Carol Lancaster (2007)

2007 年 4 月 9 日
日本大学教授、FASID 参与
秋山孝允
開発援助の新しい潮流:文献紹介 No. 67
Carol Lancaster (2007) Foreign Aid: Diplomacy, Development, Domestic Politics, The
University of Chicago Press
ドナー国はなぜ援助を行うのか、またドナー国のどのような国内要因が援助に影響を与
えるのかという問いが本書の主題である。先進国が援助を行うようになった政治的、社会
的要因を歴史的に分析し、米国、日本、フランス、ドイツとデンマークの現在の援助政策、
その背景をケース・スタディとして記している。本書の著者は USAID、米国務省の高官と
して勤務した経歴を持ち、現在はジョージタウン大学でアソシエート・プロフェッサー(准
教授)として活躍しており、本書で援助をドナー国の文化、社会、政治、政府機構の視点
から分析している。
内容
本書は、以下の 8 章から構成されている。
-第 1 章
なぜ海外援助は行われるのか
-第 2 章
援助の目的の簡潔な歴史
-第 3 章
米国:モルゲンソーのパズル
-第 4 章
日本:援助スーパーパワーの盛衰
-第 5 章
フランス:世界における地位と影響力
-第 6 章
ドイツ:中道を行く
-第 7 章
デンマーク:人道的な国際派
-第 8 章
結論と推測
以下、各章の主要点を記す。
第1章
なぜ海外援助は行われるのか 国際関係学者モルゲンソーによれば、海外援助は
「近代の外交の実践として真にイノベーションである。」現在海外援助は当然のように思わ
れているが、第二次世界大戦の終了する前には現在あるような援助は考えられないことで
あった。それではなぜ援助、特に開発を目的とした援助が行われるようになったのか。こ
の疑問に対して 1970 年代、80 年代に計量的モデルを用いて分析する研究が行われた。こ
れらの研究は、ドナー国の政治的、歴史的要因、被援助国の貧困の度合いなどを説明変数
として用い分析しているが、欠けているのは、ドナー国の認識(世界観)、国内政治制度、
国内の利害関係者、政府の援助組織構造であり、本書はこれらの要素をその分析の焦点と
する。
社会、国には、集団的世界観、価値観というものがある。これらは、社会が求める行動様
式を規定し、その社会のアイデンティティーをなすものである。社会の世界観、信条は、
豊かな社会が貧しい社会を援助する義務感を規定し、政府の役割に影響を与える。また、
援助の内容に影響を与える市民組織にどれだけ政府がかかわるかということについてもあ
る程度規定する。
政治制度は、政治的課題を決め、政策決定者へのアクセスを規定し、政策企画者、政策へ
の拒否権を持つ者を定める。選挙制度も重要であり、ドイツやデンマークにおける比例代
表制度においては、ニッチな課題も政治的な重要性を持ちうるが、米国のような小選挙区
制の下ではニッチな課題は政治的重要性を持ちにくい。このほかに行政府と立法府との関
係、行政府内の組織も政治課題を決定する上で重要である。
利害関係者グループは政府の支出配分に大きな影響を持つ。援助に関しては、商業的な利
害を持つグループ、援助にかかわっている NGO などのグループ、そして特定の国、地域に
利害があるグループがある。これらのグループは世論を通し政策決定者に影響を与えよう
とする。援助に関して世論が大きく動くのは人道的な災害が起きたときと援助に関するス
キャンダルが出たときである。
援助が政府組織内でどう位置づけられているかも援助に多大な影響力を持つ。まず政府組
織自身が政治的な力を持っており、他の政府機関、NGO、外国の機関などと連携を取り影
響力を増大させることができる。ODA 担当部署は、組織的に目的に対し集約されていれば
いるほど、その組織が政府内でのヒエラルキーにおいて上であればあるほど、影響力は大
きい。またいったん組織が出来上がるとそれを変えることは並大抵ではない。
第2章
援助の目的の簡潔な歴史 冷戦がなかったならば現在あるような国際援助は存在
しなかったであろう。あったとしてもこれほど大きなものではなかったと思われる。国際
