Electron Monochromator 草井明彦 日本電子(株)応用研究センター はじめに 得られていることもあり、Electron ここで、ΔEは過剰なエネルギー、Eeは外部 Monochromatorの現状について報告する。 から与えられたエネルギー(EI法ではイオン イオン化法の選択は質量分析を行う上で大変 化電圧に相当する)、IE(AB)は試料ABのイ 重要である。現在までに10種類を超えるイオ イオンの生成 ン化法が知られているが、その中から試料の 電子衝撃などにより原子・分子がイオン化し 通常、EI法では70eVのイオン化電圧が用いら 形態や分析目的などに応じて適当なものを選 たとき、イオン源内では正電荷をもつ正イオ れる。このエネルギーは試料のイオン化エネ 択することが必要である。環境分野で広く用 ン(Positive ion)と負電荷をもつ負イオン ルギー(8∼25eV)に対して十分大きなエネル いられているGC/MSや合成物質などの分析 (Negative ion)が同時に生成される。その際、 ギーである。したがって、大きな運動エネル に用いられているDI/MSでは、分析対象が揮 正・負どちらのイオンを検出するかは装置の ギーを持った電子が試料の電子雲を突抜ける 発性物質であることから、一般に気相イオン 設定に依存している。 とき、このエネルギーの一部が電子励起に使 化 法 で あ る 電 子 イ オ ン 化( E l e c t r o n イオン源において生成される正イオンと負イ われる。そして、このとき1個あるいはそれ Ionization:EI)法や化学イオン化(Chemical オンの生成過程は基本的に異なる。そこで、 以上の電子を放出させることになり、式(2) Ionization:CI)法が用いられている。GC/ 揮発性試料分析に一般に用いられるEI法やCI のように試料はイオン化し、分子イオンが生 EI/MSによる微量定量分析において、特に環 法における正イオンおよび負イオンの生成過 成する。また、過剰な内部エネルギーを分子 境分析や薬物代謝分析などの分野では、実試 程について簡単に説明する2、3)。 イオンがもっている場合は引続いてフラグメ オン化エネルギーである(Fig. 1) 。 料に夾雑物が存在している場合が多く、これ ントイオンが生成する。 らの夾雑成分に由来するイオンが目的成分と 正イオンの生成 重なるために定量精度を低下させる原因とな 電子脱離によるイオン生成−EI法 ることがある。したがって、目的物質のみを 原子・分子には量子力学的に決まったエネル 一般に、電子のもつ運動エネルギーが大きい 高感度に分析するためには十分な前処理や質 ギー固有値をもつ定常状態があり、これをエ ほどイオン化効率は増すが、大きすぎると電 量分析装置条件の最適化(分解能設定など) ネルギー準位という。それらのエネルギー準 子の通過時間と試料の電子雲との相互作用時 を行う必要がある。 位の中で、最も低いものを基底状態というの 間が短くなり、逆にイオン化効率は低下する。 ここで、妨害イオンとなるフラグメントイオ に対して、エネルギー的に高い他のすべての したがって、多くの原子や分子のイオン化効 ンの生成を制御、あるいは目的成分のみを選 エネルギー準位を励起状態という。 率は50∼150eVの間に最大値をもつため、通 択的にイオン化することが可能であれば、定 すべての原子・分子は外部から与えられたエ 常その中間である70eVが用いられている。 量精度の向上のみならず、分析時間の短縮や ネルギーにより、電子は基底状態からより高 簡易分析へ応用範囲が広がるといえる。以上 いエネルギー準位への遷移(励起)が起こる。 イオン分子反応によるイオン生成−CI法 の目的を達成するための一つの手段が "イオ このとき、原子・分子が受取るエネルギーが CI法はさまざまなイオン分子反応によるイオ ン化するためのエネルギーの制御" である。 ある値以上になると電子は束縛状態を離れて ン化法である。しかし、イオン化の発端は反 一般的なイオン化法であるEI法では、イオン 自由電子となり、正イオン化が起こる。この 応ガスを電子によりイオン化するEI的イオン 化電圧を変更することによりイオン化エネル ときの最小エネルギーをイオン化エネルギー 化である式(3)。その後、高圧状態のイオン ギーをある程度制御することが可能である。 (Ionization energy)と呼ぶ。 質量分析の黎明期には主に石油化学分野で炭 EI法では、フィラメントから発生する熱電子 化室内で反応イオン(RXz+)同士の多段階的 なイオン分子反応により式(4)のようなイオ 化水素類の分子イオン分布を観測するために にイオン化電圧という形でエネルギーを与 ンが生成する。