インフォメーション(家屋解説)(一括ダウンロード)

INFORMATION
The Little World Museum of Man
やがい みんぞくはくぶつかん
ようこそ野外民族博物館リトルワールドへ
かつどうしゅし
活動趣旨
せかいじゅう
リトルワールドは、1983(昭和 58)年に開館した、 世界中の
ぶんか
く
しょうかい
さ ま ざ ま な 民 族 の 文化 や 暮 ら し ぶ り を 紹介 す る 博 物 館 で す 。
にんげん
しんか
かんきょう
人間は数百万年の 進化の後、それぞれ与えられた 環境 の中で、
せいぞん
はんえい
ぎじゅつ
いし
か
げんご
生存と繁栄のために、生きるための技術、意思を交わすための言語、
しゃかい
しぜんかん
せかいかん
ちえ
社会のしくみ、他の民族との関わり、自然観や世界観などに知恵を
はたら
つちか
働 かせてきました。文化とはどれもこうして 培 われてきた人間の
けっしょう
みぢか
たいけん
りかい
知恵の 結晶 であり、これら文化をより身近なものとして体験・理解
しゅし
しようというのが当館の趣旨です。そのためにリトルワールドでは、
がくじゅつてき
ちょうさ けんきゅう
かおく
学術的 な 調査 研究 をもとに、世界各地の 家屋、生活用具などの
しゅうしゅう
ほぞん
かいせつ
てんじ
収集 、保存、解説、展示をしています。
ちきゅう
しゅ
現在地球に暮らす私たち人間-人類、ヒト-は、ひとつの種、
ちが
同じ生き物-動物-ですが、ずいぶん違うところもあります。
きょうつうせい
人間一般がもつ 共通性と
たようせい
民族や地域ごとにある 多様性は、
とくちょう
人間の 特徴 のひとつです。
リトルワールドでは、本館展示室と
野外展示場という2つの展示を
通して、
「人間とは何か?」という
ことについて、みなさんに考えて
いただきたいと思っています。
2012.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
本館展示室
世界各地から収集した民族資料約6000 点を、テーマごとに
5つの部屋で展示しています。
こ
地 域 や 民 族 を 超 え て 、同 じ 目 的 の た め に 考 え 、作 り 、使 う
きょうつうせい
ふへんせい
道具・モノを見くらべて、人間の 共通性 ・ 普遍性、あるいは、
どくじせい
たようせい
さぐ
民族の独自性・多様性を探ってください。
本館展示場平面図
野外展示場
23 カ国 32 の家屋で、各地の特色ある文化を紹介しています。
いちく
ふくげん
家をまるごと移築、復元、展示するのは、住まいにはそれぞれの
ちしき
しゅうせき
民族の知恵や 知識や技術が 集積 しているからです。展示する家や
せいかつようぐ
そうぞう
生活用具から、そこに住む人びとの暮らしぶりを想像して下さい。
こくさいじょうせい
へんか
がくじゅつけんきゅう
はってん
いちぶ
なお、 国際情勢の変化や 学術研究 の発展にともない、展示の一部に
げんじょう
かしょ
じょうきょう
がくせつ
あんてい
現状 にそぐわない 箇所が生じておりますが、 状況 や 学説の 安定を
かいてい
よてい
りょうしょう
ねが
まって改訂する予定です。どうぞご 了承 のほど、お願いいたします。
2012.03
INFORMATION
ほんかんだい
The Little World Museum of Man
しつ
しんか
本館第1室:ヒトのはじまり――進化
げんざい
からだ
げんざい
ぶんか
はってん
ヒトが 現在のような 身体になり、現在のような 文化を 発展させる
なが
ねんげつ
までには 600 万年とも 700 万年ともいわれる 長い 年月がかかっ
じんるい
せいぶつてき
ぶんかてき
ています。この展示室では、人類のなりたちとその 生物的、文化的
とくちょう
ぜんせかい
ひろ
しょうかい
特徴 、そして 全世界への 拡がりを 紹介 します。
EVOLUTIONS
Through biological specimens and prehistoric artifacts, this hall
examines the process of human evolution and the diffusion of human
beings to all over the world.
2015.05
INFORMATION
The Little World Museum of Man
きよう
て
ヒトの 器用な 手
ちょくりつ にそく
ほこう
りょうて
じゆう
ヒトは 直立 二足歩行をすることにより、両手が 自由になりまし
て
のう
はったつ
た。それだけでなく、ヒトの 手は 脳の 発達と互いに作用しあって、
きよう
ゆび
たいへん 器用な 指さばきができるようになりました。
て
おやゆび
なが
ほか
ほん
ゆび
じゅうぶん
たいこう
ヒトの 手は、親指が 長く、他の 4本の 指と 十分 に 対向している
もの
じょうず
ので 物を 上手に「にぎる」、「つかむ」、「つまむ」ことができます。
るいじんえん
おやゆび
ゆび
なかゆび
いっぽう、類人猿は 親指がみじかいので、ひとさし 指と 中指とで、
お
ま
ゆび
おやゆび
もの
あるいは 折り 曲げたひとさし 指と 親指とで 物をつかみます。
類人猿
ほね
た
ヒト
いえ
マンモスの 骨で 建てた 家
ほね
きば
た
すうまんねんまえ
じゅうきょあと
シベリアでは、マンモスの 骨や 牙で 建てた 数万年前の 住居 跡
はっけん
ちょっけいやく
がた
ほね ぐ
まるた
が 発見されています。 直径 約5mのドーム 型で、骨組みを 丸太と
きば
うえ
かわ
じゅうきょ
けがわ
マンモスの 牙でつくり、その 上に 皮をかぶせた 住居 です。毛皮を
お
きば
ほね
りよう
せっち
ぶぶん
押さえるためにはマンモスの 牙や 骨が 利用され、ドームの 接地部分
とうぶ
ほね
のまわりには、マンモスの 頭部やアゴの 骨がならべられていました。
てんじ
ようす
さいげん
展示ジオラマでその 様子を 再現しています。
2015.05
INFORMATION
ほんかんだい
The Little World Museum of Man
しつ
い
くふう
ぎじゅつ
本館第2室:生きるための 工夫――技術
きよう
とも
はったつ
のう
たよう
器用な手と、それと 共に 発達した 脳により、ヒトは 多様な技術
あ
を 編み出し、いろいろな道具を作ってきました。およそ1万年前ま
そせん
しゅりょう
さいしゅう
ぎょろう
で、私たちの 祖先は、野、山、川、海で生きる 狩 猟 、 採 集 、漁労
のうこう
ぼくちく
なりわい
の民でした。その後 農耕や 牧畜も 生業としはじめましたが、多様
し ぜ ん かんきょう
てきおう
せいかつ
かくとく
ちょうり
な 自然 環 境 に 適応して 生活するために、食料の 獲得とその 調理、
いるい
す
ゆそう
ぎじゅつ
はってん
じんるいきょうつう
衣類、住まい、輸送などの 技術を 発展させてきたことは、人類 共 通
ぎじゅつ
に見られることです。この展示室では、人類のさまざまな 技術を
みんぞくしりょう
えいぞう
しょうかい
民族資料2000余と 映像プログラム40余にて 紹介 しています。
TECHNOLOGY
Adapting to environments, human beings have developed
various techniques: getting food, cooking, clothing, housing
and transportation. This hall exhibits human achievements
in technology.
2015.04
INFORMATION
The Little World Museum of Man
◆ 映像プログラム一覧
◆
カッコ内は撮影年です
きびしい自然の中で生きる
砂漠のサン(ブッシュマン)
:アフリカ南部、カラハリ砂漠 (1962)
極北のイヌイット(エスキモー)
(1976)
着るための工夫
1 身体の装飾と刺青
ブラジル(1975)とインドネシア(1982)
2 ミン族のペニスケース
パプアニューギニア(1968)
3 木の皮でパンツを作る
コンゴ民主共和国、ムブティ(1972)
4 ハンモック
ブラジル、カマユラ(1975)
5 羊毛を手でつむぐ
デンマーク、フェロー諸島(1979)
食べるための工夫
1 クカクカの石蒸し料理
パプアニューギニア(1968)
2 サゴ澱粉精製 インドネシア、イリアンジャヤ、アスマット(1982)
3 ユカの毒抜き
コロンビア、アマゾン河支流(1972)
4 テフの草でパンを作る
エチオピア、アムハラ(1980)
5 塩つくり
インドネシア、イリアンジャヤ、ダニ(1968)
6 ソバのごはん
中国、雲南省、アシ(1981)
すまいと道具
1 ミン族の石斧づくり
パプアニューギニア(1977)
2 かごつくり
ブラジル、ナンビクワラ(1978)
3 竹のびく作り
中国、雲南省、タイ(1981)
4 ナイル川の土器づくり
南スーダン、ヌエルとヌバ(1979)
5 樹上の家作り
フィリピン、パラワン(1974)
採集・狩猟・漁労:オセアニア
1 海と川から食料をとる
オセアニア各地(1969,77,82)
2 素もぐり・真珠母貝とり
ツァモツ諸島(1969)
3 凧あげ漁
ソロモン、マライタ島(1971)
4 ジュゴン漁と海亀漁
パプアニューギニア(1977)
5 サメの輪どり
サモア(1969)
採集・狩猟・漁労:アフリカ
1 森の中で採集する
コンゴ民主共和国、ムブティ(1972)
2 網の追込み猟
コンゴ民主共和国、ムブティ(1972)
3 ナイル川のカバ狩り
南スーダン、ヌエル(1979)
4 イツリの森で象を狩る
コンゴ民主共和国、ムブティ(1972)
農耕:イモと畑作
1 マンジョウカの収穫
ブラジル、カマユラ(1975)
2 マプリックのヤムイモまつり
パプアニューギニア(1977)
3 タロイモの料理
ソロモン、サンクリストバル島(1974)
4 ムスタンのソバづくり
ネパール、チベット(1977)
農耕:焼畑と水稲耕作
1 焼畑の陸稲栽培
タイ北部、アカ(1974)
2 ダニの焼畑
インドネシア、イリアンジャヤ(1970)
3 水田の稲作
中国、雲南省、白族(1981)
4 水稲の収穫
インドネシア、バリ島(1967)
牧畜:ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ
1 サーミ人のトナカイ放牧
ノルウェーとフィンランド(1980)
2 アルプスの冬の牛追い
スイス(1971)
3 ナイル川で牛の放牧
南スーダン、ヌエル(1979)
4 ラクダの血と乳を飲む
ケニア、トゥルカナ(1980)
5 ケチュアとコンドル
ペルー、アンデス山地(1972)
牧畜:西アジア・中央アジア・北アフリカ
1 高原の遊牧民バクティアリ
イラン(1972)
2 ヤギや羊を放牧する
エジプト、ベトウィン(1982)
3 チベットのヤク遊牧
中国、チベット自治区(1982)
4 ヤギの放牧
中国、雲南省、アシ(1981)
5 トルクメン族のケチャー作り
イラン、ゴルガン高原(1982)
※映像装置により自動再生しているものがあります。ご了承下さい。
2015.04
INFORMATION
ほんかんだい
The Little World Museum of Man
しつ
い
くふう
ぎじゅつ
本館第2室:生きるための 工夫――技術
きよう
とも
はったつ
のう
たよう
器用な手と、それと 共に 発達した 脳により、ヒトは、多様な技術を
あ
編み出し、いろいろな道具を作ってきました。およそ 1 万年前まで、
そせん
しゅりょう
さいしゅう
ぎょろう
たみ
私たちの 祖先は、野、山、川、海で生きる 狩猟 、 採集 、漁労の 民
のうこう
ぼくちく
なりわい
でした。その後 農耕 や 牧畜 も 生業としはじめましたが、多様な
しぜんかんきょう
てきおう
せいかつ
しょくりょう
かくとく
ちょうり
いるい
自然環境に 適応して 生活するために、食糧 の 獲得とその 調理、衣類
す
ゆそう
ぎじゅつ
はってん
じんるいきょうつう
、住まい、輸送などの 技術を 発展させてきたことは、人類 共通 に
みんぞく
見られることです。この展示室では、人類のさまざまな技術を 民族
しりょう
えいぞう
しょうかい
資料2000余と 映像プログラム40余にて 紹介 しています。
TECHNOLOGY
Adapting to environments, human beings have developed various
techniques: getting food, cooking, clothing, housing and
transportation. This hall exhibits human achievements in
technology.