援助のひとつの起源は、人道的支援であったが、これはあくまでも一時的なものであって
長期間継続するものではない。また欧米の植民地に対する技術支援は戦前にもあったが現
在の援助目的とは異なる。
戦後の援助は、1947 年に英国がギリシャとトルコ政府への支援を打ち切ることを宣言した
ことから始まる。旧ソ連の影響力の拡大を恐れた米国はこの二カ国への援助を開始し、そ
れが 130 億ドルに上るマーシャル・プランへとつながった。米国はヨーロッパ諸国、日本へ
援助するように圧力をかけたが、英国、フランスの援助は、植民地政策の一環として行わ
れ、日本はアジア諸国への戦後賠償そして天然資源の確保、輸出市場の拡大が援助する際
の目的であった。ドイツは輸出品が効果的に使われることを目的とした技術協力から援助
を開始した。北欧諸国の援助の起因は、社会民主的な政治傾向とキリスト教の伝統と考え
られているが、国際政治的な理由もあった。1949 年に国連が貧困国へ技術援助を行うこと
を決定した時点で北欧諸国は国連強化を図るためにも援助に積極的になった。これは国連
では原則的に国の大きさにかかわらず各国投票権が一票あるということで米国、旧ソ連に
対抗するためにも北欧諸国は国連を育て、強化することを重要外交政策とした。
1970 年代、80 年代には開発の概念が重要視され、援助の枠組みは複雑化し専門的になって
いった。これに伴い援助研究機関が欧米諸国で設立されるようになった。冷戦の終了とと
もに新しい援助を行う目的の模索が行われ、旧社会主義国家の政治経済体制の移行の促進、
グローバルな課題への挑戦、民主化の促進、紛争の管理などが議題に上った。また評価、
セレクティビティ、援助強調などが援助の主要課題となった。
第 3 章―第 7 章 ケース・スタディ:(この部分は興味深いが長くなるので簡潔に米国と日
本の部分を紹介する。)
前述したように米国の援助は冷戦に起因するが、マーシャル・プランも当時の議会は財政的
に保守的であり、外交的には孤立主義的傾向であったので、議会の承認の取りつけには、
相当困難が伴った。この議会と行政府との緊張が常に援助に関する論争点になっている。
米国の援助の主目的は外交的と考えられがちだが、約半分の援助資金は開発目的に用いら
れている。
米国の政治を理解するにはその根底に長い間政府の役割に関する明白な二つの考えがある
ことを認識することが必要である。一つは、政府は小さければ小さいほどよいというもの、
もう一つは、政府の重要な役割は資源配分を行うというもの。この二つの政治的スタンス
が援助にも常にかかわってきた。(一般的に前者が共和党、後者が民主党と考えられるが、
援助政策に関してはそう単純に区分できない。
)前者が強いこともあって、米国において援
助が国民的な支持を得るということはなかった。米国民の多くは、援助には汚職が常に伴
う、また国内貧困が存在するのになぜ多大な援助を実施するのか、すでに多大な援助を行
っているという考えを持っている。この二つの考えは、援助は国益のためか、開発のため
かという課題につながる。ここで興味深いのは、なぜ政治的には非常に保守的であるブッ
シュ政権の下で援助が増大したかである。鍵はブッシュ大統領の重要な支持層が伝道に重
きを置くキリスト教信者であることである。キリスト教伝道者は途上国の悲惨な状況を肌
で理解し、援助の重要性を政府に訴えている。また、援助にかかわる NGO が多く、その政
治的影響力も大きい。
日本の援助を理解するには三つの思想を理解しなければならない。強い国家と弱い社会の
伝統、富むものが貧困者を援助する義務があるという考えと国家の威信にかかわる価値観
である。欧米諸国と異なる点は、キリスト教的な博愛主義の伝統がなく、キリスト教信者
の義務というような概念は日本にはない。基本的には家族が困ったものの面倒を見るとい
うことである。そのため、途上国の開発に興味を示す民間企業はほとんどない。このため
援助の目的は商業的、外交的な国益になりがちである。また強い政府は公共的なものはす
べて政府が行うという意味であり、NGO は育たなかった。しかし 1990 年代に入ると外務
