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海外レポート
The 28th Miller Conference in Radiation Chemistry 参加報告
2013 年 3 月 14 日から 19 日までの 6 日間,イスラエ
ルの死海湖畔にて The 28th Miller Conference in Radiation Chemistry が,Sara Goldstein と Israel Zilbermann を
Chair として行われた.Miller Conference は,1959 年
から隔年でイギリスやその他ヨーロッパ各国で開催さ
れ,教育と放射線化学の促進を目的として行われてい
る歴史と権威のある放射線化学の国際会議で,欧州だ
けでなく,米国,アジアなど世界中の科学者が参加し
た.今回は死海の湖畔が会場として選ばれ,最先端の
研究が報告され,議論や意見の交換がなされた.ヨー
ロッパを中心に,北米,アジアなどから約 90 名が参
加し,42 件の口頭発表,5 件の若手研究者講演,31 件
のポスター発表が行われた.ナノ粒子,固液界面の放
射線化学,水素発生,放射線化学初期過程,グラフェ
ンやレスベラトロールなどの新しく脚光を浴びている
物質の放射線化学などについての報告がなされ,熱心
な議論がなされた.
日本からは,大阪大学の吉田グループのみが参加し
た.今回は開催地がイスラエルということもあり,治
安が悪い,爆弾テロが多い,情勢の悪いシリアが近い
など,様々な話がなされた.我々は行くと決めて「爆
発するなら皆一緒だ」とか「いつもより高額の海外旅
行保険に入ったから大丈夫」とブラックジョークを言
いながら不安のままイスラエルに到着した.到着する
と,ユダヤ教徒独特の衣装とあごひげ,読めないヘブ
ライ文字以外他の国際会議と変わりなく,一切問題は
無かった.会場はガードマンが居て立ち入りが制限さ
れた地区にあるリゾートホテルで,安全面・衛生面共
に全く問題なかった.また死海ということで会議出席
者の多くは水着を持って来ており,湖水が目に入ると
激痛になるので多少の緊張感を伴いながら,筆者も同
様に死海に浮かぶ体験をした.
17 日 は 一 日 エ ク ス カ ー シ ョ ン で ,エ ル サ レ ム に
行った.エルサレムは山の上の高原にあり,更に小雨
が降ってとても寒かった.会場が暑かったのでその
ギャップに驚き,寒い思いをした.エルサレムは,数
えきれないほど他国の侵略を受けた街で,戦争で生命
線となる水道と数千年前からある地下道を歩いた.ユ
ダヤ教の聖地である「嘆きの壁」と旧市街を歩いてキ
リスト教の聖地である「イエスキリストの墓」を訪れ
た.こういった宗教の聖地を訪れる時は,とても緊張
し,また複雑な気持ちになる.我々のように観光で来
ている人の隣で,真剣に祈る人,涙を流す人が居るわ
第 96 号 (2013)
けで,記念写真など撮っていいのだろうか? 信者の
気持ちを逆撫でしないか? と複雑な気持ちになった.
ヨーロッパとは違った,長い歴史を感じ,帰りのバス
で死海の渓谷を通った時も,ローマの軍勢やイエスキ
リストもここを通ったと思うと非常に感慨深かった.
筆者は,15 日にフェムト秒パルスラジオリシスに
よるドデカンラジカルカチオンの研究の最新の成果を
ポスター発表した.ドデカン中の放射線化学初期過程
についてロシアのモスクワ大学の Feldman 先生,フラ
ンスの CEA の J. P. Renault 先生とアメリカのノート
ルダム大学 J. LaVerne 先生と議論できてとても有意義
だった.また,イオン液体についてアメリカの BNL
の J. Wishart 先生が講演され,溶媒和過程について議
論することができ有意義だった.
写真 1 会議会場の様子
写真 2
エクスカーションの様子
(大阪大学 産業科学研究所
近藤 孝文)
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3rd Asian Congress of Radiation Research 参加報告
平成 25 年 5 月 10 日–13 日に北京で開催された 3rd
Asian Congress of Radiation Research(ACRR2013)に
参加した.本会議はアジア放射線研究連合(Asian Association for Radiation Research)が 4 年に 1 度主催す
る放射線研究に関する会議であり,2005 年(広島,日
本),2009 年(ソウル,韓国)に次ぐ 3 回目の会議で
あった.参加者は約 250 人で,そのほとんどがホスト
国の中国から,あとは日本やインド,韓国,英国,カ
ザフスタン等からの参加であった.
