DIST.NO.2530 創立 1951.1.1 承認 1951.3.23 登録番号 7734 福島ロータリー・クラブ WEEKLY REPORT 例会日■2011年5月26日 (木) 会場■ホテル [辰巳屋] 8F 開会点鐘■12:30 http://www.fukushima-rotary.com/ E-mail:[email protected] 第40回会長挨拶 2010〜11年度 会長 茂田 士郎 今 日は福島ゆかりの医人たちの一環として福島市民に は馴染みの深い大原八郎についてお話し致します。 大原八郎は明治 15 年に福島県伊達郡長岡村(現在の 伊達市長岡)の旧家阿部平次郎の四男として生まれまし た。県立安積中学校、第二高等学校、京都帝国大学(医 学部)を卒業したのちに明治 44 年(1911 年)大原病院 初代院長であった大原一の長女リキと結婚し、翌年京都大 学医学部の助手の席を辞して大原病院の副院長になりまし た。大正 6 年から11 年まで東北帝国大学医学部に出向し て助手から助教授までを務めていますが、そこで外科、耳 鼻咽喉科を専攻して臨床医学の技術を学びました。またそ の間に医学博士の学位を得ています。 大正 11 年に帰郷し、再び大原病院の副院長として、外 科及び耳鼻咽喉科を担当していましが、大正 12(1923) 年に当時の阿武隈山系の住民に頻発した、野兎より感染す ると思われる熱性疾患に注目し、日本で始めてその臨床例 を報告しました。大原八郎の長男嘗一郎(この方は福島ロ ータリー・クラブの会員でした)によると、大正 13 年(1924 年)1 月、発熱と腋窩のリンパ腺腫脹のある婦人が大原病 院の皮膚科を訪れましたが、これが後に云われる野兎病の 最初の患者でした。患者は伊達郡小手川村(現在の伊達 市月舘町)に住む46 才の女性で、生きた野兎を捕らえて2 人の息子に屠殺、調理させて共に食したそうです。1 週間ほ どして3 人共に発熱し、リンパ腺腫脹があったので大原病 院に来たのだそうです。同様の疾患が宮城県でも発見され、 東北帝大医学部外科および細菌学教室でも原因追及の研 究が始められました。この疾患について大正 14 年 3 月に八 郎が「野兎を介して感染する急性熱性疾患について」という 論文を実験医報という医学雑誌に報告しています。 八郎は、野兎病が感染症であり独立した病原体によるも のであることを証明するために、いわゆるコッホの 3 原則を 確立しようとしました。その第 3 原則(分離培養された病原 体を非感染者に接種すると同じ症状の疾患を発病する)を 証明するために、分離培養された菌がないので、やむなく 40 Vol. プログラム ・新会員スピーチ 福島日産自動車㈱ 代表取締役 金子與志人 会員 開会点鐘 茂田士郎 会長 ロータリー・ソング 「福島ロータリー・クラブの歌」 ソングリーダー 加藤桂一郎 会員 お客様並びに来訪ロータリアン紹介 SONG LEADER 会長挨拶 茂田士郎 会長 幹事報告 森岡幸江 幹事 各委員会報告 ● 60 周年記念誌部会報告河田 亨 部会長 ●ニコニコ BOX 小委員会菅野 晋 委員長 本日のプログラム ・新会員スピーチ 福島日産自動車㈱ 代表取締役 金子與志人 会員 閉会点鐘 茂田士郎 会長 感染発病させた野兎の血液を直接に被験者に接種すると いう方法をとりました。大正 14 年(1925 年)1 月に八郎は 妻リキ夫人と病院の職員 2 人の皮膚に傷を付け、その血液 を塗布しましたが、リキ夫人のみが野兎病患者と同様の突 然の発熱、悪寒戦慄、塗布側の腋窩のリンパ節の腫脹を示 しました。発病までの時間は 52 時間でした。このときのリ キ夫人のリンパ節より、兎に病状を示す病原体が分離され、 後に人工培地に培養されましたが、不定形のグラム陰性桿 菌であり、分離者の名を取って大原・芳賀菌と名付けられ ました。しかし野兎病の病原体と同じ細菌がすでに1912 年米国カリフォルニア州ツラレ郡で、ハタリスに起こるチフス 様疾患から分離されていました。この細菌はツラレミア菌と 名付けられ後にツラレミア菌研究者フランシスの名を取って Francisella tularensisという学名を付せられました。 