メキシコ・マキラドーラの諸問題

メキシコ・マキラドーラの諸問題
吾郷健二
(西南学院大学)
目次
Iはじめに-マキラドーラとPRI体制-
11マキラドーラエ場の現状
1位置
2特徴
、マキラドーラとメキシコ経済
1雇用と人口移動
2女性の労働力化
3メキシコ経済との関連効果
4対外脆弱性
Ⅳむすびに代えて-「国境経済」-
参照文献
英文レジュメ(Summary)
I
はじめに-マキラドーラとPRI体制一
1985年9月の「プラザ合意」以降の円高の進展の中で,メキシコ・マキラドーラエ業は,一部
の日本企業から,新たな対米輸出戦略の展開拠点として,多いなる注目を受けているようであ
る。もっとも,世界的な国際分業再編成過程の中で,立地上アメリカとの特別の関係に位置す
るメキシコのマキラドーラエ業は,単に日本企業のみならず,国際資本全体から注目されては
いるが。
そして,マキラドーラに期待することにかけては,当のメキシコ・デラマドリー政府自体も
劣るものではない。1985年9月の大地震と1986年初頭来の石油価格暴落(逆オイル・ショック)
以後,ますます激化しつつある経済危機の中にあって,デラマドリー政府の「長期成長戦略」
の要は,「非石油製品輸出の拡大による累積債務の利払い履行」である。そして,非石油製品輸
出拡大の鍵を握るとされているのが,マキラドーラエ業の輸出なのである。今や,一握りのマ
-23-
、
キラドーラエ業の動向が,メキシコ経済の「長期成長」戦略,ひいては体制の安定性維持の根
幹にかかわるとみなされている。
IIマキラドーラエ場の現状
1位置
まず,マキラドーラエ場の〆キシコ経済にとっての位置づけ(どの程度のウエイトを占めて
いるのか)を確認しておこう。
第1表によれば,マキラエ場は,1969年の108から1983年の600に大きく増加し,総雇用労働
者数も1.6万人から15万人へと増加した。1984年には,722工場,16.5万人!),1987年6月時点で
は,LO51工場,28.5万人2)へと増加し,80年代後半に急膨張している様子が窺える。
マキラの雇用労働者数は,メキシコ全土の雇用労働者数(1970年で約1.000万人)の1~2%
を占める。人口流入が激しく,失業率が相対的に高い北部国境地域では,マキラは最も重要な
雇用主の1つと言える。特に雇用労働者全体の70%(1984年,11.6万人)が女性であるので,
とりわけ女性にとっては,最重要の雇用先である。
第1表マキラドーラの工場数・雇用者数')
工場数
総数
生産労働者による
月間平約労働時間
内陸部
総数内陸部
(100万時間)
15.858
20,327
29.214
48.060
10
64.3304.200
26
75.9774.852
36
67.2135.069
10.8
42
74.4966.964
12.3
57092
43667
8019754837005
jI
33
012345678901
戸I匂I庁I庁I可I庁I句I万I戸I庁I(ろ(5
0253555445420
1123244444566
19692)
雇用者数(人)
78.4337.752
13.1
90.7048.317
15.1
111.36510.828
18.4
119.54612.970
19.2
130.97314.523
21.1
-24-
82
585
71
127.048
13.821
20.0
83
600
67
150.867
15.952
23.0
(出所)DepartamentodeEstadisticaslndustriales,SPPandSEPAFIN,citedinGrunwald
andFlamm(1985),Table4.1.
注1)1974年以前の数字(1970年除く)はそれ以降と厳密には接続しない。
2)EIPasoChamberofCommercel969年7月末時点。
3)1971年7月.1972年8月時点。
第2表によれば,マキラの輸出純額は,1981年に9.7億ドル(1984年に11.6億ドル)’)に達
し,現在では,観光収入を上回り,石油に次いで第2位となっている。マキラの輸出額は,メ
キシコの国際収支統計上はサービス収入に入れられ,しかも輸入成分を一切含まない純額であ
るから,比較に際しては注意を要する。そこでアメリカ側の輸入額で測ったメキシコの「マキ
ラ輸出額」,つまり通常の意味でのマキラドーラによるメキシコの輸出額を見るなら,それは1983
年で37億ドルに達する。それに他国向け(主に日本向け)の輸出額を加えると,マキラ輸出額
は,1983年で40億ドルに達する3)。
いづれにせよ,雇用と外貨取得の面だけでみても,メキシコ経済にとって重要な役割を演じ
ていることが分る。
第2表マキラドーラの付加価値額とアメリカの輸入額(単位100万ドル)
マキラの
マキラの
アメリカの806/807
付加価値額!)