省など政府機関のスキャンダル、経済停滞などが政府への不信感を募らせ、NGO が育つ土
壌ができた。さらに日本が援助を行う動機に国家の威信がある。憲法が海外での軍事的行
動を禁じているので、世界の平和への貢献を援助で行うという考えである。
政治制度の面では総理大臣の力が弱く、各省庁が政策決定を基本的に行う。援助に関して
国会の影響は非常に限られている。これは援助が政治的課題にならず援助に興味を示す政
治家が少ないからである。この結果、援助に関する政策決定過程は不透明である。しかし
1990 年代に入り援助に対して若い政治家を中心に援助への関心が高まり始め、また NGO
も力をつけてきている。2003 年の改革により外務省が援助に関して指導的な役割を担うよ
うになったが、外務省のスタッフは開発、援助の経験があまりなく、基本的な援助政策を
企画するには不向きである。
組織的には、政策担当を担う外務省をはじめ省庁と援助の実施機関が異なるということが、
日本の援助に統一感を持たせ、専門的になることを阻害している。この分離が援助に関し
ての責任の所在も不明瞭にすることにもつながっている。短くいえば、現在の日本の援助
機構は援助政策の改革を困難にしている。
第8章
結論と推測 冷戦という政治的な理由で生まれた国際援助は冷戦後も増大してい
った。ほとんどの援助国において開発援助に政治的支持者がいたことがこの現象を説明す
る鍵であろう。支持者は政府内、また NGO など政府外にも見出せる。このような支持者が
少ないか弱い日本やフランスでは開発は援助の目的になりにくい。さらに援助に対しての
外圧もある。これは他の援助国、国際機関などである。冷戦終了後援助を復活させたのは
このような援助支持者である。ケース・スタディを通してドナー国の認識(世界観)、国内
政治制度、国内の利害関係者、援助組織構造が援助に与える影響力を検討した。
今後の援助をあえて予測するなら民間の積極的関与が期待される。NGO だけでなく多くの
民間企業が人道的そして商業的な理由から途上国との関係を強めていくであろう。
コメント
援助国がなぜ援助を行うかという課題を計量的に分析した研究は数多くあるが、本書のよ
うに政治、文化視点から分析したものは少ない。本書のアプローチが難しいのは、各ドナ
ー国の歴史、文化、政治、経済などを深く理解しないと書けないという点である。著者は 5
カ国に関してそれぞれの国の多くの専門家とインタビューを行っている。また学術的にも
しっかりした分析枠組みの下に調査を行っている。この中で各ドナー国の世界観、価値観
についての記述は興味深い。政治、外交に大きく影響を受ける援助の形態は、基本的には
それぞれの国民が共有する世界観、価値観によって決まるということであろう。こう述べ
ると運命論的になってしまうが、著者もそこに気をつけており、価値観、制度というもの
は変わりうると数箇所で述べている。
日本に関しての記述が比較的本書では多い。しかしほとんどの場合フランスと並べられて
ネガティーブな記述が多い。著者の日本分析を簡潔に記すと次の点が浮かんでくる。(1)
文化的にキリスト教的な博愛主義が国民の間で共有されていない。(2)このため民間企業
は途上国の開発ということにほとんど興味を示さない。(3)政府が強く、また民間企業の
支援も少ないため、NGO は小さく力がない。
(4)政府内の援助組織が分散されていて援助
の目的も不明瞭である。(5)途上国の開発に興味を示している政治家は少なく、途上国問
題が政治課題になりにくい。著者は若い政治家と力をつけてきている NGO に期待している
ようである。現在新 JICA 設立で日本の援助体制、組織が大きく変化するときであろうが、
その新しい体制づくりのプロセスに NGO、学者、民間企業がオープンな形で参加していな
いように思われる。国民の関心を途上国問題に向けてもらういい機会なので、国民からの
サポートという観点をこの機構改革でも考慮してもらいたい。結局国民の支持がなければ
援助というものが成り立たないというメッセージは本書からも十分伺える。
ひとつ残念なことは本書に日本を抜いて世界第 2 の援助国となった英国のケース・スタディ
がないことである。