仏教者の信仰主体と社会的具現―タイ・日本における社会貢献―

日本宗教学会
2008 年度学術大会
パネル発表
仏教者の信仰主体と社会的具現―タイ・日本における社会貢献―
報告 1 浦崎雅代「開発僧を起点としたネットワーク─タイ・スカトー寺の事例から─」東
京理科大学非常勤講師
浦崎の発表は、スカトー寺のカムキエン・スワンノー師の活動を事例に、1)開発僧と呼
ばれた僧侶とその寺院が、時代の流れとともにどのように変化したのか。2)在家者との相
互作用やネットワーク形成という視点で開発僧のもたらした社会貢献の意義は何か、とい
う問題を考察することを目的としている。
カムキエン師は、1936 年にコンケーン県で出生。モータムを務めたのち、恩師ティエン・
チッタスポー師と出会い、遊行を重ねたのちにスカトー寺の僧侶となる。カムキエン師の
開発の様相は時代とともに変わっている。70 年代には、村自体が混沌としていた時期であ
るが、村人の悪行を発見したとしても叱責せずにいたため、村人から畏敬の念を抱かれる
ようになっていった。80 年代には、師自ら植林を行い、村人を伴っての植林活動が注目さ
れる。90 年代には、バンコク等の都会からオルターナティブな生き方を求めて村に移住し
た移住者が NGO を立ち上げ寺院との交流が始まった。2000 年代には、瞑想修行に多様な人
材の交流が深まり、仏法を基とした心の開発を巡礼参加を通じて学ぶ「タンマヤトラ」や
障害者の精神的な開発・発展の可能性が示されるような場になった。特に、障害者カンポ
ン・トーンブンヌム氏とカムキエン師との出会いによるカンポン氏の生き方の変化が世間
から注目されてくるにつれ、メディアで寺院を紹介されることが多くなった。
こうした事例からは次の 3 点が言えよう。1)スカトー寺の活動は、特定の活動に特化せ
ず、貧困・環境・人々の心の問題を時代の要請に応える形で包括的に展開している。2)時
代を経るにつれ、開発活動よりもむしろ寺本来の役割である瞑想修行に関心を持つ人たち
が集まって、それぞれがネットワークを生み出す傾向にある。3)僧侶が瞑想修行において
大切にしているスタンス、すなわち「ただ率直に現状を知って、なすべき役割を果たし結
果(成果)にとらわれない」と、僧侶が開発活動に従事するスタンスとが一致している。
Q:(ランジャナ・ムコパディヤーヤ):カムキエン師のタンマヤトラはカンボジアのタンマ
ヤトラと関係しているか。
A:師は他国とのネットワークをもっているため間接的に影響を受けている可能性はある。
報告 2 泉経武「仏教僧侶と開発─タイ東北地方の開発僧の事例から」東京成徳大学非常勤
講師
開発僧とは、地方村落の住民生活の改善のために開発活動を行う仏教僧侶である。タイ
社会やサンガ内における地位あるいは役職を意味するものではなく、NGO による呼称である。
1970 年代後半に登場し、文献で確認されたのは 1982 年である。サンガの開発計画と仏教教
義の再解釈には変化が見られた。1965 年のタンマトゥート計画のもとでは、地域的不満を
抑制し、支配イデオロギー浸透のための教育活動実践を通じて、共産党対策を行うことを
目的としていた。1966 年には、タンマチャーリック計画のもと、焼畑の禁止、アヘン栽培
禁止、生活向上と国家開発への協力の要請、国境地域への安全確保が目的とされ、さらに
地域開発促進のための僧侶訓練計画として、農村開発の学習、開発活動への実習参加、国
家と宗教の安定のための協力が推奨されてきた。こうした政策の中で、「現実」とは、改善
可能で、改善することが義務であると対象化された生活であるとみなされてきた。タンブ
ンとは功徳を積む宗教実践であり、従来は在家信徒から寺院や僧侶に対して行われてきた
が、開発僧の場合には在家信徒から在家信徒に対して行われるものになっていた。開発は
