ポルトガル - 大分市国際交流Web

“市民提案型
国際キャリアアップ事業“
実施国:ポルトガル共和国
実施期間:2007 年 9 月 5 日∼20 日
小名川 芽衣
1
ポルトガルの印象
参考地図:ポルトガル
飛行機でリスボンに到着。まず上
空から見るポルトガルの印象だが、
小さな丘が数多く、見る限りオレン
ジ色の屋根の家々が並んでいる。リ
スボン空港に近づくにつれ、高層マ
ンションがふえる。土地はかなり余
裕があるようなのに、なぜ建物どう
しがそんなにも息苦しそうに隣接
しているのだろうか…。
夜にリスボン空港に到着し、ポル
トガルの町を目の前にした瞬間、広
がる夜景はオレンジ色一色といっ
た感じだった。街灯は目に優しいオ
レンジ色。こちらでは、日本でよく
目にする白い蛍光灯は好まれてい
ないようだ。とてもやわらかい、そ
してあたたかい気持ちになる町の
色だった。
日中の風景
夜景
オレンジ色の屋根の色がどこまでも続く。
町全体があたたか味のある、ずっと眺めて
町の統一性が伺える。
いたくなるような幻想的な一面。
コインブラ大学から見渡す景色より
コインブラの町が一望できる高台より
2
ポルトガルの食文化✰
ポルトガルの食事は、日本の食生活と全く違う。私たちにとって、食べ物は
どこへ行っても、一番興味がある分野であり、かつ大事なもの。
“食べ物が美味
しければ気分まで幸せになれる!”そんな元気の出るようなボリュームいっぱ
いのポルトガル料理を味わうことができた。
ポルトガルのレストランでは、席につくとまずパンにオリーブ、バター、チ
ーズなどが出され、これが前菜になる。これは、別料金なので手をつけなけれ
ば、お勘定の際に申し出なければならない。お店によって、出る内容はさまざ
まで飽きることはない!
メニューは通常、スープや前菜の後、メインディッシュの魚料理または肉料
理をワインと一緒にいただき、そして最後にコーヒーとデザートを頼むのが一
般的である。私は、ポルトガル人が食後のコーヒーを欠かさないことに気が付
いた!
前菜のパン
パンとオリーブ&バター
ラスクとオリーブ、チーズ、バター&ツナ
パンはもちもちでふわふわ!
ラスクはカリカリで香ばしい!
とうもろこしパンとオリーブ&バター
“Broa”
(ブロア)と言いい、北部独
チーズ、バター&ビンに入ったペースト
特のとうもろこしの粉で焼いたパン。弾力
ペーストはいわしなど魚が多い!
感があるのが特長!
3
ポルトガルワイン
ポルトガル料理
白身魚とタコと野菜
二人以上だと大皿に盛ら
れ、取り分けることが多
い。ゆで野菜にはほのかに
塩味が付いており、食べき
れないほど付いてくる。
オリーブオイルと白ワインで作られ
たビネガー
これらは、ポルトガルの食卓には欠
①
かせない!現地の人は何にでも(特
に魚、野菜)これでもかというくら
いオリーブオイルをかける!オリー
ブオイルと赤ワインを一緒に摂ると
良いらしい。
鶏とご飯のスープ
鶏が丸ごと入った米入りの
スープ。聞いて衝撃!茶色の
スープの正体は鶏の血だっ
②
た・・・!人気メニューだそう
で、残す部分はないようだ。
③
①
②
① 赤 ②白 ③ロゼ
① 牛肉 ② 豚肉 ③ 鶏肉
ワインは、ランチ、ディナー
① の牛肉はステーキ風。
共に飲まれる。値段はお手
② の豚肉は角煮風。
頃!現地の魚料理・肉料理に
③ の鶏肉は丸焼きされたも
よく合う☆(参考:写真は全
ので、表面はカリカリ。
③
これにもゆでた野菜、サラダ
やフライドポテトが付いてく
る。
魚介類のスープ
海の幸が口の中に広がり、
コクがある。クルトン入
り。
4
てハーフボトル。日本円でど
れも千円以内。
)
ポルトガルでは、男性が
先に女性のお皿に料理を取
り分けてくれ、常にレディ
ーファーストの心☆飲んで
いるワインのグラスが減れ
ば、すぐに注いでくれる!
テーブルにおいての人々の習慣
パンの置き方
チップ
テーブルには必ず新しい紙のクロスが敷かれ、 おつりの小銭程度をお皿に乗せる。気持ち程度
みんなテーブルに直接パンを置く。
で良い。高級なお店であれば10%くらい。
デザート
②
①
① Molotofe:モロトッフ
メレンゲにカラメルを混ぜ蒸し焼き
にしたもの。
② Pudim Fran:プディン・フラン
最もポピュラーなデザート。
③ Moose de Chocolate:
ムース・デ・ショコラーテ
③
チョコムースは子供たちの大好物。
① の大きさは人の顔くらい?あり、とても大きかった!
