Electron Monochromator

Electron Monochromator
草井明彦 日本電子(株)応用研究センター
はじめに
得られていることもあり、Electron
ここで、ΔEは過剰なエネルギー、Eeは外部
Monochromatorの現状について報告する。
から与えられたエネルギー(EI法ではイオン
イオン化法の選択は質量分析を行う上で大変
化電圧に相当する)、IE(AB)は試料ABのイ
重要である。現在までに10種類を超えるイオ
イオンの生成
ン化法が知られているが、その中から試料の
電子衝撃などにより原子・分子がイオン化し
通常、EI法では70eVのイオン化電圧が用いら
形態や分析目的などに応じて適当なものを選
たとき、イオン源内では正電荷をもつ正イオ
れる。このエネルギーは試料のイオン化エネ
択することが必要である。環境分野で広く用
ン(Positive ion)と負電荷をもつ負イオン
ルギー(8∼25eV)に対して十分大きなエネル
いられているGC/MSや合成物質などの分析
(Negative ion)が同時に生成される。その際、
ギーである。したがって、大きな運動エネル
に用いられているDI/MSでは、分析対象が揮
正・負どちらのイオンを検出するかは装置の
ギーを持った電子が試料の電子雲を突抜ける
発性物質であることから、一般に気相イオン
設定に依存している。
とき、このエネルギーの一部が電子励起に使
化 法 で あ る 電 子 イ オ ン 化( E l e c t r o n
イオン源において生成される正イオンと負イ
われる。そして、このとき1個あるいはそれ
Ionization:EI)法や化学イオン化(Chemical
オンの生成過程は基本的に異なる。そこで、
以上の電子を放出させることになり、式(2)
Ionization:CI)法が用いられている。GC/
揮発性試料分析に一般に用いられるEI法やCI
のように試料はイオン化し、分子イオンが生
EI/MSによる微量定量分析において、特に環
法における正イオンおよび負イオンの生成過
成する。また、過剰な内部エネルギーを分子
境分析や薬物代謝分析などの分野では、実試
程について簡単に説明する2、3)。
イオンがもっている場合は引続いてフラグメ
オン化エネルギーである(Fig. 1)
。
料に夾雑物が存在している場合が多く、これ
ントイオンが生成する。
らの夾雑成分に由来するイオンが目的成分と
正イオンの生成
重なるために定量精度を低下させる原因とな
電子脱離によるイオン生成−EI法
ることがある。したがって、目的物質のみを
原子・分子には量子力学的に決まったエネル
一般に、電子のもつ運動エネルギーが大きい
高感度に分析するためには十分な前処理や質
ギー固有値をもつ定常状態があり、これをエ
ほどイオン化効率は増すが、大きすぎると電
量分析装置条件の最適化(分解能設定など)
ネルギー準位という。それらのエネルギー準
子の通過時間と試料の電子雲との相互作用時
を行う必要がある。
位の中で、最も低いものを基底状態というの
間が短くなり、逆にイオン化効率は低下する。
ここで、妨害イオンとなるフラグメントイオ
に対して、エネルギー的に高い他のすべての
したがって、多くの原子や分子のイオン化効
ンの生成を制御、あるいは目的成分のみを選
エネルギー準位を励起状態という。
率は50∼150eVの間に最大値をもつため、通
択的にイオン化することが可能であれば、定
すべての原子・分子は外部から与えられたエ
常その中間である70eVが用いられている。
量精度の向上のみならず、分析時間の短縮や
ネルギーにより、電子は基底状態からより高
簡易分析へ応用範囲が広がるといえる。以上
いエネルギー準位への遷移(励起)が起こる。
イオン分子反応によるイオン生成−CI法
の目的を達成するための一つの手段が "イオ
このとき、原子・分子が受取るエネルギーが
CI法はさまざまなイオン分子反応によるイオ
ン化するためのエネルギーの制御" である。
ある値以上になると電子は束縛状態を離れて
ン化法である。しかし、イオン化の発端は反
一般的なイオン化法であるEI法では、イオン
自由電子となり、正イオン化が起こる。この
応ガスを電子によりイオン化するEI的イオン
化電圧を変更することによりイオン化エネル
ときの最小エネルギーをイオン化エネルギー
化である式(3)。その後、高圧状態のイオン
ギーをある程度制御することが可能である。 (Ionization energy)と呼ぶ。
質量分析の黎明期には主に石油化学分野で炭
EI法では、フィラメントから発生する熱電子
化室内で反応イオン(RXz+)同士の多段階的
なイオン分子反応により式(4)のようなイオ
化水素類の分子イオン分布を観測するために
にイオン化電圧という形でエネルギーを与
ンが生成する。そして、これらの反応ガス由
低エネルギーイオン化法が用いられていた。
え、これを原子・分子に衝突させてイオン化
来のイオンが加熱気化した試料ガス(AB)と
その後、低エネルギーイオン化法に大きな進
する。このとき、イオン化エネルギー以上の
衝突することにより、式(5)∼(7)に示すよ
展は見られなかったが、近年イオン化させる
過剰エネルギーは原子・分子の内部エネルギ
うなさまざまなイオン分子反応(プロトン移
ためのエネルギーを精度高く制御することが
ーとなり、フラグメントイオン生成に使われ
動反応や電荷移動反応など)が起こり、試料
可能なElectron Monochromator1)がDr. J. A.
