第十四号

2016年(平成28年) 8月29日 月曜日
三井住友信託銀行のシステム統合の意味とは (日経新聞の平成26年12月8日付け記事)
両基幹系システムを方寄せ方式にしたのですが、廃棄するシステムから一部アプリケーション
合意から5年をかけたシステム統合が完了しました。旧中央三井信託の勘定系をアップグレ
を移植せざるを得ません。特にアプリケーションの寿命が長い信託業務ではそれが多くなります
ードし、158支店を5ブロックに分割して、今年5月7日から順次移行を行ってきました。最後
。ところが古いアプリケーションは、制御系プログラムと密結合になっていることが多い。旧三井
の11月25日に移行を終えて2週間経ちましたが、大きなトラブルもなく無事に業務を遂行し
信託は、第二次オンラインで三井銀行がIBMと作ったJCCPという制御プログラム(80年代に
ている。記事では、同行の新サービスや他行との提携、日本郵便との提携など積極的な事
保守を停止)を使っていました。そこで、一時はJCCPとアセンブラーの経験者を探し求めて旧
業展開を紹介する一方で、メガ・グループとの競合や信託としては低い利益率など課題にも
三井銀行を始めとしたJCCP採用銀行経験者を追跡する騒ぎがありました。
触れていますが、それが新システムとどう関係するのか記述していません。
多くの人は既に現役を退いていました。それでも60歳代の人達が見つかったのですが大阪在
これからの金融ビジネスは、昔の銀証分離、長短分離、中小分離と異なり顧客ニーズに合わ
住者が大半です。今更東京に単身赴任する気はないとの答えばかりでした。この時、今後の
せたフルライン金融の流れにあります。それも、個人の貯蓄を企業に廻すというマネーフローで
システム統合やレガマイ案件で同じような問題が出てくると考えて背筋の寒くなる思いがしたも
はなくなりました。今の企業は、マクロ的に見れば40兆円以上もの資金余剰にあり、資金需
のです。三井住友信託がこの問題をどう解決したのかは聞いていません。
要のあるのは公共セクターだけです。しかし、この分野は手間がかかる割には利幅が少ない。
合併でいつも思うのですが、この変化第一の時期に、システム統合に大変な時間、労力、資
今日の銀行にとってのトップラインは、海外とリスクマネーと個人ローンくらいです。個人ローンと
金を投じる意味が、いまだに理解できません。システム統合の後に、利用者にどんなメリットが
いってもその殆どを占める住宅ローンは、低利ザヤで繰り上げ返済や貸倒れリスクが懸念され
あるのでしょう。旧行の口座利用者が、双方の支店やATMで入出金できると言いますが、手
る状況ですし、カードローン等は成長と利幅が見込まれるものの規模そのものとしては40兆円
数料ゼロである限りは、たいした問題ではありません。相互取引できないと因縁をつけるお客
程度と多くは期待できません。
もいるでしょうが、そういう客は何にでも文句言う人ですから。利用者からすれば何の変化を
こうした市場環境ではマクロ的に見るだけでは稼げません。例え当該セグメントの規模が小さく
感じませんが。
ても、利益を期待できる分野を開発する開発力とスピードが勝負となります。
あるキャッシュカードなどは、都銀13行時代のままです。それでも使えるのは凄いですが、何か
特許など知的所有権で自社商品を排他的に保護できない金融ビジネスでは、儲かるとなる
本末が逆になっている気がします。合併の都度、何年もの時間と何百億、何千億円もかける
と競合他社も一斉に参入してきます。途端に利幅は消え、残るはリスクだけとなります。です
ことは合併の効果を先送りしているだけに見えるのですが。技術的には、ひとえに密結合のシ
から、他社が追随してきたら即座に別の新セグメントにシフトしなくてはなりません。それを繰り
ステムでアプリケーションやデータベースに相互運用性がないことが原因です。
返すことが、これからの金融ビジネスのキーポイントになります。
これからのシステムは、こうしたアーキテクチャを全面的に直さなくてはいけません。
その変化対応力は、商品開発、システム開発、営業力次第ということです。こう考えると今回
の三井住友信託におけるシステム統合が、単に預金取引の一元処理を実現しただけなのか
、新しい金融ビジネスへの変化対応力を備えたものなのかが重要なのですが、筆者は全く判
