赤塩焼の秘密に迫る 校長講話より

保護者の皆様・地域の皆様
五つの校訓
至誠 勤労
進取 公徳

No8
自治
平成 27年9月18日
学校教育目標
いつも 笑顔の
さみずっこ
文責 栗田 喜美江
赤塩焼の秘密に迫る
校長講話より
1学期の終業式に、
「先生は、三水第二小学校の宝物をみつけ調べます。皆さん
も夏休みならではの体験をしてください」と話を結びました。校長室にある一つ
4月4日の入学式(土)8 名の 1 年生と
の壺、それが頭にあったからです。赤塩焼の壺です。それは、松代焼といっても
いいほど似ていました。いろんな疑問がわき上がり、いいづな歴史ふれあい館の
小栁館長さんを訪ね赤塩焼の概要をお聞きしました。第二小学校の敷地内に窯が
あり焼き物が作られたこと、なんと三水第二小学校百年史の「赤塩窯物語(唐木田
又士さん)」に詳しく書かれていること、学校の近くにお住まいの小林講和さんが
子孫でご存知なことなどがわかりました。子どもたちに赤塩焼、これはまさに赤
東区の宝、飯綱町の宝を知ってほしい。子どもたちには、ぜひ本物で迫りたい。
小林さんからお聞きしたい。そんな願いがありました。清水議員様のご仲介で、
小林講和さん宅の家宝である焼き物を紹介していただけることになりました。小
栁館長さんも二つ返事で専門的な面から説明してくださることになり、中身の濃
い校長講話となりました。
赤塩焼の概要
校長室の赤塩焼
~小栁館長様より~
ここにあるのは、今から150年ほど前(文
久3年:1863年(江戸時代の終わり頃)
から、60年間ほど(大正末年1925年)
赤塩の毛野で焼かれた焼物です。今では、赤
塩焼と呼ばれています。この焼き物は、瀬戸
から来た小林栄十郎さんと息子の作治郎さん
小林
作治郞様
資
登り窯のイメージ
によって作られたものです。
栄十郎さんは、三水第二小学校の校門近くに、長さ12.5m以上もある焼
窯を作りました。
(体育館 北~南までの長さです)
焼き物を作るための粘土は、赤塩の土(粘土)を中心にして、よりよく焼
けるように長野市篠ノ井の土を混ぜて作ったそうです。
赤塩の窯では、水を入れたり味噌などを入れたりする壺、そば粉や小麦粉
をこねるための紅鉢、油やお酒などを別の器に移すための片口、味噌やゴマ、
クルミなどをすりつぶすすり鉢など、大きくかさばる品が多く作られまし
た。
当時は、近くに焼き物を焼いている場所がなかったので、商売も繁盛した
ようです。
明治19年(1886年)には、信越線(今のしなの鉄道)の工事のため
に、レンガも焼きました。その数は、10万個以上になるそうです。そのと
P4
きのレンガを作ったトンネルが信濃町の戸草というところに残っています。
窯の入り口イメージ
これは、第二小学校の校庭の隅でみつかった赤塩焼のかけら
です。焼いている途中に壊れてしまって捨てられたものと思い
ます。
焼き上がった色が違いますが、これは釉薬という絵の具のよ
うなもので、粘土の上に塗るものの違いで焼き上がりの色も違
ってきます。釉薬は、1200℃以上の高温で焼かれると溶け
てきれいな色になりますが、あまり温度が高くなりすぎると、
粘土が溶け出してしまって壊れてしまいます。なかなか加減の難しい仕事です。誰にでも作れると
いう物ではなく、経験と知識を積み重ねる中で、よい品が焼かれるようになったと思います。
皆さんの家では、今でも赤塩焼が使われていたり、物置のすみに残されていたりするかもしれませ
んよ。
講和さんからは、焼
き物の説明をして
いただきました。
右は、鉄道局御用
達の看板です。
たくさんの質問が子どもたちから (抜粋)
Q 赤塩焼きは縄文土器や弥生土器とどう違うのですか。
縄文土器は、野焼きと言って窯ではなくて800度くらいの
温度で焼くので違いはすぐわかります。
Q どこの土をもってきましたか?
毛見、斑尾川のしものくぼみと言われています
Q
赤塩焼きはどこでみつけましたか?
