CWAJ/VVI Newsletter

CWAJ/VVI Newsletter
2014年冬号
目次
1.
ごあいさつ
2. ECG(英会話の集い)の報告
3.
HOA (ハンズ・オン・アート)と第59回CWAJ現代版画展の報告
4.
エッセイ
○
「弱視」の開示について思うこと
5. エッセイ
○
○
その3
ロングステイは現地語で…
ショートエッセイ
○
8.
その 2
近代トルコの夜明け
6. エッセイ
7.
その1
舞踏へのお誘い
編集後記
※各項目の最初に★印をつけてありますので、★印で項目検索される方はご利
用ください。
CWAJ = College Women’s Association of Japan
VVI = Volunteers for the Visually Impaired(視覚障がい者との交流の会)
ECG = English Conversation Gathering(英会話の集い)
SVI=Scholarship for the Visually Impaired
(視覚障害学生奨学金)
★1. ごあいさつ
早いもので2014年のニュースレターも最後の号となりました。御嶽山噴火で多
くの犠牲者が出たこと、大型台風による被害などいろいろな悲しい事件もあり
ましたが、この秋は皆さまにはお変わりありませんでしたでしょうか?今年も
ECGやHOAなどVVIのイベントに、多くの方のご参加を頂きありがとうござい
ました。
冬号のエッセイにはアカデミックなもの、世界史の授業では教わることのない
中東の国の歴史、積極性あふれるシニアの活動など、バラエティ豊かな内容で
すので、楽しんで頂ければ幸いです。
★2. ECG(英会話の集い)の報告
秋の気配を感じ始めた 9 月 6 日、渋谷の女性センターアイリスで第 2 回 ECG を
行いました。参加者は VI フレンド 23 名、ガイド 3 名、CWAJ メンバー17 名に
フィリピンからサンドラさんとベトナムからのゲスト 2 名が加わって、国際色
豊かな集いになりました。
テーマは「フィリピン」で、先ず元 CWAJ 奨学生のサンドラさんがフィリピン
北部の僻地医療に従事された経験やご自身の研究についてレポート。次に、
CWAJ メンバーの藤谷(ふじたに)ジェンマが母国の歴史、文化、地理などを
クイズを交えて紹介しました。参加者はフィリピンのお菓子を楽しみ、パイナ
ップルの繊維から作られた貴重なシャツや貝殻を使った工芸品に触れたり、点
字地図を読んだりと様々な角度から「フィリピン」を体験しました。フレンド
リーで歌って踊って食べることが大好き(1 日 5 食!)という人々、そして美し
い自然に恵まれた国、フィリピンの魅力を満喫した 2 時間でした。
今回は皆様から事前に戴いた質問をもとにプレゼンテーションの構成を考えま
した。ご協力を戴きましてありがとうございました。また、フィリピン出身の
林(はやし)リオさんへのインタビューの録音も用意しておりましたが、残念
ながら時間の都合で皆様に聴いて戴くことができませんでした。
筑波大学附属視覚特別支援学校からは点字地図帳を貸して戴きました。貴重な
教材をご手配くださいました社会科丹治先生のご厚意に感謝申し上げます。
ECG コーディネーター
マーガレット・リンデンバウアー
松原久美子(まつばら
★3. HOA (ハンズ・オン・アート)
くみこ)
と第59回CWAJ現代版画展の報告
CWAJ 現代版画展は 10 月 17 日(金)からの3日間、東京アメリカン倶楽部で
開催され、HOA では 28 名の VI フレンドがガイドとともに版画を鑑賞し、秋の
ひとときを楽しまれました。
200 点を超す展示作品から、分かりやすくて色鮮やかなもの、鑑賞者にとって
想像力をかきたてるストーリー性のある作品 5 点を選び、立体コピーを作成し
ました。テーマは 5 つの赤いりんご、安曇野の田園風景、浜の花火大会、カゲ
ロウのダンス、髪を束ねた女の子の後ろ姿です。また、作品に込められた作家
の思いを点字訳、英訳、音声テープで準備しました。
「5 つの赤いりんご」の作者、木版画家の渡辺洋一(わたなべよういち)先生は