そして、これらの反応ガス由 低エネルギーイオン化法が用いられていた。 え、これを原子・分子に衝突させてイオン化 来のイオンが加熱気化した試料ガス(AB)と その後、低エネルギーイオン化法に大きな進 する。このとき、イオン化エネルギー以上の 衝突することにより、式(5)∼(7)に示すよ 展は見られなかったが、近年イオン化させる 過剰エネルギーは原子・分子の内部エネルギ うなさまざまなイオン分子反応(プロトン移 ためのエネルギーを精度高く制御することが ーとなり、フラグメントイオン生成に使われ 動反応や電荷移動反応など)が起こり、試料 可能なElectron Monochromator1)がDr. J. A. る。これは式(1)のように表すことができる。 がイオン化される。このとき、イオン化する Laraméeにより開発された。JEOLは製品化に 向けた評価を行っているが、興味深い結果が ΔE=Ee−IE(AB) AB+e− → ABz++(z+1)e− (z≧1) (2) (1) 際に受取るエネルギーはそれほど多くないの で、生成した分子イオンは安定であることが 日本電子ニュース Vol.33 No.1 11(2001) (11) 多い。 →→ X−or X−・ との相互作用で共鳴的に捕らえられ、一時的 RX+e− → RXz++(z+1)e− (z≧1) [EI過程によるイオン化] 3) →→ (RX+H)+, (RX−H)+ [多段階的なイオン分子反応] z+ (4) z+ → AB +RX AB+RX [電荷移動反応] (5) AB+(RX+H)+ → (AB+H)++RX [プロトン移動反応] + AB+(RX−H) (6) + → (AB−H) +RX [プロトン移動反応] (7) 負イオンの生成 [フラグメントイオン] 負イオン状態になるイオン過程である。 この一時的負イオンのほとんどは10−6秒より RX+e− → RX−・ AB+e− → AB−・ [電子捕獲反応] はるかに短い寿命で電子を放出して中性分子 に戻る(自動電子脱離:Auto-detachment) [電子捕獲反応] ため、負イオンとして質量分析計で検出する ことはできない。しかし、熱運動エネルギー [プロトン移動反応] − 正イオンの生成で示したように、正イオンは った原子や分子が1個以上の電子を失うこと 解離共鳴電子捕獲(Dissociative Resonance によって生成する。 Electron Capture) これに対して、負イオンは基本的に原子・分 熱電子に等しいか、より大きなエネルギー 子が1個以上の電子を捕獲することでイオン (∼10eV)の電子を捕獲すると、式(9)で示さ が生成する。これを電子捕獲イオン化 れるように非解離共鳴電子捕獲過程をとった (Electron Capture Ionization:EC)法という。 後、ごく短時間(10−13∼10−12秒)にフラグメン 捕獲された電子と原子・分子は必ずしも安定 トイオンを生成して負イオンを生成する。 に結合せず、結合してもそのエネルギーは小 AB+e− [⇔ AB−* ] → A+B− (9) さいが、電子親和力(Electron Affinity)の高 (16) (17) → (AB+RX)− [イオン分子反応] (18) ところが、CI法では通常200eVという高いエ ネルギーをもった電子を用いる。電子の持つ エネルギーがこのように高い場合電子捕獲に よるイオン生成は起こらず、式(11)∼(12)の ような反応ガスのイオン分子反応過程で生成 したイオンが開始剤となり、式(15)∼(17) のような反応が引続き起こり、イオン化され る。 しかし、高いエネルギーを持った電子もイオ ン化室内に充満させた反応ガスと衝突を繰返 い原子・分子が負イオンになればエネルギー イオン対生成(Ion-Pair Formation) 的に安定なイオンとなる。 分子がイオン化エネルギー近くかそれ以上の (注:負イオンの生成において、正イオンの エネルギー(10eV∼)の電子を捕獲すると、 生成で用いられるイオン化エネルギーに相当 励起状態を経て式(10)に示すような反応が起 するものは電子親和力であることに注意する こり、正イオンと負イオンが生成する。 必要がある。 ) → (AB−H) +HX [イオン分子反応] (8) イオン化エネルギー以上のエネルギーを受取 (15) AB+X−or X−・ → (AB+X)− AB+RX−・ AB+e− ⇔ AB−* (14) − [プロトン移動反応] Negative Ion)という。この過程は式(8)で表 される可逆反応である。 −・ AB+X or X るため、検出が可能となる。この負イオンを 準安定分子負イオン(Metastable Molecular (13) AB+(RX−H)− → (AB−H)−+RX 程度の電子を捕獲したときは10−6∼10−3秒と いう比較的長い寿命をもつ負イオン状態とな (12) AB+e−[→AB*+e−]→A++B−+e− (10) 一般に、負イオンを用いた測定には負化学イ すことでそのエネルギーが減少していく。そ して、十分にエネルギーの減少した電子は反 応ガスあるいは試料分子に捕獲され、式 (13)∼(14)のように負イオンが生成される。 このとき、反応ガスが準安定負イオンとなる ような場合はイオン化室内の他のガス分子な どと衝突することでエネルギーを失い、安定 オン化(Negative Chemical Ionization:NCI) 電子移動(Charge Transfer) 法が用いられるが、EC法とはイオンの生成 中性の原子・分子、または励起状態にある原 過程が多少異なるところがあるので混同しな 子・分子から電子を捕獲することでイオンを いように注意が必要である。 生成する。 Electron Monochromator Negative CI法における負イオン生成過程 Electron Monochromatorの基本的な技術は以 CI法を用いた場合、反応ガスおよび試料はイ 前より研究されてきた。最近では電子顕微鏡 オン分子反応にとるイオン生成で示したよう の分野においても照射する電子のエネルギー にさまざまなイオン分子反応を経てイオン化 を制御する目的でElectron Monochromatorを されるが、このとき以下に示すような負イオ 利用する動きが出てきている。 ン生成も正イオン生成と同時に起こる。 ここで紹介するElectron Monochromatorはオ 電子捕獲による負イオン生成 負イオンの生成過程は電子のもつエネルギー の違いにより次のように区別される。 非解離共鳴電子捕獲(Non-Dissociative Resonance Electron Capture) 低いエネルギー(0eV付近)の電子が原子・分 子の近くを通過するとき、ある特定のエネル な負イオンとなる。その後、式(18)のような イオン分子反応も引続行われていく。 レゴン州立大学の Dr.J.A.Laramée らにより RX+e− →→ (RX−H)− [反応ガスの脱プロトン化] ギーをもった電子が原子・分子のクーロン場 MS用として開発された新しいタイプのもの (11) であり、JEOL USAにて実用化したものであ る。 Electron Monochromatorの概略 イオン化のために必要なエネルギーは各原 子・分子に固有な値であるが、そのエネルギ ー値には広がりがある。したがって、例えば 構造異性体を考えたとき、個々の異性体のみ を選択的にイオン化するためには、照射する 電子のエネルギー幅が狭く(エネルギー分解 能が高い)、また正確に任意のエネルギー値 を制御することが必要である。 一般に、熱せられたフィラメントから照射さ Fig. 1 Fig. 2 Electron Monochromatorの概略 れた電子はMaxwell-Boltzmann分布に近似し た熱エネルギーの広がり(1∼2eV)を持つ。 (12)日本電子ニュース Vol.33 No.1 12(2001) a b c Fig. 3 Electron Monochromatorによるニトロベンゼン(M1)/D5-ニトロ ベンゼン(M 2 )/ヘキサフルオロベンゼン(M 3 )混合物の分析 (Negativeモード、エネルギー掃引範囲:0∼10 eV) Fig. 4 Electron Monochromatorによるニトロ-m-キシレンの構造異性体 の識別(Negativeモード、エネルギー掃引範囲:0∼15 eV) 左図:m/z46のマスクロマトグラム、右図:低エネルギー側ピー クのマススペクトル しかし、Electron Monochromatorを用いるこ は式(21) 、偏向距離Dは式(22)で表されるの しかし、この反応ガスを用いたNCI法では次 とで±0.3eVのエネルギー分解能を持つ電子 で、これらから偏向距離Dは式(23)で表され の理由から再現性のよいスペクトルを得るた を供給することが可能である。さらに、 る。 めには注意が必要である。 Electron Monochromatorとイオン源ブロック との電位差を変えることにより電子のもつエ ネルギーを0∼25eVまで正確に制御すること ができるので、選択性の高いイオン化が可能 となる。 