校庭にかけらがたくさんあります。二宮金治郎さんの近くに窯があったそうです。掘ればきっとごろ
ごろと出てきますが、掘らないでくださいね。貴重です。
Q
一日に何個ぐらい作ったんですか? その年によって違うけれど、1 年間に
1700個くらい。
Q
焼くのに何時間くらいかかるんですか? 3日間火をたき続けます。
Q
赤塩焼きは貴重だったんですか?
とても貴重でした。この辺には焼き物を
作っているところがなかったので、とても重宝したようです。
Q
赤塩焼きは、季節関係なく作れるのですか? 季節関係なく作っていたと思
います。雪が多いときは少なかったかもしれないね。
Q
赤塩焼には特徴がありますか? 難しい質問です。松代焼に似ているんです。また、それほどたく
さん見つかっていないので、これといった特徴がわからないのが現状です。きっと皆さんの家にも
赤塩焼の焼き物があるから、それを集めてみると、その人の癖があるから分かってくると思います。
ぜひ集めたいです。
Q
赤塩焼はなぜなくなってしまったんですか? 跡継ぎがいなくなってしまったからです。
Q
窯を作るのにどのくらいお金がかかったんですか?難しい質問です。相当高いです。家を建てるく
らいかかったと思います。
ありがとう
小林
講和さん
小栁 義男館長さん
赤塩焼がすごかったです。私も作ってみたい
です。私も作れるといいなあと思いました。
(1年 女子)
今日のお話を聞いて、赤塩焼がいっぱいある
ことがわかりました。僕は、赤塩焼について調
べたいです。僕は赤塩焼を探したいです。今日
は、話をしてくれてありがとう。
(2年 男子)
赤塩焼は三水第二小学校で作られていたなんてびっく
りしました。あと10万個のレンガなんてとてもすごい
と思いました。それに、12メートルの焼がまもすごく
びっくりしました。ぼくは、前陶芸をやっていたので、
赤塩焼をかっこいいなあー、作ってみたいなあと思いま
した。
(3年 男子)
今日は、
赤塩焼についておしえてくれてありがとうご
ざいました。僕は、赤塩焼のことはよく知りませんでし
た。でも、小林先生、小栁先生が教えてくれました。赤
塩焼は、百年以上も前のことだと初めて知りました。土
をとってくる場所は学校の近くだと聞いてびっくりし
ました。そして、実際のものが飾ってあって、
「かたく
ち」とかがありました。ぼくは、赤塩焼でつぼとかしか
作ってないと思っていたけれど、違いました。昔に電車
のトンネルを作るレンガも赤塩焼で作られていること
にびっくりしました。赤塩焼を作っていたのは、学校の
近くと聞いてすごくびっくりしました。
(5年 男子)
お酒を入れる「とっくり」を教えても
らっておうちにあったような・・と思
っておばあちゃんに聞いてみたら「あ
るよ」と言ったので、見てみました。
そしたら、見せてもらったとっくりと
同じくらい大きなとっくりでした。赤
塩焼だそうです。私は、説明してもら
えてわからなかった何年前まであった
のかということがわかってよかったで
す。
(4年 女子)
私は、赤塩焼の学習をして初めて知ったことがたくさんありました。
まず、赤塩焼は、約150年も前に作られていたということです。もっ
と昔のものかと思っていたので、びっくりしました。それからそのころ
は、貴重な物で、高く売れていたということも驚きでした。意外とすご
いものだと思いました。それから、まだ、赤塩焼のことはよくわかって
いないこともわかりました。私は、赤塩焼に特徴があるのかを質問した
けれど、それもまだ、わかっていないということなので、調べてみたい
です。赤塩焼を焼くのは、3日かかるというのもびっくりしました。あ
と、なぜ赤塩焼が60年で終わってしまったのかを知りたくなりました。
まだ、わからないことの多い赤塩焼のですが、初めて知ったことも多く
て楽しかったです。もっと赤塩焼のことを知りたいです。
(6年 女子)
4 年生 翌日社会見学の帰りに
「戸草のトンネル」へ
ところどころ補修をされてい
るそうですが、こんなレンガ
が積まれています。
「赤塩焼のレンガを作って、
こんな長いトンネルを作るな
んてすごい!」4 年生が興奮気
味に報告をしてくれました。
赤塩焼のレンガがいっぱ
いだあ。超赤塩焼だ~。
平成27年9月11日 信濃毎日新聞