その後、八郎は米国におけるツラレミア菌研究の実情を 知り、1925 年 6 月に合衆国公衆衛生局(現在の NIH か ?)の研究員であったフランシスに日本語の論文2編と手紙 を送り、彼らの発表したツラレミアに関する論文を請求しま した。約 3 ヶ月後にはフランシスから八郎宛の返信が届き、 そこには日本における野兎病の存在、感染実験の結果に 1 興味があること、患者血清による凝集反応によって大原・ 芳賀菌とツラレミア菌との関係などを証明する必要があるこ となどが述べられていました。 八郎は直ちに最初の野兎病患者のうち2 名と実験感染 を行ったリキ婦人の回復期血清を採取して船便でフランシ スへ送り、フランシスよりそれらの患者血清はフランシスの 分離したツラレミア菌より20 倍− 40 倍の凝集価を示した ので、両菌は同一種かきわめて近縁のものであろうというコ メントが届きました。当時の日米両国間の通信状況からす ると、郵便による書簡や患者材料の送付には困難を伴うこ とが多かったと想像されますが、八郎の決断力と迅速な対 応はまさに科学者の模範とも言えるものであります。 その時点ではまだ野兎病菌の人工培地での培養は成功 していませんでした。同年 11 月に八郎が手術をした野兎 病患者のリンパ節をフランシスに郵送し、それからフランシ スがツラレミア菌(Ohara 株)を最初に分離しています。共 同研究者の芳賀竹四郎と八郎が心血を注いで工夫し作成 した特殊な卵黄培地にて、菌の初代培養に成功したのは 昭和 3 年(1928 年)3 月のことでした。この間に八郎自身 野兎病の実験室感染を受けて発病を経験しています。 昭和 14 年(1939 年)9 月、八郎は第 3 回国際微生物 学会より招待をうけて、ニューヨークにおいて「ツラレミア菌 と野兎病菌」と題して講演を行いました。この講演を期にヨ ーロッパ、ロシア等におけるツラレミア様疾患の存在も明ら かになり、日本における野兎病および野兎病菌の研究が一 躍国際的に有名になりました。このように大原八郎は地方 都市の病院の外科医、院長兼研究者であったにもかかわ らず地域に頻発する疾患の病原をつきとめ、海外の研究者 との交流を成し遂げたことは賞賛に値することであります。 昭和 18 月(1943 年)6 月太平洋戦争の最中に、常に活 動的であった八郎も病を得て癌性腹膜炎で死去しました。 大原八郎による野兎病菌発見の詳細については、昭和 48 年に、八郎の長男大原嘗一郎により「大原病院誌」が 編集され発行されています。また藤野恒三郎による日本細 菌学史にも詳しく記されています。現在福島市大原医療セ ンター内にある付属大原研究所には藤田博巳博士がおり、 野兎病のみならず恙虫病などによる感染症の研究も行われ ています。野兎病菌は CDCによる危険優先度分類ではペ スト菌、炭疽菌などと共にB(Aが最も危険でその次)とさ れています。この菌株を保存するときには厚生労働省の許 可を得なければなりませんが、これは昨今の微生物を使っ たテロ攻撃に備えての処置であろうと思われます。 2007 年の夏、八郎の生家を訪ねてみました。国道 4 号 線ぞいにある伊達長岡のバス停で降りて吉野家牛丼店の角 を曲がったところに農家風の阿部家跡があると聞いて探し てみましたが、4 号線の裏手はすでに新興住宅地で農家風 の住宅は見あたりません。突き当たりの調剤薬局で聞いて みると幸いに年配の女性薬剤師さんで、今の道を戻った4 号国道から2 軒目の家が阿部家であると教えてくれました。 その家の表は道路に面した古い店舗様の建物でしたが、 裏には倉や大きな樹木が見えるので、明らかな表札は有り ませんでしたが庭木戸を開けて声をかけてみました。不在 のようなので建物の脇の空き地を勝手に入って行くと大き な古い土蔵と小さな住宅がありました。表札には阿部某と 書かれていましたがここも留守でした。無断で写真を撮っ て帰ろうかと考えていると土蔵の中からTシャツ姿の男性 が出てきました。この男性に確かめてみるとこの古い土蔵と 住宅は確かに大原八郎の生家の阿部家であると教えてくれ ました。現在の当主は八郎の兄の二代目阿部平次郎から 4 代目の人だそうです。