第59回 妖精の国イギリス ~絵画とともに聴く古楽

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
第59回 妖精の国イギリス
「ニンフィディア∼妖精の国」
∼エリザベス朝&ジェイムズ朝イングランドの
幻想的なバラード、
エア、舞曲集
パンタグリュエル
〔アンナ・マリア・ヴィーロズ(歌)
ドミニク・シュナイダー(笛、
ギター、歌)
マーク・ウィーラー(リュート、
シターン、バンドーラ)〕
■CD:CD16282 \1,995(税込) 〈CARPE DIEM〉
普段の生活の中で、なにかが目の端をかす
めるという経験はどなたでもお持ちでしょう。
そんな時、ふつうは、
「光の加減かな」だとか
「虫でもいるのかな」だとか、あるいは「疲れ
目かな」だとか思われる事でしょう。でもこう
思ったことはありませんか。
「小人かな、妖精
かな」。
少なくとも私は小さな頃は結構そう思って
いました。それは母親が読んでくれた「だれも
知らない小さな国」
( 佐藤さとる著)
という本
の影響でした。人に隠れて暮らしているコロ
ボックルという小人の物語であるこのシリー
ズは、せいたかさん と呼ばれる人間とコロ
ボックルとの交流が実に自然に描かれていま
した。ディテールも凝っていて、
ごく普通にコ
ロボックルが自分の身近で生活しているよう
な気がしたものでした。
さて、妖精に話を戻しましょう。妖精の本場
と言えばイギリス。自然崇拝が盛んであった
ケルトの文化が息づくイギリスでは、妖精文
化が様々な形で残っています。
シェイクスピア
の「夏の夜の夢」に出てくる パック は最も有
名な妖精の一人ですし、同じく有名な ティン
カー・ベル の出てくるピーター・パンもイギリ
ス・スコットランドのジェームズ・マシュー・バ
リーの作品です。大ヒット映画「ロード・オブ・
ザ・リング」
も
「ハリー・ポッター」
も原作はイギ
リスの作者によるものです。自然豊かであり、
いかにも小人や妖精が住んでいそうな林や
森や田園風景があったからこそ、その存在は
当然のものとして受け取られてきたのでしょ
う。ですが、それも一般的にはあくまでファン
タジー、お話しの中の出来事として認識され
ていました。特に近代化が急速に進んだ産業
革命以降はもはや架空の存在となっていまし
た。
そんな中、20世紀になってから、妖精の存
在をめぐる大論争がイギリスで起きたので
す。それはウェスト・ヨークシャー州の小さな
村コティングリーの幼い二人の少女が撮った
いくつかの妖精の写真が発端となったもので
した。
これは後に
「コティングリー妖精事件」
と
呼ばれるようになりました。
「コティングリー妖精事件」の顛末を述べる
スペースはありませんので、詳しくは書籍や
リチャード・ドイル:鳥たちに歌を教える妖精
絵本「妖精の国で」より
WEBサイトをご覧いただくとして、
この事件に
あの名探偵「シャーロック・ホームズ」の生み
の親アーサー・コナン・ドイルも関わっていた
のですから興味深いものです。
しかもドイル
は妖精の存在を肯定する側だったのですか
ら、驚きです。明晰な頭脳、圧倒的な知識、そ
して論理的な推理で不可解な事件を解決す
るホームズの生みの親であるドイルがことも
あろうに妖精を信じていたとは意外すぎるの
ですが、実はドイルは心霊学や超常現象、神
秘主義に早くから強い関心を持っていたそう
です。
またドイルの実の父親は療養所で妖精
画を描いていたそうですし、伯父のリチャー
ド・ドイルは当時かなり名の知れたイラスト
レーター、妖精画家だったのです。今回掲載し
ている作品のように、
リチャードの作品は今見
てもかわいく洒落ていて、子供たちだけでな
く、大人たちにもうけただろうと思われます。
当時はこのような妖精画が流行していたよう
ですし、
こうした家庭環境にもあったドイルは
普通の人よりも余計に妖精という存在を身近
に感じていたのかもしれません。
この「コティングリー妖精事件」において、
ド
イルは「妖精の出現」
という本を出版し、少女
たちが撮った写真を妖精が存在する証拠とし
ました。
ドイルのみならず、様々な分野の専門
家が意見を戦わせたようですが、少女たちが
撮った数枚の妖精写真が本物なのか偽物な
のか、決定的な証拠が出される事がないま
ま、60年が過ぎた時、高齢となった当人たち
は偽物であることを告白したのです。
ドイルは
まんまと騙されたのでした。
さて、妖精の国イギリスではもちろん音楽
においても妖精は出て来ます。
シェイクスピア
の「夏の夜の夢」の付随曲として作曲された
パーセルの「妖精の女王」は有名ですが、そ
れ以前から多くの作品があったようです。そう
した作品を集めたのが、
「ニンフィディア∼妖
精の国」
と題されたパンタグリュエルという名
前の3人組古楽グループによるアルバムです。
エリザベス朝からジェイムズ時代(16世紀半
ばから17世紀に半ば)にかけてのイングラン
ドのバラードや、エア、舞曲を集め、歌を中心
に、笛、
ギター、
リュートなどの楽器で演奏して
います。声楽曲には妖精関連の詩や物語から
取られたテキストを持つ作品がいくつも選ば
れており、中には音楽の伴奏付きの詩の朗読
も含まれています。
パンタグリュエルはルネサンス音楽を、演
技を交えながら演奏するグループのようで、
ブックレットの写真も当時を思わせる衣装で
写っています。イギリス古楽界の大家アンソ
ニー・ルーリーからも賛辞を送られるほどの
実力派グループで、ヴィーロズの透明で美し
くファンタジックな歌声と朗読で見せる演技
力はすばらしく、妖精の国へと聴き手を容易
に導いてくれます。ルネサンス時代の楽器を
使用したシンプルながらも味わい深い演奏も
雰囲気満点です。妖精が草木の間で舞い踊っ
ているような舞曲も収録されていますので、
ま
さに身近に妖精を感じることのできるアルバ
ムとなっているのです。
果たして妖精や小人は存在するのでしょう
か。
コティングリー妖精事件の発端となった妖
精写真を撮った二人のうち少なくとも一人
は、妖精の存在を否定する事はありませんで
した。
しかも写真のうち1枚は本物だと最後ま
で主張していました。
もしかしたらあの写真
は、彼女たちが見たものを再現したものなの
かもしれません。そうして、妖精を見たと言っ
ても信じてくれなかった大人たちに妖精の存
在を認めてほしかったのかもしれません。そ
れが当時の著名人であるドイルまで関わるよ
うな大きな事態となってしまい、彼女たちもお
おいに困惑したのではないでしょうか。それ
でも彼女たちにとって妖精は確かに存在して
いたのだと思います。そういえば、イギリスの
音楽には古来より現代まで本当に魅力的な
旋律が多いものです。
まるで魔法にかけられ
たかのように。
もしかするとその中のいくつか
は妖精や小人たちから教わったものなのかも
しれません。
※コティングリー妖精事件の顛末についてご
興味のある方はぜひ以下の書籍をお読みく
ださい。
ジョー・クーパー著、井村君江訳「コティング
リー妖精事件」
(朝日新聞社)
※輸入盤は価格が変動する場合がございます。
ご了承下さい。