襲 う - ネット図書館

シリーズ
人類への警鐘の近未来SF小説
が
人類は絶滅するのか?それとも・・・・、
地球の破壊と人類の創造的復活の物語
襲う
を
アンディ 大和
地球
3
Super Giant Asteroid “Sisyphus”
Strikes The Earth.
超巨大小惑星
Gold Coast
シシュ
フォス
アンディ大和の
e-Bookland
人類への警鐘の近未来SF小説
『シシュフォス』が地球 を襲
超巨 大 小 惑 星
(人類は絶滅するのか?それとも‥‥、
う
地球の破壊と人類の創造的復活の物語)
地震・津波・火山噴火・台風・土砂災害・大寒波以外にも忘れられている大天災があった!
(上、「地球を襲う大隕石群」著者作画。
下、「都市に隕石落下」DLmarket より)
主な登場人物
フォンクアン
・ウオン(中国名「黄寛」
)
中国四川省出身。元北京大学副教授。経済学者。一九八九年六月四日に、胡耀
邦の死をきっかけとして、中国北京市の天安門広場において、大学生を中心に
一般市民も巻き込んで、
「自由・平等」と「人権」、それに「民主主義」を求め
て発生した『六・四天安門事件』で、二○一○年にノーベル平和賞を受賞した
劉暁波 リウ・シアオボー氏等と共に、学生を指導して中国人民解放軍に立ち
向かって戦い、その後、中国政府から執拗な追求を受けて、オーストラリアに
逃れてきた政治難民。クインズランド州のゴールド・コーストのタンボリン山
の大邸宅の地下に、超巨大小惑星「シシュフォス」対策のために三百人収容の
大地下壕を作る。
・ヨウコ(日本名「宇佐見葉子」
)
「東京外語大学東アジア課程中国語専攻」卒業。卒業後、中国留学を希望して
いたが、折悪しく天安門事件が起こり、未だ治安の定まらない中国への留学を
両親が許さず、止むなくオーストラリアへ語学留学をして、中国から亡命して
来たばかりのウオンと知り合い、たちまち恋に陥って電撃的に結婚した。
フォンシーツー
なお、中国では結婚しても女性の姓は変わらない。
・レオン(中国名「黄獅子」
)
ウオンとヨウコの一人息子。子供時代から、父親のウオンから中国共産党独裁
政権の自由 (特に言論の自由)や人権、そして民主主義を抑圧する姿勢への怒り
を聞かされて育った。その結果、反中国共産党独裁政権への強い信念を持つよ
うになった。超巨大小惑星「シシュフォス」隕石衝突後の大混乱に乗じて、オー
ス ト ラ リ ア に ク ー デ タ ー で 出 来 た 中 国 系 独 裁 政 権「 豪 州 連 邦 人 民 共 和 国 政 府 」
に対して、自身がゴールド・コーストのタンボリン山の近くの砂漠で見つけた
巨大な金鉱から得た莫大な資金を基に、反政府のタンボリン山軍を結成して戦
いを挑み勝利する。
ブッシュ・タッカー研究の第一人者。
後に、新オーストラリア共和国連邦の初代大統領となる。
・ノリコ(日本名「高梨典子」
)
レオンの妻。大阪出身。大阪の裕福な開業医の娘。
「甲南大学英語英米文学科」を卒業した後で、生きた英語を学ぼうとゴールド・
フォンフー
コーストの英語学校に留学し、レオンと結ばれる。
・タイガー(中国名「黄虎」
)
レオンとノリコの一人息子。
妻のマキと幼なじみのジミーの二人の天才の助けで、地球の復興と復活に尽力
し、多大の功績を上げる。
後に、地球連邦政府の初代大統領となる。
・マキ(日本名「高梨真希」
)
オーストラリア国立大学教授。タイガーの従妹。ノリコの弟の忘れ形見。タイ
ガーとは幼少より一緒に暮らし、遂には結ばれてタイガーの妻となる。工学・
物理学の天才。特に航空機に関してのエキスパートで、後に超音速旅客機や、
宇宙ロケットの開発をして、タイガーを助ける。
フークージェ
・胡克傑
オーストラリア駐在中華人民共和国大使。
超巨大小惑星「シシュフォス」隕石衝突騒動後の混乱の機を狙って、駐在武官
の呉万年大佐と図り、元中国人民解放軍の上将鄭長清を無理矢理クーデターに
引き込み、豪州連邦人民共和国政府の 樹立を宣言して初代大統領に就任する。
後に、レオンの追跡を受けて逃走中に、呉万年大佐に射殺される。
ジェンチャンヒン
・ 鄭 長清
元人民解放軍広州軍区指令員上将。ウオンの従弟。
人民解放軍の中で異例の出世を遂げるが、太子党の将軍達に嫉妬されて誣告さ
れ、身の危険を感じて、妻の「麗華」と早生した長男の忘れ形見「守成」を連
れてオーストラリアに亡命する。
超巨大小惑星「シシュフォス」隕石でオーストラリア社会が混乱した際に妻と
孫を人質にされて、無理矢理クーデターに引きずり込まれて、豪州連邦人民共
和国政府の首相にされる。
しかし、後にレオンの率いるタンボリン山軍に敗れて、逃走中に呉万年大佐に
拳銃で撃たれて重傷を負い、レオンの腕の中で死ぬ。
ウーワンニャン
・呉 万 年 大佐
胡克傑大使と図って、
クーデターを起こし、鄭長清元上将の妻と孫を人質にとっ
て、元上将を無理矢理クーデターに巻き込む。
豪州連邦人民共和国政府の国防大臣兼人民解放軍総司令官。
レオンの率いる反共和国政府のタンボリン山軍を、十万の大軍で攻めるが、レ
オンの巧みな作戦に会って、全滅して砂漠に逃げ込むが、最後にはレオンに追
いつめられて、レオンに降伏を主張する胡克傑大統領を射殺し、鄭長清首相に
も瀕死の重傷を負わせるが、鄭首相に射殺される。
チンヨウション
・陳永勝
中国人民解放軍退役軍人。実はシドニーの中国人マフィアのボス。
呉元大佐の指示で、悪行の限りを尽くす。
チョンショチャン
豪州連邦人民共和国政府の警察庁長官。
・ジミー(中国名「鄭守成」
)
オーストラリア国立大学の最年少教授。鄭長清上将の孫。鄭長清上将に連れら
れて、一緒にオーストラリアに亡命するが、クーデター騒ぎで呉大佐に人質に
される。後の内戦で鄭上将が死ぬと、レオンに助け出されて、タンボリン山に
引き取られ、タイガーやマキと一緒に育てられる。物理学と数学の大天才児。
人工知能の研究の第一人者。その数々の研究成果は、ノーベル賞があれば、そ
の第一候補になったことは確実だったとまで言われる。
成人して後に、オーストラリアにはそれまでに無かった、高度なコンピュータ
産業を発足させて、人工知能を搭載したヒューマノイド・ロボットを完成・実
用化して、これを使って地球の復興・復活に多大の貢献をする。
・タンボリン山軍親衛隊員
元来は、ウオンとレオンの少林拳の弟子たち。
ウオンとレオンが反共和国政府のタンボリン山軍を組織すると、軍の中枢とし
て活躍し、各自その才能を生かして、新兵器を開発するなど、共和国政府の人民
解放軍撃滅の功績を挙げる。
ジョン以下七名。詳細な経歴等は本文中で紹介。
・バリー
オーストラリア国防軍大尉。
国防軍幹部の指示で、脱走を装って、レオンのタンボリン山軍に参加し、各地の
戦闘で手柄を挙げる。
・サー・ジョン・ヒューストン
オーストラリア国防軍参謀総長。オーストラリア国防軍空軍大将。レオンの理解者。
・アンナ・ジェラード
Q LD州首相。レオンの理解者。
後に、新オーストラリア共和国連邦の首相となる。
)」の出現)・・・・・・・
1972 XA
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2(中国が月面基地「嫦娥」を建設する)・
1(世界大恐慌の再来の予想)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
36
目次
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4(世界大恐慌と中国人の大量国外脱出)・
60
(タンボリン山のシシュフォス対策と黄金)・・・・・・・・・・・・・・・・・
9(破壊されたシシュフォスの破砕片が地球を襲う)・・・・・・・・・・・・・
8(全世界で、超巨大小惑星対策が始まる)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7(超巨大小惑星「シシュフォス」の出現)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6(中国人口急増とヨウコの疑問) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3(超巨大小惑星「シシュフォス(仮符号
じょうが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5(主人公たちの登場)・
74
150 136 117 105 99
80
10
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(北半球は壊滅した)・
(人民解放軍 タンボリン山軍戦闘開始)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(反豪州連邦人民共和国政府「タンボリン山軍」の結成)・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
(クーデターで豪州連邦人民共和国政府樹立)・
(死の灰はオーストラリアへも飛んでくるのか?)・・・・・・・・・・・・・
14 13 12 11
vs.
(新技術の開発と地球の創造的復興計画の発足)・・・・・・・・・・・・・・
(新オーストラリア連邦の樹立とレオン大統領就任)・・・・・・・・・・・・
(脱走共和国幹部の壊滅)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(脱走共和国政府軍首脳大追撃作戦)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19 18 17 16 15
303 292 276 249 207 191 180 171 161
プロローグ
プロローグ
二〇一三年二月、世界中の天文愛好家たちは、米航空宇宙局 (NASA)の
、
——
《直径約四十五㍍の小惑星 “ Asteroid
”
「2012DA14」が、この中旬の十五日に、静
止衛星がある高度三万五八○○㎞よりも低い、
地球から僅か二万七七○○㎞まで最接近する》
との発表に、興奮で胸を躍らせていた。
——
しかし、その興奮は、その最接近が予告された正にその二月十五日午前九時二十分 (現地
時間)
、 ロ シ ア 中 部 の ウ ラ ル 地 方 チ ェ リ ャ ビ ン ス ク 州 の 天 空 に 突 然 現 れ た 火 の 玉 が、 上 空 で
落下・爆発したことによって打ち砕かれた!
その後のロシア政府の発表では、これは隕石が爆発・落下したものであるとされ、衝撃波
により窓ガラスが割れるなどの被害が出た建物は、計七四二○棟に上り、負傷者は少なくと
も一五八六人で、一〇〇人以上が入院したとされた。
NASAの発表によれば、この隕石は大気圏突入前の直径はわずか十七㍍であるものの、
重さは一万㌧もあり、小惑星「2012DA14」とは全く関係がない、別の地球近傍小惑
星「2011E040」のかけらとの結論が出されている。
そして、隕石が落下して、地上に大きな被害を与えるなどと言うことは、SF小説や映画・
14
プロローグ
(チェリャビンスク隕石)
TV の中の架空の話だと思い込んでいた世界中の人々は、
このニュースによって、改めて隕石の恐ろしさに衝撃を受
けたのだった。
T V や 新 聞 の マ ス メ デ ィ ア は 競 う よ う に、 約 百 年 前 の
一九○八年六月三十日七時二分に、当時のロシア帝国領中
央シベリア・エニセイ川支流の「ポドカメンナヤ・ツングー
スカ川上流の北緯六〇度五五分○秒・東経一〇一度五七分
分〇秒」の上空で起こった大爆発『ツングースカ事件』を
改めて詳細に報道し、さらには、『恐竜絶滅の有力な原因』
とされる、約六六〇〇万年前にメキシコのユカタン半島に
落下して、直径約一八〇㎞もの巨大な「チクシュルーブ・
クレーター」
を作った大隕石についても大きく取り上げた。
人々は、これらの報道によって、隕石は地球の歴史では、
しばしば地上に落下して、大被害を与えていたことを改め
15
プロローグ
(チクシュルーブ・クレーター)
て知った。
余談である。
歴史には「if」はないと言われるが、若しもこ
の巨大小惑星の衝突がなければ、我々人類の今は無
かったと考えられているのだ。
恐竜は、約二億二〇〇〇万年前から、彼らが突然
絶滅した約六六〇〇万年前までの約一億五五〇〇万
年の間、地球上の全生命の王者として君臨した。そ
の間、我々の先祖の哺乳類は、ネズミのような有胎
盤類( Placentalia
)の系統の「プロトゥンギュレイ
タム・ダネー( Protungulatum donnae
)」と呼ばれ
る小動物で、恐竜や大型捕食類の餌食になって細々
と生き続けた。
16
プロローグ
それが、恐竜を初めとする大型捕食類が、巨大小惑星の衝突で死滅すると、生き残ったこ
の小動物が、この新しい環境下ではもう食べられる恐れもなく、伸び伸びと暮らすことがで
き、五〇〇〇種と言われる現在の哺乳類にまで大発展を遂げて、遂には、六〇〇万年前〜
17
七〇〇万年前に、アフリカでチンパンジー・ボノボの祖先と別れた最古の人類「サヘラント
ロプス」が生まれ、
六万年前にアフリカを出てホモサピエンスが全世界に広がったのである。
(プロトゥンギュレイタム・ダ
ネーの化石と想像画。
サヘラントロプスの化石)
プロローグ
(アイソン彗星)
それにしても、このところ隕石や小惑星だけでなく、彗
星も以前よりは、地球に接近することが多くなったようだ
と人々が感じていたところ、同じ年の十三年三月中旬に、
「 パ ン ス タ ー ズ 彗 星 」 が 地 球 に 接 近 し、 さ ら に、 満 月 よ り
も明るく輝く「アイソン彗星 (仮符号「 C/2012S1
」)
」が十一
月に天空に出現した。
世界の人々の中には、この次には二〇一一年三月一一日
の『日本国東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波』以
上の大災害が、天から降ってくるような嫌な予感を覚えた
人たちも少なくはなかった。
そしてその予感は、不幸なことに現実になってしまうの
だ!
チェリャビンスク州に小さな隕石が落下・爆発してかな
りの被害を出したこの事件は、実は人類を滅亡の危機にお
18
プロローグ
としいれるストーリーのほんの序章に過ぎなかったのだ。
それから一年が経って、人々がチェリャビンスク隕石のことを忘れかけた二〇一四年一月
二〇日のことであった。
NASAと米空軍及びマサチューセッツ工科大学のリンカーン研究所よる共同プロジェク
)
ト「リンカーン地球近傍小惑星探査 ( LINEAR
」 で、 ニ ュ ー メ キ シ コ 州 ホ ワ イ ト サ ン ズ に 設
置した口径一㍍が二基と〇・五㍍が一基の「地上設置型電子光学式深宇宙探査望遠鏡 (GEO
DS )
」が、チェリャビンスク隕石の三十倍の大きさの直径五〇〇㍍の「2004BL86」
と言う名前の小惑星が二十六日に地球に最接近すると発表した。
このプロジェクトは地球近くの「地球近傍天体 (NEO)
」と呼ばれる小惑星の発見と追跡
を目的に、一九七〇年代後半から続いており、九八年以降の小惑星のほとんどが、このプロ
ジェクトで発見されている。
NASAによるとこの小惑星は、最接近と言っても、時速五万六三〇〇㎞で、地球から月
までの距離の約三・一倍の一二〇万㎞の地点を通過するというが、人々はそれでも何かの危
19
プロローグ
険が発生するのではないかと憂慮した。
この人々の杞憂に対して、NASAのジェット推進研究所で、この
トを主導してきたドン・ヨーマン氏は、
プロジェク
LINEAR
「今回の接近は地球にとっては脅威にはならない。むしろ、比較的大きな小惑星がかなり
近い距離に接近するため、われわれが多くのことを学ぶ貴重な機会となる。アマチュアの天
文学研究家たちは、壮大な宇宙ショーを小型望遠鏡などで楽しんでほしい」」と、衝突の可
能性を否定した楽観的な発表をして、また英グリニッジ天文台の天文学者、エドワード・ブ
ルーマー博士は、
「これほど接近する小惑星を観察できるチャンスは、今後二〇〇年間は訪れない」と、こ
れも楽観的とも思われる意見を表明した。
さらに、多くの天文学者や科学者たちも‥‥、
《確かに、地球の周辺には小惑星が行き来している。地球の軌道近くを周回する小惑星は
約百万個あり、NASAの推計では、その内の二万個は、いつかは地球に衝突する可能性が
ある。しかし、それは一億年に一度しか起こらない》と楽観的であった。
20
プロローグ
なお、このニュースはCNN等の海外メディアでは大きく報道されたが、日本では、同時
に起こったISIL (自称「イスラム国」またの名は、ISIS)による日本人二人の拘束・殺害
のニュースで、ほとんど話題にも上らなかった。
ただ、楽観的な発言を繰り返す天文学者の中でも、小惑星の地球衝突を真剣に考えて、警
告を発している人もいた、
その代表が、英国の伝統的なロックバンド「クイーン」のギタリスト兼シンガーソングラ
イターとして知られ、地球や太陽系の創生についての著書『 BANG!
宇宙の起源と進化の不
思議』があり、天文物理学の博士号を持つブライアン・メイだ。
彼は、クイーンの仲間たちと音楽活動を続ける傍ら、天文物理学者としても活躍している
が、中でも特に熱心に取り組んでいるのが、小惑星や彗星の衝突から地球と人類を守るため
の『100倍宣言』という啓蒙活動だ。
この運動は、地球に衝突しそうな小惑星を早めに発見して、小惑星の近くで爆発を起こし
て軌道を変えるなどして、危険を回避しようとするもので、そのためには充分な観測体制が
21
プロローグ
必要と主張するものだ。
また、地上や人工衛星に設置された最先端の望遠鏡で観察しても、太陽に向かう方角から
接近する天体は、太陽の強烈な光に飲み込まれて見えなくなる。
そこで、この問題を解決するために、非営利団体「B612基金」は、二〇一八年を目標
を 金 星 の 軌 道 に 近 い 太 陽 と は 反 対 の 軌 道 に 置 い て、 最 初 の 六 年 半 で 地 球 に
Sentinel
に、
「 Sentinel
(見張り)
」という宇宙観測船の打ち上げを目指している。
この
危険を及ぼす可能性の軌道内にある直径一四〇㍍級の小惑星の九割、ツングースカ級の天体
全体の半分、そして、さらに小さいチェリャビンスク級の小天体も相当数が検知できるとし
ている。
なお、天文学者たちが地球への衝突の危険性が一番高いと予想している「アボフィス」と
いう小惑星は、直径が約三二五㍍で、二〇二九年と三六年に地球に最接近するが、最新の予
測によれば、地球の大気圏をかすめはするものの、衝突はしないと考えられている。
(注、NASAの発表では、衝突の確率は一〇〇万分の一以下とされている。
)
22
プロローグ
(地球上の衝突クレーターの分布図。番号はクレー
ターの大きさの順序。Ma は Megaannum の略で、
"one million(1,000,000)years" 即ち、百万年)
しかも、天文学者を初めとする科学者たちは、
「大隕石や小惑星が地球上に落下して、生物の『大
量絶滅』を引き起こすのは、約一億年に一回も無い非
常に稀なことだから、それほど心配する必要はない」
と説明しているが‥‥、
《 実 際 に は、 地 球 の 歴 史 で は、 一 万 ㌧ 級 の 隕 石 が
燃 え 尽 き ず に 地 上 に 落 下 し て、 隕 石 の 大 き さ の 二 十
倍 の 直 径 二 十 ㎞ の ほ ど の ク レ ー タ ー を 作 る 衝 突 が、
一〇〇万年に少なくとも一回は起こっていると考えら
れているのだ。
英 語 版 の「 List of impact craterson
Wikipedia
(隕石によるクレーターのリスト)
」 に よ れ ば、 現 在
Earth
までに発見されている直径二十㎞かそれ以上のクレー
ターの数は六十数個に上り、しかも恐竜の絶滅を含む
23
プロローグ
『大量絶滅』を引き起こしたメキシコのユカタン半島チクシュルーブ・クレーターは、その
リストの中で三番目の大きさに過ぎないのである。
それにも拘らず科学者たちは ――
、
《当時地球上を我が物顔で闊歩して全盛を誇っていた恐竜を、僅かの期間で地球上から全
滅させてから、すでに六六〇〇万年の時間が経っていること》
を忘れていたのだ!
――
宇宙時間のスケールでは、一億年も六六〇〇万年も瞬きする程度の殆ど同じ時間帯で、ほ
んのちょっぴり短くなっただけだったのだ。
因みに、読者の中には「地球に巨大小惑星が激突する等というのは、俺たちが生きている
間には絶対にないよ。これは、作者の与太話だという人がいるかもしれないので、次の事実
を告げておこう。
小惑星の衝突の脅威は、小説でも単なる仮説でもないのだ!
《一九九四年七月十六日から二十二日にかけてのことだった。
24
プロローグ
)
科学者たちは「シューメーカー・レヴィ第九彗星 ( SL9
」の分裂核が相次いで、木星の大
気上層に激突するという桁外れの天体衝突を目撃した。そして、その衝突痕は、地球サイズ
のものもあった。
》
これは、
人類史上初めて多数の人々が目撃した、地球大気圏外での物体の衝突の瞬間であっ
た。彗星や小惑星は現実に惑星に衝突するのだ!
、
――
(超巨大惑星「シシュフォス」の出現)
この小説は
《突如、超巨大小惑星「シシュフォス」が宇宙から飛来して、地球それも人類の文明や経
済の八〇㌫以上を担う北半球を襲った》
ことに始まる。
――
なお、超巨大小惑星「シシュフォス」は、著者が創った架空の小惑星ではない。実在する
超巨大小惑星なのだ!
「シシュフォス」は、地球横断小惑星 (注)の中でも最も大きく、一九七二年にスイスの
25
プロローグ
天文学者「パウル・ヴィルト」が、ベルン大学のツィンマーヴァルト天文台で発見したが、
その軌道は不明で、現在に至るも行方が分からない小惑星なのだ。
しかし、恐るべきは、この「シシュフォス」は、天文学者が地球に接近する小惑星の中で
一番危険だとしている「アボフィス」等の小型の小惑星とは比較にならない程の超巨大小惑
星であったのだ!
その直径は八・二㎞にも達し、六六〇〇万年前の白亜紀末に恐竜絶滅の原因の一つと考え
られている小惑星衝突を起こし、
メキシコのユカタン半島にあるチクシュルーブ・クレーター
を残した大隕石となったあの巨大小惑星と殆ど同じ大きさの超巨大小惑星なのだ。
NASAを初めとして、天文学者たちは、迂闊にも、この行方が知れないが、近日点が地
球の軌道の内側にあるアポロ群の地球横断小惑星の中でも最も巨大な小惑星「シシュフォス」
のことをすっかり忘れていたのだ!
(注)
、
「 太 陽 を 中 心 と す る 太 陽 周 回 軌 道 を 公 転 す る 小 惑 星 の 内、 公 転 軌 道 が 地 球 の 公 転 軌 道 と 交 叉 す る 小
より)
Wikipedia
惑星の総称。その定義上、全ての地球横断小惑星が地球近傍小惑星であり、将来的に地球に衝突する危険
性がある」以上
26
プロローグ
(隕石落下の影響)
参考までに、ここで隕石や小惑星が地球の大気圏に入って爆発したり、地球に激突したり
した場合の被害の大きさを示そう。
隕石が地球大気圏で爆発した場合である。
ロシアのチェリャヒンスクに落ちた直径わずか十七㍍が放出したエネルギーでさえも、驚
くことに、広島型原爆の三十倍以上であり、一九〇八年にシベリアで起きた「ツングースカ
大爆発」のエネルギーは、広島型原爆一〇〇〇発分の十メガトン級の爆発規模だったと推測
されているのだ。
「 ア ボ フ ィ ス 」 級 の 直 径 三 ○ ○ ㍍ の 小 惑 星 が 衝 突 し す れ ば、 そ の 威 力 は 広 島 型 原 爆 の 二 万
倍近いと予測され、その被害は想像を絶するものになると考えられている。
そして、
地球史上五回目の「大量絶滅」をもたらした、「チクシュルーブ・クレーターを作っ
た巨大小惑星」のケースである。
この直径十〜十五㎞の超巨大小惑星は、衝突速度約二十㎞/s でユカタン半島沖の海上に
激突した。衝突時のエネルギーは広島型原子爆弾の何と約十億倍!衝突地点付近で発生した
27
プロローグ
(巨大隕石が海上に落下したイメージ。DLmarket より)
地震の規模はマグニチュード十一以上、生じた津波は高さ
約三百㍍と推定されている。(以上、二○一○年「サイエンス」
より。
)
(超巨大小惑星衝突のよる白亜紀末の「大量絶滅」)
それでは、この超巨大小惑星の衝突によって何が起こっ
たかを、最新の科学調査と研究の結果を基にして具体的に
記述しよう。
なお、白亜紀末の「大量絶滅」は、天体衝突が原因だと
いう仮説がノーベル賞受賞者の物理学者「ルイス・アルバ
レス博士」
らによって一九八〇年によって提唱されて以来、
多くの学者によって研究・調査されて、現在ではその仮説
が正しいことが証明されている。
六 六 〇 〇 万 年 前 の 白 亜 紀 末 の あ る 日、 繁 栄 の 絶 頂 期 に
28
プロローグ
あった肉食恐竜の王者「テラノサウルス」や、全長七十㍍・体重一○○㌧にも及ぶ竜脚類の
恐竜「ティタノサウルス」たちの頭上を、太陽と見まごうばかりの巨大な火の玉が、地表に
対して約三十度の角度で南南東の方角から轟音を響かせながら通り過ぎると、陸地からまじ
かの海上に激突した。
すると、衝突地点から摂氏一万度の噴流が立ち上り、時速一〇〇〇㎞を超える爆風が、数
千㎞の範囲で恐竜や巨木をなぎ倒した。
特に、南南東の方角からこの超巨大小惑星が突入・衝突したために、衝突地点の北に位置
する現在の北アメリカ大陸の動植物は一瞬にして壊滅状態となった。
さらに、この超巨大小惑星が激突した箇所が、恐竜を初めとして全生物にとって最悪の地
点だった。
海上であった為に、三〇〇㍍を超える大津波が発生して、世界中へと伝播するだけではな
かった。その地点の地質が厚さ三㎞にも及ぶ「ユカタンプラットフォーム」と呼ばれる炭酸
塩・硫酸塩岩地帯であったことだ。これらが、衝突による数千度の高熱で瞬時に溶けて、大
量の二酸化炭素や硫黄となって大気中に拡散されたのだ。
29
プロローグ
二酸化炭素は成層圏に上り、オゾン層を破壊したので、生物に有害な紫外線が強力に地上
に降り注ぎ、生き残った生物を殺した。
特に硫黄は、
「 硫 酸 エ ア ロ ゾ ル 」 と 呼 ば れ る 煙 霧 状 の 微 粒 子 と な っ て 成 層 圏 に 達 し て、 同
時に舞い上がった塵や煤等と共に浮遊物の層を作って、太陽光線を遮るとともに、対流圏で
は空気中の硫酸エアロゾルが、空気中の水分と化学反応して、強力な硫酸の酸性雨となって
地上に降り注いだ。
衝突地点から遥かに離れて、大津波や熱風の被害から免れた生物も、地球全体を覆い始め
た硫酸エアロゾルの雲からは逃れることはできなかった。
地上の植物は、太陽光線が遮られて光合成が出来なくなり、さらに酸性雨と寒冷化によっ
て枯れはてて、食物連鎖が断ち切られた。
すなわち、植物を食物とする草食恐竜を初めとする草食動物は餓死し、草食居留や動物を
餌とする肉食恐竜や動物も死に絶え、まさに生物の七十㌫が絶滅したと考えられている。
海では、さらに悲惨なことが起きた。
硫酸の酸性雨は雨となって海上に降り注ぐと共に、地上に降った酸性雨も海に大量に流れ
30
プロローグ
込んだので、
最大で海面から一〇〇㍍位の深さまでが酸性になって死の海と化した。さらに、
酸性雨には銅や水銀、クロム、アルミニウム、鉛等の有害物質が含まれているので、表層の
海洋生物の死滅は九十㌫以上にも及んだ。
そして、このような状況が数万年から数十万年にわたって続いて、地球史上五度目の「大
量絶滅」が起こったと考えられている。
ならば、何故に我々の祖先の小型哺乳類が生き延びたかである。
彼らは、このような過酷な自然の状況下でも、昆虫や光合成をしないキノコ類、腐食した
植物や生物の死骸を食物としたために、爬虫類、両生類の一部とともに生き延びたと想像さ
れている。
以上で見たごとく、超巨大小惑星の地球への衝突は確実に、生物の『大量絶滅』すなわち、
人類の存亡の危機と繋がるのだ。
この小説で地球を襲う「シシュフォス」は、まさに地球上の生命を絶滅させて、地球史上
31
プロローグ
六度目となる「大量絶滅」を確実に引き起こす可能性を持つ直径八・二㎞の超弩級巨大小惑
星なのだ。
何故、NASAも科学者たちもこの超巨大小惑星のことを、忘れていたのだろう。
まさに、これが宇宙の魔力かもしれない!
特にこの日本では、二○一一年三月十一日に起こった東日本大震災以降、地震や津波、そ
れに火山噴火等の地球上の自然災害が原発事故を再び引き起こすことを恐れて、それに対処
するための大掛かりな対策を立ててきており、原発の新設は当然の如く禁止され、既存原発
そ
ら
でさえも再稼働の見通しが立たない状況にあった中で、次の大災害は思いもかけないことに
『宇宙』からやってきたのだ!
(人類史上初の全人類一致結束)
全人類は、この巨大小惑星「シシュフォス」の接近を知ると、政治や宗教に起因する争い
を総て中止して、人類の歴史上初めて全人類が心を一つにして、力を合わせて、懸命に、こ
の超巨大小惑星を地球衝突軌道から逸らしたり、破壊したりしようと試みたが、残念ながら
32
プロローグ
宇宙の魔力には勝つことは不可能で、軌道修正には失敗し、破壊には一旦は成功するものの、
破壊された破砕片は数万個の隕石となって、北半球を中心に地球に降り注ぎ、都市や街や村
を壊滅させ、各地の原子力発電所や原爆貯蔵庫にも落下して大爆発を引き起こし、危険な死
の灰である放射性物質を撒き散らし、北半球の総ての人間と全生命、そして人類が数万年か
けて築き上げた全ての文明を破壊し尽くしてしまった。
人類は東日本大震災の地震や津波も、これを想定外と表現したが、その想定外の大天災が
またもや、起こったのだ!
生物が現れた古生代以来の顕生代(古生代、中生代、新生代)
において五回起こったとされる『大
量絶滅』が、この次には、不幸にして二十一世紀の人類の上に降り掛かってきたのだ。
ただ、人類はこれまで絶滅した三葉虫やアンモナイト、それに恐竜たちとは違った。
超巨大小惑星「シシュフォス」本体が直接地球に激突したならば、一○○○㎞以内の生物
は一時間以内にその衝撃波と熱とで全滅し、その後は全地球が火災で燃え尽き、押し寄せる
三○○㍍を越える大津波で洗い流され、衝突によって発生した二酸化炭素を初めとする有毒
33
プロローグ
ガスは、成層圏にまで登ってオゾン層を破壊したので、生物に有害な紫外線が大量に降り注
いで、全生命体は滅んだであろう。
また、衝突によって舞い上がった粉塵は全世界を覆って太陽光線を遮ったので、地球は急
激に寒冷化して、赤道地帯までも凍りつく「スノーボールアース (全地球凍結)
」という大氷
河期の再現となってしまったであろう。
しかし全人類は一致協力して、超巨大小惑星「シシュフォス」を破壊して破砕片として、
本体が直接地球に激突するのだけは防いだ。
しかし、その破砕片が今度は隕石となって北半球を襲い、地球人類と文明の大半を破壊し
尽くしたが、不幸中の幸いとでも言えようか、南半球の隕石群による被害は極めて限定的で
あった。
この小説は、
人類が忘れている超巨大小惑星「シシュフォス」が地球を襲う可能性への『警
鐘の書』であり、さらに人類が、人類史上最大の大災害を危うく免れて、南半球に生き残り、
今では全地球人類の僅か数十分の一に激減した人々が、その後の幾多の苦難を乗り越えて復
34
プロローグ
興に努力して、地球はただの復活ではなく、
『創造的復活』の日を迎えることが出来た希望
に満ちた物語である!
35
シシュフォス
1
(世界大恐慌の再来の予想)
二〇一五年という年は、人類の存亡の危機が始まった年である。
まず、前年より引き続き原油価格の急激な暴落が引き続き、これが世界経済に負の影響を
示し始めた。
次に、フランスのパリでは、一月七日にイスラム過激派が風刺週刊誌「シャルリー・エブ
ド」を襲撃するテロ事件やユダヤ食品店人質事件等テロ事件が二件発生し、合わせて十六人
が犠牲になった。
イスラム過激派による惨劇事件は、各地のアルカイダやISIL (通称「イスラム国」。IS
IS とも)だけではなく、ナイジェリアでは「ボコ・ハラム」の武装闘争によって数千人が
殺害され、何百人という女性が拉致されて、奴隷にされたり売られたりしている。
更には、ISILには何ら攻撃を加えていないので、彼らのテロとは無縁だと能天気に信
じていた日本人が二名も、ISILに拉致されて無残にも殺害されるに及んで、日本国民は
36
シシュフォス
日本もテロとは無縁ではないことを思い知らされた。
また、一時は沈静化している欧州債務危機が、ギリシャで一月二十五日に実施された議会
総選挙で、EU の緊縮財政に反対するツイプラス党首率いる「急進左派連合 ( SYRIZA
)
」が
大勝して第一党となり、
「 Grexit
(ギリシャのユーロ圏離脱)
」が現実のものとなる可能性が大
となり、引き続いて、五月の英国の総選挙では、EU離脱を主張する「英国独立党 ( UKIP
)
」
が大勝し、十二月のスペインの総選挙でも「緊縮財政策絶対反対」を主張する極左政党「ポ
デモス ( Podemos
)
」が勝利するに及んで、
EUの崩壊も現実なものとなって、再度世界の経済・
政治の大きな不安要因となってきた。
(EU)
そして、二〇一五年も暮れようとする頃から、「ユーロ」は急激な下落を始め、イタリア
国債は暴落して、ギリシャ、スペイン、アイルランド、ポルトガルそれに小国キプロスまで
も巻き込んで、ソブリン・クライシスは現実のものになっていった。
この迫り来る危機を食い止めるために、欧州連合 (EU)
、欧州中央銀行 (ECB)
、国際通
37
シシュフォス
€暴落(著者作画)
貨 基 金 (IMF )の い わ ゆ る ト ロ イ カ は、 必 死 に な っ て 考
えられるあらゆる対策を打ったが、EUを初めとする諸機
関の努力は、結果的には何の効果も無く水泡に帰した。
また、ギリシャ、スペイン、イタリアのデフォルトによっ
て、各国の国債を多数保有するヨーロッパの金融機関のバ
38
ランスシートは一挙に悪化して、ドイツと共にEUを支え
る大国フランスに飛び火し、危機は遂にフランスをも巻き
込み、ユーロ は大暴落を始めた。
以降の不況対策として各国、特に米国が実施した巨額な財
重来の千載一遇のチャンスと捉えて、リーマン・ショック
連で莫大な損失を抱えていたので、このユーロ暴落を捲土
強欲な金融機関やファンドは、石油価格の崩落先物取引関
世界経済の安定よりも、自己の利益しか考えない米国の
€
シシュフォス
政出動や金融緩和で、市場に溢れかえったドル資金を元手に、これらの国々の国債の空売り
を一斉に仕掛けて危機に一層の拍車を掛けた。
小国ギリシャの債務は三〇〇〇億 で
€ あ っ た が、 イ タ リ ア と ス ペ イ ン の 債 務 は 両 国 併 せ て
二兆二〇〇〇億 の
)が準備した融資枠五〇〇〇億
€ 巨額に上り、欧州安定メカニズム ( ESM
を遥かに越えるものだった。
また、欧州中央銀行が十五年一月二十二日に決めた資金買い入れプログラム (注)の拡大
とターゲット型資金供給 ( TLTRO
)の条件変更も全く効果を挙げなかった。
(注)資産買い入れプログラムは、三月から対象資産に投資適格の国債等を加え、月六〇〇億ユーロを買
入れる。プログラムは二〇一六年九月末または二㌫以下でその近辺という中期物価目標の達成が見通せる
まで継続する。反対派のドイツ等への配慮から、国債等の買入れ額に占めるリスク共有化の比率は二十㌫
に抑制した。
そして、遂にフランスさえもがデフォルトを宣言した。
輸出がGDPに占める割合が三十九㌫と高く、しかもその輸出相手の多くがEU域内諸国
39
€
シシュフォス
であるドイツの受けた打撃もまた大きかったが、EUが分裂して、ドイツはマルクに回帰す
ることによって、他国への経済支援の責任が回避されたので、幸いにも最悪の経済破綻は免
れた。
EUのこの経済危機に乗じて、各国では右翼急進派政党の台頭が顕著になってきた。
先ずフランスでは、二〇一七年の大統領選挙で、フランス第一主義・移民反対・EU脱退・
死刑復活を唱えていた「国民戦線 (FN)
」の党首マリーヌ・ル・ペンが大統領に選出され、
次いで英国では、EU脱退を旗印に掲げて、欧州はイスラム系移民によって犠牲にされてい
ると主張するナイジェル・ファラジー党首率いる「英独立党 (UKIP)
」が総選挙で勝利し
て政権を獲得し、さらにドイツでは、アリクサンダー・ガウラントが指導する「ドイツのた
めのもう一つの選択(AfD)
」と「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人(PEGIDA)
」
の連立政権が樹立されるに及んで、遂にEUは分裂を余儀なくされた。
「EU とユーロ分裂」の余波を被ったのは、もちろんEU 域内の諸国だけではなかった。
全世界の国々がそれぞれに、大きな被害を被った。
40
シシュフォス
特に、経済成長は目覚ましくとも、未だ経済基盤の未成熟な「BRICs 」を初めとする
新興国の経済は一挙に危機を迎えた。
(中国)
新興国の雄中国でさえも、最大の輸出相手であるEUの崩壊による打撃は大きかった。
そもそも、中国が改革・開放政策を実施して以降、三〇数年間の驚異的な経済発展の牽引
力は、輸出の急増に加えて、莫大な不動産開発やインフラへの投資や外資の導入によるもの
だった。
また、中国のGDPに占める輸出依存度は三十数㌫と高い。それが、最大の輸出相手であ
るEUや第二の米国への輸出が一挙にダウンして、加えて海外資本・国内資本のいずれもが、
急激に海外へと逃避した。
折悪しく中国では、習近平国家主席による虎もハエも叩き、キツネを狩る不正追放政策に
怯えた政治家や官僚に加えて、富裕層と企業家たちの財産の保持に対する不安感の高まりが
背景となって、中国現代史上三回目の「移民潮 (移民ブーム)
」が一段と激しくなっており、
41
シシュフォス
政府でもこの傾向がこのまま続けば、中国国内からは金持ちが殆ど逃げ出してしまい、習近
平国家主席とその属する太子党を中心とする共産党員と貧乏人だけが残ってしまうという、
中国にとっての最悪の事態が多発し、これでは、中国の経済と社会が崩壊してしまうと憂慮
していた所であった。
因みに、二〇一三年一月に報告された「中国国際移民報告 (二〇一二)
」よれば、一千万人
民元 (約一億六千万円)以上の資産を持つ中国国民の約六十㌫はすでに海外へ移民してしまっ
たり、あるいは移民を検討したりしているという。さらに、個人資産一億元以上の富豪企業
家では二十七㌫が移民済みで、四十七㌫が検討中であるという。
このような状況が続いていた上に、金融引き締めで国内経済が一段と悪化し、不動産価格
が暴落し資産バブルは終焉を迎え、中小企業は輸出の減少によって経営者の夜逃げや倒産が
相次いでいたところだったので、受けた打撃は震度八以上の激震だった。
各地で失業者が溢れて、暴動件数は一挙に例年の数倍の四〇万件を越すことも予想される
ほどとなり、各地の警察や公安だけでは鎮圧することはかなわず、武装警察は勿論のこと、
42
シシュフォス
人民解放軍までが動員されるという、一九八九年の『六四天安門事件』以来の国家的大危機
となった。
そして、この経済危機が共産党一党独裁政権の存続を揺るがしかねないという、習近平政
権にとっては、甚大な政治危機にまで発展し始めたのだ。
そこで遂に中国は外貨準備として保有する米国債 (注、二〇一三年末で、一兆三一六七億ドルと
予想)の売却に踏み切ることを決断した。
中国の外貨準備高は、二〇一四年には約四兆ドルに達しており、世界一である。その中国
が、米国債を手放すということは、必然的にドルの終焉を招くことになり、世界不況は一層
の深刻度を増した。
(日本)
実に意外であったのは、日本経済であった。
日本は二〇一一年三月一一日の東日本大震災の被害や福島原発事故災害の復興・復旧に、
やっと目処がつき始めていた。
43
シシュフォス
また、吉田茂元首相以来という二度目の政権の座に着いた安倍晋三首相が、『日本の復活』
を宣言して、
「大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略」の三つの、所謂『三本の矢』
政策を柱とする新経済政策『アベノミクス』を打ち出し、消費税増税を一年半延期すること
を公約として、二〇一四年十二月の衆議院議員選挙に大勝して、「失われた二十年」のデフ
レと超円高による不況から抜け出して、経済が順調に成長し始めたばかりのところに、この
世界的規模の経済ショックが襲ってきた。
自虐的論調が大好きの日本のマスコミは、
「EU とユーロ分裂」が明らかになると、例の
如く一斉に「日本経済と日本の沈没」の危機を煽った。
しかし、GDPに占める輸出割合が十五㌫弱と米国に次いで低く、その上に輸出以外の外
貨収入である
「所得収支
(海外で得た利子、
配当、賃金と海外に支払ったそれらの金額との差)」
は、月平均一兆三五〇〇億円以上もの巨大な黒字となっており、さらに日本の貿易収支赤字
の最大の原因の原油やLNGの価格が大暴落したことにより、毎年七兆円も輸入金額が減り、
加えて米ドル高・円安が加速して、米国への自動車の輸出が急増したので貿易収支も黒字化
して、インフレも日銀の目標通り二㌫に収まっていたので、マスコミの論調とは異なり、世
44
シシュフォス
界の国々の中でも、一番受けた打撃は少なかったと言える。
なお、野田前首相がその政治生命を賭けた『税と社会保障の一体改革』政策は、未曾有の
世界大不況によって、消費税を増税すれば更なる不況の深化が必至と予想されたので、財務
省を初めとする増税派の猛反対にも拘らず、安倍首相の大英断によって廃止されることにな
り、賢明な日本国民が、朝日新聞に代表される「安倍首相大嫌いのマスコミ」の不安を煽る
論調にも拘らず、安倍首相の経済政策を信頼して、いたずらに動揺をしなかったことが、日
本経済を破綻から救った最大の原因であった。
さらに、付け加えれば、この世界的大不況の中にあっても、日本は二〇二〇年の『東京オ
リンピック』を開催して、見事成功裡に終わらせたので、世界中から称賛をあびた。
(米国)
米国では、イタリアやスペイン、フランスの国債を、レバレッジをかけた空売りでしこた
ま荒稼ぎした「サヤ取り業者 (アーピトラージャー)
」や、彼等に大量の資金を提供した金融機
関は軒並み空前の利益を計上した。
45
シシュフォス
その上に、輸出依存度が八㌫弱に過ぎないので、ドル高も影響は少なく、国内景気はシェー
ル・オイルの産出でガソリン価格が劇的に下落したことに加えて、金融関連の空前の利益や
株高による内需の拡大で、自動車販売台数が年間で一七〇〇万台の大台に迫り、新築住宅の
販売戸数も増加し、中古住宅の価格も持ち直したので、経済は好調と言える程の活況を取り
戻し、オバマ大統領の人気は急上昇した。
まさに、第二次世界大戦後の再来である。
すなわち、第二次世界大戦では、ヨーロッパは戦火によって疲弊したが、米国はその第二
次世界大戦によって、世界大恐慌の後遺症から一挙に抜け出して、世界の生産工場として好
調な輸出によって世界の超大国に上り詰めた。
そして米国は、今回もヨーロッパの混乱で、今度は金融によって漁父の利を占め、国内の
不況を払拭してしまったのだ。
しかしながら、米国ではトマ・ピケティ教授の著書「二十一世紀の資本」にあるように、
労働者と、資本や資産を持つ者との格差が余りにも拡大しすぎたために、社会不安が急激に
増大してきた。
46
シシュフォス
また、この米国の火事場泥棒的な行為には全世界、特にこれまで北大西洋条約 (NATO)
を米国と結んでいたヨーロッパの国々からも、この条約を解消したいとの声が上がるほどで
あった。
まさに、
人と人との間だけではなく、
国と国との間でも、資本収益率 (r )が経済成長率 (g )
を常に上回り、資本を持てる富める国が一層富み、持たざる国との格差の増大が起こるとい
う、ピケティ教授の不等式「 ∨
r 」
gが証明されたのである。
そして、経済の絶好調とは別に、米国への信頼は地に落ちた。
(ロシア)
一番惨めであったのは、プーチン大統領の率いるロシアであった。
クリミヤ併合やマレーシア航空機撃墜などのウクライナ問題によって、欧米からの経済封
鎖に加えて、ロシア経済を支えてきた原油や天然ガスの価格の大暴落によって国家財政は破
綻に瀕し、ルーブルが暴落してインフレが急激に進んでいたところだったので、その国内経
済は遂に、ハイパワー・インフレの様相を呈し初めて、さすがのプーチン大統領の支持率も
47
シシュフォス
三十㌫を切り政権崩壊の危機に瀕していた。
以上が主要国における、世界大不況の初期の姿であった。
すなわち、EUのソブリン・クライシスは、結局はヨーロッパ諸国の没落と米国の再度の
興隆、新興国の成長の頓挫と言う結果に終わった。
特に米国と世界覇権を競い、数年の内にも経済・軍事の両面で米国を凌駕する勢いであっ
た中国は、経済の不振と国内の政情不安で、国内政治に専念せざるを得ず、覇権争いから一
歩も二歩も後退し、米国が再度唯一のスーパー・パワーとなった。
しかし、この米国の経済的繁栄も僅かに二年しか続かなかった。
元々、ソブリン・クライシス発生の遠因となったのは、ギリシャ政府が、ユーロ加盟時に
多額の粉飾決算を行っていたことが判明したからだ。
しかしながら、その粉飾決算は、米国のゴールドマン・サックスを初めとする米巨大金融
機 関 の 巧 妙 な 指 導 に よ る も の で あ る こ と が 次 第 に 露 見 し、 し か も、 そ の ギ リ シ ャ の 財 政 悪
化が判明するや、これを好機としてユーロ加盟国国債の空売りを仕掛けて、欧州連合 (EU)
等トロイカの努力を水泡に帰させて、世界的な経済危機を一層拡大させたのも強欲な米国金
48
シシュフォス
融機関であった。
その為に、一時は唯一のスーパー・パワーとして、世界経済及び政治に君臨した米国も、
日本を除く総ての国からそっぽを向かれて、政治的指導力を失うと共に、再び大不況に陥っ
てしまった。
米国が政治的指導力を失うと、イランのウラン濃縮等の原発・原爆開発に関するイラン制
裁もその効力が次第に失せ、イランがホルムズ海峡を封鎖するに及んで、世界経済はさらに
一段と冷え込んだ。
喜んだのは唯一、慢性的経済的不況に慣れ切っている北朝鮮で、米国が力を失うと、金正
恩第一書記は原発実験や長距離弾道弾の発射などやりたい放題で、米国が慌てふためくのを
面白がっていた。
さらに、このEU発世界的規模の経済的混乱に加えて、二〇一五年一月七日にフランスの
