12.OB 会員の先生からの便り

 12.OB 会員の先生からの便り
福岡県宗像市在住 永 元 康 夫(昭和 54 年入局)
散歩と樹木ウオッチング
散歩とガーデンニングは、無職で年金生活者であるわたしの大切な日課です。
わたしのささやかな趣味は天候に左右されますが、天気の良いときは午前に 1 ~ 2 時間ほど散歩をし、
午後に 2 ~ 3 時間ほど庭仕事をします。今回は散歩を紹介させていただきます。
今年の 1 月から、一昨年まで開業していた岡垣町の吉木地区を散歩しています。散歩コースは主に二
つです。一つ目は、吉木二丁目の田畑の中の歩道から乳垂川の土手に出、吉木小学校、熊野神社を経由
し吉木一丁目の民家の間を通って帰るコースです。ある朝、友人と二人で散歩していると、思いがけな
い経験をしました。ハクセキレイ、ヒヨドリ、カモ、キジ、カワセミと出会いました。前の三種類の鳥
は常に見かけますが、後のキジはこの時 1 度きり、カワセミはもう一度見ただけです。散歩から帰ると、
庭にジョウビタキが来ていましたので、1 時間余りの間に六種類の鳥を観察したことになります。
二つ目は門田水田(灌漑用の溜池)の周囲を周るコースです。民家の間を通り、水田の北側の林道を
通り抜け、高倉から吉木一丁目へと戻ります。春になると樹木の花が一斉に咲きだしますが、このコー
スの林道はまさに樹木の宝庫へと変貌します。ウメ、サクラ、ノイチゴ、ノイバラ、シャリンバイ、エ
ゴノキ、モクレン、サワフタギ(写真左)、アマドコロ(写真右)
、ノグルミ、ネズミモチが花を開きま
す。
この林を通り抜け、高倉から吉木へと至る民家の庭でも、コデマリ、ハゴロモジャスミン、オウバイ、
シャクヤク、ハクチョウゲ、カラタチ、シロヤマブキを観察できます。
手を一所懸命振って歩くだけでは楽しくありません。みなさまも樹木を観察しながら、楽しく散歩し
てください。よろしければ、新しく開設しましたホームページ「けいこの樹木の花」をご覧ください。
http://www.geocities.jp/tiroln_0426
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医療法人 光洋会 赤間病院(福岡県宗像市) 院長 城 戸 優 光(昭和 56 年入局)
近 況 報 告
同門の皆さん、お久しぶりです。
近況をお伝えします。
既にご承知のかたも多いと思いますが、産業医大 2 回
生で、国家公務員共済組合連合会新小倉病院の呼吸器外
科部長兼呼吸器センター長であった、第 2 外科同門の中
西良一先生が、平成 27 年 5 月 1 日付けで名古屋市立大学
医学部病態外科学講座腫瘍・免疫外科学教授に就任され
ました。先生は第 2 外科から新小倉病院に移りゼロから
呼吸器外科を立ち上げ、北九州でも有数の呼吸器センター
を作り上げられました。胸部内視鏡手術の達人で、殆ど
の手術を完全内視鏡手術で行っておられます。先生とは、
学位審査以来のお付き合いで、私が産業医大を定年退職
後、新小倉病院の顧問になったのも、彼の人柄と技術の
高さに感服したからです。4 年間の在任中、極めて挑戦的
かつ驚くべき手術を多数見せていただきました。大学で
はなく一般病院から、何のつてもない医師が伝統ある大
学の臨床の教授に選ばれたのも、彼の長年の努力と不屈の意志のたまものと思い、感激に堪えません。
今後大きな舞台で活躍されるものと期待しています。
さて、私は、新小倉病院から光洋会赤間病院に移り 3 年目に入りました。赤間病院は地域密着型の内
科の病院ですが、今年 2 月に電子カルテを導入しました。電子カルテを導入しているのは、宗像市内で
は、医師会病院と当院だけです。導入にあたっては、急性期病院にはない様々な問題があり、大変でし
たが、8 ケ月をかけて周到な準備を行い、大きなトラブルもなく移行が出来ました。現在 3 ケ月が過ぎ、
順調に稼働しています。また、4 月からは地域包括ケア病棟を立ち上げました。厚労省の厳しい基準を
クリアするのは大変でした。
今年の 3 月にはフランスのボルドー、サンテミリオンなどアキテーヌ地方とラスコーの洞窟壁画で有
名な、ドルドーニュ地方の美しい村々を 7 日間かけてレンタカーで回りました。シャトーホテルを泊ま