ふわふわとしていて香ばしいカラメルの香りがし、甘い。
② どっしりとした定番のプリンで、味わい深い。
③ 美味しい♪の一言!軽いムースは、お腹がいっぱいでもペロリと食べることがで
きる!
5
毎日欠かすことのできないCafé(コーヒー)☺
ポルトガル人は、コーヒーを飲むのが大好きだ。町中にあるコーヒーショッ
プには、いつでもカップル、女性グループ、夫婦またファミリーなどで賑わっ
ている。特に、天気の良い日は路上のテーブルが人気のようである。みんな普
段飲んでいるのが、日本で言う非常に濃いエスプレッソ。コーヒーカップの大
きさも日本で見掛けるものより、小さくて長細い。付いてくる1袋の砂糖の量
は、だいたい10グラム程度入っているようで、甘党の方だとこれを2袋も入
れているのを目にしたりする。私の場合濃いコーヒーが苦手なので、毎回コー
ヒーにミルクを入れてもらい、いわゆるカフェオレで飲んでいた。
(この場合は
「Café com leite」
“カフェオレ”または「Maio café e leite」
“コーヒーとミ
ルクそれぞれ半分”と一言!)カウンターのガラスケースには、とても甘そう
なケーキやデザートが数多く並べられ、ポルトガルでは、男女を問わずかなり
の甘い物好きという噂は本当だった。現地の方からは、
「眠れなくなるから、夜
に Café を絶対飲まないように☻!」と忠告された。
Café com leite:カフェオレ
朝から夜までお客さんが途切れないカフェ
ポルトガルの心の歌、Fado♪♫(ファド)
ファドとは・・・人々が感じる喜びや悲しみ、郷愁の想いをポルトガルギターの
旋律で奏でる心の歌である♪郷愁はポルトガル語で“サウダージ”
。悲しみや懐
かしさなどの入り混じった感情のこと。ファドはまさに人々の様々な心の感情
を表現するもの。まさに、ポルトガルに生まれた2拍子の民俗歌謡である。
リスボンには、食事をしながらファドが聴けるレストランがいくつもある。
早いところでも21時を過ぎないとファドは上演されない。その時間になると、
テーブルは満席状態!遅いところでは、夜中の2時頃まで賑わっている。
6
19世紀にリスボンで生まれたと言われているファド♪土地による文化
の違いから、リスボン・ファドとコインブラ・ファドでは奏で方が異なる。
今もなお、愛され続けているポルトガル・ファドの魅力について・・・♬
✶リスボンのファド♬・・・ファド歌手はほとんどが女性。女性の心情を歌った
もの悲しい曲がよく紹介されている。しかし、暗い曲調でも明るくエネルギッ
シュだ。暗く悲しい曲調が多いと思われがちだが、それらばかりではない。リ
スボンの町を歌うなど、明るく陽気な曲調もあるのだ。
✶コインブラのファド♬・・・リスボンとは対照的に、男性が歌う愛の歌が多く、
女性に捧げる曲も多い。リスボンのファドより若干穏やかな曲調。最も特徴的
なのは、歌うときに黒いマントを羽織るところだ。そして、ほとんどの人がコ
インブラ大学を卒業しているようだ。
初めてファドを聴いた感想☺
四人の男性が楽器を持って座り、左から三人がギター、残りの一人がチェロ
担当だった。一人の男性が持つギターは、ファドの時に用いられる特有の玉ね
ぎ型のギターである。
(ポルトガル語で「ギターラ」
“guitarra”!)
はじめに、二人の女性のファドを聴いた。
(一人の方の名前は、Lishe。
)声に
もの凄く力があった。それぞれ二人の声の太さや高さが違い、二通りのファド
を楽しむことができた。とても勢いのある声量に圧巻!ファディスタ(ファド
歌手)によっては、お客さんの目をそれぞれ見るように歌っていた。誰かを思
って歌っているような感情が伝わってきた。単調ではなく、メロディーが突然
変わったり、急にアップテンポに楽しくなったり、五人で素晴らしい音楽にな
っているのに感動した。後ろの男性四人は、みんなで心を合わせるように時々
目を合わせて演奏していた。
次に、男性のファドを聴いた。(名前は、Pedro Moutinho。)しっとりと歌い
はじめる。ズボンポケットに両手を入れ、少しもの淋しいように…。曲によっ
ては、少し明るめのもの、またとても切なく郷愁“サウダージ”を感じるもの
があった。周りには、釘づけになって見ているお客さんやゆっくり食事をしな
がら聴いているお客さんがいた。一度、演奏者のギターの一人も立ち上が、ギ
ターを引きながらソロで力強く歌っている姿に私は感銘を受けた。
7
ファドの演奏が次々に行われる中、休憩も挟まれた。その間ファディスタは、
お客さんと目線を合わせテーブルに直接足を運び、優しい空気を自らが作るよ
うな、とてもフレンドリーな方々だった。私は、彼らの一人 Pedro のCDを購
入したので、彼にサインをもらい、写真撮影にも快く応じてもらうことができ
た!
