Newsletter 第 52 号 - ヨーロッパ日本語教師会

公益社団法人ヨーロッパ日本語教師会
Newsletter
Association of Japanese Language Teachers in Europe e.V. (AJE)
第 52 号
2014 年 7 月
学期末を迎えて夏休みも間近になってまいりました。日ごろの教育、研究活動を視点を変えて概観する格好の機会であるシンポジウムを 8 月に
控えました。そろそろ発表の準備を始めた方もいらっしゃると思います。2014 年のシンポジウムは 3 年ぶりに European Association for Japanese
Studies 国際学会の一分科会として、スロベニアのリュブリャーナで開催されます。本 52 号はスロベニアにおけるシンポジウムを中心にお届けしま
す。実りの多い成果を期待してリュブリャーナでお目にかかりましょう。
第18回 日本語教育国際シンポジウム リュブリャーナにて EAJS 国際学会の一分科会として
しかし、これは母のことばであるとは限らず、父のことばであることや、
ジンポジウム特別講演のご案
またいずれのことばでもない場合もある。さらに、母語は一つとは限
ヨーロッパ日本語教師会会長
らない。二つ、さらに三つのことばを身につけて育つこともある。とは
いえ、人が母語を身につけるとき、そこに選択の余地はほとんどない。
いよいよ来月「日本語教育における言語と文化の仲介」をテーマ
ところが、外国語、正確にいえば、「異言語」を学ぶときには、何語を
にリュブリャーナで 2014 年度ヨーロッパ日本語教育シンポジウムが
学ぶのか、なぜ学ぶのか、何を目的として学ぶのかなど、われわれ
開催されます。今年は前日の 27 日にもリュブリャーナ大学と共催で
はさまざまな問いをみずからに、また他者に投げかけることができる。
「グローバルな日本語教育のために」という会を持ち、李在鎬先生か
もちろん、これには選択の余地のないケースもあった。かつての社
ら遠隔日本語教育についてお話を聞き、シンジウム前日に日本語教
会主義政権下での東欧でロシア語は必修であり、軍国主義の日本
育に関心のある方が集い交流する場を設けることになりました。
に領有されていた台湾や朝鮮半島における日本語も同様の運命を
基調講演の西山教行先生はもともとフランス語教育学や言語政策
たどってきた。
をご専門になさっていますが、近年、広く外国語教育や言語政策な
日本は、英語以外の言語を、中等教育段階からほとんどといって
どについて研究され、『ヨーロッパ言語共通参照枠』の意義や複言
よいほど学習することのない世界でも稀有な国であるため、言語選
語・複文化主義の日本での受容や展望についても執筆、講演をされ
択という難題は子どもたちや親を悩ませない。外国語選択という経
ご活躍されています。基調講演では、日本語だけの議論にとどまら
験は、多くの場合、大学入学時となるのだが、近年は英語以外の第
ず、広い視点から複言語主義と言語教育の目的についてお話しして
2 外国語を必修科目として課さない大学が増えているために、日本
くださいます。特別講演では、「複言語」を演劇というかたちで実践さ
人が主体的に外国語を選択する機会はますます減っている。市民
れている劇団らせん舘劇の代表である嶋田三朗氏にお話ししていた
社会は言語学習の社会的政治的意義を十分に認識することがない
だき、招待パネルでは言語と文化の仲介に直接かかわる Translation
ため、言語学習について学ぶ機会は決して多くない。しかも、その、
Studies の専門家の方々からお話を伺います。
わずかな機会さえも、親や兄弟の学習体験、さらにはメディアによる
本ニュースレターには、基調講演をしてくださる西山教行先生、特
不用意な情報に翻弄されることもある。
別講演の劇団らせん舘の嶋田三朗氏、招待パネルをまとめてくださ
ここ数年来、日本政府は隣国との政治的関係を緊張させることに
る佐藤=ロスベアグ・ナナ先生、27 日にお話ししてくださる李在鎬先
よって政権への求心力を高める傾向が強く、またインターネットに市
生が記事を執筆してくださいました。
場を奪われつつあるメディアも排外主義をあおることにより市場の確
保を図ろうとしているため、隣国との信頼関係が損なわれている。そ
のため、世論に流される学習者は中国語や韓国語の受講を避ける
傾向があるようだ。しかし国際関係の緊張している今こそ、相手国の
言語的多様性,他者性への招き
言語を学ぶべきなのだ。
1960 年の冷戦期、また日本が安保闘争に明け暮れる中で、評論
基調講演
家の加藤周一は英語教育をリアル・ポリティックの観点より冷徹に分
京都大学
析し、日本の安全保障のために日米安保を進めるべきか、英語教
西山教行(にしやま のりゆき)
育を充実させるべきかと問うた1。そして、この時代に必要な外国語
人はなぜ外国語を学ぶのだろうか。母語だけで暮らすことはできな
1
加藤周一(2009 [1960 ])「日本の英語教育」 『加藤周一自選集』第 3 巻 岩波
書店
いのだろうか。母語とは「母のことば」であり、「母なることば」でもある。
1
は緊張関係にある中国とソ連の言語であり、仮想敵の言語を学ぶ
単語の置き換えや、また相手への同化でない。この時、言語文化に
べきではないかと反語を重ねている。言語学習は安全保障のかな
内在する他者性は永久に他者であることをやめず、私の外部に存
めともなるのだ。ここには、文化などへのあこがれといった情緒の入
在する多様なものは単一なるものへと還元されることはない。この多
るこむ余地はない。
様なるものは私を分裂させるものではなく、「宇宙全体でもって限りな
この論調にならえば、現在、学ぶべき外国語は韓国語と中国語に
く豊かにする」ものなのだ。セガレンにならえば、異言語との邂逅の
