 が 声 を あ げ な け れ ば 政 府 は 動 い て く れ な い と い う こ と が 分 か り 、12 年 前 に
声を あげ ました 。幸 い 5 人の 人が帰 っ て きま した 。本 当にあ れは 嘘み た い な 現
実だ った と今改 め て 感じ ます 。あ れか ら 7 年 経ち ます。しか し 何 も進 んで い な
いのが現実です。
5 人が帰った翌年に、蓮池薫さん・祐木子さんに半蔵門のホテルでお会いし
まし た。 その時 私 は 、こ の冊 子を持 っ て いき まし た。 そ した ら、 祐 木 子さ ん も
薫さんも、
「 あ っ 、る み ち ゃ ん だ 」と 言 っ て く れ ま し た 。私 は こ れ ま で 、る み 子
は北朝鮮に拉致されていると訴えて参りましたが、でも本当にあちらで目撃し
たと いう ことを 何 も 聞い てい ません で し たの で、 半信 半 疑で 、嘘 で あ って ほ し
い と い う 気 持 ち が 少 し あ り ま し た 。で も 祐 木 子 さ ん も 薫 さ ん も 、
「 あ っ 、る み ち
ゃ ん だ 」、「 る み 子 さ ん と 一 緒 に 暮 ら し た 」 と い う 言 葉 が 現 実 に 私 の 耳 に 入 っ た
時に、
「 あ あ 、や は り る み 子 は 北 朝 鮮 に 行 っ て い た ん だ な 」と い う こ と を 心 に 刻
むし かな かった の で す。
色々なことを祐木子さん、薫さんから伺いました。夏のスイカの時期には、
スイ カの 皮を塩 漬 け にし て漬 物にし た そ うで す。 スイ カ の漬 物は 、 う ちの 父 が
好きだったのです。るみ子はあまり料理は上手な方ではなかったけれど、それ
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だ け は し て い た ん だ な と か 思 い ま し た 。中 学 校 時 代 は 卓 球 を し て い ま し た の で 、
あ ち ら の 子 ど も た ち に 、身 長 が 162 セ ン チ あ っ た も の で す か ら「 大 き い 姉 ち ゃ
ん」 と言 われて 、 皆 さん と仲 良くし て い たそ うで す。 そ れだ けに 、 い つか は 返
してくれるだろうという気持ちで朝鮮語も習い、朝鮮語の歌も覚え、あちらの
生活をしていたことは、認めざるをえないと思います。
で も 、自 分 か ら 行 っ た わ け で は あ り ま せ ん 。日 本 の 領 土 で 誘 拐 さ れ た の で す 。
市川修一君と一緒に、夕日を見に行くと言って出かけたまま、ずたぶくろに入
れられて、工作船に乗せられて、何時間も船に揺られて、北朝鮮の南浦に着い
た時 には 、自分 で 歩 くこ とが できな い く らい でし た。 工 作員 にお ぶ さ って 降 り
た、ということも聞いたそうです。
そ うい う こ と を聞 く と 、ど んな に怖か った だろ うか と 。い つ殺 さ れ る の だろ
う か と い う 思 い で 北 朝 鮮 に 渡 り 、渡 っ て か ら で も 1 週 間 、10 日 く ら い は 独 房 み
たいなところに入れられたらしいです。修一君は返したと聞かされ、自分だけ
が独 房で 過ごさ ざ る をえ なか っ た と聞 い たそ うで す。
私たちは、その一つひとつが初めて耳にしたるみ子が拉致された後の 1 年間
の話でしたから、本当に辛くもあり、生きていたんだという、本当に複雑な気
持ち でし た。
でも、るみ子は絶対に死ぬ筈はないのです。卓球もし、足も太い、身体の丈
夫な子でしたから、
「 心 臓 麻 痺 で 死 ん だ 」と い う こ と は 絶 対 に あ り え な い 。こ れ
は断言してもいいと思います。北朝鮮がよくあんなことを抜けぬけと言い、本
当に虫けらのごとく扱われたことが、私は悔しくてたまりません。
去 年 11 月 15 日 、 市 川 ト ミ さ ん が 亡 く な ら れ ま し た 。 あ れ ほ ど 金 正 日 が 憎 い
と思った日はありませんでした。父が亡くなった時も本当に残念でたまりませ
ん で し た け れ ど 、92 歳 の お ば あ ち ゃ ん が 、私 が 電 話 を す る と 涙 声 で「 い つ も ご
めんな」といつもおっしゃっていました。いまでもその声が聞こえます。あの