り歩き、フランス料理とワインを堪能しました。
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大島郡医師会病院(鹿児島県奄美市) 院長 櫻 井 修 吾(昭和 58 年入局)
大島郡医師会病院
病院の現状を報告いたします。それよりもまず今回、第 2 内科から御 2 人教授
を輩出されましたことに、お祝いを申し上げますとともに尾辻教授をはじめ皆様に敬意を表します。
さて、私どもの病院の昨今の出来事の内容はそれぞれなため、時系列で触れます。まず、一昨年より
始まりました“在宅医療推進地域支援事業”は県下 5 医師会が参加しての補助事業で大島郡医師会も参
加し、定期的に各関連職種と一緒に学習会、あるいは講演会などが企画、実行され、輪郭が明確になり
つつあります。郡医師会が中心の事業ではありますが、医師会病院が委託を受け全面的に協力する体制
を整備する方向は明確にしております。
次に、消費税の問題があり、外来処方を院外にするか検討致しました。院外処方に移行し、薬剤師に
その余剰の時間が出来れば、その時間を入院患者さんの服薬指導あてるべきとの意見を採用し、院外処
方に移行いたしました。今後は入院患者さんの服薬指導を充実していきたいと思っております。
昨年 4 月に診療報酬改定がありました。この改定の最重点項目は包括ケア病床の新設にあるようで、
この病床が在宅支援病床と捉える事が出来るということ、そして 7:1(DPC)病院からの退院病床で
あるという認識で当院も立ち上げる方向で 8 月から実績作りに着手し、若干の遅れがありましたが、
“データ提出加算”係る届出とともに、今年 2 月に申請承認されました。
昨年度はじめに補助事業に対し、医師会病院への電子カルテ導入の提案を医師会長の方から地域の連
携(ネットワーク作り)を前提になされました。その法案が昨年 12 月に議会へ提出され、可決されま
した。3 月末に導入され、現在、システム確認、操作研修で病院を挙げてとりくんでいるところです。
第 2 内科に勢いを感じ、大変、よろこんでいます。今後のさらなる発展を祈念致します。
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地方独立行政法人 くらて病院(福岡県鞍手郡) 理事長・病院長 八 代 晃(昭和 59 年入局)
第 2 内科出身者と循環器山本先生
(前列:福本、八代、阿部 後列:山本、瀬戸山、古野、山下)
さわやかな五月晴れが見られるようになりました今日この頃ですが、同門の皆様にはかわりなくご健
勝のことと存じます。私が通勤でとおる遠賀川の土手は、菜の花畑から新緑の草原へと様変わりし、私
のよう年齢になってもなんだか気持ちがウキウキしてきます。
さて、当院は法人化して 3 年目となりましたが、おおむね変わりなく経過しております。
今年は、第 2 内科より研修を終えた 3 年目の瀬戸山先生が赴任され、心エコー、冠動脈 CT などの検
査や透析などを熱心に勉強されています。若い医師が少ない当院としましては、元気で爽やかな方が来
られ、医局ばかりでなく病棟の雰囲気が明るくなり皆喜んでいる次第です。また、昨年から赴任されて
いる腎臓志望(?)の古野先生も元気に活躍されており、このような方々がもう 2 ~ 3 人増えればうれ
しい限りですが、なかなかそうもいかないのが現状です。循環器には瀬戸山先生と同じ時期に、縁あっ
て済生会から山本雲平先生が赴任されました。山本先生はこれまで九州 JCHO 病院などでご活躍なされ、
インターベンションの経験も豊富な大変穏やかな方であります。当院のような高齢者の多い病院では、
その実力を発揮できず手持無沙汰かもしれないと内心申し訳なくおもっているところです。2 年前から
は、第 2 内科で不整脈のグループに所属されていました福本康代先生が療養病棟で、第 1 内科出身の西
野紀子先生が回復期リハビリ病棟で、今年から、研修医時代に当院で頑張られていました第 2 内科の阿
部陽子先生が老健施設で勤務されています。また、看護部門には、産業医科大学病院の看護部長を勤め