輸出額2)
輸入総額3)
9
321
352
315
439
638
771
84465283
74532537
316
24455467
901234567890
1
677777777778
197
うち
うち
関税免除分
関税賦課分(%)
150.0
97.952.1(34.7)
218.8
138.380.5(36.8)
270,4
166.0104.4(38.6)
426.4
256.3170.1(39.9)
651.2
364.8286.4(44.0)
1.032.6
568.7463.9(44.9)
1.019.8
552.4467.4(45.8)
1.135.4
599.9535.5(47.2)
1.155.5
631.1524.4(45.4)
1.539.8
826.0713.8(46.4)
2.065.1
1.049.41.015.7(49.2)
2.341.4
1.186.31.155.1(49.3)
-25-
81
978
976
2.709.7
1.437.71.272.0(46.9)
82
847
832
2.837.5
1.454.11.383.4(48.8)
83
829
3.716.9
1.968.71.808.2(48.6)
860)
1280
(出所)1)SPPTables、
2)BancodeMexicQannualreports,
3)USITC,Tariffltems807DOand80630:USImportsforConsumption ,var1ous
years,citedinGrunwaldandF1amm(1985),Table4-6.
4)Banamex,Examen,p455.
2特徴
オフ・ショアエ場の最大の特徴は,その労働集約的工程と半熟練労働力にある。メキシコの場
合,これらに付け加えて,そのアメリカ市場との近接性のもたらす影響がある。
a・生産物,立地,規模
第3表によれば,マキラエ場の業種は近年多様化していることが分る。比重は明かに,繊維,
オモチャ,人形,半導体などから,テレビ,電気機器,オート・パーツなどに移ってきている。
工場の多くは,6大都市とりわけシウダー・ファレスとティファナに集中している。即ち,
1980年時点で,ティファナ123,メヒカリ79,ノガレス59,アグア・プリエタ22,シウダー・
ファレス121,マタモロス50,その他国境地域に計97(一地域に20以下)である`)。内陸部には
全体の11~12%しか立地していない5)。
第3表アメリカ関税法(806/807)によるメキシコからの輸入の10大品目(%)
ITCカテゴリー
事務機
メモリー
科学機器
ピストン・同部品
道具・刃物類
レジスター・同部品
●●●■己●●●●●
繊維
1395008942
オモチャ・人形・プラモデル
7611943222
半導体・同部品
1111
テレビ・同部品
1969年
-26-
1978年
1981年')
25.0
23.2
5.0
5.6
10.2
7,5
2.8
3.5
3.3
オートパーツ
コンデンサー
電導体
その他電気部品
10大品目計
合計
(総額.百万ドル)
■C●●■■
電気回路器具
872744
356333
モーター・発電機
5.8
6.8
3.82)
8.6
3.0
81.1
69.1
71.1
100.0
100.0
100.0
(145.2)
(1.539.8)
(2.655.6)
注1)807.00輸入のみ。
2)806.30を含むと,4.3%になる。
(出所)ITCdatacitedinGrunwaldandFlamm(1985),Table4-5.
