【経営学論集第 83 集】自由論題 (42)戦後日本の創業経営者と 人的資源管理の理念 ──「実力主義」と日本的雇用慣行に関する一考察 ── 山形県立産業技術短期大学校 佐々木 健 【キーワード】能力主義(meritocracy)、日本的経営(Japanese management system)、終 身雇用(lifetime employment)、年功序列型賃金(compensation based on seniority)、日 本的雇用慣行(Japanese employment system) 【要約】ソニー創業者の盛田昭夫が「モットー」と呼び、人的資源管理の基本理念としてい たソニーの「実力主義」の内容について先行研究では詳しく分析されていない。そのため、 「実力主義」が人間本位の理念であるとともに、日本的雇用慣行を強く意識していたことは 明らかにされてこなかった。本研究は、第一に「実力主義」が日本経営者団体連盟の提唱し た「能力主義」と同じく人間尊重を基盤とすることを明らかにした。第二に「能力主義」が 集団主義の長所を補強すると論じられるように、盛田の「実力主義」もソニーの経営理念で ある運命共同体と連結されていることを明らかにした。第三に「実力主義」は年功序列と終 身雇用を強く意識する点で「日本的能力主義」に近いことを明らかにした。検証の結果、ソ ニーは 1960 年代から日本的な人的資源管理を推進していたことを導いた。 1.問題設定 盛田昭夫は、井深大とともに 1946 年にソニーを創業し、1959 年から社史最長となる 35 年間に渡って代表取締役をつとめた。Apple 社の創業者である Steve Jobs は、1999 年 のスピーチにおいて、Apple 社の製品開発に盛田の存在が影響を与えたことについて語っ ている(1)。辻野(2011)も、Steve Jobs について「盛田さんやソニーのスピリットを継 承した人の代表がジョブズである」と語っている。 しかし、盛田の経営理念に焦点を当てた研究は、その「変革・刷新」という視点から考 察を行なった奥村(1996)、その経営哲学の「真髄」について分析を行なったとしている 小笠原(2009)などわずかに過ぎない。これらの先行研究は、盛田・下村・ラインゴール ド(1987)の検証などに基づいて、盛田が「企業は家族と同じ」とみなすことを基本にお く運命共同体を経営理念として公表していたとの見解では一致している。しかし、運命共 同体が公表される前の 1960 年代については分析が行われていない。1969 年、日経連能力 主義管理研究会が学歴主義、年功主義にかわる人的資源管理として能力主義を提唱したの (42)-1 と同じ時期に、盛田の人的資源管理の基本理念も変化していたことについては検証が行わ れていないのである。例えば、奥村(1996)は、盛田が 1992 年に運命共同体から個人重 視の経営理念に転換したことを論じているが、その前提である運命共同体の公表に至る過 程については明らかにしていない。特に、盛田(1966)がソニーの「モットー」と呼んだ 「実力主義」の内容についての分析が行われていないため、その影響は、盛田を評した文 献に色濃く反映されている。例えば、国友(1990)が、盛田は「実力主義を標榜している のに年功序列中心なのも気にかかる」としていることや(2)、宗重(1991)が「盛田のユ ニークな経営哲学」が「日本的雇用形態を変えさせる力を持ったのである」としているこ とは、ソニーの人的資源管理の基本理念に対する誤解の表れといえる(3)。 また、小笠原(2009)は、盛田は「徹底した実力主義によって話題となり、アメリカ式 経営学を礼賛するものと受け取られた」のであり、同時に終身雇用と年功序列も評価して いたことを「主張における矛盾」と論じているだけでなく、盛田の「実力主義」を成果主 義と同義で解釈している(4)。しかし、盛田は「実力主義と年功序列とは、うらはらのも のではない」と語っていたのであり(5)、盛田が言う「本当の実力主義」が「日本的能力 主義」(鍵山、1989)に近く、終身雇用と年功序列を積極的に活用しようとする志向を持 っていたことは説明されていない。そこで本研究は、日経連能力主義管理研究会(1969) が提唱した「能力主義」の理念的側面と、Abegglen(1958)や八代(1997)の「日本的 雇用慣行」の制度的側面から、盛田(1969)が「本当の実力主義」と呼ぶ、ソニーの人的 資源管理の基本理念である「実力主義」の構造的分析を試みる。第一に、 「実力主義」は従 業員の能力を効果的に発揮させ、働く意欲の向上を追求する点において能力主義と一致し ており、ともに人間尊重を基盤としていることを明らかにする。第二に、日経連能力主義 管理研究会が、能力主義は集団主義の欠点を防止し、長所を補強すると論じているのと同 様に、盛田も「実力主義」を運命共同体と連結していたことを明らかにする。