2013年2月 第27回兵庫県学ぶ高齢者のつどい中央大会 ~学習成果を発表し、交流を図る~ 平成24年11月30日(金)、兵庫県立嬉野 台生涯教育センターで「第27回兵庫県学ぶ高齢 者のつどい中央大会」を開催しました。 この大会は、県内各地の高齢者大学や教室など で学ぶ高齢者が一堂に会し、日頃の学習成果の発 表と研修を通して交流の輪を広げることを目的と しています。 高齢者の主張 当日は、各地から470余名の学ぶ高齢者が参加して、 盛大な大会となりました。 藪本吉秀大会実行委員長(三木市長)の開会のことば、 横山佐和子県民文化局長の挨拶、藤本百男県議会議員の祝 辞に続き、高齢者の主張が行われ、県内8ブロックの代表 者が「学びと生きがい」をテーマに、日頃の実践活動を発 表しました。 表彰式 このあと、森哲男兵庫県生きがい創造協会理事長よ り、主張発表と作品展出品者の代表に、協会会長賞が授 与されました。 午後からは、うれしの学園生涯大学OBによるオカリ ナ演奏、ひょうごボランタリープラザ所長の室﨑益輝氏 による「防災に強い地域づくりと高齢者の役割」と題す る記念講演が行われ、「高齢者に期待される役割とし て、災害経験を地域の子供たちに伝えていくことをはじ め、地域装備の革新者、地域社会のつなぎ役になるこ 藪本三木市長の開会のことば 作品展 と」についての示唆がありました。 室﨑益輝氏の講演 高齢者の主張~学びと生きがい~ 「笑いと学び」 姫路市立好古学園大学校 宮崎 春男さん 私は現在、学生以外に日本笑い学会登録講師として笑いの効用をテーマに講演、 日本交通法学会関西支部会員として高齢者交通安全講話をしています。 好古学園大学校の入学のきっかけは、私の後輩で好古学園大学の先輩の推薦で、 好古学園大学校で講演をさせていただきました。その時の学生さんの輝いた顔が忘 れられませんでした。私も講師よりも学生になりたいと思いました。 早速、入学の手続きをとりました。現在、教室で楽しく学んでいます。特に先生の笑いを交えた講 義が楽しいです。私は小さい時から楽しくなければ学校ではない、面白くなければ授業じゃないと思っ ていました。好古学園大学はまさにぴったしの学校です。世のため、人のため、自分のために笑いを生 きがいとして先生から学友から学んでいきます。 私が高齢者講座に興味を持ったきっかけは、兵庫県高齢者放送大学でした。兵庫県高齢者放送大学の 案内資料に「学び続ける人は輝いている」というフレーズが目に留まりました。 私は毎週午前6時30分から始まるラジオ講座を長年拝聴しています。紹介します。 「少くして学べば ば 即ち壮にして 即ち死して朽ちず」 為すことあり 壮にして学べば 即ち老いて 衰えず 老いて学べ 出展「言志晩録」です。 「二足のわらじ」 朝来市公民館講座ささゆり学園 今村 明美さん 私が、竹田城ガイドになりましたきっかけは、何か新しいボランティアをと探し ていましたところ、竹田城のボランティアガイド養成講座のことを知り、ちょっと 勉強してみようかと軽い気持ちで講座を受けました。 その後の自主研修で先輩にガイドの実際を学び、すっかりガイドの魅力の虜にな ってしまいました。楽しさも加わり更に研修を重ね、2ヶ月後からは、ファーストガ イドとしてお客様をご案内できるようになりました。 「楽しかったですよ。ありがとう。これからも元気で頑張ってくださいね。」等と声を掛けられ「ボラン ティアガイドになって本当に良かった」と心の中に温かいものが充満します。 あと一つは、社会福祉協議会の「ふれあい講師」に登録しているボランティアで、ミニデイサービスや老 人会の催しの時に声をかけてもらって朝来市内どこへでも出かけます。歌やゲーム、簡単な体操など一時間 ほどをおおいに笑い楽しんでもらえるような雰囲気作りを工夫しています。中でも一番のメインはマジック で、ほとんどの方が生で見るのは初めてのようで興味津々です。皆さんの顔がほころび、笑顔で話されるの がとても嬉しいです。 観光ガイドとふれあい講師。という二足のわらじを履いておりますが、仲間のガイドと情報交換をした り、研修に参加して知識を深めたり、地域の方々と身近で心安く時間を過ごす中で、私が学べることは、ま だまだ沢山あります。 ふたつのボランティア活動をライフワークとして、沢山の人たちと、楽しい時間を共有できるよう、これ からも二足のわらじを履き続けたいと思っています。 「好奇心の産物」 篠山市高齢者大学たんなん学園 佐圓 久美子さん 私が生涯学習という言葉に出合ったのは、今から25年位前、公民館のロビー に貼られた一枚のポスターです。