第 32号 - 愛知江南短期大学

ISSN
1346-0927
第 3
2号
五十嵐福代先生のご退職に寄せて …………………………………………斉 藤 靖 子( i )
献立論構築のための一試案
…………………………………五十嵐 福 代・ 浅 田 憲 彦・林
久 子( 1 )
インドの仏教遺跡に関する研究(その1)
アジャンタ石窟群 …………………………………………………高 橋 敏 郎( 17 )
愛知江南短期大学敷地内圃場における主要ブドウ品種別の
苗木の育成及び挿し木発根率に関する研究 第1報
…………………………………………………………………………相 磯 正 芳( 27 )
局所および大局ディリクレ領域 ……………………………………………白 木 蓮( 37 )
<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
−既往の岩下論の検討を中心に−
…………………………………………………………………………輪 倉 一 広( 57 )
「総合的な学習の時間」と「総合演習」の動向
−パート2.「総合演習」ノート−
…………………………………………………………………………坂 井 旭( 69 )
幼児音楽教材における旋律と和声の関係
−童謡の伴奏における、和音の非利用による効果について−
…………………………………………………………………………石 田 清 子( 93 )
乳幼児の気質研究の動向と展望 ……………………………………………水 野 里 恵(109)
シンガポール人学生の英語観:日本人学生との比較
…………………………………………………………………………溝 上 由 紀(125)
平成15年3月
五十嵐福代先生のご退職に寄せて
◆略 歴
1933年 愛知県名古屋市に生まれる
1953年 名古屋市立女子短期大学卒業
1953年 国立愛知療養所栄養士
1958年 愛知師崎町立師崎中学校教諭
1961年 愛知県職員病院栄養士
1966年 山田家政女子短期大学講師
1970年 林学園女子短期大学家政学科助教授
1978年 林学園女子短期大学家政学科教授
1989年 東京大学医学部で保健学博士取得
(1980年4月 大学名を江南女子短期大学、学科名を生活科学科と改称)
(1998年4月 大学名を愛知江南短期大学と改称)
◆学内における役職歴
1983年4月∼1986年3月 附属図書館長
1990年2月∼1990年9月 生活科学科長職務代理
◆研究分野
臨床栄養学 栄養指導
◆学会・社会における活動 所属学会
i
五十嵐福代先生のご退職に寄せて
日本栄養改善学会、日本栄養・食糧学会、日本公衆衛生学会、民族衛生学会、
老年医学会
学会における役職歴
1997年10月∼現在 日本栄養改善学会理事
社会における役職歴
1990年4月∼1994年3月 愛知県栄養士会理事
1994年4月∼1998年3月 愛知県栄養士会副会長
1998年4月∼2002年3月 日本栄養士会理事 2002年4月∼現在 愛知県栄養士会会長
◆受賞歴
1976年11月 第23回栄養改善学会賞受賞
1985年9月 愛知県知事表彰(栄養士養成施設功労者)受賞
1993年10月 厚生大臣表彰(栄養関係教育功労者)受賞
研究業績
【主な著書】
1.五十嵐、他共著:「栄養指導演習ノート」
医歯薬出版 1973年
2.五十嵐、他共著:「最新臨床栄養学−食事療法の理論−」
3.五十嵐、他共著:「臨床栄養学 食事療法の実習」
4.五十嵐、他共著:「給食管理論講義録」
5.五十嵐、他共著:「栄養指導論」
医歯薬出版 1981年
医歯薬出版 1983年
光祥社 1984年
中央法規出版 1991年
6.五十嵐、他共著:「食事調査のすべて−栄養疫学−」
第一出版 1996年
7.五十嵐、他共著:「介護に役立つ食と栄養の100講話集」中央法規出版 1997年
8.五十嵐、他共著:「新しい栄養指導演習」
9.五十嵐、他共著:「栄養指導論」
医歯薬出版 1999年
中央法規出版 2000年
10.五十嵐、他共著:「介護に役立つヘルシー献立100選」
中央法規出版 2001年
【学術論文】
1.五十嵐、他:病人食における栄養指導の研究(第一報)
,栄養学雑誌,25,3,1967
2.五十嵐、他:名古屋市内における市販強化米のビタミンB 1含量について,栄養学雑誌,
25,4,1967
ii
3.五十嵐、他:農山村における栄養指導の研究(一)
,栄養学雑誌,26,2,1968
4.五十嵐、他:農山村における栄養指導の研究(二)
,栄養学雑誌,26,5,1968
5.五十嵐、他:農山村における栄養指導の研究(三)
,栄養学雑誌,27,2,1969
6.五十嵐、他:集団給食における栄養管理の研究,栄養学雑誌,27,4,1969
7.五十嵐、他:農山村における栄養指導の研究(四)
,栄養学雑誌,28,1,1970
8.五十嵐、他:日本における栄養調査(第二報)乳幼児・小学生・中学生を対象とした調査
の内容について,栄養学雑誌,40,4,1982
9.五十嵐、他:日本における栄養調査(第三報)高校生・短大生・大学生を対象とした調査
の内容について,栄養学雑誌,40,4,1982
10.五十嵐、他:日本における栄養調査(第四報)青年・中年・母性を対象とした調査にみら
れる内容について,栄養学雑誌,41,3,1983
11.五十嵐、他:日本における栄養調査(第五報)−成人を対象とした調査にみられる内容に
ついて−,栄養学雑誌,41,3,1983
12.五十嵐、他:日本における栄養調査(第六報)地域的集団特性からみた経年変化,栄養学
雑誌,42,1,1984
13.五十嵐、他:高齢者における血清脂質濃度の地域差に及ぼす摂取栄養の影響について,日
本公衛誌,35,1988.
14.五十嵐、他:脳卒中,心筋虚血の発病に対する血清脂質と肥満の役割の近年の推移 −愛知県長久手町における10年間の検診成績による検討−,日本公衛誌,35,1988
15.五十嵐、他:栄養指導による日常摂取栄養素(摂取総エネルギーおよび三大栄養素)量の
変化が血清脂質および関連因子に及ばす影響について,日本公衛誌,36,1989
【紀要】
1.五十嵐、他:女子学生の食生活に関する研究(第一報),林学園女子短期大学紀要,1,
1971
2.五十嵐、他:愛知県小原村における栄養改善へのあゆみ,林学園女子短期大学紀要,2,
1973
3.五十嵐、他:学内給食管理実習の教育に関する研究(第一報),林学園女子短期大学紀要,
4,1975
4.五十嵐、他:学内給食管理実習の教育に関する研究(第二報),林学園女子短期大学紀要,
5,1976
5.五十嵐、他:給食管理実習の教育に関する研究(第三報),林学園女子短期大学紀要,6,
1977
6.五十嵐、他:給食管理実習の教育に関する研究(第四報),林学園女子短期大学紀要,7,
iii
五十嵐福代先生のご退職に寄せて
1978
7.五十嵐、他:給食管理実習の教育に関する研究(第五報),林学園女子短期大学紀要,8,
1979
8.五十嵐、他:給食管理実習の教育に関する研究(第六報),林学園女子短期大学紀要,9,
1980
9.五十嵐、他:集団給食における自製冷凍品の利用と保存に関する研究,江南女子短期大学
紀要,10,1981
10.五十嵐、他:日本における栄養調査(第一報)栄養調査の経年的考察,岐阜女子短期大学
紀要,31,1982
11.五十嵐:日本における栄養調査(第三報−二)主として生活条件からみた栄養摂取量,江
南女子短期大学紀要,12,1983
12.五十嵐、他:地域における高脂血症者と高血圧者に対する栄養指導,江南女子短期大学紀
要,15,1986
13.五十嵐、他:献立研究(第一報)女子短大生の家族のメニュー傾向について,江南女子短
期大学紀要,16,1987
14.五十嵐、他:献立研究(第二報)女子短大生の嗜好と喫食率の傾向について,江南女子短
期大学紀要,16,1987
15.五十嵐、他:献立研究(第三報)おふくろの味としてのメニュー研究とその作成能力の関
連について,江南女子短期大学紀要,16,1987
16.五十嵐、他:献立研究(第四報)江南市在住婦人の伝承したい料理と自慢料理に関する一
考察,江南女子短期大学紀要,17,1988
17.五十嵐、他:献立研究 第5報 若人向き料理雑誌にみられる料理の栄養性格の検討,江
南女子短期大学紀要,19,1990
18.五十嵐、他:栄養指導実習の実践教育の一方法,江南女子短期大学紀要,20,1991
19.五十嵐、他:栄養指導実習の実践教育の研究,江南女子短期大学紀要,22,1993
20.五十嵐、他:給食管理における献立総論構成に関しての一知見,江南女子短期大学紀,23,
1994
21.五十嵐、他:地域の健康と食教育に関する研究 第1報 地域住民の塩分摂取傾向,江南
女子短期大学紀要24,1995
22.五十嵐:病院食供食サービスの研究 第1報 病棟調理室とレシピーの提案,江南女子短
期大学紀要,25,1996
23.五十嵐、他:給食管理実習の教育に関する研究(第7報)江南女子短期大学紀要,25,
1996
24.五十嵐、他:栄養指導実習の実践教育の研究 第3報 大衆教育における子供対象の食文
iv
化媒体の導入について,江南女子短期大学紀要,26,1997
25.五十嵐、他:現代に生きる民間食事療法の研究 第1報 −枸杞子の薬膳料理への活用法
について−,愛知江南短期大学紀要,29,2000
26.五十嵐、他:現代に生きる民間食事療法の研究 第2報 意 苡仁と銀耳の薬膳料理への
活用法−,愛知江南短期大学紀要,30,2001
27. 五十嵐、他:栄養指導論実習の実践教育の研究 第4報 国策の「健康日本21」を組み入
れた実践教育の取り組み,愛知江南短期大学紀要,31,2002
28. 五十嵐、他:献立論構築のための一試案,愛知江南短期大学紀要,32,2003
【その他】
1. 五十嵐、他共著:働く男性の食生活実態について 東邦ガスKK.出版(報告書)
2. Fukuyo Igarashi et al.:Nutrition Education using hand measurement based on the Diabetes
Exchange Table, 第2回 アジア国際栄養士会議,SEOUL KOREA,1998
v
五十嵐福代先生のご退職に寄せて
贈ることば
五十嵐福代先生は、本学が昭和45年4月に林学園女子短期大学として発足すると同時に、家
政学科助教授として着任されました。
2年後に家政学科第3部が開かれ、昭和48年には家政学科第1部を専攻分離して、食物栄養
学専攻を設け、ここで栄養士養成を行なうこととなりました。栄養士のキャリアを持ち、短期
大学教育の経験を有する先生の存在によって、栄養士養成施設としての許認可が順調に進行し
たものと思われます。開設後は栄養士養成コース運営の要として、その充実、発展に多大の貢
献をされました。臨床栄養学、栄養指導の理論と実習をメインに多数の科目を担当され、あふ
れんばかりの情熱をもって学生の指導にあたられました。
栄養指導実習の一環として、江南市主催の消費生活展に学生を参加させる試みを昭和59年か
ら今日まで続けています。
紙芝居やポスター等の媒体作り、展示・料理のデモンストレーション、地域住民への栄養指
導を行なうことによって、学生の総合的学習の成果を問う場とするとともに実践的能力を向上
させる機会としています。消費生活展は「消費者ふれあいプラザ」と名称を変え、平成2年か
ら新たに農業まつりが開催されることになりました。そこで、1年生は農業まつりに、2年生
は消費者ふれあいプラザにそれぞれ全員参加させるというパターンができ上がりました。この
間の事情は、本学紀要22号(1993年)に詳述されています。
教育とともに、先生は学生指導を熱心に行なわれました。また、就職先の開拓にも力を入れ、
栄養士養成コース開設以降、栄養士としての就職率が80%以上を維持するという他大学では見
られない実績を挙げられました。さらに、多数の卒業生が来学して、現場における仕事上の相
談を持ちかけていますが、実に面倒見よく対応しておられます。管理栄養士受験講座を開く等
の卒後教育にも奮闘されています。
昭和58年4月から同61年3月まで付属図書館長、平成2年から同9月まで生活科学科長職務
代理を勤められ、大学の運営に力を尽くされました。
先生の研究分野は栄養指導および臨床栄養学で、昭和40年には日本栄養改善学会会員となり、
この学会の進展に寄与され、理事を努められました。この他に日本栄養食糧学会、日本公衆衛
生学会、老年医学会などに所属し、精力的に学会発表を続けて、著書10冊、論文42編に及ぶ研
究業績を挙げられました。特に本学紀要への投稿は第1号から始まって27編を数えます。また、
老人福祉、全栄協月報などの雑誌への投稿、前述の消費生活展などの地域への食教育啓蒙活動
を広く展開されています。
平成元年10月には「食中毒の疾病構造の変遷」の研究により東京大学医学部で保健学博士の学
位を取得されました。
vi
先生は永年にわたって、栄養士会の中枢的な役割を果たして来られました。栄養士会会員歴
45年で、教育養成職域協議会理事・監事を4期努められ、愛知県栄養士会理事、日本栄養士会
理事を歴任して、平成14年4月から愛知県栄養士会会長の重責を担い現在に至っています。
また、ベタニアホーム(NPO事業)副会長、東海ホリテック医療振興会理事(食事療法担当)、
あいち・栄養指導研究会顧問、在宅訪問食事指導研究会顧問など介護保険制度が進展する中で、
栄養士を指導する立場として広範囲な活動を行なっておられます。
このような教育研究活動に対して、昭和51年11月に栄養改善学会学会賞を受賞し、同60年9
月には栄養士養成施設功労者として愛知県知事表彰を受け、さらに、平成5年10月には栄養関
係教育功労者として厚生大臣に表彰されました。
開学当初から33年間にわたって、本学の発展ならびに栄養士養成コースの充実に尽力されま
したことを深く感謝申し上げます。
ご健康で末永いご活躍を祈念いたします。
(生活科学科長 斉藤靖子)
vii
愛知江南短期大学
紀要,32(2003)
1―15
献立論構築のための一試案
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
A Study on Stractic Theory of Recipy & Menu
Fukuyo Igarashi, Norihiko Asada, Hisako Hayashi
はじめに
献立がどのようにして構成されているのかについては、献立があまりに日常的であるためな
のか、今をもって献立論の成立には至っていない。食は両刃の剣で[健康]へと進める場合と、
[生活習慣病]を作る場合とがある。前者は[栄養バランスの良い献立]=健康食、後者は[栄
養素の過剰あるいは不足が比較的長期間続いた場合]=生活習慣病になりやすいとの概念が定
着しはじめた。
ようやく厚生労働省・農林水産省・文部科学省の三省共同で、食生活指針が国民の健康指標
向きに発表され、その中に「毎食 主食・主菜・副菜を揃えましょう」と栄養価をおおむね揃
えるための方策が示された。このことは日常の献立作成がこの3要素をもとに、栄養バランス
の良い食への近道であることを示唆したことになる。しかし、日本においては多くの献立が利
用されているものの、理論の構築の報告はない。栄養士活動や栄養指導、栄養教育の中核をな
すものは、栄養素-食品-料理を一括させて日常生活上に活用されているのが献立である。身体
の健康や予防および疾患などの生命活動からは栄養が、食品製造加工からは食材が、料理から
は調理学や料理の手法および文化などが語られ、給食からは嗜好、経済、衛生からのアプロー
チが前面に出されている。栄養士はこの全てに関わっていおり、栄養士の視点での献立論構築
が必要であると考える。
戦後50年を超え、日本古来の食、外国からの様々な食種、味が導入され、近代栄養学のプリ
ズムに照らして運営されているもののまだ献立学には遠い。そこで、日頃考え、講義に利用し
てきた内容から、近代献立論の構築を試み、知見をまとめた。
方法
献立の各種分類については、栄養士教育上必要に応じて作成し、使用かつ修正したものより
献立論構築に必要と判断したものを選択した。また献立教育システムを考案する基礎資料とし
2
献立論構築のための一試案
て、学生を対象に「作ることが不安な料理」の調査を「介護に役立つヘルシー献立100選」1)
の料理項目から主菜96種、副菜96種および副々菜96種の合計288種を用いて行った。調査期日
および対象者は、2001年6月、S大管理栄養士課程3年生(101名)、2001年10月、本学栄養士
養成コース2年生(40名)および2002年10月、臨床栄養指導教育の初心者である本学栄養士養
成コース1年生(52名)である。
結果
A.
献立論構築のための序論
日常、栄養士が健康・栄養を目的に活用する献立を大別すると、a)給食施設用献立、b)栄
養指導用献立、c)病気治療用献立などの各種がある。その概要を表1に示した。
表1 現代食の献立の利用目的別分類
この献立利用区分は栄養士の献立作成がメニューに栄養的配慮を位置づける役割のみではな
いことを意識づけ、原価意識と発売献立の利潤が関係者の生活保障をする賃金の源であること、
さらに健康維持増進、病気予防あるいは治療目的(現在での民間療法とされている項目は別項
目とした)など栄養指導目的を持つことを理解させることにも利用した。
しかし現在、多くの栄養士が職業人として活躍する集団給食施設では、安くて、利潤があり
評判が良く、かつ健康食で、ダイエットにも向き、作りやすく、人件費がかからず、見栄えが
きれいで、嗜好に適しているなど、多くの条件を満たす献立が要求されている。さらに同一材
料からの献立変換や栄養教育的な内容も含めている。また、高齢者介護に必要な介護食をはじ
め、病院での治療目的献立や最近では健康寿命の延長目的の献立も要求されてきている。
表2は栄養教育目的に利用されているメニューを明確にする目的で作成したものである。す
なわち1)主として料理手法を習得するための教育目的、2)主として保健所や市町村保健セ
ンターで使用される健康向上目的、3)主として病院関係で使用される治療目的、4)主とし
て高齢者施設で利用される献立教育目的、5)主として保育園で用いられる食習慣や体調不良
児の体質改善などに使用するため、6)食育や食環境の快適さの演出、食文化継承のための教
育目的などからの見解から分類した。
3
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
表2 教育目的別献立分類
表3は各年代区分および健常者に必要とするバランス食から各疾患の重症度との関連に至る
食事区分や食事形態との関連を図解的に示したものであり、各種献立を駆使して健康へ、治療
へと使用している総合的実態把握のために作成したものである。
表3 年代区分の健常者から病態に至る食種の関係
これら表1から表3で述べた考え方を教育し、日常食に利用、活用して、はじめて健康回復
に役立ち、家族の絆、すなわち家庭の団らんや心の回復に役立つのである。
さらに、国策として2000年に〔健康日本21〕
、
〔食生活指針〕、
〔健やか親子21〕が厚生労働省、
農林水産省および文部科学省から発表され、都道府県や市町村そして各種団体が全国民に向け、
不健康対策に取り組むこととなった。その効果について2005年には中間報告と再構築が行われ、
4
献立論構築のための一試案
2010年に向け対策を推進し、各項
表4 中部地区県における[健康日本21]の推進テーマ
目の目標値に向けての成果が明ら
かになるよう管理栄養士・栄養士
の国民への栄養教育に大きな期待
をかけられている。このことは
「健康寿命の延長」を目指すこと
であり、国が医療費に食の効用を
期待していることとなる。表4に
中部地区各県の〔健康日本21〕の
計画テーマを示した。
表5 献立作成上の健康寿命の延長目的の必修項目
そこで表5に健康寿命の延長のために栄養指導に必要なバランス食献立作成に関与する主要
要素と栄養士活動の場所との関連を示してみた。この目的を果たす栄養素を2,000以上の食品
から選び、対象者の栄養過不足、生活状況、嗜好状況、生活環境状況などを調査して、より良
い方向への指導、支援活動を展開してゆく職業が栄養士業務である意味を含んでいる。これら
のことを2∼4年の教育で各教科の学問的背景を生活活動に生かしていく姿勢や教育が求めら
れている。今日の栄養士が活動する施設に必要な献立の食種を整理すると、健康維持食ばかり
でなく、多種類の献立が利用されているので、その対象者と献立の種類を分類した(表6)。
いずれもバランス食を核にして、様々な問題点解決のための献立を必要としている。
以上のことをどのように解決するのかが本報告のもう一つの課題としており、かつ栄養士が
携わる献立の理論構築と献立作成教育法への接近を目的としている。そこで、まず最少限栄養
士教育に必要な項目を総論と各論区分をした(表7)。表中の総論項目、各論項目は主眼的分
類ではあるが、栄養士の献立利用目的を考えつつ、分類を試案してみた。また、表中の通し番
号は現代栄養士が献立の立案に必要な条件項目である。
5
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
表6 施設別主要献立の種類
表7 現代栄養士活動に必要な献立項目
6
献立論構築のための一試案
B.
献立教育法システムの構築
このように多様な献立内容を活用し健康目的を果たす栄養士業に対し、生活感の伴わない学
生への教育法には苦慮し、試行錯誤してきた。そこで今回、発売価格約700円、PFC%栄養バ
ランス(たんぱく質:脂質:糖質のkcal比)、主菜2単位(1単位=80kcal)・副菜1.5単位・
副々菜1単位、食品数10種以上、野菜150g以上(うち、緑黄色野菜40g以上)、主食3単位、塩
分3.5g以下、日常食で作りやすくを基本に現業管理栄養士を中心に編纂した[介護に役立つヘ
ルシー献立100選](以下100選)とその栄養素量を利用し、生活習慣病に対応したり、病態治
療食に対応できる方法の構築を目的に献立作成教育法のシステムを考案してきた。
そこで、100選のメニューについて、2年生(短期大学)および3年生(管理栄養士課程)
を対象に作成が不安と思うメニュー(以下、不安メニュー)の調査をし、結果をまとめ、教育
システムを構築した。
表8は本学栄養士2年の50%以上が作成不安と回答した主菜・副菜・副々菜別メニューであ
る。主菜は47種(料理数の49%)、副菜48種(50%)、副々菜25種(26%)が不安との回答であ
り、このようなメニューが日常、栄養士業務に利用され、これらの応用として疾患別に展開し
てゆくのである。また、S大3年生の不安メニューの現状をみると、50%の学生が不安と回答
したメニュー数は主菜9種、副菜7種、副々菜3種であり、30%以上不安と回答したメニュー
を含めても短大生の1/2以下の比率であった。
表9に本学学生およびS大3年生の不安メニュー数について、不安な主菜数と副菜数、副々
菜数および合計数との関係について示した。また、表10は平成14年度後期より臨床栄養学実習
を開始した1年生の50%以上が不安を感じずに作成できると答えたメニューの一覧であるが、
11種のみという状況であり、卒業までに栄養士として活躍するには500種程度は最低必要であ
る2)ことを考えると料理にかかわる担当者の各科目の教育システムを収集し、議論構築が必
要であると考えられる。
臨床栄養におけるメニューは日常食であり、これらをある程度の日数、食して効果を発揮で
きるものであり、ごく普通の材料や料理法から最低の応用条件として病態的な栄養素への変換、
料理形態の変換条件をクリアーさせる必要がある。その目的を果たすためにも、料理作成不安
な項目わずかでも解決する必要がある。そのため、次の教育手順(システム)を考え、実行し
てみたところ比較的良い理解傾向が見られたので、さらに教育システムを改案した(図1)。
この図の教育目的は以下の5項目である。(1)料理手法の確認と拡大、(2)栄養素の内容確
認、(3)栄養士業務に用いられるメニューの応用法、(4)実習確認中における食品の調理変
化-調理学の確認、
(5)健康と生活に潤いを与える料理の指導法と生活指導法である。
実習希望メニューを解説し、5セットを決定させ、その各セットについて(1)∼(4)の
目的を確認するため、微量栄養素の確認とその充実に向けて、〔その1〕カルシウム、鉄、た
んぱく質の充足あるいは骨粗しょう症、貧血治療など課題を提示し、病態別に対応させ、さら
にこれを家庭パーティー用に盛りつけ演出をする。〔その2〕介護食への変換を課題にする。
7
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
表8 作ることが不安な料理の出現数
表9 作成不安なメニュー数と出現数の相関傾向(S大)
8
献立論構築のための一試案
表10
14年度における臨床栄養学講義の事前における[介護食100選]の料理可能50%以上の
メニュー調査結果
図1 献立教育システム
9
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
〔その3〕対象者の性別、年齢、身長および体重を指定し、減塩食と脂質制限食へ展開、1食
のエネルギーを700±100Kcal程度の腎臓病治療食へ展開させる。〔その4〕低エネルギー食品
を用いて肥満治療食へ展開する。以上についての様式(1)∼(3)を末尾に示す。
C. 献立の栄養指導への展開と活用について
料理指導の機会を与えることは理解力を
定着させる近道である。本学では江南市消
費者ふれあいプラザにおいて不特定多数の
市民を対象とした料理指導を参加目的に加
え、実施しているが、保育園栄養士の希望
が多いことから、その対応を本学付属幼稚
園に求め、園児に対し、給食実習(来校給
食および弁当)を数回行っている(写真1)。
さらに学生が園児に直接料理指導をする機
会も得て、対応している(写真2)。また、
学生が園児の保護者を対象に確認実習した
メニューについて対人指導体験学習を行っ
ている。その指導メニューを食のアメニテ
ィ演出として家庭パーティ用の盛りつけを
行った(表11、写真3)。学生にとっては不
安メニューの確認ができる→指導する緊張
の機会と徹底して料理作成過程が確認でき
る→園児やその保護者へ直接指導できたと
いう喜び→普通の料理から(1)栄養素量
をコントロールすることで病態別食へ展開
写真1 園児の来学給食風景
できること、(2)物理的な手法を用いるこ
とで介護食へ展開できること、(3)盛りつ
けも工夫次第でパーティに応用できること
など、各種の学習が食を通じて活用できる
ことが確認できた。
D.