具体的には、 盛田が「私の経営理念は「ソニーと関係のある全ての人を幸福にすること」」と語ったよう に、協調的な労使関係を重視する運命共同体の経営理念にとって「実力主義」は不可欠な 存在であったことを明らかにする。第三に、 「実力主義」とは完全能力主義を意味するもの ではなく、終身雇用に加えて年功序列も勘案する「職能格」制度を前提とするものであり、 日本的雇用慣行を強く意識する点で「日本的能力主義」(鍵山、1989)に近いことを明ら かにする。 2.人間尊重と「実力主義」 岩出(2010)は、アメリカ企業では一般的な仕事基準の人的資源管理制度として用いら れる職務等級制度を「職務の価値の大きさを評価し、それを等級区分した職務格付けを通じ て主として職務給賃金秩序を確立する制度」と論じている一方、日本の人的資源管理制度の (42)-2 主流となったのは人基準の職能資格制度であり、 「個々の従業員が保有する職務遂行能力の 高さに応じて従業員を格付けし、その格付けされた等級にもとづき人事・賃金処遇を決定し ていく人事制度」であると論じている(岩出2010、pp.73-77)。 日経連能力主義管理研究会(1969)は、「労働者一人一人の能力を最高に開発し、最大 に活用し、かつ、学歴や年齢、勤続年数にとらわれない能力発揮に応じた真の意味における 平等な処遇を行うことによって意欲喚起を重視し、もって少数精鋭主義を目指す人事労務管 理の確立」を年功中心・学歴中心の伝統的人事管理の修正であると位置づけて、そのような 人事労務管理を能力主義と称した(日経連能力主義管理研究会1969、p1)。また、能力主 義に基づく従業員の個別管理を「能力主義管理」と称するとともに、能力主義管理の理念に ついて「人間尊重と企業能率主義の調和」と定義している(日経連能力主義管理研究会1969、 p68)。ここから判ることは、能力主義管理は人間尊重と経済合理性を対立的関係と見るの ではなく「経済合理性は従業員を人間として尊重することなくしては追求することは不可 能」と見るのであり、「人間尊重は経済合理性追求の中に含まれている」と理解しているこ とである(日経連能力主義管理研究会1969、p64)。したがって、企業能率主義の立場から は、常に能力の伸長と発揮を望んでいるのであって、人間尊重と企業経営の能率をともに追 求すること自体に意義があると考えるのである(日経連能力主義管理研究会1969、p67)。 人間尊重とは「個人レベルにおける能力開発、能力発揮の追求」を意味するとともに、「能 力主義の実践」でもある(日経連能力主義管理研究会1969、p67)。なぜなら、人間尊重と は「業務の上から考える限り、従業員の職務遂行能力を発見し、十二分に開発し、かつ発揮 する機会と場所と環境を与え、またそれに応じて処遇することであり、能力主義管理の実践 に他ならない」からである(日経連能力主義管理研究会1969、p18)。人間尊重の理念とは 「人間能力の不断の伸長とその最大限の発揮を追求すること」であり、また、トップ経営者 の意見調査によれば、人間尊重とは「従業員の能力の伸びに即応した処遇を行い、将来への 希望を与え、やる気を起こさせる」ことと「従業員個人の能力の最大発揮の場を与え、能力 ある者を年功学歴に関係なく厚遇する」ことと理解されていることから、「「人間尊重」と は、企業である以上当然「人間能力尊重」である」とされる(日経連能力主義管理研究会 1969、pp.65-66)。 盛田は、1964 年まではアメリカの個人主義、職務主義が日本企業に比べて高い生産性を もたらすと評価していた(盛田 2000、pp.22-28)。盛田は、もともと早くからアメリカの 企業会計制度を評価しており、 「古い日本的経営を捨てて、アメリカ流の考えに徹するには どうしたらいいか」と語りながら、日本企業もアメリカの連結会計を導入すべきであると 主張していた(盛田 2000、p31)。実際に、ソニーが 1961 年に連結会計を導入して以来そ の制度を維持したのとは対照的に、人的資源管理については 1966 年に「開放経済の過当 競争をのりきっていくには、人的資源の最大限の活用が第一義だと悟るにいたった日本の 経営者の多くは、ただちにアメリカ流の完全実力主義、職能給、職務給というシステムを (42)-3 導入しようと考えた。けれども、これが日本でうまくいく筈はないのである」と主張し始 めるようになり、 「実力に応じて、積極的に昇給昇階させるためには、その逆、つまり、能 力にあまり富まない人をどんどん駆逐することもできるのでなければ、完全実力主義には ならないし、また、効果も期待できない。ところが、完全実力主義は能力を売り買いし、 たとえば現段階の企業規模の維持というおおよその要求基準を越して能力を発揮すれば、 どしどし昇給させ、逆に現状を下まわるような無能ぶりを露呈すればすぐクビになるとい ったことが当然のこととして通っているようなアメリカの企業の産物であって、雇った以 上おいそれとクビにできない日本に移植できるようなものではないのである」として、ア メリカ式の人事管理制度をソニーに導入することはできないとの立場を表明した(盛田 1966、p79)。