2015.05
INFORMATION
The Little World Museum of Man
さいしゅうしゅりょうみん
採集狩猟民 ムブティ
ムブティは、中央アフリカの
ぼんち
森林地帯、コンゴ 盆地 北東部の
イトゥリの森に約4万人住んで
います。背が低く、男性は
へいきん
平均 145 ㎝前後、女性は135 ㎝
前後であるため、ピグミー(小さい
よ
人)とも 呼 ばれてきました。
家族5~20からなる、バンドと
きょじゅうしゅうだん
いう 居住集団 をつくり、森の中
い ど う せい かつ
で 移動生活を送っています。
やせい
さいしゅう
ゆみや
あみ
ムブティは、野生のイモ類、キノコ、木の実などを 採集 し、弓矢や 網
しゅりょう
を用いてダイカ、サルなどの小型動物を 狩猟 します。網を用いた狩猟を
つる
ないひ
あ
ネット・ハンティングといい、蔓の 内皮を 編んで作った高さ1~1.5m、
は
長さ40~100mのネットをつなぎ合わせて円形に 張 りめぐらし、
から
おおがたじゅう
動物を追いたててネットに 絡ませてつかまえます。ゾウなどの 大型獣 を
やり
はちみつ
しょくりょう
槍 でしとめることもあります。蜂蜜 も重要な 食糧 で、ハニー・シーズン
(蜂 蜜 の 季 節 ) と 呼 ば れ る 4 ~ 6 月 に は 、 食 物 の 7 0 % が 蜂 蜜 で
まかなわれます。
のうぎょう
いとな
イトゥリの森の近くにはムブティだけでなく、 農業 を 営 む人びとも
きょうせいてき
住んでいます。ムブティは彼らと 共生的 関係を形成し、8月から11月
の雨季の間、ムブティは森を出て農耕民の畑仕事を手伝って生計をたてて
こうかん
い ま す 。 狩 猟 で 得 た 肉 や 蜂 蜜 を 農 作 物 と 交換 し た り も し ま す 。
どくじ
ムブティは、かつては 独自の言語を持っていましたが、現在はその言語を
なく し て し まい 、 近 く 住む 農 耕 民 の言 語 を 借 用し て 使 っ てい ま す。
またムブティは、歌やダンスが上手なことでも有名です。
2015.05
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ほんかんだい
しつ
せかい
げんご
本館第3室:ことばの 世界――言語
ほか
くべつ
とくちょう
“ことば”はヒトを 他の生き物から 区別する 特徴 のひとつです。
じんるい
人類 は、数万年前から言語を使用していたと考えられています。
たが
い
し
おと
きごう
お 互 いの 意志 を伝え合うために、音 や声を発し、記号 を用い、
も
じ
はつめい
そしておよそ 5,000 年以上も前に 文字 を 発明 しました。言葉の
ちゅうしょうてき しこう
かのう
ちしき
せだい
でんたつ
使用は、 抽象的 思考を 可能にし、また 知識を次の 世代に 伝達
しゅうせき
じゅうよう
し 集積 させていくのに 重要 でした。
やくわり
たようせい
この展示室では、言語の 役割 とその 多様性 を、民族資料と
おんせい
えいぞう
しょうかい
ともに 音声や 映像で 紹介 しています。
LANGUAGE
To communicate with each other, human beings use languages
consisting of sounds, writings and symbols. This hall explains
the role and diversity of languages.
2015.04
INFORMATION
も じ いぜん
The Little World Museum of Man
ふごう
文字以前の 符号
みんしゅきょうわ こく
きゅう
コンゴ 民主共和国( 旧 ザイール)
しゅりょう さいしゅう せいかつ
の
イトゥリの森で 狩猟 採集 生活
をする民族、ムブティが、カサブル
しょくぶつ
は
という 植物 の大きな 葉 でつくるエコ
めじるし
ンビと
どうぶつ
しゅるい
呼ばれる 目印 は、動物 の 種類
じぶん
ぞく
や、自分 の
しゅうだん
属 する 集団 をあらわし
ています。
えもの
お
ねもと
しんこう ほうこう
獲物 を 追 うとき、根元 を 進行方向
む
に
お
向 けて 置 いてゆくことによって、
なかま
ゆ
さき
つた
みち
まよ
道に
迷 わず、仲間 に 行 き 先 を 伝
えることができます。
はな
がっき
たいこ
話す 楽器:太鼓ことば
ちゅうぶ
ちいき
ことば
西アフリカから 中部 アフリカにかけての 地域では、人間が話す 言葉の
こうてい
とくちょう
きょうじゃく
ちょうたん
特徴 をなぞって、太鼓の音の 高低 、 強弱 、 長短 によりメッセージを伝
しゅうかん
しゃしん
える 習慣 があります。写真 はカメルーンのファンの太鼓です。
とど
マホガニーの太鼓の音は数 km 先まで 届き、森に働きに出かけている
なかま
よ
もど
仲 間 を 呼 び 戻 し た り、
ほか
なに
他 の村へ 何 かを伝えたいとき
もち
おと
に 用います。太鼓の 音は人間
こえ
の 声 より も 遠 く ま で 届 く た
でんわ
むせん
じだい
め、電話 や 無線 のない 時 代 、
すぐ
つうしんしゅだん
と て も 優 れ た 通信手段でし
た。
2015.04
INFORMATION
ほんかんだい
The Little World Museum of Man
しつ
ひと
しゃかい
本館第4室:人のつながり――社会
かぞく
しゃかいかんけい
あみ
め
なか
い
ヒトは、家族をはじめ、いろいろな社会関係の網の目の中で生きて
いっしょう
しゃかい
います。ヒトの 一生 をたどりながら、さまざまな社会のしくみを
せつめい
しゃかい
つく
い
じんるい
そくめん
説明 し、 社会 を 作 って 生きる 人類 という 側面 を、 1000 余 の
せかいかくち
みんぞくしりょう
すう
えいぞう
しょうかい
世 界 各 地 の 民 族 資 料 と 40 数 プ ロ グ ラ ム の 映 像 から 紹介 します。
SOCIETY
From birth to death, man’s life is a serial reproduction of
human relations. This hall presents various kinds of social
systems such as family, kinship, trade and community.
2012.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
◆ 映像プログラム一覧
◆
うまれ育つ:出産から少年まで
1 クカクカの山の出産
2 頭と顔の整形
3 子供の命名式
4 森の狩人としつけ
5 チベットの出家
6 正月とこども
パプアニューギニア(1968)
ベネズエラ、ヤノマモ(1974)
インドネシア(1970)とエチオピア(1980)
コンゴ民主共和国、ムブティ(1972)
ネパール、ムスタン(1977)
中国、雲南省、タイ(1981)とアシ(1981)
うまれ育つ:成人式
1 カツオ漁成人式
2 ワニの成人式
3 ムブティの成人式
4 割礼と抜歯
5 ミツオゴの成人式
6 囲いの中で美女にする
ソロモン諸島(1975)
パプアニューギニア、セピック川流域(1975)
コンゴ民主共和国、イトゥリの森(1982)
エチオピア(1972)と南スーダン(1979)
ガボン(1973)
ブラジル、カマユラ(1981)
家庭をつくる:交際と求婚
1 メンディの男女交際
2 求愛の笛吹き
3 求愛のダンス
4 雲南の歌垣アシ跳月
5 チロルの冬追いまつり
パプアニューギニア(1981)
バングラデシュ、ムル(1973)
パプアニューギニア、トロブリアンド諸島(1976)
中国、雲南省、アシ(1981)
オーストリア(1971)
家庭をつくる:結婚式
1 貝貨で嫁もらい
2 アムハラの幼児婚
3 ムブティの結婚式
4 ロマ(ジプシー)の結婚式
5 クレタ島の結婚式
6 バラの谷の結婚式
ソロモン諸島、マライタ島(1973)
エチオピア(1980)
コンゴ民主共和国、イトゥリの森(1982)
マケドニア(旧ユーゴスラビア)(1975)
ギリシャ(1972)
ブルガリア(1976)
社会のしくみ:戦争と平和
1 ゴゴダラのカヌーレース
パプアニューギニア(1977)
2 養子縁組
インドネシア、イリアンジャヤ、アスマット(1982)
3 藩王の裁き
イエメン(1977)
4 ヨボのまつり
ベネズエラ、ヤノマモ(1975)
5 部族対抗大相撲
ブラジル、アマゾン河支流(1974)
カッコ内は撮影年です
社会のしくみ:呪術師とシャーマン
1 呪術で病気をなおす
2 魔の呪術ブードゥ
3 殺人の呪術
4 収穫感謝祭
5 災厄ばらいの家祭
6 死者がのり移る巫女
葬礼
1
2
3
4
5
クカクカのミイラ作り
ムスタンの鳥葬
鳥の羽根で死者を飾る
石積みの墓場
ラマ教の火葬
祖先とのつながり
1 祖先供養マネネ
2 二次葬クワンカイ
3 祖先の頭蓋骨と踊る
4 ドゥクドゥク
5 ビスのまつり
コロンビア、アマゾン河支流(1972)
ハイチ(1982)
パプアニューギニア、イエローリバー(1977)
インドネシア、ダヤック(1972)
韓国、京畿道(1972)
インドネシア、バリ島(1973)
パプアニューギニア(1968)
ネパール、チベット(1977)
ブラジル、チュカハマイ(1981)
マダガスカル、マハファリ(1975)
インド、ラダク地方(1982)
インドネシア、スラウェシ、トラジャ(1972)
インドネシア、ダヤック(1972)
パプアニューギニア(1977)
パプアニューギニア、トーライ(1975)
インドネシア、イリアンジャヤ、アスマット(1982)
2012.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ほんかんだい
しつ
うちゅう
か
ち
本館第5室:こころの宇宙――価値
じん
えんぜつしゃ
いす
イアトムル人の演説者の椅子
ちゅう りゅういき
す
パプアニューギニアのセピック川 中 流域 に住 むイアトムルの人々は、
はくりょく
み
しんぞう
かめん
ちゅうおう
迫力 に満ちた神像や仮面の作り手として知られています。彼らの村の 中央 に
せいれい
ごや
た
せいれい
そ れい
ちょうこく
は精霊小屋が建ち、その内部には精霊や祖霊をかたどった 彫刻 や仮面などが
しゅご
つど
置かれています。精霊小屋はイアトムルの人々を守護する精霊や祖霊が集う場
ぎれい
と
しんせい
所であるとされ、さまざまな儀礼が執り行われる神聖な場所です。
えんぜつしゃ
いす
この「演説者の椅子」(イアトムル語で“テケ”)と
呼ばれる椅子も精霊小屋の中に置かれます。椅子の
そくめん
りつぞう
側面には大きな顔をもつ立像がとりつけられていま
すが、これはイアトムルの人々が生きる大地を生み出
そうぞう しゅ
した創造主ワグンをかたどったものとされています。
べつべつ
この椅子と立像は別々に作ってつけられたものでは
なく、はじめから一本の太い丸太をくりぬいて作られ
ています。
すわ
【座ることのない椅子】
すわ
この椅子は「けっして座ることのない」椅子です。
つど
こし
ね
精霊小屋に集う男たちは、腰かけたり寝そべったり
するための台を使います。ふだん男たちは「演説者の
さわ
椅子」に腰かけることはもちろん、触ったりすること
きび
きん
せいじてき
も厳しく禁じられています。村の中での政治的な取り
かいけつ
もんだい
お
決めやもめごとの解決など、イアトムル社会にとって何か大切な問題が起きる
ぎろん
とくべつ
と、男たちは精霊小屋に集まって議論をします。演説をする男は、ある特別な
たば
葉(ユリ科植物)の束を手に持ってこれをときおり椅子にたたきつけながら、
いけん
大きな声で自分の意見をまくしたてます。男たちは椅子に葉をたたきつけるこ
いだい
みずか
とによって、偉大なる創造主の力を 自 らのうちに呼び込み、その力を言葉に
こ
はっ
込めて発しているのです。
2012.08
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ほんかんだい
しつ
うちゅう
か
ち
本館第5室:こころの宇宙――価値
じん
かめん
ドゴン人のカナガ仮面
よ
これは、ドゴン人のカナガと呼ばれる仮面
支柱
かざ
です。仮面の顔部分の上に、“ǂ”形の飾り
どくとく
が乗るという独特の形をしています。ドゴン
じん
きょうわ こく
人 は、西アフリカ、マリ共和 国 の中央部に
す
のうこう みん
しんわ
上の腕木
てんち そうぞう
住む農耕民です。ドゴン人の神話は天地創造
そうだい
うちゅう かん
の 神 話 を は じ め と し て 、 壮大 な 宇宙 観 、
せかい かん
もち
おど
世界観を持っています。仮面を用いた踊りは、
あざ
ひょうげん
彼らの神話の世界を鮮やかに 表現 します。
とくちょう
きそくてき
ドゴン人は 、 特徴 ある図形 を規則的 に
もち
下の腕木
ゆうめい
用 い た 仮 面 を 作 る 人 々 と し て 有名 で す 。
あやま
ドゴンの神話では、人間の 過 ちによって
しゅつげん
こんらん
しず
世界に死が 出現 し、その混乱を鎮めるため
に死者をかたどった仮面が作られるように
かた
かりゅうど
けもの
じゅうだい
なったと語られます。その後、狩人 が 獣 を殺すたびに、あるいは何か 重大 な
しゅるい
事件が起きるたびに仮面が作られるようになりました。その種類 はシカ、
やせい
しゅちょう
サル、ウサギといった野生動物から人間、そして 首長 の家までさまざまです。
かか
ぎれい
仮面は死と、死に関 わる儀礼 に結びついています。死者をほうむる儀礼に
とうじょう
ししゃ
せいじゃ
はな
仮面が 登場 し、仮面の力によって死者は生者の世界と切り離されます。死者
せいれい
も
あ
こし
を精霊 の世界へ送り出す喪 明 けの儀礼では、赤い腰 みのをまとい、仮面を
たいこ
ばんそう
かぶった男たちが太鼓の伴奏に合わせて踊ります。仮面をかぶっている間は、
はつげん
こうどう
精霊が男たちの体を借りて発言 し行動 しているとみなされます。仮面には
そ
えん
それぞれ決まった踊りがあり、ドゴンの神話に沿ったストーリーが演じられ
さいご
ます。カナガ仮面は喪明けの儀礼の最後に登場します。踊り手たちは仮面の
はげ
そうぞう しん
飾りの先を大地に打ち当て激しく踊ります。この動きは鳥を表すとも、創造神
しちゅう
じく
が世界を創造する様子を表すとも言われます。飾りの中央の支柱は世界の軸
うでぎ
を、上の腕木は天を、下の腕木は大地を表すとされます。
2012.08
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ほんかんだい
しつ
うちゅう
か
ち
本館第5室:こころの宇宙――価値
ヒンドゥーの神がみ:シヴァ
たさい
ヒンドゥー教には、実に多彩 な神様がいます。その中でも、現在、
しんこう
ヒンドゥー教を信仰 する人びとの間で特に人気の高い神のひとりが、
はかい
「シヴァ」です。シヴァは、宇宙の破壊 をつかさどる神で、ブラフマー
そうぞう
い
じ
(宇宙の創造 をつかさどる)、ヴィシュヌ(宇宙の維持 をつかさどる)
とともに、ヒンドゥー教の三大神と呼ばれています。シヴァは、両目の
はげ
間に第三の目を持っており、彼が怒るときには激しい炎が出て、すべてを
つ
焼き尽くすとされています。
ぶよう
シヴァはまた、108種の舞踊 を演じる「舞踊の神」ともいわれ、
宇宙にあまねく満ちている力を示すナタラージャ(舞踏の王)の姿として
ろんそう
いきょうと
とら
表現されています。神話によると、シヴァと論争した異教徒が怒って、虎、
へび
こびと
む
ち
あんこく
しょうちょう
こうげき
蛇、小人(無知、暗黒の 象 徴 。アパスマーラ)を作り、つぎつぎと攻撃
してきました。しかし、シヴァは笑いながら虎の皮をはいで身につけ、
蛇を首に巻き、小人を踏みつけて踊り続けたといいます。この神話を
もとにナタラージャの像が
作られています。
シヴァは破壊の神と
されていますが、破壊した
さいけん
世 界 を 再建 す る 創 造 力 も
持つ神です。宇宙は破壊
されることによって、創造、
維持というサイクルを繰り
返します。ナタラージャの
像は、シヴァのこうした宇
かつりょく
宙的な 活 力 を表現したも
のなのです。
2007.12
INFORMATION
ほんかんだい
The Little World Museum of Man
しつ
うちゅう
か
ち
本館第5室:こころの宇宙――価値
ヒンドゥーの神がみ:ガネーシャ
きさき
ゾウの頭を持つガネーシャは、シヴァとその 妃 であるパールヴァティの
息子です。どうしてガネーシャはゾウの頭をしているのでしょうか?