生涯学習の場、お母さんのビデオ教室受講生 募集!あなたもビデオを写してみませんか。ビデオを通していろいろな勉強を してみませんか。というキャッチコピーに私の好奇心が動きました。家族に相 談し、早速ライブラリーに申込みました。 5人でスタートしたビデオ教室は、初物づくしでとても新鮮で、厳しいけれど楽しい時間でした。ビ デオカメラにも慣れ、先生が言われた「自分の身の回りに関心をもって見つめていると、今まで見えて いなかったものが見えて来る」の言葉どおり、こんなことがありました。畑で草引きをしていると葉っ ぱの上に小さな黒い虫と、もう一回り大きい同じ虫を見つけました。家に帰り、図鑑で調べてキアゲハ の幼虫であることがわかり、どのように変身するのか見てみようと思い立ち、撮影を始めました。 こうして撮り溜めたテープは先生の指導のもと編集し、「華麗なる変身・キアゲハの誕生」という作 品に仕上がりました。先生が「この作品は理科の教材になる」とコンクールに出品し、全国視聴覚コン クールで入賞という大きな賞をいただきました。何の知識もなかった私がここまで来られたのも先生を はじめ仲間、家族の協力があったからこそと感謝の気持ちでいっぱいです。 昨年、高齢者大学のチラシを見た時、またもや私の好奇心が頭をもたげ、入学しました。 私の父は95歳まで高齢者大学に学びました。95歳の開講日に読んだ俳句、「晩学を 燃ゆる若葉に 励まされ」が最後の俳句となりました。生涯現役で学び続けた父のこの俳句に励まされ、私も残りの 人生をしなやかな心で学び続けたいと思います。 「思いつくままに」 淡路市絵島学園 平松 勤志さん 私は、今年「古希」を迎えました。これを一つの区切りとして、「表の人生」 から「脇の人生」に切り替えをしています。 私の人生設計は、60歳の定年で仕事を終え、65歳までの5年間は「ご褒美の人 生」、65歳以降は「おまけの人生」と考えていましたが、現実には、58歳で退 職、4年間アルバイト的な仕事をして、62歳で仕事を終えました。いよいよご褒 美の人生に入ったのです。 四字熟語に「晴耕雨読」という言葉がありますが、私には耕す田畑がないので「晴耕雨読」ではなく 「晴読雨読」の5年間でした。その5年間を終え、67歳になった時、これまでの反省と今後の生活につ いて考えてみました。 世の中の大きな出来事は、新聞やテレビで分かりますが、町内の出来ごとなど身近な事柄が、これま での生活では耳に入ってきませんでした。今のような生活を続けていると「社会オンチ」になるのは勿 論のこと、「ボケ」が早いと思い、考えたのが、「老人クラブ」に入会し、多くの人々と交流を図り、 積極的に社会参加を進めていこうということでした。 早速、地区の役員にお願いをして入会しました。と同時に、淡路市等が推奨している「いきいき100 歳体操」にも参加しています。この体操は、週に2回行えば、100歳まで長生きすると言われており、 地域の人の健康増進、多くの人々との交流を図る目的からも、一人でも多くの人に参加を呼び掛けたい と思っています。実は今一度、しかも一日だけ「表の人生」の花道を残してあります。4年後には金婚 に感謝する集いを、自身の主催で計画しています。したがって、この日に向けて、健康に気を付け「表 の人生」の最終を飾りたいと思っています。 「たった一人の国際交流」 兵庫県いなみ野学園 藤井 正子さん 14年前、まだ現役で元気自慢だった夫がガンで亡くなり途方に暮れている時、ネパ ールの日本語学校のボランティア講師依頼の話がありました。心に空いた穴が埋まるな らネパ―ルへでもチベットへでも、という心境だったので、あとさきも考えずお受けし ました。どんな人たちが、どんな暮らしをしているのか、想像もつきませんでしたが。 2000秋、ネパールの首都・カトマンドゥの小さな空港に一人降り立ちました。ひとま ず町なかの安いゲストハウスに落ちつき、翌日から旧市街の「ニリ日本語学校」に歩いて通い始めました。 ある朝、前夜からの雨が降り続いていて、道はドロドロ。歩くのに苦労しながら学校に着きました。ところ が、私のクラスの生徒15人のうち、来ているのはたった2人だけ。あとはいくら待っても来ません。聞けば 雨の日は休みが多いとか。理由も言わずに休む、平気で遅刻する、約束を守らない、その度にネパール人の いい加減さに腹が立ち、それに比べて日本人の真面目さや責任感の強さに、内心優越感を感じていました。 次の年からは、郊外にアパートを借りて自炊しながら学校に通いました。