不思議の国のアリスたち - J.O.L.I. Toulouse

不思議の
不思議の国のアリスたち
アリスたち
-南フランスの
フランスの一軒家に
一軒家に集まる5
まる5人の未亡人たちの
未亡人たちの物語
たちの物語り
物語り-
小畑リアンヌ
小畑リアンヌ
1、
2、
3、
4、
5、
6、
7、
8、
9、
10、
10、
11、
11、
12、
12、
信子の
信子の場合
義美の
義美の場合
礼子の
礼子の場合
智恵の
智恵の場合
仁子の
仁子の場合
到着
53
パリで
64
パリで
礼子の
礼子の問題
76
トゥールーズの
トゥールーズの街へ
智恵の
智恵の決断
仁子の
仁子の想い
礼子からの
礼子からの返事
からの返事
第六話、
第六話、到着
最初に
最初に到着したのは
到着したのは、
したのは、義美だった
義美だった。
だった。
何度か
何度かメールで
メールで打診をしてきたがはっきり
打診をしてきたがはっきり到着日
をしてきたがはっきり到着日どころか
到着日どころか滞在
どころか滞在するのか
滞在するのか
さえも言
さえも言わず何週間
わず何週間が
何週間が過ぎたある
ぎたある日
ある日、仁子は
仁子は日曜の
日曜の朝の 8 時に枕元に
枕元に置
き忘れたケイタイ
れたケイタイの
ケイタイのスエーデンの
スエーデンのダンス音楽
ダンス音楽でたたき
音楽でたたき起
でたたき起こされた。
こされた。
「もしもし、
もしもし、仁子さんよね
仁子さんよね、
さんよね、ほらこの間
ほらこの間から何度
から何度か
何度かメールした
メールした義美
した義美で
義美で
す」一方的に
一方的に義美は
義美は朝の挨拶もなく
挨拶もなく用件
もなく用件だけを
用件だけを伝
だけを伝えた。
えた。
53
「4 日後の
日後の午後 6 時にKLMの
KLMのXX便
XX便で着きますのでよろしく。
きますのでよろしく。契約書
はその時
はその時でいいかしら」
でいいかしら」
仁子は
仁子は釈然としない
釈然としない頭
としない頭の中でまだ自分
でまだ自分の
自分の名前を
名前を言われている相手
われている相手が
相手が誰な
のか聞
のか聞き取れないまま、「
れないまま、「そうですか
、「そうですか、
そうですか、じゃあ空港
じゃあ空港でお
空港でお待
でお待ちしていま
す」と答えていた。
えていた。
メールの
メールの広告では
広告では迎
では迎えはしないと書
えはしないと書いたはずだが、
いたはずだが、自分自身すっか
自分自身すっかりそ
すっかりそ
のことを忘
のことを忘れていた。
れていた。
「じゃあ、
じゃあ、よろしくね。
よろしくね。今そっちのお天気
そっちのお天気はどう
天気はどう?
はどう?水着を
水着を持っていった
方がいいかしら。
がいいかしら。これケイタイ
これケイタイなの
まあいいわ、自分で
自分で決めるわ」
めるわ」そ
ケイタイなの。
なの。まあいいわ、
れだけを一方的
れだけを一方的に
一方的に言われ切
われ切られた。
られた。携帯で
携帯で掛けてくるのは固定電話
けてくるのは固定電話より
固定電話より
ぐんと価格
ぐんと価格が
価格が上がる。
がる。まだフランス
まだフランスのような
フランスのような低価格
のような低価格の
低価格の固定電話システム
固定電話システム
がないのだろう。
がないのだろう。
ベッドから
ベッドから起
から起き上がった仁子
がった仁子は
仁子は昨日飲みすぎたことを
昨日飲みすぎたことを後悔
みすぎたことを後悔した
後悔した。
した。いった
い誰が連絡してきたのかはっきり
連絡してきたのかはっきり理解出来
してきたのかはっきり理解出来なかった
理解出来なかった、
なかった、一応何時につくか
一応何時につくか
はメモったのだけど
メモったのだけど。
ったのだけど。これでは分
これでは分からない。KLM
からない。KLMで
。KLMで来ると言
ると言ったから、
ったから、
日本から
日本からアムス
からアムステムダム
アムステムダムで
テムダムで乗りついてくる信子
りついてくる信子と
信子とバーミンガムからの
バーミンガムからの義
からの義
54
美がいる。
がいる。信子は
信子は来週到着と
来週到着と聞いていた筈
いていた筈、変更になったのかも
変更になったのかも知
になったのかも知れな
い。時間的にも
時間的にも信子
にも信子の
信子の方が可能性が
可能性が高い。義美のほうはというと
義美のほうはというと何度
のほうはというと何度か
何度か
部屋の
部屋の状態、
状態、気候、
気候、トゥールーズまでの
トゥールーズまでの距離
までの距離や
距離や料金など
料金など散
など散々質問してき
質問してき
ては考
ては考えますと言
えますと言ったり、
ったり、夕食付きでなら
夕食付きでなら泊
きでなら泊りたいと言
りたいと言ったり、
ったり、やはり
行かないと行
かないと行ってきたりで散
ってきたりで散々振り回され要領
され要領が
要領が得なかったが、
なかったが、彼女の
彼女の
可能性もある
可能性もある。
もある。もし義美
もし義美としたら
義美としたらイギリス
としたらイギリスから
イギリスから掛
から掛けてきたことになるの
で、零時を
零時を示すグリーニッチのある
グリーニッチのあるイギリス
のあるイギリスでは
イギリスではサマータイム
ではサマータイムは
サマータイムはヨーロ
ッパのように
ッパのように合
のように合わせて儲
わせて儲けていたが、
けていたが、フランスのように
フランスのように一年中
のように一年中を
一年中を通じて
時間を
時間を早めていないからあの電話
めていないからあの電話は
電話は朝 7 時に掛けて来
けて来たことになる。
たことになる。日
曜日にこんな
曜日にこんな朝早
にこんな朝早く
朝早く電話を
電話を掛けてよこすだろうか。
けてよこすだろうか。一抹の
一抹の不安は
不安は残った
が。まあ、
まあ、直接空港に
直接空港に迎えに行
えに行くしかないとあきらめることにした。
くしかないとあきらめることにした。
怒涛のような
怒涛のような悲
のような悲しみを体験
しみを体験したものにとってもう
体験したものにとってもう何
したものにとってもう何に対しても動揺
しても動揺する
動揺する
ことは無
ことは無くなっていた。
くなっていた。それがいまの仁子
それがいまの仁子であった
仁子であった。
であった。
*
午後 6 時と言うのはいくらこんな田舎町
うのはいくらこんな田舎町でも
田舎町でも会社帰
でも会社帰りの
会社帰りの車
りの車であふれてい
る、しかも車社会
しかも車社会のこの
車社会のこの町
のこの町も交通網は
交通網は整理され
整理され、
され、パリのように
パリのように市内
のように市内を
市内を取
55
り巻く無料高速道路があるからだろう
無料高速道路があるからだろう。
があるからだろう。以前は
以前は 110KM
110KM出
KM出せたが、
せたが、4 年
も前より最近
より最近の
最近のCO2
CO2 削減にあわせて
削減にあわせて 90KM
90KMに
KMに最高時速が
最高時速が落されていた。
されていた。
ブラニャック空港
ブラニャック空港、
空港、トゥールーズからわずか
トゥールーズからわずか 15Km
15Kmの
Kmの空港は
空港はエアーバス
産業、
産業、宇宙開発、
宇宙開発、コンピューター産業
コンピューター産業の
産業の急激な
急激な発達の
発達の影響で
影響で急遽空港自
体が 3 倍にも膨
にも膨れ上がっていた。
がっていた。工事につぐ
工事につぐ工事
につぐ工事、
工事、不況と
不況と言いながらも
この街
この街の産業にはあまり
産業にはあまり影響
にはあまり影響なく
影響なく、
なく、工事は
工事は地方を
地方を吸収して
吸収して進
して進められてい
く。仁子は
仁子は新しいパーキング
しいパーキング場
パーキング場の入り口が見つからず、
つからず、空港内の
空港内の巨大な
巨大な
建物には
建物には 10 分ほど遅
ほど遅れて入
れて入った。
った。普通どんな
普通どんな飛行機
どんな飛行機も
飛行機も予定通り
予定通り到着し
到着し
たとしても
たとしても空港内
ても空港内まで
空港内まで出
まで出るのに少
るのに少なくとも 15 分ぐらいは掛
ぐらいは掛かるだろう
と高をくっていたが、
をくっていたが、以外にも
以外にもエールフランス
提携しているKLM
にもエールフランスと
エールフランスと提携している
しているKLMは
KLMは
スムーズに
スムーズに固定の
固定の場所が
場所が確保され
確保され乗客
され乗客は
乗客は何の遅れもなく出
れもなく出てきていた。
てきていた。
あわてて入
あわてて入った仁子
った仁子は
仁子は後からスーツケース
からスーツケースを
スーツケースを引いた背
いた背の高い、まるでス
まるでス
チワーデスを
チワーデスを思い出させる紺色
させる紺色に
紺色に赤いベルトで
ベルトで統一された
統一されたパンツルック
されたパンツルック
の女性に
女性に声掛けられた
声掛けられた。
けられた。
「私が義美です
義美です」
です」身長 168cm
168cmのすらっとした
cmのすらっとした女性
のすらっとした女性は
女性は仁子を
仁子を見下ろした
見下ろした。
ろした。
56
「すみません、
すみません、仁子です
仁子です。
です。遅くなって」
くなって」仁子はそう
仁子はそう言
はそう言うと手
うと手を出してス
してス
ーツケースを
ーツケースを持とうとした。
とうとした。
「いいわ、
いいわ、これは大事
これは大事にしている
大事にしている鞄
にしている鞄だから汚
だから汚したくないの。
したくないの。こっちを持
こっちを持
ってくださる」
ってくださる」黒い機内持ち
機内持ち込みの重
みの重い鞄を差し出された。
された。
「重いでしょう、
いでしょう、20kg
20kgまでだから
kgまでだから本
までだから本とかかさばるものはそっちに入
とかかさばるものはそっちに入れ
たのよ。
たのよ。それに後
それに後で少し息子が
息子が荷物を
荷物を車で運んでくれる予定
んでくれる予定になってい
予定になってい
るから。
るから。でも、
でも、お部屋に
部屋に入るかしら」
るかしら」
義美にあてがった
義美にあてがった部屋
ミシェルが病気になる
病気になる以前
った娘の
にあてがった部屋は
部屋はミシェルが
になる以前から
以前から出
から出て行った娘
部屋を
部屋を絨毯のみを
絨毯のみを替
のみを替え、整理整頓した
整理整頓した 12 平方の
平方の東側だった
東側だった。
だった。
「入ると思
ると思いますが、
いますが、それより今夏