その理由は次の通りです。
あか
パールヴァティは、夫の留守中に自分の体の垢 を集めて人形を作り、
それに生命を吹き込みました。こうして生まれた息子に彼女は満足し、
用事をいいつけました。それは彼女の入浴中、家に誰も入れないように
見張りをすることでした。そこへシヴァが帰ってきましたが、ガネーシャ
は父と知らず、母の言いつけどおりにシヴァを中に入れようと
しませんでした。シヴァは怒ってガネーシャの首をはねてしまいます。
パールヴァティは息子の死を
なげ
嘆き悲しみました。シヴァは
あわ
哀 れんで、この息子を生き返ら
せることにし、部下に命じて
ガネーシャの頭を投げ捨てた
方向に探しに行かせました。
しかし見つけることができず、
最初に出会った動物、つまりゾウ
の頭を持って帰ってきたので、
それをガネーシャの頭として
取り付け、復活させたのです。
しょうがい
現在ガネーシャは、 障 害 を
取り除き、成功と幸運をもたらし
げんせ りやく
てくれる現世 利益 の神として、
はんえい
また、富と繁栄の神として信仰を
集めています。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
おきなわけん
いしがきじま
いえ
沖縄県 石垣島の家
おきなわほんとう
みなみ
なんせいしょとう
あねったい
しま
沖縄本島よりもさらに 南 にある南西諸島は、 亜熱帯の島じまから
いしがきじま
いま
ねん
まえ
なります。そのひとつである 石垣島に、 今から 140 年ほど 前の
ねん ごろ
りゅうきゅうこくじだい
しぞく
す
た
いえ
1871 年 頃、 琉 球 国 時 代の 士族の 住まいとして 建てられた 家を
いちく
移築しました。
おきなわけん
おきなわほんとう
さいじょう
沖縄県 沖縄本島の 祭場
よ
そんらくきょうどう
さいじょう
まいとし きゅうれき
がつ
ほうさく
はんえい
アサギと 呼ばれる 村落共同 の 祭場 。毎年 旧暦 の 7月には 豊作や 繁栄を
しん
むか
かいじんさい
じょせい
もよお
もたらすニレー神を迎える海人祭が、女性たちだけで 催 されます。
かごしまけん
おきのえらぶじま
たかくら
鹿児島県 沖永良部島の高倉
いなたば
くろざとう
しょっき
ほぞん
たかゆかしき
そうこ
はしら
じょうぶ
ま
稲束、 黒砂糖、 食器などを 保存する 高床式の 倉庫。 柱 の 上部に 巻いた
がえ
たけ
ゆか
のうぐ
お
ば
こくもつ
かんそう ばしょ
ブリキはネズミ返しです。竹の床は農具置き場や、穀物の乾燥場所です。
2009.05
INFORMATION
The Little World Museum of Man
きこう
す
たいふう
く
気候と住まい:台風とともに暮らす
まいとし
がつ
がつ
なんど
たいふう
いしがきじま
いえ
毎年7月から 10月までに何度も台風におそわれる石垣島の家には、
くふう
いくつかの工夫がこらされています。
ぼうふうたいさく
ほうふ
と
いしがき
たか
つ
暴風対策その 1:豊富に採れるサンゴ石で石垣を高く積みあげる。
かぜ
ちょくせつ
いえ
ふ
くふう
風が 直接 、家に吹きつけないようにという工夫です。
にわ
ぼうふうりん
う
暴風対策その 2:庭に防風林を植える。
おな
いえ
ふ
かぜ
すこ
よわ
くふう
同じく、家に吹きつける風を少しでも弱めるための工夫です。
やねがわら
かた
暴風対策その 3:屋根瓦をしっくいで固める。
や ね
かぜ
ふ
と
おも
やくめ
やねがわら
屋根が風で吹き飛ばされないように“重し”の役目をもつ屋根瓦、
いしがきじま
いえ
ひらがわら
まい
まるがわら
まい
こ の 石垣島 の 家 で は 平瓦 (1 枚 1.3kg) と 丸瓦 ( 1 枚 1.9kg) を
く
あ
まん
せん まい
かわら
つか
組み 合わせ、およそ1万7千枚、25t もの 瓦 を使っています。
かわら
ぬ
かた
さらに、 瓦 をしっくいで塗り固めて、おさえています。
おもや
はしら
のき
ひく
暴風対策その 4:母屋の 柱 をふやし、軒を低くする。
いしがきじま
いえ
がっさん さんろく
いえ
おな
めんせき
「石垣島の家」と「月山山麓の家」とはおおよそ同じ面積ですが、
いしがきじま
いえ
はしら
ほん
やまがた
いえ
はしら
ほん
ちが
石垣島の家の 柱 は 102本、山形の家の 柱 は 74本とかなり違います。
はしら
かず
おお
おも
や
ね
ささ
柱 の数が多いのは、重い屋根をしっかりと支えるためです。
のきした
たか
いしがきじま
いえ
かぜ
いえ
やまがた
いえ
軒下の高さは石垣島の家が 270 ㎝で、山形の家は 430 ㎝もあります。
のき
ひく
かべ
や
ね
うえ
ふ
と
軒が低いことで、風は家の壁ではなく屋根の上を吹き飛んでいきます。
たいふう
ひがい
おさ
いしがきじま
ひと
くふう
台風による被害を抑えるために、石垣島の人たちはいろいろな工夫を
たいふう
こ
いしがきじま
ひと
してきましたが、まったく 台風が 来なくても、 石垣島の 人たちは
こま
いえ
もと
も
ぬし
い
ど みず
えんぶん
困ってしまいます。この家の元の持ち主は、「井戸水は塩分があって
の
い
ねん
すいどう
ひ
や
ね
飲めないからね」と言い、1953年に水道が引かれるまで、屋根にふ
あまみず
てんすい
いんりょうすい
もち
くろう
かた
った 雨水を 天水タンクにためて 飲料水 に 用いていた苦労を語って
たいふう
たいりょう
まみず
てん
めぐ
くれました。台風は 大量 の真水をもたらしてくれる天からの恵みで
もあるのです。
2009.05
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ほっかいどう
いえ
北海道 アイヌの家
ほっかいどう
せんじゅうみんぞく
く
北海道の 先 住 民族であるアイヌが、19世紀末ごろまで暮らして
きょうりょく
さいげん
いたコタン(村)を、アイヌの人びとの 協力 で再現しています。
サケが川にやってくる秋のほかには、こうした数戸のコタンが
しきち
おく
りょうしん
てまえ
生活の場となっていました。敷地の奥にあるのが 両親 の家、手前の
ふた むね
ぶんけ
かみさま
ねどこ
こども
ろ
2 棟が分家 した子供 たちの家になります。アイヌの人びとは炉 を
神様の寝床 と考えたため、家は炉を中心に造られています。
けんちくざい
とくちょう
【建築材の 特徴 】
や
ね
かべ
しょくぶつ
屋根や壁に使われているのはノガヤという 植物 で、柱の木などとともに
けむり
いぶ
北海道から取り寄せたものです。炉の 煙 により燻 されたノガヤは雨や
かいてき
せいかつ
雪に対してより強くなり、アイヌの人 び と に 快適 な 生活 を も た ら し
いぶ
たいきゅうせい
かおく
すうせだい
ま し た 。 こ う し て 燻 さ れ 耐 久 性 の増した家屋 は、数世代 にわたって
使用されることもあったといいます。
2007.07
INFORMATION
The Little World Museum of Man
み なお
せいかつ
かんたいへいようこうえき
見直されるアイヌの生活:環太平洋交易
しぜん
めぐ
たく
りよう
しゅりょう さいしゅう みんぞく
アイヌは自然の恵 みを巧 みに利用 する 狩 猟 採 集 民族 でした。しかし
さいきん
けんきゅう
最近 の 研究 で、狩猟や採集とともに、アイヌの生活の少なからぬ部分が
交易で成り立っていたことが明らかになってきました。
からふと
せいかつけん
ちしまれっとう
アイヌの生活圏は北海道のほか、樺 太 や千島列島にまでおよび、大陸と
か
日本をつなぐ架け橋の役目を果たしていたと言われます。
せいてつ
ぎじゅつ
わじん
アイヌは製鉄の技術を持っていませんでした。そのため、南方では和人
せいかつひつじゅひん
なべ
(日本人)との交易で、生活必需品である鉄の小刀や鍋を手に入れました。
米や酒、タバコなども好まれました。その代わりアイヌは和人に、テン(貂)
、
しん
キツネ、アザラシ(海豹)などの毛皮や、清(現在の中国)からもたらさ
おりもの
え
ぞ にしき
よ
ちんちょう
れた織物などを渡しました。これを和人は蝦夷 錦 と呼び、珍重 しました。
さんたんじん
よ
北方では、山丹人 と呼 ばれた大陸のツングース系の人びとと交易し、
こうえきひん
アイヌは交易品 として毛皮のほか、和人より入手した鉄製品の一部を
やばね
渡していました。山丹人からの交易品には、矢羽 に用いるワシ(鷲)の
羽根や、薬とするセイウチ(海象)の
牙などがありました。また先に述べた
え
蝦夷錦も山丹人との交易で得たものでした。
こうした交易は「環太平洋交易」と
呼ばれています。江戸時代、徳川幕府が
さこく
鎖国 を始めてからもこの交易は引き続き
おこなわれ、中国の織物は長崎からばかりで
けいゆ
な く 、 ア イ ヌ を 経由 し て も 入 っ て き て
いました。そのため、この「環太平洋交易」
蝦夷錦と呼ばれた清の官服
を 、「北のシルクロード」と呼ぶ研 究 者 も
龍のデザインが入っている
います。
2007.07
INFORMATION
The Little World Museum of Man
たいわん
のうか
台湾 農家
いしがきじま
たいわん
まいとし
石垣島から 200kmほどのところにある台湾は、同じように毎年
たいふう
おそ
ちゅうごくたいりく なんぶ
いじゅう
いくつもの台風に襲われます。この家は 中国 大陸南部から移住して
ふっけんけい かんぞく
でんとうてき
のうか
ふくげん
ちゅうごく なんぽう
きた 福建系漢族の 伝統的な農家を 復元したものです。 中国 南方の
けんちく ようしき
なが
たいわん
ふうど
ねったい
つよ
建築 様式の 流れをくみながら、 台湾の 風土に合わせ、 熱帯の 強い
ひ
ざ
ぼうふうう
しんにゅう
ふせ
かべ
あつ
日差しをさけるため、また暴風雨の 侵入 を防ぐため、壁を厚くし
ちゅうろう
かおく
ぜんめん
やねがわら
ぬ
かた
柱廊 で家屋の前面をとりまき、屋根瓦をしっくいで塗り固めるなど
くふう
の工夫があります。
たいわん
と
ち こうびょう
ふくとくぐう
【台湾の土地公 廟 :福徳宮】
たいわん
のうか
む
たてもの
ふくとくぐう
なまえ
「台湾 農家」の向かいにある建物は「福徳宮」という名前で、
ふくとく せい しん と
ち こう
よ
かみ
びょう
「福徳正神土地公」と呼ばれる神さまをまつる 廟 です。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
れきし
す
歴史と住まい:ふるさととのつながり
しょくりょう ぶ そ く
くる
ちゅうごく なんぶ
山がちな土地で 食 糧 不足 に 苦しんでいた 中国 南部の人びとは、
せいき
たいわん
のうち
17 世紀なかばから 19 世紀末にかけて、 台湾 に新しい 農地を
求めてたくさん移り住みました。この家は、そのような
ふ っ け ん け い かん みんぞく
でんとうてき
福建系 漢 民族 の 伝統的 な 農 家 で 、 1917 年 に 建 て ら れ た 家 を
モデルとし、1950 年代頃の生活を復元しています。
こきょう
た
かた
さんごういん
【故郷の建て方:三合院】
なかにわ
ちゅうしん
さんぽう
むね
なら
けんちくけいしき
さんごういん
よ
中庭 を 中心 に 三方 に 棟 が 並 ぶ こ の よ う な 建築形式 を 三合院 と 呼 び 、
ちゅうごく なんぶ
なが
中国 南部の流れをくむものです。
ちゅうおう
へ
せいちょう
せ
や
せいちょう
そせん
どうきょう
かみ
中央 の部屋、 正庁 では、祖先や 道教 の神がみをまつっています。
ひだりて
かちょう
あに ふうふ
へ
や
みぎて
や
のうぐ
おとうと ふうふ
へ
や
正庁 を背にして左手が家長である兄夫婦の部屋、右手が 弟 夫婦の部屋で、
さゆう
の
むね
せいちょう
こども
へ
お
ば
つか
左右から伸びる棟は、成長 した子供たちの部屋や農具置き場として使われま
す。
へ
や
や
ね
わ
ひだり
ゆうい
ちょうよう
じょ
おも
かんが
かた
もと
こうした部屋割りは、左 を優位とし、長幼 の序を重んじる 考 え方に基づく
たか
はんえい
もので、屋根の高さにも反映されています。
あか
つ
あ
かべ
す
や
かわら
かさ
や
ね
また、赤レンガを積み上げた壁や、素焼きの 瓦 を重ねた屋根も、ふるさとの
ちゅうごく なんぶ
ようしき
いま
たいわん
のうそんぶ
み
中国 南部の様式で、今でも台湾の農村部で見かけるものです。
しんてんち
み
まも
す
【新天地で身を守る住まい】
たいわん
いじゅう
ひと
あらそ
とうぞく
み
まも
いえ
台湾へ 移住した 人びとは、 争 いや 盗賊から 身を 守るために、 家のまわりに
たけ
う
まど
ちい
すく
トゲのある竹を植えました。また、窓を小さく、少なくし、さらにぶあつい
き
とびら
がんじょう
