8月(第620号) - 公益財団法人 新聞通信調査会

日本に中韓との対話を強く促す米国
人権意識でオバマ政権と深い溝
地金出て批判受けると素早く修正
よし
かつ
いる今、外交は内政と直接連動する場面が多い。
ーバル化が進み、政治も地殻変動の時期を迎えて
冷戦が終わってかなりたち、金融・経済のグロ
い出す。大平正芳元首相の女婿で、元国会議員の
が気になってしょうがない﹂と話していたのを思
中の空気が伝わらなくなる。それが故に世論調査
富市内閣の官房副長官の時、﹁官邸に入ると世の
目 次 ︵8月号︶
安倍戦略外交の中間採点 ・・・・
鈴木 美勝⋮
国分 俊英⋮
日記で読む昭和史︵ ︶ ・・・・・・
こう着する尖閣紛争 ・・・・・・・・・・
中島 宏⋮
栗原 猛⋮
﹁リベラル﹂再生の条件 ・・・・・・
﹁もしも﹂でたどる日米終戦史︵下︶ ・・・
仲 晃⋮
鳥居 英晴⋮
同盟の異能記者の遺稿︵中︶ ・・・
私が送った加藤周一と山口昌男 ・・・
中村 輝子⋮
佐藤 英雄⋮
マスメディア関連の裁判を見る︵ ︶ ・・・
特派員リレー報告⑳ニューヨーク ・・・
船津 靖⋮
︻メディア談話室︼
取材拒否に音無しのメディア ・・・
藤田 博司⋮
︻プレスウオッチング︼
自民圧勝、憲法状況は新段階に ・・・
小池 新⋮
︻放送時評︼
一層求められるウオッチドッグ機能 ・・・
音 好宏⋮
︻海外情報︼
①中国もコミュニティー紙に注目
木原 正博⋮
・・・
②欧米諜報機関の相互盗聴明るみに
小林 恭子⋮
・・・
③ソフトバンクが米携帯第3位を買収
金山 勉⋮
・・・
書評﹃情報覇権と帝国日本①﹄ ・・・
佐藤 純子⋮
編集後記・読者の声 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
調査会だより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64
この半年間の安倍戦略外交の軌跡を振り返ると
ったのだと言われたが、第2次オバマ政権発足直
リカに乗り込む。それと同じパフォーマンスを狙
アで、アジアを固めて日本がその代表としてアメ
祖父の岸信介元総理が最初に行ったのが東南アジ
ア歴訪からスタートした。その理屈付けとして、
26
1月のベトナム、タイ、インドネシアの東南アジ
東南アジアから始め、出だしは好調
が表れているように思う。
5月にかけて一時的に変調を来したのも、この辺
はじめ
安倍晋三首相が進めている外交も、内政や政局の
森 田 一 氏 も ﹁権 力 を 持 つ と 何 で も で き る と い う
電話 03(3593)1081
http://www.chosakai.gr.jp/
影響を受け、逆に内政や政局へ影響をもたらして
新聞通信調査会
錯覚に陥る。それが総理になると誰もが必ずかか
発 行 所
公益財団法人
いくと予想される。内政と外交の連動という観点
8 - 2013
る官邸病だ﹂と話していた。安倍政治が4月から
︵時事通信社解説委員兼﹁外交﹂編集長︶
鈴 木 美 勝
毎月 1 回 1 日発行
1963年 1 月 1 日
新聞通信調査会報
として発刊
から お 話 し し た い 。
昨年 月、総理に返り咲いて、当初の予定通り
少し地金が出て、俗に言う﹁右傾化﹂が見え始め
た。それに伴い、この政権は大丈夫か、という疑
問が 海 外 か ら も 出 て き た 。
これについては、維新の会の園田博之氏が村山
( 1 )
39 36 28 24 22 16 10 9 1
30
32
34
44 43 42 27 20 19
安倍戦略外交
アベノミクスに専念すればよかったが、4月下旬
12
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後の1月は就任式もあり、アメリカ側の都合で行
たため、早い来日を安倍首相が求めたものだ。
決まっていたのが日本の総選挙の関係で延期され
平和、自由、人権、法の支配、市場経済といった
﹁普 遍 的 価 値﹂ を そ の 地 域 に 根 付 か せ る た め、 そ
の地域の政治・経済の安定を実現し、テロの温床
けな か っ た と い う の が 本 当 の と こ ろ だ 。
6月に入り、オランド仏大統領が来日。そして
を 無 く し 平 和 を 構 築 し よ う と す る 試 み で あ り、
自民党総裁選に入る前の昨年 月末、安倍総裁
欧州歴訪へ││ポーランドのワルシャワ訪問を手
ち
が谷内正太郎︵元外務次官︶、J R 東海会長の
始めに主要8カ国︵G8︶サミット出席のために ﹁普遍的価値﹂を共有する欧米先進諸国と協力し、
行く べ き だ と 主 張 し た 。
イルランドに立ち寄り、英国の金融街シティーで
英国・北アイルランドのロックアーンを訪れ、ア
家・中国と向き合う戦略にもなるという考え方
す国々を積極的に支援していく││これが巨大国
成熟した民主主義、市場経済体制への参入を目指
よしゆき
や
西敬之らと食事をした時、谷内氏は東南アジアに
だろうと言い結局、アメリカを最優先することに
演説し帰国。6月初めには横浜で第5回アフリカ
西氏がやはりアメリカ
なったが、調整がつかず、1月の訪問先を東南ア
だ。
ジア に 切 り 替 え た 。
この﹁価値観外交﹂﹁自由と繁栄の弧﹂は当時、
開発会議︵TICAD Ⅴ︶も行われた。
2 月 に 米 国 訪 問 を 果 た し、 環 太 平 洋 連 携 協 定
課長だった兼原信克、外務省副報道官であった谷
外務次官だった谷内正太郎、総合外交政策局総務
一連の軌跡を見ると、安倍戦略外交は﹁価値観
口智彦の各氏、この3人がプロデューサーとして
﹁価値観外交﹂
﹁自由と繁栄の弧﹂を推進
ろまでいった。日本側は紙に書くことまでは要求
外交﹂﹁自由と繁栄の弧﹂で、連続性のある形で
相談しながら書き上げていったものだ。兼原氏は
︵TPP︶交渉参加を紙に書いて発表できるとこ
していなかったが、米国側がせっかくだから紙に
展開しているとよく言われる。これはもともと2
いま内閣官房副長官補に抜てきされているし、今
しよ う と 提 案 し た 。
006年 月、麻生太郎副総理が第1次安倍内閣
勢いに乗って安倍戦略外交をさらに加速させよ
﹁ロケ ッ ト ス タ ー ト が で き た ﹂ と 述 べ て い た 。
はやや落ちたとはいえ出足好調で、安倍氏自身も
まくいった。世論調査を見ても支持率 %、最近
置いて進めてきた。日銀の総裁・副総裁人事もう
内政も、アベノミクスということで経済に軸足を
いったという評価になっている。それと並行して
け、あるいは囲む形でユーラシアからヨーロッパ
地域だと﹁外交青書﹂にも書いてある。中国を避
さらに東南アジアを通って北東アジアにつながる
中央アジア・コーカサス、中東、インド亜大陸、
とは北欧諸国を起点に、バルト諸国、中・東欧、
をつないでいく必要があるという考え方だ。
﹁弧﹂
たもので、これからの日本は﹁自由と繁栄の弧﹂
の外相だった時、麻生外交のビジョンとして掲げ
モンゴルへ、そして中国をけん制するためにロシ
かし、東南アジア歴訪から始まって、アメリカ、
だということに抵抗感があるのかもしれない。し
でようやく使い始めた。オリジナルは麻生財務相
にしたことはないが、﹁価値観外交﹂は国会答弁
はあまり好きではないようで、いまだに自分で口
言えば 月の会合にも出ている。
や安倍総理のスピーチライターである谷口氏はと
ここまでの安倍外交は、国内をまとめてうまく
うと、3月にモンゴル訪問、4月にケリー米国務
につながっている。
ンマーに行き、その直後にインドのシン首相を日
ラビア、トルコと中東を歴訪。5月下旬にはミャ
ってロシア、続いてアラブ首長国連邦、サウジア
進させ、市場経済のてこ入れをする。民主主義、
メリカがなかなか手が回らない地域の民主化を促
日本は日米同盟を基軸に外交を推進していく。ア
当時は中国だけでなくロシアも念頭に置いて、
際に進めている安倍戦略外交はまさに﹁価値観外
シン首相を日本に招く。そしてヨーロッパと、実
が、その後に中東、ミャンマーを訪れ、インドの
アに行く。ここは麻生氏の考えていたのとは違う
首相自身は﹁自由と繁栄の弧﹂という言葉自体
11
本に招く。シン首相の訪日は野田佳彦政権時代に
70
( 2 )
11
長官訪日。そして4月末から5月初めの連休を使
11
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交﹂﹁自由と繁栄の弧﹂だと言ってよい。
だが﹁弧﹂が機能しているかは疑問
この安倍戦略外交、価値観外交をどう評価する
か。私は日米同盟が強固なものでなければ、これ
はあまり機能しないとみている。実は﹁自由と繁
栄の弧﹂というのは 年から 年に米国防総省の
06
報告書にも登場した﹁不安定の弧﹂のもじりで、
05
ホワイトハウスで会談したオバマ大統領(左)と安倍首相= 2 月22日
(EPA =時事)
の 米 国 の 手 が 回 ら な い 所 を、 同 じ 価 値 観 を 持 つ
アフガニスタンも含め﹁不安定の弧﹂がある。そ
応しなかったという。
ークを飛ばした。ところがオバマ大統領は全く反
ター﹂を持参したのに反応して、褒めながらジョ
ん違うし、同じ民主党の元大統領のビル・クリン
オバマ大統領は共和党の歴代大統領とはもちろ
国々が支援して民主化、市場経済を加速させよう
ということだから、日米同盟の連携がスムーズに
いっていないとできない。
ブッシュ政権で、小泉純一郎│ブッシュの固い絆
能しているか、疑問を持たざるを得ない。当時は
おり、時代的ズレがある中でこれがどのくらい機
ペンタゴンと意思疎通ができている。その辺は心
頻繁に合同演習もしているし、外務省の事務方も
しっかりしている。特に制服組は自衛隊と米軍が
しかし、日米同盟自体は実務者レベルではかなり
トンとも違う。付き合うには難しい人のようだ。
もあり、日米同盟は首脳を核としてかなり強化さ
配ないが、例えば首脳レベルで重要な決断をしな
年から7年たった今、状況はかなり変化して
れていた。それが日本で民主党政権になっておか
ければならないときは、小泉│ブッシュのように
はいかないのではないか。
ケリー、ライスの新体制で日米に変化
うに情に訴えることができない。日米同盟で言え
するというビジネスライクな人、ブッシュ氏のよ
イノリティー問題を含め、社会問題として強く意
できているが、﹁人権﹂については建国以来、マ
平和、自由、法の支配﹂では日米で価値の共有が
特に気になるのは価値観のズレだ。
﹁民主主義、
ば、ブッシュは頭でも理解し、ハートでも理解で
識しなければいけない状況の中で鍛えられ、磨か
人権意識とはかなり違う。4月中旬から5月半ば
きた。オバマは頭でその重要性を理解できてもハ
2月の日米首脳会談でも、少人数の会合、そし
にかけての日本政治の﹁変調﹂の中にも、日米の
れてきたアメリカの人権意識と、日本の政治家の
てその後ランチを共にする会合があったが、オバ
人権意識のズレが垣間見えた。特に橋下徹大阪市
加えて大統領を取り巻くスタッフも第2次政権
マ大統領は冗談ひとつ言わなかったらしい。バイ
安倍首相がオバマ大統領にお土産として、かつて
でかなり変わった。代表的なのは国務長官で、ヒ
長の発言にそれが出ていると思う。
岸元首相が訪米の際、アイゼンハワー元大統領と
ラリー氏が退任してケリー氏に代わった。ヒラリ
デン副大統領は雰囲気をつくるのがうまい人で、
ートでは理解しない。
ティストで、仕事を相手がうまく片付ければ評価
ってもかなり肌合いが違う。オバマ氏はプラグマ
という違いだけでなく、同じアメリカの政権とい
オバマ政権とブッシュ政権は、共和党と民主党
しくなり、アメリカはオバマ政権に代わった。
06
ゴルフをした時に使った世界的に有名な﹁山田パ
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ほ とんどアジアを知らない。
ヒラリーに任せていた。それに比べ、ケリー氏は
があったと思うし、オバマ大統領もアジア外交は
米関係、ひいては日米同盟にかなり貢献した部分
中でも美智子皇后と良い関係を持った。これが日
にファーストレディーとして来日した際、皇室、
外交を進めてくれた。夫のビル・クリントン時代
ー氏は中国に厳しく、日本を意識しながらアジア
で、 上 院 に か け る 必 要 の な い 大 統 領 補 佐 官 に し
ト 氏 だ が、 上 院 で 承 認 さ れ な い だ ろ う と い う の
い。ライス氏を国務長官に推薦したのもジャレッ
の 黒 人 大 統 領 に な っ た が、 人 を あ ま り 信 用 し な
だ。ハワイで生まれ育ったバラク・オバマ氏は初
ラ イ ス 氏、 こ の 3 人 と も ア フ リ カ ・ ア メ リ カ ン
ー・ジャレット氏、そしてもう1人がスーザン・
オバマ・ファミリーの身内扱いされているバレリ
シェル夫人、2人目がホワイトハウス上級顧問で
要性自体に気付いていない政治家や一部の国民が
い国だと思わせる。日米関係を考える際、その重
る発言で、釈明すればするほど、日本は分からな
すれば全く理解できない、厳しい批判の対象にな
暴言ではないと言う人もいるが、アメリカから
うわけだ。
か橋下市長の慰安婦問題に絡む暴言があったとい
し、日本では米韓首脳会談の数日後、あろうこと
る。 韓 国 は 初 の 女 性 大 統 領 を 誕 生 さ せ た の に 対
ぐらいに思っているのではないかと言う人もい
実はヒラリー・クリントンも最初はほとんどア
た。そういう経過をたどった人事ではないか。
マ大統領はライス氏を国務長官にしたかったよう
ーザン・ライス前国連大使になったことだ。オバ
C︶担当大統領補佐官がトム・ドニロン氏からス
一 番 の ポ イ ン ト は 、 国 家 安 全 保 障 会 議 ︵N S
本のことも知ってはいるが、評価はいろいろだ。
ではある。当然アジアのことは知っているし、日
上級部長としてアジア・太平洋を担当した知日派
日本人。第1次オバマ政権ではホワイトハウスの
った。ラッセル氏は関西の総領事を務め、夫人も
官補もキャンベルからダニエル・ラッセル氏にな
日派で、アジアのこともよく知っていた。国務次
マネージしたカート・キャンベル国務次官補は知
活動していたシカゴから一緒の人で、特に人権意
話していた。大統領がハーバードを出た後に社会
ライス氏は日本側が苦手とするタイプらしく、
があり、懸念材料の一つにはなるのではないか。
政策とは違うものが重要な局面で出てくる可能性
らくヒラリー、キャンベルが動かしていたアジア
ス氏とまともに付き合った外交官もいない。おそ
女自身はアジアのことを知らないし、日本にライ
を見る上でライス氏の動きに注目すべきだが、彼
メリカ外交の総元締めであり、今後のアジア外交
いずれにしてもNSC担当の大統領補佐官はア
領 軍 の〝遺 物〟と 見 な し、﹁美 し い 日 本﹂へ の 回
最重視する保守主義者だけでなく、現行憲法を占
ですね﹂と聞いたら、﹁話をするのも嫌だな﹂と ﹁保守主義﹂と一口に言っても、国家安全保障を
あるベテラン外交官に﹁今度はスーザン・ライス
帰を目指す原理主義者もいるし、天皇制を軸に考
可欠だ。
このような価値観の違いを十分理解することが不
は全く違う。日米が今後うまくやっていくには、
カの人権概念は、日本のようなやわな人権意識と
何が必要か長い年月をかけて磨かれてきたアメリ
黒人奴隷制廃止に始まり、人種融合のためには
ジアを知らなかったが、彼女の下でアジア外交を
だ が、 彼 女 は エ キ セ ン ト リ ッ ク な と こ ろ が あ っ
識が高い。
ンを訪問し、オバマ大統領との会談で日本の歴史
5月連休明け、韓国の朴槿恵大統領がワシント
する人は、アメリカの保守主義者とは違うし、突
を果たすには抜本的に改憲すべきだという議論を
える保守主義者もいる。特に日本が﹁完全独立﹂
日 米 に 価 値 観 の 違 い は さ ま ざ ま あ る。 例 え ば
﹁保守主義﹂は日米で千差万別を認識せよ
いることが問題だ。
て、ワシントンのインサイダーにもメディアにも
大統領がなぜライス氏を国務長官にしたかった
問題を〝直訴〟するような形になった。オバマ大
き詰めていけば相いれないのではないか。
パク ク ネ
のかといえば、次のように言われている。大統領
統領は日本より韓国の方が人権意識は進んでいる
あま り 評 価 が 高 く な い 。
が腹を割って話し合えるのは3人いて、1人はミ
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ュー記事が載った。それを起点に、5月連休明け
参院選の争点にする﹂という安倍首相のインタビ
条改正を入り口として改憲に進む。それを7月の
きっかけに、参院の予算委員会で安倍首相が﹁右
て存在感を示そうとしたのかもしれない。これを
が行けない靖国神社に自分が参拝することによっ
は次は俺だという自負もあるだろうし、安倍首相
綿密に相談したものではないようだが、麻生氏に
官邸に伝わってからの軌道修正は素早かった。5
連休明け、そのアメリカの厳しい空気がやっと
にはある。
くる部分が出てくるという懸念がアメリカの識者
と、アメリカがつくってきた戦後秩序と対立して
ところが、4月 日付読売新聞1面に﹁憲法
までの安倍政治の﹁変調﹂が見られたわけだが、
日、官房長官会見で﹁﹃村山談話﹄を
月9日か
る。
傾化﹂ではないかと思われるような発言をし始め
なぜ こ ん な こ と を 言 い 始 め た の か 。
﹁改 憲﹂ も ﹁戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却﹂ も 第 1
そ の 一 つ が ﹁侵 略﹂ の 定 義 に 関 す る 発 言 で、
月に再就任した時は、﹁レジーム脱却路線は ﹁国際的にも学界的にも定義はない﹂と言い、戦
次安倍内閣ではしばしば言っていたことだが、去
年
全部引き継ぐとか引き継がないとかそんな話では
な い﹂ と 言 い、 安 倍 首 相 も フ ジ テ レ ビ な ど に 出
て、﹁改憲をめぐる発言については慎重に取り扱
日
持率も %以上に達した。100日余りたって、
いるものは経済﹂として、その通り進めてきて支
ーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙が批判
れに反応したのが米国のメディア。まずニューヨ
のまま引き継ぐつもりはない﹂と言い切った。こ
首相が維新との連携を念頭に﹁改憲﹂の方向を
いては慎重に扱う﹂と述べている。
ーズ﹂のインタビューを設定し、﹁改憲問題につ
に外交・政治問題専門誌﹁フォーリン・アフェア
う﹂と言い始めた。アメリカ向けには、5月
封印していたものを再び出し始めたのは、支持率
的な記事を書いた。保守的なメジャー紙、ウォー
出し始めたのに対して、環境権など新たな理念を
年に村山首相が出した﹃村山談話﹄も、﹁そ
の高さによる過信と、最高権力者である総理にな
ルストリート・ジャーナルまでも、批判的な記事
憲法に加えるという﹁加憲﹂の立場の公明党が反
後
れば何でもできるという錯覚、まさに森田氏の言
を4月 日付で出している。5月の連休に閣僚や
11
96
封印する。当面はアベノミクスだ。国民が求めて
10
16
を﹁3分の2﹂から﹁過半数﹂に緩和しようとし
2は取れると判断して、 条の憲法改正発議要件
ることはないし、橋下維新と一緒になれば3分の
確かに今の調子でいけば参院選で自民党が負け
する発言について、﹁安倍の地金が見えた。こん
﹁侵略﹂の定義をめぐる発言、
﹁村山談話﹂に関
雰囲気だったという。
はなぜ急にこんなことを言い出したのか﹂という
首相に近い人がワシントンに行ったときも﹁安倍
いくが、公明党との連立を崩すつもりはないと言
をそろえる維新とは、それはそれとして連携して
連立を組んでやる﹂と話している。改憲で足並み
のだが、そこで安倍首相は﹁参院選後も公明党と
ce ﹂のインタビューは5月
発する動きが連休前からあった。月刊誌﹁Vo i
う〝 官 邸 病 〟 に よ る も の な の か も し れ な い 。
た。もともと昨年から安倍氏は維新と関係を持っ
なことを言い出した安倍政権は本当に大丈夫なの
いたかったわけで、これは国内向け、特に公明党
しかし、その数日後、麻生副総理が春季例大祭
て、大きな意味での歴史認識問題が関わってくる
め に は 憲 法 改 正 だ と 言 う が、 慰 安 婦 問 題 を 含 め
か。日本は真の独立をしていない、真の独立のた
心につくった戦後秩序と矛盾してくるのではない
が、各社の社長と食事をし、各社とのインタビュ
る。逆にメディアが取り込まれているとも言える
し、主導権を握ってやっているのがはっきり分か
安倍内閣はこの辺のメディア対応が実にうまい
17
で靖国神社に参拝した。安倍首相や菅官房長官と
米メディアの右傾化批判で急ぎ修正
日に設定されたも
ていたし、それを進めようとしているのが菅義偉
か﹂というわけだ。﹁戦後レジームからの脱却﹂
よしひで
官房長官。 条改正を参院選の争点にしようとい
向けの発信だった。
96
う助言が官房長官からあっても不思議ではない。
96
( 5 )
50
12
は突き詰めていけば第2次大戦後にアメリカを中
27
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の今井尚哉首席秘書官、柳瀬唯夫秘書官、そして
このメディア対応を進めているのが経産省出身
るこ と な く 収 ま っ て い る 。
で進めている。修正した結果、あまり傷口を広げ
そうなのを軌道修正するためにタイミングを選ん
o ice ﹂とのインタビューも、変な流れになり
な手法で、﹁フォーリン・アフェアーズ﹂も﹁V
タイミングを選んで発信する。かなりアメリカ的
ーも1月から順繰りに行い、しかも総理サイドが
なかったようだ。
次官と会ったときもバツの悪い対応をせざるを得
を全く知らず、ホワイトハウスの上級部長、国務
首相が信頼する外交官と言われているが飯島訪朝
時、現在は外務次官︶は安倍首相とかなり近く、
も 全 く 知 ら せ ず に 行 っ た。 斎 木 外 務 審 議 官 ︵当
行ったのかは分からないが、アメリカにも韓国に
相の2人だけ。どのくらいの覚悟と成算があって
で、知らせを受けたのはアジア局長と岸田文雄外
だ。しかも安倍、菅、飯島、この3人で決めた話
を 来 す 可 能 性 が な い の か ど う か だ。 支 持 率 は 高
がまたこの4月から5月にかけてあった﹁変調﹂
し、ねじれは解消する。問題はその後、安倍首相
負 け る こ と は な い。 自 公 で 過 半 数 は 間 違 い な い
の野党の体たらくからすれば、参院選で自民党が
そこで参院選後の安倍戦略外交の展望だが、今
た発言とみるべきだ。
るに当たってかなりのイメージダウンにつながっ
か﹂という臆測まで出ており、日本の外交を進め
んが言えないから橋下に言わせているのではない
ずに進めた外交だと思わざるを得ない。しかも北
的にどういう影響が出てくるかを全く視野に入れ
この例で見ても、こういうことを進めれば対外
運営を進めれば、また同じことになる可能性もあ
は希薄だ││これが改まらないままで今後の政権
に直接連動するという意識が安倍周辺や助言者に
い、自分の力を過信する、進め方によっては外交
たか や
佐伯耕三という若い経産官僚が所信表明など国会
朝鮮は金正恩が3月ぐらいから始めた瀬戸際政策
る。その時こそ、政権の揺らぎが本格的になる。
演説など公式なスピーチライターだと言われてい
が落ち着いた時で、日米韓が結束して北朝鮮に対
う疑心暗鬼が韓国からもアメリカからも出てくる
のは、強烈な支持者の中に歴史認識ないし歴史問
例大祭をどうするかだ。安倍首相にとって厄介な
米韓の疑心暗鬼招いた飯島訪朝
的な発想が大きかったのではないか。参院選を意
のは当然だ。日米関係の結束の緩みが一瞬見えた
題に関わる保守原理主義者がいることだ。それは
さらに危ういのは、安倍首相がフェイスブック
( 6 )
る。
例えば飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問も、拉
応しようと確認しているにもかかわらず、こうい
日の秋季
識して﹁拉致問題を安倍政権の手で解決する﹂と
ように思う。対外的なものも含めた手を打ってい
言論界にもいるし、在野にもいる。
月 日から
いうメッセージとしては格好の材料になるし、ア
かなければならない時に、それができなかった。
くことはないと思うが、
日に靖国神社に行
致問題に対する飯島氏の強い思いは別として純粋
うことを行う安倍政権はどうなっているんだとい
メリカとの間でごたごたし始めたときに目先をそ
それが安倍政治の﹁変調﹂として表れたのだと、
しかも、その後に橋下発言が出てくる。橋下市
首相のフェイスブック好きに問題も
らす意味合いもあったのではないか。その成果は
たのだから、ナンバーワンの金 正 恩︵第1書記︶
日にも 日付の毎日新聞朝刊に掲
載された元外務審議官の田中均氏のインタビュー
好きで、6月
ば、﹁将来、リーダーになるかもしれない人があ
について批判しているし、新聞記者の書いた記事
長と安倍首相は全然違うとはいえ、海外から見れ
役立ったんだ﹂と答えている。飯島訪朝のゴーサ
あいうことを言う。日本国民はそれを許している
イ ン が 出 た の は 5 月 8 日、 そ し て
日に訪朝す
に日本のスタンス、ポジションを伝える、それに
キムジョンウン
私は考えている。
20
課題はたくさんあり、8月
な外交の発想として出てきたものではなく、内政
17 15
何だったかと問われた首相は﹁ナンバー2に会っ
10
12
やテレビ局の記者が言っていたことについてもフ
13
のか﹂と思うのは当然。国内でも﹁あれは安倍さ
る。 ま さ に 数 日 の 間 に 慌 た だ し く 準 備 し た わ け
14
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メ デ ィ ア 展 望
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ェイスブックで反論したりしている。安倍首相の
ジ ア 諸 国 連 合 ︵A S E A N ︶ の 地 域 フ ォ ー ラ ム
シアのサンクトペテルブルクでG
の首脳会合が
発信するものには 万人単位のフォロワーがある ︵ARF︶外相会合があり9月には5、6日にロ
そうで、それを熱心にチェックしているといわれ
ブレーンから消費増税先送り発言
来年4月からの消費増税を予定通り実行するか
どうか、 月には判断することになっている。野
側の意向ははっきりしており、中国との対話も日
日韓については韓国と対話しろというアメリカ
スを進めるためのブレーンとして、浜田宏一エー
安倍首相はかなり慎重になっている。アベノミク
り前という前提での発言があるべきだが、最近の
ある。その際に個別会談できるようにと外務当局
には偏った情報しか入らないと思うが、それを自
本に促してきている。特に韓国との関係は本気で
ル大学名誉教授が内閣官房参与として入り、財務
ている。一国の総理がいちいちこういう反応をす
分を応援、支援してくれる国民世論として受け止
の際︵サンクトペ
田前政権との話からすれば、税率引き上げは当た
めてしまう。4月半ばから5月半ばの安倍政治の
仲介しているから、9月のG
は考えている。
﹁変 調﹂ に は、 そ の 部 分 も 影 響 し て い る の で は な
ること自体に危うさを感じるし、フェイスブック
10
20
10
テルブルグ︶には首脳会談ができる方向に持って
省出身の本田悦朗氏もアドバイザーとして入っ
ちが消費増税の先送り論を公然と口にし始めた。
いか 。
これまでは株価上昇につれて支持率も上がって
専門誌﹁外交﹂の取材で本田氏にアベノミクスに
て、これまで影響力があったわけだが、その人た
ェイスブックはすごく役に立つ。去年、自民党総
きたが、5月 日以降の乱高下が象徴的に示して
いく、そこまではやらなければならない。
裁選を戦った時も総選挙の時も、一声掛けると秋
﹁週 刊 文 春﹂ の 阿 川 佐 和 子 氏 と の 対 談 で も ﹁フ
20
葉原に1000人集まった﹂と言っているし、周
東京・大手町にある金融機関のトップに聞くと、
いるように、アベノミクスにも問題が出てきた。
り論を述べていた。本田氏が心配しているのは、
ついて聞いたが、2月の時点で既に消費増税先送
外交的な課題としては日米関係、日中関係、日
倍政治の﹁変調﹂は参院選後も起きる可能性があ
らないが、フェイスブック頼りをやめない限り安
も、﹁とにかくフェイスブックってすごいよね﹂
霞が関の役人と歴史問題、靖国問題で雑談した時
ツールとして活用していることは確かだ。4月に
で発信できる﹂と話しており、フェイスブックを
本気度、そしてそれに見合う力があるのか、秋以
悟をもって規制緩和、構造改革に取り組む意思、
参入していない証拠だ。安倍政権がそれなりの覚
れをきっかけに株が値下がりしたのも彼らが本格
ということを首相がどのくらい意識しているか知 ﹁第三の矢﹂と称して成長戦略を発表したが、そ
と言っていたという。ネット世論が偏ったものだ
降に実体経済が本格的に動きだすのかどうか、こ
相は6月5日に内外情勢調査会で行った講演で
うかを見極めているところだ﹂と話していた。首
本気で取り組み、アベノミクスがうまくいくかど
まだ本格参入していない。規制緩和、構造改革に
で、まともなヘッジファンドや外国機関投資家は
かなと思う。その一方で、消費増税を見送った場
向の説得を受けて、少し弱気になってきているの
んのことが安倍氏に伝わり、あるいはそういう方
e ﹂で消費増税先送り論を主張している。このへ
フ レ 派 の 若 田 部 昌 隆 早 大 教 授 も 雑 誌 ﹁Vo ic
に近いことを話している。浜田氏とも仲の良いリ
日本経済新聞のインタビューで消費増税先送り論
1週間ぐらい前、浜田氏がついに口を開いて、
いうことだった。
かる。それ以前に消費増税をやっては駄目だ﹂と
ければならないが、個人所得が増えるには2年か
ると 見 て い る 。
韓関係が重要で、特に日韓、日中の最悪の状態を
合、日本の財政再建は本気じゃないなと思われた
れもいずれ問われると思う。
たし、メディアが間違っているということも自分 ﹁今は筋悪のヘッジファンドが動かしている相場 ﹁消費におカネが回るためには個人所得が増えな
辺に聞いても、﹁自分が苦しい時に応援してくれ
23
いかに脱するかだ。6月 日、7月1日に東南ア
30
( 7 )
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メ デ ィ ア 展 望
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クトペテルブルクに行った後、7日にブエノスア
そんな状況の中で、首相は9月にロシアのサン
りの 苦 悩 を 強 い ら れ る に 違 い な い 。
もある。そのジレンマで安倍首相はこの秋にかな
ット世論も含めた支持者の熱いまなざしに耐えら
いはずだが、安倍氏の地金もあって、そこまでネ
い。前半の3年かけてやるということで本当はよ
成長、経済再生は1年やそこらでできる話ではな
もいいわけだし、今やっているデフレ脱却、経済
TPP交渉はかなり厳しいものになる。安倍首
そういうことがあるのかと思う。
ば、アメリカはやってくれない﹂と言ったのも、
れた時に、﹁拉致問題の解決は日本がやらなけれ
した形だった。飯島訪朝に関連して国会で質問さ
いて日米並行協議を行ったが、日本がかなり譲歩
加の意向をアメリカに伝えた後、自動車などにつ
イレスで行われる国際オリンピック委員会︵IO
れ る か ど う か。 そ こ で ま た 政 治 的 な 変 調 を 来 せ
相が交渉参加の理由として﹁交渉力があれば大丈
改憲は 年に再選してから残り3年間でやって
の日程のうち
ば、数は持っていても、政権そのものは弱く、弱
夫だ﹂と言ったが、日本がどれだけ頑張れるか、
ら市場に重大な悪影響を及ぼすというプロの見方
最後の方を欠席することになるが、それでもIO
体化した政権になり得る可能性がある。
人気、アベノミクス期待の下支えになる。そこを
設備投資、先行投資も含めて期待感が沸く。安倍
催地が東京と決定すれば、ムードが盛り上がり、
綱﹂を年末までに作るという課題もある。年内に
総 論 部 分 を 政 府 と し て 決 定 し、 新 ﹁防 衛 計 画 大
今まで書いたことのない国家安全保障戦略という
もらって早ければ 月にも政府見解を出すとか、
更の方向で準備をしている。懇談会から報告書を
政府は集団的自衛権の行使について憲法解釈変
どれだけ戦略的な組み立てが背景としてあるの
2︶の開催合意は中国にとって脅威だと思うが、
Q ﹁価 値 観 外 交﹂ の 中 で ロ シ ア の 位 置 付 け が
重くなった。日ロの外務・防衛閣僚級協議︵2+
では及ばない部分もあるのではないか。
議官はタフネゴシエーターで有名だが、1人の力
真価の問われるところだと思う。鶴岡公二外務審
でこだわるかといえば、その総会で 年の五輪開
当て に し て い る の だ ろ う と み て い る 。
もしアベノミクスが変調を来せば、政治にも安全
9、 月が経済、外交の正念場に
か。
いずれにしろ、9月から 月にかけては経済も
10
Q 3月にTPP交渉入りを言ったときは、マ
スコミもあまり批判しなかったので安倍首相も楽
とうまくやらない手はない。ロシアといかに緊密
国境線に次いで長いわけで、対中戦略上、ロシア
ダブル選挙を狙っているだろうから、今年の参院
にやるかによって中国と向き合う。それは中国が
う。
たかった。その辺は谷内戦略に沿ったものだと思
最も嫌がることだし、インドとうまくやることも
る。そこで勝利できれば、 年までの計6年近い
A 経産省のスタッフ主導でやっている成長戦
略 だ か ら、 農 業 と 医 療 の 部 分 は ス キ ッ プ し て い
う。
日に通信社ライブラリーで行った
中国が嫌がることで、だからシン首相を早く呼び
主義者は﹁改憲は最後の最後でいい。そこまでは
る。規制緩和を含めて、農水省も含めた実のある
長期政権になる。安倍氏のブレーンの穏健な保守
経済、経済でやって、最後に自分がやりたい大目
選から3年後の
観 的 な よ う だ が、 農 家 は 真 剣 に 考 え て い る と 思
民党総裁の任期が 年まである。そして次に多分
A 外交当局は、そこは当然意識してやってい
る。中国とロシアの国境線はカナダとアメリカの
保障や外交にも直接影響してくることになる。
C︶総会に行きたがっている。G
Cに行く方向で検討しているようだ。なぜそこま
15
リカには不満を持っているようだ。2月に交渉参
講演を要約、一部加筆した︶
( 8 )
20
20
提示をしていない。安倍首相についていえばアメ ︵本稿は6月
16
標を出せばいい﹂というアドバイスをしているよ
うだ 。
14
18
年夏での大勝を狙うことにな
15
外交も、安倍首相にかなり厳しい決断が迫られる
◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
局面だ。首相は長期政権を狙っているが、今の自 ︻質疑応答の一部︼
10
10
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メ デ ィ ア 展 望
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生々しい慰安婦の記録
㉖
日本軍が設置した「慰安所」の実情を最初に書
いたのは石川達三の『生きてゐる兵隊』だ。石川
し
な クーニャン
鉄格子の中には5、6軒の小さな家が並び、そ
バレーをのぞく。地下への下り口に「連合国軍隊
軍 に 徴 用 さ れ 報 道 班 員 と し て ビ ル マ (ミ ャ ン マ
こに1人ずつ「支那姑娘」
(中国人女性)がいた。 に限る」との貼り紙があった。高見は戦争中、陸
そこで 分の制限時間内に「素性も知れない敵国
その経験から「占領軍のために被占領地の人間
ー)に約2年間、中国に半年間行っていた。
出てくると次の一人が入る。出てきた男はバンド
が自らいち早く婦女子を集めて淫売屋を作るとい
の軍人」の相手をした。「一人が鉄格子の間から
を締め直しながら行列に向かってにやりと笑い」