なるだろう。ただし、かつての冷戦の時代と異なる点は、現在の排外
中で味わう他者性こそが言語学習の根幹を構築するものであり、自
主義は長引く不況の中で、メディアの作り上げたところが大きく、現実
分とは何であるか、何でないのかを発見させる契機となるのだ。セガ
の裏付けに乏しいことである。
レンは、このようにして異文化との相克の中に「フランスなるもの」の
この一方で、90 年代以降のグローバル化に直面した日本社会は、
解体とそこからの脱出をくわだてた。この経験は異言語学習の極北
英語能力が日本人にとって基本的属性であるかのような脅迫的な
を示唆するものであり、他者の中に内在する「永久に理解不可能な
言説を繰り返している。そのため、英語を学ぶ必要性はあまりにも自
ものがある」ことへの賭けにほかならない。
明なものであるとの認識が人々の頭の中に刷り込まれ、それに対す
ではどのような言語文化の中に、この他者性は十全に現れるのだ
る疑問が私たちの意識にのぼることもあまりない。とはいえ、どれだ
ろうか。機能性が高く評価され、受け入れられている言語は道具とし
けの日本人に英語の運用能力が必要であるか。これを正確に把握
て広く流通していることから、使い勝手がよく、他者性の発現する媒
することなく、メディアの言説に踊らされている消費者にもその責任
体となり難いかもしれない。なぜなら道具としての言語は母語と変わ
の一端はあるだろう。90%の日本人に英語の運用能力が不要であ
らぬ論理を構成することができると想定されるためだ。そのため日本
2
ると主張する論説は決して極論ではない 。
社会においては、英語教育・学習を通じて他者性や多様性を経験す
ることは容易ではないだろう。むしろ英語以外の言語によってこそ、
私たちは言語学習の意義に目を向けることなく、どのように効果的
他者性や多様性の扉は開かれる。
に学ぶか、教えるかといった学習法や教授法に関心を注いでしまう。
言語とは扉であり、まなざしに他ならない。日本語とフランス語では、
英語は高校や大学入試に、そして今後は中学入試にも組み込まれ
ようとしている。これが学習の主要な動機となり、異言語へと向かう
それぞれ見える世界は異なる。たとえばフランス語には「安い」を意
実存を覆ってしまう。そしてひとたび大学に入学すれば、卒業単位に
味する形容詞がないことや、80 を 4x20 と表記することなど、固有の
編入されているから必要だ、更に社会人となれば、昇進のために不
世界観がこめられている。そしてこのような論理の違いこそが、解決
可欠だなど、私たちは何らかの社会的要請のために外国語学習を
不可能な他者性や文化の多数性を一瞬であろうとも、垣間見せる要
意義づけることが多い。
因なのだ。
言語は道具であると共に、道具ではない。この二律背反の世界に
確かに外国語能力が職種に応じて必要となることは否定できない。
しかし幸いなことに、日本で外国語能力が必須とされる職業はきわ
存在を開くためには、英語以外の言語を学び、新しい世界へのまな
めて少ない。そのためにかえって、日本人は好んで外国語を学び、
ざしを持つことが重要だ。学校教育の中で英語以外の外国語には
外国語を使用する職業に従事したいとあこがれるのだが、これは暮
少ない学習時間が配置されていることから、そこから見える世界は
らしのためにやむをえず異言語を身につける人々の経験に対する
ごく小さく、ミクロコスモスの散歩にとどまるかもしれない。異なるまな
想像力を鈍らせてしまう。
ざしから世界を見る体験は、世界が自分の理解できない事象から構
成されており、異文化が複層的であり、「永久に理解不可能なものが
外国語学習をこのような社会制度や必要性の中にのみ、閉ざして
ある」ことを発見させてくれるものだ。
はならない。母語以外の言語を学ぶことは何よりもみずからの人間
性をひらく営為である。20 世紀初めのフランス人作家セガレン(1878-
言語教育の目的をすべて功利主義に還元しないこと、世界の複層
1919)はタヒチや中国など異界への旅に生き、他者の中から自己の
性や他者との出会いに向けたまなざしを持つ、ここに 21 世紀の言語
3
教育の鍵があるのだ。
文化を、自己そのものを見直す経験を深めた 。その中で「エクゾティ
スム」への思索を深め、他者性の経験を新たにしている。セガレンの
プロフィール::
省察はフランス文学史に幽閉するにはあまりにも惜しく、言語教育学
西山教行 (にしやま のりゆき)
京都大学大学院人間・環境学研究
を挑発する言説に満ちている。
セガレンは、エクゾティスムを観光客の体験する異国趣味から解放
科外国語教育論講座教授、日本フラ
し、強烈な個性が客体と衝突し、客体との距離を実感する時に経験
ンス語教育学会副会長、日本言語政
する「生き生きとした、それでいて奇妙な反応」と洞察する。エクゾティ
策学会副会長、国際フランス語教授
スムとは他者への迎合や適応ではない。エクゾティスムの経験は旅
連合理事(アジア太平洋委員会委員
長)。専門は、言語政策、言語教育学、
のみならず、異言語への出会いにおいても現れる。異なる言語文化、
他者に対峙するとは、セガレンによれば「永久に理解不可能なもの
フランス語教育学、フランコフォニー研究など。2005年に着任し、それ
があることを鋭く直接に知覚する」ことである。異言語学習は単なる
以来、各種の助成金の支援を得て、多言語主義・複言語主義に関す
る国際研究集会を開催してきた。2014年4月には国際研究集会「異文
化間教育をめぐって:言語文化の教育学と教授法」を開催した。以下
2
成毛眞 (2011)『日本人の 9 割に英語はいらない-英語業界のカモになるな!』
祥伝社,236p.
3
セガレン 木下誠訳 (1995) 『〈エグゾティスム〉に関する試論/覊旅』 現代企画
室, 351 p.
