スペインの旅から - Tosky World

第 15 回(最終回) スペインの旅から
酒井 IT ビジネス研究所 代表 酒
井 寿 紀
さか
い
とし
のり
もありません。
「これ、何語?」
これ、何語?
帰国してから調べると、この分
遊び心に溢れた天才、ガウディ
今から3年前に、
家内と二人で初
らなかった言葉は、バルセロナ周
バルセロナはガウディという有
めてスペインに行きました。今回
辺のカタルーニャ地方で使われる
名な建築家の出身地で、バルセロ
はそのときの話からいくつかご紹
カタルーニャ語だと分りました。
ナの街にはこの人が設計した建造
介しましょう。
カタルーニャ州ではこのカタルー
物がたくさんあります。それらを
まず、バルセロナに入りました。
ニャ語がスペイン語と並んで公用
見て歩きました。サグラダ・ファ
そこの空港に着くと、どの行き先
語なのだそうです。スペインでは
ミリア
(聖家族)という大きな教会
表示板も3ヶ国語で書かれていて、
どこへ行ってもスペイン語だけが
は1882年に着工したのだそうです
その真ん中が英語だったので、そ
公用語だと思っていましたが、そ
が、いまだに内部はほとんどでき
れを見て空港の中を歩きました。
うではないのです。
ていません。ガウディは 1926 年に
私はスペイン語をあまり知りませ
スペインのウェブサイトには、
亡くなりましたが、その後も延々
んが、一番下に書いてあるのはス
言語の選択の欄に、「カスティー
と建築工事が続いています。現在
ペイン語のようでした。では、一
リャ語、カタルーニャ語、英
100メートル以上の高さの塔が8本
番上は?スペイン語とも、イタリ
語、・・・」とあって、
「スペイン語」
完成していて、エレベータで昇る
ア語とも、フランス語とも似てい
がないものがあります。ここでカ
とバルセロナの街を一望の下に見
ますが、どれとも違います。
「これ、
スティーリャ語というのがスペイ
渡せます。建物の前に立つと、現
何語?」そのときは、まったく分
ン語のことで、マドリッド周辺の
在でもその威容に圧倒されますが
りませんでした。
カスティーリャ地方の言葉が現在
(図1)
、今後さらに 170 メートルの
バルセロナの街を歩くために空
のスペイン語になったのです。
高さの塔を追加するのだそうです。
港で地図を買いました。ホテルで
カスティーリャ王国とカタルー
われわれには大変威圧的に感じら
それを見ると、どうも変なのです。
ニャにあったアラゴン王国はもと
「広場」
、
「通り」
、
「公園」などの言
もと別の国でしたが、15 世紀にカ
葉がスペイン語ではないのです。
スティーリャの女王イサベルとア
次の日、ピカソ美術館に行きま
ラゴン王フェルナンドが結婚して、
した。ピカソは若い頃バルセロナ
一つの国になりました。その時代
に住んでいたことがあるので、こ
から言葉も一本化されたのだろう
こにはピカソの美術館があり、ま
と思っていましたが、実はそうで
だ本格的な画家になる前に描いた
はないのです。カタルーニャのカ
絵が多数展示されています。この
スティーリャに対する対抗意識は、
美術館には 2 ヶ国語の説明パネル
その時代から現代まで延々と続い
がありました。一方はスペイン語
ているのです。そのため、バルセ
でしたが、もう一方が何語か分り
ロナ空港の行き先表示板は、カタ
ません。これもフランス語やイタ
ルーニャ語、英語、スペイン語の
リア語と似ていますが、どちらで
順に書かれていたのです。
2
図 1 サグラダ・ファミリア
MS TODAY 2008 年 3 月号
れますが、教会建築とはそういう
新美術館の壁面も大きく波打って
ものなのかも知れません。神の力
いて、ガウディの作品を思い出さ
を誇示し、その前にひれ伏させる
せてくれました。
著 者 紹 介
ことができなければ、教会建築と
しての役目を果たせないのでしょ
ここからは「ブス」!
う。
カスティーリャ王国の首都は、
いったい、これはいつになった
16世紀にトレドからマドリッドに
ら完成するのでしょうか。しかし、
移りました。それ以来トレドはあ
驚くことはないのかも知れません。
まり発展しなかったので、トレド
パリのノートルダム寺院もミラノ
には古い街並みがよく残っていま
のドゥオーモも、完成までには何
す。
マドリッドから鉄道で1時間半
百年もかかったそうです。教会建
ぐらいなので、マドリッドから日
築とはそういうものなのでしょう。
帰りでトレドを訪れました。
最近この建物が市の建築許可を取
列車がトレドの 1 つ前の駅に着
得してないことが判明したという
くと、車内放送があり、全員列車
道を広軌から標準軌に切り換える
ことです。つまり違法建築なので
から降ろされてしまいました。マ
工事を進めているのだそうです。
す。時代と共に変わっていく建築
ドリッドで切符を買ったときも何
スペインはもともとレールの間隔
規制などを超越して、百年以上も
の説明もなく、何が起きたのか分
が広い広軌でしたが、EUの統合で
かけて新しい文化遺産を築いてゆ
りませんでした。駅員に「トレド
他の国との相互乗り入れを進める
くところに、ヨーロッパの人の発
に行きたいのだ」と言うと、「ブ
ため、広く使われている標準軌に
想のスケールの大きさを感じます。
ス!」と言います。日本の女性が
変更しつつあるのだそうです。
ガウディの作品には、このほか、
聞いたら気を悪くしたかも知れま
結果的には、ほぼ時刻表に記載
グエル公園にある、波打った背も
せんが、スペイン語でバスのこと
してある時間どおりに往復できま
たれが延々と続くベンチや
(図 2)
、
です。そこから全員バスでトレド
したが、ほとんど何も説明がない
オオトカゲの彫刻をあしらった階
まで連れていかれました。
のには驚きました。しかし、大事
段などもあります。また、カサ・ミ
トレドへ着くと、線路が工事中
なのは結果であって、説明ではあ
ラというマンションにも行きまし
で、一時的な故障などではなく、帰
りません。
「結果よければすべてよ
たが、その外壁は、大きく波打って
りの列車も出ないことが分りまし
し」です。逆に、結果が悪ければ、
いました。建築家にはこういう遊
た。帰りはどうしたらいいのか聞
いくら言い訳の説明を聞いてもし
び心が重要なのだということを強
こうにも、英語が分りそうな駅員
かたがありません。私はスペイン
く感じました。最近亡くなった黒
もいないので困りましが、何とか
人の国民性はよく知りませんが、
川 記章 氏の手による六本木の国立
なるだろうと、一日トレドの街を
こういうところはイタリア的だと
見て歩きました。途中に観光
思いました。言葉も似ているだけ
案内があったので、そこで英
に考え方も近いのかも知れません。
図 2 グエル公園のベンチ
Vol. 17 No. 3
酒 井 寿 紀
酒井ITビジネス研究所
代表
(E-mail:[email protected])
ウェブサイト「Tosky World」
http://www.toskyworld.com/
語を話せる女性に聞くと、時
* * *
刻表に載っている時間にトレ
15 回にわたり、海外に出かけた
ドの駅に行けば次の駅までバ
り、外国人と会ったりした体験の
スで運んでくれると分り、一
中から、少しは参考になるかと思
安心しました。
われる話をご紹介してきました。
日本に戻ってから調べると、
長期間お付き合いいただき、大変
スペインでは現在、鉄道の軌
ありがとうございました。 ■
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