首都パリで発生したイスラム原理狂信者によるテロは、世界的に拡大する一方の格差社会に
不満を持つ若者たちに次々に伝播して、各国政府の懸命なテロ対策にも拘らず各地で大規模
49
シシュフォス
なテロが頻発して、社会混乱を一層深刻なものとして行った。
斯くして全世界は、一九二九年に始まる世界大恐慌以上の、後に『失われた十年』と呼ば
た大不況と政情不安に突入してしまった。
これまでの世界の歴史では、不況が深刻化し国家債務が危機に瀕すると、国家は戦争を起
こしてインフレで帳消しにしようとした。
ルーズベルト大統領が、米国内世論が戦争反対であるのにも拘らず対日戦争開戦を仕掛け
たのも、終わりの見えない長引く経済不況から脱出することを目論んだからであることが、
最近の研究で次第に判明してきている。
しかし、今回の世界大恐慌と政情不安を最終的に終焉させたのは戦争ではなく、「シシュ
フォス」という超巨大小惑星であった。
50
シシュフォス
2
じょうが
(中国が月面基地「嫦娥」を建設する)
二〇二五年、世界には、第二の世界大恐慌からやっと抜け出せそうな燭光が射し始めてい
た。
最初に、経済が復活し始めたのは、総ての政策を強権で押し進めることが出来た共産党一
党独裁の中国であった。
経済の崩壊の中で、各地では超格差是正や、汚職撲滅、失業解消等を求めての暴動が起き、
チベット自治区や新疆ウィグル自治区での独立運動は熾烈を極めた。
これに対し、中国政府は武装警察と人民解放軍を総動員して、流血を厭わぬ徹底的な弾圧
を加えた。
平時ならば、ロシアや北朝鮮等の一部の国々を除いて、世界各国は「人権問題」だとして、
国連の安全保障理事会や総会で中国のこの暴挙に対して非難の大合唱を始めるところであっ
たが、何しろ米国を初め何れの国も、国内に大問題を抱えており、とても他国のことまでは
51
シシュフォス
手が回らなかった。
中国政府は二千万人近い人民を殺戮して、二〇二二年の中頃には遂に治安を回復させた。
毛 沢 東 主 席 の『 大 躍 進 政 策 』 の 推 定 犠 牲 者 二 千 〜 五 千 万 人、『 文 化 大 革 命 』 の 数 百 万 〜
一千万人の犠牲者にも匹敵する大暴政であった。
国内がともかく安定するや、他の国が未だ混乱の最中に在る内に、中国政府は世界覇権を
握るために、二つの政策を推し進めることを密かに決意した。
軍事領域を米国の分類と同じ「陸・海・空・宇宙・サイバー空間」の五つに分けて、米国
との各分野での優劣を比較検討した。
その結果、陸において軍事力は互角又は米国に勝るが、経済が疲弊したとは言え、空と海
においては、技術及び装備の量の両面において、対等に戦うためには未だ少なくとも五〜十
年の歳月を必要とするとの結論に達した。
しかし、今やサイバー空間では、中国は永年にわたって技術を発展し、上海浦東新区の中
国人民解放軍総参謀部第三部第二局「六一三九八部隊」を中心にして、鋭意人材の養成に当
52
シシュフォス
たって来たので、米国に対して格段の優位を占めていると判断された。
後は宇宙である。空と海との劣勢も、宇宙を征すれば、宇宙からの軍事攻撃でこれを容易
く無力化出来る。
したがって、更なるサイバー空間での能力の進化と拡大を図り、加えて、宇宙での圧倒的
な優位を占めることを世界制覇のための最優先の政策課題としたのである。
もう、
「九段線」などの南沙列島や、日本との尖閣諸島問題等は小事である、宇宙から全
世界を征服して、
習近平前主席の『中国の夢』の実現を図るのだと、新主席毛錦東は決意した。
中国が、先ず密かに計画したのは、独自の中国版GPS『北斗』の完成を促進することと、
宇宙ステーション『天宮』の設置 (従来は二〇二〇年完成目標)
、更には月への月面プロジェク
ト『嫦娥』すなわち有人月面着陸と月面基地を作成することであった。
(嫦娥は中国神話に登場する人物。道教では月神として、中秋節にお祭りする。)
米国は財政上の問題で、すでに二〇一一年七月にはスペースシャトルが引退したが、直ぐ
にはこれに続く宇宙船建造の具体的な計画も無く、「国際宇宙ステーション (ISS)
」への
53
シシュフォス
輸送は、
人員・物資ともにロシアのソユーズと無人貨物船プログレスに頼らざるを得なくなっ
ていた。
当初米国は、ISSの使用を二〇二四年まで運用を延長することを日本などに提案してい
た。しかし、外国人飛行士を搭乗させるためには、ロシアへ年間契約料として、約三億三五
○○万㌦ (約三五○億円)を支払わなければならないので、財政難に悩む日米欧共にISSへ
の宇宙飛行士派遣を中止してしまった。
唯一の希望は、米国のベンチャー企業スペースX社の「ファルコン9ロケット」と「ドラ
ゴン宇宙船」であったが、世界恐慌の影響で財政難に陥った米国政府が、スペースX社への
補助金を打ち切ったので、この希望の星の開発も頓挫せざるを得なくなった。
また、日本のHⅡBロケットによるISSへの人員や物資補給計画「こうのとり」も、不
況や消費税増税中止の余波による財政難で、予算が大幅にカットされて継続が危ぶまれる事
態となった。
ここにISSプロジェクトは、実質的に二〇二〇年をもって終了していた。
54
シシュフォス
日米欧共に、宇宙への進出の経済的余裕が無いことを見透かした中国は、これも財政逼迫
で困窮の状況にあるロシアに巨額な財政援助を約して、自己の衛星打ち上げ用ロケット長征
5号Bに加えて、ロシアのソユーズとプログレスも使用して、驚くべき短期間で天宮を完成
させた。二〇二五年の夏であった。
中国の宇宙ステーション天宮の建設目的は、宇宙における医学や物理等の科学的実験を目
的とする平和利用ではない。
国際宇宙ステーションでのこれらの実験データーは、すでに、インターネットのサイバー・
スパイやヒューミント(人間のスパイ活動)に加え、大枚を支払ってロシアから入手済みであり、
新たに実験することは不要だ。天宮の使命は、月への有人飛行計画及び月面有人基地建設の
中継駅 (ステーション)であった。
中国は、天宮へ長征5号B改良型とプログレスM改良型に有人宇宙船「神舟二十号」を集
中的に搭載して、月面基地建設の嫦娥計画のための資材を搬入して、驚いたことには、地上
から約四〇〇㎞上空で地球を九十分で一周するISSとほぼ同じ地球周回軌道上に、ISS
の十倍もの巨大ロケット発射基地を作り上げてしまった。
55
シシュフォス
なお、長征5 号B改良型の静止トランスファー軌道 (GTO)への最大搭載能力は二十㌧、
プログレスM改良型は十㌧に大幅性能アップされていたので、このように短時間で天宮が完
成できたのだ。
この宇宙基地天宮では、一度に月面に五十㌧の資材を送り込める新型月ロケットを五基も
組み立てて、一年半と言う驚くべき短期間で約二千㌧の資材と、一○〇人近くの人員を月に
送り込み、遂に月面に人類史上初の一大基地『嫦娥』を作り上げてしまったのだ。
二〇二六年の年末であった。
二〇二七年の年頭に当たって、前年の全国人民代表大会で新たに国家主席に選出された毛
錦東国家主席は、声高らかに中国が人類最初の月面基地『嫦娥』を完成させたことを世界に
向けて宣して、全世界を驚愕させた。これに付け加えて──、
《国連の宇宙関連条約は、
「月は全人類のものである」としている。
これはその通りであり、中国はこの精神を尊重する。だがそれに続いて、「開発した国が
利用する」との文言があり、中国が月を開発して利用することは、国際条約上何らの問題も
56
シシュフォス
無い。
されど、
「宇宙条約」は、我が国も批准しており、この条約を遵守し、月の領有権は主張
しない。また、月を平和目的のためだけに利用し、軍事目的には使用しないことを、中国は
全世界に表明する。
更につけ加えれば、今や死文化している通称「月協定」と呼ばれる「月その他の天体にお
ける国家活動を律する協定」に関しては、米国同様に、我が国は署名も批准もしていないの
で。この協定には中国の月面での活動は一切制約されない。
世界中で今や月を開発して人類のために有効活用し、この全世界を被う大不況脱出の為に
利用出来る能力のある国は、我が中国ただ一ヶ国のみである。されど、中国はそれが如何な
る国であろうと、月に月面基地を設けて、月を人類のために有効活用しようとする国が、月
に来ることを歓迎する》──との大演説を、国民と全世界に向けて発信した。
中国人民は、この演説に狂喜乱舞して爆竹を炊いて祝い、国内は共産党政権の狙い通り、
中華民族は結束して──PM二・五の値は危険なまでに上昇はしたが──政情はこれまでに
なく安定した。
57
シシュフォス
明らかに、毛主席のこの演説は、ライバル米国に対して、
「悔しかったら、月面基地を作ってみろ」との挑戦であったが、米国には、かつて、ソ連
が有人宇宙飛行を成功させた際に、故ケネディ大統領がこれに対抗するために打ち出した、
月面に人間を着陸させる『アポロ計画』の時代のような覇気も経済的な余裕も最早無く、負
け犬の遠吠えの如くに国連の場で、中国の宇宙条約違反を訴えるだけであった。
いつなんどき
中国は、宇宙ステーション天宮建設及び月面基地嫦娥建設と平行して、独自の全世界をカ
バーする衛星測位システム中国版GPS「北斗」も完成させていた。
GPSは米国空軍が所有・運営するシステムであり、中国にとっては何時何時、これを利
用することを米国に妨害されるか分からない懸念のあるシステムであった。しかし、北斗の
完成によって、中国の永年の懸案事項が今や払拭されたのだ。
そして、この年、中国は米国に最早や昔日の軍事力は無いと見極めるや、新造の超大型原
子力空母二隻を中心とする陸海空合わせて二十万人の大機動部隊を「尖閣諸島」と沖縄に派
58
シシュフォス
遣して、国防軍と改称はされたものの、自衛隊時代とは戦力が変わらない日本軍の壮絶な抵
抗も衆寡敵せず、僅か一週間でこれを排除して占拠し、過去の清朝時代に日本に盗まれたと
主張する領土を奪回したことを全世界に声高らかに宣言したが、日本にも米国にも、今やこ
59
れを阻止する力は無く、中国の横暴を国連の場で非難はするもの、ただただ手を拱いて傍観
するのみであった。
(上から「天宮」・「嫦娥」・「北斗」、
超大型原子力空母の想像画像。
百度百科より。)
シシュフォス
3
(超巨大小惑星「シシュフォス(仮符号
)」の出現)
1972XA
二〇二八年四月、中国の月面基地「嫦娥」の宇宙観測隊は、近日点が地球の軌道の内側に
在るアポロ群に属する超巨大小惑星「シシュフォス」が、地球衝突の軌道に乗って、遥か木
星の遠日点距離 (約十億㎞)辺りから、地球にゆっくりと接近しつつあることを発見した。
二〇一三年二月一五日、アテン群に属する直径約四十五㍍の小惑星「2012DA14」
が、地球から僅か二万七七○○㎞の近距離まで最接近したことは冒頭に述べたが、その他に
も、二〇一一年一一月に、別のアポロ群に属する監視が必要とされる地球近傍小惑星 (NEO)
の一つで、直径四〇〇㍍の「2005YU55」が地球に接近し、最も接近した際には月よ
りも地球に近い三二万五〇〇〇㎞のコースを通ったことがあった。
この小惑星「2005YU55」が再び、この二〇二八年の直近の二月に接近して、マス
メディアを賑わしたばかりであった。
超巨大小惑星「シシュフォス」は、これらの小型の小惑星とは比較にならない直径八・二
60
シシュフォス
㎞もある超巨大小惑星であり、六六〇〇万年前の「白亜紀末」に恐竜絶滅の原因となったメ
キシコのユカタン半島に落下して、
「 チ ク シ ュ ル ー ブ・ ク レ ー タ ー」 を 作 っ た 超 巨 大 小 惑 星
と殆ど同じ大きさの超巨大小惑星であることは既に述べた。
この超巨大小惑星「シシュフォス」は一九七二年に発見されていたが、その軌道は不明で
行方の分からない小惑星であった。それが突如、地球衝突軌道に乗って、ゆっくりと舞い戻っ
てきたのだ。
中国月面基地嫦娥の天文台では、
大気が無い上に、「ハップル宇宙望遠鏡」の後継機として、
二〇一八年に打ち上げられた口径六・五㍍の「ジェイムズ・ウェッブ (J WST)宇宙望遠鏡」
よりも遥かに巨大な口径十㍍の反射望遠鏡を擁しており、これまでの地球上の大型天体望遠
鏡とは桁違いに高性能を誇っていた。
さらに、折角打ちあげたJ WST宇宙望遠鏡も、地球から一五〇万㎞もの遠距離に置かれ
た上に、米国政府の財政難でメインテナンスもされずに放置されていたために、充分にその
性能が発揮出来ず、それに肝心の「リンカーン地球近傍小惑星探査」のためのGEODS望
61
シシュフォス
遠鏡も有効に機能していなかった。
また、地球上の天文台や観測者による「スペースガード (注☆1)
」が、この超巨大惑星「シ
シュフォス」の接近を知るよりも早く、中国月面基地嫦娥の天文台が、この小惑星の接近を
けいかい
発見して、その観測データーを中国本土の次世代のエクサスケール超スーパー・コンピュー
タ「星雲」と「天河改」に送ったのだ。
日本のエクサスケール超スーパー・コンピュータ「京改」から十年前に世界一の座を奪還
した「星雲」は、第二位の「天河改」と共に、それ以来世界王者を守り続けていた。
その「星雲」と「天河改」によりはじき出された計算結果は、驚くべきことに、この超巨
大小惑星「シシュフォス」は三年以内には地球に衝突する可能性が九五㌫以上あり、「トリ
ノスケール (注☆2)
」が「9〜10」の最高危険レベルにあることが判明した。
「トリノスケール8」以上では、その衝突が陸海いずれで起こるにせよ、文明の存続が危
ぶまれる程の全地球的な気候の壊滅的異変が起こることは明らかであり、そのような出来事
が起こる可能性は、一〇万年に一回かそれ以下の割合であるとされてきた。
62
シシュフォス
中国政府は、当初この超巨大小惑星「シシュフォス」の地球衝突の危険性を、全世界に向
けて公表することも考慮したが、それによって折角落ち着いた国内の状況が再び大混乱する
ことを恐れ、密かにこの超巨大小惑星を地球への軌道上の途上で、破壊若しくは軌道を変え
させることを計画した。
そして、中国共産党毛国家主席は、これに成功した後で、その大成果を世界に公表すれば
間違いなく、
中国は世界の救世主として世界覇権を握り、アメリカに代わって世界唯一のスー
)とは、地球に衝突する恐れのある天体や宇宙活動の結果とし
SpaceGuard
パー・パワーになれることは確実だと考えたのだ。
(注☆1)スペースガード(
て宇宙空間を彷徨する「スペースデブリ(宇宙ゴミ)
」を観測し、
かつまた、追跡を行うことである。そして、
それらの天体の地球衝突の回避を目指した警報の発令や、今後の宇宙活動の障害となるスペースデブリの
位置を正確に予測することで、それらの危機を未然に回避するための観測計画。
より。
Wikipedia
(注☆2)
地球近傍天体
(NEO)
が、
地球に衝突する確率及び衝突した際の予測被害状況を表す尺度。以上、
(注)はいずれも
63
シシュフォス
宇宙条約第4条では──、
《宇宙の平和利用の原則を定め、核兵器や核兵器を運搬する物体を、地球を廻る軌道に乗
せたり、宇宙空間に配備したりすることを禁止し、月その他の天体は平和目的に利用し、軍
事用に利用してはならない》──と規定している。
すなわち、月面基地や宇宙ステーションへは、核兵器を配備することは宇宙条約違反であ
る。
しかし、中国政府は、月面基地「嫦娥」や宇宙ステーション「天宮」からの核兵器使用で
恫喝することによって、優勢な米国の海軍兵力や空軍兵力を無力化する計画であり、すでに
核弾頭複数個を嫦娥にも天宮にも運び込んでいた。
中国政府は、この核弾頭を用いて、
「シシュフォス」を三段階で破壊若しくは軌道修正す
る計画を立てた。
第一段の計画は、
「 シ シ ュ フ ォ ス 」 が 地 球 か ら 約 八 千 万㎞ ( 地 球 と 火 星 の 平 均 的 な 距 離 に 相 当 )
に接近した段階で、月面基地から発射される大型水爆弾頭搭載のロケットを使用して攻撃す
る。
64
シシュフォス
第二段階では、この攻撃でも軌道修正できなかったり、完全に破壊し切れなかったりした
小惑星の断片を、宇宙ステーションからの小型核弾頭または通常爆弾搭載のロケットで破壊
する。
それでも、破壊し切れなく地上に落下すれば、地上それも特に中国本土に災害をもたらす
破片は、地上からの地対空ミサイルで破壊する。これを、第三段階の防御手段とする。
以上である。
中国の科学者たちは、超巨大小惑星「シシュフォス」を破壊しても、その破片が地球に衝
突する危険性を考慮に入れて、
当初は核弾頭による破壊に反対し、超巨大小惑星「シシュフォ
ス」上に大型ロケットを数基着陸させて、このロケット噴射で軌道を修正させることを毛主
席と常務委員会に提案したが、実際にロケットを操作する人民解放軍首脳から、その作業の
技術的困難(すなわち、現状の人民解放軍の能力では不可能である)を指摘され、さらに共
産党主席で軍事委員会主席でもある毛主席より──、
「中国が、超巨大小惑星『シシュフォス』を破壊して、全人類と地球を救った!」──と
いう劇的な発表をすることによる絶大な政治的効果を得るためにも、「シシュフォス」を鋭
65
シシュフォス
意破壊せよとの命令が人民解放軍に下ったのだ。
中国政府はすでに述べた如く、
「 シ シ ュ フ ォ ス 」 の 地 球 へ の 接 近 を 秘 匿 し て い た が、 中 国
以外では金星と同じ軌道上にある宇宙観測船「 Sentinel
(見張り)
」が最初に「シシュフォス」
の接近を発見し、次いで二〇二一年から始動し始めたハワイのマウナ・ケア山の山頂にある
口径三十㍍の光学赤外線・超大型天体望遠鏡「TMT」と、二○二四年初頭から稼働し始め
たばかりの南米チリ共和国にある、日米欧共同の巨大電波望遠鏡「アロマ」や、セロ・アル
マソネスにある世界最大の口径三十九・三㍍の超大型光学・近赤外線天体望遠鏡「E E
―LT」
が、中国月面基地天文台が発見してから三ヶ月後の二〇二八年七月二五日になって、ほぼ同
時に、超巨大小惑星「シシュフォス」の接近を捉えた。
や ア ロ マ 等 三 ヶ 所 の 天 文 台 か ら 送 付 さ れ た デ ー タ ー を 分 析 し て い たN A S A で
Sentinel
は、最初は、地球に衝突する確率は三〇〇分の一、すなわち「トリノスケール2」であると
していたが、数日後の三十日には確率六十二分の一 (一・六㌫)とし、トリノスケールを「4」
66
シシュフォス
に上げて発表した。
しかし、その翌日の七月末の三十一日になって、日本の国立天文台では、「シシュフォス」
」が新開発した世界
PEZY Computing
のデーターを、理化学研究所と富士通の誇るスーパー・コンピュータ「京」の一〇〇〇倍の
」、「TMT」、「アロマ」、「EーELT」)
Sentinel
ゼッタスケール能力を持つ、日本のベンチャー「㈱
(上から、「
67
シシュフォス
最速の超スーパー・コンピュータ「 PEZY
」で計算したところ、後三年以内にこの超巨大小
惑星が地球に衝突する確率は九五㌫以上に上り、「トリノスケール9〜10」の最も危険な
レベルにあると発表したのだ!!
この国立天文台の発表後、殆ど時を同じくして、中国政府も「シシュフォス」の地球衝突
は一〇〇㌫確実であると発表し、併せて、この「シシュフォス」接近の事態を、中国はすで
に、
一年以上前に世界で最初に月面に建設した月面基地「嫦娥」の大型反射天体望遠鏡によっ
て把握しており、
「 シ シ ュ フ ォ ス 」 が 地 球 か ら 約 八 千 万 ㎞ に 接 近 し た 時 に、 こ れ を 嫦 娥 よ り
発射する水爆弾頭搭載のロケットで破壊し、その軌道を変更させて、地球に被害を及ぼさな
い万全の対策をすでに終えていると発表した。
PEZY
日本や中国の超巨大小惑星「シシュフォス」の地球衝突の危険の発表があったが、極度の
財政難で、超スーパー・コンピュータ開発競争に日本や中国に遅れをとって、日本の
や、中国の星雲に比肩できるよう高性能の超スーパー・コンピュータを所有しない米国では、
旧来の「タイタン」や「セコイア」等の数台のスーパー・コンピュータを動員して、新たに
68
シシュフォス
「シシュフォス」の軌道計算をやり直さなければならず、その間NASAは「シシュフォス」
に関しては、一切沈黙を保たなければならなかった。
このNASAの沈黙を、日本の国立天文台と中国の発表を価値のないものとして黙殺した
と勘違いした──そのようなリークも、NASAの関係者から意図的に流された──ニュー
ヨーク・タイムズや、ワシントン・ポスト、それにCNN等の米国主要メディアは、日本と
中国の発表は、世界人類を惑わす重大な過ちであると言わんばかりの論陣を張り批判したの
で、これによって、一時は騒然となった国際世論も、日本や中国の機関より権威があると見
做されていたNASAの予測の方が正しいとして、落ち着きを取り戻した。
しかし、その僅か一週間後に米国では、IBM社がその誇る最新鋭の人工知能ワトソンが
──、
が傘下の
Google
社の「量子コンピュータ」
D―Wave
《日本と中国の超巨大小惑星「シシュフォス」の地球衝突の危険の情報は正確である》──
との計算結果を出したと発表し、
同時に
の最新モデルの計算結果も──、
69
シシュフォス
《超巨大小惑星「シシュフォス」の地球衝突の危険性は、殆ど一〇〇㌫確実である》──
と発表するに及んで、今度は米国大統領が直接自身のTV演説で、日本と中国の発表は間違
いではなく、超巨大小惑星「シシュフォス」は現在のところ、地球衝突の軌道上を、ゆっく
りではあるが真っすぐに進んでおり、米国はこの事実を国連にはかり、全人類が一致協力し
て、この衝突を回避する対策をたてなければならないと発表した。
なお、この大統領のステートメントには、大統領の発表にこのように時間が掛かったのは、
NASAが慎重の上にも慎重を期して、日本の国立天文台と中国政府の発表の真偽をチェッ
クしていた為であるとの、言い訳と取れるような文言も付け加えられた。
また、NASAの発表が日本の国立天文台にも訂正されて面子を失った米国政府は、国務
長官が中国政府の発表に対して、中国が超巨大小惑星「シシュフォス」の危険性を一年以上
も前に知りながらも、それを秘匿していたことや、宇宙条約に違反して核兵器を宇宙に持ち
出したことを、国連で口を極めて非難したが、ロシアは申すに及ばず、日本や印度それにフ
ランスやイギリス等の欧州諸国やアフリカや中東・中南米諸国にいたるまで、中国の今回の
処置を賞賛して、
中国が超巨大小惑星「シシュフォス」の破壊に成功するようにと声援を送っ
70
シシュフォス
たので、米国の威信はまたもや地に落ちてしまった。
また、日米欧の各国は、中国政府は万が一にも、「シシュフォス」の完全な破壊に成功し
ない場合も有り得ることも考慮して、国連ではこれを総会で協議して、各国がそれぞれのロ
ケットで残りの破片を破壊するようにと求めた。
なお、ロシア・ウラル地方チェリャビンスク州への隕石の落下と、その上空での爆発に伴
う衝撃波による大きな被害が出た後で、余り知られてはいないが、国連は『隕石災害』への
対応策検討をコンソーシアアム「NEOシールド (NEOは地球接近物体の略称。シールドは盾の
意味)
」等の専門家たちに急がせていた。
その結果では、隕石の地球落下を阻止する手段として ――
(1)巨大宇宙船を衝突させるか、若しくは隕石上にロケットを着陸させ、その推力で軌
道を変える。
(2)太陽光を巨大な鏡で集めて、強力なレーザーに変換し、その照射で破壊または軌道
を変える。
71
シシュフォス
(3)核ミサイルで破壊する。
(4)小惑星を部分的に黒くして太陽の熱を吸収させ、太陽の熱を吸収した部分が通常よ
り多くの熱を放出してエネルギーの不均衡が生じて軌道をずらす。(「ヤルコフスキー効
果」の利用)
(5)大型の宇宙船を小惑星の近くを飛行させ、その重力で小惑星を引っ張って軌道を変
えさせる。(重力トラクター)
──等々が研究されてきた。
また、NASAでも、この他に、直径七〜十㍍、重さ五○○㌧程度の小惑星を無人探査機
が袋で捕らえる方法を研究していた。
しかし、今回地球に接近中の「シシュフォス」は、科学者たちが想定して研究してきた隕
石とは比較にならない巨大な天体であり、宇宙船をぶつけたり、ヤルコフスキー効果を利用
したくらいでは、とてもその軌道を変えられないことは明らかであり、さらに飛来する小惑
星上にロケットを設置して、その推力で軌道を変更させたりするような超高度な技術は、残
72
シシュフォス
念ながら先進国のどの国も持ち合わせていなかった。
なお、NASAが研究している小惑星を無人探査機が、大きな袋で捕らえる方法等は、今
回の八・二㎞もある超巨大小惑星「シシュフォス」には、とても使えるような方法ではない
ことは明らかだ。
例え、太陽光を集める巨大な鏡を宇宙空間で組み立てられたとしても、非常な高速で移動
する小惑星に、軌道を修正するまでの長時間にわたり、正確にレーザー光線を照射し続ける
ことは、先ずもって、現在の技術では、不可能であるとの結論に達したと言う意見書が出さ
れた。
従って、現状では核ミサイル、それも破壊力の大きな水爆を爆発させて破壊するか、その
衝撃波で軌道を変えるのが、最も現実的な手段だとの最終的結論とあいなった。
国連総会でも、中国政府の水爆弾頭搭載ロケットの他にも、各国が「シシュフォス」を破
壊若しくは軌道を変更させる手段を早急に検討することが全会一致で決められた。
二〇三〇年一〇月、遂に超巨大小惑星「シシュフォス」が地球から八〇○〇万㎞近くにま
で接近した。
73
シシュフォス
4
(世界大恐慌と中国人の大量国外脱出)
ここで、話は二〇一五年に戻る。
ギリシャの総選挙が発端でEUの経済状況が不安定となり、遂に二〇一六年になると、恐
れられていた「ギリシャのデフォルトが現実となり、続いてイタリアの経済破綻が発生し、
こ
英国までもがEUを離脱するに及んで、以後打ち続いたEU各国のソブリン・クライシスの
影響は、一挙に世界恐慌を引き起こした。
む
世界各国でも株価の急落や銀行の倒産が引き続き、多くの無辜の市民が一瞬にして財産を
失い路頭に迷い始めた。
昨日まで栄華をほしいままにして、格差社会を作ったとして貧しい人々の「格差社会反対
デモ」の標的にされた「ウオール街」の住人たちを初めとして、全世界の金融マンたちも、
株などの金融資産の大暴落で今日は職を失っただけではなく、巨大な負債を抱えて貧民の群
れの仲間入りを余儀なくされて、或る者は街角に立ってリンゴを売ったりして糊口を凌いだ
74
シシュフォス
が、軽蔑されこそすれ、誰からも同情されなかった。
米国でもヨーロッパでもアジアでも、中近東でも中南米でも、世界のあらゆるところで、
失業者の群れは増大し、度重なる「G20」等の経済会議も有効な対策を打ち出せず、どの
国の政府も国民の非難と怨嗟の的となった。
すでに述べたことでもあるが、その内でも、EUの崩壊によって、最大の貿易相手の一つ
を失った中国では、中国の貿易の四分の一を占める広東省の中小企業の倒産が相継ぎ、失業
者が巷にあふれた。
更に異常な高値をつけていた不動産市場のバブルが弾け、続いて上海証券取引所 (SSE)
で株価が大暴落するに及んで、中国政府は大幅な金融緩和に踏み切ったが、それでも経済の
回復は見られず、暴動の多発で治安は乱れに乱れて、少しでも海外に伝手のある人々の海外
への脱出が大量に始まり、国民は、このような非常時でも安逸な生活を貪る汚職官吏や不正
蓄財事業家に対してその不満のはけ口を求め、政府に対して汚職官吏や悪徳事業家摘発の強
化を要求して、各地で武装警官隊や人民解放軍と衝突を繰り返した。
75
シシュフォス
政府も反汚職キャンペーンを繰り返し実施して、汚職官吏や悪徳事業家の徹底的な摘発を
進めたので、身に覚えのある高級官吏や事業家たちは、大量の外貨を携えて我勝ちにと海外
へ脱出し始めた。
彼等が脱出した主な国は、中国と犯罪人引渡し条約を結んでおらず、高等教育を受けた
彼等が巧みに喋ることが出来る言語の英語圏のアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、
ニュージーランドで、その中でも、カナダと鉱物資源への多額の投資先であるオーストラリ
アが多かった。
この二〇年近くの大不況期の間に、混乱を逃れて海外へ脱出した中国国民の数は、毎年百
数十万人以上に上り、合計三○○○万人にも達すると推定された。
世界各地で、大恐慌の再来とも言える長期間の大不況が何時になったら回復するか分から
ない状態の中で、地球上の総ての国や地域で、テロが多発し治安が乱れ暴動が頻発していた
が、中国政府の断固たる強圧的な政策によって、中国の内政は世界に先駆けて安定を見せ始
めていた。
76
シシュフォス
特に中国では、これに加えて、一時は中国が超巨大小惑星「シシュフォス」を、月面基地
から発射する核弾頭搭載のロケットで破壊して、世界の救世主になると言う政府の発表を信
じて、治安がとみに回復してきていた。
しかし、後で述べるように、月面基地から発射した三基の水爆弾頭搭載のロケットが「シ
シュフォス」破壊に失敗したことが伝わると、中国各地で、巨額の費用を使っての月面基地
建設等の無駄な支出をした政府への、責任を追及する大規模デモや暴動が再び激しさを増し
て、折角収まった治安が乱れ、武装警察や人民解放軍との間で、まるで戦闘のような様相を
呈してきた。
中国政府は、デモや暴動に対しては航空機や戦車まで繰り出して、殺戮を繰り返した。そ
の規模は、第二次六四天安門事件どころではなかった。
中国政府は、デモや暴動を鎮圧しても、首謀者や参加者の徹底的な追及を始めたので、今
回も中国国内からは大規模な政治難民が発生し、香港経由で、未だ運行している民間航空機
や客船、貨物船を利用して大挙して国外に脱出し始めた。
この混乱で、難民として海外に脱出した中国人は、一○○○万人にも上った。
77
シシュフォス
彼等の脱出先は、最も不況が深刻なEU、治安の悪化が激しいと伝えられる中東、中南米、
アフリカを避けて、今度もまた、英語圏で政治難民には比較的寛容な移民国家の、アメリカ、
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを主として、次いで中国人への観光ビザの給付
が寛容な日本であった。
こうして、二〇一六年の大恐慌で混乱した中国から逃れて来た人々に、二〇二八年以降の
超巨大小惑星「シシュフォス」騒ぎから逃れ出た難民を加えれば、約二十年の間に約四○○
○万人の人々が中国を脱出したことになる。将に、民族大移動だ!
オーストラリアが、中国からの移民を大量に受け入れたのには理由があった。
オーストラリアが中国を最大の顧客として開発して来た鉄鉱石、石炭、ウラン等の鉱物資
源はその産地が労働条件の過酷な地域に集中しており、オーストラリア人 (オージー)労働
者が就労を嫌い、常に労働者不足に悩まされていたからだ。
特にQ LD州の北部に位置するボーエン、スラット、ガリリー等の盆地は、世界最大級の
三〇〇億㌧を上回る石炭埋蔵量を誇り、年間一億五〇〇〇万㌧以上が海外に送り出されてい
78
シシュフォス
るが、この地域は高温多湿で雨が多く、更にデング熱やマラリアの汚染地区でもあるので、
高賃金でもオージー労働者を集めるには常に苦労する。
そこで、悪条件を厭わず働く中国人労働者が歓迎された。
オーストラリアでは、ヨーク岬半島に次いで二番目に北にあり、「トップ・エンド」と呼
ばれる北部準州(NT)の更に最北端の、
熱帯雨林性気候帯にある世界最大級のウラン鉱山も、
ボーエン盆地の石炭鉱山と同等かそれ以下の労働環境である。
他の鉄鉱石やレア・アース等の鉱山の立地も、上記の鉱山と似たりよったりの奥地の労働
条件の悪い鉱山ばかりで、ここにも中国国内の混乱を逃れた中国人労働者が、二十年の間に
大挙三百万人以上も入り込んでしまった。
オ ー ス ト ラ リ ア の 人 口 は 二 〇 一 〇 年 に は 二 二 〇 〇 万 人 に 達 し て い た が、 そ の 中 で 中 国 系
オーストラリア人や永住権保有者、留学生等を含めれば、中国人の数は六十万人を数えて、
人口に占める割合は三・七㌫を越えてアジア系住民の中では突出していたが、二〇三〇年に
なると二〇〇万人と六・五㌫のイギリス系・アイルランド系に次いで第三位を占める大勢力
と成っていた。これに大量の不法滞在者を加えれば、断然第一位となるだろう。
79
シシュフォス
5
(主人公たちの登場)
ここで、物語の舞台は三転する。
Q LD州の州都ブリスベンの南約八十㎞にある世界的に有名なオーストラリア最大の観光
保養地ゴールド・コーストに、
「ウオン」と言う名前の一人の中国人が住んでいた。
彼は二〇一八年の大恐慌で混乱した中国から逃れて来たのでも、二〇二八年以降の超巨大
小惑星「シシュフォス」騒ぎから逃れ出た難民でも、ましてや汚職や腐敗容疑から逃れて来
たのでもない。
ウオンは、一九八九年六月四日に起きた中国の「第二次天安門事件」、すなわち「六四天
安門事件」の政治難民だ。
二○一○年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏氏等と共に「自由・平等・人権」、それに「民
主主義」を求めて、中国人民解放軍に立ち向かい、その後、中国政府から執拗な追求を受け
てオーストラリアに逃れてきた正真正銘の政治難民だ。
80
シシュフォス
(ウオンとヨウコの出会い)
ウオンがオーストラリアに亡命したのは、二十四歳のときだった。
北京大学大学院を主席で卒業し、早々に博士号を取得して、同大学の経済学部門の若手教
員 (副教授)の一人として将来を嘱望されていた逸材の上に、人格高潔で博学、英語も堪能
でまるで英国人のように美しいクイーンズ・イングリッシュを操り、しかも一七八㌢の長身
のイケメンで、少林拳の達人だ。
彼はオーストラリアに脱出してきたその翌年の一九九○年に、日本人女性のヨウコと結婚
した。ウオン二十五歳、ヨウコ二十三歳の七月のことだった。
ヨウコはその一年前に、
「東京外語大学東アジア課程中国語専攻」を卒業し、中国留学を
希望していたが、折悪しく天安門事件が起こり、未だ治安の定まらない中国への留学を両親
が許さず、止むなくオーストラリアへ語学留学をして、中国から亡命して来たばかりのウオ
ンと知り合い、たちまち恋に陥って電撃的に結婚した。
中国語を学ぶヨウコは、天安門事件に非常な関心を持ち、天安門で自由・平等と人権、そ
れに民主主義を求めて、強力な人民解放軍に立ち向かう学生たちの姿に感動し、憧れていた
81
シシュフォス
だけに、その運動の指導者の一人であるウオンが目の前に現れたのだから、ヨウコの方から
猛然とアタックを掛けたと言うのが真相だ。
なお、付け加えればヨウコの方も、女優やモデルに再三スカウトされた程の美貌と容姿の
持ち主なので、二人が連れ立って歩けば、人が振り返るような似合いのカップルだった。
ウオンとヨウコが結婚した翌一九九一年、彼等の最愛の息子レオンが産まれた。
レオンは子供時代から、父親のウオンから繰り返して、中国共産党政権の自由 (特に言論
の自由)や 人 権、 そ し て 民 主 主 義 を 抑 圧 す る 姿 勢 へ の 怒 り を 聞 か さ れ て 育 っ た。 そ の 結 果、
彼は反中国共産党独裁政権への強い信念を持つようになった。
レオンのこの中共政権に対する気持ちは、ノーベル賞委員会が「ノーベル平和賞」を劉暁
波氏に与えるとの決定に対して、中国政府が猛反発をして、ノールウエー政府へ外交・経済・
文化の各方面で圧力を強め、劉氏とその夫人に弾圧を加え、あまつさえ、劉夫妻はもとより、
その親族や友人及び支持者までノーベル賞授賞式に出席するのを許さないのを知って、一層
確固たるものになった。
82
シシュフォス
彼は父から少林拳を徹底して鍛えられ、さらに父からは中国語、母からは日本語を教えら
れて、英語・日本語・中国語の三ヵ国語をまるで母国語同然に使うことが出来る。
レオンはゴールド・コーストの高校を優秀な成績で卒業すると、オーストラリア最大の都
市シドニーにあるこの国の最高学府の一つの名門シドニー大学の「 Agriculture, Food and
(農学・食料・自然資源学部)
」に進学し、特にオーストラリアの自然資源の
Natural Resources
植物や鉱物、それに地質学について学び、四年後にその学部をトップで卒業すると、指導教
授の大学院進学の強い勧めを振り切って、砂漠や森やブッシュに入り、アボリジニ (オース
トラリア原住民)たちとの生活を始めた。
その理由は、『 BushTucker
(以後、
ブッシュ・タッカー)
』とオーストラリア人が呼ぶ、砂漠や森、
ブッシュの中で得られる野生の食物や医薬品の研究を、アボリジニたちの中へ入って実際に
体験したいと考えたからだ。また、その間にオーストラリアの大地の下に眠る鉱物資源につ
いても調査研究した。
そして、彼は五年間もアボリジニたちと過ごした後で、大学へは戻らずにゴールド・コー
ストに帰ってきた。
83
シシュフォス
ゴールド・コーストへ帰ると、レオンは父ウオンと相談して、それまで住んでいた高級リ
ゾートの「サンクチュアリー・コープ (以後「サンクチュアリー」)にあるウオーター・フロン
トの豪邸から、近くの「タンボリン山」の敷地内に広大な庭園と森がある大邸宅を買い取っ
て一家揃って移り住んだ。
中国を逃れてオーストラリアに来たウオンは、妻のヨウコのアドバイスで、回転寿司と日
本食品店、それに日本式の焼きたてパンのチェーンを中国人後援者の援助で始めたところ、
彼の経済学と経営学に裏打ちされた巧みな経営に加えて、これが肥満に悩むオージーたちの
間で健康食として爆発的なブームとなって、
僅か二十年の間に、オーストラリアとニュージー
ランドに、五○○店舗を越すチェーン店を展開して巨万の富を作り、高級住宅が建ち並ぶサ
ンクチュアリーの中でも有数の豪邸を持つまでになっていたのだ。
このウオーター・フロントの家には、ポンツーンというプライベート桟橋があり、そこに
は豪華大型クルーザーと中型ヨット等数隻の船が繋がれて、直接水路と内海のブロード・ウ
オーターを経由して外洋のコーラル・シーに出られる。
84
シシュフォス
タンボリン山に移った後でも、サンクチュアリーの豪邸は処分せず、カンガルーがフェアー・
ウエーを飛び跳ねる付属のゴルフ・コースで、時折ウオンやレオンが友人たちとゴルフに興
じたり、家族でクルーザーやヨットで海に出て、魚釣りやサーフィンを楽しんだりした。
経済学の泰斗 (権威者)であるウオンは、二〇一○年の初め頃に、EU 諸国のソブリン・
85
クライシス問題を知ると、将来の世界的大不況は必至と考えて、中国から十億㌦以上の巨額
(上、「タンボリン山の豪邸」。中、「サ
ンクチュアリーの邸宅」。以上は著者の
合成イメージ画像。
下、「フェアー・ウエーを走るカンガ
ルー」著者撮影。)
シシュフォス
の隠し外貨預金を持って逃げ出して来た某政府高官が、オーストラリアでの永住権取得の
ための必須条件である事業を探しているのを知って、この元高官に自分の経営する総ての
チェーン店を三億㌦ (約三百億円)で譲渡した。
さらに、この売却代金に加えて、自分の持っている総ての株式等の有価証券を現金化して、
五億五〇〇〇万㌦程の巨額な金を、オーストラリアの格付け「Aa 2」の四大銀行 (ウェス
トパック銀行、ナショナル・オーストラリア銀行、コモンウェルス銀行、オーストラリア・ニュージーラ
ンド銀行)の定期預金やセービング預金 (日本の普通預金に該当)にしてしまった。
このため、二〇一六年に始まった世界的大恐慌の際に、株や債券は大暴落し、不景気で多
くの会社が倒産し、
沢山の人が職を失ったり破産したりして路頭に迷うことになったが、オー
ストラリアの四大銀行は経営破綻には至らず、ウオンの資産は安全だった。
事業から撤退したのは実に良いタイミングだったと、ウオンの決断の的確さに、ヨウコも
この賢明な人と添えたことを感謝した。
86
シシュフォス
(タンボリン山の紹介)
余談になるが、ここでタンボリン山の紹介をしておこう。
タンボリン山は、オーストラリア最大のリゾート地ゴールド・コーストの中心街のサー
ファーズ パ
・ ラダイスから西方約六十㎞に位置する標高約六○○㍍の小高い山だ。
麓から山頂にかけては、民家やB&B (ベッド・アンド・ブレックファスト)と言うオースト
ラリアやニュージーランド特有の民宿やワイナリー (ワイン醸造所)それに牧場が点在し、頂
上近くには数十軒のお土産店やレストランを連ねた小さな町があり、人口約六〜八○○○人
が暮らしている。住人は画家や写真家、陶芸家などのアーティストが多く、この人たちもこ
の町で店舗を開いて作品を展示して売っている。
また、タンボリン山は国定公園に指定されており、トレッキング (山歩き)のコースもあり、
オーストラリアの大自然が満喫出来る。
レオン一家の住んでいたサンクチュアリーからは車で三十分程と近く、個性的なレストラ
ンが多くあり、
特に山中にある滝へ降りる山道の入り口にあるフランス料理店には、家族揃っ
て良く通った。
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シシュフォス
(レオンとノリコの出会い)
次に、タンボリン山に帰って来たレオンと、その妻になるノリコの話題だ。
レオンとノリコの出会は次のようなものだった。
ノリコは、大阪の裕福な開業医の一人娘として生まれ、「甲南大学英語英米文学科」を卒
業した後で、生きた英語を学ぼうとゴールド・コーストの英語学校に留学した。
その学校の休みの九月の或る日、中国人と韓国人の学友二人と連れ立ってバスでタンボリ
ン山に遊びに来て、山上のショッピング街で店先を覗いていると、東洋人らしいが、カウボー
イのつばの広い帽子をかぶり、サファリー・スーツを着た一風変わった人物が見事な日本語
で話しかけてきた。
いかにオーストラリアとは言えど、牧場にでも行かなければ、このような服装をしている
人物には滅多に出会うことはない。
その男性が、近頃では日本人にも珍しい格調の高い日本語で‥‥、
「私はレオンと申します。母が日本人なので、日本語が話せるのです」と話しかけて来た
ので、ノリコは驚いた。
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シシュフォス
友人の二人は日本語が分からないので、当然、ノリコが相手をすることになった。
レオンは中国語も母国語同然に話すことが出来るが、久し振りで日本の若くて美人の女性
を見掛けたので、敢えて日本語を使いノリコに話しかけてきたのだ。
ノリコも久しく使っていなかった日本語に接して、相手の変わった風体にも拘らず彼と話
し込んでしまい、遂には彼の誘いで友人たちと彼の家に行くことになった。
そこで、初めて彼は英語で二人の友人にも話しかけた。
初めの内は、友人たちもおっかなびっくりで彼のことを眺めていたが、お店の人たちが口
を揃えて‥‥、
「レオンの家なら是非行って来なさい。驚きますよ。この人の家はこのタンボリン山で一
番立派です。何も心配することはありません」と、勧めるので、三人して大きな四駆のパジェ
ロに乗せてもらい彼の家に向かった。
五分程ドライブしてメイン・ロードから脇道に入ると、両側にアボカドの大木が数十本も
植わっている広い林が有り、大きな実がたわわに実っており、もうそこはレオンの家の庭だ
との説明だ。
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シシュフォス
さらに、紫色の「ジャカランタ」の花の咲く並木を三○○㍍程走ると、広大な緑の芝生の
庭園が現れて、その向こうにはノリコがこれまでに目にしたこともない、まるでハリウッド
映画にでも出てくるような豪邸が建っていた。
レオンが連絡したのか、大きな木製のドアの玄関の前には、これも恰幅の良い年配の東洋
人の男性と、一目で日本人と分かる上品な和服姿の婦人が出迎えており、その傍らには牧羊
犬のオーストラリアン・シープ・ドッグや大きなシェパード、それに真っ白のマルチーズ等
の大小の犬たちが十匹余りも、レオンの帰りを喜んで駆け回っていた。車から降りると、出
迎えた年配の男性の方は余り上手くない日本語で‥‥、
「良くいらっしゃいました。私はレオンの父のウオンと申します」と、ノリコを出迎え、
中国人の友人には素晴らしい中国語で、韓国人の友人には美しい発音の英語で歓迎の言葉を
述べた。
夫人は英語で歓迎の言葉を一同に告げた後で、懐かしげにノリコの手を取り‥‥、
「良くいらっしゃいました。私はレオンの母親のヨウコです」と、美しい日本語で挨拶を
90
シシュフォス
した。
そして、ノリコたち三人がそれぞれ日本語や、中国語それに英語で挨拶と自己紹介をした
後で、ウオンとヨウコの二人に案内され、大きなドアを開けて入り口を入ると、そこは白い
大理石を敷き詰めた豪華で広いホールだった。そのホールを中心にして、幾つかのドアがあ
り、他の部屋に続いているようだ。
また、入り口の直ぐ側には、大理石で出来た階段があり、ホールは吹き抜けになっていて、
見上げると二階の回り廊下に続いており、その廊下にも沢山のドアがあり、それぞれ部屋へ
通じているようだ。
ノリコが何処かで見たようなホールだなと思っていると、韓国人の友人が突然‥‥、
「ミュージカル映画の『サウンド・オブ・ミュージック』のお家のよう」と、驚きの大き
な声を出した。
そう言われてみれば、本当にあの映画に出てきた、大舞踏会も出来るホールと同じような
大理石を敷き詰めた大ホールだ。
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シシュフォス
そして、ノリコはまるで映画のヒロインのマリアになったような、本当に幸福な気持ちに
たほどに、先程まで着ていたサファリー・ジャケットとは一変した男振りだ。
ノリコは、一瞬トラップ大佐 (注、同ミュージカルの男性主役)が現れたかと錯覚してしまっ
てイタリアのアルマーニ等の高級スーツと思われる濃紺のジャケットに着替えて現れた。
そこへ、レオンがそれまでのサファリー・スーツとは一転して、素晴らしい仕立で一見し
(上から、豪華な玄関ホールとリビング。
素敵なプール。著者撮影。)
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シシュフォス
なっていた。
それからノリコたち女性三人は、愛犬の真っ白いマルチーズのイチローとナディアの二匹
をお供にしたヨウコに連れられて、広大な庭園や素敵なプールを案内してもらい、今まで見
たこともない美しい草花に驚きの声を上げ、豪華なリビングでカプティーノを振舞われ、素
