2013年 (平成25年 )12月 能古博物 館だより (1)第 70号 あ転転よti五五 ‐ 幕、 中 小 さな茶 碗 が発 信 す る様 々な情 報 を 。 楽 しんだ 、 、 4 5 6ページに∨ ∧関連 記事 ・ 3 ・8☆ン、高 さ 7掟ン。ど こで作 ら 直径 1 、 れた のかわからな いが 手 に持 つとず し り と した感 触 が伝わ ってきた。焼 いた窯 、 の燃 料 は薪 だ った のだ ろう か 石 炭 だ ろ 。 う か も しかす ると 入院 患 者 が使 ってい 。 た のではないか 花模 様 は女性 用か? 作 ら れた粗 末 な 茶 碗 が奇 跡 的 に残 って 。 。 いた のだ バラのデザ インがいとおしい 敗 戦 の物 不 足 時 代 に日常 雑 器 とし て 務 員 の非 現業 共済 組 合 連 合 会 に吸収 さ 、 れ ﹃ 浜 の町 病 院 ﹄の前 身 ﹃ 聖福 病院浜 の 。 町 診療 所 ﹄が生れ る 8年 後 の19 58 、 、 年 国 家 公務 員共済 組 合連 合 会 に改名 。 非 現業 の文 字 は消えた 、 敗 戦 後 の1 9 4 6年 朝 鮮 半 島 か ら 、 引 き揚げ てきた医 師 と看 護 婦 の 一 団が っ 伝 干 を 頼 って寺 内 に病 院 を 開 きいす 聖福 。 。 病 院 を 名乗 った 初 代 院 長 は緒 方 龍 朝 、 鮮 戦 争 が勃 発 した 1 9 5 0年 国 家 公 辺り に転 が っていた のを拾 ってお いた の 。 です ﹂ 老 師 は太 い指 で半 世紀 前 の遺 物 。 をな でた 理 事 長 兼 館 長 始 竹 蕩踏 残 って い た 古 茶 碗 ﹃扶 桑 最 初 の禅 窟 只 国 内 最 初 の禅 宗 寺 院 ︶と し て有 名 な 福 岡 市 博 多 区 御 供 、 所 町 の聖 程 乱 は来 年 九 月 五 日 初 代 培 疎 師 1141∼ 1215 百 禅 ︵ ︶ 没 後 八 。 いみ 年 の大番 詳 法要 を迎 え る 講 と は ﹁ 、 な のこと 生 前 の名 を死 後 は いみな と ﹂ 。 つ い> 栄 西 は留 学 先 の宋 から 喫 茶 の文 化 を 、 、 持 ち 帰 り 背 振 山 に茶 の種 子 を 撒 き 。 ﹃ 喫茶 養 生記 ﹄を書 いた 1 7 5 0∼ よ く 知 ら れ る仙 外 和 尚 ︵ 1 8 3 7︶は第 〓 〓 一 代と 〓 一 五 代 の住 。 、 日い伝 一 職 を 務 めた 几帳 面 な実 務 家 で 喜 え によ ると 握 り 飯 を 2個 持 って書 籍 蔵 、 し とい に に終 日籠 もり め杯 説 研 鑽 た や 。 6 > つ 現 在 の細 川白 降 老 師 ︵ 6 平成 9 歳・ 。 1 0日 年 1月 2 就 任 ︶は第 ご 〓一 代に当たる ﹁こんな も のが残 っています よ ﹂。細 川 。 老 師 が古 いご 飯 茶 碗 を 取 り 出 し た 白 、 い肌 にバラの花 が青 色 で描 かれ ており 。 ステム の 一部 が欠 け ている が フの反 対 側 には消 えかか っ 寛難 一 濯 耐 震 醐 制 響 原 聖 福 病 院 ﹂と あ った。﹁ 台 所 のそ の 2013年 (平成25年)12月 (2) 能古博物館 だより 全 国博物館館長 会議開 く 0 文 部科 学 省 ・ 公益 財 第 2回全 国博 物 館館 長 会議 ︵ 、 2日 日 は6月 1 団 人 会 主 ︵ 水 ︶全国 法 本 博 物 館 協 催 ︶ 、 から 約 40 0人を集 め 東 京 ・ 虎 ノ門 の文 科 省 講 堂 =写 真 =で開 催 された。 午 後 行 われた事 例発 表 のテー マは ﹁ 博 物 館 の充 実 。 方 策 ﹂ 規 模 が能 古 縛 物 館 に似 て小 さ な 民 間 施 設 ﹃ 石見 銀 山資 料館 只島 根県 太 田市 ︶の館 長仲 野義 文 、 さん が 2人 目 に登 場 石 見 銀 山 が世 界 遺 産 に指 定 、 された 2007 ︵ 平 成 門︶年 以維 地域 に起 こ ったさ 。 まざ まな変 化 を豊 富なデ ータをも とに語 った 昭和 世 界 這 産 登 録 の光 と 影 同 館 は 1 9 76 ︵ 、 。 ︲ 5︶年 の開 館 老 朽 化 した 郡 役 所 の建 物 を 地 元 の 。 、 観 光協 会 が譲 り 受 け 任 意 団 体 と し て誕 生 した や 、 が て世 界 遺 産 登 録 の機 運 が盛 り 上 がり 6年 前 に 、 晴 れ て指 定 された が ﹁ 指 定 後 はそんな に盛 り 上 が 。 っ と ら さんは話 す な た か 野 仲 ﹂ 、 5 ﹁ 指 定 の年 こそ 1万 人 の入 館 者 があ った が 以 後 、 は先 細 り の 一 途 で 昨 年 は 3万 数 千 人 にま で落 ち 込 。 んだ ﹂ 市営 の大 規模 施 設 ︶が 登 録 を き っかけに ハコモノ ︵ 、 出 来 て競 合 す るよう にな ったほか 観 光 客 の関 心 が 、 年 々変 化 し て 約 6百 力所 あ る廃 鉱 跡 見 学 へと シフ トした のが原 因 だという。