では、この国際研究集会の論点を整理し、現在の研究課題の一端を
紹介したい。
2
これまで日本において、異文化間性はアメリカの言語教育学の影
なくないのではないだろうか。特に日本で英語教育を受けて、高校や
響のもと、主として異文化間コミュニケーションの観点から研究や実践
大学受験を経験してきた人にはこの傾向が強く、翻訳というといわゆ
が積み重ねられた。そこでは、日本文化とアメリカ文化が本質的に異
る逐語訳を思い浮かべる人も多いかもしれない。しかし、現代のTSで
なると考えることから、日本人とアメリカ人の間のコミュニケーションに
は、いわゆる逐語的な等価はほとんど存在しないことを前提に議論が
は誤解や摩擦が発生し、それをいかに克服するのか、つまり二項対
進められている。
立の文化衝突の解決を目指す技術として考察が進められてきた。現
おもしろい例をあげてみよう。かつて、アイヌ言語民族学者に知里
在でも、言語文化を共有しない場において発生する「問題」を解決し、
真志保(1909-1961)という人がいた。知里氏の本を読んでいて大きな
コミュニケーションをより円滑に行いたいとの誘惑は言語教育の現場
衝撃を受けたことがある。それは「氷」という言葉のアイヌ語訳につい
から消え去ることはない。これは、文化を固定的に、また本質主義の
ての解説であった。「氷」をアイヌ語では「ルプ(とけるもの)」と言うそう
立場からとらえる立場であり、文化を単純化し、強いてはステレオタイ
だ。日本語の氷は、凍っていないのが常態であることからできた言葉
プを生み出し、偏見や差別を助長する要因にもつながりかねない。
であり、アイヌ語の場合は、凍っているのが常態であることからできた
2014年の国際研究集会では、異文化間能力に着目し、異文化間性
言葉であることから、このような違いが起きるということであった。自分
の多様性や複層性を喚起した。この能力は「ヨーロッパ言語共通参照
の第一言語につかりすぎているとこの視点の違いに気がつけない。こ
枠」の提起した複言語・複文化能力を源泉とするもので、「参照枠」は
の語の翻訳を試みると「ルプ」は「氷」となるのだろうが、しかし、ただ
異文化間能力という用語を直接に用いていないが、その概念に言及
「氷」と訳してはその含意については伝えることができないと知里氏は
し(5.1.1.3)、複文化能力は異文化間性を包摂することが示唆されてい
指摘している。この視点は翻訳という営みを行う上で、重要である。翻
る。
訳を行う際には、ただ、言葉を置き換えるだけでは、十分ではないこと
が多いのである。
ヨーロッパの文脈で論議されている異文化間性とは、異言語話者間
のコミュニケーションの齟齬を解消することにとどまるものではない。
話が飛ぶようだが、もっと大げさなことに話を広げてみたい。これら
文化とは複層的なものであり、社会のみならず、個人の内部にも複数
は哲学者が語っていることであるが、すべての人間がすでに誰かが
の文化が共存し、その承認や尊重こそ、民主的社会の発展に重要で
話し書いたことをもとに話して書いている、ということである。これは、
あると訴える。これはコミュニケーションの技術である以上に、異なる
すべての人間が剽窃をしているという意味ではない。人間は生まれた
他者との共生に開かれた原理であり、寛容への招きである。
時には言葉を話せないし、もちろん書くこともできない。親や家族、隣
グローバル化の加速と共に、現代社会はいっそう複言語化し、多文
人や学校など社会の中で徐々に言葉を習得するのである。これらの
化化しつつある。異文化間の自由な往来は社会的次元のみならず、
習得した言葉たちはすでに誰かが使っていた言葉であり、それらは教
個人の内部においても頻度を増している。
えられ、読み聞かせられて学んだもので、「無」から学んだわけではな
い。知識も同様である。そういう観点から考えれば、人間が発している
言語教師は個別言語や文化の殻に閉じこもり続けるのだろうか、あ
るいは共生の扉を開くのだろうか。
言葉や書いたものは常に誰かからの引用と考えることが可能で、これ
http://www.momiji.h.kyoto-u.ac.jp/~nishiyama/
らも、また翻訳という作業なのである、と。
http://d.hatena.ne.jp/jnn2480/
別の例をあげれば、素晴らしくおいしいショートケーキを食した時に、
http://twitter.com/jnnnishiyama
「おいしい」とまずは味覚で感じ、それを言葉で「おいしい!」と表す。
転んでけがをすれば、まず痛いと感じ「痛い」と叫ぶ。感じたことを言
招待パネル
葉にして表す。おおげさに言えば、すべての人間のこのような営み
が翻訳と言えなくもないというわけである。
日本における言葉の複数性と翻訳
私がこのような大げさな話をここでしているのは、翻訳と聞くと、「逐
語的なテキスト翻訳」や「文法の翻訳」といったものだと考えがちな、多
イーストアングリア大学
くの「日本人」が共有している既存の翻訳概念を壊したいからである。
佐藤(さとう)=ロスベアグ・ナナ
この概念にとらわれていては言語教育において翻訳を教える際に、
自分たちが日本の学校で受けてきたような「逐語的な等価」という幻
光栄なことに、リュブリャーナで8月に開催されるAJEのシンポジウム
想の世界を新たに学生に教え込むことになってしまう。また、そのよう
で招待パネルをオーガナイズすることになった。私の専門は
な翻訳教育は言語教育においてコミュニケーションが鍵概念として浮
Translation Studies (以下TS、「翻訳学」という翻訳語はあえて使わない
上し、翻訳教育が衰退した1970年代以前に後戻りをするだけになって
でおく)、その中でも文化翻訳と呼ばれるものである。本パネルに参加
しまうからだ。
してくれる田辺希久子氏の専門は翻訳教育で田辺氏は英日仏日の
さて、翻訳教育と言えば、日本の大学ではその多くが英語の翻訳を
翻訳家でもあり、アングルスジェフリー氏は日本文学を専門とする日
