「全校生徒の思いや考えを全てここで紹介したいのですが、今日は一部を

さんがい
「さんがい松」~石に生きる一本の松~
松の校章
H27.12.28 上田市立第一中学校長 山﨑 茂
2学期始業式、生徒に、左の写真「石に生きる一本の松」
と出会ってもらいました。
「この松を見てどんなことを感じ
るか」と問いましたが、その時は生徒からのつぶやきや発言
はありませんでした。
放課後、3年の担任が教えてくれました。短学活で、学級
の生徒へ「あの松を見てどんなことを思ったか」聞くと、男
子生徒が「強く生きるということを教えてくれている」とい
うのです。
「なるほど」と感心しました。
「強く生きる。その
強さとは、いったいどういうことなのか」
私も、生徒と一緒に考えてみたいと思います。
(松は第一中学校の校章になっています。校長室と校長室の
前にこの写真を掲示しました)
私は4月に着任し、第一中学校の校章「さんがい松」に出会いました。
その頃から、私の心には「松」の生き方を通して、生徒たちに「自己を見つめ自己の向上を図
るとともに個性(良さ)を伸ばし充実した生き方を追求してほしい。そして、たとえ世界のどこ
にいても、同じ空のもと、「松」を見るたびに、この第一中学校時代を思い出し、自分を自分で
勇気づけてほしいという願いが生まれていました。折しも、一学期、私が近所を散歩していると
偶然「石に生きる一本の松」(上記写真)に出会ったのです。
2学期始業式に、私は、この「一本の松」の写真を全校生徒に見てもらいました。始業式後、
うれしいことに、3年生が「この松は、自分たちに強く生きるということを伝えている」と教え
てくれました。そこで、11月、「強く生きる」あるいは「強さ」とは、いったいどのようなこ
となのか。生徒が考えられる(思う)ことを一人一人に記述してもらい2学期終業式の校長講話の
中で紹介することにしました。
「全校生徒の思いや考えを全てここで紹介したいのですが、今日は一部を紹介します。」
○これから起こるいろいろな困難などに立ち向かっていく力。
○自分の弱さや欠点を認めて、それを改善するために努力ができること。
○何事も一生懸命取り組んであきらめないこと。どんなにつらいことがあっても「生きよう」と
ポジティブに思っているから、この松はずっと枯れずにいるのだと思う。
○強さというのは、生まれつき身についているものではなく、強さとは人が生きていく中で、い
ろいろなことがあり、身についていくものだと思う。
○始業式、この写真を初めて見た時、見たこともないような写真で驚いた。石から出てきた松が
すくすくと育つかんじに何か私の心に強い衝撃を受けた。生えるはずのない石に一本の松が生
えるなんて、その松の強さに感動した。
○強さとは優しさであり悲しみでもある。優しさは、人のために何ができるか等、人を思いやる
気持ちが強さとなるのだと思う。悲しみは災難を乗り越えながら自分自身が強くなっていくと
いうことです。
○・・・略(強さについて自分の考えを述べた後)私には、まだその強さがないなあと思う。
○どんな場所であっても、たくましく自分に自信を持って生きていくことだと思います。
○強さとは、人を許すこと。人を恨み、ねたむことはとても簡単だが、許すことは相手を受け入
れ信じる心がなければできません。人を憎む心は、自分の心も傷つけます。許す心は人を苦し
みから解放し救いだすことができる。本当の強さとは、力で人を屈服させるのではなく、人を
信じ受け入れあい、周囲の人間と共存していける心があることなのではないでしょうか。
○私たち人間は、とても弱いものだと思います。その中でつらいことを乗り越えて生きていくこ
とが「強く生きる」ことだと思います。辛くて悲しい時に、人に話を聴いてもらったり、逆に
聴いたりして私は乗り越えてきました。
○「一人になっても大丈夫だよ」とこの松は伝えていると感じました。
○強さとは大切な人を守ること。
○自分に嘘をつかないこと。
○いじめを許さないこと。
皆さんから、本当に多くのことを教えてもらいました。ありがとうございます。
さて、私は、「松」について、少し調べてみました。
松は傷つけられると、樹液をだします。松脂(まつやに)です。外からの細菌から自
分で自分を守ろうとします。この松脂を接着・粘着剤、香料、食品添加物、医薬原料と
して、人間は活用してきたそうです。
これは、「松ぼくり」です。(ペットポドルに入った松かさも見せる)松ぼくりは、こ
のように「かさ」を開いています。どのようにしてこの「松ぼくり」を、このペットボ
トルの中に入れたと思いますか。「松ぼくり」は、水にぬらすと、「かさ」を閉じます。
ですから水にひたした松ぼくりをこのペットボトルに入れることができたのです。乾燥
すると「かさ」を開くという性質があります。自然の世界で、松は雨にぬれると「種子」
を守るために、要するに「新しい命」を守るために「かさ」を閉じるのです。時季がき
た時に、種子は風に乗って新たな場所に、新たな命を育んでいきます。松は、このよう
にして一生懸命生きています。
また、松は、昔から私たちの生活で、なじみ深い樹木です。各家にも松が植えられま
す。松のように、家が代々栄えるようにという願いが込められています。
神をまつる木とも言われ、もうすぐ 2016 年を迎えますが、その正月にかざる門松は
「神をでむかえる」という意味があるのです。
さらに、禅語には「松樹千年の翠(みどり)」という言葉があります。春は花、夏は新緑、秋は紅葉と、
感覚的な美しさに押されて松の翠が人の目をひくことは少ないですが、寒風吹きすさぶ冬ともなれば、
今まで目立たなかった松の翠の変わらぬ(不易)美しさが改めて見直されることになります。うつろい
やすい世の中の「うつろうもののみに」目をうばわれて、変わらぬ真理を見失ってはならないというこ
とを私たちに教えてくれているというのです。[このラインボックスの内容は伝えませんでした]
再度、この写真の一本の松を、ゆったりと、じっくりとながめてみたいと思います。
ある人は、渡辺和子さんのことばを思い出す人がいたのではないでしょうか。
「置かれた場所で咲きなさい」まさに「置かれた場所で一生懸命生きる 一本の松」
私たち人間は、自然の中で生かされています。自然を五感で感じることを、これから
も大事にしていきたい。第一中学校の校章は、この自然の中で生きる「松」です。
来る 2016 年。私たちは「松と共に、松のごとく生きてみようではありませんか」
(終業式、生徒へ話をした内容とは一部異なります)