行為としての哲学とは? 哲学者たちの年表

2009/09/28
「科学哲学」塩谷賢@法政大学
第2回講義
●行為としての哲学とは?
シラバスでは「「哲学する」ということについて考察する」と書いたのですが、まじめに
これをやったら三年間くらい授業やらないと終わらない話なんですよね。だから、ここで
は後につながるように、科学
科学を
科学を問題にすることによって
問題にすることによって哲学
にすることによって哲学がどのように
哲学がどのように変
がどのように変わるか、をベ
わるか
ースにして考えます。だから、今日の内容を先に言ってしまうと、
「哲学する
哲学する」
する」ということ
を行為としてどう
行為としてどう考
としてどう考えなければいけないか?
えなければいけないか?
と思う気になれるか。
になれるか。そのときの行為
そのときの行為とい
行為とい
う言葉をどのような
言葉をどのようなニュアンス
をどのようなニュアンスで
ニュアンスで受け取るか、ということがテーマになります。
るか
まず、哲学において行為・実践をすると言うときには、実践哲学や倫理学が最初に思い
浮かぶことでしょう。でもそれは、考えたい対象が実践なんですよね。「哲学すること」自
体が実践であるわけではない。
「哲学すること」自体が実践であるとはなにか?
ギリシャ1で哲学が始まったときに、最初にベーシックな形態としてあったのは、「観想:
テオリア」という考え方です。英語 theory(法則,理論)はこれに由来しています。なぜ
「観想」があったのかというといろいろ議論があります。ちなみに、ギリシャのポリスと
いうと自由な共同社会で、市民が参加して云々ということが言われていますが、それは大
きな奴隷制と収奪のうえで成り立った社会システムのエリートとしての市民たちのあいだ
の合意形成の話です。飯を食うにも困らない、一日ヒマにしていて、退職して年金をもら
ってのんびりしているおじさんたちが、朝日カルチャーセンターや大学の聴講生として哲
学をして楽しんでいると、そんな側面がギリシャには少なからずあったと言われています。
そこで考える必要があるのは、「私たちがギリシャだと思っているのは、ギリシャなの
か?」
。私たちがふつうに考えるのはソクラテス、プラトン、アリストテレスですよね。さ
て、この三人がどの年代に生きていたかをご存じですか?
●哲学者たちの年表
ここで「こうしたら面白くなるよ」というアドバイスです。哲学者たちの名前の原語表
記と生年月日を自分で書いてみると、大変面白い。私たちが哲学を勉強するときに、何世
紀のだれそれの思想はこうですよ、と覚えるわけですが、そのときには哲学という視角か
ら見た流れのなかで位置づけているわけですよ。でも、現実には哲学者というのはみんな
人間なんだから、いろんな学問、いろんな文化のただなかで生きているわけです。じつは
それらを同時代に並べてみると、ドイツ観念論から来た人、イギリス経験論で来た人、実
存主義の人……の生きていた年号は、非常に錯綜しているんですよ。しかもお互いにお互
いの著作を読んでいたということがあったかもしれない。
例えば、カントの次にはフィヒテが来て、ヘーゲルが来てそれからぱッとフッサールに
ギリシャとギリシア、どちらを表記しますか? 学問的な用語、哲学事典はみんな「ギリ
シア」で、こちらに統一されようとしています。つまり、バレンシア、プロシアと同じで
「-ia」をローマ字読みするのが一般的になりつつあります。ちなみに、学術ラテン語の発
音と、教会で使われるラテン語の発音と、古典として各学校で教えているラテン語の発音
は全部違うんですよ。
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第2回講義
飛んでハイデッガーへ……という流れのなかで、マルクスがどこに来るか、モンテスキュ
ーがどこの位置に入るか、というお互いの影響関係というのは著作を通してではなかなか
わからないのですよ。でも、前回お話したように、
「私たちがそう思わされてしまう時代の
気分」というのがあります。いまどういうふうに思いたくなるのか、ものの考え方のベー
スとなるものが私たちにも彼らにも染みついているわけです。その「染み付き」が哲学者
たちの違った学派のあいだでどのような思いつきとして現れたか?
それを想像するため
のまず最初の手がかりは、哲学者たちの年表を作ってみる。それが大変なら、それぞれの
生年月日・没年月日を調べてみる。そして Excel などでソートして並べてみると大変発見
があります。
その年表に加えて、芸術関係を調べると大変面白いです。例えば、モーツァルトとカン
トがどういう時代関係にあったか、ぱッと思いつきますか? カントが『純粋理性批判』B
版を書いていたころは、モーツァルトの晩年で、彼が三大交響曲(交響曲第 39 番、第 40
番、第 41 番)を書いていた頃なんですよ2。
●「運命」を観ずることとしての哲学
さて、私たちは哲学の思想内容の源流としてのギリシャに非常に着目します。それは先
ほどあげた三人、ソクラテス(前 469-前 399)、プラトン(前 427-前 347)
、アリストテレス(前
384-前 322)です。ラファエロが『アテネの学堂』で描いているとおり、この三人はほぼ同
時代の人なんです。ここで問題です。ユークリッド幾何学で有名なユークリッドは、この
三人より前でしょうか、後でしょうか?
アルキメデスはこの三人より前でしょうか後で
しょうか? ピタゴラスはこの三人より前でしょうか後でしょうか?
正解はユークリッド(前 365?-275?)とアルキメデス(前 287-前 212)がこの三人よりも
あとで、ピタゴラス(前 582-前 496)が前です。全然歴史が違うんですよ。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスの三人というのは、ほぼギリシャ最後期、アテ
ネがギリシャに対して支配権をもった時代です。しかも、ソクラテスは戦争に従事して兵
士になった人ですから。ギリシャがポリスの形態をとりながら、ローマの原型となるよう
な帝国主義に目覚めつつあった時代のころの人たちです。
さらにこの三人以前にはソフィストたちがいます。歴史的に有名なのは、イオニアのタ
レス。内容的に有名なのは、パルメニデス(前 500?-没年不明)と、ヘラクレイトス(前 540?前 480?)。この二人は非常に重要です。パルメニデスはある意味で真理の原型となるような
「一者」や「不滅」を唱えました。ヘラクレイトスは「万物は流転する」
(Παντα ρει., Panta
rhei.)