教えている。英語以外の言語を扱う場合でも、中国語やフランス語と
英翻訳家である。パネルの主な目的はTSがいかに言語教育に貢献
言うように、国語から国語への翻訳を扱っている。日本には日本語し
できるのかを考えることにある。
か存在しなくて、それもその日本語ははるか昔からゆるぎない存在な
そこで、今回は、主に翻訳の話をすることにしたい。「翻訳」というと、
のだと幻想をいだいている人もいるかもしれない。しかし、「日本語」と
ある「国語」(または言語)で書かれたテキストを他の「国語」(または言
いう標準語が人為的に作られはじめるのはほんの少し前、明治のこ
語)に移すことだと(それも時には機械的に!)考える人がまだまだ少
ろであったし、日本には共通語以外にも多くの言葉が存在している。さ
3
劇団らせん館
らに、日本語にはたくさんの借用語が含まれており、それらはすでに
日本語として使われている。
言語や文化の境界で
日本にはアイヌ語や琉球語が存在するし、韓国語、中国語、ブラジ
ルポルトガル語などを話すコミュニティもある(もちろん一つの韓国語
劇団らせん舘代表、演出家
や中国語ではない)。例えば、アイヌ語の復興運動は国際連合による
嶋田三朗(しまだ さぶろう)
先住民族権の動きと連動し、1990年代以降活発に行われてきた。千
葉大学や札幌大学ではアイヌ語が習える。もちろん、「関西弁」「東北
劇団らせん舘の演劇公演は、言語や文化の境界で効果を持つ演
弁」などのいわゆる方言もある。子供のころ、岩手に住む祖父母を訪
劇をつくることをめざします。現代社会で、どのように他者と生き方を
ねて、自分には理解できない摩訶不思議な言葉が話されているのを
共有するか、その方法を提示できるのは演劇です。劇団らせん舘の
聞いた。それは岩手の「北上弁」だったのである。祖父母は「北上弁」
公演は、次のように評されています。
と「東京弁」を両方話せるのだと感心したものだ。近年では東北の気
「テキストは建築中の建物の様。演出家自身が音を生み出す人と
仙地域で話されている言葉であるケセン語の聖書訳が山浦玄嗣氏の
して同時にいる舞台上で、俳優たちはこのテキストハウスを旅する。
手により刊行されているし、『吾輩は猫である』の琉球語訳『吾んねー
さまざまな部屋に足を踏み入れ、ここかしこで、扉や窓を外部に向か
猫どうやる』が、宜志政信氏によって刊行されている。例えば、作家の
って開く。 」(べルリン公演の批評)
「ダンス、歌、音楽、言語がひとつの世界を作り、相互に染み渡る。
川上未映子氏は関西弁を用いて小説を書いている。
言葉は身体的になって音空間をつくり、ものや動物さえも声をもち 伝
今回のAJEのテーマである「複言語主義」は、ヨーロッパで生まれた
達しようとする。」(Berliner Morgenpost 紙)
概念であり、このような概念が生まれてきた背景には日本とは異なる
劇団らせん舘は、初め集団創作劇、宮沢賢治、秋本松代、清水邦
文脈があるのは言うまでもない。確かにAJEに参加する多くの方々は、
ヨーロッパで日本語を教えているかもしれないが、日本の視点にたっ
夫、シェイクスピア、テネシー•ウィリアムズなどの作品を上演。1986
て、「複言語主義」というものを再考する必要があるのではないだろう
年から近松門左衛門の作品を原作の言葉を尊重し独自の構成演出
か。上述したような日本における複数の言葉たちは、日本の文脈で複
で現代劇として 9 年連続公演。1989 年ドイツのアウクスブルク市とエ
言語主義を考える際に重要な鍵となるだろう。
ジンバラフェスティバルフリンジで 3 週間公演。 1991 年から秋浜悟
ケセン語の聖書訳、琉球語訳の『吾輩は猫である』の意義を考察す
史作「風に咲く」日本、英国、ポーランド、ドイツ、インドネシア、ウクラ
ることは、「国語」から「国語」への翻訳という固定概念を崩すことに役
イナ、フランス、スぺイン、インドで公演。1998 年関西ドイツ文化セン
立つであろう。また、例えば、川上氏の関西弁による小説を英語に訳
ターと日独共同制作演劇「ティル」(多和田葉子 作)公演。2000 年から
すとしたら、いわゆるクイーンズイングリッシュ的な英語ではない英語
多和田葉子作「サンチョ•パンサ」日本、ドイツ、チリ、米国公演。1995
への翻訳が求められるだろう。
年に 5 カ国の俳優が母語で話す演劇をスぺインと日本で公演。2002
年に 4 カ国の俳優が演劇語としてのドイツ語を話す演劇をべルリン
翻訳の探求は限りなく深く、また面白い。その気になってかかわって
で公演。日本語とドイツ語に加えてスぺイン語の世界の経験が劇団
みれば、さまざまな言葉や文化たちへの気づきをうながすのである。
本パネル発表では、「翻訳」という営みがどれだけ豊かなものを内
らせん舘の演劇創造に広がりを与えています。2003 年以来毎年べ
包しているのか、それがどのように複言語主義と関連していけるのか、
ルリンのブレヒトハウス文学フォーラムで公演。 2011 年 2 月「カフカ
そして、言語教育に貢献しうるのかということを考えていきたい。
開国」(多和田葉子作)べルリン日独センター《日独交流 150 周年行
事》。 2012 年 4 月「白熊のトスカ」(多和田葉子作「雪の練習生」より)
プロフィール:: 佐藤(さとう)=ロスベ
兵庫県立芸術文化センター公演。これまでに多和田作品 12 作品(う
アグ・ナナ
ち書き下ろし 5 作)を公演しています。
現在、英国イーストアングリア大学
劇団らせん舘の近況、最新の公演について、紹介します。
(UEA)講師、Head of Japanese。立命
昨年 2013 年 8 月に大阪ドイツ文化センターの VISIONEN -Neue
館大学で 2007 年に博士号を取得。
Deutsche Dramatik Vol.4 として芦屋市谷崎潤一郎記念館で朗読公演
大 学 院 在 学 時 代 か ら Translation