木の 扉 に 頑丈 なかんぬきをつけました。
ふうすい しそう
【風水思想】
こらい
ちゅうごく
ふうすい
りそうてき
かんきょう
さだ
かんが
かた
古来より 中国 には、風水という理想的な 環境 を定める 考 え方があります。
かおく
みなみ む
た
はいご
さんりん
ぜんめん
はんげつじょう
ふうすいいけ
はい
家屋は 南 向きに建て、背後に山林をひかえ、前面に 半月状 の風水池を配する
よ
かぞく
けんこう
いえ
はんえい
ねが
ひと
せんもんか
そうだん
と良いといわれます。家族の健康や、家の繁栄を願う人びとは、専門家に相談
ちけい
ほうい
かんてい
し地形や方位を鑑定してもらいます。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
だいのうえんりょうしゅ
いえ
ペルー大農園 領主 の家
いえ
よ
だいのうえん
りょうしゅ
ていたく
ふくげん
この 家は、アシエンダと 呼ばれた大農園 の 領主 の 邸宅を 復元
しゅと
やく
はな
したものです。ペルーの 首都リマから 約70キロほど 離れた
かいがん ちほう
だに
た
なまえ
海岸地方のチャンカイ谷に建つ「カキ」という名前の大農園の
やかた
館 をモデルとしています。
【アシエンダ】
たいりく
アシエンダとは、アメリカ大陸
きゅう
しょくみんち
の 旧 スペイン植民地において、
けい りょうしゅ
せんじゅうみん
ス ペ イ ン 系 領主 が 先住民 の
こくじん
インディオやアフリカの黒人、
じん
こさくにん
アジア人らを小作人とし、その
ろうどうりょく
つか
だいきぼ
けいえい
労働力 を 使 っ て 大規模 な 経営
のうじょう
をおこなった 農場 のことで、
せいきまつごろ
はったつ
16 世紀末頃から 発達したもの
のうちかいかく
かいたい
で す 。 農地改革 で 解体 さ れ る
ねん
まで(ペルーでは 1969年)、
ぼくじょう
しょうひんさくもつ
さいばい
牧場 や 商品作物 の 栽培により、
ばくだい
しゅうえき
あ
莫大な 収益 を上げていました。
けんちくようしき
【建築様式】
なかにわ
かこ
かいろう
中庭(パティオ)を囲んで回廊、
きょしつ
はいち
そして居室が配置されています。
ようしき
この 様式は、もともとは 8~
せいき
はんとう
15 世紀にかけてイベリア 半島
しはい
せかい
を支配していたイスラーム世界
によってもたらされたものです。
2012.07
INFORMATION
The Little World Museum of Man
せんじゅうみん
いしょう
でんとう
がいらい
ペルー先住民の衣装:伝統と外来のミックス
ていこく
ねん
じん
インカ帝国は、1532年にスペイン人によって
せいふく
ご
ちか
征服 さ れ ま し た が 、 そ の 後 、 500 年 近 く
げんざい
こうち
す
たった現在でも、アンデス高地に住むケチュア
こしばた
よ
ふる
つた
お
き
人は、腰織と呼ばれる古くから伝わる織り機を
つか
か た か
おび
つく
使って、ポンチョ、肩掛け、帯などを作って
でんとうてき
がら
げんしょく
たく
く
あ
います。伝統的な柄は、原色 を巧みに組み合わ
ひょうげん
み
め
いろ あざ
せて表現 し、見た目にとても色鮮やかです。
はい
ケチュア人の衣装は、ヨーロッパから入って
こゆう
ようそ
きたズボンやスカートに、これら固有の要素を
く
あ
いっぱんてき
ぼうし
組 み 合 わ せ た ス タ イ ル が 一般的 。帽子 は、
やまたか
さらがた
この
山高帽や皿型帽が好まれます。
どうぶつ
アンデスの動物:アルパカとリャマ
こうち
ふる
アンデス高地 では、古 くからラクダの
なかま
しいく
仲間である「アルパカ」や「リャマ」が飼育
せいかく
されています。どちらもおとなしい性格
け
です。毛がモコモコして
み
ふっくら見えるのが
しゃしん ひだり
じょうしつ
アルパカ(写真 左 )で、そのやわらかい上質 な毛
いるい
つく
てき
いっぽう
は、衣類を作るのに適しています。一方、リャマ
みぎ
くら
いんしょう
(写真右)はアルパカに比べてスマートな印象 。
毛はゴワゴワしており、衣類を作るのには適して
ひとまわ
い ま せ ん 。 し か し 、 ア ル パ カ に 比 べ 、 一回 り
おお
ちから
つよ
のうさくもつ
はこ
とき
大 きく 力 も強 いので、農作物 などを運 ぶ時 には
だいかつやく
大活躍します。
2012.07
INFORMATION
The Little World Museum of Man
とう き ぞく
いえ
インドネシア バリ島貴族の家
せきどうちょっか
かざん
しま
とう
ぶんか
えいきょう
う
赤道直下の火山の 島、バリ 島。ヒンドゥー文化の 影響 を受けたこ
ち
しゃかい
きぞく
へいみん
も
せいど
の地の社会には、貴族と平民をわけるカーストを模した制度があり
てんじかおく
きぞくかいきゅう
やしき
ふくげん
しきち
ます。展示家屋は貴族階級の屋敷をモデルに復元したもので、敷地を
うちかべ
たてもの
はいち
おく
内壁で 3 つにわけて建物を配置しています。いちばん奥の①~⑥は
しんせい
くかく
かみ
そせん
もっとも神聖な区画で、ヒンドゥーの神がみや祖先をまつる屋敷内
じいん
さいしじょう
ちゅうおう ぶぶん
ぎれい
たてもの
の寺院( 祭祀場)があります。⑧~⑬の 中央 部分は、儀礼の建物を
ちゅうしん
しんしつ
こくもつこ
だいどころ
た
なら
せいかつ
ば
中心 に寝室、穀物庫、 台所 が建ち並ぶ生活の場であり、⑮~⑯の
てまえ
ぶぶん
まつ
ぎれい
よきょう
おど
手前の 部分は、お 祭りや 儀礼のときに 余興として 踊りやガムラン
えんそう
ば
演奏をする場です。
2012.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
とう
いしょう
インドネシア バリ島の衣装
じょせい
ふだん ぎ
よ
むほうせい
おびじょう
いちまい ぬの
バリの女性 の普段 着 は、カインと呼 ばれる無縫製 の 帯 状 の一枚 布 を
からだ
ま
いま
えいきょう
体 に巻 くものでした。今 ではイスラームやヨーロッパの 影 響 もあり、
きょう
しんこう
とう
じょせい
はだ
かく
ヒンドゥー 教 を信仰するバリ島でも女性は肌を隠すようになり、ブラウ
よそお
まつ
けっこんしき
ぶよう
スやスカートといった 装 いをしていますが、お祭りや結婚式、舞踊とも
はな
いしょう
み
なると華やかな衣装を身にまといます。
ぶよう
たいべつ
しゅ
バリの舞踊には大別してワリ、ブバリ、バリバリアンという3種があり、
ぶよう
いしょう
こと
じいんない
ぎしき
かみさま
おど
舞踊によって衣装は異なります。ワリは、寺院内の儀式で神様のために踊る
しんせい
しんせい
ぶよう
ものがたり
ま
神聖なものです。ブバリも神聖な舞踊ですが、 物 語 にそって舞います。
ごらくせい
たか
かみさま
にんげん
りょうほう
たの
バリバリアンは娯楽性が高く、神様 と人間の 両 方 が楽しむものであり、
ひと
かんらん
じいん
まえ
しゅうかいじょ
おど
たくさんの人が観覧できるように、寺院の前の 集 会所などで踊ります。
おど
マルハナバチの踊り(オレッグタンブリリンガン)
ゆうめい
ぶよう
バリバリアンには、レゴンやバリスといった有名な舞踊のほかに、
ぶよう
やわ
オレッグタンブリリンガンという舞踊があります。
“オレッグ”は「柔らか
く、しなやかな」、
“タンブリリンガン”は「マル
い
み
ぶよう
じょせいやく
ハナバチ」という意味です。この舞踊の女性役は、
かんむり
きん
はな
冠 とブンガ・マス(金の花)というかんざしで
かざ
た
じょうおうさま
いしょう
飾り立てた 女 王 様のような衣装をまといます。
ものがたり
でんとうてき
こい ものがたり
あらわ
物 語 は、伝統的 なバリの恋 物 語 を 表 して
うつく
はなぞの
こい
わか
だんじょ
い ま す 。 美 し い 花園 で 恋 を し た 若 い 男女 の
ま
おど
ようす
わか
ひと
ハチが舞 い踊 る様子 は、若 いバリの人 びとの
きゅうあい
ぎしき
さか
あら
しょうちょう
こんにち
求 愛 の儀式を 象 徴 しています。今日バリでは
ぶよう
つく
盛 ん に 新 た な 舞踊 が 作 ら れ て お り 、 こ れ も
ねんだい
そうさく
い
1950年代に創作されたものと言われています。
2012.03
INFORMATION
The little World Museum of Man
しゅう
むら
ドイツ バイエルン 州 の村
ドイツ南部、バイエルン州のガルミッシュ・パルテンキルヘン
しゅうへん
じょうけい
ふくげん
周 辺 をモデルとして、のどかな美しい村の 情 景 を復元してい
せい
が
ます。村は聖ヨセフの泉を中心に、色あざやかなフレスコ画の
がいへき
ふたむね
みんか
れいはいどう
外壁をもつ 2 棟の民家と、丘の上の礼拝堂からなります。
しゅう と
ガルミッシュ・パルテンキルヘンは、バイエルン州の 州 都ミュンヘンの南方
こっきょう
さんろく
90km、オーストリア 国 境 近くにあるアルプス山麓の村です。小さい町で
おんせんりょうよう
ひ し ょ ち
かんこうきゃく
おと
すが、冬のスポーツ、温泉 療 養 、夏の避暑地として多くの 観光 客 が訪れる
ゆうめい
や
な
とくちょう
がいろ
リゾート地として有名です。このあたりの家並みの 特 徴 は、街路にそって
しょうてん
みんか
かべ え
えが
ならぶ 商 店 や民家の外壁に美しい壁絵が描かれていることです。この壁絵
れきし
よ
は 250 年の歴史を持ち、「風の絵」と呼ばれ、またその壁絵を描く画家は「風
の画家」と呼ばれています。
2007.07
INFORMATION
The little World Museum of Man
かぜ
え
ぎ ほ う
風の絵とその技法
なまえ
て ばや
えが
「風の絵」という名前のいわれは、そよ風のような手早さで描きあげなければ
が とくゆう
ゆらい
ならないフレスコ画特有の描き方に由来します。リトルワールドのフレスコ画は、
れいはいどうないぶ
2 つの技法で描かれています。ひとつは礼拝堂内部のプリマ・フレスコ、もう
とう
みんか
がいへき
ひとつは 2棟の民家の外壁に見られるゼッコ・フレスコです。それぞれ次のような
とくちょう
特 徴 があります。
しんせい
<プリマ・フレスコ(真正フレスコ)>
かべ
せっかい
しめ
がんりょう
しんとう
壁の石灰モルタルが湿っている間に、 顔 料 を水とともに浸透させる技法です。
しきちょう
はんい
かぎ
みずみずしい美しい 色 調 ですが、一日に描く範囲が限られます。
かんしき
<ゼッコ・フレスコ(乾式フレスコ)>
かんそう
じょうたい
と
壁の石灰モルタルが乾燥した 状 態 で、顔料を水ガラスで溶いて浸透させる技法
たいしょく
がいへき
てき
びょうしゃ じ
です。風、雨、陽光による 褪 色 に強く、外壁に適していますが、描 写 時と乾燥
はっしょく
さ
後の顔料の 発 色 に差があります。
ゼッコ・フレスコ画
プリマ・フレスコ画
「ガンブリーヌス」
「聖母の戴冠」
せいぼ
ビールの国ドイツでは、ガンブリー
づく
ヌスはゲルマン人にビール造 りを
おし
。
教えた神様(あるいは王様)
たいかん
父なる神、その子イエス・キリスト
せいれい
かんむり
とハトの姿の聖霊 から黄金の 冠
さず
しゅくふく
う
を授かり 祝 福 を受けるマリア。
2007.07
IINFORMATION
The Little World Museum of Man
しゅう
むら
ドイツ バイエルン 州 の村
おうこく
おもちゃ王国ドイツ
せかい
さんぎょう
世界で初めて 産業 としておもちゃ作りを始めたドイツ。今でも
ゆうめい
にんき
おもちゃ王国として有名な国です。世界的に人気のあるテディベア
たんじょう
がんぐ
てんじしつ
もドイツで 誕生 しました。メルヘンバルト2階玩具展示室では、
もくせい
あい
木製やブリキ製のおもちゃ、ぬいぐるみなど、今なお世界中で愛さ
つづ
らん
れ続ける温かみあふれる手作りのおもちゃをご覧いただけます。
木琴
体験コーナー
メルヘンバルト
2012.03
IINFORMATION
The Little World Museum of Man
わ
クルミ割り人形
くち
口にクルミを入れて、背中の
レバーを下に動かすと、クルミ
わ
がパカッと割れるしくみになっ
ています。あごとレバーは
つながっています。人形には
大小さまざまなタイプがあり、
じっさい
実際にクルミを割ることができ
るのは、口にクルミが入る大き
なものだけです。人形は王様や
へいたい
ひごろ
兵隊などの人物がモチーフになっていることが多く、日頃いばっている人
か
ひにく
こ
に固いものを噛ませてやれという皮肉の意味が込められています。