様々な献立の役割について
栄養士の活動において、献立は健康管理
目的へ活用すること以外にも様々な側面を
持っている。管理栄養士や栄養士が活動し
写真2 園児への実習指導風景
10
献立論構築のための一試案
表11
不安メニュー確認後の幼児の保護者への指導メニュー
写真3 パーティ料理
ていく意味について、社会的な関連づけが理解できるように、また、対象者に向け、意味づけ
て解説できるように、家庭食の役割について示した(図2)。家庭食がいくつもの役割を果た
していること、すなわち生活習慣病の予防や治療あるいは健康維持目的を果たしながら、①生
きていく営みのために、②家族の絆のために、③他者との交流に和をもたらすために、④食文
化の継承のために、⑤農林水産省がようやく2001年の国策として提唱してきた「地産物を地域
で消費する-地産地消運動」など、深く社会生活や経済に毎日、毎食かかわっていることであ
る。さらに対象者に献立が持つ栄養素が医学的要素、経済的要素、心理的要素にも利用される
位置にあり、大きく社会に関与し、貢献していることの意識づけにについて示している(図3)。
11
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
図2 家庭食の役割
考察
献立には多くの因子があるが、現在に
至るまで日本における献立論の構築には
至っていない。予測される理由としては、
毎日ふれ、身近でありすぎることなどが
原因と考えられる。しかし、栄養士活動
に用いられる栄養指導や栄養教育、臨床
栄養学、給食経営管理に占める献立の位
置は大きい。そこで、献立論の構築に向
けて試案を提示したいと考えた。
図3 献立の食品と栄養および心そして給食管理
と栄養指導の関連
メニューはあらゆる人の生活に登場
し、健康に、治療に、生命延長に役立っ
ており、また、人の和、民族の文化交流
に貢献し、心の絆などをもたらし、流通経済、生活経済面にも大きい位置を占めている。外食
産業市場は平成9年度の約28兆円をピークに下降気味ではあるが平成13年度では約27兆円を示
している(図4)。集団給食での比率は約11%とその寄与率は高いとは言えないものの健康へ
12
献立論構築のための一試案
図4 外食産業分類と市場規模推計値(2001年−平成13年度)
の貢献度は高い。その内容を栄養的に配慮すれば、さらに大きい健康指標の効果がみられると
考えられる。
しかし、献立使用の様々な側面は未整理状態で、日常生活では関わり方を意識することなく、
自然的、生理的関係を持つ程度に認識されているにすぎないとさえ思われる。栄養活動をする
者もこの身近な献立の中に多様な情報があるという存在感を提供するには至ってない。そこで
献立が栄養活動にどのようにかかわっているのか、生活化されているのかを切り口にまとめる
ことにした。
一方、献立の利用者であり、献立の伝達者の筆頭となるべき栄養士の現状を見るため各種の
現場献立の調査を実施してきた。その結果から、多方面にわたる業種と給食で用いられる献立
が1万種にもおよび、2∼4年間の教授期間の中での教育法には苦慮してきた。今日、料理を
作るという生活感がますます少なくなり、しかも家庭での伝承が微少になってきた学生に対し
て食生活指導者として立てる位置に引き上げるための献立理論と技術の構築とはどのようなも
13
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
のが適切か試行錯誤してきた。その結果を本編で整理し、次回へのステップとしたいと考え、
本稿をまとめた。著者らがまとめた「介護に役立つヘルシー献立100選」のメニューとその栄
養価を用い、教育的手法を加え、50%以上の学生が作成不安であると答えた日常食メニューの
解消状態を観察し、結果、栄養士業務をスタートさせることへ自信をわずかでもつけさせる第
一歩となった。この教育スキルの第一歩を構築できたと考える。
まとめ
1.献立総論と各論の枠が明らかとなった。
2.本学学生の作成不安メニューが明確となった。
3.多様化する献立の作成能力を臨床献立、栄養指導、献立実践の変換などのステップアップ
スキルを構築できた。
4.献立には様々な情報と社会的なかかわりがあることが理解でき、また、使用目的による分
類ができた。
5.献立の社会的な位置を明確にすることができた。
様式1
14
献立論構築のための一試案
様式2
様式3
15
五十嵐 福代・浅田 憲彦・林 久子
謝 辞
査読者の有益なご指摘に深く御礼申し上げます。
文 献
1)五十嵐桂葉編;介護に役立つヘルシー献立100選、中央法規出版(2001)
2)五十嵐福代他;献立研究(第一報)女子短大生の家族のメニュー傾向について、江南女子短期大学紀要16
(1987)
3)五十嵐福代他;献立研究(第二報)おふくろの味としてのメニュー研究とその作成能力との関連について
の一考案、江南女子短期大学紀要16
(1987)
4)五十嵐桂葉編;介護に役立つ食と栄養の100講和集、中央法規出版(1997)
〒483−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
生活科学科
愛知江南短期大学
紀要,32(2003)
17―25
インドの仏教遺跡に関する研究(その1)
アジャンタ石窟群
高 橋 敏 郎
A Study on the Ruins of Buddhism in India(Part1)
Ajanta Caves
Toshiro Takahashi
1.はじめに
インド、マハラーシュトラ州アウランガーバード(Aurangabad)の郊外、北方104Kmのデ
カン高原の大地の西北サフヤドリ(Sahyadri)連丘をえぐり蛇行するタプティ川支流のワゴー
ラ川が馬蹄形に湾曲した渓谷の高さ70mの岸壁にアジャンタ石窟群はある(図−1)。長さ
1.5Kmにわたり岩盤に掘りぬかれたこの寺院群は、サーンチー(Sanchi)、ボドガヤー(旧名ブ
ッダガヤー)
(Bodhgaya)と並ぶインドにおける仏教美術の重要遺跡である。
インドにその発祥をもち開花し、東アジアから日本にまで伝播した仏教は独自の仏教美術と
仏教建築を創りあげてきた。しかし、現在世界で仏教国といわれるのは日本とタイのみである。
発生から開花、滅亡へと歴史をつづってきたインドの古代仏教寺院群を調査し、仏教建築の変
遷をたどり歴史の中で位置づけ、仏教建築の源流を探るのが本研究の目的である。本稿ではそ
の一端としてアジャンタ石窟群につき報告する。
調査は2002年3月28日から3月29日にかけて行った。
図−1 対岸の丘の上から見た石窟寺院群の全景
インドの仏教遺跡に関する研究(その1)
アジャンタ石窟群
18
2.石窟寺院群の建築
石窟寺院(窟院)は現在インド全土に約1200現存している。古代にはおそらく無数に存在
していたであろう仏教寺院やストゥーパは今では大多数が失われてしまったが、石窟寺院はそ
の材質ゆえに、また、構造がゆえに残されてきた。現存する石窟の内750は仏教窟である。
アジャンタ石窟群は、1819年にデカン高原で演習を行っていたマドラス駐屯イギリス騎兵隊
の仕官が非番の日に虎狩りに来て、高台から虎の逃げ込むのを見て密林に隠された廃墟を発見
したのである。第10窟の柱には発見したジョン・スミスのサインと1819.4.28の日付が今も残
されている。
長さ1.5Kmに及ぶ花崗岩の岩盤の中腹に穿たれた大小の石窟は30におよぶ。開窟年代は個々
に研究者により差があるものの、紀元前2世紀から紀元後1世紀の前期石窟と紀元5世紀から7世
紀にかけて造られた後期石窟に分けられる。仏教の石窟は機能、構造がともに異なるチャイテ
ィヤ(chaitya)窟(塔院)とヴィーハラ(vihara)窟(僧院)とがある。チャイティヤ窟は
「仏塔」あるいは「聖壇」を意味し、礼拝の場所としての石窟である。ヴィーハラ窟は起居す
るための僧院としての石窟である。
2−1.前期石窟
前期石窟は湾曲部に沿いほぼ横一列に並び(図−2)、向かって右手から順に番号が付いた
石窟群のほぼ中央部の第8,9,10,12,13,15窟でチャイティヤ窟は第9,10窟である。他
の4窟はヴィーハラ窟である。小乗仏教時代のこれらの石窟は構造、機能に重きが置かれている。
図−2 アジャンタ石窟全図(数字は石窟番号)
19
高橋 敏郎
第10窟は刻銘により紀元前2世紀に建立されたことが知られ、礼拝堂としてアジャンタで最
も古く大規模なものである。チャイティヤ窟の形式はすでに確立されている。まだ仏像が作ら
れていない時期のため、礼拝対象として半球形のストゥーパが祀られている(図−3)。吹き
抜けになった身廊を側廊が取り巻き、間を柱脚、柱頭に装飾のない三十九本の八角形の列柱が
隔てている。身廊の天井はヴォールト状に岩盤を刳り貫いたものだが、木造の垂木を取り付け
格天井となっていた痕跡をはっきりと見ることが出来る。現在、木製垂木は失われている。側
廊の垂木は岩盤から削りだされたもので上部はやはり格天井である。石造の洞窟に垂木は必要
ないのだが、ヴォールト状チャイティヤ窟に見られる不可思議な造形である。ファサードは木
造の大型チャイティヤ窓であったが、現在原型は失われ仮の仕切りが設けられている(図−4)
。
図−3 第10窟内部
図−4 第10窟ファサード
図−5 第10窟平面
図−6 第9窟ファサード
第9窟の規模は第10窟の約半分で小さなチャイティヤ窟である。建立は紀元前1世紀である。
ファサードは正面にリブの付いた大きなチャイティヤ窓と五つの小さな浮き彫りのチャイティ
ヤ窓を彫り残したように出来ている(図−6)が、現在ではファサードは後から付加えられた
インドの仏教遺跡に関する研究(その1)
アジャンタ石窟群
20
ものと考えられている。内部は二十三本の
柱で身廊と側廊に隔てられている。アプス
の中心には円形基壇の上にストゥーパが安
置されている。
第12窟は最も広い前期ヴィーハラ窟で僧
院の構造をよく示している。前面は崩壊し
たのか今は失われ剥き出しとなっている。
内部に壁画などは無いが、約11m四方の方
形の広間に面した3側壁にそれぞれ4房室
が設けられ、石窟僧院の基本構造を表して
図−7 第12窟内部装飾
いて宿舎に使用されていたことがわかる。
房室の入り口はそっけなく長方形に切り取られた穴であるが、入口上部にチャイティヤ・アー
チの浮き彫りが施され(図−7)
、禁欲的な機能一辺倒の僧院に彩を与えている。
第13窟は小規模でやはり前面は失われている。小さな方形広間の3側壁に合計7房室を設け
ている。房室には各二の石造りのベッドと石製の枕が付属している。 第15窟はやや規模が大
きく方形広間の両側壁に8つの房室をもち、奥壁の中央には祠堂が設けられていて前期僧院で
唯一の形式である。壁画も描かれていてわずかに見ることができる。
2−2.後期石窟
前期窟の建立から約400年の期間をおいて前期窟の両側に後期窟の開窟が始められた。後期
ヴィーハラ窟を特徴づけるのは大乗仏教時代を反映して、仏像、装飾彫刻、彩色壁画などであ
る。代表的なものは第1,2,16,17窟である。いずれも彩色壁画に彩られていて、アジャン
タを有名にしたものである。いずれも正面に柱廊があり、内部は方形広間があり列柱が巡らさ
れている。奥壁中央には仏像が安置された祠堂が設けられ、16窟を除き前室が付属している。
両側壁面には房室が並び僧坊となっている。修行と礼拝が同室で行うことが出来る大乗仏教時
代の特徴を示している。
図−8 左から 第1窟、第2窟、第17窟(第16窟は図−2を参照)
21
高橋 敏郎
第1窟は正面廊(ベランダ)、方形広間(ホール)、房室、祠堂を備えた大規模な僧院である。
入口前には柱廊(ポーチコ)がある。正面柱廊の柱は、基盤は八角形、柱頭は方形と丸型があ
り、柱身には精巧な模様が彫り分けられている。開窟は6世紀初頭と推測されている。
第2窟は第1窟に比較しやや小規模の僧院である。おそらく第1窟に続く開窟で、6世紀前
半であろうと考えられている。内部回廊の柱は第1窟が20本に対し12本である。内部ホールは
第1窟と同様に柱が直接天井を支える形式をとっている。
第16窟は大規模窟で内部回廊の柱の数
は20本である。祠堂に前室は無い。重要
なのはベランダ左壁の刻銘で、この解読に
より5世紀末に建立されたことが判ってい
る。
第17窟も大規模窟で内部回廊の柱の数
も20本、房室の数が16と最大である。第
16窟同様刻銘の解読により建立年代を知
る手がかりとなった。
第7窟は他の窟とは形態が異なる特異な
ヴィーハラ窟である。正面に八角形の四本
図−9 第16窟遠景
柱に支えられたポーチがベランダから2
箇所突き出していてホール(方形広間)
が無く、正面には祠堂があり、前室との
周壁には仏像が刻まれている。僧房(房
室)は数も少なく正面横一列と前庭側面
に並んでいる。
後期チャイティヤ窟は第19、26、29窟
の3窟で、29窟は未完成窟である。
第19窟は小規模で、開窟は5世紀末とみ
られる。ファサード中央にポーチが付き、
図−10 第7窟正面
上部に大きなチャイティヤ窓が設けられ、
両脇をヤクシャー(夜叉神)が守っている。正面前庭両脇には二つの窟が設けられ小礼拝堂と
なり、向かって右壁面には多くの仏像が彫刻されている。
前期チャイティヤ窟では内部のヴォールトの形がそのままチャイティヤ窓の大きさとして表
れていたが、後期チャイティヤ窟では内部空間の形態とは別にファサードの形式が整えられて
いる(図−11)。大きさは第9窟とほぼ同じ大きさであるが、建築様式は成熟し、アジャンタ
最も完成度の高い石窟寺院であるといえる。内部は2種類の柱で精巧に装飾されたフリーズを
支え、ヴォールト天井と石造の垂木へとつながっている。アプス(半円形の出っ張り部分、聖
インドの仏教遺跡に関する研究(その1)
アジャンタ石窟群
22
壇が設えられる)の床は身廊の床より一段高くなり中央にやや卵型をした覆鉢のストゥーパが
安置されているが、佛龕が設けられ仏像とストゥーパが一体化している。アプスの両脇にある
柱の前には立像があったのであろう脚部が残っている(図−12)。
図−11
第19窟ファサード
図−12
第19窟内部
図−13
第26窟平面
第26窟は第19窟よりも大きいチャイティヤ窟で、5世紀末からの開窟である。正面には列柱
が立ちベランダの奥に三つの入口がある。現在は列柱の柱脚部分のみが残り、上部ポーチ庇部
分も崩壊して残存しせず、破断面から推測するしかない(図−14)。正面入口上部のチャイテ
ィヤ窓周囲の外壁には三尊佛や菩薩像、男女像などの多数の像が数段に重なる小窓の中にずら
りと居並ぶ。ファサードの構成は第19窟と同様であるが、相互の関係に乏しく、バランスを欠
いていて爛熟期にさしかかり、いささかやりすぎのきらいがある。
内部は装飾的な浮き彫りを施した28本の柱により身廊と側廊が分節され、ぎっしりと彫刻の
居並ぶ丈の高いフリーズがヴォールト天井を支えている。ヴォールトには岩盤から削りだされ
た木造風輪垂木(まるで竜骨のようである)が配置されている。アプスにはハルミカー(平頭)
図−14 第26窟ファサード
図−15 第26窟内部
23
高橋 敏郎
から上が失われたストゥーパが低い基壇の上に安置されている。第19窟で初めて仏像とストゥ
ーパが一体化したが、ここではさらに一体化が顕著になり、仏陀の両横には二体の脇侍がいる。
3.石窟寺院群の装飾美術
アジャンタを有名にしたのはその多数の石窟群とともに、後期石窟群にある彩色壁画と彫刻、
仏像である。彩色壁画で代表的なものは第1窟と第2窟である。もともとインド人は彫刻の才
には恵まれ、多くの傑作をのこしているが、絵画やカリグラフィー(習字)の分野ではさした
るものは残されていず、後にペルシャ人の影響をうけるまで傑作といえるものはほとんどない
のである。しかし、アジャンタにおける壁画はインド美術の最高傑作である。壁画が残る代表
的なものは第1、2、16、17窟である。この他にも壁画の名残を見かけることの出来るものが
数窟ある。壁画のテーマは仏伝図(仏陀のこの世での伝記絵図)、ジャータカ(本生図=仏陀
の前世を物語る絵図)
、仏教説話図が主となっている。
第1窟は奥壁礼堂(前室)の両脇に描かれた二菩薩が特に注目される。向かって左手には蓮
華手菩薩(れんげしゅぼさつ)が描かれている。白い姿態の菩薩が右手指先で蓮華の花の茎を
手にし、首、胴、腿の身体を三つに曲げたトリバンガ(三屈法)と呼ばれる描写法により優美
な動きを表し、気品のある画である(図−16、17)。
図−17 同金剛手菩薩壁画
図−16
第1窟蓮華手菩薩壁画
24
インドの仏教遺跡に関する研究(その1)
アジャンタ石窟群
アジャンタの石窟壁画が日本に紹介された大正時代以来、この菩薩像は法隆寺金堂の壁画
(勢至菩薩像)との類似性がいわれている。宝冠をつけた菩薩の姿は飛鳥時代の日本仏教美術
に影響を与えたとする説は有力である。だが、筆者の最初に思い起こしたのは薬師寺の薬師三
尊の脇時である。法隆寺の壁画は、この菩薩と同様に華麗な宝冠をつけた姿ではあるが、そこ
にはトリバンガは見られない。薬師三尊の脇時は宝冠こそ簡略化されているものの、下半身に
まとう衣、首にかけられた腰までとどく装飾品、首飾りなどにも共通性があるが、なによりも
日本の仏像には数少ないトリバンガによる身体の表現である(図−18)
。
向かって右手には金剛手菩薩(こんごうしゅぼ
さつ)が描かれている。こちらは肌の色が褐色で、
表情も異人種を思わせるが、これも仏教が多数の
人種に人種を超えて信奉されていることを表して
いると考えられる、と共に、左の菩薩の白い肌と
右の菩薩の褐色の肌を対称させる描画的な工夫と
考えられる。金剛手菩薩は右手に金剛石の粒を持
ち、金剛石からは金色の花弁の如き輝きを発して
いる。やはりトリバンガにより体をくねらせ仏堂
の本尊のほうに体を向けている。金剛手菩薩は宝
冠と真珠の首飾り、紐状の腕輪以外装飾品を身に
図−18
薬師寺日光・月光菩薩像
つけていない蓮華手菩薩に対し、金細工の宝飾品
を煌びやかに身につけているのも特徴で、褐色の肌に映える金の輝きを意識した描画であると
同時に、人種による装いの違いをも表しているといえる。
これらの壁画は岩盤をくりぬいた石壁の上に漆喰を塗り、その上に宝石や貴石、黄土、金な
どの岩絵の具で描かれたものである。永い年月の間の漏水などにより漆喰が剥げ落ち壁画が失
われている。側壁のジャータカや天井壁画はかなり失われた部分がある。
第2窟は外部の天井にも、ポーチにも絵や浮き
彫りが残っている。保存度からいったら第1窟以
上であろう。内部のホール側壁は仏伝図を中心に
描かれ曼荼羅図と思われるものもある。八角柱の
柱頭には浮き彫りの付いた肘木が取り付けられ、
天井は花や鳥、人物、幾何学的模様などの浮き彫
りや絵画でぎっしりと埋め尽くされている。第16、
17窟も仏伝図やジャータカ、王侯の生活などの壁
画で埋め尽くされている。第7窟、第15窟などに
もわずかだが装飾壁画の残されたものがある。
チャイティヤ窟でも第19窟、第26窟のヴォール
図−19
第2窟祠堂前天井
25
高橋 敏郎
ト天井には動物、鳥、人物などの壁画が描かれている。
4.おわりに
チャイティヤ窟の石造の垂木は木造寺院を模したものであろうことは定説である。現在は失
われて存在しないが、かつて古代仏教の時代インドには多数の木造寺院が建っていたであろう
ことは間違いあるまい。チャイティヤ窟はキリスト教会との類似性をいわれ、また、壁画は日
本の東大寺の壁画の原形といわれるが、単純な形態的な類似性のみで安易に判断はできないで
あろう。インドの乾燥した大地を歩いてみると、無用の岩塊、不毛の岩山、立ちはだかる断崖
という風景にたびたび出会う。世の中に価値の無い物の中に無限の世界を塗りこめようとして
いたのではないのかと感じる。
遠く離れたインド、ここに発祥した仏教の建築源流をたどる今回の調査はあわただしく行わ
れたのだが、実りあるものであった。ご指導をいただいた師小寺武久先生にこの場を借りて謝
意を表します。
図版出展
図−1、3、4、7、9、10、11、12、14、15、16、17、19
筆者撮影
図−2:神谷武夫「インド建築案内」TOTO出版、1996.9、P362
図−5:立川武蔵「アジャンタとエローラ」集英社、2000.6、P22
図−6:小寺武久「古代インド建築史紀行」彰国社、1997.11、P51
図−7第1窟 :立川武蔵「アジャンタとエローラ」集英社、2000.6、P12
図−8第2窟 :神谷武夫「インド建築案内」TOTO出版、1996.9、P364
図−8第17窟:小寺武久「古代インド建築史紀行」彰国社、1997.11、P55
図−13:神谷武夫「インド建築案内」TOTO出版、1996.9、P368
図−18:法相宗大本山薬師寺「薬師寺」
参考文献
小寺武久「古代インド建築史紀行」彰国社、1997.11
立川武蔵「アジャンタとエローラ」集英社、2000.6
神谷武夫「インド建築案内」TOTO出版、1996.9
佐藤正彦「南インドの建築入門」彰国社、1996.12
〒483−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
生活科学科
愛知江南短期大学
紀要,32(2003)
27―36
愛知江南短期大学敷地内圃場における
主要ブドウ品種別の苗木の育成及び
挿し木発根率に関する研究 第1報
相 磯 正 芳
A Study on the Raising of Saplings and the Rooting Rate of Cuttings
for Each Principal Grape Variety Planted
in a Field of the Aichi Konan College Campus Farm:Ⅰ
Masayoshi Aiso
1.緒言
ブドウは古い植物の1つであり、強い植物である。今日地球上に見られるブドウの樹は第三
紀層の地質に現われて、次の第四紀洪積世の初めに人類が現われる頃には、人類より一足先に
いずこの大陸にも多く群生していたようである(古賀 1975年)。過酷な自然条件下でも成長
し続け繁殖し、原料として醸し出されたワインは、約8000年も前からチグリス・ユーフラテス
河流域の多くの古代民族シュメールの人々に健康と悦び、安らぎと希望を与えてきたアルコー
ル飲料中、唯一のアルカリ性食品であり偉大な芸術作品でもある。ワインは人間のように1つ
1つに個性があり、その上に総じて地域、銘柄、年ごとに独特の性格を共有する点を、如何に
しても理論的に追求せねばならない。この偉大な味香の芸術作品たるワイン文化は、素朴な農
民文化とはいえ、ベートーヴェンの音の美、ミケランジェロの造形の美などなどと肩を並べて
誇るべき味覚の大芸術である。文化とは歴史の集積物で、人々の生活をより豊かにするもので
あると定義づけられる以上、ワイン文化もまた長い歴史が集積されて生まれ出た芸術作品であ
る(古賀 2000年)。
愛知県江南市ではブドウの栽培条件である産地の緯度的位置、地形、土壌、気温、日照時間、
降雨量などの自然条件、すなわち、ブドウ畑の個性テロワールとしての栽培環境は全て整って
いるように思える。フランス語の「テロワール」(ブドウ栽培地)と言う言葉は、単に「土地」
という以上の意味をもっていて、その概念内容は端的にはとらえがたい。ワインに個性を与え
る諸要素を、それがどんなに把握しがたくても、すべて含めなくてはならないからである
(Richard Olney 1996年)。しかし、愛知江南短期大学(以下、本学)周辺農家では栽培されて
いない。
そこで本研究では、いずれのワイン生産地でも成功をおさめているシャルドネ( Vitis
愛知江南短期大学敷地内圃場における主要ブドウ品種別の苗木の育成
及び挿し木発根率に関する研究 第1報
28
Vinifera)及びメルロ(Vitis Vinifera)の2種を供試苗として、本学圃場におけるそれらの適合
性について評価することを試みた。さらに、挿し木発根率を品種別に調べ、本学圃場に最も適
した品種(自根)についても検討した。
2.実験
2.1.
品種別育成実験
2.1.1 供試苗
斉藤農園(山梨県中巨摩郡)から白ブドウ品種シャルドネ及び黒ブドウ品種メルロの接木1
年生の苗木(テレキ5BB台の樹。アメリカ合衆国東部アパラチア山脈地方に自生する台木品
種。最早熟、耐乾性は強い)
(岩松 1997年)をそれぞれ43本購入した。それらを一晩水に浸漬
した後、本学圃場に仮植えをした。苗木の
根の長さはそれぞれ約30cmに伸長していた。
苗木の根はこの時点で切除せず定植する際
に切除した。仮植え用の畝は日当たり良好
の場所であり、排水効果を考慮して幅20cm、
長さ4mに深耕したものを2畝用意した。1
本ごとの根が土壌に充分馴染むほど広げ、
南向きに斜めに伏せて盛土を20cmし、さら
に乾燥を防ぐため落ち葉を被せて越冬した
(写真1)。なお、定植までは休眠期間であ
るので、一切の潅水をせず自然降雨降雪に
任せた。
写真1 仮植え用の畝(2001.
11.
20撮影)
注釈:右列は落ち葉を被せる前、左列は落ち葉を
被せた完成の状態。
2.1.2 ブドウ棚の架設
ブドウ棚の基本設計は「棚作り」で、整枝仕立て法は「ギュイヨ・サンプル式(Guyot
Simple)」(関根 1999年)とした(図1及び写真2)。メルシャン株式会社勝沼ワイナリー城
の平農場(以下、勝沼ワイナリー)は、山上に位置するため柱間距離は5mであるが、本学の
場合は強風対策を考慮せず8m間隔にした。太陽光線に対する列の向きが重要な要件となる。
土地によっては風の通り道を参考にし、必ずしも南北方向とは限らないが、本学は採陽性効果
を最大限にするため南北に向けた。それぞれの隅柱外側にバラを植栽した。フランス各地のブ
ドウ畑で見られる光景で、ブドウに着く害虫が約1週間前にバラに着くと言われている。いわ
ば、センサーの役割である。シャルドネには白バラを、メルロには赤バラとした(図2)。列
の長さは圃場面積を考慮し全長を32mとし、その間に3本の中柱を建てた。現在植樹してある
棚の立面を図3に示した。
隅柱と中柱のサイズは全長がそれぞれ3m、直径は隅柱が76mm、中柱が42mmで空洞とな
っている。隅柱の受石や中柱用のコンクリート・ブロック及び控線の埋設は、全て手作業で行
29
相磯 正芳
図1 棚作り仕立て図
注釈:清耕栽培
仕立て法:ギュイヨ・サンプル式
った。隅柱を建てる前に、受石(30cm×30cm×12cm
のコンクリート製で、中心部に直径42.7mm、高さ
140mmの鉄製突起棒あり)を深さ約80cmに埋設固定
し、その上に隅柱を建てた。隅柱を突起棒に差し込
んだ際「あそび」があるが、両側の隅柱を垂直に建
てるには、隅柱の先端部を約10cm外側に傾斜させた。
軽張線器「ハルー500」でファーム・ワイヤを引っ張
り、隅柱を垂直にした。中柱用に埋設したコンクリ
ート・ブロックは市販のものであるが、中柱が土中
に食い込まないように底部にコンクリートを張った
ものを使用した。
第1段目のファーム・ワイヤ(半鋼線12番、太さ
2.6mm)の高さを、地表部より70cmに設定した。剪
写真2 メルシャン勝沼ワイナリー
「城の平農場」におけるギ
ュイヨ・サンプル式の整枝
3.
6撮影)
仕立て法(2002.
注釈:樹齢17年のカベルネ・ソーヴィニヨン
定、除葉や収穫などの作業効率向上と、圃場の通気
性をよくすることを考慮して、第2段目を120cm、第
3段目を170cm、最上部の第4段目を230cmとした。
2.1.3 元肥と定植
定植10日前に上述の圃場に深層施肥をした。すなわち、定植位置に直径30cm、深さ30cmの
円形の穴を掘り、元肥として鶏ふん150g、油かす150gの混合を入れ、その上に軽く土を被せた。
中心部に120cmの支柱を立て、上部はファーム・ワイヤ第1段目に麻ひもで固定した。苗木は
定植する1日前、「仮植え」畝から掘り起こした。根はそれぞれ30cmくらいあったが毛根の発
愛知江南短期大学敷地内圃場における主要ブドウ品種別の苗木の育成
及び挿し木発根率に関する研究 第1報
30
図2 ブドウ棚の平面図
図3 ブドウ棚の立面図
注釈:中柱用のブロックは底部にコンクリートを張っている。
根促進のため20cmに切りつめた後、大型ポリバケツに水道水を入れ一晩浸漬した。
定植を2002年3月20日から同月29日にかけて行った。樹間距離を75cmとした。樹幹の地上
部10cmと30∼40cm付近にそれぞれ支柱にテーピング固定し、その後充分の潅水を行った(図
4及び写真3)
2.1.4 栽培方法
圃場の地表部栽培環境は「清耕栽培」と「草生栽培」とがあるが、本学圃場の場合は当面は
清耕栽培とした。整枝仕立て法はギュイヨ・サンプ式とした。
なお、管理上ブドウ棚列を記号化した。今年のシャルドネは「02−C1」、メルロを「02−
31
相磯 正芳
図4 元肥と定植の要領
注釈:元肥として3月10日に1本あたり鶏ふん150g、油かす150g施した。
白ブドウ:シャルドネ43本
黒ブドウ:メルロ43本
M1」とした。
「02」は育成登録年を示し、アルファベッ
トは品種の頭文字、数字は列番とした。
2.1.5 予防消毒
基本的には極力「減農薬」を目指している。予防消毒
として第1回目は5月2日に「スミチオン剤」
(タケダ園
芸株式会社)1000倍溶液を撒布し、第2回目は6月6日
に「マラソン剤」
(武田薬品工業株式会社)1000倍溶液を
撒布した。いずれも展着剤「ダイン」
(武田薬品工業株式
会社)14ml/20Lを混合した。
2.2
挿し木発根率実験
2.2.1 材料
写真3 定植後のシャルドネ1年
生苗木(2002.
3.
20撮影)
勝沼ワイナリーより下記の挿し穂を譲り受けた。
1.ナイアガラ(Vitis Labrusca)
2.コンコルド(Vitis Labrusca)
3.カベルネ・ソーヴィニヨン(Vitis Vinifera)
また、有限会社由布院ワイナリー(以下、由布院ワイナリー)より下記の挿し穂を譲り受けた。
4.山・ソーヴィニヨン(山ブドウ〔Vitis coignetiae Pulliat〕×カベルネ・ソーヴィニヨン)
5.カベルネ・ソーヴィニヨン
2.2.2 調製
挿し穂は3芽つけたものを1本とし、最下部と真中の芽を切除した。水上げを促進するため、
最下部の切り口部分を十文字状に剪定鋏で約5mm切り割り、最上部の芽だけを残した(図5)
。
これらの材料を挿し木する前、活力剤として「メネデール」(株式会社メネデール化学研究所)
愛知江南短期大学敷地内圃場における主要ブドウ品種別の苗木の育成
及び挿し木発根率に関する研究 第1報
32
図5 挿し木の要領
注釈:挿し穂の水上げを促進するため十文字に切り割、
挿し木する24時間前に「活力剤100倍希釈溶」に浸漬。
用土=鹿沼土:バーミキュライト:ピートモス=7:2:1
100倍希釈溶液に24時間浸漬した。
挿し床(容器)は市販の牛乳パック(1000ml)を再利用した。底部に三角形の穴を開け防
虫ネットを敷き、赤玉土のゴロを3cm程度入れた。用土として鹿沼土7:バーミキュライト
2:ピートモス1の割合でよく攪拌したものを用いた。挿し穂の基部を傷めないよう、予めゴ
ロ土の上に用土を5cm程度入れておき、表土から芽の部分が5∼7cmくらい離れるように挿
し穂をパックの中心部に調整して立て、徐々に用土を挿入した(図5)
。
置き場は、日当りと風通しのよさを考慮した。挿し床底部からの排水を容易にするため、側
溝用ドレーチングの上に芽を南方向へ揃えて並べ、充分に潅水をした。
用意した挿し木材料の本数はそれぞれ1.ナイアガラ:48本、2.コンコルド:51本、3.
カベルネ・ソーヴィニヨン:95本、4.山・ソーヴィニヨン:13本、5.カベルネ・ソーヴィ
ニヨン:16本とした。
3.結果と考察
3.1.
品種別育成実験
最初の発芽を確認したのは4月1日(定植後11日、日平均気温:15.6℃)でシャルドネであ
った。また、展葉はそれから10日後であった。
ここで、定植後の樹高調査を4回実施した結果と対前回成長率を図6及び表1に示した。
2002年5月21日のシャルドネは、平均樹高が87.3cm(最高121cm、最低42cm)であった。同
日のメルロの平均樹高は77.3cm(最高103cm、最低45cm)であった。シャルドネにおいて前回
調査で最低値を示したブドウ樹は、6月10日の調査では78cmに伸長した。一方、メルロの最
33
相磯 正芳
図6 各品種の樹高(43本の平均値)の変化
表1 品種別樹高変化の実験結果(平均値)
品 種
シャルドネ
メルロ
実施日
平均樹高
(cm)
最大値
(cm)
最小値
(cm)
標準偏差
対前回成長率
(%)
5月21日
88.8
121.0
42.0
14.7
−
6月10日
103.2
138.0
78.0
17.2
118.2
6月20日
112.2
153.0
80.0
20.8
109.5
6月30日
126.4
162.0
77.0
25.5
111.8
5月21日
77.5
108.0
45.0
13.2
−
6月10日
87.0
125.0
51.0
15.0
112.5
6月20日
94.5
134.0
53.0
16.8
106.7
6月30日
98.8
140.0
56.0
19.0
106.5
低値は51cmで、すでにこの時点でシャルドネが上回った。3回目及び4回目の調査も平均値、
最高値及び最低値でもシャルドネの樹高がメルロを上回った。一般的に冷涼地で優れたワイン
が生産されているが、温暖地でも成長が良好であるという結果を本実験から得た。しかし、一
般的には温暖地のシャルドネは、酸味に欠けると評価されているため、この点については今後
の検討課題としたい。
7月に入り、樹高が170cmを超えた苗については、そこで第3ファーム・ワイヤに固定し、
樹芯を止めた。その後も適時実施した。
3本のシャルドネは1果房づつ着粒した(写真4)が、樹勢をつけるため写真撮影後に摘房
した。1本のシャルドネの苗木に「ブドウトラカミキリムシ」に食われたような痕跡が認めら
れた。その部分に癒合剤を塗りつけ、自然乾燥してから定植した。その後も活着し安定してい
るが、他の苗木と比較すると生長はやや鈍い。
わき芽についても、生長したものは適時切除し、この作業は9月に入っても実施した。
愛知江南短期大学敷地内圃場における主要ブドウ品種別の苗木の育成
及び挿し木発根率に関する研究 第1報
34
本学圃場の深度80cmまでは川砂が混じっ
た土壌であることを、受石の埋設作業で確認
している。痩せた土壌で栽培されるブドウの
樹は、根を下層に深く広げて張らなければな
らないので、そこからミネラルに富む水分及
び養分を吸い上げるから(Wine and Spirit
Education Trust編 、 ス テ ィ ー ブ ン ソ ン 訳
1997年)育成は充分期待できると考えられ
た。
写真4 定植後91日目のシャルドネの果房
本学圃場内設置の雨量計によると、7月度
の降雨量は142mmであった。気温について
は(愛知県江南市消防本部・気象月報より。以下、同様)最高気温が37.1℃(7月31日、15:
08)、最低気温が21.0℃(7月1日、01:38)で、月平均気温は28.0℃であった。また、8月度
の降雨量は24mmであった。気温については最高気温が37.1℃(8月6日、15:27)、最低気温
が19.1℃(8月22日、05:33)、月平均気温は28.3℃であった。8月に入ってから降雨が少なく
強い日照りがつづき、ブドウ樹は水枯れ状態となり葉はしんなりとしてしまった。1年生苗木
の根は深度20cmしかなく、降雨だけでは不充分であり潅水は必要であった。なお、樹幹周辺
約30cm四方の表土に、乾燥防止のため腐葉土化した落ち葉(昨年、学内で収集したもの)を
敷いた。降水量が少なすぎると、土壌の表土も底土も含水量が欠乏し、ブドウ葉がしぼむ場合
も発生する(関根 1999年)。根の深さと張り方は、ブドウのミネラル摂取と水分補給に直接
的なかかわりを持っている(フランス国立全国原産地名称協会編、藤野訳 1992年)ので、潅
水の調整が重要であることが分った。
3.2.
挿し木発根率実験
挿し木作業は、3月18日(日平均気温:10.2℃)に山・ソーヴィニヨン16本を完了したとこ
ろで降雨となり中止した。2回目は3月22日(日平均気温:11.5℃)に実施した。毎日の潅水
は午前9時30分ごろに1日1回とした。挿し木の活着率の結果を図7に示した。調査日は1回
目が4月10日(日平均気温:12.6℃)で、2回目が5月21日(日平均気温:19.5℃)であった。
山・ソーヴィニヨンの1回目調査日は挿し木してから23日目で、2回目は64日目であった。他
品種については、4月10日は19日目で、5月21日は60日目であった。勝沼のカベルネ・ソーヴ
ィニヨンは4月10日の調査では活着率が僅か2.0%で、他品種と比較すると最も低かったが、
5月21日では95.8%と最も高い活着率であった。両者の間には大きな差が認められるが、その
原因について今回は分からないため今後の検討課題とする。同じカベルネ・ソーヴィニヨンで
も由布院は4月10日で68.1%、5月21日では92.3%で、結果的には勝沼の95.8%に近い値とな
った。ナイアガラとコンコルドとを比較すると、1回目、2回目いずれの調査でもナイアガラ
35
相磯 正芳
図7 挿し木の活着率
注釈:4月10日は挿し木をしてから19日目、5月21日は60日目
が優位であった。7月に入っても発芽が認められない挿し木もあった。展葉と開花はナイアガ
ラが最初であった(写真5)。発芽していない挿し木は、挿し床から抜いてその状態を確認し
た(写真6及び7)。写真6はカベルネ・ソーヴィニヨンで、一番左は自根が約8cmまで伸長
したが、発芽せず枯死した。カルス(植物体に傷をつけた時、傷口にできる不定形の癒傷組織。
関根 1999年)ができかかったが発根しなかったものや、全くできなかったものもある(勝沼
ワイナリー分)。それらの挿し穂の太さは他の品種に比べると短く、発根に要するデンプン含
量不足と考えられた。写真7はコンコルドの挿し木である(由布院ワイナリー分)
。
写真6 カベルネ・ソーヴィニヨンの挿し
木の発根状況(2002.7.23撮影)
写真5 ナイアガラの挿し木
(2002.5.15撮影)
注釈:つぼみ(右、矢印)と開花した状況(中心部、
矢印)
注釈:自根が8cmまで成長したが枯死した(左端)
カルスはできかかったが発根しなかった(左か
ら2本目)
カルスは認められず(右2本)
(いずれも「由布院ワイナリー」農場の穂)
愛知江南短期大学敷地内圃場における主要ブドウ品種別の苗木の育成
及び挿し木発根率に関する研究 第1報
36
発根し展葉した健全な自根苗木は、来春に鉢
植えにする予定である。次回は材料となる結果
枝の挿し穂部位別に進捗成績を取り、どの部位
の発根率が高いか結果を出し、さらに評価する
必要があると本実験結果から考えられた。
《謝 辞》
ブドウ棚に対する基本設計の提案及び剪定や除葉実
習において、メルシャン勝沼ワイナリー栽培課長の斎
写真7 コンコルドの挿し木の発根状況
(2002.7.