」を唱えたのですが、謎の人、と呼ばれています。あいつの言っていることはまった
カント(1724-1804)の生きていた時代には、J・S・バッハ(1685-1750)、モーツァルト、ベ
ートーヴェンがいた。カントが生まれた年には大バッハは三十九歳の円熟期であり、ライ
プツィヒの聖トマス教会付属学校カントル(合唱長)として、不滅の教会音楽や受難曲の作曲
をはじめようとしていた。また、モーツァルト(1756-1791)はカントより三十二歳年少だが、
カントより先に亡くなっている。
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第2回講義
くわからんということで。
しかし、これだってギリシャの一部に過ぎないんですよ。ギリシャ文明は非常に長いで
す。ミケーネ文明3なんてこれより千年くらい前ですから。それでギリシャ思想を語るとい
うのは、日本でいえば、西田幾多郎とか田辺元の思想を持ってきて、紫式部や清少納言と
かの平安時代とまとめて、
「日本はねえ」と述べるようなものなんですよ。
ところで、ソフィストたちからフィロソフィスト(哲学者)たちまでのあいだ、基礎とされ
ていたのは何だったのでしょうか。
幾つもあるのでしょうが、一つは「運命:テロス」です。これは「目的」とも訳されます。
ギリシャにおいて「運命」は典型的にギリシャ悲劇によって表現されます。そして、ギ
リシャ悲劇の最盛期、三大悲劇詩人4のころが、さきほどのソクラテス・プラトン・アリス
トテレスとほぼ同じです。哲学者にはだれも賞金を出しませんでしたが、悲劇詩人には莫
大な賞金と名誉が与えられました。
『アンティゴネー』や、心理学科の人にとってはおなじ
みの『オイディプス王』がソフォクレスによって書かれ、上演されたのもこのころです。
このように「運命」ということが――これはじつは次の「世界観」の授業にも関係するの
ですが――「運命」が一番のベースである彼らの発想においては、「運命」をどのように知
ることができるか、というのが最大の問題だったのです。
例えばオイディプス王は自分の親を知らずに羊飼いに育てられ、父親を殺し、母親を妻
としてしまい、それがもとでテーバイから追放されて死ぬ。これが運命だ、と。でも彼は
ひとつも悪いことをしていないですよね。責められるべきものを持っていない。しかしそ
れが決定論しての「運命」であり、しかもそれは私たちにはわからない。
そういうときに、
「観想」
観想」とは「
とは「運命」
運命」を観ずることだったのではないか
ずることだったのではないか?
ことだったのではないか? 「運命」は
変えられない。モイラの女神がもう紡いでしまったから。でも、
「運命」を見ることによっ
て心の平安を得られるかもしれない。これはストア派やエピクロスなんですよ。哲学
哲学をす
哲学をす
るというときの一番
るというときの一番の
一番のベースは
ベースはギリシャにおいて
ギリシャにおいて「運命に
運命に対して、
して、私たちは何
たちは何ができるか?
ができるか?
もしくは、
もしくは、何ができないのか?
ができないのか?」ということに対
ということに対するひとつの
するひとつの了解
ひとつの了解のもとで
了解のもとで始
のもとで始まった可能
まった可能
性があります。
があります。
これは間違いかもしれないですよ、私はギリシャの専門家ではないですから。でも真理
とはなんなのか? 大雑把に言ってしまえば、
「明らかにする:アレテイア」ことです。世界
は明らかなんですよ、運命が進展していけば。しかしそれをそれとして自分が生きるには、
前もって運命を明らかにして、運命にたじろがないようにするための、それが観想だとい
う可能性があります。つまり、非常に消極的な意味での行為、行為をあきらめた行為とし
ての哲学があったと考えることができます。
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ペロポネソス半島を中心に栄えた青銅器文明。紀元前 1450 年から 1150 年ごろに栄えた。
4アテナイのアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの三人。ちなみにプラトンは当初、
悲劇詩人を目指していたが挫折して哲学者になった。またアリストテレスの『詩学』は悲
劇論である。
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●「見る=観る」ことだけが哲学として残った
私たちは真理という言葉をギリシャから継承した。でも、ギリシャの運命論はぜんぜん
継承していないんですよ。
前回お見せした新田義弘さんの『哲学の歴史』の第二章で、ヘブライの思想を扱ってい
ます。キリスト教とギリシャ哲学が融合したことによって、キリスト教における終末思想、
そして世界の外に立つ神、そして世界の外に立つ私たちというものが作られたと彼は指摘
しています5。それは僕は正しいと思う。世界の外に立つわれわれという発想はギリシャに
はありません、運命というのは世界のなかの出来事ですから。世界のそとに運命はありま
せん。世界の外は、超越神という仕方でしか関われない。まったく構造が変わってしまう。
にも関わらず、真理という概念はを私たちはずっと保持してきた。そこで内容が転換し
ている可能性があるにもかかわらず。では、そのときに「真理」というものがなんだった
か。「真理」というものに対して現在私たちのところまで来ている哲学の段階ではどういう
ふるまいができるか。
「観想」=「運命」を観ずることが、基本的には真理の認識というようになるわけです
よね。「真理」にはいろいろ訳があって英語だったら「truth」ですし、ドイツ語なら
「Wahrheit」、ラテン語なら「veritas」
。でも、真理というものに対する関わりであるとい
うことが、ギリシャとの接合から来た哲学の成立においてずっと一貫していたわけですね。
そうすると、真理である以上、どうやったって私たちの勝手にはならない。だから真理は
「見る=観る」ものだと。
「見る」というタイプの行為をベースにした形で哲学の議論はず
ーっと続いているわけですよ。
●なにが見えているのか?
