留学中の第二言語学習経験:写真資料を活用 したライフストーリー研究の

『コーパスに基づく言語学教育研究報告』 No.9 (2012)
留学中の第二言語学習経験:写真資料を活用
したライフストーリー研究の試み
海野
多枝
(東京外国語大学大学院総合国際学研究院)
要
旨
本稿では,写真資料を活用したライフストーリー・インタビュー調査に基づき,日本に
留学中の日本語学習者の日本語学習経験の記述を試みる。21 世紀も 10 年を経て,パーソナ
ルコンピューター等の目覚しい高速化,大容量化が進展し,記憶媒体,ビューアー等の周
辺機器の高機能化及び価格下落もあいまって,費用を気にせずに大量の写真を撮影・保管
することが可能となった。フィルム写真時代と比べて,日常生活における写真撮影の頻度
や写真の活用法にも変化が見られる。本調査の協力者である日本語学習者は,留学期間の 3
年間に 7640 枚の写真を撮影・保管していた。このように,従来のダイアリーなどに加えて,
写真が「ライフ」の新たな記録方法となりうることを踏まえると,写真資料はライフスト
ーリー研究の新たな方法を開拓する上で大きな可能性を秘めている。本稿では,これらの
写真データに分析を加えて,インタビューデータの分析とあわせることにより,日本語を
介した社会文化的実践への参加の機会とネットワーク形成の過程に光を当てる。その上で,
参加の機会,ネットワーク形成,第二言語としての日本語の習得過程の相互の関連につい
て状況論的観点から考察するとともに,ライフストーリー研究における写真資料の活用に
ついて方法論的観点から考察する。
1. はじめに
本稿では,日本に留学中の日本語学習者の日本語学習経験1に焦点を当て,学習者の語り
と写真資料の分析を通じて,日本語を介した社会文化的実践への参加の機会とネットワー
ク形成過程の記述を試み,第二言語としての日本語の習得過程との関連について考察する。
多くの第二言語学習者は目標言語の母語話者との「生きた」会話の機会を求めて留学に
臨み(Freed, 1998),自然習得による第二言語習得(Spolsky 1989)が起こることを期待する。
しかし,こうした期待に反して,留学先での母語話者との接触や社会文化的実践への参加
の機会は必ずしも容易に得られるわけではない。筆者は留学中の第二言語習得の調査 (海
1
本稿では,尾崎(2001)に従い,教室内の計画的・意図的な「狭義の」日本語学習経験だけでなく,教室外で起こ
る非計画的・非意図的な「広義の」日本語学習経験をも対象とする。
-215-
野 2009, 海野(編) 2010, Umino 2011)の一環として,日本の大学に在籍する外国人の来日から
大学入学後までの日本語学習経験の記述を試みた(Umino 2011)
。その結果,調査に協力し
た学習者の大半が予備教育段階では教室外で日本語母語話者と接触する機会や日本語を介
した社会文化的実践への参加の機会に容易にアクセスできないと感じているが,中には
様々な方略を用いてアクセスに成功する学習者がいることが明らかになった。
本稿では,ある学習者を対象としたライフストーリー調査を通じて,留学中の日本語学
習経験の記述を試みる。その際,ライフストーリー・インタビューと合わせて,学習者が
撮影した大量の写真資料をデータとして用いる。この学習者は留学 3 年間の記録として
7640 枚の写真を撮影しており,これをデータとして提供してくれた。写真データの分析を
インタビューの分析と合わせ,来日してから日本語を介した参加の機会へアクセスし,ネ
ットワークを形成,発展させていく過程の記述を試みる。当初受身であった当該学生は,
徐々に日本語を介した実践に主体的に参加するようになり,最終的に互恵的ネットワーク
形成に成功する。当該学生に見られた変容を促した要因を,第二言語習得との関連も含め,
状況論的観点から考察する。
また,本調査は,ライフストーリー研究における写真資料の新しい活用の試みでもある。
パーソナルコンピューター等の機能の目覚しい進展,記憶媒体,ビューアー等の周辺機器
の高機能化,低価格化に伴い,費用を気にせずに大量の写真を撮影・保管することが可能
となり,フィルム写真時代と比べて日常生活の記録としての写真撮影の頻度や写真の活用
法にも大きな質的変容が見られる。従来のダイアリーなどに加えて,写真が「ライフ」の
新たな記録方法となりうることを踏まえると,写真資料はライフストーリー研究の新たな
方法を開拓する上で大きな可能性を秘めている。以上の視点から,本研究の方法がライフ
ストーリー研究に呈する方法論的示唆にも触れたい。
2. 第二言語習得における参加の機会とネットワーク
2.1. 参加による第二言語習得
近年,第二言語習得研究において,第二言語習得を社会的状況への「参加」の観点から
捉える学習観が支持されている。西口(2002)は,学習を知識の習得として捉える「習得メタ
ファー」から,様々な活動への参加による変容過程と捉える「参加メタファー」への流れ
(Sfard 1998)が第二言語習得研究においても見られるとし,後者に状況的学習理論の観点か
らの研究の流れが含まれると指摘する。特にレイブとウェンガー(Lave & Wenger 1991;
Wenger, 1998)) の唱える正統的周辺参加論は,文化人類学における徒弟制の研究から得られ
た知見を通じて,ある領域の知識や技能の獲得はそれが要求される状況(物理的な場のみ
ならず,そこに存在する実践者の共同体及びその社会文化的実践の営み全体)への「参加」
を通して起こるとする。また,こうした共同体を「実践コミュニティ」(Wenger 1998:6-7)
と呼び,人が実践コミュニティに当初は新参者として参加し,実践への継続的参加を通し
て,次第に十全的な参加者(full participant)として機能するようになる過程である「正統
的周辺参加」(legitimate peripheral participation, LPP)を学習の中心に据える。ここで言う「参
-216-
加」とは,単に特定の人々と特定の活動に関わるだけでなく,社会的共同体における実践
で能動的な参加者となり,その実践における責任感を身につけ,共同体の一員としてのア
イデンティティを構築する過程全体を意味する(p.4)。言い換えれば,学習は単に知識や技
能を獲得する認知的過程ではなく,学習者が実践コミュニティの中に入り,その構成員と
の関わりの中で,その実践のしかた(つまりは参加形態)を身につけていく社会的過程で
ある。その過程で学習者は実践への「意味」を見出し,共同体の一員としての「アイデン
ティティ」を形成する。
近年,「参加としての学習」の捉え方は,第二言語習得の分野でも広がりを見せている
(Belcher 1994; Casanave 1998, Toohey 1998,2000; Willet, 1995, Norton Peirce 1995, Norton 2000,
2001, Miller, 2003,海野, 2008 など)。この観点で捉えれば,第二言語習得は学習者が第二
言語を媒介とする実践コミュニティの社会文化的実践に参加し,十全的な実践者として機
能するようになる過程として捉えられる。習得は,単なる言語構造の習得ではなく,学習
者自身と他者との関係を媒介する新たな方法を身につけることであり(Lantolf & Pavlenko,
2001),多様な共同体における社会文化的実践への異なる参加形態を学ぶことを意味する(p.