その理由は、日本の非流動的な労働市場にあり、アメリカ式の管理を行うた めには、 「抜擢、スカウトと並行して斬首もあるという雇用の流動性が社会的に確立される 必要があろう」とするからである(盛田 1966、p79)。そして、盛田は人間重視の立場を 表明しており、 「日本では、いわゆるアメリカ式の、課長は何をする、部長は何をするとい う職務分掌をつくる必要はないと思うのである。それより人間本位に、この人には何がで きるのかということの認識の方が、経営者としては大事なのではないだろうか」 (盛田 1966、 p64)、 「経営者はどうして個人の能力を最高度に発揮させるかに責任をもつべきであろう」 (盛田 1966、p80)と語り始めた。同時に、従業員に対しては、能力を発揮する喜びを知 ることと、自分の能力に正しい認識を持ちながら「人間の値打ちはその能力にあるという ことを自覚しなければならない」ことを求めるようになった(盛田 1966、pp.84-90)。 1966 年、盛田は「ソニーは、自分の創造力を力一杯に発揮できる実力主義をモットーに して育ってきた」との言葉で、ソニーが「実力主義」のもとで人的資源管理を推進してい ることを明らかにした(盛田 1966、p82)。1969 年には、より踏み込んで「本当の実力主 義とは個人の実力が効果的に発揮されるようにする方式を考え出すことにある」、「本当の 実力主義は一人一人の人に「生きがい」を与えることであり、 「生きがい」を与えるために は、それを強めるあらゆる手立てを整えなければならない」と主張し、 「実力主義」が人間 尊重と深い関係にあることを表明した(盛田 1969、pp.68-71)。盛田(1969)が、自らの 実力主義をしばしば「新実力主義」と称する一方、アメリカの個人主義的な実力主義を「完 全実力主義」と称して、両方を別個の存在として説明するようになったのはこの頃からで ある。盛田は、アメリカでは就職を契約と捉えるのに対して、日本では奉公の意味でとら える習慣があることから、転職を否定的にとらえる日本の風潮によって有能な人材が情熱 を失ったまま働いているケースが目立ち、奉公的観念が有能な人材の実力を発揮させる上 で阻害要因になっていると考えた(盛田 1966、pp.86-89)。したがって、能力発揮の機会 に恵まれない社員は適所に異動させ、他社の人材にはソニーに転職して能力を発揮しても らうことを意図していたと考えられる。すなわち、 「実力主義」は「日本的な条件のなかで 社員を「無難なサラリーマン」から「意欲あるビジネスマン」へとレベルアップすること」 (42)-4 に寄与すると考えられた(盛田 1966、p64)。また、人間尊重は「形式的職階制を避け、 一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き、個人の技能を最大限に発揮せしむ」という 設立趣意書の「経営方針」すなわち、ソニーの創業精神にも合致する。 盛田は、 「組織はそれを構成する人々の能力を効果的に発揮するために作られたものであ って、組織があるために、不適当な仕事を人に与える結果となっては、本末転倒もはなは だしいと言わなければならない」と語り、能力中心主義的な志向を示している(盛田 1969、 pp.73-74)。ここで主張したのが「石垣論」と称した組織編制であった。これは、ブロック 塀と石垣を例に組織を論じたものである。アメリカでは「給料は仕事と直結していて、年 齢とは関係がない。そして、人はおのおの得意な仕事を持っていて、会社から会社へ移動 してゆく」のに対して、日本では「人の移動はほとんどなくて、一つの会社は手持ちの人 でなんとか仕事をやってゆかねばならないし、新規の採用者は若い新卒業生」であるよう に、同じ会社でも人に関する限り根本的に状況が違っているとするのが、主張の背景にあ る(盛田 1969、p72)。アメリカの職務主義では、はじめに組織の設計を行なって、仕事 の枠が決まってから枠に合致する人間を探すのであり、そのことを、ブロックを見つけて から塀を作るイメージで表現している。これに対して、日本企業の場合は手持ちの石がす でに決まっており、経営者は、その石をうまく組み合わせることによって垣根を築かなけ ればならないとする(盛田 1969、p73)。言い換えれば、 「実力主義」は手持ちの人材を活 用する方法によって組織編制しなければならず、盛田は「いろいろな形の石を集めてブロ ック塀がつくれないのが当然なように、あらかじめ決められた枠に手持ちの人をあてはめ て強い組織がつくれないのは明白である」と主張して、日本で職務主義的な組織編制を実 施することは不可能であると結論付けている(盛田 1969、p73)。この発言と前後するよ うに、ソニーは 1968 年に職能資格等級制度にあたる「職能格」を導入している。 盛田の「実力主義」の理想は「生きがいの組織体」を作ることであった。盛田は「「金銭」 以上にもっと大事なものが、モラールをたかめるのに必要なのだと思う。