――能動知性について
ところが問題がある。ここにチョークがありますね。ほんとうにあるんでしょうか? た
しかにチョークは見えています。でも、このチョークはもしかしたら三次元のホログラフ
かもしれない。
「なにが見
「見る」とい
なにが見えているのか?」
えているのか?」と
?」と問うたときに真理
うたときに真理を
真理を保証するという
保証するということが
するということが、
ことが、
うベースのなかで
ベースのなかでどのように
のなかでどのように可能
どのように可能になるのか
可能になるのか、
になるのか、ということが当然問題
ということが当然問題になります
当然問題になります。
になります。だから
デカルトが出た、ということを言いたくなるけれども、そんなに単純じゃない。デカルト
が来るまでの千年間、そんなにバカばかりいたわけじゃないですから。その千年間のあい
だ、真理を見る=観るということ、その見る=観るという機能を何に背負わせるかという
問題がずっとあったわけです。
だから「見る」という語は、非常に強く知性的(interectus)なものと結びついています。
知性は「見る」ことがモデルとなるわけです。フッサール(Edmund Husserl,1859-1938)
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『哲学の歴史』
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の現象学でも「見る」ということがベースになっています。
「見る」といったときにどれく
らいの手段があるのか、何によって「見る」のか?
何によって見るかはいくつも方法は
ありますよね。
「目で見る」。これは一般的な意味ですね。あと「心で見る」
。日本では心眼
という言葉があります。そして、「知性で見る」。そのときに「知性というものは何である
か」というものが問題になってくるわけです。知性ってなんでしょう?
まさか知能テス
トで算出されるIQの数値じゃないし、脳トレのスコアが知性でもないよね。
「知性で見る」と言ったときに、中世ヨーロッパにおいては一番広い意味での人間の精
神活動は、以下の三つに分けられます。
「感覚」、
「理性」
「知性(能動知性)
」です。
感覚
理性
知性(能動知性)
なぜかヨーロッパは「3」が好きなんだよね。三圃式農業をやっていたせいかもしれな
いけれど。面白いことに、カントの分類も3と4がベースなんですよね。音楽に関しても、
ヨーロッパの音楽のベースは3拍子なんですよ、ワルツなどの舞曲などは特に。
この三つが、キリスト教中世体系では基本となります。つまり、「感覚」は「知性」に対
比されるものではなく、人間の知性の一部だとみなされているわけです。
ちなみに、インド仏教系になると、むしろ感覚をベースにして拡大していきます。大乗
仏教の唯識派は4世紀、無着(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)によって大成されました。
そこではこのようになっています。
五識―眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)
意識
マナ識
アーラヤ識
般若心経で「色即是空、空即是色」といったときの「色」に関わる「五識」、これは通常
の五感と呼ばれているものとほぼ同義です。そして潜在的な統一体として自らを自覚する、
という意味での「意識」。種族的なレベルにおける無意識などを含んだ「マナ識」。そして
世界の根本となっている「アーラヤ識」
。この「アーラヤ識」にライプニッツのモナド論を
重ね合わせて解釈している人もいます。仏教の側ではこの「識」ということばからわかる
ように、
「感覚」のほうの拡大に近い形をとるんですね。ところが西洋のほうは、
「知性(能
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動知性)」のほうの拡大という形をとる。なぜかといえば、「知性(能動知性)」は神様に関
係があるからです。
「感覚」は通常の意味での感覚です。「理性」というのは理論・推理能力のレベルです。
そして「知性(能動知性)」とは――ここで言うことは文脈に即した一面的なものなので、
ちゃんと中世哲学の人に聞かなければならないのですが――世界の本質、ギリシャなら「運
命」、中世ヨーロッパだったら「神が世界を設計した理念」を直接
直接に
直接に知ることなんです。い
ること
きなり知る、直覚的に知ることなんです。能動知性には、途中で推理が入っていない。こ
れは中世ヨーロッパでもっとも議論された、そして近代においてもっとも批判された内容
なんです。
能動知性に関してはアウグスティヌスもトマス・アクィナスも著作を残していますが、
非常に精緻に書き、かつ現代的なものに影響がある著作が、ニコラウス・クザーヌス
(Nicolaus Cusanus、1401-1464)の『知ある無知』(De docta ignorantia,1440 年)です。
神の知性は常に私たちを追いこしている、という形をベースにしています。クザーヌスが
画期的だったのは、無限性の概念を取りこんだということです。無限性の概念は中世ヨー
ロッパでは非常に嫌われました。神においては一挙にとらえられるにもかかわらず、私た
ちがたどりつけない無限、それを肯定的な形で言うことが大変難しかったわけです。信仰
の立場から言えば、神様に対して人間は従うべきだから、社会的-規範的なものとはギャ
ップがあったほうがいい。そうではなくて、
「知性」の立場からそういうギャップはないほ
うがいい、ということでクザーヌスは頑張ったわけです。
●「神」が「運命」に置き換わった中世ヨーロッパ
「見る」ということのベースを、この三つをふまえてもう一度考えたときに、見方が違
うわけです。感覚は通常、瞬時のものです。足を踏まれても、まだ、痛くない…、という
トリケラトプスみたいなやつはいないよね。
(笑) 理性は推理ですから、時間をかけてい
る。でもそのかけている時間に関しての議論はあまりない。能動知性は直観です。ドイツ
語では直観は「Anshun」ですが、「shun」はもともと「見る」という意味合いなんです。
「見る」のに時間はかからない。
そして、神様はいるかいないかわからない、確実なものではない、だから「知性」を棄
却して新たな体系へ分けかえようとしたのが、イマニュエル・カント(Immanuel Kant,
1724-1804)です。デカルト(1596-1650)の時代にはまだ神様はいました。カントは、神様を
私たちの認識として措定する権利が私たちにはない、と言い切ります。
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感覚
感性 die Sinnlichkeit
理性
悟性 der Verstand (understanding)
知性(能動知性)
理性 mit Vernunft
ちなみに、哲学用語として使うときにはドイツ語の性は書かれないことが多いです。み
んなドイツ語ができて当たり前だと思っているからなのかもしれませんが、ここでは性も
書いておきます。