られました小竹さんが昨年度から理事・看護部長として、今年の 4 月からは同院の医療安全を担当され
ていました馬場さんが副看護部長として赴任されております。お二人には看護部門の再構築と安全管理
体制の立て直しをしていただいておりますが、お蔭さまで看護部ばかりでなく病院全体の雰囲気も変わ
り始め、頼もしい限りであります。このように出身大学の方がじわじわと増えていっている状況であり、
皆様のお力で新緑のように将来のある力強い病院つくりができればなと思う今日この頃です。
最後になりましたが、同門の皆様の今後のご活躍をお祈りしております。
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みずき内科クリニック(福岡県田川市) 水 城 恒 隆(昭和 62 年入局)
皆様、こんにちは。2012 年 12 月より田川市立病院横でクリニックを開業して
おります。49 才と 11 か月での開院から約 2 年半が経過いたしましたが、本当に
あっという間の時間でした。
まだまだ軌道に乗ったというには尚早ですが、毎日楽しく慌ただしく外来診療
を継続できています。開業して感じるのは疾病に対する一次予防・二次予防の重要さでした。30 才の頃、
飯塚病院循環器科勤務の頃に日々心カテに追われる毎日を過ごしておりましたが、ある時紹介医である
開業医の先生(現在も田川で御開業)から“心カテで狭窄病変を治療してもらったのはありがたいが、
糖尿病のコントロールを殆どできていないぞ”との厳しい御指摘を頂きました。この頃は“そう言われ
ましても、PCI での短期入院ではなかなか二次予防までは困難では”と感じておりました。以後、特に
生活習慣病コントロールを頑張ってきたつもりでしたが、なかなかその重要性を実感できるには至って
おりませんでした。しかしながら、38 才で生まれ故郷の田川に帰り、12 年間の田川市立病院での勤務
後開業して 2 年半が経ち、長い患者さんでは 14 ~ 15 年間のお付き合いとなりましたが、高血圧症・糖
尿病・脂質異常症等のコントロールが良好な患者さんは本当に心血管イベントの発症が少なく、長生き
なのです。初めて市立病院時代にお会いし 60 才・70 才の患者さんが今や 80 才・90 才で当院へ来院し
て頂いておりますが、その方々の元気な笑顔にお会いできることは医者冥利に尽きるなあと感じる今日
この頃です。当然、御高齢であれば悪性疾患の発症も増加してきますが、院内での胸写・腹部エコーを
フル活用し、また歩いても 1 分の距離の市立病院に CT・MRI・他科紹介(特に消化管精査)をお願いし、
できる限り早期の疾患発見に努めています。
最後に一つだけ自慢させて頂きますが、当院の建物設計は福岡市南区で建築デザイナーをされておら
れる山田浩史先生(㈱山田デザイン研究室)にお願いしたのですが、2014 年のグッドデザイン賞(日
本国内での建築部門)に選出されました。受賞したのは山田先生と当院の建造物でありますが、これか
らも外見だけでなく院内での医療もより充実させていきたい所存です。田川の患者さんたちのために一
開業医としてできる限りの力を尽くしていきたいと考えます。
第 2 内科同門の先生方、今後ともご指導・ご鞭撻のほど何卒宜しくお願い申し上げます。
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国立病院機構 九州医療センター 循環器内科(福岡県福岡市) 村 里 嘉 信(昭和 62 年入局)
四半世紀を顧みて
早いもので、私が産業医大卒業後、第 2 内科に入局し、医師人生を歩み始めて、
27 年が過ぎた。大学病院での研修で始まり、中国労災病院、大学専修医、門司労災病院、日本原子力
研究所産業医、大学応用生理学出向、社会保険筑豊病院の 20 年を医局人事に従い、第 2 内科の発展、
後進の育成に微力ながら、貢献できたと思っている。私自身は、研修終了後、一度も、大学病院での臨
床医としての勤務がなかった。今更ながらだが、大学病院勤務を希望しなかったわけではなく、正直な
ところ、人事の順番が間違っているのではないかと思ったこともある。筑豊病院出向中に、私のライフ
ワークである冠動脈分岐部治療に出会うのだが、左冠動脈