規模の点では,大規模化しつつある。一工場当りの平均労働者数は,70年初頭の120人から後
半の160人,70年代末の200人,82年の220人へと増加している`)。特にマキラドーラ最大の工業
団地(Parqueindustrial)のあるシウダー・ファレスには大規模工場が多い(平均400人の工場
規模)。これに対し,テイファナやメヒカリでは平均130人と小規模な工場が多い。内陸のマキ
ラは,国境地域のマキラよりやや規模が小さい。業種で言えば,家具組立てのマキラは小規模
(50人強)で,電気機器組立てのマキラは大規模(300人以上)で,靴・アパレル関係は中規模
(140人以下)となっている。
b・所有権
マキラエ場の多数は外国企業の子会社である(裏返えせぱ,メキシコ資本もかなりマキラに
参加している)。子会社の90%以上がアメリカ資本である。
アメリカ系マキラエ場もかつては中企業が支配的であったが,最近では巨大企業もマキラで
操業するようになっている。1978年のデータでは,フォーチュン誌の巨大企業500社のうち,少
なくとも48社(日本企業3社,ヨーロッパ企業4社)が進出している`)。
子会社形式以外に,外国企業はメキシコ企業と下請契約を結ぶケースもある。一部に(特に
アパレル関係で)単一外国企業のためだけの専属メキシコ企業が見られるが,多くは複数の外
国企業と契約を結んでいる。そして下請形態の多くは,カリフォルニア国境に立地している。
専属下請メキシコ企業の場合,アメリカの親会社から,融資を受けるかまたはレンタルで,中
古の機械設備などを手に入れている例が多い(専属でない下請の場合でも,そのケースはある
が)。
-27-
第三の形態(というより下請形態の変種)は,「シェルター・プラン」と呼ばれる試験操業の
形態である。現地メキシコ企業は,外国企業から原材料・機械設備の提供を受けて,組立てサ
ービスを行ない,完成品を引き渡すが,この試験操業期間経過後は,当該外国企業は自らの子
会社を設立するか,または当該メキシコ企業と正式の長期契約の下請関係を結ぶか,またはマ
キラドーラから撤退するかのいづれかの決定を下さなければならない。この方式は,面倒な手
続きなしにマキラでの操業を始め,一定期間企業戦略の実験が試行でき,また労働者の訓練も
できるという利点を持つが,割高につく欠陥もある。
c・資本集約度
マキラドーラの性格からして,資本集約度(労働者1人当りの資本装備額)はかなり低い。
1970年のメキシコ全製造工業の資本装備率は6.2万ペソであったのに対し,1974年のマキラエ業
のそれは1万ペソ以下に過ぎない7)。
ただし,ソリスのこの推計では,下請企業への融資による機械設備分がセンサス統計ではカ
ウントされていないため,マキラエ業の資本装備額が過少評価されているきらいがあるし,1974
年以降マキラエ業の資本集約度が高まっている(より資本集約的業種の進出が増加している)
ことは間違いない。
。、付加価値
1975年にマキラの労働者1人当り付加価値は,メキシコ製造工業平均の約3分の2である
がo),これも近年急速に高まってきている。付加価値の約60%は賃金が占め,使用料等(輸送・
修繕・維持費を含む)が約20%,残りを粗利益が占める。
マキラ賃金(ペソ表示)は,1970年代半ばに急上昇したが,78年以降インフレの激化と共に
実質的には低下し,1981年には1973年水準近くにもどってしまい,82年の大インフレの後,83
年には73年水準以下に落ち込んでしまった。しかし,アメリカ企業にとっては賃金(労働コス
ト)は当然ドル換算で計算される。ドル表示のマキラ賃金は,1977年に前年のペソ切り下げで
やや低下したものの,1981年まで上昇を続けたが,82年危機以後ペソの大減価に伴ない,急速
に低下した(第4表参照)。メキシコの為替危機は,明かに米系マキラ企業にとっては大いなる
コスト低減要因である。
第4表マキラ賃金指数
(米ドル.経常価格)
(1975年ペソ)
年
全工場国境内陸部全工場国境内陸部
1973
88.3
93.2
51.8
62.0
65.5
74
102.1
101.4
112.0
88.6
88.0
-28-
36.4
97.2
567890123
777778888
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
106.5
108.7
85.3
100.3
102.2
80.2
106.8
108.5
91.5
88.2
89.7
75.7
104.1
105.3
92.2
100.0
101.3
88.6
101.4
102.5
91.9
115.4
116.5
104.5
92.7
94.0
82.3
132.1
133.9
117.2
92.3
93.1
86.8
157.7
159.0
148.2
100.3
101.3
92.5
121.3
122.5
111.7
77.1
78.0
70.6
89.5
90.4
81.9
(注)手当含む
(出所)GrunwaldandFlamm(1985),Table4.10.