145)。
しかし,第二言語学習者にとって,第二言語を介した社会文化的実践への参加の機会は
必ずしも容易に得られるものではない(Norton 2000, 2001; Sharkey & Layzer 2000; 海野 2009;
Umino 2011)。第二言語学習者は,目標言語による実践への参加のアクセスの手段となる「言
語」の能力を十分に持たず,このことにより,第二言語学習者が新参者となる場合,種々
の学習資源へのアクセスが通常の場合と比べてさらに困難になること(Baldauf & Luke (eds)
1990:30)や,第二言語学習者と目標言語話者との相互作用には,しばしば不平等な社会的力
関係が働き,目標言語における社会文化的実践のアクセスへの妨げとなること(Norton
Peirce 1995)が一因となっている。目標言語による社会文化的実践への参加のしかたを習得
することは,
「生活者」である学習者にとって,目標言語社会で必要となる物的資源や象徴
的資源(Norton Peirce 1995)へのアクセスにつながる重要課題でもある。
2.2. 日本語学習者を取り巻く社会的ネットワーク
第二言語学習者が社会文化的実践への参加の機会にアクセスする上で鍵となるのが,そ
の学習者を取り巻く社会的ネットワークである。参加によりネットワークへのアクセスが
可能となり,ネットワークを介して新たな参加の機会へのアクセスが可能となるからであ
る。日本語教育学の分野でも,
「生活者」としての日本語学習者への認識の高まりにともな
い(尾崎 2002)
,日本語教育の専門家が集中的に日本語を教えるという従来の「狭義の日本
語教育」
(尾崎 2001)だけでは現実に対応できず,教室外での多様なインタラクションを介
した「広義の日本語教育」
(尾崎 2001)が必要との認識に立ち,日本語学習者を取り巻くネ
ットワークに関心が集まった(例えば,日本語教育学会 1996,1997)
。このような流れは,
上述の「参加としての学習」メタファーに沿うものである。ネットワークとは,あるプロ
セスの参加者同士がどのように配置され,どのように関わりあっているかを捉える概念装
置であり,個別的な場面における行動(行動のネットワーク)の繰り返しによって集団と
-217-
してのネットワークが形成される(ネウストプニー1997)
。一方,特定の個人を取り巻く種々
の複合的なネットワークを「個人ネットワーク」と呼ぶことがある(内海・吉野 1999)
。本
稿では中山(2001)に従い,参加者同士の行動の繰り返しによって形成される個と個の関係性
を指すものとしてネットワークを捉え,特定の学習者の周りに形成された個人ネットワー
クに焦点を当てる。非母語話者にとってのネットワークには,情緒的機能,日本語機能,
情報提供機能,媒介機能,仲介機能などの様々な機能があるが(中山 2001),日本語教育の
文脈では「学習環境」の特性としてのネットワークに注目が集まる。浜田他(2002)は,学
習者の個人差は学習者の特性のみならず,学習者を取り巻く学習環境の多様性に帰するこ
とを指摘し,その多様性の中心的要素として学習者の形成する個人ネットワークを位置づ
ける。
特に「受け入れ機関を持たない非日本語母語話者」
(梅田 1997)の場合,学習者の周囲に
どの程度の日本語母語話者が存在しどの程度の日本語使用の機会があるか等の要因が日本
語習得に影響することが報告されている(富谷 2000;ナカミズ 1996; 内海・吉野 1999;加藤・
谷部 1997)。しかし,2.1 で触れたように,参加の機会へのアクセスの手段となる目標言語
能力が低い段階の学習者にとっては,ネットワークを築くことは容易ではない。Umino
(2011)の留学生を対象とした調査では,特に予備教育段階にある大半の学生が日本語教育機
関以外での母語話者との個人的な関わりがほとんどないと感じていること,接触のある母
語話者は教師や日本人ボランティアといった「支援者」(以下 4.2 を参照)であり,対等な
立場にある「非支援者」は少ないこと,このため日本語の使用機会やネットワークを求め
てアルバイトをする者も多いこと等が報告されている。
Umino (2011)はさらに,参加の機会へのアクセスに成功した学習者の事例を検討したとこ
ろ,様々な参加の機会やネットワークに仲介してくれる「媒介者」2の介助があるとの特徴
があること,学習者自身も様々な独自の方略を用いていることを指摘している。中山(2007)
も同様に,有効なネットワーク形成には,キーパーソンとの出会いや,互恵的なネットワ
ークが必要であることや,学習者がこれらを通して日本語を話す自己に対する「自分らし
さ」の認識を築いていくことを指摘している。様々な生活場面でのネットワークを生産的
に持続し,創造的に展開していくには,そのための方策としてネットワーキングストラテ
ジー(宮副ウォン 1998)の習得が要されるだろう。また,春原(1992)はネットワークが日本
語習得につながるには,単なる交流・学習の場を創出する「場のネットワーク」に留まら
ず,参加者個人の中での知識の組み替えに関わる「知のネットワーク」に発展していく必
要があると指摘している。生産的な知のネットワークの持続と展開が可能となるには,学
習者を取り巻くネットワークを含む環境要因とともに,学習者自身の学習行動や学習認知
(浜田他 2002)をも考慮する必要があるであろう。
以上見てきたように,これまでの調査では,個別の学習者を取り巻く個人ネットワーク
