言葉と文化 (17) - 文明と文化 世界史を習い始めると出くわす「文明」と

安嶋編集長殿
言葉と文化(17)ー文明と文化ー を添付します。
学生の頃は異国語の単語や表現を丸のみにし、職を通じて異国との対峙を
させられる歳になると、責任も生じるようになり、資料や口頭での和訳された
単語や表現に疑念を抱かざるを得なくなる。
隠された意図を感じ取る鋭敏な嗅覚が必要であった。
小さな島国日本の性善説を信奉することは、異国を相手にする場合、
自分だけでなく同志や味方をも 破滅に導くことを意味する。
このことが理由で、我々や彼らが背景とする「文化」や「文明」とは何だろうとの
宿題を引きずってきたようだ。
20歳ほど若くて、今のように時間があれば、もっと精力的に取り組んで見たいと
思わせる魅力的な言葉ではある。
ところで、貴兄の「廃駅」報道写真はインパクトがありますな。
故郷を離れた身には、「故郷忘じがたく」で、故郷は美化されたままである。
考えようによっては、昭和の御世に六甲山系が一時的な厚化粧したのを見聞したのが
我々世代であり、
それだけで幸せで、自然も老衰は確実に進行している。
それでは、これからリラックスしてティー・タイムとします。
吉井敏勝
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言葉と文化 (17) - 文明と文化
世界史を習い始めると出くわす「文明」と「文化」、
そのちがいを何となく理解していた積りだったが、
文化包丁なる表現に出会い、
何やら分からなくなりだした記憶がある。
日本で、「文化」と「文明」の使用が急速に広がったのは、
明治維新の欧化政策推進の結果であろう。
英語の culture を文化、civilization を文明とした。
江戸時代後期に年号「文化」が14年間、
室町時代中期に年号「文明」が18年間存在しているが、
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広辞苑に、
文化:文徳で教化すること
文明:文教が進んで人知の明らかなこと
とあるので、
われわれが現在、理解している「文化」と「文明」ではない。
何が言いたいのかのご質問なら、
日本語の訳出が正しかったか?
それとも、明治維新で新しい意味を両語に持たせたのか?
を問いたいのである。
この翻訳の固定化がわざわいしてか、
「日本文化」とは言うが、
「日本文明」とは、あまり言われない。
しかし、歴史創世ホヤホヤのアメリカに対して、
「アメリカ文化」とか「「アメリカ文明」と世界では言う。
正式には、「アメリカ機械(または、科学技術)文明」であろう。
「文化」と「文明」の違いが、
盛んに論議されたのは、第二次大戦の前頃らしく、
各国の学者による百家争鳴で、
大胆に想像するなら、
文明発祥の地のエジプト、オリエント、インド、中国に属する
学者の発言は主流ではなかったのではないか?
桑原武夫の「ヨーロッパ文明と日本」によると、
議論にも各国の当時のお国の事情があり、
ドイツでは、文化尊重主義で、
文化は理想的、精神的、したがって高次なもの。
文明は、現実的、物質的、したがって下位のもの。
アメリカでは、
文化は人間の行動様式の総体で、
文明は文化の基礎をなす物質的条件である。
したがって、行動様式に焦点を当てるなら、
猿類や他の動物にも文化が存在する。
面白いのは、フランスで、
文化に相当する culture (キュルチュール)なる言葉は、
「耕作」「教養」の意味だけで、
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「日本文化」の仏訳の culture Japonaise は
伝統的フランス語でないと断定される。
ただし、戦後のアメリカの影響により使用例はあるとのこと。
シビリザシオン・フランセーズには、
フランスの古来の優れた文芸、美術、制度を「フランス文明」とする。
だから、シビリザシオン・ジャポネーズ(日本文明)と言っている。
「文化と文明を区別しないのがフランスの誇り」
とも述べておられるが、
文章の勢いで付加されたような気がする。
文明と言えば、ピラミッドしかちらつかない私の頭では、
「文明」は樹木の根であり、木であり、
「文化」は枝葉や花や果実であり、
1. 文化を否定することはできるが、
文明を否定することは不可能である。
文化には剪定作業が可能である。
2. 警世の名著「文明の衝突」は「文化の衝突」が正しい?
3. 文化大臣は存在できるが、文明大臣では座りが悪い。
4. 文化は「メシの種」になるが、文明では食えない。
日本文化の代表でもある諸流の宗匠さん達は、
流派をベースにマネーを呼び込める。
ただ、テレビを見て気付いたことだが、
吉村教授のピラミッド案内の実況で、
観光事業と直結なら、文明でも食えるようだ。
歴史授業で、「文明開化」なる表現に接したとき、
それまでの日本の伝統と知的な慣習を全否定し、
日本が未開の民の集まりのような言い分には、
不満足を感じた。
ご維新で近代化、欧化政策へスタートした、
エネルギー溢れる時代が、
自虐史観への展開である。
だが、このエネルギーで、
徳川幕府が政権維持に利用した、
二千数百年前に誕生した儒教による、
マインドコントロール法から決別させたことは、
正しい改革への方向であった。
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そこで、「文明開化」とは、
西洋の文物、制度、諸事を文明と見なし、
それらを積極的に取込むこと程度の意味と理解したい。
だが、そこでは、東洋文明は存在していなかった。
考えれば考えるほど、
単語や言葉なるものは、
意味があるようでないようで、
力ある者に利用されて能力を発揮することもあれば、
それでいて、本筋では時の流れに関係なく、
人間と常に共存している不思議な存在である。
「言霊」の一つの現代的な解釈を試みた。
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