観 光 客 の総 数自 体 も最 盛 。 0 0 期 の8万 人が 5万 人に落 ち 込んだ 限 界集 落 の再 生 さら に仲 野 さんが指 摘 した の 、 は いわゆる世 界 遺 産ゾ ー ン内 の人 口減 と高 齢 化 の 。 0訂 を え た集 落 もあり 、 影 響 高 齢 化 率 がす でに 5 超 ﹁ 数 年 後 には いく つか の集 落 がな く な るだ ろう ﹂と 。 予 測する ﹁ しかし限 界 集 落 にあ って文 化 財 を ど のよう に利 。 。 用 す るか と き には新 たな 町 造 り を それ が博 物 館 。 さんは熱 く語 った のひと つ と の 野 割 仲 役 ﹂ 、 効 率 的 な 運 営 誇 る 同 館 の職 員 数 は館 長 1 学 。 、 、 芸 1 非 事 正 賞 務 ︵ 規 ︶1 非 常 勤 1 それ でいて開 。 年 末 年 始 のみ休 館 ︶ 企 画 展 は 館 日 数 は 3 5 8日 ︵ 。 年 2E また 出 張 講 座 の古 文 書 購 読 会 を 月 4回 開 く。気 にな る職 員 の体 日消 化 には言 及しなか った。 、 主 な 収 入 源 はお と な 5百 円 小 人 三百 円 の入 場 。 料 収 入 施 設 間 の連 携 と 来 訪 者 の利 便 性 の向 上 を 、 図 ろ う と 関 連 の4施 設 で 2 日 間 使 え る 霊 ハ 通チ 、 ケ ット 只 大 入通 常 千 五 百 円 を 千 円 同 こど も 五 百 。 を発 行する 五 十円を三百 円 ︶ ﹁地 元 に残 っている モノを 展 示 し ているだ け ﹂と 仲 野 さん は謙 遜 、7 気 味 に話 し た が ﹁3 、 年 間 入館 収 入 だ け で 。︰ ど と 胸 を 張 る 。 シー ンもあ つた 困 み に 同 館 の理 事 長 は 義 肢 製 作 で有 名 な 中 村 プ レイ ス側 社 。 長 の中 村 敏 郎 氏 後 援 メ ン ーと し 人 て 公 バ 個 0名 、団 1を す 輿1 体 擁 。 ウ ゑ ぜ × 会議 の最 後を飾 った 活 性 化 に必要 な館 長 の役 パネ ルディスカ ッションは ﹁ 。 、 割 ﹂のテー マで行 われた 全 国 各 地 の館 長 学 芸課 長 、 から 選 ば れた パ な フリ スト 4人 が登 場 し て ﹁ 館長 、 は コンダ ク タ ー ﹂ ﹁異 業 種 の人 材 登 用 ﹂な ど 交 々 、 語 ったが 意 表 を 突 かれた のは青 森 県 立 美 術館 の女 。 性館 長鷹 山 ひば り さん の発言 だ った 、 出張報 告 学 芸 員 の仕事 ぶり を無 責 任 だと 断 じ ﹁ 。 企画 展 の調 査 結 果 を 書 さえ 出 さな い﹂と 一刀両 断 ﹁ 、 、 訊 ね ると 多 額 の出 張 旅 費 を 使 いな がら 実 現 の見 。 通 し が立 な いと 平 気 で言 う ﹂と 嘆 いた 同 館 の年 間 。 ﹂れ には場 内 からた め息 が 予算 は 8億 円 だと いう す 。 漏れた 3年 前 に知 事 に乞 われ て就 任 したと いう 鷹 山 さ 。 んは ﹁ 私 は昼 食 を 市 内 の飲 食 店 を 回 って食 べる 食 、 事 後 展 覧 会 のポ スターを店 内 に掲 示 し て欲 しいと 。 、 依 頼 す る 店 主 に出 品画 家 の生 い立 ちや性 癖 生 き 、 、 様 を 話 す と 前 売 り 券 が売 れ る こと も あ る ﹂と 率 。 先遂 行 の姿 勢を 強 調 1回 の企画 展 で五千 枚 のポ ス 。 ターを張 ると言 い切 った ″ そ の上 で﹁ 学 番 員 であ っても 衛 に出 て 営 業 〃をす 。 営 業 の秘 訣 を話 し出 すと 1時 べき だ﹂と き っぱり ﹁ 間 あ っても 足 ら な いので今 回 は遠 慮 す る﹂と会 場 の 。 常務理事兼耐館長 蘭牟出耕治︶ 笑 いを誘 った ︵ ﹁ ﹂れは昨 年 の館 長会議 で基 学芸員は雑芸員に﹂ テ 調講演をした東京都写真美術館 の節長福原義春 さん =冊資生堂名誉会長 =がいみじくも語 った 三言だ。 、 同 館 は 予 算 を 半 分 に削 ら れ な がら 人 手 不 足 を 。 、 ボラとアィアで補うなどして 入館者を倍増させた 、 ﹁ たとえ小さく ても輝くような 市民に期待 される 。 施設を目指そう﹂1年前の福原さんの明快なメッセージ 。 が蘇 った 著 者 に聞 く ﹃ 井南 亀 冥 小 伝 只 花 乱 社 刊 ︶を 著 し た 河 村 敬 一さ ん 福 岡市立福 鶏高校 のぶ ア ラ ン教 諭 河 村 敬 一さ ん ︵ 写 ︲ 6歳 ︶ が﹃ 真・ 亀井南冥小伝﹄ 、 定 価 1 70 0 ︵ 花 乱社刊 ・ 。 を世に問うた 輝 村 円 十税 ︶ 7∼ ︲ 8 紀の さんの専門 は1 世 。 函洋 思 想 史 ︱︱学 校 では何 を 教 え ていますか。 。 昔 の社 会 科 です いま は 地 理 歴 史 科 と 公 民 科 に 、 。 