主幹部治療には、心臓外科とのハートチーム形成が必要で
あり、心臓外科が併設されている病院での勤務は、私の永
年の夢であった。その後、社会医療法人池友会新行橋病院
からお誘いがあり、2007 年から同病院のハートセンター
長として赴任し、堀内正孝先生と、京築地区の循環器医療
を一手に引き受けることになるのだが、人集めに本当に苦
労した。後期研修医を鍛え、PCI 術者、ペースメーカ術者
に育て、地域医療振興政策で、医師派遣支援が決まると、
EuroPCR2014 での基調講演
福岡大学に支援をお願いに上がり、実現させた。産業医大
は、産業医養成の目的大学であり、医師派遣支援活動は、
行っておらず、母校の後輩を育てる機会がなかったのは、
残念であった。堀内先生が地元の熊本に帰られてからは、
独立した術者が私一人で、てんてこ舞いであったが、コツ
コツと、自分のライフワークの分岐部治療に関する基礎研
究、多施設前向き臨床研究を続け、2013 年には、CVIT、
EuroPCR の late breaking trial に選んでいただいたのは、本
当に嬉しかった。地域医療の自立は、大学医局との相互供
与と医師の定着に依存すると、考えるが、それを個人の力 Coronary Bifurcation Summit でのライブ術者
だけで実現することは、難しい。そして、久留米
大学からお誘いがあり、昨年 4 月から同大学心臓
血管内科に入局し、現在の九州医療センターに赴
任することとなった。前任の行橋に引き続き、単
身赴任で、家族には、一層の迷惑をかけているが、
九州の中心都市の基幹病院であり、私のライフワー
クの終結の場所として覚悟し、勤務している。
四半世紀を振り返り、産業医大の中で、臨床医
療を目指すことは、容易ではなかったというのが、
大学病院の外部にしかいなかった私の実感である。
九州医療センター
臨床志望の産業医大卒業生の進路のうち、大学が
全面支援できる医療環境で勤務できるのは、大学病院、労災病院のごく限られたポストで、それが巡っ
てくるのは、実力にもよろうが、運もある。私の進んだ道は、決して、最初に望んだ通りではなく、誰
も通らないデコボコ道だったような気もするが、自らが選んだ道であり、後悔はしていない。医師とし
ての基礎を作って頂いた第 2 内科の先生方、前任地の直方、行橋で、御厚誼を頂いた同門の先生方には、
深く感謝をしており、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
− 47 −
琉球大学 大学院 医学研究科 薬理学(沖縄県西原町) 教授 筒 井 正 人(昭和 63 年入局)
第 2 内科の皆さん、こんにちは。産業医大 5 回生の筒井です。私は、琉球大学
に赴任して、早いもので 6 年になりました。日本唯一の亜熱帯気候にもすっかり
慣れ、今では沖縄の生活を楽しんでいます。
この便りを書いている時(5 月 12 日)、台風 6 号が沖縄に接近しました。沖縄
は台風の通り道で、統計では 1 年間に平均 7.2 個の台風が接近あるいは上陸しています。沖縄の台風は
本土とは異なり、勢力が強く暴風が吹き荒れるので危険です。こちらに赴任して間もない頃、台風は少
しそれているので大丈夫だと思って大学に行ったら、過去に経験したことが無い猛烈な風に体が吹き飛
ばされそうになりました。それ以来、台風の時は、宿舎に籠もって大人しくじっとしています。過去に
琉球大学病院では、台風の時に緊急手術があり、病院に来た脳神経外科医が強風に吹き飛ばされて頭蓋
骨を骨折したことがあるそうです。
昨年 7 月 8 日、大型で非常に強い台風 8 号が沖縄に接近し
ました。気象庁は、大きな被害が予想されるとして、台風を
理由とするものとしては史上初となる「特別警報」を発表し
ました。この台風の時は、驚いたことに、大学の駐車場に停まっ
ていた車が強風でひっくり返りました(写真)
。昭和以降の台
風の中で特に被害の大きかった室戸台風(1934 年、
死者約 3,000
人、911 hPa)、枕崎台風(1945 年、死者約 4,000 人、916 hPa)
、伊勢湾台風(1959 年、死者約 5,000 人、929 hPa)を、