電子エネルギー選択の原理 t=L/v0 (21) D= vd×t (22) D= vd(L/v0) (23) 1)反応ガスは負イオンの生成で述べたように 電子のエネルギーを減少させることに用い られる。 このため、負イオンのイオン化効率は反応ガ したがって、式(21)∼(23)より、偏向領域 スのガス密度やチャンバ温度に大きく依存す 出射時の電子(e-)の持つエネルギーは式(24) る。 で表すことができる。 2)通常200eVのイオン化電圧を使用している Fig. 2にElectron Monochromatorの概略図を eV'=(1/2)m[EL/BD]2 示す。選択する電子エネルギー(V')は、電子 (24) ので、この高エネルギーの熱電子によりイ オン化室内は試料分子と反応ガスによって が電磁場(電場E、磁場B)の存在する長さLの 今回紹介するElectron Monochromatorは射出 引起こされる一種のプラズマ状態となる。 偏向領域内を通過する飛行時間tで規定され 時の電子の持つエネルギー分解能が±0.3eV このため、不必要なイオン分子反応が生じる る電子の偏向速度(vd)により決まる。 となるように設計されている。 ことになる。 フィラメントから生成した電子はAnode 1、 そして、上記の過程を経てエネルギーを選択 3)磁場形質量分析計のように高加速電圧を用 Anode 2を通り、電場・磁場が存在する偏向 された電子はExitから出射した後イオン源と いる装置の場合、反応ガスを導入すること 領域に入る。この領域に入射した電子(e 0-) の電位差により電子のエネルギーを制御され で放電を生じることがある。 はローレンツ(Lorentz)力により電場と磁場 ながらイオン化室へと導入され、試料をイオ これに対して、Electron Monochromatorは反 に垂直な方向に偏向速度v d で偏向され始め ン化する。 応ガスを必要としないためイオン化に影響を る。そして、長さLの偏向領域出口に達した とき電子(e-)は距離Dの偏向を受けている。 → → → 及ぼす要因が減り、このため本来の電子捕獲 負イオンを用いた質量分析への応用 による負イオンを再現性よく得ることが可能 ここで、ローレンツの式F=e(E+v×B)より、 Electron Monochromatorは正イオンの分析に となる。また、常に高真空状態を保つことが 電場・磁場が垂直に存在しているので偏向速 おいても適用可能である。しかし、電子のエ できるので、高加速電圧を用いた場合でも放 度vdは式(19)で表される。 ネルギーを0eV付近から高いエネルギー分解 電を引起こす可能性はかなり小さい。 vd=E/B (19) また、電子のもつエネルギーは偏向領域の前 後で保存されると仮定すると、式(20)で表さ れる。 能で制御することが可能なことから、この 述べた負イオンの分析に最適な手法であると Electron Monochromatorを 用いた負イオン分析例 いえる。特に、環境分野への応用も以前より ニトロベンゼン/D5-ニトロベンゼン/ Electron Monochromatorは負イオンの生成で ヘキサフルオロベンゼン混合物の分析 4) 研究されてきている 。 eV=(1/2)m v02=eV' (20) eV : 偏向領域入射時の電子(e 0-)の持つエ ネルギー そこで、負イオンを用いた分析に注目して Fig. 3にニトロベンゼン(MW123:M1)、D5- Electron Monochromatorの応用例を紹介す ニトロベンゼン(MW128:M2)、ヘキサフル る。 オロベンゼン(MW186:M3)混合物を加熱リ m : 電子質量、v0 :偏向領域入射時の速度 eV' : 偏向領域出射時の電子(e-)の持つエネ ルギー ところで、偏向領域を通過するための時間t ザーバからイオン源に導入し、Electron 従来の負イオン化法との違い Monochromatorを用いた負イオン分析結果を 現在の負イオン分析は反応ガスを用いた負化 示す。 学イオン化 (NCI) 法が一般に用いられている。 Fig. 3cは電子エネルギーを0∼10eVまで掃引 日本電子ニュース Vol.33 No.1 13(2001) (13) したときに得られたTICである。ここで、エ このクロマトグラムはnitoro-m-xyleneの に対する設定エネルギー:0.06eVでのSIMク ネルギー掃引は測定開始30秒後から約1分間 Electron-Capture Resonance Curveであり、 ロマトグラムである。この測定の分析目的は で10eVに達する設定で行った。