それより今夏なので
今夏なので昼間
なので昼間はよろい
昼間はよろい戸
はよろい戸を閉めないと
少し暑いかも知
いかも知れません」
れません」
ああ、
ああ、この人
この人が義美なのか
義美なのか。
なのか。と、仁子は
仁子は想像していた
想像していた以上
していた以上だと
以上だと思
だと思った。
った。
「あら、
あら、もう同居人
もう同居人になるのだから
同居人になるのだから、
になるのだから、敬語はやめましょうね
敬語はやめましょうね」
はやめましょうね」と意外な
意外な
言葉が
言葉が彼女の
彼女の口から出
から出た。敬語ではない
敬語ではない丁寧語
ではない丁寧語だがやはり
丁寧語だがやはり共同生活
だがやはり共同生活には
共同生活には
57
邪魔になる
邪魔になる。
になる。ただこの場合最初
ただこの場合最初から
場合最初から友達
から友達づきあいとは
友達づきあいとは行
づきあいとは行かないし、
かないし、大家
と住人という
住人という風
という風にもしたくない。
にもしたくない。まあそれは徐
まあそれは徐々に考えればいい。
えればいい。
そういえば他
そういえば他の誰とも契約書
とも契約書の
契約書の書類の
書類の話はしなかったが、
はしなかったが、この人
この人とは最
とは最
初からその話
からその話が出ていた。
ていた。要するに向
するに向こうは強
こうは強くはっきり出
くはっきり出てきたわけ
だ。それはかまわないと仁子
それはかまわないと仁子は
仁子は思った。
った。
飛行場を
飛行場を出るとすぐに高速
るとすぐに高速に
高速に入っていく。
ていく。家までは 25 分ぐらい。
ぐらい。初め
て話す感じでもないが、
じでもないが、顔を見て話すのとはわけが違
すのとはわけが違う。しかも声
しかも声と言
うものは顔
うものは顔が最初の
最初の印象として
印象として残
として残るので声
るので声は後でついてくる。
でついてくる。まるで雷
まるで雷
のように一瞬光
のように一瞬光り
その何秒か
不思議なものだ
一瞬光り、その何秒
何秒か後に音が鳴る。人の顔は不思議なものだ
と仁子は
仁子は思った。
った。一瞬見た
一瞬見た顔は声とあっていなかった。
とあっていなかった。彼女の
彼女の場合全体
的に綺麗だが
綺麗だが、
だが、顔はどこか一点
はどこか一点そう
一点そう鼻
そう鼻が上を向いていて少
いていて少しまとまりに
掛けた。
けた。仁子は
仁子は日本で
日本で油絵をしていたし
油絵をしていたし、
をしていたし、フランスへ
フランスへ来て最初のころは
最初のころは
美術大学にも
美術大学にも通
にも通った経験
った経験があるので
経験があるので彼女
があるので彼女の
彼女の顔を描けといわれれば、
けといわれれば、パリ
のモンマルトルの
モンマルトルの絵描きとは
絵描きとは行
きとは行かないまでも描
ないまでも描いて見
いて見せることはできる。
せることはできる。
車の中で、義美は
義美は外の景色よりも
景色よりも長袖
よりも長袖を
長袖を着てきたことをしきりに話
てきたことをしきりに話した。
した。
ロンドンを
ロンドンを出たときは雨
たときは雨でじとじとしていたと。
でじとじとしていたと。でもここは空港
でもここは空港に
空港に着い
58
たとたんに 30 度は超えている夏
えている夏らしい気温
らしい気温に
気温に驚いたこと。
いたこと。息子が
息子がミデ
ィピレネ運河
ィピレネ運河の
運河の近くのマンション
くのマンションの
マンションのワンルームを
ワンルームを借りたことなどを話
りたことなどを話し
た。運転している
運転している仁子
している仁子は
仁子は軽く返事をしたが
返事をしたが、
をしたが、時折自分から
時折自分から話
から話しかけたこ
とは一応風景
とは一応風景のことを
一応風景のことを簡単
のことを簡単に
簡単に要約しただけだった
要約しただけだった。
しただけだった。
今通っている
今通っている道路
っている道路の
道路の右側には
右側にはポールリケ
にはポールリケと
ポールリケと言う人が 14 世紀に
世紀に作ったボ
ったボ
ルドーと
ルドーとトゥールーズを
トゥールーズを結ぶ商業ための
商業ためのペニッシュ
ためのペニッシュ用
ペニッシュ用の運河と
運河と言うよう
に。このロカード
このロカードと
ロカードと呼ばれる高速道路
ばれる高速道路が
高速道路が旧市街を
旧市街を囲み右側は
右側は市内で
市内で左側
が郊外になっていることなど
郊外になっていることなど。
になっていることなど。そして 20 分も走ったころ右側
ったころ右側に
右側にシテド
エスパースと
エスパースと呼ばれるエキスポランド
ばれるエキスポランドのようなところに
エキスポランドのようなところにフランス
のようなところにフランス宇宙衛
フランス宇宙衛
星の、本当は
本当はグイヤンという
グイヤンというフランス
というフランス領土
フランス領土から
領土から発射
から発射される
発射されるアリアンヌ
されるアリアンヌV
アリアンヌV
の模型が
模型が作られ飾
られ飾られている説明
られている説明をしたが
説明をしたが、
をしたが、義美は
義美は殆ど興味がないと
興味がないと言
がないと言
う風でもあった。
でもあった。
「ここって骨董店
ここって骨董店ってあるかしら
骨董店ってあるかしら」
ってあるかしら」急に義美は
義美は話題を
話題を変えた。
えた。
「えっ、
えっ、あると思
あると思いますが、、、
いますが、、、今
、、、今は夏だから閉
だから閉まっているのじゃない
かしら」
かしら」ぎこちなく普通
ぎこちなく普通の
普通の言い方に変えた。
えた。
59
「あら、
あら、残念。
残念。私ね古いものが好
いものが好きなのよ。
きなのよ。南仏は
南仏はイギリス以上
イギリス以上にある
以上にある
と期待してきたのに
期待してきたのに」
してきたのに」まるで目的
まるで目的がそれのみだと
目的がそれのみだと言
がそれのみだと言わんばかりに彼女
わんばかりに彼女は
彼女は
残念がった
残念がった。
がった。
「じゃあ、
じゃあ、明日アルビ
明日アルビの
アルビの町へ行く前に一件寄りますか
一件寄りますか」
りますか」ようやく仁子
ようやく仁子は
仁子は
一件そういえば
一件そういえば骨董
そういえば骨董とは
骨董とは行
とは行かないまでもこちらでは古
かないまでもこちらでは古いものを持
いものを持ち込ん
で売ってもらう(
ってもらう(トロコント)
トロコント)と言うシステムを
システムを思い出した。
した。あそこな
ら彼女も
彼女も気に入るかもしれない。
るかもしれない。トロコントの
トロコントの話を具体的にしだすと
具体的にしだすと、
にしだすと、
「アルビってどこ
アルビってどこ」
ってどこ」今度は
今度は人の話も聞かず急
かず急に別のことを聞
のことを聞いてくる。
いてくる。
「アルビはほら
アルビはほら、
トゥールーズ・
ロートレックというムラーンルージュ
はほら、トゥールーズ
ルーズ・ロートレックという
というムラーンルージュ
を描いた画家
いた画家で
画家で、確か小説の
小説の“月と 6 ペンス”
ペンス”と言う題の、、、」
「ああ、
ああ、知ってるわ。
ってるわ。私本を
私本を読むのが好
むのが好きだから。
きだから。でも遠
でも遠いんじゃな
い?それに追加料金
それに追加料金を
追加料金を取られるんじゃ、、、」
られるんじゃ、、、」
「いえ、
いえ、これは私
これは私のサービスですから
サービスですから。
ですから。市内見学とここはこれから
市内見学とここはこれから一緒
とここはこれから一緒
に住む人に見せて上
せて上げたくて」
げたくて」本当は
本当は来週二人来るときに
来週二人来るときに同時
るときに同時に
同時に連れて
行きたがったが、
きたがったが、その方
その方が一度に
一度に済む。彼女が
彼女が今週来るとは
今週来るとは想像
るとは想像してい
想像してい
なかったので、
なかったので、彼女たちが
彼女たちが到着
たちが到着するまでのやることが
到着するまでのやることが思
するまでのやることが思い浮かばない。
かばない。
部屋を
部屋を貸すぐらいでここまですることもないが、
すぐらいでここまですることもないが、これは人間関係
れは人間関係の
人間関係の中で
60
観光は
観光は人を知るのにはいいかもしれないと仁子
るのにはいいかもしれないと仁子は
仁子は貸すと決
すと決めたその日
めたその日か
ら考えていた。
えていた。だが何
だが何の連絡もなく
連絡もなく予定
もなく予定より
予定より早
より早まった人
まった人をここまで親切
をここまで親切
に迎えることもないがまあ仕方
えることもないがまあ仕方がないとあきらめることにした
仕方がないとあきらめることにした。「
がないとあきらめることにした。「予定
。「予定
と言うものは合
うものは合ってない様
ってない様な物」フランスのことわざをふと
フランスのことわざをふと思
のことわざをふと思い出した。
した。
そしてもう一
そしてもう一つ。「トゥールーズ
。「トゥールーズの
トゥールーズの15分
15分」と言う言い回しはこちらの
人が必ず招待されても
招待されても15
されても15分
15分ぐらいは遅
ぐらいは遅れてやってくることから来
れてやってくることから来てい
る。今日の
今日の私はそれだわと自分
はそれだわと自分に
自分に言い聞かせた。
かせた。彼女は
彼女は迎えに遅
えに遅れたこ
とを言葉
とを言葉の
言葉の節でちくりと攻
でちくりと攻めたからだ。
めたからだ。
部屋に
部屋に案内すると
案内すると、
すると、鞄を広げ、シャワーを
シャワーを浴びたいと台所
びたいと台所で
台所で冷たい麦茶
たい麦茶
を用意していた
用意していた仁子
義美は聞こえるぐらいの大
こえるぐらいの大きな声
きな声で言った。
った。
していた仁子に
仁子に義美は
「どうぞ」
どうぞ」とは言
とは言ったが、
ったが、もう麦茶
もう麦茶は
麦茶は注いでいた。
いでいた。さっきお茶
さっきお茶はどうで
すかと訊
すかと訊ねたらほしいと言
ねたらほしいと言ったのはずの人
ったのはずの人が部屋に
部屋に入るともう別
るともう別のこと
にこだわっている。
にこだわっている。
仁子はこのとき
仁子はこのとき初
はこのとき初めて、
めて、彼女と
彼女と本当に
本当に契約していいのだろうかと
契約していいのだろうかと不安
していいのだろうかと不安が
不安が
よぎった。
よぎった。
*
61
アルビに
アルビに到着したのは
到着したのは車
したのは車を走らせてから 1 時間ぐらいだろうか
時間ぐらいだろうか。
ぐらいだろうか。仁子は
仁子は