その日も朝から雨で、学校に行こ うと家を出て坂道に差しかかった時、道が川になって全く通れません。当時、携帯電話はもちろん家にも電 話もなかったので、そのまま無断欠勤です。何も知らず彼らを怠け者!と決めつけていた自分が恥ずかしく なりました。日本人の私が憤慨したり疑問に思うことにも、それなりの事情や文化的・宗教的な背景があり ました。日本人の生活感覚や価値観をそのまま他の国に当てはめて、上から目線で批判するのはこちらの認 識不足、想像力不足による傲慢さだと深く反省させられました。私が風邪や下痢でダウンすると、学生や近 所の人たちが心配して、次々と煎じ薬や食べ物を差し入れに来てくれました。一昨年まで、毎年3ヶ月間ず つ、10年にわたりボランティアを続けてこられたのは、やはり心のつながりでした。おかげで私はすっかり 元気になり、現在も加古川の国際交流センターでやはり日本語のボランテイア講師を続けています。 「学びが行動を連れて来る」 兵庫県高齢者放送大学 田口 静さん 西播磨高齢者文化大学大学院に入学し、充実した2年間を過ごしました。「地域 活動」コースを選択した私は、自分に何ができるか考えたとき、長年持ち続けて いたある思いの実現に挑戦しようとしたのです。私の実家の宍粟市一宮町で十年 以上続けている「ふれあい喫茶」です。地区内の住民が子供達も集まりお茶を飲 み、楽しい一時を過ごしていると聞いていたのです。そのことを知って私の住ん でいる地域でもそんな場が持てたらと羨ましく思っていました。 大学院でボランティア実践の数々の事例を知り、大変さも解りました。2008年5月、老人クラブの会 合で私の気持ちを話し、共感していただいた役員の方8名に喫茶のスタッフとしてお手伝いを願うことと なりました。そして、8月に「いきいき笑小喫茶(笑う小さな喫茶店)」の名称でオープンしました。 集まってみると、そこにはいろいろな特技や趣味を持った方がおられます。例えば、栞づくり、牛乳 パックを使った箱づくり、広告紙で作る籠など、特に栞は、「マイ栞なんてうれしい」と好評でした。 私はこのような特技を持った人を「隠れ先生」と呼びました。茶菓子は手作り柏餅やたつの名物醤油饅 頭をスタッフと作ったり、多くの方の手間と知恵をいただきながら、1カ月半に1回程度開店しました。 その間に、地区連合自治会長に再三、自治会として「喫茶」に取り組んでほしいとお願いしました。 その結果、昨年より7地区がオープンしたと聞いています。自分の取り組んだ小さな行動が広がってい くことを大変嬉しく思います。今後は、世代間の交流に発展する日が来ることを切望するのみです。 今は、大学院で学ぶ機会を与えられたことに感謝しています。高齢者が学ぶということは、知識を得 ることも勿論良いことですが、人に出会うということが一番のメリットではないでしょうか。多くの人 を知ることで教えられることが沢山あります。 「私のシニアライフ」 兵庫県阪神シニアカレッジ 田中 佳世子さん 38年間保育一筋に歩んできた私は、60歳の定年後自分がしたい道探しに2年 を残し、58歳で退職しました。ちょうど阪神淡路大震災の年に兵庫県に引っ越し たので、阪神間のことはわからなかったが、阪神シニアカレッジのことを聞いて 「定年後はこれだ!」と60歳を待って、国際理解学科に入学しました。 定年後は、趣味を生かしたボランティアをしたいと思っていたので、今まで出 来なかったピアノと英会話、フラダンスを始めました。56歳から始めたフルートと、それに加えてカレ ッジの授業が週2回、クラブ活動、習い事と目の回るような日々が60歳から始まっていくのでした。 クラブ活動は、40歳ごろから本格的に「山」を始めたので何をおいてもまず「山楽会」、コーラスは 高校、短大と入っていて、歌うことは大好きなので「うたごえの会」、クラブ紹介の時、とても不思議 だったので「マジッククラブ」と3つ、入部申込をしました。3年になって「英会話クラブ」を立ち上 げたり、カレッジ以外でも「軽音楽同好会」を立ち上げたりと、いろんなことに手を出してきました。 1年生の授業で「シニアになれば手帳は埋まっているくらいの方がいい」という先生の言葉に納得 し、4年間の今日に至るまで手帳の空いている日はほとんどない有様です。入学した頃、クラブの先輩 から「4年は、あっという間に終わる」と言われましたが、今は実感しています。 私のモットーは、①笑顔で元気で明るく②挨拶は自分からすること③できることは積極的に受けるこ と、できないことは仕方ないけど、できることは断らない。以上3つを心がけています。 健康、時間、お金が揃っている60代が一番幸せな年代ではないかなと思います。