それは、 「働きが いのある仕事を与える」ことであり、それで初めて「生きがい」を感じて頑張ることがで きるのである」としている(盛田 1969、p70)。さらに「生きがいの組織体が結成できて、 アメリカの会社よりはもっと強いものになりうる」ともするのである(盛田 1969、p105)。 これらから、 「実力主義」の核となる思想は、従業員が実力を発揮できる喜びと働きがいを 感じることであるということができよう。この点に関して、能力主義が「労働者一人一人 の能力を最高に開発し、最大に活用し、かつ、学歴や年齢、勤続年数にとらわれない能力 発揮に応じた真の意味における平等な処遇を行うことによって意欲喚起を重視し、もって 少数精鋭主義を目指す人事労務管理の確立」と説明され、その目的が「能力発揮に応じた 配置・昇進・賃金などの処遇を与えることによって従業員の自己責任主義に基づく能力開 発や仕事に対する意欲を喚起し、もって自主的勤勉性の育成・維持を目的とする」と説明 されていることから、能力の活用と発揮、仕事の意欲喚起を重視する点において、能力主 (42)-5 義と「実力主義」の内容は一致している(日経連能力主義管理研究会 1969、p68)。 人間能力尊重の枠組においても能力主義と「実力主義」は一致する。 「実力主義」と能力 に関して、盛田は「実力評価とは、一次元的な点数をつけることにあるのではなくて、人 の価値を認識することが第一であり、その認識にたって、仕事の役割を決めることが、今 まで述べてきた働きがいの、第一、第二の要因を共に満足させる、大事なポイントである」 として「自分自身に対する自信と、勇気によって、より高い能力が備わってくるのである」、 「人間の値打ちはその能力にあることを自覚しなければならない」と人間能力尊重の立場 を明確にしている(盛田 1969、pp.100-105)。先述したように、能力主義における人間尊 重も「個人レベルにおける能力開発、能力発揮の追求」であり、その理念は「人間能力の 不断の伸長とその最大限の発揮を追求すること」であることから「人間能力尊重」とされ るのであり、能力主義と「実力主義」は人間尊重という共通基盤を有している。 3.集団主義と「実力主義」 日経連能力主義管理研究会(1969)は、能力主義は集団主義の欠点を防止し、長所を補 強する存在であると論じる。能力主義は、従業員の個別管理を志向するが「それを急ぐあ まりともすれば看過されがちな日本人の民族性の特性である集団主義についてはこれを再 認識し、むしろ小集団による能力の発揮をはかるべきである」とされているように、集団 主義と連結されている(日経連能力主義管理研究会 1969、p68)。その理由は「わが国は 世界でも稀な同質的社会であり、個人の集団に対する忠誠・帰属心の高さは世界に類をみ ないことに留意しなければならない」ためである(日経連能力主義管理研究会 1969、p69)。 そして「目標管理、QC サークル、ZD グループなどの活動は小集団に対する忠誠から従業 員に満足と意欲を与え、大きな成果を導く。役割(職務)尊重のチームワークが現代的な 和であり、集団主義である」とするのである(日経連能力主義管理研究会 1969、p69)。 ここでは、日本企業の強みである集団主義が能力主義管理の前提である個人の確立に相反 するかという議論も展開されており、仮に、能力主義管理が集団主義を壊そうとするもの であれば、「われわれはむしろ能力主義をあきらめるべきである。われわれはむしろ集団 主義の維持を選び、能力主義を捨てるべきである」とさえ語っている(日経連能力主義管 理研究会 1969、pp.80-81)。しかし、能力主義管理が集団主義を壊そうとするものである との指摘に対して、「われわれはそうは考えない」のであり、「能力主義は集団主義の欠 点を防止し、長所を補強するものであるとわれわれは考える。われわれは能力主義によっ て集団主義にヨコ線を加え、いっそう強く織ろうとするものである」とするのである(日 経連能力主義管理研究会 1969、pp.80-81)。 もともと、盛田はアメリカとの競争を強く意識していたこともあって、1960 年代前半ま では、日本企業を「社会保障団体」に例えて集団主義に対しても否定的態度を取った。1964 (42)-6 年には「日本では温情とか家族主義とかいうものが強調されすぎて、勤労意欲の喪失、怠 惰の習慣をますます強めているような気がしてならない。このように見てくれば、アメリ カの徹底した実力主義に立つ企業とわれわれ日本の企業が競争するのは、大変な危険のあ ることがわかろう」と語り、家族主義は従業員の意欲低下を招くと批判していた(盛田 2000、 p21)。しかし、その態度は、1969 年に運命共同体理念を通じて集団主義と「実力主義」 が連結される形で反転した。