このタルヌ
このタルヌ県
タルヌ県には小高
には小高い
小高い山などがあり、
などがあり、静かに流
かに流れるタルヌ
れるタルヌ川
タルヌ川もあり昔
もあり昔
からの情緒
からの情緒ある
情緒ある風景
ある風景を
風景を説明してい
説明している
している間、義美はときどき
義美はときどきカメラ
はときどきカメラを
カメラを向けて
シャッターを
シャッターを切ってはいたが、
ってはいたが、
「私ね、イギリスの
イギリスの方が好きなのよ。
きなのよ。フランス人
フランス人て昔から苦手
から苦手だったの
苦手だったの
よね。
よね。ほら、
ほら、イギリス人
イギリス人は親切だけど
親切だけど、、、
だけど、、、ね
、、、ね」
「まあ、
まあ、人それぞれだから、
それぞれだから、一概には
一概には言
には言えないのじゃないかしら」
えないのじゃないかしら」よう
やく仁子
やく仁子もこのまま
仁子もこのまま彼女
もこのまま彼女に
彼女に主導権を
主導権を奪われてもいけないと意識
われてもいけないと意識し
意識し始めた。
めた。
文章にするとかなりきついことも
文章にするとかなりきついことも書
けるけど、仁子は
仁子は内心では
内心では人
には弱
にするとかなりきついことも書けるけど、
では人には弱
い自分を
自分を知っていた。
っていた。
有料駐車場には
有料駐車場には入
には入らず、
らず、2 周して路上
して路上の
路上のパーキングの
パーキングの空を見つけ、
つけ、簡単
に縦列駐車をすると
縦列駐車をすると、
をすると、義美は
義美は驚いて見
いて見せた。
せた。そこから 5 分ほど歩
ほど歩き、レ
ンガで
ンガで造られた教会
られた教会では
教会では世界一
では世界一の
世界一のサン・
サン・セシル教会
セシル教会を
教会を見せると義美
せると義美はや
義美はや
っとその規模
っとその規模に
規模に驚いて、
いて、仁子にしていた
仁子にしていた態度
にしていた態度を
態度を少し和らげ始
らげ始める。
める。その
教会の
教会の近くにはロートレック
くにはロートレック美術館
ロートレック美術館があった
美術館があった。
があった。貴族の
貴族の名門の
名門の子として生
として生
まれたロートレック
まれたロートレックが
ロートレックが骨の病気で
病気で身長が
身長が伸びず、
びず、アルコールに
アルコールに溺れなが
62
ら描いた作品
いた作品に
作品に仁子は
仁子は始めてきたとき心
めてきたとき心が動かされたことを思
かされたことを思い出す。
義美が
義美が美術館を
美術館を見学している
見学している間何度
している間何度も
間何度も入ったことがあるので仁子
ったことがあるので仁子は
仁子は待つ
間その近
その近くにあるレストラン
くにあるレストランで
レストランでビールを
ビールを注文した
注文した。
した。
「アン、
アン、ドゥミ、
ドゥミ、シルブプレ」
シルブプレ」250cc
250ccを
ccを注文するとき
注文するとき特別
するとき特別の
特別のビールを
ビールを
指定しない
指定しない限
しない限り、カウンターの
カウンターの樽のビールが
ビールが注がれる。
がれる。その方
その方が瓶ビー
ルよりはるかに冷
よりはるかに冷たくておいしい。
たくておいしい。仁子は
仁子は運転しているのにも
運転しているのにも関
しているのにも関わらず
よく一杯
よく一杯の
一杯のワインぐらいは
ワインぐらいは昼食時
ぐらいは昼食時は
昼食時は飲んでしまう。
んでしまう。フランスでは
フランスでは血液
では血液の
血液の
中のアルコール量
アルコール量が一定の
一定の限度までならば
限度までならば飲
までならば飲んでもかまわないことにな
っている。
っている。それは男性
それは男性では
男性では、
では、体重に
体重に応じてではあったが一般
じてではあったが一般に
一般にワイング
ラスで
ラスで 2 杯分、
杯分、女性は
女性は 1 杯半。
杯半。さすがワイン
さすがワインの
めば運転を
ワインの国で飲めば運転
運転を控える
なんて法律
なんて法律ができてしまえば
法律ができてしまえば経済
ができてしまえば経済にまでひびく
経済にまでひびく。
にまでひびく。ましてやフランス
ましてやフランス人自
フランス人自
体が益々ワインを
ワインを飲まなくなってきている時代
まなくなってきている時代でもある
時代でもある。
でもある。日本はその
日本はその逆
はその逆
ではないだろうか。
ではないだろうか。中国も
中国もワイン輸出量
ワイン輸出量が
輸出量が増え続けている。
けている。仁子は
仁子は本当
はロゼの
ロゼの冷えたワイン
えたワインが
ワインが飲みたかったがさすがに昼間
みたかったがさすがに昼間から
昼間から食事中
から食事中でない
食事中でない
ときは何故
ときは何故か
何故か気がとがめた。
がとがめた。
63
案内で
案内で疲れた仁子
れた仁子は
仁子は義美が
義美が出てきてもすぐ分
てきてもすぐ分かる一番前
かる一番前の
一番前の席を取り、先
ほどインフォメーション
ほどインフォメーションで
インフォメーションで手に入れたパンフレット
れたパンフレットに
パンフレットに目を通す時間がで
時間がで
きたことに満足
きたことに満足していた
満足していた。
していた。
「ALBI LABEL VIE アルビ、
アルビ、らベル・
ベル・ヴィ」
ヴィ」2009 年版の
年版の
日本語パフレット
日本語パフレットにはそう
パフレットにはそう書
にはそう書かれていた。
かれていた。カタカナとひらがなを
カタカナとひらがなを混
とひらがなを混ぜた
書き方、いったい誰
いったい誰が訳したのか気
したのか気になった。
になった。らベル・
ベル・ヴィには
ヴィには意味
には意味が
意味が
ある。ちょっとした洒落
ちょっとした洒落が
洒落が使われているのに誰
われているのに誰がわかるだろうか。
がわかるだろうか。ふと
仁子はそう
仁子はそう思
はそう思った。LABEL
った。LABELと
。LABELとフランス語
フランス語のパンフレットには
パンフレットには書
には書かれ
ていたが英語
ていたが英語がわざと
英語がわざと使
がわざと使われている。
われている。それは品質保証
それは品質保証の
品質保証の意味の
意味の英語と
英語とフ
ランス語
ランス語のLA BELL「美
BELL「美しい」
しい」という意味
という意味を
意味を兼ね備えているそん
な「生活を
生活を」と言うことだが、、、
うことだが、、、ふと
、、、ふと仁子
ふと仁子は
仁子は、
ビールの
ビールの程よい酔
よい酔いも混
いも混じって変
じって変っていくものの中
っていくものの中で一人だけ
一人だけ取
だけ取り残さ
れるような思
れるような思いに取
いに取られる。
られる。
白いワイシャツに
ワイシャツに黒いエプロンを
エプロンを着た耳の長い給仕が
給仕がポケットから
ポケットから懐中
から懐中
時計を
時計を出し時間を
時間を気にしながら彼女
にしながら彼女をちらっと
彼女をちらっと見
をちらっと見た後、奥のうほうに入
のうほうに入
っていった。
っていった。
64
第七話、
第七話、パリで
パリで
信子が
信子がパリに
パリに着いたのは朝一番早
いたのは朝一番早い
朝一番早い便だった。
だった。カタガタと
カタガタと色々な洗剤な
洗剤な
どが入
どが入った大
った大きな荷物車
きな荷物車を
荷物車を押しながら掃除夫
しながら掃除夫らしい
掃除夫らしい人
らしい人が横切る
横切る。シャル
ルドゴール空港
ルドゴール空港にはまだ
空港にはまだカフェ
にはまだカフェを
カフェを飲む喫茶店ですら
喫茶店ですら開
ですら開いていなかった。
いていなかった。
人影がまばらな
人影がまばらな空港内
がまばらな空港内は
空港内は寂しい。
しい。ふとそう思
ふとそう思った。
った。疲れて着
れて着いたパリ
いたパリ、
パリ、
荷物を
荷物を取り税関を
税関を出るとフラッシュ
るとフラッシュをたかれたかのように
フラッシュをたかれたかのように待
をたかれたかのように待ち受ける
数々の人たち、
たち、その中
その中にはかつて信子
にはかつて信子が
信子が愛した人
した人の姿はない。
はない。家族、
家族、友
人で抱きしめあっている人
きしめあっている人たちを横目
たちを横目でその
横目でその場
でその場を一人通り
一人通り過ぎる。
ぎる。
ふっと空港内
ふっと空港内か
空港内から出たときため息
たときため息が出た。何年ぶりだろうこの
何年ぶりだろうこの地
ぶりだろうこの地を踏む
のは。
のは。
そのまま直通
そのまま直通で
直通で空港内で
空港内で乗り換えてトゥールーズ
えてトゥールーズまで
トゥールーズまで行
まで行くこともできた
が、信子は
信子は一日を
一日をサンジェルマン近
サンジェルマン近くの三
くの三ツ星ホテルに
ホテルに予約をした
予約をした。
をした。オ
65
ーナーが
ーナーが日本びいきで
日本びいきで昔
びいきで昔パリで
パリで働いていたころよくここを友人
いていたころよくここを友人に
友人に紹介し
紹介し
たことがある。
たことがある。まさか自分
まさか自分が
自分が今日ここに
今日ここに泊
ここに泊るとは想像
るとは想像もしていなかった
想像もしていなかった。
もしていなかった。
信子にはやらなければいけないことがあった
信子にはやらなければいけないことがあった。
にはやらなければいけないことがあった。それは 3 区に今も住んで
いる義母
いる義母に
義母に会うためと訪
うためと訪れたいある場所
れたいある場所のための
場所のための時間
のための時間を
時間を割いたのだ。
いたのだ。
真夏のせいか
真夏のせいか逆
のせいか逆にパリには
パリには華
には華やかさが欠
やかさが欠けている。
けている。この時期
この時期パリジャン
時期パリジャン
は海や山にヴァケーションに
ヴァケーションに行き、わずか残
わずか残った人
った人と観光客が
観光客が同じぐら
いの人数
いの人数になっている
人数になっている。
になっている。セーヌ河沿
セーヌ河沿いには
河沿いにはパリ
いにはパリ・
パリ・プラージュと
プラージュと呼ばれる
浜辺が
浜辺が簡易で
簡易で作られ大勢
られ大勢の
大勢の人が何台もの
何台ものトラック
ものトラックで
トラックで運ばれた人工
ばれた人工の
人工の砂の
上で水着になり
水着になり寝
になり寝そべっている。
そべっている。その横
その横をリボリ通
リボリ通りを過
りを過ぎポンヌフか
ポンヌフか
らのバス
らのバスに
った。
バスに乗った。
何年ぶりで
何年ぶりで会
ぶりで会うだろうか、
うだろうか、ふと一抹
ふと一抹の