「幸せだった」と感 謝して一生を終えられたらこれほど素晴らしいことはないのではないでしょうか。 「高齢者になって、生きがいとは」 加西市善防公民館かしの木学園 福本 富士子さん ある日、何気なく新聞に目を通すと「フォスタープラン」というボランティアの 記事が、目に飛び込んできました。世界中のどこかも名前も知らない子供を、こん な私でも助けることができるかもしれないと思い、則、受話器をとっていました。 フォスタープランとは、世界中の貧しい子供達の生活と精神的にも支えるボラ ンティア活動です。 しばらくすると、アフリカにあるマリ共和国の5歳の男の子の写真とプロフィールが送られてきまし た。つぶらな瞳の黒人の可愛い子でした。思わず写真を抱きしめ、子供が一人増えたような感動で、抱 えていた大きな悩みが思ったより小さく思え、涙がとまりませんでした。 それから「フォスタープラン」を通じて、文通が始まりました。お父さん、お母さん、そしてお姉さ んの4人家族だということ、今はお友達とサッカーをすることが一番楽しく、両親の手伝いをよくして いるなどを知ることができ、文通は15年間続きました。 この事が私にとってどれだけ励みになったことか。いつしか私の一つの生きがいになっていました。 生きがいを持つことは、生活する上で大切であり、毎日が新鮮に感じられ本当に素晴らしいことだと 教えられました。 今、若者が就職難でホームレスになっているとのニュースを耳にする昨今、いろいろと事情があると 思いますが、何か一つ「生きがい」として自分にできることから一歩を踏み出してほしいと思います。 私達高齢者も若者に負けないよう、家族・地域とのコミュニケーションをしっかり持ち、食事に気を 配り、体をこまめに動かし、出かけられるところには進んで出かけ、いろいろと体験し学び、いつまで も元気で若者の目標になれるよう、頑張りたいものです。 地域活動グループの紹介 歩の会(ひょこのかい) いなみ野学園の将棋クラブ・サークル仲間で結成したグループです。 〈活動紹介〉 「歩の会」は、古くから伝わる将棋の研さんを通じて、会員相互の親睦と地域社会への貢献を目的とし て活動しています。 活動内容は、東播磨地区の小学校2校、福祉関係施設3ケ所などを訪問、小学校では将棋クラブ(各2 0名程度)の子どもを対象に、挨拶・礼儀作法と将棋に慣れ親しんでもらうよう指導し、子どもから元気 をもらいながら、世代間交流を図っています。 また、高齢者施設には愛好者も多いことから、互いに礼儀をわきまえながら、将棋の相手を続けてお り、趣味の世界にとどまらず、異世代や同世代との交流は、貴重な活動となっています。 11月10日の第40回いなみ野祭開会式の席上で、「歩の会」が「くすのき賞」を受賞。これを機会 により一層連帯の輪を広げ、実態のあるボランティア活動を続けていきたいと思います。 小学校での ボランティア いなみ野祭で表彰 を受ける 地活明友会 「地活明友会」は、明石市内在住のいなみ野学園地域活動指導者養成講座(2年制)修了生が、同講座 で学んだことを実践するためグループを結成し、老人ホームで車いすの整備・清掃、また授産施設で工房 作業の手伝いを始めたのをきっかけに、平成2年から福祉施設での社会参加活動を開始して21年になり ます。地元の老人福祉施設3カ所、授産所1カ所、病院1カ所で、現在41名が活動しています。 ボランティア活動は、繰り返せば繰り返すほど、自然に操作技術、介護技術や対人関係を習熟していき ます。いろいろな知識も吸収し、福祉に必要な心構えも身につけることができます。 コミュニケーション能力も高まり、入所者との話相手、入浴後の整髪、職員の補助、と活動内容に幅の 拡がりも見せてきています。 第40回いなみ野祭開会式の席上で、内閣府の「社会参加賞」を受賞。これを機に頼りがいのあるボラ ンティア組織として、今後も努力していきたいと思います。 平成23年度活動実績 老人ホームで車いすの整備・清掃 活動場所 木の根学園(知的授産施設) 活動内容 工房作業手伝い 愛老園(老人ホーム) 交流、介助、相手、屋外清掃 61 67 清華園(老人ホーム) 車いすの清掃・整備 11 46 6 21 235 249 329 438 友愛園(老人ホーム) 車いすの清掃・整備 県立リハビリテーションセンター 受付、補助、案内等 (病院) 月~金曜日 毎日午前 合 計 回数 参加延人数 16 55
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