「実物の版画を指先で触れて鑑賞してほしい」と作品を貸してくださいました。
ばれんで刷りこんだ和紙面はへこみ、刷らない部分との境目は指先で凹凸を感
じることができ、多くの VI フレンドに喜んでいただきました。
皆様から寄せられた感想の一部をご紹介します。
「私は弱視なので鮮やかな赤いりんごが見えて、実物の版画を触り白い果肉の
膨らみを指先で感じることができました。」
「安曇野の美しさが想像できました。視力があった頃に登山した光景がよみが
えりました。」
「私はよく横浜で漁師さんの船に乗せてもらいアジ釣りをします。妻がこっち
の方向にマリンタワーがと説明してくれたことを思い出し、船から頭上の花火
を見るとこんな構図かなぁ、と想像を膨らませて楽しみました。」
「虫はあまり好きではないけれど、成虫になった後は数時間で死んでしまうカ
ゲロウがはかない命をつなぐ最後のダンスをする様子は寂しげで、気持ちが分
かりました。」
「女の子の髪の毛が細かく描写されていて、後ろ姿から多くの人に愛されてい
る様子が伝わりました。」
作品に込めた作家の思いを英語や日本語でガイドすることで、CWAJ の外国
人・日本人ボランティアも来場者との交流を通して楽しい時を過ごしました。
HOA 担当
★4. エッセイ
渡邊由香(わたなべ
ゆか)
服部純子(はっとり
すみこ)
その 1
相羽大輔(あいば
だいすけ)さんは元 SVI 奨学生で筑波大学・大学院で学ば
れました。東日本大震災の時は筑波におられ、研究室が被害に合って苦労され
たそうです。ご自身の経験から取り組まれた研究が認められ、現在は愛知教育
大学障害児教育講座で後輩の育成に当たっておられます。
○「弱視」の開示について思うこと
私は、2010 年度奨学生(SVI-SJ)の相羽大輔(あいば
だいすけ)です。私は
アルビノによる弱視です。アルビノについては、最近、メディアに取り上げら
れることが増えたので、知っていらっしゃる方も多いかもしれませんね。特徴
としては、全身にメラニン色素がないため、弱視の他に、見た目が色白で、紫
外線に弱いということがあります。外見からすると、親しみをもっていただき
やすいのかもしれませんね。
本当に、時間がかかりましたが、2013 年に私もようやく筑波大学で博士号(障
害科学)を取得することができました。10 年かけてまとめた博士論文の内容と
その成果について、その一部を簡単にご紹介したいと思います。
大学院時代、私は外見では障害者であることがわかりにくい弱視学生の障害開
示という問題に着目しました。弱視学生は学習・生活上の不便さを抱えていな
がら、弱視であることを言い出せず、必要な支援を受けられない人が多くいま
す。かつての私もそのひとりであり、障害開示をする自分に周囲がどのような
リアクションをするのかと考えると一歩踏み出せなかった経験を持っていまし
た。そのため、博士論文では「弱視学生が周囲から理解や支援を得やすくする
ために有効な障害開示の方略は何か」というテーマを迷わず選択しました。
研究を進めていると、国内外問わず、ほとんどの研究は「障害開示はしない
よりはした方がよい」という結果を示していることがわかりましたが、その多
くは、どのようにしたらよいかを記しておらず、そのような記述がみられる研
究の大半は当事者の経験論にとどまるものばかりでした。弱視学生にとって大
切なことは、対人関係が得意な当事者の成功体験ではなく、どのような障害開
示をしたら、周囲が受け入れてくれるのか(あるいは、拒絶されるのか)とい
うトピックだと思います。
そこで、私は文章刺激や映像刺激を駆使して、弱視学生の障害開示に対する
健常学生の意識を調査し、その結果に基づいて開示内容、開示手段等の点から
障害開示方略を提案しました。以下に記すのは、その代表例です。
(1)開示内容
障害開示をするとき、最も効果的な情報は「工夫次第で周囲と一緒に行動で
きる」という内容です。特に、こうすれば、一緒に勉強や遊びに参加すること
ができるという工夫を示せると健常学生は交流や支援がしやすくなります。
また、そのような内容のみならず、例え障害があるから一緒に行動できない