盛田は「アメリカ式と違って、長年にわたる運命共同体とし ての一つの会社の中で、全員が、いつもモチベートされて働いてゆくことが望まれる」、 「自分の一生を託した、運命共同体とのつながりを感じて、自分の組織体に対する、自分 の役割をはっきり認識した時、本当に使命感がわいてきて、そこに、もう一つの働きがい を感じるものである」との表現で運命共同体を通じた「認められる満足感」「達成の満足 感」「使命感」が「実力主義」を涵養すると主張し始める(盛田 1969、pp.100-104)。 盛田は、「働きがい」とは難しい仕事をやり抜くことと人に認められることであると主張 することから、組織内では「仕事を与える側は、いつも一人一人がチャレンジする気持を 起こすような、割り振りをするようにし、働く側は、自分の才能に向いた仕事に、自分た ちで向ってゆくように努力したならば、大きな働きがいが、得られることになる」のであ り、「「働きがい」のためには、個人の存在、能力、人格を大いに認めることが、根本的 な条件」とされるのである(盛田 1969、pp.96-100)。一方、使命感は「自分の属する組 織体と、自分とのつながりによって起きてくるものと考えれば、そのつながりがはっきり すればするほど、この気持を持つようになりやすい」が、 「下積みの方へゆけばゆくほど、 自分の持ち場と、組織体との関連が不明確になって、使命感は逆に持ちにくい」ために「属 するグループの単位を小さくして、その関連をはっきりさせた方がよい」と論じて小集団 活動を奨励した。アメリカと違って人材流動性の低い日本企業では、その利点を生かして 個人と会社とのつながりを強め使命感を醸成すべきであると主張するのであり、そのため には小集団が効果的であると考えたからである(盛田 1969、p104)。1970 年からは集団 主義的志向が一層強まり、運命共同体は「会社と社員は運命を共にする運命共同体である」 と語られるようになり(6)、盛田自身が「私の経営理念は「ソニーと関係のある全ての人 を幸福にすること」」と語ったように、運命共同体は株主、経営者、従業員が一体となっ た「ソニーと関係のある全ての人」を象徴する経営理念となった(盛田 2000、p41)。す なわち、運命共同体を通じて協調的な労使関係を重視した盛田にとって「実力主義」は欠 かせない存在になっていたということができる。 4.日本的雇用慣行と「実力主義」 Abegglen( 1958 、 1973 ) は 、 日本企 業 の 組織的 特 徴 として 終 身 の関係 ( lifetime commitment)、年功序列型賃金(compensation based on seniority)、企業別労働組合 (42)-7 (enterprise unions)の三点を指摘する(7)。八代(1997)も、日本的雇用慣行の特徴に ついて「長期的な雇用関係(いわゆる終身雇用)、年齢や勤続年数に比例して高まる賃金体 系(年功賃金)、企業別に組織された労働組合」の三点を挙げている(8)。本章では、日本 的雇用慣行の特徴である終身雇用と年功序列型処遇の制度的側面を対象に「日本的能力主 義」(鍵山、1989)と「実力主義」(盛田 1966、1969)における取り扱いを比較して、そ の共通性を明らかにする。 まず、 「日本的能力主義」 (鍵山、1989)における終身雇用制と年功序列型処遇の取扱い について検証する。鍵山(1989)は、日本の終身雇用制が予想以上に強固であることを指 摘しており、給料だけでは片のつかない日本的な企業風土のもとで処遇序列を組織活動と 矛盾しないように編成するならば、 「能力主義的資格制度」を基本としなければならないと 主張する(鍵山 1989、p96)。この「資格制度」によって処遇序列を決め、その運用を暫 時「能力主義化」していくことによって、終身雇用を存続しながら漫然たる年功序列を徐々 に止揚していくことができるとするのである(鍵山 1989、p96)。このような「職務遂行 能力」を中心とした資格制度は、 「日本的終身雇用制を前提とし、しかも、年功序列にとも なう不能率や不合理を除去し止揚していこうとするもの」であり(鍵山 1989、p97)、年 功序列制を徐々に止揚し、高賃金、高能率の経営を可能にする制度として「横断的労働市 場を前提とした職務給的高能率にたいして、断固として競争しようとする日本的高能率主 義である」という意味で「日本的能力主義」と定義される(鍵山 1989、p102)。 つまり、 「日本的能力主義」において終身雇用制は維持すべき対象とみなされる。終身雇 用下で企業と従業員の関係は「運命共同体」となり、安定的な労使協力の樹立という面に おいて欧米企業にない強みを発揮しうるからである(鍵山 1989、p71)。よって、鍵山は 終身雇用制が「企業団結心」や「企業忠誠心」を助長する点で「有利性」があると指摘す るのであり、人事管理の課題は、終身雇用制の大枠を維持しながら「年功序列」や「漫然 とした職務意識」からいかに脱皮するかにあるとする(鍵山 1989、pp.71-72)。その一方、 年功序列は縮小されるべきではあるが、全廃すべきではないと主張する。