法定最低賃金との関係で言えば,国境地域の法定最低賃金は,メキシコの他の地域したがっ
て全国平均よりはるかに高い(1970年代で約4割高い)。しかし,80年代に入って,この格差を
縮めて,マキラヘの外国投資を促進しようとする政府の政策によって,国境地域の法定賃金の
上昇は,相対的に非常に抑えられ,1983年では,全国平約より17%しか高くなっていない。
もっとも,マキラ労働者が実際に受取っている平均賃金は,最底賃金より高い(約1~4割
高い)。ティファナの224のマキラエ場のサンプル調査(1977~78年)によれば.),法定最低賃金
以下しか受取っていない労働者は,全体の18%にとどまり(もっとも女性の未熟練労働者の場
合,この率は高くなる),全体の36%が最低賃金を上回る賃金を得ているからである。
e・国産化率
1975~83年の時期についてマキラエ場での投入財の国産化率は,1.5%ときわめて低く,(内
陸部のマキラでは4~15%),マキラエ場の組立て加工の性格が明瞭にあらわれている。
f・ジェンダー
マキラドーラ労働力の顕著な特徴は,その大半(約70%)が若い女性であることである。マ
キラの中心都市シウダー・ブァレス(全マキラ労働者の4分の1を占める)の事例で,女性労
働力の特徴をやや詳細に見てみよう10)。
シウダー・ファレスのマキラの60%は電子・電気機器関係,30%はアパレル関係であり,労
働者の大半は,17~25才の若い女性である(第5表)。
第5表シウダー・ファレスのマキラ女性労働者の年齢櫛成(%)
年齢
全産業
エレクトロニクス
アパレル
16~18
21
32
4
-29-
25~27
28~30
31才以上
銘嘔皿3
22~24
58079
212
19~21
14
18
27
14
23
(出所)Femandez-Keny(1983),p、50.
電子・電気関係年齢中央値は20才,アパレル関係では26才となっていて,前者の方がより若
い。ひとつには,前者では若い労働力が好まれているが,後者(縫製工)では経験年数に基づ
くヨリ高い熟練度が要求されるということが考えられる。
労働条件は,前者の方がはるかに良い。というのは,後者は,作業環境が劣悪(騒音,糸く
づなど)な上に,雇用関係がきわめて不安定で一時的であるからである。
労働者の57%が独身であり,うち69%が両親,兄弟・姉妹と同居している若い未婚の女性で
ある。つまり若い未婚女性は,全マキラ労働者の40%弱を占める。既婚女性が43%,結婚歴が
あるが,離婚・別居・死別等によって現在独身である女性(その多くは一人以上の子供を抱え
ている)が18%をそれぞれ占める。離婚・別居のケースの多くは,夫が失業したために家庭が
崩壊したものであり,元の夫たちは今ではアメリカに不法移住しているケースが多い。
平均学歴は,アパレル関係労働者で6年修了,電気・電子関係労働者で8年修了であり,メ
キシコ平均の(1977年.3.8年修了)よりかなり高く,都市出身者の多いことを予測させる。
過去に労働経験のある者は,電気・電子関係では40%に過ぎないが,アパレル関係では70%
以上に達する。サービス産業(店員,レジ,セールス,美容院,事務員など)か女中(シウダ
ー・ファレスでか,エル・パソに不法入国してかのどちらか)が,代表的職種である。56%の
者が最初の労働経験を13~15才の時に女中として始めている。
したがって,マキラ労働者になることはこれらの若い女性たちにとっては社会的地位の上昇
を意味している。最大の特典は,メキシコの社会保障受給資格(健康保険その他)を得ること
ができる点にあるが(特に子供を抱えている女性の場合),他にも,アメリカへの密出国(アメ
リカでの不法入国者)の経験を持つ者にとっては,逮捕・拘束・送還の恐れのない安心感は大
きいであろう。しかし,メキシコ国内で店員などをしていた者にとっては,ホワイト・カラー
から逆にブルー・カラーになることを意味するマキラ労働者の地位は,魅力的なものなのだろ
うか。給与,手当,地位の相対的安定性から見て,結論はイエスということになるようである。
マキラ労働者以上の職を得るには高度な専門的職業的訓練を受けているかまたは英語を話す
ことができなければならない(あるいは,よりステータスの高い職業はあっても,収入が少な
-30-
い)ことに鑑みれば,シウダー・ファレス(一般に北部国境諸都市)において,マキラ労働は,
家計のために不可欠な収入を求めている若い女性にとってベストの選択肢であるというのが,
労働市場の現実であると思われる.