う例」があっただろうかとし、「支那ではなかっ
た。南方でもなかった」「懐柔策が巧みとされる
帰って行く。おぞましい光景である。
永井荷風は『断腸亭日乗』 年8月8日に、陸
支那人も、自ら支那の女性を駆り立て、淫売婦に
は中 央 公 論 の 特 派 員 と な っ て 1 7 3 7 ( 昭 和 )
軍から北京に「陸軍将校用の遊び場」(慰安所)
し、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けると
おかみ
月 日の南京陥落後に中国に赴き、南京事件
設置を要請された待合の「主婦」(女将)の話を
高見はさらに記す。「日本軍は前線に淫売婦を
ま ね
師団傘下の連隊を取材
に関与したとされる第
「現 地 調 達」 と い う 名 の 略 奪 な ど を リ ア ル に 記 し 「一 萬 円 位 は 融 通 し て や る か ら 是 非 と も 若 き 士 官
必らず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いとい
まん
た 家。 費 用 は 少 な く と も 2 万 円 必 要。 軍 部 か ら
を 相 手 に す る 女 を 募 集 せ よ」 と 言 わ れ る。 し か
からだ
たことで、新聞紙法違反に問われた。編集者、発
あ
って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまし
あまり
たらず」
「北支の気候餘に悪しき」ため辞退した。 て連れ出したようである」「日本の女もだまして
中の慰安所についての描写。日本が占領した南京
単行本として刊行されたのは戦後である。その
陸軍と警察が協力していたという意味である。荷
地警察署との聯絡その他の事を語りぬ」という。
女将は「猶売春婦を送ることにつき、軍部と内
殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのであ
る。おどろいて自殺したものもあったと聞く。自
せ、現地に行くと『慰安所』の女になれと脅迫す
南 方 に 連 れ て 行 っ た。 酒 保 の 事 務 員 だ と 船 に 乗
なお
に2カ所の慰安所が設けられていた。伍長と一等
風は書く。「軍人政府はやがて内地全国の舞踏場
る。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた」
れんらく
兵は酒保でビールを飲み「南部慰安所」に行く。
を閉鎖すべしと言ひながら戦地には盛んに娼婦を
日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は
やから
しょう ふ
百人ばかりの兵士が2列に並んで順番を待ってい
出さんとす。軍人輩の為すことほど勝手次第なる
な
る。路地の入り口には鉄格子があり、その前には
日。 高 見
(国分 俊英 =共同通信社社友)
の国でもと声高に言える立場だろうか。
どこの国でもやっていたと主張した。だが、日本
月
敗戦後、政府の支援で「特殊慰安施設協会」が
年
軍のような国があったのか。さらに言えば、よそ
をつくった。『高見順日記』
は銀座・松坂屋横のビルの地下につくられたキャ
14
設立され、この協会が各地に占領軍相手の慰安所
「慰安婦制度」を容認する発言で批判を浴びると、
はなし」
売時 間 日 本 時 間 正 午 よ り 六 時 二 、 桜 花 部 一
ただ
円五十銭 但し軍票を用う 三、心得 各自望み
の家 屋 に 至 り 切 符 を 交 付 し て 案 内 を 待 つ 」
11
切 符 売 場 に は 次 の よ う な 張 り 紙──。「一、発
3人の中国人と銃剣を付けた憲兵が立っていた。
予3 年 の 判 決 を 受 け る 。
し、「売春婦三四十名を募集せしが、妙齢の女来
を 担 う 「皇 軍」 に よ る 非 戦 闘 員 や 捕 虜 の 殺 害、
きゅう
いうようなことはしなかった。かかる恥しい真似
し、ルポルタージュとして書いた。だが、掲載し
16
行人と共に起訴された石川は禁固4カ月、執行猶
とではないか」と書く。
記している。この年春、女将は北京に設置場所を
年
30
は支那国民はしなかった。日本人だけがし得るこ
13
12
た中央公論 年3月号は発売禁止となる。「聖戦」 見に行くと「舊第二十九将校」の宿泊施設であっ
12
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45
( 9 )
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メ デ ィ ア 展 望
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こう着長期化の尖閣紛争
無理がある中国側主張
石原発言・国有化がきっかけ
中 島
宏
年に石油埋蔵の可能性を指摘する報告書
委員会︵ECAFE︶がこの海域の資源調査を行
い、翌
が出されたことにある。 年末、まず台湾内で論
張する論文を掲載。さらに 年6月には台湾外交
議の的になり、人民日報も同年末に領土主権を主
70
しい対立は、米国をはじめ国際的にも極めて深刻
に隣り合う世界第2位と第3位の経済大国間の厳
し、日中間の政治・外交が動かなくなった。互い
昨年秋以来の尖閣諸島問題がすっかりこう着
崩そうとチャンスを狙ってきた中国の、あるいは
した。同時に激しい民衆デモを誘発し、監視船に
の領土②中国人が最も早く発見し、明代の書に記
る。長年にわたり尖閣に対する日本の実効支配を ︵尖閣諸島︶は中国台湾の付属島しょで、中国固有
よ る 尖 閣 海 域 へ の 攻 勢 を 強 め、 現 在 に 至 っ て い
載され、明代、清代には海防の範囲になっている
た ﹁白 書﹂ に よ れ ば ① 釣 魚 島 と そ の 付 属 島 し ょ
日本政府の国有化後に国務院新聞弁公室が発表し
れにせよ参院選を終えた安倍政権にとり、実質的
待したいが、今のところ見通しが立たない。いず
家主席とのトップ会談で関係修復を図る図式を期
協策を見いだし、安倍晋三首相が訪中し習近平国
交当局間で紛争以前の状態を回復する何らかの妥
的に中国への脅威感が高まった。日本の政界地図
制が強化され、南沙、西沙の紛争も重なり、国際
が長年にわたり切り崩しを図ってきた日米安保体
れてきた日中関係に大打撃を与えた。同時に中国
までになく高まり、多くの波風の下で営々と築か
だがその結果、日中双方の嫌中、嫌日感がこれ
なったのを見て
本は日清戦争が既に始まり、戦況が自国に有利に
の久米島からが琉球であることが読み取れる④日
ら琉球に至る際に経由する中国領の島で、その先
魚諸島に関する記載が数多くあり、彼らが中国か
③明代、清代の琉球への冊封使︵注︶の記録に釣
年1月に中国から釣魚諸島を窃
に最 大 の 外 交 課 題 で あ る の は 間 違 い な い 。
取した⑤第2次大戦後、カイロ宣言、ポツダム宣
は2012年4月、当時の石原慎太郎東京都知事
できた日本の﹁消極平和主義﹂
︵米シンクタンク︶ 言に基づいて中国に返還された││というものだ。
年に日
も危機を迎え、今や憲法改正と軍備強化の道に踏
中国が尖閣︵釣魚島︶諸島領有権を初めて正式
85
に基づき 年に領土に編入した固有の領土で、沖
清国の支配も及んでいないことを見極め、国際法
本の民間人からの依頼を受けて、無人の地であり
これに対し日本の主張は①尖閣諸島は
がワシントンでの講演で、尖閣諸島のうち個人所
る方針を表明︵他の2島は国有と個人所有。米軍
田佳彦首相が9月に国による購入を実行したこと
に主張したのは1971年 月の中国外交部声明
双方の言い分を検証する
み出すかどうかの瀬戸際に立っている。
95
有の魚釣島、北・南小島の3島を東京都が購入す
尖閣問題が現在の危機に至った直接のきっかけ
にも劇的な影響を与えた。戦後、平和の道を歩ん
さく ほう し
中国内の強硬派の思惑通りの展開なのだろう。
中国の主張は当時から積み上がり、昨年9月、
形で態度を表明した。
部が正式声明、中国外交部も台湾に後押しされる
71
に受け止められている。今後の方向としては、外
︵共同通信社社友︶
69
米国の施政下に置かれ、さらに
年の沖縄返還協
縄県に所属②戦後はサンフランシスコ平和条約で
95
定により日本に他の沖縄諸島と共に施政権が返還
71
の射爆場に提供中︶、これに対し民主党政権の野
が引き金になっている。中国側は直ちに宣伝マシ
からだった。発端は 年に国連のアジア極東経済
12
( 10 )
中国ウオッチャーの目
ンをフル回転し、自らの主張を大々的に内外に流
68
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た 年以来、清朝、中華民国、さらに中華人民共
論議されず、第2次大戦の戦後処理で日本に台湾
後、台湾が日本に割譲された下関条約締結の際も
時期であることが中国の攻撃の的であり、﹁日本
入れたのが日清戦争の戦況が日本に有利になった
他方、日本側の主張については、日本領に組み
の名前を挙げての主張がなかった。 年のサンフ
人民共和国になってからだけでも 余年間、尖閣
たり何らの問題提起もなかったことである。中華
あるはずだ、という批判が沖縄から出ている。
などの返還を求めたカイロ宣言、ポツダム宣言で
が日清戦争の際に窃取した﹂と強調する。この点
ランシスコ条約関連の中国の声明も尖閣には触れ
さ れ た ③ 中 国 が 台 湾 の 一 部 と 言 う が、 日 清 戦 争
も一切触れられていない④日本が有効に支配して
は、確かに日清戦争期の領有化ではあるが、その
ておらず、 年の領海に関する政府声明も南沙、
年間にわ
おり、領有権の問題は存在しない││としている
前に 年の時間をかけており、この間に既に先の
20
76
とを示す文書も存在すると指摘されるなど、問題
ているものがあるほか、明の支配海域外だったこ
明代の文書で逆に尖閣が琉球の一部として描かれ
だ。また古文書の評価に関して日本の学者から、
際法に基づく国境の概念に当たらないのは確か
の主張する古文書の記載については、近代的な国
双方の主張は、全く対立したままだが、中国側
日本が過去の戦争を反省し、第2次大戦後の国際
理由に、日本の領有は両宣言に違反すると主張。
取した台湾などの領土﹂の返還を日本に求めたカ
明らかになっている。また中国は、﹁中国から窃
わらず当時、清国から何の干渉もなかったことが
民間人が少しずつ経済活動を始めていたにもかか
と 説 明 ② 中 国 外 交 部 の 档 案 館 ︵史 料 館︶ が 収 蔵
げ、尖閣諸島はこの中で言う台湾に属することを ﹁尖閣諸島﹂の名前を挙げて、琉球の一部である
イロ宣言と、その順守を求めるポツダム宣言を挙
し、対日講和条約に備えて 年5月に作成された
関する外交部声明が出されたのである。
い。沖縄返還の際の 年になって初めて、尖閣に
西沙などに触れながら尖閣については触れていな
大正島
北小島
12カイリ
300km
石垣島
台湾
(共同)
年1月の人民日報の記事
年に北京市の地図出版社が出版した
12
の名を記載し、﹁釣魚島﹂という名前も使わず、
しょしょ
に 付 さ れ た ﹁琉 球 群 島﹂ に 関 す る 解 説 の 中 で、
それだけでなく、①
71
53
琉球の一部としている︵時事通信、2012年
月 日︶③
27
58
入りで、日本領とされ、
年にも再販されていた
もので、これが認められない限り成り立たない。
││ことなどが挙げられる。
すると、台湾を含む中国自身の領土主張を自ら否
また過去の中国歴代政権の説明や古文書を追究
国でも尖閣が日本領と考えられていたことを示し
としている。だが、ともかく 年初めまでは、中
中国側の最大の弱みは、日本の領土に編入され
ている。中国があれほど過去の古文書や地図に基
く、中国の公式の態度に影響するものではない、
中 国 側 は、 い ず れ も 正 式 の 文 書、 地 図 で は な
60
定しかねない材料も出てくるだろう。
ていない以上、無理な主張と思われる。
ずれでも尖閣が議論されたことはなく、名前も出
それに下関条約、カイロ宣言、ポツダム宣言のい
湾の付属島しょ﹂という中国自身の主張に基づく ﹁世界地図集﹂には﹁魚釣島・尖閣群島﹂の名前
だ が 中 国 の 言 い 分 は、﹁釣 魚︵尖 閣︶諸 島 が 台
50
づいて自己の主張をしながら、現政権成立後の中
70
那覇
沖縄
台北
日本
東シナ海
中国
領海
南小島
中国の弱み
が多い。また冊封使の記録などで中国が尖閣諸島
51
71
領土草案では、日本側が使っていた﹁尖頭諸嶼﹂
58
和国も 年末に正式の声明を出すまで
︵外務省HP︶。
95
秩序に従うべきだ、と国際社会に強く訴える。
10
の存在を知っていたというならば、琉球人がその
久場島
魚釣島
水先案内人であり、先に知っていたのは琉球人で
尖閣諸島
20km
( 11 )
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メ デ ィ ア 展 望
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中国の主張のレベルから見て、日本側に幾つか
図の記載を全面的に否定するのは矛盾している。
国共産党機関紙の人民日報や国家認可出版社の地
書︶︶。さらに国交交渉の第3回首脳会談︵ 年9
題 は 重 く 見 る 必 要 は あ り ま せ ん﹂︵日 本 外 交 文
井上清さん︵京大名誉教授︶が熱心です。この問
が、石油の問題で歴史学者が問題にし、日本でも
う。その時、良い方法を見つけることができるだ
が 足 り な い。 次 の 世 代 は 我 々 よ り 賢 く な る だ ろ
に﹁一時棚上げしてもよい﹂﹁我々の世代は知恵
れないことで︵日中で︶一致した﹂と説明。さら
日︶ で、 田 中 首 相 が 尖 閣 問 題 に 触 れ る と、
ろう﹂と述べている︵日本記者クラブHP︶。鄧
の問題があるにしても、中国側の立場は弱いので
月
小平はこの中で、棚上げ期間をなぜか園田会談よ
さらに中国側の対日批判の大きな理由として、
社会 で は 認 め 難 い だ ろ う 。
更する根拠として大きな無理があり、現在の国際
の盛んな出動、軍の配備などによる実力行使で変
な条件をよく知っていたのだろう。彼が﹁関心が
恩来は、中国側が遅れて言い出した外交的に不利
時の中国外交部関係者は語っている。それに、周
﹁今 回 は 話 さ な い﹂ と い う こ と だ け だ っ た と 当
り、それ以上の議論にならなかった︵同︶
。
出なければ台湾も米国も問題にしない﹂とだけ語
い。石油が出るからこれが問題になった。石油が
は、当時の対ソ脅威の下で、日本との平和友好条
ためにも棚上げ論を展開したのだろう。鄧として
本国内に根強かった尖閣問題解決の主張を制する
そこで鄧小平は強く再発防止を約束する一方、日
件が起き、条約締結への影響が取り沙汰された。
0隻ともいわれる中国漁船の大集団が集結する事
りも短い﹁ 年﹂としている。
日中の先代の指導者の間で尖閣問題を﹁棚上げし
ない﹂と発言していたことも注目すべきだ。日中
約の締結がどうしても必要だったこと、尖閣問題
﹁棚 上 げ ﹂ は あ っ た の か
将来の解決に委ねる﹂ことで﹁了解と共通認識﹂
間の領土問題にしたくなかったのではないか。
さらに 年8月の日中平和友好条約調印の際の
当時の事情として、同年4月に尖閣周辺に20
での中国側の立場の弱さも考えての発言だった
が、福田内閣が黙認し条約締結に至ったという経
││ と い う 主 張 が あ る︵前 掲﹁白 書﹂、
園田外相と鄧小平副首相との会談では、園田自身
緯とみてよいだろう。
解と共通認識﹂とは、まず日中国交正常化の際に
の回顧録︵
﹃世界 日本 愛﹄
︶によれば、鄧小平
が ﹁い ま ま で ど お り 年 で も 年 で も 放 っ て お
で 合 意 し た 事 実 は な い、 と し て い る ︵外 務 省 H
た 鄧 小 平 発 言 当 時 か ら、 こ の 姿 勢 は 一 貫 し て い
﹁尖 閣 問 題 に も 触 れ る 必 要 は あ り ま せ ん。 竹 入
委員長の周恩来首相との会談メモによれば、周恩
の中国側草案を持ち帰った当時の竹入義勝公明党
方がよい﹂として、﹁国交正常化の際も今回も触
うのだから、﹁交渉する際にはこの問題を避ける
﹁釣 魚 ︵尖 閣︶ 島﹂ に 関 し て は、 双 方 の 意 見 が 違
で、内外に中国の棚上げ提案を公開した。彼は、
鄧小平は同じ日の日本記者クラブでの記者会見
巡視船で海域を抑え、さまざまなトラブル、例外
は事実と思われる。この間、日本側が基本的には
までは尖閣問題がおおよその平静を保ってきたの
て、双方の政治家の間で暗黙の了解があり、最近
国 交 正 常 化 以 来、 こ れ ま で の 互 い の 行 動 か ら 見
来は 以 下 の よ う に 語 っ た 。
先 生 も 関 心 が 無 か っ た で し ょ う。 私 も 無 か っ た
したが、福田は何も答えなかった︵外務省HP︶
。 る。しかし、棚上げの是非は別にして、実際には
でも、鄧が次の世代に任せる、との趣旨の発言を
日本政府は公式には、﹁棚上げ﹂や﹁現状維持﹂
周恩来、田中角栄両首相の間で生まれ、さらにそ
け﹂と語ったとされる。鄧小平が条約批准書交換
日の中国外交部声明など︶。中国側の言う﹁了
10
の後は日中平和条約交渉の際に、鄧小平副首相、
年9月
が あ っ た が、﹁国 有 化﹂ に よ り 日 本 側 が 破 っ た
配している尖閣諸島の現状を、対外宣伝と監視船 ﹁今回は話したくない。今これを話すのはよくな
はないか。少なくとも現実に日本が領有、実効支
72
P︶。少なくとも、中国側の考えが明らかになっ
78
のため訪日した同年 月に福田首相と行った会談
在に 至 っ て い る 、 と い う も の で あ る 。
30
( 12 )
27
福田赳夫首相、園田直外相の間で再度確認され現
12
国交正常化の際に、交渉前に訪中して共同声明
20
10
10
No.620
メ デ ィ ア 展 望
2013.8.1
もあるが島に上陸、接近しようとする動きを阻止