「昭和
の 3 大台風」と呼ぶそうです。沖縄には、これに匹敵する、あ
るいはこれより強力な(中心気圧が低い)台風がしばしばやっ
てきます。沖縄は、温暖でのんびりしていて、住むにはとて
も良いところですが、台風が唯一の欠点だと思っています。
研究においては、第 2 内科の古野由美先生、田村雅仁教授、
尾辻豊教授との共同研究である「実験に有用な急性心筋梗塞
(AMI)モデルの開発:2/3 腎摘 NO 合成酵素完全欠損マウス」の成果が、昨年、Journal of Molecular
and Cellular Cardiology(IF 5.2)に publish されました。この研究は、産業医大で古野先生と一緒に研
究を始めてから琉球大学で論文が accept されるまで足かけ 8 年掛かりました。AMI を発症する動物モ
デルが過去に 4 つ報告されていますが、発症に 1 ~ 3 年と長期間を要したり、逆に、発症が早すぎて生
後間もなく死んでしまったりで、実験に有用なものは一つもありません。私達のモデルは、実験に資す
る世界初の AMI モデルです。この新規モデルを用いて、今後、AMI の予防戦略の研究開発を行ってい
く予定です。
現在、産業医大の呼吸器内科や整形外科と、共同研究を行っています。産業医大呼吸器内科の生越貴
明先生(大学院生)は、今年 4 月の日本呼吸器学会において、
「NO 合成酵素完全欠損マウスにおける
肺高血圧の研究」で、学術部会賞を受賞しました。約 1,000 題の一般演題の中から抄録審査で 15 演題
が選出され、さらにプレゼン審査で 5 題が賞に選出されたそうです。第 2 内科の皆さんとも、また一緒
に研究が出来ればと願っています。
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医療法人 ことぶき会 川波医院(福岡県直方市) 理事長 川 波 潔(平成 2 年入局)
呼和浩特(フフホトと読みます)を訪ねて
第 2 内科の皆様いつも大変お
世話になっております。一昨年のことになりますが、
中国の内モンゴル自治区へ人生で初めて 3 泊 4 日で訪
問しました。漢字と併記して縦にミミズがはったよう
な文字があり、モンゴル文字でした。ホテルに着く
と羊料理(頭や大腿の肉)と民族衣装をまとった男女
がホーミーという民族音楽(胃袋から出す低音が特
徴)で歓待してくれました。フフホトは人口 385 万人
の大都市で、内モンゴル自治区の州都です。内モンゴ
ルはチベットやウイグル自治区に続き中華人民共和
国で 3 番目に面積が大きい州です。驚くことに訪れる日本人はほとんどいないのに非常に親日でした。
2 日目は国際砂漠協会との合同会議で、第一回「サジー産業発展国際フォーラム」に参加しました。サ
ジーとは内モンゴルのゴビ砂漠地帯やチベットやヒマラヤ高原の高山や寒冷地などの非常に厳しい環
境で自生しているグミ科の植物です。薬効については約 1300 年前の唐代の書物に「生命の果実」とし
ても取り上げられ、シルクロードのキャラバン隊も貴重なビタミン源として利用していました。会議内
容は 1.砂漠にサジーを植林することで内陸部の砂漠化を止める。2.ひいては黄砂の飛来量を削減する。
3.収穫を農村部の貧しい人たちの収入源とする。4.世界中にサジー製品を輸出することで産業とする。
ことでした。3 日目は、工場見学をして実際の生産ラインを巡視しました。非常に衛生的な大規模工場
でした。隣は中国のトップミルクメーカーの蒙乳とアメリカのコカコーラ現地生産工場があり、豊富な
地下水脈を利用していました。既にマレーシア・インドネシア・アメリカ合衆国では化粧品の原材料と
して成功しています。出発日の 4 日目の朝食は食べずに空港に向かいました。理由はケニヤの大統領が
同じホテルに宿泊していたらしく、朝食会場が関係者で封鎖されたのです。事前の連絡もなく突然起こ
ることにびっくりしました。その他にもいろいろ面白いこともあり、中国は近くて不思議な所だなと思
いました。
− 49 −
名古屋検疫所中部空港検疫所支所(愛知県常滑市) 竹 原 木綿子(平成4年入局)
ご無沙汰しております。産業医科大学 9 回生の竹原です。2014 年 10 月から、
