現代世界とのかかわり ・・・「精神なき世界の精神」他 ※ フーコーによれば、イギリスのピューリタン革命や名誉革命、あるいはフランス革命(それ らは自然発生的な革命という性格が強かった)では、不思議なほどに「自己への配慮」の契 機が見当たらなかったが、19 世紀になって革命運動が自覚的に「いかなる革命をめざすべき か」を問うようになったとき、あらためて「自己への配慮」が復活したという。だが、革命 が進展していって「党」が専制的な主導権を握った途端、党のための自己犠牲が言われるよ うになって(それはキリスト教の「神」をまえにした自己の放棄と類比される)、「自己への 配慮」は後景に退いてしまった。これらの過程を追いかければ、革命的<真理>と革命的主 体との関係が論じうるだろうとフーコーは言う。このように、フーコーの問題意識はナルシ 、、、、 スティックな自己論ではなかった。こうした問題意識が現代へむけられたとき、フーコーの 眼のまえに起きたのがイラン革命(1979 年)だった。 ◎ 「これは理念のルポルタージュである」という一連のエッセイ 理念と出来事のあいだで活動するのが「ジャーナリストとしての哲学者」の仕事である 東欧革命(1989 年) ・・・西欧型革命 エジプト革命(2011 年) イラン革命・・・イスラームの原理主義的革命 これをあたかも褒め称えるかにみえる文章を書 いたフーコーを、欧米の論壇は袋叩きにした。 ※ だが、フーコーにとって大事だったのは必ずしもイスラームだったのではなく、イランの革 命運動が「自己への配慮」の具体的ケースと見なせるかどうか、あるいはその行方だった。 ・ 情勢分析としては何ら新しくない。 ・ 人間は、理念によって他者から導かれるだけではなく、拒否もするし、みずから自己を導い たりする。一方における権力=導きは、他方において摩擦=対抗導き(自己の自己による導き) の可能性を生み出す。この「対抗導き」のなかで「自己への配慮」が問われる。 ・ イランの民衆は当初、アメリカの支配する世界体制を、専制政治(シャーと秘密警察と軍隊 の権力で「上からの近代化」をめざす)を、そして聖職者の指導体制をも拒否しようとした。 ・ 貧困や階級問題は原因のひとつにすぎない。問題は、どんな理念が賭けられたか? (社会工学や戦略論のてまえにあるものをフーコーは見ようとした) ・ 彼らは 12 イマーム派の伝統的信仰(元々アラブ世界の現実に対する抵抗ゆえに根づいた)を 20 世紀の現実にあわせて読み替え、自由や民主主義などはすでに数百年もまえにイスラームが語 っていたはずだと言い、それらをみずからの力とし、2重3重に拒否を重ねながら、新しい生き 方を模索しようとした。それは個々の、同時に集団的な意志の表現だった(とフーコーは見る) ・ その行く末は・・・聖職者による革命の乗っ取り、排他性の高まり。 ・ 専制政治を排したら狂信を支持するしかない・・・わけでもないだろう? ・ 瞬間的に到来した政治的霊性への関心、宗教改革から階級闘争までの「対抗導き」の系譜
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