全マキラ女性労働者のうち20%は,マキラ女性労働者が唯一の収入源である家計である。そ
の半数,つまり全体のうちの10%が母子家庭である。
マキラ労働者の64%は,他地域(チワワ,ドゥランゴ,コアウイラ)出身者であが,しかし
平均してもう14年もシウダー・ファレスに住んでいる。この居住期間の長さと出身地(都市が
多い)の2点から見て,マキラ労働者は都市住民であると言えそうである。しかし,このこと
は,マキラドーラが人口移動の「プル要因」ではないことを意味するというよりもむしろ,地
方からプルされても都市で雇用があるというわけでないと解釈されるべきであろう(後述参
照)。農村住民より都市住民の方が工業労働力としてはヨリ適切である(訓練されている)と企
業サイドが見るのは当然と言える。
マキラ労働者の勤続期間は比較的に短かい(平均3年)。つまり,解雇(契約満了による)で
あれ,自発的退職であれ,彼女らは「使い捨て」されているのである。マキラ労働者の労働組
合化率は,24%と低い(大工場では高く,中小工場では低い)。マキラ労働者のステータスから
見て,自発的退職が比較的多いことは奇異に感じられるかもしれないが,仕事に比べての低賃
金,仕事の単調さ・退屈さ,労働強化(スピードアップ),視力の低下,神経系・呼吸器系疾患・
昇進の欠如,などを考えると,理解しうると思われる。
1)JETRO(1985),1頁。
2)BancoNacionaldeMexico,ExamendelasitUaCiDndehmexico,No.744,Nov、1987,
p、455.
3)Grunwald(1985),p、148.うち,約半分はアメリカからの輸入成分であるが。1980年で,
メキシコの総工業品輸出に占めるマキラ輸出(アメリカへの806/807輸出)の割合は,
58.2%に達する。同じ比率は,ブラジル1.7%,ホンコン3.1%,韓国2.2%,シンガポー
ル8.8%であり,メキシコにとってのマキラドーラの重要性が浮き彫りになる。ibid.,p234.
4)ibid.,p、149.
5)1987年6月時点では,17%に達しており,徐々に内陸部立地は増えていると思われる。
Examen,op・Cit,p、455.
6)1985年時点での日系マキラ企業は10社に上る。JETRO (1985),51~57頁。
7)LSolis."IndustrialprioritiesinMexico“inUNIDO, InduStTialPrioritiesindevelop.
inlZCountrie畳UN,1979,ppo108~109.
-31-
8)Gnmwald(1985),p、152.
9)ibid,pp、159~160.
10)以下の叙述は,FemandezKellyの1978~79年のフィールド・ワークによる研究に拠って
いる。
、マキラドーラとメキシコ経済
マキラドーラエ場の現状は以上の通りであるが,政府による雇用創造・技術移転・非石油工
業製品輸出・外貨獲得等々を意図したマキラドーラ推進政策は,メキシコ経済にとって何を意
味し,どのような影響を及ぼしているのだろうか。本節では,1雇用と人口稼動,2女性
の労働力化,3メキシコ経済との関連効果,4対外脆弱性の観点から,これらの点を検討
する。
1雇用と人口移動
まず,マキラ計画の本来の目的であった雇用の創出=失業の解消という点ではどうか。
結論的には,確かに雇用は増加したものの,失業の解消や失業率の低下は全くもたらされな
かったと言える。
国境地域の完全失業率は,1960年の2.4%から1970年の4.1%に上昇している。これに労働市
場への若者の新規参入を加えると,経済活動人口(EAP)の7%を下回ることはない。不完全
失業率は更に高く,工業部門では34.3%に達すると見られている。1970年以降も事態は全く改
善していない。シウダー・ファレスの完全失業率は,1970~78年の期間に倍以上になった!)(ま
た,前述n節参照)。
雇用問題深刻化の要因は,①人口の自然増,②女性の労働力化による男性労働力の失業化,
③人口の社会増,であり,殊に②と③の要因が重要である。②については次項で述べるので,
ここでは③についてふれよう。
マキラドーラ,失業率(の上昇),第三次産業(の発展),人口移動(北部国境への流入とア
