ダウンロード - ゆざわジオパーク

ジオサイト案内書 16
ゆ
ざわ
湯 沢
湧水多き佐竹南家
湯沢の小正月行事「犬っこまつり」
湯沢市ジオパーク推進協議会
湯沢の豊かな湧水
美味しい水が多い5つの理由
湯沢市には、雄物川、役内川、皆瀬
川、高松川と4つの大きな河川が流れて
おり、水量が豊富です。また、市内の各
地から湧水しており、名称のある湧水地
だけでも29ヶ所あります。湧水が多く水
量が豊富な理由は、次のとおりです。
① 東に奥羽山脈、南に宮城、山形との
県境、および西に出羽丘陵(きゅうりょ
う)があり、三方向から多量の水が流れ
込みます。
② 山岳部の冬期積雪が3mを超える豪
雪地帯で、その豪雪が水の豊かな供
給元となっています。
湯沢市の主な湧水地
湯沢市街
③ 山岳部には豊かな森林があり、水をため込みます。
④ 全域がほとんど火山岩類でおおわれた大地で、火山岩にはすき間や割れ目が発達してお
り、多くの水をため込みます。
⑤ 火山岩に水がしみ込むとき、ミネラル分が加わって、おいしい水となり、断層、地層の割れ
目、地層間の境界などからつきることなく湧き出ています。
代表的な湧水 (1)力水
あたご
代表的な湧水 (2)愛宕鉱泉
力水は、市街中心部に位置する湯沢城址(じょうし)のふも
とにある湧水地です。ここには、佐竹南家のお屋敷があった
ことから、御膳(ごぜん)水などと呼ばれていましたが、「飲
むと力が湧く」と城主が愛用したことから、いつしか力水と呼
ばれるようになりました。
水質はpH7.4の中性で、水量は毎分11ℓ、水温は約12℃
と年中一定です。
昭和60年に環境庁(現環境省)が選定する日本名水百選
の一つに選ばれました。
愛宕鉱泉は、湯沢市民の森に行く途中にあります。水源
は、沢を約200m上った地点です。
周辺の地質は、泥岩とぎょう灰岩で、これをおおって火山
岩溶岩が分布しています。愛宕鉱泉は、硬い泥岩の割れ目
から湧き出る鉱泉で、硫黄のにおいがする珍しい水です。
水質はpH9.8のアルカリ性で、炭酸水素イオンを多く含み
ます。
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鉱泉湯豆腐
愛宕鉱泉で湯豆腐を作ると、水が白くにごり木綿豆腐が絹ごし
豆腐のような食感に変わります。このような現象は嬉野(うれし
の)温泉(佐賀県)の「温泉湯豆腐」などにも見られます。豆腐に
は、アルカリ性が強いほど溶けやすくなるという性質があり、愛
宕鉱泉がアルカリ性のため、このような変化が起きるのだと考
えられます。
愛宕鉱泉
湯豆腐の実験
たい
代表的な湧水 (3)しず岱の清水
水道水
しず岱の清水は、湯沢市民の森の池の脇にある杉の根
元から湧き出ています。
周辺の地質は、西側の山は泥岩とぎょう灰岩などで、東
側は火山岩溶岩が分布します。湧水地は火山岩溶岩の西
端にあります。
しず岱の清水の湧水量は毎分11.5ℓで、水温は9~10℃、
pH6.2でミネラルを多く含んだまろやかな水です。
美味しい水が美酒を生む
~ 地球が生み出した酒どころ湯沢 ~
湯沢の美酒
地球46億年
の歴史
麹菌
おいしい湧水
職人
地球
おいしいお米
麹菌が住む
院内石
湯沢のおいしい水が生み出した特産品のひとつに日本酒があります。
46億年前に地球が誕生してから現在までの地球活動の結果、湯沢市
には、おいしい水、おいしい米、酒作りに必要な麹菌(こうじきん)の住み
やすい環境(院内石の石蔵など)が生まれました。また、一大消費地で
ある院内銀山や松岡鉱山などの鉱山があり、日本酒の生産量が増え、
酒どころ湯沢が誕生しました。
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生産を支える巨大な
消費地≪院内銀山、
松岡鉱山 等≫
湯沢城址
湯沢城は、1277年(鎌倉時代)、小野寺道定によっ
て築城されたと伝えられています。
江戸時代初め、江戸幕府の一国一城令により、城
は廃城となりました。それまで小野寺氏、楯岡(たて
おか)氏、佐竹氏と受け継がれた山城でした。
現在、中央公園から続く散策路があり、見張台跡
地から湯沢が一望できます。
また、未発掘の史跡があると考えられています。
〈本丸跡〉 本丸は、城の中核施設
でした。1595年(安土桃山時代)、最
上軍の侵攻で落城した際、城主小
野寺孫七郎が家臣と共に討死した
ところです。
馬場跡
二の丸跡
本丸跡
佐竹南家の門
五社壇跡
大堀切
湯沢城説明板
だん
〈五社壇跡〉 五社壇は本丸の南東に位置し、湯沢
城で最も標高の高いところにありました。ここには
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)などの五社
がまつられ、小野寺氏以来、代々の城主が領地の
平和を祈願していたと伝えられています。
〈馬場跡〉 馬場は城の南に位置し、戦いに備えた
馬術の稽古(けいこ)施設でした。また、土手を利用
した弓や鉄砲の稽古場もあり、総合的な軍事訓練
の場所でした。
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〈二の丸跡〉 二の丸は城の北東に
位置し、「北の砦(とりで)」と称され
ました。三方を崖に囲まれた自然の
地形を利用し、本丸幅4m、深さ7m
の堀切で仕切られていました。
湯沢城は誰の手に?