の主な分布やその時間的変化の記述が行われているものの,ネットワークの形成過程,及
2
媒介者とは,
「助けを求めることができる人」のことであり,①気の許せる親しい人,②支援役割を持つ人,と
に分けられる。媒介者が行う即興的かつ散発的な手助けがネットワーク形成において重要であることが指摘され
ている(日本語教育学会 2008)。
-218-
びそれに伴い参加の機会が創出される過程の詳細まで記述しきれているとは言いがたい。
従来の研究が学習者自身の語りを主たるデータとするものが多いこともその一因であろう。
また,従来の研究対象はいわゆる「受入れ機関を持たない非日本語母語話者」
(梅田前掲)
が中心であり,留学生の教室外におけるネットワークや参加の機会を扱った研究は相対的
に少ない(中山 2007)。
本稿では,学習者が日本留学中にネットワークを形成し発展させ,日本語を介した実践
への参加の機会を獲得していく過程をより詳細に見るために,ライフストーリーと合わせ
て,学習者が提供してくれた写真資料の分析を行い,1 つの事例として考察する。
3. 調査の概要
以上をふまえ,本稿では以下の研究設問について考察する。
(1) 日本留学中の日本語学習者が日本語を媒介とする実践に参加する機会としてどのよ
うなものがあるか。
(2) 日本語学習者は,日本留学中にどのようなネットワークを形成するか。
(3) 留学中の参加の機会とネットワークは時間の経過とともにどのように変化するか。
調査協力者の S は,東南アジア地域(非漢字圏)出身の 29 歳の男性である。母国の高校
で 3 年間,
大学で 4 年間日本語を学習し,
卒業 2 年後に来日,2 年間の予備教育を受けた後,
大学院に進学した。来日前に日本語能力試験 2 級に合格,来日 1 年後に 1 級に合格した。
来日して 3 年が経過した時点で調査を実施した。
調査方法として,留学中の学習者を取り巻く参加の機会の流動性(海野 2009)を捉える
ためにライフストーリー・インタビューを用いた。ここでは語り手自身が口述した自分の
人生あるいは体験についての生の説明をライフストーリーと捉える(桜井 1992)。
まず S の言語的背景,経歴,来日後の留学先機関及び住居の状況,自身が考える第二言
語習得過程についての質問紙への回答に基づき,日本語学習経験を語ってもらった。また,
S が留学中に多くの写真を撮ってコンピューター上に保存しており,これをデータとして
提供することを承諾してくれたため,あわせて分析した。留学期間の 3 年間の写真を撮影
の年月ごとに分類し3,さらに活動場面ごとに分類した4。また,母語話者とのネットワーク
形成の過程を見るために被写体も分類した。S は,写真を筆者に受け渡すのでなく,S と筆
者が一緒に写真を見ることを希望した。このため,事前に S が整理した写真を,筆者と S
が時系列的に見ながら確認するという形をとった。この作業のために約 3 時間のインタビ
ューを合計 8 回行った。さらに,フォローアップインタビューで,写真資料の分類・集計
結果を基に疑問点に答えてもらった。
3
写真は主にA自身が撮影したものだが,中には他者から譲ってもらったものも少数ではあるが含まれている。
Aの活動の流れは日本の学年暦である 4 月から翌年の 3 月の 1 年間を基に展開しているため,「年」ではなく「年
度」ごとに分けた。
4
-219-
4. 留学中の日本語学習経験
S の留学 3 年間の写真数は合計 7640 枚(1 年度目 2992 枚,2 年度目 1960 枚,3 年度度目
2688 枚)であった。本稿では,写真の活動場面と被写体の種類の分析を中心に見ていくこ
ととする。質問紙の回答によれば,S は自身の 3 年間の留学期間中の日本語習得の軌跡を 4
つの時期に分けて認識している。そこで,以下では S 自身の区分に従って留学中のライフ
ストーリーを再構築し,写真とインタビューの分析とを合わせて,参加の機会とネットワ
ークを中心に考察する。
第 1 期:1 年度目の 4 月~6 月「国で勉強した日本語と実際に使われている日本語の違いに
気付き,自分の日本語の体系を調整している段階5」
ある奨学金団体の奨学生として来日し,
最初の 1 年間は日本語学校で予備教育を受けた。
主にアジア系の留学生が住む寮に住んだ。毎日が日本語学校と寮の往復だった。最初はほ
とんど誰とも話す機会がなかった。接する機会のある日本人は,奨学金団体の職員,日本
語学校の先生とチューターぐらいであった。他に,同じ団体の奨学生や寮の留学生と時々
話したが,英語を使うことも多かった。母国で学んだ日本語と日本で使われている日本語
は全く違うと感じた。例えば,「ぜんぜん」は「~ない」とともに使うと習ったが,「ぜん
ぜん大丈夫」のように肯定形とともに使われていて,最初は混乱した。また,日本のこと
をよく知らず,TV 番組やお店の話題についていくことができなかった。寮の各フロアにチ
ューター室があり,そこで日本人チューターと話せることになっていた。その部屋に行っ
て日本語を使おうと思ったが,古くからいるグループの仲間に入ることができなかった。
最初はさびしいけれどそういうものだろうなあと思ってあきらめていた。
この時期 S は日本語をほとんど話すことができなかったと認識している。その原因は,1)
母国で学習した「教室の中の日本語」と日本で使われている日本語の違いに戸惑い混乱し
たこと,2)日本のテレビや店などの知識がないため話題についていけないこと,3)新し
い環境に入り,知人がおらず,仲間に入れないこと,4)日本語母語話者と接する機会がほ