晴らしい夕食までご馳走になるなど、夢のような楽しい一時を過ごすことになった。
この家には広くて素晴らしく手入れの行き届いた芝生の庭があり、広大な森が有り、それ
は、それは、広い上に、その庭から眼下にゴールド・コーストの中心街が一望の下に見渡せる。
その上に、美しい虹までもが空にかかって、ノリコたち三人を迎えてくれた。
ノリコは、ゴールド・コーストに来てからも、紫色のジャカランタの花や、燃える炎のよ
うな真っ赤な火炎樹の花を見て、日本の桜とはひと味違う趣を味わっていたが、レオンの家
の庭に咲く花々の美しさは驚きの連続だった。
一番驚いたのは、八重桜やしだれ桜の桜の木があちらこちらに植えられており、満開の花
を咲かせていたことだ。
日本では桜と言えば三〜四月にかけて咲くが、南半球のここタンボリン山では九月に咲い
93
シシュフォス
ている。ただ、どの桜の木も日本と違って、笠をかぶったような恰好に剪定されているのに
も驚いた。
庭の池には睡蓮が咲き、岸辺には水鳥が日向ボッコをし、ヨウコが手を叩くと、二羽の黒
鳥の親鳥に連れられた五羽の真っ白いひな鳥が餌をねだりに岸辺まで寄って来た。
庭の木々には、五色の羽のロリキータを初めとして、色鮮やかなオウムや小鳥たちがさえ
ずり、庭にはヨウコのペットのワラビー (小型のカンガルー)が飛び跳ねていた。
ノリコたち三人が驚いたのは、ユーカリの木の間の小道を歩いて行きながらふと見上げる
つがい
と、動物園でしか見られないと思っていたコアラが何匹も居眠りをしているではないか。
ヨウコに案内されてユーカリの木立の間を歩く三人の足下を、ワイルド・ターキーの番が
駆け抜けて行き、それをイチローとナディアが追いかける。
ヨウコに先導されて行く小道の側には、日本なら随分高価だと思われる漢方薬になる直径
五十㌢以上の巨大な茸の「猿の腰掛け」が寄生した倒木が無造作に転がっていたが、ヨウコ
の説明では、オーストラリアでは誰も欲しがらないのだそうだ。
正しく、ここはオーストラリアの中のオーストラリアだ。
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シシュフォス
ところが、もっと驚いたことがあった。
広い庭の一郭には日本庭園があって、そこには、朱に塗られた太鼓橋や鳥居まであったこ
とだ。
何でも、ヨウコが日本を恋しがって寂しいだろうと、ウオンが桜の木と一緒に輸入して、
わざわざ日本から職人を呼び寄せで、作ってくれたのだそうだ。
(上から、日向ぼっこをする水鳥、黒鳥の親子、池の睡蓮の花、居眠りをするコアラ。何れも著者が撮影)
95
シシュフォス
ノリコたち三人は、まるでお伽噺の中にでも居るような気持ちに誘われた。
夕食は、何と畳が敷かれて床の間まである本格的な和室で、日本の豪華な懐石料理が振る
舞われた。
このような素晴らしい本格的な懐石料理は、日本でもノリコのような若い女性がおいそれ
と、お相伴に預かれるような料理ではない。
中国人や韓国人の友人たちも、見るのも食べるのも初めてで、その美しい料理の説明をヨ
ウコから聞いては、いちいち感嘆の言葉を発していた。
京都の有名なミシェランの三ツ星料亭「花乃井」から板前さんが来ているそうで、ウオン
もレオンも、そしてもちろんヨウコも、大好きな健康食の世界遺産の日本料理を、毎日のよ
うに楽しんでいるという説明を聞いて、三人はびっくりした。
その他にも、エスニック料理の韓国人女性シェフもいるので、この次はエスニック料理を
ご馳走しましようと言われて、余りのことに三人は驚きの連続で言葉を失っていた。
さて、夜も次第に更けて十時になったので、レオンが三人を各人のホーム・ステー先にま
96
シシュフォス
で送り届けてくれることになった。最後にサウスポートのホーム・ステーまでノリコを送っ
て、別れ際にレオンは‥‥、
「また近い内に是非会いたい」と言って、彼のモーバイルと家の電話番号を教えてくれた。
それまでに、レオンとそのご両親の素敵なことに夢中になってしまっていたノリコも、躊躇
なくモーバイルと家の電話番号、それにメール・アドレスまで教えてしまった。
こうして、レオンとノリコの二人は、たちまちの内に恋に落ちて、間もなくオーストラリ
アの最東端のバイロン・ベイでのデートで、海に沈み行く真っ赤な太陽を見ながら、レオン
がプロポーズするまでになった。
初めは、外国人と結婚するとは‥‥と、大反対していたノリコの両親も、ゴールド・コー
ストにやって来て、レオンや彼の両親に会うや否や、二人の結婚に賛成して、二人はここに
晴れて結ばれることになった。レオン二十八歳、ノリコ二十五歳のことだった。
結婚式には、ノリコの両親や兄弟・姉妹、それに親類や友人たちまでもが、ウオンがチャー
ターした最新鋭のボーイング七八七型機で日本から招待されて出席した。
結婚式はサンクチュアリーにある、まるで快晴のときのゴールド・コーストの空のような
97
シシュフォス
(サンクチュアリーにあるガラスの教会)
透き通った真っ青なガラスで出来た教会でおこなわ
れ、披露宴はタンボリン山の広大な屋敷に一○○○
人近くの知人・友人を集めた盛大なものとなった。
新婚旅行は半年も掛けて、お隣のニュージーラン
ドを出発点に、日本、アメリカ、ヨーロッパ、それ
に遠くはエジプトのナイル・クルージングや地中海
クルージングまで楽しんだ素敵なものだった。
夢 の よ う な 新 婚 生 活 の 一 年 後 の 二 ○ 二 ○ 年 に は、
もう長男のタイガーが生まれた。
ウオンやヨウコの喜びようは、それは大変なもの
で、タンボリン山の広い館と庭園に、今回も数百人
の人々を招待した「タイガー生誕大祝賀会」が催さ
れ、世界的な大不況の中にあっても、まさに、レオ
ンもヨウコも幸福の絶頂にあった。
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シシュフォス
6
(中国人口急増とヨウコの疑問)
二〇〇〇年頃からシドニーやメルボルン、ブリスベンやアデレード、パース等の大都会で
は中国人の姿が急に多く見られるようになって来て、二〇一三年にもなるとこれらの大都市
では、まるで中国へ来たかのような感がするとウオンはヨウコに話した。
サンクチュアリーやソブリン・アイランド、ホープ・アイランド等のゴールド・コースト
の超高級住宅地でも、以前は日本人が沢山住んでいたが、この頃になるとその姿は殆ど見掛
けなくなり、豪邸も半分以上が中国人の所有になっている。
素晴らしいメンバー制のゴルフ・コースでプレーを楽しむのも、大半が中国人となった。
二〇〇〇年前後から、オーストラリアに中国人が急に増えたのは、中国の経済成長が目覚
ましい上に、旅行者や留学生、短期滞在者それに企業買収による中国人社員やその家族が急
激に増加したからだ。
特に世界中で資源を求めて猛烈な企業買収や投資に懸命な中国政府は、資源大国オースト
99
シシュフォス
ラリアにおいても、国営企業が先頭になって、世界最大の鉱業会社であるBHPビリトンや
リオ・ティントの株式買収を仕掛けたが、重要な鉱物資源産業を中国に買い占められるのを
危惧したオーストラリア連邦議会の反対に会い、これは不調に終わった。
中国政府はこの報復手段として、二○○九年七月にリオ・ティント社員数名を産業スパイ
として逮捕勾留する事件が発生して、両国が互いに大使を召還すると言う最悪の事態にまで
発展した。
しかしながら、オーストラリア連邦政府も議会も、次第に中国政府の執拗な要求には耐え
きれず、更に世界的な大不況で鉱物資源の輸出が不調となってきたので、二〇二〇年頃には、
オーストラリア政府もBHPビリトン・リオとティントの両社や他の鉱山会社の中国の株式
所有を六十㌫まで認めざるを得なくなってしまった。
その結果、鉄鉱石や石炭・LNGは無論のこと、金、ウラン、ダイヤモンド、アルミ、レ
ア・メタル等々のオーストラリアの主要鉱物資源の殆どが、中国政府や企業の支配下に入る
こととなった。
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シシュフォス
すでに述べたことではあるが、その上、Q LD州やNT (北部準州)の北部奥地の鉱山では、
猛暑やデング熱、マラリア等の労働環境が悪いためにオーストラリア人労働者が就労を嫌う
ので、労働者不足となった鉱山には、中国本土からどんどんと労働者を送り込んできて、そ
の数は遂に二〇〇万人を超えたと言われるようになった。
それに加えて、中国での治安の悪化や、
「 反 腐 敗 官 僚・ 反 悪 徳 事 業 者 キ ャ ン ペ ー ン 」 の 嵐
を逃れて亡命して来た中国人が一挙に増加した。このために、都市の中国人労働者や留学生、
中国系住民を併せれば、その数は四〜五○○万人にも達し、二○二○年を過ぎた頃には人口
三○○○万人にも満たないオーストラリアでは、最大の勢力となってきた。
日本が世界第二位の経済大国であった当時は、サンクチュアリーやタンボリン山があるQ
LD州の小学校では、日本語を授業として教える学校が多かったが、二○年代に入ると、そ
んな学校は一校も無くなり、殆どの学校で中国語が正規の授業に取り入れられていた。
また、一九九○年代には、ゴールド・コーストの有名なインターナショナル・スクールの
私立学校のTSSやその姉妹校セント・ヒルダス、それにセント・スティーブンス等の学校
101
シシュフォス
には、一クラスに日本人留学生が必ず数人から多い時では十数人はいたものだが、二○一三
ニイハオ
年を過ぎた頃からは、日本人の子供の姿は殆ど見られなくなり、中国人の生徒がクラスの三
分の一以上を占め、韓国人生徒が数人という有様になった。
それが、二〇二〇年頃からはこの傾向が更に加速された。
その所為だろうか、街を歩いていると、見知らぬオージーから「您好」と中国語で挨拶さ
れることが多くなり、その度にノリコは「“ I am Japanese
”こんにちは」と挨拶を返したが、
以前は奇妙な日本語で「コンニチハ」とか「オハヨウゴザイマス」と挨拶されたのが懐かし
く思い出された。
(ヨウコの疑問)
ウオンとレオンの一家は、この世界的大不況の中にあっても、その莫大な富によって安定
した生活を送っていた。
そんな中で、ヨウコにとって不思議だったのは、レオンが砂漠やブッシュでの五年間の生
活を終えた後で、当然、大学に戻って学究の道に入ると思っていたのが、ゴールド・コース
102
シシュフォス
トに戻って来て、ウオンやヨウコと一緒に生活し始めたことだった。
それは、ヨウコにとっては嬉しいことだったが、折角大学で優秀な成績を収め将来を嘱望
されながら、何故学問とは無縁のタンボリン山での生活を始めるのかと残念にも思った。
そのことをレオンに話すとレオンは‥‥、
「お母さん、私は未だ未だオーストラリアの自然や原住民のアボリジニのことを実地に研
究したいのです。私は、ハイスクールで飛級をしたので、大学に四年と砂漠で五年いたから
と言って、未だ二十六歳で、今から象牙の塔に立て籠るのは、少々早いと考えています。
これまではNSW州を中心にして、それに近いQ LD州の砂漠やブッシュの調査をして来
ましたが、これからは、ここタンボリン山を拠点にして、Q LD州のブッシュや森林の調査・
研究をしたいと思っています」との返事だった。
その研究・調査のためか、レオンは月に一度は中型の四輪駆動のトヨタ「 Hilux
」を駆って、
一週間ほどの調査旅行に出掛けていた。
ただ、回転寿司等の全てのチェーン店を売却して、タンボリン山へ移って来てからは、専
103
シシュフォス
ら専門の経済学や経営学の研究に没頭していた夫のウオンまでもが、レオンの調査旅行に一
緒に行くようになったことがヨウコには不思議でならなかった。
これについて、ウオンはヨウコに‥‥、
「大学の四年間に加えて、
五年余りも砂漠にいた息子が、十年振りにやっと帰って来たので、
少しでも一緒にいたいのだ。それに、レオンが研究している『ブッシュ・タッカー』という、
砂漠やブッシュ、それに森にある自然の食料品や医薬品についても興味があるので、一緒に
ついて行ってレオンに教えてもらっているのだよ」と、その疑問に答えた。
それに、ヨウコには、もう一つ不思議なことがあった。
それは、二人の調査旅行の出発は何時も早朝だが、帰りは決まって深夜になることだった。
ヨウコやノリコ、それに沢山いる使用人たちが寝静まった深夜二時頃に帰って来て、地下
駐車場に車を停めてから何か作業をしているようで、寝室に入って来るのは朝方になる。
ヨウコが、その訳を尋ねると、ウオンやレオンは、調査旅行で採取して来たブッシュ・タッ
カーや鉱物等の資料を、地下の倉庫に分類して保管する作業をしているのだと説明してくれ
た。
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シシュフォス
7
(超巨大小惑星「シシュフォス」の出現)
さて、レオンとノリコが結婚してから、早くも十年余りが経った、二〇二八年の南半球の
オーストラリアでは真冬の七月末日のことだ。
朝食が済むと、ウオンとレオンは、ヨウコやノリコの他に三十人もいる使用人や少林拳の
弟子たち全員を大食堂に呼び集めた。
先ず、レオンが立ち上がって、
「皆には、突然集まってもらったので驚いたでしょう。しかし、私がこれから話すことを
真剣に聞いてください。
皆さんも知っているように、先日のNASAの発表によれば、『シシュフォス』という直
径八・二㎞もある超巨大小惑星が、三年以内に地球の近くを通過するが、地球に衝突する恐
れはないということで私も安心していました。ところが、今日の早朝、私は例の通り砂漠へ
調査研究に出かけようとして、車に乗って先ずラジオをかけました。
105
シシュフォス
そして、次のような衝撃的なニュースを聞いて、急遽出発を中止して、レオンを起こして
このニュースを一緒に聞き、これまで二人で今後の対策を相談していました。
そのニュースです。
日本の国立天文台が発表したところによれば、日本が新しく開発した世界最高速の超スー
パー・コンピュータ「 PEZY
」で、これまで世界中の天文台が集めたこの『シシュフォス』
の軌道のデーターを詳細に計算したところ、何と!この超巨大小惑星が、三年以内に確率
九五㌫以上で地球に衝突することが分かったとのことです。
『トリノスケール』という、小惑星や隕石が地球に衝突する際の危険度を表す数字があり
ますが、これによれば、今回の超巨大小惑星『シシュフォス』が地球に衝突する危険度は最
高の『9〜10』で、これが起きれば、地球上の全生命が死に絶え、全文明が消滅する大惨
事が発生することは確実との発表です。
日本の国立天文台がこの発表をした直後に、
最初に月面基地の天文台の大型天体望遠鏡で、
この超巨大小惑星『シシュフォス』の接近を発見した中国から、中国が有する現在世界最速
の超スーパー・コンピュータ『星雲』の計算でも、日本の国立天文台と同じ計算結果がすで
106
シシュフォス
に出ていたが、中国政府は極めて重大な問題なので、さらに詳細に計算結果を検証するため
に、今日まで発表を控えていたという発表がありました。
米国には、日本の「 PEZY
」や中国の星雲に匹敵する様な高性能の超スーパー・コンピュー
タが無いので、NASAは未だ態度を表明していませんが、私は日本や中国の発表は先ず間
違いないものと考えます。
さらに、インターネットで日本の国立天文台のホームページの発表を詳細にチェックして
みましたが、この超巨大小惑星『シシュフォス』が衝突すると予想されるのは地球の北半球
です。幸いと言うか、オーストラリア大陸のある南半球ではありません。
しかし、それだからと言って、何の安心にもなりません。
超巨大小惑星『シシュフォス』は、約六六〇〇万年前にメキシコのユカタン半島に落下し
て、チクシュルーブ・クレーターという大クレーターを作り、全地球規模で大災害を引き起
こし、その当時全地球上で繁栄していた恐竜を絶滅させた原因となった小惑星と殆ど同じ大
きさです。
ユカタン半島に落ちた小惑星の衝突時のエネルギーは、広島型原爆の約一〇億倍と推計さ
107
シシュフォス
れ、それが引き起こした地震の大きさはマグニチュード十一以上、津波の高さは約三○○㍍
に達したと推測されています。
それによって、恐竜は無論のことほとんどの生物や植物は死に絶えて、地球は舞い上がっ
た粉塵で覆われて、氷河期を迎えました。
ただ、それまでは恐竜の餌食になっていたネズミほどの大きさの哺乳類の祖先が生き延び
て、私たち人類がそこから生まれたのは唯一の幸運でした。
若しも、この超巨大小惑星『シシュフォス』が地球に衝突すれば、当然のこと、オースト
ラリアも大被害はおろか、消滅すらも免れません。このまま、世界各国が何の対策も出来ず
に、
『シシュフォス』が地球に衝突するのに手をこまねいていれば、最悪の場合は人類を含
めた総ての生命は恐竜同様に、死滅すると考えられます。
人類史上最悪の危機が訪れたのです!
中国政府は、先の発表に続いて、
『 シ シ ュ フ ォ ス 』 が 地 球 か ら 八 〇 ○ 〇 万㎞ に 近 づ い た 時
点で、月面基地から水素爆弾を搭載した三基のロケットを発進させて、この小惑星の軌道を
変えさせるか破壊すると発表しました。なお、八〇○〇万㎞というのは、丁度地球と火星の
108
シシュフォス
平均的な距離で、この距離をロケットが飛んで『シシフォス』を迎撃するのには、六ヶ月も
かかる長い距離です。そこで、果たして中国のロケットが、完全にこの超巨大小惑星を破壊
出来るものかどうか、私は疑問に思っています。
当然、中国以外でも、核弾頭搭載のICBMや、衛星打ち上げ用ロケットを持っている各
国は、それぞれに『シシュフォス』迎撃ロケットを発射して破壊や軌道変更を試みるとは考
えますが、万が一のことを考えて、私たちも自衛しなければならないと考えます。
それでは、この後は、ウオンに話してもらいます」と言って腰を下ろした。
ヨウコやノリコは勿論、レオンの話を聞いていた使用人や少林拳の弟子たちは、余りの驚
きと恐怖で声も出ない。
中には、震えて泣き出すフィリッピン人メイドも何人か居る。
続いてウオンが立ち上がると‥‥、
「皆もレオンの話を聞いて、さぞかし驚いただろう。
わしも、今朝方早く、レオンからそのニュースを聞いた時には、本当に驚いた。そして、
109
シシュフォス
レオンと先程まで、我々で出来る対策を考えて話し合っていました。
超巨大小惑星『シシュフォス』衝突に関しては、このニュースによって、これから国連も
各国もそれぞれに、緊急に対策を立てると思うが、最悪の場合を想定して、わしの家でも独
自の対策を立てたいと思う。
未だ、衝突までには三年の月日があるという発表なので、今からやれば可成りのことが出
来ると考えています。
対策の詳細な計画は、これから数日掛けてわしとレオンで立てるが、基本的には、食料と
水、医薬品に燃料を備蓄して、そしてこれらを収納する地下倉庫と避難するための地下壕の
建設が中心になる。
そこで、ここに居る全員で手分けして、この数週間の間に、男性は地下壕の建設に必要な
木材や鋼材、セメント等の資材と掘削機や削岩機、それにスコップ等の建設機材を集めて欲
しい。
地下壕建設のチーフは、鉱山技師のジョンにやってもらおう。
ジョンは少なくとも百名が収容出来る地下壕と、それだけの人たちが、一ヶ年間以上は籠
110
シシュフォス
城出来るだけの食料と水それに燃料を収納出来る地下倉庫の建設を計画して欲しい。
また、女性はヨウコとノリコをチーフとして、日本料理の山田シェフとエスニック・シェ
フのミセス・キムとで相談して、米や小麦粉、冷凍肉等の主要食品や塩、砂糖、醤油等の調
味料、それに缶詰その他必要な医薬品等の物資のリストを作りそれを購入して下さい。
また、我が家にはトラックや乗用車等が三十台近くあるが、必要とあれば車も購入し、こ
の広い屋敷内の連絡用にゴルフ場で使うバギーも数台必要だと思っている。
なお、予算は一応報告して欲しいが、原則として必要と思われる物は総て買ってよろしい。
超巨大小惑星『シシュフォス』が衝突したら、お金等何の値打ちも無くなるのだ。
未だ『シシュフォス』の衝突の危険までには三年はあるので、その間に世界中の各国政府
は、懸命になってこの災害が起こらないように対策するだろうし、その対策が必ず成功する
ものとわしは信じたい。ですから、くれぐれも言って置きますぞ。皆さんは絶対に、慌てふ
ためく必要はありません。しかし、
我が家では自衛のための対策だけは立てておきましょう。
ではこれから全員で、超巨大小惑星『シシュフォス』対策に取り掛かって下さい。
なお、『シシュフォス』の衝突が心配で、
国や故郷に帰りたい人は遠慮なく申し出て欲しい。
111
シシュフォス
以上です。
」と、
話したが、
超巨大小惑星「シシュフォス」が北半球を直撃すると聞いたので、
誰一人として此処を出て帰りたいと言い出す者はいなかった。
(タンボリン山のウオン一家)
さて、ここで参考までに、ウオン一家のタンボリン山での生活の様子にふれておこう。
ウオンのタンボリン山の家では、広大な敷地の中にアボカド、バナナ、マンゴー、リンゴ、
ナシ、パムパム (パパイヤのこと)
、パイナップル、オレンジ、柿、栗等の果物の木が植わっ
ていて、ゴールド・コーストの温暖な気候によって、何時でもどれかの木に実がたわわに実っ
ている。また、畑ではキャベツや人参、トマト等の殆どの西洋野菜の他に、大根やネギ、そ
れに牛蒡等の日本野菜や、ウンボック (白菜)やチンゲン菜等の中国野菜に加えて、イチゴ
やメロン・スイカ、それにライチーやサボテンに生る珍しい赤いドラゴン・フルーツ (ピタヤ)
までもが栽培されている。
また、オーストラリアでは全国的に、干ばつにより水が不足することが過去にはしばしば
起きた。それで、政府では各戸に雨水を貯めるウオーター・タンクを設置することを奨励し
112
シシュフォス
たが、皮肉なことに、多くの家がタンクを設置し終わった二○一○年頃から気候が変わって、
このゴールド・コーストでは雨がよく降るようになり、水瓶のハインズ・ダムは常に満水で
水不足は解消され、二〜三〇〇〇㌦も掛けて取り付けたウオーター・タンクは無用の長物と
なった。
しかし、タンボリン山の上では、深い井戸を掘らなければ水が得られない。そこで、水不
足に備えて、雨水を貯める巨大な水槽が各家にあり、ウオンの家でも、小さな家程もある巨
大な水槽が広い敷地内に三カ所もあり、水には余り心配は要らない。
また、これはオージーの男性に共通することだが、ウオンもレオンも自動車の修理や改造
が大好きで、一寸した修理工場程の大きさの作業場と、これも趣味のクラシック・カーが
二 十 台 も 入 っ て い る 上 に 古 い 飛 行 機 ま で 格 納 さ れ た 博 物 館 の よ う な ガ レ ー ジ や、 新 型 の ス
ポーツ・カーや乗用車それに4WDやSUVに大型トラックまでもが何台も駐車している大
きなガレージが敷地内にある。
さらに、小型と中型の二機のヘリコプターが格納庫に入っており、広い庭の芝生の上から
113
シシュフォス
飛び立って、客人たちに空からのゴールド・コースト見物をさせたり、サンクチュアリーの
家まで時々人や物を運んだりしていた。
実は、レオンはヘリコプターの操縦が趣味で、その他にも、使用人でウオンの少林拳の弟
子でもある何人かが、ヘリコプターの操縦が出来た。
広大な芝生の庭の外れには、本宅のプールの他に二十五㍍の本格的な温水プールがあり、
夜間照明付きのテニスコート、大きなジャグジー、それにドライとウエットの二つのサウナ
の設備のあるアスレチック・ジムが建っており、ウオンやレオン、小さなタイガーやウオン
の弟子たちが少林拳を訓練するための道場や、防音設備の整ったライフルやピストルの射撃
場も付属している。
乗馬はウオンやレオンだけでなく、ヨウコもノリコも趣味にしており、厩には小さなタイ
ガー用のポニーを含めて十頭の馬が飼われており、四匹のシープ・ドックと五匹のシェパー
ド、それに二匹のマルチーズも加わった大家族だ。
おっと忘れていた。レオンが砂漠に出掛けて帰って来た時に、トラックの上に子供のラク
ダを一頭乗せていた。何でも、親にはぐれて砂漠で弱って彷徨っていたのを助けて拾い上げ
114
シシュフォス
て来たのだそうだ。
また、ヨウコは愛犬のマルチーズのイチローとナディアが頻りに啼くので、庭に出てみる
とワラビーの子供が一匹迷い込んで来たのをペットとして、猫二匹と一緒に可愛がって飼っ
ていた。
以上が、ウオン一家の家族の全員だ。
なお、この家の敷地内には、ウオンの大邸宅以外にも五軒の家が建っている。
そこには、ウオンやレオンの少林拳のお弟子さんで、ウオンやレオンをまるで父や兄のよ
うに尊敬する若者たちが、夫々に家族と共に住んでいる。
彼等は、タイガーを自分の弟のように可愛がり、拳法の修行と同時にライフルや拳銃の練
習、それにウオンから毎日数時間の歴史や経済学の授業を受け、レオンからは砂漠や森、そ
れにブッシュで生きるためのサバイバル法を教わっていた。
彼等はそれ以外の時間は交代で、シェパードやシープ・ドックを連れて敷地の見回りをし
たり、レオンに言いつけられた敷地内の施設のメインテナンスや増築の作業をしたりして過
ごす。
115
シシュフォス
また、ウオンやレオン一家は、彼等やその家族とは週に一回は食事を一緒にして親交を温
めるようにしていた。
この他にも数人のガーディナー (庭師)が敷地内の庭や果樹園、畑の手入れをし、日本料
116
理の板前やエスニック料理の女性シェフが素晴らしい料理を作ってくれ、五人のフィリピン
人のメイドが家事を分担してウオン一家の快適な生活を支えてくれた。
(三枚の写真は著者が住んでいる所
に有る施設。二十五㍍温水プールと
サウナやジム。大きなジャグジー。
夜間照明も有るテニスコート。)
シシュフォス
8
(全世界で、超巨大小惑星対策が始まる)
量子コンピューが、日本や中
D―Wave
ウオンとレオンが、超巨大小惑星「シシュフォス」襲来についての話をしたその数日後に
なって、すでに述べたように、人工知能ワトソンや
国の発表が正しい発表したので、NASAも日本の国立天文台の発表と中国政府の発表を正
しいと認め、さらに米国大統領が‥‥、
「米国は全力をもって、超巨大小惑星『シシュフォス』の地球衝突を阻止する」との、短
い緊急声明を発表し、併せて、国連で早急に「シシュフォス問題」を討議することを提案す
るに及んだ。
それまでは、日本と中国の発表に些か懐疑的な論調を展開していた米国の主要マスメディ
アが、この大統領声明の後では一転して、このニュースを断然トップに取り上げるや、当然
世界中が大騒ぎとなった。
一方、日頃は世界のニュースには無関心で、のんびりしているオーストラリア人たちも、
117
シシュフォス
超巨大小惑星「シシュフォス衝突問題」では流石に騒然となった。
その中にあって、タンボリン山ではウオンとレオンが、世間の騒ぎにも巻き込まれずに、
冷静に独自で検討・作成した次のような超巨大小惑星「シシュフォス対策」を発表した。
①この屋敷の地下一五〇㍍のところに、待避壕と食料貯蔵庫、燃料貯蔵庫、機械室、それ
にヘリコプターや自動車の格納庫を一年半以内で完成させる。なお、当家はタンボリン
山の一つの峰の頂上にあるので、待避壕等への出入り口は、山の中腹からトンネルを掘
るが、別にコンクリートで堅牢な出口を庭に建設し、ここよりエレベーターでの出入り
も可能にする。
②ジョンの調査によれば、豊富で良質な地下水脈が、この地下壕より十数㍍下にあるので、
飲料水や生活用水確保の為に待避壕より井戸を掘る。
③食料や生活必需品及び医薬品は、早速、ヨウコとノリコの指示で、目立たぬように買い
集められており、地上の倉庫に保管して、地下貯蔵庫が完成次第暫時移動する。
④皆さんの中で親類縁者を呼び寄せたいと希望する者があれば、申し出て欲しい。一応事
118
シシュフォス
情等を聴取して、受け入れの可否を検討する。
⑤なお、当家で大々的な「シシュフォス対策」の工事等を始めたと言うことが外部に漏れ
ると、要らぬ混乱を招く恐れがあるので、外部には絶対に漏らさぬように。
以上のような発表があって、早速、土木工事の建設機械や資材の調達が始まり、ジョンの
指揮の下で工事が始まった。
ジョンはベトナム難民の曾孫で、日系の妻と男女二人の子供がある。年齢は四十五歳で鉱
山技師。特技は拳銃の射撃で、オーストラリアのオリンピック代表に選ばれた程の腕前だ。
趣味はロック・クライミングと飛行機やヘリコプターの操縦。祖父からベトナム戦争でのゲ
リラ戦の話を聞かされて育って、南ベトナム解放民族戦線や北ベトナム軍があの強大な米軍
に勝利した勝因の一つが、地下道を使った戦術にあることを知って鉱山技師となり、鉱山の
坑道掘りを専門としてきたトンネル掘りのエキスパートだ。
ただ、作業中に落盤事故に会って、足を怪我したので、リハビリを兼ねて、ウオンの下で
少林拳を修行中だった。
119
シシュフォス
彼は早速ウオンとレオンに相談して、彼の三人の兄弟たちと四人の姉妹の連合い、すなわ
ち義兄弟を家族と一緒に呼び寄せる許可を貰った。この七人は何れも現在オーストラリアの
鉱山で働いている現役の鉱山技師で、その息子たち十人も鉱山で働いているトンネル堀りの
専門家と言うことなので、ウオンもレオンも大喜びをして、早速呼び寄せを許可した。
こうして、地下壕とトンネル掘りは、ジョンを初めとして十七人の専門家と、少林拳の弟
子たち五人、
そして大学の鉱山学科の二年生になったばかりのジョンの息子、それにガーディ
ナー五人の計二十八人で始められた。
ヨウコは、父が亡くなって一人になってからヨウコの弟一家と一緒に住んでいる母に、弟
の 一 家 と オ ー ス ト ラ リ ア に 来 る よ う に 電 話 を 掛 け た が、 母 か ら は も う 八 十 歳 を 越 え て お り、
英語も話せないし、弟も経営している会社を急に止めることは出来ないので、日本に留まり
たいとの意向が伝えられた。
ノリコも日本の大阪の両親にオーストラリアに来るように電話をしたが、父からは未だ衝
突までに三年もあるので、もう少し状況を見てから決めたいという返事があった。
120
シシュフォス
これらの電話から伝わってくる印象では、日本ではそれほど超巨大小惑星「シシュフォス
問題」は深刻に受け止められていないようで、
アメリカや中国のロケットが「シシュフォス」
を絶対に破壊してくれるから大丈夫だという楽観的な雰囲気が伝わってきた。
この楽観的な雰囲気は、何も日本だけに限ったことではないようで、国民の動揺を恐れる
何れの国の政府も、マスコミを使って評論家とか専門家とかを総動員して、
「超巨大小惑星『シシュフォス』の衝突の危険性は薄い」との、楽観的な世論を作り上げ
るのに懸命だったのがその原因だ。
また、
普段は政府の政策や発表に対して、
懐疑的や否定的な意見が多いツイッターやフェー
ス・ブック等のソーシャル・ネットワークでも、何故か楽観的な書き込みの方が優勢だった。
しかし、この楽観的な雰囲気も、中国の月面基地から六ヶ月前に、「シシュフォス」の軌
道目掛けて次々に発射された三基の水爆弾頭搭載のロケットが、「シシュフォス」迎撃に失
敗するとの報道がなされると、急激に悲観論に転じた。
121
シシュフォス
(中国の水爆弾頭搭載ロケットが、シシフォス迎撃に失敗)
中国政府は、超巨大小惑星「シシュフォス」が、地球との距離八○○○万㎞に到達するの
を見計らって、
水爆搭載のロケット「東風21」一基と、「東風25」二基の計三基を、シシュ
フォスに向けて月面基地より次々に発射した。
「シシフォス」の軌道は、
精密に計算されてミサイルのコンピュータにデーターがインプッ
トされ、誘導方式は慣性誘導に加えてターミナル・レーダー終末誘導 (管制からの終末誘導で
目標へ)な の で、 ボ イ ジ ャ ー1 号 と 同 じ 秒 速 十 七㎞ で の 速 度 で 突 進 す れ ば、 六 ヶ 月 後 に は、
命中は一〇〇㌫確実だと思われた。
しかし、ミサイルが「シシフォス」に到着する予定の六ケ月直前に、想定外の事態が発生
した。
超巨大小惑星「シシュフォス」は衛星を一個持っており、しかも、その前方や周辺に、五
〜十数㍍の小さな天体を数百個も伴って飛来して来たのだ。
元々「シシュフォス」は、自身では発光していない。
太陽光線を反射した本体を、月面基地の大型望遠鏡で捉えていたのだが、「シシュフォス」
122
シシュフォス
が太陽の方角から近づいて来たために、はっきりと外形を確認出来ず、ましてや、超巨大小
惑星「シシュフォス」本体に比して余りにも小さい衛星や、星屑と言ってもいいような小天
体は大型天体望遠鏡でも捉え切れなかったのだ。
先ず第一弾が「シシュフォス」より数千㎞も前方で直径十㍍程の大きさの小天体と衝突し
て爆発してしまった。第二、第三弾の水素爆弾までもが次々に小天体と衝突して爆発してし
まった。
残念ながら、中国のロケットには、このような邪魔な小天体を回避する先端的な機能は搭
載されていなかったのだ。
核弾頭は、原爆ではなく水爆だったので、その爆発の威力は凄まじく、月面の望遠鏡から
も、地上の超巨大望遠鏡からもその光が捕らえられたので、当然超巨大小惑星「シシフォス」
も破壊されたか、また万一破壊されていなくとも、軌道がこの爆発によって変わったのでは
ないかと期待されたが、爆発が収まってみると、依然として「シシフォス」は、この大爆発
にも少しも影響されずに、これまでと同じように衛星を伴って一直線に地球衝突の軌道を進
んでいた。
123
シシュフォス
残念ながら、
中国の月面基地には、
水爆の核弾頭を搭載したミサイルはこの三基しかなかっ
た。
中国のロケットが超巨大小惑星「シシュフォス」爆破に失敗して、「シシュフォス」は依
然としてその進路を変えずに地球に衝突する軌道上にあることが、地上の「TMT」や「Eー
ELT」等の巨大天体望遠鏡が確認して、その新しい観測データーによって、「シシフォス」
がさらに地球衝突へのスピードをあげており、一年半も経たずに地球に衝突するとの新しい
計算結果が、今度も、日本と中国の超スーパー・コンピュータ「 PEZY
」と「星雲」で確認
されたと報道されたので、それまで「シシュフォス」は中国の核弾頭で絶対に破壊されると
信じ込んでいた地球の人々は、一挙にパニック状況に陥った。
何しろ「シシュフォス」が地球に激突すれば、六六〇〇万年前にメキシコのユカタン半島
に落ちて恐竜を絶滅させた小惑星と同じ規模の被害を引き起こし、人類の絶滅も確実視され
ると、今度は評論家や有識者だけではなく、一転してこれまで発言の少なかった天文学者を
初めとする科学者たちによって警告され始めたからだ。
124
シシュフォス
さらに、科学者たちは、仮に「シシュフォス」を破壊しても、その破片が多数の隕石となっ
て地上に落下すれば、直径が僅か四〜五㍍でも戦術核兵器並みの被害を及ぼし、直径が五十
〜一〇〇㍍ともなれば広島に落とされた原子爆弾「リトル・ボーイ」クラス数千個に相当す
る被害を及ぼすのだから‥‥とも警告した。
国連は早速各国に、超巨大小惑星「シシュフォス」を迎撃するように要請した。
(米国の対応)
米国は、ここが名誉挽回の絶好のチャンスと捉えて、ミサイル防衛システムMDに早期警
戒を発令し、
自己の保有する大陸間弾道弾(ICBM)や、通信衛星打ち上げに使うタイタンⅢ、
3
―( パックスリー『発達
それに新型のデルタⅤロケットを総動員して「シシュフォス」迎撃に備えた。
また米国内のみならず、海外の米軍基地に配置されている「PC
型パトリオット防空システム』
)
」までも、緊急に、そして密かに、米国内に引き上げて、ワシン
トン、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス等の主要都市と主要軍事基地や原子力発電所を
守るために配備した。無論、沖縄の嘉手納基地から移転した辺野古基地に配備されていたパ
125
シシュフォス
域防衛システム)
」までも、首都ワシントンの対隕石防衛を強化するために、急遽米国本土へ
特にグアムに設置してあった最新鋭のミサイル防衛システム「THAAD (最終段階高高度地
また、北朝鮮のミサイルが米国に向けて発射されたときに、これを途中で迎撃するために、
地や艦艇から引き上げて、ワシントンとニューヨークに重点的に配備した。
さらに、米軍が誇る最新鋭レーザー兵器システム「La WS」を配備してある全世界の基
共に、密かに本土に引き上げたことは言うまでもない。
トリオット二十四基も、これを操作する米陸軍第一防空砲兵連隊第一大隊全隊員六〇〇名と
(上から、LaWS、THAAD、PC-3、
中国 SC-19 ミサイル)
126
シシュフォス
運ばれて行った。もう北朝鮮どころではない!
米国上下両院議員たちは、地元選挙区へ一基でも多くのTHAADやパトリオット、La
WSを配備させようと、ホワイトハウスへ猛烈なアタックを掛け始めた。
全米各地では、地球絶滅の流言飛語が飛び交い、パニックに襲はれた群衆や暴徒によって
略奪や放火が始まったので、米国大統領は、非常事態を宣言すると共に、全米に向けてTV
とラジオそれにインターネットを通じて、米国陸海空それに海兵隊の四軍は一致協力して、
米国には絶対に「シシュフォス」の被害が及ばないように対策を立てているので、国民は冷
静を保つようにとの演説を繰り返し、州兵を総動員して治安維持に当たらせた。
これに加えて、中国より経済的インセンティブの提供を受ける見返りとして、米国のTH
AADの配備計画を頑なまでに拒否した韓国政府が、一転して首都ソウルにTHAAD配備
を米国に懇願とも言える要請をしたので、米国民の嫌韓感情は一挙に増加した。
127
シシュフォス
(日本)
1
―61スタンダード・ミサ
3
」、それに、人口衛星打ち上げ
― (パックスリー)
日本はイージス艦から発射される「中短ミサイル迎撃RIM
イル3」を中心にして、地上発射の「PC
用最新鋭「HⅢB」や固体燃料ロケットの「イプシロンE 3
―」を動員して、超巨大小惑星
「シシュフォス」要撃に備えた。
世界中でも米国と同じ様な暴動や略奪が始まったが、唯一日本だけは、例外であった。
例によって、マスコミは大騒ぎするものの、国民は政府の要請には協力し、自分たちは整
然として日常生活に励んだ。
これは、あの東日本大震災の大被害の時でも、被災者がお互いに助け合ったのと同じ社会
現象であるとの報道が全世界に流れて、
世界中の人々は再び日本人の立派な態度に感激した。
(中国)
1
―9ミサイル」を中心にして、今度は新開発した衛星打ち上
勿論、
「 シ シ ュ フ ォ ス 」 迎 撃 に 失 敗 し た 汚 名 返 上 を 図 る の に 必 死 の 中 国 も、 衛 星 破 壊 ミ サ
イルとして実績のある「SC
128
シシュフォス
げ用ロケット「長征5号」
、
「長征6号」
、
「長征7号」に加えて、これも新開発の大陸間弾道
弾用「東風 4
―1」までも総動員して「シシュフォス」に備えた。
中国国内においては、中国が「シシュフォス」迎撃に失敗したとのニュースを報道するこ
とは堅く禁じられたが、インターネット新浪シナ微博ウェイボー等のソーシャル・ネットワ
ークを通じて、たちまちの内に数億人が知るところとなり、各地で政府と人民解放軍の失敗
の責任を追求する暴動が起こったが、武装警察と人民解放軍が今回も容赦なく、殺戮をも厭
わない鎮圧で押さえ込んだ。
なお付け加えれば、中国政府はこのような地球的危機を国威発揚と国内治安対策の絶好の
チャンスと捉えて、今度も原子力空母を中心とする大機動部隊を派遣して、南沙諸島や西沙
諸島を制圧し、沖縄までもたちまちの内に占領してしまったことはすでに述べたが、
「シシュ
フォス」対策に懸命の日本を初めとする関係諸国や米国は何らなす術も無かった。
中国の行動は、正しく、火事場泥棒そのものだった。
129
シシュフォス
(ロシア)
プーチン大統領は、非常事態を宣言して各地で起きる暴動や略奪や殺戮を厭わぬ強権を発
三
―〇〇」の改良型として開
四
―〇〇」を中心にした弾道弾防衛システムを発動させるとともに、有人宇宙
動して、鎮圧に懸命ではあったが、ロシア版パトリオット「S
発された「S
1
―2」を準備した。
船ソユーズ打ち上げ用ロケットの「プロトン」や、五五○ K
―T核弾頭搭載可能の大陸間弾
道ミサイル「TOPOLRS
(EU)
EUでは、イタリア、スペイン、ギリシャなどの緊縮財政を強制するEUに反発する勢力
が、ここぞとばかりデモや暴動を起こし、国内の軍隊や警察では収拾がつかず、遂にドイツ
やフランスが軍隊を出す事態に至った。
EUにおける弾道弾防衛システムMDは、主として米国主導で展開され、戦術核に対する
1
―61スタンダード・ミサイル」を中心にして備えた。
局地的なものであるが、この度の超巨大小惑星「シシュフォス」迎撃に対しては、弾道ミサ
イル防衛専用の「RIM
130
シシュフォス
また、欧州宇宙機関は、人工衛星打ち上げ用の「アリアンロケット」を準備した。
(その他の国)
イスラエルは、
「アロー弾道弾迎撃ミサイル」で飛来する隕石破片を高度十〜五十㌖で迎
撃する計画を立てた。
アメリカから供給されたパトリオットを有する韓国、台湾、サウジアラビア等の各国は、
更なるパトリオットの供給を米国に要請したが、当然の如く断られた。
これらの国以外にも、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮等の独自のロケットや弾道弾
迎撃システムを持つ国は、それぞれ独自に対策を立てたが、それ以外の国々は、ただ超巨大
小惑星「シシュフォス」の被害が自国に及ばないことを神に祈るのみだった。
(
「シシュフォス」破壊の有志連合)
各国がそれぞれ「シシュフォス」迎撃の準備を進めるのと平行して、大型人工衛星を打ち
上げた実績のある、米、中、ロ、EU、日の五カ国に印度を加えた六カ国が緊急会議を開いた。
131
シシュフォス
「シシュフォス」は地球に近づくに従って、地球の引力により加速度的にスピードを増し、
大気圏突入時には、音速の約五十倍の秒速一万八〇〇〇㍍近い猛スピードになると予想され
た。
こ れ に 対 し て、 弾 道 弾 迎 撃 シ ス テ ム M D で は、 最 も 早 い I C B M の ス ピ ー ド を 秒 速
八〇〇〇㍍と想定しているので、地球に近づいた時点での迎撃は先ず殆ど不可能である。
そこで、衛星打ち上げロケットを使って、出来るだけ地球から遠い宇宙空間でこれを迎撃
し、
「シシュフォス」の爆破された砕片が成層圏に突入し、発火して隕石となって自由落下
に移り速度が落ちた時点で、各国のミサイル迎撃システムで再度迎撃し破壊するのが最上の
策という結論に達した。
ここで、中国政府より先の中国月面基地からの水爆弾頭ミサイル攻撃で、「シシュフォス」
の進行前方にあった衛星と多数の小惑星は、三発の水爆の爆発で総て飛び散ったので、これ
からは、
「 シ シ ュ フ ォ ス 」 に 向 け て 核 弾 頭 を 積 ん だ ロ ケ ッ ト を 発 射 し て も、 も う ロ ケ ッ ト の
進行を邪魔する小天体はないとの報告があった。
そこで、核弾頭を保有する米、中、ロ、EUでは、それぞれ自国の保有する四〇〇〜六○
132
シシュフォス
○㍀程度の重量で核出力三○○〜五〇〇
の威力の核弾頭を、衛星打ち上げ用ロケットを
キロ
トン
使って、準備が整い次第各自数基を「シシュフォス」に向けて発射することになった。
なお、日本のHⅢBとイプシロンの両ロケットの打ち上げ実績は、各国のロケットの内で
も最も信頼性が高く、また、誘導技術も最高なので、米国より核弾頭の供給を受けて、出来
るだけ多数を打ち上げるように要請された。
地球の危機ともなれば、各国は流石に自国の利益や面子ばかりを優先することは控えて、
一致協力すると言う雰囲気が会議を支配していた。
この会議で決定されるや、すでに準備が完了していた米三基、中国三基、ロシア二基、E
U二基のロケットはこの順序で、月の軌道に近づいて来た「シシュフォス」に向けて次々に
発射された。しかし、米中各一基のロケット二基が発射後数分にして、コントロールを失い、
「シシュフォス」へは向かわずに、いたずらに宇宙の闇に消えて行った。
最後に打ち上げられた日本のHⅢB二基とイプシロン三基の合計五基のロケットは正確に
超巨大小惑星「シシュフォス」に向かった。
133
シシュフォス
日本は、この危機に当たって、米国や中国よりも多くの巨大ロケットを迅速に打ち上げる
ことが出来たので、世界を驚かせた。
当初、通常爆弾が搭載される予定であった日本のHⅢBやイプシロンには、米国よりの要
請で、米軍沖縄辺野古基地より運び込まれた核弾頭がHⅢBに、米軍横須賀基地で攻撃型原
子力潜水艦用に密かに保管されていた熱核弾頭がイプシロンにそれぞれ搭載されて発射され
ていた。
辺野古基地に核弾頭が貯蔵され、原潜用核弾頭が首都に近い横須賀に保管されていたなど
と言うことは、いずれも『核兵器をもたず、つくらず、もちこませず』の『非核三原則』に
抵触する重大な政治問題なので、左翼系市民団体の抗議デモが始まり、国会では社民党と共
産党がこれを取り上げて政府を激しく非難したが、平時ならばこれを大きく取り上げ倒閣を
叫ぶ朝日新聞を初めとする左翼マスコミも全然問題にせず、両党の非難は国民世論からは、
この非常事態にあって、何を寝ぼけたことを言っているのだと完全に無視された。
それどころか、何時もは反政府の論調を張るメディアも、今度ばかりはこぞって、日本の
ロケットが超巨大小惑星「シシュフォス」を破壊してくれるようにと、小惑星探査機「はや
134
シシュフォス
ぶさ2」に送った以上の大声援を送り、老若男女総ての国民が、神社仏閣に日本のロケット
が「シシュフォス」迎撃に成功することを祈願した。
正確な軌道に乗ることに成功した米国のデルタⅤ、中国の長征、ロシアのプロトン、EU
のアリアンそれに日本のHⅢBとイプシロンの合計十三基のロケットは、発射後僅か一週間
で、
地球に約八十万㎞と月の約二倍の距離に近ずいてきた「シシュフォス」に殆ど同時に次々
命中して爆発した。
あのアポロ計画では、発射から三日半後に月面に到着しているが、「シシュフォス」迎撃
のロケットたちも、殆ど同じようなスピードで、月の軌道に近づいてきた超巨大小惑星に達
したのだ。
すなわち、日本の小核弾頭搭載の五基のロケットは、国民の懸命な祈りが通じたのか、先
陣切って真っ先に見事に「シシュフォス」を捉えて大きなダメージを与えることに成功し、
これに続いてデルタ、プロトン、アリアンの水爆搭載のロケットも相継いで命中して大爆発
を起こして、巨大な「シシュフォス」を見事に、しかも完全に破壊したのだ。
135
シシュフォス
9
(破壊されたシシュフォスの破砕片が地球を襲う)
ところがここで、またもや想定外の事態が発生した!
