「『古事記』の世界」

「『古事記』の世界」
越野
Q:
真理子
講師
越野先生は「古事記」のご研究がご専門ですが、「古事記」等神話のどの様なところ
に魅力をお感じになりますか?また、私達が神話から読み取るべきこととは、どの様
なことでしょうか?
A: 神話は面白いものです。日本神話にしろ、ギリシャ神話をはじめとする諸外国の神話
にしろ、ただストーリーを読み進めるだけでも、その面白さを感じていただけるでしょ
う。
私の指導教授である神話学者吉田敦彦が、言葉遊びのように「神話は真話・心話・深
話・信話」であると言ったことがあります。
神話は、神々の世界でかつて起こった真実を語る「真話」です。浮世離れした荒唐無
稽な物語に思えますが、実は、私たちの心がしばしば経験する「心の物語」と同じ本質
を持っていると考えられます。フロイトやユングなど心理学者が神話に注目したのもそ
のためでしょう。神話は「心話」であり、だからこそ「深話」、深い意味を持ち、読む
たびに私たちの心を動かし、面白いと感じさせてくれます。
そしてそれは、神話が当時の人々に信仰された神々の物語を伝える「信話」であり、
神話の語り手が真実を正しく伝えようと一語一句に至るまで細心の注意を払った「真話」
だからに他なりません。
Q:「古事記」が後世に伝えようとした事とは、どの様なことだったと思われますか?
A: 「古事記」自体は、壬申の乱に勝利した天武天皇が、自らの王権の歴史と正当性を主
張するために編纂を命じた歴史書です。ですが、その一連の歴史の中に「神話」が取
り込まれ、神々の時代から人代までの連続した物語となったことで、現代の私たちの
「心の物語」にも通じる「作品」となっているのだと思います。
Q: 古事記等の神話が持つ意味とは、どの様なものだと思われますか?
また、神話の世界と現代を生きる私達とを繋ぐものとは何かと思われますか。
A: 既に日本神話に関心を持たれ、物語をよく知っている方も、改めて「古事記」そのも
のを読んでみると、色々と新しい発見があると思います。
たとえば、太陽の女神アマテラスが石屋戸に籠り、全世界が暗闇になったという神話
はよく知られています。
この時のアマテラスは、「古事記」では、弟スサノヲの乱暴を恐れて石屋戸に引き籠っ
てしまったとされていて、怒ったからでも、周囲を困らせようとしてでもなく、ただも
う挫折感から行動しているんですね。高天原の最高神であるはずのアマテラスが、少な
くともこの時点では、自分の力に限界を感じるような、
「等身大」といってもいいでしょ
うか、私たち人間と同じような弱い存在です。
私は、
「古事記」の神話には、神々の成長も描かれているのではないかと考えています。
神話は、私たちを取り巻く世界の「なぜ」を説明するために語られるものです。世界の、
国土の、死の、文化の起源を古代の人々がどのように理解し、説明したかを知るだけで
なく、神々の成長の物語を、私たちが人生の中で経験する「なぜ」と重ね合わせて読む
ことも、神話の楽しみ方のひとつでしょう。
アマテラスが石屋戸籠もりの窮地から、成長して至高神となってゆく神話は、私たち
自身が人生の窮地に立ったときの、「なぜ」
「どうすればよいのか」に答えてくれる物語
だと捉えてみるのも面白いのではないでしょうか。
Q:
第二次世界大戦時、
「古事記」は神と天皇とを結び付ける書として存在したと聞いて
おります。終戦と共に民主主義的思想がもたらされましたが、それまでに「古事記」
によってもたらされた思想的影響について、どの様にお考えになりますか?
A:
ご質問への答えになるかどうかわかりませんが、「神話」というものは、語られるた
びに、常に変形し、新しく創造されていくものだと感じています。「古事記」そのもの
は、奈良時代に成立しましたが、後世の人々が「古事記」神話を語るときには、もう
それは、その時代や、その個人の思想を反映した、全く別個の「神話」になっている
とみなすべきでしょう。
漢字のみで書かれた「古事記」の神話を、今私たちが口語訳したとき、いくら原文
の内容に忠実であろうとしても、たとえば高天原の最高神を、原文の表記のまま「天
照大御神」とするのと、「アマテラス」や「天照大神さま」とするのでは、全く印象が
変わってしまいます。神の呼称一つにも、語り手の思想が含まれ、新たな神話が生ま
れるわけです。
ですから、近世・近代において、
「『古事記』が国家に思想的影響をもたらした」の
ではなく、当時の国家や天皇の主権に対する思想が、日本最古の書物であり、天皇家
の歴史書であった「古事記」の権威を借りて、その時々の「古事記神話なるもの」を
生み出し、利用したのだと思っています。
Q:越野先生が講座の中で受講生の方達に伝えたいことがありましたら、お聞かせください。
A: この講座では、まずは個性的な神々や奇想天外な物語を十分に楽しんでいただきたい
と思っています。
「古事記」原文をテキストにしますが、現代語に訳して読み進めます
ので、特別な古典の知識は必要ありません。我が国の神話が、「古事記」にはどのよう
に語られているのか、そこから私たちが何を読み取ることができるのか、一緒に学んで
みませんか。