とんどないこと,などが挙げられる。このうち 3)と 4)はネットワークの欠如に関連する
問題であり,日本語習得におけるネットワークの重要性が伺える。留学当初の数ヶ月間,
目標言語を話すことができないという,いわゆる「沈黙期」(Granger 2004)の認識は,海外
に留学する日本人大学生の報告にも見られる(海野 2009)。
次に,この時期の写真の活動場面(表 1)と被写体の種類(表 2)に目を向ける。表 1 か
ら分るように,この時期の活動場面はほとんどが奨学金団体(
「団体」
),日本語学校,寮な
どの機関や組織が主体となって設定したものであり,S による自発的なものは少ない。ま
5
各時期の区分の際に,質問紙調査に記されたA自身の言葉を引用して用いる。
-220-
た,被写体となる母語話者も機関に属する人,いわゆる「支援者6」であり,対等な関係に
ある「非支援者」はほとんど見られない。以上から,機関が提供する活動に受動的に参加
し,主なネットワークは支援者―被支援者の関係であることがうかがえる。
表 1:1 年度目 4 月から 6 月の写真の活動場面7
年月
1-04
機関が設定した活動場面
自発的活動場面
1. 団体のオリエンテーション 2. 団体の
なし
歓迎会 3. 日本語学校入学式 4. 寮のオ
リエンテーション 5. 団体の飲み会 6.
団体の花見
1-05
1-06
1. 団体の研修会 2. 茶道教室
1. 寮
1. 団体の集い 2. 団体の理事会 3. 茶道
1. 食事会 2. おしゃべり
教室
表 2:1 年度目 4 月から 6 月の写真の被写体
非母語話者
自分,留学生
母語話者(支援者)
団体職員,省庁職員,日本語学校教職員,寮職員,チューター,
茶道教室講師
母語話者(非支援者) 先輩の知人
第 2 期:1 年度目 7 月~2 年度目 8 月「日本人の友人ができ,日本語の上達を感じているも
のの,日本人の会話への参加に難しさを感じている段階」
3 ヶ月経ったあるとき,チューター室で数人のが話していた。その中にいた日本人チュー
ター(N)が話しかけてくれた。自分も「くだらないこと」を言い,話の輪に入ることがで
き,朝の 3 時まで話し込むことになった。そのことをきっかけに,そのグループの人と仲
良くなることができた。日本語を話す機会ができたので,日本語の上達を感じたが,それ
でも日本人の会話に参加するのは容易ではなかった。最初は日本のアニメに出てくる登場
人物のまねをして話したりしていたが,次第に日本人にどう思われるかを気にするように
なり,くだらないことを言い難くなった。2 年目の 4 月から大学の研究生になったが,飲み
会の時に話題を作ろうと思い,
「私は音楽が好きだ」と言ってみたが,その後会話が続かず,
気まずい思いをした。国では,初対面でも冗談を言い合ったりくだらない話をするが,日
本人とはどのように会話を始めればよいのかよく分らなかった。
6
ここでは,機関においてを本来的に学習者を支援する役割を与えられている者を「支援者」
(教師,チューター,
奨学金団体職員など)
,それ以外を「非支援者」とする。実際には後者に属する同級生,友人,趣味のサークル仲
間などが支援することもありうるが,機関がお膳立てしたネットワークとそれ以外のものがどのように発展して
いくかを見るためにあえてこのような区別を用いることとする。
7
表中の場面は,写真が撮影された場面ごとにまとめ,タイトルをつけ,時系列的に並べてナンバリングしたもの
である。
-221-
この時期 S はチューターN の仲介により,留学生と他の日本人チューターとのネットワ
ークを築くことに成功している。日本語を話す機会や日本語母語話者と接する機会ができ
たことにより,日本語の上達を感じている。1 年度目の後半に受験した日本語能力試験第 1
級に合格したことも,S の日本語力の上達を示すものである。それでもなお,S は日本人と
の会話に困難を感じていた。また,母語では冗談を言い「くだらない話をする」自分を日
本語で表現できず,
「自分自身をうまく出せない」と感じていた。これは,S が日本語によ
るアイデンティティの表出に葛藤を抱えていたことを示している。
この時期の写真の活動場面を見ると(表 3),依然として機関の設定した活動場面も多い
ものの,特に後半にかけて,機関を離れた自発的活動場面が増加し,活動の種類も多様化
しており,S の交流範囲の広がりが伺われる。但し,被写体の種類については(表 4)
,母
語話者の大半は依然として「支援者」であり,非支援者は数・種類ともに限られている。
接触のあった非支援者は,S がボランティアをしている施設の関係者と,その仲介によっ
て参加した草野球の仲間などである。機関が設定した場面で接する支援者以外の人物との
交流の機会が限られていることも特徴といえよう。
表 3:1 年度目 7 月から 2 年度目 8 月の写真の活動場面
年月
機関の設定した活動場面
自発的活動場面
1. 学校のクラス 2. 学校の飲み会
1-07
3. 寮のすいかパーティ 4. 日本語
1. 友人の誕生会 2. 散策
学校の風景
1. 団体のボランティア活動 2. 団
1-08
1. 散策 2. 買い物 3. 食事会
体の文化祭打ち合わせ 3. 団体の文
化祭 4. ホームステイ 5. 団体のプ
ログラム
1-09
1. 団体の郊外研修
1. 寮
1. 友人の誕生会 2. おしゃべり 3. 食事会
1-10
4. 食事会 5. 野球観戦 6. おしゃべり 7.
