西暦 2016 年 06 月 13 日 ダレナン博士の研究所 研究報告書 No.273 題名:ご飯の中のご飯を調べる 報告者:トンカツる 「腹が減っては戦が出来ぬ」とは古くからのことわざであるが、その通りで、腹が減ってしまっては、体に 活力が出ず、何もできない。まさに戦力ダウンとなる。そこで登場するのが、ご飯である。ご飯を食べると元 気が出る。しかしながら、日本語でのご飯とは、米を炊いたそのものも指す一方で、惣菜なども併せてご飯と も呼ばれる。前者であれば、まさにご飯であり、後者であれば、ご飯の中のご飯となる。 ここで、話題をがらりと変え、視点を漫画に移すと、漫画家、鳥山明氏の代表作の一つに漫画「ドラゴンボ ール」がある。その中心人物の孫悟空(そんごくう)の長男は、孫悟飯(そんごはん)でごはんである。その孫悟 飯は、サイヤ人である父、孫悟空と、地球人である母、チチのハーフとなるが、悟空の悟(ご)に、飯(はん)で ごはんとなり、母なのにチチとは、そこはかとない鳥山明氏のセンスが感じられる。ただし、鳥山明氏の場合 は、努力によるセンス以上に、天才的なセンスを感じざるを得ない(No.268 も参照)。筆者としては、実にう らやましい限りである。 さらに、ここで話題を変えると、先の 180°がらりと展開した漫画の話から、さらに 180°話題を展開す るため、話題そのものが 360°一回転をしたことになる。すなわち、元の話題に戻る。ごはん繋がりである が、ややこしい展開である。しかしながら、このようなややこしさと同じくして、ご飯は、ご飯であるのか、 惣菜であるのか、それとも、ご飯の中のご飯である のかが、分かりにくい。分かりにくいにも関わらず、 「ご飯を食べに行きましょう。 」とある人を誘っても、 図のようなご飯はまずはない。ただし、これもご飯 にプラスして、梅干しと漬物とみそ汁(中が見えない ためにあくまでも想定)であり、江戸時代であれば、 これでも間違いなく立派なご飯と言える。特にご飯 の中のご飯の白米が、極上魚沼産コシヒカリであっ たり、梅干しも手作りのおいしい梅干し(No.11 も参 照)であったりした場合は、図の左のご飯の中のご飯 のお椀だけでも、高級品となり得る。さらに、これを 図 ご飯 1) 日本一の和食の達人が炊いた白米と昔ながらの梅干しで作られた椀であったならば、日本一のご飯となり得る。 ただし、日本一のご飯から、 「梅干しが苦手なので」という人がいて、椀から梅干しを除いたとする。それで もご飯のままである。 「梅干しが大好きなので」と、再び梅干しをインしたとしても、ご飯となる。さらに、 漬物をプラスしても、またまた、ご飯となる。さらに、みそ汁の椀をプラスしても、またまたまた、ご飯とな る。これが図の様相となる。さらに、この図に、肉の 3 大揚げ物の料理たる(No.221 も参照)、カラアゲ、 トンカツ、カツレツを 1 つでも、あるいは、3 つともプラスしても、またまたまたまた、ご飯となる。ご飯 はご飯のままであり、いくら追加しても、いくら削減しても、いくら醤油漬を追加しても、ご飯としての用語 の地位は、揺るがない。とても不思議な用語である。そこには、ご飯に対する先人からの尊敬の流れがあるよ うであり、如何に日本では、ご飯を大事に考えていたかが伺えるようでもある。 1) https://ja.wikipedia.org/wiki/飯 (閲覧 2016.6.13)
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