社会に旅立つ君たちへ 進路指導部長 菊地信二 人はなぜ学ぶのか。なぜ

社会に旅立つ君たちへ
進路指導部長 菊地信二
人はなぜ学ぶのか。なぜ高校に通うのか。この三年間でその答を見つけることはできま
したか?これから、ちょっと難しいことを書くけれど最後までお付き合いしてください。
学ぶ力の基礎は「聞く力」
学習で求められる最低限の力は「暗記」だと言われています。言い換えれば「記憶力」
と言うことになります。この「記憶力」は何年も忘れずにいられる「力」ではなくて、あ
る一定期間頭に留め置くことができる力のことです。
朝のホームルームで、毎日担任から様々な連絡や注意、説明を聞いてきました。三年間
六〇〇回ほど聞くことになりますが、言うまでもなく、そのすべてを覚えておく必要はあ
りません。すべてを覚えている人もいないでしょうが、脳のシステムとしては、一度聴い
たことはすべて頭のどこかにしまい込まれます。別の機会に別の人から話があったときに、
「あれっ、どこかで聞いた話だなあ」という曖昧な記憶が蘇ってきた経験はありませんか。
日常的に使わない知識や情報は脳の奥深くにしまわれて、そのほとんどが日の目を見るこ
とがありません。しかし、必要なとき、引っ張り出すことができて、その情報を加工した
り、実際の場面で活用できる力が「学力」です。
では「学力は必要か」と問われれば、私は迷わず「必要だ」と答えます。社会に出て仕
事に就いたとき、この「学力」がものを言います。学ぶ力と書いて「学力」と読みます。
学力は学校で使うものもありますが、生きている間にその多くを「生活」と「仕事」のた
めに費やします。
働くようになって、まず求められるのは何と言っても「聞く力」です。今日一日どのよ
うに過ごすのか?まず何から始めればいいのか?どのような内容か?どの程度やればいい
のか?等々、そのほとんどは言葉で伝えられます。場合によっては資料を渡され、説明や
指示を受けます。その際、ほとんどの会社ではメモをとります。なぜかというと「言葉(説
明)」は消えてしまうからです。「分からなくなったらすぐに聞け」と学校では教わります
が、会社ではそうはいきません。
「さっき言っただろう!」と怒鳴られてしまいます。そし
て、同じ失敗を繰り返すと「もういい」と言われます。だから、メモをとります。メモを
とるためには誰もが読める字で書けなければなりません。介護・医療現場などでは「報告
書」で引継ぎを行います。その他の職場でも、「記録」「報告」等文書で残し伝えることが
求められます。適切な漢字遣いも求められます。「記録」「報告」等の文書のほとんどは自
分以外の人が読みます。だから、読める字、文書でなければならないし、伝えたい事が伝
わる文書でないとだめだということになります。他の人が書いた文書も読めなければなり
ません。
「書く力」
「読む力」の重要性が分かると思います。
考えや思いを伝える
次に「話す力」が大切です。話し下手の大人はたくさんいます。高度な技術が必要な職
種もありますが、マニュアルと経験でそのほとんどは乗り越えられると思います。大切な
のは語彙量です。意思を伝える、説明するときに、語彙が豊富にある方とない方では成果
に大きな差が生まれます。しかし、コミュニケーションにはノンバーバルコミュニケーシ
ョンといって、言葉にならない意思疎通というか、思いや熱意があればいいことだってあ
ります。ある会社の社長が「言葉はなくても伝えたい気持ちがあれば、それだけで十分仕
事はできる」と話されていました。仕事柄話せないと困る、できない仕事もありますが、
話せないからといってあきらめることはありません。
そして、
「計算する力」です。その一つに「時間管理」があります。何度も遅刻を繰り返
す。先が読めないなど大変厳しい人もいます。時間管理の課題は「量の概念」です。「量」
には「外延(がいえん)量」と「内包(ないほう)量」というものがあります。外延量と
は、質量・長さ・体積などの同じ種類で加え合わせることのできる量のことで、内包量と