1. 日本語学校新入生歓迎会
射撃場 8. 買い物 9. 食事会 10. 宗教的行
事 11. おしゃべり
1. 団体プログラム都内観光 2. 団
1-11
体プログラム送別会 3. 団体オリエ
ンテーション
1-12
1. 遊園地 2. 同級生の誕生会 3. おしゃべ
り 4. サイクリング 5. 買い物 6. 大学訪
問 7. ファーストフード店 8. 食事会 9.
電車 10. 散策
1. 団体の研修旅行の事前学習会 2.
1. 寮の風景 2. 散策 3. 散策 4. 寮 5. 食
団体の研修旅行 3. 団体の報告会
事会
4. 国際理解教育プログラム
-222-
1-01
1-02
1-03
1. 同国人訪問 2. 団体職員の誕生会 3. 食
なし
事会 4. 寮 5. 日本語学校 6. 飲食店
1. 団体の合宿 2. 日本語学校教師
1. 寮 2. 雪景色 3. 寮
送別会 3. 寮のボーリング大会
1. 団体の理事会 2. 日本語学校卒
1. 寮の鍋パーティ 2. 寮 3. 野球観戦 4.
業式 3. 国際理解教育プログラム
食事会 5. 食事会
4. 日本語学校
2-04
2-05
2-06
1. 団体のオリエンテーション 2.
1. 寮 2. 草野球 3. 野球観戦 4. 大学通学
団体の花見
5. 散策 6. 散策 7. 寮 8. 電車 9. 食事会
なし
1. 散策 2. 寮
1. 団体のお茶会 2. 寮のボーリン
1. 友人の誕生会 2. 後輩の東京案内 3. 散
グ大会
策 4. 勉強会 5. 寮 6. 室内の物
1. チューターの送別会 2. アパート探し
3. 民族フェア 4. 野球観戦 5. 団体職員の
2-07
1. 大学のゼミの飲み会
友人の誕生会 6. 友人の引越 7. 大学 8.
散策 9. 大学説明会 10. カラオケ 11. 散
策 12. 寮
1. チューターの誕生会 2. 友人の誕生会
2-08
1. 団体の日本文化体験 2. 団体の
3. 引越 4. 花火大会 5. 食事会 6. 食事会
ボランティア活動
7. 買い物 8. 散策 9. フリーマーケット
10. 食事会 11. 寮 12. コンビニ
表 4:1 年度目 7 月から 2 年度目 8 月の写真の被写体
非母語話者
自分,留学生
母語話者(支援者)
団体職員,日本語学校教職員,チューター,省庁職員,日本語学
校教職員,研修の講師,寮職員
母語話者(非支援者) 知人の教師,草野球仲間,ボランティア施設関係者
第 3 期:2 年度目 9 月~3 年度目 9 月「1 人暮らしを始め,日本語母語話者との交流の機会
が少なくなり,どのように新しい関係を築けばよいか分らず,悩んでいる段階」
2 年目の 4 月から大学の研究生になり,新しい環境に入った。また,留学生の寮を出なけ
ればならず,8 月に引越をして 1 人暮らしを始めた。それまでは寮の友人と一緒に食事をし
たり,誕生日を祝ったりしていたが,急に 1 人になり,交流の機会がなくなった。新しい
環境(大学)ではなかなか友人ができなかった。チューターはいたが,深く話すことはな
い。新しい環境で積極的になれない。専門分野の知識がなかったので,勉強の話題もなか
なか理解できない。日本人学生の話題が分らず,話してもしかたがないと思った。1 年間ず
-223-
っと「静かな S さん」という状態だった。飲み会の誘いがあればいくが,話せないで終わ
った。昔の寮の仲間とは付き合いがあったが,新しい友人はできなかった。3 年目の 4 月か
ら大学院に進学したが,同じような状況が続いた。
この時期の S は,住んでいた寮で築いたネットワークから離れることで,再びネットワ
ークや母語話者との接触の機会が得られない状況に陥ったと感じている。また,大学の研
究生として新しい環境に入ったため,第 1 期と同様,身近に友人がおらず,ネットワーク
を築けず,大学では「静かな S さん」と呼ばれるほど話せない状態に陥っている。その主
要な原因は,既存のネットワークから切り離され,新たなネットワークを築けないことと
認識される。
とはいえ,写真の活動場面(表 5)と被写体(表 6)を見ると,自発的活動場面が増えて
おり,参加の場も多様化していることが伺える。また,この時期の特徴として,被写体の
母語話者のうち,
「非支援者」の種類が増えている点も挙げられる。第 2 期に友人の紹介で
開始したボランティア活動における母語話者との接触,大学のゼミ仲間や同級生との接触,
また第 2 期からつきあいのあった元チューターや元ホストマザー等との接触も少ないが見
られる。しかし,これらの人々との関わりは必ずしも深いものとはいえず,この時期全体
の写真数が他の年に比べて少ないこともこの点を間接的に裏付けていると思われる。
表 5:2 年度目 9 月から 3 年度目 9 月の写真の活動場面
年月
機関の設定した活動場面
2-09
1. 団体の研修旅行の事前研修
2-10
2-11
1. 団体の研修旅行 2. 団体職
員送別会
1. 団体プログラム
1. 生け花教室 2. 国際理解教
2-12
育プログラム 3. 団体年末報告
会
2-01
2-02
なし
1. 団体の合宿 2. 国際理解教
育プログラム
自発的活動場面
1. 引越祝い 2. 散策 3. 草野球 4. 部屋 5. チ
ューターOB 会
なし
1. 大学の文化祭見学 2. 日本語学校訪問 3.