る。これは式(1)のように表すことができる。
がイオン化される。このとき、イオン化する
Laraméeにより開発された。JEOLは製品化に
向けた評価を行っているが、興味深い結果が
ΔE=Ee−IE(AB)
AB+e− → ABz++(z+1)e− (z≧1) (2)
(1)
際に受取るエネルギーはそれほど多くないの
で、生成した分子イオンは安定であることが
日本電子ニュース Vol.33 No.1 11(2001)
(11)
多い。
→→ X−or X−・
との相互作用で共鳴的に捕らえられ、一時的
RX+e−
→ RXz++(z+1)e− (z≧1)
[EI過程によるイオン化]
3)
→→ (RX+H)+, (RX−H)+
[多段階的なイオン分子反応]
z+
(4)
z+
→ AB +RX
AB+RX
[電荷移動反応]
(5)
AB+(RX+H)+ → (AB+H)++RX
[プロトン移動反応]
+
AB+(RX−H)
(6)
+
→ (AB−H) +RX
[プロトン移動反応]
(7)
負イオンの生成
[フラグメントイオン]
負イオン状態になるイオン過程である。
この一時的負イオンのほとんどは10−6秒より
RX+e−
→ RX−・
AB+e−
→ AB−・
[電子捕獲反応]
はるかに短い寿命で電子を放出して中性分子
に戻る(自動電子脱離:Auto-detachment)
[電子捕獲反応]
ため、負イオンとして質量分析計で検出する
ことはできない。しかし、熱運動エネルギー
[プロトン移動反応]
−
正イオンの生成で示したように、正イオンは
った原子や分子が1個以上の電子を失うこと
解離共鳴電子捕獲(Dissociative Resonance
によって生成する。
Electron Capture)
これに対して、負イオンは基本的に原子・分
熱電子に等しいか、より大きなエネルギー
子が1個以上の電子を捕獲することでイオン
(∼10eV)の電子を捕獲すると、式(9)で示さ
が生成する。これを電子捕獲イオン化
れるように非解離共鳴電子捕獲過程をとった
(Electron Capture Ionization:EC)法という。
後、ごく短時間(10−13∼10−12秒)にフラグメン
捕獲された電子と原子・分子は必ずしも安定
トイオンを生成して負イオンを生成する。
に結合せず、結合してもそのエネルギーは小
AB+e− [⇔ AB−* ] → A+B−
(9)
さいが、電子親和力(Electron Affinity)の高
(16)
(17)
→ (AB+RX)−
[イオン分子反応]
(18)
ところが、CI法では通常200eVという高いエ
ネルギーをもった電子を用いる。電子の持つ
エネルギーがこのように高い場合電子捕獲に
よるイオン生成は起こらず、式(11)∼(12)の
ような反応ガスのイオン分子反応過程で生成
したイオンが開始剤となり、式(15)∼(17)
のような反応が引続き起こり、イオン化され
る。
しかし、高いエネルギーを持った電子もイオ
ン化室内に充満させた反応ガスと衝突を繰返
い原子・分子が負イオンになればエネルギー
イオン対生成(Ion-Pair Formation)
的に安定なイオンとなる。
分子がイオン化エネルギー近くかそれ以上の
(注:負イオンの生成において、正イオンの
エネルギー(10eV∼)の電子を捕獲すると、
生成で用いられるイオン化エネルギーに相当
励起状態を経て式(10)に示すような反応が起
するものは電子親和力であることに注意する
こり、正イオンと負イオンが生成する。
必要がある。
)
→ (AB−H) +HX
[イオン分子反応]
(8)
イオン化エネルギー以上のエネルギーを受取
(15)
AB+X−or X−・ → (AB+X)−
AB+RX−・
AB+e− ⇔ AB−*
(14)
−
[プロトン移動反応]
Negative Ion)という。この過程は式(8)で表
される可逆反応である。
−・
AB+X or X
るため、検出が可能となる。この負イオンを
準安定分子負イオン(Metastable Molecular
(13)
AB+(RX−H)− → (AB−H)−+RX
程度の電子を捕獲したときは10−6∼10−3秒と
いう比較的長い寿命をもつ負イオン状態とな
(12)
AB+e−[→AB*+e−]→A++B−+e− (10)
一般に、負イオンを用いた測定には負化学イ
すことでそのエネルギーが減少していく。そ
して、十分にエネルギーの減少した電子は反
応ガスあるいは試料分子に捕獲され、式