鄧小平が園田との会見で表明したとされる﹁
年5月、西倉一喜︶
。
事件や旧ソ連崩壊の影響で権威が低下した時期で
当時は江沢民時代だが、実力者鄧小平は天安門
当時の外務省中国課長の田島高志氏によれば、実
あり、そのため鄧は華南地方を回り、保守派に反
年でも 年でも放っておけ﹂は、会談に同席した
外交的伝統から見て、このケースで何らかの﹁密
際には﹁数年、数十年、百年でも脇に置いてもよ
月の天
約﹂があったとは考えられない。当時の自民党政
周年で、
撃する言論を展開して︵南巡講話︶帰ってきたば
かんげき
皇訪中がほぼ内定していた時期でもあった。この
かり。日中関係は国交正常化
い﹂と述べたという。鄧小平の日本記者クラブ会
年 で も﹂、あ
10
か し、 中 国 側 は ﹁
げ時代は終わり﹂という意思表示かもしれない。
なかった。当時の共同通信などの報道によれば、
たものの、天皇訪中の実現を前に強い姿勢を取ら
﹁法 整 備 の 一 環 で あ り、 新 た な 措 置 を 取 ろ う と す
る性質のものではない﹂﹁単なる国内手続き﹂と
い う 中 国 側 の 説 明 で 事 実 上、 収 め て し ま っ て い
年2月に突如として﹁領海法﹂を制定。西沙、南
一官房長官も﹁中国内では法制化の動きが進んで
がないことがより明確になった﹂と語り、加藤紘
る。斎藤氏も﹁棚上げという中国の立場に変わり
沙などとともに釣魚︵尖閣︶諸島の中国への帰属
おり、その一環だろう﹂とコメントしている。
い原案を用意した中国外交部と、尖閣も含むよう
される前の準備段階で、尖閣の名前を書き込まな
結果と言える。とはいえ日本政府としては当時、
で、中国の長期的な戦略と変化を大きく見誤った
の 行 動 も 全 て、 こ の 領 海 法 に 依 拠 し て い る わ け
中国は最近の尖閣だけでなく西沙、南沙諸島で
求める軍系統および上海、天津、海南などの代表
中国側も強く望んだ天皇訪中の実現により、過去
が修正され、尖閣の名前が入ったという︵
﹁世界﹂ の戦争の影に引きずられる両国関係の画期的な転
との間で激論があり、結局は外交部が屈し、原案
れば、全国人民代表大会常務委員会で法案が採択
を一方的に明文化した。当時の中国内部文書によ
ところが中国側は﹁棚上げ﹂を言いながら、
年領海法で棚上げ違反の中国
とになる。
とはいえ﹁百年でも﹂という鄧小平発言から見れ
取ったことになるが、日本側は外務省が抗議をし
中国はこの段階で棚上げに〝違反〟する行動を
が多い。
間隙を縫って保守派と軍が強行した結果ともみら
年でも
権と中国側の間で尖閣問題への対応について一定
な ぜ ﹁百 年 で も﹂ が ﹁
20
るいは﹁ 年﹂になったのかはっきりしない。し
法制定で後述︶。この認識は外務省当局にも引き
だ。中国の海洋調査船が尖閣の領海に異例の長時
30
月だった。中国内強硬派が言う﹁鄧の棚上
30
年、
継がれていたようだが、民主党政権で断絶が生じ
間入り調査を強行したのは、ちょうど 年を経た
尖閣諸島の日本領海の境界付近で中国海洋監視船(右上)の日
本漁船(左下)への接近を阻む海上保安庁の巡視船= 4 月23日
(共同)
20
斎 藤 邦 彦 外 務 審 議 官 が 訪 中 し て 話 し 合 っ た が、
12
ば、中国としても今もなお棚上げは有効というこ
年
たと 思 わ れ る 。
安定を保ってきたのだろう︵例外は中国側の領海
に現状変更のあからさまな行動を取らないことで
見での﹁ 年﹂とは大きく懸け離れている。
してきたことからも推定できる。ただ日本政府の
94
れ、鄧小平の関知は当然だろうが、真相はまだ謎
30
10
10
年﹂ と し て い る よ う
20
の理解ができ、﹁日本の実効支配﹂の下で、互い
30
20
92
( 13 )
08
92
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メ デ ィ ア 展 望
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ら見て、中國側は当時の日本側の﹁譲歩﹂を現段
換を期待しての方針でもあった。こうした経緯か
しかし、胡錦濤国家主席と野田首相がロシア・ウ
国側も当初はそれを受け入れそうだったという。
れたのは間違いない。
だった。普段よりさらに激烈な反日デモが誘発さ
年9月にも、中国漁船の日本巡視船への体当
漁船体当たり事件で乱暴な対応
ラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議︵A
分の立ち話会談が事実上決裂した直後、野田が翌
PEC︶首脳会議を利用して行った、わずか十数
階で 改 め て 再 評 価 す べ き だ ろ う 。
中国の宣伝戦に押される日本
の弱さを詳しく指摘する広報が不十分だったのも
実上応じているためか、日本の立場や中国側主張
題は存在しない﹂という立場に加え、棚上げに事
宣伝、準備していたのに対し、日本側は﹁領土問
者、研究者の議論などを中心に、さまざまな形で
争さえ危惧される危機的事態は正当化できない。
だけで中国側の過激な行動に続く、偶発の軍事紛
断、不用意な行動も影響したのは確かだが、それ
している。当時、国内事情優先の野田首相の誤判
胡錦濤の﹁メンツを傷つけた﹂と非公式には説明
すると中国側が突如として強硬な姿勢に出た。
断行したことで、騒ぎはさらに拡大した。日本人
運な日本人を逮捕、レアアースの対日輸出停止を
プした上、たまたま軍事施設近くに居合わせた不
除いて、民間を含めあらゆる交流を一挙にストッ
突如として乱暴な手段に出た。一般の経済交流を
中国側は、船長の身柄引き取りを実現するため、
関する当時の民主党政権の動きに不信感を持った
たり事件で、危機的状態が起きた。船長の扱いに
マイナスだった。日本外交によく見られる〝生真
だが、日本側が 年の中国の領海法制定を挙げて
日に国有化を閣議決定、その翌日に実行した。
面目さ〟もあるのかもしれない。国を挙げて主張
他方、中国側が棚上げの間にも自国の主張を学
10
部を含め、国際的にもあまりにも日本の立場と尖
とんど要点だけだった。日本国内ばかりか中国内
に最近は詳しく説明しているが、しばらく前はほ
響しているのだろう。その外務省のHPもさすが
が大きい。外交を全て外務省に任せる国民性も影
低調だった。とりわけ政治家の知識の無さの責任
者、研究者、メディアの関心も発言も、あまりに
す る 中 国 の 研 究 者 や メ デ ィ ア に 比 べ、 日 本 の 学
らの〝誤情報〟を信じ、中国側から会談を申し込
ば、野田が色良い返事をするとの日本側政治家か
報 じ た た め だ っ た。 ま た ﹁胡 錦 濤 は 野 田 と 会 え
国有化検討の方針を伝えたことを朝日新聞朝刊が
に明かしたのは、政府高官が前日、石原都知事に
ては〝魔の日〟である日中戦争開始の日に記者団
なった。まず野田首相が7月7日、中国人にとっ
﹁国 有 化 問 題﹂ に 関 し て は、 幾 つ か の 不 幸 も 重
主張を展開したという話はなぜか聞かれない。
実効支配もそのままにして収拾している。
内々には船長の不祥事を認めており、日本の尖閣
訴処分として送還したことで収まった。中国側は
員の行動を生んだ。その際は日本側が船長を不起
の際の証拠ビデオを公開して辞職するという1職
た処理に、現場の海上保安部の憤懣が高まり、そ
にとり最も危険で許し難い行為だ。政府の混乱し
上で船を故意に衝突させるという行為は、海の男
の嫌中感、警戒心を一挙に高める事態だった。海
問題にならない。しかも野田政権としても、対中
ず、﹁棚上げ﹂に対する影響も領海法に比べれば
日 本 政 府 の 国 有 化 も 実 は ﹁国 内 手 続 き﹂ に す ぎ
領海法制定の際の事情から見れば、昨年9月の
った柳条湖事件発生の同じく〝魔の日〟、9月
し、国有化が実行されたのが満州事変の発端とな
報 も 流 れ て い る が、 真 相 は 明 ら か で な い。 し か
れない返事となったので胡錦濤がキレた﹂との情
んだが、野田も日本外務省もその話を知らず、つ
過激な破壊行為も出現した。また例外を除き、高
モを引き起こし、一部都市での日本企業に対する
は、待ち構えたように、さらに激しく反日民衆デ
ところが昨年の日本側の尖閣国有化に対して
ふんまん
閣紛 争 の 実 態 が 知 ら れ て い な か っ た 。
強硬派の石原都知事の下で東京都が管理するより
日の直前だったのは野田首相と官邸の大きなミス
れた。日中交流は大筋では途絶えたままの形だ。
官の往来はもちろん、民間交流も基本的に停止さ
も、国で管理した方がよいという考えであり、中
18
( 14 )
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動し て 真 っ 向 か ら 挑 戦 し て い る 。
日本の尖閣の実効支配に対しても監視船が連日出
の要求が強いのは確かだろう。
する。尖閣の軍事上の価値は大きく、軍部内にそ
に中国の管理下に置きたいという狙いが見え隠れ
きだろう。また特に中国側に要求すべきは、紛争
る可能性があるかどうかも慎重に考慮していくべ
やりだが、過去の経緯からみて、日本に有利とな
活につながる動きで、それに対する闘争だ﹂とい
傾化、憲法改正、軍備強化、さらには軍国主義復
派の石原が主張、野田が同調した行為。日本の右
した際、中国のテレビは﹁釣魚島の国有化は、右
だろう。筆者が昨年9月のデモのころ北京に滞在
入方針を語ったものだった。それも背景にあるの
高速ミサイルの開発までも触れた上で、尖閣の購
とし、日本の核開発、中国指導者をも狙える非核
ワシントンでの石原発言は、中国を﹁主要矛盾﹂
ている様子もうかがえる。だが安倍政権と周辺の
と、その合間に聞こえる日本の声も次第に浸透し
他方、国際的には、中国の大きな声に聞き慣れる
を大きく狂わせてしまっているのかもしれない。
響力への過剰反応が加わり、対日政策で情勢判断
込んでしまった。日本での石原ら右派の政治的影
たことで、退くに退けないところに自らをも追い
のレベルを上げ、国民各層にも浸透させてしまっ
題全般に対する方針を含め、最大限に自国の主張
胡錦濤、習近平と続く中国の現政権は、領土問
長期化することが考えられる。
進むとは思えない。妥協できずに、現在の状態が
全開にしている中国側の高姿勢から見て、静かに
とはいえ交渉を始めたとしても、既にエンジンを
グを見て何らかの交渉を始めるべき段階にある。
いるが、日本の参院選が終わった現在、タイミン
日中間ではこれまでも非公式の接触が行われて
影響を顧みない乱暴な態度と言わざるを得ない。
な手法を取らないことである。責任大国としての
が起きた場合に直ちに全交流をストップするよう
なぜか日本ではあまり論じられないことだが、
う趣旨の解説を連日流していた。それ以来延々と
右寄り発言と行動がそれを邪魔しており、中国側
はそのためだろう。さらに、その後出てきた、過
寄り、あるいは中国に好意的なものが目立ったの
と海洋進出勢力の結び付きなどにより、日中国交
う国内構造の劇的な変化、軍部の発言力強化、軍
日中関係は中国の大国化、格差と特権社会とい
成熟した社会に向かおうとする中で、日本の経験
化、少子高齢化の進行などを中国自身が克服し、
の も 皮 肉 な こ と で あ る。 工 業 化 に 伴 う 環 境 の 悪
きな利益になることが目に見えている段階にある
は、両国の協力が双方にとり、これまでになく大
去の戦争に関する安倍首相の発言や閣僚のこれ見
正常化以来の経験とはまるで異なる世界に入って
84
69
( 15 )
ひ
続いた宣伝力が国内を結束させ、欧米諸国を含め
の対外宣伝を助けている。
他方、冷静に考えれば、日中の互いの国内環境
国際的にも浸透した。当時の欧米紙の論調が中国
よがしの靖国参拝などが、中国内はもちろん、国
トがある。またようやく長年の不況脱却の途上に
に基づく協力は、中国にとり計り知れないメリッ
こう着状態を解決していくのは、それだけに容
ある日本にとっても、経済不安が懸念されるとは
いることを改めて認識しなければならない。
易ではない。まず、いろいろなレベルでの交渉を
いえ、最大の貿易相手である中国市場の重要性は
際的に日本の右傾化と尖閣領有を結び付ける中国
通じ、緊張関係を緩和することが必要だが、日本
指摘するまでもないだろう。︵文中、敬称略︶
80
側の 有 力 な 宣 伝 材 料 と さ れ て い る 。
にとっては、中国監視船の領海接近を退け、事件
75
容易でないこう着状況からの脱却
中 国 の 狙 い は、 日 本 が ﹁領 土 問 題 は 存 在 し な
年 香 港、
の前の状態に戻さない限り妥協は難しい。その後
な か じ ま ひ ろ し 元 共 同 通 信 記 者。
年、 ∼ 年に北京駐在。
∼
72
冊封使 中国で天子の勅を奉じて周辺諸国に使し、
封爵を授ける使節。
年、
い﹂としている状態を力でこじ開け、交渉の場に
流再開を目指すことになる。中国側が最近ちらつ
は関係の正常化、民間友好を含めた各レベルの交
とにあると思われる。長期的には中国の海洋進出
かせる棚上げ問題も、日本側は公式には否定一本
引き出し、当面は尖閣の共同管理への道を開くこ
という巨大戦略のすぐ出口にある尖閣を、全面的
70
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﹁リベラル﹂再生の条件
安倍﹁右傾化﹂路線への対抗軸を
栗 原
猛
せて不満を分散しようとしているのが分かってい
るのだが、打つ手がない﹂とも言う。連合のおひ
ざ元の事情も複雑で、防衛産業に関わる民間労組
の中には、憲法改正賛否の世論調査を始める動き
が あ り、 改 憲 支 持 に 踏 み 切 る 可 能 性 も あ る と い
う。
会審議や国民の間で十分な議論がされないまま、
た。最も気掛かりなことは巨大与党の出現で、国
参院選は民主党など野党勢に厳しい結果となっ
本来なら民主党と連合がそろって、政府や経済界
のトップは経済3団体に賃上げを要請している。
を切って始まった。その後、繰り返し政府、与党
の改善している企業は賃上げしてほしい﹂と口火
っている﹂と言った。連合の消極姿勢が労働運動
を求めることもしない。われわれは一人一人でや
る人々は﹁労組から支援の申し出もないし、協力
稼働に反対して通商産業省前にテントを張ってい
ところ、全て後手に回っているのも痛い。原発再
これまで社会の変化に敏感だった労働界がこの
安倍晋三首相の右傾化路線がまかり通っていくこ
に要請すべきところだが、すっかり政府、与党に
︵元明治大学特別招聘教授︶
とである。政権与党に対しチェック機能を果たし
と市民運動の間に深い溝を作っている。
日本の労働組合は企業別組合を中心に構成され
お株を奪われてしまった。ただ、その結果がわず
円のアップだったから、安倍政権にとっても
円増だった。これは大企業を対象にしたもの
56組合の今春闘の平均賃上げ額は、前年比わず
のが春闘そのものである。連合によると傘下14
重大局面を迎えている。鼎の軽重を問われている
合会︵連合、約680万人︶は、いま結成以来の
リベラルの一翼を担ってきた日本労働組合総連
古参幹部は﹁これほど労組に手を突っ込んでくる
に分断することをもくろんでいるらしい。連合の
同 盟﹂︶と、官 公 労 系︵自 治 労、日 教 組 な ど︶と
は﹁全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合
合を柔軟な民間労組系︵UAゼンセン=正式名称
までになく執拗だった。政府、与党はどうやら連
連合の組織そのものに対する揺さぶりも、これ
ヨーロッパの労働組合は産業別だから、こうい
きなテーマに取り組むのが苦手だ。
権、平和、高齢社会など、職場や地域を超えた大
う。原発・エネルギーとか高齢化社会、環境、人
その企業の業績や内部留保などに左右されてしま
も個々の企業主と組合の交渉ごとになり、結局、
組合は産業別になっていない。だから、どうして
境の壁を越えてどんどん広がっているのに、労働
( 16 )
てき た リ ベ ラ ル 勢 力 の 再 起 が 待 た れ る 。
か
で、中小企業になるともっと厳しい。もう一点は
政権はなかった。連合が分裂すれば、必然的に民
うことはない。原発とか平和、雇用などがテーマ
ている。企業はグローバリズムの波に乗って、国
勢いに乗じて安倍政権が公務員改革、教員削減に
主党も左右に分裂せざるを得なくなる。安倍政権
になると国境を超えて広く連帯する。労組もグロ
賃上げの壁は厚かったと言える。
取り組み始めたことである。いずれも組織の存亡
はレジームチェンジ︵体制転換︶と憲法改正に向
ーバリズム時代の視点を持って、お隣の韓国や台
しつよう
に関 わ る 重 大 事 だ 。
けて幅広く環境づくりを進めている﹂とみる。ま
湾の労組と雇用とか賃金、日本の右傾化などにつ
かなえ
春闘では政府、与党の介入がこれまでになく激
た﹁経済が悪くなると中国、韓国、北朝鮮など外
いて連帯があってもいいのではないか。
か
しかったという。今年3月、麻生太郎副総理兼財
に﹃敵﹄をつくって、国民の目をそちらに向けさ
執拗に労働界の分断狙う
51
務相が、米倉弘昌経団連会長と会談して、﹁業績
51
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自民党リベラル派と連携模索
くも安倍首相の父方の祖父、寛氏はこの大政翼賛 ﹁戦後の日米安保体制を否定しかねない﹂と強い
障への参加まで議論が進みそうだ。国会の﹁ねじ
国連軍の指揮下に自衛隊を組み入れる集団安全保
道﹂が 削 除 さ れ、代 わ っ て﹁生 活 者﹂﹁納 税 者﹂
は、原 案 に あ っ た﹁左 派﹂と か﹁リ ベ ラ ル﹂﹁中
ところが、民主党が今年春に作成した綱領から
ば、予算編成も含めて戦後レジーム転換の一環と
ル 派 議 員 は ﹁安 倍 さ ん は 決 し て 諦 め な い。 例 え
は抑え気味だった。ただ自民党の数少ないリベラ
戦で臨む﹂と態度を軟化させ、参院選中も改憲論
安倍周辺は﹁向こう3年間は選挙がないので長期
懸念を示したといわれる。自民党党内にも、慎重
﹁働く者﹂が登場した。松下政経塾出身
手詰まり感はあるものの、政治運営もまずは順調 ﹁消費者﹂