食事会 4. 友人の誕生会 5. 水漏れ
1. ボランティアグループの忘年会 2. 食事会
3. 初詣 4. 部屋
1. ボランティア活動 2. 友人の誕生会 3. 散
策
1. 射撃場
2-03
なし
1. 野球観戦 2. 散策 3. 部屋
3-04
なし
なし
3-05
なし
1. 元チューターの結婚式
-224-
3-06
3-07
1. 国際理解教育プログラム 2.
1. ボランティア活動 2. 散策 3. 散策 4. 元チ
大学院説明会の手伝い 3. 寮の
ューターの結婚披露宴8 5. 部屋 6. 散策 7. 散
お祭り
策 8. 散策
1. 団体文化体験(歌舞伎) 2.
大学のゼミの飲み会
1. 友人の東京案内 2. 散策 3. 花火大会 4. 花
火大会 5. 友人の誕生会 6. 部屋 7. 散策 8.
散策 9. 雑
1. 友人送別会 2. 友人の東京案内 3. 散策 4.
3-08
なし
3-09
1. 大学のゼミ合宿
阿波踊り
1. ボランティア料理パーティ 2. バスツアー
3. 野球観戦 4. 宗教的行事 5. 部屋
表 6:2 年度目 9 月から 3 年度目 9 月の写真の被写体
非母語話者
自分,留学生
母語話者(支援者)
団体職員,チューター,研修の講師,省庁職員,日本語学校教職
員,大学教員
母語話者(非支援者) ボランティア施設関係者,元チューター,元職員,チューターの
知人,小学生9,日本人ボランティア,元チューターの家族,結婚
式の招待客,中学生,大学生ボランティア,大学ゼミ仲間,大学
院生,不動産屋,店員,元ホストマザー,他大学学生,野球選手
4)3 年度目 10 月~3 年度目 3 月:
「新しい関係を少しずつ築くことができ,関係の築き方,
会話への参加のしかたなどが分るようになっている段階」。
10 月ごろ,あることがきっかけで仲間ができた。道でばったり会った日本人の Y さんか
ら家に遊びに来たいと言われ,自宅に招き入れた。その時以来仲良くなり,あだ名で呼び
合う関係になった。次の週 Y さんは留学生の友人を連れて来て,3 人で弁当を食べた。そ
の 2 人が毎週家に来るようになると他の友人もぞろぞろと集まり,家が「サロン」になっ
てしまった。この友達の輪が出来てから,日本人との会話のしかたが分るようになったと
思う。最初から大きな話題をふらずに,小さな話から初めて段階的に少しずつ進めればよ
い。国では初対面でも冗談を言うが,日本でそれをやると「引かれて」しまう。初対面で
何を話せばよいか,自分をどのように出せばよいかが少しずつ分ってきた。前は「私はこ
ういう人間」というのを表現できなかったが,今はできるようになったと思う。
この時期に,S のネットワークには,ある出来事を契機とし,質的変化が見られる。同
級生の日本人男性(Y)が自宅を訪問し,それをきっかけに,他の同級生のグループが,S
8
5 月の結婚式と 6 月の披露宴は,共に,元チューター(N)の結婚式と披露宴である。N が地元で結婚式を挙げて,
後に東京で披露宴を開いたため,別の月になっているとのことである。
9
国際理解教育授業のために小学校を訪問し,母国の文化の紹介をした際,参加していた小学生である。
-225-
の自宅に定期的に集まることになる。ここに見られる質的変化とは,範囲はある程度広い
が交流が必ずしも深くなかった第 3 期のネットワークとは異なり,少人数ではあるが濃密
で対等な関係にある非支援者とのネットワークが形成された点である。中山(2007)は,留学
生にとって有効なネットワークの特徴として「互恵性」を挙げるが,S は仲間に自宅を提
供し,勉強会を開いており,その中では互恵的な関係にあるといえる。その結果,
「日本人
との会話のしかた」が分るようになり,また,自分自身を表出することに成功したと感じ
ている。
写真の活動場面は,その友人仲間とともに行った自発的活動が多く見られ,被写体とし
ても同等の仲間(非支援者)である友人たちが毎月必ず登場する。このことからも,彼ら
の交流の深さをうかがい知ることができる。
表 7:3 年度目 10 月から 3 年度目 3 月の写真の活動場面
機関が設定した活動場面
自発的活動場面
3-10
1. 団体の研修旅行
1. 友人の集まり 2. 同国の歓迎会 3. 散策
3-11
1. 国際理解教育プログラム
1. パーティー 2. 文化祭 3. 文化祭 4. 文化
祭 5. 文化祭 6. 散策 7. 食事会 8. 友人の
誕生会 9. 鍋パーティ 10. モーターショー
3-12
1. 団体の年末報告会
3-01
1. 大学院の飲み会
3-02
3-03
1. ボランティアグループの忘年会 2. 映画
鑑賞 3. 友人の誕生会 4. 忘年会 5. 部屋
1. アイススケート 2. 大晦日・正月 3. 勉
強会 4. 故郷祭り
1. 大学院の飲み会 2. ゼミの飲
1. 友人の誕生会 2. 食事会 3. 競馬 4. 雪
み会 3. 大学院授業
景色 5. 焼肉パーティ
1. 団体の理事会/レセプション
2. 大学院海外研修 3. 謝恩会
1. 動物園 2. 部屋
表 8:3 年度目 10 月から 3 年度目 3 月の写真の被写体
非母語話者
自分,留学生,海外の大学生,海外の教員
母語話者(支援者)
研修先講師,日本語学校教職員,大学教員,団体職員,団体理事
