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阿波沖海戦

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 阿波沖海戦
「阿波沖海戦」は鳥羽・伏見の戦いと同時期の慶応4
春日と翔鳳丸は紀淡海峡にさしかかった頃に追跡艦を
年(1868年)1月4日に,幕府と薩摩両海軍の間で生
認め,やがて幕府の開陽丸であることを知った。春日は
じた海上戦闘である。これに関与した艦船は,幕府側が
紀伊水道南部の阿波伊島付近まで南下して翔鳳丸の曳索
開陽丸(フリゲイト,3,000トン,12ノット,12センチ
を解き,先行させた。春日は翔鳳丸の十分な離脱を確認
砲 18門 ほ か ) の 1 隻 の み, 薩 摩 側 は 春 日( 報 知 艦,
後反転して敵艦に立ち向かい,開陽丸も転舵して阿波徳
1,269トン,16ノット,100ポンド砲1門,40ポンド砲
島沖で同航戦を挑んだ。この時春日では,後の東郷平八
2門ほか),翔鳳丸(運輸船,461トン)および平運丸(運
郎元帥が三等士官として 40ポンド砲の射撃指揮をとっ
輸船,750トン)の3隻だが,実質的には開陽と春日に
ていた。
よる洋上砲撃戦だった。
午後2時過ぎに開陽丸が撃った空砲1発の停船命令に
上記の艦船が大坂・兵庫海域に顔を揃えたのは1月2
対して,春日は檣頭に戦意を示す藩旗を掲げ,ここに一
日のことで,兵庫港に春日がすでに在泊しており,午後
騎討ちの洋上砲撃戦が生起した。戦闘は 2,800メートル
に品川沖海戦(前年 12月 26日)で幕府艦の追撃を逃れ
の距離で始まり,両艦は互いに左回りに周回しながら1
た翔鳳丸が入港,夕刻には大坂から鹿児島に向け航行中
時間以上砲戦を続けた。
に幕府艦から砲撃された平運丸が逃げ込んできた。他
砲力は開陽より劣るが約4ノット優速の春日は終始外
方,幕府の開陽丸は兵庫港付近にあったが,「鳥羽・伏見
周の有利な位置を占めて左舷に向け,内周に位置した開
の戦い」勃発により大坂の天保山沖に移動していた。
陽は右舷に向けて互いに撃ち合い,約3周ほど周回運動
幕府の江戸薩摩藩邸焼討ち(前年 12月 25日)や平運
を行なった。開陽丸は約100発,春日は38発を撃ったが,
丸への攻撃により,相手の戦闘意志を確認した薩摩側は
当時は照準装置が未発達だったので命中弾は皆無だっ
優勢な幕府海軍の封鎖を破って鹿児島へ回航することに
た。距離が徐々に詰まり約 1,200メートルになった時,
決した。かくして薩艦3隻は4日午前4時頃兵庫港を出
春日の砲弾が海上に落ち跳弾となり開陽丸の後檣桁をわ
港,平運丸は西航して瀬戸内海経由で鹿児島を目指し,
ずかに傷つけ,ほぼ同時に開陽丸が斉射した右舷砲の一
速力の遅い翔鳳丸を曳航した春日は土佐沖を経て鹿児島
弾が春日の外車上部覆いに軽微な損傷を与えた。
に向かうべく紀淡海峡に向かった。一方,薩艦の出港を
開陽丸は続いて左舷砲の斉射で打撃を与えるべく,春
知った開陽丸は,単艦で春日と翔鳳丸を追った。
日より外側に出るよう針路を大きく変更したが,これを
見た春日は紀州加太方面に針路変更し,全速力
で北上離脱した。開陽丸は転針して春日を追わ
んとしたが劣速のため逸し,翔鳳丸の追跡に向
かった。
春日と別れた翔鳳丸はその後に機関故障を起
こして阿波の由岐浦で擱坐し,乗組員は船を焼
いて淡路島に上陸した。のちに現場に到着した
開陽丸は焼け残りの船材の一部を戦利品として
大坂に持帰り,この海戦は幕を閉じた。
本海戦後,春日は1月6日に,平運丸は1月
20日に鹿児島に到着している。阿波沖海戦は
小規模かつ稚拙な戦で勝敗は決しなかったが,
日本における近代軍艦同士の洋上砲撃戦の嚆矢
薩摩の報知艦春日と砲火を交えた幕府軍艦開陽丸。
をなすものであった。
Q 72 阿波沖海戦参加艦船のうち薩摩藩の軍艦は下記のどれか?
1 開陽丸
2 翔鳳丸
108
海軍 100
3 平運丸
4 春日
世界の艦船 2013. 9 増刊
P108
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