(13)∼(14)のように負イオンが生成される。
このとき、反応ガスが準安定負イオンとなる
ような場合はイオン化室内の他のガス分子な
どと衝突することでエネルギーを失い、安定
オン化(Negative Chemical Ionization:NCI)
電子移動(Charge Transfer)
法が用いられるが、EC法とはイオンの生成
中性の原子・分子、または励起状態にある原
過程が多少異なるところがあるので混同しな
子・分子から電子を捕獲することでイオンを
いように注意が必要である。
生成する。
Electron Monochromator
Negative CI法における負イオン生成過程
Electron Monochromatorの基本的な技術は以
CI法を用いた場合、反応ガスおよび試料はイ
前より研究されてきた。最近では電子顕微鏡
オン分子反応にとるイオン生成で示したよう
の分野においても照射する電子のエネルギー
にさまざまなイオン分子反応を経てイオン化
を制御する目的でElectron Monochromatorを
されるが、このとき以下に示すような負イオ
利用する動きが出てきている。
ン生成も正イオン生成と同時に起こる。
ここで紹介するElectron Monochromatorはオ
電子捕獲による負イオン生成
負イオンの生成過程は電子のもつエネルギー
の違いにより次のように区別される。
非解離共鳴電子捕獲(Non-Dissociative
Resonance Electron Capture)
低いエネルギー(0eV付近)の電子が原子・分
子の近くを通過するとき、ある特定のエネル
な負イオンとなる。その後、式(18)のような
イオン分子反応も引続行われていく。
レゴン州立大学の Dr.J.A.Laramée らにより
RX+e−
→→ (RX−H)−
[反応ガスの脱プロトン化]
ギーをもった電子が原子・分子のクーロン場
MS用として開発された新しいタイプのもの
(11)
であり、JEOL USAにて実用化したものであ
る。
Electron Monochromatorの概略
イオン化のために必要なエネルギーは各原
子・分子に固有な値であるが、そのエネルギ
ー値には広がりがある。したがって、例えば
構造異性体を考えたとき、個々の異性体のみ
を選択的にイオン化するためには、照射する
電子のエネルギー幅が狭く(エネルギー分解
能が高い)、また正確に任意のエネルギー値
を制御することが必要である。
一般に、熱せられたフィラメントから照射さ
Fig. 1
Fig. 2 Electron Monochromatorの概略
れた電子はMaxwell-Boltzmann分布に近似し
た熱エネルギーの広がり(1∼2eV)を持つ。
(12)日本電子ニュース Vol.33 No.1 12(2001)
a
b
c
Fig. 3 Electron Monochromatorによるニトロベンゼン(M1)/D5-ニトロ
ベンゼン(M 2 )/ヘキサフルオロベンゼン(M 3 )混合物の分析
(Negativeモード、エネルギー掃引範囲:0∼10 eV)
Fig. 4 Electron Monochromatorによるニトロ-m-キシレンの構造異性体
の識別(Negativeモード、エネルギー掃引範囲:0∼15 eV)
左図:m/z46のマスクロマトグラム、右図:低エネルギー側ピー
クのマススペクトル
しかし、Electron Monochromatorを用いるこ
は式(21)
、偏向距離Dは式(22)で表されるの
しかし、この反応ガスを用いたNCI法では次
とで±0.3eVのエネルギー分解能を持つ電子
で、これらから偏向距離Dは式(23)で表され
の理由から再現性のよいスペクトルを得るた
を供給することが可能である。さらに、
る。
めには注意が必要である。
Electron Monochromatorとイオン源ブロック
との電位差を変えることにより電子のもつエ
ネルギーを0∼25eVまで正確に制御すること
ができるので、選択性の高いイオン化が可能
となる。
電子エネルギー選択の原理
t=L/v0
(21)
D= vd×t
(22)
D= vd(L/v0)
(23)
1)反応ガスは負イオンの生成で述べたように
電子のエネルギーを減少させることに用い
られる。
このため、負イオンのイオン化効率は反応ガ
したがって、式(21)∼(23)より、偏向領域
スのガス密度やチャンバ温度に大きく依存す
出射時の電子(e-)の持つエネルギーは式(24)
