僕の着ている洋服 はどこで作られたの か 僕の着ている洋服は どこで作

僕の着ている洋服
僕の着ている洋服は
はどこで作られたの
どこで作られたのか
か
私達の衣服を作っている国、
私達の衣服を作っている国、工
工場、人々を訪ねて
場、人々を訪ねて
(2012年改訂)
(2012年改訂)
ケルシー・ティママン
ブランカ・ヴァン・ハッセルト
文化人類学の学位を取った後、ケ
ルシー・ティママンはすぐには正規の
仕事に就かず、スキューバダイビング
のインストラクターをしながら世界中
を旅していた。ケルシーは、彼の本の
中で“その頃は未熟だった”と述懐して
いる。ある日、どこに旅しようかと考
えている時、自分の部屋に山積みに
なっている洋服の中のTシャツのラベ
ルに“ホンジュラス製”とあるのに目が
止まった。そこで彼はそのTシャツの
ルーツを探ろうと思いついた。実際、
彼はホンジュラスのTシャツ工場まで
行ったのだが、何の準備も無く突然訪
ねたので、仕事帰りの労働者のアミル
カに出入り口で会えただけだった。ス
ペイン語が話せないので、彼は自分の
着ていたTシャツをアミルカにプレゼ
ントした。記念として一緒に撮った写
真の中のケルシーは、替えのTシャツ
を持っていなかったため、上半身裸で
写っている。結局、未熟なケルシー
は、その工場、仕事、労働者について
何も知ることが出来なかった。帰国
後、ホンジュラスへの旅が観光旅行の
域を出なかったと自分を情けなく思っ
たケルシーは、国際化について、また
西洋諸国から発展途上国へ移行した衣
類製造業について勉強しようと決意し
た。手始めに彼が “ 国際スウェットフ
リー運動 ”の会合に参加した時のこと
である。そこで彼は、コロンビア・コ
カコーラ社の労働組合のリーダー達が
死んだのは会社の責任であると怒号を
上げるたくさんの若者に会った。しか
しケルシーは彼らのうち誰一人コロン
ビアに行ったことがないことに疑問を
感じた。労働力搾取や人権侵害につい
てのセッションへの参加者も然りであ
る。彼らの運動の趣旨は社会の意識改
革であるにもかかわらず、参加者は発
展途上国の労働実態を見たことがない
のだった。更にワークショップの参加
者はノートを取らず、採択されたマニ
フェストだけを上等な革表紙や 付き
のノートに書き取るのだった。会合に
参加した後、ケルシーは答えより多く
の質問を持つに至った。そしてその疑
問に対する答えを見つけるために自ら
現場に行くしかないと思った。彼はこ
う書いている: “ 僕のクリスマスプレ
ゼントのボクサーパンツはバングラデ
シュ製だ。僕のアメリカブランドの
ジーンズは全部カンボディア製だ。僕
のお気に入りのTシャツはホンジュラ
ス製で、サンダルは中国製だ。 ” フィ
アンセのアニーが完璧なウエディング
ドレスを探し始めた時、ケルシーは彼
の下着を作った人たちを探しに旅に出
た。
ケルシー・ティママンは、彼の著
書『僕の服はどこで作られたのか』の
中で、バングラデシュ、カンボディ
ア、中国、そしてホンジュラスへの旅
について書いている。今回は準備万
端、工場の住所を確認し、地元の人に
連絡をとりつけた。これらの国々で、
彼は工場を訪れ、スタッフや経営者と
話をした。労働者と行動を共にして、
彼らの日常生活や仕事を観察し、彼ら
が田舎の村に帰るときには同行させて
もらった。また彼はILO(国際労働連
盟)のカンボディア代表にも会った。
I L Oにより、カンボディアの縫製工場
は厳しくモニターされている。CARE
やUNIFEM(国連・女性のための発展
基金)やVision & Oxfamなどの団体
は、労働者を支援また教育している。
それにカンボディアには、良きにつけ
悪しきにつけ、労働者に彼らの権利に
ついて教えるたくさんの労働組合があ
る。ケルシーはこう書いている、 “ カ
ンボディアの衣類製造工場は、人権問
題について非常によく規制され、上手
く運営されている、世界のお手本とな
る最高水準の労働環境と言えるだろ
う。”
バングラデシュで、ケルシーはビ
ビ・ラッセルと会った。ビビは1980年
代にヴォーグ、コスモ、ハーパーズ・
バザーのページを飾った国際的な元
ファッションモデルである。彼女は、
ビビ・プロダクションを立ち上げて、
バングラデシュとインドの村人が従事
している織物業を支援して世界的なビ
ジネスに導いた。何が売れるのか、何
が流行なのか、どうやって世界のマー
ケットにアクセスするのかをビビは彼
らに教えたのである。彼女の無私の働
きぶりが評価され、ビビはU N E S C O
の発展指導特使に任命されている。
普通の銀行では資金を借りられな
い貧しい人達に小額のローンを貸付け
るグラミーン銀行を立ち上げたムハマ
ド・ユヌスはノーベル平和賞受賞者で
ある。ケルシーはバングラデシュでそ
の貸付プログラムが効を奏していると
ころを視察した。ケルシーはこう書い
ている、 “貧困国では、希望はお金同
様供給不足である。子供達に大人に
なったら何がしたいかと聞いたら、彼
らに頭がおかしいと思われるだろう。
子供達は自分達の未来を知っている。
彼らは両親と同じようにその日暮らし
をすることしか生活の方法を知らない
のだ。しかしビビやグラミーン銀行な
どの貢献によって、今後バングラデ
シュの人々の希望は大きく膨らんでい
く可能性がある。”
中国は全く事情が違う。“中国の実
情については議論が分かれるところで
ある。4億以上の中国人は経済の急成
長により貧困から脱却した。世の中に
は色々な‘自由’があるが、一番重要な
タイプの自由とは、空腹でないこと、
貧困でないこと、即ち生き延びること
が出来る自由だろう。しかし13億の中
国人が持っていない大事な自由があ
る。 ”つまり、中国には労働組合や国
際的な人権に関する監視が無いのだ。
旅を終えてアメリカに帰ったケル
シーは、責任ある消費の仕方を考え、
世界と地方を同時に見る視点を持つこ
と、即ちグローカル(グローバル+
ローカル)であることを目指すように
なった。発展途上国の衣類製造業を訪
ねる旅は、彼にどうすれば良い隣人、
良い消費者、良いボランティアになれ
るかを考えさせるようになったのであ
る。
2 0 1 2 年に改訂された彼の本の中
で、ケルシーは最初の旅で出会った人
達と再会し、彼らのその後を描いてい
る。彼はまた、最近創設された “経営
責任プログラム ” について言及してい
る。このプログラムの趣旨は、縫製業
の社会的、環境的マイナスの影響を無
くすよう雇用者を指導支援することで
ある。
訳:神村伸子(Nobuko Kamimura)
June / July 2012 i-News 18
I-News 94 October/November 2013 the Autumn Issue 18