①
②
① ファドが聴けるレストラン“Luso”
。
② 右から二番目の男性がポルトガルギターを
③
奏でる。
③ 歌うのは Lishe。CDも出している。
④ 歌うのは Pedro。こちらもCDを出している。
④
20時にオープンするこのレストランは、予約して行ったほうが確実である。
客席と演奏者が近いので、親近感が湧く。ポルトガルのエンターテインメントは、他にコ
ンサートやオペラ、ディスコやバーなど、楽しむところはたくさんである。だが、リスボ
ンでは最近、夜遅くになると強盗などの犯罪発生率が高くなっている。この辺りも、若者
が多く集まり騒いでいたりと、あまり治安の良くない地域であった。
8
ポルトガル人の時間の感覚は日本人と違う?☝?
ポルトガルの夜は長い☆!23時、深夜0時からお酒を飲むそうだ。私は、
2時間程度日本での時間の感覚と差があると感じた。私が平日の深夜0時頃に
コインブラのホームステイ先に戻っていたとき、ある光景に驚き時計の針を確
認したのを覚えている。帰り道のコーヒーショップの外のテーブルは、満席状
態。その辺りでは、まだ小さい子供たちが元気よく走り回っていた。私は目を
疑った。日本ではお祭りや祝日の前でない限り、平日の夜にこんな光景は起こ
りえないと思った。気付けばホームステイ先の方も、平日深夜に帰宅した際ワ
インとチーズを口にしながら、夜中の2時、3時まで起きているといった生活
だった。また、リスボンにある深夜0時まで開いている大型ショッピングモー
ルを訪れた時だった。22時近くまでフードコートには人!人!人!といった
感じでびっくりした。ポルトガルの夜はとても長いようだ☽。かといって、朝
が遅い訳ではないようなので、パワーにみなぎった人たちのお国柄なのだろう
か?!
学生の町、コインブラ
コインブラは、丘の上にあるコインブラ大学を中心に広がる人口9万人ほど
の小さな坂の街である。大学内にある高台から一望するコインブラの町は、オ
レンジ色の屋根がここでも目に飛び込んでくる。校内ではチャペルの中をはじ
め、ポルトガルを代表するアズレージョタイルが使われている壁が数多く、常
に人々の目を引く。一枚ずつ絵付けされ焼かれたタイルを並べ仕上げるまでに
は、物凄く時間がかかるようだ。
① モンデゴ川越しに見渡すコインブラの町
この川は、ペドロ王子とその侍女イネス・デ・カストロ
②
の悲しき恋物語の舞台でもある。
② 上に見える建物がコインブラ大学
幻想的に高台にそびえ立っている。
①
9
コインブラ大学は、1290年に創立。ヨーロッパでは四番目に古く、規模
も大きい。私は、そのコインブラ大学で1時間半ほど、外国人コースの“文化”
の授業に参加することができた。全てポルトガル語で行われる授業だったので、
私一人だけが目を真ん丸くしている状態だった。ポルトガル語の挨拶程度は勉
強していたものの、内容はちんぷんかんぷんだった・・・。日本人が五人、あと残
りのほとんどはドイツ人の留学生のようだった。先生は若い女性で、身ぶり手
振りで楽しげに話していたのが印象的だった。
旧大学のシンボルの時計塔とラテン回路
30万冊が蔵書されている図書館
国内で最も古い歴史を誇ると言われてい
1724年に建てられた。中は華麗な金泥細
る。コインブラに初めて大学がおかれたの
工による内部装飾や調度品がある。天井が高
は、1308年のことである。
く、夜になるとコウモリが出るそうだ・・・。
大学内にある装飾タイル、アズレージョ
コインブラ大学に隣接する新カテドラル
よく見ると、細かい線で絵が描かれてい
1598年に建立。完成には1世紀あまり
る。一枚一枚人の手による気の遠くなる作
を要している。バロック様式の見事な大聖
業が目に浮かぶ。
堂である。
10
コインブラOB合唱団に出会う♬
コインブラOB合唱団とは、コインブラ大学を卒業した男性により結成され
たコーラス団である。ヨーロッパでは知名度もあり、国内外を問わず様々な所
に招かれているようである。結婚式に招かれ歌うこともあるようで、彼らは実
力があるだけではなく格式あるコーラス団なのだ。私は運良く、ある野外コン
サートで披露するのに同行し、彼らの歌を聴くことができた。コインブラの男
性は黒いマントを羽織って歌うのが伝統である。本番を迎える直前までは、と
ても陽気だった方々が、歌いはじめると一転し、その姿と声は聴いている人を
魅了した。一人一人が力強く歌唱力は素晴らしかった!
