平成 14 年度国専協主催東北地区高等専門学校 教 官 研 究 集 会 (於:秋田高専、H14.11) 数学的思考力を高める数式処理電卓の活用 一関工業高等専門学校 一般教科 梅野 善雄 1 はじめに 工学における数学の重要性は,いうまでもない。そこでは,数学的知識もさることながら,いろ いろな事柄を論理的に整理して考察できる数学的思考力こそが重要と思われる。 従来の高専の数学教育では,工学で必要になる数学上のいろいろな知識,特に微分積分の知識を 修得させ,その計算ができるようにさせるだけで時間が過ぎてしまう。教えなければならない項目が 多く,数学的思考力を高めるための工夫を施す時間的余裕など,とても取れないのが現実であろう。 ここに,数式処理の可能なグラフ電卓がある。この電卓の機能は多岐にわたり,高専の本科や専 攻科で必要とされる程度の数学は,この電卓のキー操作だけで行うことができるといっても過言で はない。その数式処理機能は極めて高度であり,それを活用できれば, 「いつでも,どこでも,数学 を考える」ことが可能になる。また,このテクノロジーは, 「数学が分かるためのツール」としても 活用できる。 以下では,この電卓の機能を紹介し,その活用が,数学の理解や,数学的思考力を高める上で有 効であることを述べたい。 2 数式処理電卓の機能 数式処理機能を持つグラフ電卓には,テキサツスインスツルメント社 (以下,TI) とカシオ社の製 品がある。カシオ社の数式処理電卓は,どちらかというと中学・高校の数学教育での利用を想定し ている。高専や大学工学部での使用に耐えうるのは,TI の製品である。以下では,TI の数式処理電 卓 TI-89 を例にとり,その機能の概要を説明したい。 TI–89 の中には,数式処理ソフトとして定評のある Derive の機能が詰め込まれている。その機能 は多岐にわたるが,例えば微積分関連では以下の機能を持つ。 微分・積分: 関数や数列の極限値,微分係数の値,(偏) 導関数の計算, (高次) 導関数の計算,接線 の方程式,極値,変曲点,テイラー展開,指定された範囲における関数の最大値と最小値,総 和 (有限和と無限和),不定積分,定積分,多重積分,特異積分,数値積分 関数とグラフ: 1 変数関数のグラフ表示(陽関数,陰関数,媒介変数,極座標),グラフと座標軸と の交点の座標,二つのグラフの共通部分の陰影表示,2 変数関数のグラフ表示 (陰線処理,ワイ ヤーフレーム,等温線図),グラフの拡大・縮小・回転 微分方程式: 1 階常微分方程式の一般解,定数係数 2 階線形常微分方程式の一般解,連立 1 階微分 方程式の解曲線表示,高階微分方程式を 1 階連立微分方程式に変換することによる解法,初期 条件・境界条件を与えた解法,ベクトル(勾配) 場の表示,解曲線のグラフ表示 他にも,数と式,方程式,線形代数,集合演算,統計解析,表計算等に関して多くの機能を持つ。 また,If 文,For 文,While 文,Loop 文などによる構造化プログラミングが可能である。パソコン —1— とのデータ通信で,WWW 上で入手した様々なプログラムを TI–89 に転送することができる。特 に,別売オプションのデータ収集器 CBL(Calculater–Based Laboratory) を利用すれば,いろいろ なセンサーを通して温度・圧力・速度・距離等の実データを収集でき,それらのデータに統計処理 を施して即座にグラフ化できる1 。この機能は,現実世界と数学との関わり方を示す上において,数 学のみならず工学系専門科目の導入段階で極めて有効な機能ではないかと思われる。 3 数学教育での利用 微積分の授業で具体的にどのように利用したか,典型的な使用例を幾つか紹介する。特徴的なこ とは,従来は教師が板書をしながら説明していた内容を,電卓を通した思考実験をさせて学生自身 に発見させ,その後に通常の説明をするということである。 3.1 極限値 lim sin x =1 x!0 x TI–89 のグラフ機能を利用すると,以下のような説明ができる。 (1) 2 つの関数 y = sin x, y = x のグラフをグラフ電卓で表示させる。(図 1) (2) 原点中心に何度か拡大させる。(図 2) (3) 拡大された画面から,sin x/x の値はどのような値であるかを予想させる。 (4) 使用しているグラフ電卓は,2 つのグラフの座標データを即座に表に変換する機能がある。(2) で拡大された画面の座標データを表に変換させる。(図 3) (5) x → 0 につれて y1 = sin x, y2 = x の値の変化について考えさせる。 (6) 次に,y3 = sin x/x の数値も表に同時に表示させ,気づいたことを書かせる。(図 3) (7) さらに,y = sin f (x), y = f (x) の f (x) をいろいろな関数に変えて,f (x) → 0 のとき,sin f (x)/f (x) のグラフや値がどのようになるかを考えさせる。 以上を,学生に TI–89 を操作させることにより行った。具体的な人数は調べなかったが,多数の 学生が lim sin x/x = 1 であることに気づいた。この後で,通常の説明を行った。 x→0 3.2 合成関数の微分の公式 TI–89 の数式処理機能を利用すると,この合成関数の微分の公式に気づかせることができる。 (1) 具体的な関数を,y = f (u), u = g(x) という 2 つの関数に分解させる。その関数は,y = (3x − √ 5)4 , y = 3x + 4 などである。 √ (2) y = f (u), u = g(x) の導関数を自分で計算させる。この段階で,y = xn , y = x の導関数につ いては,すでに学んでいる。 (3) y = f (g(x)) の導関数を,数式処理機能を利用して求めさせる。 1 ただし,収集できるデータ数には限りがある。 —2— dy dy du , , の間の関係を考えさせる。 dx du dx dy dy du 約半数の学生が = に気づいた。中には,3 つに分解する場合も同様であることを自分 dx du dx で確かめ,自分の発見に「すごい」とほくそえんでいる学生もいた。