キャンドルピラミッド
かわいくておしゃれなキャンドルピラミッド。
とも
のぼ
ロウソクに火を灯すと、そこから昇る温められ
はね
た空気により、上にあるプロペラのような羽根
かいてん
がゆっくりと回転しはじめます。
なかじく
えんばん
羽根の中軸に取り付けられた円板の上にいる
人形たちもメリーゴーランドのようにくるくる
まわ
回ります。
2012.03
IINFORMATION
The Little World Museum of Man
ちほう
いえ
フランス アルザス地方の家
とうほくぶ
こっきょう
せっ
ちほう
フランス東北部、ドイツと 国境 を接するアルザス地方で、ウシや
か
ヒツジを飼うとともに、ムギ、ジャガイモ、トウモロコシ、ブドウ
さいばい
のうか
ふくげん
などを栽培している農家を復元しています。
にわ
かこ
おもや
な
や
こ
や
はいち
庭を囲むように母屋、納屋、小屋を配置し、1850 年代、アルザス
のうそん
でんとうてき
のこ
く
じだい
ようす
さいげん
の 農村に 伝統的な 暮らしぶりが 残っていた 時代の 様子を 再現して
います。
かい
ふゆ よう
2階には冬用の
ほ
くさ
干 し草 をたくわ え
ておきます。
かい
しようにん
2 階 は 使用人 の
へ
や
部屋です。
かい
わか ふ う ふ
2 階 は 若 夫婦 の
きょしつ
居室 と な っ て い ま
す。
ないりくせい
きこう
【内陸性の気候】
ひがし
ちほう
にし
さんみゃく
パリから 東 へ 500km にあるアルザス地方は、西にヴォージュ 山脈 が
たいせいよう
えいきょう
う
ないりくせい
きこう
あるため、大西洋の 影響 をあまり受けず、やや内陸性の気候となっている
あめ
ねんかん
ひかくてき すく
ため、 雨は年間800mmほどと 比較的少なく(リトルワールドのおよそ
はんぶん
なつ あつ
ふゆ さむ
と
ち がら
半分)、夏暑く、冬寒い土地柄です。
2012.03
IINFORMATION
The Little World Museum of Man
でんとういしょう
アルザスの伝統衣装
でんとう いしょう
むな かざ
アルザス地方の女性の伝統 衣装 は、ギャザースカート、黒い胸飾 りが
ちょう
いっぱんてき
ついたブラウス、頭には 蝶 結びのリボンをつけたものが一般的 です。
しゅうかん
せいき
リボンをつける 習慣 は、19世紀初めから広まったとされています。男性
うわぎ
ぼうし
き
は、黒いズボンと上着 、赤いベストを着て、帽子 をかぶります。女性の
しんこう
しゅうきょう
こと
リボンは 信仰 する 宗教 によって大きさが異 なっており、大きいものは
きょうと
あらわ
プロテスタント、小さいものはカトリック 教徒 であることを 表 して
います。
出典:「Mon Village」, Hansi 作
き ぼねこうぞう
いえ
コロンバージュ(木骨構造)の家
おもや
も
母屋は、1582 年に建てられたものです。リトルワールドへ持ってく
かいたい
だい
す
るために解体した 1985 年まで、9代にわたって住まわれていました。
かい
かべ
すじ
う
とくちょう
3階建てで、白いしっくい壁に柱や筋かいなどが浮き出ている点が 特徴 で
けんちくようしき
ちゅうぶ
どくとく
す。このような建築様式は、中部ヨーロッパ独特のもので、コロンバージ
きぼね こうぞう
ほ
ュ(木骨構造)と言われています。筋かいには、「ムギの穂」や「アンド
じゅうじか
レの十字架」のデザインが見られます。
2012.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
いえ
イタリア アルベロベッロの家
はんとう なんぶ
しゅう
こうがい
のうか
イタリア 半島 南部、プーリア 州 アルベロベッロ 郊外 の 農家を
おもや
ちくし ゃ
ふくげん
ちちゅうか い せ い き こ う
ふうど
モデルに 母屋、畜舎などを 復元し、地中海性 気候の 風土のもと、
か
かじゅ
そだ
のうか
く
ウシを 飼いながらオリーブなどの 果樹を 育てる 農家の 暮らしを
さいげん
再現しています。
じゅんすい
いしづく
いえ
【 純粋 な石造りの家】
でんとうてき
かおく
ぼうし
や
ね
も
とくちょう
アルベロベッロの伝統的な家屋は、とんがり帽子の屋根を持つことが 特徴 で
や
ね
ひら
いし
つ
あ
や
ね
も
す。 屋根は 平たい 石を 積み 上げてつくり、このような 屋根をいくつか 持つ
かおく
よ
ゆか
かべ
てんじょう
や
ね
家屋をトゥルッリと呼びます。トゥルッリは、床、 壁、 天井 、 屋根すべて
いし
つく
ざいりょう
きんこう
と
せっかいがん
を石で造ります。 材料 は、アルベロベッロ近郊で採れる石灰岩です。
2007.07
INFORMATION
The Little World Museum of Man
れきし
す
だつぜい
う
せかい
いさん
歴史と 住まい: 脱税が 生んだ 世界 遺産
ちめい
ゆらい
【地名の由来】
した
なまえ
うつく
き
い
み
“アルベロベッロ”という 舌をかみそうな 名前は、「 美 しい 木」という 意味
げんざい
きゅうりょうちたい
です。現在はゆるやかな 丘陵地帯 にオリーブやブドウ、アーモンドなどの
はたけ
かし
もり
うつく
じゅもく
畑 がひろがっていますが、かつては 樫の 森であったため「 美 しい 樹木の
もり
よ
ある 森」と 呼 ばれていました。
ねんまえ
【500年前】
うつく
もり
かいこん
はたけ
いま
しゅうらく
そんな 美 しい 森を 開墾し 畑 をひろげ、今のアルベロベッロに 集落 ができ
ねん
むかし
たのは、およそ 500年ほど 昔 です。
おう
りょうしゅ
【王さまと 領主 】
ころ
りょうど
にんめい
しはい
この 頃、ここはある王さまの 領土で、王さまに 任命された領主が 支配して
あた
じゅうみん
しんちく
いえ
ほうこく
ぜいきん
おさ
おり、王さまは、新しい 住民 や 新築の家を 報告して 税金を 納めろと領主に
めいれい
いえ
けんすう
ぜいきん
きんがく
き
命令していました。 家の 軒数で 税金の 金額を 決めていたのです。
だつぜい
【 脱税 】
わる
かんが
ここんとうざい
悪いことを 考 える人は 古今東西どこにでもいるようで、このアルベロベッ
めいれい
そむ
ぜいきん
のが
ほうさく
おも
ロの領主は、王さまの 命令に背 き 税金を 逃れる 方策を 思いつきました。
いえ
かず
ぜいきん
き
いえ
かず
へ
いえ
こわ
“ 家の 数で 税金が 決まるのなら、家の 数を 減らせばいい、家をいつでも 壊
つく
なん
らんぼう
おも
のうみん
せ る よ う に 造 れ ば い い 。” 何 と も 乱暴 な 思 い つ き で 、 農民 た ち は
つく
す
トゥルッリを 造らされ、 住まわされたのです。
せかいいさん
【世界遺産】
つか
たん
いし
つ
あ
から づ
いえ
セメントなどを 使わずに 単に 石を 積み 上げただけ( 空 積み)の 家ならば、
おう
やくにん
ふ
い
しさつ
や
ね
こわ
す
王さまの 役人が 不意に 視察にきても、すぐに 屋根を 壊してやり 過ごすこと
つく
なお
かんたん
かんたん
じゅうみん
ができ、 造り 直すことも 簡単でした。 簡単とはいっても 住民 にとっては
たいへん
くえき
せいき まつ
つづ
れきだいりょうしゅ
だつぜい こうい
大変な 苦役でした。しかし、18 世紀 末まで 続いた 歴代領主 の 脱税 行為の
づく
ぎじゅつ
しんぽ
まち
も と 、 ト ゥ ル ッ リ 造 り の 技術 は 進歩 し ま し た 。 ト ゥ ル ッ リ の 街
う
はってん
こんにち
じんるい きょうつう
ぶんか
ア ル ベ ロ ベ ッ ロ が 生 ま れ 、 発展 し 、 今日 で は 人類 共通 の 文化 と し て
せかいいさん
してい
ユネスコの 世界遺産にも 指定されています。
2007.07
INFORMATION
The little World Museum of Man
いえ
タンザニア ニャキュウサの家
ひょうこう
ニャキュウサの人びとは、東アフリカ、タンザニア南西部の山地、標高
500~2000mのところに住んでいます。彼らが住むニャキュウサ・ラン
のうこう
てき
ドは年間降雨量 2500mm 以上と雨に恵まれ、農耕に適した土地です。
かちく
か
家畜としてウシを飼いながら、バナナ、トウモロコシなど 40 種近くの
さいばい
く
農作物を栽培して暮らしています。
.....
ちが
【丸い家と四角い家:大きさの違いはえこひいき!?】
いっぷたさいせい
けっこん せ い ど
つま
ニャキュウサは一夫多妻制の結婚制度をもっており、妻たちはそれぞれ
しゅじん
別の家をもっていますが、一家の主人 の家はありません。円形の家は
四角い家よりも古いタイプです。第1夫人の子供たちはすでに親元を離れ、
畑のそばに新しい家を建て、共同生活を始めていますが、第2夫人の
そうてい
子供たちは幼いので家が大きいという想定です。
2012.08
INFORMATION
The little World Museum of Man
じょせい
いしょう
ニャキュウサ女性の衣装:カンガ
【カンガとは?】
カンガはタンザニア、ケニアを中心とした東アフリカ(スワヒリ地域)
ちゃくよう
に住む女性に広く 着用 されています。その始まりは 19 世紀中頃、海岸
部に住む女性たちによって考えられ、広まったといわれています。
とくちょう
【カンガの着かたと 特徴 】
カ ン ガ は 大 き さ 1.6m × 1.1m 程 度 の
木綿の布です。2 枚で1組とするのが基本
おお
です。1枚は胴から下を覆い、もう1枚で
上半身を覆ったり、頭に巻いたり、肩に
がら
かけたりして使います。同じ柄のものが2枚1組で売られ
ますが、着る時には上下同じ柄でそろえることもあれば、
別々の柄を組み合わせることもあります。
巻き方は何通りもありますが、腰に巻きつけるスカート
スタイルが多く見られます。また、カンガは赤ちゃんの
お
ひも
負ぶい紐やゆりかごにも利用されます。日常の服としても、
かつやく
祝い事や祭りのおしゃれ着としてもカンガは活躍します。
プリントされる柄は無数にあり、次々と新しいデザイン
かくげん
が出回っています。カンガにはプリント柄のほかに、スワヒリ語の格言や
しる
メッセージが記されています。
【カンガから見えるアジアとのつながり】
カンガはタンザニア、ケニアのほかにもインドやマレーシア、中国でも
デザインされ作られています。スワヒリ語を使っていない国でスワヒリ語
いんさつ
きょうみぶか
が印刷されているのは興味深いことです。カンガに限らず多くの物がアフ
など
リカとアジアを行き来しています。東南アジア諸国(タイ、マレーシア等)
いりょうひん
ざっか
でんか せいひん
では、衣料品、日用雑貨、電化製品などを買い付けに来たアフリカからの
こうえきにん
すがた
交易人の 姿 が見られます。その中にはニャキュウサ人の交易人もいます。
2012.08
INFORMATION
The Little World Museum of Man
みなみ
いえ
南 アフリカ ンデベレの家
さい なん たん
みなみ
きょうわこく
ないりくぶ
ひょうこう
アフリカの 最 南 端、 南 アフリカ 共和国の 内陸部、 標高 500~
こうげん ちたい
す
みんぞく
かおく
ひと
1500m の高原地帯に住む民族の家屋です。ンデベレの人びとは、
こうだい
か
ぼくちくみん
もともとは広大なサバンナでウシやヒツジを飼う牧畜民でしたが、
げんざい
だいぶぶん
ひと
とし
現在では大部分の人がプレトリアやヨハネスブルクといった都市
のうじょう
はたら
や 農場 で 働 いています。
そうしゅつ
そうしょく ぶんか
【 創出 された 装飾 文化】
とかい ちか
す
はや
じ
き
はくじん ぶんか
ぶんか
つく
えいきょう
ンデベレは、都会近くに住んでいたため、早い時期から白人文化の 影響
つよ
う
むかし
しゅうかん
うしな
あら
だ
を強く受け、 昔 ながらの 習慣 を 失 い、 新たな 文化を 創り 出していっ
みんぞく
た民族です。
すいせい
えが
いろ
水性ペンキで 描く 色あざや
きかがく
もよう
かべえ
かな 幾何学模様の壁絵をもつ
いえ
せい
ざいく
家や、ガラス製のビーズ細工
そうしょくひん
の 装飾品 をつけ、アクリル
せい
もうふ
製のカラフルな 毛布をまと
みんぞくいしょう
きんりん
ほか
う民族衣装などは、近隣の他
みんぞく
み
の 民族には 見られないンデ
どくじ
ぶんか
ベレ独自の文化です。
とくちょう
しきさい
その 特徴 は、カラフルな色彩
かんかく
きかがくてき
ぞうけい かんかく
感覚、幾何学的な造形感覚で
じょせい
ひょうげん
あり、おもに女性たちが 表現
しています。
アフリカンプラザで
いしょう
たいけん
衣装の体験ができるよ!