りません。この統合プロジェクトの初期段階には、何回か外部コンサル・チームへ参加する話が
ありましたが、プログラム・レベルの話ばかりでしたので、筆者の出番ではありませんでした。5年
もそうした仕事に専念することは、エンジニアには貴重な経験となりますが、筆者には時間の
浪費になります。その事前打合せの際にも、様々な議論が空転するので、このプロジェクトは
大丈夫かなどと心配になる場面がしばしばでした。ただ、住友信託も三井信託も仕事の仕
方を昔から良く知っていたので、最後に決める人が出てくれば形を整えるだろうとは思いました
。それにしても大過なく移行を完了させたのは、凄いと思います。本当にすごい。。
銀行勘定システムは旧2行ともIBM製品を使っていましたが、旧中央三井信託のシステムを残し
ました。信託業務は旧住友信託のシステムで、規模と重要性からすると信託業務の方が大なの
ですが、一般個人利用者やマスコミから見ると窓口やATMの銀行勘定系に関心が集まります。
ソリューション
平成26年11月、最後の支店グループで新システムへの移行を終了して、2009年の合併
IUK
Vol.14
編集長 飯塚 浩一
それにしても、わが国の銀行もベンダーも新たなバンキング・アーキテクチャを実装可能なレベ
ルで設計できません。何とも寂しいことであり、海外勢との競争に対応できるのか心配せざるを
えません。IT産業は所詮、12兆弱の大きくもない産業です。いっそ、この産業を放棄して海
外技術の活用に専念すべきなのでしょうか。もっとも、それにはユーザー側のIT人材を質量と
もに、現在の3倍以上にしなくてはなりません。非現実的な業界かどうかは。。。
メガバンクの支店に入ったら動物園より楽しい展示会!
①
②
③
④
⑤
ロビーにいるおじいさん
ハイカウンターの印鑑照合機
監視カメラの設置位置
ATMメーカー
女性行員の年齢
やたらに詳しいが動きがとろい。
使っているところを見ることができれば強運の持ち主
真上と正面に無い?
昔は、富士通が一番汚かったが、最近は?
都市銀行のハイカウンターは26歳定年、今は。
金融機関のお仕事ネタも話題も豊富。
銀行の本部と仕事をしたければ、不審者に見られる手前まで、ギョロギョロと。
2016年(平成28年) 8月29日 月曜日
つづき
Vol.14
IBM産業スパイ事件
IBM産業スパイ事件(アイ・ビー・エムさんぎょうスパイじけん)とは、1982年6月22日に
銀行における勘定系システムとは、狭義には預金勘定元帳を処理し、為替、ATM(Automated Teller‘s
日立製作所(以下、日立)や三菱電機(以下、三菱)の社員など計6人が、米IBMの機
Machineの略称)ネットワーク、対外システムとの接続を制御するシステムであり、銀行における基幹系システムの
密情報に対する産業スパイ行為を行ったとして逮捕された事件である。
中核である。しかし、しばしば勘定系以外の情報系・国際系(国際資金決済や海外支店等)や対外系(全銀や日
この事件は、各日本メーカーとIBM米本社との間の事件で、同日本法人である日本ア
銀ネット、クレジットなど)、インターネットバンキングや営業店端末などチャネル系システムを含んだ、銀行におけるオン
イ・ビー・エム株式会社は無関係であり、同社関係者にも寝耳に水の事件であった。
ラインシステム全般(あるいは、単に基幹系システムと称されることもある)を指す言葉としても使われるケースもある。
IBMと日立は翌1983年に和解した。また1984年より、当初は当事者外であった富士
勘定系システムは、その歴史的経緯と業務の重要性、規模の巨大さから、ほとんどの場合でメインフレームシステムに
通とIBMの交渉も進められ、1988年に和解した。
よって構成される。近年では、UNIX系システムやPCサーバの劇的な信頼性向上と、性能の上昇、価格の低下によ
81年にIBMはアドレスを31ビットに拡張しシステム370XA、OSの一部をファーム化して
って、メインフレーム以外で構成される勘定系システムも登場しつつある(オープン勘定系)。しかし、メインフレーム自
互換性を作りにくくしたメインフレームコンピュータの3081Kを発表した。互換機メーカーで
体の性能の向上や、オープン系システムでは太刀打ちできない高い信頼性のため、多くの金融機関は勘定系システ