おば あち ゃんも 修 一 君に 会わ せるこ と な くあ の世 に召 さ れて しま い ま した 。 あ
の日ほど金正日が憎たらしく思ったことはありません。
あ れか ら 1 年 、あ っと い う 間に経 って しま いま す。 拉致 問 題は いつ 解 決 する
のだろうかと、精神的に落ち込むこともあります。誰とも会いたくない時もあ
ります。でも私も主婦ですので、辛い顔ばかりはできず、そういうことは胸の
中に秘めていますが、どうして経済大国の日本が、いや経済大国だからこそこ
の問 題を 解決で き な かっ たの で しょ う が、ど うし て 30 年以 上も 国民 を取 戻 せ
ないのかと、悔しくてしかたがありません。
この問題を解決するには国民世論の力が絶対に必要です。国民世論が沈滞し
てしまうと、民主党政権は左よりの方も多いですから、また国交正常化を言い
出 す か も し れ ま せ ん 。蓮 池 薫 さ ん も 帰 国 直 後 に お っ し ゃ っ て い ま し た 。
「国交正
常化をして山奥の収容所に入れられていただろう」と。国交正常化して、皆さ
んの血税があちらの方に行くことは絶対に許してはならないことです。
私 たち は、 家族 を 取戻した い。 この 1 点だ けで 訴え てき ま した が、 こ れ は本
当に 大変 な問題 を 皆 様に 提起 した こと だ と思 いま す。 こ の問 題が 解 決 され な け
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れば、拉致被害者は暗い深い闇の中に押し込められたままになります。そうな
らな いよ うに私 た ち は訴 えさ せて いた だ いて いま す。 本 当に 微力 で す し、 話 も
下手 です が、皆 様 に こう して お伝え し な けれ ば居 ても立 って もい ら れ ない の で
す。そして日本が大好きですから、日本が沈没してしまうのではないか、北朝
鮮や中国に乗っ取られるのではないかと心配です。日本の文化を継続していか
ないと子孫に対して申し訳ないと思います。
鳩山総理が就任してすぐに私たちは官邸で鳩山総理にお会いすることができ
ま し た 。私 は 、亡 く な る 前 の こ の 父 の 写 真 を お 見 せ し ま し た 。父 は 、
「俺は日本
を 信 じ る 。お 前 た ち も 日 本 を 信 じ ろ 」と 言 っ て 亡 く な り ま し た 。で す か ら 、
「私
たち はも う 1 回 日本 を信 じま す 。信 じ た いの です」と 申し上 げま し た 。民 主 党
政権 にな ってど う な るか 、本 当に分 か り ませ ん。 期待 は して いま す 。 しか し 、
時 間 を 争 う こ と な の に 、ま だ 目 に 見 え る 動 き が あ り ま せ ん 。聞 こ え て き ま せ ん 。
だからみなさんの声が絶対に必要です。
「拉致問題はもう風化した」となれば、闇の将軍と言われる人が国交正常化
をめ ざす でしょ う 。 そう なる と拉致 被 害 者は 帰っ てき ま せん 。日 本 人 を取 戻 す
まで は、 絶対に 国 交 正常 化を しては な ら ない こと を、 是 非官 邸に 伝 え てく だ さ
い。
忘 れ て は な ら な い こ と が あ り ま す 。こ の 12 年 間 私 た ち と と も に 戦 っ て き て く
だ さ っ た 中 川 昭 一 先 生 が 10 月 に 亡 く な ら れ ま し た 。 頭 を ガ ン と 叩 か れ た よ う
な気 分に なった こ と を思 い出 しま す。 本 当に 一生 懸命 や って くだ さ っ たの に 未
帰還 者の 問題が 解 決 して いな いこと を 残 念に 思っ てお ら れま した 。 中 川先 生 の
ためにも、日本の皆様のためにも、拉致問題を解決しなければならないと思い
ます。拉致被害者が空港に降り立つ日まで私たちは頑張ります。
皇后陛下がおっしゃった日本人の資質が見えてこない状況があります。日本
人は思いやりの心を絶対に持っている筈です。今も拉致被害者が帰国を求めて
泣いています。その声をどうぞ聞いていただきたいと思います。私たちは絶対
にあきらめることはありません。どうぞこれからもご支援ください。ありがと
うございました。
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