カントは感覚を「感性 die Sinnlichkeit」
、理性を、
「悟性 der Verstand」(前に立てる、
の名詞形)と「理性 die Vernunft」に分けました。「悟性 der Verstand」は英語では
「understanding」と訳されていて、ジョン・ロックの『人間悟性論』(1689)の英語でのタ
イトルは“An Essay concerning Human Understanding”です。
この三つの分類がどこに書かれているかというと、『純粋理性批判』(Kritik der reinen
Vernunft, 1781/1787)です。A版とB版で内容の重要なところがだいぶ書き替えられてい
ます。
「感性 die Sinnlichkeit」は感覚・経験として世界と接するものです。カントの場合
は観念論のベースがありますからそれほど単純ではないのですが。
「悟性 der Verstand」は
アリストテレスとも関係があるんですけれども、感性で得られた状況を判断の形に乗るよ
うにするときの枠の取り方です。
「理性 die Vernunft」はやっぱり推理能力なんですよ。何
を推理するかというと、届かないものを推理する能力です。直接に与えられない、確証で
きないものまでも推理してしまう。神様とかも。だから「理性 die Vernunft」が一番危険
である、とカントは見なしていた。だから彼は「純粋理性を批判する」という作業を行っ
たんです。
では、クザーヌスからカントまでのあいだにあるのにすっ飛ばしてしまった中世では「見
る」ということをどうやっていたのかというと、「神の光のもとで見る」、神の光にたどり
着くために「理性」を駆使して人間が見ていく、というのが中世ヨーロッパの哲学の立場
です。そのときに「なにが見えているか」というのが真理なわけです。そのとき「なにが
見えているか」の基準を立てなければいけないわけですが、その基準となったのが、理論
的な体系としてではなく宗教的な感覚も含めてアラビアから再輸入されたのがアリストテ
レスだったわけです。「理性」によって世界を明らかにしようとするシステムを整理した時
代が中世です。その意味で、中世はまったく暗黒時代ではありません。理性を否定したの
ではなく、むしろものすごく理性を考え続けていた。ただ、そのベースに「神の光」は常
に残るし、それを確証するという目的があったわけです。なにを哲学の問題にしたいか、
と言ったときの一つベースであった「真理を見ること」は、彼らにとって手段でしかなか
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ったのです。彼らは「神」を見たかったんですから。観想は、ギリシャでは「運命」を見
ることだったのが、中世ヨーロッパにおいては「神」を見ることへと置き換えられたわけ
です。旧約聖書は妬む神だからおっかないところもあるけれど、世界全ての創造、この悲
惨なる世界から救われるという原理の神様でもあった。その「神」を見ることが真理を見
ることと一致したわけです。
これは演劇のうえではドラマトゥルギーとして人に影響を与え、かつ政治にも影響を与
える仕方としてギリシャではもともとありました。ギリシャはもともと祭政一致でしたが、
じっさいに、悲劇詩人は非常に高い社会的なステイタスを持っていて、そのことから彼ら
の発言力が高かったことが窺えます。つまり、悲劇詩人は人々のパトスをかき立てるかた
ちで政治に関わっていた。例えばポエニ戦争6は詩人が「あいつらやっつけちまえ!」と煽
った戦争ですし、ある種のエリート主義をもって世界に影響を与えるということがいっぱ
いあったわけです。この危険性は現代も残っているわけで、カントよりも後のドイツで、
民族化運動がどれほどの虐殺を生んだかを省みればわかります。その危険性に対抗すると
いう感覚を、知性的な上流市民である哲学者たちが持っていたということはあるでしょう。
だから「運命」を言わなくなったときに、
「真理」というものが非常に高く取り上げられ
た。かつ、「真理」が私たちの見なしている世界とどのようにかかわるかが問題となった。
プラトンは最初は理論的な考察から出発したのですが、後期になると行為論的-倫理的な
話が主になっていきます。アリストテレスは――彼は非常にいろいろなことをやった人な
のですが――有名な『ニコマコス倫理学』を書きましたね。ちなみに、弁論術をやったソ
フィストたち、彼らは非常に教育的な側面を持っていました。空に舞い上がっているよう
な理想から始める教育論なんかではなく、実際的な対人関係、日常的な人間の正しさを説
いた。弁論術というのは単純に口先だけの話ではないんです。
でも、やはりソフィストたちのやり方では満足できない。プラトンは「善のイデア」と
いうことを言いましたし、アリストテレスだったら、
「徳=卓越性:アレテー」というかたち
にもっていく。死に対する予行演習だと。この死というのは「運命」とほぼ同義なわけで
す。中世ヨーロッパにおいてはその役割を神様が全部引き受けたんですね。
●知的作業と技術・行為は伝統的にずっと切れていた
ところが、だんだんと確実に、純粋に見ているかという危険性を帯びるようになってき
た。
繰り返しますが、「見る」というのは行為だとは考えられていません。だから、「見る」
ということは外に向かってすることである。もっとも甚だしいのは、
「運命」に対してもっ
共和政ローマとカルタゴとの間で、地中海世界の覇権を賭けて争われた戦争。ポエニとは、
ラテン語でフェニキア人(カルタゴはフェニキア人の建てた国)を意味する言葉。紀元前
264 年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前 146 年のカルタゴ滅亡まで 3 度にわ
たる戦争が繰り広げられた。(cf. Wikipedia「ポエニ戦争」)
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とも従順であると言われるエピクロス派で、
「平静な心:アタラクシア」と言っていますけれ
ど、まったく無感動であることを説きます。例えば、会社に勤めていたらある朝倒産して
お金が一銭も入らなくなった「うわあ、明日からどうしよう!」
、あるいはデートの待ち合
わせ場所に行ったら恋人が来なくて後日、二股かけられていたことを知った「うわあ、な
んてことだ!」
、これらは運命を知らなかったからです。人生を楽しむために生きなければ
ならない。では楽しむためにはどうしたらいいか。美味いものを食おう。でも美味いもの
ばかり食べていたら糖尿病になって苦しむかもしれない。それはまずいじゃないか。……
それをどんどんあげていくと、
「見る」という立場
いう立場の
立場の一番の
一番の到達点は
到達点は「運命」
運命」と合致する
合致すると
する
いうかたちで幸福に至ろうとするのが「平静な心:アタラクシア」です。ここで「見る」は
ふつうの意味での行為から完全に切り離されています。
エピクロス派だけでなく、古代ギリシャにおいて、知的な探求をする人は職人階級から
まったく切れているわけです。ソクラテスの「無知の知」の話7では、ソクラテスが知恵者
として評判の船大工のおっさんや法律家のところに言って対話するんだけれども、彼らは
