『医の道を求めて ウィリアム・オスラー博士の生涯に

保健医療経営大学紀要 № 5 67 ~ 69(2013)
<書評(Book Review)>
『医の道を求めて─ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ』を読む
松永 伸夫 *
Keywords:ウィリアム・オスラー,予防医学
1. はじめに
から「オックスフォード時代」(この章には 「生涯の終
「日本の医療は,明治以来ドイツ医学の影響下に発展
焉」 の項の記述がある ) まで,年代をたどっての伝記が
したが,第二次世界大戦後はアメリカ合衆国や英国の医
7章にわたっている.この後,「オスラー亡き後のオス
学の影響を受けて発達した.
(後略)
」2)
ラー夫人をめぐる人々」 にふれ,「ウィリアム・オスラー
数年前に九州北部地域のある有力地方紙が,地域医療
の死に関する哲学と死の研究」の章で稿を終えている.
疲弊化の実情ルポを連載し,事後にその記事を一冊の本
そして著者は,この書を閉じるにあたって,次のよう
にまとめた.その本の「推薦のことば」を,日野原重明
に < 結語 > を記している.
3)聖路加国際病院理事長が上述のように書いている.
「オスラーは,その若き時代から多くの古典を読ん
ドイツに留学した医師森林太郎がドイツ医学を日本に
だ.キリスト教的文化の中で育った彼は,キリスト教的
紹介して戦前の日本医学の発展に貢献したが,アメリカ
ヒューマニズムに根ざした深い感性と素晴らしい頭脳と
医学の礎を築いたウィリアム・オスラー4)を,第二次
をみごとに合致させた.
世界大戦後の社会また人心ともに混乱,経済の疲弊の中
彼は,人間の病むプロセスを追求する病理学を深くき
にあって,日野原重明医師が日本に紹介した.そして現
わめつつ,臨床医学を学び,患者や家族の側に立って医
在,日本における医学の諸分野では英米の医学が主流と
療を実践する共感にあふれた臨床医となった.
」と.5)
なっている.
本稿では,はじめにウィリアム ・ オスラーの人と業績
3. 本書の特長
の概要を見た後,特にオスラーの予防医学についての考
① 各章は「イントロダクション」の記述から始まり,
え方とその実践にふれてみたい.
本文へと進行するが,このイントロダクションを通読し
ていくだけでも十分にウィリアム・オスラーの人と業績
2. 本書の構成
を知ることができる.6)このことは日野原重明医師が,
本書は,近代アメリカ医学の基礎を確立した医師ウィ
オスラーの「生き方」とその足跡,また彼が残した膨大
リアム ・ オスラーの生涯を,年代をたどって紹介する大
な業績に関係する資料等を可能な限り収集して,読み込
部の(全 882 ページ)伝記書物である.各章には著者が
み研究するといった地道な不断の努力の積み上げがあっ
長年月にわたってオスラーに関係する多くの文献を収集
て,初めて昇華された結果だと考える.
しその研究を続けてきた結果の,豊富で貴重な資料(オ
② また各章には,著者による豊富な小見出しと(註)
スラーの家系図,研究論文,講義録・講演記録の内容紹
が付けられており,読者はそれらを活用することによっ
介,オスラーに関係する写真,図書等の一覧,他)が収
てオスラーのことをより容易に理解し,より深く知るこ
録紹介され,それらをベースにして伝記として記述され
とができる.
ている.オスラー研究者にとって本書は学術的にも非常
③ 本文の中には,要所要所に著者による,原典からの
に価値あるものだと考えられる.
引用紹介がなされているので,読者は内容理解が容易と
著者はその冒頭の章「オスラーの業績と生涯のあらま
なる(この原典からの引用紹介は,(註)においても同
し」
でその一生を分かりやすく評伝し,
続いて「生い立ち」
様の扱いとなっている).7)
* 保健医療経営大学学務課参与
E-mail:[email protected]
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松 永 伸 夫
④ 巻末には,全 22 ページにわたって「著述と文献」
らには性病としての梅毒や淋疾の早期治療と予防に言及
が掲載されている.その整理分類された資料明細の一つ
し」ている.10)
ひとつには,著者の並々ならぬ研究心が表れている.
すごい先見の明である.100 年前にすでにこのような
感覚のもとに,臨床医として研究者として予防医学に照
4. オスラー博士の予防医学に関する考え方とその実践
準を合わせていたのである.
(3)筆者と予防医療
(1)
「健康」と 「病気」 のあいだ
保健医療経営大学では,1 年次後期に 「社会保障制度
11 年前,筆者は図らずもがん患者(前立腺)となった.