2012.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
はな
か べ え
みんぞく
じ
こ しゅちょう
華やかな壁絵は民族の自己主張
かべ え
とくちょう
いろ
だいたん
つか
き か が く も よ う
ンデベレの壁 絵 の 特 徴 は、あざやかな色 を大胆 に使 った幾何学模様 を
さ ゆ う たいしょう
はいち
みなみ
左右 対 称 に配置するところにあります。こうした壁絵は 南 アフリカだけ
せかい
めずら
いえ
でなく、世界でも 珍 しいものです。こうした壁絵のある家を見かけたら、
す
まちがいなくンデベレの人の家だとわかります。壁絵は、「ここに住んで
じ こ しゅちょう
いるのはンデベレです!」という自己 主 張 のあらわれとなっています。
【生活から生まれた壁絵のデザイン】
しんわ
ンデベレの壁絵のデザインには、神話や
せ か い かん
もと
しょうちょうてき
い み
世界 観 に 基 づ い た 象 徴 的 な 意味 と
えが
て
いったものはありません。壁絵の描き手
じょせい
じゆう
はっそう
である女性 たちの自由 な発想 の中から
どくじ
もよう
ンデベレ独自の模様が生まれました。
ご
そのひとつがンデベレ語 でチェファナ
chefana
よ
りょうば
と呼ばれる「両刃カミソリ」の
↑似てるよね↓
模様です。
「両刃カミソリ」は、もともと男の人が
どうぐ
ひげをそるときの道具ですが、ンデベレ
かみ
け
では髪の毛をそったり、ツメを切ったり、
いと
糸 を切ったり、お母さんたち女性にも
てばな
ちょうほう
どうぐ
手放せない 重 宝 な道具となっています。
りょうほう
上と下の 両 方 に刃が
あって、どっちからで
もそったり、切ったり
できるんだ !!
あんまり見たことないかな?
おじいちゃんなら知っているかも!!
2012.03
INFORMATION
The little World Museum of Man
いえ
西アフリカ カッセーナの家
さばく
西アフリカの国ブルキナファソのカッセーナの人びとは、サハラ砂漠の
ざっこく
さいばい
南に広がるサバンナ地帯で、モロコシやトウジンビエ等の雑穀を栽培する
やきはた のうこう みん
いっぷたさい せいど
や しき ち
けつえん
焼畑 農耕 民 です。一夫多妻 制度 のもと、同じ屋 敷 地 に血縁 関係にある
つま
く
男たちとその複数の妻 と子供たちが暮 らします。四角い家には男性、
ヒョウタン型や丸型の家には(四角い家にも)女性や子供が住みます。
かべ
き かがくもよう
えが
壁の幾何学模様を描くのは女性の仕事で、女性たちが好みで模様を決めて
描きます。
ここは展示のための出入り口です
こちらが本来の出入り口です。
複数の複婚(一夫多妻制)家族が集住
本来の出入り口は西か南で、
東は悪い力の来る方向とされる。
4人の男とその9人の妻の4世帯
やしき
とりで
【 砦 のような屋敷】
どべい
かこ
とくちょう
建物を土塀 でつないで囲 んでいるのが 特 徴 です。この地域はかつて
きんりん
みんぞくかん
あらそ
はげ
てき
しんにゅう
さまた
つちかべ
近隣の民族間の 争 いが激しく、敵の 侵 入 を 妨 げるために、家屋を土壁で
ほ
つなぎ、屋敷全体を砦のようにしました。平らな屋根は農作物の干し場で
てき
み ば
むか
う
あるとともに、敵を見張り迎え撃つ所でもありました。
2012.08
INFORMATION
The little World Museum of Man
カッセーナ人の“ヒョウタン文化”
【ヒョウタンの使い道はたくさん】
きげん
ヒョウタンはアフリカ起源の植物と考えられています。カッセーナ人が
さいばい
住む西アフリカのサバンナ地帯では、野生のもの、栽培されたものなど、
形も大きさも色々なものがあります。ヒョウタンは軽く、液体や細かい粉
から
せいしつ
を入れることができ、殻が固く空気を通さないという性質があります。
さいだいげん
人々はこの性質を最大限に利用してさまざまな使い方をしています。飲み
ちょうり きぐ
物、食べ物を入れる食器、おたまやひしゃく、ボウル等の調理器具として、
しゅうかく
よ
せんたく
収穫 した穀物を選り分ける道具、大きなものは洗濯たらいや赤ん坊の
ぎょうずい
行水 用に、小さなものは小物入れや畑仕事用の種入れ容器に、他には
どう
もっきん
きょうめいき
太鼓の胴や木琴の共鳴器などにも利用されます。
【女性とヒョウタン】
カッセーナの主婦は、ザノと呼ばれるヒョウタンのモニュメ
さんしょう
みが
ントを持っています(右図 参照 )
。油できれいに磨き上げられ
た球形または半球形のヒョウタンをいくつも重ねた物を自分
つ
かざ
の家の中央に吊るして飾ります。いちばん底のヒョウタンの器
やせいじゅ
ゆし
には、カリテ・バター(アカテツ科の野生樹の実から取る油脂、
英語ではシア・バター)が入っています。カリテ・バターは
なんこう
せっけん
調理、軟膏、石鹸、美容クリームなどに使います。使い続けて
ぬ
いくうちにひびが入ってしまったヒョウタンを縫い合わせる
のは女性の役割です。少し割れてしまったくらいで捨てること
はなく、大事に直して使います。女性の生活とヒョウタンは
かか
深く関わり合っているのです。
く
【サバンナのエコな暮らし】
せいいくとちゅう
ヒョウタンは道具に加工しやすいように生育途中で人の手が加えられ
ます。収穫した後に形や大きさに合わせて加工され、修理をしながら大事
かえ
に使い切った後、ヒョウタンはサバンナの土に還っていきます。このよう
にヒョウタン製の道具はとてもエコであるとも言えます。サバンナに住む
さいだいげん
人々は、自然の素材を最大限に活用して暮らしているのです。
2012.08
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ぶっきょう じ い ん
ネパール 仏 教 寺院
とうぶ
ひょうこう
さんちゅう
ネパール東部、 標 高 3000 メートルのヒマラヤ山 中 にあるタキシン
むら
た
ぶっきょう
は
ぞく
じいん
ド村に建てられたチベット 仏 教 のニンマ派に属する寺院をモデル
ふくげん
ほんどう
し ゃ か にょらい
あんち
しゅうい
かべ
てんじょう
に復元したものです。本堂には釈迦如来を安置し、周囲の壁や 天 井
ぶっきょう どくとく
ぶつが
ま ん だ ら
ごくさいしき
えが
にはチベット 仏教 独特の仏画 や曼荼羅が極彩色でびっしりと描か
しきちない
しゅくぼう
りんしゃ
た
げんち
れています。敷地内には 宿 坊 やマニ輪舎が建ちならび、現地ではラ
そう
く
しゅぎょう
はげ
きんざい
す
マ僧 が暮 らしながら 修行 に励 んでいます。近在 に住 むシェルパ
せいき
いじゅう
ほうぼく
のうこう
いとな
(16世紀 にチベットから移住 し、ヤクの放牧 や農耕 を 営 みなが
ご
こうえき
じゅうじ
とざん
ら、ヒマラヤ越えの交易 にも従事 していました。登山 ガイドとして
ゆうめい
しんこう
ちゅうしん
有名)らの信仰の 中 心 になっています。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ぶっきょう
チベット 仏 教 とは
ぶっきょう
せいき
きょう
イ ン ド に お こ っ た 仏教 は 、 7 世紀 ご ろ か ら ヒ ン ド ゥ ー 教 や
えいきょう
う
こんごうじょうぶっきょう
みっきょう
はったつ
ヨーガなどの 影響 を受けながら 金剛乗仏教 ( 密教 )として発達し
せいき こうはん
と
い
ました。それが 8世紀後半からチベットに取り入れられ、チベット
ぶっきょう
こんにち
う
つ
仏 教 として今日まで受け継がれています。
こんごうじょうぶっきょう
おお
とくちょう
ぶっきょう
きゅうきょく
もくてき
さと
金剛乗仏教 の大きな 特徴 は、 仏教 の 究極 の目的である悟りの
きょうち
い
み
え
そくしんじょうぶつ
め
ざ
境地 を、生 きた身 で得 ること( 即 身 成 仏 )を目指 すことです。
しんり
あたま
りかい
ちかく
しかく
ちょうかく
そのため、真理を 頭 で理解するだけでなく、知覚、視覚、 聴 覚 な
そうどういん
しゅぎょう
ごくさいしき
ぶつが
ま ん だ ら
たいこ
どを総動員 して 修行 します。極彩色の仏画や曼荼羅、太鼓やラッ
どきょう
かんそうしゅぎょう
もち
パをともなう読経 はそうした 観想修行 のために用 いられるもの
ま ん だ ら
ぶつが
かみ
せ か い
えが
です。曼荼羅や仏画は、ブッタや神がみの世界を描いたものですが、
じこ
せい
せかい
どうか
め い そ う しゅぎょう
し か く て き
やくわり
自己 を聖 なる世界 に同化 させる瞑想 修行 において視覚的 な役割 を
は
果たします。
ちゅうごく
くうかい
にほん
つた
みっきょう
空海 らによって 中 国 から日本 に伝 えられた 密教 も、チベット
ぶっきょう
おな
こんごうじょうぶっきょう
なが
ぶっきょう
仏教 と同じ 金剛乗仏教 の流れをくむものですが、チベット仏 教 の
こうき
でんとう
う
つ
こんごうじょう
とくちょう
ほうが後期の伝統を受け継いでいるため、金 剛 乗 としての 特 徴 が
けんちょ
ずっと顕著なのです。
ぶっきょう
男女合体尊
しんかい
チ ベ ッ ト 仏教 の 神界 は き わ め
たよう
ふくざつ
だんじょ
て 多様 か つ 複雑 で あ り 、 男女 が
まじ
かたち
だんじょ がったい そん
交 わ っ た 形 の 男女 合体 尊 や 、
おそ
ぎょうそう
ふんぬ そん
ちゅうしん
恐 ろしい 形相 の 忿怒 尊 が 中心 を
し
おお
とくちょう
占 めているのが大 きな 特徴 です。
だんじょがったいそん
じょせい
ち
え
はんにゃ
男女合体尊 は、女性 が智恵(般若)、
だんせい
ち
え
じっせん
ちから
男性 が そ の 智恵 を 実践 す る 力
じ ひ
しょうちょう
りょうしゃ
がったい
(慈悲)
を 象徴 します。両者 が合体
さと
みち
することで、悟 りの道 がひらかれるとされています。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ぶっきょう じ い ん
ネパール 仏 教 寺院
ろくどう りんね
こんぽん しそう
りんね てんしょう
六道 輪廻 (バヴァ・チャクラ)は、仏教の根本 思想 である輪廻 転生 を
ぼんのう
表しています。中央の円内には、人間のもつ煩悩の3つの代表である「欲」
しょうちょう
にわとり
へび
ぶた
いのしし
と「怒り」と「おろかさ」の 象 徴 として、 鶏 ・蛇・豚( 猪 )
えが
が描かれています。
★六道輪廻図は、本堂1階前室、本尊に向かって左手側にあります。
2007.12.