自分の知っていることしか知らなくて、それ以外を知らないということを知らない。彼ら
は行為としての知識は持っているわけです。しかし、ソクラテスは彼らは「運命」を知ら
ないということで彼らを貶めるわけです。
知的作業と技術・行為は伝統的にずっと切れてしまっていたわけです。そしてその知的
作業とは「見る」ことでした。それはなぜ「科学」がヨーロッパで発生したか、という第
一回の講義での疑問とも関係してくるでしょう。
ちなみに、インドにおいても観想がありますが、身体的なヨガとか苦行とかも入ってく
るので、知的作業と技術・行為が完全に切れたということはありませんでした。中国でも
理論的なものはすごく発達しましたが、
「見る」ではなくて「用いる」が基本です。中国の
神話で、三皇五帝というのがいます。原初にいた神様は伏羲(ふくぎ)・神農(しんのう)・女
禍(じょか)であった。その一人である神農は医者です。世界の最初に医者がいたわけですよ。
その一方でギリシャ神話においてもともと医学の神様はいません。アスクレピオス8はゼウ
スの私生児です。さらに言うと、古代ギリシャでは外科医の役目を床屋がになっていまし
た。床屋のおっさんが手術していたんです。
知性と技術・行為が切れている、というヨーロッパの特殊性はずっと残っていて、両者
が再び出会うのはルネサンスにおいてです。ルネサンスは万能の天才の時代と言われてい
ますが、二通りのタイプがいます。一方は、典型的なルネサンス人と呼ばれるレオナルド・
ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452-1519)、彼の出身階級は職人です。つまり、当時
の人たちから見れば、ダ・ヴィンチは知性のある哲学者ではなく、非常に優れたそこらの
プラトン『ソクラテスの弁明』参照。ちなみに以下のサイトで無料で閲覧できる。
http://page.freett.com/rionag/plato/apology.html
8 蛇遣い座のイメージで知られている、蛇の巻きついた杖を持っている神の使者。悲劇詩人
ソフォクレスは自宅をアスクレピオスの仮神殿として医学の普及に努めていた。
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第2回講義
職人のおっさんなんですよ。絵画にしても、すごくステイタスの高い芸術家ではなくて、
注文に応じて書く、雑誌で書け書けってせっつかれている漫画家みたいなものと見なされ
ていました。もう一方は、ダ・ヴィンチのちょっと前にいたアルベルティ(Leon Battista
Alberti、1404-1472)
。彼は知識階級で、技術・行為に関心を持っていた人です。ある側面
でアルベルティはダ・ヴィンチを越えるほどいろいろ考えていますが、やはり思弁的だっ
たから、実際性に即することが弱かったと。
伝統的に切れていた知性と技術・行為が、中世からルネサンスに至って初めて一致した。
しかし、一致したときに問題が起こってきた。いままでは「見る」だけだったから、
「見た
ような気になった」だけで良かった。神様はいる。見られるはずだ。それで良かったんで
す。
●拒否論と懐疑論、そしてデカルトの方法論的懐疑
私の好きなスターリン・ジョークの一つにこんなのがあります。「科学とはなにか? 真
っ暗な部屋のなかで目隠しをして、黒猫を手探りでさがすことである。哲学とは何か? 真
っ暗な部屋のなかで目隠しをして、居もしない黒猫をさがすことである。唯物論的弁証法
とはなにか?
た!
真っ暗な部屋のなかで目隠しをして、居もしない黒猫をさがし、「見つけ
見つけた!」と叫ぶことである」と。これはつまりロクでもないことをしていると
いう話なんですけど。(笑)
つまり哲学においては、見ているという保証がどこに置かれているか。つまり、一致し
たときに触れるということが言えるわけです。五感において見て、触れる。見ることしか
できないのは幻なわけです。では、能動知性における「見る」における保証はどうなるで
しょうか。保証する手段はありません。
そこでデカルトの方法論的懐疑9が出てくるんです。「なにが確実に私たちに知られるの
か」。比喩的に言えば、「なにが確実に私たちに観られるのか」。知る、というより「見る」
のニュアンスなんですよ。
ところで、懐疑論はなかなか流れが多くて、運命とアタラクシア、アパテイアの関係を
考えたときに、懐疑論を考えると面白いんですよ。
「観想の末にある見解をもつ、しかしそ
れが運命と一致しているかどうかわからない。だって保証がないんだもの」という議論が
やはりこの時代にはあったわけです。だから「やめちゃえ!」という立場をとるのが、ア
タラクシア、アパテイアを目指していた、つまりエピクロス派とストア派です。そうでは
なくて、「まあ、そんなもんだよね」ともうすこしこの事態をお気楽に受け取っておこうと
する人たちがいたわけです。後者の立場が懐疑論(scepticism)と呼ばれる立場です。これが
じつは見るということの保証に対する「見てないかもしれない」になるわけです。
よく間違えられるが、「方法論的懐疑」はいわゆる懐疑論ではない。
「一切を疑うべし De
omnibus dubitandum」というデカルトの懐疑は、真理に到達するために疑うという方法論、
仮の前提としての「懐疑」である点に注意すること。
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「科学哲学」塩谷賢@法政大学
第2回講義
僕は非常に懐疑論的な部分があるのですが、懐疑論は哲学に対するもっとも敵になるも
のだったんです。でも、最初の懐疑論というのは、
「アタラクシアになっちゃうと、人間は
なんにもしなくなっちゃうじゃない」から始まったんです。だって飯を食うのもそれを幸
福と感じてはだめなんだから。エピクロス派のアタラクシアは「感覚を楽しみなさい」か
ら出発して、「すべての感覚を投げ捨てなさい。そうすればあなたは幸福になるでしょう」
に到達するわけです。じゃあ死ねばいいんじゃないかと思うんですが。(笑)ストア派のア
パテイアはアタラクシアと概念的には重なる部分があるんですけれど、ちょっと違います。
「運命」に対する受け入れを考えたときに「パトスから離れる」態度をとるんです。
とにかく、アタラクシア、アパテイアのとる態度は拒否だったんですよ。でも、
「まあそ
こんところは、そんなに真剣に考えなくてもいいじゃないか」という立場をとるのが懐疑
論なわけです。アタラクシア、アパテイアは、懐疑論ではなく、もっと強い拒否論なんで
す。それに対する懐疑論を初めて言ったのがピュロン(Pyrrho、前 360 年頃-前 270 年頃)
です。彼の思想はアイネシデモスによって紀元前一世紀ごろにピュロン主義として整理さ
れ、セクストス・エンペイリコス(160-210)によって『ピュロン主義哲学の概要』としてま
とめられました。その著作は長らく忘れられていたんですが、ルネサンス期に再発見され
て印刷されて一気に広まったんです。それが近代のベースとなってすごい影響を与えたん
ですね。10
そういうタイプの懐疑論が古代ギリシャにあって、そこでは「行為ということを素朴に