れ﹂が解消し、中国や韓国との安倍アジア外交に
の議員を中心に﹁リベラル﹂は好みでなかったよ
位置付けていくのではないか。教育改革で愛国心
会選挙に反発、非推薦で出馬して当選した数少な
である。さらに株高と円安が続けば、内閣支持率
うだ。立候補者からは参院選中に民主党の新聞や
教 育 を や り や す く し た り、 野 党 工 作 を し た り し
な対応を求める声が出た。思わぬ波紋の広がりに
は高止まりとなり、野党側が安倍路線にブレーキ
ビラなどを配ろうとしても、露骨に断られる場面
て、改憲ムードを盛り上げることに精を出すので
い反骨の士だった。
をかけることは難しくなる。そうなると日本の政
がしばしばだったと嘆き節が聞かれる。不思議な
こうした中で、集団的自衛権の行使どころか、
治は、太平洋戦争が始まる前の大政翼賛会による
はないか﹂と見る。
こうしたことから、官公労系主力の自治労や日
のは、なぜ民主党が信頼を失ったのか、いまだに
理解できないでいる議員が少なくないことであ
教組などには、自民党のリベラル勢力と新たな関
係を探ろうとする動きが出始めた。その方が、安
る。実はその方がより深刻である。
多くの議員は﹁身を粉にして、国民のために一
倍政権が暴走した場合の抑止力になるし、組織防
その自民党のリベラル勢力だが、このところ人
生懸命頑張っているのに理解してもらえない﹂と
底改革してからだ﹂と約束しながら、政権に就い
材が相次いで一線を去るなど精彩はもうひとつで
衛にもなるのではないかという思惑もある。
たら十分な説明もなく、百八十度違う約束違反を
ある。自民党では長い間、﹁保守リベラル﹂とか
言う。しかし、政権に就く前に﹁消費税増税は徹
したことが原因であることに気が付かないのであ
命、財産、権利、義務に関わるから﹁税こそ議会
主 義 の 肝 心 要 な と こ ろ だ。 と り わ け 税 は 人 の 生
ら十分な説明責任を果たす││それが議会制民主
り、戦後は早い次期から経済復興や日中国交回復
湛 山 が い る。 戦 前 は ﹁小 日 本 主 義﹂ の 論 陣 を 張
家に、言論人から政治家になり首相を務めた石橋
た。例えば戦後﹁リベラル宰相﹂と呼ばれた政治
﹁中道﹂を自任する勢力に存在感があっ
る。約束をしたら守る。どうしても守れなかった ﹁ハト派﹂
政治の母﹂とさえいわれる。肝心な点がまだ理解
を提唱した。大蔵省︵現財務省︶でくすぶってい
池田元首相の宏池会︵現在は岸田派、領袖は岸
りょうしゅう
た池田勇人元首相を事務次官に抜てきした。
できていないのだ。
今年5月、欧米のメディアから安倍政権の右寄
り路線に対して厳しい批判が出た。オバマ政権も
( 17 )
一党支配のような政治状況になりかねない。くし
脱原発を訴え国会周辺をデモする市民たち。多様な各層の再
結集はあるのか(共同)
=12年 7 月29日
No.620
メ デ ィ ア 展 望
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集団的自衛権の行使や憲法9条の改正などに慎重
沢喜一ら元首相がおり、武器輸出3原則の堅持、
田文雄外相︶の流れには大平正芳、鈴木善幸、宮
る。ヨーロッパでは、根強い身分制度を背景に、
差 是 正 に 力 を 入 れ て お り、 大 き な 政 府 を 志 向 す
って貧困の救済や雇用創出、グローバル経済の格
バマ政権を支える民主党がリベラルで、財政を使
の識者が指摘する。労働組合の組織率は
一気呵成に走りだすところがある││とよく欧米
事なことをその場の空気で決め、方向が決まると
まま世代交代が進んだことも大きい。日本人は大
い世代になったが、歴史の教訓が引き継がれない
組合主義を掲げ、﹁中道左派﹂と呼ばれた。これ
るアジア外交を展開した。三木武夫元首相は協同
交正常化を果たしたことから、日中関係を重視す
派﹂﹁中道リベラル﹂
﹁左派リベラル﹂などと呼ば
るのが特徴だ。日本では﹁保守リベラル﹂﹁ハト
われる。それぞれ歴史を背景に、すっきりしてい
労働組合を基盤にした社民党政権がリベラルとい
ではなさそうだ。だが、間もなく4000万人が
こう見てくると、リベラルの再生は簡単なこと
などが大きな問題だと思われるが、動きは鈍い。
と先細りである。未組織労働者にどう対応するか
か せい
だった。鈴木の初出馬は何と日本社会党からだっ
キリスト教系の政党が保守党で、これに対抗する
・9%
た。また、田中角栄首相の流れは、田中が日中国
に対して安倍首相の母方の祖父、岸信介元首相ら
れ、幅広く、しかも曖昧で線引きが難しい。
歳以上という少子高齢化社会に入る。年収20
の改 憲 ナ シ ョ ナ リ ズ ム 勢 力 が あ っ た 。
17
け、高度成長後の次の長期目標を示そうとした。
など自らの理念を反映させる九つの研究機関を設
﹁田園都市構想﹂﹁文化の時代﹂﹁環太平洋構想﹂
この中で特異な存在は大平ではないか。大平は
れた 年﹂といわれる経済の低迷、尖閣諸島問題
国の経済成長に対するある種の脅威論や、﹁失わ
生への糸口を考えてみたい。背景には、中国や韓
リベラル衰退の原因を探ることで、リベラル再
ルな資本主義に対して、格差を減らしていくこと
え、3人に1人は不安定な非正社員だ。グローバ
春大学卒予定者の就職内定率は好転したとはい
0万円以下の人が総労働人口の %を占めた。来
65
っても存在感を持っている。米国の保守は個人の
が社会的な背景や歴史を背負っていて、盛衰はあ
ここで欧米のリベラルを見てみよう。それぞれ
その 旗 印 の キ ー ワ ー ド に な る の で は な い か 。
んでいる。近い将来、政界再編があるとすれば、
社会的連帯﹂などは、今読んでも新鮮で含蓄に富
域の多様性に基づく地域の発展﹂﹁家庭の自立と
﹁文化と暮らしの充実﹂﹁都市と自然の融合﹂﹁地
だった。政治や経済、時代状況も当時と全く違う
は大きな活字で取り上げたが、拍手喝采するよう
き、政治家や財界人のテロが続いた。当時の新聞
を聞いた若手将校が同情して右翼青年に結び付
を売りに出す。国民皆兵だったから、兵から窮状
で極端に悪くなる。凶作も重なり東北では娘さん
大戦の後、景気が極端に良くなったが、その反動
ったら政治は注意しないといけない。第1次世界
後藤田正晴元副総理︵故人︶は﹁景気が悪くな
ショナリズムや右傾化の弾みになったと思われる。
や北朝鮮の核開発、拉致問題などが重なって、ナ
とか平等、公平、平和、安全とか立憲主義などは
である。リベラルが掲げてきた思想、信条の自由
に、リベラルの再結集を促す空気が出てくるはず
ル ー プ も 現 れ て い る。 そ の 過 程 で ﹁憲 法﹂ を 軸
都市と農村をつなぐネットワークに組織化するグ
営利団体︵NPO︶の活動が活発だった。これを
東日本大震災の被災地では、若者や学生の民間非
ないか。アベノミクスは自助努力を強調するが、
時代を切り開いていくことがリベラルの面目では
少子高齢化社会を切り開いていく構想を創造し、
リベラル政治の立て直しが急がれる。
このような諸課題に対して、厳しい財政事情と
も立派なリベラルのテーマである。
自由は規制せずに自由放任と自助を大事に考える
が、経済が悪くなった時には政治はよほど注意し
新たな理念でリベラル再結集を
から、政府はできるだけ小さい方がよいとする。
今や与野党議員の %以上が戦争経験を知らな
人類普遍の原理であり、こうした価値を踏まえた
34
ないといけない﹂
││とよく言っていた。
20
従って公共事業や社会保障などへの税金の使い方
を抑える立場が、保守の共和党である。一方のオ
80
( 18 )
No.620
メ デ ィ ア 展 望
2013.8.1
中国もコミュニティー紙に注目
新たな成長の芽に熱い視線
ビス情報などが主で、広告はクラシファイドアド
てはカバー率、閲読率を重視。当初はマンション
を図ることを旨としている。一方、広告媒体とし
か。「社区報経営の過程で、私たちは広告主企業
で は、 広 告 主 サ イ ド は 社 区 報 を ど う 見 て い る
確実に届くよう、全て郵便局経由に改めた。
入り口などにまとめ置きしていたが、家庭の中に
が多い。社区報の収入源は広告と事業。
年代に急成長した都市報が有料で、日刊、数
十万~100万部超の発行部数を持ち、イメージ
広告が多く、収入源は購読料と広告──という概
況とは相当に異なる。
新聞の限界がささやかれだし、新たな「成長点」
に熱い視線が注がれている。広告の大幅減など、
事 に こ だ わ り、 読 者 の 興 味 関 心 の 多 様 化 に 合 わ
ャー情報を各4㌻ずつ掲載。「読者に身近で、小
㌻、コミュニティーの話題、生活実用情報、レジ
そうであれば、イメージ広告を大量出稿するの
新民晩報の李瑋氏は語る。
ケティングに転換しつつあることに気付いた」と
て、従来の粗放型販売から精緻なダイレクトマー
もまたコミュニティーマーケティングを重視し
を探ることが急務となってきたためだ。1990
せ、かつ実用性を重んじる」がモットー。週4回
ではなく、ソフトコミュニケーションやイベント
具体例を挙げてみる。「新民晩報社区版」は
年代、当時の新聞界の面目を一新した「都市報」
刊で、編集スタッフは7人。上海の中心6地区で
マーケティングで、じわり消費者にブランドを浸
中国で今、コミュニティーペーパー(社区報)
のような存在になり得るのかどうかに、模索が始
250の中・高級住宅街と300の一級オフィス
始まりは2001年に深圳南山区でテスト発行
回刊。同紙は地区ごとに「坪山通」
「福田通」
「龍
区で発行する「鵬城通」は 年8月創刊で、週1
広州に本社を置く「南方都市報」が深圳の7地
しかし、これで前途洋々かというと、そうはい
区報が選ばれるのは自然な成り行きかもしれな
そのツールとして、コミュニティーにこだわる社
透させる手法が多用されるようになるわけだが、
された「南山日報」とされる。その後に、長春、
崗通」などのタイトルを付けて紙面を一部切り替
か な い。 ま ず、 社 区 報 の 法 的 な 位 置 付 け が 曖 昧
ビルを配布対象としている。
広州など各地で幾つかの社区報がつくられたが、
える。8㌻建て。広告媒体としてだけではなく、
で、政策が少し変更されただけで停刊のリスクさ
ので 、 大 ま か な イ メ ー ジ を 書 き 出 し て み る 。
政策的あるいは財政的理由でいずれも短期間で停
本紙拡張および本社事業、広告営業の拡大、深化
広東省仏山の「珠江時報」は 年 月に同社初
の社区報「桂城社区週刊」を創刊。以降、 年に
年
えあること。従って社区報の役割、機能も流動的
なこと。これでは、広告主企業からも十分な信頼
を得られない。また、成熟したコミュニティーが
全国にどれほどあるのかも未知数だ。
に「九江社区報」を相次いで発刊した。同紙編集
そ れ で も、 新 た な 成 長 の 芽 を 何 と か 育 て た い
が独自の編集部を持って運営するケース、都市報
部によれば、社区報は地区当局の宣伝を目的とせ
(参考:
「中国報業」6月号)
──新聞社側の危機感が伝わってくる。
や小規模県市紙が業態を変更して発行しているケ
ず、また読者の好奇心をあおることも目的としな
コンテンツは当該コミュニティーの話題やサー
ース な ど さ ま ざ ま 。
年に「獅山樹本週報」、
い。
刊した。新聞出版総署が正式に批准した初の社区
を進めるためのプラットホームの役割も担う。
ある 。
12
(木原 正博 =日本新聞協会事務局長付専門委員)
多く、1号当たり部数は2万~5万部。報業集団 「羅村社区週刊」、
発行形態は大部分がフリーペーパーで、週刊が
10
報は、 年3月創刊の上海「新民晩報社区版」で
社区報には、まだ明確な定義がなく統計もない
まっ て い る 。
12
13
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( 19 )
90
い。地区と人々の間に立ってコミュニケーション
11
07
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客となる数百万人の米市民の電話の通信記録を収
9日、ガーディアンは一連の情報のリーク者が
国人の通信記録を収集し、米国外の市民について
米国家安全保障局︵NSA︶が何百万人もの米
番号、位置情報、通話時間などが含まれていた。
信内容は入らないものの、受信者・発信者の電話
に提供するよう求める文書だった。通信記録に通
を利用する米国人顧客の電話の通信記録をNSA
イゾン社に対する秘密の命令で、同社のサービス
どの是非を判断する米外国情報監視裁判所のベラ
同紙が入手した資料は、政府機関による盗聴な
を対象﹂として大規模な監視行為を行っているこ
当局が﹁どんな罪の容疑者にもなっていない市民
画も公開された。動画の中でスノーデン氏は、米
港に滞在中のスノーデン氏をインタビューする動
を書いた米国人グレン・グリーンウォルド氏が香
アンのブロガーの1人で、先にNSAの暴露記事
の身元を明かすことを決断したという。ガーディ
氏は内部告発の信ぴょう性を高めるために、自ら
スノーデン氏であることを公表した。スノーデン
も大手ネット企業を通じて利用者の個人情報を取
何らかの犯罪の疑いがあるかどうかとは無関係
とに﹁恐ろしさ﹂を感じ、﹁全ての言動が記録さ
集している、とすっぱ抜いた。
得していた上に、欧州連合︵EU︶の各国政府機
に、数百万人規模の米国人の電話通信情報が収集
れる世界に生きたくない﹂という理由から、内部
欧米諜報機関 の 相 互 盗 聴 明 る み に
関を対象に盗聴行為を行っていた││。6月初旬
されていた、とガーディアンは報じた。
部告 発 を 行 っ た エ ド ワ ー ド ・ ス ノ ー デ ン 氏 ︵ ︶
情報源は米中央情報局︵CIA︶の元職員で内
監視行為が暴露され、大きな波紋を呼んでいる。
画、写真、音声、ソーシャルメディアの情報など
ト 企 業 か ら 利 用 者 の 検 索 履 歴、 電 子 メ ー ル、 動
I︶がグーグルやフェイスブック、その他のネッ
6日には両紙が、NSAと米連邦捜査局︵FB
府が香港や中国本土のコンピューターに違法アク
のプリズム計画の対象国には中国も含まれ、米政
ング・ポストの取材に応じたスノーデン氏は、先
その後、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニ
国際化したCIA元職員の暴露
から、複数のメディアによって米政府の大規模な
だ。告発前はハワイに住み、防衛関連のコンサル
を 入 手 し て い た と 報 じ た。 こ の 情 報 取 得 手 法 は
テロ対策などを目的に捜査機関の権限を強化した
担当する諜報機関、英政府通信本部︵GCHQ ︶
載。今度は英国内外の情報収集・暗号解読業務を
︶の 首 脳 会 合 や 同 年 9 月 の 財 務 相 ・ 中 央 銀
5日、NSAが米通信会社最大手ベライゾンの顧
が中心となって報じてきた。ガーディアンは6月
を防ぐなどの安全保障上の目的があるという。
対象者はあくまでも米国外に住む人であり、テロ
を秘密裏に傍受していたと報じた。情報収集のた
行総裁会議で、各国代表団の電話先や電子メール
20
( 20 )
告発を決心したと語っていた。
ティング企業でNSAの脅威監視センターのシス
で電話先など傍受
日付で報道された。
英機関もG
外国情報監視法︵FISA︶に基づいて、裁判所
が2009年にロンドンで開かれた カ国・地域
は
セスを行っていたと述べた。インタビューの内容
要を公式サイトに掲載した。それによると、プリ
のジェームズ・クラッパー氏がプリズム計画の概
8日、米国の情報機関を統括する国家情報長官
テム管理者として働いていた。香港でメディアの ﹁プリズム計画﹂と名付けられていたという。
取材に応じた後、モスクワ市内のシェレメチェボ
国際空港内に滞在中とみられている。亡命先を探
して い る が 、 受 け 入 れ 国 が 確 定 し て い な い 。
日、 ガ ー デ ィ ア ン が 新 た な リ ー ク 情 報 を 掲
NSAによる米国内外の大規模な情報収集は、
から認可を受けた場合に、外国の情報を電子通信
ズムは政府のコンピューターシステムの一部で、
同氏からのリーク情報を基にし、6月初旬を皮切
サービス提供者から収集する仕組み。情報収集の ︵G
20
ちょうほう
りに英ガーディアン紙と米ワシントン・ポスト紙
英ガーディアン紙がスクープ
20
13
16
30
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め偽のインターネットカフェも設置していた。
仏機関も情報収集活動
4日には仏ルモンド紙が、フランスでもNSA
のような情報収集が行われていると報じた。同国
た件数を6月中に発表しているが、そのうちの何
件がプリズム計画に関わる案件だったのかは明ら
かにされていない。
日 に は ド イ ツ の 週 刊 誌 ﹁シ ュ ピ ー ゲ
ラ﹂計画︶、この情報をNS A と共有していたと
回線から﹁秘密裏に﹂情報を取得し︵﹁テンポー
ビルの地下に保存、国民の通信活動の全てが監視
集、この﹁巨大なデータベース﹂をDGSE本部
や検索などのネット活動を何年にもわたって収
ス国民の電話、電子メール、ソーシャルメディア
に、米政府によるEU機関への盗聴行為が明るみ
い。 と い う の も ル モ ン ド 紙 の 報 道 で 分 か る よ う
情報を収集する手法も大きく変わるとは思えな
ると思う人は誰もいないだろう。秘密裏に大量の
これを機会に各国が互いへの諜報活動を停止す
諜報活動はなくならず
ル﹂が、NSAはニューヨークやワシントンにあ
されているという。同紙はNSAによる欧州の市
に出ても、EU側あるいは米国以外の国が同様の
の諜報機関の対外治安総局︵DGSE︶はフラン
るEUの建物に盗聴器を仕掛け、コンピューター
民や機関への監視活動にフランスが強く抗議しな
行為をしていないとは限らず、米国に行動を正す
報 じ た。
に違法アクセスしていたと報道した。これも情報
かった理由が﹁二つある。一つは政府が既に存在
源は ス ノ ー デ ン 氏 で あ る 。
7月1日付ワシントン・ポストはFBIが複数