INFORMATION
りん
ね
The Little World Museum of Man
てん しょう
輪 廻 転 生
ごう
輪廻転生とは、人は生前の行い(業 =カルマ、カルマン)によって死後も
く
しそう
別の世界に生まれ変わり、これを永遠に繰り返すという思想です。これは、
つ
バラモン教から仏教が引き継 いでいるものです。同様にバラモン教から
はんえい
発展したヒンドゥー教にも輪廻思想が反映されています。
ろく
どう
りん
ね
せ
かい
六 道 輪 廻 の 世 界
あしゅら
ちくしょう
が き
この輪廻する世界には、「天道」「人道」「阿修羅 道」「 畜 生 道」「餓鬼
せっしょう
じ ごく
道」「地獄道」の6つがあります。「地獄道」とは、 殺 生 や盗みなどの罪
お
おか
きょうふ
う
かわ
を犯したものが堕ちる恐怖と苦の世界です。
「餓鬼道」は、飢えと渇きに悩
えいようしっちょう
「畜生道」は動物の住む世界、
「阿修
まされ、栄養 失 調 の餓鬼がいる世界、
せんとう
羅道」は争いや戦闘 が絶えず起きている世界です。「人道」とは人間界の
ことで、「天道」は天人が住む世界です。「天道」は苦しみのない世界です
が、死後はまた他の世界に生まれ変わることになります。これら 6 つの
世界を「六道」といい、六道への生まれ変わりの連続を「六道輪廻」と
よ
いいます。生前の行いにより生まれ変わる世界が決まり、善い行いをすれ
いんが おうほう
ばよい結果に、悪い行いは悪い結果につながるという「因果 応報 」とも
関係します。
げ
だつ
解 脱
仏教は、
「生きていることは、苦しみである」と考えます。そして、輪廻
ぼんのう
する世界にとどまることは、いつまでも迷いと煩悩 の世界で苦しみ続ける
ことを意味します。では、どのようにすれば、永遠の苦しみから逃れる
ことができるのでしょうか。苦しみの原因は煩悩であり、煩悩をすべて
げだつ
滅すことができれば、輪廻から抜け出すことができるのです。これを「解脱」
めっ
ぶっだ
といいます。煩悩を滅 して解脱した存在が仏陀 です。解脱して、永遠の
ねはん
いた
安らぎの境地(涅槃 )に至 ること、すなわち仏陀になることが、仏教の
きゅうきょく
究 極 の目標であるのです。
2007.12.
INFORMATION
The Little World Museum of Man
しゅう
むら
インド ケララ 州 の村
みなみ
しゅう
すいでん
かこ
うつく
むら
南 インド、ケララ 州 の 水田とココヤシに 囲まれた 美 しい 村を
かいそう
いえ
ふくげん
モデルに、いくつかの階層(カースト)の家を復元しています。
ねったい
きこう
ち
ねん へいきん きおん
熱帯モンスーン 気候のこの 地の 年 平均 気温は 27.2℃、もっとも
きおん
ひく
つき
うりょう
ねんかん
気温が低い月でも 25.7℃もあります。また雨量は、年間3700mm
ふくげん
かおく
なか
あめ
もあり、リトルワールドが復元している家屋の中で、もっとも雨の
おお
と
ち
いえ
多い土地の家です。
じぬし
いえ
かべ
【ナヤール(地主)の家の壁】
いえ
かべ
よ
そざい
つち
この家の壁はラテライトと呼ばれる素材でできています。ラテライトとは、土の
てつぶん
さんか
ねったい
あかつち
鉄分 が 酸化 し て で き た 熱帯 の 赤土 の こ と で 、 と て も か た い た め に
けんちくざいりょう
もち
建築材料として用いられています。
2007.07
INFORMATION
The Little World Museum of Man
みんぞくいしょう
まい
ぬのじ
民族衣装:サリーは1枚の布地
じょせい
みんぞくいしょう
ゆうめい
じっさい
はたけ
はたら
じょせい
サリーは、インド女性の民族衣装として有名です。実際、 畑 で 働 く女性や
とかい
おお
じょせい
き
ぬの
いったん
かた
じめん
都会のOLなど、多くの女性が着ています。布の一端を肩にかけ、すそを地面
ある
すがた
ゆうが
すれすれにして歩く 姿 はとても優雅です。
なが
はば
いちまい ぬの
むほうせい
ぬ
あわ
サリーは長さ6m、幅1.2mほどの一枚布です。無縫製、縫い合せていない
てん
おお
とくちょう
そざい
きぬ
もめん
さいきん
かがく
せんい
ふきゅう
という点が大きな 特徴 です。素材は絹と木綿で、最近は化学繊維も普及して
こうか
きぬ
がいしゅつぎ
けっこんしき
ぎれい
いしょう
います。もっとも高価なのは絹で、外出着や結婚式などの儀礼の衣装とされ、
もめん せい
ねだん
やす
ふだ ん ぎ
さぎょうぎ
木綿製のサリーは値段が安く、普段着や作業着とされます。
もよう
しま
からくさ
はな
どうぶつ
ししゅう
模様は、縞、チェック、唐草、花、動物などさまざまなものがあります。刺繍、
て
が
もくはん
しぼ
ぎほう
せいさんち
とくちょう
手描き、木版プリント、かすり、絞りなどの技法でつくられ、生産地ごとに 特徴
ほくぶ
きぬ
ふう
もよう
があります。たとえば 北部カシミールでは、 絹などにペルシャ 風の 模様を
きんぎんし
ししゅう
プリントしたサリーがつくられていますし、ベナレスでは金銀糸を刺繍した
こうたく
光沢のあるサリーがつくられています。
ぞうとうひん
もち
たいけい
かんけい
えら
サリーはしばしば贈答品に用いられます。体型に関係ないので選びやすい
ふところぐあい
じゆう
しな
えら
おく
ほう
し、 懐具合 によって 自由に 品を 選ぶこともできるからです。 贈られた 方も
ふ だ ん
つか
ちょうほう
む だ
じょせい
普段よく使うものなので 重宝 し、無駄にすることはありません。そのため、女性
だれ
すうじゅうまい
も
は誰でも 数十枚 のサリーを持っています。
きかた
サリーの着方は、すそ
た
を 垂らしてくるぶしを
かく
てん
じゅうよう
ぎゃく
隠す点が 重要 で、 逆 に
ろしゅつ
お な か やおへそは 露出
かま
さ せても 構いません。
ぬの
はし
かた
布の 端は 肩にかけたり、
あたま
こし
頭 をおおったり、 腰に
ま
巻きます。
①布の端を右腰のペチコートにはさんで止め、前から後ろへ回す。
②右手でプリーツを7回ほどとり、ペチコート前面にはさみこむ。
③残った布を再び後ろへ回し、胸から肩にかけて後ろへ垂らす。
2007.07
INFORMATION
The Little World Museum of Man
いえ
タイ ランナータイの家
ほくぶ
へいや
ちほう
すいとう こうさく
タイ 北部の 平野にあるランナータイ 地方で、 水稲 耕作をしている
ひと
いえ
たかゆか
かおく
しょくじ
さぎょう
ば
人 び と の 家 で す 。 高床 の 家屋 に は 、 食事 や 作業 の 場 に な る
しんしつ
おもや
こくもつこ
ベランダ と 、 寝室 、 か ま ど の あ る 母屋 と 穀物庫 が あ り ま す 。
ゆかした
さぎょうば
ものおき
かちく
ご
や
りよう
床下 は 作業場、物置、家畜小屋として利用されます。
【ランナータイとは】
せいき
すえ
せいき
はじ
「ランナータイ」は 13 世紀の 末から 20 世紀の 初めまで、チェンマイを
ちゅうしん
ほくぶ
さんかんぼんち
しはい
おうこく
なまえ
どくじ
ぶんか
びじゅつ
中心 にタイ北部の山間盆地を支配していた王国の名前で、独自の文化や美術、
げんご
も
じんこう
おお
よ
言語 な ど を 持 っ て い ま し た 。 人口 の 多 く は タ イ ・ ユ ア ン と 呼 ば れ る
ご けい
ひと
タイ族系の人びとです。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
きこう
す
あつ
しっけ
気候と住まい:暑さと湿気をやりすごす
ちほう
きこう
ランナータイ 地方の 気候は、
きせつふう
mm
季節風 に よ っ て 5 月 か ら
がつ
う
き
がつ
11月にかけての雨期、11月
よくねん
30
300
がつ
℃
250
25
200
20
150
15
100
10
50
5
がつ
から 翌年の 4 月にかけての
かんき
みぎ
乾期にわかれています。右の
こうすいりょう
ぼう
降水量 をあらわす 棒 グラフ
う
き
かんき
ちが
で 、 雨期 と 乾期 の 違いが、
ねんかん
はっきりとわかります。年間
へいきん きおん
平均気温は 25.9℃もあり、
ねんかん
つう
いじょう
年間 を 通 じ て 20 ℃ 以上 と
いぬやま
0
0
ねんかん
な っ て い ま す 。 犬山 の 年間
1
へいきん きおん
2
3
4
5
6
7
8
9
10
月
12
11
ランナータイの月別平均気温と降水量
平均気温は 15.8℃で、10℃
さ
も差があります。
たかゆかしき
かおく
【高床式の家屋】
じめん
しっけ
おくない
はい
ゆか
たか
地面からの湿気が屋内に入りにくくするために、床を高くしています。また、
ゆかした
かぜ
ぬ
すず
くふう
う
き
床下 を 風 が 抜 け 、 涼 し く す る 工夫 で も あ り ま す 。 さ ら に 、 雨期 に は
あめ
ふ
いったい
みず びた
おくない
みず
たくさんの 雨が 降り、 一帯が 水 浸しになることもあります。 屋内に 水が
はい
たかゆか
こうずいたいさく
やくめ
入らないように、高床には洪水対策の役目もあるのです。
や
あめたいさく
ね
【雨対策の屋根】
かおく
や
ね
けいしゃ
つよ
あめ
おお
みず ぎ
よ
うす
す
や
かわら
ふ
家屋の 屋根は 雨が 多いため、水 切れが 良いように、薄い 素 焼きの 瓦 を 葺き、
傾斜を強くしています。
ざい
かおく
【チーク材の家屋】
ほくぶ
りょうしつ
ざい
さんち
ざい
かた
たいきゅうせい
タイ北部はかつて 良質 なチーク材の産地でした。チーク材は硬く、 耐久性 に
と
しつど
たか
ち
かおく
ざいりょう
さいてき
富むため湿度の高いこの地の家屋の 材料 としては最適なものでした。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
まち
「トルコ イスタンブールの街」
こ ら い
ぶんめい
じゅうじろ
さか
せ か い ゆうすう
だ い と し
古 来 よ り 文 明 の 十 字 路 と し て 栄 え て き た 世 界 有数 の 大 都 市 、
ねん
あいだ
ていこく
し ゅ ふ
イ ス タ ン ブ ー ル 。1600年 もの 間 、いく つかの帝国 の首府 で
きゅうしがい
せ か い ぶ ん か い さ ん
し て い
あ っ た 旧 市 街 は 、ユネスコの世界 文化 遺産 にも指定 されてい
ふくげん
でんとうてき み ん か
がくいん
ま す 。こ こ に 復 元 した伝統的 民家 とイスラーム学院 (メ ド レ セ )
むね
ていこく じ だ い
けんせつ
いま
きゅうしがい
の 2 棟 は 、オ ス マン帝国 時代 に建設 され、今 も旧市 街 にたち
かつよう
たてもの
活 用 さ れ て い る 建物 をモデルとしています。
びみょう
はいち
【微妙にずれた配置
キブラ Qibla】
..
かおく
びみょう
周 遊 路や側溝からみて、家屋が微妙にずれているのわかりますか?
しゅうゆう ろ
そっこう
こんかい
たてもの
しん
ひと
はいち
じく
よ
ほうがく
今回の建物の配置の軸は、キブラと呼ばれる方角です。イスラーム
れいはい
ぎ
む
を信じる人びと(ムスリム)は 1 日 5 回の礼拝を義務としています。
れいはい
しんでん
む
その礼拝は、聖地メッカのカアバ神殿(サウジアラビア)に向かっ
き
ほうこう
しめ
てするものと決まっており、その方向を示すために、復元したメド
こうぎしつ
かべ
もう
レセの講義室にもミフラーブというくぼみを壁に設けてあります。
かべ
せいかく
せいたい
げんみつ
このミフラーブのある壁を正確にメッカに正対させるため、厳密に
けいさん
かおく
はいち
すこ
計算して、家屋の配置を少しずらしました。リトルワールドの小さなこだわりです。
2013.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
ひと
メフメット・アーってどんな人?