分 かれ ていて 公 民 科 を 中 心 に教 え ていま す 公 民 、 科 は倫 理 政 治 経 済 が テ ー マで小 泉 元 首 雄 が唱 え た 構 造 改 革 や 戦 後 日 本 の平 和 主 義 も 取 り 上 げ ま 。 す 日 本 はド イ ツと 違 って戦 争 責 任 を あ いま いにし 、 た ま ま です が そ のあ たり を 教 室 で話 し ても 生 徒 。 から 質 問 は舶 ま せん 戦 争 を 知 ら な い平 成 生 ま れ 。 ですから 無 理 も あり ま せんが 。 ︱︱ こ ど で を 冥 亀 井 南 、 私 は福 岡 蒋 西 渡 の西 新 町 育 ち な ので 今 川橋 の 、 、 浄 満 寺 の門 商 に建 つ ﹁ 亀 井南 冥 躍 陽 両 先 生 墓 所 ﹂ 。 と 刻 ま れ た 大 き な 石 碑 を 見 て育 ち ま し た 授 業 、 ︵ 倫 理 ︶では江戸 時 代 の儒 学 を 教え ますから そ こで 、 、 南 冥 昭 陽 の人 と なり を 初 めて知 り すぐ に能 古 博 物 館 の前 の理 事 長 で館 長 を 兼 ね た故 左 野 寿 人 さん 。 の著 書 を 読 みました 庶 野 さんほ旧 制 福 岡 商 業 ︵ 福 、 翔 高 校 の前 身 ︶の饉 身 で 亀 井 一門 の顕 彰 に尽 く さ 。 れた方 です 福 岡 教育 センターで行われた ﹁ 先 賢 に学 。 ぶ﹂と題 した講 演 を聴 いた ことも あり ました 亀 井 南 只 の人 生 に 寧 ほ う 第70号 能 古博物館 だより (平成25年 )12月 (3)2013年 。 ︱︱ ど は 南 冥 ん な 人 物 ですか 。 医 者 であ り 儒 学 者 歯 に衣 着 せず 蒙 箕槍 見 を 言 議 勝 穀並 隷 撃 難 晶 誕 騨 押 と出 世 襲 で禄 を げ な 武 士 は勉 強 し い 下 級 継 静 鎗 。 世 は 覚 束 な いと 説 いても いま す 南 冥 が 祭 首 ︵ 館 長 ︶を 務 めた 福 岡 藩 の西 の学 問 所 ﹁ 甘 業 館 ﹂に つな 。 が る 考 え です そ れ と 対 照 的 な のが 東 の学 問 所 。 ﹁ 修 猷 館 ﹂です ︱︱ 著 書 の ﹁ は しが き ﹂に ﹃南 冥 に 仮 託 し て自 ら の﹁ あ り 方 生 き 方 ﹂を 探 し求 め てみ てはど うだ ろう 。 か﹄と あ り ますね 、 そ こにも 書 き ま し た が 鶏 冥 に ついては研 究 論 文 は多 いが彼 の人 生 を 一般 的 に取 り 上 げ た本 は少 。 な い 文 献 を も と に彼 の生 源 を 概 観 し てみた いと 。 思 いま し た 現 在 の能 古 博 物 館 の前 身 であ る秋 月 、 の亀 陽 文 庫 を 訪 ね て ま す ま す そ の必 要 性 を 感 じ 。 、 ま した 南 冥 の晩 年 は不 遇 と 言 え な く も な いが 彼 、 、 、 の歩 んだ 生 涯 は 人 と し て生 まれ 死 す る中 で ﹁ 人 、 間 と し てのあ り 方 生 き 方 ﹂を 考 え る素 材 を 我 々に 。 与 え てくれ ている と 思 いま す 河村敬 一 当 館 は福 岡 市 出 身 の牛 島 さ ん の大 航 海 、 を﹁ 博 多 湾 物 語 ﹂の中 で取 り 上 げ 豊 富 な 、 、 写 真 や 航 海 日 誌 航 海 機 器 著 書 な ど多 数 。 。 を 展 示 著 書 の貸 し出 しにも 応 じ ている 、 料 陸 での旅 行 は 随 分 し てき ま し た が 海 に関 し ては ま った く サ ッパリ わ から な い世 。 ﹂ んな にも 正 直 に書 き 調 され た 界 でし た ン 、 牛 島 さん の著 書 を 読 ん で そ の厳 し さ が伝 。 わり ま し た も っと も つと 若 い時 に こ の本 、 を 読 ん でいた ら 違 った 旅 な し た かも 知 れ 。 な いと 思 いま し た き れ いご と を 綴 った 旅 、 行 記 は自 分 にと ってラ ンク外 です が 間 違 。 いな く この本 は上 位 に迫 る 良 い本 でし た 。 有 難 う ござ いました ﹂ × 1 9 6、70年 代 に小 さな ヨット で大 平 洋単 独 往復 航 海 と 世界 一周航 海 の快 挙 をや ってのけた 牛 島 龍 介 さ ん =写 真 対 の著 書 ﹁ 犬と私 、 の大 平 洋 上 ﹁水 平 線 の少 年 いず れも 朝 日 新 聞 社 只 利・ 本 館 所 蔵 ︶を読 んだ複 岡 市 東 区 に住 む K Tさん から 次 のよ う な 読 後 の感 。 想 が届 いた 牛島龍介 さんの 冒険 ルポを読んで 館への便り 2013年 (平成25年 )12月 (4) 能 古博物館だより 出 版 物 の割 引 き頒 布 本 館 では次 の2冊 の関 連 響 籍 。 を頒 布 致 し ます 筆 者 から ﹁ 館の 運 営 に役 立 てて欲しい﹂と寄 購 さ 、 れたも ので 割 安な 価 格 にな って 。 