した最新作、「夕陽の昇るとき STILL FUKUSHIMA」(多和田葉子作
Studies に関心を持ち、その分野の研
嶋田三朗演出)を、今年 3 月〜4 月に兵庫県尼崎市労働福祉会館
究を行ってきた。現在の研究関心は
とピッコロシアター、徳島県鳴門市ドイツ館で、6 月にベルリンのブロ
文化翻訳に加えて、漫画からフィル
ートファブリック劇場とヴェルクシュタットデアクルチュアレン劇場、お
ムへのメディア間翻訳、そして日本に
よび書店ギャラリーで演劇公演しました。各公演の後に観客のみな
おける Translation Studies の歴史である。著書に『文化を翻訳するー
さんと話し合いました。
知里真志保のアイヌ神謡訳における創造』(サッポロ堂、2011 年)、
日本公演では、「日本とドイツの距離感が新鮮で外国で制作され
編著に『トランスレーション・スタディーズ』(みすず書房、2011 年)、共
たことが普遍性をもたらしていると思った」「普段の生活でなかなかき
編に Translation and Translation Studies in the Japanese Context
ちんと言えないことを、演劇をとおして代弁できることが、演劇の力だ
(Continuum、 2012)、代表論文に“Conflict and dialogue: Bronisław
と思いました。」などの意見がありました。観客との討論で、今、演劇
Piłsudski's ethnography and translation of Ainu oral narratives” in
の魅力やみんなで話すことの大切さが見直されていると感じました。
Translation Studies 5 (Routledge、 2012)などがある。
4
科学大臣による「日本語・日本事情遠隔教育拠点」の認定を受けた。
ベルリン公演の観客は、「この劇を日本の観客がどのように見た
この認定に基づき、日本語教材コンテンツを制作するとともに、様々
のだろうか」という点にたいへん関心を持ったようでした。
なウェブシステムの開発を行っている。本講演では、本拠点事業に
おいて構築が進んでいる e ラーニングの共同利用コンテンツを紹介
し、ヨーロッパの日本語教育関係者の皆さまによる共同利用を促進
したい。
本拠点では、日本語学習者の「自律的な学習」を支援することを
目的としており、次のような日本語学習用のウェブシステムやコンテ
ンツを開発している。1) 完全自律型日本語教材の「筑波日本語 e ラ
ーニング」、2) ウェブ型のコンピュータ日本語テスト「J-CAT(Japanese
computerized adaptive test) 」 と 「 TTBJ ( Tsukuba Test Battery of
Japanese)」、3)日本語学習者のためのウェブ辞書「Japanese Learner's
Dictionary」、4) 10 億語の日本語コーパス「筑波ウェブコーパス」を開
発した。これらのコンテンツおよびシステムは、そのいずれも最新の
ウェブ技術を利用しており、インターネットの回線があれば、世界中
「夕陽の昇るとき STILL FUKUSHIMA」©Deutsches Haus
8 月 29 日にはリュブリャーナで 『日常から演劇へ、演劇から日常
のどこからでもアクセス可能なものになっている。
へ−−近松門左衛門の浄瑠璃、秋浜悟史作「風に咲く」の関西弁、多
和田葉子作「サンチョ・パンサ」の現代日本語・ドイツ語・スペイン語
の演劇を演出して―』 という講演を、劇団らせん舘の俳優による実
演付きで紹介しながら話します。30 日には 18 時ごろから「夕陽の昇
るとき」を公演します。
皆様と語り合えることを楽しみにしております。どうぞよろしくお願
いいたします。
プロフィール: 嶋田三朗 ©LasenKan Theater (しまだ さぶろう)
本拠点では、事業内で開発したコンテンツは上図のように有機的
劇団らせん舘代表/演
な関連を持ちながら、共同利用されることを期待する。これにより、世
出家/和太鼓演奏家。
界レベルの日本語教育の普及はもちろんのこと、e ラーニングによる
1944 年堺市に生まれ
日本語教育の活性化に貢献したいと考えている。
る。1962-82 年化学工学
<関連 HP>
技術者として製薬会社勤
文部科学省「教育関係共同利用拠点」の認定について:
務。1964 年からブレヒト
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/03/1291858.htm
や現代演劇作品の研究を 1982 年からは近松門左衛門作品の研究
筑波大学留学生センター:
も始める。1983 年から 88 年まで 兵庫県立ピッコロシアター演劇学
日本語・日本事情遠隔教育拠点:
校にて舞台監督を務める。1985 年豊竹團司師に浄瑠璃を学ぶ。
http://www.intersc.tsukuba.ac.jp/~kyoten/
1986 年から近松門左衛門の作品 9 作を演出し、1991 年と 95 年に
筑波日本語 e ラーニング:
http://e-nihongo.tsukuba.ac.jp/
秋浜悟史作書き下ろし作品を演出する。1994 年ベルリンのフォルク
J-CAT:
http://www.j-cat.org/
スビューネ劇場にて研修。1995 から 2000 年スペインのカネット・デ・
TTBJ:
http://ttbj.jpn.org/
マール市にて多言語による演劇を創造し演出する。1997 年から多和
Japanese Learner's Dictionary: http://dictionary.j-cat.org/
田葉子の作品 12 作を演出する。2001 年からベルリン在住。
筑波ウェブコーパス:
http://www.intersc.tsukuba.ac.jp/
http://corpus.tsukuba.ac.jp/
プロフィール: 李在鎬(りじぇほ)