る。
で表すことができる。
2)通常200eVのイオン化電圧を使用している
Fig. 2にElectron Monochromatorの概略図を
eV'=(1/2)m[EL/BD]2
示す。選択する電子エネルギー(V')は、電子
(24)
ので、この高エネルギーの熱電子によりイ
オン化室内は試料分子と反応ガスによって
が電磁場(電場E、磁場B)の存在する長さLの
今回紹介するElectron Monochromatorは射出
引起こされる一種のプラズマ状態となる。
偏向領域内を通過する飛行時間tで規定され
時の電子の持つエネルギー分解能が±0.3eV
このため、不必要なイオン分子反応が生じる
る電子の偏向速度(vd)により決まる。
となるように設計されている。
ことになる。
フィラメントから生成した電子はAnode 1、
そして、上記の過程を経てエネルギーを選択
3)磁場形質量分析計のように高加速電圧を用
Anode 2を通り、電場・磁場が存在する偏向
された電子はExitから出射した後イオン源と
いる装置の場合、反応ガスを導入すること
領域に入る。この領域に入射した電子(e 0-)
の電位差により電子のエネルギーを制御され
で放電を生じることがある。
はローレンツ(Lorentz)力により電場と磁場
ながらイオン化室へと導入され、試料をイオ
これに対して、Electron Monochromatorは反
に垂直な方向に偏向速度v d で偏向され始め
ン化する。
応ガスを必要としないためイオン化に影響を
る。そして、長さLの偏向領域出口に達した
とき電子(e-)は距離Dの偏向を受けている。
→
→
→
及ぼす要因が減り、このため本来の電子捕獲
負イオンを用いた質量分析への応用
による負イオンを再現性よく得ることが可能
ここで、ローレンツの式F=e(E+v×B)より、
Electron Monochromatorは正イオンの分析に
となる。また、常に高真空状態を保つことが
電場・磁場が垂直に存在しているので偏向速
おいても適用可能である。しかし、電子のエ
できるので、高加速電圧を用いた場合でも放
度vdは式(19)で表される。
ネルギーを0eV付近から高いエネルギー分解
電を引起こす可能性はかなり小さい。
vd=E/B
(19)
また、電子のもつエネルギーは偏向領域の前
後で保存されると仮定すると、式(20)で表さ
れる。
能で制御することが可能なことから、この
述べた負イオンの分析に最適な手法であると
Electron Monochromatorを
用いた負イオン分析例
いえる。特に、環境分野への応用も以前より
ニトロベンゼン/D5-ニトロベンゼン/
Electron Monochromatorは負イオンの生成で
ヘキサフルオロベンゼン混合物の分析
4)
研究されてきている 。
eV=(1/2)m v02=eV'
(20)
eV : 偏向領域入射時の電子(e 0-)の持つエ
ネルギー
そこで、負イオンを用いた分析に注目して
Fig. 3にニトロベンゼン(MW123:M1)、D5-
Electron Monochromatorの応用例を紹介す
ニトロベンゼン(MW128:M2)、ヘキサフル
る。
オロベンゼン(MW186:M3)混合物を加熱リ
m : 電子質量、v0 :偏向領域入射時の速度
eV' : 偏向領域出射時の電子(e-)の持つエネ
ルギー
ところで、偏向領域を通過するための時間t
ザーバからイオン源に導入し、Electron
従来の負イオン化法との違い
Monochromatorを用いた負イオン分析結果を
現在の負イオン分析は反応ガスを用いた負化
示す。
学イオン化
(NCI)
法が一般に用いられている。
Fig. 3cは電子エネルギーを0∼10eVまで掃引
日本電子ニュース Vol.33 No.1 13(2001)
(13)
したときに得られたTICである。ここで、エ
このクロマトグラムはnitoro-m-xyleneの
に対する設定エネルギー:0.06eVでのSIMク
ネルギー掃引は測定開始30秒後から約1分間
Electron-Capture Resonance Curveであり、
ロマトグラムである。この測定の分析目的は
で10eVに達する設定で行った。このTICでは
この化合物では2つの共鳴エネルギー位置が
分子イオンの確認であったため、電子エネル
3つのピークが検出されている。そして、
存在することがわかる。
ギーは0.06eVを選択した。
Fig. 3aは最初のピークである~0.03eV程度の