という情報であっても、障害開示をしないよりは、健常学生の交流・支援意識
を高められるということもわかりました。これは、障害学生と接した経験の少
ない健常学生の多くが、障害学生のできること、できないことがわからず、ど
のようにサポートしたらよいか戸惑ってしまうという状況を反映した結果だと
思います。関わる立場からすれば、どのような情報であってもきちんと教えて
欲しいということでしょう。
(2)開示手段
動画のように、言語情報と視覚情報を使った開示手段の方が、単に言葉(文
章や手紙)で障害開示するよりも効果的な手段だということがわかりました。
入学したばかりの弱視学生は、よく弱視の状態を知ってもらうための挨拶回り
に追われると聞きますが、実は、挨拶というよりも視覚的に見えにくさを伝え
る工夫が大切だということがわかったのです。健常学生には見えにくい状態が
イメージできるとよいので、普段から何気なく弱視レンズや拡大プリント等を
使って見えにくさを視覚的にアピールする工夫が当事者にとって大切なのでし
ょう。また、文章や手紙は、動画に比べて効果は低いけれど、たくさんの人に
障害を知ってもらうためには、とても有効な手段であるということもわかりま
した。たくさん支援者が欲しいときや弱視学生本人が社交的でない場合は、そ
れも有効な手段になりえるということです。
個人的なことですが、運が良かったのか博士論文が完成したと同時に、慶應義
塾大学の特任助教として就職することができ、そこでは、タブレット型情報端
末を用いた電子拡大教科書(タブレット拡大教科書)の活用可能性を検証する
ため、盲学校での実証実験に取り組みました。現在は、愛知教育大学に助教と
して赴任し、視覚障害児・者の教育に携わる特別支援学校の教員を養成するコ
ースの立ち上げに取り組んでいます。視覚障害領域の教員養成コースを新設す
るのはこの分野では大変珍しく、しかも、東海地域では初めての試みになりま
す。現場の先生方、当事者家族の方々から寄せられてくる期待を胸に、主体性
と責任感をもって応えていきたいと考えています。
プライベートでも変化があり、2009 年度の奨学生であった奈良里紗さんと結婚
し、息子も授かりました。今年の 4 月からは長年住んでいた筑波を離れ、愛知
県の名古屋で家族仲良く暮らしています。
★5.
エッセイ
その 2
皆さんはトルコと言う言葉から何を想像されますか?トルコアイス?ハギアソ
フィア?でもトルコ語と日本語が両方ともウラル・アルタイ語に属し、文法構
造も非常に似ていることはご存じでしたか?家では靴を脱ぎ、四季があって梅
や桜が咲く国、地理的には中東にあってもサッカーでは欧州に属し、西洋と東
洋の間にある不思議な国トルコの近代史をスムル・ケチェリさんが紹介して下
さいました。ケチェリさんは 2010 年度 CWAJ 外国人留学生大学院女子奨学金
を受けられていて、現在は岡崎市にある総合研究大学院大学で聴覚障害の研究
をされています。
○ 近代トルコの夜明け
トルコ共和国の成立は、がれきの山からいかにして一つの国が立ち上がること
ができるかという、驚くべき例を私たちに示してくれるものです。このすばら
しい出来事を理解するためには、第一次世界大戦の終結時までさかのぼる必要
があります。この時、かつての強国、一時は世界の覇者として、ヨーロッパ南
東部の大部分、西アジア、コーカサス、北アフリカを支配していたオスマン帝
国が崩壊し、厳しい条約によってずたずたに分割されてしまったのです。この
終戦時の条約はまた、トルコ国の終焉をも意味しました。黒海と地中海の間に
またがり、アナトリアと呼ばれたトルコの最後の土地が、イギリス、イタリア、
フランス、ギリシャに侵略されたのです。この悲惨な状況は当時のイギリスの
ある政治家の「トルコ人が地上から消し去られても、誰も残念に思うものはい
ない」と言う言葉にはっきりと表されています。
1919 年に、若いトルコの将校、ムスタファ・ケマルはイスタンブールのオスマ
ン軍を去りました。彼は第一次世界大戦で一度も戦闘に敗れたことのない、た
だ一人の指揮官でした。彼はトルコの人々の先頭に立って、独立国家を建設し