「現実」と向き合う作法から、知識、技術、そして瞑想へと変成を遂げてきたのである。
開発僧は活動を通じて村人との親密性の構築する一方、東北地方の 11 グループに代表され
るような開発僧間のネットワークも形成した。
開発僧の活動は、政府・サンガによる「上から」の開発と、地域の村落社会で求められ
る「下から」の開発の調合であった。開発僧は、そうした上からの開発と下からの開発と
の間でジレンマを抱えつつも、NGO への協力を働きかけ、村落の生活改善に有効な開発活動
を模索し活動を展開させている。断絶も排除も折衷もせずに矛盾と錯綜の中に身を置き、
その概念的乖離に耐えることが自己修練であり、仏教の実践を深めることになるという立
場に立っている。ここに、仏教を基底とした倫理的行為主体の構築の試みがなされている
と見ることができよう。開発僧と村人を、彼ら自身の経験や生きることへの意思と配慮と
いう視点から考察することにより、国民国家の形成に巻き込まれ、開発の対象で、常に近
代の影でしか無かった存在とは異なる「開発僧」の理解が可能になると考える。従来の社
会理論や文化理論には不足していた「創造性」や「自由」の領域も可能になる。そう考え
るならば、開発僧研究には「受動の哲学」とでも称することのできるものがあるのではな
いかと考えられる。
報告 3 石上和敬「現代日本仏教における宗教主体の社会貢献について」武蔵野大学講師
まず本発表における「現代日本仏教における宗教主体」を「伝統仏教の僧侶」に限定す
る。そして、伝統的に行われてきた本来的な宗教活動と社会貢献との関係を明らかにする
ことの必要性を確認した上で、社会貢献を「伝統的に僧侶に課せられてきた宗教活動とは
形態において異なる、何らかの対社会的な貢献活動」と押えて議論をすすめることとする。
仏教僧侶が社会貢献活動を行う場合、「持ち場を離れない」社会貢献という考え方が重要
である。なぜならば、上述の前提から議論を始めるとするならば、仏教僧侶が行える社会
貢献は、活動時間における制約と活動場所(範囲)における制約を自ずと受けざるを得え
ないからである。「持ち場を離れない」とは、伝統的に本来的であると考えられてきた宗教
活動から、時間的にも空間的にもそれほど離れない形で行える社会貢献、という意味であ
る。さらに、
「持ち場を離れない」社会貢献には次のような効用もある。1)本来の持ち場を
離れないことによって、非宗教主体が行う一般の社会貢献との違いを常に僧侶側が意識し
続けることが可能になる。2)社会の側にも僧侶が行う社会貢献であるという側面が強く意
識される。さらに、3)日常生活の持ち場を離れることができない大多数の日本人に対して、
社会貢献のモデルを提供できる可能性も秘めている。
このような観点に立った上で、仏教系の二団体の事例を紹介した。1)アーユス仏教国際
協力ネットワーク。2)自殺対策に取り組む僧侶の会。前者は、現地で活動する NGO を通し
て得られた様々な情報を、会員となっている寺院や僧侶を中心としたネットワークを利用
して広め、NGO の活動に賛同する人々からの援助金を集めて、適切な活動を行っている NGO
をバックアップすることを基本コンセプトにしている。「持ち場を離れず」に行えるのみな
らず、寺院を中心としたコミュニティー、ネットワークを利用して行える点で、宗教主体
の特性を生かした社会貢献である。また、NGO の現場と日本の一般市民がこのような形でつ
ながることは、仏教の縁起思想に自覚的になるという効果もある。後者は、手紙相談「自
死の問い・お坊さんとの往復書簡」という活動を行っている。「手紙」というコミュニケー
ションツールを用いた自殺対策は、僧侶が「持ち場を離れず」に行えるという側面だけで
なく、クライアントが自分自身と落ち着いて向き合うことにもつながるという、いくつか
の興味深い側面を含んだ活動となっている。