一抹の不安が
不安が湧いてきた。
いてきた。あれから連絡
あれから連絡
を怠ってきた。
ってきた。毎年のように
毎年のようにクリスマス
のようにクリスマスには
クリスマスにはカード
にはカードを
カードを送ったが、
ったが、彼女か
彼女か
ら返事が
返事が来たのは 3 年前だった
年前だった。
だった。
サン・
サン・ミッシェルの
ミッシェルのカルチエラタンに
カルチエラタンに足を踏み入れる。
れる。賑わっていたが
なぜか自
なぜか自分の入れるスペース
れるスペースはなくなってしまった
スペースはなくなってしまった感
はなくなってしまった感に襲われる。
われる。そこ
から裏側
から裏側の
裏側の狭い道を入っていくと幅
っていくと幅の狭い建物がひしめき
建物がひしめき合
がひしめき合っている。
っている。
66
その中
その中のブルーの
ブルーのペンキで
ペンキで何度も
何度も塗り返されたドア
されたドアに
ドアに手を掛けギーと
ギーと身
体ごと押
ごと押し中に進むと庭
むと庭があり奥
があり奥の方にもう一
にもう一つ別の木肌が
木肌が出たままの
壊れかけたドア
れかけたドアがあった
ドアがあった。
があった。
「ボンジュール、
ボンジュール、ここにジョリ
ここにジョリという
ジョリという名
という名のマダムが
マダムが住んでいると思
んでいると思うの
ですが、、、」
ですが、、、」若
、、、」若いアラブ系
アラブ系のコンシェルジュに
コンシェルジュに、ドアに
ドアに設けられた小
けられた小
さな窓口
さな窓口を
窓口を開けて声
けて声を掛ける。
ける。
「キ?(誰
?(誰?)」とまるで
?)」とまるで親切
とまるで親切のかけらもない
親切のかけらもない返事
のかけらもない返事をされてしまった
返事をされてしまった。
をされてしまった。
彼女は
彼女は自分の
自分の前に立つ東洋人を
東洋人を無視して
無視して小
して小さな窓
さな窓を閉めようとする。
めようとする。
「アパート何番
アパート何番に
何番に住んでいるマダム
んでいるマダムです
マダムです。
です。私は義娘で
義娘で、、、」無理
、、、」無理やり
無理やり
窓を抑えて押
えて押し切ってしゃべった。
ってしゃべった。久しぶりのフランス
しぶりのフランス語
フランス語だが、
だが、彼女よ
彼女よ
りまともに話
りまともに話せる。
せる。
髪を薄茶に
薄茶に染めた、
めた、まるで品
まるで品のひとつも感
のひとつも感じられないコンシエルジュ
じられないコンシエルジュは
コンシエルジュは
起きたばかりだと言
きたばかりだと言わんばかりにぶっきらぼうにこう答
わんばかりにぶっきらぼうにこう答えた。
えた。だが、
だが、相
手が自分より
自分よりフランス
よりフランス語
フランス語が上手いと
上手いと判
いと判ると態度
ると態度を
態度を変えて、
えて、あなたが言
あなたが言う
マダムは
マダムは今はいない。
はいない。三ヶ月前に
月前に大通りで
大通りで車
りで車に跳ねられて亡
ねられて亡くなった。
くなった。
67
警察が
警察が来て彼女の
彼女の部屋の
部屋の荷物はすべて
荷物はすべて片付
はすべて片付けられた
片付けられた。
けられた。彼女の
彼女の部屋は
部屋は検査
されたが身内
されたが身内がいるなんて
身内がいるなんて知
がいるなんて知らなかったから、
らなかったから、すべて残
すべて残った分
った分はこちら
が廃棄した
廃棄した。
した。悪く思わないでほしい。
わないでほしい。何故もっと
何故もっと前
もっと前に彼女に
彼女に連絡しなか
連絡しなか
ったのか、
ったのか、へえ、
へえ、あなたは日本人
あなたは日本人なの
日本人なの。
なの。でも一応義娘
でも一応義娘(
一応義娘(むすめ)
むすめ)でしょ
う。70 歳以上の
歳以上の人を一人でほって
一人でほって置
でほって置くなんて人間
くなんて人間のやることじゃない
人間のやることじゃない。
のやることじゃない。
アルジェリアじゃ
アルジェリアじゃ誰
じゃ誰もこんな仕打
もこんな仕打ちはしないわよ
仕打ちはしないわよ。
ちはしないわよ。今度は
今度は彼女は
彼女は向こう
側からこちらの落
からこちらの落ち度を攻めている。
めている。もし何
もし何か言いたいことがあれば警
いたいことがあれば警
察に届けてあるから行
けてあるから行けばいい。
けばいい。もしかしたら老女
もしかしたら老女の
老女の遺品もまだ
遺品もまだ残
もまだ残って
いるかも知
いるかも知れない。
れない。じゃあ、
じゃあ、私は忙しいからと小
しいからと小さな紙
さな紙切れを渡
れを渡されて
ピシャッと
ピシャッと窓を閉められた。
められた。
信子は
信子は呆然とした
呆然とした。
とした。病気で
病気で死んだのではなかったことだけがせめてもの
救いだろうか。
いだろうか。
その日
その日、ホテルに
ホテルに荷物を
荷物を置いて休
いて休む暇もなく、
もなく、紙切れに
紙切れに書
れに書かれていた住
かれていた住
所の警察署へ
警察署へ行き、こちらの事情
こちらの事情を
事情を話し、交通事故の
交通事故の事情を
事情を訊ね、これ
から滞在
から滞在する
滞在するトゥールーズ
するトゥールーズの
トゥールーズの住所も
住所も渡した。
した。もしかしたら公証人
もしかしたら公証人からあ
公証人からあ
なたに連絡
なたに連絡が
連絡が入るかも分
るかも分からないからと。
からないからと。それにしても今日
それにしても今日で
今日で二人目だ
二人目だ
68
と同じ人のことを訪
のことを訪ねてきたのはとちらっとこちらの様子
ねてきたのはとちらっとこちらの様子を
様子を伺いながら
それでも警察官
それでも警察官は
警察官は事務的に
事務的に応対した
応対した。
した。
いったい誰
いったい誰が尋ねてきたというのだ
ねてきたというのだ。
のだ。しかも今日
しかも今日と
今日と彼は言った。
った。信子は
信子は
その足
その足でメトロに
メトロに乗りモンマルトルの
モンマルトルの墓に出かけた。
かけた。近くでクロワッサ
くでクロワッサ
ンとジュースと
ジュースとカフェオーレだけの
カフェオーレだけの簡単
だけの簡単な
簡単な朝食をやっと
朝食をやっと口
をやっと口にすることが
できた。
できた。その後
その後、花屋に
花屋に寄り白いバラと
バラと黄色い
黄色いバラを
バラをブーケにしてもら
ブーケにしてもら
った。
った。花屋は
花屋は無料だからと
無料だからとユーカリ
だからとユーカリの
ユーカリの葉をつけようとしたが、
をつけようとしたが、信子は
信子は何
も要らないと断
らないと断る。ユーカリの
ユーカリの匂いは大嫌
いは大嫌いだ
大嫌いだ。
いだ。ユリの
ユリの匂いもきつすぎ
る。本当は
本当はバラも
バラも好きではなかったが、
きではなかったが、手に白いマーガレットの
マーガレットの花を抱
えて義母
えて義母に
めて会いに行
いに行ったとき、
ったとき、ドアが
ドアが内側に
内側に開けられ、
けられ、出てきた
義母に初めて会
その人
その人に挨拶の
挨拶のキスよりも
キスよりも先
よりも先に、
「あら、
あら、マーガレット?
マーガレット?私はどちらかと言
はどちらかと言うと黄色
うと黄色い
黄色いバラの
バラの花のほうが
好きなのよ」
きなのよ」と花を受け取りながらそう言
りながらそう言って部屋
って部屋の
部屋の中に入れてもらっ
たことを思
たことを思い出した。
した。
白いバラは
バラは彼のため、
のため、そして黄色
そして黄色は
黄色は義母に
義母に、、、18
、、、18 区にあるモンマルト
にあるモンマルト
ルの墓は今は観光客の
観光客の方が大勢いる
大勢いる。
いる。マロニエ、
マロニエ、菩提樹、
菩提樹、このてがしら
69
と言う垣根によく
垣根によく使
によく使われる杉
われる杉に近い木等で
木等で覆われた雄大
われた雄大なる
雄大なる敷地
なる敷地には
敷地には有
には有
名な作者、
作者、歌手政治家たちが
歌手政治家たちが眠
たちが眠っていた。
っていた。何度来ても
何度来ても場所
ても場所を
場所を迷ってしま
う。着替える
着替える暇
える暇もなくここに着
もなくここに着た信子ではあったが
信子ではあったが黒
ではあったが黒いパンタロンに
パンタロンに淡
いベージュの
ベージュのシルクの
シルクのノースリーブは
ノースリーブは静かな雰囲気
かな雰囲気に
雰囲気に合っていた。
っていた。
小さな墓石
さな墓石には
墓石には「
には「親愛なる
親愛なるジュリアン
なるジュリアン・
ジュリアン・ジョリ永久
ジョリ永久にここに
永久にここに眠
にここに眠る。母ジ
ョセフィンヌ」
ョセフィンヌ」と書かれている。
かれている。ヨーロッパでは
ヨーロッパでは名前
では名前の
名前の頭文字と
頭文字と苗字の
苗字の
頭文字を
頭文字を一緒にすることが
一緒にすることが多
にすることが多々ある。
ある。たとえばブリジット
たとえばブリジット・
ブリジット・バルドーの
バルドーの
BB、クロディア
BB、クロディア・
クロディア・カルディナーレの
カルディナーレのCCと
CCと言う風に。自分の
自分の夫はJJ
であった。
であった。母も同じ頭文字の
頭文字のJJ。今回
JJ。今回その
今回その横
その横にもう一
にもう一つの名前
つの名前が
名前が刻ま
れた墓石
れた墓石「
ジョセフィンヌ・ジョリ 2009 年X月X日ここに眠
ここに眠る」が記さ
墓石「ジョセフィンヌ・
れていた。
れていた。誰の手によって、
によって、信子は
信子は警察がこんなことをするはずはない
警察がこんなことをするはずはない。
がこんなことをするはずはない。
と確信していたから
確信していたから誰
していたから誰なのか検討
なのか検討もつかなかった
検討もつかなかった。
もつかなかった。
そしてそこには今訪
そしてそこには今訪れたばかりと
今訪れたばかりと思
れたばかりと思える大
える大きなマーガレット
きなマーガレットの
マーガレットの花束が
花束が無
造作に
造作に置かれていた。
かれていた。
覚悟していたとはいえ
覚悟していたとはいえ悲
していたとはいえ悲しみから逃
しみから逃れられるはずもない。
れられるはずもない。ひとりで居
ひとりで居る
ときは泣
ときは泣いた、
いた、声をあげて泣
をあげて泣いた。
いた。それこそ毎日
それこそ毎日のように
毎日のように泣
のように泣いた。
いた。
70
涙がたまりそれは池
がたまりそれは池になり、
になり、やがて川
やがて川になり、
になり、海のように大
のように大きく広
きく広がっ
ていった。
ていった。
抜け切れない、
れない、泳げない信子
げない信子はもがいた