母語話者(非支援者) 院生,他大学学生,元団体職員,小学生,学部生,コンパニオン,
ボランティア施設関係者,ボランティア
5. 結論と考察
4 で見た S の留学期間の第 1 期から第 4 期における参加の機会とネットワークに見られ
る変化をまとめると,概ね次のようになる。
-226-
①受動的参加から主体的参加へ
来日当初は奨学金団体や日本語学校が設定した活動場面への参加が多く,自発的な活動
場面はほとんどなかったが,第 2 期の後半から徐々に自発的活動場面への参加が増えはじ
め,第 4 期には多様な自発的活動場面に参加するようになる。これは,与えられた機会に
受動的に参加する状態から自ら参加の機会を創り出す自律的な状態への変化とも捉えられ,
S の自律性の向上を見て取ることができる。
②支援―被支援の関係から互恵的関係へ
来日当初の S には,奨学金団体や日本語学校に関するネットワーク以外に日本でのネッ
トワーク自体が少なく,その参加者は多くが非母語話者であった。接触のある母語話者は
奨学金団体や日本語学校に属する支援者が中心であった。しかし,その後徐々に支援者で
ない母語話者とのネットワークを拡大し,第 4 期では対等な立場にある互恵的なネットワ
ーク形成に成功している。
③日本語上達観と自分らしさの表出
来日当初,S は母国で受けた日本語教育を通じて学習した知識と日本で観察した日本語
使用の相違に戸惑い,日本語で会話することができなかったと語る。第 2 期にはチュータ
ーの仲介により母語話者とのネットワーク形成に成功したものの,「会話への参加のしか
た」及び「関係の築き方」に困難を感じ,また,本来の自分を表出できないと感じている。
しかし,第 4 期には,
「日本人との会話への参加のしかた」や「関係の築き方」が分かるよ
うになり,
「くだらないことを言う本来の自分を表せるようになった」とも述べている。互
恵的なネットワークによる活動場面への参加の機会が,中山(2007)の論じる「日本語の上達
観」や「自分らしさ」の表出の問題とも密接に関係していることがうかがえる。
以上のように,S の 3 年間の変化を見ると,日本語を介した社会文化的実践により主体
的に参加し,互恵的なネットワークを形成し,日本語を介して自身を表出し他者との関係
を築く力を向上させていることがうかがえる。言いかえれば,参加の機会,ネットワーク,
日本語の上達観は相互に関連しあっているといえる。
では,S はどのようにしてこのような変化を遂げることができたのだろうか。第 1 期か
ら第 4 期への変化を振り返ると,第 1 期から第 2 期,第 3 期から第 4 期,という 2 つの段
階を経て変化を遂げていることが分かる。第 1 のステップは,ネットワークが少なく,機
関が提供する活動に受動的に参加していた来日当初の状態から,チューターN の仲介によ
り,チューター室に集まるチューターや留学生とのネットワーク形成に成功し,自発的活
動場面への参加の機会へのアクセスに成功した段階である。これは寮における支援者であ
るチューターの仲介によるものであり,参加する母語話者も主に支援者であるチューター
であり,完全に互恵的な関係とはいえない。第 3 期に入り,教育機関と住居が変わったこ
とにより,S は再びネットワークから切り離された状態に置かれる。そこから同級生 Y の
仲介により同級生グループとのネットワーク形成に成功したのが第 2 のステップである。
-227-
ここでの参加者はチューターや教師などの支援者ではなく,対等な立場にある友人であり,
第 2 期のネットワークよりもより互恵的であるといえる。
以上の過程全体を状況論的観点から解釈すると,日本語を介した社会文化的実践の担い
手として,S が被支援者という,より周辺的な参加者から,対等な,より十全的な参加者
へと成長していく過程と理解することもできるのではないだろうか。従来,正統的周辺参
加論は 1 つの実践コミュニティの内部における周辺性から十全性への変容を論じてきた。
しかし,S のライフストーリーにおける成長の軌跡を全体として捉えると,複数の実践コ
ミュニティへの参加を通じて段階的に成長している。そして,機関や支援者による様々な
活動への「ガイドされた参加」(Rogoff, 1990)が足がかりとなり,第 4 期での自発的参加や
互恵的ネットワーク構築が可能となったのではないだろうか。本事例は,1 つの実践コミュ
ニティの内部における変容過程のみならず,複数の実践コミュニティへの参加を通じた変
容という新たな視点で参加を通じた学習過程を捉える必要性を示唆している。
また,こうした変容過程において,中山(2007)と同様に,媒介者との出会いが重要な役割
を果たしていることが分かる。中でも特に重要な媒介者として第 2 期のチューターN と,
第 4 期の同級生 Y が挙げられる。N はもともと「支援者」の立場にあり,チューター室の
ゲートキーパー(Sawyer 2004)でもあった。N がチューター室のコミュニティに S を招き
いれたことにより,S はそこに集まるチューターとのネットワークを築くことができた。
また,N はチューターでなくなった後も友人として S との関係を継続し,自身の結婚式に
招待するなど,新たな参加の場へのアクセスを継続的に仲介し続けている。第 4 期の Y の