23撮影)
注釈:発根せずカルスもない挿し木(右)
カルスはあるが発根しない挿し木(右から3
本目)
発根しカルスもあるが枯死した挿し木(左か
ら2本目)
(いずれも「メルシャン勝沼ワイナリー」農場
の穂)
藤浩氏、弦間浩一氏及び河野力氏より懇切丁寧なご指
導をいただくと共に、挿し穂のご提供を受けた。また、
有限会社由布院ワイナリー代表取締役社長の
岩雄夫
氏から、ワイナリー及び圃場の説明をいただくと共に、
挿し穂のご提供を受けた。挿し木作業は名鉄犬山ホテ
ルのシェフ・ソムリエ、山田高彰氏にお手伝いいただ
いた。なお、定植は本学教職員有志により記念植樹を兼ねて行った。樹高調査は生活科学科・食物栄養学
専攻食物技術コース2年生、除草作業は幼児教育学科及び社会福祉学科2年生有志のご援助をいただいた。
気温については、愛知県江南市消防本部よりご提示いただいた。ここに記して厚くお礼申し上げます。
最後ながら査読者の有益な注意に深く感謝いたします。
引用文献
(1)フランス国立全国原産地名称協会編、藤野邦夫訳:“フランス ワイン大全”同朋舎出版、東京、1992、
p.25
(2)岩松 四郎:“ブドウ 作業12ヶ月”NHK出版、東京、1997、p.117
(3)古賀 守:“ワインの歴史”中央新書、中央公論社、東京、1975、p.7
(4)古賀 守:“語るワイン飲むワイン”料理王国社、東京、2000、p.8∼9
(5)Richard Olney、山本博訳:“ロマネ・コンティ”ティビーエス・ブリタニカ、東京、1996、p.77
(6)関根 彰:“ワイン造りのはなし”
、技報堂出版、東京、1999、p.50、65
(7)Wine and Spirit Education Trust編、ミヨコ スティーブンソン訳:“
〔新訂版〕基礎ワイン教本”柴田書店、
東京、1997、p.40
〒483−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
生活科学科
Bulletin of Aichi Konan
College,32(2003)
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局所および大局ディリクレ領域
白 木 蓮
Local and Global Dirichlet Domains1
Moulien Pai
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Local and Global Dirichlet Domains
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Moulien Pai
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愛知江南短期大学
紀要,32(2003)
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<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
−既往の岩下論の検討を中心に−
輪 倉 一 広
Reviews on the Philosophy of Social Work in Soichi Iwashita
Kazuhiro
Wakura
はじめに
従来、近代以降の日本においてキリスト教社会(慈善)事業(1)と言えばカトリックは除外さ
れて考えられるのが一般的であった(2)。また、キリスト教思想においてもカトリックは同様に
除外されてきた(3)。
こうした状況を受けて、思想史を含むカトリックの社会(慈善)事業史
研究においても、とりわけ社会(慈善)事業家の個別研究からカトリック社会(慈善)事業史
研究一般へと普遍化させるようなものは、その層が薄いと言わざるを得ない(4)。
ところで、岩下壮一は近代日本のカトリック思想界をリードした中心的人物とされる(5)。し
かし、また岩下は昭和戦前期の日本の救癩事業を担った一人でもある。カトリック司祭であっ
た岩下の救癩実践は、20世紀前期という世界規模のイデオロギー的混迷の中で、否が応でも時
代社会と密接に結びつかざるをえなかった。
本研究は、こうした岩下の救癩実践について、カトリック社会(慈善)事業への普遍化を見
据えて思想史的に検討するものである。本稿はその序として、おもに思想形成の面から先行研
究について検討することを目的としている。その際、まず岩下壮一の全体像を確認するために
思想形成を含めた<生涯>についての概略を述べることとする。
Ⅰ 岩下壮一の生涯(概要)
まず岩下の生涯について、既存の伝記とカトリック関係雑誌の岩下追悼号などをもとにして
その概要を述べよう。
58
<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
誕生・就学・就職
岩下壮一は1889(明治22)年、実業家で聖公会の信者であった父岩下清周と、貴族出身で熱
心なカトリック信者であった母幽香子の長男として東京に生まれた。幼いときの小児麻痺がも
とで右足が不自由になったが、父親ゆずりの負けん気で何事にも積極的に行う少年であった。
公立の板倉小学校からカトリック系の暁星小学部へ転入したが、当時優秀な生徒には特別進級
が認められており、通常より2年早く同中学部へ進んだ。1901(明治34)年カトリックに受洗。
中学時代は寄宿舎生活であったため、日常的に仏国人や米国人の教師に接し、フランス語や英
語を習得した。
1905(明治38)年に一高文科甲類に合格したが、所要年齢に達せず、1年間入学延期となっ
た。当時の一高生にとっては、ソシアリティに富んだ帝国主義者を育てるという教育理念を掲
げた校長新渡戸稲造からの影響のみならず、無教会主義を唱えて独自の信仰運動へと導く内村
鑑三からの影響も大きかった。そのような中で、岩下はドイツ語教師の岩元禎から哲学への指
針を得た。岩下はのちに曉星の第3代校長となる恩師エック(Emile Heck)に相談し、1906
(明治39)年暁星内にカトリック文庫を設立するとともに、暁星出身の戸塚文卿や山本信二郎
らとともにカトリック研究会を起した。これは、日本にカトリック研究の本流を作り出す目的
で作られたもので、当時の日本の混乱した思想状況を背景にしている(6)。この会はのちにカト
リック・アクションの出発点となる公教青年会と、慈善団体であるヴィンセンシオ・ア・パウ
ロ会に発展した。一高の同級生には生涯の親友となった九鬼周造のほか、児島喜久雄、天野貞
祐、三谷隆正らがおり、また前後した同窓には、近衛文麿、山本有三、土屋文明、和辻哲郎、
菊池寛、芥川竜之介、田中耕太郎などがいた。
1909(明治42)年東京帝大文学部哲学科に入学、哲学史教授でロシア正教からカトリックに
改宗したケーベルとの師弟関係が始まった。思想史的に「教養主義」と呼ばれた1920年代にお
ける日本の代表的な知識人には、このケーベルからの影響を受けた人が少なくない(7)。入学の
翌年、日本で最初のヴィンセンシオ・ア・パウロ会を戸塚文卿、小倉信太郎らとともに創設し
た。日本のカトリックの発展が、何よりも信徒の社会的活動(カトリック・アクション)にか
かっていることを洞察してのことであった。1912(明治45)年、恩賜銀時計組の一人として優
秀な成績で卒業。卒業論文の「神国論の歴史哲学」(仏文)は、ケーベル(Koeber, Raphael)
から高い評価を得た。アウグスティヌスへの関心は、その後の岩下にとって思想家・哲学家へ
の端緒となった。卒業に際して、文学部長上田萬年からエック(当時、東大講師を兼任)を通
じて欧州留学の要請があった。これは、当時文学部で計画中の中世スコラ哲学講座の担当者と
して育成したいとの意図からであった。しかし、岩下は官費での留学により将来が拘束される
ことを嫌い、言下に断ったという。
卒業後、大学院に進んだ。進路について普通の司祭になるか、あるいは学者になるかの選択
に苦慮し、その問題で東京大司教のレイ(Rey, Pierre)と会見を重ねた。その間、自発的に精神
修養をなし、カトリック的信仰態度を身につけていった。ちょうどその頃、父清周は北浜銀行
59
輪倉 一広
事件により訴追され富士の裾野へ引退、不二農園の経営に当ることになった。
1915(大正4)年、ケーベルの帰国に同行して欧州留学を予定したが、第一次世界大戦のた
め取り止めることになった。翌年、自ら求めて友人の天野貞祐の紹介により、鹿児島の第七高
等学校英語教師として赴任。これは、地方で落ち着いて勉強するようにという岩元禎からの助
言を実行する形で行われた。この事情については、もちろん父の引退とも関係があろう。七校
赴任中に度々母親から縁談が持ち込まれ、結局、欧州留学から帰国後に結婚する予定で家政婦
の女性と婚約した。しかし、岩下に積極的な結婚の意志はなく、むしろ進路への関心に心を奪
われていたようである。
留学・司祭叙階・帰国
1919(大正8)年、文部省在外研究留学生としてカトリック哲学・神学研究のため欧州へ出
発した。なお、1923(大正12)年まで七校教授の身分は続いていた。出発に際して開かれた送別
会の席で、岩下は自分の進路選択についての経験を他のカトリック青年にも押し広げ「われわ
れカトリック青年のなすべきことは、今各自のもっている自分の務めを完全に全うしさえすれ
ば、それでいい…(略)… 迷いながらもその人はどっちかへだんだん進むようになるから、
そのだんだん進んでいった方向が聖旨なのであって、真実、心から熱心に祈りつつ与えられた
ことに全力をつくせばそれでいいのだろう」(8)と語っている。このときには、すでに生涯を通
じた岩下の使命感−日本カトリックの発展策いかに−が課題として明確に意識されていた
といえよう。欧州では、パリのカトリック大学に学び、その後ベルギーのルーヴァン大学、ロン
ドンのセント・エドモンド大神学校、ローマのプロパガンダ大学、同じくローマのアンジェリ
コ大学へと転じた。とくにルーヴァン大学在学中およびロンドン滞在中には宗教哲学の泰斗フ
ォン・ヒューゲル(Baron Friedrich von Hügel)に教えを受けた。また、ローマのアンジェリコ大
学で教会史の権威ガリグー・ラグランジュ(Garrigou-Lagrange,Règinald)から学んだ。後年、
岩下は生涯の恩師として岩元禎、ケーベルと併せてこの2人の名前を挙げ、岩下とスコラ哲学
をつなぐ契機として「フォン・ヒューゲル先生によってわたしはスコラ哲学と和解することが
できた。そうしてガリグ・ラグランジュ先生のおかげで聖トマスの精神、スコラ神学の真髄とで
も呼びたいものと相触れることができた」(9)と述べている。
岩下は哲学的課題として、現実社会を説明するための学問に留まらず、社会を変革するため
の実践力を求めていた。つまり、唯物思想に陥っていた当時の日本人に対して、人間の真の目
的としての神と霊的生活へ立ち返らせる方法を探求することにあった。それに対するヒューゲ
ルの指導は、まず岩下自身にキリスト教の真髄と原動力を理解させることに向けられた。なお、
パリのカトリック大学ではジャック・マリタン(Jaques
Maritain)の「哲学概論」の講義を
(10)
受けた。このときの印象を日記に「あまり感心せず」 と記していたことからもわかるよう
に、当時の岩下はスコラ主義自体に対してあまり肯定的ではなく、マリタンらのとる新トマス
主義に対しても懐疑的であった。しかし、ヒューゲルに指導を受けて以降は、中世思想としての
60
<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
純粋なトマス哲学を再評価し哲学探究への指針を見出していくことになった。折しも、法王レ
オ13世の回勅「アエテルニ・パトリス」(1879年)によりカトリックにトマス哲学を再発見さ
せる新しい哲学運動(新スコラ主義あるいは新トマス主義と呼ばれる)の伸展と軌を一にして
いる(11)。
1925(大正14)年、ローマにて司祭に叙階された。この叙階は一般的には必ずしも容易ではな
いようで、たとえば岩下とともに司祭修養していた小倉信太郎が、召命なしとみて先に帰国し
たことと比べるとそれが理解できる。とくに1921年から2年余りのロンドンでの生活において
は、岩下は哲学研鑚の一方で、修道的な生活を続けていた。司祭叙階後、パリ大司教の許可を
得て日本布教のための祈祷会をつくり、スペインを中心に普及のための運動を展開した。同年、
6年間の欧州留学を終え帰国した。
帰国後の岩下は、青少年教育や聖職者の養成のためにカトリック子弟等を預かり公教要理を
教える「聖フィリポ寮」を設立し、カトリック講義や学生指導を行った。また、「カトリック研
究社」を開設し、『カトリック研究叢書』や『カトリック研究』などの出版、著述に当った。さ
らに大神学校や大学等での講義・講演など、学者的な司祭として積極的に活動を展開した。そ
のような中、1928(昭和3)年に父清周が急逝した。葬儀での岩下の式辞は、父の罪滅ぼしの
ため「国家民人の福利の為に最善の力を尽したい」(12)というものであった。
父が援助してい
た救癩施設「神山復生病院」との結びつきは、このことが契機となっている。父の死後、従前の
活動に加えて不二農園の経営(1920年に父清周により農園敷地内に創立された「温情舎小学校」
の理事長兼校長もつとめていた(13))を行った。同時に、神山復生病院の第5代院長であるレゼ
ー(Droüart de Lèzey)への援助も受け継いだ。
神山復生病院院長・辞任・死
1930(昭和5)年、東京大司教の任命によりレゼーの後任として神山復生病院の第6代院長
に就任した。もとより、岩下の意思によるものであった。就任後は病院に住み込み、従前の仕事
とともに病院管理と癩患者の生活・宗教指導等に当った。折しも、この年貞明皇后が全国の救
癩事業に対する継続的な援助を発表した(14)。その後の官民による癩根絶の全国的運動が展開
する契機は、まさにこの「皇恩」にあった。
岩下は病院が当面している問題を4つに整理し、院長就任の翌年から改善5カ年計画を立て
実施した。それらは、①病院としての医療施設の整備 ②衛生・消毒設備の徹底的改善 ③専任医
師の常勤化と専門医の招聘 ④患者の生活の向上である。岩下がこうした計画を打ち出した背
景には、1931(昭和6)年の「癩予防法」(法律第58号)により、私立療養所にも官庁の監督
が行われることになったことがあげられる。しかし、岩下の行った①、②の改善は徹底してお
り、公立療養所の水準はもとより、一部はそれを抜いていた。こうした岩下を、田代菊雄は「医
療施設として、最新の施設・設備の整備を行っていて、カトリックで科学的社会事業を取り入
れた、先駆的人物」(15)であると評している。また、④については、たとえば野球を院内娯楽とし
61
輪倉 一広
て奨励し、対外試合を実施するなど開放的な処遇を行ったことが挙げられる。ただ、③につい
ては、岩下の院長時代に成果を得ることはなかった。
岩下が院長になった翌年、その後の思想的発展を方向づける出来事が起きた。患者の臨終に
立ち会う最初の経験であった。患者の衰弱は激しく、司祭としての霊的な援助も困難な状況であ
った。癩菌に蝕まれて抵抗するすべさえなくなった患者を前にして、岩下は「私はその晩、プラ
トンもアリストテレスもカントもヘーゲルも、みなストーブの中へ叩きこんで焼いてしまいた
かった」(16)と感想を述べている。それまで自身が探求してきた哲学は、現実の癩菌の前にもろ
くも瓦解したのであった。しかし、これは岩下にとって哲学の新しい意義づけへの契機ともな
った。岩下はその後、「(癩患者の−引用者注)呻吟こそは最も深い哲学を要求する叫び」(17)で
あることを感得するのである。
約10年にわたる救癩実践は、カトリック的<犠牲>のもとに続けられた。1940(昭和15)年、
後任の千葉大樹に院長職をゆずり病院管理の第一線から退くことになった。院長職に代わって、
未感染児童の養・教育に当る覚悟であった。しかし、辞任直後に興亜院からの要請で北支天主
教会関係者との意思疎通のための調整を依頼された。そこには、北支那を精神的にも日本の統
治下におこうとする日本政府の思惑があった。結局、約1ヶ月の工作活動の後帰還するが、神山
へ帰着と同時に病臥、ついに帰らぬ人となった。享年51歳であった。
参考文献
(1)小林珍雄『岩下神父の生涯<伝記・岩下壮一>』(
『岩下壮一全集』別冊)中央出版社、1961。
(2)『カトリック研究』第21巻2号、カトリック中央出版部、1941。
(3)『黄瀬』第4巻、神山復生病院落葉社、1955。
(4)『聲』第780号、第781号、第785号の各号、カトリック中央書院、1941。
(5)『感謝録』第2集、財団法人神山復生病院、1937。
(6)百年史編集委員会編『神山復生病院の100年』春秋社、1989。
Ⅱ 既往の岩下論について
人物史としての岩下研究(論)は概ね次の人たちによってなされている。①小林珍雄 ②増
田和宜 ③遠藤興一 ④田代菊雄 ⑤柴田善守 ⑥森 幹郎 ⑦藤野 豊 ⑧田中耕太郎 ⑨吉満義彦 ⑩
大庭征露 ⑪モニック原山 ⑫半澤孝麿 ⑬井伊義勇 ⑭神山復生病院百年史編修委員会
他に、『カトリック研究』(カトリック中央出版部)誌や『黄瀬』(神山復生病院落葉社)誌
の岩下追悼号や、若干のノンフィクション小説等がある。上記のうちで、①は伝記の著者であ
り、全集の編集も行っている。②は全集および一巻選集の編者である。③④⑤⑥は社会福祉研
究者である。⑦はハンセン病医療政策史(政治史)の著書の中で部分的に取り上げている。ま
62
<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
た、⑧は法学者、⑨⑩は哲学者であり、この3者は『カトリック研究』誌の岩下追悼号に寄稿
している。その内容はどれも思想史といってよい。⑪は岩下の追慕者のひとりであり、岩下の
遺稿及び関係者からの寄稿による選集をまとめている。⑫には政治思想史としてみた岩下論が
ある。⑬は元雑誌編集者であり、一般啓蒙書として岩下論をまとめている。⑭はおもにノンフィ
クションを手がける小説家である。以下、①∼⑬の論者および⑭の施設史における岩下論につ
いてその内容を検討しながら評価してみたい。
小林珍雄
小林珍雄は『岩下神父の生涯<伝記・岩下壮一>』(『岩下壮一全集』別冊、中央出版社、
1961)(以下、伝記と略す)の筆者であり、この全集の他の巻の編者でもある。また、「岩下師
に最も近く接し指導を受けた一人であり、師の種々の活動に秘書的役割を果たし、最後の中国
旅行も共にした人」(伝記、解説1頁)であり、伝記中では岩下の事蹟を詳しく記述している。
この伝記は、日記等の手記類の入手が困難な現状では、岩下の生涯の全体像をつかむための基
礎文献となっている。しかし、通時的な生涯の展開が把握しにくいという難点がある。これ
は、岩下の諸活動や思想形成が広がりをもちすぎており、単線的な記述を困難にさせたためでは
ないかと思われる。
現在までの諸岩下論はこの伝記の記述に負うところが大きい。
増田和宜
増田和宜は『岩下壮一全集』全9巻・別冊(中央出版社、1961∼62)(以下、全集と略す)
および『岩下壮一・一巻選集』(春秋社、1969)の編者の一人であるが、その中に自ら「知と
愛の信仰−岩下壮一師の生涯から−」という一文を載せている。これは、岩下の生涯を一貫し
た思想軸で整理している。それは、題の示すとおり岩下の生涯における諸実践が「知と愛と信
仰」とで渾然と一体化しているというという見方である。こうした観点は、キリスト者として
の岩下を説明するためには合理的なモデル化ではあるが、余りに平準化しすぎており、必ずし
も現実の思想形成を投影しているとは言いがたい。
遠藤興一
遠藤興一は「日本における社会事業の近代化とカトリシズム−岩下壮一小論−」(『基督教社
会福祉学研究』第10号、日本基督教社会福祉学会、1977)において、カトリック慈善事業の一
般的な特徴から岩下理解へのアプローチを試みている。まず、岩下の思想的基盤を形作ったカ
トリックの時代背景について述べ、次にカトリックのカリタス概念を、以後はカトリックの一
般理論を応用して岩下の戦争観、岩下の社会事業における実践の性格、最後に皇室観を論じて
いる。
遠藤は、福祉思想史をもっぱら研究領域とするキリスト者である。しかし、岩下の慈善思想
63
輪倉 一広
をとらえる視点は「カトリシズム」における主体論に限局されたものに終わっている。つまり、
「癩」をめぐる特殊な社会事情と救癩史の視点が全く欠落していることで、岩下の実践におけ
る対象との関わりが捨象されている。
田代菊雄
田代菊雄は『日本カトリック社会事業史研究』(法律文化社、1989)の中で、大正・昭和初
期における修道会以外の重要な事業の一つとして「岩下壮一と神山複生病院」の項目を設け、
まとめている。岩下の実践に対しては「カトリックで、科学的社会事業を取り入れた先駆的人
物」(同書、143頁)と高く評価している。また、この時代の大きな特徴として一般信徒による
活動への参加を挙げ、その先駆として岩下らが創設したカトリック研究会、ヴィンセンシオ・
ア・パウロ会を位置づけている。
本書全体については、何よりも類似の研究書がほとんどないことと、カトリック社会事業施
設史として単なる列挙に留まらず、時期区分によりそれぞれ体系的に意義を考察している点で
一定の評価がされている(18)。しかし、社会事業家個々の実践については十分に検討が加えら
れていないというマイナス面もあるため、結局岩下の社会事業も外形的にしかとらえられてい
ない。
柴田善守
柴田善守は「連載・人物で綴る社会事業の歩み<10>」(『月刊福祉』第10号、全国社会福祉
協議会、1968)で岩下を取り上げている。柴田には石井十次研究の実績がある。岩下の評価に
(ママ)
ついては、石井十次と比較して「この岩下生涯にも一貫して自由が感じられる。人間とか国家
(ママ)
との束縛からのがれ、神の意志によって行動する」(同書、41頁)人であったとしている。
雑誌の一般向的性格によるが、全体的に賞賛的記述に終始している。しかし、部分的にであれ
岩下の人間性をよく捉えていると思われる。
森 幹朗
森幹朗は、『足跡は消えても』(財団法人日本生命済生会、1963)で、その一部として岩下を
取り上げている。本書は、救癩事業に尽力した社会事業家を挙げ、その各実績をまとめたもの
である。この中で森は、特に「民間社会事業の使命・限界を洞察していた」(同書、53頁)と
して他の岩下社会(慈善)事業論に見られない重要な論点を提起しており、この観点は今後継
承される必要があろう。実際、岩下が関わった昭和戦前期の民間社会事業は、資金難と公的社
会事業の台頭により、その存在意義の議論に至らないまでも、それにつながる危機を内包して
いたのである(19)。
64
<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
藤野 豊
藤野豊は著書『日本ファシズムと医療』(岩波書店、1993)で、かつての誤ったハンセン病
医療政策を実証的に批判論証している。その中で、政策主導による民族浄化思想の普及に加担
して活動した民間社会(慈善)事業家のひとりとして岩下を取り上げている。しかし、岩下の
主張した民族浄化は、強制隔離というマクロな方法のレベルにおいてはそうした一般的な思潮
と一致していても、癩患者個々の人間存在に対する思想のレベルでは必ずしも排他的であると
は断定できない。それゆえ、ナチスのユダヤ民族弾圧に代表されるような優生主義の思想を岩
下にあてはめるのは少し短絡的過ぎると言えよう。
田中耕太郎
田中耕太郎は岩下の後進の一人であり、追悼文「岩下壮一と現代智識階級」(『カトリック研
究』第21巻2号、カトリック中央出版部、1941)において、岩下が当時日本の知識階級にカト
リックを普及させた功績を、彼の生涯の歩みを通じて意義づけている。岩下の生涯実践の枢軸
に「知識階級へのカトリック布教」(同誌、51頁)をとらえたことは、一見、救癩事業実践と
整合が取れ得ないかに見える。確かにプロテスタントを基準に考えると、信仰行為(含、伝道)
と慈善とを区別して理解される傾向があるが、カトリックの信仰姿勢においては、結果的に慈
善は救いに直接必要な条件となるので、慈善と宗教の関係は一元的に把握できるものである。
そのゆえ、田中の捉え方は妥当性をもってくる。
つまり結論として、田中は両者の関係を切り離すのではなく「此の二つは相互に無関係なこ
とではない。師は我が智識階級に無数の智的な種子を蒔かれたと共に、又智識階級の生活態度
に身を以て示されたのである」
(同誌、62頁)と相乗的に意義づけている。
したがって、田中の岩下論は一つの有用なモデルになり得るといえよう。なお、田中は『カ
トリック研究』誌の翌年の号(第22巻1号)で、前述の増田と同様の題で追悼文を書いている
ことから、結果的には岩下が理性と信仰の統合化を進めたとする見方はより正当性をもつと判
断される(20)。
吉満義彦
吉満義彦は宗教哲学における岩下の後継者といわれている。「基督教思想家としての岩下壮
一師」(『カトリック研究』第21巻2号、1941)の中で、岩下の思想を理解する上での2面性に
ついて、「哲学的思想要求の側と実践的原理把握要求の側からと両面よりして師は聖トマス的
神学体系の理解把握ということを矢張りもっとも深き関心としていられたことは信ずるに難く
ない」(同誌、145頁)と分析している。また、彼の人間性については恩師ガリグ・ラグランジ
ュの影響を受け、カトリック的信仰生活における霊的完成としての神愛(カリタス)を常識の
レベル(民衆性)で応用しようとしたところにその特性が見られると評している(同誌、147
頁)。また、岩下の慈善実践の根底にある思想は、カトリックの他の全ての実践と同じよう
65
輪倉 一広
に<犠牲>からのものであることもあわせて指摘している。
吉満は思想的に最も近い者として、岩下の福祉思想を検討する上で重要な示唆を与えてくれ
る。しかし、岩下がプロトタイプとしての中世スコラ哲学にこだわったのに対して、吉満はマ
リタンに師事し、近代科学とスコラ的な統合を図ろうとする近代思想としての新トマス哲学の
方向に進んだのはなぜかという、両者の思想形成における立脚点の違いに十分注意する必要が
あろう。
大庭征露
大庭征露は『カトリック研究』(第21巻2号、1941)において、「二つの噂」という題で岩下
像を描き出している。その噂とは、「岩下さんは余に学者的だ」というものと「中世哲学の研
究はカトリックでなければ駄目だ。岩下か九鬼がやるだらうと思っていたら二人とも脱線して
しまった」というものであった(同誌、152頁)。このことを、大庭は岩下という一個の人間の
中で「宗教家」と「学者」がどのように関連しあって共存・発展したかという点から論じてい
る。その際、説明に用いられる重要な概念はトマス(Thomas Aquinas)の哲学思想における
「理性」と「信仰」の関係概念であり、たとえば岩下の思想形成におけるアンビヴァレンスを
「理性と信仰との相克による統一的人生観の欠如」(同誌、156頁)ととらえて解釈を展開して
いる。岩下の生涯における思想形成を、直接トマスのこうした哲学思想と結びつけて考えた点
は、岩下の思想を発達史的に理論化したという意味で評価できよう。
しかし、なお一歩進めて考えれば、こうした観点からの理論化は、「理性」と「信仰」による
探求過程を通して到達する目標としての真理(対象)を明確に意識して考察するのではなく、
人間(主体)を中心に進めるあまり、真理の相対化と主体の絶対化がなされる危険性をはらん
でいる(21)。大庭はそのあたりについて必ずしも明確に述べていないが、岩下があくまでもこだ
わったのは近代思想と妥協した新スコラ主義ではなく、中世思想・哲学としてのトマスに代表
されるスコラ哲学であった。それゆえ、岩下論の理論化については主体から対象への予定調和
的なアプローチが必要であろう。
モニック原山
モニック原山は『キリストに倣いて(岩下壮一神父永遠の面影)』(学苑社、1991)及び『続
キリストに倣いて(岩下壮一神父・マザー亀代子・愛子の追憶)
』(学苑社、1993)の編者であ
る。この2点はどちらも、岩下の主要な著述(小論)と関係者からの寄稿からなっている。そ
の中には、新しく起稿されたものも入っており、貴重な選集的文献と言えよう。また、この2
点には、原山自身の起稿文もいくつか掲載されている。中でも原山自身による「癩医林文雄博
士と岩下神父」では、岩下の癩院経営に当った動機をフィリポ・ド・ネリ(Filippo de Neri)
に倣ってのことであると指摘している。原山の岩下論のとらえ方は、周辺から外堀を埋めて岩
下の中心へと進んでいく方法である。一方、伝記の著者小林も、癩院経営にいたる動機にまで
66
<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
は言及していないが、学生指導や母国のカトリック布教についてなどネリとの共通性を指摘し
ている(伝記、126−27頁)。それゆえ、両者は岩下論へのアプローチの違いはあっても、ほぼ
共通した理解に至っているといえよう。また、原山が岩下を捉える視座は、前述の増田のアプ
ローチと共通した思想を下に展開されている
半澤孝麿
半澤孝麿は著書『近代日本のカトリシズム−思想史的考察−』(みすず書房、1993)で、近
代日本の中で少数派のカトリック者が、現実の国家や文化とどのように関わりをもってきたか
という視点から、岩下壮一、吉満義彦、田中耕太郎の3人をとり上げ、それぞれについて思想
史の立場から論じている。半澤は、この3人を昭和初期の日本キリスト教思想界に確固として
存在したカトリックの思想集団と位置づけ、その中心人物として岩下を挙げている。
もとより政治思想史が専門の半澤の関心は、人を政治的主体者として捉えるところにあるの
で、岩下を組織や社会、国家といった所与の関係下で分析する手法を取る。このことは、岩下
のカトリック社会観の分析には適しても、よりミクロな人間観の分析には不適であるといわざ
るを得ない。実践思想史としての分析には、やはり両面からのアプローチが求められる。
井伊義勇
井伊義勇は過去に『中央公論』編集者の経歴をもっており、岩下論を最も早い時期にまとめ
た一人である。ただ、著書『復生の花園−救癩の慈父・前復生病院々長岩下壮一神父の生涯−』
(一路書苑、1941)の「序」で井伊が述べているように、本書は事実を体系立てて整理した伝
記ではなく、あくまでも一般啓蒙書と呼べる類のものである。つまり、岩下の生き方に共鳴し
た著者が、岩下の死後まもなく現地へ足を運び事実資料を集め、一評伝の形でまとめたもので
ある。評伝ということもあり比較的よく岩下像を結んで整理しているが、記述は主観的傾向が
強い。
百年史編集委員会
百年史編集委員会編『神山復生病院の100年』(春秋社、1989)は、歴代院長それぞれの功績
を一通りまとめたものである。岩下の時代は病院発展史上「大地に根を張る」(同書、見出し)
時期としている。本書は病院の百年史という性格上、おもに施設・制度・処遇の各改善という
発展史的視点で書かれている。しかし、岩下の院外での活動についてはほとんど触れられてい
ない。ただ、当事者(経営)側の編集でありながら、記述面については客観性が確保されてい
る。その意味で社会(慈善)事業施設史研究や人物史研究(とりわけ実践面の把握)には欠か
せない文献である。
なお、神山復生病院の元関係者(職員、患者など)からの聞き取り等を基にした次の3点
67
輪倉 一広
(ノンフィクション小説)も、とくに岩下の患者処遇観を理解する上で有用である。
②小坂井澄「人間の分際∼神父・岩下壮一」(『聖母の騎士』聖母の騎士社、第56巻6号
(22)
(1990)−第60巻12号(1995))
②小坂井澄『ライと涙とマリア様−ハンセン病100年−』図書出版社、1989。
③重兼芳子『闇を照らす足おと−岩下壮一と神山復生病院物語−』春秋社、1986。
とくに、①についてみると、これは岩下の生涯をまとめた内容のものである。全集の出版以
降、生涯を詳細に記述した初めてのものである。事実資料を参考にして岩下の生涯を詳細かつ
連続的にたどっている点で、小林による伝記よりも時系列的展開が理解し易い。しかし、当然
のことながら学術的な史料価値は低いし、事実を因果関連でつないだだけでは岩下論になりえ
ない。つまり、抽象化がなされていないといえる。
ただ、とくに患者処遇面の記述については、元関係者(元患者・職員など)からの聞き取り
を基礎に記述しており、岩下の実践を検討する上で有用な資料となる。
おわりに
岩下研究は、本人あるいは関係者の日記・書簡、神山復生病院の保存諸資料等の一次資料が
確認されない以上、一定の限界があることは否めない。おもに全集を用いて社会事業史の視点
から初めて客観的に検討された遠藤の岩下論、さらに近年では、半澤のように全集を中心とし
た既存の文献を用い思想史の視座から改めて岩下(と昭和初期)を見直す研究もみられるが、
それ以外は既往の岩下論を止揚するような研究は見あたらない。その理由は、カトリック(普
遍)なるがゆえに社会変動とは無関係とみなされることで、研究のモチーフとして新しさを欠
くと見られるからであろうし、また資料の限界の問題もあろう。没後60年を過ぎて、同時代人
として岩下を語れる人がほとんどいなくなったことは、フィールドでの聞き取りを困難にさせ、
岩下研究の幅と深さをさらに減じることになりはしないか。
また、カトリックの社会福祉史研究は、前述のようにプロテスタントのそれに比べて層の薄
いものであるといわれている。概観してきたように、近代日本のカトリック思想家を代表する
岩下壮一についても、これまで本格的に取り組まれたものがほとんどなかった。このような状
況にあって、岩下の救癩実践を思想史的な視座により、時代・社会の各制約の中でどのように
評価するかという研究領域は、まだほとんど手を着けられていない状況といえる。今後の岩下
研究の発展のためにも、まず神山復生病院の所蔵資料が公開されることを望みたい。
なお、岩下の思想家としての主要な業績は『信仰の遺産』(神学的宗教論集)、『中世哲学思
想史研究』
(精神史哲学論集)、『カトリックの信仰』の3冊である。
注
(1)たとえば、遠藤興一が「日本における社会事業の近代化とカトリシズム−岩下壮一小論−」(『基督教社会
福祉学研究』第10号、日本基督教社会福祉学会、1977、23-24頁)で指摘しているように、この時代のカ
68
<岩下壮一の福祉思想>研究ノート
トリックの社会的奉仕活動を「慈善」と呼ぶか「社会事業」と呼ぶかの問題はあるが、本稿では基本的に
取り上げた論者の用い方にならい、それ以外は併記とした。
(2)たとえば、田代菊雄「近代日本におけるプロテスタント・カトリック社会事業の展開とその意義」『キリ
スト教史学』vol.48、キリスト教史学会、88頁参照。
(3)半澤孝麿『近代日本のカトリシズム−思想史的考察−』みすず書房、1993、2頁参照。
(4)丸山雅夫「田代菊雄『日本カトリック社会事業史研究』を読んで」『商学討究』vol.41,No.1、小樽商科
大学経済研究所、1990、119頁参照。なお、個別の社会事業家についての伝記以外で既往のカトリック社
会事業史研究としては、本稿で取り上げたものの他に、わずかに田代不二男『社会福祉とキリスト教』
(相川書房、1983)が挙げられる程度である。
(5)大貫隆・名取四郎・宮本久雄・百瀬文晃編『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2002、104頁参照。
(6)菅井凰展「明治後期における第一高等学校学生の思潮−『校友会雑誌』を中心に−」『シリーズ日本近現
代史−構造と変動−』第2巻、岩波書店、1993参照。
(7)荒川幾男「一九三〇年代と知識人の問題−知識官僚類型について−」
『思想』No.624、岩波書店、1976参照。
(8)小林珍雄編『岩下神父の生涯(伝記・岩下壮一)』(
『岩下壮一全集』別冊)中央出版社、1961、93-94頁。
(9)小林珍雄編『岩下壮一全集』第9巻、中央出版社、1962、250-251頁。
(10)前掲(8)書、108頁。
(11)下中邦彦編『哲学事典』平凡社、1976、746,752頁参照。
(12)故岩下清周君伝記編纂会編『故岩下清周君伝』
(復刻版)大空社、1931、55頁。
(13)温情の灯会編『われらが学び舎温情舎』同会、2001、33頁参照。
(14)財団法人藤楓協会編『創立三十周年誌』同協会、1983、5頁参照。
(15)田代菊雄『日本カトリック社会事業史研究』法律文化社、1989、143頁。
(16)小林珍雄編『岩下壮一全集』第8巻、中央出版社、1962、203頁。
(17)前掲(9)書、10頁。
(18)前掲(4)丸山書評、113頁参照。
(19)吉田久一・一番ケ瀬康子編『昭和社会事業史への証言』ドメス出版、1982、268頁参照。
(20)ヨゼフ・フービー著、戸塚文卿訳『カトリック思想史』日本カトリック刊行会、1927、341頁参照。実際、
19世紀末にカトリック教会はトマス思想への回帰を宣言したが、そこではこの理性と信仰の関係の問題が
トマス思想の中心的なテーマとして研究奨励されたのであった。
(21)R.ロペス・シロニス「中世思想における理性と信仰との関係の特徴をめぐって」『カトリック研究』上
智大学神学会、1989、262頁参照。
(22)現在、文庫本『人間の分際』(聖母の騎士社、1996)が出版されている。
〒483−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
社会福祉学科
愛知江南短期大学
紀要,32(2003)
69―91
「総合的な学習の時間」と「総合演習」の動向
−パート2.「総合演習」ノート−
坂 井 旭
The Movements of “The Course of the Presentation(Show and Tell)
”
and“The Skill of the Presentation”
−Part2.Note of“The Skill of the Presentation”−
Akira Sakai
Ⅰ はじめに
1998(平成10)年に公布された「教職員免許法一部改正の法律」により、「教職に関する科
目」として新設された一つに「総合演習」がある。各教員養成校では、平成11年度または平成
12年度から開講が始っている。これに連動して、2002(平成14)年から保育士養成施設におい
ても保育士養成課程の改正に伴い、新たに「総合演習」が課せられた。
「総合演習」は、教育職員免許施行規則の中では、「総合演習は、人類に共通する課題又は
我が国社会全体にかかわる課題のうち一以上のものに関する分析及び検討並びにその課題につ
いて幼児、児童又は生徒を指導するための方法及び技術を含むものとする」と記されている。
一方、保育士養成課程の「教科目の教授内容」における「総合演習」では目標として、「1.