庭に大きな闊葉樹が 1 本聳えていて 確かにかつては農家だったと思われますが、大きな古い土 蔵以外にはもうその面影もない都会の 1 区画と化していま した。 大原八郎の実家阿部家、八郎の義父大原一の実家山 野家、義母イトの実家原家はいずれも明治、大正、昭和を 通して福島県内の旧家であり当時の福島県内での保健・ 医療に大きな影響を与えていたものと思われます。 大原家の系統図(略図) 原 友隣 周 子 イ ト 隈川宗雄 東大医学部 教授・総長 大原 一 リ キ 阿部 (大原) 八郎 嘗一郎 光雄 その他にも兄弟姉妹あり 大原八郎の生家 2 ガバナー補佐スピーチ ◆本日のプログラム ●福島日産に入社して 20 年が経過 新会員スピーチ 福島日産自動車㈱ 代表取締役 金子與志人 会員 2 月に入会致しました、金子與志人です。来月は弊社 会長スピーチと続いて恐縮ですが、ご指示ですので約 20 分間、自己紹介と仕事についてお話させて頂きます (会長は違うテーマ !?) 。 【本題に入る前に】 ロータリーの思い出は、30 年以上前にクリスマス会 など ・・・ 楽しい集まり・歌を覚えた(手に手つないで) その後 20 数年がたち社会人になってから、ロータリ ーと福島ロータリー・クラブの歴史と実績を知り、入会 出来たことが光栄なことであり気が引き締まる思いで す。改めて、どうぞ宜しくお願いします。 では貴重な時間を頂戴しておりますので、本題に入り ます。 ①自己紹介 旧伊達郡伊達町に次男末っ子として生まれる。現在 44 歳。幼稚園 ・ 小学校は当時北町にあった「めばえ幼稚 園」から福島市立第二小学校に通って、中学校は地元伊 達中へ、高校は東高の三期生です。 【余談】 *小学校から始めた剣道で中学・高校時代に県北大会・ 県大会に行くと、今回ロータリーに一緒に入会した相良 さんが 4 中・福高の剣道部で居らしたのが最初の出会い です。 専修大学を卒業後、埼玉日産 東松山営業所で 3 年間車 売り。福島日産に入社して 20 年目、現職に就任して 12 年目です。 仕事以外ですが、渡邊又夫 OB 会長を始めとする多 くの先輩がいらっしゃった㈳福島青年会議所に入会し、 2006 年に理事長をおおせつかり、そこで二度目の出会 いとなりました相良さんが専務・そして菅野晴隆先生や 三浦康伸社長などにお世話になった次第です。 ・その間にメーカーが外資系になった ・会議資料に英語が増えた ・役職名が横文字に…CEO・COO は一般的になったが SVP・CVP などなど ・西暦表示…平成年号がピンとこなくなった ●カルロス・ゴーンとの出会い 1999 年 3 月 2001 年 ルノーと日産の提携 ルノーに救われた・安い買い物 当時 2 兆円の有利子債務を 2003 年に 完済 来福…2 日間随行しました。 ・目標、手段がわかりやすいのが印象 ・良くも悪くも合理的であり費用対効果 が前提 ・赤字と借金(牢屋に入って鎖) ・当時の通訳兼秘書お陰で好印象 UP ・今の通訳兼秘書は熱い語りになる …通訳に怒られている感じ ●震災後の動きと今後の自動車業界 どのメーカーも生産が遅れて皆様にご迷惑をかけてお ります。その理由はメーカー工場の被害よりも、相馬・ 南相馬・いわき・小名浜・茨城県鹿島・ひたちなかに多 くの部品メーカー(特にルネサス エレクトロニクス… マイコンチップ 20 〜 30) 各メーカーから人的支援で 6-15 日再稼動 ・今回注目を浴びたものが(不謹慎な言い方かもしれま せんが)電気自動車とハイブリッド車です。2012 年に はトヨタ・ホンダも参入します。 …今後は、内燃機関のガソリン車・ハイブリット・次世 代(電気・水素を使った燃料電池) 最後に、PR として日産いわき工場が 1994 年に稼動 し 2.5 L以上のエンジン工場 ・・・ 全世界に供給するフー ガハイブリッドのエンジンも(一般の方も見学できます ので是非ご覧になってください) 。 以上つたない話しでしたがご清聴ありがとうございま した。今後もご指導・ご鞭撻宜しくお願いします。 ②仕事について 弊社についてはお陰さまで本年で 73 年目を迎えるこ とができました。 (與左→與志雄→私で 3 代目) 私的なことですが、私には兄が居ましたが 19 年前に 他界しております。 3 ニコニコBOX 本日のニコニコBOX投入額 ¥39,000 菅野 晋 委員長 [茂田 士郎 会長] 震災後 2 ヶ月半が過ぎて、ようやく街も活気づいて来た ような気がします。来週は新会員のセミナーがありますの で、どうぞ多数ご出席下さい。金子会員のスピーチを期待 しています。 [森岡 幸江 幹事] 5 月も後半になり、気温も上がってきました。節電を心 懸けます。金子会員のスピーチ楽しみにしています。 [豊田 猛夫 会員] 3 年間お世話になりました。困難な状況が続く中去る 心境は複雑ですが、思いを後任の野村にまいりたいと思 います。後任者を宜しくお願い致します。 [金子與志人 会員] つたないスピーチですが、宜しくお願い致します。 5 月 累計¥1,830,000 [時任 淳信 会員] 日本ダービーが行われる東京競馬場では、28・29日 の両日、福島応援フェアとして福島名産品の販売と浪江 やきそばの実演販売を実施致します。ただ、週末の天候 が崩れそうなのが気がかりです。 [佐々木光政 会員] 早くも5 月が終わろうとしています。長らく欠席を余儀 なくしておりましたが、仕事も少し落ち着いて参りましたの で、また出席させて頂きます。人事異動の季節、日銀の豊 田支店長の退会スピーチお名残惜しいですが、一言未来 への展望をお聞きしたく存じます。日産金子会員のスピー チに期待します。 渡辺 健寿/佐藤 英典/八子 英器/三宅 喬/ 幡 研一/海野 卓哉/古俣 猛/土屋 敦雄/ 右近 八郎/田沼紀美子/菅野 晋/安藤健次郎/ 白岩 康夫 退会あいさつ 誕生祝い 日本銀行 福島支店長 増子 勉 会員 昭和24 年5 月13 日 稲葉 鐘吾 会員 昭和 6 年5 月16 日 豊田 猛夫 会員 三浦 康伸 会員 昭和43 年5 月26 日 *本店総務人事局へご栄転さ れます。 例会プログラムのご案内 ■6月9日 (木) 18:30〜 「辰巳屋」 「福島RC創立60周年記念夜間例会」 *18:30集合写真を撮影いたします ※スペースの都合により今号に掲載させて頂きました 幹事報告 ■6月16日 (木) 法定休会 (4回目) 12:30〜 「辰巳屋」 ■6月23日 (木) 会員スピーチ 「わが社の沿革」 金子與志雄会員 ■6月23日 (木) 今年度最終通常例会 12:30〜「辰巳屋」 茂田士郎会長スピーチ・森岡幸江幹事スピーチ 森岡 幸江 幹事 例会変更のお知らせ ●福島北RC、31日(火)の例会は、法定休会となってお りますのでお知らせ致します。 その他のお知らせ ●6月2日 (木) 午後6時より辰巳屋にて 「新会員セミナー」 が開催されます。クラブ情報小委員会主催で阿久津P G講師により開催されます。またセミナー終了後には、 新会員歓迎会・新旧理事会メンバーとの合同懇親会も 開催されますので、一般会員の皆様も是非ご参加下さ いますようお知らせ致します。 又、同日午後6時30分より新旧合同の理事会も開催さ れますので、役員・理事の皆様宜しくお願い致します。 河合 義文 会員 巨大な震災後の『復興』について私的見解を述べます。 震災による資本ストックの損失額では阪神大震災にほぼ匹 敵しますが、被害額が広域に及び正確性を欠くとともに原 発・風評被害や節電の影響で多少の後ズレはやむを得ま せん。 『復興』による中期的な追加需要は短期的な生産減 少の約10 倍と試算されていますが、本格的な成長への強ま りは電力供給やサプライチェーン問題が解消される秋口か ら年末以降と予測します。福島県の力強い勃興を祈願して! 事務所 : 福島市栄町 5 の 1 ホテル辰巳屋 7F TEL:024-524-1010 FAX:024-524-1011 例会日 : 木曜日 12:30 例会場 : ホテル辰巳屋 8F TEL:024-522-5111 4 今週号の編集長 安藤健次郎 会員 「文書」 「写真」などの送付先:[email protected](会報委員長)
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