科学者たちは超巨大小惑星「シシュフォス」でも、多数の核弾頭で破壊すれば、爆発の巨
大な衝撃波で、その破砕片は軌道を変えて地球には衝突しないだろうと考えていたが、破砕
片の半数以上、それも数万個が依然として地球への衝突の軌道に乗ったままであることが、
地上の超大型天体望遠鏡二台と月の中国月面基地の大型望遠鏡で確認された。
破砕された「シシュフォス」の破片は、大きなものは直径が一〇〇㍍にも及び、中には五
○○㍍を越す物も十数個あり、その重量は六十〜一〇〇㍍クラスで数十万㌧、五○○㍍クラ
スの物は数千万㌧を越えると推計された。この他にも、直径数㍍の物は無数にあった。破砕
片とは言え、これらが、巨大隕石となり地上に落下すれば、大きな物では原爆数万発の、小
1
―61等の地対空ミサイルを準備
さな物でも戦術核兵器や大型爆弾並みの被害が出ることが想定される事態になってきた。
そこで、各国ではパトリオットやTHAAD、RIM
136
シシュフォス
してこれを迎え撃つと共に、急遽地下待避壕の数を更に増加する事に決し、突貫工事を各地
で開始し始めた。
また、各国の政府は国民に対して、
「シシュフォス」の隕石が落下する前には警報を出す
ので、従来からある原爆対応の地下壕や新規の地下壕のある地区ではこの地下壕へ、それが
無い場合には出来るだけ深度の深い地下鉄か、鉱山の坑道に避難するように警告した。
さらに、大型の隕石が海上に落下した場合には、地震と同時に巨大な津波を引き起こす恐
れがあるので、絶対に海岸へは近づかないようにとの警報も発せられた。こうして、地球は
大混乱に陥った。
大型の破砕片に対しては、大陸間弾道弾や衛星打ち上げロケットを持つ国々は、今や国連
の指示ではなく、各自の判断によって核搭載か通常弾頭かを問わず、ありったけのロケット
を打ち上げ、その内の可成りの数が巨大破片の破壊に成功したが、それでも五〜一○○㍍程
度に細分化されてさらに数を増した破片が、地球の引力に引かれて地球に向かってきた。
「シシュフォス」の破砕片群の或る物は地球を襲う途中で、大気の無い月を襲って、中国
137
シシュフォス
の月面基地嫦娥を破壊し尽くした。そして、破砕片群は隕石の火球となって次々と地球に降
り注ぎ始めた。
迎撃ミサイルを発射する準備を調えていた各国は、火球の消滅点を観測して、争って、ロ
ケットやミサイルを打ち上げた。
なお、今回は大気中での事故を恐れて、大型の核弾頭は使わず、小型の戦術核弾頭か通常
爆弾を使用した。
万一大型核爆弾が誤って大気圏内で爆発すれば、地上へも被害が及ぶ。例え、地上に被害
を 及 ぼ さ な い 百 〜 数 百 ㎞ の 高 高 度 大 気 圏 で 飛 来 す る 小 天 体 を 迎 撃 爆 破 し て も、 そ の 爆 発 に
よって発生する電磁パルスによって、一〇〇〇㎞もの広範囲にわたって、特別な防御対策が
なされていない電子機器は総て破壊されてしまうからだ。
地上二十㌖の時点で火球が消えた隕石は、そこから秒速三〇〇〇〜五〇〇〇㍍の自由落下
(ダークフライト)に入るので、パトリオット等の対弾頭ミサイル兵器でも破壊が可能だ。
各国は持てる総てのロケットやミサイルを打ち上げて、必死になってこの隕石となった超
巨大小惑星「シシュフォス」の破砕片の破壊に努めたが、この努力の結果は蟷螂の斧となり、
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シシュフォス
「シシュフォス」の残骸 (破砕片)数十万個は、各国が打ち上げた数万発の迎撃ロケットやミ
サイルをかいくぐり、ほぼ一昼夜にわたって、猛烈な勢いで地上といわず海上といわず、全
地球上、それも北半球に集中して降り注いで大被害を及ぼした。
人口密集地帯の大都市に落下した隕石は、それが直径五〜十㍍のものであっても、まるで
大型爆弾が纏まって十個も二十個も爆発したような被害を与え、五十㍍クラスの巨大隕石が、
対弾頭ミサイル警戒網をくぐり抜けて落下すれば、まるで広島原爆のような大被害を与えて、
都市は一瞬で地上より消滅した。
衝突地点では、大クレーターが出来、あらゆる物質が融解・気化し、高温・高圧によって
炭素からダイヤモンドが生成された。
また、直径五十㍍に満たない隕石の衝突でも、マグニチュード五・五以上の地震を引き起
こし、衝突地点から半径三〜四㎞以内の生物は、衝突と同時に死滅した。その後、衝突によっ
て発生した巨大な火の玉によって、半径十㎞以内のあらゆる物質を焦がし、時速二〇〇〇㎞
に及ぶ衝撃波が半径四十㎞近くまで広がり、半径十五〜二十五㎞までの総てを何もない荒野
139
シシュフォス
に変えた。
特に、惨状を呈したのは、多数の原子力発電所と核爆弾を保有している大国だった。
何処の国でも、原子力発電所には複数基の原子炉が稼働している。
その内の一基にでも隕石が落下して大爆発を起こせば、誘爆して数基全部がメルトダウン
を起こして核爆発を起こす。
特に悲惨な大事故が広がったのは、
原子力発電大国の米国、中国、フランスの三ヶ国だった。
二〇一一年三月一一日の東関東大震災による福島第一原発事故以前までは、地球温暖化防
止という大義名分の後押しで、世界中に原子力発電所の建設の気運が高まっていた。
一九七九年三月の「スリーマイル島原発事故」以来三十数年、新しい原発の建設を控えて
きて、二〇一一年現在一〇四基の原発が稼働していた米国でも、当時のオバマ大統領は新し
く二十四基の原発を建設することを表明していた。
しかし、
日本の「三・一一」を期に、
原発建設反対の機運が全米に広がり、米国では再び「原
発冬の時代」に突入してしまい、その後、革新的な新技術で、シェール・オイルやガスが大
140
シシュフォス
量に採掘されるようになり、世界的に原油の価格が暴落すると、米国で稼働している原発は
徐々に減っていったが、それでも二○三〇年には未だ九十基の原発が稼働していた。
一 方、 中 国 で は 二 〇 一 四 年 一 月 現 在 十 八 基 の 原 発 が 稼 働 中 で あ り、 三 十 一 基 が 建 設 中、
五十八基が計画中であった。
粗悪な石炭による火力発電所が大きな原因となるPM二・五による大気汚染が、政権の存
続をも揺るがしかねない大きな社会的・政治的問題になってきたが、一方では大量の電力消
費を伴う経済成長も共産党政権存続には必須であり、この相反する二つの問題を解決する為
に、中国政府は二〇五〇年までに原発を二三〇基 (四億㌔㍗)に増やして、発電量を五〜七
倍にし、世界最大の原発大国にする計画を発表して、日本の「三・一一」後もこの計画を変
更する考えはないと表明し、経済不況による国内の混乱の中でも、人民解放軍の厳重な警備
に守られて原発建設を推進し、二〇二九年には一八五基が稼働するまでになっていた。
米中仏の三ヶ国とも、原子力発電所の周辺には、持てる限りの迎撃用ミサイルを集中的に
配備して、超巨大小惑星「シシュフォス」の破砕片落下に備えたが、何しろ落下速度が予想
141
シシュフォス
を遥かに越える秒速一万メーターを上回ったので、従来の迎撃ミサイルの性能では捕捉が出
来ず、僅かに米国では配備が始まったばかりの、「ロフテッド軌道」をとる高高度から超高
速で落下するICBMを迎撃する「SM3ブロックⅡA (弾道ミサイル防衛用能力向上型ミサイ
ル)
」と、レーザー兵器La WS が効果を発揮したが、群がり落下する隕石には、これもま
た焼け石に水だった。
殆どの破砕片は大火球となり、次々と落下して原発を直撃して、ほぼ総ての原子力発電所
で大爆発を起こし、メルトダウンが進んだ。
すなわち、米国には九十発の、中国には一六〇発以上の、フランスには六十発以上の大型
原子爆弾が爆発したことになり、さしもの広大な領土を誇る米国も中国も一瞬の内に国家は
崩壊した。
フランスは自国が壊滅しただけではなく、隣接するドイツ、スペイン、オランダ、ベルギー
等の国々へも核爆発の被害は広がった。
英国やスウェーデン等、独自の原子力発電所を持つ国の原子炉も「シシュフォス」の破砕
片の落下を防ぐことが出来ず、ヨーロッパは一様に壊滅状態になった。
142
シシュフォス
六十五基の原発を有するロシアと、二十五基を有するウクライナにも、隕石は降り注ぎ、
殆どその総てが火球の犠牲になり、その広大な領土は、チェルノブイリ原発事故の再来以上
の大惨事となった。
また、米国やロシアは戦略核弾頭と戦術核弾頭を合わせて各一万五〇〇〇発以上、それに
中国も密かに五〇〇発以上の水爆や原爆、それに戦術核弾頭を保有し、いずれもその保管は
幾つかの大深度の地下の保管庫であったが、米国やロシア、中国に落下した隕石の中には、
直径数百㍍に及ぶ物があり、直径一〇㎞、深さ五〇〇㍍の大クレーターを作り、マグニチュー
ド九・〇以上の大地震と大爆発を引き起こして、中にはマグマを発生させたものまであって、
水爆や原爆を次々に誘爆させたので、それは将に世界の終わりのような惨状を呈した。
五〇〇発以上の核弾頭を持つ、フランスやイギリスでも、核弾頭の暴発は続いた。
こうして、原発・原爆大国の米国、中国、フランス、ロシア、イギリスは相次いで地上よ
り消滅し、その周辺の諸国にも被害が及び、少数の原発や原爆を保有する国々も大きな被害
を受け、飛び散った放射性物質により、人間はもとより生命体は総て亡んだ。
143
シシュフォス
日本では、二〇一一年三月一一日の東関東大震災による福島第一原子力発電所の事故を受
けて、その後一部の原発を除いて、殆ど総ての原子力発電所が、二〇二六年までに稼働を停
止していたので、隕石が原子力発電所に衝突しても、保管中の核燃料は飛散したが、発電所
が暴走を始めたり爆発事故を起こしたりすることはなかった。
ただ、火山国日本では、巨大隕石が火山を直撃したり、近くに落下したりして巨大地震が
発生すると、富士山を初めとする四十八の火山ではマグマが刺激されて猛烈な大噴火が始ま
り、大量の火砕流や火山弾・火山灰で周辺の街や村を全滅させた。
また、大型隕石落下による地震の発生や富士山等の噴火による地震が引き金となり、「駿
河トラフ」や「南海トラフ」で発生する「東海大地震」や、南海トラフで発生する「南海大
地震」
、
「東南海大地震」等のM八・○以上の大地震を一挙に発生させて、太平洋岸や日本海
岸を問わず、総ての海岸では三十メートルを超す大津波が襲い、沿岸都市や市町村は跡形も
無く洗い流された。
隣国の韓国では、狭い国土内に三十五基の原発を擁しており、この総てが隕石落下の犠牲
144
シシュフォス
となったので、北朝鮮での原爆爆発まで含めて朝鮮半島は壊滅して、朝鮮半島全体が放射能
汚染に見舞われてしまった。また、その被害は偏西風に乗って、日本海を越えて日本列島の
全域に及び始めた。
中国からも大放射能雲が偏西風に乗って日本に襲来した。
こうして、原発や原発の無い日本も、結局は中国と韓国の原発・原爆の爆発の放射能汚染
の犠牲となり、更に加えて、隕石落下、大地震、大津波、火山大噴火によって滅んでしまった。
印度やパキスタン、東南アジアの各国、トルコやイラン等中近東の国々も数は少ないがそ
れぞれ原発や原爆を持っており、その何れもが「シシュフォス」隕石落下で大爆発事故を起
こして、隕石落下の被害と合わせて国は滅んだ。
唯一の例外はオーストラリアだった。
超巨大小惑星「シシュフォス」の隕石落下は、北半球に比して南半球では百分の一以下と
少なかったのが幸いしたのだ。
その上に、この広大な大陸には原発は一基も無く、首都のキャンベラやメルボルン・シド
145
シシュフォス
ニー等の大都会では、隕石落下により大きな被害は受けたが、元々オーストラリアでは弾道
ミサイルに対するロケット等の有効な装備を持っていないので、政府の指導で、住民は早く
から広く各地に散らばって避難していた上に、隕石は広大な砂漠地帯や海上に落下した物が
多く、人的被害は驚く程少なかった。
ただ、オーストラリア第一の大都市のシドニーが面するシドニー湾 (シドニー・ポートとボ
タニー湾)の沖合十㎞に、一○〇㍍を越す巨大隕石が落下して、十五㍍近い津波を引き起こ
し、沿岸の家や港湾施設、船舶それにシドニー軍港に停泊中の駆逐艦や小型の艦艇が大被害
を被った。
斯くして、北半球は隕石落下、原発爆発に加えて放射能汚染で壊滅したが、南半球は南ア
フリカの三基の原発が爆発しただけで、被害は隕石落石だけに止まった。
ここで一部重複する所もあるが、大型の隕石が落下した場合には、どれほどの被害が生じ
るかを、もう一度過去に地球上に落下した隕石から検証してみよう。
すでに、冒頭のプロローグで、一九○八年六月三十日に、ロシア帝国領中央シベリア・エ
146
シシュフォス
ニセイ川のツングースカ川流域上空で大爆発を起こして広範囲に森林の樹木をなぎ倒した
「ツングースカ」事件や、二○一三年二月一五日のロシア中部のウラル地方「チェリャビン
スク州」の上空で爆発した隕石については述べた。
このほかにも、隕石爆発はある。
一番の直近の例は、
一九四七年二月一二日に、ソビエト連邦(現ロシア連邦)
のウラジオストッ
クの北東四四○㎞にあるシホテアリニ山脈山中の上空で起こった隕石の落下に伴う天体爆発
事件である。この隕石の重さが一○○㌧の小惑星であったと考えられているが、一・三㎢の
広さにわたって隕石が散乱し、その内の幾つかはクレーターを作って、中には直径二十六㍍、
深さ六㍍の物もあった。
この小惑星は秒速一万四○○○㍍で大気圏に突入して、地上に激突する前に爆発したもの
と考えられている。
幸いにして、空中で爆発し、しかもシベリアの人跡未踏の地に落下したから人間には被害
が無かったが、この小惑星がそのまま人口密集地に落下したとすれば、その被害は東関東大
災害をも凌駕する大被害をもたらしたであろう。
147
シシュフォス
(バリンジャー隕石孔)
米 国 の ア リ ゾ ナ 州 に は、 バ リ ン ジ ャ ー・ ク レ ー タ ー ( 日 本
語 で は「 隕 石 孔 」
)と 言 う 名 前 の、 孔 の 直 径 が 一・二 ㎞、 深 さ
一七〇㍍の大クレーターが在る。
このクレーターは、約五万年前に、僅か直径約二〜三十㍍
の鉄金属隕石が、時速四万㎞を超える速度で地上に落下した
大爆発によって出来た物と考えられている。
この爆発は、総重量一億七五〇〇万㌧と推定される岩石を
掘り起こして、このクレーターを作った。
その威力はTNT火薬換算で、二〇〇〇万㌧と推計されて
いる。
広島へ落とされた原爆リトル・ボーイの威力が、TNT火
薬換算で一万五〇〇〇㌧とされていることから、如何にその
爆発の威力が大きかったかが分かる。
余り知られていないが、実は、日本にも巨大隕石は落下し
148
シシュフォス
ている。
長野県飯田市にある、御池山クレーター(直径九〇〇㍍)である。
」には、
Earth Impact database
数万年前に直径四十〜五十㍍の天体が衝突したものと考えられている。
なお、この他にも、カナダの「 New Brunswick
大学」の「
地球上で発見されている一七四個の巨大クレーターが登録されている。
149
シシュフォス
(タンボリン山のシシュフォス対策と黄金)
ここで物語は、再度、タンボリン山のウオンの一家に移る。
超巨大小惑星「シシュフォス」隕石落下の半年前には、すでに山頂の大邸宅から一五〇㍍
下に建設していた地下待避壕、地下貯蔵庫、地下機械室、地下燃料保管室、地下格納庫、地
下駐車場等は総て完成し、待避壕からは更に十五㍍掘り下げた水量の豊かな井戸まで出来上
がっていた。
勿論、貯蔵庫や燃料庫の中には三○○人の人間が少なくとも一年間は籠城出来るだけの食
料品や生活用品・医薬品それに燃料がぎっしりと詰まり、機械室には予備を含めて三台の大
型ディーゼル発電機が備えられていた。
なお、当初は一〇〇人規模の地下壕を作る計画であったが、その後、使用人の親類縁者た
ちの希望者が急激に増えたので、計画を変更して三○○人用にしたのだ。
ウオンも、亡命以来音信不通であった中国本土在住の弟妹二人との連絡が取れたので、そ
150
10
シシュフォス
の家族も含めて早速タンボリン山に招いた。
ヨウコも、何とか老母を説き伏せて、日本から脱出させたが、残念なことには、経営して
いる会社が気がかりで決断の遅れた弟夫妻は、オーストラリアへ来る決心がついたときには
すでに時遅く、航空機の便が満席で取れなくて、最終的には、日本と運命を共にすることに
なった。
ノリコは、何とか説き伏せて、大阪から父と母を呼び寄せていた。
現在は、地下壕等への連絡は地上から人用と機材運搬用大型リフトの二基のエレベーター
を使用しているが、愈々隕石落下が始まると言う前には、このエレベーターの坑道は閉鎖さ
れ、山の中腹に開けられた通路だけを使用する。
なお、万一、この地下壕が隕石によって破壊されるような危険に遭遇した場合に備えて、
別の非常用脱出口も設けられた。
この頃になると、オーストラリアでも、物価は異常な高騰を続けて、インフレ率は十㌫を
151
シシュフォス
越えて未だ未だ上がる様相を呈していた。
ウオンとレオンは、銀行に預けてある巨額の預金六億㌦の一部を残して全て現金化し、手
持ちの現金数千万㌦と併せて相手の言い値でガソリンや食料・日用品・医薬品、それに銃器
や銃弾、そして密かに鉱山用のダイナマイト等の爆薬も買い求めて、それを地下の貯蔵庫や
燃料庫に蓄えていた。
ヨウコとノリコは、地下壕の計画が三倍になり、それに伴って貯蔵品や燃料の量も三倍に
なり、沢山の人々が早くから避難してきたので、余りにも巨額のお金が湯水のごとくに使わ
れるようになって、心配で、心配で堪らずに、或る夜二人してウオンとレオンに‥‥、
「後々のことも考えて、もう少しお金を残しておいて下さい」と抗議をした。ウオンとレ
オンは笑いながら‥‥、
「隕石が落下して世界中が大混乱に陥れば、紙のお札などは何の値打ちも無くなるのだよ」
と、第一次大戦後のドイツの超インフレの例や、第二次大戦後の日本のインフレの例を挙げ
て説明してくれた。
しかし、二人はその話は敗戦国の話で、今回は事情が違うのではないかと反論した。
152
シシュフォス
そうすると、レオンが‥‥、
「そんなに心配ならば、私について来なさい」とヨウコとノリコを地下の通路に案内した。
(驚愕の黄金)
そこは、ヨウコもノリコもこれまで入ったこともない地下道で、頑丈な鉄の扉を幾つもく
ぐり抜けて階段を下って、まるで迷路のような通路を通って、最後に大きな金庫のような地
下室に辿り着いた。
レオンが扉の電子錠に暗証番号を打ち込んで、重い鉄の扉を開けて電気を点けると、ヨウ
コもノリコも驚きの声を挙げてしまった。
そこには、光り輝く金の延べ棒が、人の背丈よりうず高く積み上げられていたからだ。
レオンは‥‥、
「これは、お父さんが事業を売却して得たお金を資金にして、為替や株に投資してさらに
巨額な利益を得たものを、全て黄金にしておいたものだ」と説明し‥‥、さらに、その横に
在る小山のような物を覆っていたカバーを取り外した。
153
シシュフォス
二人はもう驚きの余り声も出ない。
そこに現れたのは、巨大な自然金塊 (ナゲット)の固まりの山と、幾つもの大きな箱に入っ
た大量の砂金があったからだ。
ヨウコもノリコも、このQ LD州のパーマ川と言う所では、時々大きな金塊が採れたと言
うニュースがあり、その川では毎年砂金を採るお祭りまでもあることは知っていた。
さらに、二○一三年一月一三日には、ヴィクトリア州のバララと言う所で、金を探すのを
趣味にしているアマチュアが三十万㌦ (日本円約三千万円)の値打ちのある、五・五㌕の大金
塊を発見して大きなニュースになったことは覚えていたが、ここに無数にある金塊は、それ
とは比較にならないほどに大きい。
このような巨大な自然金の塊を、これほど沢山見るのは初めてだったからその驚きは、な
おさら大きかったのだ。
ヨウコもこれまでに、現実にナゲットにお目にかかったことがあり、金鉱では実際に驚か
されたことがある。
154
シシュフォス
先ず、ナゲットの話だ。
若い頃、シドニー在住のウオンの年配の知人宅を訪問した際に、机の上にきらきらと金色
に輝く野球のボールより少し大きな物が飾ってあるので、
「これは何ですか?」と、尋ねたところ、その知人は、何の興味も無さそうな話し方で、
「それはナゲットですよ」と、答えたので驚いたことがあった。
彼は、現役の時代には、自然保護や環境問題に取り組んでいた政府の高官で、退職後はあ
ちらこちらのブッシュや砂漠、それに森を訪ねて歩くのを趣味としていた。
そこへ出掛ける時には、運動を兼ねて何時も簡単な金属探知機を持ち歩いていたが、ある
とき、持っている金属探知機が異常に強い反応を示すので、その付近を掘ってみると沢山の
大きなナゲットが出て来たそうだ。
彼は、その中では小さな、この机の上に有る一つだけを記念に採って、その他のナゲット
は金属探知機が反応しない一㍍以上の深い穴を掘って埋めてきたということだ。
金属探知機は、六十㌢より深いところに在る金属には反応が難しく、また、ナゲットは、
何故か地表より三十〜六十㌢程度の浅いところに埋まっていることが多いそうだ。
155
シシュフォス
「ナゲットが沢山あると、その付近には必ず大金鉱があります。
大量の金塊が発見されたとのニュースが広がると、たちまちにゴールド・ラッシュが起き
て、環境破壊や自然破壊が起きてしまう。
私はもう八十歳を越えており、家も財産も有り、これ以上のお金は必要ありません。それ
よりも、この美しいオーストラリアの自然が、黄金の亡者共によって破壊されるのが何より
も堪え難いのです。
この、金鉱の場所は、私はお墓の中まで持って行き、誰にも教えるつもりはありません」
と彼が話したことを思い出した。
また、金鉱でも実際に驚いたことがある。
ケアンズの近郊の別荘に行っていた時のことだ。少し離れた景色の良い山に入って行くと、
数ヶ月前に来たときには有った展望台の駐車場が閉鎖になっている。不思議に思って、近く
に居た土地の人に訊ねると、実はその駐車場の下に金鉱が有ったが、土地の持ち主はそれを
隠して駐車場にしており、最近金の国際価格が急激に値上がりしたので、急遽金鉱として開
発することに決めたと言うのでビックリしたことがある。
156
シシュフォス
しかし、ここにあるのはそんなものではない。
一塊が野球のボール大からサッカーのボール大の物、中には小児ほどの大きさのナゲット
までが、数百個も山のように積み上げられていた。また、その横にある幾つかの大きな木の
箱には、砂金がいっぱい詰まっている。
レオンは‥‥、
「驚いただろう。これは私が五年の間ブッシュや砂漠、それに山に分け入って、アボリジ
ニたちと生活している間に見付けた金鉱から持って来たナゲットや砂金だ。その金鉱の場所
は私と父さん、それにタイガーだけが知っているが、ここからそれほど離れていないとこ
ろにある。言ってみれば、灯台下暗しというところだな」と笑いながら話してくれ、さらに
‥‥、
「実は、私が大学に戻らずにこのタンボリン山に帰ってきた本当の理由は、私がこの大金
鉱を発見したからなのだ。私はお父さんと相談をして、この金鉱を本格的に開発する準備を
していたのだが、その前に、
『シシュフォス』騒動が始まってしまった。
これまで、お母さんやノリコにも黙っていて申し訳ない。
157
シシュフォス
若し、少しでもこの秘密が漏れれば、金鉱を廻って大騒動が起きたり、人殺しまで起きた
りしないとは限らない。これまでの、金鉱発見では、常にそんな事件が起きている。従って、
万全な開発準備ができるまで私とお父さん、それに最近ではタイガーの三人だけの秘密にし
ておいたのだ。だから、このことは絶対に秘密だよ。
紙のお札が紙くずになっても、黄金だけは決して価値は下がらない。世の中が不安定にな
ればなるほど金の値打ちは上がる。それどころか、黄金でなければ何も買えなくなるのだ。
これを『有事の金』と言う。だから、
私やお父さんは財産の大半を金の延べ棒に換えた上に、
発見した金鉱からお父さんと二人で、それに最近ではタイガーも連れて行って、徐々に自然
金の塊や砂金をここに運んでいたのだ。そこには、自然金ナゲットが、未だ、ここにある数
十倍の量が残っており、大きな物は百㌕近いものもあるので、とても私とお父さん、それに
タイガーだけでは持って来られない。それに、面白いことには、ナゲットは何故か地表から
数十㌢の浅いところに埋まっているので、掘り出すことは私たちでも実に簡単なのだ。
未だ砂金は少ししか採取していないが、砂金も大量に発見したよ。ここにある金の延べ棒
とナゲットや砂金だけで、十年前の為替が安定していた頃の価格で言えば、オーストラリア・
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シシュフォス
ドル二十億㌦(日本円換算約二千億円)
は下らないだろう。インフレが進み紙幣の値打ちが下がっ
ている現在では、数百億㌦になっているか想像もつかない。
金鉱には、未だ未だナゲットが沢山残っているし、砂金も採りきれない程あるので、それ
を合わせれば一〇〇〇億㌦以上にもなるのではないかな。
自然金や砂金を採り尽くしても、世の中が平和になった後で、金鉱として本格的に開発す
るつもりだ。
私の見積りでは、この金鉱を本格的に開発すれば、オーストラリアで最大と言われている、
ケアンズの西南二六○㎞にある『キドストン金鉱山』等は問題にならない程の埋蔵量がある
だろう。
これまで発見された世界でも最大の金鉱だ。
南アフリアの金鉱よりも埋蔵量は多いだろう。
その値打ちは、何兆㌦に達するかとても想像もできないほどだ。だから、お母さんもノリコ
も、決してお金には心配する必要はないよ。
ただ、この話は何度も言うようだが、呉々も秘密厳守だよ」と、笑いながら話した。
全く思いもかけないことで、
ヨウコもノリコも驚きの余り息が止まるかなと思ったが、時々
159
シシュフォス
ウオンとレオンが、十歳になってから急に大人ほどに大柄になった孫のタイガーを連れて、
軍用トラックと大型パジェロで出掛けて行っては、一週間程して夜半に帰って来て、重そう
な物を運び込んでいることがあったことを思い出した。
あれは、採取して来たナゲットや砂金を運び込んでいたのだと、この時初めて合点し、お
金のことはもう心配しないことにした。
斯くして、無尽蔵とも思える黄金を使って、タンボリン山の超巨大小惑星「シシュフォス
対策」は予定通り完成された。
160
シシュフォス
(北半球は壊滅した)
二〇三一年八月、遂に、超巨大小惑星「シシュフォス」の破壊された破砕片の大群が隕石
となって地球に降り注いだ。
隕石の落下は一昼夜続いたが、タンボリン山に関しては、一番近くに落ちた隕石で最大の
物は直径五〇㍍程で、二〇〇㎞余り離れた砂漠に落下して、直径約一㎞の巨大なクレーター
を造った。そして、その落下によって引き起こされた地震は、ゴールド・コーストで、震度
六強となり、耐震構造がされていない多くのビルや建物が倒壊して、その地下駐車場に避難
していた人々に大きな被害が発生した。
幸いにも、堅牢な地下壕に避難していたウオンやレオンの一家、それに使用人たちやその
家族・知人等には、この地震の被害は及ばなかった。また、奇跡的に、地上の建造物にも、
隕石落下や建物倒壊は無かった。
レオンは自身でヘリコプター一機を操縦して、他の一機は少林拳の弟子でヘリコプター操
161
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シシュフォス
縦の巧みなジョンとシンに操縦させて、二機のヘリコプターで各地の被害状況を調べてから
直ちに、救援隊約一〇〇名を組織して、レオンの指揮の下、五十台ものトラックにブルドー
ザー等の建設機械や食料、水、医療品を積み込んで、先ずタンボリン山周辺や、近くのサン
クチュアリーやホープ・アイランド、続いてゴールド・コーストの中心地のサーファーズで、
地震や隕石落下で倒壊または破壊されているビルや建物から人々を救出して、自動車や二機
のヘリコプターでタンボリン山に運んだ。
ウオンの少林拳の弟子の中には、フィリッピン系のハンスとアメリカ系のジュディーとい
う医師の夫妻が居て、彼等が隕石衝突以前に親戚や友人の医師二十人と看護士を四十人もタ
ンボリン山に呼び寄せていて、ウオンとレオンが、彼等にふんだんに金を与えて最新の医療
設備を調えさせたので、立派な病院が地下壕に出来上がっており、大停電が起こっても、即
座に自家発電装置が稼働して医療活動には何等支障がなかった。
また、地下病院に加えて、
「 シ シ ュ フ ォ ス 」 隕 石 の 落 下 が 止 む と、 地 上 に も 新 た な 診 療 所
を作り、ヨウコやノリコ等の女性も手伝って救援隊が次々と収容してくる千人近い負傷者や
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シシュフォス
病人の看護に当たった。
付け加えれば、ノリコが強硬にオーストラリアへ避難するように勧めて、やっと一年前に
大阪のクリニックを畳んで、ゴールド・コーストにやってきたノリコの父親の高梨清志医学
博士とその妻で看護士資格を持つ照子も大車輪で看護に当たった。
高梨夫妻は、ノリコの強い勧めでゴールド・コーストにやってきた時に、東京の慶応大学
付属病院内科医師の兄の孝志 (最後まで日本に残った)の一人娘を一緒に連れてきた。
このタイガーとは従妹で、当時十歳のタイガーより四歳年下のマキ (真希)こそが、将来
彼の最愛の妻となる少女だ。
ゴールド・コーストには、公立としてはゴールド・コースト・ホスピタル、私立としては
アラマンダとピンダラという三つの大病院があるが、地震の無い (注)オーストラリアのこ
ととて、耐震構造がなされていない建物なので、何れの病院も可成りの被害を受けた。
その上に大停電が原因で、医療設備等が機能を果たしていなかったところなので、タンボ
リン山の病院の活躍は、この災害の後で大きく報道され、賞賛の的となった。
163
シシュフォス
( 注 ) N S W 州 ニ ュ ー カ ッ ス ル で は 一 九 八 九 年 十 二 月 二 八 日 に マ グ ニ チ ュ ー ド 五・六 の 地 震 が あ り、
三〇〇の建物が倒壊し、十三人が死亡すると言うオーストラリア史上最悪の災害が発生した。大量の石炭
を採掘したために、地下水が失われたのが、この地震の原因だとする説がある。
こうして、オーストラリアにおける「シシュフォス隕石騒ぎ」は一段落したが、北半球と
の通信は途絶したままであった。電話もインターネットも一切の通信が出来ない。
赤道上の静止衛星もGPS衛星も隕石で破壊された模様で、衛星TVもGPSも機能しな
い。
オーストラリア政府では、海軍に指示して、公海上に何処かの国の艦艇がいないかを調査
させたが、残念ながら隕石の被害を受けなかった筈の潜水艦さえ、一隻も見つからないと言
う報告であった。
各国は隕石を撃ち落とすために、その保有する総ての艦艇を主要な軍港や都市の周辺に集
め、例えそれが潜水艦であろうと海上に浮上させて、対隕石迎撃のミサイル発射に備えさせ
たのだが、これが裏目に出て全艦艇を失ったものと推測された。
164
シシュフォス
また、
航空機は軍用機と民間機とを問わず、
総ての航空機が安全確保の為に地上に降り立っ
ていたが、北半球ではその総てが隕石落下か、原子炉や原爆の爆発で破壊された模様であっ
た。
僅かに、ニュージーランドへ派遣したフリゲート艦より、ニュージーランドでは、オース
トラリアよりも隕石の落下が少なく、
従って被害も少なかったという無線での報告が入った。
また、南極にある三十数カ国の観測基地の四千人以上の科学者たちも無事で、無線で救助
要請のあった基地へは、ニュージーランドとオーストラリアから砕氷船や航空機を派遣して
救援に当たった。
なお、この生き残った科学者たちは、南極観測は取り敢えず後回しにして、一年後には総
てオーストラリに集められて、地球復興のために活躍した。
オーストラリア政府は、西オーストラリアのパースに在るスターリング軍港に停泊してい
て、幸いにも隕石の被害を免れたオーストラリア海軍HMAS (女王陛下の海軍の略)の放射
能防御能力を備えた最新鋭イージス艦のホバート級駆逐艦 (七○○○㌧)三隻に、給油艦や補
165
シシュフォス
(豪海軍が現在、開発・建造中の、イージ
スシステムを搭載した次世代ミサイル駆
逐艦のホバート級駆逐艦の完成予想図)
給艦を帯同させて、北米、アジア、ヨーロッパに向
けて調査に派遣した。
先ず、アジアに派遣した駆逐艦ホバートからは、
インドネシアやシンガポール、それにアセアン諸国
を調査し、続いて中国沿岸や日本沿岸に近づいたが、
インドネシアの赤道以南の島々の一部を除いて、い
ずれの国々も破壊が想像を絶しており、生命が存在
するとは考えられない上に、放射能が余りにも強く、
イージス艦でも危険なので、これ以上の調査は不可
能との無線連絡が入った。
同艦の艦長よりは、これ以外でも赤道以北のどの
国も隕石落下と、原子爆弾と原子力発電所の爆発事
故により壊滅したものと考えられ、これ以上の調査
166
シシュフォス
は無駄であり危険でもあるので、帰国したいとの報告があり、政府は帰国を許可した。
続いて、米国及びカナダの北米地区へ派遣した駆逐艦シドニーからの無線で、こちらも陸
地はおろか海上でも放射能が危険領域にあって、乗組員は一歩も艦内から出られない状況で
あり、搭載しているヘリコプターも飛ばせることが出来ないので、調査は全く不可能で、帰
国したいとの無線が入った。
なお、途中でハワイ群島にも近づいてみたが、ここでも、大気中の放射能の値は高く、何
れの島からも人間が生存している様子はうかがえなかった。
オーストラリア政府は、駆逐艦シドニーにも帰国を許可した。
なお、同艦には帰国の途中に南半球のペルー等の南米諸国や、太平洋の島々の状況を、危
険が無い範囲で出来るだけ調査するように命じた。
最後に、ヨーロッパに派遣した駆逐艦ブリスベンから、印度やイランを調査したが、人が
生存している形跡は全く見られず、スエズ運河が閉鎖されているので、喜望峰を廻って地中
海に入ろうとしたが、北半球では放射能が異常に強く艦外活動が一切出来ないので、地中海
へ入るのは止めて、英国本土や北欧に近づいたが、放射能が益々危険になり、帯同している
167
シシュフォス
放 射 能 防 御 シ ス テ ム の 性 能 が 低 い 給 油 艦 や 補 給 艦 で は、 こ れ 以 上 は 駆 逐 艦 に 同 行 で き な く、
調査を中止して帰国したいとの無線連絡が入り、政府はこれにも帰国の許可を与えた。
三隻の駆逐艦は、被害を受けたシドニー軍港ではなく、一刻も早く調査結果を報告するた
めに、
被害の少なかったオーストラリア最南端のダーウィン軍港に帰港するやいなや次々に、
各艦長がヘリコプターや航空機を使って、海軍司令部が移ったQ LD州のケアンズに集結し
た。
艦長たちの帰国後の詳細な報告によれば、赤道以北の国々は殆んど総て、隕石の落下と原
子力発電所の爆発や所有する原子爆弾の誘爆によって消滅したと考えられ、僅かに、南米大
陸のブラジル、ペルー、チリ、アルゼンチン等の国々と、アフリカ大陸のイギリス連邦加盟
国のモザンビーク共和国、ケニア、南アフリカ共和国等々が国家として存続しているに過ぎ
ないとのことである。
なお、これらの国の中で、二基の原発を持つブラジルは二基全部が、アルゼンチンは二基
の内の一基が隕石によって破壊され、原発の周辺地区は甚大なる被害を受け、放射能被害も
168
シシュフォス
原子力発電所の周囲一〇〇㎞に及んでいるとのことだ。
また、南アフリカのケープタウンに立ち寄った駆逐艦ブリスベンの報告は、その内でも特
に衝撃的なものであった。
南アフリカでは、その保有する二基の原発の近くに二〇〇㍍を越す巨大隕石が落下したた
めに爆発・炎上した上に、密かに隠し持っていた原子爆弾の貯蔵庫が、これも五〇㍍もの隕
石の直撃を受けて誘爆して、近くの首都プレトリアは一瞬にして壊滅し、司法首都のブルー
ムフォンテーンも放射能汚染で近づくことが出来ない状況だ。
従って、今や南アフリカの行政や司法の組織は壊滅したので、それでなくとも治安の悪い
国内が一層乱れに乱れ、治安は極度に悪化していると、辛くも生き残ったケープタウン市長
からの説明があり、同市長から今後はオーストラリアがイギリスに代わって、連邦の盟主と
して、被害に会った連邦各国を援助してもらいたいとの要請があったと言う報告だ。
オーストラリア政府は、南北アメリカ大陸、アジア諸国、中東諸国とヨーロッパ、そして
アフリカに調査の為に派遣した駆逐艦三隻の報告を総合して検討した結果、今回の超巨大小
169
シシュフォス
惑星「シシュフォス」を迎撃して破砕する計画は、結果的には失敗に終わり、その大量の破
砕片が隕石として降り注いだ北半球の国々や都市の殆どは、隕石落下の被害に加えて、その
衝突を受けた原子力発電所と原子爆弾の大爆発で破壊されて廃墟と化し、その上にセシウム
やストロンチュウムを初めとする放射性物質や放射能を含んだ大量の死の灰の「黒い雨」が
降ったことによって、人間は勿論のこと動物や植物も、あらゆる生命は死に絶えてしまった
との結論に達し、これを国民に発表した。
170
シシュフォス
(死の灰はオーストラリアへも飛んでくるのか?)
被害の比較的少なかったオーストラリアでも、北半球の諸国の惨状が伝わると、オースト
ラリアにも北半球の放射性物質が南下飛来して、人類は滅亡してしまうと言う風評が流れ始
めた。
(日本題名、「渚にて」)
』というタイトルの映画
On the Beach
実は、このような風評が立つに到ったのには、それなりの理由 (背景)があった。
一九五九年に映画化された『
がある。当時の人気俳優のグレゴリー・ペックやエヴァ・ガードナー、アンソニー・パーキ
ンス等が出演した話題作のモノクロ映画であった。
この映画のストーリーは──、
《第三次世界大戦が起こり、大量の核兵器が使われて、死の灰に覆われた北半球の人類は
死滅する、そして、やがて南半球にも死の灰は押し寄せて、生存できる期間は、残り僅か五ヶ
月となった》──として、オーストラリアのメルボルン市民の様々な葛藤が描かれ、核戦争
171
12
シシュフォス
──という事件の内容は全く同じだ。
ただ、この映画の──、
による人類の滅亡の恐怖をテーマにしていた。
映 画 の 舞 台 が、 オ ー ス ト ラ リ ア の メ ル ボ ル ン
と そ の 近 郊 で あ る だ け に、 未 だ に オ ー ス ト ラ リ
ア国民には強く印象に残っている映画だ。
核戦争ではないが、隕石落下が原因で──、
172
《原子力発電所や原子爆弾が爆発事故を起こ
し て、 放 射 性 物 質 で 北 半 球 の 人 類 が 死 滅 し た 》
道を越えて赤道以南のアフリカ諸国や南米の国々それにオーストラリアやニュージーランド
南半球と北半球とでは、大気の循環が違うので、低緯度の地域を除いては、南半球には赤
のだ!