保育に関する自発的、科目横断的な学習能力を習得させる。
ついて、問題等の現状分析・検討を行わせる。
2.保育に関する現代的課題に
3.問題解決のための対応、判断方法につい
て検討させる。」と示し、内容としては、「『総合演習』は、保育にかかわる課題の中から一以
上のものに関する分析・検討を行うと共に、その課題について、児童や保護者を援助するため
の技術・方法について学修させるものとする。さらに、問題を発見し、その問題を解決する過
程を理解し、解決内容について再検討する手法を習得させることを目的とする」と掲げている。
このように「総合演習」の捉え方は、教員養成と保育士養成とは細部においては異とするが、
社会に対する課題の取り組みを解決しようとする学生への主体的な行動の資質を高める科目と
して設けられていることに違いはない。
「総合演習」の新しい登場は、小・中・高等学校の学習指導要領改訂に伴って実施された、
「総合的な学習の時間」に対する教員の指導力向上のためと受けとれる。
「総合演習」において
は、「総合的な学習の時間」が試行学習の積み重ねの教育効果による全面実施に結びついたの
70
「総合演習」ノート
とは隔たりがある。つまり、「総合演習」は、開設指定が先に在りきと言えなくもない。しか
し、教員養成校の中には、それまでにも学生の主体的行動や人間性教育の向上を育成する独自
の科目を開設し、教育力を培ってきたことも少なくないのではないかと思う。
「総合演習」を取り上げたのは、「総合演習」をどのように養成校で実施していくのがより
よいことなのか、どのように教育成果を上げていくのか、という教育方策検討の糧にしたかっ
たことにある。「総合演習」誕生の仕方にも一因はあるが、試行事例発表は「総合的な学習の
時間」に比べ甚々少ない。今後、様々な教育研究の場で、「総合演習」の成果事例や内容の方
向性がより明確化してくるのではなかろうか。
本稿では、拙者が目にした「総合演習」に取り組んだ事例や教育姿勢を提示する。今回は、
「ノート」として各方面の動向を集約したに過ぎないが、しかし、「総合演習」に関わる者にと
って他大学の事例等は、参考になるのではないかと考える。
Ⅱ 「総合演習」の捉え方と事例
○大学・短期大学の報告から
文部省(当時)から2年間の研究プロジェクト経費の助成を受け、「教育課程における教育
内容・方法の開発研究事業」として「総合演習」に取り組み、報告書として記している大学の
報告から、2大学1短期大学を提示する。
兵庫教育大学学校教育研究センター報告の中で、成田滋が、「総合演習」の教育的意義、特
徴を端的に示しているので取り上げる。
成田は、報告書の「はじめに(1)」の中で、小・中・高等学校での「総合的な学習の時間」の
特徴を4つにまとめている。
1.学校の創意工夫 2.指導の内容や名称は「ねらい」にそって決められる 3.学習の
形態は学校や学級の独自の考えで工夫できる 4.「ねらい」は一応は規定されている これを受けて成田は、「総合演習」は「総合的な学習の時間」を担当する教員の資質と力量
を高めるという視点を念頭に置いて構想するとわかりやすいとしながら、「総合演習」の4つ
の特徴を述べる。
1. 大学の創意と工夫によって指導内容が決められる 2.演習の形態は大学の独自の考
えで工夫できる 3.「ねらい」の解釈は自由である 4.指導の内容や名称は「ねらい」に
そって決められる
成田はこの3.において、演習活動をするに当っては、「人類全体に共通する課題又は我が
国社会全体に関わる課題」と「児童又は生徒を指導するための方法と技術」に添うことが定め
られ、学習指導要領の柱である「生きる力」の内容は当然含まれるものであると指摘している。
成田は、
「総合演習」に対する教員の臨む方略を8つ提起する。
1.学生にチャレンジする―学生自身が知的な好奇心をおこすためには、教員は学生に挑戦
71
坂井 旭
的に臨まねばならない。
2.メタ学習の方略を学ばせる―「ものの考え方や学び方を学ばせる」が求められている
知識そのものとはいったいなになのかという根元的な問いを考えさせる契機となるのが
グループワークのねらいである。
3.時事問題に強くさせる―「人類全体に共通する課題又は我が国社会全体に関わる課題」
を取り上げるには、毎日の世界の動きに敏感でなければならない。信頼できる情報を持
つものが相手を説得することができる。
4.情報技術(IT)を活用する―新しい学校の創造やそこでの生徒の学習は、情報技術の
活用によって大きく変わりうる。
5.グループワークで作業させる―「総合演習」の「ねらい」は、学生が互いに協力して学
問の分析や解決方法を導ける能力を養うことである。
6.学生はプロデューサーであることを認識させる。
7.互いに批判しあうことを躊躇しない。
8.学習の成果を重視する―「総合演習」で学ぶ事柄は多岐にわたる。例えば、学ぶ事柄の
決定、文献考察、資料検索の技術、調査方法の技術、統計処理の基本的な技術、面接の
技術、相手を説得する話術、分かりやすく話す技術、反論する技術、プレゼンテーショ
ンの技術などいろいろある。こうしたスキルアップは、自分のアイディアを売り込む強
力な手段となる。
「総合演習」を担当する教員に対して、成田は、これまでの注入主義的な指導から180度視
点を変えさせる指導スキルを提示した。このスキルは、まず学生をしっかり受け留めることか
ら始まり、メタ学習(高次の学習)を学生自身に体得させる手だてとしては理解しやすいし、
教師にとってその手だての方策は、さらに自己の指導におけるメタ学習への具体策として活用
しやすいといえよう。「総合演習」実践でのグループワークで生じる教育効果やプレゼンテー
ションに至るまでの学習展開においては、担当学生の実態を踏まえた上で、成田のいう「学生
にチャレンジする」姿勢が根底に望まれよう。その実践経緯から、教員と学生との信頼関係だ
けでなく、学生自身の前向きな行動力を体得いたらしめていくことになるといえよう。
山形大学教育学部での「総合演習」の方策では、鈴木隆が次のように記している(2)。
「理解を深化する能力」や「実践的指導力」の育成を教育目標とするためには、“課題解決
能力(大学審議会答申での“課題探究力”)と継続的な“自己教育力”の育成が必要であると
している。“課題探究能力”つまり「主体的変化に対応し、自ら将来の課題を探究し、その課
題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力」の育成を図るために
は、教育主体型の学部教育の方法・内容を、特定の授業では大胆に教員から学生へ主客を転換
し、教員は支援に徹し、学生に「試行錯誤」の重要性を体験・認識させるような“新しい教育
システム”を構築しなければ成立しないとし、そのような授業形態の先導的授業科目として
72
「総合演習」ノート
「総合演習」を位置づける。
「総合演習」の教育内容としては、「知識の抽象的な分析から具体的な総合把握へ」を目標
に、
1.「学生主体・体験重視授業」
導・支援型授業」
2.「授業・教育実習一体型授業」
3.「全教員指
を中心とする“新しい教育システム”を導入している。この1.2.3.
を、鈴木はさらに次のように示す。
1.「学生主体・体験重視型授業」
“課題探究能力”と“自己教育力”の育成を図ることの授業として、
(1)学生を十分に試行錯誤させることのできる授業
(2)課題をより深化して追究・理解させるため、同課題について複数回は、プレゼンテーシ
ョンの機会を持たせる授業
授業内容は、「今日的課題の認識」→「課題発見」→「課題探究と深化」→「課題のま
とめ」→「プレゼンテーション」→「評価」→「課題の再探究と再深化」→「課題の再
まとめ」→「再プレゼンテーション」→「再評価」
のように、随所に「試行錯誤」を
繰り返して「課題の深化とまとめ」ができるように十分、時間を保障する授業とし、そ
のために学生に自由に活動できる「フリータイム」制度を導入する。
2.「授業・教育実習一体型授業」
「総合演習」では、「総合的な学習の時間」で要求されている指導そのものであり、
「総合演
習」では「総合的な学習の時間」を視野に入れた実践的な指導力の育成を図る授業を、単に、
今日的課題の認識、発見、探究、深化、理解に終わらず、その過程を「総合的な学習の時間」
の授業として計画するための指導案作成や模擬授業等を含めた授業。
従来の教育実習のように、学部教育の集大成の場として、教育実習を教育実習として分離せ
ず、大学の授業の一部分として教育実習を位置づけ、自ら聴講している授業のねらいとそのね
らいを育成するためにはどのような指導が必要かを考えさせる場を設定し、知識・理論と実践
的指導力を機能的に結びつけるようにする。
3.「全教員指導・支援型授業」
当学部では、「総合演習」の担当教員として、全教員が関わり責任を持って運営する新しい
指導体制を導入した。さらに、責任の所在を明確にするために、探究したまとめの「プレゼン
テーション」は、学会形式とし、学生と指導・支援教員の連名で発表する。この指導・支援シ
ステムは次のような波及効果がある。学生の探究には、実地調査等が含まれるので、学生の指
導・支援を通して、教員は地域社会と積極的に関わりを持たねばならなくなり、教育学部の地
域社会との、より一層の連携につながる。
鈴木が記した山形大学教育学部のこの方針は、1.学生自身に主体的に行動を促すために試
行錯誤を十分行わせ、プレゼンテーションを重視すること 2.小・中学校での「総合的な学
習の時間」の捉え方や計画立案など、従来「教育実習」で行っていたことを「総合演習」とい
う授業で、小・中学校教員と共に行い、また、小・中学校での実際の教育実習における「総合
73
坂井 旭
的な学習の時間」の観察・体験学習を、「総合演習」の授業の一部として位置づけたこと。つ
まり、「総合演習」と「教育実習」とを一体化を試みること。そして、何より3.として、全
教員が、学生支援側にまわること を打ち出し、実践しているのである。
兵庫教育大学、山形大学教育学部の報告は、教育に関する深い知識と理論をもつ教員が、知
識と理論を学生に注入するという講義制の従来の教育方法から、学生を教壇側に立たせ、指導
力をつけさせるべき授業展開の指導体制、指導方法を示した、大学教員への指導マニュアルと
もいえよう。そこには、大学教員の授業への取り組みの改革を迫っているといえるのではなか
ろうか。
「総合演習」についての一層のノウハウでわかりやすい指針を示してくれるのが、久留米信
愛女学院短期大学の報告(3)である。短期大学という余裕のない短い限られた年数で、いかに高
率よく学生に実行力を高めていけるのか、その取り組みの姿は、多義に渡り明解ともいえる。
他の短期大学においては興味深いと思われる。その方策を示す。
久留米信愛女学院短期大学での「総合演習」の取り組み
久留米信愛女学院短期大学(以後、久留米信愛と称する)では、1.学生の成長を支援する
科目としての「総合演習」
2.短期大学の特性に応じた「総合演習」
と捉えて、「総合演
習」の開発研究に取り組んでいる。
久留米信愛では、1.学生の成長を支援する科目としての「総合演習」は、1998(平成10)
年6月に答申された中央教育審議会「幼児期からの心の在り方について」における 1.「生
きる力」を身につけ、新しい時代を切り拓く積極的な心を育てること 2.正義感・倫理感や
思いやりの心など豊かな人間性をはぐくむこと 3.社会全体のモラルの低下を問い直すこと
4.今なすべきことを一つ一つ実行していくこと を受けて、次のような視点を持つ。
1.現実に目の前に起っていない現象を想像し、分析・検討する能力が身につく内容・方法
であること―地球的規模で変動する21世紀を生きる子どもたちの「生きる力」を育てる
ためには、発展途上国における食料危機問題や地球的規模の環境問題など、学生(特に
短大生)にとって身近に感じられないような課題を、国際人・地球人として次の世代を
指導できる能力を培う必要があること。
2.身近な現実の課題に積極的に関わろうとする態度が育つ内容であること―学生が各自の
生活の中で工夫・実行でき、子どもと共に考え指導可能なゴミ分別、ゴミを出さない工
夫、リサイクルの方法や、学生を社会に向けさせるボランティア活動の課題・方法・機
会の提供など。
3.自己を相対比でき、複数の視点から物事を観る能力が培われる内容・方法であること―
40名の子どもの担当をすれば40名の異なる見方・考え方・感じ方を理解せねばならな
74
「総合演習」ノート
い。
4.人生や社会の豊かさ・複雑さ・楽しさが実感できる内容・方法であること―学校現場と
は、様々な境遇の子どもたちが集う学習集団であり生活集団である。いじめ・暴力・非
行・怠学などの背景には、貧困・家庭不和・虐待・教育無関心などの複雑な要因がある。
その中で一人一人がよりよく生きる努力をし、かけがえのない存在であることを学生に
理解させ、社会や人生を肯定的に捉える態度を培う必要がある。
5.「生活力」の形成につながる内容・方法であること―学生が自らの生活を見直す機会と
なり、健康で安定した生活を営む力と、より豊かな生活を築く姿勢を形成することにつ
ながるよう工夫する。「生活に対する積極的な態度」、即ち「生活に対する愛」を持ち、
子どもに生活文化を伝え育むことのできる教員の養成である。
短期大学の特性に応じた「総合演習」としては、4年制大学生に比べ年齢も低く社会経験も
浅い短大生に対してそれを配慮する必要があると述べ、それらを次のように示す。
1.年齢・経験不足を補う内容・方法であること。
2.学生の直接体験を重視する内容であること。
3.養成教育のガイダンス的役割を果たす内容・方法であること―短期大学の場合、2年次
は学外実習や卒業研究・就職活動などによって時間的余裕がないため「総合演習」は、
1年次に開講が予測できる。従って、倫理的思考を行う訓練やコミュニケーション能力
の形成、レポート作成や意見の発表技術など、資料収集・調査・分析・報告・発表・討
論など、即ち、読む・書く・聞く・話すなどの大学教育における基本的形式能力の育成
もこの科目の役割となる。
さらに、久留米信愛では「総合演習」の教育方法としての留意点として3つ掲げている。
1.「総合演習」を短期大学における教員養成の基礎教育と位置づけること。
2.「総合演習」によって実践的能力を形成すること。
3.「総合演習」を大学授業改革の実験の場とすること。
以上に記したそれぞれの中身は、大学教育の在り方としても重さを持つ。久留米信愛が投げ
かけた「総合演習」に対する意気込みは、4年制大学と対比して、学生に対する短期大学教育
の在り方を示しているといえよう。
久留米信愛は、短期大学の学生を見据えながら、短期大学の教員養成校としての過密なカリ
キュラムの中で「総合演習」で求める教育内容は何か、また何を体得させていくのか、大学あ
げて取り組み、深めている。そして、久留米信愛の大学授業の一端にしようとする姿勢が強く
伝わってくるのである。
○大学教員の「総合演習」研究から
西南学院大学の生野金三は、小・中・高等学校での「総合的な学習の時間」に対する「横断
的・総合的な指導」の在り方に視点を置いて述べている (4)。生野は、「児童(生徒)と横断
75
坂井 旭
的・総合的な指導」との関係は、「生きる力」に集約されているという。「自ら課題を見付け、
自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」と
は、「生きる力」の知識を得たり体得したりする学習ではなく、自ら思索をめぐらし、判断し
て解を求めるという「主体的な学習」
、あるいは「学び方の学習」であること。
さらに、生野は、「学び方の学習」を通して課題(問題)の解決や探求活動に主体的、創造
的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすることを説く児島邦宏
の見解を差し示しながら、次のように断言する。
「『総合的な学習の時間』における学習内容は各教科、道徳、特別活動を含む総合的なものであ
り、個々の児童が問題解決に必要とする限りの内容が、教科内容の配列の順序性に関わりなく
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
含まれるものである。畢意、『総合的な学習の時間』においては、現実の生活の中で生きる力
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
を付けることがねらいである(傍点筆者)。
」
この捉え方を基盤にして、生野は、「総合演習の在り様」として、信州大学教育学部の「総
合演習」実施事例の様相を説明している。信州大学の在り様を掲げ、生野の見解を示そう。
1.対象 ・実施は2年次前期、基本的に定員(15名程度)による制限以外には受講制限を行わない。
受講生は自分の関心のあるテーマの演習を自由に選択することができる。他専攻・他分野
の教員や学生と交流できるようにした。
2.実施方法
・原則的に教員全員のエントリーではあるが、専攻(講座)に責任を持って調整してもらう
こととした。「学校教育臨床演習」や他の授業の負担を考慮し、専攻(講座)が担当を決
定することとした。
・毎年36人参加し、18クラス開講する。2名で前半・後半を受け持つものでも、2人で1つ
の演習を共同開講するものでもよいとした。テーマは教員の自由とした。
3.授業の方法
答申では、「ディスカッション等を中心に演習形式」の授業を基本とし、
「現実の社会状況を
適切に理解」できるよう「実施の見学・参加調査等を取り入れる」などの工夫をするとしてい
る。また指導方法を身につけるための「指導案や教材」の作成や「模擬授業」などの実施を期
待するとしている。そこで、信州大学教育学部ではおおよそ次のような基準を設けた。
・演習の形式で、学生主体的な参加を重視し、一方的な講義にならないように注意してもら
う。自分で調べ、プレゼンテーションを行う能力、他と協力して調べたり、討論すること
から学ばせようとした。
・教員がテーマを与えても、受講生の研究指導のような形態にしてもよいこととした。
・ ・
・専門分野に引きつける場合、内容だけでなく、方法や技法を扱ってもよい。しかし、新学
・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
問があって、それを教え込むという方法ではなく、問題や関心が先にあってそれを主体的
・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
に調べ、新しい問題や関心を掘り起こすと同時に、多様な方法を自然と身につけるという
76
「総合演習」ノート
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ことに留意してもらうことにした(傍点筆者)。
・シラバスでその内容、あるいは方法が受講生によく分かるようにする必要があるとした。
いろいろな分野の受講生が相互交流できるようなかたちが望ましいからである。
・前半7時間は、毎週の授業で、後半は合宿や集中形式など、多様な授業形態を工夫しても
よいとした。
・指導法まで演習の内容に含まれるものが望ましいが、信州大学教育学部では「学校教育臨
床演習」という授業もあるので、担当教員に対して、そこまで要求はしない。
・演習の人数の上限は15∼20名とした。
4.評価
・演習担当の教員に一任する。評価は人類的課題という答が定まらないテーマを扱う以上、
客観的テストより平常点やレポートによる評価が望ましいとした。
・「総合演習」は新しい授業である。しがって、これまでにノウハウの蓄積がない。そこで
年3回、カリキュラム委員・教務委員・総合演習の担当者から構成される委員会を持ち、
授業のあり方・実施方法・問題点の検討・演習の反省などを行うことにした。
この信州大学教育学部の「総合演習」の在り方に対して、生野は、「対象」での「受講生は
自分の関心あるテーマの演習を自由に選択することができる」ことに対して、「総合的な学習
の時間」のねらいを念頭に置く必要があるとし、「(総合的な学習の時間は)知識の獲得だけを
重視するのではなく、自ら考え、判断していく『自ら学ぶ学習』あるいは問題を解決する『学
び方の学習』を目指している。欺様な学び方や問題解決力を育成するに当っては、まずもって
指導者である教員がこのような資質能力を有していることである。教員としての資質能力の形
成はむしろ本人の志向や性格によるところが大きいが、しかし、大学の教育過程では、動機付
けや体験の機会を設定しながら課題解決能力や自己教育力の育成に重点を置いた授業内容・方
法の工夫をしていく必要がある」と指摘する。「実施方法」では、「テーマは自由にした」こと
に対して、「テーマ設定では教育職員養成審議会の指摘する『人類共通するテーマ』
『我が国の
社会全体に関わるテーマ』等を踏まえるべきであろう」と言及している。しかし、生野は、信
州大学教育学部のこの実施様相が、
「『総合演習』を構想する際、多くの示唆を与えてくれよう」
とも述べている。
結びの中で、生野は、
「
『総合演習』が学則上、明確に演習として位置付けられたことにより、
ある課題の下で少人数による参観・調査・発表(模擬授業)・討論を行いながら問題を解決す
る場が制度的に保障されることになる。この教育効果は大きいと思われる」と、「総合演習」
の登場とその指導方法の意義を唱えている。
生野が取り上げた信州大学教育学部の「総合演習」の取り扱いもまた、教員への施策といえ、
従来の指導方法との折衷案的要素も強い。生野が言う、学生や教員の意向や自由裁量にまかせ
過ぎではないか。「総合演習」は、小・中・高等学校での「総合的な学習の時間」の指導内容
77
坂井 旭
に対応しうる教員養成としての資質を学生に体得させることであり、その資質育成とは何かを
大学教員が問い、そして実践しなければならないのではないか、と考える。生野の言う、学生
に対して、「自ら考え、判断していく『自ら学ぶ学習』、問題を解決する『学び方の学習』」を
目指さねばならないであろう。学生や教員が容易な自由裁量の形式にするのではなく、授業の
テーマ、内容について、基本的な統一見解を示すことも必要であるといえよう。
生野は、大学教員においても「総合演習」で何を育むのか、そのためにどのようなテーマを
掲げるのか、その指導内容はどうするのか、各々の大学教員の専門の枠を越えて、「横断的・
総合的な学習」を目標に据えて、教員間での事前の議論が必要であると言いたいのではなかろ
うか。信州大学教育学部では、その後においても、年3回の検討委員会が持たれ、授業の在り
方、実施方法・問題点の検討・演習の反省が検討されるという。前向きが期待される。
日本福祉大学社会福祉学部(以後日福大と称する)の藤田紀昭は、日福大で「総合演習Ⅰ」
の実践例を『大学と教育(5)』の中で提示している。藤田は、2000(平成12)年度、「総合演習
Ⅰ」を担当すると同時に、総合演習Ⅰ運営委員会(「総合演習Ⅰ」の内容を充実させ円滑な授
業運営をサポートするために、教務委員会のもとに組織された)のまとめ役の経験を持つ。日
福大では1年次に開講し、導入教育としての位置づけを持つとしている。藤田が掲げた「総合
演習Ⅰ」のシラバス抜粋を以下に記す。
総合演習Ⅰシラバス
1.講義の目的
総合演習Ⅰは1年生を対象とした演習(ゼミナール)形式の授業です。演習は教員が主とな
り授業を進めていく講義形式の授業とは異なり、学生と教員がともに主役となり主体的に学習
を進めていく授業です。1.自ら学習を進めていく習慣、姿勢を身につけること。教員が講義
することをノートに書きとめ、覚えるといった受動的な学習ではなく、自ら学習テーマを設定
し、学習を進めるという主体的学習態度を形成することです。2.自ら学習を進めていくため
のスキルを習得すること。ここでいうスキルとは、必要な文献の集め方、それに関連する図書
館の使いこなし方、レポートの書き方、学習発表や意見表明(プレゼンテーション)のし方、
討論の進め方などです。この授業では年間3回のレポート提出が課されています。担当教員は
適宜、レポートを添削して返してくれることになっています。3.学問することの面白さを知
り、幅広い教養を身につけること。こうした学習を通じて、いわゆる「テストの勉強」ではな
く、自らテーマを設定し、学び、「物事の真実」に近づいていくこと、つまり学問していくこ
との面白さを知ることです。
2.開講方法
週一度、授業が開講され、これが学習の核となります。一クラスは25名程度で個人あるいは
グループ学習(サブゼミ)を進めていきます。サブのための時間(サブゼミ・アワー)が設定
78
「総合演習」ノート
されています。
3.春季セミナーについて
社会学部で学ぶ意義を確かめること。宿泊を伴う共同体験の中で教員と学生、また、学生同
士の理解を深めていくことを目的として「春季セミナー」を実施しています。
藤田によれば、「総合演習Ⅰ」では、教員と学生、学生同士それぞれの相互作用を前提とし
て、学生が主体的に学ぶこと、学習を進めていくためのノウハウを習得すること、学ぶ面白さ
を目的としており、この目的は日福大が掲げる大学教育の「学ぶ力」
「働く力」「生きる力」の
育成課題に対する導入教育として位置づけている、ということである。
次に、藤田自身が、2000年度に実践した授業の学習内容の一覧を示す。
表 2000年度総合演習Ⅰの実践例
出典:『大学と教育』
、第30号,P.7,東海高等教育研究所,2001.9
79
坂井 旭
藤田は、一泊の「春季セミナー」を次のように記す。
「キャンプファイヤーや卒業生との語らい、クラスでのレクリエーションが主たる内容であ
った。電動車いす利用の女子学生ももちろん参加した。彼女をどうサポートするかを考えるこ
とで学生たちは期せずして障害者の介護体験が可能になった。…学生達はサブゼミアワー(毎
週総合演習Ⅰが行われる次の時間帯)や放課後の時間を利用してキャンプファイヤー等での出
し物を考え、準備し、練習を行った。その過程とセミナーを通して仲間づくり、クラスづくり
を行えた点を学生たちは評価していた」
当初の春季セミナーは、教員と学生間の信頼関係を築き上げている。その信頼関係が、授業
の発展に深く連動していることは当然である。
「総合演習Ⅰ」の内容は、前期では「家族」の共通テーマをもとに、「障害者、虐待、家庭
内暴力、思春期の親子の関わり合い、絆、兄弟、離婚、母子家庭」がグループごとに検討され、
発表している。後期には、藤田は、学生たち自身にテーマ選びをまかせている。学生たちが発
したテーマ「仕事の現状について、食品の問題性、死―自殺について、食生活について、アル
コールについて」は、学生たちの関心事がわかり、学生たちの寄せる思いが検討や発表の中で