地元の愛知県に戻り、中部国際空港の検疫所で勤務をしております。職場は 24
時間体制のため、現場は、交代勤務で時間も休日も勤務表が出るまでわかりませ
ん。約 10 年ぶりの日本での生活に加えて、長時間の通勤や制服などなど、カル
チャーショックが重なり、慣れるのに随分時間がかかりました。
検疫業務は、全て検疫法に従って行われます。検疫感染症っ
てご存じでしょうか。最近は、エボラ出血熱関連で検疫が
ニュースでとりあげられることもありますが、①感染症法に
基づく分類での、エボラ出血熱をはじめとする 7 つ全ての一
類感染症、②新型インフルエンザ等感染症、③二類感染症の
中の鳥インフルエンザ(H5N1・H7N9)、中東呼吸器症候群と
四類感染症の中のデング熱、チクングニア熱、マラリアが検
疫感染症に指定されています。空港では具体的には、サーモ
グラフィーで反応のあった方や自主的に健康相談室に来室さ
れた方の問診や診察、機内で体調不良者が出現し検疫感染症が
疑われる場合や詳細不明の場合は機内検疫を行っています。あ
くまで、検疫感染症かどうかの判断、その後の措置(感染者の
隔離、濃厚接触者の停留など)が目的ですので、その他の疾病
の診断の必要はなく治療もできません。ちょうどエボラ出血熱
感染国に滞在されていた方への対応が強化されていく過程で
したので、現場でのそれなりの緊張感も味わいました。加えて、
防護服の着脱訓練や新型インフルエンザ搬送訓練、日々の感染
症情報の収集や発信など、それなりに慌ただしく毎日をすごし
ております。先日は大型客船の検疫も経験しました。洋上の客
船に別の船から乗り込んで、船上で入管とともに入国手続きを
行いました。
現場の仕事には戸惑うことも多いのですが、感染症の水際対
策の実践を、仕事をしながら学ぶことのできる良い機会だとも
感じています。そして、水道水が飲めて、食材も手軽に買える日本は良いなあと思います。名古屋にお
いでの際は、お知らせいただければ嬉しいです。
− 50 −
特定医療法人東筑会 東筑病院(北九州市八幡西区) 長 井 善 孝(平成5年入局)
私が東筑病院に赴任して早 2 年が過ぎました。いつの間にか 2 年も経ったとい
うのが実感です。若松病院の前にも 1 年東筑病院に在籍していたので何年経った
のか分からなくなる事もありますが、充実した毎日を送らせて頂いています。
東筑病院は内科医師 11 人に加え、昨年よりリハビリ専門医 1 名が加わり、計
12 名の医師が常勤として働いています。自分の専門以外の患者も普通に主治医となり、診療を行います。
脳卒中、神経疾患、各種悪性腫瘍 etc. とはいっても、専門領域を外れるとわからない事ばかりで、い
ろいろな先生に助けてもらってばかりの毎日です。
東筑病院は内科単科の病院ですが、売りはリハビリです。現在 43 名のリハビリ技師が在籍しており、
すっかり手狭になってしまった病院の中を所狭しとリハビリをする患者と技師で毎日あふれています。
土日祝日もリハビリを行っているので、連休の間にリハビリが後退することもありません。言語聴覚士
は 3 名在籍しています。3 名いれば充実していると言えるのですが、それでも脳梗塞後の失語や廃用性
の嚥下障害の患者が非常に多いので対応が難しくなっており、更にもう 1 名増員の予定となっています。
心臓リハビリも活発に行われています。CPx が導入されてからは具体的な負荷量が設定出来るように
なり、リハビリ処方も行いやすくなりました。
建物も、昨年の老人保健施設新築に加え、これからの診療報酬改定に対応するため今年有料老人ホー
ムが新設されました。更に数年後は病院も建て替わる予定となっています。建て替わった際には MRI
の導入や電子カルテの導入といった話もあるようです。個人的には MRI の読影の自信がないので難題
が降ってくるような思いです。
東筑病院は時間外は基本的に当直医に任せるという院長の方針があるので、週末はほぼ確実に休みが
取れるのは有り難いところです。病院に大のゴルフ好きの先生がいて、毎週のように誘われるのでラウ
ンドの回数は飛躍的に伸びました。なのにスコアが伸びず、以前は笑って「ダメだった~」で済ませて
いたのが済ませなくなりました(笑)。