このTICでは この化合物では2つの共鳴エネルギー位置が 分子イオンの確認であったため、電子エネル 3つのピークが検出されている。そして、 存在することがわかる。 ギーは0.06eVを選択した。 Fig. 3aは最初のピークである~0.03eV程度の Fig. 4に 示 し た そ れ ぞ れ の 構 造 異 性 体 の 測定の結果、2環芳香族炭化水素であるナフ エネルギー値で得られたマススペクトル、 Electron-Capture Resonance Curveを比較す タレンは検出されず、3環芳香族炭化水素に Fig. 3bは2番目のピークである~4.5eVで得ら ると、低エネルギー側の共鳴ピーク位置 ついても成分によって大きな感度の違いが見 (1eV付近)のピーク強度が置換位置に応じて られた。これに対して、4∼5環芳香族炭化水 れたマススペクトルである。 Fig. 3aのスペクトルは電子エネルギーが0eV 著しく異なった結果となっている。さらに、 素については十分な感度が得られた。 に近いため、それぞれの試料の分子イオン 低エネルギー側共鳴ピークの極大値でそれぞ 負イオン検出は共鳴によりイオン化するた 、186 M − である m/z 123(M 1 − )、128(M 2 − ) れのマススペクトルを比較したとき、分子イ め、同族体であってもその分子構造により感 (M3−)が検出されている。つまり、これらの オンとNO 2−の強度比も異性体に応じて大き 度差が現れる。 イオンは電子捕獲による負イオン生成で説明 く差が現れている。すなわち、NO 2−の置換 さらに、Fig. 6は同じ条件で測定したニトロ した非解離共鳴電子捕獲により生成したイオ 位置が他の官能基より遠くなるにしたがい、 多環芳香族炭化水素の混合物に対する分析結 ンであるといえる。 − 2 NO の生成が抑えられる傾向が見られた。 これに対して、Fig, 3bのスペクトルは電子エ 果である。ニトロ基の存在により電子親和力 が高くなるため、一般の多環芳香族炭化水素 ネルギーが4.5eVと多少高い電子エネルギー 多環芳香族炭化水素の分析 と比較して安定かつ感度良く分析することが を持っているため、得られたイオンは 近年、大気環境汚染の一つとしてディーゼル 可能であった。また、各成分間での感度差は m/z122([M1-H]−)、128([M2-D]−)、167([M3F]−)という解離共鳴電子捕獲により生成した イオンである。 エンジンの排ガス中に含まれるディーゼル排 あまり見られなかった。 気微粒子(Diesel Exhaust Particles:DEP)が また、1-ニトロナフタレンを用いて検出限界 あげられている。このDEPは発ガン性やアレ を求めたSIMクロマトグラムをFig. 7に示す。 ルギー性鼻炎などの原因物質であることが知 17fgの注入でS/N比10:1という結果であり、 Electron Monochromatorを用いた られており、早急な対応が迫られている。 微量分析に十分対応できる感度であると判断 構造異性体の識別 DEPには多くの化学物質が含まれているが、 できる。 質量分析計を用いて構造異性体の識別を行う その中に発ガン性物質として知られている多 Fig. 8に実試料に対する分析結果を示す。こ 場合、一般にフラグメントイオンの強度比で 環 芳 香 族 炭 化 水 素( Polycyclic Aromatic の試料は、ディーゼル排気ガスをフィルタに 識別するが、多くの場合でその識別は難しい。 Hydrocarbons :PAHs)やニトロ多環芳香族炭 直接捕集し、これを塩化メチレンにて抽出し そこで、Electron Monochromatorを用いた負 化水素も含まれている。 て試料溶液とした。また、分子イオンを確認 そこで、多環芳香族およびニトロ多環芳香 イオン分析による構造異性体の識別を試み する目的で、電子エネルギーは0.06eVに設定 た。 族炭化水素に対する分析に負イオン化モード 試料は2-、4-および5-ニトロ-m-キシレンを用 のElectron Monochromatorを適用して、その 分析の結果、5-nitroacenaphthene(199)、9- いた。また、電子エネルギーは0eVから15eV 可能性を検討した。 nitroanthracene(223) 、1-nitropyrene(247) なお、以下に示すデータはColorado School まで掃引した。 し、SIM測定を行なった。 が同定された。また、その他にも異性体と考 Fig. 4に各異性体のm/z46:[NO2−]に対するマ of MinesのProf. Kent VoorheesとJEOL えられる成分が検出されている。 