そのまま受けとめましょう」ということが言われていました。つまり、懐疑論は拒否論で
はないわけです。この世界は幻想ではないか、という存在論的懐疑ではありません。
「現象
的に私たちに与えられてくるもの、それはとりあえずある」ということに関してピュロン
派は疑いません。
「ある判断に固執してはならない。現象の裏側にある真実がなんであるか、
ということについて論を立てるということをするな」という立場です。それは、その場そ
の場でぱっぱらぱーに生きていきましょう、ということになってしまうかもしれない。だ
から、懐疑論はルネサンスの享楽的な時代の雰囲気とマッチしていたのかもしれませんね。
それではいかん、と真面目な人たちは思ったのでしょう。だから懐疑論というのは哲学に
おいて最も忌避すべき相手になったんです。この傾向は、いまだに伝統的な発想として残
っています。
一番ひどい懐疑論批判は「「すべてを懐疑する」という命題を立てたとしましょう。じゃ
あお前の立場はどうなるんだと。お前はその命題に対して懐疑を抱いていないじゃないか」
という反駁です。嘘つきのパラドックスの典型ですね。でも、そんな簡単な話じゃなくて、
ちゃんと考えなくちゃいけないんだけど。
ヘーゲルは「哲学史講義」でセクストス・エンペイリコスをギリシャ最大の懐疑論者と
して扱っている。
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第2回講義
●見るという行為が重要なのか?
見た内容が重要なのか?
とにかく、ピュロン主義は判断を立てることを、よくない、というわけです。判断を基
礎付けとして生きていくことは決定的な真理をもたらさない、ということを言うわけです。
ここが大きな分岐点となります。
見るという行為
るという行為が
行為が重要なのか
重要なのか?
なのか? 見た内容が
内容が重要なのか
重要なのか?
なのか?
見た内容に関しては、私たちはふつうイメージで、五感のレベルで立てる。知性で観た
場合は、命題、または判断のレベルで立てる。
「この内容が重要である」という立場と、
「見
るという行為はしてもかまわない。けれど、見た内容に絶対性を与えるということをやめ
ましょう」という立場がある。後者の立場がピュロン主義を引き継いでいます。
ここで「見る」という言葉が行為として持っている意味というのが、非常にずれてくる
わけですよ。
「見る」が行為ではないと思ってしまっていることが哲学の源泉として伝統的にあった。
正確な場所を覚えていないのですが、オルテガが引用しているフィヒテの言葉として、「哲
学をするということは生きていることではない。それは見ていることだ」と。さらに、ヴ
ィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein, 1889-1951)の、後に「治療的理解」という
言葉で言われることですが、「哲学は擬似問題である」なぜなら、「哲学の思考は言語が寝
ているときに行われている」。これは言語行為、言語ゲームとして見たときに「哲学として
問題になっている議論は言語ゲームから外れている」と考えているからです。だからそう
ではなくて言語行為のなかに哲学をとりこもうとする計画が、後期ヴィトゲンシュタイン
の方向性だったと思われます。
これまでの話で、
「見る」という行為がいかに問題を抱えているかがわかっていただけた
と思います。
懐疑論というのは
「見
懐疑論というのは、
というのは、
「見た内容」
内容」に対する懐疑論
する懐疑論だったわけです
懐疑論だったわけです。
だったわけです。それしか見るというこ
を考えていないもの。だから、
「懐疑しつづけてもそれでも懐疑できないものを見せてやる
よ」というのがデカルトの(René Descartes, 1596–1650)の方法論的懐疑でした。ピュロ
ン派は疑ったからといって生きるのをやめろ、と言っているわけではないわけです。デカ
ルトは懐疑論を、エピクロス派のように「見るということをやめろ」という態度であると
思ってしまっているわけです。じゃあやめてみせようじゃないかというのが方法論的懐疑
です。疑うことを中断するのではなくて、疑わしいものを拒否するわけです。この態度は
ちょっと違うんですが、フッサールの「エポケー」に近いです。ちなみにエポケーはアタ
ラクシアに至るための判断中止という意味が元になっています。
●「疑われている私」と「疑っている私」のずれ
デカルトは言います。神様は悪しき霊かもしれない。あるいは、欺く神であって嘘をつ
いているかもしれない。でも、
「疑っている私が、いま疑っているということを、私は疑え
ない」
。これがポイントになるわけです。
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第2回講義
でも、なんででしょう?
は疑えない」んでしょうか?
なんで「疑っている私が、いま疑っているということを、私
これは不思議なんですよ。疑ってもいいじゃないですか。
じっさいにサルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)は若い頃にこの問題を扱いました。
そして、疑
疑っている私
っている私と疑われている私
われている私が同じである保証
じである保証がない
保証がないことに気がつきます。デ
がない
カルトの言葉では、
「pour soit(fur sich):対自」と「an soit(an sich):即自」がすでにずれて
いるじゃないか、というのがサルトルの意見です。この二つの言葉はヘーゲルから来てい
るのですが。つまり、
「疑われている私」が「対自」で、
「疑っている私」が「即自」です。
ここで実存哲学者サルトルが注目しているのは行為なんですよ。疑うという行為が疑い得
ない。つまり、内容
内容ではなくて
内容ではなくて、
ではなくて、行為に
行為に対して「
して「疑えない」
えない」ということをデカルト
ということをデカルトは
デカルトは言っ
ているわけです
ているわけです。
わけです。
ここで「行為とはなんだ」という議論に戻ります。
「見る」ということは行為の結果、
「見
たこと」であったわけです。目線を向ける(look)だけでは見る(see)ということは起こらない
わけですよ。「見て取った」という完了した結果がないと見る(see)は起こらないわけです。
完了した結果を、結果として固定してくれるのが、
「見た内容」なんです。行為はすでに流
れ去ってしまっているため、結果を固定してくれない。――それが真理という言葉のベー
スとなってしまっている一つの考え方なんです。
その見方をベースにしてよいのだろうか、という議論があってもよかったんですよ。と
ころが、真理の発見という結果の議論ばかりをしていた。
これはシラバスに書いたとおりですが、社会との関係という問題とも関わるし、現代な
らハーバーマスのコミュニケーション理論とかルーマンの社会システム論なんかと関わっ
てきます。そういう文脈の問題があるにもかかわらず、真理の発見が問題なのだと言って
しまっていいのだろうか。見たことの結果、に限定してしまってよいのだろうか。
科学においてはこういいかえられます。実験することが重要なのか?