Fig. 4に 示 し た そ れ ぞ れ の 構 造 異 性 体 の
測定の結果、2環芳香族炭化水素であるナフ
エネルギー値で得られたマススペクトル、
Electron-Capture Resonance Curveを比較す
タレンは検出されず、3環芳香族炭化水素に
Fig. 3bは2番目のピークである~4.5eVで得ら
ると、低エネルギー側の共鳴ピーク位置
ついても成分によって大きな感度の違いが見
(1eV付近)のピーク強度が置換位置に応じて
られた。これに対して、4∼5環芳香族炭化水
れたマススペクトルである。
Fig. 3aのスペクトルは電子エネルギーが0eV
著しく異なった結果となっている。さらに、
素については十分な感度が得られた。
に近いため、それぞれの試料の分子イオン
低エネルギー側共鳴ピークの極大値でそれぞ
負イオン検出は共鳴によりイオン化するた
、186
M − である m/z 123(M 1 − )、128(M 2 − )
れのマススペクトルを比較したとき、分子イ
め、同族体であってもその分子構造により感
(M3−)が検出されている。つまり、これらの
オンとNO 2−の強度比も異性体に応じて大き
度差が現れる。
イオンは電子捕獲による負イオン生成で説明
く差が現れている。すなわち、NO 2−の置換
さらに、Fig. 6は同じ条件で測定したニトロ
した非解離共鳴電子捕獲により生成したイオ
位置が他の官能基より遠くなるにしたがい、
多環芳香族炭化水素の混合物に対する分析結
ンであるといえる。
−
2
NO の生成が抑えられる傾向が見られた。
これに対して、Fig, 3bのスペクトルは電子エ
果である。ニトロ基の存在により電子親和力
が高くなるため、一般の多環芳香族炭化水素
ネルギーが4.5eVと多少高い電子エネルギー
多環芳香族炭化水素の分析
と比較して安定かつ感度良く分析することが
を持っているため、得られたイオンは
近年、大気環境汚染の一つとしてディーゼル
可能であった。また、各成分間での感度差は
m/z122([M1-H]−)、128([M2-D]−)、167([M3F]−)という解離共鳴電子捕獲により生成した
イオンである。
エンジンの排ガス中に含まれるディーゼル排
あまり見られなかった。
気微粒子(Diesel Exhaust Particles:DEP)が
また、1-ニトロナフタレンを用いて検出限界
あげられている。このDEPは発ガン性やアレ
を求めたSIMクロマトグラムをFig. 7に示す。
ルギー性鼻炎などの原因物質であることが知
17fgの注入でS/N比10:1という結果であり、
Electron Monochromatorを用いた
られており、早急な対応が迫られている。
微量分析に十分対応できる感度であると判断
構造異性体の識別
DEPには多くの化学物質が含まれているが、
できる。
質量分析計を用いて構造異性体の識別を行う
その中に発ガン性物質として知られている多
Fig. 8に実試料に対する分析結果を示す。こ
場合、一般にフラグメントイオンの強度比で
環 芳 香 族 炭 化 水 素( Polycyclic Aromatic
の試料は、ディーゼル排気ガスをフィルタに
識別するが、多くの場合でその識別は難しい。
Hydrocarbons :PAHs)やニトロ多環芳香族炭
直接捕集し、これを塩化メチレンにて抽出し
そこで、Electron Monochromatorを用いた負
化水素も含まれている。
て試料溶液とした。また、分子イオンを確認
そこで、多環芳香族およびニトロ多環芳香
イオン分析による構造異性体の識別を試み
する目的で、電子エネルギーは0.06eVに設定
た。
族炭化水素に対する分析に負イオン化モード
試料は2-、4-および5-ニトロ-m-キシレンを用
のElectron Monochromatorを適用して、その
分析の結果、5-nitroacenaphthene(199)、9-
いた。また、電子エネルギーは0eVから15eV
可能性を検討した。
nitroanthracene(223)
、1-nitropyrene(247)
なお、以下に示すデータはColorado School
まで掃引した。
し、SIM測定を行なった。
が同定された。また、その他にも異性体と考
Fig. 4に各異性体のm/z46:[NO2−]に対するマ
of MinesのProf. Kent VoorheesとJEOL
えられる成分が検出されている。
スクロマトグラムと低エネルギー側ピークで