概論」(必修科目)が開講されている.今年度(平成 24
それまでの生活は,暴飲暴食はせず,平均的な生活の中
年度)の一コマでは,
「生活習慣病対策・がん対策」に
で,健康には留意していたと思う(もっとも,メンタル
ついての講義があった.その中で,予防医療に関係した
面からの要因はあったかもしれない)
.それでも,がん
項目は次のようであった.
細胞が体内で異常な分裂作用を引き起こしていたのであ
日本における平成 23 年度の発生医療費は総額 37.8 兆
る.幸い,がん判定はステージ2で,手術が可能であった.
円で,その内 13.4 兆円が後期高齢者 1500 万人に関係す
さらに幸いなことに3年後の再発に際しても投薬でクリ
るものであった.実に 35%強の高率である.
アーすることができた.現在も3か月ごとの定期健診は
この伸び続ける医療費コストを抑制することを目途と
続いているが,元気に日常生活を送っている.主治医の,
して,
小泉改革等の諸施策がとられてきている.しかし,
石橋を叩いて渡らんばかりの丁寧な指導は続いているこ
それらの施策は医療費発生の結果に対しての医療費コス
とに加え,筆者自身も生活習慣を改めた(野菜,魚中心
ト抑制策であって,その発生要因を分析したうえで予防
の食生活メニュー,適度の運動等)ことがプラス効果に
医療の策を講じたものではなかった.病気そのものの発
つながっていると思う.
生を少なくできれば,国民が医療機関で支払う医療費の
総額は減少することは明白である.
5.終わりに
たとえば,
「健康」
と
「病気」
の間にあるのが,メタボリッ
オスラーは「若い人の前に立つ毎に本を読むことを奨
クシンドローム(内臓脂肪症候群 ) である.肥満症,糖
励し,また彼自らが若い人の書斎となるように努力した」
尿病,高血圧症,脂質異常症及びこれらの予備軍などの
「彼が
11)教育者であった.
生活習慣病は,生活習慣の改善によって病気の予防が可
書」 として講演集『平静の心』(Aequanimitas,1904)
能である.
の付録に書き上げた本は,おそらく彼が大学生時代に毎
私たち一人ひとりが,
「予防医学的なことから,出来
晩床の中で読んだ本の中からとりあげたものであろう.
」
るだけ早く,症状がなくても検診を受けて,症状のない
「
12)それらは次のようなものであった.
病気を発見する.ものを言わない臓器もあるから調べて
① Old and New Testament 13)
欲しい.(略)そういうふうに予防医学のこと」8)を毎
② Shakespeare 14)
日の生活の中で自覚することが大切である.
③ Montaigne 15)
国は平成 20(2008)年度から特定健診と特定保健指
④ Plutarch’s Lives 16)
導の法制化により,医療費適正化計画の推進に動き始め
⑤ Marcus Aurelius 17)
た.予防活動の実施状況に見合った拠出金で,地方行政
⑥ Epictetus 18)
への差をつけようという施策である.この施策の効果が
⑦ Religio Medici 19)
期待される.
⑧ Don Quixote 20)
(2)オスラーの予防医学
「医学生のための就床時の図
⑨ Emerson 21)
さて,
「オスラーはまた,
(略)単なる臨床医学のみな
⑩ Oliver Wendell Holmes―Breakfast Table Series らず,予防医学にきわめて強い関心を示し,その発展の
22) ために努力した.
“将来の医療は,健康保持と病気の予
オスラーが後年に医学生時代に読むことを奨めたこの
防にある”という言葉を早くから残している.」9)
一〇種の文献は,各時代にわたる代表的な著述である.
」23)
また,オスラーの予防医学の実践について著者は次の
保健医療経営大学に学ぶ学生一人ひとりが,在学中の
ように記している.
「
(略)また一九世紀の生んだ病気の
みならず卒業後にあっても,この本『医の道を求めて─
新療法として,ジフテリアを例に血清療法にも触れ,最
ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ』とまたオスラー
後に「予防医学」というタイトルの下に,予防接種によ
の講演集『平静の心』24)とを並行して活用し続けるこ
る痘瘡のコントロール,その他発疹チフス,腸チフス,
とを願う.その時,彼らはその道程を自信をもって力強
コレラ,マラリアなどに対する衛生政策の重要性を,さ
く進むことができ,結果として生涯において大きい成果
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『医の道を求めて─ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ』を読む
を勝ち取ることだと考える.私自身,この二つの本の座
ぶ』8頁
右活用によって,オスラー研究と可能なことでの行動を
10)同上 372 頁
これからの生涯の生活指針とするという夢を持ち続けた
11)同上 41 頁
いと思う.
12)同上 61 頁
13)
『新約および旧約聖書』=彼は牧師の家庭で聖書の中に育っ
(注)
た人であるが,彼は,キリスト教徒でなくても,医師の職
1)日野原重明著『医の道を求めて─ウィリアム・オスラー
業に立つための準備をする学生に,医業に生きるプリンシ
博士の生涯に学ぶ』,医学書院,1993 年 プルを聖書の中に学べといっている.