北京には成田空港から 3 時間半のフライトで到着し
た.若干心配していた例の微粒子は前日までの雨で全
て下に落ちたのか,北京の天気は快晴であった.会期
中は連日の真夏日であったが湿度が低いためか日本ほ
ど暑さを不快に感じなかった.空港から約 50 分タク
シーで移動して今回の滞在先のホテルに到着,チェッ
クイン後,すぐにホテルに隣接している北京国際会議
中心(Beijing International Convention Center)で会議の
レジストレーションを行った.夕食までに少しだけ時
間があったので,ホテルから歩いて行ける距離にあっ
た北京国家体育場(オリンピックスタジアム,通称「鳥
巣」)を見学した.夕食時には,本会の日本からの参加
者である田川先生・吉田先生・楊先生・室屋先生(阪
大),勝村先生(東大),鷲尾先生(早大),岡(東北大)
の 7 名が勢揃いした.
ても非常に学際的な学問分野であることを改めて感じ
た.実質的に 2 日半の会期,さらにパラレルセッショ
ンで会場が 3 つに分かれてしまったこともありそれほ
ど多くの講演を聴くことはできなかったのが残念だっ
たが,コーヒーブレイクや食事時間に放射線影響につ
いての話を聴くことができ有意義な学会であった.
本誌第 95 号 49 ページの「勝村庸介氏,岡 壽崇氏,
AARR Award 授賞」で紹介された通り,勝村先生と
岡はそれぞれ AARR Award と AARR Young Scientist
Award を受賞することになっていた.授賞式および受
賞スピーチは最終日午前中の Closing ceremony の前に
予定されていた.受賞スピーチが初めてだったため,
5 分という限られた時間内にどれだけの情報を詰め込
むか,構成はどうか,内容に不備はないか等,ホテル
の部屋に戻るとそればかり考えていた.数 10 回の推
敲の後,結局は関係者に対する謝辞に時間を割き,あ
とはこれまでやってきた研究を紹介するという,典型
的なスピーチに落ち着いた.
写真 2 授賞式の記念写真
写真 1 鳥巣
初日は Opening ceremony の後,放射線化学(田川先
生)・放射線影響・放射線防護・放射線治療に関する
基調講演が夕方までびっしりと詰まっていた. 2 日目
午前中の放射線化学のセッションでは,鷲尾先生,吉
田先生,Maolin Zhai 先生(北京大)や Mingzhang Lin
先生(中国科技大)らの,基礎から応用に渡る幅広い
範囲の講演を拝聴した.一口に「放射線化学」といっ
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会議の翌日には原子力機構 先端基礎研 放射線作用
基礎過程研究グループで 1 年間同室であった Jing Peng
先生(北京大)の招きで Zhai 先生の研究室を訪問し,
勝村先生,室屋先生と岡の 3 人がセミナーで講演した.
生体高分子損傷に関する講演をしたところたくさん質
問をしてもらい恐縮だった.講演後に 60 Co の γ 線照
射装置を見学し,昼食をとった後に帰国した.
次回(2017 年)の ACRR はカザフスタンの首都ア
スタナで開催予定とのことである.次回も参加したい
が,4 年後のことよりもまずは 2 年後の 2015 年に京
都で開催される 15th International Congress of Radiation
Research(ICRR2015)を是非成功させたい.
(東北大学
岡 壽崇)
放 射 線 化 学
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ラドテックアジア 2013 報告
ラドテックアジアは Radiation Process に関連する科
る,ラドテックアジアオルガニゼーションの副会長と
学技術と産業応用に関連した講演及び展示会を含んだ
総合的な国際会議であり,今回で 13 回目となる.過
なっているため,ラドテックアジア 2013 の Co-Chair
の立場での参加となっていた.
去,東大名誉教授の田畑米穂先生を中心にはじめられ
た 1986 年に東京で開催された CRCA(紫外線・電子線
さて,実際の学会の概要であるが,これが中国とい
うことなのかもしれないが,当方は 21 日のラドテッ
硬化技術国際会議)をその第一回目と位置付けられて
クアジア国際会議の出席が目的で渡航したが,飛行機
おり,その後,日本,中国,マレーシアなどで開催が
行われてきた.2000 年代に入り,2001 年に中国昆明
の都合等で 19 日午後に現地に入った.この日の夕刻
にラドテックチャイナの会長,USTC(中国科学技術
で,2003 年には横浜で,2005 年には上海,2007 年に
マレーシアの Kuantan でそれぞれラドテックの国際会
大学)の Shi 教授から連絡が入り,20 日に開催のラド
テックチャイナ設立 20 周年記念イベントに参加し,ラ
議が開催されてきた.2009 年は日本において開催予
定であったが,第 12 回のラドテックは折からのリーマ
ドテックアジアの代表(その時点では筆者は副会長,
Shi 教授がラドテックアジア組織の会長)として挨拶
ンショックの影響を受けて延期せざるを得なくなり,
それから 2 年遅れて 2011 年に横浜で開催された.今
を行うよう要請があった.想定外のイベントに少々驚
かされたが,記念イベントに参加し,ラドテックチャ
回のラドテックアジア 2013 はこれに引き続く第 13 回
イナの歴史に触れることができた.