また、宗教主体の社会貢献をさらに充実発展させるとするなら、「持ち場を離れて」も行
える体制・しくみの構築が必要である。そのためには、僧侶同士、寺院同士の上手な連帯
が必要になるだろう。
報告4
谷山洋三「仏教者の社会貢献としてのビハーラ運動/活動」四天王寺大学准教授
ビハーラ運動/活動(以下、ビハーラ活動とする)は 1985 年に開始された。当初はホス
ピス運動のみだったが、1986 年に本願寺派がビハーラ運動を展開したことにより活動内容
が多様化する。まず当初は終末期患者が主な対象だったものが一般患者や社会福祉の利用
者にも拡大された。また災害・青少年育成などの活動も行われるようになる。さらに活動
の主体も日蓮宗主体のグループや大谷派主体のグループも登場した。
ビハーラ活動の意義は、単に仏教主体の社会貢献であるのみならず、仏教復興運動につ
ながることもあげられる。例えば、葬式仏教批判への対応、仏教者自身のアイデンティテ
ィの確認、僧侶の新しいあり方の模索といったことがビハーラ運動には込められている。
ビハーラ活動の中では長岡西病院ビハーラ病棟が中心的な存在である。ここでは医師、
看護師や介護福祉士のほかにビハーラ僧が有給で勤務している。病棟内に仏像があり、お
経を唱えたり法要を行ったりする。活動を支えているのは「仏教者ビハーラの会」という
任意団体である。メンバーの大半は僧侶であり、他の社会福祉施設の活動にも関わってい
る。活動内容に関しては、法話、環境保全などの宗教的行事も行われている。また、患者
の外出サポート、カンファレンスへの参加、患者家族などの利用者の心のケア、医師や看
護師などのケアも担っている。病院としては、僧侶を病院内に配置することで、患者の宗
教的ニーズに対応しやすくなるというメリットがある。患者の大半は無宗教であるが、他
宗教の熱心な信者もいる。ビハーラ僧の格好は黒衣、作業衣、普段着などである。
今後の課題として次の三点が考えられる。第一点は、世代交代の問題である。ビハーラ
活動は 20 年以上の歴史があるが、第一世代の多くは 60 歳以上であり、第二世代は子育て
など私人としての地域貢献活動が求められている。とすれば第三世代のリクルートが今後
必要になる。第二はビハーラ活動に必要とされる専門技能の研修である。ケアには高度な
コミュニケーションスキルが必要であり、壇信徒との交流を通じてコミュニケーション能
力を高めてきた僧侶には相性はいいが、そうではない僧侶もいるのは事実である。第三は
法務とのバランスである。ビハーラ僧としての活動をどのように壇信徒に還元していくか
を考えなければならない。
ビハーラ活動を行うには、僧侶自身が心のケアに関する専門知識を身に付ける必要があ
る。さらに、ビハーラ活動は、僧侶がアイデンティティを再確認する修業の場でもある。
また、伝統仏教の社会貢献活動に関する社会学的フィールドワークはあまり行われておら
ず、今後の進めていく必要があろう。
討論
4 人の発表者の発表が終えた後に、コメンテーターをつとめた北海道大学の櫻井義秀がセ
ッションの補足説明、および 4 人の発表者に対する質問を行った。
補足説明は以下のようなものであった。タイの開発僧と日本の僧侶による社会事業とい
う地域的にも文化的にも異なるものを同時に取り上げたのは、タイと日本を比較すること
で、幅広い関心を促そうという意図があったからである。その際、特に次の二点を念頭に
おいた。第一点、信仰主体と社会的資源の関係である。宗教者・宗教団体が社会的な行動
を起こしたときにどういう結果をもたらすのかが重要である。ここ数年来、櫻井はカルト
問題の研究に携わってきたが、カルトと言われる団体の関係者は、その意識のレベルにお
いて社会に対して悪事を働こうとしているわけではない。彼ら・彼女らは、社会に貢献し