ようとアナトリアに向かっていたのです。ムスタファ・ケマル、後にアタチュ
ルク、つまり「トルコの父」と呼ばれますが、彼は使命達成のために様々な障
害を乗り越えなければなりませんでした。オスマン帝国は、フランス革命や産
業革命などのように社会の近代化をもたらすことができなかったため、アナト
リアの人々は世界から何百年も遅れた状況で暮らしていました。アナトリアは
肥沃な土地と豊富な地下資源に恵まれていたにもかかわらず、トルコの人々は
近代の科学技術や工業の進歩から取り残され、困窮と不遇な生活に甘んじなけ
ればならない状況でした。また、もう一つ大きな問題は、オスマン帝国が、多
くの人種と多言語の国家だったため、ここに住む人々は、
「自分の国」という共
通のアイデンティティを与えられたことがなかったのです。
これら多くの困難にも関わらず、アタチュルクの指揮のもと、トルコの人々は
自分たちよりも強力で、技術的にも優れた世界の軍隊を相手に戦い、勝利する
ことができました。しかし、アタチュルクはこのように軍事の天才というだけ
ではなく、真の民主主義者でもありました。彼は直ちに議会を設立し、独立戦
争、新しい共和国、そしてそのために必要な改革等に関わる全ての決断をアナ
トリアの代表たちに託したのです。独立戦争が終結した 1923 年に、ローザンヌ
条約が締結され、オスマン帝国から独立した最後の国家として新しくトルコ共
和国の独立が世界に宣言されました。トルコ共和国の設立に続いて、アタチュ
ルクが最初の使命としたものは、国を近代社会のレベルに引き上げることでし
た。しかし、これは戦争をするよりも大変なことでした。オスマン帝国の時代
からの負の遺産は非常に根深く、国民の 99%が読み書きができず、教育の遅れ
は信仰・宗教や儀式で更に悪化しているという状況でした。成人の男性がほと
んど戦死してしまったため、人口の大半を占めているのは女性と子供達、障害
者でした。しかし近代社会を作るため、アタチュルクは一連のめざましい改革
を始めます。サルタンやカリフが君臨する宗教支配は廃止され、コーランの戒
律や慣習法に代って法律が制定されました。宗教学校は閉鎖され、教育はすべ
て教育省のもとに統一され、男女共学も導入されました。病気を予防し国民の
健康を向上させるため、健康改革も導入されました。女性の参政権も認められ、
議員に選出される権利も与えられました。このことは、ヨーロッパの国々に先
駆けてトルコの女性が政治に参加する権利を得たということで、特に重要です。
宗教的なかぶり物に代わる、西洋の帽子を導入するための法律も制定され、ト
ルコ国民は、近代的な服装をすることを奨励されました。トルコ語が公用語と
規定され、アタチュルクはラテン語のアルファベットをトルコ語に合わせて導
入しました。数ヶ月のうちに、新しいアルファベットは広く使われるようにな
り、識字率も急速に上昇し始めたのです。しかし、最も重要なことは、トルコ
共和国が非宗教的な制度を取り入れて、国家を宗教及び宗教的影響から切り離
したことです。近代トルコは、イスラム世界で成立した最初、そして唯一の非
宗教国なのです。
★6. エッセイ
その3
ECG ではいつも流暢な英語でお話しくださる河野徹(かわの
とおる)さんは、
慶応義塾大学工学部卒業後、化学会社に勤務、インドネシアにも駐在されまし
た。
59 歳の時、糖尿病性網膜症と緑内障のため視覚障害 1 級となられましたが、
海外駐在の経験を生かして、趣味は海外ロングステイと社交ダンスでブライン
ドダンス選手権に挑戦中です。
○ ロングステイは現地語で…
「マトゥールシュクシュム(バリ語でありがとう)」とお礼をいった私の顔をみ
て、バリ・デンパサール空港カウンターの職員は、
「オヤ」という顔をして、に
やっと笑いました。英語でなく、現地語を使ったほうがロングステイでの生活
が、より楽しくなります。それが、方言なら、一層親しみがわくようです。
30 余年前のことです、ジャワ島のジャカルタとバンドンのちょうど中間地点、
チカンペックの丘陵に切り開かれた肥料工場で、私はコンサルタントとして働
いていました。ある時、日本人とインドネシア人との大パーティで、かくし芸