います 、 一 ﹃亀 井 南 冥 小 伝 只 河 村 敬 一 、 定 価 1 70 著 ・花 乱 社 調 ・ 、 。 0博 キ税 ︶ を 1 300円 で 、 一一 方 あ り て﹃ の町 病 院 ﹄ 緒 龍 浜 西牟 田 生 い立 ち の姿 かたち ︵ 、 耕治蓄 原寛監 修 ・ 梓 書房 刊 ・ 1、50 0円 。 定 価 税 込 み︶ 。 、 を 1 000円で ▼ご 購 読 を ご希 望 の方 は同 封 の 振 替 用 紙 を 使 って代 金 を お送 り 願 います。 ▼入金 を確 認 した上 で本 を郵 送 。 、 扱 し ます 冊 数 に限 り があり ご 希 望 に添 えな い場 合 があ り 。 ます ▼入 金 はす べて当 館 への寄 付 と 。 致 し ます A 3磁程ン鐘 ヽ 戦争を知らなャ 投ftにお勧めの一冊。 9 5 1 年 に 開 美 し た ﹁浜 の 町 病 。0 1 月 に慣 れ 親 し ん だ 岡 市 天 、1 ン 雛ン れ 福 岡 市 の中 核 病 院 の 一つで 僅か19名の小所帯でたり出した 院﹂ 朝 鮮 半 島 か ら博 多 港 に戻 神 地 区 か ら 長 浜 地 区 に移 転 し た の 、 同 病 院 のル ー ツを た ど っ 。 を機 に た 一冊 だ 、 戦後 った 医 師 の緒 方 龍 は 、 街 に あ ふ れ る 引 き 揚 げ 者 の た め の診 療 所 を 同 。 市 博 多 区 の聖 福 寺 に 設 け る そ の 、 公 務 員 対 象 の病 院 と し て 浜 の 後 町 病 院 が 独 立 し た 経 緯 に つい て 資 。 料 を も と に紹 介 し て い る 当 時 の ー 関 係 者 ら の イ ンタ ビ ュ か ら は 戦 後 の 混 乱 期 を 生 き た 人 々 の様 子 が 。 、 興味深 い 垣聞見 え ・ ・ 梓書院 ︵ ③ 0 9 2 643 7 。 1429円 ︵ 税別︶ 0 7 5 ︶発 行 ◇ 日本経済新聞 (2013年 ]1月 23日 付)から◇ t 1 8 8 口鱒 座 浜 " 寅 夫 抑 ・凛 鯨 帥 "磁 ロシ ナ ンテ ス の 支 援 再 開 お な じ み の ﹁ワ ンコイ ン募 金 ﹂で 。 東 日 本 大 震 災 から 2年 8 ヶ月 余 り 能 古 博 物 館 の﹁ 友 の会 ﹂有 志 は N P O法 人 ﹁ロシナ と アス只 取 原 尚 行 理 事 。 長・ 事 務 局 北九 州市 ︶の支援 活 動 を再 開 す る 2日 岡 市 で開 さ る ﹁ 日 野原 重 手 始 めは来 年 2月 2 福 催 れ 明話 演 会 只 新 を 人 の会 福 岡 支 部 i 継 ︶会 場 のエルガ ー ラ 、 ホール ︵ 天 神 ︶に募 徐 術 を 世 き 行 志 が ﹁ワ ンコ 柄岡市 ・ 。 イン募 金 ﹂を 呼 び か け る 注 ︶ワンコイン募 金 =500円玉 1∼ 2枚 樫 度 の金額 ︵ 。 ﹂れま でに約 2 0 0万 を 目 標 に幅 広 く 協 力 し ても ら う す 。 円を集 め ﹁ロシナと アス﹂に贈 った ︲ 0月 ▼川 原 理事 長に第 2 回福 岡 県 文 化 賞 授 賞 式 は 1 0匿 岡 市 内 で行 われ、 3 福 川原 理事 長 は社 会 部 門 で受 賞 し 。 た 田 部 門 の第 1回 受 賞 者 は嘉 穂 劇 。 、 場 代 表 の伊 藤 英 子 さん 式 後 天神 の レスト ランで和 やかに受 賞 祝賀 の会 が 、 開 かれ スーダ ンの関 係 者 =写 真 ︵ た 。 端 は川原 理事 長 ︶=も 列席 した ☆ このほか同 市 中 央 区 舞 鶴 から 長 浜 、 に移転 した浜 の町病 院 の物 語 緒 方 龍 あ り て﹃浜 の町 病 院 ﹄生 い立 ち の姿 か たち ︵ 西 牟 =耕 治 著 。 原 覚 陥 修 ︶の売 り 上げ の 一部 を ロシナ と アスに行 付 す 。 る支援 活 動 も 行 っている 、 、 緒 方 龍 は旧 制 中 学 修 猷 館 五 高 京 。 都 市 大 医 学 部 卒 著 名 な 政 治 家 でジ ャーナリ スト の緒 方 。 竹 虎 は見 に当 た る 敗 戦 時 は朝 鮮 ¥ 島 。 清 津 の日 赤 病 院 。 、 長を務 めていた 博多 港 に引 き揚げ 後剤 ﹁ 聖 福 寺 ﹂内 に病 。 、 ﹂れ が後 に浜 の町 病 院 にな る 支 援 活 動 の詳 院を設 け ン 。 674︶4633 = ︵ 西牟 H方 ︶ま で 綱 は電 話 =092 ︵ 西牟 田耕治著 ・ 齢 響 滅 畿 緒方龍 あ りて 『 浜 の町病院』生 い立ちの姿 かたち 第70号 能 古博物 館だより (平成25年 )12月 (5)2013年 以 け 伝 )め 。 孔 子 を 利 用 し ま せん か 廟 ︱ ○ ︰当 館 には国 内 に数 少 な い﹁ 孔 子 廟 ﹂︱写 。 真 下 =があ る 中 国 古 代 の撃 入 孔 子 を 祀 る 孔 子 廟 は東 京 ・ 湯 島 の聖 堂 や 佐 賀 県 多 久 市 の撃 廟 ゴ ー ルした参 加 者 には島 特 産 の﹁ 能 古 う どん ﹂と 翼 福 祉 作 業 所 特 製 の﹁マー マレー ドク ッキ ー﹂がプ レゼ ント さ 、 。 