ようという善意で活動し社会を善化しようとするが、その活動がとうてい教団外社会に受
け入れられるものではないため、結果として教団と社会との葛藤が生まれてしまう。この
意味で社会貢献活動とカルト問題というのは共通性がある。そうであるならば、むしろ問
われるべきは、宗教者・宗教団体が対社会的に行う活動が、どのような条件のもとで社会
貢献的になるか、ということではないか。
第二点、タイの開発僧と日本の僧侶の対比を行った。タイでは社会福祉・開発の主体は
行政以外であった。そうした行政以外の福祉の主体の一つとして僧侶による活動がある。
1970 年~1980 年ころは、地域は僧侶に開発事業を求めていたが、それ以降は、地域が僧侶
に求めるのは、心の探求や癒しといったものに変化していったのである。
(参考 櫻井義秀、
2008,『東北タイの開発僧―宗教と社会貢献―』梓出版社)一方、日本においては地域社会
福祉の主体は行政である。地域福祉と宗教制度は切り離されており、仏教は宗教活動とい
う枠に閉じこもりがちである。しかしながら、近年は、このままでは仏教は成り立たなく
なりつつあり、ではどう仏教を再生すればよいのか、という課題が浮かび上がってきたの
である。
また、今回の発表では、1)持ち場を離れない活動、2)ネットワークという視点が四人の
発表者に共通していたと考える。
以上の補足説明の後、発表者に対して個別の質問があったが、その際に、ネットワーク
と比較宗教論という二つの視点が盛り込まれていた。
第一発表「開発僧を起点としたネットワーク─タイ・スカトー寺の事例から─」
(浦崎雅
代)に関しては、瞑想に関心を持ち、寺院や僧侶とネットワークを形成した人達は、社会
に戻った後はそのネットワークをどのように活用するのか、という質問がなされた。それ
に対して浦崎は、職場の中で実践をする、あるいは参加者がインターネットを使って若い
人たちにも還元しようという話が参加者の中にみられたと答えた。また、比較宗教的な視
点に関しては、上座仏教の場合、僧侶であるというだけでアイデンティティーが保てるた
め、あえて開発を行わなくとも僧侶としての社会的な立場を保てるのではないか、と述べ
た。
第二発表「仏教僧侶と開発─タイ東北地方の開発僧の事例から」(泉経武)に関しては次
のようなコメントがなされた。開発僧が新たに作り上げた親密空間は、従前より僧侶と村
民の間に存在した親密空間とどのように違うのか、開発僧のネットワークがエンゲイジド
ブッディズムとして他国の僧侶と連携することはあるが、それに対してサンガはどのよう
なスタンスを取っているのか。これに対しては次のような回答がなされた。まず親密空間
については、市場経済の浸透の影響により、村内の自給自足的生活に市場経済が入り家族
のあり方も変わってくる。タイの村はもともと親密でありながらも、僧侶に対して心が開
かれているわけではない。それがゆえに開発という出来事を契機として新たな関係を作り
たいという考えがあったのではないか。次に、開発僧に対するサンガの影響に関しては、
サンガはこうした活動を 90 年代まで認めていなかったが、90 年代以降は認めるようになっ
てきたようである、と答えた。また、比較宗教的な問題に関しては、当該社会における宗
教の社会的な定着度の違いが、社会貢献活動に対する重要度の違いに影響するだろう、と
述べた。
第三発表「現代日本仏教における宗教主体の社会貢献について」
(石上和敬)に関しては、
宗教主体が持ち場を離れて社会貢献を行う上で、僧侶同士、寺院同士の上手な連携が必要
であるというが、実際に、僧侶間のネットワークはどのように形成されているのか、とい
う質問がなされた。これに対して、石上は次のように述べた。協力できるところは協力す
るという流れはあるが、社会貢献をする場合には教義的な抵触が足枷になることも少なく