メンバー全員が真剣な表情で歌う
コインブラOB合唱団の練習部屋
大西洋の海で目にしたもの☀
大西洋のビーチ
地引き網漁
引き上げられた魚
大きなタイヤの付いた車が海に
小さい魚から大きな
種類はサバ、イワシ、アジ、
放った網を引き上げ、魚を釣っ
魚まで、海から引き
イカやカニなど。これを袋詰
ていく。地引き網漁である。大
揚げている。
めにし、すぐにその場でも売
買される。
勢の人々が見学に集まる。
11
豊かな自然に恵まれた、ブサコ国立公園♘
コインブラから北へ約30km行くと、
① 森の中にたたずむ5つ星ホテル
ポルトガルを代表する国立公園、ブサコ
この緑に覆われた国立公園は、静かな森
に出会う!
にあり、たくさんの花が出迎えてくれる。
2004年、日本ポルトガル友好460
④ 皇太子が宿泊したという部屋が奥に・・・
皇太子は、豪華な内装のひとつひとつをど
年のイベントで皇太子が宿泊している。
のように感じ、どのような気持ちで宿泊し
② ホテル裏側に広がる美しい庭園
たのだろう・・・。
清涼な空気に包まれ、ゆったりとした時
間が過ごせる。ふじの花が咲く場所があ
⑤ 皇太子のために作られた特別メニュー
元々あるメニューに追加され、現在でも食
る。
べることができる。
③ 壁を覆うアズレージョタイル
エントランスホールから二階へ上る階段に向かうと、まず目を引くのが壁一面を華やかに
飾ったアズレージョタイルである。窓から差し込む光が、白と藍色のアズレージョを一層
引き立たせ美しい。歴史上に残る人物の戦いの絵が、壮大に描かれている。
※左側に立っているのは人形
⑤
①
④
②
③
12
コインブラの町並み☞
① コインブラ市役所
② 旧市街の入口にあるポルタジェン広場
歴史を感じる古さであった。石畳の道を前
花がたくさん咲いており、とてもキレイ。
に風情を感じる。
町の入口なだけに、人の出入りが激しい。
②
①
③ 古いチャペル
全てが石造りで、ア
ーチ状の高い柱がア
ラブの影響を受けて
いる。
④ アズレージョ
チャペル内の壁一面
に天使が描かれてい
る。二色使いだが、
③
とても華やかだ。
④
⑤ 街の中で見掛けるゴミ箱
ゴミがあればこれに捨てる!
という意識が市民全体に広が
れば街も汚れないだろう。
⑥ 一般的な洗濯物の干し方
通常、洗濯物は紐につるして
干すようである。窓やベラン
ダにこのようにして干してい
⑤
るのが目に止まった。
13
⑥
ホームステイ先の朝食✿(ポルトガルに移り住んで30年以上になる
⑥
日本人女性の家に 1 週間ほど滞在することができた。)
お天気の日にはバルコニーで朝食♪
9月上旬の朝の気候は風が心地よく涼しかっ
た。朝食はやはり、パンが多い。サラダにはオリ
ーブオイル、ビネガー、塩、黒ごしょうを好みで
かけて食べる。メロンやマスカットなど果物も美
味しい。飲み物もコーヒー、紅茶またはジュース
など豊富に揃えている。
ローマ帝国の繁栄を伝える、コニンブリガの遺跡➹
コインブラの南約15kmのところにある、イベリア半島最大の
都市遺跡である。博物館には、日本でも教科書などで目にしてきた
ような土器がいくつもあった。今も発掘が続くこの遺跡は、とにか
く広大だ!以前、敷地内にはお金持ちの家、そして周りには身分の
低い者たちが住んでいたようだ。歴史を感じるひと時だった。
14
リスボンの中心部
✶中心部のメインの通り、“リベルダーデ通
り”はとても広々としている。1775年の
大地震後、都市再建計画より生まれ変わった。
幅90m、長さ1,500mのリスボンを代
表する大通りである。
「自由」という語源通り、
人々に余裕を与えてくれる。
✶リベルダーデ通りをはじめリスボンの通りのほとんど