信子はもがいた。
はもがいた。自分の
自分の涙で溺れるなんて真
れるなんて真っ
平だわ。
だわ。
「リーン」「
リーン」「リーン
」「リーン」「
リーン」「リーン
」「リーン」
リーン」
「マダムノブコ、
マダムノブコ、ボンジュール、
ボンジュール、今 7 時です。
です。ああ、
ああ、それから昨夜
それから昨夜、
昨夜、ム
ッシュ、
ッシュ、タケイからお
タケイからお電
からお電話がありました。
がありました。今日中に
今日中に連絡がほしいそうで
連絡がほしいそうで
す」
「えっ、
えっ、メルシ」
メルシ」
やっと、
やっと、信子は
信子は自分が
自分が今どこにいるか、
どこにいるか、ベッドの
ベッドの硬さの違
さの違い、受話器の
受話器の
横のアンチック風
アンチック風のランプを
ランプを見て気付いた
気付いた。
いた。
「マダム
ノブコだなんて
ノブコだなんて、
だなんて、苗字と
苗字と間違えているのだわ
間違えているのだわ。
えているのだわ。ここはパリ
ここはパリな
パリな
のよ。
のよ。武井さんが
武井さんが何
さんが何の用なのかしら。
なのかしら。出発前に
出発前に彼とはもう一度会
とはもう一度会って
一度会って話
って話
したはずなのに。
したはずなのに。まあいいわ。
まあいいわ。それより、
それより、11 時の便に間に合わなくなっ
71
てしまうわ」
てしまうわ」自分に
自分に言い聞かせながらもう一度
かせながらもう一度、「
一度、「メルシ
、「メルシ、
メルシ、朝食はどこ
朝食はどこ
で取れるかしら」
れるかしら」
「マダム、
マダム、一階の
一階のサロンの
サロンの横のサラモンジェに
サラモンジェにテーブルを
テーブルを用意し
用意していま
す」
「そう、
そう、メルシボクー」
メルシボクー」
「どういたしまして、
どういたしまして、マダムノブコ」
マダムノブコ」信子の
信子のフランス語
フランス語は完璧だった
完璧だった。
だった。
*
オルリー空港
オルリー空港は
空港はパリ近郊
パリ近郊の
近郊の南側の
南側の空港であった
空港であった。
であった。エールフランス航空会
エールフランス航空会
社がそこにもありパリ
がそこにもありパリ-
パリ-トゥールーズ間
トゥールーズ間を独占に
独占に近い形で1時間ごとに
時間ごとに
飛んでいた。
んでいた。初めて信子
めて信子は
信子はオルリースードから
オルリースードから飛
から飛び立つ。RER線
。RER線と呼
ばれる電車
ばれる電車から
電車から乗
から乗りついた空港
りついた空港までの
空港までのシャトル
までのシャトル用
シャトル用の電車に
電車に乗った信子
った信子は
信子は
170cm
170cmは
cmは越したハーフ
したハーフの
ハーフの娘を連れてスーツケース
れてスーツケースを
スーツケースを持っている日本女
っている日本女
性に声を掛けられた。
けられた。
72
「のぶこさ、、
のぶこさ、、ん
、、ん、あなた、
あなた、信子さんよね
信子さんよね。
さんよね。本当にお
本当にお久
にお久しぶり
しぶり。覚えて
いるかしら。
いるかしら。ほら智恵
ほら智恵よ
智恵よ。こっちはミレイユ
こっちはミレイユ。
ミレイユ。私の娘」黒一色に
黒一色に身を包
んだ智恵
んだ智恵は
智恵は微笑んで
微笑んで、
んで、信子の
信子の前に座ろうとした。
ろうとした。
「すみません、
すみません、パリには
パリには知
には知り合いは、、
いは、、でも
、、でも、
でも、ああ思
ああ思い出したわ。
したわ。智恵
さん。
さん。まだいたのね。
まだいたのね。日本に
日本に帰っていると思
っていると思っていたわ」
っていたわ」
「そのつもりだったけど、
そのつもりだったけど、だけど今
だけど今もこうしてフランス
もこうしてフランスに
フランスに住んでいるの。
んでいるの。
でも今日
でも今日は
今日は日本へ
日本へ少し帰るのよ。
るのよ。あなたも?」
あなたも?」
信子は
信子は昨日フランス
昨日フランスに
いたことを説明し
これからトゥールーズへ
フランスに着いたことを説明
説明し、これからトゥールーズ
トゥールーズへ向
かうことも少
かうことも少し簡単に
簡単に話した。
した。昔信子と
昔信子と智恵は
智恵はアリアンセ・
アリアンセ・フランセー
ズというフランス
というフランス語学校
フランス語学校で
語学校で知り合った。
った。何ヶ月かクラスが
クラスが一緒になった
一緒になった
ときクラス
ときクラスが
クラスが終わると調度裏側
わると調度裏側にある
調度裏側にある小
にある小さなカフェ
さなカフェでよく
カフェでよくエキスプレソ
でよくエキスプレソ
を一緒に
一緒に飲んだことがある。
んだことがある。もう二人
もう二人とも
二人ともエキスプレッソ
ともエキスプレッソを
エキスプレッソを殆ど飲めな
くなってしまっている。
くなってしまっている。
智恵は
智恵は以前はどこか
以前はどこか自分
はどこか自分の
自分の前にいる女性
にいる女性に
女性に打ち解けることはなかったの
に、なぜか何十年
なぜか何十年ぶりにあう
何十年ぶりにあう信子
ぶりにあう信子に
信子に疑心の
疑心の気持ちもなく
気持ちもなく素直
ちもなく素直に
素直に今失業に
今失業に
73
なり、
なり、これからの生活
これからの生活を
生活を真剣に
真剣に考えていること少
えていること少し話した。
した。智恵は
智恵は会社
をやめさせられたのを機会
をやめさせられたのを機会に
機会に二週間娘と
二週間娘と日本へ
日本へ行こうと決
こうと決めた。
めた。安い飛
行機会社を
行機会社を探したら台湾空港
したら台湾空港が
台湾空港がオルリーウエストつまり
オルリーウエストつまりオルリー
つまりオルリー空港
オルリー空港の
空港の
西側から
西側から出
から出ていることが分
ていることが分かった。
かった。この先
この先、日本にはそう
日本にはそう簡単
にはそう簡単には
簡単には帰
には帰れ
ないと覚悟
ないと覚悟した
覚悟した智恵
した智恵は
智恵は今回日本にいる
今回日本にいる老
にいる老いた母
いた母のことも気
のことも気になったので
日本へ
日本へ帰ることを瞬時
ることを瞬時に
瞬時に決めた。
めた。そしてこれからのことはフランス
そしてこれからのことはフランスに
フランスに戻
ってきてから決
ってきてから決めようとそれほど気
めようとそれほど気にもとがめていなかった。
にもとがめていなかった。
信子の
信子の方はまさかこんな電車
はまさかこんな電車の
電車の中で昔知り
昔知り合った人
った人と偶然にめぐり
偶然にめぐり合
にめぐり合え
るなんて。
るなんて。何か分からない渦
からない渦の中に巻き込まれていっている自分
まれていっている自分に
自分に恐怖
さえも覚
さえも覚えた。
えた。これからの道
これからの道はこのパリ
はこのパリの
のようなものかも知れない
パリの空のようなものかも知
まるで未知数
まるで未知数でありながら
未知数でありながら、
でありながら、何かわくわくするものを感
かわくわくするものを感じていることも
真実だっ
真実だった
だった。
智恵との
智恵との会話
との会話はほんの
会話はほんの数分
はほんの数分であったが
数分であったが、
であったが、この地
この地に来て初めての知人
めての知人に
知人に会
えたことが少
えたことが少し嬉しかった。
しかった。
最後に
最後に信子は
信子はトゥールーズで
トゥールーズで合流しないかと
合流しないかと提案
しないかと提案している
提案している自分
している自分がいるこ
自分がいるこ
とも不思議
とも不思議な
不思議な感じであったが、
じであったが、これはもしかしたらいい機会
これはもしかしたらいい機会かも
機会かも知
かも知れな
74
いし、
いし、昔から自分
から自分の
自分の道を進み、独立した
独立した考
した考えの彼女
えの彼女を
彼女を巻き込むのは悪
むのは悪く
ないかもしれないとふと信子
ないかもしれないとふと信子の
信子の中でシナリオのようなものが
シナリオのようなものが浮
のようなものが浮かび上
かび上が
った。
った。
「じゃあ、
じゃあ、私たちはここで降
たちはここで降りなきゃいけないから。
りなきゃいけないから。今の話考えてみる
話考えてみる
けど、
けど、たぶん無理
たぶん無理」
無理」横にいた娘
にいた娘も言葉が
言葉が分かるのか首
かるのか首を振っているのが
見えた。
えた。
「じゃあ、
ゃあ、また電話
また電話でもしてほしいけど
電話でもしてほしいけど」
でもしてほしいけど」あわてて信子
あわてて信子は
信子は鞄にあった紙
にあった紙
切れにこれから行
れにこれから行こうとしている場所
こうとしている場所の
場所の住所と
住所と電話番号を
電話番号を書いて渡
いて渡した。
した。
フランスに
フランスに着いたとき空港
いたとき空港の
税関や警察で
警察で何度か
何度か住所を
住所を書いたので手帳
いたので手帳
空港の税関や
を見なくとも書
なくとも書くことができた。
くことができた。
先に着いたオルリーウエスト
いたオルリーウエストの
オルリーウエストの駅、オートマチックの
オートマチックのドアが
ドアがブザーの
ブザーの音
と共に閉まり、
まり、二人は
二人は荷物を
荷物を引きながら振
きながら振り向きもせず少
きもせず少しずつ遠
しずつ遠ざか
って行
って行く姿を信子の
信子の目は離さなかった。
さなかった。
75
第八話、
第八話、
礼子の
礼子の問題
新しいページ
しいページを
ページを開いたとはいえ、
いたとはいえ、礼子にはひっかかるものが
礼子にはひっかかるものが心
にはひっかかるものが心の隅にま
だあった。
だあった。何故あの
何故あの時
あの時、「治
、「治ってほしいさん」
ってほしいさん」との関係
との関係をこんなに
関係をこんなに簡単
をこんなに簡単
に切ってしまったなんて。
ってしまったなんて。
あれからパリ
あれからパリを
パリを離れラボールの
ラボールの近くの一軒家
くの一軒家で
一軒家で今は静かに暮
かに暮らしている。
らしている。
この家
この家の名義は
名義は一応自分のものと
一応自分のものと言
のものと言えどそれは書類上
えどそれは書類上だけで
書類上だけで税金逃
だけで税金逃れに
税金逃れに
サインさせられたに
サインさせられたに過
させられたに過ぎない。
ぎない。それとは別
それとは別にいざ今
にいざ今の彼との関係
との関係がうま
関係がうま
く行かなくなったときにはこの家
かなくなったときにはこの家を彼に譲ると言
ると言う一筆を
一筆を公証人のとこ
公証人のとこ
ろで別
ろで別に書かされていた。
かされていた。
フランス人