2)西日本新聞編集委員 田川大介編著『医療崩壊を超えて
14)ウィリアム・シェークスピア(一五六一~一六一六)=
─地域の挑戦を追う』ⅰ-ⅱ頁「推薦のことば」
,
ミネルヴァ
書房,2009 年
英国の生んだ世界的詩人,劇作家である.
15)モンテーニュ(一五三三~一五九二)=フランスの評論
3)日野原重明:1911 年山口県萩市に生まれる.現在,聖
家,随筆文学の先駆で,その『随想録』は,日本にもよく
路加国際病院理事長.父親はキリスト教プロテスタント教
会の牧師であった.101 歳の今も現役で,臨床医師として
紹介されている.
16)プルタークの『英雄伝』=プルターク(四六~一二〇
働いている.
AD)は,ギリシャの伝記学者,歴史家である.また,ロー
4)ウィリアム・オスラー:1849 年 - 1919 年,父親が英国
マ皇帝ハドリアンの教育にあたり,ローマとギリシャの英
国教会の牧師としてカナダの植民地伝道に着任した先の寒
村ボンドヘッドで生まれた.神学校に入学したが,生物学
雄一人ずつを対比し論評している.
17)マルクス・アウレリウス(一二一~一八〇 AD)=ロー
他自然科学に関心をもち,医学への道を進んだ.
マ皇帝として在位(一六一~一八〇),またストア学派の
5)『医の道を求めて─ウィリアム・オスラー博士の生涯に
学ぶ』857 頁
哲人でもあった.
『自省録』がある.
18)エピクテトス(五〇~一三五 AD)=ローマ・ギリシャ
6)本書は奥付が巻頭(ⅲ頁)にあるが,これに続いて著者
による次の文章がある.
に住んだストア学派の哲人.
『語録』がある.
19)
『 医 師 の 信 仰 』 = ト マ ス・ ブ ラ ウ ン 卿( 一 六 〇 五 ~
──日本の医学生と,医師,看護婦,そして医学に関心を
一六八二)の著書.ブラウンはイングランド(Norwich に
もつ一般人にこの書を捧げる.
住む)の臨床医であり,また思想家,神学者.オスラーの
人生哲学の基礎作りをした書物で,オスラーの座右の書と
読者に.
され,彼が死んだ時には,これを柩の上に置くようにとオ
オスラーに初めて接する方は,まず先に最初の章を読ん
スラーは遺言した.
で生涯とその思想の概略を知ってほしい.各章の冒頭のイ
20)『 ド ン・ キ ホ ー テ 』 = セ ル バ ン テ ス( 一 五 四 七 ~
ントロダクションは,章を分割して読まれる方の便を考え
一六一六)の風刺的小説で,騎士道的であるが,非現実的
て付け加えた.
な方法で,圧迫されたものを助け,悪を征伐しようとする
主人公を描く.
7)たとえば,講演「オスラーの看護婦論」
(一八九七)を
21)R.W. エマーソン(一八〇三~一八八二)=アメリカの
紹介した章には,次のような『論語』からの原典紹介がある.
生んだ一九世紀の評論家,哲学者,詩人.コンコルドの聖
「註 (10) オスラーにより引用された孔子の言葉の原典は
人とも呼ばれた.彼の思想には東洋思想も汲みとられてい
『論語』の衛霊公篇にある次の文である.「子貢問曰,有一
言面可以終身行之者乎.子日,其恕乎.己所不欲勿施於人」
る.
22) オ リ バ ー・ ウ ェ ン デ ル・ ホ ー ム ズ( 一 八 〇 九 ~
すなわち,「この一言なら生涯守るべき信条とするに足る
一八九四)=アメリカの一九世紀の作家であり,また医師
─そういうことばはありましょうか」子貢にこう問いかけ
であり,解剖学者でもあった.The Poet at the Breakfast
られて,孔子は答えた.「まず恕─他人の心をもって自分
Table や The Autocrat of the Breakfast Table などの著
の心とすること.人からされたくないことは,自分からも
人にしないことだ」(久米旺生訳).」
書がある.
23)同上 61-62 頁 (『医の道を求めて─ウィリアム・オスラー博士の生涯に学
24)『保健医療経営大学紀要』第 4 号 2012 年(77 - 79 頁)
,
ぶ』291 頁)
拙稿「『平静の心─オスラー博士講演集』を読む」に概要
8)平成 7 年 10 月 22 日放映,NHK 教育テレビ
「こころの時代」
を紹介
での日野原重明医師の発言(聞き手は,金光寿郎さん)
9)『医の道を求めて─ウィリアム・オスラー博士の生涯に学
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(2012 年 11 月 30 日提出)