には石畳の道路がどこまでも続く。形も大きさもバラバ
ラの敷石は、全て職人の手作業によるものだ。通常、2
色で描かれている。柄もその場所によって違い、歩くだ
けで楽しい。非常に凹凸があるため、ヒールを履いて歩
いている女性をあまり見ることはなかった。
✶ヒールを履いてこの石畳の上を歩くと、必ずと言ってよいほどヒールが石と
石の間に挟まり、靴をだめにしてしまうのである。なので、ポルトガルではあ
まり細いヒールの靴を掃くのは好まれないのだろう。町を歩いていると、とこ
ろどころ石が外れている部分を見つけた。実は、こんなに厚みのある石がコン
クリートで固められ、並べられているのだ。
✶リベルダーデ通りを下って歩くと、オフィス街が続き日本大使館が入ったビ
ルが出てくる。ホテル、カフェ、レストランがこの辺りには集中している。ポ
ルトガルでは、強い日差しで家具が焼けるのを防ぐため、不在の時は窓やバル
コニーのシャッターを閉めていることが多い。
15
在ポルトガル日本国大使館を訪れる✍
ビルの6階に所在する在ポルトガル日本国大使館
1階にある受付からセキュリティーが厳しく、大使館に入るのにデジタルカメラと携
帯電話を預けなければならなかった。大使館の奥の部屋に通されるまでも二枚、三枚と
厚いドアがあり、非常に厳重だ。奥の部屋に通され、文化担当の方とお話をすることが
できた。
✴文化担当者にポルトガルが日本より進んでいる点を聞くと、キャッシュカー
ドだという返事が返って来た。公共料金(電気代や電話代)がどこのATMか
らでも簡単に支払うことができる。日本と違う点は、手数料がかからないこと
だ。他に、高速道路のETCはもう20年前から導入されているそうだ。とに
かく、このキャッシュカードさえあれば生活には困らないと教わった。
外壁が見事なリスボン市役所
入口には警備員が一人立っていた。
16
路上で目に止まったもの〠
ATM機
ATM機は、通りを歩いていると
至るところで目にする。便利だが、
通り沿いにあるので、後ろから覗
かれないよう気を付けたい。
①
②
① ②は、切手販売機付きポスト
日本にはない画期的な機械だ。
③ ポルトガルのポスト
青が速達用で、
赤が普通郵便。
自動で入れ替わる広告版
定期的に自動でいろいろな広
告が上下に入れ替わる。これ
はバス停にあったもの。
ゴミの分別の心掛け✡
ゴミの分別を考えたゴミ箱
ゴミの分別は、プラスチ
ック、紙、瓶、可燃ゴミと
分けるようになっている。
大分市と同じくらいリ
サイクルに関心があるよ
うである。色鮮やかなゴミ
箱は、市民の意識をさらに
高めるかもしれない。
17
③
リスボンの国鉄駅♛
夜のサンタ・アポローニア駅
水色にぬられている駅舎。
オリエンテ駅
非常にモダンな駅。終点のサンタ・アポロー
ニア駅に発着する列車は全てこの駅にも停車
する。
リスボン市民の憩いの場、国際公園♐
1998年に開催されたリスボン万博博覧会
の会場跡がこの国際公園となっている。
ヴァスコ・ダ・ガマ大型ショッピングセンター、
テージョ川に沿うロープウェイやタワーがある。
18
一番ホッとしたまち、アベイロ
首都リスボンから快速列車に揺られて2時間半もすれば、歴史の趣を感じさ
せてくれる建物が立ち並ぶアベイロに到着!人口75,000人ほどの小さい
町だ。大分市と姉妹都市であるアベイロ市は、至るところでたくさんの花を目
にすることができ、石畳で統一された町並みはとても風情がある。町の真ん中
には中央運河が流れており、モリセイロと呼ばれる細長い船が並ぶ。デザイン
は色鮮やかで、町をいっそう明るく元気にしてくれる。今年2008年に、姉
妹都市締結30周年を迎えるアベイロ市と大分市。そのアベイロ市とは、どの
ような都市なのかをここから探る!