は、温度や速度のように、加え合わせても意味のない量のことです。目に見えてわかりや
すい外延量は良いのですが、目に見えない内包量が問題です。遅刻を繰り返す、約束した
時間を守れない人は内包量の概念ができていないと言えます。「あとどのくらい」とか「ど
のくらい前に出たら」などが計れないのです。小中高と一二年間も学校に通学しています。
二千五百回以上も登校していますが未だに身につかないとすれば、原因はそこにあるかも
しれません。この力がないと「あとどのくらい頑張れば良いのか」を計れずに倒れるまで
働いたり、漠然と「辛い」
「苦しい」と悩んでしまいます。「時間管理」の他に「金銭管理
の問題」で躓く大人もたくさんいます。高校までの間にしっかりと身につけたいものです。
最後に、
「推論する力」です。いわゆる先を読む力です。こうしたらどうなるのか。後先
を考えられない人が人生で躓きます。
「我慢する」
「耐える」力も含まれるように思います。
これがないがために損をする。せっかく就いた仕事、進学先を辞めてしまってから後悔す
るのです。
「せっかく」とか「もったいない」という思いは、本人の中に形成されずに周囲
の大人、とりわけ保護者の中にある場合がほとんどです。そういう周囲の大人の思いを受
け止め、理解できる「力」が大人社会の構成員として必要になってきます。痛い目にあっ
てからでは遅いのです。ある学会の特別講演で次のような話を聞きました。オオカミの飼
育観察論文です。生後一年までの間に別々に飼育された兄弟と一斉飼育された兄弟の記録
があります。多胎で生まれる動物はそのほとんどが小さい頃の経験、じゃれ合う(噛みつ
く、ひっかく、たたく)
「あそび」を通して、力加減や関係性、調整能力を体験から学んで
いきます。病弱な個体が生まれたために人間の手で個体毎に飼育されたオオカミは、一緒
の場に話された瞬間にじゃれ合います。力加減が分からず関係性もできていないので例え
兄弟であっても、たくましい個体が虚弱な個体を噛み殺してしまうようなことになってし
まったそうです。堅い牛の骨をもかみ砕く顎の力があるオオカミです。加減を学ばないま
ま大人になるとこういう重大事故になるのです。知識だけではなくさまざまな体験を通し
て、人と人、人と環境の関係性を牙が生え頑強な顎が形成される大人になる前にしっかり
学ぶしかないのです。
なぜ働くのか
人はなぜ働くのか。働くことで多くの人と関わることができて、社会生活の中の役割と
責任が生まれ、やりがいと生き甲斐を持つことができます。つまり、人は働くことでのみ
成長発達するのです。仕事をしている限り、人は成長します。ここで言う仕事とは賃金を
もらうことのみを指しているのではありません。定年退職を迎えた後も、社会的な役割を
持って社会参加していること、世の中から必要とされて関わり、または世の中に積極的に
働きかけている存在である限り成長し続けるのです。だから、働きましょう。働くために
は、
「学力」が必要です。学校に通うことで「社会に参加する」練習、準備をしてきました。
「聞く」
「書く」
「読む」
「話す」
「計算する」
「推論する」を保幼小中高で教えられ、練習し、
学んできました。今持つ「学力」はここで頭打ちになるというものではありません。人生
八〇年です。まだ四分の一も生きていないし、そのうちのたった一二年間を「学び」に費
やしたに過ぎません。これからたくさんのことを学ぶでしょうし、その学びによって君た
ちはまだまだ成長します。「学び」から避けて生きる人生はあり得ないのです。「こんなも
んじゃない」と自らの可能性を信じて生きましょう。
毎月書いている壁新聞「就活応援ガンバ」二月号に「君たちがいつか頑張って働く姿を
後輩たちに見せてくれる日を楽しみにしている」と書きました。第五〇回卒業生として、
社会で活躍する姿を是非見せてください。幕別高校で学んで良かったと思ってくれればこ
れほど嬉しいことはありません。五年後、一〇年後にたくましい姿に出会いたいものです。