なのか?
実験結果が重要
この問いが科学哲学で問われ始めたのも最近のことです。出てきた結果をさら
になにに使うか――「運命」や「神」を見ることも含めて――という目的論的な部分をぜ
んぶ知らん顔して真理を自己目的化したのが科学であったわけです。
ということをふまえると、見
見るということ、
るということ、思考するということが
思考するということが完了動詞
するということが完了動詞だと
完了動詞だと考
だと考える
ところに哲学
ところに哲学の
哲学の問題点があるわけです
問題点があるわけです。
があるわけです。
●(哲学の)言葉は信頼を置くに足るか?
ところで、
「いま私が疑っているということを、私は疑えない」ということをなんで言え
るの? という問いに対する反論として、こう答えることもできます。「だって、疑ってし
まったら「疑う」という言葉が成立することができなくなるじゃないか」と。デカルトも
こう反論します。
さて、ではなぜデカルトは言葉に信頼を置くことができるのでしょうかね。
もちろんこの反論はまともなもので、一般的に考えれば納得することもできます。でも、
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「科学哲学」塩谷賢@法政大学
第2回講義
疑うというのは言葉でしょう?
疑うという行為について、彼は答えていないよね。言葉
に即して「
「疑う」が成立しないからだめです」という話は、なにによって保証されるのか、
という問いかけに対してデカルトは答えを持たないわけですよ。
でも、デカルトはそのあとで「cogito, ergo sum (Je pense, donc je suis )」まで導いた。
この移行をデカルトはしょうがないとした。でもこれはピュロン派のしょうがなさと近い
んですよ。要するに、そこに現にそれが起こっているということ(デカルトの場合は疑う
という行為が行われているということ)を認めてもいじゃないですか、べつにそれを判断
のベースにしてもいいじゃないですか、ということです。そしてデカルトは「私はある」
へと移動する。でもこれは現象的にいまある、基礎がなくていまあるに留まってしまった
らそれで終わってしまうし、と言っても、涅槃に行きましょうということでもない。ここ
で、デカルトは真理のもっている強制通用力として、結局もう一度神様を持ち出すわけで
す。神の連続創造ということを彼はいいますし、神様はいつでも私たちに誠実であるとも
言いますし、神の存在論証もやります。だから非常に不徹底な側面が残ってしまう。
だからその神様の話、意志論的神学を排除しなければならないということでライプニッ
ツの批判があり、神という言葉を持ち出さずに「見る」ということを正当に行うためにカ
ントが出てきたわけですね。
カントが行うのは、経験の可能性に対する吟味です。その経験とはなにか?
見られた、
というかたちでの内容なんです。「見た」ということではなくて、「見られた」ということ
です。カントが影響を受けているイギリス経験論のヒュームは、意識という概念を、私た
ちが脳科学を通じてイメージするようなある種の機能的なものと捉えません。そうではな
くて、
「見た内容」のプールとして、そしてその「見た内容」が自己組織化していく、とい
う両方の働きとして考えます。つまり、見られた内容の書き込まれる場所、溜まる場所と
して、その内容がどういうふうに関連しているのか、文節しているのかを考えているわけ
です。
それを問うのがカントです。しかしカントはそれを意識ではなく「判断」だと捉えまし
た。判断という行為をベースにしたのです。でもやっぱり判断という行為ではなくて、判
断の中身しか議論していない。
最近になって生の哲学ということが言われ始めましたが、少なくとも伝統的な哲学概念
の成立に関しては「見る」ということを「行為として見る」ということの意味が捨象され
たままずっときてしまったわけですよ。広い意味での理性が行き過ぎて、しかもカント哲
学はニュートンの力学をモデルにしてその思想的受容としてヨーロッパで受け入れられま
した。ですから機械論的自然観ともかかわってくる。例えば、そこに座っている彼が何を
考えているのかを知ろうとしたときに、MRI とかで脳のどこが励起しているかを計測して、
そのデータをとって、これで彼がなにを考えているのかわかった、と思いたがる人が今で
もいるじゃない。近世では、デカルトの機械論的自然観があります。自然とはパチンコ玉
やビリヤードの玉の運動であり、それを外から見ていけばいいんだと。そうやって「見る」
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「科学哲学」塩谷賢@法政大学
第2回講義
ということの整序化をどんどんやっていって、科学技術は発展していった。でも、いやい
や、俺たちはそんなんじゃないぞ、生きてるんだぞ、というロマン主義の巻き返しもあっ
た。「疾風怒濤」
(Sturm und Drang)ですね。そのころから、生きているということをど
うにかしようという風潮が起こった。けれど、哲学は非常に微妙になってしまったわけで
す。矛盾する立場ですよね。哲学は行為ということから受け取るべきものをなんとかしよ
うと考えはじめなければいけなかった、しかし難しくてできなかった。
だから哲学者、というより思想家ニーチェ(Fridrich Nietzsch, 1844-1900)は哲学的な言
い方に対して拒否感、というか、最終的に保証するものとして認めず、とりあえず支える
もの以上の何かして捉えることをしなかった。そういう流れのなかで、方法論的懐疑なん
てひどいんで、コギトをとりあえず存在の問題のほうに振り分けちゃった人がいる、それ
がフッサール(Edmund Husserl, 1859-1938)です。現象学の始まりですね。そしてハイ
デッガー、とくに後期ハイデッガーが詩のなかで神話的な体系を作り、反哲学という流れ
を作っていった。
●真理=見るという構造は避けがたい。
私がここで問いたいのは、行為ということを、ある時空間の内部で行為しているよ、と
見なすことはできるんだけれど、そうではなくて、どういう機能なのかということなので
す。伝統的哲学においては「見る」ということの行為の側面を捨てて、「見た結果」の部分
だけを抜き取ってきた。
「見た結果」というのは「見る」という行為の措定に関して無頓着
でよかったわけです。だから、行為ということはどういうことなのか、ということを言わ