け、この機材を通じて情報をCIAやNSAに流
について徹底的な調査を行うとする決議を可決、
欧州議会は米政府によるEU機関への諜報活動
集を支持している。諜報の現場は何も変わらない
の人が当局による安全保障の維持のための情報収
の米ネット企業の建物の中に特殊な機材を取り付
していた、と伝えた。今年4月時点で 万765
はどの国でも必要とされる。諜報活動という秘密
また、私たちのデジタルの足跡を追っているの
NSAの秘密裏の情報収集活動が暴露されたこ
つ百パーセント、プライバシーが守られて、全く
は 大 手 ネ ッ ト 企 業 も 同 様 だ。 英 誌 ﹁エ コ ノ ミ ス
裏の行動にも透明性が強く求められるようになっ
不都合なことが起きない││ということはあり得
ト﹂は﹁グーグルは一国の政府よりもずっとたく
とに対し、米英政府は世論対策に懸命だ。オバマ
ない﹂と発言し、ヘイグ英外相は﹁法を順守する
さんの情報を知っている﹂と題する記事︵6月
ていることも確かだ。
市民は心配することはない﹂と述べた。
米大統領は﹁百パーセントの安全が保障され、か
という可能性もある。しかし、国民への説明責任
複数の世論調査では、米国民の半数かそれ以上
ように強制できる国は皆無と推測されるからだ。
29
年末までに結果をまとめる予定だ。
同じことをやっているからだ﹂と書いた。
を知っていたからであり、もう一つは自分たちも
日にガーディアンはGCHQ が英国内の通信
報道 と な っ た 。
アイルランドのロックアーンで開催される直前の
日と 日に主要8カ国︵G8︶首脳会議が英領北
17
「ヒーロー」と記されたスノーデン氏
の写真を掲げる支持者= 7 月 4 日、ボ
ストン(ロイター=共同)
から疑念の目を向けられた主要ネット企業︵ヤフ
政府に顧客情報を渡したことでメディアや国民
政府ではなくてグーグルではないか﹂と書いた。
日付︶の中で、﹁スパイ活動を行っているのは、
︵小林 恭子 =在英ジャーナリスト︶
ぎん こ
こういう視点も忘れてはいけないだろう。
など︶はそれぞれ、米当局からデータを求められ
ー、アップル、マイクロソフト、フェイスブック
11
( 21 )
18
21
件の 情 報 が 保 存 さ れ て い た と い う 。
11
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原爆投下に三つの大罪
﹁もしも﹂でたどる日米終戦史︵下︶
仲
晃
︵共同通信社社友︶
アトリー首相︶と2人きりになる機会が頻繁にあ
ったのに、ハイドパーク協定には一度も触れなか
った。
降伏のきっかけは長崎原爆かソ連参戦か
年8月6日の広島への原爆投下だけで、
第2点は、かなりの推測を伴う﹁もしも﹂にな
るが、
1945年8月6日の広島と、同9日の長崎へ
た。
は、 歴 史 に 残 る 〝悪 名〟 を と ど め る こ と に な っ
を行った。その際、米英両首脳は近く完成が予想
あるルーズベルト大統領の生家兼別荘で首脳会談
ーヨーク市のはるか北にある寒村ハイドパークに
日に、チャーチル英首相はアメリカを訪問。ニュ
三つの出来事が、日本の降伏にそれぞれどのよう
アメリカが長崎に2発目の原爆を投下する。この
東北部︶への侵攻を開始した。同じ日に、今度は
に宣戦を布告し、怒濤の勢いで満州︵現在の中国
からない。その3日後の9日に、ソ連が突如日本
日本の降伏が実現していたかどうかは、誰にも分
の原爆投下には、アメリカ側に次の三つの大きな
される原爆についても話し合い、日本には﹁熟慮
な影響を与えたかは専門家の間でも戦後長い論争
営の軍事的優勢が明らかになってきた 年9月
問題 点 が あ っ た と 言 わ ね ば な ら な い 。
の上﹂投下することになろう、という趣旨の秘密
ど とう
①史上初の原爆を日本に投下するに当たってト
切らせるには広島への1発の原爆だけで十分だっ
②巨大な軍事的打撃を日本に与え、降伏に踏み
した﹁熟慮の上﹂という条件を完全に無視した。
投下の必要がないほど戦局が連合国側に有利に傾
ある。これは近いうちに日本が降伏したり、原爆
の上﹂という条件を付けたことに注目する必要が
この協定が日本への原爆投下にわざわざ﹁熟慮
が、これがなくても多少の時間的遅れだけで、日
押し﹂になったのは、恐らく間違いないところだ
アメリカによる長崎原爆の投下が最後の﹁駄目
ったとみる人が多いが、それでも決め手はない。
後のソ連参戦が日本の降伏を引き出す決定打にな
た可能性があるのに、2発目まであえて長崎に投
る。
との意味が問題になる。日本の降伏の遅れにアメ
けを重視し、放射能による住民への半永続的な被
ク協定に言及したり、英国側と﹁熟慮﹂したりし
から8月の終戦までの4カ月間、このハイドパー
向きが今も少なくない。ウラン235を起爆剤と
えて純軍事的目的があったのではないか、とみる
の大きな要因だったが、そうした政治的背景に加
リカ政府がイライラしていたのが、長崎への投下
害の可能性を全く意識せず、当然ながら政府首脳
たことを示す資料は一切ない。7月中旬にドイツ
まず第1点だが、第2次世界大戦で、連合国陣
部に も 伝 え て い な か っ た 。
する最初の広島原爆だけでは満足せず、同時に完
だが、トルーマンが大統領に昇格した 年4月
そうなると、米国が2発目の原爆を投下したこ
本の降伏が実現したとみることもできる。
下し た 。
③原爆の製造に当たったアメリカの科学者グル
ープにはノーベル賞クラスの有名な科学者が多数
を投下しない可能性を示唆したとみることができ
いている場合もあることを想定し、その時は原爆
て公表された文書がそれである。
が続いているが、いまだに結論が出ていない。最
人類史上初の原爆を投下したトルーマン大統領
45
の合意に達した。後に﹁ハイドパーク協定﹂とし
18
のポツダムでチャーチル英首相︵会談後半からは
いたのに、原爆が生み出す巨大な爆風の殺傷力だ
45
( 22 )
44
ルーマン政権は、前年 ︵昭和 ︶年9月に、米
19
英最高首脳がハイドパーク会談の際、文書で交わ
44
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メ デ ィ ア 展 望
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爆の軍事的破壊力を試したのではないか、とする
成したプルトニウム239を起爆剤とする長崎原
の科学者たちの体験記録をまとめて ︵昭和
については、アメリカの原爆開発に従事した 人
た。翌年アメリカに移住し、マンハッタン計画の
見方である。既に触れたように、原爆製造の﹁マ
年
年にアメリカで出版された﹃われらの時代に起こ
害について、トルーマン大統領以下のアメリカ政
が、日本に投下する原爆が持つ恐るべき放射能の
年 岩 波 書 店 よ り 刊 行。
ったこと﹄︵邦訳は
︶ 〝頭 脳〟 の よ う な 存 在 だ っ た。 こ ん な 科 学 者 た ち
50 12
ンハッタン計画﹂には、当時としては天文学的な
75
90
訳者の一人で、著名な核科学者として知られた
奥地幹雄訳︶という本がある。
終わった場合の国民からの批判も、視野に入れな
中村誠太郎元名大教授が、﹁あとがき﹂でこう書
は、科学者の間でも﹁熟慮﹂なしに実行されたの
である。
はなかろうか、と周囲に漏らしていたと伝えられ
ったとしても、長崎原爆までは不必要だったので
伏に踏み切らせるために広島原爆はやむを得なか
ード大学教授のライシャワー氏は生前、日本を降
たちが心配していたのは、被害をこれから
爆投下のスケジュールを組んでいた科学者
つかんで走るのを、特技として自慢していた。原
たエンリコ・フェルミですら、放射能物質を手で
しているのに、である。原爆研究の中心人物だっ
発に携わった2人の人物が、放射能の事故で死去
て、深くは気に留めていなかったことである。開
下によって生ずる住民たちの放射能障害につい
に関与した科学者たちが、自分の、そして原爆投
﹁こ の 本 を 読 ん で 気 に な る の は、 原 爆 製 造 計 画
濃くなっていた。にもかかわらず、米英首脳は原
えばサイパン、グアムの玉砕など、もはや敗色が
攻撃で、市民を震え上がらせていた。日本はとい
ンドンへのV2号ロケットによる仮借ない市街地
イツはひと頃の勢いはなくなっていたものの、ロ
パークで原爆問題を討議した
は、なぜかというのがそれだ。米英首脳がハイド
いるドイツが原爆投下の対象にならなかったの
ユダヤ人600万人以上を虐殺したと批判されて
る。第2次大戦中、日本と並んで枢軸側に立ち、
最 後 に、 戦 後 長 い 間 胸 に 秘 め て き た 疑 問 が あ
対独原爆投下は議論した形跡なし
ている。いずれにしても、長崎原爆が、米英両国
受ける︵日本の︶住民たちの長期にわたる
爆を日本に投下する問題だけを取り上げ、ドイツ
いている︵要約︶
。
の 間 で は も ち ろ ん、 米 政 府 首 脳 部 の 間 で す ら、
運命ではなく、投下当日の広島と長崎の空
への投下を議論した形跡はまるでない。原爆が
年9月時点で、ド
﹁熟慮 の 上 ﹂ 投 下 さ れ た 兆 候 は 見 ら れ な い 。
気力学的条件︵つまり天候︶と、投下する
年7月に完成し、ドイツがその直前の5月に降伏
第3点、原爆投下が住民にもたらす放射能被害
日 ま で に、︵投 下 部 隊 が︶日 本 軍 に 襲 撃 さ
うことになった。
送られたことに人種意識はなかったのだろうか。
年のノーベル物理学賞を受賞し
フェルミ博士はイタリアの物理学者で、
ークで十分議論の対象になり得たはずなのに、見
45
44
その代償にアメリカは歴史に永遠の負い目を背負
などで
38
中性子放射による新放射性元素の存在証明
う﹂
したのは偶然であり、ドイツへの投下はハイドパ
ケネディ政権時代に駐日大使を務めた元ハーバ
ければならなかったとする見方は当然成立する。
な一部である第2の原爆を使用しないまま戦争が
予算が税金から支払われている。この計画の重要 ﹃原爆を作った科学者たち﹄と改題。中村誠太郎、 府 首 脳 部 に 警 告 す る は ず も な か っ た。 原 爆 投 下
79
れるのではないかという恐れであったとい
1945年 8 月 9 日、長崎に投下された原爆
のきのこ雲(共同)
( 23 )
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ハノイ潜伏の汪兆銘側近暗殺さる
松本重治│松方三郎の和平工作
同盟の異能記者の遺稿発見
時代﹄︶。松本によると、﹁撤兵づき和平運動は近
衛声明を機に消滅した。汪工作は近衛声明後に生
ま れ た も の で、 二 つ は 一 つ で あ る こ と は な い﹂
︵
﹃近衛時代﹄︶
。
汪兆銘は近衛の声明に呼応して、﹁和平反共救
国﹂を訴えた声明を 日付で発表した。汪の声明
を伝えた同盟香港支局の報道は、国際的スクープ
となった。松本重治は 日に熱田丸に乗り、6年
1938年8月に同盟北支総局長になっていた
盟香港支局は 日、香港の英語新聞チャイナ・メ
夫人の陳璧君、秘書の曽仲鳴が汪に同行した。同
活に入った。近衛は翌年1月4日、突然内閣を投
間を過ごした上海をあとにした。日本では療養生
鳥 居 英 晴
︵共同 通信社 社友︶
松方三郎は 月、香港支局長兼務となり、香港に
3 回続きの(中)
としている。しかし、むしろ9月に腸チフスにか
し軍の要望により、香港で対外放送に当たるため
駐在した。﹃通信社史﹄はこれを、広東作戦に際
出の連絡を受けて、近衛首相は 日、声明を発表
声明を発表する手はずを整えていた。汪の重慶脱
日本政府は汪の重慶脱出と同時に、近衛首相が
ールの報道を引用し、汪の重慶脱出を打電した。
の政変が、汪兆銘をどんなに落胆させたか、想像
げ出し、翌日、平沼騏一郎内閣が成立した。﹁こ
まいしん
えて東亜新秩序の建設に向かって邁進﹂するよう
ハノイ特派員の大屋は 年 月
日朝、いつもの
大屋久寿雄の遺稿﹃戦争巡歴﹄に戻ろう。同盟
汪の居所を突き止めよと指令
に難くなかった﹂
︵
﹃近衛時代﹄
︶。
かり、入院した中南支総局長松本重治の和平工作
あい て
月3日、﹁国民政府を対手と
せず﹂という声明を修正し、﹁東亜新秩序の建設﹂ 呼び掛けた。さらに﹁東亜新秩序の建設を共同の
ように軽い朝食を取りながらフランス語新聞に目
で極秘裏に空路、ハノイに潜入した、という新聞
目的として結合し、相互に善隣友好、共同防共、
かげ
則を示した。
についての声明を発表した。この間、日本側の影
日、﹁日本軍の
を通していた。汪兆銘が重慶を脱出し、昆明経由
月
の一番隅の記事に目が止まった。それは5、6行
日付重慶発ロイター電であった。大屋は二度
愕然として、和平
いことを発見し、
兵﹄の二文字がな
理 の 声 明 に 、﹃ 撤
かめなかった。政治的亡命地として香港なら分か
航空会社など一日中走り回ったが、何の情報もつ
情報の確認に走った。日本総領事館、新聞社、
っていられないような焦燥感に駆り立てられた。
三度と、その簡単な電報を読み直した。居ても立
の
運動の将来に暗影
るが、ハノイは適当ではないと思われた。香港支
がくぜん
を感じた﹂
︵
﹃上海
同盟本社から帰国命令を受けた。松本は﹁近衛総
松本重治は 月初めに退院し、 月 日ごろ、
20
経済提携の実を挙げんとする﹂という、近衛3原
22
22
12
さ さだあき
間 で 秘 密 交 渉 が 続 け ら れ、
2 年 以 内 の 撤 兵﹂ な ど を 明 記 し た ﹁日 華 協 議 記
12
佐禎昭大佐、今井武夫中佐と汪派の高宗武らとの
12
近衛文麿首相は
し、﹁支那における同憂具眼の士﹂に対し、
﹁相携
22
を引 き 継 ぐ た め で あ ろ う 。
10
録﹂ を 取 り 交 わ し た 。
汪 兆 銘 ︵汪 精
月
衛︶が重慶を脱出
したのは
18
日、昆明を経由し
12
てハノイに入った
20
21
20
のは 日である。
松方三郎氏
(共同=1969年10月)
11
松本重治氏
(共同=1976年 2 月)
( 24 )
29
29
38
11
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メ デ ィ ア 展 望
2013.8.1
の新聞が簡単なロイター重慶電を掲載しているだ
局に打った真偽問い合わせの電報に対し、2、3
志たちも相次いでハノイに潜入しつつあるもよう
実にハノイのどこかに潜伏していること、汪の同 ﹁ありがとうございます。ムッシュー、ありがと
そのたびに走り回った。香港支局からは、汪は確
手を胸の辺りで合掌し、叫ぶような声で言った。
けで、真偽のほどはまだ分からないという返事が
であること、汪の行動はどうも仏印当局や蒋介石
日、ブィエンが目を輝かせ、息を切らし
とも何らかの秘密の了解の下に取られていると思
たらと頼んでおいたホテル・メトロポールの電話
て昼食に帰ってきた。かねて何かの情報でもあっ
月
うございます﹂
来た。香港支局は電報で大屋に対して、汪の居所
を至急、突き止めるよう指示してきた。その夜の
われる節があること、などを知らせてきた。
日 夜、 タ ム ダ オ の ホ テ
ハノイでは参謀本部員から派遣された門松正一
おどおどと見ていた。2、3日して遠慮がちに、
んど家にいない大屋の様子を、助手のブィエンは
からツェンという中国人ほか2名がそこに移って
と言ってきた。そして 日の午後、メトロポール
ールに電話で﹃夜具6人分を至急届けてほしい﹄
ル・カスカード・ダルジャンから本店のメトロポ
交換手がやってきて、﹁
れぞれ﹁高山文雄﹂﹁橋本三郎﹂という偽名で特 ﹁もし、何か私にできることがありましたら、ぜ
少佐と、台湾軍から派遣された木村得一大尉がそ
ひ手伝わしていただきたいのですけれど﹂と伏し
行った﹂と教えてくれたのだという。
汪が到着して以来、始終イライラして終日ほと
務活動をしていた。門松は鉱山技師、木村は漆屋
目がちな様子で言い出した。大屋が不機嫌に黙っ
24
を装っていた。門松は大屋より 日ばかり後にハ
屋は 、 こ れ は 何 か あ る と 思 っ た 。
東京からの短波放送で近衛首相の声明を聞いた大
30
ていると、﹁許していただくわけには参りません
る避暑地。﹁冬季はホテルも閉鎖しているので、
㌔にある山の中にあ
ノイにやってきた。目がいかつく、お辞儀をする
でしょうか。大したことはできませんが、何かの
のある外国人特派員だから、かぎ
大屋は﹁僕は当然そうする権利
人物と一行の行動を、どんなことでも詳細に教え
うか﹂とブィエンは言った。大屋は﹁ツェンなる
側近の曽仲鳴との会見をスクープ
年1月2日朝、印度支那産業支配人の坂本が
せん﹂ブィエンは目を上げずにつ
い の か い ?﹂と 言 っ た。﹁構 い ま
言 っ た。 彼 の 会 社 関 係 の フ ラ ン ス 人 が 理 事 長 官
スカード・ダルジャンにいることは絶対確実だと
大屋の事務所に入ってきて、汪兆銘がホテル・カ
じ ゃ、 や っ て み た ま え﹂ と 言 う
と、ブィエンは思わず2、3歩進
み出て、ひざまずかんばかりに両
こ と だ っ た 。 大 屋 は 暗 号 電 報 で 、﹁ 汪 精 衛 居
所 突き止めた 安心せよ﹂と打電した。その日
夕方になって東亜部長名の平文電報で﹁至急会見
大 屋 が し ば ら く 考 え て、﹁そ れ ︵注︶から直接聞いたことだから間違いないとの
ぶやいた。
きるかもしれないが、それでもい
なる。あるいは不愉快なことが起
ないけれど、君となると事情は異
てくれるように頼んでくるんだ﹂と言い付けた。
90
回ることを当局もあえて妨害はし
タムダオはハノイ西北約
ときにはコメツキバッタのように機械的に上体を
25
夜具なども冬季用のはなかったのではないでしょ
夫人で画家の方君璧が描いた曽仲鳴像。はがきに
印刷したものをトリミング(大屋剛人氏提供)
お役には立てると思うのですが⋮⋮﹂
。
20
折った。門松は印度支那産業の事務所に毎日、通
勤し て い た 。 木 村 は が ら み で
頭髪 は 真 っ 白 、 卑 し か ら ぬ 人 品
が一 目 で そ れ と 知 れ る 背 の 高 い
紳士 で 、 眼 鏡 の 奥 で は 異 常 に 鋭
く目 が 光 っ て い た 。