今後も、診療では専門外疾患の知識向上を目指し、ゴルフではスコアアップを目指し頑張っていきた
いと思います。
− 51 −
横浜さかえ内科(神奈川県横浜市) 院長 中 田 靖(平成 9 年入局)
平成 26 年 4 月に、横浜市栄区で内科クリニックを開院いたしました。横浜市
栄区は、鎌倉市に接しており、公田(おおやけの田)
、鍛冶ヶ谷(鍛冶屋の地域)
といった地名に代表されるように、鎌倉幕府の公的な役割を担っていた地域です。
所属していた横浜栄共済病院や近隣他医(中島先生九大ご学友の中島啓雅先生な
ど)に助けられ、細々と診療しています。私をご存じでない若い先生方も多いと思いますが、平成 9 年
に第 1 期中島門下生として入局し、動脈硬化性疾患を中心に従事してまいりました。研究では筒井正人
先生(現:琉球大学教授)のご指導にて、一酸化窒素やメタボリック症候群に関係する研究をしてまい
りました。
医局人事で敬遠されがちなのが産業医です。私も茨城県東海村にある日本原子力健康開発機構東海開
発センター原子力科学研究所の専属産業医として 2 年間従事しました。当時は、夏冬休みと有給休暇を
すべて使って大学まで研究しに行ったり、隣の茨城東病院(旧:晴嵐荘)に行って悦喜豊先生(現:日
立総合病院)に心カテ指導をしていただいたり、興味がいろいろあったように思います。その私が、栄
区発祥のファンケル化粧品とその関連会社の嘱託産業医をしています。諸先輩に「第 2 内科の医師は臨
床、研究、産業医全てに明るくなくてはならない」とご指導いただき、まさにすべての経験が現在の開
業に役立っており、感謝しています。
今後勉強していきたいと感じているのが認知症です。認知症が社会問題となっておりますが、その発
症には中年以降のメタボリック症候群が関与することが言われております。働き盛りにメタボのない生
活を送っていただき、高齢認知症患者の少ない社会に貢献するのが産業医大第 2 内科 OB の使命だと思
います。産業医大は目的大学なので社会のニーズにあった最先端の研究を今後も若い研究者を中心に柔
軟に続けていってほしいと思います。今後とも皆様にはご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げま
す。
− 52 −
日新製鋼㈱ ステンレス製造本部周南製鋼所(山口県周南市) 環境安全チーム診療所 専属産業医 山 本 真 二(平成 9 年入局)
第 25 回産業医・産業看護全国協議会のご案内
第 2 内科の皆様、大変ご無沙汰しております。平成 9 年入局しました山本です。
平成 11 年 6 月より現在の事業所に産業医として勤務しています。事業所の概況は以前医局便りに寄稿
しておりますが、16 年間を振り返ると、業務内容が企業業績により大きく左右されてきたと思われます。
企業が赤字になれば、固定費削減のため間接部門のスタッフ削減が何度か行われました。また、業務の
アウトソーシングも進み、診療所スタッフは 10 名から 2 名へ激減しました。今は、看護師 1 名(衛生
管理者兼務)と嘱託産業医契約 8 社含んだ産業医業務と診療を慌しく行っています。
さて、この度日本産業衛生学会の秋季学会である標記学会を企画運営委員長として拝命致しました。
平成 27 年 9 月 16 日(水)より 19 日(土)に山口県周南市で開催致しますので、ご案内申し上げます。
学会のメインテーマを「職場を元気にする産業保健の確立に向けて」としました。産業保健スタッフは
現場で応用できる EBM に裏打ちされた正しい知識とスキルを身につける必要があり、かつ全国協議会
は実践的内容を学ぶ場でもあります。実地研修
5 ヶ所を初め、基調講演は労働科学研究所の小
木先生に「産業保健チームがサポートする職場
環境改善について」お話し頂きます。メインシ
ンポジウムは、「多様化するうつ病問題を解決
して職場を元気にする〜ストレスチェック活用
の可能性を探る〜」と言うテーマで、今年の
12 月より施行されるストレスチェック制度の
職場での活用を議論します。それ以外にもシン
ポジウム 7 題と教育講演 5 題を用意しています。
日医認定産業医単位も取得できますので、どう