ない。超宗派的な活動を行うことでこうした足枷からある程度、自由になることができる
のではないだろうか。また別の視点であるが、インド仏教でいうところの「四方サンガ」
という考えにのっとり、檀家や僧侶は仏教教団全体に属する仏教者であるという意識を共
有する必要もあるのではないか。
第四発表「仏教者の社会貢献としてのビハーラ運動/活動」(谷山洋三)に関しては、ス
ピリチュアルケアは具体的にどのように行われているのか、という質問がなされた。これ
に対しては次のような回答がなされた。病院内で医療者は僧侶にスピリチュアルケアを期
待するが、僧侶は宗教的ケアを行ってしまい、あとで患者から苦情が出るというトラブル
が時々生じる。宗教的ケアは相談者が相談相手の世界に入り世界観を共有するが、方スピ
リチュアルケアの場合は相談相手が相談者の世界に入って話に耳を傾けるのである。この
両者のズレが生じることがある。また、超宗派的なネットワークに関しては、ハワイの仏
教団体が分業化された組織体系を備えているのと同様に、日本の仏教教団も分業化を行う
必要があるという案が出ている。将来的には組織的なこうしなければならないと立ちいか
ない可能性がある。
コメンテーターとの質疑応答の後には、フロアからの質問・意見を受け付けた。鎌倉仏
教研究者の笠井は、鎌倉時代の真言律宗の動きが開発僧に似ていることを指摘した。当時
は荘園社会をベースに成立していた社会構造が官僚制社会に編成される過程で、多くの悪
所がなされていた。そうした悪所がなされる中へ行って社会的活動を行ったのがほかなら
ぬ真言律宗であった。しかし、現在、真言律宗はさほど大々的に社会貢献活動を行ってい
るわけではない。これを比較宗教という視点で言えば、必ずしも大乗─小乗という宗教の
違いによって決まるわけではなく、むしろ社会的状況の違いによって活動に差が生じるの
ではないかと感じた。さらに寺檀関係という側面から論じる必要もあるとした。笠井の質
問に対して石上は、現状の僧侶が寺檀関係の中で経済的に支えられているという側面があ
り、社会貢献を行なうことが広い意味で檀家や寺院に利益をもたらすことになるとのアナ
ウンスが重要であると述べた。さらに谷山は、寺檀関係は重要な点であり、今後、日本仏
教界を考えた場合、大規模な再編成をしなければならない恐れがある、と述べた。次いで、
浦崎は、時代の変化を敏感に感じている僧侶が日本にいることにまず感心し、タイの場合
には、開発僧というものが結束して何かやるというわけではなく、近代化が成し遂げられ
た後にまた従来の僧侶の姿に戻る可能性があると感想を述べた。
以上の質疑応答の後に、次の三点を述べ、テーマセッションのまとめとした。第一点、
今回のテーマセッションのキーワードは「他者」と「社会」であったように思う。思弁的
な結果としての社会、従来から仏教が考えてきた心といったものにある程度の距離を置き
ながら他者と社会についての考察が行えたのである。今回のテーマセッションが終わるま
では、「慈悲、慈悲、慈悲」といったような、慈悲で押し通す内容の発表が出てくるのでは
ないか、と危惧してもいたが、幸運にもそうしたことはなかった。今回のセッションを契
機となって、仏教用語としての「他者」や「社会」をめぐる議論に発展すればと期待して
いる。あるいは、後世になって、もしや今は他者や社会の発見の時代であったのではない
かと振り返えられれば、と思う。第二点としては、第三者機関による開発や社会貢献の中
身に対する評価という点について今後議論が深まればよい。第三点としては身体の問題が
ある。生身の人間が活動する以上、暴力、ジェンダー、権力の問題が、当然付きまとうわ
けである。気がついたら暴力やジェンダーの問題を再生産していたということになってし
まったという可能性もある。これらの点について今後の更なる研究が待たれる。
記録・要約編集
寺沢重法(北海道大学大学院)