HP:http://jhlee.sakura.ne.jp/
AJE−リュブリャーナ大学共催「グローバルな日本語教育のために」
所属:筑波大学・人文社会系・
准教授
特別招待講演「遠隔日本語教育」
専門:コーパス言語学、認知言
語学、第二言語教育、教育工
筑波大学
学
李 在鎬(り じぇほ)
学位:博士(人間環境学、京都
筑波大学留学生センターは、平成 22 年度に e ラーニングに基づ
大学)
く遠隔教育の支援システムとコンテンツ開発を行うものとして、文部
5
ベニアの南側に位置しています。国の形はちょうどひらがなの「く」の
リュブリャーナ・シンポジウム
に寄せて
字のようになっており、ドゥブロヴニクような美しい観光地にも恵まれ、
昨今ではヨーロッパの方々だけでなく、日本の方々も多く訪れるよう
になりました。
ヨーロッパ日本語教師会会長
在留邦人は 100 人前後と少ない中、「クロアチア日本語教師会」は
岩崎典子(いわさき のりこ)
2008 年に創設されました。当時は会員全員が日本人教師でしたが、
基調講演、特別講演、招待パネル、そして、前日の特別企画「グロ
徐々にクロアチア人教師も増え、現在は会員の半数近くがクロアチ
ーバルな日本語教育のために」の講演の講師のプロフィールや講演
ア人教師となっています。大変嬉しいことに、このクロアチア人日本
内容についての記事でご覧の通り、幅広い分野で活躍されている先
語教師の多くのメンバーは国内で勉強した我々の卒業生達で、卒業
生方からテーマの「日本語教育における言語と文化の仲介」、「複言
後日本語教師となり教師会へ加盟してくれました。現在会員が所属
語・複文化能力」や「グローバルな日本語教育」のために有益なお話
している機関は、主に高等教育機関、中等教育機関、語学教育機
を伺えます。ほかにも日本語教育や日本語学関係の発表、講演、講
関などです。
主な活動は毎年 1 回行われる「スピーチコンテト」とその前後に開
習会など盛りだくさんです。
また今年は例年にも増して多くの発表応募がヨーロッパ内外の両方
催される「教師研修会」で、「スピーチコンテト」では担当者(主に会
からあり、すべての発表を聞けないのが残念に思われるほど、質が
長)は大使館と打ち合わせを行ったり、各会員はその情報を元に参
高く興味深い内容の応募が数多くありました。ヨーロッパ内の日本語
加する学生の指導に励んだりしています。スピーチコンテスト前後に
教育関係者の活躍、さらにヨーロッパ外にいらしてもヨーロッパの日本
は「教師研修会」が行われ、毎年国際交流基金から先生がいらして
語教育に関心を持ち、貢献してくださる関係者が数多くいらっしゃるこ
くださいます。今年度は国際交流基金ブタペスト日本文化センターよ
とを嬉しく思います。
り村上吉文先生がいらしてくださり、「インターネットを使った日本語
今年の大会は、2011年にエストニアのタリンでAJEが初めてヨーロッ
学習」についてご講義をしてくださいました。多くの先生方もお感じの
パ日本研究協会(EAJS, European Association for Japanese Studies) の
ように、昨今学習者の特徴として、語学学習 HP や動画を使用し日
分科会としてシンポジウムを開催したのに継ぎ、同様の形式で、EAJS
本語能力を伸ばす学習者が多く見受けられます。クロアチアも同様
の大会のセッションとして行われます。日本学の一環としての日本語
で、今回村上先生のご講義を通じ、学習者の学習ストラテジーを学
教育という認識を高め、日本学の他分野で活躍していらっしゃる研究
ぶことができたり、今後の展望を考察する上での大変貴重な機会を
者たちとの知的、人的交流の場になるようこのような形で行います。
得ることができました。
日本文学、言語学、文化人類学、舞台芸術、メディア学、歴史、宗教
現在私は、ザグレブ大学にて日本語教育に従事しております。当コ
学、思想史、都市学、政治学など、どれをとっても興味深い日本学の
ースはザグレブ大学哲学部に 2004 年に開設され、学習者は 3 年間
セッションがそろっています。日本語教育の発表と同時進行ですので、
で「日本語」「歴史」「文学」を必修科目として学びます。他に選択科
別分野の発表を聞きに行く時間はなかなか取れないかもしれません
目として「実践日本語」「宗教学」も履修されます。卒業後は、先ほど
が、昼食や休憩時間、懇親会を利用して交流、意見交換などができ
ご紹介させていただきましたように日本語教師や観光ガイド、また留
れば素晴らしいと思います。
学や自分の専門分野で就職をする学習者など様々です。当コース
はまだ学位取得可能なコースではない為、正規学科となる事が最重
セッション10のご講演やご発表(AJE会員のみならずEAJS会員の方
要課題となっています。
たちのご発表も)は、例年どおり『ヨーロッパ日本語教育19』に掲載した
く思います。会期中に行われるAJE総会では、役員会の再選をはじめ、
この論集のデジタル化など重要な課題が審議されます。今年も多くの
会員の方々にシンポジウム及び総会でお会いできるのを楽しみにし
ております。
クロアチア日本語教師会
ザグレブ大学
村田恵美(むらた えみ)
「クロアチア」とお聞きになって、どこにクロアチアがあるのかすぐに
お分かりになりますでしょうか。ヨーロッパにお住まいの先生方であ
れば、きっとご存知かと思って(期待して)おりますがいかがでしょう
また、ザグレブ大学は言語教育法の1つ「VT法」が提唱されたことでも
か。
有名で、大学には発音調整に使用する機材がいくつ設置されていま
簡単にクロアチアについてご説明させていただきますと、イタリアと
す。筆者が見学しました時には教員が周波数を変えられる機械を使
海を挟んだ東側位置し、今年 8 月にシンポジウムが行われますスロ
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いながら、ヘッドホンを装着した学習者に向かい、マイクを通して発音