ぞ多くの方のご参加をお願い致します。プログ
ラムの詳細については、産業衛生学雑誌 5 月号
及び当学会の HP でご確認下さい。
また、現在 NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」が放
送中です。舞台は山口県萩市です。7 月には萩
市の「松下村塾、萩城下町、萩反射炉」は世界
遺産に登録されるようです。
当学会で皆様にお会い出来る事、楽しみにし
ております。
− 53 −
大阪大学大学院医学系研究科 循環器内科学(大阪府吹田市) ハートセンター 特任助教 南 口 仁(平成 22 年入局)
産業医科大学第 2 内科学の皆様、お元気ですか。ご無沙汰しております。郵送
して頂きましたメーテルのイラストの入った心エコー図学会学術集会のポスター
をみて北九州非常になつかしく思いました。大阪大学では、今年度から重症心不
全・移植専攻医育成プログラムが設立され、関連病院だけでなく全国から心不全
の勉強にやってくる医師が増え、病棟も今までよりもにぎやかになりました。2014 年度の不整脈関連
診療実績はカテーテルアブレーション 82 例、電気生理検査 13 例、ペースメーカ植込み 68 例、ICD 植
込み 21 例、CRT 植込み 23 例、ILR 植込み 6 例でありました。昨年は夏休みが 2 日しかなかったり、
学会にいっても病院に呼び戻されたりと何かと忙しくしておりました。今年は、1)エキシマレーザー
を用いたリード抜去、2)成人先天性心疾患に対する不整脈治療、3)心外膜アブレーションの 3 つを不
整脈グループのテーマとしてやっていこうと考えております。リード抜去に関しては国立循環器病セン
ターの岡村先生にご指導頂き、本年 1 月より本格的に開始しております。近年ペースメーカ感染が問題
となっているかと思いますが、ICD、CRTD といった大きなデバイスは特に皮膚圧迫壊死の原因となり
ます。どことなく紹介も増えすでに 10 例を超えました。リード抜去術を行うことで、植込み手技をど
のようにおこなえばより感染を減らすことができるのか、どのシステムを用いればより安全にリード抜
去ができるのかといったことまで再考する非常にいい機会となっています。私としては植込みから、遠
隔モニタリングシステムを用いたフォローアップ、リード抜去までを含めた“デバイス治療のトータル
マネージメント”をかかげてやっていきたく思っています。次に成人先天性心疾患に対する不整脈治療
(特にカテーテルアブレーション治療)についてです。現在成人先天性心疾患は約 40 万人いるといわれ
ており、幼少期に手術をうけた後、成人期に不整脈で困るこ
とが最近の話題になっています。そこで現在は小児科、小児
心臓血管外科、循環器内科(心不全グループ+不整脈グルー
プ)で月 1 回のカンファレンスを開催し症例検討をおこなっ
ています。心房中隔欠損症や心室中隔欠損症、ファロー四徴
症くらいまではいいのですが、単心室などの複雑心奇形など
なってくると解剖的に頭がパニックになってきます(笑)
。
心外膜アブレーションも今年度より始めています。特に拡張
型心筋症では通常の心内膜からのアブレーションのみでは困
難であることから、心外膜への介入も必要となります。VT/
VF がコントロールできずに VAD や心臓移植になる症例を
不整脈医としては極力防ぎたいと考えております。
2012 年 6 月にハートセンター(病院)の助教となって以来、
写真1
学生教育(クリニカルクラークシップ)に携わる機会が非常
にふえています。また、日本内科学会の JMECC 院内開催に
も携わり、院内の BLS/ACLS コースの代表もやっておりま
す。教育の難しさ、面白さを実感しながらも、日常診療の忙
しさに押しつぶされそうな毎日をおくっております。
今後ともご指導・ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
写真1:自宅のマンションから見た大阪大学医学部附属病院
写真2
写真2:不整脈の病棟スタッフ
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