このような発見をさせた後で, (4) 普通の証明を行った。 4 工学教育での利用 TI–89 のオプション機器として,データ収集器 (CBL, Calculator-Based Laboratory) が用意され ている。この CBL に各種のセンサーを接続すれば,いろいろな実データを簡単に収集できる。多数 のセンターが用意されている。 たとえば,温度センサーを例にとり,ニュートンの冷却の法則について考える。周知のように,物 体の温度を θ,周囲の温度を θ0 ,そして時間を t で表すと,ニュートンの冷却の法則は, (1) dθ = −k(θ − θ0 ) (k > 0) dt という微分方程式で表される。簡単な微分方程式の応用例として取り上げられるが,この法則を実 際に実験することはあまり多くはないと思われる。しかし,CBL を利用すると,温度変化のデータ を教室で収集して,その変化の様子を簡単に解析することができる。 図 4 が温度の変化,図 5 は収集されたデータである。TI–89 は,エクセルのような表計算もでき る。図 6 は,C3 に 1 秒ごとの温度変化,C4 に室温 (17.1◦ C) との温度差,そして,C5 にはそれら の比が計算されている。図 7 は C3 のグラフ,図 8 は C5 のグラフである。図 8 より,室温との温 度差と秒ごとの温度変化との比 (C5) は定数であることが推測される。直線 y = ax + b で回帰して みると,a = 1.579 × 10−5 , b = 0.0135 である。そこで,比例定数 k を C5 の平均として求める と,k = 0.01432 となる。図 9 は,この k の値を利用して,微分方程式 (1) の勾配場と,初期条件 θ(0) = 55.2 のもとでの解曲線を表示したものである。以上の一連の流れが,TI–89 のキーを押すだ けで簡単に実現できる。 図 4 温度のグラフ 図 7 単位時間当りの温度変化 図 5 収集されたデータ 図 8 比例定数 k の変化 —3— 図 6 温度変化と温度差 図 9 勾配場と解曲線 5 利用法と教育上の意義 この電卓の利用の仕方には,大きく分けて 4 種類の使い方があるように思われる。 一つには,問題の「答え合わせとしての利用」である。単純な使い方であるが,答えをいつでも 表示できることは,学生にとっては解答を考える上での大きなヒントになる。特に,成績下位の学 生ほど,この電卓の使用で「数学が前より分かるようになった」と答えている。 二つには, 「数学をよく理解させるための利用」である。特に,この電卓のグラフ機能を利用すれ ば,3.1 の例のように,グラフから一目瞭然の理解を得させることが可能である。 三つには,この電卓の操作を通して,これまで教師が説明してきた数学的な内容を「学生に発見 させるための利用」をさせることができる。実際,3.2 の例のように,合成関数の微分規則に気づ かせることができる。微積の基本定理の発見に導くことも可能である。 四つには,学生の「数学的思考を援助するための利用」である。仮に,数学的なことで「このよ うな場合はどうなるか?」という疑問を抱いたとしても,その疑問の解決には多くの困難な計算を しなければならないとき,学生の思考はそこで頓挫してしまうであろう。しかし,困難な単純計算 をこの電卓に任せれば,学生は自分の思考をどんどん推し進めることが可能になる。 いずれにしろ,この電卓のグラフ機能や数式処理機能を利用すれば,教授すべき内容をよりスト レートに学生に理解させることが可能になる。教師が教えるべき内容を学生自らが発見するよう仕 向けることができるので,教師が一方的に黒板で説明して問題演習を課すという従来の授業スタイ ルを,大きく転換させることが可能になる。この電卓を「思考のツール」として利用すれば,数学 上の問題における試行錯誤も可能であり,数学教育における新な方向性を示すものである。 特に,CBL を通して実データを簡単に収集できることは,数学と現実世界との関りを理解させる 上で極めて有効である。簡単な実験を授業の中でやってみせ,そこで収集した実データをもとに関 数や微分方程式の意味を説明することもできる。いろいろな式が実際のデータと合致することをそ の場で実演してみせることができるので,学生の理解度が大きく向上することが期待される。以上 のことが,世界中で「数学教育の革命」と呼ばれる所以である。 高専では,専門科目で数学が駆使される。数学教育と工学教育の両面で,この電卓を入学時から 積極活用した場合には,高専学生の思考力は大きく進展することが期待される。 参考文献 [1] 梅野善雄:グラフ電卓が切り開く数学教育の新世界, 日本数学教育学会高専・大学部会論文誌, 第 7 巻, 第 1 号, pp.1–20, 2000 http://www.ichinoseki.ac.jp/gene/mathnavi/mathedu.html [2] 梅野善雄:数式処理電卓を用いた微積分教育の改善,日本数学教育学会高専・大学部会論文誌, 第 8 巻,第 1 号,2001 http://www.ichinoseki.ac.jp/gene/mathnavi/mathedu.html [3] 梅野善雄:数式処理電卓の利用による数学に対する学生の意識変化,論文集「高専教育」,第 25 号,2002 http://www.ichinoseki.ac.jp/gene/mathnavi/mathedu.html [4] 梅野善雄:数式処理電卓は工学教育に何をもたらすか?, 工学教育, 第 48 巻, 第 4 号, 2000 http://www.ichinoseki.ac.jp/gene/mathnavi/engineer.html [5] 梅野善雄:数式処理電卓の応数・応物での利用例案と予想される教育効果,工学教育,第 50 巻, 第 1 号,2002 http://www.ichinoseki.ac.jp/gene/mathnavi/engineer.html —4—
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