れ 豪 華賞 品 が当たる抽 選も あ った 主催 ・ 福 岡市郵便 第 3回能 古 島 一周 ウォーキング 大 会 ︵ 、 上 ︶絶 好 のウォーキング 日和 のも 局 長協 会 ︶は H月 9日 ︵ 。 と約 800人が参 加し て開 かれ、ほぼ 全員 が完歩 した 、 浜 崎 グ ラウ ンドを 出 発 し て反 時 計 囲 り に島 を 一周 隅 、 。 グ ラウ ンドに一 炭る約 8ま のコー ス 前 半 はゆるい上り 後 、 お 半 は穏 やかな 下 り で 要 所 に 立 つ主 催 者 メンバー が ﹁ 、 疲 れ様 ﹂と 声 を掛 けて誘 導 し 中 間 地 点 のアイ ランドパー 。 クはトイレを無 料開 放 した 館 のサ ー ビ スは 空 振 り 能 古 島 一周 ウ ォー ク に 8 0 0 人 な ど 全 国 に数 力 所 あ る 。 、 のみ つい最 近 多 久 聖 釈菜 只 孔 廟 で行われた ” 、 、 、 、 、 子 に杏 栗 衛 芹 飯 、 、 餅 雑 肉 甘酒 を供え る 典 礼 ︶には多 く の市 民 が 。 参 加 した 雅 楽 の演 奏 も 。 あ る厳 かな祭り だ った 中 国 では 孔 子 の諭 語 を 再 評 価 す る 動 き があ 。 ると か 我 が ﹁ 孔 子 廟 ﹂の い し ん で /Lし /L 。 利 用 方 法 はな いも のか 付 近 には孔 子 ゆかり の 0 カイ ︶の本 や能 古 焼 き の 樹 齢 2年 を 超 え る槽 ︵ 。 、 古窯 跡 万棄 碑 もあ る Lサイ エンスカ フ エ﹂やり ま せんか ○ ︰全国 の縛 物館 で近年 増え ている 。 サイ エンスカ フェ﹂ 堅 苦 し いイメ のが 準 ージを 払 拭 し 、若 者 に親 し ん でも ら お 。 、 う と ギ アチ ェンジし ている そ の極 意 0月 9日 から を 全 国 博 物 館 長 研 修 ︵1 。 3B 間 ・ 東 京 ︶で聞 いた 簡 単 にま と める と ︱l ① おしゃベ リな司会役と ファシリテーター ︵ 助 っ入︶ 。 。 が重要 井戸 端会議感覚 でやる ② 顔 が 。 0 見え る3人以下 の小 さな集まり がいい スライ ド は 使 わ ず 途 中 に サ ラ ック ス 。 タイムを設 ける ③ 館 が主 催 しな く ても かまわ 。 、 ない 館 の外 でや る のも いい ④ ボ ラン アィアの ◇ 。 参 加 が肝 要 ⑤ 参 加 費 は 5 0 0円 程 度 ⑥ 夜 。 、 の博 物 館 お月 見 な ども いい 、 当 館 は博 多 湾 内 に立 地 し 館 庭 には渡 り 鳥 。 の鷹 積 を 詠 ん だ 旬 碑 があ る ま た 島 内 産 の貝 、 、 。 ﹂れ 類 標 本 鉱 石 標 本 を 収 集 展 示 し ている テ ら を 利 用 し て 稗箱 ︵ 館 ︶を 出 て衛 に出 よ う ! ﹂ 。 ︵ 研 修 資 料 から の引 用 ︶を 実 現 出 来 な いか ど 。 なたかご 一 緒 し ま せんか ・ 旗 振 り 役 ヤ ーイ みち のく 北 方 漁 船 博 物 館 ﹂で ○ ⋮ 青 森 市 の﹁ さ し づ め 炭 焼 き 体 験 と か 夏 みか ん 。 のジ ャム作 り だ ろう か 島 を ま と め 。 る旗 振 り 役 はいま せんか 切れ端 を利 用した小 船 の工作 キ ット 。 の売 れ 行 き は 上 々だ 能 古 島 な ら は中 高 年 のボ ラ ンティアが体 験 コー ナ ー を 任 、 、 さ れ 子 ど も の五 作 を 手 伝 った り ロープ ワ 。 ︱ ー クを 教 え たり し ている ︱ 写真左 = 木材 の 。 、 家 族 連 れ が 日 立 ち 老 若 の女 性 が 多 か った 持 参 の 、 弁 当 を 浜 辺 で広 げ て完 歩 の満 足 感 に浸 り 島 肉 の店 が 、 いも の天ぶら は ﹁ 鳥 のか 仮 設 のテントを設 けて即売 した ﹁ 。 、﹁ ら揚げ ﹂ よもぎ 餅 にな どを 買 い求 めた 能 古 博 物 館 では主 催 者 の好 意 で のチ ラ シを 事 前 に郵 送 照 。 配 布 した 特 典 と し て ﹁ 割引 き 、 入館 鵜 20 0円 ﹂と 出 版 され き揚 げ 関 連 たば り か の 引 外 海 緒 方寵あり て﹃ 本﹁ 浜 の町病院 ﹄ 0 を 生 い立 ち の姿 かたち ﹂3 冊 用 、 意 ﹁ 無 料 麗 布 ﹂す る サ ー ビ ス 、 を打 ち出したが 入館 者 増には 。 つな がらなか った (注)=( )内 は開館日数 100 6日 ∼ ー ート ボ ス イ カ 高 岡 の ▽8月 1 学 学 年 金 小 校 ︵ ︶ 福 ︵ 中学生 の2班 ︶8人 ▽9潟 附コ ︵ 火︶ 海 句会 墾目降会 ﹂6人 ︵ 2溝 ︵ の部療紅対 ︶▽9剤 8 土 ︶絵画 教 室 の皆 さん 4人 ▽抑 0 0 日 月1 本 ︵ ︶亀 揚 文 癖 創 立 者 真藤 慎 太 郎 氏 の関 係 者 1人 0人 土 ︶研修室 で﹁ ▽H月 捲日 ︵ 光円俳句会﹂3 10月 大 台 の3 0 0 人 に迫 る (1° 総 務 担 当 ︶の話 天候 には勝 て 黒 田康 介 理 事 ︵ 。 