の大会であり,中国上海の上海光大会展中心国際大酒
店(写真 1)にて,5 月 20 日から 24 日にかけて開催
またこの日の午後にはラドテックインターナショナ
ルの委員会が開催され,ラドテックノースアメリカ代
される運びとなった.
表(David Harbourne 氏),ラドテックヨーロッパ代表
(David Helsby 氏)及び,Shi 教授,ラドテックジャパ
ン会長(折笠輝雄氏)及び筆者が会合に参加して,組
織運営についての議論が行われた.特に各地区の開催
時期について,相互に調整が必要であることで意見の
一致を見た.Minute については,後日 Harbourne 氏が
作成し,各メンバーに配布することとなった.
写真 1 会場となった上海光大会展中
心国際大酒店
会期については,日本の発想とは少し異なる形を
とっていた.すなわち,研究発表会は 5 月 21 日から
23 日にかけて行われ,展示会は 5 月 22 日に開会し,
5 月 24 日に終了する形となっていた.また,さらに
5 月 20 日には中国国内のラドテックチャイナのドメ
スティックミーティングが開催されるなど,一週間に
わたってイベントが続く形となっていた.また更に,
ラドテックチャイナは今年発足 20 周年を迎え,今回
のラドテックアジアの開催前日(5 月 20 日)に,研究
会と 20 周年の記念イベントが行われ,当初より出席
した筆者にとっても得難い経験をすることとなった.
また筆者は今回,ラドテックのアジア地区の組織であ
第 96 号 (2013)
写真 2 ラドテックアジア国際会議開
催セレモニーの様子
5 月 21 日は朝 8 時半からラドテックアジア 2013 の
公式セレモニーが開催された(写真 2).Nie 教授(北
京化工大学)の司会で,中国側主催者,Harbourne 氏,
Helsby 氏,折笠氏,そしてラドテックアジアの副会
長として,鷲尾より,それぞれ開会に際しての挨拶を
行った.その後,プレナリーセッションに入り,各ラ
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ドテックより市場動向や最新技術についての紹介が行
ペーパーの数は 84 件(口頭発表 63 件,ポスター発表
21 件)であった.
また,展示会は中国における第 5 回の国際展示会と
午後は 2 会場に分かれ,テクニカルセッションが開
催された.ここでは UV 装置の最新情報や開始剤の進
して同じホテルで 5 月 22 日–24 日にかけて開催され
展など,具体的テーマで突っ込んだ議論が行われてい
た.展示は 3000 m2 の広さを持つ会場でおこなわれ,
た.なお,筆者の個人的感想になるかもしれないが, 62 組織(会社及び大学)から,会期中に 2,300 人の参
中国の研究者の英語能力の進歩と,講演内容の充実に
加者があったとのことである.展示会では 5 月 22 日
は,かなり驚かされた.以前は英語にならない英語, 朝,会場入り口でオープニングセレモニーが盛大に行
われ,鷲尾も開会挨拶及びテープカットに一役買った
サイエンスにならない講演などが多々見受けられたの
だが,今回は英語もパワーポイントも非常にわかりや (写真 3).
すく仕上げられていたと同時に,講演の内容も相当に
考え抜かれたものになっていた.正直,この人々と真
正面から勝負するとなると,人の数が相当脅威になる
と感じざるを得なかった.逆に彼らを仲間に引き入れ
ることの重要性を実感した学会でもあった.
なお,以下に本学会の参加者等及び展示会について
データを示しておきたい.
参加者は約 400 名で,中国国内を中心に 190 の研究
組織,会社からの参加があったとのこと.参加者の国
写真 3 展示会開催セレモニーの様子
籍は中国を中心に,日本,韓国,シンガポール,イン
ド,マレーシア,アメリカ,ドイツ,イタリア,オー
(早稲田大学 鷲尾 方一)
ストリア,スイス,イギリス,香港,台湾などであり,
われた.
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放 射 線 化 学