汪の消息をつかむために、大
屋が 中 心 に な り 、 印 度 支 那 産 業
の支 配 人 、 坂 本 四 郎 も 加 え 、 門
松や 木 村 は 陰 か ら 協 力 す る こ と
にな っ た 。
﹁汪 は 病 気 療 養 の た め 近 く 欧
州に 向 か う は ず だ ﹂ な ど 、 さ ま
ざま な 情 報 が 飛 び 交 い 、 大 屋 は
( 25 )
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せよ 世界的スクープとならん﹂と言ってきた。
大屋は、その指令電報を破り捨てた。会見に指令
は待 た ぬ と い う 気 持 ち が 大 屋 に は あ っ た 。
9日夜、汪がタムダオを下山して、ホテル・メ
トロポールに入ったという情報が入った。大屋は
日本語とフランス語で汪に宛て会見を求める長い
とごとく満足。奮闘を謝す﹂
汪はタムダオに戻っていった。曽とは電話一本
付で中南支総局長として上海に赴任となってお
り、未赴任か香港に戻っていたことになる︶
。
3月 日午前2時ごろ、5人の暗殺団が汪兆銘
月末にタムダオの山からハノイ市内コロン街の新
の1人は中庭で見張りに立ち、残りの3人が屋内
のハノイの隠れ家を襲った。1人は街路上で、他
で連絡が取れるような関係になっていた。汪は1
築の家に移ってきた。
に入り込んだ。2階にあった曽仲鳴夫妻の寝室の
目から銃弾を撃ち込んだ。曽仲鳴は死亡、夫人の
扉をモーゼル銃の台尻でたたき割って、その割れ
ハノイに目立って中国人が増えてきた。桂林や
方君璧は重傷を負った。このとき汪兆銘は3階に
暗殺団5人が急襲、汪は難を免れる
貴陽などのマークを付けた自動車が市内を疾駆す
いたが、暗殺団はそのまま自動車で逃走した。
手紙を書いた。ホテルに行き、手紙を届けるよう
ロビーで待っていると、青年が階段を下りて大
るのを見かけることが多くなった。大屋は香港に
にボーイに頼んだ。
屋に近づいてきた。﹁あなたが大屋さんですか﹂
行くことにした。いろいろのことを話し合ってく
や、今は誰にも会わないと言っているが、機会が
挫したので医者の手当てを受けに下山したこと
んで踊って、ふらふらになるほど酔ってホテルに
香港からマカオに渡った。賭場で勝っただけ、飲
香港に滞在したあと、大屋は広東へ行くため、
来ているのであって、直接手出しをするようなこ
に笑って、﹁あの連中は自分たちの行動を監視に
うがよくはないか﹂と忠告した。曽は自信ありげ
いぶ入り込んでいる様子だから、少し用心したほ
とき、﹁近ごろ重慶派のテロ団みたいな連中がだ
大屋はハノイをたつ前、曽仲鳴に最後に会った
と非常に明晰なフランス語で言った。その若い中
る必要を感じたのである。
きたら必ず会見できるようにすると約束した。曽
帰った。﹁大屋さん、電報です﹂と部屋の鍵と一
とは絶対にないから大丈夫だ﹂と言っていた。そ
ツェン ツォン ミン
めいせき
国 人 は、 曽 仲 鳴 と 名 乗 っ た。 曽 は、 汪 が 足 を 捻
自身は、これからいつでも喜んで会うと言った。
緒に渡されたローマ字の電報をその場で読んだ。
た。だが、後には曽仲鳴のことかもしれないと考
を 感 じ た。 大 屋 は 最 初、 汪 兆 銘 の こ と だ と 思 っ
に入り込めない冷たい一隅を常に残している男﹂。 ﹁キミノシンユウ アンサツサル、スグカエ レ、
マツカタ﹂。大屋はすーっと酔いが引いていくの
く、ハノイへの飛行機も船も満員で大屋は4月ま
報 は 一 応 カ バ ー で き て い る と 説 明 し た。 あ い に
ことは打電してきてくれているから、東京への電
松方は、毎日新聞の森本太真夫特派員が大体の
いん ぎん
﹁慇 懃 で、 正 確 で、 開 放 的 で は あ る が、 ど こ か
大屋は一晩中かかって、曽との会見記の電報を書
えた。午前3時、マカオを出帆する香港行きのフ
で待たねばならなかった。じりじりした日が続い
れからまだ 日余りしかたっていなかった。
いた 。
ェリーに飛び乗った。
大屋は曽に対して、そういう第一印象を受けた。
東 亜 部 長 か ら 平 文 で 電 報 が 届 い た。﹁貴 電 光
彩陸離、全紙トップを飾る、世界的スクープ、成
日になって、正午に出帆するハイフォ
見舞いの電報を打電することを提案していたが、
はもう起きていた。﹁汪かね、曽かね?﹂と大屋
っているグロスター・ホテルに駆け付けた。松方
き、大屋はその船に飛び乗った。
︵敬称略︶
ン行きのフランス籍貨客船の1等客室券を入手で
た。3月
社長から暗号電報で返事があった。﹁事情あり、
はいきなり聞いた。﹁曽仲鳴だよ﹂と松方は答え
香港の船着場からすぐ近くの、松方三郎が泊ま
今は時期にあらず。見舞い電は出さぬゆえ、貴下
︵注︶理事長官 当時、フランスの保護国になってい
たインドシナ各国に赴任していた行政官。
日
た︵﹃松方三郎﹄の年譜によると、彼は2月
功を謝す﹂とあった。大屋は岩永裕吉社長が汪に
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より、よろしくあいさつすべし。貴下の措置、こ
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ソフトバンクが米携帯第3位を買収
上位2社との顧客争奪戦激化
ソフトバンク社が、積極的海外展開の一環とし
を表明。これによりソフトバンクより自国企業の
員会(CFIUS)に対し国家安全保障上の懸念
ーカーと関係があると指摘して、対米外国投資委
を出し、同時にソフトバンクが中国の通信機器メ
月にソフトバンクを上回る255億㌦の買収提案
7年~ 年)を取締役に迎え、社の「安全保障」
ク・マレン前統合参謀本部議長(在任期間200
こ れ に つ い て は、 米 軍 ト ッ プ の 職 に あ っ た マ イ
上、これをどう払拭するかが課題となっていた。
を買収することから、「安全保障」上の懸念が浮
市場に参入した際、携帯大手ビッグスリーの一角
ふっしょく
ディッシュが好ましいことを際立たせようとした
ュ・ネットワーク(以下ディッシュ)との間で繰
中から名乗りを上げた衛星放送大手のディッシ
社第3位のスプリント・ネクステルの買収は、途
のベライゾン・ワイヤレスとAT&Tに肉薄する
した。現在第3位のスプリントを業界1位、2位
年間で160億㌦の資金的てこ入れをすると発表
ソフトバンクの孫正義社長は7月8日、今後2
る。 孫 会 長 が 2 年 間 で の 集 中 的 基 地 局 建 設 に 向
トから他社へ契約を切り替えたなどの声も聞かれ
電波受信状況が良くないとの理由から、スプリン
スプリントのお膝元のカンザス州では屋内での
課題担当に充てることで、国家が通信会社へ例外
り広げられた買収合戦に勝利し、米連邦通信委員
存在に育て上げたい意向である。この投資の大部
け、巨額の設備投資を行うことをいち早く打ち出
が、ソフトバンクを抑え込む有効な一手とはなら
会(FCC)の合併承認を得て、216億㌦(約
分 は 携 帯 の 通 信 速 度 を 高 速 化 す る L T E (ロ ン
したのは、他社から積極的に契約者を獲得するた
的に関与することを受け入れたとみられる(「カ
2 兆 1600 億 円 ) で 子 会 社 化 す る こ と に な っ
グ・ターム・エボルーション)ネットワーク充実
めの一番の方策だと考えているからであろう。
なかった。
た。本社を引き続きカンザス州オーバーランドパ
のための基地局建設に充てられる。スプリントの
カンザスでは、外資企業となるソフトバンクの
て2012年秋から取り組んできた米携帯通信会
ークに置き、社名を「スプリント」として新たな
高速データ通信サービスを支えるLTEは現在、
スプリント買収が今日のグローバル経済の中で、
ンザス・シティ・スター」オンライン、7月 日)
。
スタ ー ト を 切 っ た 。
全米 都市で提供されているが、上位2社には遠
と外資へのアクセスを妨げる理由は何もない」と
製品やサービスが届けられる。また国際金融市場
者のために「企業が活気づけられ、より進化した
ジット・パイ委員はこの買収に好感を示し、消費
価、消費者の利益になると判断した。FCCのア
した2企業による国際的な買収競争を前向きに評
ソフトバンクの孫社長は新生スプリントの会長
設立し、その際に1千人を雇用する計画だ。また
共同でハードおよびソフトウエア研究センターを
ソフトバンクはシリコンバレーにスプリントと
ューター・ワールド」オンライン、7月8日)。
ーク拡大が急務と判断したとみられる(「コンピ
く及ばない。スプリントとして、LTEネットワ
ォールストリート・ジャーナル」オンライン、7
位ビッグ2の顧客争奪戦に早速打って出た(「ウ
比で ㌦値下げして
を無制限で利用できる新契約プランを同じプラン
との意見が多い。これに加え、スプリントは7月
たらしてくれるのであれば、むしろ歓迎すべきだ
より良いサービスと先端のテクノロジー開発をも
FCCはスプリント・ネクステル買収に乗り出
して、国外企業ソフトバンクの買収をむしろ歓迎
に、ロナルド・フィッシャー取締役が副会長にそ
80
(金山
勉 =立命館大学教授)
㌦で提供すると発表し、上
日からデータ通信、テキストメッセージ、通話
するコメントを出した(「ニューヨーク・タイム
今回、ソフトバンクが外資企業として米国通信
月 日)
。
10
れぞれ就任した。
ソフトバンクに対抗したディッシュは、今年4
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11
ズ」オンライン、7月5日)。
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私が送った加藤周一と山口昌男
( 28 )
中 村 輝 子
(共同 通信社 社友)
12
さんに寄稿を依頼したことから、その後のひそか
な〝個人的事情〟の脇に立つことにもなる。私が
年にハーバード大学のニーマン研究員で渡米し
てからは、加藤さんがエール大学で近代日本人の
死生観についてセミナーを開いていたため、時々
「遊 び に い ら っ し ゃ い」 と 招 集 が か か っ た。 客 員
教授の武満徹氏も交えての酒宴で、その独特な文
字ばかりの楽譜を見せてもらい、酔いがさめた所
は、大学院生だった水村美苗、岩井克人さんの灰
色のアパートだったりした。
追悼会で吉田秀和氏が「何事も解釈できる世界
連邦の外務大臣」と冗談めかして述べたが、「知
ること」「解釈し、伝えること」の熱意は疲れ知
らず。海外の大学と日本の行き来が増すと、帰国
のたびに、山のような問いがあり、そこに独自の
たの
考察が開陳された。それは自らの力にのみ恃み、
たい じ
世界に対峙する人の孤独すら感じさせた。居間に
長く魯迅の詩が掛かっていた。「眉を横たへて冷
やかに千夫の指に対す」
──。
最晩年、
「九条の会」の活動に取り組むさなか、
体 調 が 悪 化 し、 胃 が ん が 宣 告 さ れ た。 夏 の 終 わ
り、矢島さんが「加藤が加藤でなくなった」と電
話口で嘆いた。8月 日、上野毛教会の神父を呼
んで、カトリックの洗礼を受けたのだ。「ニュー
トン的秩序を超えた世界があり、その先は分から
ない。母と妹が喜ぶためにもカトリシズムに身を
つぶや
任せよう」と呟いたという。大きな問いと闘うよ
りは肉親同士の安らぎを選んだのだ。矢島さんに
は許し難い選択だった。 月5日夜、死を告げる
矢島さんは、メディア発表を拒んだ。強い不信が
19
一方、山口さんとの出会いは1971年の最初
の単著『人類学的思考』(せりか書房)で初めて
インタビューをした記者が私だったこと。論文、
エッセー、批評が雑居した、分厚い同時代への挑
ほうじょう
戦状は、文化人類学界に「山口の世界」の豊穣さ
ここにあり、を知らしめた。6月に東京外国語大
学の追悼シンポジウムに呼ばれたが、そのタイト
よく や
ルも「人類学的思考の沃野」であった。現実のフ
ィールドと書物の世界を果敢に渉猟して、その沃
野に多彩な人びとを引き付けた日々を思わざるを
得なかった。
こうして相対する機会を得た一記者は、例えば
出版社の編集者たちと違い、思考の発酵状態にあ
る人の仕事の裏に踏み込んで、作品を作り上げる
関わりとは異なる立場にいたといっていい。厳し
い研究の世界での批評のつばぜり合いにも加わら
ず、私勝手なものいいと観察が許されたところに
いたのである。2人に共通していたのは、日本と
海外、関心の領域、師と弟子の関係など固定的区
分は全く眼中になかったことだろう。
加藤さんとは 年の初の中国訪問以来、アジア
学関係の企画その他で付き合いが続いたが、その
間、共同のホノルル通信員だった先輩の矢島翠さ
んが同市で開かれた国際哲学大会に参加した加藤
71
レクイエム
遠い過去の出会いが持続するか、意味が広がる
か。それは、長い年月を経て、答えは出てくるの
だろう──。この数年、私は共同通信社の記者時
代からの縁が深い、大切な人びとを送る経験をし
た。その空虚感は拭えないが、同時に積み重なっ
た記憶は今も鮮やかだ。ここで語るのは、200
8年に亡くなった加藤周一さんと、今年春に去っ
た山口昌男さんの2人。その第一報がなぜ私であ
った の か 、 に 編 集 子 の 関 心 が あ る 。
私は学生時代に加藤さんが初めて日本に紹介し
たシモーヌ・ヴェイユの『工場日記』をめぐる文
章に強い衝撃を受けた。彼女はその後も私の中に
生き続け、書架の一角を占める。思えば、そのカ
ト リ シ ズ ム へ の 親 和 性 は 加 藤 さ ん 最 晩 年 の 〝事
件〟 に つ な が る 気 が す る 。
山口昌男氏(右)と筆者=
1980年代半ば、東京・千鳥
ケ淵近くで(筆者提供)
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ある。「密葬といってもメディアは來る。分かる
つら
のは来月でもいい」。朝刊締め切りまで辛いやり
とりが続いた。スクープを競う場ではない。歴史
としての死だ。前夜祭は、親族と近い友人だけで
ひつぎ
静かに行われ、柩には論語とカントの本が入れら
れた 。
この年の秋、山口さんは再起不能となる脳梗塞
に倒れた。それまで4年近く、さしもの野性人も
度々の軽い脳梗塞から不自由な身となったが、音
楽会や美術館、劇場などにつえを突いて、外に出
たがった。そう聞いていた私は 年 月、葉山の
家に近い神奈川県立美術館で開かれていたイリ
ヤ・カバコフ展に来てもらった。以前、カバコフ
についての美術批評を書いていたのを知っていた
せいもある。車いすも使いながら、夫人と友人の
介添えで、食い入るような目つきで、ゆっくりと
回る。時に言葉を発したい動きもあるが、重たそ
う な 頭 だ け が 動 く。 家 の 裏 の 山 口 蓬 春 記 念 館 で
は、何冊かの画集をじーっと見つめて、ちょっと
手を動かす。「はいはい、送ってもらうのね」。夫
人は 、 ま た も 増 え る 書 に 諦 め 顔 だ 。
歳の時の『人類学的思考』を入り口に、次々
80年の大仏次郎賞受賞パー
ティーで加藤氏(右)と矢
島さん
80
かいぎゃく
に世に問うた道化の民俗学、中心と周縁、文化の っていたが、ようやく 年に遊戯と諧謔に富んだ
両義性といった理論は、まさに自身がトリックス 『踊る大地球』(晶文社)となって実現した。出版
ター(かき回し役)となっての活躍で、学問・思 記念会であいさつした私の似顔絵には不満が残っ
想界に広がった。そして多士済々の知性を発掘し たが。札幌大学学長時代に、6万冊以上の蔵書を
たの
た、異色のオルガナイザーは、知の愉しみを、分 移した「山口文庫」を見に立ち寄った際、既にゆ
野を超えて私たちに解放したといっていい。内外 っくりした足取りには不安があった。
ぼうだい
蔵書といえば、加藤さんの蔵書はメモ1枚に至
の厖大な書物から、自由な「知」を発見する感性
と、創造的な個性を持つ人々と出会い、その網の るまで、最後の整理に当たった元編集者の手で、
目をつないでいく軽快さには、目を見張るものが 立命館大学図書館に入った。そして、矢島さんは
あった。私もどれほど、その恵みを受けたか分か 老いそのものの過酷さに倒れ込んでしまった。合
らない。 年代は映画論、マンガ論、演劇、音楽 理主義者・加藤さんの最後の変貌に失意は大きか
などに、活動スタイルは多彩に変化し、メディア ったと思う。外国の友人たちの方がカトリック入
信に驚いたという。 年の夏、小さな病院へ何度
や文化人たちとの付き合いも広がった。
新宿の「火の子」というバーは、彼の言う「祝 目 か の 見 舞 い に 行 く と、 ベ ッ ド が 空 に な っ て い
祭」の拠点だったが、もうあのような場が生まれ た。その早朝、亡くなったと言われた。白いシー
るとは思えない。人と人の劇的な出会いが、世界 ツだけで、何の痕跡もない。
山口さんは葉山に迎えた翌年から、長い病床暮
を「活性化」(この言葉を最初に使い始めたのは
山口さん)させるような空間。しかし、ギャグを らしに入った。夫人が呼び掛けると、それに応え
売りにする山口さんでも、その強烈なキャラクタ るかのような顔の動きも次第になくなり、胃ろう
ーは、気分も乱高下。ストレートなものいいを浴 を決断する時も近づいた。枕辺にはいつも音楽が
び、波長も合わなくなり、蜜月が終わる人は数知 小さく流れていた。社会から消えて久しい人の最
れない。雑誌「ヘルメス」や「現代思想」などが 期をどう考えたらいいか──ご家族の胸中は複雑
山口さんから得た財産は計り知れないが、 だったが、私は改めて、山口さんの「大きさ」を
たもと
後にはその編集者たちとも袂を分かつ。強 確信してほしい、と繰り返していた。
3月の葬儀の日、夫人は柩に横たわる山口さん
い関係は、強い葛藤を生みやすい。
初期のアフリカ調査旅行の頃からの素描 の両足に、友人から送られた白い羽を、道化の神
を見た驚きは忘れ難い。研究者がこんなに ヘルメスの翼としてくくり付けたと語った。何と
繊 細 な 筆 致 で フ ィ ー ル ド の 村 々、 祭 り の 機知に富んだ送り方だっただろう。
こうして「方法としての知」を与えてくれた人
人 々 を 描 き 音、 香 り ま で 伝 え る と は。 以
来、デッサンを集めた一冊をぜひに、と言 たちは去った。