鎌倉時代初期、小野寺経道(つぐみち)は雄勝郡に入り、稲庭城を築き本拠としました。そ
の後、1277年に雄勝郡支配の南の拠点として、三男道定に湯沢城を築かせたと伝えられて
います。
小野寺義道の時代になると、山形の最上義光(よしあき)との間で争いが起こりました。
1586年(安土桃山時代)の有屋峠の戦いでは、両軍痛み分けに終わりました。しかし、1587
年に秋田実季(さねすえ)を攻めようと、刈和野に出陣しているところを最上軍に背後を突
かれ、兵力が二分した小野寺軍は敗退してしまいます。これを機に、雄勝の諸将の中にも
小野寺氏劣勢と見て最上に投降する者が出てきました。
最上氏は1595年、楯岡城主、楯岡満茂を大将として再び雄勝郡への侵攻を開始します。
この侵攻では、最上に投降した雄勝諸将も最上軍につき、湯沢城は三方から包囲されまし
た。多勢に無勢ながらも必死に抵抗した小野寺軍でしたが、湯沢城は落城し、当時の城主・
孫七郎は討死しました。
その後、湯沢城へは楯岡満茂が城主として入城し、最上氏の城として雄勝郡の重要拠点
となりました。
関ヶ原合戦後の1602年に佐竹氏が秋田に領地を移され、湯沢城へは佐竹義種(佐竹南
家)が入城しましたが、後に一国一城令により廃城となりました。
街道のにぎわい
一里塚位置図
一里塚・・江戸時代初め、江戸幕府は全国の主要街道
に一里塚の設置を命じました。一里塚は、起点から1里
(4km)ごとに街道の西側に土を盛り、木を植えて標識
にしたもので、旅人の休憩の場としてにぎわいをみせて
いました。
愛宕町の一里塚
愛宕町の旧羽州街道の西側
にある一里塚です。
この一里塚は、木の高さ20m、
幹の周り8m、樹齢400年のケ
ヤキの巨木です。昭和38年に
秋田県文化財に指定されました。
湯の原の一里塚
●
国
道
13
号
旧
羽
州
街
道
小安街道
●愛宕町の一里塚
湯の原の一里塚
国道398号と旧小安街道の交差点にある一里塚です。
樹齢400年のケヤキの大木で、昭和38年に湯沢市文化財に
指定されました。
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み た け さ ん
信仰の山 御嶽山
御嶽山(標高317.8m)は、湯沢市役所の北東にそび
え、古くから地域の信仰を集めている山です。頂上には
御嶽山神社があり、9月上旬の例大祭の日には、頂上
の社務所が開放されます。湯の原から続くつづら折り
の古い参道があり、その道中には関口石で作られた多
くの石像がまつられています。
御嶽山はかつて活動した火山で、その火山活動によ
って溶岩がドーム状に盛り上がりました。参道を上って
いくと、所々に火山岩溶岩が見られます。
この火山活動は、約1500万年前の関口石を作る砂岩
などをマグマがつらぬいていることから、それらのたい
積より後に起こったことがわかります。この時代は、日
本海が深くなっていく過程の中にあり、御嶽山も激しい
海底火山活動により形成されました。
頂上の御嶽山神社
御嶽山の構造図 (溶岩ドーム)
A - B
西
御嶽山
東
御嶽山
B
A
火山岩の露頭と参道の石像
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市内の歴史的建築物
武家屋敷
武家屋敷は、湯沢城址のふもと、清凉寺門前にあります。
羽州街道より高い位置にあり、昔は武士の屋敷が立ち並んでいま
した。石垣や黒い板のへい、門が残され、江戸の風情を残しています。
雄勝郡会議事堂記念館
雄勝郡会議事堂記念館は、市役所のすぐ近くにあります。
1891年(明治24年)に完成した2階建て洋風庁舎建築で、昭和50
年、秋田県文化財に指定されました。
両関酒造の木造建築
両関酒造の木造建築は、国道398号と旧羽州街
道の交差点沿いにあります。1890~1915年頃(明
治中期~大正初期)に建てられた事務所兼用住宅
です。老舗の風格を表す堂々とした作りで、酒どこ
ろ湯沢のシンボル的木造建築です。
第一工場は、国の
両関酒造第二工場
有形文化財に指定さ
れています。
●
両関酒造第二工場 ●
両関酒造本館、
第一工場
雄勝郡会議事堂記念館
●
●
武家屋敷
せいいち
建築家白井晟一氏の建築物
白井晟一氏は、戦後の日本を代表する建築界の巨匠の一人です。
1905年(明治38年)、京都生まれ。「孤高(ここう)の建築家」と呼ばれ、独特のデザインや工夫を凝
らした建築作品を残しています。
第二次世界大戦中に湯沢の知人宅に家財道具を預けたことが縁となり、湯沢市には白井氏が手
掛けた昭和25年~38年の建築作品7点が残されています。
こくうあん
-顧空庵-
顧空庵は、国道398号
のゆざわ温 泉の向かい
にあります。昭和28年、
東京上野毛に建てられた
15坪の平屋建て住居で
す。平成18年、建物を現
在の場所に移築しました。
-湯沢酒造会館-
湯沢酒造会館は、旧
羽州街道の両関酒造第
二工場の向かいの小路
にあります。昭和36年
の作品で、当時の状態
で残っている建物です。
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