場合は,同級生でありもともと対等な立場にあるが,他の同級生のネットワークへのゲー
トキーパーの役割を果たした。
もう一つ,ネットワーク形成の上で見逃せないのは,場所性(上野 2006)の問題だ。S
のネットワーク形成で重要な第 2 期は,チューター室という場所があり,そこへのアクセ
スが重要な鍵となっている。同様に第 4 期では,同級生が近隣に住んでおり,S の自宅を
中心とする各自の自宅が集まる場所となっている。このようにグループのメンバーが集ま
れる場所がありそこへのアクセスを可能としてくれる媒介者の存在により S のネットワー
ク形成が可能となっている点は見逃せない。
6. おわりに
最後に,研究方法論の観点から考察を加えたい。今回の調査では,ライフストーリー・
インタビュー・データに加えて写真資料の分析も合わせて試みた。ライフストーリー・イ
ンタビューにおける写真資料の活用については,これまであまり深く議論されることはな
かった。インタビューにおける写真の活用例として,日々の生活の記録(ダイアリー)の
一助として日常生活の写真を撮るよう調査協力者に指示してデータとして用いる場合
(Dabbs 1982)や,インタビューの誘出の手段として用いる場合 (Harper 2000)などが見られ
るものの,あくまでインタビューの補足的手段としての位置づけに留まっている。しかし,
本調査における写真資料は,S の活動の記録の中心的部分を成しており,写真資料に表れ
-228-
る場面と被写体の分析により,S の参加の機会やネットワークの主要な部分をうかがい知
ることができた。ここでは,写真は単なる補足的手段を超えて,S がライフストーリーを
構築する基となるより客観的データを提供すると同時に,ライフストーリーによる語りの
信憑性(credibility) (Lincoln & Guba1985)を裏付けるものともなる。
このことは,インタビュー調査において写真資料をどう捉えるかというより一般的な議
論とも関連する。特にライフストーリー研究において写真をどう捉えるかは,ライフスト
ーリーのリアリティの理解に関わる認識枠組みとの関連において論じられる。桜井(1992)
は,ライフストーリー研究における「ライフ」について,「生きられた生」
(実際に起こっ
たこと,事実),
「経験された生」
(想像,気分,感情,欲望,思想,意味などから構成され
ているもの)
,
「語られた生」
(ライフストーリー)の 3 者の区別が必要であり,ライフスト
ーリーはあくまで「語られた生」であることを考慮すべきとしている。では,写真資料に
映し出される生はどうだろうか。写真はリアリティを客観的に表すものではなく,データ
として写真を使用する場合にも,何がいつ撮影され,撮影された写真のどの部分が分析の
ために選び出されるかといったことを決定するには特定の理論的前提が必要となる
(Denzin1989)。しかし,写真が写される世界をある特殊な形式に変換するとしても,撮影者
の「生きられた生」の記録の一部分となりうる側面は否定できない。本研究で S は,ある
活動がいつ,どこで起こり,そこに誰が参加していたか,その時の天気はどうで,どのよ
うな服装をしていたか,などの情報を写真から引き出すことが可能であり,これらの情報
を基に自身のライフストーリーを構築することができた。今回のライフストーリーでの語
りと写真に見られる場面・被写体が大方一致していたのは,写真に基づく経験の組織化が
行われたことも一因であろう。
逆に,写真に現れない事実をライフストーリーが補完する場合もある。本研究の例を挙
げれば,S は 2 年目に大学院受験のための勉強を日常的にしていたとのことだが,S の写真
の中には勉強している S の姿は見られず,唯一関連するものとして,友人にもらった合格
祈願のお守りの写真があるのみであった。上述のように,写真にはダイアリーのような性
質があるとはいえ,あくまで S が記録に残したいものを取捨選択して残しているに過ぎず,
全ての生きられた生が写真に反映していると考えるのは間違いである。その意味でも,写
真もあくまで撮影者の構築物であり,写真資料とインタビュー・データは相互に補完的な
役割を果たす側面があることも留意する必要があろう。
むろん,全ての学習者が S のように大量の写真を記録に残すわけではなく,本調査の方
法は全ての学習者に適用できるものとはいえない。しかし,デジタルカメラの普及,パソ
コンの大容量化,記憶媒体の低価格化等により,日常生活の記録として大量の写真を撮る
人が増えている昨今,S のように自発的に撮影した写真資料を記録に残す学習者も少なか
らずいるのではないだろうか。桜井(2002)は,ライフストーリー研究には,インタビューで
語られた内容を「生きられた生」
(実際に起こった事実)の表象として受け取る解釈的客観
主義アプローチと,インタビューの場での語りにおいて構築される対話的構築物と捉える
対話的構築主義アプローチとの 2 つがあるとする。以上の議論をふまえれば,写真資料を
用いたライフストーリー研究はこの両者の橋渡しとして大きな可能性を秘めているのでは
-229-
ないだろうか。
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