あった日立は 3081Kに関する技術文書をナショナルセミコンダクタの汎用コンピュータ部
ムにメインフレームを採用している。
門で、日立からOOEM供給を受けていた)から入手した。一方、かねてからコンサルティン
勘定系システムのような、巨大な処理能力と高い信頼性が要求される分野では、金融機関によるシステム投資額
グで日立との取引があったペイリン・アソシエーツ社から3081Kに関する報告書の売り込
は巨額であり、システムベンダーにとって自社が製造するコンピュータやソフトウェアが勘定系システムに採用されること
みがあった。日立はその目次を見て、NASから入手済みの資料に酷似しており、両方の
は、ベンダーの経営を左右するだけでなく、製品ラインの存亡を左右する大型案件となる。また、システムベンダーにと
文書が何らかの共通の資料に基づくものと判断。ペイリン社に対して、「その資料は既に
っては、主要な金融機関で自社のシステムが採用されている事実を、導入事例として積極的に一般企業に対して
持っている。しかし、それは一部と思われるので、他にもあるなら購入したい」と伝えた。ペ
宣伝することが多い。また勘定系システムでは、コンピューターに対して高信頼性が求められるため、そこで培われた基
イリン社の社長ペイリーは元IBM従業員であり、日立がIBM3081Kの資料を入手済み
盤技術やソフトウェアが、一般向けシステム用に販売されることも多く、ベンダーの技術開発や、技術レベルの維持に
であることをIBMのボブ・エバンズ(当時、副社長)に通報。結果としてFBIによるおとり捜
重要な役割を果たしている。
査が行われ、日立と三菱の社員が逮捕されることになった。刑事事件自体は1983年2月
銀行におけるコンピュータの利用は極めて早く、日本では1958年に三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)が導入し
に司法取引により決着した。しかしIBMは日立に対して民事損害賠償訴訟を起こした。
1983年10月6日、民事訴訟は和解に達した。和解内容には、1988年までIBMが日
立のコンピュータ製品を事前に検査できること、訴訟費用を全額日立が負担することなど
が含まれている。しかし、同年12月7日の朝日新聞で、ソフトウェアに関する秘密協定が
あったことが報じられている。これは、類似ソフトウェアやインターフェイスについて日立が
IBMに対価を支払うことを取り決めたものとされている。また、富士通はIBMが著作権法
違反で訴えようとしていることを察知して1982年末ごろから極秘交渉を開始し、日立と
同様の協定を1983年7月に結んだとされている。
IBMは1984年に日立と富士通の立ち入り調
査を行い、12月に富士通が協定違反している
として違約金の支払いを求めた。こちらの紛争は
長引き、1988年に和解している。なお、
3081K互換の製品とは1985年に発表されて
いるHITAC M680HとFACOM M780のこと
である。
たものが最初とされる。当初の利用目的は、手形小切手の自動処理や会計などの分野でバッチ処理を主体としたもの
で、オンライン処理は想定されていなかった。その後、銀行におけるコンピュータの導入は急速に進み、銀行はコンピュータ
によって実現する目標を定め、段階的に現在のシステムへと発展していった。
ちなみに、勘定系オンラインとして歴史に残るのは三和銀行ではなく、東京オリンピックと時を同じくした、『三井銀行』
勘定系システムである。 今で言うところの、勘定系用制御ソフトウエア(ミドルウェア)として構築されたのが「JCCP」
これが分かるDPメンバーは’90年入社までかな。今、50歳以上の人で、銀行を担当していて、勘定系担当していた
IBM出身者に聞くと良いでしょう。
勘定系システム開発史では、しばしば実現した機能や、構築時期によって「第x次オンラ
インシステム」と呼ぶことが多い。ただし、銀行によって実装された機能や、構築時期には
ばらつきがあるため、同じ時期のシステムでも機能面では、業態や銀行間によって大きく
異なることが多い。また、銀行以外の証券会社や、手形交換所、全銀システム、日銀ネ
ット、郵便貯金システムなどでも「第x次オンラインシステム」と呼称することがあるが、原則
的には銀行におけるものとは、内容も構築時期も別である点に注意が必要である。