スクロマトグラムと低エネルギー側ピークで USA,Inc.のDr.R.Codyとの共同研究で得られ また、ニトロ基に由来するm/z46もモニタイ 5) 極大値となるエネルギー値のマススペクトル た結果である 。 オンとして設定したが、0.06eVでは良好なク を示す。 Fig. 5は2∼5環芳香族炭化水素の標準混合物 ロマトグラムは得られなかった。この理由は、 Fig. 5 Electron Monochromatorによる多環芳香族炭化水素類の分析 (Negativeモード、設定エネルギー:0.06 eV) Fig. 6 Electron Monochromatorによるニトロ多環芳香族炭化水素類の 分析(Negativeモード、設定エネルギー:0.06 eV) [データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL USA, Inc.] [データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL USA, Inc.] (14)日本電子ニュース Vol.33 No.1 14(2001) Fig. 7 Electron Monochromatorによる1-ニトロナフタレンの分析 (Negativeモード、設定エネルギー:0.06 eV、注入量:17 fg) Fig. 8 Electron Monochromatorによるディーゼル排気ガス中のニトロ 多環芳香族炭化水素類の分析(Negativeモード、設定エネルギ ー:0.06 eV) [データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL USA, Inc.] Fig. 9 Electron Monochromatorによるディーゼル排気ガス中のニトロ 多環芳香族炭化水素類の分析(Negativeモード、設定エネルギ ー:3.5 eV) [データ提供:Prof. Kent Voorhees (Colorado School of Mines)/JEOL USA, Inc.] 0.06eVというエネルギー領域が非解離共鳴電 供給されるエネルギーが低いため、通常とは 3. "バイオロジカルマススペクトロメトリー 子捕獲過程であり、フラグメントイオンの生 異なるフラグメントイオンの生成も観測さ (現代化学増刊31)"、上野民夫・平山和 成が抑制されているためと考えられる。 れ、構造解析を行う上で興味ある知見が得ら これに対し、電子のエネルギーを3.5eVに設 れた。さらに、従来のイオン化法に比べてイ 定してSIM分析を行なったときの m/z 46の オンの選択性を向上させることができるた SIMクロマトグラムをFig. 9に示す。 め、多くの夾雑成分が存在する中での微量定 5. Cody, R.B.; Voorhees, K.J. Proceedings of 3.5eVでは解離共鳴電子捕獲過程となるため、 m/z 46のニトロイオンの生成が促進されてい る。この分析によりニトロ基を有する成分を 選択的に検出することができる。 性・定量分析にも十分対応可能な手法であ the 48th ASMS Conference on Mass り、またルーチン分析に応用可能である。 Spectrometry and Allied Topics, p.1314 雄・原田健一編、 p.3 (1997) 4. Ong, V.S.; Hites, R.A. Mass Spectrom. Rev., 13, 259 (1994) 特に、Electron Monochromatorを用いた負イ オンによる分析はハロゲン化合物やニトロ化 合物などを対象とした環境分析などにおいて おわりに 今回紹介したElectron Monochromatorはイオ 大いに期待できる手法であると考えられる。 ン化のエネルギーを制御することが可能であ 参考文献 り、低エネルギー条件で安定してイオン化を 1. Laramée, J.A.; Mazurkiewicz, P.H.; Berkout, 行うことができる。 V.; Deinzer, M.L. Mass Spectrom. Rev., 15, 低エネルギーでイオン化するためにフラグメ 15 (1996) ントイオンの生成が抑えられ、分子イオンの 確認が容易となった。また、イオン生成時に 2. "マススペクトロメトリー"、松田久編、 朝倉書店 (1983) 日本電子ニュース Vol.33 No.1 15(2001) (15)
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