発揮されたのではないかと察する。
藤田は、ここでは内容の展開について触れず、授業の流れや導入教育としての実践を記して
いる。つまり、シラバスでの目的2.自ら学習を進めていくためのスキルを学習することに、
藤田が取り組んだ実践の様子が示されている。レポートの書き方へのスキル対応である。シラ
バスでは、年3回のレポート提出を学生に義務づけし、そのレポートの添削を教員に求め、返
却を謳っている。藤田は自らのその関わりを示している。藤田は添削を大学の行き帰りの電車
の中で行い、レポート提出の翌週には添削したものを返却できたと。この労の結果で得たもの
を藤田は次のように言う。「回を重ねるごとに学生の文章は目に見えて良くなり、読みやすく
なった。丁寧な指導によって学生は伸びるということを実感した」と。そして藤田は、成長す
る学生を求めて次のように言う。「学生の学力低下が指摘されるようになって久しい。…様々
なレベルの学生を入学させている以上、学生の学力低下を嘆きつつ、旧態然とした授業を繰り
返しているのでは教育者としての責務を果たしているとは言えない」と言い、特定の学生には
さらに、特別メニューのレポート課題を与え、そのすべてのレポートに添削を加え、その成長
ぶりをみとどけている。そして、藤田は、「筆者自身、学生達の成長に驚かされると同時に、
学生たちの可能性と、時間をかけて学生達を指導することの重要性を認識できた」と記してい
る。そして、さらにこう記す。「総合演習Ⅰの授業運営のノウハウの蓄積と共有、教員間にあ
る様々な差異の解消(例えば、レポートの書き方やレジュメの作成方法など)、総合演習Ⅰの目
的を大学教育の中で明確にし、その充実を図ることを目的として、『総合演習Ⅰ手引』を作成
した」と。まさに、総合演習Ⅰは日福大の導入教育としての位置づけが発揮しているといえよう。
藤田の授業に参加した学生の言葉と、藤田のこの授業に対する言葉から授業の在り方が伝わ
ってくる。
80
「総合演習」ノート
学生のことば 「このゼミに入って一番良かったと思えることは友達がたくさんできて、みん
なと仲良くなれたことです。また、高校などでは自分の意見を発表する機会がほとんどなか
ったので、このゼミで自分の考え方を説明したりすることは最初は本当に難しかったです。
でも相手にわかるような説明のし方、レポートの書き方は就職してからも絶対に役立つと思
うので忘れずにいようと思います」
藤田のことば 「学生達が感じた勉強の面白さはあくまでも主体的に勉強することの面白さで
あり、学問の面白さではない。その意味では、『遊び』の面白さと変わりがない。この点は
筆者の力不足と勉強不足である。こうしてみればシラバスに書かれた総合演習Ⅰの3つの目
標のうち前者は及第点、最後の1つは落第点ということになり、学生の下した69点という評
価はかなり的を得た評価といえよう」
「総合演習Ⅰ」のシラバスから、日福大の教育の姿勢が伝わってくる。そこには、授業その
ものに、学生と教員がしっかりと対面していることが読みとれる。例えば、藤田が語った年間
3回のレポート添削指導がある。この行為は、藤田の実践をみても、担当者に相当な努力を要
する。春季セミナーもしかりである。そこには、教員が、多様な学生に対して、一人一人に正
面から臨み、教員と学生間のコミュニケーションから生じる教育効果を導入教育として重視し
ていることのあらわれといえる。藤田の実践から、学生一人一人が高まるためには、まず教員
の学生に対する意気込みと、学生との触れ合いへの努力は切り離せないことが読みとれるので
ある。
○私立短大での「総合演習の内容と方法」
(私立短大保育科関係教職員研修会から)
教員養成校では、平成10年3月までに再課程認定の文部省(当時)承認を得て、平成11年度
から「総合演習」を開講したのが最初である。当時、養成校では、平成12年度開講を目指す大
学が多く、
「総合演習」の在り方を模索していた時期でもあった。
折しも、私立短大保育科関係教職員研修会が平成11年9月16、17日の両日に開催され、17日
には、第4分科会で「総合演習の内容と方法」の研修が午前、午後とも積まれている。参加者
は72名(63校)の多きを数えた。その分科会での発表の一部を紹介する。
宝仙学園短期大学 渡辺啓治の報告(6)から
「国際理解教育」として位置づけ 2年次後期 2単位 担当:保育科専任教員・特別講師
1.授業のねらい
先進国としての日本が他国をどの様に理解して共存していくべきか、人類の永遠のテーマで
ある「世界平和」について、我々が保育を通してやれる事は何かと考える。現在、多国籍の子
どもが多数保育園、幼稚園に在園している。時代のニーズに応えた重要な研修と考える。
81
坂井 旭
2.授業の内容と方法
遠くて、近い国といわれる「韓国」を取り上げて考える。日本と歴史的関係、異文化、戦争
の悲劇と責任について理解する。韓国の子ども達とのふれあい等、韓国を理解することを手が
かりに、世界における日本の役割を考える。
3.授業計画
前半、講義 ・国際理解とは何か 世界における日本の役割 日本がやらなければならない
こと ・日本と韓国との歴史的関係の経緯 ・異文化と生活/言葉 ・韓国語講座 ・世
界の幼児教育/福祉の問題 ・平和と戦争(世界大戦が残したものについて考える)
・他国訪問の準備と認識
後半、韓国訪問の実際 ・韓国文化に触れる、考える(景福館・民族村等の見学)
・学生
交流(大田実業専門大学の訪問) ・韓国の子ども達(韓国幼稚園実習の実施) ・戦争、
平和について考える(板門店見学、パネルディスカッションの開催)
・世界の福祉を考
える(HOLT福祉施設訪問)
4.平成10年度国際理解教育(韓国保育研修スケジュール)
12月8日 出発 ソウル到着
12月9日 幼稚園実習 サラン幼稚園、ソニィル幼稚園、テークアン幼稚園、チュアン幼稚
園の4園に分かれ、各園1クラス6∼7名 実習には通訳なし 各園にて質疑応
答 特別講義及びグループ討議
12月10日 又松情報大学幼児教育学科との交流会 相互の混じった8グループ交流(1グル
ープ4人+4人)
・宝仙の学生は各自、日本を紹介できる小さなプレゼントを用意
12月11日 平和、戦争を考える 板門店見学 講演、グループ討議
12月12日 国際理解について考える まとめ 伝統芸術鑑賞
12月13日 帰国
5.参加学生の感想の一部
(1)「嬉しい」と「もどかしい」
研修旅行の一番の思い出、それは幼稚園実習である。何か一つおもちゃを、ということ
で私は折紙を選んだ。ただ折るだけでは誰でも考えられるので、紙テープで子どもが作っ
た物を授業で習った「チャムザルヘッソヨ(よくできました)」を言いながら首飾りにし
ようと思ったのだ。そして前日、一緒に作るために必要な言葉を覚えて、当日にそなえた。
実習当日、おもちゃは大成功に終えることができた。ところが、問題はその後の出来事で
あった。給食後、「気持ち悪い」と寄ってきた子どもに対し、私は寒いのだと勘違いし、
抱きしめて背中をさすると、少し吐いてしまった。あそびの中で手をふまれ、泣いている
子どもに対し、言葉を掛けられずたださすることしかできなかった。言葉が通じない中で、
これだけ親しくなれたことを嬉しく思う反面、言葉が通じない故に、何もしてあげること
82
「総合演習」ノート
のできないもどかしさを感じた。言葉なしに持てる信頼と、言葉がなくては持てない信頼
があるのだと、あらためて教えられた実習であった。
(2)
「板門店から感じた事」
板門店を案内して下さったガイドさんはもうすぐ息子を徴兵に出さなければいけない事
を涙を浮かべて話した。心にズシッときた。戦争は悲しい。一人一人の心が皆悲しさで一
杯になる。そして戦争が終った今でもその悲しさは続いている、ということに気付いた。
大切な人を兵隊に行かせる気持ちは想像もつかない位悲しいのだろう。朝鮮民族が心から
幸せになれるのは38度線がこの世から消える時なのではないかと思う。どうして同じ人間
が憎しみ合い、対立し合わなければならないのだろう。誰もが本当に平和を願っているは
ずなのに。私は実習や交流会で、言葉は通じないが笑顔や身振り手振りで心を通わす事が
出来た。文化も言葉も違う私が分かり合えたのに同じ民族が分かり合えないはずがない。
いつか必ず統一される事を信じ祈る。そして悲しみに暮れる人がいなくなり世界中が平和
に幸せになれるために私はこれから保育者として平和を作る人間を育てていこうと思った。
宝仙学園短大のこの実践は、単なる国際理解だけでなく、人類の平和とは何か、生命の尊さ
とは何か、をも考える機会となり、他国訪問を通して、それらを深く学びとっている事例とい
えよう。養成校の中には、海外で幼稚園実習を体験させ、世界の幼児教育に触れさせて、広い
視野での保育の在り方を学ばせているところは複数校ある。しかし、宝仙学園短大のように、
冷戦状況の緊迫感までも体験させて、平和や生命の尊さを学ばせようとする大学は数少ないと
いえよう。学生一人一人に深く響き実る実践研修にするため、宝仙学園の保育学科専任教員全
員が何らかの形で参加し、5泊6日の中で韓国の保育者養成校との交流、幼稚園実習での体験、
さらに、南北朝鮮の歴史的緊張状況の体験と、そこで得られる教育的意義の大きさに驚かされ
る。2つの学生の体験文から深く読みとれる。(1)からは、幼児とのかかわりで言葉の重要
さを学んだ姿は、改めて、幼稚園実習の存在が高まったであろうし、(2)の板門店見学体験
は、隣国、韓国の深くて厳しい姿を学び、人間教育の在り方を問い質そうとする姿勢が生じて
いる。多くの参加学生の声は、授業のねらい、「人類の永遠のテーマである『世界平和』につ
いて我々が保育を通してやれることは何かを考える」を学びとっていよう。宝仙学園短大の教
員たちの願いが、現実にしっかりと実っている実践と言えるのである。この研修は回を重ね、
いっそう教育効果を上げている。そしてこの実践「国際理解教育」は、新設「総合演習」と解
け込んで余りあると言えよう。
山梨学院短期大学 小林栄子の報告(7)から
「総合演習」
1年次前・後期 テーマ:地球の視野に立って人々がどのようなライフスタ
イルをとればよいのかについて考える 教員4名が担当 4分野を設定 1.アジアの歴史
2.現社会の課題 3.現代の国際関係と日本 4.生物と環境
83
坂井 旭
山梨学院短期大学では、「総合演習」を1年次前後期に設けた理由として、学生に早く教師
像を位置づけたいためであると唱える。このテーマから、子どもたちに地球規模での問題をど
う伝えるかの指導は難しい、と小林は発している。ここでは、小林が提示した資料の「生物と
環境演習2単位 担当:赤井住郎」を示そう。初めに概要の抜粋をする。
「"素晴らしい地
球に生を受け、そこで生活する私たちが、生態系の生物の一種であるヒトとしていかに生きて
いかねばならないか"。これは、まさに今、私たちが考えなければならない最重要課題である。
本授業では、生物学的観点から、遺伝子から地球規模までの環境問題について学び、ホモ・サ
ピエンスとしての私たち人間が、どのようなライフスタイルをとればよいのかを考える」
前半では、1.生物とは何かの理解 2.生命の連続性の理解 3.生態系の理解 を学習
目標に掲げている。授業内容と学習課題・自主学習課題においては、前半では、第2回「生命
誕生(ビデオ併用)」、「生命誕生のメカニズムのまとめ」、第5回「循環系(ビデオ併用)・呼
吸、血液、心臓、リンパ」、「レポート課題『ヒトはなぜ呼吸するのか』、第11回「エイズ・エ
イズ社会」、「討議課題・エイズと社会について」、第13回には、「エコシステム・生態・食物連
鎖」を示している。
後半(後期)では、第17回「大気異変が起きている(ビデオ併用)、オゾン層破壊・地球温
暖化」、フロンガス規制まとめ、第21回「食と環境、食品と化学物質との関係・安全な食生活
を求めて、討議課題「安全な食生活について」、第23回「ゴミについて考える、どうゴミを減
らすか・リサイクル社会に向けて」
討議課題「環境を考えたライフスタイル」が掲げられて
いる。
赤井のこの「生物と環境」の各回の指導内容は、1つ1つ深いテーマといえる。そして、学
生へのレポートまとめ課題や討論内容を深めれば深めるほど、テーマ1つ1つが1コマ全体を
通す内容にも匹敵するほどのテーマ内容へ発揮し得るものである。
赤井がまず「生命」を取り上げているのは興味深い。地球上での生命について考えさせ、個
体としての生命のしくみを科学的に捉え、人体を築き上げている臓器の高等なしくみを示し、
個体としての生命体の重要さを知らしめている。そして、生命を脅かすエイズとその社会性に
まで踏み込む課題は、深い人間性をも考えさせるテーマ選びといえよう。
後半は、自分と環境との関わりを見つめさせる。身近なゴミ問題から、大テーマの地球環境
のオゾン層破壊問題やエネルギー問題を取り上げるなど、今日的な世界共通課題へと発展し、
「環境を考えたライフスタイル」へと導く。
現今の我々一人一人の人間が、地球環境にどう取り組むか、将来の子どもたち、否、生物全体
の存続が豊かに成し得ていくかを、学生たちは課題研究しているのがわかる。しかし、ここで
学んだ地球環境の問題を、どのように子どもたちに知らしめていくかは、ここでは見えてこない。
小林はこうつけ加えている。
「本演習(『生物と環境』だけでなく、他3つの演習を含めて)を通して互に協力する態度
を学ぶと共に、他者の意見を大切にする人間関係をも深めたい。それらを研修するのみならず、
84
「総合演習」ノート
『幼児教育にどのように生かしていくか』その方法などについても具体的に検討し、展開し、
発表したい」
この小林のねらいは、教育職員免許法施行規則での「総合演習」の中にも、「幼児、児童又
は生徒を指導するための方法及び技術を含むものとする」と明記されている。この点にも一歩
踏み込んで、学生たちに検討・理解させていく必要があるのである。
フロアーからの発言の一つとして、頌栄短期大学では、「人間の尊厳性」をテーマに掲げた
と言う。専任教員全員が同一テーマを行い、「コルチャック先生」「ホタル」「黒い雨」等の書
籍を題材にして“平和について”考え、テーマ「人間の尊厳」を、教師と学生間で深めている
という。これもまた、人間性の深く、重いテーマに対ち向かっているのである。
ここで紹介した事例は、保育者養成校として、近い将来、幼い子らへの人間教育、人格形成
教育にも携わろうとする学生たちにとって、「平和とは何か」「人間教育とは何か」「生命を育
む環境とは何か」そして「一人一人が、それに向って何ができるのか」に、正面から各々の立
ち向かう姿が読みとれるのではあるまいか。
この私立短大保育科関係教職員研修会・第4分科会では、当日、集計された「アンケート結
果」の報告もされている。その資料をもとに、小川哲男が、総合演習の授業形態、評価の方
法・内容等について整理している。その資料を資料1として後尾に掲げておく。
いのち
Ⅲ.総合演習と「生命の教育」
「総合演習」は、先に掲げたが、「人類に共通する課題又は我が国社会全体に関わる課題の
うち一以上のものに関する分析及び検討並びにその課題について幼児、児童又は生徒を指導す
るための方法及び技術を含むものとする」と教育職員免許施行規則第6条に定められている。
2001年の「人類に共通する課題又は我が国社会全体に関わる課題」としては、2001年9月11
日に起きた米国同時多発テロ事件、それに続くアフガニスタン軍事報復は、子どもたちにも連
日連夜、テレビ映像として目に飛び込んでいた。日本に限れば、この事件、報復に先だつ6月
8日、教育現場という大阪教育大学教育学部附属池田小学校で、侵入者による23名の児童、教
職員が殺傷される事件が、衝撃的に日本社会を揺るがした。我々教育者にとって、生命の尊厳
を改めて教育の場で問い質す必要にせまられたといえよう。
『現代教育科学 548号』では、「『生命の教育』いま何を問題とすべきか」の特集が組まれ
ている。村井淳志は、「生と死のリアルな現場から隔離された子どもたち」の中で、次のよう
に記す。
「生命の教育がなぜ問われているのか?それは子どもたちの中に、生命の誕生と終焉につい
て知りたいという要求がここ20年、急激に膨らんできたからだ」と。そして、「かつて(の子
85
坂井 旭
どもたち)は出征、結核、老衰などによって『自分はもうすぐ死ぬ』と自覚した人たちが、子
どもたちの周囲にもたくさんいた。死は子どもたちにごく身近だったのだ。…『いのちとは何
か、人生にはどんな意味があるのか』を切実に考えざるを得なかったことだろう(8)」
長尾彰夫は次のようにいう。
「人間の『いのち』が大切にされなければならないのは、それがかけがえのない、そして限
りあるものだからだろう。…人間はいつかは死ぬ、人間の『いのち』は限りあるものである、
ということが一方に据えられていくことによって、その大切さが見えてくるのではないか。こ
う考えると『いのち』の教育は、同時に『死』の教育ともなるのであり、いわゆる『デス・エ
デュケーション』(Death Education)の課題ということになる(9)」。
「『生きる力』なるものは、zest for living=生きることへの意欲、というように英訳される
らしいが、さすれば『生きる力』を目指しての教育改革といったことも、『いのち』の教育に
つながっていくと言えなくもない」、「デス・エデュケーションは、総合学習の注目すべき重要
なテーマであろう。しかし、総合学習のテーマ云々を越えて、『いのち』の問題は、人間の教
育にとって根源的な課題なのである」と。
この特集では、さらに小・中学校教員による授業実践内容が盛り込まれている。4区分19事
例の姿である。その4区分とは、1.「生命の教育」の大切さ―アメリカテロ事件で学ぶ 2.
「生命」をめぐる異文化理解―宗教と教育の関連を考える 3.「生と死」改めて生命の授業を
問う 4.「戦争」をどう考えるか―授業化への課題 である。小・中学校の児童・生徒の生
の姿が展開されている。「生命の教育」の中で何を授業で取り上げるかは大きな課題であろう
し、問題でもあろう。しかし、教育現場では、現実の生と死について子どもたちから切り離せ
ない事実もあると考えられるのである。
得丸定子は、2000年4月、「新潟大・上越教育大 いのちの教育を考える会」を立ち上げて
いる。得丸によると、この会のスタッフは、教育大学、教育学部の教員と学生から成り、いじ
め、自殺、学級崩壊、児童虐待、子どもの健康など、子どもと若い世代の親の「いのち」の捉
え方が気になり、教育に携わる者として何かできることがあるのではないかと考え、生涯教育
の一環として「生と死」を含む「いのち教育」に取り組む目的で結団をしたというのである。
2000年度には、「いのちの講座」シリーズⅠとして8回の講座を開催、20∼30歳代男女を対
象とした。
「子どもに最も影響を与えるのは親です。ゆえに次世代の子どものことを考えるのならば、
今の若い世代の親の意識に焦点をあてることが有効と考え、環境問題、食生活、出産、子育て
のテーマについて、第一線で活躍している大学の先生方による月1回の開放講座を開きました(10)」
と語っている。
得丸は、先に掲げた「デス・エデュケーション」についても次のように言及している。
「本講座で扱いたい『いのち教育』の内容はたくさんあります。例を挙げると、日本人特有
86
「総合演習」ノート
の死生観、郷土の慣習・行事といのち教育の関連について、子どものさまざまな悲しみと、そ
こからの立ち直り方、自殺と自殺予防教育、子どもと心の傷(トラウマ)などが残されている
問題です。諸外国の受け売りの『Death Education』ではない日本的な『いのち教育』とは何か
を探るためには、日本人の死生観を知る必要があります」と、日本の現状況に柱を据えて、述
べている。
いのち
『生命の教育』は、ここで示した「総合演習」のテーマからも察することができる。保育者
養成に携わる我々教員は、入試面接で、なぜこの学科を希望したのかと問えば、子どもが好き
だからが圧倒的に多い。さらに問うと、今の子どもたちの置かれている環境問題にも触れる。
そして、さらに、現在のニュースを問えば、多くの者が、若い親たちの自分の子どもに対する
虐待行為に対して深く心を傷めているのである。一方、ゼミ学生の多くが、子どもたちへの虐
待行為に真剣に目を向けて、虐待する若い親たちの気持ちがわからないと言い切る。幼い生命
を預かる保育者を目指す若者たちは、「いのち」に敏感に反応している。「いのち教育」の重さ
は、村井や長尾、そして得丸からも強く伝わってくる。
近い将来、乳児や幼児と接する仕事に就くであろう保育者養成校での学生たちが、一人一人
の個体としての子どもの生命の尊さ、生命力、生き続ける大切さなどを語り論じ合うことは、
将来の保育者現場で、時には立ち向かわざるを得ないであろうことに、対応できようか。幼児
の人的環境問題、虐待やあってはならない幼い命を絶つという現象に対する保育者としての心
いのち
の糧として、「生命の教育」での体験を、若い親たちに、以心伝心していってほしいと思うか
らでもある。資料2として新潟大学シラバスの一部を最後尾に揚げておく。
Ⅳ.結びにかえて
平成14(2002)年8月19日付朝刊の見出し、「大学・短大 特色ある教育100校選定 来年度
から文部科学省 重点的に助成」が、目に飛び込んできた。「大学同士を競わせて大学教育の
質の向上をはかるため、文部科学省は来年度から、全国の国公私立の大学・短大から、特に教
育に力を入れている大学を選び、重点的に助成する方針を決めた。『研究分野』で優秀な大学
を選ぶ『トップ30』のいわば『教育版』。短大も対象にし、選ばれた大学名は親や受験生に公
表する。来年度予算の概算要求に事業費を折り込む。…(11)」
いやはや、とも思う。大学の教育は、助成金を掲げねば一向に改善されないのであろうか。
小・中・高等学校の現場教師たちには、どう映っているのであろうか。そうではない。文部科
学省も、大学の教育改革には力を入れてきた。大学生の学力低下が叫ばれて久しくなっている。
日本の高等教育の体力の乏しさが目立ち始めている現状を踏まえ、すでに大学での教授開発と
して、FD(Faculty Development)機構を発している。“大学教員が授業の内容・方法を改善
し、向上させるための取り組み”の総称としてFDが用いられている。しかし、教授法の改善
は遅々とし、学生の自立と専門的力量の体力向上につながっていないのが現状といえよう。
そのようななか、教員養成大学では、「総合演習」の登場により、大学での教育内容、教授
87
坂井 旭
方法に新風が巻き興った。「総合演習」では、大学教員に、教員を目指す学生に対し、自立と
専門的力量(「総合的な学習の時間」を指導しうる力量)を培う教育内容と教授方法が問われ
たのである。大学での反応は、ここで紹介した兵庫教育大学、山形大学教育学部、信州大学教
育学部での取り組みから察しられよう。大学教員に、これまでの注入教育から、学生支援教育
体制へと、それぞれの大学カリキュラム検討委員会や総合演習対策委員会が、「総合演習」の
指針を打ち出し、実践しているのである。
「総合演習」の教育内容や教授方法では、学生に対するきめ細かな指導体制として、私立大
学や私立短大において特色ある教育を打ち出し実践しているのが目立つ。しかし、それはまだ、
前向きに取り組む特定な大学・短大といえよう。ここで示した日福大、宝仙学園短大、山梨学
院短大、頌栄短大の姿がそれに当たる。そして、現学生の実態をしっかり把握した上で、「総
合演習」をこれからの大学教育の在り方を問い直す柱に据えた、久留米信愛女学院短大の行動
は、各短大での「総合演習」の在り方の指針にもなろう。
先の9月4日、南アフリカ、ヨハネスブルグでの「環境問題サミット(持続可能な開発に関
する世界首脳会議)」では、環境保全と貧困解消・開発を目指す「世界実施文書」が採択され
た。しかし、各国のおもわくがからみ、妥協的な協定で終結している。地球温暖化への歯止め
はかからなかったと言えるし、発展途上国での人命対策への援助も後退している。経済大国、
消費大国のエゴが見えかくれするのも事実といえた。
世界での環境問題や一人一人の生命の尊さへの関心は、教育の場で、繰り返し意識づけてい
く必要が重要といえる。「総合演習」の教育内容の吟味は、その上では大切な事柄なのである。
「総合演習」の在り方をこれからも問い続けねばならないし、「総合演習」の教授方法が、大学
全体の教育改革のきっかけになればと強く願う。そして、若い学生たちに人間性のある力量を
育み、将来を託したいと思うのである。
―2002.9.15.―
注(引用文献)
(1)成田滋:「総合演習」の位置づけとカリキュラムの考え方,教職課程における教育内容・方法の開発研究
事業計画書(総合演習報告)
,P.3∼7,兵庫教育大学カリキュラム開発研究会,2000.
(2)鈴木隆:第1章「総合演習」のねらいとその達成に向けての方策,教職課程における教育内容・方法の開
発研究書(開発研究事項・総合演習),P.1∼4,山形大学教育学部山形大学カリキュラム開発研究会,
2000.
(3)重信卓夫他:教職課程における教育内容・方法の開発研究―学生の成長を支援する科目としての「総合演
習」―(1)及び(2)
,久留米信愛女学院短期大学研究紀要,第22,23号,2000,2001.
(4)生野金三:総合演習研究,西南学院大学児童教育学論集,第27巻,第1号,P.14∼17,2000.
(5)藤田紀昭:日本福祉大学社会福祉学部導入教育,総合演習Ⅰの実践例,大学と教育,第30号,P.4∼15,
東海高等教育研究所,2001.
(6)平成11年度私立短大保育科関係教職員研修会 第4分科会での発表配付資料から
(7)同上
88
「総合演習」ノート
(8)村井淳志:生と死のリアルな現場から隔離された子どもたち,現代教育科学,548号,P5∼7,2002.
ぬち
たから
(9)長尾彰夫:「生命の教育」を「命どう宝」としてとらえ直す,現代教育科学,548号,P.14∼16,2002.
(10)得丸定子:「いのち教育」って何でしょう?,教職課程,第27巻,第14号,P.20∼23,協同出版株式会社,
2001.
(11)朝日新聞、平成14年8月19日朝刊1面(名古屋版)
資料1 平成11年度私立短大保育科関係教職員研修会の
アンケート集計結果資料を小川哲男が整理したもの
89
坂井 旭
90
「総合演習」ノート
出典:小川哲男 これからの教師に求める資質能力と総合演習カリキュラム,
『学苑』
,718号,P.38∼40,昭和女子大学近代文化研究所,2000.
91
坂井 旭
資料2
新潟大学シラバスから
出典:齋藤 勉 大学における総合学習「総合演習」の取組の課題,
『せいかつ&そごう』,
第9号,P.95,日本生活科・総合学習教育学会,2002.