《やがて、南半球にも死の灰は押し寄せてくる》──という設定には大きな誤りがあった
(「On the Beach(渚にて)」
のポスター)
シシュフォス
には、北半球の放射能物質を含んだ死の灰は大量に降らないのだ。
また、放射性物質の拡散は、物理学の法則によれば──、
《距離の二乗に反比例して、距離が遠くなればなるほど影響が小さくなる》──ので、大
量の原発・原爆の爆発があった米国、中国、ロシア、ヨーロッパの各地から遠く離れたオー
ストラリアやニュージーランド、南極及び周辺の島々は、放射性物質による悲劇から免れる
ことができたのだ。
オーストラリア政府も、映画『渚にて』と今回起きている現実とは違うと、地球の大気循
環の理論を説明し、原爆や原子力発電所爆発の地点からオーストラリア大陸は遠いので、放
射性物質による被害は殆ど無視できることを懸命に説得したが、国民の理解は容易には得ら
れなかった。
特に、二〇一二年以降急激に増加し、さらに今回の超巨大小惑星「シシュフォス」接近
に よ る 中 国 国 内 の 混 乱 を 逃 れ て き た 中 国 人 た ち は、 従 来 住 ん で い た 中 国 系 住 民 と 合 わ せ て
五〇〇万人にも上っていたが、彼等の大半がオーストラリア政府の発表する英語によるス
テートメントが理解出来ないために、その動揺は非常に大きかった。
173
シシュフォス
(クーデター発生)
そこを狙って、在オーストラリア中国大使の胡克傑なる者が、オーストラリアでの覇権掌
握の陰謀、すなわちクーデターを企てた。
彼は、祖国中国が無くなってしまったことを知って、何を血迷ったのか──、
《今や世界の唯一の大国は、オーストラリアだけになった。従って、オーストラリアの覇
権を握る者は、すなわち全世界の王であり覇者だ》──と、とんでもないことを考えついた
のだ。
彼は密かに、亡命してきた高級軍人の元人民解放軍広州軍区指令員上将鄭長清と駐在武官
の呉万年大佐をメルボルンの大使館に呼び集めて、彼の考えを披露した。
(以後、呉大佐は元大佐)
鄭元上将は、初めは逡巡していたが、亡命をして来たものの頼ってきた友人の所在も分か
らず、無聊をかこっていた上に、呉元大佐から既にクーデター計画を聞いた以上、この企て
に加わらなければ、
鄭上将と共に亡命してきた家族の生命の安全は保証出来ないと脅されて、
心ならずも、胡大使と呉元大佐の計画に加わることになってしまった。
また、呉万年大佐は、このクーデター計画に、これも不正な蓄財をして、中国政府の反腐
174
シシュフォス
敗キャンペーンの追及を逃れてオーストラリアに亡命してきた腐敗高級官僚や不正蓄財事業
家を引き入れることにした。
何しろ、彼等が不正蓄財して、オーストラリへ持ってきた財産は半端なものではないから
だ。
参考までに‥‥、
二〇一一年六月に、中国の中央銀行である中国人民銀行が発表した報告書に依れば、共産
党や政府の腐敗官僚や不正蓄財事業家が海外に逃亡した数は、一九九〇年代半ば以降だけで
約一万六○○○〜一万八○○○人に上り、
中国本土から持ち出された資金は八〇〇〇億元(約
一〇兆円)に達するとのことである。
しかも、同報告書には、報告書を出した中国銀行の広東省の一営業所の所長が、一〇億人
民元 (約一二四億円)を不正に香港に移転していたという笑えない話まで記載されていた。
閑話休題
腐敗高級官僚や不正蓄財事業家をこの計画に引き入れて、彼等からクーデターの資金を引
175
シシュフォス
き出すのは呉元大佐である。
その呉元大佐は持ち前の強引さで、もう地上からは無くなっているが、今では中国共産党
政権唯一の政府機関である在オーストラリア大使館の権威をバックにして、資金をしこたま
持っていると看做される腐敗官僚や不正蓄財事業家を大使館に呼びつけては、詳細の説明を
せずに中華人民共和国再建のためだと称して、莫大な資金の提供を命じた。勿論、彼等元官
僚や事業家の抵抗は強かった。
これに対して、
呉元大佐は予てから親交のあったシドニーの中国人社会のボスの陳永勝(退
役軍人で、実は中国人マフィアのボス)に、資金の提供を最も強硬に反対した実業家の林篠萸一
家の殺害を命じた。
林一家五人は自宅で、顔の形が分からなくなるまで殴られて殺され、特に林篠萸はその頭
部に建築で使うコンクリート釘打機で数十本の釘が打ち込まれており、その残虐さには殺人
現場に立ち会うことが多いベテランの警察官も正視出来ない程であった。
この事件が、
マスコミで報道されて以後は、
中国人は誰も呉元大佐に逆らう者はいなくなっ
た。
176
シシュフォス
こうして、呉元大佐が集めた資金は、一ヶ月を経たない内に一〇億㌦ (約一○〇〇億円)に
も達した。
クーデターの計画は鄭元上将が立案し、指揮も取ることになった。
流石に、人民解放軍の中でも俊英の呼び声高く、参謀長等の要職を歴任して、六十歳前と
い う 異 例 の 若 さ で 人 民 解 放 軍 の 最 上 位 の 上 将 に 昇 進 し、 最 重 要 ポ ス ト の 広 州 軍 区 指 令 員 に
なっただけあって、彼が立てたクーデター作戦計画は緻密なものであった。
なお、鄭元上将が、広州軍区指令員の地位を捨ててオーストラリアに亡命した理由は、不
正蓄財や汚職が原因ではなく、同上将の異例の昇進を妬んだ広州軍区政治委員の太子党の張
ボーシーライ
太忠上将が中央に鄭上将を《反乱の意図有り》として誣告したからであった。
重慶市党委員会書記の薄熙来の事件以来、
「反乱」の一言には過敏な反応を示す太子党を
中心とする党中央に対しては、鄭元上将がいくら無実を主張しても、その効果は全く期待出
来ないと身の危険を感じて、行方は分からないが、文化大革命の指導者の一人でオーストラ
リアへ亡命した幼なじみの従兄を頼って、オーストラリアへ逃れてきたものだ。
177
シシュフォス
ただ、作戦計画は立派でも、参謀や兵士の指揮を執る実戦経験の有る将校は呉元大佐以外
にはおらず、
正規の戦闘訓練を受けた者は僅かに大使館付きの衛兵が数名居るだけであった。
そこで、今回もクーデターの実動部隊の隊長は、退役軍人のマフィアのボス陳永勝に命じ
ることになった。陳は密かに手下共を、ブリスベン、アデレード、パースの各大都市と、中
国人労働者が街を作っている各地の鉱山街に派遣して、各大都市では大規模なデモを起こし
て治安を混乱させ、各地の鉱山街の中国人ボスたちには、後刻連絡が有り次第、中国人労働
者を引き連れて首都のキャンベラとメルボルン、それにシドニーに集まるように指示した。
鄭元上将は、国中が未だ超巨大小惑星「シシュフォス」隕石騒動の後遺症で混乱状態にあ
り、大都市を初めオーストラリアの各地で治安が乱れており、警察力だけではこれを鎮圧出
来ないために、オーストラリア陸軍が出動して、その勢力が分散されるのを虎視眈々と狙っ
ていた。
なお、オーストラリア陸軍や海軍では、シシュフォス隕石騒動によって、地震と津波の大
きな被害を被ったシドニー近郊を避けて、主要な武器弾薬等をQ LD州の州都ブリスベンに
178
シシュフォス
集約して、司令部もブリスベンに移していた。また、オーストラリア空軍では、その航空機
やヘリコプターの可成りの数を隕石落下と、それによって引き起こされた地震や津波で破壊
されたり、ダメージを受けたりして失ったので、未だに使用出来る機体は主として被害の少
なかったブリスベンやケアンズ、パース近郊の飛行場に集中して、司令部も陸海軍と同じ、
ブリスベンに移した。
179
シシュフォス
(クーデターで豪州連邦人民共和国政府樹立)
キャンベラの中国大使館からの指令で、他の都市の中国人や中国系オーストラリア人は申
すに及ばず、奥地の中国人鉱山労働者までもが、首都のキャンベラやメルボルン、それにシ
ドニーの大都会に集められた。
驚いたことに、その数は三百万人にも達した。これは、如何に不法滞在者や不法鉱山労働
者が多いかを示すものだ。
当時のオーストラリアの全人口は約二五○○万人で、首都のキャンベラの人口は僅かに
四十万人だった。最大の商都のシドニーでも四五〇万人、メルボルンで四○○万人を数える
に過ぎない。
鄭元上将は、シドニー、メルボルン、ブリスベン、パース、アデレードの大都市には主と
して、老人、女性、子供を集めて食料を要求するデモ隊を組織させた。その数は各都市で十
〜三十万人の大デモ隊に発展した。さらに、このデモ隊の中に中国人マフィアに指揮された
180
13
シシュフォス
屈強な若者を紛れ込ませて、各地で商店や高級住宅の略奪を始めさせたので、全国の警察官
とオーストラリア陸軍兵士たちの多くが、是等の都市の治安維持のために集められた。
こうして、首都のキャンベラから警察官や軍隊の姿が疎らになった隙を狙って、呉元大佐
に指揮された五十万人もの圧倒的な数の中国人の若者の津波が鄭元上将の計画に従って、国
会議事堂、最高裁判所、政府諸官庁、オーストラリア総督府、警察等を初めとした主要政府
機関や国立図書館、国立博物館、オーストラリア戦争記念館等の重要施設を襲撃し占拠した。
この際、
オーストラリア総督、
オーストラリア連邦首相を初めとして連邦議会開催中であっ
たために、多数の議員諸氏も捕われて人質にされた。
オーストラリア政府が警察や軍隊を繰り出す間もなく、遂に二○三二年一月、首都キャン
ベラは中国人クーデターに制圧されて「豪州連邦人民共和国政府」(以後「共和国政府」)が樹
立され、初代共和国大統領には胡克傑元中国大使が、初代共和国政府首相には鄭元上将が、
そして国防大臣兼人民解放軍総司令官には呉元大佐が、警察庁長官にはマフィアのボスの陳
永勝がそれぞれ就任した。
また、
メルボルンやシドニーでも州政府が襲われて「共和国政府」の支配下に組み込まれ、
181
シシュフォス
「ABC」や「SBS」の公共放送局、シドニー・
モ ー ニ ン グ・ ヘ ラ ル ド 紙 等 の 主 要 新 聞 社 も 占 拠
された。
た だ、 鄭 元 上 将 が 最 も 重 要 視 し た、 シ ド ニ ー
に あ る 中 央 銀 行 の オ ー ス ト ラ リ ア 準 備 銀 行 (R
182
B A )を 襲 撃 し て、 そ こ に 貯 蔵 さ れ て い る 筈 の
金塊を押収する計画は、徹底的に捜索させたが、
これまでのオーストラリアの伝統に則って、民主的な政治を行うが、現状は『シシュフォス
《連邦人民共和国は決して独裁政治を行わないし、中国人だけの政府でもない。新政府は
胡克傑大統領は、テレビ・ラジオを通して‥‥、
地で爆竹を焚き大変な興奮状態に陥った。
中国人たちは、このオーストラリアの地に新しい中華人民共和国が再建されたとして、各
RBAの貯蔵大金庫は〈もぬけの殻〉で、金塊は一個も見つからなかった。
(実際にシドニーであった中国人デモ)
シシュフォス
隕石』の被害で北半球の総ての国が消滅し、オーストラリア自身も大きな被害を受けたとい
う人類史上始まって以来の非常事態である。
民主政治を行うために、将来的には総選挙を実施するが、治安や政情が安定するまでは、
鄭連邦首相を中心とした臨時政府が行政のみならず司法、立法の三権を掌握する。また、全
国に戒厳令を敷いて、夜間八時より翌朝六時までの外出はこれを一切禁止する》──と、最
初の演説をして、実質的な共和国政府による独裁を宣言した。
なお、胡克傑大統領は、この演説の終わりに際して、次のような意外な談話を発表し、中
国人がこのオーストラリアの盟主となるのは、歴史上からも必然の結果であると結んだ。
その談話とは‥‥、
「今を去る三十数年前の二〇〇〇年頃に、公営放送のABC・TV で放送されてオースト
ラリアでは大反響であったと聞き及ぶので、年配者の国民は記憶にあると思うが、鄭和三保
太監様とおっしゃる中華民族の英雄が、六百年の昔の『大明』の時代に、八千〜一万㌧とい
う世界史上最大の木造巨艦『宝船』を旗艦とした六十隻の大艦隊に三万人の乗員を乗せて、
南アジアからインド、アフリカまで七回にわたって大航海され、各地の国王を臣下とし明の
183
シシュフォス
( 左、 鄭 和 の 物 語 の「1421」
DVD。上、鄭和の航海六百年記念
切手。)
冊封国すなわち属国とされた。
そして、鄭和様はさらにインドのカリカットから部下の
提督たちを全世界に派遣されて、その内の何人かは、コロ
ンブスがアメリカ大陸を発見する五十年以上前にアメリカ
を発見し、マゼランが世界一周する九十年前に世界一周を
成し遂げ、その内の二人の提督は南極やオーストラリをも
発見している。
これは疑いも無く、歴史上の史実なのである。
よ っ て、 本 来 は オ ー ス ト ラ リ ア の 地 は 中 国 人 の も の で
あった」と、中国人による「豪州連邦人民共和国政府」樹
立の歴史的正当性を高らかに詠い上げた。
中国人たちの中にも、このクーデターのような横暴な行
為や、胡克傑大統領の独裁を宣言する演説や鄭和の話には
184
シシュフォス
断固として反対を唱え、
中国本土が無くなった今こそ中国人はオーストラリア人として、オー
ジーや他の国々からの移民の人たちと融和して、自由と人権を尊重する民主主義国家を作る
ことに協力すべきだと主張する人々も多数いたが、共和国政府の警察庁長官陳永勝は、これ
等の人々を国家反逆罪として逮捕して、裁判をすることもなく即座に処刑する手段に出た。
共和国政府に反対する中国人やオージー、それに他の国からの移民の人々は、キャンベラ、
メルボルン、シドニー等クーデターによって人民共和国政府の支配下となった大都市を逃れ
出て、自由・平等と人権、それに民主主義を尊重する政治を求めて、Q LD州のゴールド・コー
ストのウオンを頼ってタンボリン山に集まり始めた。
中国政府が大弾圧を加えたので、中国から命からがら脱出して来た「法輪功」のメンバー
の中国人たちが特に多いのが目立った。
この人々に加えて、
他の州や都市からも、
反共和国政府の人々が続々とウオンの下に集まっ
て来た。
この年、ウオンは六十七歳になっていたが、中国からの政治亡命者には経済的援助を与え、
185
シシュフォス
自由と人権、それに民主主義の大切さを機会ある毎に新聞に投稿し、各地を講演して回り、
更にインターネットのブログで発信してきたので、オーストラリアにおける反中国共産党独
裁政権のシンボル的存在になっていたのだ。
なお、ウオンは、中国共産党政権が激しく反発し、天安門事件でウオンの同志でもあった
劉暁波氏を「国家政権転覆煽動罪」で逮捕・投獄した原因となった二〇〇八年十二月十日に
発表した有名な『○八憲章』の──「現在の中国では自由・人権・平等・民主・共和・憲政(憲
法に基づく政治)がない」──との宣言にも大いに賛同し、現中国共産党独裁政権体制の劣
化は明らかであり、
改めざるを得ない事態に到っていることを内外に広くアピールしていた。
今更ながら、ウオンの偉大さを、ヨウコもノリコも知って、尊敬の念を一段と強くした。
ウオンは、今回の共和国政府樹立には、集まって来る人々に──、
「若い人は、中国の過去の栄光に酔っているだけで罪はない。それを利用している一部の
狡猾な権力者が悪いのだ。この民主主義のオーストラリアの地に、自由と人権を踏みにじり、
民 主 主 義 を 否 定 す る 中 国 共 産 党 と 同 じ 一 党 独 裁 政 権 を 絶 対 に 作 ら せ て は な ら な い 」 ─ ─ と、
熱っぽく語った。
186
シシュフォス
(反共和国勢力の結集)
流石に広いタンボリン山の家も、次々と集まって来る人々で手狭になったので、レオンは
タンボリン山の空家の買収に取りかかった。
すでに、不動産の価格は大暴落しており、その上に、今やガソリン不足や電力不足でガソ
リン自動車やハイブリッド車、それに電気自動車も動かすことが困難となり (水素自動車は、
未だオーストラリアでは普及に至っていなかった)
、自動車がなければ陸の孤島と化すタンボリン
山の家や屋敷は無人になっている物件が多く、家の持ち主たちは、レオンが価値の下がり続
ける紙幣ではなく、黄金で支払うと申し出ると大喜びで売ってくれた。
また、造っても売れないワインを抱えて大弱りの広大なぶどう園のあるワイナリーを三カ
所と、ウオッカやフルーツ酒を作っているリキュール製造所を一カ所買い取り、さらに、馬
や牛、それに羊が沢山放牧されている牧場を三カ所手に入れた。
こうして、タンボリン山は中腹から上は、殆ど全ての土地や家がウオン家の所有になった。
(一部の家は、今は消滅した外国人の所有で、実際は無主物となって持ち主が不明で、買い取りたくとも買
えない。
)
187
シシュフォス
レオンは集まって来た人々や、仕事のない地元の人たちと一緒になって、タンボリン山の
中腹から山頂を城塞化する工事を始めた。
仕事の無い人々も、ウオンが砂金で給与を支払ってくれるので、大喜びをした。
こ こ で も、 レ オ ン が 予 想 し た 通 り、 今 や 価 値 の な く な っ た 紙 幣 で は な く、 金 ( 特 に 砂 金 )
が役に立った。
レオンがタンボリン山を要塞化したのは、共和国政府がQ LD州政府に対して、「国家反
逆罪」と言う罪名で、亡命中国人や反共和国政府のオーストラリア人、ヨーロッパ人、米国
人、日本人、ベトナム人、インド人等を引き渡すように強引に申し入れて来たからだ。
特にその中でも、反逆者の首魁のウオンの引き渡しを一番強く要請した。
そして、この共和国政府の要請を受け入れなければ、人民解放軍をQ LD州に進軍させて、
国家反逆罪を犯す重大な罪人共を武力で逮捕するという最後通告を突きつけたからだ。
共和国政府の言う通りにすれば、引き渡された人々は裁判を受けることも無く、即座に処
刑されるので、これを防ぐためだ。
188
シシュフォス
(オーストラリア州別全土図)
なお、蛇足かとも思うが、オーストラリアは
連邦制で、各州はそれぞれ主権を有し、州のトッ
プは首相と称しており、Q LD州政府は共和国
政府の下には入っていない。
Q LD州政府は、この共和国政府の要求に対
して、断固としてこれを拒絶しているが、共和
国政府はこのように武力行使をちらつかせて
迫っており、Q LD州政府が折れるか、それと
も共和国政府が武力を行使する強硬手段に出る
か、 い ず れ に せ よ ウ オ ン や ウ オ ン を 頼 っ て 集
まって来た人たちを守るためには、共和国政府
の言いなりになることは絶対に容認してはなら
ない。
しかし、相手の共和国政府は、本格的な軍事
189
シシュフォス
訓練を受けていない烏合の集とは言え、十万人と豪語する兵力を有する「人民解放軍」なる
軍隊を持つに到っているので侮るわけにはいかない。
すでに述べた如く、オーストラリア国防軍は、共和国政府が樹立される前に、隕石や津波
の被害の大きかったシドニーから、被害を免れた軍用機や戦車、軍艦それに大砲やロケット
等主要な武器を、首都のキャンベラやメルボルンやシドニーから遠く離れた西オーストラリ
ア (以後W A)州やQ LD 州等の軍事基地に避難させていたので、幸いなことには、人民解
放軍の軍備は軽火器以上の強力な武器は殆どない。
共和国政府は国防軍のこのような処置に対して、国家反逆罪であると非難して、武器の引
き渡しと、この命令を拒否した軍の首脳の逮捕を命じたが、国防軍当局は共和国政府が約束
した民主的な選挙によって正当な政府が発足するまでは、国防軍は誰の命令にも服さないと
の中立の態度を取って静観していた。
国防軍が武力を有しながら、共和国政府にクーデターを起こさずこのような態度をとった
のは、内戦が起きてさらに国土が荒廃するのを恐れた上に、オーストラリア連邦総督や首相、
それに多数の連邦議会議員が共和国政府に捕らえられて、人質になっていたからだ。
190
シシュフォス
(反豪州連邦人民共和国政府「タンボリン山軍」の結成)
レオンは今や四十二歳と、人生で最も充実した年齢となっていた。
彼はウオンと協力して、タンボリン山を要塞化する一方、彼の少林拳の弟子の七人を青年
部の中心幹部として、これにウオンを慕って集まって来た人たちの中から軍隊経験のある
一〇〇人の屈強な若者を選抜して「一○七人の親衛隊」を作り上げた。
後の世に、この一〇七人にレオンを加えた一○八人は、「タンボリン山の一〇八の星」と
呼ばれて長く伝えられ、小説にもなった。
また、レオンは一般からも兵士を募集し、この人たちを親衛隊の隊員が精強な兵士とすべ
く軍事訓練を開始した。
さらに、レオンはブッシュに出掛けて、馴染みのアボリジニたちにも協力を依頼し、広大
な砂漠に点在する牧場のカーボーイたちにも集合を掛けた。レオンが若い時に、彼等と生活
を共にした成果がここに発揮されたのだ。
191
14
シシュフォス
ここで、七名の親衛隊幹部を紹介しておこう。
なお、全員少林拳の達人で乗馬は巧みなのでそれは省く。年齢は二○三二年のもの。
(親衛隊幹部隊員の紹介)
①隊長:ジョン。三十五歳。ベトナム難民の曾孫。日系の妻と男女二人の子供がある。鉱
山技師。ロック・クライミングが特技。
②隊員:テリー。二十八歳。弁護士。父はアボリジニで弁護士(注)
。ブーメランの研究者。
③隊員:キム。二十五歳。韓国系オーストラリア人。拳銃、ライフル射撃、テコンドー、
ボー
ガンが特技。
④隊員:シン。二十八歳。インド系オーストラリア人。コンピュータ・プログラムの天才。
趣味は無線誘導飛行機作り。
⑤隊員:フランク。二十八歳。独系オーストラリア人。元カーボーイ。カーボーイ鞭、ラ
クダ調教が特技。
⑥隊員:ハンス。三十五歳。比系オーストラリア人。医師。妻(医師)は米国人。
⑦隊員:宗一。二十八歳。通称ピーター。日本人。モーター・サイクルとレーシング・ド
192
シシュフォス
ライブの国際A級ライセンス保有者。
と呼ぶが、今に
"Stolen Generation"
(注)一八六九年から公式的には一九六九年までの間、政府や教会によってアボリジニの子供を親元から
引き離し、白人家庭や寄宿舎で育てると言う政策が取られた。これを
至るもその詳細は不明である。なお二○○八年二月十三日に、オーストラリア政府はこの「盗まれた世代」
に対して、初めて当時のラッド首相は政府及び国の代表として、議会で公式に謝罪した。預けられた白人
家庭や寄宿舎では虐待されたとか、性的な慰めの対象にされたとかの話も伝わっているが、中には高等教
育を受けて医師や弁護士になった者も居る。
こうして、ウオンとレオンは、タンボリン山の要塞化に努め、更にレオンは、亡命者や兵
士の妻や子供たちを、
サンクチュアリーや各地の港から多数のクルーザーや観光船に乗せて、
ブリスベンの北方遥か三○○㎞にある世界最大の砂の島として有名な世界遺産のフレーザー
島の広大で豪華なリゾートを買収して、そこに全員を疎開させて後顧の憂いを無くした。
十三歳のタイガーは、フレーザー島に疎開をすることを嫌がったが、レオンから九歳の幼
193
シシュフォス
い従妹の真希を連れて疎開して、英語の喋れない真希の世話をして守ってやるのがタイガー
の役目だと諭されて、止むなく疎開に同意した。
ここで、威力を発揮したのはまたもや黄金だった。
紙幣の価値が全く無くなって、紙幣を誰も受け取る人が居なくなったので、黄金が無けれ
ば、このように大勢の人を運ぶ費用をまかなうことは不可能だっただろう。
また、当然、高価なリゾートも買収出来なかっただろう。
ヨウコやノリコも、レオンの説明を聞いたときには充分に理解できなかったが、ウオンや
レオンが持っている紙幣を総て金の延べ棒に換えたり、秘密の金鉱からナゲットや砂金を大
量に運び込んで置いたりした理由が、今になってやっと本当に分かった。
共和国政府も、ウオンやレオンがこれほどの莫大な黄金を準備していることを知って、驚
いていると言う情報がもたらされてきた。
なお、メルボルンの共和国政府の動き等の情報は、政府の中枢に密かに入り込んでいるウ
オンの同志の反共和国政府の中国人たちから、無線で逐次ウオンの下にもたらされてくる。
194
シシュフォス
(共和国政府がタンボリン山攻撃を決定する)
Q LD州政府に対する、共和国政府からの執拗なウオンを初めとする中国人亡命者や反革
命政権の人々 (共和国政府は「反政府分子」と総称した)の引き渡し要求を、州政府は遂に拒み
通した。
このQ LD州政府の反抗に怒った共和国政府は、財政難を解消する為にも、ウオンやレオ
ンが持つ莫大な黄金を狙って、シドニーとメルボルンから合わせて一〇万もの大軍を、ゴー
ルド・コーストに向けて発進させる決定を下し、遂に実力行使に出たのだ。
共和国政府は、キャンベラのオーストラリア連邦政府を乗っ取ると同時に、シドニーに本
店を置くRB A (オーストラリア準備銀行)を急襲し、これを接収して地下の大金庫室を捜索
したが、
そこにある少なくとも一〇〇㌧は下らない筈の黄金(金の延べ棒)が一欠片も無くなっ
て藻抜けの空なのを知って驚いたことはすでに述べた。
RBAは、超巨大小惑星「シシュフォス」が地球に衝突すると言う情報が入るや、賢明に
も、秘密の某所に総ての黄金を疎開してしまっていたのだ。共和国政府は、その疎開先を探
し出そうと、RBAの総裁や役員を拷問にまで掛けて徹底的に調べたが、遂に誰一人その疎
195
シシュフォス
開場所を明かさなかった。
彼等を殺してしまえば、永久に黄金の行き先が分からなくなる。そうすれば、金に担保さ
れていないオーストラリア・ドル (ポリマー紙幣)と言うことになって、それでなくともガタ
落ちのポリマー紙幣の信用が一段と下がって、困るのは共和国政府だ。
新しく紙幣を刷りたくても、
印刷局の職人たちが総て逃亡してしまって印刷すら出来ない。
呉元大佐が中国人の富豪たちを恐喝して準備した十億㌦の資金も、今では残り三億㌦を切
り、しかも一月に十㌫を越える超インフレによってその価値は毎日のように激減している。
クーデターで政府の金庫から押収した紙幣や、その後に呉元大佐が今度は中国人だけでな
く、オーストラリアの企業や銀行、それにオーストラリア人や外国人在留者の富豪たちから
無理矢理取り上げた紙幣も超インフレで価値が激減する上に、クーデターのために呼び寄せ
た中国人と、新たに組織した人民解放軍のための経費として湯水の如く使われ、更に政府と
しては、隕石で被害に会ったシドニーを中心とする災害地の復興事業のための支出が有り、
資金は幾らあっても足りない。政権を維持して行くためには、どうしても新しい財源、それ
も価値が急落している紙幣ではなく黄金が欲しい。
196
シシュフォス
それに、
どうやらRBAが黄金を疎開した先は、
Q LD州の今は掘り尽くされて廃鉱になっ
ているギンビーの金鉱の坑道の中らしいということも分かってきた。
しかし、メルボルンやシドニーに本拠を置く共和国政府の軍隊「人民解放軍」が、このギ
ンビーに行くには、途中にウオンとレオンが立て籠るタンボリン山の勢力 (以後、タンボリン
山軍)が立ちはだかる。
そのような訳で、共和国政府にとっては、タンボリン山軍を攻略してその黄金を奪い取り、
さらにその先のギンビー金鉱山廃坑に隠されているRBAの黄金を確保することが、何より
の急務となってきたのだ。
実は、共和国政府は、政府に楯突く目の上のタンコブのウオンを排除する為に、ゴールド・
コーストにもっと早く人民解放軍を遠征させたかったのだが、原油やガソリンの海外からの
輸入が途絶え、西オーストラリア州 (以下、WA州)の沖合の海上では石油は産出するものの、
そこまでは共和国政府の支配が及ばず、更に各地の製油所が超巨大小惑星「シシュフォス」
隕石で破壊されて稼働せず、ガソリンやディーゼル油の不足が深刻で、自動車が使えないの
だ。
197
シシュフォス
既に大量に普及していた電気自動車も、メルボルンやシドニーからゴールド・コーストへ
至る途中の数カ所の発電所が隕石の大きな被害を受けたので、電力事情が極度に悪化してい
たから、充電は不可能でこれも使用出来ない。
なお、広大な領土を有するオーストラリアでは、水素を燃料とする水素自動車や燃料電池
自動車のための水素ステーションの建設は、その建設費が巨額なことがネックになって普及
はしていなかった。
そこで、止むなく、この遠征軍には少数の幹部用の4WD車と、重量の有る大型の武器や
弾薬を乗せるトラック以外には車両を使うことが出来ず、一般兵士は徒歩で行軍せざるを得
なく、口では強硬なことを言いながらも遠征を躊躇っていたのだ。
し か し、 ゴ ー ル ド・ コ ー ス ト の タ ン ボ リ ン 山 に 莫 大 な 黄 金 が 有 り、 さ ら に、 そ の 先 約
三〇〇㎞のギンビーにも、RBAが隠した黄金が大量に隠匿されているとなると話は別だ。
メルボルンからゴールド・コーストまでは、約一七九○㎞もある。(シドニーからは八八○㎞)
日本で言えば、青森から鹿児島までよりも距離があるのだ。
車で休まずに高速道路を飛ばしても、二十時間近くはかかる。
198
シシュフォス
重武装をして徒歩での一七九○㎞の行軍などは真っ平だと言っていた人民解放軍の兵士た
ちも、タンボリン山を攻め落とせば、黄金の分け前に与れると言う噂が立つと (勿論、呉元大
佐が流した出鱈目の話だが)
、欲に目が眩んで遠征に参加を希望する者が急激に増えた。
しかしながら、人民解放軍の兵士の構成は、中国人鉱山労働者や中国を中心にした世界各
国からの留学生を主体にして、
これにシドニーやメルボルン等の都市のチンピラや不良青年、
それに予てから治安上の問題になっていた不法移民や不法滞在者等が中心で、正規のオース
トラリア国防軍の兵士は一人もいない。
さらに、メルボルンやシドニーの大都市では、常にトラブルを起こして治安のガンになっ
ていたロシアン・マフィアやイタリアン・マフィア、それにチャイニーズ・マフィア、オー
トバイ・ギャングのバイキーズまでもが、黄金の分け前に与れると聞いて、人民解放軍の遠
征に自費で参加をすることを申し出たので、兵力と資金不足に悩む共和国政府は止むなくこ
れを許可した。
マフィアの連中やバイキーズたちだけは、どこから調達してきたのか、ガソリンを豊富に
199
シシュフォス
持っているようで、全員が車両に搭乗しており、バイキーズは自慢のハーレー・ダビッドソ
ンの特徴あるエンジン音を派手に轟かせたので、徒歩で炎天下を長時間歩かなければならな
い人民解放軍の一般兵士たちの間では、当初からこれが大きな不満の種になっていた。
(人民解放軍の死の行軍が始まる)
二○三三年一月一○日、遂に十万人に膨れ上がった大遠征軍が、呉元大佐を総司令官とし
て、メルボルンとシドニーの二手に分かれて出発した。
先頭を駆けるのは無論バイキーズのハーレー・ダビッドソンで、これに続くのは、派手な
色に塗った車に乗った五○○○名のマフィアたちだ。
人民解放軍が一月にメルボルンとシドニーを出発したのは、作戦計画を立てた元軍人の鄭
首相の最大の失敗だった。
中国の気候については充分に知識のある元中国人民解放軍上将の鄭首相も、進軍路となる
オーストラリアのNSW州からQ LD州の一月から二月にかけての、中国では想像もつかな
い猛暑に関する知識が充分ではなかった。北半球に長く住んだ人間には、一月とか二月とか
200
シシュフォス
聞くと、どうしても寒い季節を思い浮かべる。
ところが、南半球では一月は真夏の真最中だ。
このような季節に、徒歩で歩かなくてはならない十万人の大部隊を発進させるとは!欲に
目が眩んで、暑さのことを忘れたのだろうか?それとも、ウオン憎さと、黄金に目がくらん
だ胡克傑大統領と呉元大佐の執拗な要求に負けたのだろうか?
特にメルボルンやシドニーでは、一月が一番暑く、砂漠から熱風が吹き込み、気温がしば
しば四十 ℃を越えることも珍しくはない。
北半球では、隕石の衝突や爆発に加え、原発と原爆の爆発で成層圏に細かい塵埃が大量に
舞い上がり、太陽光線を遮ったために一挙に氷河期の再来を思わせる寒冷化に向かったが、
南半球と北半球とでは大気の循環が異なる為に、一時はその影響で気温が下がったものの、
その後は南半球のオーストラリアでは「塵埃」の影響は次第に少なくなり、この夏は例年の
通り暑かった。
また、ゴールド・コーストまでの道中はさらに一段と高温になり、時には摂氏四十六 ℃な
どという信じられない暑さになることがある。
201
シシュフォス
そこを人民解放軍の兵士たちは、重い鉄砲や背嚢を担ぎ、馬に大砲を引かせて、しかも食
料や水まで持っての行軍だ。
途中の街で略奪でもしようものなら、共和国政府に対する猛反発が起こる可能性があるこ
とぐらいは総司令官の呉元大佐も考えたので、初めは粛々と行軍することを全軍に命じた。
しかし、
猛暑の中の徒歩での行軍だ。照り返しの強いアスファルトやコンクリートの道を、
十万人もの兵士が重い装備に加えて、食料や水を持って徒歩で行進するのだから、一日に十
数㎞も進むのがやっとだ。
兵士たちは、第二次世界大戦中に起きた、フィリッピンの「バターン死の行進」よりも酷
い行進だと不満たらたらだ。
なにしろ、あの「バターン死の行進」は、一二〇㎞の道を、その半分は鉄道で、残り六十
㎞を手ぶらで三日掛けて歩いたのにあのような悲惨な事件が起きたのだが、こちらの人民解
放軍の兵士たちは、メルボルンから約一七九○㎞、シドニーからでも約八八○㎞もの長い道
を重装備で歩かなくてはならないのだから、彼らの不満も当然だろう。これでは、タンボリ
ン山があるゴールド・コーストに遠征軍が到着するのには、三ヶ月以上もかかってしまう。
202
シシュフォス
(タンボリン山軍も臨戦態勢に入る)
十万もの大軍となった人民解放軍が、メルボルンとシドニーから同時に進軍を開始したと
の情報は、共和国政府内に密かに潜伏しているウオンの協力者によって即座に、タンボリン
山に知らされたので、全山は一挙に緊張に包まれて臨戦態勢に入った。
タンボリン山では、今回の人民解放軍に対する反政府「タンボリン山軍」の総司令官にレ
オンを選出し、ウオンが作戦参謀となり、これに親衛隊の幹部やオーストラリア国防軍から
の脱走将校が作戦計画に参加することになり防衛体制が整った。
なお、レオンは母のヨウコと妻のノリコにも、フレーザー島に避難するように勧めたが、
二人は残って手伝いたいと希望した。
ただ、レオンは母のヨウコは老齢でもあり、フレーザー島に疎開した女性や子供を纏めて、
疎開者の世話をして貰いたいと説得し、ノリコからもタイガーや幼い姪の真希のことが心配
なので、ヨウコに是非ともフレーザー島に行って欲しいと説得に努めて、やっと疎開するこ
とに同意させた。
ヨウコは、ノリコの両親の高梨医師と母の照子も高齢であり、フレーザー島でも医師が必
203
シシュフォス
要なので是非同行して欲しいと依頼して承諾を得て、それにエスニック料理のシェフのミス・
キム、フィリピン人のメイドのサリーたち五人も連れて、ヘリコプターでフレーザー島へ向
かった。
親衛隊の隊員のハンスの妻のアメリカ人医師のロンダ、それに今や立派な大病院になった
タンボリン山診療所の一〇〇人以上にもなる医師や看護士等の医療関係者も全員残ってくれ
ることになった。
また、一家の日本人板前のヒデ (本名山田秀樹)も残ってくれて、ノリコと一緒になってこ
の大所帯に膨れ上がったタンボリン山軍の厨房の指揮を執ってくれることになった。
(タンボリン山軍に対する応援が始まる)
この頃になると、天気予報は気象衛星や気象レーダーが作動しないので、気象状況を正確
に掴むのは困難になっていたが、それでも活動を続けているオーストラリア気象局は、共和
国政府の執拗な妨害にも拘らず、密かに気象のデーターをタンボリン山に送ってくれるのは
実に有り難かった。
204
シシュフォス
気象局だけではなかった。反共和国政府の人々は、他にも政府の各官庁や部署に多数残っ
ていて、彼らはいずれも共和国政府の厳重な監視の目をかいくぐって、タンボリン山のウオ
ンやレオンに情報を送る等なにかと協力してくれていた。
また、人民解放軍が遂にQ LD州へ向けて進攻し始め、これに対してタンボリン山では反
政府軍が組織されたとのニュースが伝わると、州内はおろか隣のNSW州やノーザンテリト
リー (以後NT )準州、南オーストラリア (以後SA)州から、車やヘリコプター、軽飛行機
で共和国政府に反対する人々が続々と集まって来た。
さらに、タンボリン山からは遥か四三○○㎞の彼方にある、オーストラリア大陸の反対側
(西側)の西オーストラリア (以後、WA)州の州都パースや街からからも、クルーザーを使っ
たり、自家用機を飛ばしたりして、タンボリン山軍に参加する者までも多数現れた。
オーストラリア国防軍は中立を表明していたが、実際は武器や弾薬、ガソリンなどを密か
に補給してくれて、国防軍の若手将校や兵士などは、軍幹部の暗黙の了解の下、軍を脱走し
たという形にしてレオンの反政府タンボリン山軍に参加してきた。
205
シシュフォス
さらに、世界の穀倉地帯であるQ LD州全土からは、タンボリン山軍を応援して、農業生
産者からおびただしい量の食料が無料で提供されるので、食糧難に喘ぐ人民解放軍とは比較
にならない潤沢な食料の兵站だ。
これらは、いかに共和国政府に対する反感が高まっていたかの何よりの証拠だ。
こうして、一月も中旬を過ぎると、タンボリン山軍の陣容は急激に膨れ上がって、一万人
にもなっていた。
206
シシュフォス
(人民解放軍 タンボリン山軍戦闘開始)
タンボリン山軍では、
親衛隊幹部の七人に、
元国防軍若手将校数名を加えて作戦会議を行っ
た結果、タンボリン山に立て籠って敵を迎え撃つだけではなく、積極的に打って出て、共和
国人民解放軍を進軍途上で撃破することとなり、先ず第一回攻撃作戦を実施することになっ
た。
(第一回攻撃作戦について)
今回の第一回攻撃作戦に当たっては、人民解放軍の進路に明るいNSW州出身者を中心に
した第一軍一〇〇〇名が編成され、その指揮官には、脱走を装って参加したNSW州出身で
地理に詳しい元国防軍将校バリー大尉が任命され、親衛隊のピーターを副隊長として、人民
解放軍を進軍途中で迎え撃つことが決定した。
これは、タンボリン山軍の最初の攻撃である。士気を高めるためにも、何としてもこの作
207
15
vs.
シシュフォス
戦を成功させなければならない。
この第一軍には、ガレージにある4WDやSUV、小型トラックを初め隊員たちの私物の
4WD、オートバイそれにタンボリン山でレオンが購入した家に放置されていたトラックや
オートバイ等を集めて、二百数十台で自動車部隊を編成した。
指揮官のバリー大尉に対しては、絶対に真正面からは戦わず、この部隊の特徴である機動
性をフルに発揮したゲリラ戦に徹するように、司令官のレオンが厳しく命じた。
自動車に最も必要なガソリンやディーゼルは、タンボリン山とサンクチュアリーの邸宅に
大量に蓄えていた他にも、国防軍からの提供や、タンボリン山軍に賛同する市民からの供出
で潤沢である。
すでに電話やモーバイルは、共和国政府の命令で、電話会社のテルストラがQ LD州の通
話を切断して利用出来なくなっていた。
そこで、砂漠などの遠隔地に在る牧場や農園で、小学生や中学生が都市の学校の先生と無
線通信教育に使う無線機を、各地の農場や専門販売店から大量に買い集め、これを各部隊と
の連絡に使うことにした。
208
シシュフォス
なお、攻撃に際しては、タンボリン山の格納庫に格納している二機のヘリコプターや、各
地から参加した人たちが乗って来た軽飛行機やヘリコプターを使う案も出されたが、人民解
こうえい
放軍がオーストラリア国防軍のRBS70や、有名な米国製ステンガー、ロシア製ストレラ
2、
またはその中国版紅纓等の携帯式地対空ミサイルを保持している可能性も否定出来ない。
実際に、ストレラ2や紅纓は密輸入されて、マフィアが所持しているのを摘発されたことが
あるから、用心するに越したことは無い。
民間用のヘリコプターや軽飛行機では、この携帯用地対空ミサイルで簡単に撃ち落とされ
るし、さらに、小銃や軽機関銃でも撃墜される危険性が大である。
今次作戦では、極力人的被害を出さないこと──、
《出来れば一人の死者も出さない》──を、レオン司令官は作戦の目的の第一としている
ので、この案は即座に退けられた。
【二○三三年二月一日快晴。朝七時に気温は三十 ℃を示す】
無線で、人民解放軍の中に潜んでいる情報提供者から、人民解放軍の進行状況の情報が
209
シシュフォス
入る。
徒歩で、
しかも日中の猛暑を避けて、
夕方や早朝にのろのろと進軍する人民解放軍に苛立っ
たマフィアやバイキーズたちは、遂に自分たち五千数百名だけで、自動車やハーレー・ダビッ
ドソンを駆って、モーター・ウエーやハイ・ウエーに乗って進み出し、一挙にジャカランタ
の花の並木で有名なNSW州のグラフトン市近郊まで進出したが、余りに人民解放軍本体と
の距離が離れ過ぎたのに不安を感じたのか、グラフトンから五十㎞程離れた海辺の涼しい景
勝地のヤンバに陣地を設けて野営をしているとのことだ。
そこで、この野営地を急襲して、何をするか分からない乱暴者集団のマフィア・バイキー
ズ軍団を壊滅させて、人民解放軍の出鼻を挫くことに決定した。
第一軍は、ピーターの指揮する五十台のオートバイ部隊を先頭に、未だ暑さの厳しくない
早朝五時に、タンボリン山を密かに出発した。
車でハイ・ウエーを高速で走れば、人民解放軍の先頭を進むマフィア・バイキーズ軍団の
野営地のヤンバの近くまでは、僅かに五時間程で到着出来る。
しかし、この部隊は途中からハイ・ウエーを離れてブッシュに入り、待ち構えていたアボ
210
シシュフォス
リジニの若者たち百人を乗せて、暑さを避けてブッシュの中にある池の畔で夜を待った。
アボリジニたちには、予め小麦粉の袋を満載した十㌧トラックを一台準備させておいた。
(ナルドー)の実を挽いた粉を大量に混ぜ
Nardoo
この小麦粉の袋が、実は、今回の秘密兵器なのだ。
この小麦粉には、ブッシュに生えている
てある。ナルドーの実は、アボリジニも粉にしてパンを作って食すが、このナルドーの実は
チアミン (ビタミンB1)を分解するチアミナーゼという酵素を含んでおり、粉に挽く前に一
週間ほど水につけてチアミナーゼを抜く作業をしなければ、脳に障害 (ウェルニッケ脳症)を
引き起こして死んだり、ビタミンB1欠乏症で脚気になったりするというやっかいな食べ物
なのだ。
家畜が食べて、何万頭も死んだと言う記録も残っている。
特に大酒飲みは、ウェルニッケ脳症を発症し易い。
余談になるが、一八六○年に組織されたヴィクトリア州探検遠征隊、通称「バーク・ウィ
ルズ探検隊」は、ロバート・バーク隊長以下十八人の隊員で、八月二○日メルボルンから北
211
シシュフォス
方へ約二八○○㎞離れたカーペンタリア湾を目指して、市民の盛大な見送りを受けて出発し
た。しかし、半年後にはアボリジニに助けられた一人を除いて、全員が死亡した。
彼等が死亡した原因の一つに、食料不足を補う為に、アボリジニの真似をしてナルドーの
実を粉にして食べたが、毒を抜かずに粉にしてパンを作ったので、この毒にやられたと言う
オーストラリの歴史上大事件があった。
閑話休題
第一軍は真夜中過ぎに、五十台のオートバイに若い隊員が乗り、後ろにアボリジニの若者
たちを乗せてピーターの指揮で発進し、人民解放軍のマフィア・バイキーズ軍団のヤンバの
野営地に接近した。
野営地の海岸の近くには、高さが二〜三十㍍程の高さの褐色をした岩山があり、この近く
でオートバイを乗り捨てて岩山に登ると、月明かりの中で眼下にマフィアやバイキーズの野
営地が見える。
五十人のアボリジニたちはピーターの指揮で、この岩山から、眼下の公園に野営している
212
シシュフォス
マフィアたちの人民解放軍目がけて、ブーメランを一斉に投げ始めた。
まさかNSW州でタンボリン山軍の攻撃に会うとは夢にも思わず、自動車やオートバイを
使ったとは言うものの、昼間四十 ℃を越す猛暑の中の進軍に流石に疲れて、ぐっすりと寝込
んでいたマフィアやバイキーズたちは、ブウーンという音が聞こえたかと思うとブーメラン
の雨が降って来たので大混乱をきたした。
アボリジニは、今でもブーメランでカンガルー等の獲物を狩る。
一八二八年にオーストラリアが英国植民地になって以来、急激に開拓が進み、英国軍が先
頭に立って原住民のアボリジニを駆逐し始めたが、この段階でアボリジニも激しく英国軍に
反抗して戦った。
その際に、英国軍がこの武器で散々悩まされたと言う記録が残っている程に、威力の有る
武器だ。頭等の急所に当たれば即死する。
手持ちのブーメラン約一〇〇〇本を投げ終わると、ピーターは即座に引き上げの合図をし
た。
213
シシュフォス
ブーメラン攻撃から立ち直ったマフィアたちは、攻撃して来たのは僅かの人数だと知ると、
体制を立て直してマフィアたちは自動車で、バイキーズたちは得意のハーレー・ダビッドソ
ンで猛然と追跡にかかった。
ピーターたちはわざとオートバイの音を高くし、追跡するマフィアやバイキーズを巧みに
ブッシュに誘い込み、そこで待っていた本隊一〇〇〇人と合流して、追跡して来た数千人を
取り囲んで、今度は一〇〇人のアボリジニ全員で巧みにブッシュに火を付けて回った。
アボリジニは、大昔からブッシュに火を付けて、新しい植物が生えるのを助ける術を心得
ている。
日本でも、奈良の若草山で山焼きをするのと同じだ。
アボリジニたちは風向きや地形等を考慮して、何処に火を付ければ、どのように燃え広が
るかを実に良く知っている。
追跡して来たマフィアやバイキーズたちは、
周りを火の海に囲まれて逃げることもならず、
乗って来た自動車やオートバイのガソリン・タンクに引火して爆発が起き、焼け死ぬ者やら
大火傷を負う者やら散々な目に遭い壊滅した。
214
シシュフォス
特に悲惨だったのはバイキーズたちだ。全員二㍍近い大男揃いで、全身に入れ墨をいれ、
腕力が強くて警官でさえも一人の時は避けて通るほどの乱暴者たちだ。彼らの乗るハーレー・
ダビッドソンは街中や高速度道路を、あの大排気量一五八四㏄ 空冷エンジンの独特な腹にし
み込む轟音を立てて、舗装した道路を疾走するときには格好が良いが、ブッシュや砂漠では
大きすぎて、ピーターたちが乗ってきたような軽快な小型オートバイとは違って身動きが取
れない。
そうこうしているうちに、猛火に囲まれて、ハーレー・ダビッドソンや乗ってきた自動車
諸共、マフィアやバイキーズたちの大半が焼け死んでしまった。
ブッシュ・ファイアー攻撃と平行して、
ナルドー粉を混入した小麦粉の袋を満載したトラッ
クは、さらにハイ・ウエーを南下して、人民解放軍の進路の前方の道路上に、恰も小麦粉の
運搬途中にトラックのタイヤがパンクして故障したが、人民解放軍が近づいたのであわてて
放棄して逃げたかのように見せかけて、置き去りにされた。
こうしておいて、この部隊はその任務を果たしてさっさと引き上げて、何等の損害も無く
215
シシュフォス
タンボリン山に帰って来た。
隊長のバリー大尉と副隊長のピーターの二人は、初戦に大戦果を挙げたのでホッとしたの
か、レオンとウオンに報告に来た時の、その誇らしげな笑顔は若者らしく実に美しかった。
さらに、二人は今回の作戦の成功は、偏に一〇〇人のアボリジニの若者たちの勇敢な働き
によるものだとして、彼等に恩賞を与えて欲しいと申し出たので、レオンから彼等に感謝の
言葉と共に多額の黄金を与えた。
なお、二人や他の隊員たちは、レオンが申し出た恩賞を辞退したことを付け加えておこう。
戦後になって分かったことだが、食料不足の人民解放軍は、このナルドー粉入りの小麦粉
でパンを焼いたので、これを食した先頭の部隊の大酒飲みの兵士たちに、脳の障害者や脚気
の患者が多発して歩行が出来ず、軍隊の体を成さなくなったということだ。
人民解放軍は、四十 ℃を越す日中の猛暑の中の行軍では兵士の疲労や消耗が余りに激しい
ので、夜間の行軍を考えたが、照明装置が無い。照明が無ければ、大部隊の行軍は不可能だ。
そこで止むを得ず、早朝や夕方の気温が下がった時に行軍することにしたが、これでは一週
216
シシュフォス
間程も歩き続けて、やっと約一五○㎞を稼いだだけだ。
その上に、奥地の鉱山で働いていた鉱山労働者の兵士たちの中には、行軍による疲労が激
しく体力が低下してくると、以前に罹って完治していなかったデング熱やマラリアが再発し
た為に、すでに五○○○人もの落伍者を出していた。
これに加えて、今回のタンボリン山軍の第一次攻撃で、ブッシュでの火傷の死傷者約五○
○○人と、ナルドー粉入りパンの中毒患者一○○○人を合わせて、約六○○○人の大量の兵
士が攻撃軍から脱落したとのことであった。
こうして、第一次作戦は大戦果を収めた。
【二○三三年二月十日快晴。今日も暑い。朝七時に気温は既に三十 ℃を示す】
ここに至り、人民解放軍最高司令官呉元大佐は当初の作戦計画を大幅に変更して、行軍の
途中の街や村で自動車とその燃料のガソリンやディーゼル、それに食料や水の強制的徴発ー
と言うより略奪ーの開始を許可し、これに抵抗する者は国家反逆者として即座に処刑し始め
たので、当然、民衆からは怨嗟の声が巻き起こり、タンボリン山軍に参加する者が一挙に増
217
シシュフォス
加した。
タンボリン山軍では、人民解放軍が略奪を始めたとの情報に接して、救援部隊を人民解放
軍の進路沿道の街や村に派遣して、住民保護のための疎開を援助することにし、新たにタン
ボリン山軍に加わったが、軍事訓練の未だ行き届いていない男女の若者たち二〇〇〇名をこ
の援助隊とすることに決定した。
この男女に、このところタンボリン山軍への参加者が乗って来た車輛に加えて、観光会社
から提供された大小のバス、それに今は使われていないスクール・バス、キャンピング・カー、