ポートフォリオでも「異文化」を取り上げ、各自が日本文化のどのよ
の発話練習を行っていました。また他にも発音時の舌の位置の確認
うなことを知ったのか、どう思ったのかを記述できるようにしています。
を行うためのエコーが置いてあるなど、現在も音声学研究が続けられ
自分が見つけてきた「日本語・日本文化」レアリアや資料をクリアファ
ています。
イルに収められるようにもしています。試験時にはクラスメートがお
互いに持ってきたその資料を見ながら話し合える時間も設けていま
最後になりましたが、クロアチアの日本語教育についてご紹介でき
す。異文化理解能力が向上しているのかどうかをテストでは測ること
る大変貴重な機会を与えてくださり心からお礼申し上げます。
が難しいと思われますので、このように異文化理解面を組み込んだ
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
ポートフォリオは、その能力向上を見る上で有益なのではないかと
思っています。今はこのポートフォリオを使って異文化理解能力がど
私からの発信 29
う向上しているのかを図る方法、その具体的なポートフォリ利用方法
ハンガリー
の詰めを考えているところです。
以上のように、ブダペスト日本文化センターでは「課題遂行」、「異
日々の授業、学習活動、行事
文化理解」、「自律学習」の 3 本柱を目標にコースを運営しています。
の企画等の中で気がついたア
この他、iPad のようなタブレットを用いてアプリで仮名を学習するコー
イディア・エッセイを連載してい
スも設置し、ICT の活用にも取り組んでいます。総合コースの授業や
ます。執筆者は前号からリレー
試験でも iPad をできるだけ利用するようにしていて、先日は修了試
式にお願いしており、今回はハ
験でも講師の先生のアイデアで、「リーディングチュウ太」等の WEB
ンガリー在住の三森優さんに
ツールを利用しながら解答する読解問題を作成しました。現在は「む
バトンタッチされました。
らログ」で有名な村上吉文専門家に「反転授業」のための動画作成
「ハンガリーでの CEFR/JF スタンダード、ICT を利用したコースの取
や漢字アプリの作成のご協力をいただいています。
ハンガリーでは、とにかく今の日本語の世界の潮流に遅れまいと、
り組み」
ブダペスト日本文化センター
四苦八苦の毎日を過ごしています。AJE の皆さんとも、CEFR や JF
三森 優(みつもり ゆう)
スタンダード、ICT の日本語での活用をお話しできる機会があったら
嬉しいです。
みなさん、こんにちは。現在ブダペスト日本文化センターにいる三
森です。今回は、トルコの高橋知也さんからリレーを受けて、お便り
します。
リュブリャ—ナあれこれ
私が働いているブダペスト日本文化センターでは日本語講座があ
って、私は主にそちらのコーディネイトの仕事をしています。もうご存
知の方もいらっしゃるかと思いますが、ハンガリーでは『できる』という
リュブリャーナ大学
CEFR 準拠の教科書が作成され、既に使用され始めています。私た
野尻 美佳(のじり みか)
ちの日本語講座でもこの教科書を使っており、「総合コース」という日
本語の 4 技能を全般的に学習するコースで主教材となっています。
2014 年 8 月に、第 18 回ヨーロッパ日本語教育シンポジウムが開
この教科書では課の冒頭に Can-Do が掲げられ、私たちのコースで
かれますリュブリャーナについてご紹介させていただきたいと思います。
スロヴェニアはイタリア、オーストリア、ハンガリー、クロアチアに隣
もその Can-Do を達成できるよう、授業が進められます。
『できる』はこれまでにないコンセプトで作成された教科書で、その
接し、その地形は鶏によく例えられます。北東が頭、北西が尾、南が
ような教科書を使えることはとても光栄なことですが、本音で言うと、
足です。中央部に位置する首都リュブリャーナは、四国とほぼ同じ約
このような新しい教科書を使うことは、楽しい反面とても難しく、実際
2 万 256 ㎢、約 28 万人が住む小さな町です。リュブリャニツァ川が新
はどのように授業を進めれば効率的かつ効果的なのか、四苦八苦
市街と旧市街に区分し、リュブリャーナ城、プレシェレノフ広場、ヨジェ
しながら考えている状況です。また、CEFR や JF スタンダードでは
=プレチニク(1872~1957)の建築物、Tivoli 公園などの見どころが集
「課題遂行」のみならず、「自律学習」も大きな柱となっていますので、
中しています。近年、町はとてもきれいになりました。中心部 Center
独自にポートフォリオも考えてコースで使っています。
は車の乗り入れが禁止されたので、子連れでも観光客でも安心して
さらに、『できる』の教科書では「異文化理解」も重要な柱となってい
のんびりと歩くことができます。こぢんまりとして緑の多い中欧の地方
ます。教科書にはそのための要素が各所にちりばめられていますが、
都市、という印象です。治安は比較的よいですが、他のヨーロッパの
使う私たちがそれをどのように捉え授業で取り上げるのかということ
町と同じく、置き引きやスリには注意が必要です。
が、とても重要になってきます。私は、日本文化の「知識」をただ与え
町には様々な時代・様式の建築物が立ち並びます。ぜひゆっくり
るだけではなく、ハンガリーとは異なる様式のものが教科書で取り上
と散策し、カフェのテラスでおいしいコーヒーを飲んでいただきたいと
げられている時は、それが「どうして日本ではそうなっているのか」を
思います。夏は観光客で賑わいながらも慌ただしさはなく、自然と芸
話し合うことが大切だと考えていますので、講師の先生方にも授業
術に囲まれてとても落ち着いた時間を過ごすことができます。
プレシェレノフ広場に立つ銅像のフランツェ=プレシェレン(1800~
でそのようにハンガリー語で話し合ってみてくださいと勧めています。