① こんな高い場所に誰が水をあげているのだろう。かわいい花が生き生きと咲いていた。
② 中央運河にかかる橋。アベイロ一大きいショッピングモールに続く。
②
①
④ 町の中心部にあったチャペル。こ
のチャペルでは昔、屋上から男性
がブーケを投げ、それを取った女
性と結ばれるという儀式があった
そうだ。なので、前は広場のよう
になっていた。
④
③
③ 運河に沿って立ち
並ぶ色鮮やかな
家々。それをバッ
クに浮かぶ観光用
のモリセイロ。
街中が石畳➢
✴マンホールまで敷き詰められている石がおもしろ
い。女性は履物に苦労するようだ。私の場合、一週間
で片方のヒールのゴムの部分が無くなってしまった。
大通りで一度、石と石の間に片方のヒールが完全には
まってしまい、足だけ抜けヒールがその隙間からすぐ
に抜けないことがあった・・・。ヒールを履く女性はみ
んな、修理代に苦労するようである。
19
✴夜になると、
石畳は月明か
りや街灯に照
らされ、その光
を受けて、アス
ファルトより
数倍明るい。
夜のアベイロ✧
現在のアベイロ駅に隣接する旧アベイロ駅
夜の中央運河
アズレージョが施され、夜のライトアップ
建物や街灯が水面に映り、美しい。モリセ
された姿もきれいだ。
イロも静かに浮かんでいる。
アベイロ駅で一番驚いたこと✐
アベイロ駅構内のトイレを使用するのに、コインが必要だ。日
本円で約80円。無料で使用できる公衆トイレよりも清潔に保た
れているようである。要領のよい現地の人は、知らない人が前に
入っていても、その人が出ると次に堂々とドアが閉まる前に入っ
てくる。お金を払わなくてすむからだ!
こうした公衆トイレはヨーロッパ内
では少なくない。行きたくなったときの
ために、小銭を持っておかなければ困る
かもしれない。
20
一面に広がる塩田❖
アベイロは塩の産地であり、町のはずれに突然広々と存在する。9月頃はよくとれ、時期
によっては雪山(写真・右)なのかと思うくらいかなりの量の塩が積まれている。冬の時期
は、とれる量が少なくなるそうだ。以前は、たくさん塩の会社があったようだが、今は主な
会社が一つになっている。
手の上に塩を少し乗せて、なめてみた!粒が大きく、味はやはりしょっぱい!!
人々がそれぞれの時間を過ごす海岸❂
① 白くさらさらしている砂でとてもきれいな海岸。
② 海と川がぶつかる地点。とても危険な場所であり、常にたくさんの荒い波が立っていた。
③ ヨーロッパ一大きな灯台で、非常に高さがある。目立つようにするため、赤と白のスト
ライプだ。
④ お散歩中?と思われる現地の人々。時間に余裕のある暮らしぶりに見てとれた。
①
⑤ 個性的な公衆トイ
②
レ。派手な色である
が、どこかしらかわ
いい。
③
④
⑤
21
海岸リゾート、Costa Nova(コスタ・ノヴァ)✾
① カラフルな色使いの家がずらりと
②
②石畳の模様がヨット。アベ
海岸沿いに並ぶ。
絵本から出てきた
イロ近郊では、海にちなん
ような、とてもかわいらしい家々。
だ模様が歩く時間を楽し
いわゆるセカンドハウスのリゾー
い時間に変えてくれる。こ
ト地だが、
釣りをして生活している
の周辺には、大きな魚の形
人々もいるようである。
をしたユニークなベンチ
①
があった。
③
③ 市民や観光客でにぎわう
魚市場。売られている魚
介類の種類はいろいろ
だ。アベイロは、魚介類
に恵まれ魚介料理が新鮮
で美味しい!
アベイロの町並みの中で見つけたもの✡
②
① 道路の真ん中にあるロータリー
日本のように四つ角は少なく、円を描くようにできた
交差点だ。交通の頻繁な場所や、交通整理のために考
えられたのだろう。
② 無料で利用できる自転車、BUGA(ブーガ)
借りる場所は町中心部に位置し、誰でも気軽に乗るこ
とができる。例えば、外国人の私の場合、パスポート
のコピーと引き換えに借りることができた。
③ 自転車、BUGA
20台近くの自転車がきちんと整備されている。
③
①
22
さまざまな場所を彩るアズレージョ♟
① ②はともに町にあるチャペル内のアズレージョ
色鮮やかな色彩が印象的だ。
③
③ レストランのトイレ内のアズレージョ
①
こんなところでもアズレージョタイルで
②
覆われている。
アベイロ市役所を訪れる✑
② 澄み切った青空と緑の芝生に映える市役所
① アベイロ市役所 国際関係室の様子
レンガ造りでオレンジ色の明るい建物がア
右側の女性が国際関係の担当者であり、姉妹都
ベイロ市役所だ。昔工場だった建物を改装
市協定に関することに携わっているVera
し、生まれ変わった。中に入ってみると天井
(ベラ)さん。大分市とのやりとりも彼女が全
の高いモダンな3階建ての造りだ。
て担当している。隣の男性は上司だが、冗談が
②
飛び交い、職場の雰囲気は笑いが絶えない。
③ アベイロの町についてお話を聞いた
アベイロには、あまり高い建物はない。建
物は平均して4、5階だそうだ。小さな町だ
が平地であるため、建物の圧迫感が全くない。
ゆったりとした気持ちで暮らせるようだ。
①
✴制服は以前廃止にな
り、現在服装は自由。日
本と比べると、特に女性
職員は発色のよい色の
洋服に身を包んでいた。
23
③
“OITA”がショッピングセンターの名前に✪
✴町の中心部に“OITA”
の文字が現れる。ビル内にあ
るショッピングセンターだ。
アベイロと大分の姉妹都市
の歴史を改めて感じる。アベ
イロの地で、大分の存在が大
きいものであって欲しいと
願う。しかし、
“OITA”
の意味を知らない人も多い
のが現状のようである。
芸術の歴史があふれる建物が並ぶ
写真の中で少し切れているが、一番左側に並ぶ
二棟のビルは、アベイロ市が持っている美術館で
大分とどことなく似ている?