フランス人はそういうところにはハッキリ
はそういうところにはハッキリした
ハッキリした意思
した意思と
意思と態度を
態度を示す。
新しくできた「
しくできた「パックス」
パックス」というフランス
というフランスの
フランスの制度は
制度は法律上のあいまいな
法律上のあいまいな
財産関係を
財産関係を円滑にするため
円滑にするため作
にするため作られたようなも
られたようなも。
たようなも。それは夫婦
それは夫婦でない
夫婦でない同棲者
でない同棲者
にもいざと言
にもいざと言うときに遺産相続人
うときに遺産相続人になれる
保障したものだが、
遺産相続人になれる権利
になれる権利を
権利を保障したものだが
したものだが、こ
の法律が
法律が意味するところは
意味するところは同姓
するところは同姓つまり
同姓つまりホモ
つまりホモや
ホモやレスビヤンに
レスビヤンに対しても権利
しても権利
76
を保障したので
保障したので、
したので、一時世論で
一時世論で話題になったがそれでも
話題になったがそれでも法律
になったがそれでも法律として
法律として成立
として成立さ
成立さ
れた。
れた。野党である
野党である社会党
である社会党の
社会党のパリ市長
パリ市長の
市長のドラノエ氏自
ドラノエ氏自らが
氏自らが自分
らが自分は
自分はホモであ
ホモであ
ることを公表
ることを公表し
公表し賛同した
賛同した。
した。日本だったらこんなことはありえない
日本だったらこんなことはありえない。
だったらこんなことはありえない。なの
にこの市長
にこの市長はそのあとも
市長はそのあとも未
はそのあとも未だ人気を
人気を誇っている。
っている。
この法律
この法律が
法律が出来た
出来た後で、日本人女性、
日本人女性、または日本人男性
または日本人男性と
日本人男性とフランス人男
フランス人男
性の間でも、
でも、パックスの
パックスの加入は
加入は婚姻よりも
婚姻よりも浸透
よりも浸透して
浸透していった
していった。
いった。なのに結婚
なのに結婚
でもない、
でもない、パックスをしている
パックスをしている同棲
をしている同棲というのでもない
同棲というのでもない、
というのでもない、自分の
自分の立場はい
立場はい
ったいなんなのだろう。
ったいなんなのだろう。今一緒に
今一緒に暮らしている人
らしている人には別
には別れられないフラ
れられないフラ
ンス人妻
ンス人妻と
人妻と、争っている彼
っている彼らの間
らの間には幼
には幼い男の子もいる。
もいる。そして、
そして、彼に
はそれにもまして自分
はそれにもまして自分の
地位を守りたい医者
りたい医者という
自分の地位を
医者という職業
という職業がある
職業がある。
がある。彼の妻
は仕事での
仕事での同僚
での同僚だった
同僚だった。
だった。
礼子はというと
礼子はというと、
はというと、京都の
京都の美大を
美大を卒業して
卒業して少
して少しの間広告会社
しの間広告会社に
間広告会社に就職はした
就職はした
が 25 歳のときに大都会
のときに大都会へ
大都会へ来るならいっそのことと会社
るならいっそのことと会社の
会社の先輩の
先輩の知り合
いがいるパリ
いがいるパリへと
パリへと簡単
へと簡単に
簡単に考えて来
えて来て仕舞った
仕舞った。
った。世界の
世界の中の芸術の
芸術の都を中
心に時にはヨーロッパ
にはヨーロッパを
ヨーロッパを回って小城
って小城などを
小城などを撮
などを撮っては、
っては、一、二度グループ
二度グループ
展を開いては見
いては見たが、
たが、この国
この国で仕事を
仕事を確実に
確実に得るまでにはたどりつかな
かった。
かった。最初は
最初はヴォーグなどで
ヴォーグなどで活躍
などで活躍する
活躍するプロ
するプロの
プロのカメラマンを
カメラマンを目指してい
目指してい
77
たが、
たが、それだけではパリ
それだけではパリの
パリの高いアパート代
アパート代も払えない。
えない。いつの間
いつの間にか
色々な仕事をこなすようになった
仕事をこなすようになった。
をこなすようになった。
生活のために
生活のために手
のために手っ取り早いのが免税店
いのが免税店、
免税店、日本料理店、
日本料理店、旅行社、
旅行社、ガイ
ド、、、ありとあらゆるものを
、、、ありとあらゆるものを、
ありとあらゆるものを、ついにはアトリエ
ついにはアトリエの
アトリエの掃除まで
掃除まで仕事
まで仕事とし
仕事とし
たことがあるが、
たことがあるが、40 代も近くなったころ、
くなったころ、パリ大学
パリ大学のいわゆる
大学のいわゆる国立東洋
のいわゆる国立東洋
学校日本語科に
学校日本語科に入学し
入学し日仏翻訳コース
日仏翻訳コースを
コースを取り無事卒業して
無事卒業して、
して、今の翻訳会
社で専属として
専属として働
として働いてはいるが、
いてはいるが、仕事の
仕事の割にはたいした稼
にはたいした稼ぎにはならな
い。滞在許可証は
滞在許可証は学生の
学生の身分から
身分から偶然
から偶然にも
偶然にもミッテラン
にもミッテラン大統領
ミッテラン大統領が
大統領が打ち出し
た政策で
政策で移民労働者として
移民労働者として申請
として申請したら
申請したら、
したら、なぜか簡単
なぜか簡単に
簡単に 10 年の滞在と
滞在と労
働カードが
カードが降りた。
りた。
翻訳会社で
翻訳会社でベルナールと
ベルナールと出会い
出会い、まもなくして同棲
まもなくして同棲を
同棲を始めたが、
めたが、ベルナ
ールは
ールは決して結婚
して結婚の
結婚の話は口にしなかった。
にしなかった。彼は一度も
一度も同棲も
同棲も結婚なども
結婚なども
したこともないいわゆる独身貴族
したこともないいわゆる独身貴族であったが
独身貴族であったが、
であったが、礼子とだけは
礼子とだけは同居
とだけは同居と
同居と言う
形をとった。
をとった。彼の収入は
収入は想像以上で
想像以上で礼子は
礼子はパリの
パリの 16 区のセーヌ河
セーヌ河のほ
とりの警備員
とりの警備員つきの
警備員つきのアパート
つきのアパート 120
120 平方メートル
平方メートル以上
メートル以上で
以上で台所、
台所、風呂場が
風呂場が大
理石という
理石という豪華
という豪華な
豪華なアパートに
アパートに住むことが出来
むことが出来た
出来た。
78
「これ以上
これ以上の
以上の望みってなんだろう。
みってなんだろう。子供?」
子供?」だが
?」だが、
だが、ベルナールはそれを
ベルナールはそれを
望むこともなかった。
むこともなかった。40 歳を過ぎた礼子
ぎた礼子も
礼子も今更と
今更と言う気もした。
もした。だがこ
れからのフランス
れからのフランスでの
フランスでの自分
での自分の
自分の生活を
生活を守る一つの手段
つの手段になりえたことを
手段になりえたことを知
になりえたことを知
るすべになったのは何年
るすべになったのは何年かたってからであった
何年かたってからであった。
かたってからであった。
ベルナールが
ベルナールが肺癌であったなんて
肺癌であったなんて、
であったなんて、早期退職年金生活者になるための
早期退職年金生活者になるための最
になるための最
後の検診を
検診を軽く受けたとき、
けたとき、医者から
医者から本人
から本人を
本人を前にして告
にして告げられた。
げられた。彼は
まだ 57 歳になったばかりだった。
になったばかりだった。
「相当悪いらしい
相当悪いらしい」
いらしい」何気なく
何気なく検診
なく検診から
検診から帰
から帰ってきたベルナール
ってきたベルナールは
ベルナールは台所で
台所で夕
食を作る礼子にそう
礼子にそう告
げるといつものように夕食作りを
にそう告げるといつものように夕食作
夕食作りを手伝
りを手伝った
手伝った。
った。その
夜彼は
夜彼は 12 歳年下の
歳年下の礼子を
礼子を抱きながら結婚
きながら結婚しようと
結婚しようと堅
しようと堅い約束した
約束した。
した。
だがあれからわずか半年
だがあれからわずか半年で
半年で彼は他界した
他界した。
した。当時の
当時の医者はひと
医者はひと月持
はひと月持つかど
月持つかど
うかと話
うかと話したが、
したが、結局は
結局は 6 ヶ月以上も
月以上も消えそうなろうそくの細
えそうなろうそくの細い炎の命
は続いた。
いた。
「あなたがいたからでしょう」
あなたがいたからでしょう」携わる医者
わる医者は
医者は何度もこのやさしい
何度もこのやさしい言葉
もこのやさしい言葉を
言葉を
繰り返してくれた。
してくれた。
79
だが、
だが、そんな慰
そんな慰めは何
めは何の足しにもならない。
しにもならない。
約束は
約束は守られなかったと同時
られなかったと同時に
同時に、礼子には
礼子にはベルナール
にはベルナールの
ベルナールの家族による
家族による嫌
による嫌が
らせが待
らせが待ち構えていた。
えていた。彼との子
との子のいない自分
のいない自分に
自分に対して結婚
して結婚したことも
結婚したことも
ない以前
ない以前の
以前の婚約者には
婚約者には 30 歳に近くなった息子
くなった息子までいたのだった
息子までいたのだった。
までいたのだった。今住
んでいるアパート
んでいるアパートは
アパートは使用権と
使用権と言うものが行使
うものが行使され
行使され、
され、この先老
この先老いて
先老いて死
いて死ぬま
で住むことも出来
むことも出来たが
出来たが、
たが、彼の息子とその
息子とその母親
とその母親が
母親が礼子を
礼子を追い出すためにあ
くまで法律上
くまで法律上で
法律上で争うと向
うと向かってきた。
かってきた。しかもアパート
しかもアパートに
アパートに掛かる費用
かる費用はい
費用はい
くら家賃
くら家賃を
家賃を払わないとしても、
わないとしても、不動産税、
不動産税、住民税、
住民税、チャージまでありと
チャージまでありと
あらゆるものが想像以上
あらゆるものが想像以上に
想像以上に掛かることが分
かることが分かった。
かった。物件を
物件を売ることの出
ることの出
来る息子にとっては
息子にとっては礼子
コブ以上の
存在にしかない。
何度も
にとっては礼子は
礼子は目の上のコブ以上
以上の存在にしかない
にしかない。何度も
電話でそ
電話でそれとなく
でそれとなく立
れとなく立ち退きを迫
きを迫る息子にも
息子にも閉口
にも閉口していた
閉口していた。
していた。
「わずか一週間
わずか一週間と
一週間と言うのに、
うのに、もうお金
もうお金の話、うんざりするわ」
うんざりするわ」何度も