トラック、それに大型トラックのコンボイ等様々な一五〇〇台からなる車両を運転させて、
隊員のハンス医師とその妻の医師のロンダに指揮をさせ、十名の医師と三十名の看護士から
成る医療チームを同行させて送り出した。
充分な燃料に食料と飲料水、それに医療設備や簡単な武器と軍資金の金の延べ棒や砂金を
持たせたのは言うまでもない。
218
シシュフォス
人民解放軍の中に潜ませてある中国人同志からの無線による情報によれば、人民解放軍は
この略奪によって可成りの車輛や燃料及び食料を入手して体制を立て直し、その進軍スピー
ドは一挙に一日に一○○㎞まで増加したことが分かった。
シドニーから出発した五万人の軍隊は今や四万人に減ってはいたが、その先頭はシドニー
から約三九○㎞にあるポート・マッコーリー市近辺まで達して、野営しているとの情報も入っ
てきた。
その野営地からゴールド・コーストまでは、約五○○㎞の距離だ。
平時ならば、モーター・ウエーやハイ・ウエーを車で飛ばせば七時間の距離だ。
そこで、この進軍を妨害するために、第二回攻撃隊一〇〇名を出動させることに決した。
なお、これに先立ちQ LD州政府に毒蛙の ” Cane Toad
”(ケイン・トード)を民間から集め
て貰うように依頼した。
勿論、一匹につき二㌦を支払うと言う約束だ。(注)
また、アボリジニたちには、ブラウン・スネーク、タイパン、タイガー・スネーク、デス
アダー等の毒蛇の捕獲を頼んでおいた。無論、これも有償だ。
219
シシュフォス
第二次攻撃隊の指揮官はジョンとして、親衛隊隊員の中でバルーン (熱気球)の操縦を得
意とするテリーとドライビングの天才のピーター、それにボーガン (弓の一種)の名手のキ
ムが加わった。
また、テリーのバルーン競技仲間の隊員五十名もこれに参加した。
トラック三十台と4WD五台に、十三基分のバルーンと燃料のLPGボンベ、それに集め
)を駆除
CaneBeetle
られて冷やされた冬眠状態の毒蛙五○○○匹と、これも冬眠状態にある毒蛇五○○匹を積み
込んで、夜の帳が落ちると直ぐさま出発させた。
(注)ケイン・トードはハワイから一九三五年にサトウキビ畑を荒らすカブトムシ(
する目的で、オーストラリア北部のQ LD 州等に導入された。しかし、二○一○年現在ではこのカエルが
異常繁殖して二億匹に達し、
地域の生態系までも脅かしている。このカエルは頭の後ろに毒袋をもっていて、
この毒は強力でクロコダイルや蛇さえ殺害され、犬もこれを咬むと死ぬ。人間も低い姿勢で近づいて目に
毒液をかけられると失明する。これを駆除するために懸賞金が掛けられたり、軍隊が出動したりするなど
の大問題になっている。ただ、ケイン・トード汚染はQ LD 州とNW 州の北部が酷く、シドニーやメルボ
ルンでは見掛け無い。
220
シシュフォス
ゴールド・コーストからポート・マッコーリーまでは、ハイ・ウエーを経由して僅か七時
間の距離だ。
真夜中にはポート・マッコーリーの北西二十㎞程の平原に到着し、隊員たちは色取り取り
のエンベロープ (球皮)の中をガス・バーナーで熱してバルーンを上げる準備を始めた。
早朝四時には、早くも十三基のバルーンに各二名の隊員が乗って、ゴンドラに冬眠状態か
ら覚めてモゾモゾと動き出した毒蛙と毒蛇の籠、それに爆薬が積み込まれた。
バルーンが上昇するや、4WD五台とトラック三十台は一斉にその後を追った。朝は冷え
た陸地から暖かい海上に向かって風が吹く。
この風にバルーンが乗ってポート・マッコーリー
の周縁の人民解放軍の野営地の上空に確実に向かったのを見届けてから、朝の薄明の中を隊
員たちが次々にゴンドラを脱出してパラシュートで降下し始めた。
トラックと4WDは、降り立った隊員を収容すると、予め定めておいた集合地点へと走り
去った。
ジョンとキムは、ドライビング・テクニックの名手のピーターが操縦するパジェロで、バ
ルーンの後を追ってポート・マッコーリーに近づいた。バルーンが人民解放軍の陣営の上に
221
シシュフォス
達するのを見届けるや、リモコン装置を操作して、次々にバルーンに積んだ毒蛙と毒蛇のバ
スケットの蓋を解放し、続いてバルーン本体も爆破した。
人民解放軍の兵士は未だ寝ている早朝に、突然上空で爆発音がしたかと思う間もなく、大
量の毒蛙と毒蛇が空から降ってきて、おまけにバルーンまで落下して、地上に落ちると同時
にガスボンベや積み込んである爆薬が爆発するので大混乱に落ち入った。
これに加えて、ピーターが野営地の周囲を驚異的なドライビング・テクニックで走り回っ
て、その車の上からキムが強力なボーガンの先端に爆薬や火矢を付けたものを、次々に人民
解放軍の宿営地に打ち込んだので、騒ぎは一層大きく成った。
この混乱を見届けて、ジョンたち三名は集合地点に帰り、待機していた部隊と合流して、
昼までにはタンボリン山に帰投した。
今回も幸いなことに、一名の死傷者も出さずに済んだ。
なお、これも終戦後に判明したことであるが、この攻撃で人民解放軍の死傷者は一万名を
越えたとのことであった。
222
シシュフォス
都市出身者や中国人を中心にした移民の兵士の中には、毒蛙や毒蛇については、話には聞
いてはいたものの、本物を見たことがない者が殆どで、現実に間近にそれを見たり、戦友が
毒蛙に毒液を吹き掛けられて目を押さえて悶えたり、毒蛇に咬まれて苦しむのを見て、
発狂したり脱走したりする者が五○○○名にも達した。
また、落下したバルーンのガスボンベや爆薬の爆発、ボーガンで撃ち込まれた爆薬の爆発
で死傷する者が続発して、戦力が一挙に三万名を割ると言う大損害を受け、更に戦意は大幅
にダウンしてしまったとのことであった。
なお、タンボリン山軍の人民解放軍に対する攻撃目的は、いたずらに人を殺傷することで
はない。
共和国政府の圧政を逃れて、ウオンを頼ってタンボリン山に身を寄せて来た人々を、人民
解放軍の魔の手から何としても防がなければ、ウオンを初めとして革命政府に反対する多く
の人々が国家反逆罪という勝手な罪名で裁判もなされずに処刑され、これによって、自由・
平等と人権それに民主主義を求める人類の希望の灯火が永遠に失われてしまうので、止むな
く戦っているのだ。
223
シシュフォス
しかしながら、タンボリン山軍は満足な武器も無ければ陣容も揃わない。そこで、出来る
限りの知恵を振り絞って、人民解放軍兵士の士気を挫き、攻撃を中止させることにしたのだ。
その為に、彼等が予想もしない手近にある物を武器にして、奇襲作戦を展開しているのだ。
さて、シドニーから出発した人民解放軍は、先にマフィア・バイキーズ軍団が全滅し、今
回は更に、タンボリン山軍の思いもよらない奇襲攻撃で大損害を受けたので、総司令官の呉
元大佐は戦力の回復を図るために、後続のメルボルンからの新たな人民解放軍の到着を待つ
ために進軍を停めて、当地で待機することにした。
三日後になって到着したメルボルンからの人民解放軍も、猛暑と先行するシドニーの人民
解放軍が、
タンボリン山軍の思いもかけない奇襲攻撃によって連敗を喫したとの報に接して、
脱走兵が引きも切らず、当初は五万名を越えた大軍が四万名を割るような状況になったとの
情報が、人民解放軍の中に潜んでいる情報提供者からタンボリン山軍にもたらされた。
タンボリン山軍の奇襲作戦の効果が着実に上がっていることが、これによっても確認出来
た。
224
シシュフォス
人民解放軍総司令官呉元大佐は改めて、人民解放軍の体制を当地で立て直すべく二日の休
みを取って、いよいよ最後の進軍に入ることを決定したとの情報も、無線で入って来た。
(新兵器の開発など)
戦いが続いている間にも、タンボリン山ではこれから展開される攻防戦に備えて、幾つか
の動きがあった。
まず、攻撃隊とは別に、親衛隊の隊長の鉱山技師でもあるジョンが指揮して、タンボリン
山の山頂から麓にかけて壮大なスケールで地下道を掘っていたが、これが殆ど完成した。
ジョンは、この地下道を掘っている際に偶然にも、豊富な地下水脈を新たに掘り当てたの
で、タンボリン山軍では炎天下の渇水でも、タンボリン山に立て籠る一万人以上の人々に、
喉の渇きを覚えさせる心配は全く無くなった。
ジョンは高校時代から、ベトナム戦争当時のゲリラ戦に関する書物を読み、大学では鉱山
学科を専攻する傍ら戦史や戦術の軍事研究もしたが、それがここで実際に役立ったのだ。
また、隊員のシンは、趣味のラジコン飛行機クラブのメンバーや同好の士一〇〇余名と協
225
シシュフォス
スキャンイーグル
力して、
超大型のラジコン飛行機やラジコン・ヘリコプター
やドローン等五十数機を製作中である。
この大型ラジコン飛行機は、もう模型飛行機ではなく無
人 飛 行 機 (U AV )の 範 疇 に 入 る 機 種 で、 全 長 が 五 ㍍ で 翼
幅が十㍍と大きく、模型飛行機用のガスタービン・エンジ
9 リーパー」
―
ンや一立方インチの大排気量のガソリン・エンジンを一機
1 プレデター」や「MQ
―
に五〜十基も取り付けたものだ。
米軍の「RQ
等の無人飛行機にはとても及ばないが、オーストラリア製
で日本の自衛隊が所有する全長約一・六㍍、翼長約三・二㍍、
重さ約二十㌕で、高度数一〇〇〇㍍の上空から搭載カメラ
で撮影できる「スキャンイーグル」よりは、はるかに大型
C
―a t 」を装着し
の無人飛行機である。僅か二十㌘の百円ライター程の大き
さの日本製超小型ビデオカメラ「Ez
226
シシュフォス
て、五十㌕爆弾二個を搭載可能で、航続距離は一○○○㎞、滞空時間が十時間という優れた
性能を有する。(以後無人飛行機と称する)
また、ラジコン・ヘリコプターは日本のヤマハが開発した産業用無人ヘリコプター「FA
キ ロ
ワット
に性能向上した機体で、これにも同じビデオカメラを搭載し、取扱重量を一五○㌕ま
ZER」を改良し、エンジン排気量を三九○㏄ から五○○㏄ にボアアップして、最高出力を
三十
で向上させて、五十㌕の爆弾や散布用ガソリンが搭載出来、制御可能な距離は一○○○㍍ま
で増加するように改良を加えた。
さらに、ドローンは市販のホビー用を利用して、主に空中撮影用に改造した。
オーストラリアには、これと言った産業が無く、自動車工場でも殆どが部品を日本などか
ら持ってきて、組み立てるだけの工場が多い。オーストラリア独自に開発したとされる唯一
の自国銘柄車ホールデンも、所詮は、親会社のGM車のサイズダウンだと、馬鹿にされるよ
うな有様だ。(二〇一七年に、オーストラリアでの現地生産中止。)
ところが、オージーの男たちは、車の改造や修理を自分の家のガレージでやれる連中が多
227
シシュフォス
く、模型飛行機やバルーンの製作には異常な才能を見せる。そんな連中が、予算は全く気に
せずに、模型より遥かに本格的なプレデター並の無人飛行機を作るとなると、その熱心さは、
これがあの余り働かないと定評のあるオージーかと、ウオンやレオンもびっくりだ。
さらに、アボリジニの血を引く隊員のテリーは、かねてからブーメランの大型化と、飛行
距離の延長を研究していたが、シンの協力を得て、ブーメランの先端に小型ロケット噴射装
置を付けて回転させて飛揚させ、爆弾も搭載出来る飛距離が平地で五㎞、山の上から発射す
れば十㎞と言う画期的な武器の開発に遂に成功した。
ウオンとレオンは、これらの新兵器は、これからのタンボリン山攻防戦においては、必ず
や大いに威力を発揮するものと期待して、その完成を大喜びした。
一方、元カーボーイのフランクは、以前に働いていたラクダ牧場に隊員たち三○○名を連
れて出掛けて、五○○頭のラクダを連れ帰って来て、山の中腹の牧場に放して人とラクダの
訓練を始めた。砂漠での戦闘や行軍には、車や馬よりもラクダが一番有効だからだ。
彼は、暫時ラクダを一〇〇〇頭まで増やしたいとレオンに報告してきた。
228
シシュフォス
ここで、オーストラリアのラクダについて一言。
オーストラリアのラクダは、一九世紀中頃から輸入された、主としてヒトコブラクダであ
る。
日本人には意外かもしれないが、実は、ラクダの原生地の北アフリカや西アジアには野生
のラクダは消滅していない。世界中で一番沢山野生のラクダが棲むところは、オーストラリ
ア大陸なのだ。
オーストラリアでは、ラクダは、内陸部探検やその後に続く開拓、それに大陸縦断電信線
建設や羊毛運搬等に大いに活躍をしたが、二十世紀に入ると、車や鉄道の発達で用が無くな
り、無用の長物として野に放たれて、一九三○年以降は野生化して、すでに二〇〇〇年頃に
は一〇〇万頭にも達し、中近東に輸出されたり、肉用として屠殺されたりしていた。
さて、話題を戻そう。戦闘は、さらに続く。
【二○三三年二月十七日。本日も快晴。昨日はサーファーズの街中では気温が四十二 ℃を
超えたと言う。このタンボリン山でも三十五 ℃あり、隊員は木陰に入って猛暑を凌ぐ。】
229
シシュフォス
この二ヶ月間、雨は一滴も降らない。すでに、ゴールド・コーストの水瓶のハインズ・ダ
ムは貯水量が二十㌫を切って、ゴールド・コーストの街の中では断水が頻発していた。
情報提供者からの無線によれば、人民解放軍はゴールド・コーストの外れの国際空港のあ
るクーランガッタまで到着し、比較的涼しい広大な海岸に陣営を張ったようだ。
そこで、タンボリン山軍では、第三回攻撃を行うことを決定した。
親衛隊の隊員の中からスキューバー・ダイビング、サーフィン、ウインド・サーフィン、
カヌーやヨットの操縦に巧みな隊員三十名を選抜し、彼等に加えて、新たに参加した兵士の
中から、水泳や船の操縦が出来る若者五○○名を攻撃隊員として選抜して追加した。
流石に、海辺のリゾートの街の若者たちである、二○○○名もの攻撃隊参加希望者があっ
たが、この中より選んだ精鋭である。
今回の攻撃隊の指揮官は、実績を買って、第一回攻撃で指揮を執った元国防軍将校バリー
大尉だ。
また、攻撃隊希望者の残りの一五〇〇名には、隊員のキムが隊長となり、バリーたち元国
防軍将校が、国防軍幹部の暗黙の了解の下に持ち出してきたオーストラリア陸軍の正式小銃
230
シシュフォス
ステアーAG等で簡単な武装をさせて、外洋のコーラル・シーと内海のブロード・ウオーター
の間に横たわる南ストラドブロク島にキャンプを張って待機するように命じた。
第三回攻撃隊は、
手分けしてサンクチュアリーとホープ・アイランド、ランナウエー・マリー
ナ等の港や豪邸のポンツーン (個人用埠頭)に係留されているが、今や無主物同然になってい
る一万隻以上の大小のクルーザーやヨット、それにカヌー、水上オートバイ (ジェット・スキー)
の中から、直ぐに使用に耐える二○○隻に燃料を注入して、夕刻に三々五々遊園地のシー・
ワールドの近くのマリナ・ミラージュのハーバーの沖合に勢揃いさせた。
「シシュフォス隕石群」災害の前は、ショッピング・モールのオーストラリア・フェアー
や高層ビル群、シェラトン・ミラージュやベルサーチ等の五つ星超高級ホテル、それに周り
のレストランの光で明るかった港も、今では明かり一つ点いていない。
もうこの頃になると、乱暴狼藉の限りをつくす人民解放軍が、タンボリン山めがけて攻め
寄せるとのニュースが流れて、恐怖にかられたゴールド・コーストの一般住民は、、電車や車、
それに徒歩で大挙してゴールド・コーストの北のローガン市以北の街やブリスベン、サンシャ
231
シシュフォス
イン・コーストへと脱出して、中心街のサーファーズやサウスポート、そして周辺の町は無
人と化していた。
シー・ワールドの沖に集合を終わるや、船団を組んだ大型クルーザーの上には、ボートや
水上オートバイを積み込んで、
さらに船の後ろにはヨットを引かせて、各船艇はクーランガッ
タに向かって静かにネラング川を下って出航した。
メインビーチ・パークの先端のザ・スポットと南ストラドブロク島の間の狭い海峡を抜け
出て、外洋のコーラル・シーに出ると、流石に波は少し高くなったが、気象局が密かに連絡
してきた天気予報通りに風も無く、良く晴れて満天の星空だ。
この海は、ゴールド・コーストのクルーザーやヨットを趣味にする者たちにとっては、自
分の家の庭のようなものだ。
クーランガッタの沖に着くと、今度はクルーザーからヨットを外し、ボートや水上オート
バイをクルーザーに備え付けの小型クレーンで降ろし、隊員たちはそれぞれ得意な船に乗り
移って静かに海岸に向かった。その数は、三〇〇隻にも上り、各船の後ろにはボートが引か
れていた。
232
シシュフォス
実は、このボートの中には、麻酔をかけられて大人しくなった大型のクロコダイル (オー
ストラリアワニ)が各五匹と、ブラウン・スネーク等の毒蛇入りの篭や鉱山用ダイナマイト等
の爆薬が夫々積み込まれていた。これが、今回の作戦の目玉兵器だ。
このクロコダイルは、Q LD州の各地にあるワニ園、それにドリーム・ランド等の遊園地
や動物園から集められたものだ。
なにしろ、オーストラリアのワニ園で養殖されているクロコダイルの数は年間四十万匹に
も上るから、大型とはいえ数百匹のクロコダイルを調達するのはわけなかった。
岸に着くや、クロコダイルをボートから引っ張り出して海岸に並べると、早くも麻酔から
覚めかけたのかモゾモゾ動き出す奴がいる。
口はしっかりと縛ってあるものの、中には体長三㍍近くにもなる巨大な奴がいるので、陸
に揚げるだけでも大変な苦労だ。
総数三百匹位にはなる筈だ。どのクロコダイルも餌を与えず空腹にしてある。
クロコダイルの陸揚げが終わると、隊員たちは静かに人民解放軍の野営陣地に近づく。暗
闇に目の馴れた隊員たちには、星明かりでも周囲は充分に明るい。隊員たちは持参した牛肉
233
シシュフォス
の大きな塊と、毒蛇入りの蓋を開けた篭、それに時限装置を付けた爆薬を適当にあちらこち
らに設置して廻った。
人民解放軍は、陸地からのタンボリン山軍の奇襲に備えて、陸側には陣地を構築して、見
張りも厳重にしている様子だが、まさかガソリンやディーゼル不足の現在、タンボリン山軍
が、大挙して燃料消費が大きいクルーザーに乗って海を渡って攻め寄せて来るなどとは夢に
も思わず、涼しい海風に吹かれながら、昼間の暑さを忘れた兵士たちはぐっすりと眠り込ん
でいた。
クロコダイルの口輪を外して、時限爆弾のタイマーをセットするやいなや、今度は全員で
ヨットや水上オートバイ、それにクロコダイルを乗せて来て今は空になったボートに乗り移
り、今度は思い切りエンジンの爆音を響かせて沖に向かって脱出した。
このとき親衛隊隊員のピーターは、用足しにでも行くのか、起き上がってきた人民解放軍
の将校と思しき男に、少林拳極意の当て身を食わせて失神させて、これを軽々と担いでボー
トに投げ込んでおいた。
凄まじい爆音に眠りを覚まされた人民解放軍の兵士たちは、一体何事が起こったのかと一
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シシュフォス
斉に浜辺に走り出て、中には慌てて銃を取りに戻って沖に向かって発砲する者もいたが、夜
明けの薄明かりの中で気がついてみると、浜辺には物凄い数のクロコダイルがもう眠りから
覚めて、生の牛肉の匂いをかがされて猛然と内陸に向かって走り出したところへ、上半身裸
の人間が大勢立っているので、ご馳走はこちらかと、凄い勢いで襲いかかる。
クロコダイルの瞬発力や跳躍力は驚くべきもので、一度狙われたら人間が幾ら全速力で逃
げても逃げ切れない。たちまちの内に、あちらこちらで悲鳴が上がる。慌てて、武器を取り
に陣地に駆け戻ると、そこには毒蛇の大軍が待ち構えていた。それと同時に、時限爆弾が連
続的に爆破するから‥‥、「そら敵襲だ!」と、
大混乱になり、同士討ちまで始まる騒ぎになっ
てしまった。
夜が明けて、やっとクロコダイルや毒蛇を退治して、敵襲ではなく時限爆弾が爆発したこ
とが分かった時には、死傷者は一万名を越える大惨事となっていた。
シドニーやメルボルンの都市出身者や外国からの移民の兵士たちの中には、毒蛇や毒蛙、
それにクロコダイルの襲撃を受けて、恐怖のあまり、とてもこれ以上タンボリン山攻撃には
235
シシュフォス
ついては行けないとして、脱走する兵士が急激に増えてきた。
タンボリン山軍の三次にわたる奇襲攻撃の主たる目的も、毒蛙や毒蛇そしてクロコダイル
等の恐ろしさを人民解放軍の兵士にしっかりと植え付けて、士気を殺ぐことにあった。
今回のタンボリン山攻防戦では、タンボリン山軍には当初は武器と言えるものは殆どな
かった。
予め購入しておいた銃も、狩猟に使うような物ばかりであった。
米国と違ってオーストラリアでは、砂漠や農場や奥地で働く人々を除いては、基本的には
銃や拳銃の所持は禁止されている。
銃や拳銃については、観光地のゴールド・コーストでは観光客用の射撃場があり一般人は
これを利用して練習する。
タンボリン山軍では、この観光用射撃場からも黄金で銃や拳銃、それに銃弾を買い求めて
おいたが、種々雑多でとても戦闘に使用出来る武器とは言えない。爆薬は鉱山で使うダイナ
マイトを調達した。
ただ、すでに述べたが、オーストラリア国防軍から脱走を装ってタンボリン山軍に参加し
236
シシュフォス
て来た軍人や兵士が、軍の高官の暗黙の了解の下で、国防軍の正式銃ステアーAUGやこれ
に使用する弾薬、グレネード・ランチャー (擲弾発射器)と擲弾、それに軍用プラスチック爆
薬や航空機用小型爆弾等々を軍用トラック十数台に満載して
持参してくれたので、やっと軍隊らしい装備が整ってきた。
と は 言 っ て も、 人 民 解 放 軍 は 第 二 次 世 界 大 戦 で も 使 用 さ れ た 古 い 米 国 製 の「 M 一 ○
一105㎜ 榴弾砲 (有効射程距離一万一一六〇㍍)
」 を 数 門 持 っ て い る こ と が、 こ れ ま で の 三 回
にわたる奇襲攻撃や無人飛行機の偵察で判明していた。
古い大砲だとは言え、その威力は今でも充分に有効で、これはタンボリン山軍にとっては
最大の脅威である。
現在、人民解放軍が集結し、タンボリン山軍の第三回攻撃の混乱から体制を立て直してい
る。クーランガッタからタンボリン山までの距離は約六十五㎞に過ぎず、更にハイ・ウエー
を使って、自動車を飛ばして来れば僅か一時間の距離だ。
人民解放軍が混乱から立ち直る前に、少なくともこのM一○一榴弾砲だけは絶対に始末し
ておかなければならない。
237
シシュフォス
そこで、親衛隊員のシンが新開発した無人飛行機を、クーランガッタの上空に飛ばして、
搭載した超小型デジタル・カメラで敵の陣地の状況を撮影し、この映像をタンボリン山の司
令室で見ると、確かに五門の全長六㍍余りの大きな榴弾砲が見分けられた。
タンボリン山軍には、戦闘機や爆撃機が無いのを知っている人民解放軍では、幸いにして、
オーストラリア国防軍が使っていた携帯式地対空ミサイルRBS70やその他の地対空ミサ
イルを今回は携行していないとの情報を、ピーターが捕虜にして来た人民解放軍の将校から
得られていた。
その情報を元に、レオンはシンに指示して、完成したばかりの無線誘導の無人飛行機十機
に、各機一〇〇㌕、合計一㌧余りの爆弾を搭載して、夕闇の迫るクーランガッタに向けて発
進させた。
各爆弾は、四十〜六十㌕と航空機用爆弾としては小型だが、合わせて一㌧ともなれば、太
2
―9が日本各地に落とした大型爆弾と同じだ。
平洋戦争当時に日本軍が使った中型爆撃機一式陸上攻撃機の搭載した大型爆弾よりも大き
く、米軍のB
これは、本格的な大空襲だ。
238
シシュフォス
爆弾を搭載した無人飛行機は、高空を飛ぶ別の無人飛行機からの誘導で、それぞれM一○
一榴弾砲のある数百㍍の上空に達すると爆撃を開始した。その内の五機は爆弾を積んだまま、
榴弾砲めがけて突入して自爆した。これは、誘導ロケット弾と全く同じである。
また、別のトラックでクーランガッタ近くまで運ばれたラジコン・ヘリコプター十機は、
無人飛行機の爆撃に合わせて地上十数㍍の低空まで降下すると、各機五十㍑の搭載ガソリン
を辺り一面に散布したので大火災が発生し、まるでナパーム爆弾の爆撃のような惨状を呈し
た。
この爆撃によって、人民解放軍は、またもや大混乱に落ち入って、五門の榴弾砲は完全に
破壊されたことが、高空を飛ぶ無人飛行機からの映像で確認出来た。
この無人飛行機とラジコン・ヘリコプターによる空襲を「第四回攻撃」と名付けることに
する。
人民解放軍は、この第四回攻撃でますます混乱して、死傷者や脱走兵が相次いだので、出
発時は十万の大軍勢が遂に四万人を割るような状況になっていた。
239
シシュフォス
さらに、これに追い打ちを掛けたのが、飲料水の危機的な不足だ。
シドニーやメルボルンからは、飲料水の状況が良好であるQ LD州へ行くと言うので、飲
料水にはさほど心配していなかった人民解放軍であったが、Q LD州へ来てみると、このと
ころの旱魃で、肝心の水瓶のハインズ・ダムは完全に干上がって、水道からは水は一滴も出
ない。そこで、止むなく沼や川の汚い水を飲料や食事に使うようになり、下痢をする者が激
増し始めた。
人民解放軍の総司令官呉元大佐は、これ以上タンボリン山への進軍が遅れれば、脱走兵や
傷病兵が続出し、軍隊の体を成さなくなることを心配して、一日も早く攻撃を開始すべく最
後のガソリンとディーゼルを使用して、トラックや乗用車には兵士を満載して、翌日には一
挙にタンボリン山に通じる三本の道に分かれて進軍し、夕方にはタンボリン山の麓に布陣し
た。
【二○三三年二月十九日。本日も快晴。依然として猛暑は続いており、山の麓では午前中
に四十 ℃を超えたとの報告が入る。政府軍が麓に到着して、昨晩から徹夜で陣地を築き始め
240
シシュフォス
た】
人民解放軍の到着を前に、麓の池や沼には大量のクロコダイルが放され、人民解放軍が攻
撃して来そうな道の沿道の草むらには、これも多数の毒蛇が撒かれた。なお、戦後の処理を
考えて、念のために、これらのクロコダイルや毒蛇には、その所在が判明するように、マイ
クロチップ発信器が埋め込んである。
さらに、無人となった麓のワイナリーや民家には、大量のワインとウオッカやリキュール
を放置して、人民解放軍兵士が見付け易いようにしておいた。
夜が明け、辺りが明るくなり始めると、早速山頂からドローンを発進させ、人民解放軍の
布陣状況を偵察させた。
今回は、人民解放軍側が対空兵器を持ち合わせていないことも判明したので、タンボリン
山の上に格納しておいたヘリコプター二機も使い、これは小銃の弾の届かない高空から敵陣
の様子を、望遠レンズを装着したデジタル・カメラで撮影をした。
これと同時に、早朝は飛行に都合の良い風が吹くので、ハンググライダーやパラグライ
ダー、それにバルーンに毒蛙の入った篭を下げて、一挙に数十機を発進させ、上空より毒蛙
241
シシュフォス
を人民解放軍兵士の頭上に数千匹もばらまいた。
何の音も聞こえないのに、薄明るくなった上空から毒蛙が降って来たので、毒蛙の恐ろし
さは身をもって体験していた、人民解放軍兵士は震え上がって、またまた大混乱となった。
これに引き続き、山の上から爆薬を搭載した直径五㍍もの巨大ブーメランを麓の人民解放
軍陣地めがけて連続的に約百機を打ち出し、無人飛行機やラジコン・ヘリコプター、バルー
ンからも繰り返して爆弾の雨を降らせた。
人民解放軍の兵士たちの中には、余りの暑さに充分な飲み水が無いので、早朝から昨夜見
付けておいたワインやウオッカやリキュールを飲んでいた者が多く、とても戦闘が出来るよ
うな状況ではない。
爆撃の火災で、人民解放軍の兵士が火だるまになり水を求めて、近くの池に近づくとそこ
にはクロコダイルが待ち構えている。
何も無いと思われるところから、突然タンボリン山軍の兵士が地下道を伝って出て来て、
銃撃を浴びせてくるが、反撃するいとまもなく、何処かに隠れてしまう。
タンボリン山軍の襲撃から身を隠そうと、ブッシュや木の陰に入れば、今度は毒蛇が襲撃
242
シシュフォス
して来る。昼過ぎになると、人民解放軍はとても山上を目指して攻撃するどころではなく、
陣地から一歩も出ることが出来ないような状況になってしまった。
夜になり山上からの攻撃が一段落すると、
ほっとしてやっと小休止をとることが出来たが、
人民解放軍の兵士で戦えそうな者は三万名にも満たなくなっていた。
タンボリン山軍からの攻撃が全く無くなったのを不思議に思いながらも、タンボリン山軍
兵士たちも昼間の猛攻で疲れたのかと、人民解放軍兵士がやっと眠りについた夜半、突如山
上より地響きを立てて何か巨大な物が駆け降りて来る気配がしてきたので、陣地から首を出
して見て人民解放軍の兵士たちは吃驚仰天した。
火の燃え盛る松明を角に付けた巨大な牛の大群が、山上から下ってくる道一杯になって走
り降りて来る。急ごしらえの、丸太で作った陣地等はあちらこちらでアッという間もなく破
壊されて、兵士たちは踏みつぶされてしまった。
この松明を角に着けた牛の大軍が行き過ぎたかと思った途端、今度はタンボリン山軍が地
下道に仕掛けた爆薬が連続的に爆発して、人民解放軍はまたもや大混乱に落ち入ってしまっ
た。
243
シシュフォス
獰猛になって暴れ回る牛や、断続的な地下からの爆発から逃れようとすれば、クロコダイ
ルと毒蛇が待っている。
火牛の群れの後からは、今度は馬に乗った一〇〇〇人以上のタンボリン山軍のカーボーイ
部隊が、長い鞭を振り回して襲撃して来た。
この鞭は、アメリカ映画のインディー・ジョーンズが使うので有名だが、オージーたちは
この鞭はオーストラリアのカーボーイが発明したものだと信じており、カーボーイたちの鞭
の使い方も巧妙を極めている。
混乱の極に達していた人民解放軍ではあったが、兵士たちも反撃しようと慌てて銃を向け
ても、あっと言う間もなく銃は鞭に巻かれて取り上げられる。逃げようとすれば、足に巻き
つけて引き倒される。遂に、殆どの兵士が両手を挙げて降伏してしまった。
それでも、中国人留学生を中心とする一万五○○○名程の人民解放軍兵士は、総司令官呉
元大佐の懸命の指揮の下、降伏せずに一目散にシドニーを目指してM1モーター・ウエーや
一号線のパシフィック・ハイウエー等の幹線道路を使って逃げ始めた。
一号線に逃げ出したのは、一万名近くの兵士だ。
244
シシュフォス
これを待ち構えていたのは、予めストラドブロク島に待機させてあって、今はパシフィッ
ク・ハイウエーに布陣しているキムの率いる一五○○名と、クーランガッタ攻撃から戻って
来て、この部隊に合流したバリーに指揮された五○○名の合計二○○○名のタンボリン山軍
だった。
さらに、
別のルートで逃げ出した五○○○名程の武器も持たない敗残兵は、猟銃やクリケッ
トのバット、ゴルフクラブ、草刈り鎌やスコップを持って武装した、それまで人民解放軍の
進軍を避けてネラング等の山手に避難していた怒りに燃えた市民たち一万人以上に取り囲ま
れた。
口々に大音声で怒りの言葉を投げかける大勢の市民に包囲されて、完全に戦意を失った人
民解放軍敗残兵は、全員抵抗することもなく、ここで降伏してしまった。
しかし、バリーの指揮する二○○○名のタンボリン山軍と対峙した一万名の人民解放軍兵
士は、迎え撃つのが僅か二○○○名の少数の兵士だと見るや、体制を立て直して戦闘に入ろ
うとした。
245
シシュフォス
しかし、
その背後には、
タンボリン山から駆け降りて来た馬に乗った一○○○名のカーボー
イ部隊と、親衛隊員を先頭にした千数百頭のラクダ部隊が猛然と襲いかかったので、遂に全
員敢なく戦意を喪失して捕虜となり、タンボリン山攻防戦はタンボリン山軍の完勝に終わっ
た。
ただ、残念なことは、呉元大佐は彼の乗った砂漠用大型戦闘車ブッシュ・マスターから機
関銃を撃ちまくりながら逃走したので、この戦闘車を攻撃する戦車や対戦車砲等の武器を持
たないタンボリン山軍にとっては、成す術が無く、遂に取り逃してしまったことだ。
(火牛の計)
ここで、このタンボリン山攻防戦についてのエピソードを紹介しておこう。
牛の角に松明を着けて敵陣に攻め入れさせるという奇襲作戦は、実は、参謀としてこの戦
いに参加していた歴史や故事に明るいウオンの進言によるものだった。
でんたん
ウオンの説明では、牛の角に松明を着けて敵陣を攻撃する作戦を、中国では『火牛陣』と
称して、戰国時代の「齊」の国の武將田單の発明になる作戦だそうだ。この作戦によって、
246
シシュフォス
田單は紀元前二八四年に敵の燕軍を打ち破ったことは中国では有名な故事だ。
く り か ら と う げ
たいらのこれもり
また、その後、この故事に倣って日本の平安時代末期の寿永二年 (一一八三年)の源平合戦
の折に、木曾義仲が牛の角に松明をつけ、倶利伽羅峠で 平 維 盛 率いる平家の大軍を破って
いる。
これを日本では『火牛の計』と呼ぶ。
さらに、彼の有名なカルタゴの名将ハンニバルは、第二次ポエニ戦争の『カンネの戦い』
の折に、カシリヌムの山中で四方をローマ軍に囲まれて窮地に陥ったが、ローマ軍をこの火
牛の計で打ち破って包囲を破り脱出したとの有名な戦史がある。
ウオンは、此れ等の故事を話してから、
「我が軍には戦車が無い。急造とはいえ、敵陣地を真正面から戦車無しで攻撃すれば、死
傷者が出るのは避けられない。タンボリン山の数カ所の牧場には数百頭もの牛が飼われてい
るので、この牛を使って『火牛陣作戦』を仕掛けて、人民解放軍の陣地を打ち破ろう」と提
案し、続けて‥‥、
「また、この火牛陣と併せて、ジョンが掘った地下道から敵陣の下に爆薬を仕掛けて攻撃
247
シシュフォス
をすれば、我が軍の損害は最小限に押さえられる」との作戦も提案したので、作戦会議はウ
オンのこの提案を即座に採用することになった。
248
シシュフォス
(脱走共和国政府軍首脳大追撃作戦)
それでは、再び戦闘の続きに戻ることにしよう。
残るは、シドニーに本拠を置く共和国政府だ。
レオンは、戦闘が完全に終了するのを見届けると、オーストラリア国防軍から脱走して来
たバリー大尉を初めとする十数名の若手将校を呼び集め‥‥、
「これから以降の連邦人民共和国政権に対する反撃は、現在ブリスベンに本拠を置き、中
立を唱えて静観しているオーストラリア国防軍と協力して軍事行動を行いたいので、これを
国防軍に提案したい。ついては、私に同行して欲しい」と、相談した。
呼び集められた若手将校たちは異口同音に、次ぎのようにウオンとレオンに進言した。
「我々は、表向きは国防軍を脱走したことになっておりますが、実は国防軍首脳の意向を
受けて、このタンボリン山軍に参戦しております。特に国防軍首脳は、共和国政府の自由・
平等と人権、それに民主主義を無視して、人民を弾圧する政策に強い嫌悪を感じておりまし
249
16
シシュフォス
たが、内戦になって、囚われの身の連邦首相等の多数の元政府高官が殺害されたり、国土が
これ以上荒廃したりして、国民が苦しむことを恐れてクーデターを控えておりました。
しかし、今回、人民解放軍が、自らを人民解放軍であると称しておりながら、Q LD州へ
の進軍の途上で人民に銃を向け、略奪をし、あまつさえ婦女子へ陵辱・暴行を働き、これに
抵抗する者は裁判すら行わずに即刻処刑するなどの乱暴狼藉を働いていることを各地に派遣
している密偵の報告で知り、共和国政府に対しては、敢えて内戦も辞せないとの方針に転換
致しております。
人民解放軍に引きかえ、タンボリン山軍は誠に軍律厳しく、物資や土地建物等の調達の際
にも手厚い対価を支払うので、国民の支持と支援は絶大であります。
また、我々は当初この軍に参加した際には、小銃さえも満足に持たない余りの軍備の劣悪
なことに驚いたほどで、これで果たして人民解放軍と戦えるのだろうかと疑問でした。とこ
ろが、我々軍人が考えも及ばない驚異的な無人飛行機やラジコン・ヘリコプター、それにロ
ケット噴射の大型ブーメラン等の新兵器を開発し、毒蛇やクロコダイル、毒蛙まで駆使した
作戦を考案して、見事十倍以上の人民解放軍を壊滅せしめたことに驚嘆しております。
250
シシュフォス
僭越ではありましたが、此れ等のことは、オーストラリア国防軍の総参謀長まで逐一報告
しており、国防軍もタンボリン山軍と協力して、国民の敵とも言うべき共和国政府に当たり
たいとの内々の連絡を受けております。
また、旧政府首脳やNSW 州、ACT (オーストラリア首都特別地域)
、VIC 州、SA州等
の市民や住民を人質にされて、
止むなく革命政府への反抗を控えていたQ LD州やNT準州、
WA州の各首相は、国防軍からの共和国政府にタンボリン山軍と共同して当たりたいとの報
告を聞き、北部オーストラリア連邦を新たに結成し、共和国政府に正式に宣戦布告する計画
であります。
このような状況にありますので、是非、早急にレオン司令官にはブリスベンを訪問してい
ただきたい」と、述べた。
これを聞いて、レオンは直ちに七人の親衛隊幹部隊員を連れて、バリー大尉を初めとする
将校たちと一緒に、二機のヘリコプターに分乗してブリスベンへ急いだ。
タンボリン山から国防軍の総司令部があるブリスベンのバラックまでは急げば車で約一時
251
シシュフォス
間の距離だ。ヘリコプターならば、二十分もかからない。
司令部に到着した時には、すでに将校たちから無線連絡が入っており、参謀総長のサー・
ジョン・ヒューストン空軍大将以下陸海空三軍の将軍や司令官たちとQ LD州のアンナ・ジェ
ラード首相が玄関まで出迎えて待ち受けていた。
会議室に入り、お互いに夫々紹介をして直ちに会議に入った。
会議の冒頭に、ヒューストン大将を初め国防軍の将軍たちから、タンボリン山軍の今回の
健闘を賞賛する声が上がり、アンナ首相からも、Q LD州が横暴な人民解放軍によって蹂躙
されなかったことへの感謝の意が表せられた。
会議では、タンボリン山軍側から、人民解放軍を打ち破ったが、すでに二万名に及ぶ捕虜
を抱えており、タンボリン山軍の僅かな陣容ではこの処置に困惑しているので、是非共国防
軍の手を借りたいと申し入れ、早速にこの提案は国防軍によって了承された。
国防軍は軍艦や輸送船を派遣して、これ等の捕虜を、パースから二六○○㎞離れた、イン
ドネシアに近いクリスマス島を初めとする各地の不法難民収容所や監獄に一先ず収容するこ
とにした。
252
シシュフォス
続いて、国防軍よりシドニーからQ LD州境までの間に、数万人の敗残兵が取り残されて
おり、これを放置すれば沿道の諸都市や町の治安に非常な危険を及ぼす恐れがあるので、こ
れらの敗残兵は、国防軍の責任において、早急に逮捕・収容して治安の回復を図ることに決
した。
ここで、アンナ首相から、すでにWA州首相、NT準州首相と共に「北部オーストラリア
連邦」を結成する内々の合意に達しており、アンナ首相がこの連邦の首相となるとの報告が
有った。
続いて、本日、オーストラリア国防軍が正式に反共和国政府の方針を打ち出せば、国防軍
を北部オーストラリア連邦国防軍 (以後、北部国防軍)として、共和国政府に宣戦布告したい
と申し出があり、国防軍はこれを承認した。
また、レオンからは、タンボリン山軍もこの北部国防軍の指揮下に入ることを申し出て了
承され、レオンは早速この場で、北部国防軍の大将に任命され、改めて参謀総長からタンボ
リン山軍の指揮を執るように命ぜられた。
253
シシュフォス
さらに、
北部国防軍から、
今入ったばかりの情報として、
ACT(オーストラリア首都特別地域)
、
NSW州、VIC州からの緊急報告があった。
それによれば──、
《シドニーやメルボルン、それにキャンベラやアデレードでは、Q LD州遠征の人民解放
軍が全滅したという報が届くやいなや、全市民が立ち上がり、共和国政府に猛烈なデモを仕
掛け、また中国人に対して暴力を振るい、チャイナ・タウンは破壊・略奪され、悪逆非道の
行為で市民の怨嗟の的となっていた警察庁長官の陳永勝が市民に捕らえられてリンチを受け
て、街中で絞首刑にされた上に、木から吊るされている等々今や市内は大混乱となっている》
──との報告だ。
この混乱を収束させ、治安を回復させるには、現状の警察力では如何ともし難いので、北
部国防軍が出動する必要があり、すでに北部国防軍は陸軍の出動準備に入っており、空軍で
一
―七輸送機八機を、ブリスベン空港やパース空港、空軍のダーウィン基地から緊急
は貨物搭載能力七十七㌧で戦車や攻撃ヘリコプター、完全装備の陸軍兵士一八九名を搭載出
来るC
ピストン空輸し、併せて民間航空機も動員して陸軍兵士を運び、これに加えて各地の軍港か
254
シシュフォス
らも輸送船で大量の兵士を輸送することを確認した。
また、この会議の最中に、キャンベラの共和国政府の胡大統領や鄭首相を初めとする主要
(以後「スター
Sturt Stony Desert
メンバー約二十名が、ゴールド・コーストから逃げ帰った国防大臣の呉元大佐に指揮された
人民解放軍の精鋭約二○○名に守られて首都を脱出して、
「
ト砂漠」
)
」に向かったという情報が入ってきた。
これにより、豪州連邦人民共和国政府は、今や完全に崩壊・消滅したと考えられと全員の
意見が一致した。
この情報を聞いたレオン大将は、即座に、北部国防軍参謀総長に対して、空軍にレオンと
その親衛隊一○七名をラクダ一五○頭と一緒にNSW州へ空輸してもらい、この脱出した共
和国政府の二百数十名を追跡し、捕捉又は殲滅することを進言した。
「シシュフォス」隕石大災害の前ならば、この様な不法分子が砂漠に逃れても、軍用機や
軍用ヘリコプターを出動させれば、容易ではないものの発見は可能で、これを捕捉すること
が出来たが、今回の「シシュフォス」隕石災害では、殆ど総ての衛星は機能を失って、GP
255
シシュフォス
Sも使用出来ない。従って、航空機やヘリコプターの運行は、総て人間の目に頼る有視界飛
行だ。
また、衛星を介する通信システムが仇となり、衛星抜きの遠距離の無線も信頼出来ないよ
うな状況だ。この様な状況下では、砂漠のような何の目標も無い広大な場所での航空機の運
行は危険でもあり、殆ど不可能だと言っても過言ではない。
従って、人間が追跡して捕捉するより方法がない。
革命政府の主要メンバー二十名が、人民解放軍の精鋭約二○○名に守られて、空路や海路
を選ばずに、車でスタート砂漠に脱出したと言う報告を聞いて、北部国防軍の首脳たちは一
様に首を傾げた。
ス タ ー ト 砂 漠 は、 東 京 都 の 約 一・五 倍 の 広 さ を 持 つ 灼 熱 地 獄 の 砂 漠 だ。 日 中 の 気 温 は
四十 ℃、地表温度は五十 ℃を超える。
その上に、その “ Sturt Stony Desert
”(石の多いスタート砂漠)の名前の通り、砂漠と言って
も岩や礫や小石の混じった土漠が大半で、それに所々にブッシュや僅かの灌木があり、生
256
シシュフォス
き物と言えば、人間程の大きさのアカカンガルーが時速四十五㎞もの猛烈な自動車並みのス
ピードで駆けているだけだ。
道路と言っても、土道の悪路の七九号線がQ LD州との境までで、そこからは道は無く、
宿泊する場所はと言えば、一〇〇年以上前の羊牧場農家のあばら屋が見付かれば幸運で、さ
もなければ岩陰や木陰に寝るより他はない。
猛暑のために、行軍には一日一人四㍑以上の飲み水を必要とする。
所々に池はあるものの、砂漠やブッシュでは、余程馴れていなければ、水を見付けること
は非常に困難だ。
荒い石ころの多い土漠では、道があっても非常な悪路で、ここを走行するには四輪駆動車
でも大変な困難を伴う。この砂漠の名付け親となった、チャールズ・スタートは馬で探検に
出かけたが馬は脚を引きずり、連れて行った牛や羊は蹄をすり減らした。
このような砂漠では、完全装備で、訓練が行き届いた陸軍の兵士でも行軍には難渋し、遭
難する危険さえあるほどだ。
共和国政府の主要メンバーや、人民解放軍の兵士たちは中国人を主体とする外国人が大半
257
シシュフォス
(この小説の舞台となるオーストラリアの地域)
を占めている。
砂漠へ逃げれば、追っ手がかかる確率は低くはな
るが、砂漠に馴染みがない筈の彼等が、死の砂漠で
隠れ場所を探し当てたり、長い間生存出来たりする
Innamincka Recreation Reserve
可能性があるとは考えられない。
砂 漠 の 中 に は「
( イ ナ ミ ン ク・ レ ク レ ー シ ョ ン 施 設 )
」等の観光施設もあ
るが、ここへ入れば当然官憲に通報され逮捕は免れ
ない。
また、幸運にもスタート砂漠を抜け出ても、その
先 は「 エ ア ー ズ ロ ッ ク (世界最大の岩山。「ウルル」と
原住民は呼ぶ。)
」で有名な、さらに一段と広大で乾い
た赤い砂のビッグ・レッドと呼ばれる、オーストラ
258
シシュフォス
リア第四の「シンプソン砂漠」だ。
この砂漠は、スタート砂漠より遥かに広く、その中にある砂丘には世界最大のものがある
程で、横断にはさらなる困難が待ち受ける。
彼等の目的は、スタート砂漠とシンプソン砂漠の両砂漠を抜け出て、シンプソン沙漠の中
の町アリス・スプリング周辺の小さな町や民家で食料や水、車両や燃料を奪い、八七号線を
北上して北部の中国人鉱山労働者の多い町に隠れることだと予測される。
レオンはこれらの条件を勘案して、
彼等が最も目指しそうなところは、
NT準州のダーウィ
ンの東約二五〇㎞にあるレンジャー鉱山の周辺の町ではないかと予想した。
この鉱山は、資源メジャーのリオ・ティント社の子会社のERA社が経営している世界最
大の露天掘りのウラン鉱山で、親会社のリオ・ティント社の株式の六十㌫は中国企業が保有
し、鉱山労働者の過半数は中国人労働者だ。
なお、オーストラリアには原子力発電所は無く、ウラン鉱石の輸出先は二○一○年頃まで
は、米国、EU、日本が各約三十㌫宛で中国へは僅かであったのが、暫時中国向けが増加し、
二○二五年には遂に中国がリオ・ティント社等の主要鉱山会社の株式の六十㌫を取得するに
259
シシュフォス
及んで、ウラン鉱石の輸出先は六十㌫以上が中国向けとなり、それに伴い中国人労働者が大
量に移入されて、今や周辺には人口十万を越すチャイナ・タウンまで出来ていた。
まさに、中国政府が天然資源獲得に成功した、典型的な中国の植民地の様な街だ。
このような辺境のチャイナ・タウンに、僅か二十人ばかりの共和国政府の幹部が分散して
隠れてしまえば、探し出すことなど殆ど不可能だ。
レオン以上に砂漠に詳しい者は、原住民アボリジニを除いては、オーストラリア人にも数
少ないことは北部国防軍でも承知しており、レオンの申し出は早速許可された。
レオンがブリスベンの国防軍司令部から帰って、事の次第をウオンに話して、これから親
衛隊約一〇○名を率いて、キャンベラから逃亡した共和国政府幹部の一行を追跡すると報告
すると、ウオンは悲しそうな顔をして頷いて、一言だけ‥‥、
「鄭首相は、お前の叔父だ」と答えたので、レオンは驚いたが、ウオンはそれ以上詳しい
ことは何故か話そうとはしなかった。
260
シシュフォス
【脱走共和国政府幹部捜索特別部隊 (以後「捜索隊」)
】
脱走共和国政府幹部を捜索する親衛隊員の編成と装備は、以下のようである。
(司令官)
:レオン国防軍大将
(隊員)
:親衛隊幹部七名及び一般隊員一〇〇名の合計一〇七名。
(主要装備)
:無人飛行機三機。ラジコン・ヘリコプター二機。軍用トラック四台。軍用四
輪駆動車三台。砂漠用特殊軍用戦闘車両ブッシュ・マスター二台。ラクダ一〇〇頭。M72
LAW軽対戦車ロケット砲三門。遠距離狙撃銃 (アキュラシー・インターナショナルAW50)二
丁。M203グレネード・ランチャー五基。大型ブーメラン爆撃機三十機。小型ブーメラン
二○○個。大ビニール袋一〇〇枚。自動車用燃料、無線機、望遠鏡、磁石、食料と水。寝袋、
炊飯道具、医薬品等々。
その他に、各人にオーストラリア国防軍独特の形状をした高性能自動小銃「ステアーAU
G」とFNブローニング・ハイパワー拳銃を各一丁とコンバット・ナイフを携行させた。
なお、砂漠用特殊軍用戦闘車両ブッシュ・マスターを二台加えたのは、脱走共和国政府軍
が逃亡に際して、機関銃を装備した二台のブッシュ・マスターを逃走車両群に加えたことが
261
シシュフォス
(左、ブッシュ・マスター。
上、ステアーAUG)
判明したからだ。
そこで、オーストラリア国防軍に、追跡拠点となるバーク空港に
二台のブッシュ・マスターを準備するように依頼した。
なお、ブッシュ・マスターはオーストラリア陸軍が砂漠戦闘用に
開発し、オーストラリアのADI社が生産する国産の4×4型装輪
歩兵輸送車両で、兵員を迅速に作戦地区に機動させるのを目的とす
る。
車重は一・七㌧で、
兵員九名が搭乗して兵員の食料と水を搭載し、
強力な空調設備を有しており、しかも一〇〇〇㎞以上の路上航続距
離があり、砂漠での兵員輸送車両としては、世界最高の性能を有す
るオーストラリア陸軍が誇る車両だ。
なお、七・六二㍉の機関銃一丁を装備している。
それに、今回使用するブッシュ・マスターは、かつて、アフガニ
スタンやイラクの戦闘でも使用されて勇名を轟かした車輛を更に改
良して航続距離の延長や、悪路走行性能をアップした新型車輛だ。
262
シシュフォス
レオン司令官とその親衛隊一○七名は、ブリスベン空港からC
一
―七輸送機二機を使用し
て、一九九○年頃まで空軍が使用していたシドニーから八○○㎞北西に在るバーク空港に到
一
―七は、すでにこの時代では古い機体で、余り使用されないため、それが幸いして地
着した。
C
下格納庫に入っていたので、隕石の被害から免れた。未舗装滑走路でも離着陸可能で、しか
も離着陸には九一○㍍という短距離離着陸能力を有して、バーク空港のような古い砂漠の空
港にも離着陸出来る。
ここからは、脱走共和国政府幹部が逃れたと思われる北西へ向かっては、広大なスタート
砂漠が広がっており、本格的な砂漠の行軍が始まる。
早速、隊員のシンは、搭載して来た無人飛行機を他の隊員を指導して組み立てて、飛行場