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1849)はスロヴェニアで最も有名な詩人で、彼の「Zdravljica(乾杯の
珍しい牛乳の自動販売機では新鮮でおいしい牛乳を買うことができ
詩)」は 8 連から成り、第 7 連目が国歌になっています。のんべえだ
ます。また、夏の夜は、さまざまなイベントが特に旧市街を中心として、
ったプレシェレンらしく、各連は、ワイングラスの形になっています。先
コンサートホールから教会、ライブ喫茶までいろいろなところで行わ
日、福間健二氏による日本語訳も出版されました。 一国の国歌であ
れています。学会の後は、適度に気をつけながら、夜遊びをなさると
りながら、世界民族の協調を唄っている、素晴らしい歌だと思います。
いいと思います。
またリュブリャーナの周りを Pot spominov in Tovaristva という砂利道
また彼の像の目線の先には、恋の実らなかったユリヤ像があります。
が囲みます。第二次世界大戦中に数年間、有利鉄線で囲われてい
た跡で、現在は小学生が歩いてリュブリャーナの歴史を勉強したり、
マラソンコースや散歩道として市民に親しまれています。そしてスロ
ヴェニアの2大スポットのブレッド湖とポストイナ鍾乳洞までは、リュブ
リャーナからバスや電車で1時間程度ですので、日帰りで旅行するこ
とができます。
AJE のみなさまがシンポジウムとあわせて、リュブリャーナ滞在を
満喫していただけましたら嬉しく思います。
シンポジウム プログラム
市内の交通手段はバスと自転車が便利です。バスは事前にインフォ
メーションセンターかキオスク、停留所にある緑の自動販売機でプリ
第 18 回ヨーロッパ日本語教育シンポジウム
ペイドの Urbana カード(2 )を購入して、チャージします。乗車料金
会場: スロヴェニア リュブリャーナ大学
は 1 回 1.20€で、90 分以内の乗り換えは無料です。それから、BicikeLJ
テーマ: 「日本語教育における言語と文化の仲介」
という新しいレンタル自転車システムがあります。ウェブ
日程:
www.bicikelj.si で利用登録し、クレジットカード情報などを入力します。
プログラムは以下のサイトでご覧いただけます。
1 週間(1€)または 1 年間(3€)の登録から選び、市街の要所に貸し出
http://www.eaje.eu/images/aje/aje_symposium_2014.pdf
しポイントがあり、マシンに Subscriber number と Pin code を入力して
EAJS 国際学会全体のプログラムは以下のサイトからご覧いただけ
自転車のロックを外します。1 時間以内に返却すると無料で、1 時間
ます。
ごとに 1€が課金されます。タクシーはメーター制で、初乗り 2€と安い
日本語教育はSection 10: Japanese Language Teaching
のですが、空港や駅前で観光客を待っているものは高く設定される
http://aas.ff.uni-lj.si/eajs/programme
2014 年 8 月 27 日から 30 日
場合がありますので、できれば無線タクシーwww.taxi‐ljubljana.si を呼
ぶといいと思います。
それから Wi-Fi の環境が非常に優れ、町中のあらゆる飲食店で無
役員会からのお知らせ
料 Wi-Fi が用意されています。また、スマートフォンをお持ちの方は、
Visit Ljubljana and More などの無料ソフトが iPhone, Android 向けに用
意されていますので、それを有効利用なさるのも滞在を楽しむ一つ
今回のリュブリャーナのシンポジウムの論集の編集委員会は、現役
のコツかと思います。ヨーロッパの研究機関に所属している方は
員会を中心に編成する予定です。後日校正委員などご協力をお願
eduroam への事前登録もお勧めいたします。
いすると思います。どうぞよろしくお願いします。
スロベヴェニア料理は歴史的にオーストリア、ハンガリー、イタリア
論集編集委員長 岩崎典子
などの影響があり、バラエティーが豊富です。旧市街には、ジュガン
ツィ(そば粉の実のスープ)やきのこのスープ、ソーセージ、牛肉のパ
編集責任者:[email protected]
プリカ煮込みなどのおいしい郷土料理を出すレストランが多くありま
ニュースレター第52号
す。伝統的なお菓子のポティツァやギバニツァもおいしいです。料理
発行:2014年7月
編集部:白石実
発行人・発行所:ヨーロッパ日本語教師会
c/o Noriko Iwasaki
Department of Linguistics、
School of Oriental and African Studies (SOAS)
University of London
Thornhaugh Street Russell Square London、 WC1H 0XG
United Kingdom
Fax: +44 (0) 20 7898 4399 E-mail: [email protected]
ホームページ http://www.eaje.eu/
の量がとても多く、日本の方は食べきれないかもしれません。お店の
人が ”Dober tek (ドベルテック、おいしく食べて)” と言ってくれますの
で、”Hvala (フヴァーラ、ありがとう)” と、スロヴェニア語にチャレンジ
されてみてください。国の公用語はスロヴェニア語ですが、町中では
英語が良く通じます。周辺国の影響で、ドイツ語、イタリア語、ハンガ
リー語など数ヵ国語を操る人も多いです。同じく旧市街にある青空市
場は、月曜日から土曜日の 6 時から 18 時まで開かれ、新鮮な野菜
や果物、花や土産物が並んで賑わう場所です。Mleko mat という少し
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