なければならない。ふつう、行為というと肉体が入ってきますよね。身体が関わってくる。
いまこうやって右腕を右から左へ動かしてみる。でも、これは外から見た記述だよね。右
腕がこの位置からここまで動いたというだけで、僕がそれをやったということはわからな
い。
つまりいま、「行為そのもの」が行為として言われたのではなくて、行為を他から「見た
結果」が行為として言われたのですよね。つまり、視覚が持っている、生物的に異常なほ
どに強い情報収集力に、私たちは常に引きずられてしまう。さらに哲学においては「見る」
ということを主題化しなければならない。真理
真理=
真理=見るという構造
るという構造は
構造は避けがたい。
けがたい。でも、
でも、こ
れを行為
れを行為という
行為という文脈
という文脈に
文脈に置き直したらどうなるか。
したらどうなるか。――という
――という方
という方向で考えていくときに、
えていくときに、科
学といっていることがどういうかたちで関
といっていることがどういうかたちで関わってくるか、
わってくるか、という問
という問いかけになるわけです。
いかけになるわけです。
近代科学が成立するときには、思想的に近代化学を理解するという方向から進んできた。
つまり「見る」という比喩をつかいながら科学の現状を考えることで、次なる発展を準備
してきたわけです。だから、どういう考えに基づいているか、という側面が大事だった。
でも今日
でも今日では
今日では、
では、科学の
科学の全体を
全体を私たちの誰
たちの誰もが見ていなくても、
ていなくても、科学はどんどん
科学はどんどん進
はどんどん進んでい
く。そして私
「見る」ということを成立させる部分に対
そして私たちに影響
たちに影響を
影響を与えていく。
えていく。つまり、
して、行為が逆転するかたちで効いてきている、それが今日の状況です。まず
まずこの
まずこの状況
この状況を
状況を
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第2回講義
受けとめるように、
けとめるように、行為として
行為として哲学
として哲学をするということを
哲学をするということを問
をするということを問いかけとして考
いかけとして考えたらどうかな、
えたらどうかな、
というのが今日のメッセージです。
●「判断」という行為、「推理」という行為
今日はずっと「見る」という比喩について話してきたわけだけれど、「見る」ということ
は対象があるわけですよね。視線を向ければ(look)、結果として何かを見てとる(see)。でも、
哲学はずっと「知性で見る」ということを考えきた。繰り返しますが、「見る」が哲学では
知性の意味だったわけです。でも「知性で見る」ってどういうことでしょう。一般的には
「考えること」ですよね。
カントにおける悟性のはたらきは「見て取る」に非常に近いです。
「SはPである」とい
う形を認識すること。この働きが悟性です。そして述語であるPが「カテゴリー:範疇」と
呼ばれます。これはアリストテレスでも同じで、主語はカテゴリーにはなりません。カン
トは「判断表」としてPの形式に備わっている形として以下の四つを出しました。「私たち
がこういうかたちでの判断をするときに、これ以外の型がないだろう」。つまり、カントは
あくまでも行為としてのレベルで「判断表」を導き出したわけです。
量:肯定 Px,
否定 」(Px)
,
無限(」P)x
[u]
質:全称的(すべての~は-である)
特称的(幾つかの~は-である)
単称的(一つの~は-である)
関係:定言的(~である)
仮言的(~ならば、-である)
選言的(~か-である)
様相:蓋然的(~かもしれない)
実全的(~である)
確定的(~であるに違いない)
命題の形式はなんだろう、と考えると、命題の可能性を全部集めてきて、それを組み合
わせることが求められるから、ものすごいあるわけですね。カントはそうせず、Pの内容
を変数のままで考える。ただ、Pには違った側面がある、ということを言うときに彼は判
判
断という行為
「量」「質」「関係」「様相」というものに、私たちの考え
という行為の
行為の仕方に基づいた。
仕方
るという行為の仕方があることをカントは気がついていた。カントは、ある判断を下され
ている世界の事態を命題に落とし込むときに、そのときに関わってくる行為が帯びる質に
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「科学哲学」塩谷賢@法政大学
第2回講義
ついて考えていたわけです。
このように、
「判断」は行為として位置づけることができました。
しかし、
「推理」はどうでしょう? 推理を行為するとはどういうことでしょう?
数学で問題を出されて、とりあえず出た答えを先生のところに持っていく。答えは間違
っていて、先生は言う。「もっとよく考えろ!」。でも、考えるって、行為としてどういう
こと?
わからないよね。試験中に答えを探しながら、レポートを書きながら、論文の構
成を練りながら、私たちは「いま考えています」と簡単に言います。でも、どう考えてい
るんでしょう? 「考えている」という言葉で何を指そうとしているのでしょう?
でも、この推理のレベルが一番大事なわけですよ。本当の意味で「見た結果」と世界と
いうものの差異を埋めることができるとして、そのための方針を考えるための働きですか
ら。
そこに対して「問えないものは問うな」とするのは一つの回答です。そのとき私たちは
どうするかというと、また「見て」しまうんですよ。何を見るかというと、まだ考えられ
ていないのに考えようとしているもの、正しいものを「見て」しまうんですよ。カントが
言うように、知性は理性の枠を飛び越えていこうとするわけです。哲学は普遍的なものを
考えたい。なのに、
「考える」ということがどういうことかわからない。だから「愛」、
「死」、
「運命」、「人生の意味」を、ついつい「見て」しまう、見ようとしてしまう。そこのとこ
ろで、行為としての見るということの問題が起こってきます。
次回からは、考えるということの行為性からシステムの議論に行きたいと思っています。
今日のポイントとなる問いかけは、
「考えるという行為を、どういう意味で私たちは捉えて
いるのか」
、これです。これは私たちの課題です。この課題に対して、思想史としての哲学
はある特殊な回答をとってきたということを了解していただければ、今日は結構です。
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