USA,Inc.のDr.R.Codyとの共同研究で得られ
また、ニトロ基に由来するm/z46もモニタイ
5)
極大値となるエネルギー値のマススペクトル
た結果である 。
オンとして設定したが、0.06eVでは良好なク
を示す。
Fig. 5は2∼5環芳香族炭化水素の標準混合物
ロマトグラムは得られなかった。この理由は、
Fig. 5 Electron Monochromatorによる多環芳香族炭化水素類の分析
(Negativeモード、設定エネルギー:0.06 eV)
Fig. 6 Electron Monochromatorによるニトロ多環芳香族炭化水素類の
分析(Negativeモード、設定エネルギー:0.06 eV)
[データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL
USA, Inc.]
[データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL
USA, Inc.]
(14)日本電子ニュース Vol.33 No.1 14(2001)
Fig. 7 Electron Monochromatorによる1-ニトロナフタレンの分析
(Negativeモード、設定エネルギー:0.06 eV、注入量:17 fg)
Fig. 8 Electron Monochromatorによるディーゼル排気ガス中のニトロ
多環芳香族炭化水素類の分析(Negativeモード、設定エネルギ
ー:0.06 eV)
[データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL
USA, Inc.]
Fig. 9 Electron Monochromatorによるディーゼル排気ガス中のニトロ
多環芳香族炭化水素類の分析(Negativeモード、設定エネルギ
ー:3.5 eV)
[データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL
USA, Inc.]
0.06eVというエネルギー領域が非解離共鳴電
供給されるエネルギーが低いため、通常とは
3. "バイオロジカルマススペクトロメトリー
子捕獲過程であり、フラグメントイオンの生
異なるフラグメントイオンの生成も観測さ
(現代化学増刊31)"、上野民夫・平山和
成が抑制されているためと考えられる。
れ、構造解析を行う上で興味ある知見が得ら
これに対し、電子のエネルギーを3.5eVに設
れた。さらに、従来のイオン化法に比べてイ
定してSIM分析を行なったときの m/z 46の
オンの選択性を向上させることができるた
SIMクロマトグラムをFig. 9に示す。
め、多くの夾雑成分が存在する中での微量定
5. Cody, R.B.; Voorhees, K.J. Proceedings of
3.5eVでは解離共鳴電子捕獲過程となるため、
m/z 46のニトロイオンの生成が促進されてい
る。この分析によりニトロ基を有する成分を
選択的に検出することができる。
性・定量分析にも十分対応可能な手法であ
the 48th ASMS Conference on Mass
り、またルーチン分析に応用可能である。
Spectrometry and Allied Topics, p.1314
雄・原田健一編、 p.3 (1997)
4. Ong, V.S.; Hites, R.A. Mass Spectrom. Rev.,
13, 259 (1994)
特に、Electron Monochromatorを用いた負イ
オンによる分析はハロゲン化合物やニトロ化
合物などを対象とした環境分析などにおいて
おわりに
今回紹介したElectron Monochromatorはイオ
大いに期待できる手法であると考えられる。
ン化のエネルギーを制御することが可能であ
参考文献
り、低エネルギー条件で安定してイオン化を
1. Laramée, J.A.; Mazurkiewicz, P.H.; Berkout,
行うことができる。
V.; Deinzer, M.L. Mass Spectrom. Rev., 15,
低エネルギーでイオン化するためにフラグメ
15 (1996)
ントイオンの生成が抑えられ、分子イオンの
確認が容易となった。また、イオン生成時に
2. "マススペクトロメトリー"、松田久編、
朝倉書店 (1983)
日本電子ニュース Vol.33 No.1 15(2001)
(15)