メリカへの流出)の間には,何らかの「因果的」相互関係があると見るのが筆者の仮説である。
ただし,この場合,マキラドーラの存在と発展を単独の要因として取り出して,それが人ロ流
入をもたらす強い誘因と見るのは,必ずしも証明されないようである2)。むしろ,マキラの論理
的前身であるプラセーロ計画こそが北部への人口の移動を生み出してきた歴史的要因(誘因)
であると見た方がよい。
いづれにしても,人々は,プラセーロやマキラドーラに「魅かれて」北部国境地域への人ロ
移動を開始(継続)するが,しかし,マキラエ業は,これからの流入人口のほんのわずかしか
-32-
吸収しえず(メキシコ政府統計では2.4%という数字が上っている)帥,流入した人々はサービ
ス産業に雇用されるか,または失業者となり,雇用を求めてアメリカへ不法移住していく,こ
とになる。ここには,マキラドーラを軸にした人ロの国内移動と国際移動の有機的連関の構図
が見られるのである。しかも,このメカニズムの中核に位置しているのがジェンダーの問題,
即ち代替的労働力としての女性の登場と男性の排除のメカニズムである点に,現代第三世界経
済の最新の特徴があるといえよう。
2女性の労働力化
マキラ労働者に女性(特に若い女性)の多い理由を「女性特有の」生理学的心理学的属性(手
先の器用さ,繊細さ,根気強さ,忍耐強さ等々)に求めるのは,神話的性イデオロギーの合理
化にすぎないであろう。真の理由は別の所にある。資本の論理からすれば,男性を雇うより安
上りにつくから(労働コストの引き下げ)であり,個人としての経営者を含む人間の社会的意
識(集合意識)からすれば,男性より女性を劣等な性とみなす社会のジェンダー意識に従って,
単純肉体作業をヨリ劣等なものと見なすが故にそれを女性に割り当てるという観念の表現であ
る。これらの資本の論理(正確には効率性原理)と社会のジェンダー観(近代的男性支配原理)
の二つを隠蔽し,合理化する思想として,先の「女性特有の属性」説が登場する。
北部国境地域における深刻な失業問題とマキラドーラの出現は,メキシコ女性の生活に重大
な影響を及ぼしている。今,その若干をあげれば,①メキシコにおける伝統的な家庭形態の崩
壊(男性が生活費を稼得できないことによる離婚や遺棄の激増=男性のアメリカへの「不法移
住」の増加=子持ち独身女性戸主の出現増加),②女性のシャドウ・ワークから賃労働への底辺
労働力としての狩り出し,③しかし社会そのものの性差別的構造は不変であり(マチスモ),④
それ故,女性マキラ労働者にとっての二重の負担が生じ(家計収入のための産業労働負担と家
庭再生産のための家事・育児負担)‘),⑤マキラ労働による疎外感と全般的なアメリカ文化の影
響の下での大いなる文化変容(ディスコ,ダンスホール,服装などマキラ女性労働者のための
様々なアメリカナイズされた消費・レジャー様式の普及)‘),がある。
北部国境地域は,そこに住む女性たちにとっても,メキシコの他の地域に住む女性たちと異
なる諸問題を提起している。
3メキシコ経済との連関効果
マキラドーラは,メキシコの工業化を促進しているのか?
組立て工程であるというマキラの性格からして,工業技術の吸収・同化という点では,殆ん
ど成果はない。
投入財の国産化率も,先述の通り,きわめて低い。国産化率上昇の試みは葱されているもの
-33-
の,品質管理の欠陥,納期の遅延,生産能力の不足,高コストなどの理由(メキシコの産業一
般の特徴)によって,全く成功していない。
メキシコ企業にとっては,マキラエ場に供給したり,自らマキラに進出して操業したりする
インセンティヴはとりたてて存在しない。というのは,70年代の2度の石油ショックの時のよ
うに,マキラドーラ産業が不況に陥いって大きな変動を経験しており,また保護された国内市
場向けの生産だけで十分潤っているからである。
1986年8月のGATT加入と一連の自由化措置(メキシコ国内市場の対外開放と国際競争力原
理の導入)は,メキシコ産業の競争力強化へ導くのか(そしてその場合に,外資の支配は強ま
るのか),それともメキシコ産業の空洞化=メキシコの奪工業化へ導くのかは今後に残されてい
る。
メキシコ経済との連関効果ということから言えば,所得の漏れにも言及しなければならない。