何度も今
ではなくてはならない人
ではなくてはならない人となった担当医
となった担当医である
担当医であるジャン
であるジャン=
ジャン=ピエールの
ピエールの前で
話しているうちに、
しているうちに、彼からの同居
からの同居の
同居の誘いが始
いが始まった。
まった。
「僕と一緒に
一緒に住まないか。
まないか。そうすればこんなことで悩
そうすればこんなことで悩む必要もないし
必要もないし、
もないし、
実を言うと君
うと君に住んでほしい家
んでほしい家がある」
がある」
80
彼の強引さにはあきれ
強引さにはあきれ返
さにはあきれ返ってはいたが、
ってはいたが、長期滞在許可証と
長期滞在許可証と労働許可証は
労働許可証は
確保したといえど
確保したといえど、
したといえど、これからもこの国
これからもこの国の国籍のない
国籍のない異邦人
のない異邦人が
異邦人が他国で
他国で住む
ことなんて保証
ことなんて保証するものでもない
保証するものでもない。
するものでもない。この年
この年になって、
になって、アリと
アリとキリギリス
の話ではないが、
ではないが、何も蓄えてこなかった自分
えてこなかった自分の
自分のミスと
ミスと言えばそうかもし
れないが、
れないが、フランス人
フランス人を鼻で動かしてきたようでありながら実
かしてきたようでありながら実は自分へ
自分へ
の補償は
補償は何もしてこなかった。
もしてこなかった。むしろ従順
むしろ従順なまま
従順なまま過
なまま過ごして来
ごして来たに過
たに過ぎな
い。
しかも、
しかも、彼からの約束
からの約束の
約束の結婚も
結婚も病気が
病気が治ってからなんて、
ってからなんて、夢のようなこ
とを考
とを考えていたに過
えていたに過ぎない。
ぎない。現実はそんなに
現実はそんなに甘
はそんなに甘いものではなかった。
いものではなかった。結
局一切の
局一切の書類を
書類を作ったわけでもなく彼
ったわけでもなく彼は自分ひとりを
自分ひとりを残
して誰にも何
にも何も
ひとりを残して誰
告げず他界
げず他界して
他界して行
して行った。
った。
「礼子、
礼子、ありがとう。
ありがとう。好きなように生
きなように生きてくれ」
きてくれ」と言う一言だけ
一言だけ残
だけ残して。
して。
だから生
だから生きてやる。
きてやる。人が目の前で死んでいくのを経験
んでいくのを経験した
経験した人間
した人間は
人間は強くな
る。悲しみの涙
しみの涙は不思議にほんのわずかな
不思議にほんのわずかな間
にほんのわずかな間だけで止
だけで止まった。
まった。これが八
これが八
年もの人生
もの人生を
人生を共にした人
にした人への忠誠
への忠誠だろうか
忠誠だろうか。
だろうか。礼子は
礼子は頭の中で小刻みに
小刻みに自
みに自
分をあざけ笑
をあざけ笑うように口元
うように口元に
口元に笑みを浮
みを浮かべた。
かべた。
81
そしてベルナール
そしてベルナールがなくなってから
ベルナールがなくなってから 2 年後、
年後、彼の母親がすい
母親がすい臓癌
がすい臓癌で
臓癌で亡く
なった。
なった。
彼女もまた
彼女もまたパリジャン
もまたパリジャンらしく
パリジャンらしく、
らしく、このラ
このラ・ボールの
ボールの海辺に
海辺に 70M
70M²の海が見
えるアパート
えるアパートを
アパートを持っていて暮
っていて暮らしていたが、
らしていたが、殆どあれから逢
どあれから逢う事はなく
なっていた。
なっていた。年に 4 回クリスマスと
クリスマスと誕生日に
誕生日にプレゼントを
プレゼントを贈り、どちら
からかお礼
からかお礼の電話が
電話が入るというくらいの付
るというくらいの付き合いでしか国籍
いでしか国籍の
国籍の違う義母
(そう呼
そう呼べるだろうか)
べるだろうか)との間
との間に残っていなかった。
っていなかった。子供でもいたら
子供でもいたら少
でもいたら少
しは違
しは違っていたのかも知
っていたのかも知れないがとふと思
れないがとふと思う。でもきっと同
でもきっと同じではない
だろうか。
だろうか。最初から
最初から彼女
日本人である自分
めてはくれなかったが、
から彼女は
彼女は日本人である
である自分を
自分を認めてはくれなかったが、
ベルーナルが
ベルーナルが病に倒れてから急速
れてから急速に
急速に彼女は
彼女は日本人妻を
日本人妻を頼りにし始
りにし始めた。
めた。
礼子もまた
礼子もまた、
もまた、そんな義母
そんな義母がいとしく
義母がいとしく思
がいとしく思えて急速
えて急速に
急速に仲がよくなっていった
が、二人の
二人の義姉はそれを
義姉はそれを好
はそれを好ましく思
ましく思わなかった。
わなかった。幸いにもパリ
いにもパリの
パリのアパー
トはジョン=
ジョン=ピエールの
ピエールの忠告で
忠告で一部使用権が
一部使用権が生まれ彼女
まれ彼女はそれをお
彼女はそれをお金
はそれをお金に
替え息子に
息子に明け渡すことにしたのだった。
ことにしたのだった。2 年間の
年間の裁判は
裁判は長かったが未
かったが未
だに終
だに終わってはいない。
わってはいない。そんな中
そんな中、義母の
義母の死は礼子にとっては
礼子にとっては悲
にとっては悲しい出
しい出
来事以上にまた
来事以上にまた、
にまた、何か法律的な
法律的な手続きごとが
手続きごとが始
きごとが始まる予感
まる予感がしてならない
予感がしてならない。
がしてならない。
82
*
5 月の晴れやかな日
れやかな日に彼女のお
彼女のお葬式
のお葬式が
葬式が行われた。
われた。義母の
義母のアパートからわ
アパートからわ
ずか 5 分ぐらいの静
ぐらいの静かな住宅街
かな住宅街の
住宅街の中にサンテレーズという
サンテレーズという教会
という教会があった
教会があった。
があった。
住宅と
住宅と松ノ木に囲まれたその教会
まれたその教会は
教会は四方から
四方から誰
から誰でも入
でも入れるようにガラス
れるようにガラス
張りの大
りの大きな扉
きな扉で教会には
教会には珍
には珍しい低
しい低い天井で
天井で作られていた。
られていた。きっと住民
きっと住民
の反対で
反対で高さが限
さが限られたのだろう。
られたのだろう。
礼子が
礼子が一人で
一人で 10 時に東側の
東側の入り口に着いてたたずんでいると何十人
いてたたずんでいると何十人か
何十人か
の人たちが集
たちが集まってきた。
まってきた。ジャン=
ジャン=ピエールも
ピエールも礼子を
礼子を気遣って
気遣って参加
って参加した
参加した
いと言
いと言ったのだが、
ったのだが、礼子は
礼子は頑なに断
なに断りこうして喪服
りこうして喪服の
ちで立って
喪服の衣で立ちで立
いるとサングラス
いるとサングラス姿
サングラス姿のステファニーがその
ステファニーがその前
がその前を横切り
横切り、あるご夫人
あるご夫人に
夫人に挨
拶をする。
をする。後を振り返ってやっと礼子
ってやっと礼子に
礼子に気付いたかのように
気付いたかのように頬
いたかのように頬を突き出
して挨拶
して挨拶を
挨拶を求めてきた。
めてきた。
「元気をだして
元気をだして、
をだして、ステファニー」
ステファニー」礼子がそれだけを
礼子がそれだけを言
がそれだけを言うと返事
うと返事もなく
返事もなく別
もなく別
の陳列者のほうへ
陳列者のほうへ駆
のほうへ駆け寄っていた。
っていた。
83
みんながあちらこちらで挨拶
みんながあちらこちらで挨拶の
挨拶のキスをしている
キスをしている。
をしている。だが、
だが、喪服姿は
喪服姿は礼子一
人で他は普段の
普段の格好だった
格好だった。
だった。
礼子は
礼子はマリオを
マリオを見つけて近
つけて近づき、
づき、同じことを言
じことを言った。
った。マリオは
マリオはステファ
ニーの
ニーの旦那で
旦那でポルトガル人
ポルトガル人なのかやはり彼
なのかやはり彼も一人何故か
一人何故か礼子のように
礼子のように浮
のように浮
いていた。
いていた。
「初めてフランス
めてフランスでお
フランスでお葬式
でお葬式を
葬式を経験するんだ
経験するんだ」
するんだ」高揚した
高揚した頬
した頬のマリオの
マリオの言葉
は礼子に
礼子に身震いを
身震いを起
いを起こさせた。
こさせた。
そういえば 2 年前、
年前、ラ・ボールにいながら
ボールにいながら仕事
にいながら仕事があると
仕事があるとベルナール
があるとベルナールのお
ベルナールのお
葬式を
葬式をサボったことをふと
サボったことをふと記憶
ったことをふと記憶が
記憶が陰る。
棺の横にはわずかな花
にはわずかな花が置かれ、
かれ、長い白い服を着た背の高い神父の
神父の話と
賛美歌が
賛美歌が始まる。
まる。礼子は
礼子はバッグから
バッグからベルナール
からベルナールの
ベルナールの写真を
写真を出し、涙と共に
棺の前に行き、花びらをその上
びらをその上に置く、何と言う貧弱な棺だろう。
だろう。礼子
が送った花束
った花束が
花束が一番大きいように
一番大きいように感
きいように感じられる。
じられる。82 歳、花木を
花木を愛し、ベラ
ンダに
ンダに花を切らすことはなかった義母
らすことはなかった義母の
義母の最後にしては
最後にしては献花
にしては献花はほんのわず
献花はほんのわず
かであった。
かであった。二番目の
二番目の義姉、
義姉、甥や姪たちが礼子
たちが礼子に
礼子に気付いても
気付いても話
いても話しかけて
84
くることはなかった。
くることはなかった。礼子は
礼子は本当に
本当に一人だった
一人だった。
だった。でも今日
でも今日ここへ
今日ここへ来
ここへ来たの
はベルナールの
ベルナールの代表としてそして
代表としてそして義母
としてそして義母への
義母への祈
への祈りのためだと自分
りのためだと自分に
自分に言い聞
かせた。
かせた。
義母はその
義母はその後
はその後、サンナザールにある
サンナザールにある火葬場
にある火葬場で
火葬場で焼かれ、
かれ、再びラ・ボール
エスクブラックの
エスクブラックの駅の裏にある墓地
にある墓地に
墓地に帰ってきた。
ってきた。
墓地には
墓地には大
には大きな墓石
きな墓石が
墓石が壮大に
壮大に並び、いくつもの花束
いくつもの花束が
花束が置かれている。
かれている。義
母をステファニーたちがこの
ステファニーたちがこの墓地
たちがこの墓地で
墓地で散骨すると
散骨すると決
すると決め、家族の
家族の前で片隅に
片隅に
設けられた散骨場
けられた散骨場に
散骨場に集まると芝生
まると芝生の
芝生の上に彫られた直径