〒483−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
幼児教育学科
愛知江南短期大学
紀要,32(2003)
93―108
幼児音楽教材における旋律と和声の関係
−童謡の伴奏における、和音の非利用による効果について−
石 田 清 子
The Relationship between Melody and Harmony
in Teaching Materials of Preschool Music Education
−On the Effect of Non-Use of Harmony in Accompaniment
of Nursery Rhymes−
Kiyoko
Ishida
Ⅰ.はじめに
私は、これまでの研究(「即興伴奏の研究」(『江南女子短期大学紀要』第21号1992.1)、「幼
児音楽教育と和音」(『同』第25号1996.3))で、幼児教育の現場での教材を元に、伴奏におけ
る和音の効用について分析してきた。そうした中で筆者は、幼児音楽教育での伴奏には、「基
本和音」の進行でも十分楽曲の持つ性格や表現を掴むことが可能であることを実証してきた。
しかし一方で、和声というのは、音楽のひとつの技法であり、旋律の性格を引き立たせる言
わば補助的な役割を担うものである。従って、童謡などの伴奏時に、無理に和音を拾おうとす
るあまり、旋律自体の持つ和声を超越した美しさ、面白さを損なう事になり兼ねない場面に直
面することもしばしばある。また時には、歌詞そのものの面白さを強調するために、旋律も伴
奏も、意図的に和音の枠を外れて表現した方が効果的な場合がある。特に幼児音楽教材では、
楽曲の旋律を効果的に印象づけるために和声が存在するのであり、その必要がないあるいは阻
害する恐れがある場合はユニゾンが活用されることがしばしばある。ユニゾン自体は和声を否
( 注 1 )
定するものではないが、伴奏における活用は、旋律を強調することによって和声を不明確にす
る(この論文では、これを「和声の非明確化」とする)ことが好結果を与えることを示してい
る。そういった中で、幼児教育者にとっては、そのような場面をどのように察知し、どのよう
な伴奏をつけるべきか(或いはつけざるべきか)については、(特に即興伴奏において)解決
されるべきテーマであると筆者は考えている。
今回の研究では、幼児音楽教材の伴奏譜をもとに、ユニゾン等による「和声の非明確化」の
活用の実態を分析し、その効用を明らかにする。筆者の目指す研究の方向は、幼児教育者がい
かに的確に楽曲全体の構成をつかみ、幼児に(伴奏という手法を使い)分かり易く伝えるかと
いう観点から和声の効用(或いは限界)を体系化することで、今回の研究は「和声の非明確化」
94
幼児音楽教材における旋律と和声の関係
の効用により一層「和声の効用」が明確になるという意味で従来の延長線上に位置付けている。
(注1)
ユニゾンとは、本来は<ひとつの音>を意味する語で、つぎのように用いられる。(1)高さが
同じ2つの音によって形成される音程のこと。<同度>あるいは<同音>と訳される。(2)複数の演奏者あ
るいは声部が、同音あるいは同旋律を奏すること。そのさい、厳密に同じ高さで奏する場合と、異なったオク
ターヴにわたって奏する場合とがある。
(
『新訂 標準音楽辞典』音楽之友社,1991年)
Ⅱ.童謡の伴奏分析方法について
本論文では、幼児教育の現場で使われている教本の中から3冊(下記参照)を選び、(重複
曲を1曲と換算し)全387曲の楽曲に付された伴奏を分析した。(全387曲の童謡に付されてい
る伴奏は、作曲者による伴奏と、編曲者による簡易伴奏の大きく2つに大別されるが、今回は
これらを区別していない。
)
1.筆者は、まず全387曲の伴奏を調べ、一ヶ所でも和音を明確にした伴奏をつけていない部
分を摘出した。筆者の分析によれば、それらは、①ユニゾンの強調、②ユニゾンでない(こ
の論文では、これを「非ユニゾン」とする)ケースの2つに分類される。
なお、以下のような場合もユニゾンの特例として取り上げる。
・第1拍目の強拍に和音(伴奏の声部のソプラノが歌のメロディーと同じ)があってもそ
のあとがユニゾンの場合(例えば「早起き時計」)
・伴奏の声部のソプラノとバスが同じ音で、同じ和音で動く時(例えば「とんでったバナナ」
)
また、伴奏の右手あるいは左手のどちらかがない場合や伴奏が全くない場合も、それぞ
れ歌と片手、歌のみのユニゾンと考える。歌詞に旋律がなく伴奏がユニゾンの場合も含む。
2.次に、筆者は上記1に該当する部分を分析したところ以下のように分類できることを発見
した。
(1)歌詞に擬声語・擬態語を使い変化を持たせていること
(2)曲の主題を表す歌詞または主体となる歌詞が登場すること
(3)曲のクライマックスまたは雰囲気を変える意図を感じさせること
(4)転調が行われていること、段落を変える変化点
(5)前奏、コーダ、最後の部分
(6)その他
使用楽譜
大石みつ、下村幸、鳥居美智子共編『幼児保育のための 楽しい歌とあそび』(音楽之友社,
1989年)
足羽章編『日本童謡唱歌全集』
(ドレミ楽譜出版社,1995年)
小林美実編『続 こどものうた200』
(チャイルド本社,1999年)
95
石田 清子
以下では、筆者の分析結果を紹介する。
Ⅲ.伴奏にユニゾンまたは非ユニゾンを用いている楽曲のまとめ
筆者の分析によると全97曲のべ118ヶ所がユニゾンまたは非ユニゾンの伴奏が使われている
ことが判り、それをⅡの2(1)
―(6)に分類すると以下のとおりになった。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
ユニゾン
19
15
7
10
10
5
非ユニゾン
7
9
2
10
9
15
それぞれの具体的な内容、譜例については、Ⅳ.おわりに のあとに添付した。
(1)歌詞に擬声語・擬態語を用いている場合
伴奏にユニゾンを使っている楽曲の中で一番多いケースがこの擬声語・擬態語を歌詞に含ん
でいる場合である(19曲)。これは、メロディーというよりも特に言葉の面白さを強調するた
めに、ユニゾンを意識的に使っていることがわかる。
これらのケースのうち「ことりのうた」
(譜例 1 )「朝いちばん早いのは」(譜例 4 )の場合、
旋律から考えても和音を無理に拾うよりもユニゾンで展開する方が自然な感じを与える。幼児
音楽教材の場合、幼児の感性に強く訴えるために言葉は重要で、その言葉を更に強く印象づけ
るため2度の進行や同音を敢えて使う場合がある。こうしたことから感性に訴えるタイプの擬
声語を使うフレーズでは、和音進行よりもユニゾンの進行が効果的な旋律を使うケースが見ら
れると思う。
これらに対して同じ擬声語でも非ユニゾンの伴奏を用いているものも7曲例が見つかった。
これらはかなり技巧的で「おへそ」
(譜例 68 )「お猿のかごや」
(譜例 70 )
「おもちゃのラッパ」
(譜
例 71 )では曲の他の箇所でユニゾンを使っており対照的な印象を与えるのに役立っているが、
これらはユニゾンで進行しても違和感を与えるものではない。
(2)曲の主題を表す歌詞または主体となる歌詞を含む場合
ユニゾンを使っている伴奏例で次に多いケースが曲の主題を表す歌詞または主体となる歌詞
を含む場合である(15曲)。
これについては、(1)の擬声語同様に曲の中で歌詞も旋律も共にひときわ強く印象づける
ために敢えてユニゾンを使っていることがわかる。例えば「電話」
(譜例
27
)のケースのよう
に「もしもしもし」と歌う旋律がそのまま伴奏をつけることにより電話に出ている感じが鮮明
に伝わってくる。
また、非ユニゾンを伴奏に使っているケースもかなりある(9曲)。
96
幼児音楽教材における旋律と和声の関係
これも(1)擬声語と同様技巧的な印象を与える。「春が来る」
(譜例 75 )
「みんな仲良し」
(譜
例
77
)
「ドレミの歌」
(譜例
80
)についてはいずれも共通して旋律自体も音階的に展開するため
曲の自然な流れをつくり非ユニゾンを意識的に持ってきていることがわかる。
(3)曲のクライマックスまたは雰囲気を変える意図を感じさせる部分
このケースは、比較的件数は少なく(ユニゾン7、非ユニゾン2)ユニゾン使用の場合、
「手をたたきましょう」
(譜例 35 )
「しゃぼん玉」
(譜例 38 )では、伴奏(または左手)を休止して
旋律を際立たせるケースで、「幸せなら手をたたこう」
( 譜例
例
40
37
)
「 アブラハムの七人の子」
(譜
)では手、足等の動作を表現する詞の部分で伴奏の休止または片手によって旋律を引き
立たせているケースである。。
一方、非ユニゾンのケースは丁度転換部にあたるところで、意識的に使われていることがわ
かる。
(4)転調、段落を変える変化点
このケースは、ユニゾン10曲、非ユニゾンが10曲見られたが、そのうち「お月さんと坊や」
(譜例 43 )
「ぼくのミックスジュース」
(譜例 51 )の2曲が転調に合わせてユニゾンを使用してい
る。その他は全て段落の切れ目に用いていることがわかる。これらは、いずれもユニゾン・非
ユニゾンを使わなくても不自然な感じは与えないが、譜例のように伴奏をつけることにより段
落を明確にする効果を与えている。
(5)前奏、コーダ、最後の部分
このケースは、ユニゾン10曲、非ユニゾン9曲見られた。特にコーダ、最後の部分は、詞、
旋律ともそれまでの曲の流れを打ち切り終結を宣言するような場合、好んで用いられているの
がわかる。特に「とんでったバナナ」
(譜例 52 )「かごめかごめ」
(譜例 56 )などはユニゾンが終
結を表すのに効果的であることがわかる。
また、非ユニゾンはやはり技巧的に印象を与える。「汽車ポッポ」
(譜例 98 )「リンゴのひとり
ごと」(譜例 102 )など確かに終曲を印象づけるのに効果的ではあるが、非ユニゾンでなくても
不自然には思えない。
(6)その他
その他にも伴奏譜の分析を進めていくとユニゾンでは5曲、非ユニゾンでは15曲ほどかなり
細かい部分で用いている曲が見つかった。これらはいずれも工夫をこらして曲想の変化を伴奏
により表そうとしていることがわかる。
97
石田 清子
(7)まとめ
以上の分析から、次のようにまとめることができる。
i)曲の主題となる歌詞、または特に印象づけたい擬声語が歌詞に登場する場合、同時に旋
律も主題を強調するフレーズが用いられており、伴奏にユニゾンを用いると一層強調効果
を与える。
i
i)曲のクライマックス、コーダ、転調、段落の変化点で(休止を含めた)ユニゾンにより
曲想にメリハリを与えることができる。
i
i
i)旋律が音階のように連結している場合や話し言葉等により調性を無視したものになって
いる場合、ユニゾンが効果的な場合がある。
i
v)非ユニゾンについては、曲の流れに変化を与える点では優れているが、ユニゾン等に置
きかえても不自然な感じを与えるほどではない。
Ⅳ.おわりに
筆者はこれまで『即興伴奏の方法』等で、幼児教育の現場で保育者が直面する曲の音取り、
簡易伴奏の実践において和声の基本技術がいかに役立つかを実証してきた。
しかし、童謡など幼児教育の現場で使われる音楽教材には、幼児の好奇心を刺激する独創的
な「詞」や、「詞」を印象づける「旋律」が主体であり、伴奏がそれらを生かすものであるべき
であり、そのために和声の認識が不要と理解する判断力も同時に必要である。
今回の研究は、ユニゾンによる伴奏(休止を含めて)という技法をこれまでの和声の基本理
解に加えることにより、実践において幅広くかつ的確な対応ができることを示唆できたと思う
が、旋律と和声との関係の体系化という意味では一部分にすぎないため、今後も引き続き研究
を進め、実践等としての和声の利用法を体系的に整理していきたい。
98
幼児音楽教材における旋律と和声の関係
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石田 清子
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幼児音楽教材における旋律と和声の関係
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高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
幼児教育学科
愛知江南短期大学
紀要,32(2003)
109―123
乳幼児の気質研究の動向と展望
水 野 里 恵
The Recent Advances and the Future Directions of Temperament Research
Rie Mizuno
「親は第二子が生まれるまでは環境論者だが、それ以降は生得論者になる」などと言われる
ことがある。実際に、第一子の時にはスムーズにできていた授乳や沐浴が第二子を相手にする
と勝手が違ってとまどった経験を持つ親もいるだろう。また、第一子はちょっとした物音や環
境の変化に敏感で場所が変わったり相手が代わったりするとなかなか寝てくれなかったのに、
第二子はそうした問題を全く意識せずに済んだ経験を持っている親もいるだろう。あるいは、
自分の幼い頃のエピソードを親に尋ね、親が驚くほど鮮明に「きょうだい」と対比させて「そ
の子らしさ」を語ってくれるのに感心した経験を持つ者もいるだろう。このような乳幼児の一
人一人の個性ともいうべき特徴は、発達心理学では「気質」という概念で研究が進められている。
本論文では、発達心理学領域で研究対象になる主要な気質概念について概説した後、それら
の気質概念を扱った研究の動向を紹介し、今後の研究の展望を試みたい。
発達心理学領域における主要な気質概念
発達心理学領域で研究される主要な気質概念には、気質的扱いにくさ(Thomas & Chess)、
行動的抑制傾向(Kagan)、パーソナリティ特性としてのEAS(Buss & Plomin)、反応と自己制
御における個人差(Rothbart & Derryberry)、情動表出における個人差(Goldsmith & Campos)
の5つがある。これら5つの気質概念は、その概念提起の経緯から見た場合、大きく2つに分
けることができる。1つは、子どもの個人差の現象を縦断的に研究していく過程で、最終的に
気質的個人差であるとするのが妥当であるとの結論に達したという経緯を持つものである。そ
れらに該当する気質概念には、気質的扱いにくさ(Thomas & Chess)
・行動的抑制傾向(Kagan)
がある。Thomas & Chessは、 Rutterからの指摘を受けて、自分たちが見いだした子どもの行動
特徴における個人差に「気質」という用語を当てた(Rothbart & Bates, 1998)し、Kaganは、
自分の見いだした子どもの個人差に興味を持ち、新たな縦断研究を進める過程でその個人差が
気質的なものであるとの結論に達した。もう1つは、Thomas & Chessの研究により乳幼児の気
質という概念が発達心理学領域で定着した後に提出されたものであり、それらは、情動に基礎
110
乳幼児の気質研究の動向と展望
を置いた個人差を気質概念として捉えようとした研究者の洞察から出発したという点で共通し
ている。それらには、パーソナリティ特性としてのEAS(Buss & Plomin)・反応と自己制御に
おける個人差(Rothbart & Derryberry)・情動表出における個人差(Goldsmith & Campos)があ
る。以下に、それぞれの気質概念について概説する。
気質的扱いにくさ:Thomas & Chess
1956年に開始されたニューヨーク縦断研究(New York Longitudinal Study: NYLS)への参加
85家族の子ども141人のデータを分析している過程で、ある行動特徴を持った1群の子どもに
特に注意が払われるようになった。当時乳児であったそれらの子ども達は、特に問題行動を呈
しているというわけではないが、母親・インタビュアー・研究チームのメンバーによって「難
しい子ども」(difficult children)とか「母親泣かせ」(mother killers)と呼ばれることが多く、
彼らは気質のいくつかの側面においてその他の多くの乳児達ときわだって異なっていた
(Thomas, Chess, & Birch, 1968)。この1群の子ども達は、日常リズムが不規則であり、新しい
刺激に対して引っ込み思案で、環境の変化への順応性に欠け、機嫌がすぐに悪くなる傾向にあ
り、癇の強い反応をする傾向にあった。そして、後になって実際に問題行動を呈した子ども達
の中に、これら1群の乳児達がかなりの割合で含まれていたことが大きな関心を引いた。さて、
これらの子どもの親は、子どもへの接し方や養育行動において、そうした行動特徴を持たない
子どもの親となんら変わっている点はなかった。また、子どもの誕生後しばらくの間の世話の
仕方も、その子どものきょうだいに対するものと比較して何ら異なった点は見いだされなかっ
た。ところが、子どもが大きくなるにしたがって、これらの子どもの親の態度が子どもの健全
な発達にはそぐわないものになるということが往々にして見られた。そして、こうした親の態
度の変化は、子どもに接したり世話をしたりする時に起きてくる問題に対処したもののように
見えたのである。さて、当時の親達に広く信じられていたのは、愛情深く受容的な親はしあわ
せな満足した子どもを持つという精神力動的理論であった。そこで、多くの親達が、子どもの
問題行動は親の養育態度から説明できると信じるようになっていた。そして、母親の拒否的態
度が扱いにくい子どもを作り出しているのだと無意識のうちに考えていた。ゆえに、扱いにく
い子どもを持った親は、女性としてまた親として自分は果たしてこれでいいのだろうかと疑問
さえ持つようになり、罪の意識や無力感を感じるようになっていた(Thomas, et al., 1968)
。例
えば、大きな声でよく泣く乳児を持ったある母親は、そうした罪障感を償うかのように、子ど
ものそばで自分の時間の大半を過ごしたり子どもの欲求にすぐに答えたりしていた。だが、こ
うした対処の仕方に問題があることはしばらくすると明らかになった。母親が子どもからの要
求に応じていられるうちはよいが、彼女が応じきれなくなるとたちまち子どもの問題行動が表
面化したのである。そして、それまでの彼女の対処の仕方が子どもの健全な発達をもたらすも
のでないことが露呈した。もちろん、扱いにくい子どもを持ったすべての親が、不適切な養育
態度をするようになるわけではないが、 difficult children(扱いにくい子ども)は、養育者に精
神的負担を負わせたり、養育行動に工夫を強いていることが認識されるようになった。そして、
111
水野 里恵
「気質的扱いにくさ」という概念は、パーソナリティの発達を考える時や社会化のエージェン
トである大人に影響を与えるという視点から、子どもの側の重要な個人差として注目され研究
対象となっている。
行動的抑制傾向:Kagan
2∼3歳ぐらいになると子どもの以下のような個人差が顕著になることに多くの人が気づく
ようになる。ある子どもは初めて出会った人にでも人なつこく接したり初めて行った場所でも
すぐに馴染んでしまうのに対して、ある子どもはそのような状況で恥ずかしがったり臆病にな
ったりする。恐れを示す子どもさえいる。こうした子どもの気質的行動特徴は、89人の白人の
子ども達を出生時から成人期初期まで縦断的に調査したFels Research Instituteのデータの分析
において、3歳から児童期・青年期を通して一貫して見いだされた唯一の行動特徴であった。
例えば、3歳の時に極端に引っ込み思案な子どもは、青年期に社交性に欠け依存的で従順であ
ったが、こうした3歳の時点からの個人差の一貫性は男性に顕著であった。女性の場合は、児
童期からの一貫性は見られたが、3歳の時点からの一貫性は男性の場合ほど顕著ではなかった。
当時passivityという用語で呼ばれたこの個人差は、それが完全に発達初期の学習によるものか
それとも部分的には体質的な要因の間接的な産物であるかは疑問とされたが、その個人差がそ
の後の子どもの発達に顕著な影響を与えていることだけは確かであった(Kagan & Moss, 1962)
。
その後、ボストン近郊に住む63人の白人と53人の中国系アメリカ人の乳児とその家族を対象
に子どもが3ケ月齢から29ケ月齢に達するまで追跡調査した縦断研究において、こうした子ど
もの個人差について以下の点が明らかになった。見慣れぬ状況でどの程度臆病になったり引っ
込み思案の傾向を示すかといった個人差と心拍変動の個人差とは対応しており、それらの2つ
の個人差は乳児期を通して安定していた。また、中国系アメリカ人の乳児は白人の乳児に比較
して引っ込み思案で臆病であり、心拍変動が安定していた。これらの結果から、新奇な状況で
引っ込み思案になるか積極的に振舞うかにおける個人差は気質的個人差ではないかと考えら
れ、この点を解明するための研究が計画された(Kagan, Kearsley, & Zelazo, 1978)。
それは、見慣れぬ状況において極端に臆病になる(こうした行動特徴は「行動的抑制傾向
(behavioral inhibition)」という用語で呼ばれるようになる)子どもと、見慣れぬ状況において
なんら不安を示さない子ども(「行動的非抑制傾向」な子ども)を選んで行われた2つのコホ
ート研究である。これら2つのコホート研究の結果、初めて会った人物や見慣れぬ状況に対し
て物怖じする特性である「行動的抑制傾向」の気質概念が提案された。それは生理学的指標と
の対応を持つものであり、文化的要請の圧力や社会化の過程で変容されはするものの、発達初
期から安定してみられる気質的個人差であるとされた。また、極端に抑制的傾向の子どもと極
端に非抑制的な子どもとは普通の子どもの延長上にあるというよりも、違ったクラスターに属
する子どもであると考えられた(Gersten, 1989; Kagan, 1989; Kagan, Reznick, Clarke, Snidman, &
Garcia-Coll, 1984; Kagan, Reznick, & Snidman, 1987; Kagan, Reznick, & Gibbons, 1989; Snidman,
1989)。
112
乳幼児の気質研究の動向と展望
パーソナリティ特性としてのEAS:Buss & Plomin
Buss & Plomin(1984)は、気質を発達初期に現れる生得的なパーソナリティ特性だと考える。
彼らによれば、気質は、以下の基準を満たしたものである。第一に、遺伝的なものである。
これについては、双子研究や他の行動遺伝学的研究によって明らかになってきている。第二に、
乳児期に顕現する。すなわち、気質は、発達初期の特性的個人差であり、後のパーソナリティ
特性の基盤となるものである。
このBuss & Plomin(1984)の気質概念は、気質をパーソナリティ特性という広い意味合い
から考えるので、通常生起する行動から構成される広い特性が研究対象となる。ただし、彼ら
の定義によれば、パーソナリティ特性は知能を含まないとされている。
気質の連続性といった問題は以下のように考えられている。たとえ、発達初期から見られる
生得的なパーソナリティ特性であっても、遺伝子のスイッチは発達の過程でオンになったりオ
フになったりするので、必ずしも連続性が見られるとは限らない。そこで、後の発達を予測す
るものとしての気質特性を研究対象とし、後のパーソナリティ特性とある程度の連続性を示す
ものを気質次元として概念化する。ゆえに、彼らは、気質次元として、Emotionality(情動性)、
Activity(活動性)、Sociability(社会性)の3つを考えた。情動性は、負の情動をどの程度表
わすかにおける個人差であり、いらだち・恐れ・怒りがどのくらい表出されるかにおける特性
である。活動性は、動作の早さや活発さ・エネルギッシュな活動を好む傾向における個人差で
ある。社会性は、他者との親和性の高さであり、どの程度他者に関わりを持とうとし活動を共
にするかにおける個人差である。さて、Buss & Plomin(1984)は、情動性として負の情動表
出(苦痛、恐れ、怒り)を一次元のものとして扱っている。これは、彼らが、出生時において
乳児は快・不快の感情を経験するのみで、個々の感情はこの基本的な2つの状態から分化して
くると考えるBridges(1932)の理論に依拠して、情動発達を考えているからである(Buss &
Plomin, 1986)。ところで、Buss & Plomin(1984)は、EAS気質概念に基づき生涯発達的な観点
で研究を進めており、成人用の気質質問紙も開発している。そこでは、気質次元は、Distress
(苦痛)、Fearfulness(恐れ)、Anger(怒り)、Activity(活動性)、Sociability(社会性)とされ
ている。すなわち、成人期には情動が分化しているとの考えから、3つの負の情動が個別の気
質次元として扱われている。
反応性と自己制御における個人差:Rothbart & Derryberry
Rothbart & Derryberry(1981)は、気質について以下のように考えている。
気質は、反応性(reactivity)と自己制御(self-regulation)における体質的な個人差である。こ
こで、「体質的」というのは、遺伝・成熟・経験によって組み立てられた生物学的な機構とい
う意味で用いられている。「反応性」は、環境における変化に対して個人が身体、内分泌系、
自律神経系の反応を通して示す反応の特徴を指していう。「自己制御」は、「反応性」を調整す
るために機能するプロセスを意味する。すなわち、注意をそこに向けたり逸らしたりすること、
また、そうした反応をより増強したり減少させたりする行動様式のことである。気質は、パー
113
水野 里恵
ソナリティとはいくらか区別されうるものである。パーソナリティも反応性の個人差を意味す
るが、気質は反応性の力動的・精力的な面に強調を置く。反応閾値、潜時、反応の巾、反応強
度が最高点に達するまでの時間、そこからの回復時間といったもので表される反応性の個人差
が気質である。一方、パーソナリティは、気質を制御する役目を担うことになる自己概念や信
念体系のような情報的概念的構造を含むものであり、気質を拡張したものである。このように
気質とパーソナリティを区別することによって、パーソナリティの情報的概念的な面と気質の
力動的な面とが相互に影響し合うという観点を考えることができるのである。気質は、情緒や
動機づけの基礎をなす生物学的な機構に関係するものであり、心理生物学的概念である。気質
概念を用いることで、神経系と行動とがいかに関連しているかの洞察がもたらされ、時間の経
過や発達の過程で行動生理学的プロセスがどのように組織化されるかを調べる可能性が開かれ
る。このパーソナリティの体質的な側面は成熟や経験によって変化することもあるが、ある程
度の連続性は見られるであろう。例えば、ある刺激に対してどの程度敏感に反応するかはかな
り安定したものであろうし、刺激に対処するためにとる方略はいつもある特定の方略であると
いった形で気質の安定性は示唆されると考えられる。
反応性と自己制御における個人差は、以下のように気質的個人差として表現されると
Rothbart & Derryberry(1981)は考えている。
反応性における個人差は、気質反応特徴と気質反応系とについて考える必要がある。
気質反応特徴における個人差は、どのくらいの刺激を与えられた時に反応するか(反応閾
値)・反応をどのくらいの強さで表すか(反応強度)・刺激を受けてから反応を起こすまでどの
くらい時間がかかるか(反応潜時)・反応が起きてから最大の反応強度に達するまでどのくら
い時間がかかるか(上昇時間)・最大強度から反応が収まるまでどのくらい時間がかかるか
(回復時間)において表すことができる。反応性において個人差があるのと同じように、反応
のレベルや反応様式を制御する機能においても個人差が見られる。このような反応レベルを増
強したり減少させたりあるいは反応様式を維持したり再構成したりする機能を、Rothbart &
Derryberry(1981)は、自己制御機能における気質的個人差としている。具体的には、刺激に
接近する行動、刺激を回避する行動、刺激に注意を向ける行動、自己刺激行動、自己鎮静行動
を通して、自己制御における気質的個人差が議論されることになる。このように、乳児は、発
達初期から自己や環境を積極的に統制するための方略を発達させており、こうした自己制御過
程が、反応性の強度を増したり弱めたり潜時を長くしたり回復時間を早めたりすることによっ
て、反応性の構造を形成するのに寄与している。一方、自己制御過程は、反応性によって影響
を受けるので、どのような反応が生起したかによってどのような自己制御過程が働くかが決ま
ってくるという面を持っている。
Rothbart(1981)は、Rothbart & Derryberry(1981)の気質概念を実証研究にのせるために気
質質問紙( Infant Behavior Questionnaire(IBQ)
)を開発した。その経緯によると、当初用いら
れた項目はShirley(1933)やThomas et al.(1968)などの先行研究を参考にしたものであり、気
114
乳幼児の気質研究の動向と展望
質次元は11次元を想定していた。乳児を持つ両親へのインタビューと質問紙調査を通して、概
念的妥当性の検討・項目分析を経て、以下の6次元が独立した気質次元とされた。それらは、
Activity level(活動性の水準)、Smiling and laughter(微笑と笑い)、Fear(恐れ)、Distress to
limitation(制限を与えられた場合の負の情動表出)、Soothability(鎮静の容易さ)、Duration of
orienting(注意の持続性)の6次元である。
情動表出における個人差:Goldsmith & Campos
Goldsmith & Campos (1982)は、乳児期に限った気質概念を定義している。その理由として、
乳児期は、その後の発達段階と較べると、社会化の影響をあまり受けておらず、気質的特徴が
覆い隠されることが相対的に少ないこと、乳児の行動や情動表出は、それほど強く認知的なプ
ロセスに媒介されておらず、解釈が比較的容易なことに言及している。そして、彼らは、気質
を生物学的概念や中枢神経系の賦活・抑制といった概念と対応させて定義するということをし
ないで、行動様式を中心にした気質の定義を採用している。その理由として、彼らは、乳児が
気質的特徴として表出する行動様式は、乳児と関わり合いを持つ他者(養育者であったり、き
ょうだいであったり、時には、実験者であったりする)にとって、意味があり、認知されうる
レベルで分析される必要があるからだとしている。また、行動上に顕れるものが、生理学上の
指標よりも容易に見極められるものであることもその理由の一つとなっている。彼らによる乳
児期の気質の定義は以下のとおりである。
1.気質は個人差の概念である。
2.気質は体質上の概念である。
ゆえに、安定性の程度と安定性の性質は気質次元によって様々であるとしても、気質次元は
安定したものである。
3.気質次元は情緒と関連を持つ。すなわち、気質は情動的なものである。
情緒に関連した現象というのは、分化した個々の情動(すなわち、喜び・怒り・恐れなど)
と一般的な覚醒状態との双方を含む。ところで、情動は、中枢神経系に関連を持つ感情状態で
あり、個人を動機づけたり、それが表出される限りにおいて他者に社会的に意味のある情報を
提供したりする。飢餓とか喉の渇きなどの動因は一般的には伝達可能な社会的シグナルとはな
らないが、情動はそれが伝達可能なシグナルとなるという点で、動因とは異なったものである。
また、情動は、社会的学習を必要とせず文化と関連の無い普遍的な表出形態をとるという点で、
ジェスチャーや言語などの社会的シグナルとも区別される。
4.気質の個人差は、それぞれの気質次元が表出される時の強度のパラメーターと時間的パ
ラメーターで表される。
閾値と表出における強度が、強度のパラメーターであり、表出までの潜時・最強の表出がな
されるまでの時間・回復するまでの時間が、時間的パラメーターである。よって、「怒りの閾
値」・
「苦痛からの回復力」という形で、気質における個人差を表すことができる。
彼らが考える気質次元は情動の各次元である。これは、彼らが情動発達について、Izard &
115
水野 里恵
Malatesta(1987)のDifferential emotions theory(分化した情動の発達理論)と同様に考えるか
らである。ここで、Differential emotions theoryとは、人間には出生時に既に分化した情動が存
在しており、それらの分化した情動が実際に他者から観察できるようになるには成長を待たな
ければならないことを留保したうえで、さらなる分化は必要ないとする情動発達理論である。
すなわち、基本的情動は生得的なものであり分化して発達するものではないが、情動の表出自
体は、神経系の成熟的変化と社会化の双方の結果として、機能・形態において発達的変化をす
ると考える情動発達理論である。この理論は、個々の情動が既に分化した形態を持って出生時
に存在すると考える点で、未分化の状態から個々の分化した情動が発達すると考えるBridges
(1932)とは異なっている。ゆえに、Differential emotions theoryの立場に立った場合、気質的個
人差はそれぞれの情動の各次元(怒り、恐れ、苦痛、喜び、など)の表出における時間と強度
のパラメーターで表されるのである。
以上、発達心理学領域における主要な気質概念5つについて簡単に概説した。いずれの気質
概念も(1)体質的なものである、(2)乳児期に表れ、ある程度の発達的連続性を持つ、(3)
客観的に判断できる個人差である、(4)環境の影響を受けて変化しうる、と考える点では共通
しているといえるであろう。
乳幼児の気質研究の動向
乳幼児の気質概念を発達研究に取り入れるということはどのような意味を持つことなのだろ
うか。どのような意味において、初期経験の重要性を指摘してきたそれまでの発達研究と異な
るのであろうか。乳幼児の気質に注目する研究は、乳幼児がそれぞれ自分なりの独特なやり方
で周りの環境に働きかける存在であるがゆえに、初期経験が重要であることを強調する。これ
は、どの乳幼児も同じように環境に適応するに足る感受性を備えた存在であるので、初期経験
が重要であると考える立場とは明らかに一線を画するものである。それは、発達の方向性を自
ら選択する子どもという姿を描いている点でも異なっているし、発達主体と関わり変容する大
人という姿を描いている点でも異なっている。
発達心理学領域における主要な5つの気質概念を取り入れた研究は、乳児の愛着測定法、母親
の精神的健康と養育態度などの発達研究の枠組において、伝統的な発達研究に対して問題提起
を行い、多くの知見を集積してきた。そして、近年では、子どもの社会化理論に対しても新た
な問題提起を行っている。
子どもの社会化の発達過程
近年、乳幼児の気質を子どもの社会化の発達過程に取り入れようとする試みがなされるよう
になっている。そこでは、社会化のエージェントとしての親のしつけ方略と子どもの気質的個
人差との2つの要因を道徳的行為の発達過程に関与する要因と考えるモデルが提案されてい
116
乳幼児の気質研究の動向と展望
る。このモデルでは、気質的個人差は、親が行う子どもの社会化の効果を媒介するものとして
考えられている。
親のしつけ方略と交互作用を持つ子どもの行動的抑制傾向
Kochanskaは、子どもの気質的個人差としての行動的抑制傾向に注目し、恐れやすい子ども
とそうでない子どもを比較して、母親のしつけ方略が初期の良心の発達に違った影響を及ぼす
との仮説を以下のように提起している(Kochanska, 1991;Kochanska, 1993;Kochanska, 1995)
。
恐れやすかったり不安を感じやすい子どもが不適切な行為をしている時に、親が力に訴えない
寛容なしつけ方略を取ることは、子どもに自分の行為が適切なものではないことに気づかせる
ために最適な程度の「居心地の悪さ」を感じさせることになる。そこで、こうした子どもの場
合、親の力に訴えないしつけ方略は良心の発達を促すことになる。だが、恐れを感じにくい子
どもにとっては、そのような寛容なしつけ方略は子どもに良心の痛みを感じさせるまでには至
らない。ゆえに、親の力に訴えないしつけ方略は同じような効果をもたらさない。もっとも、
こうした子どもにとっては、単にしつけ方略を力に訴えるものにするだけでは効果は得られな
い。力に訴えるしつけ方略は、おそらくどのような場合でも、子どもに行動規準の内面化を促
すのにはマイナスの影響しか及ぼさないと考えられる。それらは子どもに怒りや恨みの感情を
部分的にせよ引き起こし、親のメッセージを意味的な記憶として貯蔵するのではなく、個人的
記憶として貯蔵してしまうと考えられるからである。すなわち、「何について叱られたのか」
を記憶するのではなく、「誰が自分を叱ったのか」を記憶してしまう。寛容なしつけ方略が不
適切な行為をした時に自ずと感じる「居心地の悪さ」を呼び起こすのに対して、権威に訴えた
り罰を与えたりするしつけ方略は子どもの注意をそうした「居心地の悪さ」からそらしてしま
う。つまり、子どもは、自分の行為が内的規準に反しているから悪いと考えるのではなく、そ
の行為が叱責や罰の対象になるからよくないと考えるようになってしまう。それでは、恐れに
くい子どもにとってはどのように行動規準の内面化はされるのであろうか。寛容なしつけ方略
は彼らに良心の痛みを感じさせるに十分なレベルではないので、親の寛容なしつけ方略と恐れ
にくい子どもの良心の発達との間には関連は見られないであろう。おそらく、彼らの場合には
親子間の関係性の質が親の行動規準を内面化させるのに促進的に作用するのであろう。
以上のような仮説を立て、 Kochanskaは、子どもの行動的抑制傾向・親のしつけ方略・親子
の関係性の質の3つの要因を組み込んだ実証的研究を実施した。その結果、気質と親子の愛着
の質・親のしつけ方略の間に交互作用が見られた。すなわち、気質的に恐れやすい子どもは母
親の力に訴えない寛容なしつけ方略が良心の発達を促進していたのに対し、気質的に恐れにく
い子どもの場合は母親のしつけ方略と子どもの良心の発達の間に関連は見られず母子間の愛着
の質が良好であると良心の発達が進んでいた。これらの結果から、Kochanskaは、子どもの行
動規準の内面化のメカニズムが、恐れやすい気質である子どもの場合と恐れにくい気質の子ど
もである場合では異なると主張している。ただし、仮説が支持されたのは第2回調査での良心
の発達指標をとった場合で、第3回調査の良心の発達指標を従属変数にした場合は有意な結果
117
水野 里恵
はごく一部に見られたのみであった。この理由の一つとして考えられるのは、子どもが他の子
どもと遊ぶ機会が増えたり幼稚園に行くようになって様々な社会化の影響にさらされるように
なることがあげられる。こうなると、子どもの良心の発達は、もはや家庭環境や母子間の愛着
の質と子どもの気質との交互作用のみでは説明しきれず、多くの要因が良心の発達に影響を及
ぼし子どもの気質と様々に相互作用する可能性が出てくるのである(Kochanska, 1997)。
さて、Kochanska(1997)の結果においては、良心の発達の速度に子どもの年齢と気質の交
互作用が見られた。すなわち、恐れやすい子どもの良心の発達の速度は恐れにくい子どものそ
れに比較して有意に早かった。また、第1回調査では恐れやすい子どもの方が恐れにくい子ど
もよりも良心の発達が進んでいた(Kochanska, 1995)。Kochanskaは、これらの結果から、よち
よち歩きの頃と同じように就学前期の終わり頃になると恐れやすい子どもの方が良心の発達が
進む傾向にあるのではないかと考察している。確かにこうした見解に一致する理論もある。そ
れによると、気質的に不安を感じやすい子どもは自分の経験から「情緒的地図(affective maps)
」
を発達させる。その「情緒的地図」の中では脅威を与えるような出来事に関連した情報が顕著
で明確になっている。そして、そのような表象は自分や他者が過去に為した悪事とその結果生
じた気まずい思い・引き続いて起こった良くない出来事に強く結びついている。それゆえに、
それは罪や抑制といった良心に関連したメカニズムの急速な発達を促すのである(Derryberry
& Reed, 1994)。
これらの一連の研究結果は、乳幼児期の子どもの社会化過程の重要な要因として、従来から
研究対象となってきた親のしつけ方略以外に、子どもの気質の要因を考える必要性を提起した
点で注目されるものである。そして、分析結果は今後さらに検討していくべき要因や要因間の
関連を提示している。
行動統制の過程で働く要因としての行動的抑制傾向と行動規準の内面化の過程に働く要因とし
ての気質的扱いにくさ
上述したように、Kochanskaは、行動的抑制傾向にある子どもは母親の寛容なしつけ方略に
よって行動規準の内面化を発達させるが、行動的非抑制傾向にある子どもの場合は寛容なしつ
け方略は行動規準の内面化の促進要因とはならず母子間の愛着の質が促進要因になるであろう
との仮説のもとに研究を進めている。
それに対して、水野(2002)は、行動的抑制傾向は、行動規準の内面化の過程よりはむしろ
行動統制の過程で関わってくると考えている。なぜならば、自己制御機能の自己主張的側面を
考えてみた場合、以下のようなことが考えられるからである。恐れにくい子どもは、そうでは
ない子どもと比較して、行動規準に従って自ら行動を起こさなければならない時(自己主張的
自己制御機能が必要となる時)に容易にそのようにふるまうことができると思われる。例えば、
行動的抑制傾向にある子どもにとっては「順番に割り込まれた時には自己主張すべきである」
という内的行動規準を持っていてもその行動規準に従った行動を起こすことは難しいが、行動
的非抑制傾向にある子どもにとってはその行動規準に従った行動をとることは比較的容易であ
118
乳幼児の気質研究の動向と展望
ろう。このことから、行動の統制過程においては子どもの気質によって容易に統制できる行動
とそうではない行動があるのではないかと考えられるのである。
そして、10ケ月齢から研究に参加している母子42組(男児の母子21組、女児の母子21組)に
対して、3回の質問紙調査と実験的観察調査(平均年齢:4歳7ケ月)を実施した結果から、
子どもの行動的非抑制傾向が、「約束違反をされた時にそれを指摘する」という行動規準に適
った自己主張的行動をとりやすくしている可能性があることを示した(水野, 2002)
。すなわち、
初めて会う人物や普段とは違う状況で物怖じすることのない行動的非抑制傾向にある子ども
は、そうでない子どもに対して、自らの意思を主張すべき場面でその規準に適った行動をとる
ことが多かったのである。
次に、Kochanskaは愛着の質は行動的非抑制傾向にある子どもの場合に良心の発達(すなわち
行動規準の内面化の発達)に促進的に働くと考えたが、水野(2002)は、親の行動規準の内面化の
過程では、子どもの行動的抑制傾向に関わらず母子間の愛着の質は促進的に働くと考えている。
そして、この行動基準の内面化過程に子どもの「気質的扱いにくさ」という要因をとり入れて
メカニズムを考える必要性を主張している。そのあたりの事情については以下のように説明さ
れる。子どもが気質的に扱いにくいと親の精神的健康や養育態度にマイナスの影響が出やすく、
親のしつけが有効に働かなくなる可能性が高くなる。反対に、子どもが気質的に扱いやすいと
社会規範の伝達を担う養育者との関係性の質が良好になり、そのメッセージが子どもに受け入
れられる可能性が大きくなる(Grusec & Goodnow, 1994)。つまり、子どもの気質的扱いにくさ
は親子の関係性の質に影響を与え、行動規準の内面化の過程に影響を与えると考えられる。
そして、10ケ月齢の子ども150人の5年間の縦断研究の結果、自己制御機能の主張面・抑制面
ともに発達していた子どもは、気質的に扱いやすい子どもであり、母親から説明によるしつけ
方略を多く受けていたことを明らかにした(水野, 2002)。このことから以下のことが推測され
る。子どもが気質的に扱いやすいと母親はあまりストレスを感じることなく養育行動に携わる
ことができる。そして、親が説明によるしつけ方略を使用する余地が広がる可能性がある。こ
うした親の説明によるしつけ方略は、子どもに社会的規範を伝達し、子どもの行動規準の内面
化に寄与しているのではないか。このように、子どもの気質的扱いにくさは行動規準の内面化
過程で間接的にせよ関与する一つの要因となりうる。
乳幼児の気質研究の展望
子どもの社会化の発達過程に働く要因として乳幼児の気質を取り入れた研究は、メカニズム
の解明にその研究の矛先を向けていくことが期待されている。また、乳幼児の気質研究はパー
ソナリティ研究との統合を目指して、パーソナリティの生涯発達研究へとその研究を展開させ
ていくであろう。そこで、本項においては、そうした研究を行う際の留意点について論じてお
きたい。
119
水野 里恵
子どもの社会化の発達過程
乳幼児の行動的抑制傾向や気質的扱いにくさといった気質要因を子どもの社会化の発達過程
に取り入れた研究は、それら2つの気質要因が親のしつけ方略に何らかの影響を及ぼしている
ことを明らかにしようとしてきている。また、情動に基礎を置くRothbart & Derryberry(1981)
の気質概念の視点を取り入れると、発達初期から見られる情動の制御における気質的個人差が、
子どもが幼児期になってから獲得する自己の行動規準に沿って自らの行動を統制する自己制御
機能の個人差と関連を持つと考えるのが妥当である。
これら乳幼児の気質要因を取り入れた子どもの社会化過程についての研究を進める場合、行
動規準の内面化過程における親のしつけ方略の有効性を考えるには子どもの年齢といった発達
的観点を抜きにはできないとの研究から学ぶ点は多い。
例えば、Brody & Shaffer(1982)は以下のような知見を見出している。道徳性の発達という
観点から見た場合、力に訴えるしつけ方略は子どもの年齢に関わらず負の効果を与える。それ
に対して、説明によるしつけ方略は7歳以降においてのみ道徳性の発達を促進するのに寄与す
る。自己中心性から脱却できていない年齢層の子どもにとっては、他者の観点に立つ結果誘導
的な説明は理解するのが困難だと考えられるがゆえに、有効に機能しないと考えられる。そし
て、そうした知見を支持する研究結果、すなわち、子どもが逸脱行動をすると何らかの物理的
損害が生じるのだとする説明は、他者の財産に対する尊敬を促すという抽象的説明よりも、4
歳の子どもの問題行動を抑制するのにより効果的であったが、7歳の子どもの場合はどちらの
説明でも同じ効果があったとの実証研究の結果を報告している。また、Siegal & Cowen(1984)
によれば、幼い子どもは年齢の高い子どもよりも母親による体罰をより好意的に評価していた
ことが報告されている。このように、親のしつけ方略は、Kochanska(1991, 1993, 1995, 1997)
の一連の研究のように子どもの行動的抑制傾向と交互作用を持つばかりでなく、子どもの年齢
とも交互作用を持っている。
また、乳幼児期に限定して行動規準の内面化の過程を考えた場合、以下のような知見が参考
になる。Emde, Biringen, Clyman, & Oppenheim(1991)は、正常な発達過程を辿るならば3歳
になる頃までに子どもの自己は「道徳的自己」になると考えている。1歳をすぎる頃になると、
行動規準を犯すことに対する子どもの感受性は道徳的制御の重要な先行要因になる。それらは、
規準を表象化する子どもの認知や自己の発達に結びついている(Stipek, Gralinski, & Kopp,
1990)。そして、自己が出現すると、悪いことをするという行為自体が子どもに大きな情緒的
インパクトを引き起こすようになる。子どもは、自己の規準に沿わない行動をした時に恥や罪
など様々な感情を持つようになるのである。さて、子どもは不確かな事態に遭遇した時には親
の情動表出を参考にして自分の行動を決めることが明らかになっている(Campos & Stenberg,
1981)が、このことは、親の持つ行動規準を伝達するのに必ずしも言語的コミュニケーション
を必要としないことを意味する。すなわち、親子間の情動的コミュニケーションによって親の
行動規準を子どもに伝達することが可能であり、情動的コミュニケーションは子どもの行動規
120
乳幼児の気質研究の動向と展望
準の内面化にとって重要な機能を果たしていると考えられるのである。また、子どもは3歳に
なる頃には、その場には居合わせない親を参照するような能力を備える。その段階になると、
子どもは表象化された親の情動を参照することができるようになり、たとえ親がいなくても自
分のとろうとしている行動がどのような情緒的意味を持つかを推測し、親の行動規準に従って
行動を制御するようになるのである(Emde, et al., 1991)。この見解は、少なくとも乳幼児期に
限って行動規準の内面化を考えた場合、結果誘導的なしつけ方略の持つ認知的側面の重要性よ
りも、親子のコミュニケーションの持つ情緒的側面を重視する見解である。
以上の知見を総合的に考えると、子どもの発達段階を考慮したうえで、親のしつけ方略の有
効性を考える必要があることは明らかである。そのうえで、子どもの年齢と気質的行動特徴が
親のしつけ方略とどのようなメカニズムで子どもの社会化に影響を及ぼすかを明らかにしてい
くような研究が望まれる。
パーソナリティ研究との統合
Capsi(1998)によれば、気質研究とパーソナリティ研究との統合の必要性が認識されるよ
うになったが、その研究の方向性として以下の2点があげられている。第一は、気質的特性と
パーソナリティ特性に連続性が見られるのかを検討しようとする研究の必要性である。第二は、
発達初期に見られる気質的特性がいかにしてパーソナリティ特性へと統合されていくのかのメ
カニズムを明らかにしようとする研究の必要性である。そこで、これら気質研究とパーソナリ
ティ研究を統合しようとする研究を進める過程で出てくると考えられる問題について論じた上
で、どのような提案ができるのかを考え、今後の方向性を探りたい。
気質からパーソナリティへの発達過程について研究を行う場合、どの位初期からの研究が有
益な成果を生み出すかという問題がある。これについて、Capsi(1998)は、1歳代がポイン
トになるとし、その理由を以下のように述べている。認知的・情緒的変化がこの時期に起きる。
1歳を過ぎると子どもは物の永続性がわかるようになり延滞模倣ができるようになり象徴的遊
びをすることができるようになる。自己意識との関連で経験されるembarrassment(当惑)や
shame(恥)などの情緒が表れるようになる。こうした能力や情緒は、自分の世界についての
表象を形作ったり、信念や期待を発達させるのに必要なものである。おそらく、乳児が1歳代
に入ってこうした発達的変化を遂げるまでは、行動的特性の個人差に関して連続性や予測性を
期待することはできないであろう。1歳以降にならないと予測性が保証されない理由は以下に
もよる。観察される乳児の行動が一過性のものである可能性である。しかし、乳児が成長する
に従って行動が一過性である可能性は減少していき、行動的特性が安定したものになる。この
どの位初期からの研究が有益な成果を生み出すかという問題に関して、水野(2002)は、10ケ
月齢以降になると、気質的扱いにくさと行動的抑制傾向とが乳幼児期を通してある程度安定し
た個人差として見られることを明らかにした。また、10ケ月齢を過ぎる頃に見られたそれら2
つの気質における個人差が、母子の相互作用過程でも子ども自身の社会化の過程でも関与する
121
水野 里恵
メカニズムについていくつかの示唆を与えた。これらのことより、1歳齢前後から気質からパ
ーソナリティへの発達過程の研究を開始することは有益であると思われる。
さて、近年、人間行動遺伝学は、構造方程式モデリングという統計手法を使用して、遺伝的
要因の影響が特定の気質次元やパーソナリティ次元のどの程度の割合を占めているかを同定す
るようになってきた(安藤, 2000)。それは、構造方程式を双生児や養子などの多変量データに
あてはめ、最もデータに適合した方程式を解くことにより、パーソナリティの個人差を遺伝的
要因・共有環境要因・非共有環境要因の3つの部分に分割するという方法をとる。そして、そ
の結果、外向性や神経質さ(情緒安定性)は非相加的遺伝効果を示す形質(個々の遺伝子では
なく、関与する遺伝子の組み合わせが一致して初めて前世代との類似性を表わす形質)であり、
遺伝の寄与率が大きいことが明らかになってきている。さらに、こうしたパーソナリティへの
遺伝の寄与率を計測するという研究とは別に、遺伝子レベルまで掘り下げた研究も目立ちはじ
めており、今後の発展が予想され期待もされている(山崎, 2001)。
気質研究においても、過去に行われた双生児研究と養子研究を構造方程式モデルを用いてメ
タ分析を行い、気質的個人差における遺伝要因・共有環境要因・非共有環境要因を同定する試
みがなされるようになった。その結果、遺伝的な要因が気質に影響を与えていること、その効
果は2歳になる頃にはっきりすることが明らかになった。そして、共有されている環境の影響
は非常に小さいものであるが、非共有環境(環境のうち、家族のメンバー間で違いの見られる
もの、例えばきょうだいが通う学校のそれぞれのクラス)は気質的特性の十分に大きな分散を
説明することが示された(Capsi, 1998)。
このように、パーソナリティ研究・気質研究双方において、個人差の分散に占める非共有環
境の大きいことが明らかになってきている現状を踏まえて、Capsi(1998)は、非共有環境の
うちで最も重要なものが何かを同定するには、社会化の研究における伝統的サンプリング方略
を再考すること、環境の影響を測定する新しい方法を企画することが必要であることを以下の
ように主張する。第一に、特定のどの環境が子どもの気質やパーソナリティに影響を与えてい
るのかを同定するためそれぞれの家庭から2人以上の子どもを対象にする必要がある。第二に、
非共有環境の影響を測定する新しい方法を開発する必要がある。そして、特定の非共有環境の
影響が同定されたら、次にその方向性の問題と取り組む必要がある。すなわち、非共有環境が
パーソナリティの違いを生み出すのか、あるいはパーソナリティの違いが非共有的経験の違い
をもたらす原因となっているのかの方向性を明らかにできるような研究を行う必要がある。そ
して、それを明らかにするには、きょうだいにおける初期の環境の違いを統制して行う縦断的
研究が有効であると主張する。ところで、非共有環境は遺伝的なものによって媒介される。す
なわち、きょうだいはそれぞれ自分のパーソナリティ特性に関連した方法で経験を解釈したり
形作ったりする。きょうだいにおける違いは、とり扱いにおける客観的な違いというよりも、
むしろ「他者からの反応を引き起こす違い、どういう機会を選択するのか無視するのかにおけ
る違い、そして自分自身の経験を構成する仕方における違い」なのである。ゆえに、遺伝に媒
122
乳幼児の気質研究の動向と展望
介されない非共有環境要因を特定するためには、一卵性双生児を対象にした研究が必要になっ
てくる。
乳幼児の気質研究は、こうした問題意識を念頭に置いて、今後、双生児・養子・きょうだい
などについての縦断データを多面的な測定方法によって収集し、気質の各次元において遺伝要
因の寄与率を計測し、環境要因と遺伝要因とが発達過程においてどのようなメカニズムで関わ
ってくるかを解明する方向に進むと思われる。そして、それをパーソナリティの発達過程へと
統合していく方向性を目指すであろう。より具体的には、気質がパーソナリティ特性へと発達
する際に辿る6つの過程(学習の過程、環境から反応を引き出す過程、経験を構成する過程、
社会的比較や時間的比較をする過程、環境を選択する過程、環境を操作する過程)におけるメ
カニズムの解明へと向かうだろう。そして、そうした検討を通して、発達初期から見られる体
質的個人差がたび重なる強化を経てどのように認知構造の中に洗練化されていくのかのメカニ
ズムを解明していくことが期待されている。
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〒483−8086 愛知県江南市
高屋町大松原172番地
愛知江南短期大学
幼児教育学科
Bulletin of Aichi Konan
College,32(2003)
125―149
シンガポール人学生の英語観:日本人学生との比較
溝 上 由 紀
Singaporean Students' Attitudes Towards English:
A Comparative Study Between Singapore and Japan
Mizokami Yuki
1.Introducution
English can be seen as the dominant language in Singapore now in terms of the extent of its use in