マキラ労働者の所得は,1982年以前はその半分(40~75%)`)が国境のアメリカ側で消費されて
いた。1982年の経済危機以降の為替レートの崩壊によって,メキシコ人のアメリカでの消費支
出は亙壊し,アメリカ人のメキシコでの支出は増加したが,メキシコ側では逆に,ドル需要の
激増,ヤミドルの横行,資本逃避のラッシュをもたらし,大インフレが強制貯蓄を増加し,い
づれにしても消費需要を抑圧している。
結局,メキシコにおけるマキラドーラの存在は,アジアNIESにおける輸出加工区のように,
そこからの学習効果や,前方連関効果や乗数効果が総合的な好循環となってメキシコの工業化
の進展をもたらし,国民経済全体に内部化されたり,それとの統合化を強めるという方向に働
らかないで,むしろ,アメリカ工業の飛び地化=国民経済からの離接=アメリカとの接合の強
化をもたらしている。
4対外脆弱性
マキラドーラがオフショア生産であるということは,その企業活動(プラント数,生産高,
生産品目,技術,経営様式,労務政策等)の意志決定一切がマキラないしメキシコの外部(多
国籍企業本社あるいは世界システムの中心)でなされること,かくしてマキラが世界経済の動
向とりわけアメリカ経済の動向に大きく左右されることを意味する7)。
1974/75年不況において,このことは現象的にはっきりと示された。30の工場が閉鎖され,
総雇用者の40%(1)にも及ぶ3.5万人が解雇された。不況の影響は特に電子.電気関係に大き
く第2次オイルショックの時にも同様の事態が生じたが,その後回復し,今日の拡張に至って
いる8)。
また多国籍企業本社の世界的規模での最適立地の企業戦略によって,マキラドーラの動向は
-34-
本質的に規定されている。70年代におけるマキラドーラの業容の変化,例えば半導体のウエイ
ト低下は,メキシコからアジアNIESへのセンター移動という半導体多国籍企業の企業戦略に
よって生み出されたものであった,)。
メキシコ経済全体が,そして世界経済そのものが,今日,地球的規模での統合化傾向を強め
ているのであるから,マキラドーラの対外脆弱性はまして当然のこととも言える。しかし,統
合化は必然的に,軋礫や依存やその他のリスクの増大を伴なう。
1)UrquidiandMendezVillarreal(1978),ppl53~155.
2)FemandezKelly(1983).ppl31~l32andp、137.
3)ibid,p37.
4)ただし,特に電気・電子関係などに見られるように,マキラ労働者が子持ち単身女性で
ない場合,つまり妻たちや娘たちが失業または半失業状態の夫たちや父親たちより多く
稼いでいるケースの場合,男が家で家事をし,女が外で賃金労働に従事するという性別
役割の逆転現象が見られることもあるが,この現象はきわめて少数の事例にとどまる。
5)「北部の人々は,その歴史的経験,アイデンティティ,ルーツを明確に意識していない人々
になりつつある。」CasteI1ano,GuerreroinGonzalesSalazar(1981).p、84.一般にメ
キシコサイドでは,北部国境地域のアメリカナイズされた文化変容は,懸念されている。
MonsivaisinRossU978)参照。
6)Hansen(1985),p6.Grunwald(1985),p、142.
7)マキラドーラは「アメリカへの従屈の股も完成されたモデル」である。GonzalesSalazaT
U981),p、16.
8)もっともマキラ活動の減退には,アメリカの不況やドル高といったアメリカ(ないし世
界市場)側の要因だけではなく,メキシコ側の問題も勿論ある。例えば,オルメドは,
メキシコのインフレ,輸送能力のボトルネック,ハイウェイや通信網の不適切性,工業
インフラストラクチャーの不足,技術者・熟練労働力の不足,労組の腐敗,官僚主義,
行政機檎の腐敗などをあげている。RaOlOlmedo,Mexico:EconomiadelaFicci5n.
EditorialGrijalbo,Mexico,1980,p165.しかし,これらは,特に1974年/75年,,1981/
82年に見られたというものではない。つまり対外脆弱性に関わるものではない。
9)Dillman(1983),p42.