てんじかおく
がくいん
た
ひと
展示家屋のイスラーム学院(メドレセ)を建てた人、メフメット・アーは
ていこく
きゅうでん
つかさど
せきにんしゃ
オスマン帝国のトプカプ 宮 殿 で、ハーレムを 司 る責任者でした。ハー
おう
こうてい
くうかん
きさき
レムはスルタン(王、皇帝)のプライベート空間であり、スルタンの 妃 た
こども
く
ばしょ
ごしょ
こうきゅう
え
した
こ
ど
ちや子供たちが暮らす場所でもありました。御所でいえば「 後 宮 」、江戸
じょう
おおおく
城 でいえば「大奥」のようなところです。
やくしょく
せいしきめいしょう
この 役 職 の正式 名 称 はダリュッサーデ・アースですが、親しみを込め
よ
おとめ
い
み
てクズラルアースと呼ばれました。クズは「乙女」という意味で、ハーレ
く
じょせい
やくめ
ムに暮らす女性たちをとりまとめる役目からついたそうです。
つぎ
おう
こうたいし
つと
やくめ
はは
つね
せっ
しんみ
せ
わ
しんらい
え
次の王となる皇太子やその母と常に接し、親身に世話をし、信頼を得な
ひごろ
せっ
たちば
ければ務まらない役目です。もちろん、スルタンとも日頃から接する立場
しぜん
はつげんけん
ま
きゅうでん
なか
だいさいしょう
つ
ですので、自然と発言権が増し、宮 殿 の中では、スルタン、大 宰 相 に次
たか
ち
い
ぐ高い地位にありました。
じょうけん
ていこく
クズラルアースになるためには、いくつかの 条 件 がありました。帝国の
ちゅうすう
にな
じんざい
ず の う めいせき
とうぜん
まも
中 枢 を担う人材ですので、頭脳明晰であることは当然です。ハーレムを守
じゅうよう
やくめ
せいれんけっぱく
ひんこうほうせい
るという 重 要 な役目のためには、さらに清廉潔白、品行方正でなければ
きさき
きよ
かんけい
なりません。スルタンの 妃 たちとの清い関係をはっきりさせるために、
つと
おとこ
きょせい
もの
かんがん
ハーレムに務める 男 たちはみな去勢をした者、宦官でした。
きょせい
きんし
いきょうと
いみんぞく
しょうねん
きょせい
ムスリムは去勢を禁止されているので、異教徒・異民族の 少 年 を去勢し
かんがん
つね
じん
て宦官とすることが常でした。メフメット・アーもトルコ人ではありませ
かれ
いま
ふ き ん しゅっしん
こくじん
どれい
んでした。彼はアビシニア、今のエチオピア付近 出 身 の黒人でした。奴隷
きょせい
けいゆ
きゅうでん
つ
こ
とされ、去勢され、エジプト経由でイスタンブールの 宮 殿 に連れて来ら
とちゅう
かいしゅう
とうかく
しゅっせ
れる途中で、イスラームに 改 宗 し、頭角をあらわし、出世したのです。
さいし
きゅうていせいかつ
え
ざい
きしん
妻子もないメフメット・アーは、宮 廷 生活で得た財を寄進し、メドレセ
ひと
やく
た
しせつ
やモスクやハマムといった、人びとの役に立つ施設をつくったのです。
いがい
たてもの
のこ
このモデルとしたメドレセ以外の建物もイスタンブールには残っており、
ひと
つど
ばしょ
かつよう
人びとの集う場所として活用されています。
2013.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
まち
「トルコ イスタンブールの街」
こ ら い
ぶんめい
じゅうじろ
さか
せ か い ゆうすう
だ い と し
古 来 よ り 文 明 の 十 字 路 と し て 栄 え て き た 世 界 有数 の 大 都 市 、
ねん
あいだ
ていこく
し ゅ ふ
イ ス タ ン ブ ー ル 。1600年 もの 間 、いく つかの帝国 の首府 で
きゅうしがい
せ か い ぶ ん か い さ ん
し て い
あ っ た 旧 市 街 は 、ユネスコの世界 文化 遺産 にも指定 されてい
ふくげん
でんとうてき み ん か
がくいん
ま す 。こ こ に 復 元 した伝統的 民家 とイスラーム学院 (メ ド レ セ )
むね
ていこく じ だ い
けんせつ
いま
きゅうしがい
の 2 棟 は 、オ ス マン帝国 時代 に建設 され、今 も旧市 街 にたち
かつよう
たてもの
活 用 さ れ て い る 建物 をモデルとしています。
展示家屋「イスタンブールの民家」
かぞく
【家族をつなぐソファとセディル】
かいだん
かい
くるっと階段 を上がった2階 が
せいかつくうかん
あ
生活空間です。上がりきったとこ
かい
ろはソファとよばれ、2階の
か く へ や
れんけつ
やくめ
各部屋 を連結 する役目 をになう
じゅうよう
くうかん
重 要 な空間です。
れんぞく
ソファに連続して、エイバンとい
ま
ば
うくつろぎの間、もてなしの場が
し
つ
あります。マットレスを敷き詰め
つく
た作りつけのベンチは、セディル
といいます。セディルは、トルコ
でんとうてき み ん か
か
の伝統的 民家 には欠 かせないも
のです。
民家建築情報
木造3階建て住居(3階部分は屋根裏としており、展示はありません)
建築面積 76.06 ㎡(約 23 坪) 延べ面積 146.82 ㎡(約 44.5 坪)
2013.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
こ う きゅうじゅうたくがい
いえ
かつての高 級 住宅街の家
ふくげん
みんか
せ い き まつ
復元のモデルとした民家は、19世紀末にスレイマニエ・モス
た
ざんねん
だれ
た
いえ
クのそばに建てられたものです。残念ながら、誰が建てた家かは
わか
きんりん
ていこく
ちほう
けん ち
じ
判 りません。しかし、近隣 にはオスマン帝国 の地方 の県 知事 が
しゅくはく
きゃくじん
たてもの
イスタンブールで 宿 泊 し、 客 人 をもてなすための建物があり、
けんちく ねんだい
ど う じ き
せ い き まつ と う じ
こうきゅう かんりょう
その建築年代も同時期なので、19世紀末当時は 高 級 官 僚 など
ふゆうそう
く
じゅうたくがい
かんが
富裕層が暮らす住 宅 街 であったと 考 えられます。
おか
うえ
まち
イスタンブールは、7つの丘の上にたつ街といわれていますが、
おか
み
は
そのひとつがスレイマニエ・モスクのある丘 です。見晴 らしも
よ
かぜとお
よ
おか
うえ
しょうしゃ
かおく
いえ
も
ぬし
良く、風通しも良い丘の上の 瀟 洒 な家屋。この家の持ち主も、
ち
い
ひと
かねも
そうぞう
それなりの地位の人、そしてそれなりのお金持ちであったと想像
されます。
ナザール・ボンジュウ
みんか
げんかん
うえ
Nazar Boncuğu
めだま
あお
だま
民家の玄関の上には、目玉をかたどった青いガラス玉がかかっ
ご
まも
ています。トルコ語でナザール・ボンジュウというお守りです。
め
だま
い
み
いえ
ナザールが「目」、ボンジュウが「ガラス玉 」を意味 し、この家 の
あくい
人たちへの「ねたみ」、「そねみ、「うらみ」といった悪意をもった
しせん
さ
よ
あくい
視線を避ける、除けるためのものです。この悪意をもった視線を
じゃ し
いしき
な
じゃ し
む い し き
邪 視 とよびますが、意識 して投 げる邪 視 だけでなく、無意識 に
な
じゃ し
ようい
さ
投げかける邪視もあり、容易に避けることはできません。そうし
じゃ し
さ
ひと
しっそ
せいかつ
こころ
た邪視を避けるために、トルコの人びとは質素な生活を 心 がけ
あくい
う
わか
ているのですが、どこからこうした悪意を受けるか分らないため
あお
めだま
まも
いえ
かべ
しゅうかん
に、青い目玉のお守りを家の壁にかける 習 慣 をもつのです。
みやげてん
かたち
トルコのお土産店「ラーレ」には、いろいろな 形 のナザール・ボンジュウが
じぶ ん
みや げ
もと
あります。ぜひ、ご自分のために、あるいはお土産に、お求めください。
2013.03
INFORMATION
The Little World Museum of Man
かんこく
じ ぬし
いえ
韓国 地主の家
けいしょうほくどう
じぬし
やんばん
韓国のほぼ中央部、 慶尚北道 の山村で、かつての地主(両班 )が
いちく
ふくげん
ろ
1937 年に建てた家を移築、復元しました。ロの字形の
へ
や
しゅふ
おもや
母屋には、
むね
主 人 の 部屋 と 主婦 の 部 屋 が 棟 を 分 け て あ り ま す 。 こ れ は 、
じゅきょう
おし
もと
「男女七歳にして席同じからず」という 儒教 の教えに基づくもの
です。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
きこう
す
なつ
へ
や
ふゆ
へ
や
気候と住まい:夏の部屋と冬の部屋
へ
や
ゆか
ど
ま
ものおき
部屋の床には、土間、オンドル床、板床の 3 種類があり、土間は物置に、
きょしつ
オンドル床と板床は居室に使います。
ゆか だんぼう
オンドルとは床暖房のことです。床下に
みぞ
石を並べて数本の 溝をつくり、この溝の
てんじょう
けむり
天井 に平らな石を置き、 煙 の通り道とし
ねんど
たた
ます。天井の石の上に粘土を叩いて平らに
は
し、その上に紙を貼り、さらに油のついた
オンドル紙を貼ります。溝を通った煙が
ねつ
石と粘土と紙を通して床に熱を伝えます。
たきぐち
煙を発生させる焚口と、トンネルを通った
えんとつ
こうばい
煙が出ていく 煙突の間の 勾配のつけ方が
むずか
あたた
ちが
難 しく、それにより床の 暖 かさが違って
きます。
オンドル部屋と板の間には、床面以外に
も違いがあります。オンドル部屋では天井
と壁に白い紙を貼っていますが、板の間に
ぬ
たるき
は天井がなく、しっくいを 塗った垂木 が
しきい
見え、板壁となっています。敷居の高さ、
オンドル部屋は 27cm もありますが、
さかい
板の間は 10cm ほどです。外との 境 の
とびら
しょうじ
扉 も 、 オ ン ド ル 部 屋 は 障子 を 貼 っ た
りょうびら
引 き 戸 と 両開 き の 障 子 戸 の 二 重 扉 、
板の間では両開きの障子のみ。さらに
しとみど
こ の 板 の 間 の 扉 は 、 い わ ゆ る 蔀戸 で 、
のき
かなぐ
下 の 方 を 持 ち 上 げ て 軒 の 金具 に か け 、
かぜとお
風通しを良くすることができます。
さむ
たいさく
オンドル部屋は、熱を逃がさぬように寒さ対策をこらした冬用の部屋で、
あつ
たいさく
板の間は少しでも風が入るように暑さ対策をほどこした夏用の部屋です。
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
やまがたけん
がっさんさんろく
いえ
山形県 月山山麓の家
ごうせつ ちたい
で
わ
さんち
がっさん
ふもと
つきやまざわ
ねん
た
豪雪地帯の出羽山地、月山の 麓 、月山沢に、1767年に建てられた
ちゅうもん
ようさん のうか
いちく
つきやまざわ
ねん
中門 づくりの養蚕農家を移築しました。月山沢は 1976年にダム
けんせつ
はいそん
すいぼつ
建設のため廃村となり、水没しました。
30 ℃
300 mm
25
250
山形:月別平均降水量
20
200
犬山:月別平均降水量
15
150
10
100
5
50
0
5
山形:月別平均気温
犬山:月別平均気温
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12月
50
2007.12
INFORMATION
The Little World Museum of Man
きこう
す
ゆき
く
ふゆ
気候と住まい:雪とともに暮らす冬
おもてめん
がつ
がつ
やまがた がっさんさんろく
ほう
表面 のグラフをみると、12月から 2月にかけて、山形月山山麓の方
いぬやま
つきべつへいきんこうすいりょう
おお
おお
がここ犬山よりも 月別平均降水量が多くなっていますが、その多くは
ゆき
ふゆ
ゆき
がっさんさんろく
つ
雪です。冬のあいだ、3~4m もの雪が月山山麓では積もります。
ちゅうもん
【 中門 づくり】
ま
や
いっしゅ
にほんかいがわ
ごうせつ ちたい
とくちょうてき
けんちくようしき
ど
ま
曲がり屋の一種で、日本海側の豪雪地帯に 特徴的 な建築様式です。土間の
てまえ
おおど
いえ
いりぐち
ちゅうもん
ゆき
のうぐ
手前にある大戸が家の入口で、中門 は雪をはらったり、農具などのものおき
つか
おくない
だんき
に
とっしゅつぶ
もう
くふう
ふゆ
あいだ
ちゅうもん
そと
として使われ、屋内の暖気を逃がさない工夫です。冬の 間 は、 中門 の 外に
ゆき
よ
“雪ローカ”と呼ぶ突出部を設けます。
ゆきがこ
【雪囲い】
しんせつちたい
ふゆ
いえ
かこ
ゆきがこ
深雪地帯では、冬になるとカヤやムシロで家を囲みます。これを雪囲いと
さむ
たいさく
ゆき
いえ
お
いいます。これは寒さ対策であるとともに、雪が家にくっついて押しつぶさ
くふう
ないようにという工夫です。
あ
しょうじまど
【明かりとりの障子窓】
ゆきがこ
しょうじ
うえ
かもい
いえ
ないぶ
うすぐら
へきめん
まど
雪囲いは 障子の 上の 鴨居あたりまでおおうため、 家の 内部は 薄暗くなって
のき
たか
もう
しまいます。そのため、軒をできるだけ高くあげ、その壁面に窓を設けて、
さいこうぐち
採光口とします。
いたかべ
【板壁】
つちかべ
ゆき
よわ
くず
いたかべ
土壁は雪に弱く、崩れてしまうので、板壁とします。
おも
たいさく
【重さ対策】
ゆき
おも
た
ふと
もくざい
はしら
はり
つか
雪の重みに耐えるように、太くてがっしりした木材を 柱 や梁に使います。
ゆき
【雪おろし】
ゆき
ふゆ
かい
や
ね
のぼ
ゆき
うらて
ゆうせついけ
“雪ぼり”といい、ひと冬に 6、7回は屋根に登って、雪を裏手の融雪池に
お
みず
なが
と
落とし、水を流して溶かします。
みちふ
【道踏み】
ふゆ
こ
あさお
みちふ
冬、 子どもたちは 朝起きると、カンジキをつけて、まず 道踏みをします。
まいにちまいにち
いちにち
なんかい
毎日毎日、一日に何回もします。
2007.12