な か った 来 年 度 は亀 井 南 冥 没 後 2 0 0年 を迎 。 え る 企 画 展 を 増 や し 入館 料 の金 額 を 再 検 討 す 。 、 るな ど 自 助 努 力 を図り た い ■ 平成24年 度 ■ 平成25年 度 5 0 主 な グ ル ー プ 来 館 者 宇 成2年8月∼1邑 如 ▽特 別寄 付 金 ︵ 敬 称略 ︶ 、 、 、 、 有 苦 いづみ 歯 光 芳 秀 お 光豊 宇 都 宮 邦子 染 岡 、 、 、 、 、 す み子 辻 野 一男 豊 田富 美 子 原 裕 介 古 鷹毅 0人 ・ 山本千 恵 子 掛︲ 計 5万 5千 600円 ほ 注 ︶こ のほ か 井 本 敏 明 氏 か ら 2 万 円 の 一般 寄 ︵ 。 付 があり ました 挽 回 な ら ず 通 し開 館 も 不 振 入 館 者 の減 少 続 く 原 因 は 猛 暑 0月 ま での月 別 入館 者 数 年 末 に当たり 今 年 度 1 。 をまとめた 棒グ ラフが示 すよう に6月 を除 く と 。 不 振 が目立 つ 7月 から の夏 季 3ヶ月間 の落 ち込 。 。 みが痛 い 7痢 憾初 めて100人を割り 込んだ 、 0 今 年 は梅 雨 が例 年 より 1日 早 く 明 け いきな 。 り 岡 は観 測 史 焦 初 の気 温 が ま った 騒 始 市 猛 福 5 7 8度 え を 記 録 。 霧 匿 3 3 越 猛 ︵ 度 以上 ︶が 1日間 続 。 いた 夏 季 3ヶ月 間 の入館者 は前 2年 に比 べ3割 。 、 以上減 った 反面 海 水 浴客 を運 んだ市営 渡 船 は 。 わずかな がら 増 加したという 、 7 腕 回 を はか る べく 9月 2コ から l ヶ月 間 月 、 ∼ 曜日の 日も に み り ほぼ み返 木 開 休 平 常 踏 館 現 。 4、 2 上 でオープ ンした しかし台風 の相 次 ぐ襲 来 ︵ 、 、 7 施 2 号 ︶で渡 船 が 2度 欠 航 す るな ど 秋 の行 楽 。 日和 を当 て込んだ作 戦 は実らな か った 困 みにこ 。 の7ヶ月 間 の入館 者 数と開館 口数 は次 の通 り , 3 ▼平 成 2 開 年 度 掛入舘 者 数 1 20 5人 ︵ 館瀬 4 博1,3 52 1登 数 10 6日 ︶▼平 成 2 年 度 人 ︵ 5年 川1,148人 113日 9日︶▼平 成 2 ︵ ︶ 度 このま ま推 移 すれば 年 度 来 の数 字 は近 年 にな 。 い厳しいも のになり そう だ 来館者数》 《 圏 平成23年 度 友 の会 員 の伸 び 順 調 。 お陰 様 で友 の会 の会 員 が順 調 に増 え ている 、 4人 ﹂の3 ヶ月 間 で3 積 極 的 な 勧 誘 が功 を 奏 し テ 。1 。 増えた 1月 末 現在 の会 員 数 277人 大 翁 の3 0 0人 が瀬 商 に過 った 。男 女 の内 訳 は男 性 1 5 。 7% に し 3 9人 ︵5 ︶ 対 女 性 1 1 8人 ︵ 4%︶ 福 岡 県 、 、 、 内 が圧 倒 的 に多 いが 東 京 鹿 児 島 大 分 在 住 の 。 。 会 費 も いる 会 員 歴 舞 年 以 上 の方 が 4人 原 館 。 長 は ﹁友 の会 は最 大 の支 持 母 体 他 のも っと 規 模 が大 きな博 物 館 でも これだ け の会 員 数 は珍 し ◇ 。 いと 思 う 有 り 難 いこと です 皆 様 の声 を 生 かし 。 ながら運 営 の充 実な醸り た い生と議した 。 ﹂れ ま た今 回 は ﹁ 寄 付 金 ﹂が習 立 って襲 え た ン は 出 関 のお 援 メッセ の い た へ が 版 物 館 係 書 添 者 ージ。戦 後 史 の 一断 面 を 強 ら え た ﹁ 緒 方 龍あり て ﹃浜 の町 病 院 ﹄生 い立 ち の姿 かた ち 只 西 牟 田 緋 治著 ・ 原寛監修 ・ 梓 書 腕 刊 ︶の献 塁 に伴 う も ので 。 ある ▽新 入会 員 ︵ 敬 称略 ︶ 、 、 、 、 秋 山崚 有 吉通 黍 合 瀬 武 久 潜 尾 通 宏 大 塚健 治 、 、 、 、 、 郎 鬼 鍮鞭 警 金畿敏 子 本 村 忠夫 熊 谷達彦 小 、 、 、 、 規穂 子 小倉 智 文 小坪美 代 子 坂日 さ つ網 坂 田 、 、 、 、 虔 二 柴 田浩 玉田爆議 幸 騒幸善 八 善岡直 彦 中 、 、 、 、 、 構爆夫 野 田士朗 原順 子 原 m 一 男 器蓉 子 林宏 、 、 、 、 、 文 馬 場 浩 太 春 野 数 虎 剥 島 広 巳 福 元 率 三郎 、 、 、 、 、 松 尾 真 典 水 崎 雄 文 森 夷 洋 彦 曲 家 肇 舶下 謙 揃M朋億 母爺lJ岱 150 2013年 (平成25年)12月 (6) 能 古博物館だより 第70号 能 古博物館だより (平成25年 )12月 (7)2013年 ▼ 協 賛 こ 寄 附 ︵法 人 ︶ 典雄 柏木 重人 祐 弘 原 敬 二郎 康 治 翠川 文 子 智恵 子 鈴木 友 和 之 敏 明 仁 保 童︻ ︵ 敬称略 , 順不同︶ 医療 法 人 笠 松 会 有 吉 病 院 シー 税 理 士 法 人 エム ・エイ ・ エームサービ ス ︵ 株︶ 医療 法 人 社 団 江 頭会 さ くら病 院 ︵ 株 ︶サンコー ︵ 株 ︶C D S ︵ 株 ︶筑 紫 不動産 西 日本 シティ銀 行 医療 法 人 西福 岡病 院 医 法 人 原 三信 病 院 療 医︶ ︵ 博仁会福岡り八ビリテーション病院 株 ︶ホ ームケ アサービ ス ︵ 株 ︶メディカ ルアシスト言 葉 ︵ 医療 法 人 恵 光 会 原病 院 芳 秀 上崎 笛三 子 島 塚 茂義 増 田 准輔 石野 彰 井本 ︵ 個 人︶ 出光 久我 舟越 亀井 毛戸 協 賛 ご 寄 附 の こ案 内 個 人 1 回 一万 円 x 回数 。 ・ の対象となります 税制上の﹁ 寄附金控除﹂ 法 人 1回三万 円 × 回数 納 入方 法 1、 便 振 替 01730 。 60970 9・ 郵 公益財団法人 亀 陽 文 庫 、 2 銀行振込 西 日 本 シ ティ銀 行 土 井 支 店 普 通 0 551459 公益財団法人 亀 陽 文 庫 内海 長 記 子 ▼ 友 の会 会 員 注 担敬薇略 ● 五十音順 梅 埜 国夫 , は 数 字 員 会 ︵ 年 数 ︶ 歴 浦田 裕 江田 正 一 江崎 小 二郎 大石 由美 子 大 石 恭仁 子 大木 茂 大島 照 子 大智 玲 子 大野 彩 子 大庭 浩 司 大庭 静 枝 岡部 九 州 生 岡本 顕費 荻 原 美枝 子 小 野崎 徹 柏木 和 子 香月 悦子 金子 柳水 上治 正子 嘉村 正子 川田 啓 治 河 野 道博 河退 長 二 河退 鐵 夫 河村 敬 一 木 皿 敦代 ] 序洋子 岸川 伸 子 北原 君子 吉 瀬 宗雄 城戸 兼子 木戸 龍 一 鬼頭 鎮三 岐 部 安信 木山 啓 子 清 田 美弥 子 國武 英 子 久 芳 正隆 黒田 明子 甲本 達 也 古閑 道子 明石 幸 ③ 赤松 慶礼 ③ 秋山 雄治 ④ 秋吉 包雄 ③ 麻生 芳 正 ⑥ 新川 時 弘 ③ 有川 優 子 ① 池田 修三 ⑬ 池 田 淳治 ① 池 田 昌朗 ③ 池松 幾生 ② 石井 福美 ③ 石川 経 子 ② 石橋 清助 ⑫ 石橋 哲治 ① 石橋 延枝 ④ 石橋 正治 ② 石橋 善 弘 ⑤ 石橋 亮介 ① 泉 建志 ② 板倉 修 二 ② 市丸 章呈郎 ⑬ 井出 美 子 ② 出光 豊 ④ 稲葉 英彦 ④ 井上 昭義 ④ 今永 一 成 ④ 今村 さち ⑥ 岩城 元 ③ 石清水 由紀 子③ 岩本 博 秀 ② 上瀧 玲 子 ③ 上薗 幸 則 ④ 上回 恒久 ④ 上国 博 ⑬ 上原 孝 正 ◎ 上村 八郎 ② 牛島 弘子 ③ 内山 節 子 ③ 宇都目 邦 子 ④ ②②⑥⑭④⑤⑤①⑤④③②③③②◎⑫②⑤④⑥③①①③⑤③③③④③③③④⑤③⑥①③①⑤③⑩ 小坂 セツ ③ 児 玉 玲 子 ⑥ 小堀 瑠伊 子 ⑤ 小宮 作 ⑥ 小柳 定 子 ① 小山 儀 一 郎 ② 小山 京 子 ④ 小山 富夫 ・ ⑮ 境野 俊男 ⑥ 榊 和美 ③ 坂 回 征雄 ④ 坂梨 喬 ③ 櫻木 榮紀 ① 佐々木 昭司 ① 三子 ① 佐々木 一一 ノエ ① 佐々木 ミヽ 佐藤 郁 男 ⑤ 塩 田 康文 ④ 執行 敏彦 ③ 地頭所 ミエ子 ① 篠 田 栄太郎 ⑤ 篠 原 ヨシ子 ⑩ 柴戸 次雄 ④ 柴本 隼太 ⑤ 白木 太 一 郎 ② 進藤 康 子 ② 杉 謙 一 ① 杉 原 正毅 ⑬ 杉山 謙 ⑤ 図師 祐 子 ④ 住本 霞 ◎ 住本 直之 ◎ 関 賢司 ・ ⑥ 関 敏巳 ④ 瀬 戸 美都 子 ⑤ 芹 野 一一 美 ◎ 副島 晴 弘 ③ 高木 いづみ ⑤ 高島 英介 ② 高嶋 季雄 ② 高嶋 俊光 ④ 高根 裏 ◎ 高松 まり ① 高山 博 光 男 武 末 昭小 国坂 大 蔵 田里 朝 男 田代 健 治 田代 朝 子 多 々羅 吉 臣 立石 京 田中 啓 介 田中 丸 善 彦 田村 奈 央 男 辻野 一 徳 永 武牛 和子 富ヽ 永 靖雄 豊 田 富美 子 豊 田 文彦 永 岡 主﹃ 代太 永淵 郁 子 中 塩 主白 美子 中島 謙吾 中島 怜 子 中 野 晶子 鋼島 典 子 成富 耕 志 成富 睦夫 西方 俊 司 西川 晴 己 西田 靖 子 西牟 田 奈 々 西山 紀 子 野崎 逸 郎 信友 浩 一 野村 武 波多 野 直 之 波多 野 洋 子 八日 明美 服部 たか 子 花 田 ひろ子 漫崎 須美 子 林 十九 楼 林 昌也 林 由紀 子 早船 正夫 ⑬⑤①①③⑤⑥①①④②①⑬②⑥⑤③◎②①②⑭④③②①①④④⑥⑤②①①①③②⑥①①③②① 原 和美 原 順子 原 靖子 原祐一 原口 和 子 原坂 泰 盛 原田 雄 平 日野原 重 明 姫 野 弘子 平川 好 美 平川 良 輔 平 原 リフ 廣 田 恵 美子 福井 和 子 福冨 節 子 福 元 征 四郎 福山 智美 藤 瀬 〓一 枝子 藤 田 信義 藤村 昌弘 松 津 康幸 豊 丹 生 昌義 古川 映 子 星川 満 智 堀 川 大助 前 田 敏也 子 員柴 和 