Ⅳむすびに代えて-「国境経済」
以上,本稿は,マキラドーラエ業の存在がメキシコ経済とメキシコの工業化にとってもつ意
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味を論じてきたが,メキシコの現支配体制ないし政府にとっては,、節で指摘したような問題
点にもかかわらず,マキラドーラエ業の存在は,外貨収入の源泉及び北部国境地域での所得創
出源泉としてきわめて重要な意義を持っていることは明らかである。北部国境地域は,メキシ
コ最大の野党,ブルジョア的PANの根拠地であるが故に,そこでのマキラの存在とそれがもた
らす所得は,政治的観点から見ても,PRI支配体制の統治の安定性に不可欠のものであると言え
る')。マキラドーラはその本来の目的であった,雇用問題の解決には失敗したが,pRI支配体制
にとってのマキラドーラの存在の政治経済的意義とは上述のことにつきるのかもしれない。
しかし,メキシコ社会そのもの,あるいはそこに生きる民衆にとっては,マキラの存在はま
た別の意味をもっているが,その複雑な様相の一端は、節で論じた。
最後に,また別の観点をも示唆しておきたい。それは,「国境経済」とでも名づけるべき観点
ないし概念である。メキシコ北部国境とアメリカの南西部国境は,共に,それぞれの国民経済
からは相対的に独立した別個の,そして独自の結びつきを有した一個の経済圏をなしているの
ではないだろうか。
両国境地域の大きな相互依存と節合の根底にあるのは,陸地を接しあった地理的隣接性(3000
hmに及ぶ国境線)であり,それらに独得の様相を与えているのは,両者の経済的社会的文化的
様式とレベルの相違であり,それらの性格を規定しているのは,両者の中心・周辺関係であ
る幻。ただし,中心.周辺関係は,国境の両側地域の間であるだけでなく,それぞれの対中央と
の関係においてもある(重層的中心・周辺関係/)-アメリカ南西部は東部.北部との関係
で,メキシコ北部は首都(メキシコ・シティ)との関係で(北部国境にかかわる重要な決定は
すべて首都でなされている)。
マキラドーラの存在は,この「国境経済」の重大な-要因であり,それは,アメリカ資本,
日欧資本,アジアNIES,メキシコ経済,カリプ・ラテンアメリカ経済との複雑な相互連関の中
でのみ,その全貌が把握されうる。本稿は,その一端を,しかも専らメキシコ経済の観点から
考察したにとどまる。
「国境経済」と為替危機の関係についても言及だけに終ってしまった。経済危機が国境の両
側にどのような影響を与え,どう変貌させるかは,きわめて興味深いが,今後の課題に残され
ている。
メキシコのマキラドーラ活動とアジアNIES諸国の輸出加工区との比較研究や,アメリカ側か
ら見たマキラドーラの位置ずけなどについても殆んどふれ得なかった。他日を期したい。
1)Ugalde(1978),pp,108~109.FemandezKelly(1983),p、46参照。
2)HansenU985),pp、9~11参照。
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MaquiladoraintheContextoftheMexicanEconomicCrisis
KenjiAgo
Thepaperdiscussesthemaqui1aindustryinthecontextoftheMexicaneconomiccrisis,
withthehypothesisthatthemaquilaindustryisnowbecomingthemostimportantindustry
inMexicqbecauseitiscosideredasthekeytosuccessoftheQlongtermeconomicgrowth
strategy,bythedelaMadridgovernment,whichplanstoserviceitshugeforeigndebtsby
meansofboostingtheexportsofnon・oilproducts、Maquilaindustryissupposedtobethe
rightoneforthispurpose・
ThepaperfirstsketchestheBorderlndustrializationProgramanditshistosicalasweU
asconjuncturalreasonsforbirth,thengwessomeexplanationstothestatusquoandthe
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characteristicsofmaquilaindust1.y,andfinallydiscussesitsproplemsintermsofun・
employment,migration,womenworkers,integrationwiththenationaleconomyandits
externalvulnerabilityanddependency・
TheauthorreachestheconclusionthatwhilethemaquiladoraindustryinMexicofaiIed
toattainitsoriginalgoaLthatis,togivejobstothehugeunemployedpopulationand
causedavarietyofnewproplemssuchaswomenproblems,acculturation,extemal
vulnerability,theconnictwiththetaditionalnationalistpoliciestowardforeigncapitaL
andsoon,neverthelessitgivesmeritstotherulingPRIregimeinthenorthernborder
regionintermsofthesourcesforbothincomeamdforeignexchanges・Inadditiontothe
factthatthemaqulaindustrycontributesquiteafewtotheMexicanforeignexchange
requirements,itbecomesthekeytothestabilityofpoliticalcontroloftheregionbythe
PRIregime.
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