鍵山は「もとも と年功序列は終身雇用を助長する働きをしており、年功序列を廃止すると、従業員として は、終身雇用上のメリット(とくに待遇上の)はほとんどなくなることとなる。それゆえ、 年功序列を廃止すれば、終身雇用制の維持は相当困難になる」と主張するのであり、よっ て「年功序列は全廃すべきではなく、賃金や昇進面である程度(もちろん、従来の三分の 一、または四分の一程度まで薄めて)温存すべきではないかと考える」のである(鍵山 1989、 p64)。結論として「今後の日本においては、従来の年功序列は打破すべきであるが、その 打破は年功序列を零にするのでなく、能力主義を中心とし、年功序列をそれに若干加味す るかたちで進むであろう」とするのである(鍵山 1989、pp.64-65)。 次に、盛田の「実力主義」における終身雇用制と年功序列型処遇の取扱いを検証する。 もともと、盛田は終身雇用制と年功序列型処遇を批判していた。1964 年には「アメリカで (42)-8 は、ある一つのポジションの仕事、職務をしてもらうために人を雇う。入社後はその人が その仕事をやれるかやれないかを会社は評価して、その職務に不適当ならすぐクビにする というのが常識なのである。他のポジションへ変えてやろうという温情あふれる日本的観 念はまずない」、「日本は極端なことをいえば、終身雇用制で間違いさえしなければ定年ま では保障されているのだから、下手に働くよりはじっとしていたほうがいい」として終身 雇用を批判的に語っていた(盛田 2000、pp.23-26)。それと同時に、年功序列についても 「大きな間違えさえしなければ、みな同じように年功で上がっていくという仕組になって いるから、一見営利団体のようではあるが、中身は社会保障団体のような様相を呈してい るというのである。なるべく評価を減らして、年功によってみんなが平等にというのだが、 それは企業にとってみれば大変な悪平等だ」、 「日本では能力のある人もない人も、だいた い平均レベルで仕事をしていこう、というのが一般的だが、このやり方ではアメリカの高 い生産性にいつまでたっても追いつけないだろう」と批判していた(盛田 2000、pp.23-28)。 しかし、こうした態度も 1966 年から変化するようになった。終身雇用制について「終 身雇用制はビジネスのもつ枠を超えて「忠誠心」や「うちの会社」意識を醸し出した。こ ういう観念は実に不思議なもので、むやみに高い生産性を打ち出す要因にもなるし、スワ という時には一致団結を導き出しもするのである」と語るようになったのである(盛田 1966、p37)。また、「人の移動の少ない日本の会社はありがたいものである」とも語って 「アメリカでは、折角、社員を訓練しても、それが、あっという間に、敵方へまわって競 争相手のためにお金を使った結果となることもしばしばである。こんなことを考えると、 日本の方式は、会社にとってまことに結構な方式だということになるし、また、社員にと っても、会社が信頼して出来るだけ勉強や経験をさせてくれるということは、これも結構 なことである。この意味では、日本式には、それだけよいところがあると考えてよいのだ ろう」として終身雇用制を評価するようになった(盛田 2000、pp.57-58)。これに伴って、 1969 年には終身雇用制を前提とした組織編制を主張するようになった。終身雇用によって 「人間は年とともに成長する。石の形が、時とともに変わっていくと考えねばならない。 それならば、時とともに、その組み合わせを変えていかないと、石垣はたちまちくずれて しまう」のであり、それならば「人の能力も時とともに変わるとすれば、ブロック式のや り方は日本では不適当であることは明白で、マネージメントの役割は、時に応じて適材を 適所に配置することが一番大切な仕事である」とするのであり、それは「会社の組織を固 定化すべきではないと言いかえることができる」のである(盛田 1969、p73)。長期雇用 で職務経験を積むことが技能の向上に結び付いている現実を意識した発言と判断できる。 また、盛田は 1969 年に年功序列と「実力主義」の両立を図る方針に転換した。 「働く人 にモチベーションを与えることが大切であると同じように、人々に、アンチ・モチベーシ ョンを与えないようにすることも大切である。そこで考えなければならないことは、日本 的、年功序列方式の良いところを残しながら、一人一人の実力を効果的に発揮させるよう (42)-9 な方式をつくること」であるとして、 「実力主義」と年功序列を「共存させることを考えな ければならない」と主張するようになったのである(盛田 1969、pp.68-69)。盛田は、年 功序列が「人々の頭の底にしみついた考え方であり、エスカレーター式に偉くなってゆく 期待は、当然なものとされているので、ちょっとやそっとのことでは破ることはできるも のではない。もし、これを頭から否定すれば、多くの不満がかもしだされて、かえって混 乱を起こし能率を低下させてしまう」と論じる(盛田 1969、p65)。