の滑走路から発進させた。
しかし、これまでも記述したように、今次の「シシュフォス」隕石災害によって、通信衛
星やGPSは総て破壊されてしまったので、無線が届かない遠距離からでは、予め飛行経路
263
シシュフォス
を無人飛行機のコンピュータにインプットした航路以外には飛ばすことが出来ない。
五時間程経った頃、やっとバークから北西約六○○㎞で、ブリスベンから西方九八○㎞の、
Q LD州の砂漠の人口五○○人程の小さな町「クイルピ」付近で野営している一団を発見し
た。
残念ながら、無人飛行機からの映像は、余りに距離が離れ過ぎているために不鮮明だ。し
かし、今頃、砂漠に集団で野営して居るのは脱走共和国政府幹部の一行に間違いない。彼等
が、ハイ・ウエーが通っているカナマラの町に立ち寄らずに、直接クイルピ付近に来たのは、
あくまでも砂漠を通って逃亡を計るものと考えられる。
しかし、クイルピの町の低空を飛行して帰って来た無人飛行機から取り出した超小型デジ
タル・ビデオ・カメラの映像を見て、レオンたちは愕然とした。脱走共和国幹部たちは、こ
の町を略奪し、住民 (半数は原住民のアボリジニか混血)の多数を惨殺していたのだ。
彼等は、すでに乗って来た車の半数以上を失い、さらに燃料や食料、飲料水も尽きたので、
遂に略奪・暴行に及んだのだった。
クイルピから進路の延長線上三○○㎞には、
人口僅か四十人の「ウインドラ」の村もあり、
264
シシュフォス
さらなる悲劇を引き起こさないためにも、一刻も早く彼等を捕捉する必要がある。
しかし、彼等はレオンの捜索隊よりも六○○㎞も先行している。
捜索隊が彼等より一日に五十㎞早く進んでも、追い付くには十日以上掛かってしまい、こ
れでは彼等がクイルピから一一○○㎞程離れたアリス・スプリング近郊に逃げ込んでしまう
公算が大だ。
一旦、アリス・スプリング近郊からスタート・ハイウエーに乗ってしまえば、一五○○㎞
離れたダーウィンまでは一直線だ。
レンジャー鉱山を初めとして、幾つかある鉱山のチャイナ・タウンに紛れ込まれてしまえ
ば、探し出すのは至難の業だ。
そこで、レオン司令官は幹部隊員六名と、それに一般隊員から選抜された十五名の合計
二十一名を率いて、装備は小銃と拳銃、ブーメラン、携帯用対戦車ロケット砲二門、大型ブー
メラン五基、ラジコン・ヘリコプター二機、遠距離狙撃銃とグレネード・ランチャー各二基
等々を軍用四輪駆動車ランドローバー・ディフェンダー二台とブッシュ・マスター二台、そ
265
シシュフォス
れに加えて若干の水と食料や医薬品等ごく軽い物をラクダ二十頭に積んだ軽装備で先行する
ことにした。
携行する水と食料の量が余りに少ないのを心配する隊員たちに、レオンはブッシュや砂漠
には食料や水はいくらでもあるので心配するには及ばないと説明した。
レオンが部隊を二つに分けたのには、次のような理由があったからだ。
ラクダは、一日に一五○㎞のペースで三〜四日も歩くことができるが、一○○㌕ほどの荷
物を載せた運搬用のラクダは、一日に二十五〜五十㎞に速度が落ちてしまう。そこで、レオ
ンが‥‥、
「この炎天下で、道が満足に無く、岩や石が多いこのスタート砂漠を素人集団の脱走共和
国政府軍が進むには、仮に四輪駆動車を使っても、一日に五十㎞以上は絶対に無理だ。我々
先行部隊が、一日に一五○㎞以上進んで、後続部隊から無人飛行機で爆撃して彼等の進行を
妨げれば、
巧く行けば、
五日以内に彼等を捕捉することが出来る」と、考えたのがその理由だ。
後続隊の隊員たちはシン幹部隊員が指揮して、武器や装備品に医薬品、それに食料や水、
266
シシュフォス
燃料を軍用トラックと四輪駆動車、それにラクダに分散して搭載した。
先行部隊に遅れないように追随するのは無論だが、無人飛行機やラジコン・ヘリコプター
が使用出来る距離に入った場合、遅滞なく爆撃を開始し、更に大型ブーメランの射程 (射程
五○○○㍍)に入ったならば、ブーメランの爆撃で彼等の進路を妨害する作戦だ。
レオンはシドニー大学在学中から、ブッシュ・タッカー (砂漠やブッシュでの食料)の研究で、
スタート砂漠やシンプソン砂漠に入っており、卒業後の五年間もこの両砂漠でアボリジニた
ちと生活を共にしたので、レオンにとっては、この二つの砂漠は我が家の庭のようなものだ。
また、幹部隊員のフランクは元カーボーイで、この二つの砂漠に点在する羊や牛やラクダ
の牧場を渡り歩いており、砂漠の生活と地理にはレオンに次いで詳しく、この二人がいれば、
夜間の行軍もそれほど困難ではない。
そこで、昼間の猛烈な暑さは避けて、日没から夜明けにかけて行軍することにして、日中
はフランクが探し出して来た水辺で休むことにした。
267
シシュフォス
(砂漠やブッシュには、水やブッシュ・タッカーが豊富)
レオンは岩山に出会うと、岩登りの巧みなジョンに命じて岩山に登らせて、アボリジニが
描き付けた渦巻き状の模様を探させた。
その模様があるとの報告に接すると、レオンも近くまで登って行って渦巻きの形状を調べ
た。そうすると、アボリジニの描いた渦巻きによって水の在処が分かるのだ。
また、休んでいる間に、レオンは隊員数人に大きな透明のビニール袋を持たせて灌木がま
ばらに生えている林に入って、木の種類を調べては、枝にビニール袋をかぶせて歩いた。
隊員たちがレオンに、何故こんなことをするのかと尋ねても、彼は笑って答えなかった。
そして、夕方になり炊事の前になると、このビニール袋を隊員に集めに行かせた。
すると、隊員たちが、
「袋の中に水が入っています!」と大きな驚きの声を上げるのをレ
オンは見て‥‥、
「この灌木のガムの木の葉から、日中の強烈な太陽の熱で水蒸気が出て、それが夕方になっ
て急激に気温が下がると水滴になって集まったのだ。この水は非常に綺麗で、飲んでも全く
害がない」と初めて種明かしをした。
268
シシュフォス
炊事の水はこうして集めた水で充分に間に合い、更に昼間飲んだ分までも補給出来る程の
豊富な量だった。
これで初めて隊員たちにも、何故携帯する荷物の中に、大量の大型ビニール袋が入ってい
るかの謎が解けた。
この他にも、レオンがブッシュの中で立ち止まって‥‥、
「ここを掘ってみなさい」と言った箇所を掘れば、必ず水が湧き出るので、隊員一同驚き
呆れるばかりだった。
後で、レオンは、
「あれは、カンガルーが水の在処を見付けて掘った跡や、アボリジニが小さな井戸を掘っ
てその上に石で蓋をした場所だ」とこれも種明かしをしてくれた。
レオンの砂漠やブッシュでの知識には、永年砂漠でカーボーイをしていたフランクでさえ
も感心したほどだった。
夕食は、日中に休止した池で獲った淡水の魚と大きなエビ、それにヤビーと呼ばれるオー
ストラリア・ザリガニ、七種類もいる淡水の蟹、それに加えて、ブッシュで捕獲した一㍍半
269
シシュフォス
もある大トカゲのゴアナ ( GOANNA
)三匹の丸焼きだった。
た。
たところで、隊員たちに池に入ってこの木の皮を揉んでほぐして水の中に入れるように命じ
ンが、池の側にある木の皮を削いで、これを岸辺の石の上で叩き始めた。充分に細かくなっ
魚を捕るのに、隊員たちは初め釣り竿を持ち出したところ、中々釣れない。すると、レオ
ストラリアには、これを売り物にしているレストランまであるほどだ。
ゴアナの丸焼きは、
アボリジニのご馳走だ。ゴアナの肉はジューシーでとても美味い。オー
(上から、ゴアナ、クアンドン、
ブッシュの木の実。蜜アリ)
270
シシュフォス
隊員たちは妙なことを司令官は言うな、何かアボリジニのお呪いかと思いながらも指示さ
れた通りにやって十分程待つと、大量の魚が浮き上がって来て、簡単に手で捕まえることが
出来た。この木の皮には魚を麻痺させる成分が含まれていたのだ。
デザートはブッシュ・ピーチ別名クアンドン( Quandong
)
やその他ブッシュで集めた木の実、
それに岸に生えている太い水草の茎の芯のサラダ等だった。
エビやヤビー、淡水の蟹も岸辺に生えている植物を材料にして、簡単な捕獲機を作って池
に沈めて置くだけで、面白いように採れるので、若い隊員たちは大喜びをした。特にヤビー
は、木の実を着けた簡単な釣り竿で幾らでも釣れるので、隊員は子供の頃に返って大はしゃ
ぎだ。
更に、レオンが指摘したところを掘ると、アリの巣が出てきた。
その巣を壊すと異常にお腹の大きくなったアリが沢山いて、レオンがこのアリを捕まえて
口に入れるので、隊員たちは驚いて見ていると、レオンが‥‥、
「このアリの尻の大きな袋の中身は全部甘い密だよ。試してみなさい」と勧めるので、隊
員たちが恐る恐る口に入れてみると、本当に甘い蜜なのでこれにもびっくりした。
271
シシュフォス
いずれも、レオンの指摘した場所へ行き、教えられた捕獲方法でやれば、砂漠やブッシュ
でも、今まで見たこともない食べ物が簡単に手に入るので、隊員たちは驚きの連続だった。
また、ブッシュや砂漠で働いていたフランクでさえも、知らないことを沢山教わったと感
心した。
レオンは夕食の時に隊員たちに次のような話をした。
「確かなことは未だ分っていないが、原住民のアボリジニは、四〜五万年も前に、インド
大陸の方からこのオーストラリアにやって来たと考えられている。彼等は、砂漠やブッシュ、
それに森の中で、こうしたブッシュ・タッカーを上手に利用しながら、数万年も生き延びて
きたのだ。白人は二五〇年程前にやって来て、アボリジニのこうした知恵を野蛮な風習だと
馬鹿にして、砂漠やブッシュの探検に乗り出し、多くの犠牲者を出した。
私は若い時からこのブッシュ・タッカーに興味を持って、アボリジニの中に入って生活し、
彼等の知恵を学んだ。
不幸にして、超巨大小惑星『シシュフォス』隕石大災害によって北半球は全滅して、今や
272
シシュフォス
残る人類の大半はオーストラリアとニュージーランド、それにオーストラリア周辺の少数の
島国や、一部のアフリカや南米の国々だけになってしまった。この数少ない人類が、この荒
廃した地球で生きて行くためには、もっとアボリジニの知恵を活用しなければならない」と
話して、さらに続けて‥‥、
「ブッシュ・タッカーには、ブッシュや砂漠、それに森に生える草や木の実だけではない。
ゴアナやカンガルー、エミュー、それに野生化した百万頭を越すラクダ等も活用しなければ
ならない。
余り知られていないが、これも野生化した水牛や猪も多く、NT準州等では可成りの数が
が増え過ぎて、これ を 普 通 の 蛙 と 間 違 え て 食べ たゴ ア ナ が 大 量
CaneToad
生息していて、大災害前までは『バッファロー猟ツアー』とか『猪猟ツアー』とかの狩猟ま
で行われていた。
また、毒蛙の
に死んで、その数がQ LD州北部やNT準州では激減した。ゴアナはワニの卵が大好物で、
これを食べてクロコダイルが異常繁殖するのを防いでいたが、この食物連鎖の輪が大トカゲ
の激減で狂って、今やクロコダイルが危険なまでに増えている。
273
シシュフォス
以前からクロコダイル・サファリーがあり、また、クロコダイルを養殖してその肉や皮を
利用していたが、これからはこの異常に増えた野生のクロコダイルを積極的に捕獲して、食
料にすることを考えなければならない。クロコダイルの肉は、鶏肉のような味でコラーゲン
やオメガ三系脂肪酸 (リノレン酸、エイコサペンタエン酸、ドコサペンタエン酸、ドコサヘキサエン酸)
等の栄養素を多く含み、女性の美容にも良い。
さらに、ブッシュ・タッカーは医薬品としても貴重だ。
『シシュフォス』隕石大災害後は、北半球の先進国からの医薬品の供給が途絶えており、
また、新薬の開発もオーストラリアとニュージーランドだけでは中々進まないと思う。
I
―p i』とアボリジニ
オーストラリアの野生植物から採った薬と言えば、ユーカリ・オイル等を思い浮かべるが、
その他にも薬用に使える植物や鉱物が沢山ある。例えば、『Ip i
たちが呼ぶ草は食べれば毒だが、その花の汁は、傷や皮膚病にはとても効果があり、また、
クアンドンの実からは女性の肌に良い成分が抽出されるので、化粧品の素材として利用出来
る。
中国人は二○○○年以前の昔から、薬になる草や石を研究して、これを『本草学』として
274
シシュフォス
伝えてきた。日本や韓国でも現代医学と併用してこの『本草学』すなわち『漢方』を利用し
て大きな成果を挙げていた。これからは、オーストラリア独自の『本草学』を本格的に研究
する必要があると私は考えている云々」と若い隊員に夕食をしながら教育をした。
こうして、レオンたちの追跡が始まって四日目の昼頃に、後続部隊のシンから、無人飛行
機の偵察でレオンたち先行部隊の前方約一〇〇㎞、後続部隊からは約三〇〇㎞の地点で、脱
走共和国政府軍一行が、池の畔で野営をしているのを発見したとの無線連絡があった。
都会から遠く離れた、学校の無いブッシュや砂漠の牧場に住む子供たちの教育用に特別に
開発されたオーストラリア独特の無線機は、流石に砂漠地帯では明瞭に音声が聞き取れる。
275
シシュフォス
(脱走共和国幹部の壊滅)
シンから脱走共和国幹部一行が野営しているとの報告が入ったので、レオン司令官は直ち
に、無人飛行機による高空からの爆撃をシンに命じた。今回の追跡は彼等を殺すのが目的で
はなく、出来れば生きて捕虜にすることである。
それ故に、高空からの爆撃は彼等の進路を妨害し、進むスピードを落とさせることが目的
だ。また、彼等が対空ロケットのような兵器を所持しているとの情報は無いが、低空飛行さ
せて、機関銃や小銃で数少ない無人飛行機を撃墜されることも防がなければならない。
そこで、高空からの爆撃を命じたのだ。
レオンは、シンからの無線が入るや、全員に出発準備を命じた。
それから一時間程経過すると、爆撃は成功して、脱走共和国幹部一行は大混乱に落ち入っ
ているとの報告がシンから入った。
日中で地上の表面温度は既に四十五 ℃に近かったが、準備の終わっていたレオンの指揮す
276
17
シシュフォス
る先行部隊は、早速全速力で進軍に入った。
準備の最中に、隊員とラクダには充分に水分補給を命じてあり、ラクダも元気一杯に走り
始めた。
余談にはなるが、ラクダは馬と違って象やキリンと同じ「側対歩 (同じ側の前足と後ろ足を
同時に上げる歩き方)
」で歩く。従って、ゆっくり歩いている時には、身体が左右に揺れるので、
乗り手は船酔い (ラクダ酔い)を起こす程だが、早く走り出すと上下には揺れても乗り心地は
快適になる。
閑話休題。
二時間程進軍した後で、水辺を見付けて小休止し、ラクダに水を飲ませ、熱さに参ってい
る隊員は、空調の利いたブッシュ・マスターの中の元気な隊員と入れ代わって、再度進軍を
開始した。
この小休止の間に、三人のアボリジニの若者がやって来た。
277
シシュフォス
彼等は脱走共和国幹部の一行が略奪・惨殺したクイルピの町の住人で、たまたまブッシュ
にアカカンガルー狩りに出ていて難を逃れたが、何としても家族と友人たちの敵を討ちたい
ので、レオンの部隊に加わりたいと懇願した。
レオンはこのクイルピにも住んだことがあり、彼らは生き残った長老たちから、この残虐
な憎むべき脱走共和国幹部一行を、以前この町に住んでいたレオンが一隊を率いて追跡して
いると言う話を聞いて、その逮捕に少しでも役に立ちたいとやって来たと話した。
レオンは、快く彼等の協力を受け入れることにして隊に加えた。
シンからは二度目の無人飛行機の爆撃も成功して、ブッシュ・マスターを初めとして、脱
走共和国幹部一行の車両の大半を破壊したとの無線連絡が入った。
これで、彼等は徒歩による逃走しか出来なくなった訳だ。
その後も数回の小休止を挟んで、彼等から三㎞の距離に達したところで、レオンは、陣地
を作り、大型ブーメランの発射準備をするように命じた。ブーメランなら、例え彼ら脱走共
和国幹部たちが陣地を作っていても、後方から攻撃が可能だからだ。
278
シシュフォス
そして、元カーボーイのフランク、それにドライビングの天才児のピーター、ブーメラン
の名手のテリーの三名に、隊員五名を加えた計八名を、ランドローバー二台に分乗させて威
力偵察隊として出発させた。二台は互いに無線で連絡を取り合いながら、二方向から彼等に
接近して、約一○○○㍍の地点で停止して、双眼鏡で状況を調べると、敵は襲撃に備えて、
破壊された車両を利用して防衛陣地を構築していた。流石に人民解放軍の精鋭部隊であり、
一時の混乱からは立ち直って応戦する体制を固めているようであった。
また、破壊されたブッシュ・マスターから取り外した機関銃も陣地から覗いており、不用
意に進めば大損害を被る可能性がある。
フランクはこの状況を無線でレオンに報告してきた。
もう一台のピーターからの無線による報告と合わせて、敵陣の位置が正確に分かったので、
準備が整っていた大型ロケット噴射装置付きブーメラン五台に小型爆弾を搭載して発射を命
じ、次いで二十㌕小型爆弾を積んだラジコン・ヘリコプター二機を発進させて爆撃を数回繰
り返した。
これで、敵陣は再度破壊され、機関銃も壊れた様子なので、フランクが敵陣に近づくと、
279
シシュフォス
それでもなお、敵陣からは小銃による抵抗が開始された。フランクが再三にわたり拡声器
で投降するように勧めたが抵抗は止まない。レオンはフランクには捕虜にするように命じて
あったが、抵抗が止まないので止むなく、グレネード・ランチャーを付けたAUG小銃で擲
弾二発を敵陣地に打ち込むことを許可したところ、抵抗は完全に終わった。
フランクたちが敵陣に乗り込んでみると、脱走共和国軍兵士の約半数の一〇〇名程は既に
死亡しており、残りの者も負傷するか戦意を喪失して降伏したとの無線連絡があり、レオン
も後続部隊を率いて敵陣地に入った。
しかし、そこには、肝心の脱走共和国の幹部の姿が見当たらない。
そこで、捕虜を尋問すると、八名の幹部たちは、無人飛行機の第一次爆撃が終了した後、
破壊を免れた四輪駆動車パジェロ二台に分乗して、一時間程前に脱出したとのことである。
レオンは‥‥、
「この先は、四輪駆動車でも走行は無理な岩だらけの地形だ。それほど遠くへは行ってい
ないだろう。ラクダで追いかけよう」と命じて、留守部隊と捕虜の扱いを副隊長のジョンに
280
シシュフォス
任せて、フランクたち五名と、それにアボリジニの若者三名と共にラクダに乗って追撃を開
始した。
一時間程行くと、そこにはタイヤがバーストしたりして動けなくなったパジェロ二台が放
置されていた。
レオンとアボリジニの三人で、逃亡者の足跡から判断して逃亡方向を定めて追撃を再開し
281
た。一時間も進むと、今度は、岩山に入りラクダでもこれ以上進めなくなった。そこで、ラ
クダはピーターが見張りをして残すことにして、さらにアボリジニを案内にして徒歩で進む
と、 前 方 一 〇 〇 〇 ㍍ 程 の 距 離 に 在 る 大 き な 岩 に
人 影 が し た か と 思 う と、 銃 声 が し て 弾 が 近 く の
(狙撃)を
sniping
A W 5 0」 の ス コ ー プ で 目 標 を 探 し 始 め た。 こ
式 狙 撃 銃「 ア キ ュ ラ シ ー・ イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル
射撃の名手のキムが、オーストラリア陸軍の制
命じ、他の隊員は岩陰に身を隠した。
岩に当たった。そこで、キムに
(上、アキュラシー・インター
ナショナル AW50。下、カイ
リー。)
シシュフォス
の銃は、強力なNATO弾を使用するので、一○○○㍍を超える長距離でも、風などの外部
環境に影響されることの少ない超遠距離狙撃銃だ。
レオンはキムに、
「敵には出来るだけ、致命傷を与えないように」との難しい注文をつけたが、キムはこれ
に頷いて第一弾を発射した。見事命中したようで、岩陰では悲鳴が上がり、この隙をついて
他の隊員たちは岩陰を伝って前進を開始した。
アボリジニの三人に前方の岩山の状況を聞き、約三○○㍍まで近づいたところで、アボリ
ジニとアボリジニの血を引くブーメランの名手テリーに、ブーメランを投げるように命じた。
四人はさらに岩山に三十㍍近くまで接近して、狩猟用のブーメランの「カイリー」を次々に
投げ始めた。ブーメランは岩を越えて再び戻って来て岩陰の敵を後部から襲ったので岩陰か
ら悲鳴が上がり、小銃で反撃しようとする者もいたが、直ぐさまにキムの狙撃に会って頭を
引っ込めてしまった。
レオンは携帯用拡声器を使って、英語と中国語で投降するように再三呼びかけたが、投降
282
シシュフォス
を拒否して反撃の銃声が続くので止むなくキムとフランクに、使い捨て対戦車ロケット砲「M
72LAW」を岩山に撃ち込むよう命じた。
二発のロケット弾が白い煙を引いて撃ち込まれると、抵抗は全く止んで静かになった。
レオンはキムに援護するように指示して、フランクと医者のハンスとテリー、それにアボ
リジニの三人を連れて岩山の中に入って行った。そこでは、五人が死亡しており、重傷の三
人が横たわっていたが、とても抵抗出来るような状態ではない。
レオンがその内の一人の老人に近づいて行くと、その男がレオンに拳銃を向けたが、レオ
ンは構わず歩き続けた。フランクたちは、
「レオン危ない!」と叫んでその男を銃で射殺しようとした。
レオンはフランクたちに、
「撃つな」と言って置いて、男に向かっては中国語で、「請不要
拍 (撃たないで下さい)
」と大声で制止して歩き続けた。
すると、拳銃を構えていた男がこれも中国語で、
「黄寛の息子か?」と言ったかと思うと、拳銃の構えを下ろした。
レオンはその男に駆け寄って、中国語で
283
シシュフォス
「鄭おじさんですね?」と訊いて、彼をかき抱いた。
彼は息も絶え絶えに、中国語で‥‥、
「そうだ。レオンと言ったな。おれは、従兄で幼なじみの黄寛兄さんが、六四天安門事件
の後でオースラリアに亡命したのを知ったので、それを頼りに人民解放軍の権力争いから逃
れてこの国に来たが、残念ながら、寛兄さんに会う前に、今回のクーデター騒ぎに巻き込ま
れてしまって、心ならずもクーデターに手を貸すことになり、首相にまで選ばれてしまった。
首相に成った頃に、タンボリン山の反連邦人民共和国の首魁のウオンと言う者が寛兄さん
で、その息子レオンが反乱軍の司令官なのを知って、人民共和国の成立に力を貸したことを
後悔したが、もうその時は家族を人質にされてしまって手遅れだった。
今回、キャンベラから逃れ出る前に、おれは降伏を勧めたが、胡大統領はともかく、呉元
大佐に妻と孫を人質に取られた上に、拳銃を振りかざしての脅迫に屈して、遂にここまで来
てしまった。
ここでは、胡大統領もお前の中国語の降伏勧告を聞いて、降伏することを決心して、白旗
を掲げて出て行こうとしたが、呉元大佐に射殺されてしまった。わしは、呉元大佐を拳銃で
284
シシュフォス
射殺したが、呉の撃った弾にも当たってしまった。もうわしは、駄目だ。しかし、一目でよ
いから寛兄さんに会って謝りたかった‥‥」
と苦しい息の下でここまで喋ると、息を引き取っ
た。
医師のハンスが、近寄って来て鄭首相の脈を診て、傷を調べてレオンに首を振って駄目だ
と伝えた。
レオンの目からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。
フランクとハンスとテリーの三人は、レオンが泣くのを見るのは初めてで、レオンたち二
人の中国語の会話が分からないので、何故レオンが泣くのかと大変驚いた。レオンは‥‥、
「残念なことに、この人は私の叔父だ」と言うと、コンバット・ナイフを取り出して一房
の髪を切り取り、紙に包んで胸のポケットに入れ、「すまないが、手厚く葬って欲しい」と
言い残して立ち去った。
フランクたちは、未だ虫の息のある幹部の二人に、「この男は何者だ」と尋ねると、苦し
い息の下からやっと、
「我々の鄭首相だ」と答えて息絶えた。
285
シシュフォス
フランクたちは、アボリジニの三人に手伝わせて、岩山の洞窟に死者を運び入れて土をか
け、野犬のディンゴ等が死体を荒らさないように、洞窟の入口を大きな岩で塞いだ。そして、
アボリジニたちにも、決してこの墓を暴かないようにと厳しく言いつけた。
死んだのは憎い人民共和国の幹部たちだが、レオン司令官の振る舞いから、アボリジニた
ちも何かを感じたようで、決して墓は暴かないと約束した。
岩山の中が静かになって暫くすると、レオンだけが帰って来て、待っていた隊員たちに、
「共和国政府の幹部は全員死亡した。フランクたち三人がアボリジニを指揮して死者の埋
葬をしている。我々の仕事はこれで終わった。さあ帰ろう」と告げて、フランクやアボリジ
4
―7チヌーク・大型兵員輸送ヘリコプター
ニたちが戻って来ると、一同揃って脱走共和国政府軍の兵士たちを捕虜にした場所まで来る
と、
すでに待機していたオーストラリア軍のCH
が飛来して、捕虜の収容が始まっていた。
また、ここでも、死者がディンゴ等に荒らされないように、国防軍の兵士たちが懇ろに深
4
―7ヘリコプターは、ジョンからの連絡を受けて、GPSが無くても、ジョン
い穴を掘って埋葬していた。
このCH
286
シシュフォス
の無線の誘導で到着したのだ。
4
―7二機が兵士を満載して来て、住民
また、後続部隊のシンはクイルピの町へ入り、生き残った住民に協力して惨殺された人々
の埋葬を始め、ここへもオーストラリア陸軍のCH
の援助や保護を開始した。
こうして共和国政府が完全に崩壊して、一件落着した後のことだ。
レオンが帰宅してから、白い紙に包んだ一房の白髪混じりのグレーの髪をウオンに差し出
して、鄭首相の最後の言葉を伝えた。
ウオンは、ヨウコとノリコを呼んで、その話を彼女たちにも伝え、
「幼なじみの従弟の鄭長清の遺髪だ。世話をかけるが墓を作って弔ってやってほしい」と
悲しそうな声で言い残すと、後は何も言わずに自分の部屋に入ってしまった。
その夜、ウオンはレオンを呼んで、初めて自分の過去と、鄭長清の話をした。
「長清も可哀想な奴だ。長清はわしより四歳年下だから、今年は六十三歳になる筈だ。わ
287
シシュフォス
し等は四川省の田舎の本当に貧しい村に生まれた。長清の母親とわしの母は姉妹で家は隣同
士だった。わしは、長清が産まれた時には、まるで弟が産まれたように大喜びをして、子守
りをしたり、一緒に遊んだりしたものだった。
当時の中国では、農村に産まれた者は余程のことがない限り、一生農村で暮らさなくては
ならず、医療制度や年金制度等総てにおいて、都市住民とは差別されて大きな格差がある。
もし都会に出て働いても、
『農民工』と呼ばれて、都市住民のような優遇は受けられずに、
病気になっても医者へもかかれず、子供も公立学校に通わすことが出来ず、給料も都市住民
の数分の一だ。わしは何とかして都市住民の資格をとって、都会に移り住んで父や母に裕福
な生活をさせたいと必死になって勉強した。それで、自分で言うのもなんだが、子供のとき
から秀才の誉れが高く、高級中学 (日本の高校)も省で一番の進学校に入り、そこをトップで
卒業して、大学入学統一試験 (高考)でも、全国でトップの『文化状元』の成績で、中国で
精華大学とともに最難関の北京大学の経済学院 (学部)に入った。
北京大学では、大学院を卒業してからも大学に残り、博士号を取ると直ぐに最年少の副教
授に就任して北京市民の資格を得て、父と母を呼び寄せようとしていた時に、折悪しく『胡
288
シシュフォス
耀邦』の死をきっかけにして、
民主化を求める全国の大学生が北京の天安門広場に集結して、
あの『六四天安門事件』が起きてしまった。
わしは、学生の兄貴分のような恰好でこの運動に参加したので、政府から指導者の一人と
看做されて、当局の厳しい追求を受けたために、止むなく支援者の助けで中国を脱出し、香
港を経由して、オーストラリアに亡命したのだ。
一方、兄弟のようにしていた長清も懸命に勉強して、わしに倣って大学に入り、何とかし
て農村から逃れ出ようとしたが、彼の家はわしの家よりもはるかに貧しく、成績は優秀だっ
たが、経済的な理由で高級中学へは進学出来ず、初級中学 (日本の中学)を出て直ぐに、一五
歳で軍隊に入った。彼は一兵卒から身を起こして、見事に将軍にまで昇進した。
わしは天安門事件が起きる少し前に北京にやって来た彼に会ったが、その時には僅か二十
歳で少尉に任官していた。
中国では、官庁でも軍隊でも家柄がものを言い、特に高級幹部や軍人の子女は優遇される
が、学歴もなく、全く何の後ろ盾もない長清が少尉になっていたのには本当に驚いた。余程、
人民解放軍での勤務成績が良かったのだろう。そして、遂に六十歳前の若さで最高位の上将
289
シシュフォス
に進級し、一番重要な広州軍区指令員に抜擢されたが、高級幹部の子弟の太子党の連中に嫉
妬されて、理由のない罪に落とされそうになったので、わしを頼って、妻の麗華と若死にし
た長男の清成の忘れ形見の孫守成だけを連れてこの国へ亡命して来たのだ。
ただ、彼の様な人民解放軍の最高位の将官が亡命したとなると、中国共産党政権には大打
撃となるので、彼の亡命は最高機密として秘匿されていたのでわしも知らなかった。また、
彼も中国政府からの暗殺者を恐れて、オーストラリアに来ても、大っぴらにわしを捜すこと
が出来なかったようだが、
『シシュフォス』隕石大災害が起きて中国政府が壊滅し、やっと
暗殺の心配が無くなったので、大使館を訪ねてわしを捜そうとしたところ、残念な事に、胡
大使や呉元大佐のクーデター計画に巻き込まれてしまったのだ。
わしは、
彼が首相に就任した時に初めて、
彼がオーストラリアに来ていると言うことを知っ
て、何故彼が亡命しなければならなかったかも調べてその間の事情を知り、何とか彼をクー
デターから救い出そうとしたが、そのときは最早手遅れで、呉元大佐に家族を人質にされて
彼は身動きがならず、彼を救い出すことは出来なかった。
お前が人民共和国政府の脱走幹部を追撃すると言う話を聞いて、一縷の望みで、お前に鄭
290
シシュフォス
首相がお前の叔父だと言う事を伝えたが、それでお前が中国語で降伏勧告してくれて、もう
少しで助けられたのに、呉元大佐によって射殺されたとは、これが運命とはいえ本当に残念
だ。長清のことは、実の弟のように可愛がっていただけに、肉親を奪われたようで本当に悲
しい。
ヨウコとノリコが、この屋敷の一番見晴の良いところに、お前が持ってきてくれた遺髪を
入れたお墓を作ってくれると言うので、それがせめてもの慰めだ。兎に角、寂しくて悲しい。
彼の妻の麗華と幼い孫の守成だが、未だシドニーに隠れていると思う。是非探し出してこ
こに連れて来て欲しい」と目にいっぱい涙を溜めながら話した。
291
シシュフォス
(新オーストラリア連邦の樹立とレオン大統領就任)
話は一転一年後となる。
「豪州連邦人民共和国政府」が崩壊して、二〇三四年に「新オーストラリア連邦民主共和
国(以後、『新オーストラリア連邦』と略す)
」が発足し、先ず、初代連邦大統領を選出することになっ
た。
しかし、各州の首相たちも国防軍も、そしてマスコミに代表される世論も、今回の共和国
政権崩壊に最も功績の有ったレオンの大統領就任を強く要請した。
しかし、レオンは未だ四十四歳になったばかりの若年であることを理由に再三これを固辞
したが、世論調査でも国民の圧倒的な支持を受けたのでこの要請を受諾し、レオンが新オー
ストラリア連邦の初代大統領に就任した。
また、新連邦の首相には選挙の結果、Q LD州首相の労働党女性党首アンナ・ジェラード
氏が当選して、新政権が発足した。
292
18
シシュフォス
新しく首相に就任したアンナ氏は、レオン大統領の承認を得て、次のような新政権の基本
方針を発表した。
①新政権は、
「自由・平等」と「人権」それ に「 民 主 主 義 」 を 最 も 尊 重 す る 政 治 を 行 い、
これを妨害する者は断固として排除する。
②かつては民族により、チャイナ・タウンやコリアン・タウン、ベトナム・タウン、ドイ
ツ系住民だけの町等があったが、今後はこのような民族別による町づくりは禁止し、総
ての国民は地域を定めずに混在して居住しなければならない。また、国語は英語とし、
他の言語は文化遺産として、大学及び博物館に記録を保存する。
③今回の超巨大小惑星「シシュフォス隕石大災害」並びに、その後の連邦人民共和国政権
による国土の荒廃の復興には、全国民が一致協力して努力・邁進する。即ち、国土の復
興の為に、国土復興勤労部隊 (以後「勤労隊」)を組織し、十八〜二十五歳までの健康な
青年男女は、全員二年間はこの組織に参加する義務を負う。また、十八歳未満の者も、
各地に組織されるジュニア勤労隊に積極的に参加して、勤労隊を援助しなければならな
293
シシュフォス
い。また、高齢者も健康な者は、シニア勤労部隊に定期的に参加して、ボランティア活
動することを希望する。
③オーストラリア国防軍の組織は、従来通りとするが、外敵は最早や存在しないので、国
内治安維持を目的とし、
暫時必要な規模に縮小する。よって、「治安隊」と名称を変更する。
④レオン大統領から、大統領が所持する金塊や自然金等約一五〇㌧の国庫への寄贈申し出
があり、また大統領が発見した大金鉱の権利も連邦政府へ無償で提供された。この金鉱
の推定埋蔵量は現在調査中であるが、既に年間一〇〇㌧という驚異的なペースで金を産
出しており、調査の中間発表でも、世界最大級の大金鉱であることが判明している。こ
の新金鉱や従来の金鉱、及びこれから開発される各地の金鉱から産出される金の合計は
年間三○○㌧以上に達するものと予測される。また、金の海外流出と言う心配も無くなっ
たので、これらの新産金と、大統領から提供された金及び従来の国庫にある金とを併せ
て、これらを基にして、貨幣制度は金に裏付けられた金本位制として、今後は中央銀行
が発行する新紙幣は、全て兌換券として信頼性を増大させて経済の安定を図る。
⑤この金の産出により国家財政は、過去に見られない程に潤沢であり、今後十年間は全て
294
シシュフォス
の税の徴収を免除する。また、国民医療費及び老齢者や身体障害者の福祉関係費用も総
て国が負担し無料とする。出産費用も連邦政府が負担し、十二歳までの子供に対しては
一人につき、一ヶ月五百㌦、年間六千㌦の養育費を支給し、大学院までの授業料は、公
私立を問わずこれも連邦政府が負担する。また、大学院生に対しては、国が認めた者に
は別途必要な生活費を支給する。
⑥今後もオーストラリアは、原子力発電所や原子力関連施設を保持しないことを宣言し、
ウラン鉱山を閉鎖し、ウラン鉱山で働く労働者は、新金鉱を初め各地の金鉱に再配置す
る。なお、増大する電力需要には、これまで輸出して来た我が国に豊富に産出するLN
Gを使用するCO2の発生の少ない新型火力発電所を建設して対処する。なお、シェー
ル・オイル及びガスの採取は、現状の技術では、自然破壊が危惧されるので、自然破壊
の心配の無い新技術が開発されるまでは、これを見合わす。
⑦輸出の必要が無くなったので、鉄鉱石や石炭の生産もオーストラリア国内の需要に合わ
せて縮小し、今後は不要となったこれ等の鉱山の跡地の保全と自然環境を保護すること
に務め、ここで働く労働者は農業及び工業生産に再配置し、大災害後の食料と物資不足
295
シシュフォス
の解消に努める。
⑧北半球の先進国は今や全て消滅した。また、アフリカ諸国も疫病の蔓延や内乱で殆ど無
人と化したとの情報がある。さらに、
南アメリカの各国はこの期に及んでも互いに戦い、
荒廃して国家の体をなさないとの報告を得ている。従って、地球上には最早、文明国は
僅かに我が国とニュージーランドだけとなった。今後は、この二カ国で地球文明を維持・
発展して行かなければならない。従来、我が国は工業製品や医薬品の開発や生産を、と
もすれば欧米諸国や日本、中国等に依存して来たが、総ての企業は、今後は率先して研
特
= 別作業班は、二〇五〇年までにオース
究開発並びに生産に努力しなければならない。政府はこれに対して、積極的な財政援助
を与える計画である。
(注)二〇一〇年現在、オーストラリア政府のタスクフォース
トラリア国内に二十五の原子力発電所の建設を提案しているが、この建設に関しては国内に賛否両論が激
しく、また、二〇一一年三月一一日に発生した日本の「東日本大震災」の福島一号原発事故の影響もあり、
著者はオーストラリアでは原発の建設は行われないと想定して、この小説を書き進める。
296
シシュフォス
レオン大統領がその保有する金塊を国庫へ寄贈することが発表されると、総ての国民から
所蔵している金やプラチナ、銀製品が寄贈されて、その量は驚いたことに大統領が寄贈を申
し出た金額の二倍となり、国庫は一挙に潤沢となった。
税金の無い国と言う夢のような国家がここに誕生し、物価は安定し、失業する者は無く、
人々は将来に明るい希望を抱いて、働ける者は高齢者といえども、総てが率先して働いたの
で、国力は驚異的な伸びを示した。
余り働かないと言う評判のオージーが、かつての日本人のように働き者になったと、ヨウ
コとノリコはいつも驚いて話し合っていた。
こうして、新政権が発足して、十年の内に新しいオーストラリアは、豊かな財政と税金の
無い社会、その上に、福祉や医療、子育てや教育などへの充分な配慮をした政策とをバック
にして、目覚ましい復興を遂げて、新しい繁栄の時代に入った。
特に福祉政策が充実したので、国民の将来への不安が全く無くなり、加えて子育てや教育
への出費への心配も無くなったので、世界復興には必須の人口増加問題も、出生率が驚異的
に上昇して、合計特殊出生率の値は三・〇を遥かに越えて四・〇に迫り、人口は急激に増加し
297
シシュフォス
つ つ あ る。 そ の 結 果、 驚 く べ
る と、 オ ー ス ト ラ リ ア 最 大 の
国 家 的 行 事 で あ る 競 馬 の「 メ
ル ボ ル ン・ カ ッ プ 」 ま で が 復
活 し て、 人 々 が こ れ に 熱 狂 し
た。
レ オ ン は、 大 統 領 職 に 在 る 傍 ら、 私 財 を 投 げ 打 っ て「 Agriculture, Food and Natural
(農学・食料・自然資源学)研究所 (以後「AFNR研究所」と略す)
」を設立し、自ら理
Resources
(豪州本草綱目)
」を完成させ、母校のシドニー
Compendium of Materia Medica in Australia
その研究成果として、二〇三八年には、オーストラリアの本草学の集大成となる大巻の
事長に就任して、親衛隊員だった医師のハンスを所長に任命して、精力的に研究を進めた。
「
大学より博士号を授与された。
298
き こ と に は、 二 ○ 四 ○ 年 に な
(メルボルン・カップを楽しむ人
たち)
シシュフォス
また、この研究所からは、後述するように続々と従来に無い新薬が開発され、新発売され
て国民の健康増進に多大の貢献をした。
レオンは二〇四五年に一期五年の大統領職を二期務め五十四歳となると、せめてのことも
う一期は大統領職に留まって欲しいとの国民の願いを振り切って大統領職を辞任して、今度
はAFNR研究所において、ライフワークの自然資源学の研究に没頭した。
タンボリン山では、レオンが探し出した鄭長清の妻麗華と孫の守成 (英語名『ジミー』)が
家族に加わり、七十八歳になってもなお矍鑠たるウオンと老いを知らないヨウコ、それにい
つまでも美しさが衰えないノリコとが、平和な生活を楽しんでいた。
更に二年が過ぎた。
レオンとノリコの二十七歳になった一人息子のタイガーは、オーストラリア治安隊並びに
勤労隊に参加してすでに幹部の一人となり、それぞれ治安隊や勤労隊の幹部将校になった親
衛隊幹部と協力して、国土復興の最前線で活躍して、国民の人気は抜群だった。
新オーストラリア連邦政府では、
治安隊と名を変えた陸海空三軍の艦船や航空機を使って、
299
シシュフォス
精力的に人類が生存していると思われる地域の捜索を行ったが、赤道以南のアフリカや中南
米の国家は、内乱や疫病、飢饉等で人口が激減し、原始の状態に戻ったかの如くとの報告ば
かりがとどいた。
また、赤道を跨がる世界最多の島嶼国家で、二億数千万人の人口を抱えていたインドネシ
アは、辛うじてその領土の一部が死の灰の洗礼を免れたが、東チモール問題やアチェ独立運
動、それにここに至っても、キリスト教徒と回教徒の対立等々が激化して、全く国家の体を
成さなくなり、生き残った人々も、これも原始の状態に戻ってしまったとの報告がもたらさ
れた。
さらに、ニューカレドニア (人口約二十五万人)やパプアニューギニア (人口約七百万人)が
辛うじて国家として存続しているが、それも文明や生活状態は百年以上も後退したとのこと
だ。
今や地球上に人が住んでいる先進国は、オーストラリアとニュージーランドだけになって
しまったことが益々はっきりしてきた。
300
シシュフォス
新オーストラリア連邦の人口は政府の「産めよ、増やせよ」の方針で、人口はこの十年で
急激に増加したが、それでも僅かに四○○○万人を少し越える程度だ。
ニュージーランドは幸いにして、
「シシュフォス」隕石大災害後の政治的混乱は免れるこ
とは出来たが、人口が僅かに四五○万人の一カ国だけでは、経済的にも成り立たず、また科
学や工業の水準を発展させるどころか、
現状を維持することさえも困難な状況となっていた。
そこで、元来は同じ英連邦の一員だったことでもあり、新オーストラリア連邦の政治が安
定し、しかも新政府の下で大発展を遂げているのを見て、連邦の一員として参加したい意向
がもたらされた。
新オーストラリア連邦政府としては、
十年後には《北半球を二十一世紀初頭の地球に戻す》
と言う一大計画をスタートするという大きな目標を掲げているので、一緒に協力してこのよ
うな大事業に取り組んでくれる仲間は多い方が望ましい。
すでに、オーストラリアとニュージーランドの間では、二○二○年を期して両国民の移動
はパスポートも不要になっており、言語や風俗・習慣も全く差異がなく、人種的にもイギリ
ス系等ヨーロッパ系住民が過半数を占めていることでもあり、両国の国会は問題なくこの合
301
シシュフォス
邦を認めて、二○四五年一月一日を期して、新オーストラリア連邦とニュージーランドは、
ここに晴れて一つの国家となった。
なお、ここで特記しておきたいことがある。
タンボリン山攻防戦で捕虜となった約八万人にも及ぶ中国人を中心とする移民が殆どの人
民解放軍の元兵士については、その後レオンの指揮の下、反連邦人民共和国の中国人同胞た
ちが懸命に教育し直して、やっと悪夢から覚めた全員が、これからは善良な国民として、国
家と地球復興の為に一身を捧げることを誓い、各地の鉱山や農場で真面目に働いて、国家繁
栄の一助となっていることだ。
302
シシュフォス
(新技術の開発と地球の創造的復興計画の発足)
大統領職から退いたレオンは、在職中に作ったAFNR研究所の理事長職に専念し、組織
をさらに拡大して、これを国立研究所とし、全国より英才を集めて、オーストラリアやニュー
ジーランド、それにニューギニア等の陸地はもとより海中、それに南極大陸にまで、「ブッ
シュ・タッカー」のような利用可能な資源の探査のための調査隊を派遣して、その地より採
取して持ち帰った物質の有効活用の研究を大々的に国家事業として開始した。
余談にはなるが、
最初の抗生物質の
「ペニシリン」の発見者はイギリス人のアレキサンダー・
フレミングということは良く知られているが、彼と同時 (一九四五年)にペニシリンの抽出で
ノーベル賞を受賞した学者の一人のハワード・フローリー男爵は、実はオーストラリアのア
デレード生まれで、アデレード大学を卒業した生粋のオーストラリア人だ。
また、不可能だと言われた青色色素をもった「青いバラ」を、世界で最初に開発したのは
303
19
シシュフォス
日本のサントリーであるかの如き報道がなされていたが、実はこれも、オーストラリアの植
物工学企業のカルジーン・パシフィック社 (現フロリジン社)との共同研究開発の成果だ。
このように、オーストラリアは決して科学研究の分野における後進国ではなく、二〇一三
年の時点で、ノーベル賞受賞者も僅か人口が二千数百万人の国でありながら、前出のハワー
ド・フローリー男爵以下九名で、その内七名は何れも医学・生理学・化学の分野での受賞者だ。
なお、二〇一一年のノーベル物理学賞「宇宙の膨張が加速している」で受賞した三人のう
ちの一人、ブライアン・シュミット博士は名門のオーストラリア国立大学の特別教授だ。
閑話休題
レオンは、オーストラリアの自然科学分野の伝統を更に伸ばして、AFNR研究所に於け
る研究を一段と飛躍させようと努力した。
その結果、数年を経ずして、各地から持ち帰った植物や鉱物、それに動物や地中の細菌等
から次々に新しい発見がなされた。
次に、その内の幾つかを紹介しょう。
304
シシュフォス
【砂漠が宝庫に変身。ユーカリ・バイオ燃料】
第一に挙げられるのは、五○○種類も有ると言われるユーカリの木の中に、特別に油性分
を豊富に持つ新種を、タスマニア島南西部の首都ホバート南西のジーベストン近くの原生林
の中で「センチュリオン」と名付けられた高さ九十九・六㍍の巨木の近くで発見して、これ
をフロリジン社の協力で、
生命科学研究の潮流を変える驚異の遺伝子改変技術「ゲノム編集」
を使用して、数倍の油性分を含む木に品種改良し、この新種のユーカリの木を大量に栽培し
て、経済的にもガソリンや航空機用ジェット燃料に代わり得るバイオ燃料を抽出することに
成功した。
このユーカリから採取したバイオ燃料は、鉱物性の燃料と違って燃やしても大気中のCO
2を増加させないので、地球の温暖化対策や人類の健康の為には最も好ましい燃料だ。
なお、水素を燃料とした燃料電池自動車が、地球温暖化の原因のCO2や大気汚染の原因
物質の窒素酸化物などの排ガスを出さず水を出すだけなので、水素が究極の「環境に優しい
エコカー」のように思われるが、この燃料の水素を製造する過程において、汚染物質を排出
している。この点からも、ユーカリから取ったバイオ燃料の方が、遥かに「環境に優しい究
305
シシュフォス
極のエコ燃料」と言えるのだ。
また、ユーカリから油性分を取り出した残りの大量の木質部分は、これをペレット (小粒
の固形燃料)に加工して、燃料として使用することにした。所謂、産業廃棄物の再利用だ。
このペレットは未だ油性分が残っているので、これを使ったバイオマス・ボイラー火力発
電所では、驚くことに燃焼効率は九十五㌫以上という驚異的な結果となり、しかもバイオ燃
料なので、従来の石炭や石油それにLNGを使用した火力発電所とは違い、硫黄分等の不純
物が全く無いので、大気汚染を引き起こすことがなく、これもまた、大気中のCO2を増や
すこともない。
大気汚染の心配がないので、都市の近郊にも火力発電所の建設が可能となり、電力ロスの
大きな長距離送電網の建設も不要で、電力のコストが大幅に削減出来た。
この、ユーカリで作ったペレットは、この他にも家庭の暖房などのエネルギー源としても
使われ、利用方法は無限に広がって行くものと期待される。
従って、新しく開発されたこのユーカリは、捨てるところは全く無く完全に利用出来る夢
のエネルギー源なのだ。
306
シシュフォス
なお、
「シシュフォス隕石災害」で、北半球では都市や森林が大量に燃えて、地球温暖化
やオゾン層を破壊する原因のCO2の量は、今や危機的な状況にある。従って、CO2をこ
れ以上排出することを防ぐのが、地球には最大で喫緊の課題となっているのである。
さらに良いことには、元々ユーカリの木は根を地中深く張るので乾燥地帯に強く、インド
では従来から砂漠の緑地化にも使われていたが、この油性分を多く含むユーカリに、ブッシュ
や砂漠に生える木や草の乾燥に強い遺伝子をゲノム編集で組み込んで、一段と乾燥地帯に強
い性質 (性能)を持たせることに成功した。
オーストラリアは、海岸部のわずかな土地以外は乾燥地帯かまたは砂漠で、砂漠の占める
面積は全領土の三十㌫以上を占める。
この新品種のユーカリを、乾燥地帯や砂漠に植樹することによって、乾燥地帯や砂漠が一
転して、バイオ燃料を生む宝庫となったのだ。
オーストラリア政府は二○一○年に、航空機燃料のバイオ化を促進する計画を発表してい
たが、AFNR研究所の努力によってやっと念願の夢の実現が叶った。
307
シシュフォス
なお、レオンは、この新しく開発されたユーカリを『バイオの木』と命名して、原子炉や
原爆の爆発で荒れ地にされた北半球や、米国のコロラド砂漠、アフリカのサハラ砂漠それに
中国のタクラマカンやゴビ砂漠等の砂漠に移植して、砂漠の無い『緑の地球』を作り上げる
のだと計画していたが、その後この計画は目覚ましい成功を収めて、最早、人類は化石燃料
に頼らなくても、これまで植物が育たないので、何の利用価値も無かった砂漠や乾燥地帯か
らから無限のバイオ燃料を得ることが出来るようになった。
不思議なことに、砂漠や乾燥地帯に「バイオの木」が生え茂ると、雨も降るようになり、
他の作物も採れるようになった。
レオンの望みはもっと大きくて、地球を復活・復興させるだけではなく、緑に溢れた新し
い地球を創り上げることだ。
その望みをこのユーカリの「バイオの木」が叶えてくれるだろう。
【ブッシュ・タッカーの活用と新農産物の開発】
レオンはブッシュ・タッカーの知識を基にして、その全面的な活用方法を開発するように
AFNR研究所に指示した。
308
シシュフォス
その結果、既に数十種類にも及ぶ新しい食物が生まれた。
あの毒物のナルドーでさえもが、
チアミン(ビタミンB1)を分解する酵素の毒のチアミナー
ゼを、これもゲノム編集技術によって取り去って、これに麦の遺伝子を加え、さらに成長力