ある。古くなった建物は修復され、100年以上
海に近いため、魚介類に恵まれているア
経った今でも美しく町に溶け込む。
ベイロでは、どこのレストランで食べる魚
料理も新鮮で美味しい。日本人の味覚に合
っているのだろう。オリーブオイルをたく
さん使用している料理も、抵抗なく食べる
ことができた。
アベイロの町並みは、とにかく閑静で草
木や花々が彩りを添えていた。また、歴史
を感じる建物は町に溶け込み、現在もしっ
かり受け継がれている。人々のゆとりのあ
る暮らしぶりに過ごしやすさを感じる
オヴォシュ・モーレシュ
卵風味のアベイロの銘菓!中身は本物の卵黄を
思わせる色だ。甘くて、日本のもなかのようだ!
日々だった。町を歩いていると、車が必ず
と言ってよいほど歩行者を優先にする心
を持ち合わせ、人々があたたかかった。
私の中で、大分と重なる点がいくつかあ
るアベイロが、大分市と姉妹都市である理
由が少し分かった気がした。アベイロは大
分のように住みやすい町に違いない。滞在
中、そう確信した!
24
ポルトガルの高級磁器、ヴィスタ・アレグレ♘
アベイロから南へ5km、llavo(イリャヴォ)という小さな町に、ポルト
ガルを代表し磁器として知られるVista Alegre“ヴィスタ・アレ
グレ”がある。1824年、ポルトガルの貿易商ジョゼ・フェレイラ・ピント・
バストによって創設された。彼は、東洋(特にマカオ)から絹、香辛料、煙草
などを買い付けていたが、やがて中国磁器に魅せられ輸入もするようになった。
その後1830年、父同様に東洋の磁器に夢中になった息子のアウグストが、
フランスのリモージュから職人を招いたことによりポルトガル初の磁器が生ま
れた。現在も、ヨーロッパ各国の王家で愛用されている。
その磁器工場の敷地内には博物館が一般に公開されている。この博物館には
創業当時からの作品が並べられ、1824年から続く磁器の歴史の移り変わり
が見てとれる。古いものから順番に見ていくと、途中でスタイルや色使いが変
わったり、細かい作業の多い製品がふえるなど、見ていておもしろい。歴代国
王のために焼かれた豪華な器や、ポルトガルの日本到達450周年を記念して
作られた絵皿なども飾られている。そこには多くの貴重な磁器が展示されてお
り、人気である歴史の秘密を探ることができる。時間を忘れるほど見入ってし
まう空間だ。
①
広々とした磁器工場の敷地にて
① かつて労働者のための住居やその家族の子供たち
のための学校があったそうだ。現在、それらは無く
なり、建物だけが残っている。
② 博物館の手前にある17世紀に建てられた礼拝堂。
③ 工場で作られたさまざまな磁器が売られているフ
ァクトリーショップ。シンプルなものから華美なも
のまでいろいろだ。アウトレット製品のショップは
別に隣接しており、安く売られている。
②
③
25
ドウロ川を中心に栄える第2の都市、ポルト
①
① ドウロ川にかかるサン・ジョアン橋
この橋がポルトの町の入口だ。ポルトはポ
ルトガルの商工業の中心地。人口は約30万
人。世界遺産にも登録されているほど、歴史
の長さを感じさせる地区が広っている。ポル
トを代表とするドン・ルイス1世橋が町と町
をつなぎ、ドウロ川沿いには起伏の多い建物
が立ち並んでいる。
②
② ポルトのサン・ベント駅
天井が高く、構内全面がアズレージョタイ
ル。見入ってしまうほどの見事な駅が出迎え
てくれる。
芳醇なポートワイン☫
ドウロ川の対岸ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアには30を超すワイン工場がある。ポート
ワインは、アルト・ドウロと呼ばれるドウロ川流域で収穫されたぶどうから造られている。
山の斜面に広がる段々畑で育てられたぶどうは、9月に人々の手により摘み取られてい
る。ぶどうを完全に発酵させないのがポートワインの特徴である。ポートワインは、食前
または食後に飲むデザートワインなのだ。
左右に並ぶのは木の貯蔵樽
(ワイン工場の一つ、
Sandeman“サンデマン”にて)
左に並べられた小さな樽の場合、中のワインが
木や空気に、より多く触れることによって熟成さ
れる。
一方、右側の大きな樽の場合は、木と中のワイ
ンの間に風が通り、若々しく育つ。ルビー色で美
しいワインになるそうだ。
26
訪れたSandeman
Vintage
“サンデマン”工場
いったんワインの蓋を開けると酸化
Special
(スペシャル
が一気に進むため、24時間以内に飲む
ヴィンテージワイン)
べきだと学んだ。ここで売られているも
ヴ ィ ンテ ー ジワ イン
ので一番高いものは、1906年のワイ
の中でも特別なものは
ンだ。日本円で約49万円(750ml)!