をやらなくてはならないはめになりました。音痴な私が歌っても興ざめです。
覚悟をきめました。
「ネングリス」
(インドネシア語でノナ
マニス
可愛い娘)
ジャワ語の方言の歌です。歌い始めると拍手喝采で、しばらくそれは鳴り止み
ませんでした。変な外国人が日本に来て、標準語で話すよりも、山形弁で話す
ほうが、印象は強烈です。あくまで、コミュニケーションの導入部のことだけ
ですが…そのあとは、話題の豊富さ、人間性によるところが、大きいと思いま
す。
私は初めての国の人と会うときまず、3 つの言葉を覚えます。
英語では、グッドモーニング、サンキュウ、ユーアーウェルカムの 3 つの言葉
です。
中国語では、ニーハオ、シェイシェイ、シェイシェイ
ニィ
タイ語では、サワディカップ、コップンカップ、マイペンライカップ
インドネシア語では、スラマットパギィ、テレマカシィ、サマサマ
です。
余裕が出来たら、段々と増やしていきます。
朝、挨拶をして、ニコッとするところからコミュニケーションがはじまります。
クタビーチより約 40 分の綺麗な海岸のそばの豪邸が定宿です。240 坪の広い敷
地にハイビスカス、ブーゲンビリア、プルメリア、そのほかいろいろな種類の
蘭が咲き乱れ、5 年もののマンゴーの木には実がたわわに実り、南国の趣があり
ます。バレ・ベンゴン(あずまや)で朝寝をしつつ、インドネシア語のテキス
ト CD より、今日のフレーズをひとつ覚えます。食堂で、バリコピ(コーヒー)
を入れてもらい、朝食準備中のコキ(料理人)と今覚えたフレーズを含めたお
喋りを試みます。相手がいつものお手伝いさんであり、私のインドネシア語の
会話能力を心得ているので、肩がこりません。良く理解できなかったところは、
ゆっくり朝食を食べに来た、友人に質問です。オーナーであり、バリ在住 10 年
の日本人は頼もしい語学の先生でもあります。ひと月足らずで、かなりスムー
ズな会話が出来るようになりました。
バリの帰りに、マレーシアのクアラルンプールに 1 週間ほど寄り道をしました。
マレー系、インド系、中国系、アラブ系、多民族が平和的に共存するマレーシ
アの首都らしく、多彩な文化が混ざり合ったことがかもし出す賑やかな雰囲気
です。タクシーの運転手はインド人、ホテルのベルボーイはネパール人、掃除
のおばちゃんはインドネシア人でした。すぐ仲良くなりました。
クアラルンプールには視覚障害者の知人が一人います。数年前に筑波の盲学校
をトップで卒業したアズリンさんです。彼女は、NPO「国際視覚障害者援護協
会」の支援を受け、日本語を板橋にある協会で半年間勉強し、筑波の盲学校で 3
年間過ごしました。日本人盲学生と混じってのトップですからたいしたもので
す。現在、クアラルンプールで視覚障害者の指圧・マッサージの指導に当たっ
ています。彼女とは以前に協会の歓送迎会で会っただけでしたが、NHK ラジオ
第 2 で「どうぞ、マレーシアに来てください」という声を聞き,メールと電話
で連絡してクアラルンプールで会いました。彼女の母親ノリマさんはマッサー
ジ店を 3 軒、経営しています。ダウンタウンの店に行き、マッサージをやって
もらいました。残念なことに、男の私は男、妻は女のマッサージ師でした。こ
れがマレーシアのルールだそうです。バリ島では 18 歳の可愛い娘にマッサージ
をしてもらっていたのに…。
また、クアラルンプールから南に 1 時間ほど車でいったところに「サイバープ
トラ・カレッジ」があります。ここで、ノリマさんの尽力により視覚障害者の
コースが開かれています。そのコースの生徒とコミュニケーションの時間を持
たないか、との提案がノリマさんからあり、お受けしました。20 歳を中心に男
性 7 名、女性 3 名計 10 名と約 1 時間半の懇談の機会を持ち、日本の視覚障害者
の状況について、話しました。始めの 30 分はマレー語と 8 割は同じと言われる
インドネシア語で喋りましたが、疲れて、その後はアズリンさんに同時通訳を
お願いしました。1 時間もするとダレて来ましたので、1 つ下ネタを振ったとこ
ろ、若い男どもが喰らい付いてきました。どの国も変わりませんね!!!