government administration, education, business, number of speakers and degree of prestige accorded
etc.(Lim, 1991). The 2000 census reveals that 71% of the population is literate in English(Census,
2000)
. This diffusion of English can be attributed to the 'language and education policy' Discourse in
post-independence Singapore, which has ideologised English claiming that English is equally available
to all people in Singapore; that English is the link language which unifies the different ethnic-linguistic
groups in Singapore; and that English is utilitarian and neutral. What is apparent in the 'language and
education policy' Discourse is that it aims at creating a new Singaporean identity with English. Thus the
'language and education policy' Discourse emphasises superior aspects of English in order to gain
people's consensus to make the coloniser's language the most important language in Singapore.
Certainly the essential but shady characteristics of English, that is, English as the language of the
coloniser and linguistic imperialism, were passed over in the 'language and education policy' Discourse
in Singapore under the name of 'pragmatism'.
Today English is used as a medium of instruction in all schools in Singapore. English education has
been justified on the grounds that it has pragmatic value for employment and for guaranteeing access to
the science and technology of the West. Thus, university students who have climbed up the educational
ladder can be seen as the very people who supposedly have acquired the best English through education
and who will make the most of English. Therefore, it must be worthwhile to grasp what they think about
the position of the English language, the former coloniser's language, in Singapore.
Accordingly, I conducted a survey among students at the National University of Singapore(NUS)
,
which is regarded as the most prestigious university in the country, with the cooperation of its
126
Singaporean Students' Attitudes Towards English
Department of English Language and Literature 1. The survey was conducted via e-mail in late
September of 2001. A questionnaire was distributed as a file attachment to about 800 students including
freshman, second and third year students, and they were asked to fill out the questionnaire and to send it
back to me via e-mail at their convenience. In the questionnaire some of the questions and the research
methodology are based on the survey conducted by Shaw(1981)of 170 Singaporean students' attitudes
towards English and it deals with the following topics:
1. The language background of the students and the patterns of their present use of English.
2. Reasons why they study English.
3. Their opinions regarding the present and future position of the English language in Singapore.
Also as an optional question, I asked the students to write anything regarding what they think of English
at the end of the questionnaire. To that open question, 31 students gave their comments. In the
following discussion, I will quote the students' comments from time to time.
The number of questionnaires returned was 90, which is not many although it is somehow an
expected number2. Therefore, I would not claim that the following discussion is representative of all
Singaporean youngsters. Even so, the results I gained at least show some suggestions about the current
Singapore situation. Furthermore, the respondents are students of NUS, who are the would-be elite who
have climbed up to the pinnacle of the educational ladder3. Therefore again, the data does not describe
the attitudes of the entire population in Singapore. Rather it shows the attitudes of the English-speaking
elite. It is still useful, nevertheless, to know their feelings about the English language, since it is those
elite who have been and will become decision-makers about language policy. So I may be able to
predict the future picture of Singapore by listening to their opinions.
2.Their language background and their use of English
The respondents were students aged 19 to 26 from various fields such as English literature, English
language, psychology, chemistry and biology. Of the 90 respondents, 57.78% claimed that their first
language(mother tongue)was Mandarin(Chinese)and 26.67% asserted that it was English. Others
claimed that another Chinese language, Malay, Tamil etc. was their first language.
Amongst them, 41.11% and 32.22% claimed that they usually talk to their father and mother in
English respectively, whereas only 8.89% and 2.22% claimed that they use English when talking to their
grandfather and grandmother respectively. On the other hand, when talking to their brothers and sisters,
48.89% stated that they mainly use English, followed by Mandarin(30%). When talking to their close
friends, 58.89% stated that their main medium is English only, followed by users of both English and
Mandarin(23.33%). What these results show is that young people talk in vernaculars to their
127
Mizokami Yuki
grandparents generation mostly but they use English more with their parents generation. In addition,
when they talk to people of their own generation, such as their siblings and close friends, they
predominantly use English. Thus it can be said that English looks set to become the main medium of
'inter-ethnic' or 'intra-national' communication by dislocating other languages generation by generation.
Students' comments in the following will well explain the situation.
When I speak to my friends, I usually code-switch between Mandarin and English to the extent of
using both languages within the same sentence. Similarly, I code-switch between Mandarin and
my dialect which is Hainanese when speaking to my grandparents. Although I speak only
Mandarin to my dad, I code-switch between Mandarin and Teochew which is my mom's dialect
when speaking to her (3rd year, aged 21, English Language & Japanese Studies major).
English is so widely used in Singapore that I was surprised to find out that Malay is actually our
National Language! On the other hand, many young Singaporeans are not fluent in English at all.
I think we are transforming into a . . .[sic]we ARE a bilingual society, with youngsters being
able to switch between English and their respective second language easily and unconsciously. But
it's a shame that many in my generation are losing their dialects(3rd year, aged 21, Science
major).
As Pakir(1994)argues, the preference for English education implies that the majority of children
would be shifting their language to English, which would become their dominant language as they went
up the educational ladder. In other words, there is the clear shift to the hegemony of English in
Singapore.
In contrast, in communication with shop assistants in their local town, they tend to use Mandarin
(63.33%)rather than English(22.22%). However, when talking to university tutors/lecturers,
university classmates, shop assistants in a department store and service staff in an expensive restaurant,
more than 80% in each category claim that they use English. Meanwhile, 84.44% claim that they
usually read English newspapers rather than vernacular ones. These results prove that English is used
widely in formal and public domains and vernaculars are used in informal domains. The situation is also
illustrated in the following comment by a student.
I use each language[English and Mandarin]as the need arises. When talking to a Chinese
national, I would use Mandarin, while I can 'shift gears' in an instant to communicate with a student
from India in English. To many educated Singaporeans, shifting from one language to another has
become second nature. Many would be hard pressed to admit the ascendancy of one language over
128
Singaporean Students' Attitudes Towards English
another in their daily lives, though to be truthful, Mandarin remains the dominant language of low
level, informal communication, while English is still undisputedly the language of government,
business and science(2nd year, aged 22, Chemistry & English major).
3.Reasons for studying English:A comparison between Singaporean students
and Japanese students
Regarding their motivation for studying English, the Singaporean students were presented with a list
of sixteen possible reasons for studying it and were asked to rate each one on a scale of four from
'strongly agree', 'agree', 'disagree' to 'strongly disagree' thus indicating the extent to which it was one of
their personal reasons for studying English. The methodology is based on Shaw(1981)
, however the
neutral choice was deliberately removed on my scale, since it is said that people tend to choose the
neutral option for controversial problems so that it would make the analysis much harder(Otani et al.,
1999). Since there were some respondents who did not answer all of the questions, some of the figures
do not add up to one hundred percent.
Meanwhile, for comparison, I conducted a similar sort of survey with Japanese college students. The
subjects were 104 students of Aichi Konan College who are taking any one of my three optional English
courses in the college. Their fields of study varied from Living Design, Senior Dietitian, Food and
Nutritional Sciences, Social Welfare and Liberal Arts to Early Childhood Education. There is nobody
who is majoring in English. Most of the subjects are freshmen(age 18 or 19)in the college. The
survey was conducted from May to June in 2002 through a questionnaire written in Japanese. The
questionnaire contained a list of possible reasons for their studying English, most of which are almost
equivalent of the questions put to the Singaporeans.
It is usually argued that there are two types of motivation that people have in learning a foreign
language: instrumental and integrative. The instrumental motivation refers to the individuals' interest in
acquiring sufficient communicative ability to satisfy their own specific goals, usually economic targets.
By contrast, the integrative motivation refers to the individuals' desire to associate themselves ever more
closely with a target community to the point of assimilating to it(Ager, 2001). However, there are
reasons for studying which are difficult to categorise in either motivation. Suppose a student says, 'I
study English because I want to talk to foreign people'. Would the motivation be instrumental or
integrative? One would argue that if the student talks to a foreigner for business or educational reasons
the motivation is instrumental, and that if talking about general things the motivation is integrative.
Nevertheless, the categorisation is not persuasive. When talking to someone in English, it is plausible to
regard that the student has both motivations at the same time. Thus the instrumental/integrative
dichotomy is not truly clear, but for the convenience of discussion I shall sometimes utilise the
categorisation.
129
Mizokami Yuki
First, let me look at the results of the seven reasons why Singaporean students study English which
are generally associated with instrumental motivation. For comparison, I shall show the results of the
Japanese respondents along with them when applicable. Also, I shall show the exact translation of the
questions asked in Japanese in parenthesis. The following seven reasons(a)to(g)are related to the
pragmatic value of English that has been stressed by the 'language and education policy' Discourse in
Singapore.
(a)I studied English so that I can get information from all over the world.
(I studied English so that I can get information from all over the world; for example through the
Internet.)
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
43.33%
47.78%
7.78%
1.11%
Japan
13.46%
37.50%
36.54%
10.58%
(b)I studied English because having proficiency in English enables me to succeed in Singapore
(Japan)
.
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
32.22%
53.33%
12.22%
1.11%
Japan
14.42%
39.42%
32.69%
12.50%
(c)I studied English because it is required in our educational and social system.
(I studied English because it is required in Japanese society.)
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
46.67%
36.67%
14.44%
2.22%
Japan
14.42%
50.96%
25.96%
8.65%
(d)I studied English because it will help me gain good employment.
(I studied English so that I can gain jobs related to English.)
Singapore
Japan
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
25.56%
47.78%
21.11%
5.56%
0.96%
21.15%
36.54%
40.38%
130
Singaporean Students' Attitudes Towards English
(e)I studied English so that I can travel all over the world.
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
21.11%
51.11%
22.22%
4.44%
Japan
49.04%
37.50%
9.62%
3.85%
(f)I studied English so that I can study or work in a foreign country.
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
13.33%
55.56%
25.56%
3.33%
Japan
10.58%
25.00%
37.50%
25.00%
(g)I don't really like English, but I have studied it because it is useful.
(I don't like English, but I studied it because it will be useful in the future.)
strongly agree
Singapore
Japan
agree
disagree
strongly disagree
1.11%
12.22%
47.78%
36.67%
29.81%
38.46%
22.12%
8.65%
Looking at the results above, the Singaporean students strongly accept the pragmatic and utilitarian
value of English compared with the Japanese students. They study English as a passport to higher
occupational and educational opportunities. Except for reasons(e)and(g),many more
Singaporean students agree with the reasons above than Japanese students. Reason(e)was strongly
agreed with by more Japanese students perhaps because traveling abroad is very popular amongst
modern Japanese. It shows that the Japanese students study English so that they can travel abroad,
whereas most of them are not particularly interested in studying or working abroad. The result of reason
(g),which displays the biggest difference, clearly shows that the Singaporeans like the English
language, whereas the Japanese do not particularly like it. Reason(d)shows the second biggest
difference. This clearly suggests that, in Singapore, English ability is directly related to the job
opportunities that motivate Singaporeans to study English hard, whereas in Japan it is not. Let me
introduce the following comment of a Singaporean student.
English is very much a recognized language throughout the world and is widely used in important
areas such as government policies, economics, commerce and more. It will be disadvantageous for
an individual to not[sic]be proficient in English if he wants to excel in his work(1st year,
aged 19, Sociology major).
Thus I can say that the 'language and education policy' Discourse in Singapore that emphasises the
131
Mizokami Yuki
pragmatic value of English is effectively internalised by the Singaporean informants.
The 'language and education policy' Discourse has also emphasised the idea that English as the
unitary language in both intra-national and international contexts. The following reasons are related to
the point.
(h)I studied English so that I can communicate with other people living in Singapore whose language
is unfamiliar to me.
Singapore
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
27.78%
57.78%
7.78%
4.44%
(i)I studied English so that I can talk to non-native speakers of English from all over the world.
Singapore
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
21.11%
55.56%
18.89%
4.44%
(j)I studied English so that I can talk to native English speakers.
(I studied English so that I can talk to foreign people.)
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
11.11%
56.67%
17.78%
13.33%
Japan
49.04%
32.69%
12.50%
4.81%
The results show that the Singaporean students are well aware of the importance of English as a unitary
tool.
English is a major/commonly used language used throughout the world. Its status on the
international scene is important. Thus it is inevitable & is a must to know English(2nd year,
aged 20, English Language & History major).
As the well-established language of the world, EL[English Language]has become a language of
power, a language that enables us to do wonders. Because of EL, we are able to communicate, to
share with one another and to look into each others' world. All of us have a duty to promote it in
the utmost manner and help everyone acquire the use of this language. It will be beneficial to us all
(2nd year, aged 20, English Language & Political Science major).
It is recognisable that the above comments expressed by the students are identical to the arguments
about the English language articulated by the 'language and education policy' Discourse in Singapore.
132
Singaporean Students' Attitudes Towards English
Question(j)could be also categorised in the integrative motivation, as I pointed out earlier. It
should be noted here that when we say 'foreigners' in Japan it often refers to 'white native English
speakers', so I regard the Japanese question(j)as equivalent to question(j)for the Singaporeans. It
is understandable that more Japanese students agree with this reason than the Singaporeans. As I shall
show, the Japanese students tend to study English for so-called integrative reasons much more than the
Singaporeans.
Meanwhile, I have pointed out that the 'language and education policy' Discourse actually aims at
creating a new Singaporean identity with English. Let me show the result of the following question.
(k)I studied English because I believe that a knowledge of English will make me a better Singaporean
(Japanese).
Singapore
Japan
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
13.33%
34.44%
37.78%
14.44%
7.69%
27.88%
34.62%
28.85%
I aimed at grasping how far Singaporean students link 'English-ness' with 'Singaporean-ness' through
this question. As the result displays, more than half of the Singaporeans rejected 'English-ness' as a link
with 'Singaporean-ness'. It is understandable that more than 60% of the Japanese did not link 'Englishness' with 'Japanese-ness', since Japanese usually link 'Japanese-ness' with the Japanese language, the socalled national language. Conversely, that quite a few(more than 30%)of the Japanese agree to link
'English-ness' with 'Japanese-ness' reflects that young Japanese people think of English as important in
this global capitalist world affected by the diffusion of the 'English as the World Language' Discourse I
discussed previously4. In contrast, it is remarkable amazing that in Singapore, whose literacy rate in
English is 71%, English has not yet been truly considered the language of identity by young people.
This result seems to be strongly related to the government's treatment of the Singapore variety of
English. As for this matter, I shall discuss it more in detail later.
Next are the results of the reasons generally associated with the so-called integrative motivation,
which the 'language and education policy' Discourse in Singapore has never stressed.
(l)I studied English because I'm interested in the cultures of the English-speaking countries.
(I studied English because I'm interested in the cultures of the English-speaking countries such as
Britain and America.)
strongly agree
Singapore
Japan
agree
disagree
strongly disagree
3.33%
50.00%
36.67%
10.00%
29.81%
37.50%
24.04%
7.69%
133
Mizokami Yuki
(m)I studied English because I like the English-speaking countries such as Britain and America.
(I studied English because I long for the English-speaking countries such as America and Britain.)
strongly agree
Singapore
Japan
agree
disagree
strongly disagree
7.78%
25.56%
52.22%
13.33%
28.85%
45.19%
16.35%
9.62%
(n)I studied English because I like the people who are native speakers of English.
(I studied English because I long for the people who are native speakers of English.)
strongly agree
Singapore
Japan
agree
disagree
strongly disagree
1.11%
16.67%
63.33%
16.67%
28.85%
38.46%
16.35%
11.54%
(o)I studied English, simply because I like the language.
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
31.11%
43.33%
20.00%
3.33%
Japan
12.50%
40.38%
29.81%
17.31%
(p)I studied English because it is a prestigious language.
strongly agree
Singapore
7.78%
agree
disagree
strongly disagree
38.89%
44.44%
8.89%
As far as reasons(o)in the above and(g),which I dealt with earlier, suggest, many Singaporean
students do like the English language itself, and this love for the language in fact triggers their
motivation for studying the language. For example, one student commented that:
English is a very organised language which is easy to read, write and articulate. Its grammar
structure is much simpler than most other languages(especially those involving inflection and
conjugations of each word stem)except Mandarin. Thus it's very user friendly and useful as a
global language. In general, English is a very beautiful and practical language with a sufficient
array of words which convey the same meaning to choose from(3rd year, aged 21, Psychology
& English Language major).
However, according to the survey results, the affinity for English-speaking countries and peoples, and
even interest in the cultures of these countries, which are usually considered to be the integrative
motivation, are not really strong reasons for the Singaporeans to study English. Nevertheless, note that
134
Singaporean Students' Attitudes Towards English
this does not necessarily imply that the students do not admire English-speaking countries and peoples at
all:they may or may not actually long for them. In contrast, the Japanese show a totally different
picture. The strong reasons for studying English for the Japanese students are integrative. They admit
that their love for English-speaking countries and peoples, and interest in the cultures of these countries
are the strong motivating forces for studying English on the one hand. On the other hand, almost half of
them claim that their motivation is not love for the language itself.
Overall, I can broadly conclude that, as far as my informants show, the Singaporean students'
motivation for studying English is mostly instrumental, which contains individual reasons and social
reasons. For individual reasons, they study English to gain a good job or to succeed in Singapore. In
other words, English is positioned as essential for their socioeconomic survival. For social reasons, they
study English because they think English is a unifying language internationally and intra-nationally. In
addition, they also have an integrative reason: their love for the English language itself. Conversely, the
Japanese students' motivation for studying English is mostly integrative. They study English motivated
by their love for the people and cultures in English-speaking countries. They also have a strong
instrumental reason. They study English in order to travel around the countries they like.
4.What they feel about English
Now I will examine mainly the Singaporean students' attitudes towards the English language. They
were presented the list of questions asking about their feelings towards English. Four of these questions
may be considered as rather loaded. I deliberately phrased them like this because I would like to grasp
how they feel about the relationship between their colonised past and English. The results of these four
questions are as follows:
(q)I don't really like English, because it was originally the language of the coloniser's.
strongly agree
2.22%
Singapore
agree
disagree
strongly disagree
3.33%
43.33%
50.00%
(r)I think English has become OUR own language in Singapore, rather than the language left by
British coloniser.
Singapore
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
26.67%
51.11%
20.00%
2.22%
(s)I feel comfortable about the situation in which English is widely used in Singapore.
Singapore
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
26.67%
62.22%
5.56%
5.56%
135
Mizokami Yuki
(t)If English were NOT taught in schools, I would NOT try to learn it.
strongly agree
Singapore
2.22%
agree
disagree
strongly disagree
6.67%
54.44%
35.56%
While English has been appreciated for its utilitarian value in Singapore, it is true that it is originally the
language of colonialism. However, as far as the results above show, the Singaporean students' feelings
about English are characterised more by positive attitudes than negative ones. Seemingly the colonial
past has been well digested and overcome, and English has been accepted as the language of postcolonial Singapore. A great majority(90.0%)even state that they would make an extra effort to learn
English if it were not required in the school system. Question(t)is the same one asked by Shaw
(1981). Shaw's result was:Agree 11.2%, Disagree 70.3%, Neutral 18.5%(Shaw, 1981, 118).
Compared with the result gained by Shaw over 20 years ago, the present study's findings might suggest
that the younger generation has a greater attraction to English than the older generation. Let me cite
some of my respondent's opinions.