そもそも、日本人は 年功序列式に育てられており、年とともに収入が増えるのを当然と思い込むようになるこ とから、職業でも大企業を本能的に選ぶとするのである(盛田 1969、p25)。その年功序 列の観念は子供の頃に始まっており、理屈がなくても小遣いが年とともに増えていくこと は、 「日本の年功序列式の給与体系が、不合理にみえても、また一方、理屈にかなっている ように思えるのと同じである」と主張する(盛田 1969、p23)。さらに、盛田は、年功序 列型賃金の合理的な側面も強調する。 「個人の生活費は、だいたいにおいて年齢とともに多 くかかる。独身のときと結婚して世帯を持ったときとでは大変な違いがある。子供が生ま れて成長し、幼稚園から小学校、小学校から中学、高校、大学へと進むにつれ、教育費は 増えてゆく」ことを例に、 「これを考えれば、年齢によって給与が増額されることは合理的 である」とまで主張するからである(盛田 1969、p65)。もっとも、内定時点で職務を明 示しない白紙状態での雇用が多い日本には職務給の基準もなく、徐々に昇給させてゆく以 外に手がないと考えていた事実もある(盛田 1966、p80)。 盛田は、肩書についても年功序列を主張する。 「肩書がステイタス・シンボルと考えられ るような社会の習慣があり、それは、年とともに上にあがってゆくのが当り前と考えられ ている日本では、いつまでも肩書がつかなかったり、上にあがらなかったりすれば、本人 だけでなく家族全体にまで意気阻喪させて、働く気持を失わせる結果となる」との理由で (盛田 1969、p66)、 「会社に働く人すべてにモチベーションを与え、めいめいの才能、能 力を全部出させるようにしむけるのが、マネージメントの役目だとすれば、いたずらに年 功序列を否定することが、良い方策でないことは明らかである。むしろ、年功序列方式は、 日本の実情にあわせて、自然につくり出された上手なやり方だというべきであろう」と評 価している(盛田 1969、p66)。したがって、年功序列と実力主義を共存させるには「日 本社会の根底にある年功序列を生かしながら、働きがいのある仕事をめいめいに与えるこ とが必要である」と主張する(盛田 1969、p71)。 結局、盛田は「給料や肩書は、社会的な慣習からすれば、むしろ、年功的色彩の方が多 くあるべきものであると私は考える」と結論づけた(盛田 1969、p71)。したがって、ソ ニーの「職能格」は「ステイタスを表す直線的な格付けを意味するもので、年功と能力と を勘案して直線的に上がってゆく」制度とされていった(盛田 1969、p78)。その一方、 持てる人材で必要な仕事を片付けるには、職制よりも個人の能力を発揮させるように仕事 を割り振ることが優先されると語って、職能格と職位を分離することによってそれに対応 (42)-10 していった(盛田 1969、pp.76-78)。職位は、職能格という処遇上の資格とは関係なく設 定される組織的・機能的な肩書として分離されたのであり、職位の適用にあたっては弾力 的な組織編制と人材活用を方針にすることとなった(盛田 1969、p80)。例えば、係長格 付のまま統括課長に就任するといったように、職能格は据え置きのまま職位が昇進するケ ースがあること、職位の新設や廃止は組織変更を柔軟に行うことによって対応したことな どがあげられる。このように、終身雇用を前提とするだけでなく年功も処遇に反映しよう とすることにおいて「実力主義」は「日本的能力主義」に近いということができる。 5.「実力主義」の実践 「実力主義」の実践として挙げられるのは、第一に、1950 年代にトランジスタラジオで 本格的に海外市場へ進出した頃に始められた総合商社などからの人材スカウトである。盛 田は、そのことを「余りに引き抜きをしたので、あちこちの会社から大分文句が出るよう になった」と回顧している(盛田 1966、p81)。第二は、1959 年に「要員募集」の名で始 まった中途採用である。これは、能力を発揮する機会に恵まれない人材を意識して開始さ れたものであり、例えば、貿易要員の募集で求める人材は「自分を組織の中の人とあきら めず、自分の心のエンジンを自ら発動させ、力一杯に仕事をしたいと願っている人」であ り、単に職務をこなせる人材ではないことが謳われている(盛田 1966、p83)。この「要 員募集」は、1988 年には「経験者定期採用制度」として定着している。第三は、1966 年 に開始された「社内募集制度」である。これは、向上心と意欲に支えられた能力を持った 社員に対し、さらに能力を発揮できる機会を提供しようとする制度である。担当中の職務 を正常に遂行してきたこと、現所属の在籍期間が充分にあり、前向きな姿勢を持っている 社員であれば、異なる職務に自らの意思で挑戦できる機会を与えるものであり、応募と選 考の事実は所属長に通知されない。実際には、社内報に社内求人広告を出す方法によって 運用されており、年間 200 人以上の社員がこの制度で異動するとされている(ソニー1998、 p355)。