和気あいあいのうちに懇談会は終わり、再会を約束して、キャンパスをあとに
しました。ちょっとした、私の異文化コミュニケーションでした。
来年は、バリ島とフィリピンのダバオに行こうかなと考えています。ムガンダ
ン
ウマガポ、スラマット、ワライサパヤ、フィリピノ語(タガログ語)をど
のように覚えていこうかと、思案中です。
★7.ショートエッセイ
ECG に時々いらしていた黒川正枝(くろかわ
まさえ)さんはダンスがご趣味
で、河野徹さんとはダンス仲間だそうです。寒さが本格的になるこの時期、ウ
ェーバーの名曲ではありませんが、新しいチャレンジとして優雅な社交ダンス
はいかがでしょうか?
○
舞踏へのお誘い
私は、今社交ダンスを習っています。
って、もう 15 年になるでしょうか?
この視覚障害者のダンスサークルに入
ワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャチャ、
ジルバ等を習っています。入ったばかりの頃は先生が基本に厳しく指導してく
れていました。先生のもと、発表会を開いたりもしました。
パーティータ
イムで、サークル以外の人とも踊れた事は、私にとって、とてもうれしい事で
した。
社交ダンスの楽しさは、音楽にのって体を動かす事。 男性は、リードする事、
女性は、フォローできる事。音楽と会話を楽しむ事でしょうか?
女性である私としては、その衣装も楽しみの 1 つです。発表会ともなれば、大
いに盛り上がります。
いつにないお化粧をしてもらい、正装を身にまとう。
日頃、先生に指導を受けた事を発表する緊張感。練習や、その後での食事や、
ティータイムも、勤め先と家の往復という私にとって、ほっと気を抜けるひと
ときです。同じ趣味を持つ者同士、話は、はずみます。
今は、もっともっと、綺麗に踊れるようなりたいと、思っています。たぶん、
それは、サークルの仲間からの影響です。全盲でも、楽しめるダンスを皆様も
体験されてはいかがですか?結構、身体を動かせるものですよ。
相手が見える方なら、鬼に金棒、羽根のように舞ってください。
★8.
編集後記
一年のたつのが本当に年々早くなるような気がいたします。ニュースレターを
担当して2年、毎回皆さんの積極的な生き方にただただ頭が下がり、学ぶことば
かりでした。冬号に寄稿くださった相羽さん、河野さん、黒川さん、ケチェリ
さんありがとうございました。皆さんほんとうに素晴らしく前向きで、たくさ
んの勇気を頂きました。トルコ人留学生のケチェリさんは、この号がお手元に
届く頃にはママになっています。日本生まれのお子様が日本とトルコの友好の
懸け橋となってくれることを祈りたいと思います。
毎回ついつい長くなってしまったニュースレターですが、私が担当するのは今
回が最後となりました。2年間お付き合い頂きありがとうございました。また
ECGなどでお目にかかれます時を楽しみにしております。どうぞ皆様、良いお
年をお迎えください。そして2015年がより平和な年でありますように。
皆さまのご感想をお聞かせください。コメントやご希望など、どうぞ下記のア
ドレスにお寄せ下さい。皆様からいただくメッセージに励まされております。
又、パソコンをご利用の方で、メールでのニュースレターの受け取りをご希望
の方も、ご連絡下さい。
(連絡先) [email protected]
編集担当:吉村啓子(よしむら
発送担当:鈴木洋子(すずき
けいこ)
ようこ)