English has become the world language. A means of communication between people of different
cultures. It has gained economic importance and its significance as the coloniser's language is
irrelevant in Singapore now(2nd year, aged 20, English major).
I think it is precisely that English is such a "de-ethnicized" language that so many people around
the world can use it comfortably(apart from the dubious colonial past of Britain). It is indeed a
very useful tool for communication(1st year, aged 20, Biology major).
In my opinion, I don't think most Singaporeans think of English as a 'leftover' language of our
colonial past, but as a very important medium of communication between us and the global society.
Personally, I love the English language and feel that it is the language medium with which I can
express my thoughts best among the languages I know(3rd year, aged 21, English Language &
European Studies major).
Thus it can be said that these results above prove both(1)Gopinathan's(1980, 184)assumption that
language has become a less sensitive issue in Singapore, and(2)Kuo & Jernudd's(1994, 87-88)
conclusion that the language issue in Singapore has undergone a process of depoliticisation on the one hand.
Nevertheless, more importantly, what these results confirm is that the 'language and education policy'
Discourse which emphasises the 'neutrality' of the coloniser's language has firmly been rooted in Singapore.
Needless to say, the Discourse has worked to make people believe that English is the 'natural' and 'right'
136
Singaporean Students' Attitudes Towards English
choice for Singapore.
Next, let me look at another question regarding the students' attitudes towards English.
(u)I think people in Singapore(Japan)should learn to use English fluently.
Singapore
Japan
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
46.67%
48.89%
2.22%
1.11%
7.69%
45.19%
28.85%
18.27%
The remarkable thing I can read from my survey is that Singaporean students are displaying ambiguous
attitudes towards English in current Singapore. Whereas in question(u),a great majority(95.56%)
claimed that people in Singapore should learn to use English fluently, in question(k)which I have
dealt with before, more than half(52.22%)disagreed that a knowledge of English will make them a
better Singaporean. This means that while the majority of students appreciate the national acquisition of
English as a tool, half of them do not yet regard it as their language of identity, or the national language.
These findings contradict Bloom's argument that:
there is a strong association between proficiency in English and the sense of national identity; so
much so that it might even be reasonable to suggest that knowing English relatively well actually
makes people better Singaporeans. All in all . . . English is becoming a Singaporean national
language not in the next generation, but right now(Bloom, 1986, 339)
.
I cannot of course reach any firm conclusion by simply comparing two conflicting arguments.
Nonetheless this contradiction itself may signify Singaporeans' insecure position in regard to English as
the colonised. There has been an English/Singlish conflict in recent Singapore which seems to be
reinforcing their insecurity of identity as I shall discuss below in detail. By contrast, that more than 50%
of the Japanese claimed that people in Japan, where the acquisition of English is not essential to survive
compared with Singapore, should learn to use English fluently suggests that the 'English as the World
Language' Discourse has been quite effectively internalised by the Japanese students.
Meanwhile, a majority(77.78%)asserted that English has become their own language in Singapore,
rather than the language left by British coloniser in question( r). They rather seem to articulate
confidence in English as their own linguistic possession there. The following result, to the contrary,
disproves their confidence.
137
Mizokami Yuki
(v)I think there is well-established Singapore literature in English.
strongly agree
Singapore
5.56%
agree
disagree
strongly disagree
37.78%
53.33%
3.33%
Here, more than half disagreed or strongly disagreed that there is well-established Singapore literature in
English. This would conversely suggest that for Singaporeans, English has not yet become a language
of expressing themselves, as the emergence of local English literature would prove that English has
become their means of expressing identity, or that it is no longer the other tongue but their own tongue.
I would argue that this is also related to the English/Singlish controversy that I shall deal with in the next
section.
(w)I will make sure that my children learn to use English fluently.
strongly agree
agree
disagree
strongly disagree
Singapore
68.89%
31.11%
0%
0%
Japan
29.81%
35.58%
17.31%
15.38%
(x)If/when you have children, what language would you speak to them? (Asked to Singaporeans
only.)
English
45.56%
English & Mandarin
26.67%
English & other language(s) 12.22%
14.44%
Other
(y)If there was only one official language in Singapore, what should it be?
English 92.22%
Other
6.67%
In Japan, more than 60% of the students claimed that they will make sure that their children learn to
use English fluently. The results of questions(k),
( u)and(w)show that Japanese students
apparently regard English as something important to gain. It is crucial to point out that most of the
Japanese informants have limited facility in English although they have studied it for6to7years, whilst
all of the Singaporean informants are supposed to have a great command of English. The Japanese do
not speak English, so theoretically they have never actually benefited from English. However, they
think that Japanese people in general and the Japanese people of future generations should acquire
English so that they can gain something good. This reflects the Japanese students' fantasy of English. It
138
Singaporean Students' Attitudes Towards English
can prove how English has been presented as superior and important which people are urged to dream of
through the 'English as the World Language' Discourse.
In Singapore by contrast, a great majority(84.45% altogether)claimed that they would speak to
their children in English only or both English and the vernacular
(s)in question(x). Moreover, 100%
of Singaporean respondents claimed that they will make sure that their children learn to use English
fluently, and 92.22% of respondents asserted that if there was only one official language in Singapore, it
should be English. These results may predict that in the next generation English speakers may become
the majority and there will even be many Singaporeans who can speak only English. In such a situation,
it is strange then, that people regard English as just a tool but not as the language of their identity. Such
contradiction in their feelings about English could be the very outcome brought about by the 'language
and education policy' Discourse in Singapore, which stresses only the pragmatic aspects of English and
makes people ignore other aspects of it such as colonialism and inequality. Besides, as I mentioned
many times, there is a problematic dichotomy regarding English in Singapore, which is the
English/Singlish dichotomy.
5.The English/Singlish dichotomy:the spell of Britsh English
The understandable but striking finding in my survey is that there seems to be a strong spell of British
English in Singapore. This is suggested by the following result:
(z)Which variety of English do you think should be taught at schools in Singapore?
British English
71.11%
American English
8.89%
The variety that is unique to Singapore
7.78%
British & American English
6.67%
British & Singapore English
4.44%
Australian English
1.11%
Any other variety
0%
As I have discussed, the majority of subjects claimed that English has become their own language apart
from their colonial past, and also that English should be the sole official language in Singapore. These
results may display Singaporeans' pride in their own English. Then it should be thought that the
category of 'the variety that is unique to Singapore' would be chosen by the majority in question(z).
However, on the contrary, an overwhelming mass still regard British English as the norm to be pursued.
This result demonstrates that while Singaporeans somehow think that English has become their own
language on the one hand, they have little confidence in their own unique variety of English on the
139
Mizokami Yuki
other. Thumboo, an academic researcher and a well-known writer in Singapore, once expressed a
concern about the Singaporean variety as follows:
Our linguistic pond is rich in herring, some red. One swims in the shape of "Singapore English".
Although fascinating in itself, the question whether it is a stable, and therefore identifiable variety,
is less pressing than how work on English in Singapore can directly benefit the learning of standard
English by those−in schools and tertiary institutions−with the ability to cope(Thumboo, 1979,
quoted in Bloom, 1986, 421).
Thus the colonised victims are led to deem the coloniser's language and culture as the superior norm that
they should follow.
The above finding is greatly different from that which Shaw(1981)obtained. Shaw asked the
Singaporean students to choose the variety of English that they should learn to speak. His result was as
follows:
In their own way
38.9%
British English
38.3%
American English
14.4%
Australian English
0.6%
Others
7.8%
(Shaw, 1981, 120)
In Shaw's survey, the respondents were almost equally divided between accepting a British standard or a
Singaporean variety. As for the Singapore variety, Pakir argues that there has been a recent show of
pride in the indigenization of English in Singapore and a 'new confidence' among users in the value of
colloquial and informal Singapore English, or Singlish:
the policy planners have given birth to a new breed of Singaporeans who see English as their
language, but not the kind of English envisaged by the makers(Pakir, 1994, 177).
I cannot simply compare my result with Shaw's, for they are different in time, number of respondents,
method and the wordings of the questions themselves. However, what is clear is that the self-assurance
and confidence that Singaporeans have in their own variety, which Shaw(1981)and Pakir(1994)
display, cannot be proven in my survey.
For comparison, let me show the result of a similar sort of survey on the English language I conducted
in Canada in June to July 20015. The respondents were 46 Canadian citizens who are aged from 19 to
140
Singaporean Students' Attitudes Towards English
756. Their occupations varied from students, teachers, college administrators to retired. As Canada also
has a history of being a British(and French)colony, it was felt interesting to compare the results gained
in Canada and those in Singapore. The survey was done with a questionnaire, some of the questions of
which were almost the same as the ones asked for Singaporeans. While Canada is absolutely considered
as one of the core-English speaking countries, with a distinct "Canadian English as a fully elaborated
national variety"(Bailey, 1982, 168)
,it is a bilingual or multilingual society with an extensive number
of immigrants. In that sense, Canada shares similar linguistic aspects with Singapore, although its official
languages are English and French, reflecting its colonial past, and the mother tongue population of
English is much bigger than in Singapore7. Of 46 respondents, 76.08% claimed that their mother tongue
(first language)is English, and 23.91% claimed other languages. As the respondents in Canada are
different from those of Singapore in terms of age and occupation, a simple comparison of the two results
may not be applicable. Still, the following results are considered noteworthy in the context of the
discussion.
(A)Which variety of English do you think should be taught at schools in Canada?
The variety that is unique to Canada 52.17%
British English
23.91%
American English
2.17%
Other
2.17%
8
19.57%
N/A
As for this question, one Canadian respondents commented that:
You cannot teach anything else, since this[the variety that is unique to Canada]is what the
teachers know(teacher, male, aged 36)
.
(B)I think English has become our OWN language in Canada, rather than a language left by British
coloniser.
Canada
strongly agree
agree
disagree
21.73%
65.22%
13.04%
strongly disagree
0%
As it has been much longer since Canada achieved its independence9, it is understandable that most
people agreed that English is their own language. The same tendency can also be seen in the survey in
Singapore. The difference comes up in question(A). While it is interesting to note that Canadians
somehow show loyalty to their British coloniser rather than showing intimacy to its neighbouring
141
Mizokami Yuki
country, the U.S., unlike my Singaporean respondents, more than half of the Canadian respondents
claimed that the Canadian variety of English rather than the British variety should be taught at schools in
Canada. By looking at these results, it could be argued that the Canadians have confidence in their own
variety much more than the Singaporean informants.
Canadians may formerly have seen in the differences between their English and that of Great
Britain and the United States cause for concern and even distress, but today Canada's sense of
linguistic difference is a source of pride and an assertion of independence(Bailey, 1982, 168).
I would argue that the excessive appreciation of the British standard is certainly blocking the way of an
independent and confident Singaporean English. A recent example of the appreciation of the British
standard in the official language and education policy in Singapore is the 'Speak Good English Movement
(SGEM)
' launched in 2000 by the Singaporean government. When English became quite diffused in
Singapore, the government's concern shifted to the diffusion of good English rather than Singlish.
Our new goal is to become a first-world economy and a world-class home. . . One important way is
to make sure that our people speak standard English. English is important because it is the
language of commerce, science and technology. It enables us to break out of our small
geographical confines and reach out to the rest of the world(speech by Prime Minister Goh Chok
Tong, 1999, SGEM website).
The Prime Minister dismisses the Singapore variety as follows:
Singlish is not English. It is English corrupted by Singaporeans and has become a Singapore
dialect. I am not referring to accent here. Our Singaporean accent is acceptable. We do not need
to fake an American or British accent. Singlish is broken, ungrammatical English sprinkled with
words and phrases from local dialects and Malay . . . In the schools, we should teach good
grammar and pronunciation. . . At home, let us discourage the younger generation from using
Singlish(speech by Prime Minister Goh C. T., 1999, SGEM website)
.
The SGEM is a movement initiated by the government to "encourage Singaporeans to speak good
English and reduce the use of Singlish"(Press Release, 2002, website). What 'good English' means
would be controversial. However, judging from the SGEM Discourse, the interpretation of good
English is apparently towards the British standard. The movement targets mainly younger generations.
It contains television and radio programmes promoting good English and telephone lessons on good
142
Singaporean Students' Attitudes Towards English
English in collaboration with the British Council. It also includes censorship of the scripts of television
and radio programmes and even films. In short, television and radio programmes are required to avoid
using any Singlish. A typical occurrence is that a 15 second trailer for the movie TalkingCock:The
Movie, which is a comedy about the lives of ordinary Singaporeans, was once pulled from the air for
excessive use of Singlish. When they eventually dubbed over the trailer in a thick British accent, then it
was allowed. However, after all, the film itself was rated as an NC-17 by Singaporean officials, which
means people under 17 could not see it not because of sex or violence but because of bad English
grammar(Colin Goh, website; Tan, 2002).
The SGEM Discourse emphasises the division between(good)English and(bad)Singlish.
Singlish uses Chinese syntax and Singlish speakers often use literal translations of Chinese
phrases. . . My concern is that if we continue to speak Singlish, it will over time become
Singapore's common language. Poor English reflects badly on us and makes us seem less
intelligent or competent. . . Younger Singaporeans are not only better educated but have the
advantage of being educated in English. They can speak good English and should be encouraged
to do so. They should not take the attitude that Singlish is cool or feel that speaking Singlish
makes them more "Singaporean"(speech by Prime Minister Goh C. T., 2000, SGEM website).
The division actually seems to be well internalised by the students. Let me introduce the following
comments.
A lot of people think that Singapore's bilingual education system is good, but you will find that a
lot of the grammatical inaccuracies in English here exist because of a carryover of constructions
from Mandarin or Malay. This is the commonly known Singapore English, or Singlish. What we
then have is a population where everyone is technically competent in2languages, but actually a
master of none. The sad thing is that the educational system where English is concerned requires
much reform because it has lost its emphasis on teaching grammar. However, most students now
do not have the foundations to pick up correct grammar, and weaker students may not even be able
to differentiate between a noun and a verb(3rd year, aged 23, English & Japanese Studies
major)
.
I feel that English is tool for communication and exchange of information across the borders,
among people of all races. So, it is important that people here known[sic]when to speak proper
English and when to speak Singlish, ie. When speaking to a native speaker it looks quite bad to
143
Mizokami Yuki
speak in Singlish. On the other hand, it is much easier to speak Singlish to our peers(3rd year,
aged 23, Biology major).
The former opinion expresses a strong sarcasm about the Singaporean variety of English referring to it
as the "inaccurate" English. The latter comment differentiates the 'native speaker of proper English' and
'our peers who speak Singlish'. This may reveal that Singaporeans do not consider their English to be
authentic, and there is another variety that is considered to be correct. The next comment articulates the
image of 'proper' English that only a small number of elite who possess economic and social success
share in Singapore.
Using English well in Singapore is still a mark of excellence, a sign of privilege(whatever that
privilege might be . . . a person who speaks it well is assumed to be any number of things: well-todo, Westernized, educated, cultured, etc.)It is also easy to be alienated from certain sections of
the populace by speaking so-called 'proper' English(3rd year, aged 23, English Literature &
Language major).
As I have shown, Singaporean students think that English is their own language on the one hand,
however they develop an unfortunate inferiority complex to the British standard on the other. The cause
could be attributed to the 'language and education policy' Discourse in Singapore which has worked to
make people believe that authentic English is coloniser's English and that the English of the colonised is
bad English.
The chief concern of language policy makers in Singapore has been to increase people's competence
in English. Another concern is the maintenance of standards in the language with exonormative
standards, or the foreign(British)standard as the reference points(Pakir, 1994). Naturally,
therefore, the teaching of the formal high variety of English, or Standard English and proficiency in it
has been a primary responsibility of schools. To implement such a policy, 'native speaker' expatriate
English teachers have been massively recruited from the U.K., the U.S., Canada, Australia and New
Zealand to teach in local schools and to train local teachers.
[T]here should be no compromise on 'standards'. The clarion was and is still for increased
competence, and the elimination of local 'nativised' varieties(Pakir, 1994, 165).
It sounds unnatural that a country in which 71% of the population is reported to be literate in English
still imports 'native speakers' from other core English-speaking countries.
Moreover, in the domain of mass media, it is reported that the Singapore Broadcasting Corporation
144
Singaporean Students' Attitudes Towards English
(SBC),the government-run broadcasting station, has chosen to train its newscasters to enunciate in RP
(British Received Pronunciation)or an accent closer to RP than to the accent used by highly educated
locals who have a distinctive Singaporean accent(Pakir, 1994). Therefore Singaporean newscasters'
English is highly British. The Straits Times, the most widely circulated daily morning English
newspaper in Singapore, is written in Standard British English. These institutions of minimising the
Singapore variety deprive the Singaporeans of their confidence and pride in their own unique variety of
English.
Society's favourable treatment of graduates from universities of core English-speaking countries may
also work to reinforce the inferiority complex felt by Singaporeans: All of the 1996 cabinet ministers in
Singapore, except one who received his primary and secondary education in Mandarin, are Englisheducated, and all received their higher education in Britain, the U.S., Australia or Canada(BokhorstHeng, 1998). In the same vein, it is reported that of all Chinese Singaporeans who went abroad to
study, over half chose to go to Britain or America, whereas only4% went to Chinese-speaking countries
(Noguchi & Ikeda, 1994). As long as those educated in Britain and other core English-speaking
countries are in decision-making positions, and there is official support to encourage matter of fact
acceptance of British norms, Singapore, being in British hands, may not be able to overcome the
position of the colonised in a real sense.
6.'Singlish' as the possible force to be independent
I have shown some comments by the Prime Minister and some students which dismissed Singlish as
bad English that should be corrected. In fact, the following is the only comment by an official figure,
Singapore's Permanent Representative to the United Nations I managed to find, which articulated his
pride in Singaporean English.
[W]hen one is abroad, in a bus or train or aeroplane and when one overhears someone speaking,
one can immediately say this is someone from Malaysia or Singapore. And I should hope that
when I'm speaking abroad my countrymen will have no problem recognizing that I am a
Singaporean(Tommy T.B. Koh, 1974, quoted in Bloom, 1986, 413).
However, at the non-official level, there are people who celebrate the uniqueness of Singlish, which
could give evidence of Pakir's(1994)argument that there has been a recent show of pride in the
indigenization of English in Singapore and a confidence among users in the value of Singlish. There is a
popular website in Singapore(TalkingCock.com)formed by journalists, writers, teachers, doctors,
lawyers, cartoonists and so on, which launched the 'Save Our Singlish' campaign. One of the leading
figures is Colin Goh, the producer of Talking Cock:The Movie and one of the editors of The Coxford
145
Mizokami Yuki
Singlish Dictionary. He comments on Singlish:
Why we're fighting for Singlish, is because it is simply a part of our culture. In fact, it may be the
ONLY thing that makes us uniquely Singaporean. It mixes all the various languages, which to me,
seems to spread multi-cultural understanding. I thought this was something to be proud of. . .
Singlish is not just broken English. . . The connection between Singlish and Singaporean identity
is very important(C. Goh, website).
It is argued that Singlish has a consistent grammar different from British English(see Alsagoff & Ho,
1998; Ho & Alsagoff, 1998; Talib, 1998)
. So it can be said that surely Singlish is not just a broken
English contrary to the Prime Minister's claim I cited before. Singlish is a unique blend of English and
local Chinese, Malay and Tamil words. Singlish combines many languages. Certain English words or
phrases have also acquired local meanings which differ from their original meanings. After all, Singlish
is the language by which many Singaporeans communicate with each other regardless of race.
The ostensible aim behind the Speak Good English movement is to improve our global
competitiveness. We hear complaints from all quarters that Singaporeans are not innovative
enough, Singaporeans are not creative enough, Singaporeans are not daring enough. The media
and the arts are spaces where we express our thinking, our creativity and our thinking. How can
we tell Singaporeans to be creative, daring, and innovative, but only in the right language? How
can we ask Singaporeans to dare to speak their minds and take risks in order to be more globally
competitive and yet silence the way we normally communicate?(C. Goh, website)
The aim of the 'language and education policy' Discourse is to totally wipe out Singlish in the future by
making younger generations fluent in standard English. The SGEM bans Singlish in the media. The
SGEM encourages younger people not to use Singlish even at home and in other informal domains as
well as at schools and other formal domains. The contradiction is that the government does not ban
British and American TV programmes such as dramas and comedies even though they often use
colloquial(bad)English such as Cockney in London derived from the standard.
It might be true that the appreciation of standard English in the name of progress and global
competition at formal domains such as school, business and government cannot be helped in Singapore
provided that English has already diffused in Singapore to a great extent and that English has been
actually dominant in this global capitalist world. However, the appreciation of the(British)standard
and the ban of Singlish even in informal domains and the media may result in reinforcement of the
(superior)coloniser/
(inferior)colonised division which perpetually confines Singaporeans within the
146
Singaporean Students' Attitudes Towards English
inferiority complex. If fact, some students express concern for the excessive appreciation of standard
English and subordination of the Singapore variety.
I'm thoroughly intrigued by the form of 'standard English' passed on by our British colonial
masters, but as a Singapore[sic]living in a 'melting pot' society, I'm not the least 'disgraced' by
the type of English that has evolved over the last 50 years or so either. Singlish, they call it, the
government isn't too keen on such colloquialisms and has relegated it to the confines of ordinary
conversations. Of course, this is a bid to get people to adopt 'good' standard English but still,
acceptance of local English hasn't[sic]very forthcoming(3rd year, aged 21, English Language
& Information Communications Management major).
[T]he brand of English used is not exactly the same in all parts of the world, and the notion of
Standard English, which is really a term coined by a certain group of academia and politicians, has
caused people to have a feeling of intolerance of other English dialects, whether those spoken in
the United Britain or elsewhere(2nd year, aged 22, English Language & Chinese Language
major)
.
Here, I would like to argue that the appreciation of Singlish could be a strong force for Singaporeans
to undermine the coloniser/colonised division. As pointed out earlier, Singlish is a mixture of English,
Chinese, Malay and Tamil. For example, in Singlish, when one cannot understand what is going on, one
says 'Sorry, but I catch no ball, man' which stems from the Hokkien liah boh kiew(Tan, 2002)
. 'Take
bag go where, ah?' in Singlish means 'Where do I go to collect my luggage?' in English. 'Can, lah'
means 'It's alright'.(C. Goh, website)
. They are unique and colourful. Singlish should not be seen as
just the broken or bad English. Rather, Singlish is the English language uniquely colonised by local
Singaporean languages such as varieties of Chinese, Malay and Tamil. Singlish is a product of
Singaporeans; a hybrid Singaporean language.
In fact, as Singlish is the only language indigenous to Singapore, I would assert that Singlish should
become the national language of Singapore in which people can feel confidence, pride and Singaporean
identity. One of the necessary steps towards that goal may be the codification of Singlish to establish a
'standard' of Singlish which already has a consistent grammar. This may sound ridiculously unlikely, as
the Singapore government is trying to wipe it out even in informal domains and the media. Therefore
non-governmental efforts may be needed to codify Singlish. In fact, the publication of The Coxford
Singlish Dictionary in 2002 can be seen as one of the trials to codify independent Singlish.
Singaporeans seem to support the movement to preserve their unique Singlish: According to Tan
(2002, July, 29)
,the dictionary has sold over 20,000 copies since its April 2002 release which is an
147
Mizokami Yuki
extraordinary feat given that just 1,000 sales will ensure a book's addition to Singapore's Top 10 list.
To conclude, in order to gain real independence, I would argue that Singaporeans need a language of
their own rather than aiming at assimilation to their coloniser, for the assimilation may only reinforce the
coloniser/colonised division which instills an inferiority complex in the colonised. The appreciation of
Singlish can be a possible force to undermine the division, since Singlish is the unique language made
by Singaporeans.
7.Overview of the survey
My findings suggest that the 'language and education policy' Discourse in Singapore is very
efficiently internalised by the young Singaporean students and is likely to be maintained by them. The
Singaporean students' opinions about English, including their insecure feelings about it, seem to be
manufactured by the 'language and education policy' Discourse to perpetuate the status quo. On the one
hand, the Discourse has promoted the learning of English as a useful tool for modernisation and national
unity, but on the other hand it has displayed English as someone else's language by imposing a foreign
(British)standard. The less confidence that Singaporeans have in their own variety of English, the
more power the people with 'proper' standard English can exercise.
The colonised people, who were given the inferiority complex, can not easily divorce themselves
from the coloniser's influence. The colonised people are defined by the language and culture of the
coloniser.
Every colonised people−in other words, every people in whose soul an inferiority complex has
been created by the death and burial of its local cultural originality−finds itself face to face with
the language of the civilising nation; that is, with the culture of the mother country. The colonised
is elevated above his jungle status in proportion to his adoption of the mother country's cultural
standards(Fanon, 1967, 18)
.
In short, for the colonised, there exists the absolute 'norm', which is the coloniser's superior language and
culture. So the colonised are required and encouraged to identify as closely as possible with the norm so
that they "will come closer to being a real human being−in direct ratio to his mastery"(Fanon, 1967,
18)of the norm. A coloniser thus directly and indirectly forces the colonised to remain perpetually as
its(linguistic)colony. As long as Singaporeans have this psychological insecurity, that is, thinking
that English is their own primary tool for communication, but that their English is not the authentic and
correct one, colonialism may never end.
I have concentrated on only the position of English rather than the bilingual aspect of Singapore.
Also, I have concentrated on only Singapore rather than the former colonies in general. Therefore, the
148
Singaporean Students' Attitudes Towards English
discussion would be limited within the context of the English language in Singapore. However, one
possible solution that would subvert the coloniser/colonised division, which perpetuates colonialism and
produces new inequalities in Singapore, would be to establish their unique Singaporean language, or
Singlish, as their respectable national language and language of identity with confidence and pride,
perhaps firstly through the non-governmental or academic codification of Singlish.
Notes
1 I would like to express gratitude to the Department of English Language and Literature at the National University of
Singapore, especially to the Head of the Department, Professor Anne Pakir, and the Senior Administrative Officer,
Madam Angeline Ang for their generous assistance. I would also like to express a special thanks to the students who
gave me their kind cooperation with my survey.
2 Before the survey, I was told by the NUS staff that the return rates of any survey at NUS was extremely low, since
Singaporeans in general suffer from a sense of 'questionnaire fatigue'. So this low return rate was an expected one.
3 According to the 2000 census, the proportion of students who were studying in local universities in 2000 was only 4.7%.
In 1990, it was4%(Census, 2000)
.
4 See Mizokami(2001)
.
5 I had a chance to go to Canada to accompany students' 2001 summer English tour. While staying in the city of Nelson,
British Colombia, Canada, I asked the students' home-stay family members, teaching and administrative staff of Selkirk
College(the sister college of Aichi Konan College)and other people in Nelson to cooperate with my survey.
6 I would like to express gratitude to the people who were willing to cooperate with my survey.
7 It is reported that the English-speaking population in Canada is 73.4%, followed by 25.2% French-speaking population
(Ito, 1997)
.
8 N/A stands for No Answer.
9 Canadian Confederation, which was the prototype of the present Canada, was established in 1867 by the British North
America Act. Canada is a member of the British Commonwealth(Ito, 1997).
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Early Childhood Education Department
Aichi Konan College
172 Ohmatsubara,Takaya
Konan 483−8086,Japan
紀 要 投 稿 要 領
1.紀要規程第9条に基づき、本投稿要領を定める。
2.投稿原稿は、印刷物としては未発表の学術論文及び顕彰文に限る。なお、顕彰文の取扱いは別記
によるものとする。紀要編集委員会は、紀要規程第7条により論文の掲載に当たって投稿者に原稿
について編集上の協力を求めることができる。また、適切な第三者にその審査を依頼することがある。
3.原稿の提出期限は、毎年度9月初旬の指定日までとし、その後に提出されたものは、受理しない。
4.投稿は、原則として1人1篇とする。
5.原稿用紙は、和文・英文とも当編集委員会規定の横書きまたは縦書きのものを用い、ペンまたは
ボールペンを使用する。
フロッピーディスクによる投稿の場合、和文は横書き42字×18行、縦書きは31字×23行とし、英
文については、A4判タイプ用紙を用い、2行送り(ダブルスペース)でタイプする。投稿に際して
は、原稿とフロッピーディスクを提出し、フロッピーデイスクには著者名、用いた機種、ソフトウ
エアおよびフォーマット形式などの必要事項を明記する。
6.提出後の原稿の訂正は、原則として認めない。
7.和文論文にも、英文表題とローマ字による著者名を付けることとし、記載順序は和文表題、著者
名(日本語)、英文表題、著者名(ローマ字)とする。
8.本文は、現代かなづかいを使用し、特別な場合をのぞいては、常用漢字を用いること。略字で記
入しないこと。下記の場合は欄外に大きく朱書きし、朱書きの文字の一覧表を添付すること。
(1) 常用漢字以外の文字 (2) 英字以外の外国文学 (3) 特殊な符号
9.活字の指定
(1) 活字の書体を指定する場合は、欄外に朱書きで次のように指示する。
ゴシック書体は(ゴ)、イタリック書体は(イタ)、ギリシャ文字は(ギリ)等
(2) 大文字と小文字の区別が困難なC・O・P・S・W・Xなどの文字は、必要に応じて大また
は小と欄外に朱書きすること。
10.図・表・写真等について
(1) 図・表・写真は、必要不可欠なものに限る。
(2) 図・表・写真については、本文中に貼付することはせず、表1、表2、図1、図2−1など
のように通し番号を付け、まとめる。また、図表のタイトルは一覧にし、図表とともに提出す
る。
(3) 図・表・写真の挿入希望箇所は、本文中に〈表1〉
〈図1〉などのように明記する。
(4) 特別なレイアウトを必要とする場合は、著者自身が図表およびタイトルを作成する。
(5) 図および表は、トレーシングベーバーまたはタイプ用紙に刷り上がりの1∼3倍の大きさに
作成し、墨または黒のインクで鮮明に書くこと。
(6) 楽譜の場合は、典拠した印刷物を添えて提出すること。
(7) 写真または図表の転用は、著者または出版社(者)等の承諾を得る。
11.引用文献について
論文中の引用のしかたは、各研究分野の慣例に従うが、以下の事柄を明記すること。
(1) 雑誌の場合…著者名・表題名・雑誌名・巻号・頁数・年次
(2) 単行本の場合…著者名・書名・頁数・出版社(者)・発行地(英文の場合)・年次
12.校正は、第3校までとし、執筆者が責任を負うものとする。各校とも指定日までに原稿と一緒に
返却すること。校正は、必ず朱書きとし、各校とも原稿の字句の修正・挿入・削除を行ってはなら
ない。
13.別刷は、50部まで無償とする。
愛 知 江 南 短 期 大 学
紀 要
第 3 2 号
平成15年3月3日 印刷
平成15年3月10日 発行
編集
発行
愛 知 江 南 短 期 大 学
愛知県江南市高屋町大松原172
郵便番号 483−8086
電話 江南 <0587>55−6165(代)
印刷 株式会社 アイコー社
名古屋市瑞穂区苗代町29番20号
郵便番号 467−0841
電話 <052>821−9511
In Honor of Professor Fukuyo Igarashi at her Retirement ………………………… Yasuko Saito( i )
A Study on Stractic Theory of Recipy & Menu
………………………………… Fukuyo Igarashi , Norihiko Asada , Hisako Hayashi( 1 )
A Study on the Ruins of Buddhism in India( Part1)Ajanta Caves
……………………………………………………………………… Toshiro Takahashi( 17 )
A Study on the Raising of Saplings and the Rooting Rate of Cuttings
for Each Principal Grape Variety Planted
in a Field of the Aichi Konan College Campus Farm:Ⅰ
………………………………………………………………………… Masayoshi Aiso( 27 )
Local and Global Dirichlet Domains ……………………………………………… Moulien Pai( 37 )
Reviews on the Philosophy of Social Work in Soichi Iwashita
……………………………………………………………………… Kazuhiro Wakura( 57 )
The Movements of “The Course of the Presentation(Show and Tell)
”
and“The Skill of the Presentation”
−Part2.
Note of“The Skill of the Presentation”−
……………………………………………………………………………… Akira Sakai( 69 )
The Relationship between Melody and Harmony
in Teaching Materials of Preschool Music Education
−On the Effect of Non-Use of Harmony in Accompaniment of Nursery Rhymes−
…………………………………………………………………………… Kiyoko Ishida( 93 )
The Recent Advances and the Future Directions of Temperament Research
……………………………………………………………………………… Rie Mizuno(109)
Singaporean Students' Attitudes Towards English:
A Comparative Study Between Singapore and Japan
………………………………………………………………………… Mizokami Yuki(125)
2 0 0 3
No.
32