第四は、職能資格制度を導入した企業に共通することではあるが、先に論じたよ うに、職能格と職位を制度的に分離したことである。職能格を属人的資格かつ直線的処遇 として給与と連動させる一方、職位は組織内の役割とみなして状況に応じて変動する非直 線的制度とした。それによって、社員が能力を発揮できる環境づくりに留意した。 6.まとめ 盛田の人的資源管理の基本理念である「実力主義」は、個人の能力を効果的に発揮させ、 従業員の意欲向上を追求する点において、日経連能力主義管理研究会が提唱した「能力主 義」と一致するものであり、人間尊重という共通基盤を有することが明らかになった。ま (42)-11 た、「実力主義」は、ソニーの創業精神を踏襲していることも確認できた。さらに、「能力 主義」が集団主義の欠点を防止し、長所を補強する存在と説明されているのと同じく、盛 田も「実力主義」を運命共同体、すなわち集団主義と結びつけていたのであり、協調的な 労使関係を重視する運命共同体の経営理念にとっても「実力主義」が不可欠な存在である ことが明らかになった。さらに、 「実力主義」は終身雇用と年功序列を積極的に取り込んだ 点で日本的雇用慣行を強く意識しているのであり、それは「日本的能力主義」に近いこと が明らかになった。よって、本研究は、盛田が「実力主義」を通じて 1960 年代から日本 的な人的資源管理を積極的に推進していたと結論付けたい。 注記 (1) iMAC 発表会における Steve Jobs スピーチ(アメリカ DeAnza College、1999 年 10 月 5 日)。 (2) 国友隆一(1990)『ソニー・驚異の独創力の秘密』こう書房、35 頁。 (3) 宗重博之(1991)『ソニー盛田昭夫の経営哲学』ぱる出版、116 頁。 (4) 「彼は今日では当たり前とも言える「実力主義」、 「成果主義」を提唱した」小笠原眞(2009)「盛田昭夫-小さな 町工場から世界のソニーに育て上げた男-」『愛知学院大学人間文化研究所紀要・人間文化』第 24 号、269 頁。 (5) 盛田昭夫(1969)『新実力主義』文藝春秋、69 頁。 (6) ソニー株式会社『週報』1970 年 4 月 9 日号。 (7) Abegglen, J. C. (1958)The Japanese Factory: Aspects of Its Social Organization, The Free Press: 128-129 Abegglen, J. C.(1973) Management and Worker: The Japanese Solution, Sophia University Tokyo: 24-38. (8) 八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学-労働市場の流動化と日本経済-』日本経済新聞社、35 頁。 参考文献 Abegglen, J. C. (1958)The Japanese Factory: Aspects of Its Social Organization, The Free Press(占部都美訳『日 本の経営』ダイヤモンド社、1958 年). ─────── (1973) Management and Worker: The Japanese Solution, Sophia University Tokyo(占部都美、 森義昭訳) 『日本の経営から何を学ぶか:新版日本の経営』ダイヤモンド社、1974 年). 岩出博(2010)「成果主義人事化で日本人の働き方は変わったか」 『産業経営研究』第 32 号、日本大学:73-92 頁。 小笠原眞(2009) 「盛田昭夫-小さな町工場から世界のソニーに育て上げた男-」 『愛知学院大学人間文化研究所紀要・ 人間文化』第 24 号:258-276 頁。 奥村悳一(1996)「変革期における経営理念の刷新」 『横浜経営研究』第 18 巻第 3 号:217-233 頁。 鍵山整充(1989)『職能資格制度』白桃書房。 国友隆一(1990)『ソニー・驚異の独創力の秘密』こう書房。 ソニー広報センター(1998)『ソニー自叙伝』ワック。 辻野晃一郎(2011)「ソニー精神はアップルにあり」 『日本経済新聞・電子版』2011 年 1 月 28 日。 日経連能力主義管理研究会(1969)『能力主義管理-その理論と実践-』日本経営者団体連盟。 宗重博之(1991)『ソニー盛田昭夫の経営哲学』ぱる出版。 盛田昭夫(1966)『学歴無用論』文藝春秋。 ────(1969)『新実力主義』文藝春秋。 ────(2000)『21 世紀へ』ワック。 盛田昭夫、下村満子、エドウィン・ラインゴールド(1987)『MADE IN JAPAN』朝日新聞社。 八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学-労働市場の流動化と日本経済-』日本経済新聞社。 (42)-12
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