子 増 田 志津 子 真角 磨 鬼枝 松井 俊規 松 岡 智恵 子 松熊 友彦 松崎 由 紀 子 松 村 等彰 松 本 美津 子 松吉 千鶴 子 的野 恭 一 丸山 敏 子 三浦 佑 之 見 沢 昭小 栄 三角 幸 子 味 園 弘美 一 三戸 京 子 ③②①③④⑤⑥③⑥②②⑥②①⑤③④O① ①⑬③②③⑤⑬⑤⑥④④◎①②④③③①③③③⑥④③ 三苫 進 南 アサノ 三野原 勝 子 蓑原 聡 三宅 碧 子 宮 崎 美津 子 村 岡 健次 杜 あ とむ 森 悦次郎 森 純子 森 正敏 森 下 昭子 森本 繁 安井 久喬 安恒 忠 男 安保 博 史 安 松 淳祐 矢 野 鈴子 山川 美也 子 山川 淑 子 山 口 勝久 山崎 博 司 山田 博子 山本 千恵 子 山本 留 美 結城 威 吉倉 禎 子 吉 田 登美 代 吉 田 泰久 吉田 洋 一 吉松 須和 子 吉安 蓉 子 米倉 満 子 若杉 佳 昭 脇 山 玉枝 和国 宏 子 渡辺 彰 ︵ 備考︶ 直 近 の新 入 会 長 のお 名 前 は6 で に掲 載 し て 。 いま す ②⑬③①④⑬⑤②③⑥⑤②⑤②④③②②④②④⑤⑤③③③④⑤③③③③④③⑩⑥② 第70号 2013年 (平成25年 )12月 (8) 能 古博物館だより 主な道路 … … … 。 お勧め コー ス① (渡船場から徒歩約 10分 ) 少 し急 な勾 配 の 一般 道 ( 車通 行 可) ● お勧め コース② … ●●●● (能 古学校前バス亭から徒歩約3分) 一‐ ― ―― 散策路 健脚向き コー ス 甲9 略鞠 ‐ fl― ‐ │■ く (渡船場 から徒歩約 5分 ) ! ! 塩 ■ ︲ ≡寸 ■〓 名所 ・ 旧跡 お食事、みやげ物店など 散策路 博物館案内板 バス停 段 洩 │‐ 甲 0風 庵 工門 甲 !'‐ 1 近 道 だ が 歩 きにくい │(徒 歩約 5分 ) 石橋商店 態 福岡能古郵便局 if i‐ 買│ゃ 撥‐ P尉 ‐.P‐ 騨ギ 轟 昂 ギ 午 ― _ 皆筆 の こ の 市 今 ‐ F‐ ギ 叫 マ 1啓 雰 ギー 単 ,il書 │ = │ 1 鞭 ・李歌レズ ッ う キ チ 船溜 り アクセス ー 市 営渡船 (フエリー) ・ 姪浜 一 能 古島 間 :約 10分 西鉄 バ ス 」R 博 多駅 博多 回正面 A の りば 3 0 0 、3 0 1 、3 0 2 番 能 古労 章問 合場そ テi 孫 匂5 0 分 = 天神 三 越前 l A の りば 3 0 0 、3 0 1 、3 0 2 番 能 古労 受船 】 易イ 子i 約3 0 分 能古 発 姪 の浜 発 07:30 07145 能 古島渡船場 より博 物館 まで ・ 徒 歩 :約 10分 ・ アイラン ドパ ー ク行 き西 鉄 バ ス停 「 能古学校 前」下車、 徒 歩 (下り坂)約3分 市 営地 下鉄 : 「 嬢浜駅 」下車 乗 り継ぎ = 西鉄 バ ス姪浜駅 】ヒ回 9 8 番 能古渡船場行 1 約1 2 分 ・ タクシー i 約 8 分 8 問合せ 蛭浜旅客待合所 TEL 092-881-8709 能古旅客待合所 TEL 092-881-0900 土曜 ・日曜 と祝 日 開 館 日/ 毎 週 金曜 ・ ま 開 館時間/ 1 0 : 0 0 ∼ 1 7 i 0 0 ( 入 館] 6 : 3 0で ) 18i30 ※団体 の場合 は休 館 日にかかわ らず ご相談 ください (注)冬 季 (12月∼ ]月)は、年末年始及び展示 入 物入れ替えなどで長期休館を原則としていま ※ 曳 御用の場合は事前にお問い合せ願いま仇 館 料 /大 人 400円 =高 校 生 以 下 無 料 団体20名 以上2害」 引 20:45 ③ 印 は 日祝 日運 休 2013年 11 12 13 14 351 130 ‐1 551‐ 1 35 155 35 35 35 ‐301 45‐ 30 由目 巳 A 6闘 鞠切 18 8 3 一 ‐‐ │ 1塗 │ 王曜 昌 室 1量 室 圭 ・ 20 131 13 28 日 祝日 2 3 ※ 繁忙期はバス、渡船とも臨時便が運行されます。 8 8 8 2 2 一2 一 12 7 ︲ 11 ‐ 18 10 6=一一 ︲ == 9 35 5い一 は一 ほ ︲ 8 4 ︲け一 け t一 時 3 ︲一一 t =一 アイラン ドパ ーク発 Gヒ古学校前まで約 8分 ) 35 15 1351 〇 一〇 48 301 57 10 5 5 5 4 一4 一 4 7 8 9 57 48 45 57 48 451 30 坐 月1月 現 在 6 ︲ 渡船場 からアイランドパ ークヘの西鉄 バス時刻表 (平成 25年 11月 25日 現在) 古学校前まで約 2分 ) 渡船場前発 倫ヒ 口 寺 平 日 土曜 日 日・ 祝国 21i00 883-2381 〒819-0012福 岡市西区自 883由2887 FAX 092‐ ヒ 古522-2 TEL 092‐ http://nokOnOshimattmuseumlorJp E― mail info@nokonoshima白 museum.orjp
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