このように厳重に貯蔵
されている。
際立って優れたぶど
うができた年のみ大き
な樽の中で2年間熟成
させ、ビンに入れた後に
12∼15年熟成を待
つ。右の写真のワインは
それ以上のようだ。
さまざまなポートワイン☛
②
①
① Tawny(黄褐色のワイン)
アルコール度20の割には、強く感じ
る。ドライフルーツやナッツと合う。
② Vintage(ヴィンテージワイン)
一般的に2年かけて生成され、3∼5年
経ってから飲まれる。色は黒に近く、と
③
④
③ White(白ワイン)
黄金色に近く、フルーティな味わ
ても濃厚な味わい。チョコレートと合
⑤
う。
④ Rubby(ルビー色のワイン)
初期に製造されたワインである。少し濃
い。午後に飲んだり、テーブルワイ
くルビー色をしたフルーティで味わい
ンとして好まれる。食前酒としても
深い。チョコレートやムース、またどん
最適だ。冷蔵庫で冷やした後、飲む
なチーズでも合う。
までに常温で少し時間を置くとい
っそう楽しめる。
⑤ Reserve(リザーブワイン)
(参考:10℃前後)
8年間熟成され、ヴィンテージワインと
同様に最高の出来の物だけを抽出して
いる。あたたか味のある色をした、ソフ
ポートワインの楽しみ方
トな口当たりだ。チーズ、フルーツやド
ライフルーツと合う。
27
∼ポルトガルに行ってみて∼
ポルトガルという国を実際この目でみる前までは、自分には大分とゆかりの
ある国という程度の知識しかなかった。すべては大分市と姉妹都市であるアベ
イロ市の存在を知り、さらにポルトガル語を学ぶ機会を得たところから始まっ
た。大分を代表する菓子“ボンディア”の意味をどれくらいの人が知っている
だろう。これは、ポルトガル語で“おはよう”の意味だ。実は、ほとんどの人
が耳にしたことがある言葉ではないだろうか。実際には、私たちにとって遠く
てまだあまりなじみが薄い国ポルトガルに、私は歴史や文化を探るため訪れて
みたくなった。
ポルトガルで、雲ひとつない澄み切った空を見て感動した。時間がゆったり
と流れていて、真っ青な空の下、町の美しさや食文化の魅力また歴史の古さを
感じる建築物を目の前にし、その空気を肌で感じることができた。町の印象は、
比較的治安は良く、住みやすい町が多かった。体験したポルトガルの生活と現
地の気質から、すぐに安堵感を覚えた。日本と約460年の歴史を持つポルト
ガルでも、住んでいる日本人自体は少ない。訪問中、あるショッピングモール
で日本文化展のようなものを訪れてみた。しかし、そこには日本の作品どころ
か、ほとんどが中国の建造物の模型や写真だった。この事実は悲しかったが、
確かな状況を伝えることの難しさを目の当たりにし、勉強になった。
私が何より嬉しく思ったことは、大分市と姉妹都市のアベイロ市が美しく心
が休まる町に感じたことだ。魚介類が新鮮で美味しい点や住みやすい町など大
分との共通点も多く、ゆとりのあるアベイロが本当に好きになった。今年20
08年に、大分と30周年の姉妹都市締結を結ぶアベイロとこれから少しでも
友好を深めていけるよう、一人でも多くの両市民に伝わっていけたらと強く願
う。今回の訪問で私が見て感じてきたものが、自分自身のキャリアアップにつ
ながり一つのステップになったと思う。これから少しずつでも的確なアドバイ
スができるよう、さらに、両国の友好のかけ橋として今回得た知識を広められ
るよう、役に立つことができれば幸いだ。
28