られた直径 1 メートルぐらい
メートルぐらい
の円筒の
円筒のセメント管
セメント管のようなものに網
のようなものに網が載せられ、
せられ、その上
その上に置かれたい
くつもの丸
くつもの丸い石の上に、葬儀屋が
葬儀屋が持ってきた銅
ってきた銅で出来た
出来た水筒のようなも
水筒のようなも
のをかざし、
のをかざし、上でスイッチを
スイッチを回すと筒
すと筒から義母
から義母の
義母の遺灰が
遺灰が落ちていくとい
うものだった。
うものだった。
終わってしまった。
わってしまった。皆はそれぞれ帰
はそれぞれ帰る準備を
準備を始めている。
めている。
礼子はこの
礼子はこの日
はこの日を待っていた。
っていた。ベルナールの
ベルナールの灰を義母のそれと
義母のそれと混
のそれと混ぜて一緒
ぜて一緒
に眠らせてあげようと、
らせてあげようと、この日
この日を持ち続けベルナールの
ベルナールの遺灰のふたを
遺灰のふたを開
のふたを開
けたのだった。
けたのだった。
85
昨年 1 月 1 日からフランス
からフランスでは
フランスでは法律
では法律で
法律で遺灰を
遺灰を勝手に
勝手に海などへ捨
などへ捨てること
も、自宅で
自宅で持ち続けることもならぬという法律
けることもならぬという法律が
法律が制定されていた
制定されていた。
されていた。だが
礼子は
礼子は未だに彼
だに彼の遺灰をそっと
遺灰をそっと持
をそっと持ち続け今日を
今日を迎えたのだった。
えたのだった。
みんなが振
みんなが振り向いたスキ
いたスキに
スキに礼子は
礼子はビニールの
ビニールの袋に入れた少
れた少しの遺灰
しの遺灰をそ
遺灰をそ
の上に分からないように重
からないように重ねた。
ねた。
「さようならお義母
さようならお義母さん
義母さん、
さん、さようならベルナール
さようならベルナール、
ベルナール、これでよかったんで
しょう」
しょう」
口に出来ない
出来ない心
きを何度も
した。
ない心の呟きを何度
何度も口の中で繰り返した。
「残りは大西洋
りは大西洋の
大西洋の海に眠ってください」
ってください」
ベルナールがなく
ベルナールがなくなったとき
がなくなったときステファニー
なったときステファニーは
ステファニーはパリに
パリに来たが色
たが色々手続きを
手続きを
するのでもなく、
するのでもなく、礼子にはすぐに
礼子にはすぐに遺灰
にはすぐに遺灰にするように
遺灰にするように求
にするように求めたもののお葬式
めたもののお葬式
費用を
費用を分担するでもなく
分担するでもなく、
するでもなく、勝手にお
勝手にお葬式
にお葬式を
葬式を決めて帰
めて帰っていった。
っていった。礼子に
礼子に
は考える時間
える時間もなくいつの
時間もなくいつの間
もなくいつの間にか家族
にか家族からは
家族からは焼
からは焼くものだと礼子
くものだと礼子に
礼子に求めて
いった。
いった。
86
今考えればあれはどういうことだろう
今考えればあれはどういうことだろう。
えればあれはどういうことだろう。同棲妻である
同棲妻である自分
である自分が
自分が何も決めず、
めず、
指示だけされて
指示だけされて一銭
だけされて一銭のお
一銭のお葬式代
のお葬式代もなかった
葬式代もなかった。
もなかった。その時礼子
その時礼子はせめてと
時礼子はせめてと最高
はせめてと最高
の棺を買い、最高の
最高の花束を
花束を飾った。
った。火葬場は
火葬場は入りきれないほどの人
りきれないほどの人と花、
涙で一日が
一日が終わった。
わった。
今回のように
今回のように涙
のように涙があまりないお葬式
があまりないお葬式はどこか
葬式はどこか逆
はどこか逆に寂しい。
しい。まるで簡単
まるで簡単な
簡単な
儀式が
儀式が形式的に
形式的に行われたに過
われたに過ぎない。
ぎない。見栄で
見栄で行われた教会
われた教会での
教会での儀式
での儀式。
儀式。義
母はもう 30 年も前から教会
から教会へは
教会へは入
へは入らないと決
らないと決めていたにも関
めていたにも関わらず何
わらず何
故ここで行
ここで行われなくてはならなかったのだろうとふと思
われなくてはならなかったのだろうとふと思った。
った。
あれほど元気
あれほど元気だった
がこんなに簡単に
くだろうか。
元気だった人
だった人がこんなに簡単
簡単に逝くだろうか。
「礼子には
礼子にはママン
にはママンの
ママンのアパートは
アパートは関係ないからね
関係ないからね」
ないからね」耳元で
耳元でステファニーが
ステファニーが
つぶやいて近
つぶやいて近くに止
くに止めていたベージュ
めていたベージュ色
ベージュ色のプジョー406
プジョー406 に乗ってマリオ
ってマリオ
と去っていった。
っていった。
その日礼子
その日礼子は
日礼子はラボールの
ラボールの海をずっと見
をずっと見つめていた。
つめていた。これだけ広
これだけ広い浜辺が
浜辺が
他にあるだろうか。
にあるだろうか。白いさらさらの砂
いさらさらの砂、近くには白
くには白い帆をつけた何隻
をつけた何隻も
何隻も
の二層式ヨット
二層式ヨット、
ヨット、カタマロンが
カタマロンが置かれている。
かれている。右側にはどこまでも
右側にはどこまでも続
にはどこまでも続く
87
浜辺が
浜辺が霞むほど見
むほど見え、右側には
右側には浜辺
には浜辺に
浜辺に出来た
出来たカフェなどが
カフェなどがテーブル
などがテーブルを
テーブルを出
しているが椅子
しているが椅子には
椅子には誰一人
には誰一人として
誰一人として腰掛
として腰掛けている
腰掛けている人
けている人もいない。
もいない。静かな海
かな海、
そしてブルー
そしてブルー調
ブルー調のパステルカラーの
パステルカラーの空が少しずつ赤
しずつ赤く染まるのをじっと
見つめていた。
つめていた。
「こんなに綺麗
こんなに綺麗だと
綺麗だと今
だと今まで気付
まで気付かなかったわ
気付かなかったわ」
かなかったわ」礼子は
礼子は叫んだ。
んだ。
浜辺を
浜辺を上がると歩道
がると歩道がどこまでも
歩道がどこまでも続
がどこまでも続いている。
いている。そして 10 メートルおき
メートルおき
ぐらいに固定
ぐらいに固定された
固定された白
された白いベンチ。
ベンチ。そこでも立
そこでも立ち止まり礼子
まり礼子は
礼子は一人座り
一人座り泣
いた。
いた。週末には
週末には賑
には賑わうプラージュも
プラージュも今日は
今日は火曜日、
火曜日、人はいない。
はいない。何度こ
何度こ
こへ来
こへ来ても礼子
ても礼子はこの
義母の浜辺が
浜辺が好きになれない。
きになれない。
礼子はこのスノーブ
はこのスノーブな
スノーブな義母の
日本の
日本の砂浜のような
砂浜のような海藻
のような海藻の
海藻の匂いもない、
いもない、潮のざらざらもない。
のざらざらもない。ましてや
マンションのように
マンションのように反対側
のように反対側の
反対側の歩道には
歩道にはアパート
にはアパートが
アパートが立ち並び、揃い、白く
美しいというのに。
しいというのに。なんと寂
なんと寂しい浜辺
しい浜辺だろう
浜辺だろう。
だろう。もうここには二度
もうここには二度と
二度と来た
くない。
くない。
礼子は
礼子は全てを捨
てを捨てここを離
てここを離れる決心
れる決心を
決心を一人でしていた
一人でしていた。
でしていた。
88
*
「酔っている」
っている」三杯目の
三杯目のポートワインを
ポートワインを食前酒として
食前酒として飲
として飲んだとき、
んだとき、礼子
はそう感
はそう感じた。
じた。横にいたジャン
にいたジャン=
ジャン=ピエールの
ピエールの横顔がなぜか
横顔がなぜかベルナール
がなぜかベルナールに
ベルナールに
代わっていた。
わっていた。
「ねえ、
ねえ、どうしてあなたは死
どうしてあなたは死んだの」
んだの」
「たかが肺癌
たかが肺癌じゃない
肺癌じゃない、
じゃない、片方を
片方を切ってしまえば治
ってしまえば治るはずなのに」
るはずなのに」
「ねえ、
ねえ、どうしてって聞
どうしてって聞いているのよ」
いているのよ」礼子はとてつもない
礼子はとてつもない意味
はとてつもない意味の
意味の分か
らない質問
らない質問を
質問をサロンの
サロンのソファーでくつろいで
ソファーでくつろいでテレビ
でくつろいでテレビを
テレビを見ている肩幅
ている肩幅の
肩幅の大
きいその人
きいその人にした。
にした。
「礼子、
礼子、何を言っている」
っている」テレビの
テレビの音を小さくするためにリモコン
さくするためにリモコンを
リモコンを探
し始めたジョン
めたジョン=
ジョン=ピエールに
ピエールに持っている手
っている手を伸ばしてもう一度尋
ばしてもう一度尋ねた
一度尋ねた。
ねた。
「聞いてるのよ。
いてるのよ。どうして殺
どうして殺されなきゃならないのかって。
されなきゃならないのかって。あなたがや
ったんでしょう」
ったんでしょう」本当に
本当に頭がふらふらだと礼子
がふらふらだと礼子は
礼子は思ったが、
ったが、でも酔
でも酔いが
冷めて来
めて来るのも早
るのも早かった。
かった。
89
「君は酔っているんだ。
っているんだ。僕が誰かを殺
かを殺したって。
したって。話にならない」
にならない」それで
も彼は独り言のように続
のように続けた。
けた。
「殺したと言
したと言われれば確
われれば確かに今
かに今までに何人殺
までに何人殺したのだろう
何人殺したのだろう。
したのだろう。因果な
因果な商売
だよ。
だよ。誰にも認
にも認めてもらえないんだ。
めてもらえないんだ。でも、
でも、確かにあのトゥールーズ
かにあのトゥールーズの
トゥールーズの
病院では
病院では、、、
では、、、殺
、、、殺したかも知
したかも知れない」
れない」横にいる礼子
にいる礼子が
礼子が眠りについたのを
確認したとき
確認したとき、
したとき、独り言のように声
のように声が出た。だが礼子
だが礼子は
礼子は眠りについてはい
なかった。
なかった。むしろ鮮明
むしろ鮮明になる
鮮明になる頭
になる頭の中で、殺したっていったい誰
したっていったい誰を、、、
いつなの、、、
いつなの、、、どこで
、、、どこで、、、
どこで、、、何故
、、、何故、、、
何故、、、何
、、、何を言っているの、、、
っているの、、、その
、、、その疑
その疑
問に身体が
身体が硬直していくのを
硬直していくのを感
していくのを感じていた。
じていた。(つづく)
つづく)……
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