や繁殖力を大幅に増加させる植物の遺伝子を組み込むことに成功した。
レオンは、この新しく生まれた植物に『砂漠の麦』と言う名称をつけて、砂漠やブッシュ
で栽培したところ、何の手入れもしないのに大量の実が成り、麦と同じような味と風味を持
つ粉「砂漠の小麦粉」が収穫出来た。また、ナルドーの実を羊や牛の家畜が食べて大量死す
るという事件も過去には有ったが、この「砂漠の麦」は全く無害である。
ヤギはヒツジよりも厳しい環境にも耐え繁殖力も強いので、厳しい環境下で育てるには、
貴重な家畜である。ただ、ヒツジと違って、餌の少ない乾燥地帯や冬場では、植物の葉や芽
だけではなく根までも食べてしまうため、植物が再生することができず、砂漠化や乾燥化を
一層進める原因になっていた。しかし、ナルドーの根は何故か食べないので、ヤギの食害を
防ぐことができ、ヒツジ同様に大量に飼育できるようになり、食料問題解決には大きなプラ
スとなった。
309
シシュフォス
したがって、この「砂漠の麦」の栽培によって、家畜、特に砂漠や乾燥地帯での家畜の餌
の問題は一挙に解決した。もう家畜を飼育する為に、人類が食べる貴重なトウモロコシや小
麦を使用する必要も無くなった。
レオンは、この「砂漠の麦」を、オーストラリアの砂漠や乾燥地帯で栽培するのは無論の
こと、北半球の復興事業においても、新ユーカリの「バイオの木」と共に、原発や原爆事故
で荒らされた土地や、アメリカやアフリカ、中国、中近東の砂漠に移植して、これらの砂漠
を「バイオ燃料」と「砂漠の小麦」の一大生産地に変貌させようと言う大計画を目論んでいる。
また、ブッシュ・ビーチ (別名クアンドン)を初めとするブッシュの果実も、遺伝子組み換
えのゲノム編集技術を大幅に活用することで、短期間に素晴らしい新種の果物に生まれ変
わった。
なお、遺伝子組み換え技術で問題になるのは、遺伝子組換え生物等の使用を規制する『カ
ルタヘナ議定書 (遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する国際協定)
』
との関係であったが、この法律は科学的な面よりも、多分に遺伝資源に対する主権的権利や
貿易問題等の政治的な目的を持ったものだ。
310
シシュフォス
今や、政治的な問題は国家間の利害の対立が無くなり、オーストラリア一国で解決出来る
ので、総てが順調に進行した。
また、
二○○○年代のオーストラリアでは、「グリーニー」と呼ばれる緑の党を中心とする、
環境問題を必要以上に重視する政治勢力 (捕鯨反対等)が強く、遺伝子組換え技術を利用した
新作物「GM ( Genetic Modification
)
」の開発や採用、輸入に対しても非常に慎重で綿花栽培
を除いては殆ど利用されておらず、また、それまで許されていた米国モンサント社のGMト
ウモロコシの輸入も二〇一〇年末にはこれを輸入禁止にした程だった。
しかし、世界の半分が無くなってしまって、北半球では原爆や原発の事故の放射能により、
生物にどのような突然変異が現れているか分からないような現状では、余りにも環境問題等
の政治的な色彩の強い問題に拘ることは避けて、出来る限り短期間で新作物の環境や人体に
対する影響を調査・研究して、無害で人類のために役立つ物と科学的に立証されれば、その
実用化を促進することに現在のオーストラリア国民は大賛成だ。
今回の「シシュフォス」隕石大災害前までは、オーストラリアでは遺伝子組換えの農産物
を忌避していたが、このような社会情勢を背景にして麦やトウモロコシ、米等の主要農産物
311
シシュフォス
に関しても、収量の増加、病害虫への抵抗力増進、旱魃への抵抗力増加、それに少ない施肥
を目的にした遺伝子組換え作物の栽培を大幅に許可した。
エネルギー換算の食物自給率では、オーストラリアは「シシュフォス」隕石大災害以前で
は、一七〇〜三〇〇㌫と常に世界第一位で、国内需要を完全に満たしており、農産物は石炭
や鉄鉱石等と共にオーストラリアの主要な輸出産品であった。
したがって、オーストラリアで食料不足が起こる等と言う事態は、これまで誰も考えたこ
ともない。しかしながら、
「シシュフォス」隕石大災害とその後の政情不安は、オーストラ
リアの農産物の生産にも大きな影響を及ぼした。
まず、
大規模農業に必要な大型農業機械の供給を米国に依存していた割合が大きいために、
新規の機械の供給が途絶えたことは勿論、部品の供給にも事欠くような状況で、作業能率が
大幅に下がった。
また、農薬や肥料やその原料についても、海外からの供給分が途絶えた。
オーストラリアは、殆どの天然資源の世界有数の生産国であるが、唯一石油だけは、WA
312
シシュフォス
州やVC州・NT準州の沿岸沖で生産はされるが、生産量よりも消費量が多く、石油の純輸
入国である。
原油は、マレーシア・インドネシア・ベトナムから、石油製品はシンガポールから輸入し
ていたが、これが「シシュフォス」隕石被害で輸入されなくなり、国産の石油だけに頼るこ
とになったので、ガソリンやディーゼルの不足と価格高騰は、「バイオの木」の燃料が普及
するまでは、農業生産に大きな打撃を与えることになった。
さらに、農業生産に一番大きな打撃を与えたのは、大災害後のクーデター騒ぎや、人民解
放軍のタンボリン山への攻撃に伴う混乱だった。
人民解放軍が進軍した道中のNSW州やQ LD州は穀倉地帯でもあり、戦乱に巻き込まれ
るのを恐れた農民が、農作業を止めて避難した為に農地が荒廃し、農業生産量が激減してし
まった。
また、
北半球で起きた隕石落下に伴い発生した粉塵が成層圏へ舞い上がり、太陽光線を遮っ
たために急激な気温の低下が起こり、一時期は氷河期の様な状況を呈し始めた。この影響は
南半球にも及び、オーストラリアでも、短期間ではあったが、低温による異常気象が農業生
313
シシュフォス
産高を半減させた。こうして、オーストラリア国民は、近代になって初めて、食料不足を体
験することになったのだ。
レオン大統領は、この食料不足を解消するために従来の農産物よりも低温に強く、収穫量
が多く、病害虫に強く、肥料も少なくてすむ、ゲノム編集による遺伝子組み換え作物への切
り替えを促進し、併せて農業生産へ傾斜的な労働人口の配置転換 (具体的には、ウランや鉄鉱
石、石炭鉱山等からの労働者の配置転換)を行って、食料の大増産を最も重要な政治課題だとして、
政府にその実施を命じた。
オーストラリア政府にとっては、オーストラリア国内の食料事情の解消だけではなく、今
や原始状態にある南半球のアフリカや南米諸国および島々へ対する食料援助を開始すること
を決定したから、食料増産は一層急務となった。
それらの国々の復興には、先ず何よりも充分な食料が必要である。
国民は、こぞってこのレオンの計画に賛同して、全国民が一丸と成って食料増産に励んで
いる。
314
シシュフォス
続いて、レオンが挑戦したのは、主として北半球の先進国から供給されていた薬品に代わ
る新薬の開発である。
【新薬の開発と不老長寿への挑戦】
AFNR研究所は、医薬品の開発において特に輝かしい成果を上げつつある。
①抗ウイルス薬の開発。
その第一は、殆どのウイルスを無力化する「抗体酵素」の作成に成功したことだ。抗体酵
素とは、即ち、ウイルスなどの特定のタンパク質と結合する抗体と、特定のタンパク質を分
解する酵素の両方の働きをする物質だ。
パプア・ニューギニアから持ち帰った、未発見の昆虫からその成分が抽出された。
特にレトロウイルス科 (RNAウイルス類の中で逆転写酵素を持つ種類)に対して有効で、人類
の最大の敵とも言うべきAIDS の病原体であるHIV (ヒト免疫不全ウイルス)や、ヒトT
リンパ好性ウイルスHTLVで発病する成人T細胞白血病の特効薬と言っても良い程の成果
を上げている。
315
シシュフォス
また、この新薬は新コロナウィルスによって発病するSARS (重症急性呼吸器症候群)に
も有効であることが確認されて、人類はSARSの恐怖からも解放された。
②ガンの征服と『iPS細胞』
。
次いで、ガンの治療薬の開発にも成功した。
ニュージーランドの高温の温泉の湯から採取した微生物より抽出された成分が、驚くこと
に殆どのガンを消滅させる上に、副作用が全くないことが判明した。
人類は遂にガンを征服したのだ。
このガンの治療薬については、ガンを治療するだけに止まらず、更に素晴らしい効果があ
ることも判明した。
二〇一五年に「ノーベル生理学・医学賞」を受賞された日本の山中伸弥京都大学教授が開
発した「iPS細胞」は、世界の医学界に革命的な変革をもたらした。
オーストラリアにも、このiPS細胞の技術はいち早く導入されて、「シシュフォス」隕
石騒動以前にはすでに、画期的な医療への実用化例を複数発表して世界を驚かしていた。
しかし、唯一の懸念は、iPS細胞が分化する際に、ガン化する危険性を完全に排除出来
316
シシュフォス
ないことであったが、この新薬を使用することによって、iPS細胞のガン化は完全に阻止
され、難病の治療や事故に因る肉体の損傷の修復、目や耳の老化の治療に絶大な効果を上げ
ることが出来るようなった。
③『抗抗生物質耐性菌』薬の開発。
既存の抗生物質が全く効かない超耐性菌MRSA等にも有効な、抗生物質に代わる主成分
が酵素の「エンドリシン」の合成にも成功した。
ペニシリンを初めとする抗生物質の出現によって、人類は長い間苦しめられてきた感染症
を克服して、疫病の苦しみから逃れられると考えていたが、それもつかの間、細菌が猛烈な
反抗をし始めた。
二〇一三年三月、公衆衛生の分野で英政府顧問を務めるサリー・デービーズ教授が、
「抗生物質に耐性を持つ薬剤耐性菌の問題は、英国にとってテロ問題同様、最大のリスク
であり、放置すれば世界的にも壊滅的な脅威となる」と、警鐘を鳴らし、殆ど時を同じくし
て、抗生物質が効かない「カルバペネム耐性腸内細菌」の感染が広がっているとして、米疾
病対策センター (CDC)が、医療機関に対策を呼びかけた。
317
シシュフォス
この細菌に感染すると、最大で半数が死に至るというのである。
人類は再び、細菌による感染症に悩まされ始めたのだ。
しかし、この問題もAFNR研究所が解決した。
灼熱の砂漠の熱砂の下五十㌢地下から採取された放線菌から抽出された酵素のエンドリシ
ンが、在来の抗生物質が効かなくなった耐性菌にも有効であり、しかもこの成分に対しては
耐性菌が出来ないことを発見して、新薬の開発に成功したのである。
④インフルエンザ治療薬の開発。
インフルエンザ・ウイルスは、毎年姿を変えてA香港型とかAソ連型とかの季節性インフ
ルエンザとして流行する他に、突然変異して「鳥インフルエンザ」等の新型インフルエンザ
の世界的なパンデミック (大流行)を引き起こしてきた。
しかし、インフルエンザには治療薬は無く、タミフル等もインフルエンザの初期症状の段
階で使用して初めて効果がある抗インフルエンザ薬でしかなかった。
AFNR研究所では、鳥インフルエンザ患者の血液のDNAから感染を抑制する遺伝子を
特定して、タンパク質を抽出して抗体酵素を作った。この酵素を使えば、インフルエンザ・
318
シシュフォス
ウイルスに結合した上で分解することが出来た。これによって、総てのインフルエンザ・ウ
イルスに有効な予防ワクチンを開発し、先に述べた抗ウイルス薬との併用で、インフルエン
ザを完全に征服することに成功した。
⑤マラリアの治療薬とワクチンの開発。
最大の難関はマラリアの治療薬と予防ワクチンの開発だった。
マラリアは、疫病の中でも人類の最大の敵だ。
二十一世紀に入っても、
人類はマラリアに対する有効な対抗手段を持たず、この疫病によっ
て毎年五〜八億人の罹病患者と一〇〇万人を越える死者を出し続けていた。
マ ラ リ ア 対 策 は、 蚊 に 刺 さ れ な い よ う に す る し か 方 法 が 無 か っ た の だ。(日本製の蚊帳が、
マラリア対策に最も効果があると、WHOが発表したほどである。
)
北半球の復興に取り掛かる前に、放射能汚染を免れたものの、疫病や内乱、飢餓により今
や原始状態にはあるが、前述したように、そこには未だ少数の人類が生き残っている南半球
のアフリカや南米諸国の援助と復興を行わなければならない。
しかし、これらの国々は何れも、マラリアの原因となるマラリア原虫とそれを媒介するハ
319
シシュフォス
マダラ蚊の汚染地区だ。生き残った数少ないオーストラリア国民を、マラリアの猖獗の地に
援助や復興のためとは言え派遣する危険は冒せない。何としても、治療薬と予防ワクチンが
必要となる。
治療薬については、南極の海の海底から持ち帰った泥の中から有効成分が発見され、ワク
チンについては、アフリカに派遣された調査員が持ち帰った、何故かマラリアに罹病しない
原住民氏族から採取した血液のDNAの中からワクチンとなる成分が発見された。
マラリアについても、遠からずこれを克服する可能性が出て来たとの報告が、担当部門か
らレオンの下にもたらされて、レオンを喜ばせた。
⑥生活習慣病 (成人病)の克服と「不老長寿薬」開発への希望。
ガンと疫病が克服され、
それにiPS細胞によって難病が人類を悩ますことが無くなれば、
後は糖尿病や高血圧等の生活習慣病の征服が最後の課題だ。
これらの病気は老齢化と密接に関連している。
すなわち、人類の永遠の夢の不老長寿薬の開発が、結果的には生活習慣病を征服すること
になるのだ。
320
シシュフォス
これに対しても、AFNR研究所は着々と成果を上げつつある。
具 体 的 に は、 海 か ら は 不 老 不 死 の ク ラ ゲ と し て 知 ら れ る「 ベ ニ ク ラ ゲ( Turritopsis
)
」や巨大深海サメの「オンデンザメ」、「ラプカ」等々の生物を採取し、オースト
nutricula
ラリアを初めニュージーランドやパプア・ニューギニアの森の中からも、これまで見向きも
されなかった茸などから、生命の源となる多くの医薬品を開発した。
驚いたことに、タンボリン山のレオンの家の森に放置してあった、あの「猿の腰掛け」か
らも素晴らしい薬効成分が抽出されたのだ。
これらの薬品は、いずれも人間の腸内の細菌、すなわち『腸内フローラ』を調整して、人
間の肥満、高血圧、糖尿病、皮膚の老化等々の予防に劇的な効果があることが研究の結果判
明したのだ。
人類が、不老長寿の秘薬を手に入れることも、そう遠くはないだろうとレオンは期待して
いる。
また、国民もレオンが推進するAFNR研究所で、不老長寿薬の開発に成功すれば、社会
に役立つ立派な人生を送っている者には、優先的にこの薬が分け与えられるだろうとの噂が
321
シシュフォス
広がり、国民の殆ど総ての者が、少しでも人類に貢献できる人生を送ろうと努力する素晴ら
しい社会が出来つつあるという予期せぬ効果が生まれた。
以上が、レオンが主催するAFNR研究所の「新薬の開発と不老長寿への挑戦」の結果で
ある。
【コンピュータとヒューマノイド・ロボット、そして航空機の開発・生産と宇宙への挑戦】
これらの新事業を展開する上で、オーストラリアには決定的な弱点があった。
それは、コンピュータのハードの生産に関わる技術だった。
オーストラリアでも、メルボルンを州都とするVIC州は、多くの大手グローバル情報通
信技術企業の主要拠点となっており、その中には、IBM社のソフトウエア・ソリューショ
ン開発アジア太平洋地区センター、エリクソン社の研究開発センター、コンピューターシェ
ア社の世界本社および研究開発・オペレーションセンター、富士通のソフト・ウエア開発部
門、NECのグローバル研究開発センター等の錚々たる研究開発部門があるが、いずれもソ
フト・ウエアを中心としたもので、ハード・ウエアの研究や開発・製造部門は無い。
322
シシュフォス
コンピュータ関連のハードで生産している物と言えば、電源コードやマウス、キーボード
等のロウテクの部品だけで、ICや液晶、CPU、HDD (ハード・ディスク)等のハイテク
部品は皆無で、総て日本、中国、米国、EUからの輸入に頼ってきた。
新薬の開発にしても、航空機の開発にしても、スーパー・コンピュータが不可欠だ。
さらに、どうしても、コンピュータをオーストラリアで生産する必要ができた。
地球規模の復興事業の為には、新鋭航空機の開発が不可欠であると考えて、レオンはその
開発を、シドニー大学の工学部を最優秀の成績で卒業したタイガーに担当させる事にした。
しかし、総てのハイテク産業の開発には、コンピュータが必要であり、オーストラリアに
はその産業基盤が無いことを知ったタイガーはレオンから指示されたものの、コンピュータ
が不可欠の航空機や宇宙産業の開発・育成を一時期断念した程だった。
しかし、タイガーにとって最大の援助者が二人出現した。
(コンピュータの開発と生産)
その一人は、今は亡き鄭長清元中国人民解放軍上将の長男の忘れ形見で、鄭上将がオース
323
シシュフォス
トラリアに亡命する際に連れてきて、
幼いときよりタイガーと一緒に育ったジミー(中国名「守
成」
)だった。
彼は数学やコンピュータ、それに物理学の大天才児で、オーストラリアでは認められてい
る飛び級を何度も重ねて、
十四歳の若さで、
オーストラリアや南半球で最良の大学であり、「シ
シフォス」隕石災害まででは、特に情報科学・工学部門では、世界有数とまで言われたメル
ボルンにあるオーストラリア国立大学 (ANU )を卒業し、卒業と同時に十八歳で博士号を
取得して、若干二十歳にしてこのオーストラリア第一の大学の教授となっていた。
ジミーの専門は、コンピュータを活用した人工知能の研究で、これにより博士号を授与さ
れ、その数々の研究成果はノーベル賞があれば、その第一候補になることは確実で、オース
トラリ人の誇りでもあるブラッグ博士の再来だとまで囃された。
ノーベル賞の歴史で、最年少賞受賞者の栄誉に輝くのは、一九一五年に若干二十五歳で父
のウィリアム・ヘンリー・ブラッグ博士と共に物理学賞を受賞した数学・科学・物理学の天
才ウィリアム・ローレンス・ブラッグ博士であるが、彼もまたオーストラリア人で、アデレー
324
シシュフォス
ド大学を卒業している。
ブラッグ博士も十四歳でアデレード大学へ進学した大天才であり、それで、ジミーはブラッ
グ博士の再来とまで言われたのだ。
タイガーは、この六歳年下の弟同然のジミーを、ハイテク産業の開発担当責任者として指
名した。
ジミーは、ANUの教え子を中心にして、オーストラリアやニュージーランドから年齢を
問わずに、コンピュータのハードやソフトの男女の技術者を集めて、タイガーの期待に違わ
ず、素晴らしい業績を上げ始めた。
先ず、ジミーはICや液晶等の産業が本格的に稼働するまでの期間の対策として、「オー
ストラリア・コンピュータ・センター (以下、「OCT 」)
」を設立して、ここにオーストラリ
アとニュージーランドを中心にして、周辺の国々にある不要不急のパソコン、液晶モニター、
モーバイル、ゲーム機、テレビ、録画機等々のICやCPU、液晶、HDD等を使用してい
る物は、例えそれが廃棄されるような物までも徹底的に集めさせた。そして、それらから使
用出来るICやCPU、液晶、HDD等々を取り外して部品として、これを新しいコンピュー
325
シシュフォス
タ・システムや航空機の部品に再利用した。
社 が 作 成 し た 超 小 型 ス ー パ ー・ コ ン ピ ュ ー
PEZYComputing
このセンターの目玉は、ジミーがメルボルン大学で使用していて、幸いに「シシュフォス」
隕石の災害を免れた、日本の
タであった。
ジミーはこのスーパー・コンピュータの性能を、ソフトを独自にバージョン・アップする
ことによって、更に一段と性能をグレード・アップさせた。
ここで、参考までにこの超小型スーパー・コンピュータについて触れておこう。
スーパー・コンピュータと言えば、日本の「京」の例をとれば、一サーバー・ラック当た
り八八、一二八個のCPU や、二十四枚のシステムボードと磁気デスクを組み込んだ物を、
八六四も六階建てのビルの中に入れて、その隣には変電所まで設けて、その運用費は年間
八十億円に達するという。中国の世界一の計算速度を誇る「天河」に至っては、それを収納
するビルの横には発電所まで設けて、
その消費電力は米国の一般家庭の四千戸にも匹敵する。
ところが、 PEZY Computing
社のスーパー・コンピュータは世界最大の四、○九二コア
というメニコンCPUを持ち、沸点が一七四度というフッ化炭素で冷却しているので、その
326
シシュフォス
一ラックのサイズは家庭の冷蔵庫並みで、すでに二○一八年の段階で、通常のオフィスに入
るサイズの二十八ラックで、
「京」の百倍の一秒間一○○京回もの計算速度が実現するとい
う驚異の超スーパー・コンピュータなのだ。
次いで、タイガーとジミーは相談の結果、オーストラリアに本格的なコンピュータ産業を
スタートさせなければ、既存のコンピュータの部品取りだけでは、総ての技術は停滞したま
まに留まると考えたが、果たして、それだけの技術者がオーストラリアに居るだろうかが一
番の問題だった。
し か し、
「 案 ず る よ り 産 む が 易 し 」 と 言 う 喩 え の 通 り、 タ イ ガ ー が 全 オ ー ス ト ラ リ ア と
ニュージーランド、それに周辺諸国でICや液晶関連の技術者を募集したところ、立ち所に
二〇〇〇人以上の技術者の応募があった。
殆どは、中国の政治的混乱を嫌って亡命して来た中国人技術者であったが、中には日本の
有名ICや液晶製造機メーカーで技術系の役員や技師長、工場長等の要職を勤めた年配者で、
引退後オーストラリアの温暖なゴールド・コースト等のリゾートで余生を送っている人たち
327
シシュフォス
も何人かいた。
中国人の技術者たちは、中国の半導体や液晶製造機メーカーで働いていただけでなく、半
導体・液晶製造装置メーカーの世界最大の米国のアプライド・マテリアルズ社や第二位のオ
ランダのASML社、それに日本の東京エレクトロン、東芝、キャノン、ニコン等々で働い
た経歴のある貴重な経験を持つ技術者も一○〇人を越えたので、タイガーもジミーも驚くと
共に大喜びした。
タイガーはICや液晶メーカー、それに半導体や液晶製造機メーカーの経営者や技術・製
造責任者をした経歴の日本人を中心にして、ICやCPU、液晶、HDDを製造するプロジェ
クトをOCTの中に立ち上げて、本格的にコンピュータのハードの製造をスタートさせた。
その結果、ジミーは最終的には、その専門の人工知能の知識を活かして、IBMの人工知
社のエクサスケールのスーパー・コンピュータのさら
PEZY Computing
能「ワトソン」をも遥かに凌駕する人工知能マシンを製作し、D W
―ave に数段勝る量子
コンピュータや、
に千倍の演算速度を持つヨッタスケールのスーパー・コンピュータまで開発することに成功
した。
328
シシュフォス
(ヒューマノイド・ロボットの製作)
ジミーは引き続いて、貴重な提案をした。
それは、ヒューマノイド・ロボット、即ち人間の形をして人工知能を搭載した、人間と同
じような作業が出来るロボットを開発し実用化することだ。
北半球を復興させると言っても、未だ未だ高濃度に放射能汚染されている地域が大半で、
このような地域では、人間は放射能防御のための厳重な装備をしなければ作業が出来ない。
さらに、原子炉や原爆が爆発したような箇所では、どんなに厳重な防御服を着ようとも、人
間が長時間作業することは絶対に不可能である。
これは、日本の「三・一一」の東関東大災害で、福島第一原子力発電所が爆発事故を起こ
した際に、人間では如何に防御服に身を固めようとも、原発の災害現場に入ることは不可能
なために、各種のロボットの作成が急務となったことからも明らかである。
また、北半球の復興ともなれば、高い技能を有した技術者が大量に必要になるが、現在の
人類の中でそれを求めることは当分の間不可能だ。子供たちを大勢生んで、その子供たちを
訓練して高度な技術を有する技術者に育て上げるには、少なくとも二十〜三十年の歳月が必
329
シシュフォス
要だろう。とてもそれを待ってはいられない。
これに代わる者 (物)として、ジミーはヒューマノイド・ロボットの開発と大量生産を提
案したのだ。
彼は、オーストラリアとニュージーランドの人工知能研究者を集合して、ヒューマノイド・
ロボットの開発に取りかかった。そして、ヨッタスケールのスーパー・コンピュータを駆使
して、この計画に着手して僅か一年で、初号機を作り上げると言う目覚ましい成果を上げて
いる。
(航空機の開発・生産と宇宙産業への挑戦)
もう一人の援助者は、今ではタイガーの最愛の妻となっているマキ (真希)だった。
幼くして、日本の父母の下を離れて、祖母に連れられてオーストラリアにやってきたマキ
は、幼いときからタイガーを兄として、ジョニーを弟として育った。
彼女も、その素晴らしい才能を兄と弟の二人の天才の間にあって開花させた。
彼女は、人民解放軍との戦闘が終結した後で、避難先のフレーザー・アイランドからタン
330
シシュフォス
ボリン山へ帰ってきて、親衛隊のシンが作った無線誘導の無人飛行機やラジコン・ヘリコプ
ターそれにドローンを見て、航空機に異常な関心を持つようになった。
彼女も、ジミーと同じように何度かの飛び級を重ねた天才児で、飛行機を作りたいと言う
夢を抱いていたが、残念なことにはオーストラリアの大学には何処も航空学科がない。
そこで、オーストラリア国内最高の物理学と工学のオーストラリア国立大学の物理工学研
究学院 (学部)に進学して、大学院を卒業後はジミー同様最年少の教授に就任していた。
彼女が、航空機や宇宙開発の部門で、タイガーを助けて子供の頃からの夢だった航空機や
宇宙船を作りたいと申し出たのだ。
オーストラリアは誠に広大な国だ。都市間の交通には矢張り航空機に頼る必要がる。
その上に、二○六○年以降は、北半球の復興、即ち『地球の復活・復興』という大事業が
始まる。
オーストラリアから北米大陸やヨーロッパ、アジア、南米、アフリカに行くには、最新鋭
のジェット機でも最低で十数時間を要する。
331
シシュフォス
この為にどうしても、大型の長距離ジェット機が必要となる。
しかしながら、オーストラリアの各航空会社が所有している大型ジェット旅客機は、総て
米国のボーイング社製か若しくはヨーロッパのエアバス社製だ。これらの航空機の半数以上
が「シシュフォス」隕石によってダメージを受け、さらにクーデター騒ぎでも破壊されて使
用不能になっており、満足に使用に耐える機材はオーストラリアやニュージーランド、それ
に周辺諸国や島を探しても一○〇機に満たなかった。
また、大災害の後では、当然これらの航空機メーカーからの新規の航空機や部品の供給は
ストップした。
また、オーストラリア空軍の所有している大型機は、ハーキュリーズC130Lとグロー
ブマスターC17改であるが、これらも隕石災害でダメージを受けて、使用に耐えるのは今
では合わせて十数機に満たない。
一方、ニュージーランド空軍の所有するハーキュリーズC130K五機が、何の損傷も受
けずに残っていたのは幸運だった。
オーストラリアでは、メルボルンを中心として、世界の主要な航空機の整備、修理、オー
332
シシュフォス
バーホール (MRO)を行う産業があり、部品等は在庫品や、隕石でダメージを受けて使用
できなくなった機材からの部品取りで何とかやりくりして、国内に残されていた航空機を整
備して当面の間は何とか凌げるが、矢張り一刻も早く新型機の生産を開始する必要がある。
ところが、オーストラリアでは、過去には小型プロペラ機や第二次大戦末期に「ブーメラ
ン」という戦闘機を自主生産したりした経験はあるが、残念ながら大型ジェット旅客機や大
型ジェット軍用機を基本から設計し、これを生産する技術やノウハウがない。
僅かに、ギップスランド・エアロノーティクス社と言う会社が一社だけ、その可能性を有
)以 後 (AAM )
」 を 発 足 さ せ て、 全 国 か ら 技 術 者 を 集 め て、
Australian Aircraft Manufacturing
そこで、タイガーとマキは、この会社を中核として国営会社「オーストラリア航空機製造
していた。
(
集中的にジェット旅客機の開発と生産を促進させた。
従来、大型ジェット旅客機の開発生産には、技術的な問題も重要だが、最大のネックは採
算性だった。いくら優秀な航空機を開発しても、販売力が弱く生産機数が少なければ採算が
333
シシュフォス
政府によって適正に決められるので、無益な競争は起こらない。
取れずに事業として成
り 立 た な い。 そ れ が、
ボーイング社とエアバ
ス 社 が、 世 界 の 大 型 旅
客機の市場を二分した
334
最 大 の 原 因 だ が、 今 は
その二社は無い。
従って、ジェット旅客機はこのタイガーの「AAM」からのみ供給される。機体の価格は
無い。
後発の九十人乗りの「三菱MRJ (三菱リージョナルジェット)
」を生産していた日本も今は
ジェット旅客機「 Embraer ERJ170LR
」も、国内が混乱して生産が中止されていた。
災害を免れたブラジルの世界第四位の航空機会社エンブラエルが製造する百九人乗り中型
中型機の市場に君臨していたカナダのボンバルディア社も消滅し、「シシュフォス」隕石
(上から、日本の JAXA が研究中
の SST、NASA とロッキード・
マーチン社の共同開発中 SST、
ボーイング社が開発中の 2707
のそれぞれ想像図)
シシュフォス
その上に、新政府は、新金鉱山から大量に生産される黄金を基に、新オーストラリア・ド
ルを発行して、この会社の資本を増強して、資金面の問題を解決した。
また、航空機生産に必要な金属や炭素繊維も、次のようにオーストラリアでは十分に供給
される。
オーストラリアは、アルミの原料のボーキサイトの世界最大の生産国で、その生産高は全
世界の三十五㌫以上の年間六二〇〇万トンに達していた。また、チタンも全世界の埋蔵量の
十九㌫の量がある。
さらに、アルミやチタンと同じく航空機には必須の炭素繊維も、V IC 州ジーロングで
二〇一四年の年央より独自技術で生産されるようになっていた。
その他にも、航空機やコンピュータを生産するのには不可欠のレア・アース等の鉱物資源
も,総てオーストラリで採れる。
この結果、国営会社がスタートしてから十年と言う短期間で、日本の本田技研工業が開発
した「 Honda-Jet
」からヒントを得た、主翼上面にターボファン・エンジンを取り付けた全
335
シシュフォス
く新しい構想による、一五〇人乗りの超長航続距離用の中型ジェット旅客機「AAM
1」
―
の初号機が航空会社に引き渡され、グローブマスターC17をベースにして、性能を向上し
たした大型輸送機「グローブマスターC20」も空軍に供給され始めた。
なお、AAMー1の航続距離は、エアバス380やボーイング747ジャンボの一万五○
20 の 航 続 距 離 は 最 大 積 載 を 七 十 七 ㌧ か ら 一 〇 〇 ㌧ に
―
1
―7の五〇〇〇㎞の二倍の一万㎞に大幅に改善されていた。
○○㎞を大幅に凌ぐ二万㎞ で、C
アップした上に、原型のC
さらに、その五年後の二〇五五年には、遂に三○○人乗りで、最高速度は音速の五倍の時
速六四○○㎞、航続距離三万㎞という夢の様な超音速ジェット旅客機 (SST)も試験飛行
に成功した。
このSSTが実用化されれば、オーストラリアから北半球の主要な地域は無論のこと、世
界中のあらゆる地点に僅か数時間で行くことが出来、今後の北半球復興計画には絶大な威力
を発揮するものと期待されている。
これらの航空機の開発にあたっては、天才技術者マキの才能が遺憾なく発揮されるととも
に、ジミーのヨッタスケールのスーパー・コンピュータや人工知能を縦横無尽に活用するこ
336
シシュフォス
とによって、驚異的な速度で開発を促進させたことを付け加えよう。
勿論、これらの新型機の燃料は、新ユーカリ「バイオの木」から採取した「新バイオ燃料」
を原料とした新航空機燃料だ。
航空機の開発と同時並行して、タイガーとマキは宇宙開発にも取り掛かった。
超巨大小惑星「シシュフォス」の接近を逸早く発見して、その危険を知らせたのは中国の
月面基地であった。そして、その接近を詳細に観察してデーターを各国に伝えたのは、ハワ
イとチリの超大型天体望遠鏡である。今後も、小惑星の地球への接近という事象も想定して
おかなければならない。
しかしながら、チリの超大型天体望遠鏡は、若干の損傷はあったものの無事であったが、
ハワイのマウナ・ケア山にある超大型天体望遠鏡は、この山にある他の世界最先端の十三基
の天文台諸共破壊された上に、放射能汚染で使用不能だ。
その上に、
残念ながら「シシュフォス」の破砕片で、地球の周りを周回していた宇宙ステー
ションや、ジェイムズ・ウェッブ (J WST )宇宙望遠鏡も破壊されてしまったので、宇宙
を監視するためにも新しい宇宙望遠鏡も必要だ。
337
シシュフォス
現在、チリの超大型天体望遠鏡は現地にいて無事であった天文学者たちによって修理中な
ので、
満足に稼働している大型天体望遠鏡は、「シシュフォス」隕石の被害を免れたニュージー
ランド南島のテカポ湖の西側にある標高一○三一メートルのマウント・ジョンの天文台の口
径一・八メートルの天体望遠鏡だけだ。
また、新しい全地球測位システム (GPS )も開発しなければ、折角、新しく開発した航
空機もその能力を充分には発揮できない。
ここで再び奇跡が起きた。
全三段固体で、惑星探査機の打ち上げまでやり遂げることの出来、「世界で最も素晴らし
い固体燃料ロケット」として高く評価され、あの「はやぶさ」を打ち上げた、日本の誇る世
1
―」の開発に当たった日本のIHIエアロスペース社の主任技術者の一人
界最大の固体燃料ロケット「MV (ミュー・ファイブ)
」及び、その後継機イプシロン・ロケッ
トの改良型「E
が、定年退職後オーストラリアで余生を送っていることが分かった。
固体燃料ロケットは、液体燃料ロケットに比して推力は落ちるが、運用性が良い上に、コ
338
シシュフォス
ストが三〜四分の一の三〇〇〇万㌦(約三十億円)と安く、それでいて、低軌道 (近地点高
度二五○㎞、遠地点高度五○○㎞)に約一・二㌧の小型の通信衛星を打ち上げることが可能だ。
しかも構造が簡単で開発が短期間で出来る。
タイガーは、この技術者を招聘して、固体燃料ロケットの開発を急がした。
なお、
この固体燃料は。合成ゴム「ポリブタジエン」に酸化剤の「過塩素酸アンモニウム」
とアルミニウム粉末を加えたコンポジット推進剤である。
彼は、八十歳を過ぎた高齢ながら、若い技術者を指導して、見事に二年半と言う短期間で
新イプシロン・ロケットを開発して、次々にジミーが作った人工衛星を打ち上げて、オース
トラリア版新GPSを完成させた。
(北半球への進出)
航空機やGPSは出来ても、航空機が離発着出来る空港がなくては、宝の持ち腐れだ。
これらの新型航空機を北半球に飛ばすためには、北半球にも、離着陸可能な空港が必要と
なる。
339
シシュフォス
調査船を派遣しての調査の結果、欧米や日本、中国等の各地の主要国際空港は、建物は破
壊し尽くされているが、幸いにして、滑走路を修復すれば、使用可能との結論が出た。
そこで、最初に南緯六度七分と赤道より南にあり、比較的放射能の影響の少なかったイン
ドネシアの首都ジャカルタのスカルノハッタ国際空港に、新生なったばかりのインドネシア
政府の協力で前進基地を作った。
また、北半球にありながら、太平洋の真ん中に在ったために、放射能汚染の被害が比較的
少なかったという偵察艦艇よりの報告があった、グアムとサイパンの旧米軍航空基地二カ所
にも前進基地を作った。
1
―や、C
1
―改で、アジ
2
―0では一飛びだ。
オーストラリアの、ブリスベンやケアンズ、それにダーウィンの北部の旧国際空港からは、
これらの前進基地へは五〇〇〇㎞以内なので、AAM
さらに、これらの基地より、二万㎞の航続距離を誇る偵察機仕様のAAM
ア諸国や中国、日本を上空から偵察したところ、原子力発電所の無かった日本の放射能汚染
の被害が最も少なく、
「シシュフォス」隕石大災害より約三十年経過した二〇六〇年には居
住可能との結論が出た。
340
シシュフォス
そこで、オーストラリア政府は、大災害後の北半球の復興第一号の国は、日本とすること
をタイガーに命じた。
富士山噴火の降灰で埋まってしまった成田や羽田等の関東地区の空港は使用不能との報告
20を次々に飛ばしてこれを整備し、
―
を受けたタイガーは、比較的ダメージの少ない関西空港と中部国際空港に、ブルドーザー等
の建設機械と復興隊員を乗せたグローブマスターC
2
―0から新たにジ
この二空港を拠点として、暫時日本復興の基地を各地に拡大する計画を取り進めることに
2
―0が着陸出来ないような障害物が滑走路上に在る場合には、C
なった。
C
ミーが開発したヒューマノイド・ロボットが多数パラシュートで投下されて、同時にパラ
シュートで投下された建設機材を使って障害物を取り除いた。
ヒューマノイド・ロボットは二百㌕の物体も軽々と担ぐ上に、人間と違い、搭載した新開
発の高性能リチュウム蓄電池さえ交換または充電すれば、疲れを知らずに二十四時間休み無
く作業するので、たちまちのうちに空港は使用可能となっていった。
こうして、関西と中部地区を拠点にして着々と大阪・名古屋を初めとして日本の各地の都
341
シシュフォス
市の復興整備は始まった。
放射能汚染については、予想外のことが起こっていた。
隕石の衝突によって、原発や原爆は誘爆したが、その数が余りにも多く、また、隕石衝突
により発生した超高温の熱波やマグマと相まって、総ての物質が気化して蒸発し、ウランや
プルトニウム、それに原爆や原発の爆発によって生じたストロンチユウム等の放射性物質は
強 烈 な 上 昇 気 流 に よ っ て 高 高 度 大 気 圏 に ま で 舞 い 上 が っ て、 一 部 の 放 射 性 物 質 は 黒 い 雨 と
なって地上に降り注いだが、
大部分は地球の表面の七十㌫を占める海に落下して海底に沈み、
地上での放射能汚染度は「シシュフォス大災害」後三十年経過した後では、驚いたことには、
可成りの地域で、人類が生存出来る程度にまで下がっていた。
これと同じような現象は広島や長崎の原爆投下時にも見られ、爆心地であるにも拘らず、
地上汚染の被爆線量は少なく、放射能汚染が数年後には殆ど居住に問題にならない量である
と看做されて、爆心地でも復興が始まっていた。
まさに、同じ現象が北半球では起こっていたのだ。
342
シシュフォス
因に、福島第一原発事故では、水素爆発によって、事故原発内に溜まっていた放射性物質
が外部に放出され、これが比較的低空の大気圏内の風によって拡散されたために、主として
五十㎞ 圏内に落下して、放射性物質による汚染が激しく、特に二十㎞ 圏内では年間二十〜
五十シーベルトの放射線量が続き、ほぼ半永久的に人類が住めない程の放射能汚染に曝され
ることになってしまった。
ところが、この福島第一原発跡地も、今回の「シシュフォス」の巨大隕石直撃を受けて、
跡形も無くなり、そこには大きなクレーターだけが残って、周辺の地域の放射能汚染は一気
に消滅してしまった。
オーストラリア政府は、日本の復興を進めるのと同時に、放射能の被害の少なかった南米
諸国や、アフリカ諸国、それに一億人以上の人口が無事に生き延びたインドネシア、パプア・
ニューギニアや南太平洋の島々等の復興を、全力を挙げて援助した。
こうして、復興がなった国々と、オーストラリアの人口を合わせれば、二〇七〇年には、
地球人口は十億人に達して、地球復興計画は是等の人々の協力で順調に進み、二十二世紀に
343
シシュフォス
は再び地球上には文明、それも新しく創り上げられた文明が生まれて来た。
今度の新しい地球には国境は無い。戦争も原爆も原発も無い。
そして、
人々はそれぞれが信仰する『神』を必死に祈ったのにも拘らず、超巨大小惑星「シ
シュフォス」隕石落下によって地球は壊滅状態となり、主要な聖地や宗教的中心地が消滅し
てしまったので、既存の宗教さえも無くなってしまい、人類の永遠の頭痛の種であった宗教
紛争さえも無くなった。
ただ、宗教は完全に無くなったものと思われたが、インドネシア等の僻地では、超巨大小
惑星「シシュフォス」を密かに『神』として崇める新しい宗教が生まれつつあった。
あれだけ、全人類がその信じる『神』に祈ったのに、超巨大小惑星「シシュフォス」によ
る大災害は起こってしまった。それでも、人類の中には信じる『神』を必要とする人々が居
たのだ。
超巨大小惑星「シシュフォス」は、地球に破壊だけをもたらしたのではなかった。地球上
には、
「シシュフォス」災害以前でも、判明しているだけで、数百の隕石クレーターが在った。
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シシュフォス
そして、実に不思議なことだが、石油を初め世界の鉱物資源は、巨大隕石の落下地点付近
に埋蔵されていることが多いことが経験的に分かっている。
アメリカの十七ヶ所の油田然り、南アフリカのダイヤモンド鉱山然り、ロシアのダイヤモ
ンド鉱山も隕石クレーターだと考えられている。
さらに、カナダのオンタリオ州にある地球上で二番目に大きな隕石衝突クレーター「サ
ドベリー隕石孔 (正確には隕石衝突に起因する地質構造である「アストロブレム」の巨大なもの)は、
十八億五〇〇〇万年前の隕石衝突によって、マグマが発生して、そこから生じた火成岩類に
ニッケル・銅硫化物が含まれた鉱床だ。
これは、隕石の衝突で、付近の岩石は粉々になり、其処に資源が集約されたと想定される
からだ。
また、二○一三年三月、米国の科学雑誌「 Nature Geo science
」に掲載された論文による
と、地震の主断層線をつなぐ裂け目(岩石にできた液体で満たされた洞穴)、──これを『断
層ジョグ』と呼ぶが──、この場所で大きな地震が起こると、洞窟が急速に広がって、急激
な圧力の低下が起こり、洞窟内の液体が瞬時に気化するので、その液体中に有ったシリカや
345
シシュフォス
金等の希少元素が結晶化して鉱脈を形成するとの説だ。
研究では、百㌧の金鉱脈鉱床が形成されるのには、十万年ほどかかると推定されているが、
「 シ シ ュ フ ォ ス 」 の 破 壊 さ れ た 数 万 個 の 隕 石 群 に よ っ て、 地 球 上 で は 一 昼 夜 に し て、 直 接 の
隕石衝突の他に、原子力発電所や原爆の大爆発で、かつて無い程の大地震が連続的に起こっ
た。そして、
その隕石衝突や大地震が、
思わぬ贈り物を人類にもたらしたのだ。その上に、「シ
シュフォス」は、その本体が鉄ニッケルを主体として、金や銀を大量に含んだ宝の山の様な
超巨大小惑星だったと考えられる。
その本体が、直接地球に衝突していれば、間違いなく人類は、六六〇〇万年前の白亜紀に
全盛を誇りながら絶滅した恐竜と同じ運命を辿っていただろう。
しかし、人類はその英知によって、莫大な被害は被ったものの、なんとか「シシュフォス」
本体の直撃を免れて、今や復興に励んで遠からず復活を遂げようとしている。
その人類は、
「シシュフォス」の破片が世界各地に残したクレーターやその周辺から、新
たな石油や鉄、ニッケル、金、ダイヤモンド、レア・メタル等の復興に不可欠の資源の大鉱
脈を次々に発見した。
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シシュフォス
【遂に核融合に成功!】
そして、遂にタイガーと妻のマキ、それにジミーの三人の大天才は、人類の夢であった超
小型の『核融合炉 ( CFR
: Compact Fusion Reactor
)
』 の 開 発 に も 成 功 し て、 こ こ に、 人 類 は 最
早エネルギー問題に悩まされることもなく、この核融合炉を使った発電所の建設を始め、船
舶は勿論こと、
航空機や宇宙船にも搭載できる超小型核融合炉の開発にも成功したのである。
た。
なお、この核融合炉の開発を最初に提案したのはマキだった。
彼女は、父のレオンの蔵書の中に、二〇一四年十月十五日に、
《 米 国 の 航 空 防 衛 機 器 大 手 の ロ ッ キ ー ド・ マ ー チ ン 社 の ”
”が核融合エネルギー技術でブレークスルーを達
SkunkWorksteam
成し、合理的なコストで今後十年以内に利用を実現に近づけた》と、
ロイターが報じている新聞記事を見つけたことに始まった。
それによると、
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これによって、
人類の夢であった火星への移民計画『マーズマン計画』も現実のものになっ
(ロキード・マーチン社の
CompactFusion のページより)
シシュフォス
《基本コンセプトは、
高出力のレーザーを小さなターゲットに照射する方式(レーザー核融合)
ではなく、プラズマを磁場で閉じ込めるという方式であるという点で、トカマク型の核融合
炉に似ている。
ただし、容器の形状がトカマク型とは異なっており、同社の研究チームによると、より効
率的だという。出力が一〇〇メガワット (MW )で、当時存在するものより約十倍小さく大
型トラックの後部に入れられるほどの核融合炉が製造できるめどが立った》と、説明してい
た。
タイガーたち三人の天才は、このわずかな記事をヒントにして、人類の究極の夢である核
融合すなわち太陽を手に入れたのだ。
斯くして、二十二世紀の地球人は、超巨大小惑星「シシュフォス」の破壊から復活しただ
けではなく、見事に復興、それも破壊前の地球文明とは異なる、『創造的復興』をなし遂げ
て‥‥、
医学の発達により──、
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シシュフォス
①総ての病気が克服されて不老長寿が実現し、
②平均寿命は一二〇歳を越え、死亡する直前まで健康な生活を送ることが可能になり、
③人類の使う言語は、英語から発展した『地球語』に統一され、
⑥混血が完璧に進んで、今や白人種、黄色人種、黒人種の区別は勿論、中国人とか日本人
とかアングロサクソンとかゲルマンとかアラブとかユダヤとかの、人種的な区別も偏見
も一切無く、
⑦人類は地球人種だけになり、
⑧「核融合」を実現させて、エネルギー問題を永久に解決しただけではない。
⑨この核融合を推力とするロケットを作ることによって、高速の十分の一まで加速するこ
とが可能と考えられ、生命に適した惑星があると考えられる、例えばプロキシマ・ケン
タウルスまでには約三十年で、その他の惑星にも数百年で到達できることになった。
従って、若しも、彗星や超大型小惑星の衝突の危険が再度発生したり、太陽活動の異常に
よる気候の大変動が起きたり、原生代末や古生代のオルドビス紀末に起こった超大陸の形成
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シシュフォス
と分裂による「スーパー・ブルーム」と呼ばれるマントルが上昇したり、超新星の爆発によ
る「γ 線バースト」に見舞われる予測があったりして、地球生命の大量絶滅の危機が訪れて
も、人類は銀河系の中に存在すると考えられる生命に適した環境の十億個の惑星の何れかに
移住することが可能となった。
──という、人類が夢に見た、理想的な世界となることが約束されるようになってきた。
レオンは百三十歳を越えても、自分が開発した不老長寿薬のお陰で、まるで壮年のような
健康を保ち、地球復興の為に今も活躍していたが、この理想の世界を見て ――
、
お
わ
《私はこの「シシフォスの大災害」を経験してからは、神を信じなくなっていた。しかし、
矢張りこの宇宙には全能の神が御座して、「領土だ、宗教だ、人種だ」と争いが絶えなく、また、
広がる一方の格差社会を放置して、
一握りの人だけが傲慢に振舞う人類に、「ソドムとゴモラ」
を滅ぼしたように、天から火と硫黄の代わりに、超巨大小惑星「シシュフォス」を遣わされ
たのではないだろうか?》
と言う考えが頭をよぎった。
――
350
シシュフォス
最後に、地球の復活を確かなものとして、世界の創造的復興を着々と進めた最大の功労者の
【完 】 タイガーは、新たに設立された世界連邦政府の初代大統領に就任したことを付記しておこう。
等ネットに掲載されている多くの画像をお借りしたことを感謝いたします。)
Wikipedia
(この小説はフィクションであり、実在の団体や個人とは一切関係ありません。
また、
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アンディ 大和(ヤマト)
欧米はもちろん、中国・韓国・タイ・フィリピン等
でビジネスをした後、17 年間のオーストラリア生活
の経験を基に小説を発表する。
「アンディ」はオーストラリア人が付けた名前。
人類への警告の近未来SF小説
超巨大小惑星『シシュフォス』が地球を襲う
ヤ マ ト
アンディ 大和
©Andy Yamato
発 行 2015年5月1日
発行者 横山三四郎
出版社 eブックランド社
東京都杉並区久我山4-3-2 〒168-0082
http://www.e-bookland.net/
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