( 29 )
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藤田 博司
まで通り﹂の姿勢で報道することには、少なから
者には、ねじれ解消後の政治をメディアが﹁これ
とメディアの間で起きた一連の出来事を目にした
の言い分にTBS の政治部長は5日、﹁放送内容
長名の文書を﹁謝罪と受け止めた﹂とする自民党
第二はテレビ局側の対応の問題である。報道局
る。ならば、数次にわたって自民党を訪れた政治
については訂正、謝罪はしていない﹂と述べてい
今回の参院選が公示された7月4日、自民党は
部長や報道現場の関係者と自民党の間でどのよう
ぬ懸念が付きまとう。
6月 日に放送されたTBSの報道内容が﹁公平
する、と発表した。TBSはこれを受けて﹁指摘
部に対する取材や幹部の同局番組への出演を拒否
さを欠いている﹂と抗議し、TBSに対して党幹
放送局側は政治の圧力に屈したことになる。
れと受け取られるような話が出ていたとすれば、
なるまい。放送局側に謝罪の意思はなくても、そ
なやりとりが交わされたのか、はっきりさせねば
のために自民党を訪れた。自民党はそれを﹁誠意
め報道現場関係者﹂が﹁数次にわた﹂り﹁説明﹂
うにも影を落とす心配がある。政治が報道に介入
題にとどまらず、政治とメディアの今後のありよ
さらにこの出来事は、自民党対TBSという問
朝、毎除き﹁大誤報﹂批判に沈黙
を受けたことを重く受け止める。今後一層公平、
公正に報道していく﹂との報道局長名の文書を自
と認め﹂、報道局長名の回答文書を﹁謝罪と受け
し、メディアが圧力に屈して政治に恭順の姿勢を
民党の石破茂幹事長に提出、また﹁政治部長はじ
止め﹂て、前日来の措置を撤回した。
め る 環 境 が 整 う。 権 力 基 盤 を 一 挙 に 強 化 し た 政
法改正でも原発再稼働でも、思い通りに政策を進
測通り自民、公明の与党が圧勝すれば、与党は憲
の日常を取り戻していることだろう。選挙前の予
ていたかのように、政治家もメディアもそれぞれ
らないことである。仮に報道の内容が不当、不正
為は、政党あるいは政治家として最も慎まねばな
道の内容に直接口出しし、圧力をかけるような行
は、政治が報道に露骨に干渉したことである。報
う だ が、 重 大 な 問 題 が 見 過 ご さ れ て い る。 第 一
これで一件落着と当事者たちは見なしているよ
事にもかかわらず、報道機関がそろってこれに抗
入、報道の自由の侵害という問題をはらんだ出来
ると言えるかもしれない。報道に対する政治の介
既にメディアを萎縮させる効果を十分に上げてい
TBSに対して自民党が取った今回の措置は、
示したことになれば、政治は自分たちの行為が正
府 ・ 与 党 を 相 手 に、 メ デ ィ ア は 権 力 を ﹁監 視 す
確と見られるものであっても、政治の側は言論を
議する声さえ上げていない。 日の毎日新聞社説
当化されたと間違って信じ込む可能性がある。
る﹂役割をしっかり果たせるのか、という不安が
通じて反論、釈明すべきであって、取材拒否など
TBS 報道への政治の介入
選挙前の日常に戻ったメディアは﹁これまで通
る明白な侵害と言わねばならない。
憲法に保障された言論の自由、表現の自由に対す
違っている。メディアに対するこの種の圧力は、
の露骨な圧力をかけて訂正、謝罪を求めるのは間
か、いずれであってもメディアの音無しの構えが
か、 勢 い づ く 自 民 党 に 盾 突 く こ と へ の 不 安 か ら
鈍さだ。それがメディアの側の無関心によるもの
が自民党の﹁行き過ぎ﹂を批判した程度の反応の
( 30 )
26
頭を も た げ る 。 反 省 の 材 料 に は 事 欠 か な い 。
とぼりも覚め、選挙の結果があらかじめ想定され
この原稿が読者の目に触れる頃には参院選のほ
取材拒否に音無しの
メディア
り﹂に違和感はあるまい。しかし選挙前に政治家
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紙だけだった。他の有力紙は慰安婦発言や風俗発
指摘し、正面切って反論したのは朝日と毎日の2
これに対して橋下市長の主張の理不尽さを紙面で
誤報﹂のせいだと主張し、メディアを批判した。
起こした時、議論を招いた原因をメディアの﹁大
る従軍慰安婦発言や風俗発言が大きな論議を巻き
会共同代表の橋下徹・大阪市長は、自身のいわゆ
最近の一連の出来事にもうかがえる。日本維新の
政治に対してメディアの腰が引けている兆しは
民党の扱いについて一方的で不利な扱いをされた
る。その言葉の裏には、ニュース報道の中での自
の 措 置 は︶ 当 然 の こ と で は な い か﹂ と 語 っ て い
観的な事実と違ったことを報道された。︵自民党
で、菅義偉官房長官は自民党が取った措置を﹁客
TBSに取材拒否を通告した翌日の記者会見
ィア対策に一層の自信をつけさせたに違いない。
を引き出した成功体験は、政府と自民党の対メデ
しれない。TBSに取材拒否を突き付け﹁謝罪﹂
れまで以上に強力に批判を抑え込もうとするかも
メディアの批判︵仮に批判できても︶に対してこ
今回、自民党がTBSに対する取材拒否を決め
共通するものかもしれない。
テレビ局への取材拒否に対するメディアの沈黙と
この反応の鈍さは、橋下市長の﹁大誤報﹂発言や
る報道がつい最近までほとんどなされなかった。
ればならないはずなのに、問題点を十分に指摘す
ディアはそうした問題点に最も敏感に反応しなけ
び公の秩序﹂で制限する条項が含まれている。メ
行憲法が保障するあらゆる基本的人権を﹁公益及
自民改憲草案には、表現の自由だけでなく、現
気に 掛 か る 。
言については社説で批判を加えていたが、﹁大誤
と判断すれば、政権与党がテレビ局に抗議し、訂
たのは安倍晋三首相の指示によるものだったとい
に足りず、と判断したのかもしれない。しかし注
の認識でこれからメディアに対処するとすれば、
もし政府や与党が報道の自由についてこの程度
気に染まない報道にこうした対抗措置を取るの
ぞれの報道を理由に取材拒否をしたことがある。
幹事長時代にテレビ朝日や朝日新聞に対し、それ
よしひで
報﹂発言については問題として取り上げることも
正と謝罪を求めることを﹁当然﹂とする﹁表現の
う︵北海道新聞電子版7月6日︶。首相はかつて
目される公人の口から﹁大誤報﹂と侮辱に等しい
自民党が提案している憲法改正の実現を待つまで
は、この人の体質に根差すものかもしれない。だ
圧力には毅然と対応を
なく や り 過 ご し た 。
自由︵報道の自由︶
﹂観がある。
決め付け方をされれば、メディアとしては報道を
もなく、現行憲法が保障するさまざまな自由と権
とすれば、安倍政権が今後メディアに対して強圧
口から出まかせのような橋下市長の発言を取る
担うものの矜持に懸けて正面から反論しなければ
利が危うくなる。
きょう じ
なるまい。それをしなかった、あるいはできなか
められない﹂と重大な制限条項を付している。T
害することを目的とした活動﹂や﹁結社﹂は﹁認
する﹂としながら、同時に﹁公益及び公の秩序を
や謝罪に走ったりするようでは、政治の圧力を跳
取材拒否を突き付けられて右往左往したり、弁明
ムの独立した立場を貫くことができるかどうか。
そのときメディアが一致結束してジャーナリズ
的な姿勢を強めてくることも十分予想される。
BSに対する自民党の抗議や訂正・謝罪要求は、
ね返すことはできまい。不当な圧力には毅然とし
自民党の改憲草案は﹁一切の表現の自由を保障
気に掛かるのは参院選後の政治とメディアの関
改憲が実現した暁には政権政党が﹁一方的、事実
た対応ができるよう、今から腹を固めておくべき
った新聞やテレビは、侮辱を甘んじて受け入れた
わりである。いわゆる衆参のねじれ現象が解消す
と違う﹂と判断すれば﹁公益及び公の秩序を害す
だろう。
と見 な さ れ て も 仕 方 あ る ま い 。
れば、与党はこれまでより大胆にその政策課題の
る﹂報道として取り締まられかねない、未来の報
危うくなる報道の自由
実現に向けて行動を起こすだろう。恐らく、衆参
道の自由の危うさを見る思いがする。
︵共同通信社社友︶
き ぜん
両院での絶対多数を背景に自信を強める与党は、
( 31 )
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私たちは分岐点を超えたのか?
れば当然だろうが、ねじれの解消、すなわち自民
可能性があろう」。これまでの読売の論調からす
体制を築くことができる。政治の復権につながる
選挙までの間、迅速かつ大胆な政策決定ができる
消いかんはあくまで参院選の焦点、結果である」
う」と明快だ。中国新聞も同日付で「ねじれの解
を抱く有権者からの『待った』だったともいえよ
てはならない」
「
『ねじれ国会』は時の政権に不信
も民意であり、与党が衆参とも圧倒的な多数を握
と指摘。5日付南日本新聞はもろに「『ねじれ』
安倍首相は、第1次政権当時、参院選で大敗し
る状況より、きめ細かな政治が期待できるかもし
党勝利への期待の表明であり「公正な報道」とい
て ね じ れ 状 態 を 生 ん だ こ と に 「大 き な 責 任 が あ
れない」と述べた。いずれも「ねじれ解消」とい
の解消だけが焦点ではない」の見出しで「ねじれ
る」と公言。選挙戦でも「ねじれ解消」を強く訴
うキャッチフレーズのキナくささを指摘したと受
う観点からは相当踏み込んだ論考だった。
「私たちは分岐点にいる」──。参院選公示の7
えた。地方紙にも「焦点は『ねじれ』の解消」な
け止められ、目配りの確かさを感じた。
自民圧勝、憲法状況は新段階に
月4日、沖縄タイムスの社説の見出しだ。そして
どと見出しに取った社説もあった。確かにその通
7月 日の投開票で、自民党が 議席を獲得して
れま で に な か っ た 新 し い 段 階 に 入 っ た 。
間違いない。施行後 年、憲法をめぐる状況はこ
めて、改憲が今後具体的な政治課題になることは
きなかったが、連立を組む公明党などの動向も絡
議要件である両院議員の3分の2を超すことはで
本維新の会、みんなの党と合わせても、改憲の発
状態を解消した。同じく「憲法改正」を唱える日
圧勝。安倍晋三首相の悲願だった衆院とのねじれ
するか「憲法改正」と表記するようにしたい。
正」にも同じ響きがある。この欄では憲法改定と
であるべきではないか。ついでに言えば「憲法改
が、メディアは、そうしたニュアンスに〝過敏〟
に適当な言葉がなかったということかもしれない
ず だ。思 え ば「郵 政『改 革』」も そ う だ っ た。他
ある。実際に有権者に与えた印象もそれに近いは
じれ解消」と書けば「正常な状態に戻す」語感が
るに「正常ではない」というイメージであり「ね
ったり、よじったりすることで起きる状態。要す
りだ。しかし「ねじれ」とは、物体を無理にひね
特区にしても大都市圏を念頭に置くなど、全般に
成長戦略に地方の視点が欠けることだ。国家戦略
たい」(4日付北海道新聞)
。
「さらに問題なのは、
治がこうした問題の解決につながるか、よく考え
栄、雇用をはじめ広がる格差──。成長優先の政
が 見 え て く る。 地 方 を 置 き 去 り に し た 都 市 の 繁
気刺激策には熱心だが、地方や弱者に冷淡な政策
り、社説にもその視点からの見解が表れる。「景
地方紙は、地方の立場から国の政策を捉えてお
『復権』へ論争を深めよ」でこう書いた。「安倍政
になりやすい。その中で、読売は4日付「政治の
どが主で、公選法への配慮もあり、総花的で平板
付けから結果の持つ意味、争点、投票呼び掛けな
説を掲載した。一般的に公示時点は、選挙の位置
ではなく、正面からの政策論議を通じて、国会の
政権を行き詰まらせた責任はねじれ自体にあるの
ない」と書いたのは4日付京都新聞。
「
(過去の)
掛けた社説もあった。「ねじれの是非は争点では
「ね じ れ 解 消」 が 強 調 さ れ る こ と に 疑 問 を 投 げ
福島民報は、4日付の署名入り論説の中で、自民
事故を起こした東京電力福島第1原発の地元の
日付秋田魁新報)……。
所得増に本当につながっていくのだろうか」(5
大企業や富裕層に手厚い。地方の活性化や雇用・
基全ての廃
党県連が「県版」公約で「県内原発
国の政策「地方に冷淡」
「ね じ れ 解 消 」 は 焦 点 ? 争 点 ?
公示日当日と翌日、全国紙と地方紙は社説・論
65
停滞を打開できなかった与野党にあることを忘れ
10
( 32 )
21
権が今回、衆参ねじれを解消できれば、次の国政
66
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炉実現」を明記したと書いた。党本部は再稼働に
ち。メディアも右往左往した感じは否めない。
とになりかねない。民主党は先行改正に反対する
条改正自体の是非には触れていない。争点
が公示時の社説・論説で原発・エネルギー問題を
ただ全体としては、原発を抱える地域の地元紙
不明 な が ら 私 は こ の 記 事 で 初 め て 知 っ た 。
した」と同論説。地元では既知のことだろうが、
掲載。研究者3人がネット選挙解禁の意義を認め 「憲法」を課題にした。学生たちの文章からは①
問を示した。毎日も7月9日付文化面に座談会を
歩きしている」として、ネット万能の楽観論に疑
議論がないまま、ネット選挙という言葉だけ独り
准教授が「『なぜ解禁するのか』という本質的な
護憲派より改憲派がやや優勢②尖閣列島や北朝鮮
入り論説は苦言を呈した。
が実現するはずだ」と4日付の山梨日日新聞署名
に対する立場を鮮明にしてこそ、かみ合った議論
が、
論じることが少なかった印象を受けた。別の機会
ながらも「衆愚性が加速する可能性」や「同質な
の動向に危機感が強い③それが自衛隊の国軍化を
東京の3日付文化面では、西田亮介・立命館大
に書いたということかもしれないが、選挙の争点
コミュニティーの中で意見が先鋭化しやすい」な
含む憲法9条「改正」支持につながる──など、
積極的であり「地方との見解の相違を浮き彫りに
として読者に情報を提供してほしかったと思う。
ど の 問 題 点 を 指 摘。 岐 阜 新 聞 は 5 日 付 の 社 説 で
石原慎太郎・日本維新の会共同代表の公示後第
私が担当している大学の文章実習授業で先日
その中では、四国電力伊方原発を抱える愛媛新聞
若い世代に共通する意識傾向が読み取れた。
ほしい」とクギを刺した。
結果を伝えたが、 日付では「参院選でネット情
ブックやツイッターなどを使っているとする調査
分な力を持っている。いきなり戦争するつもりは
での中国側の「領土侵犯」行為に対し「日本は十
一声が5日付朝日「発言録」に載った。尖閣周辺
また西日本新聞の4日付社説は安倍政権の原発
報を参考にする」人が選挙期間中に減少し %に
の鯉口をパチンと切ったらいい」。言葉尻を捉え
日付朝日は、参院選候補者の %がフェイス
政策に関して「あれだけの大惨事を起こし、いま
とどまっていると報道した。まだまだテストの域
れば、いきなりでなければ、戦争するつもりがあ
こい くち
ないけど、昔の侍みたいに『寄らば切るぞ』と刀
だに自宅へ戻れない人が多くいる中、事故の原因
を出ず、今後の選挙でも試行錯誤が続きそうだ。
る と い う こ と か ……。 本 誌 7 月 号 で は、 川 上 高
本 当 は ほ か に も 目 白 押 し の は ず だ っ た。 特 に 憲
ス」を評価するかどうかだけになったと書いた。
前 号 で、 今 回 の 参 院 選 の 争 点 は 「ア ベ ノ ミ ク
の真意は「いつでも戦争ができる」国にすること
感だ。荒っぽく言えば、安倍、石原両氏ら改憲派
る国づくりであると思う」と述べている。私も同
終的に目指すのは」「9条改正による戦争ができ
志・共同通信論説副委員長が「(安倍首相が)最
法。しかし、与野党とも党内事情を抱え、曖昧な
だと考えられる。安倍首相は維新・みんなだけで
「戦争ができる国」へ?
点を残したまま、実質的な〝争点隠し〟に。これ
なく、公明党や民主党の一部も揺さぶって改憲を
方と し て ど う な の か 」 と 厳 し く 論 難 し た 。
今回の選挙は、インターネットを利用した運動
条先行改正
初の「ネット選挙」に右往左往
が初めて認められ、各紙は仕組みや課題などにつ
に対しては当然、批判もあった。「
狙うだろう。
いて報道を展開した。ツイッターやフェイスブッ
で 解 禁 が 決 ま っ た た め 、 候 補 者 陣 営 は 戸 惑 い が 『本 心』 を 隠 し て い る と す れ ば、 有 権 者 を 欺 く こ
(小池 新 =ジャーナリスト)
を 掲 げ て い た 自 民 党 が 公 約 に 明 記 し な か っ た。
り、ましてや他国にまで売り込むことは国の在り
二転三転するような状況で原発の存続にこだわ
も究明できず、たまる一方の汚染水の処理法すら
いて「経済を優先した無責任な稼働は到底許され
大飯原発3、4号機の運転継続を認めたことにつ
が5日付の社説で、原子力規制委員会が関西電力 「ネットに不得手な高齢者への配慮も忘れないで
96
クなどを多用する安倍首相の主導によって短期間
29
15
ない 」 と 批 判 し た の が 目 立 っ た 。
92
96
( 33 )
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一層求められるウオッチドッグ機能
自民党のTBSへの
取材拒否事件に思う
昨年 月の就任以来、安倍晋三首相が大手メデ
力を考えた時に、あのような発言は自省すべきで
あったと私は考えます」と懸念を促す書き込みを
との主張である。
これに対してTBS側は、自民党の小此木八郎
」の南部雅弘プ
だから駄目なんです」と、強い調子で批判してい
治家としての行動に対する自省はまったく無い。
ては遺憾であり、今後より一層の公平公正を期し
に関してご指摘を受けましたことは、私どもとし
ロデューサー名で、「貴党より民間の方の発言等
筆頭副幹事長宛てに「NEWS
た。田中、細野両氏に対するこうした反応は、自
てまいる所存です」との文書を送っている。しか
する。この書き込みに対しても安倍首相は、「政
身に向けられた言論に対する安倍首相の性格を如
し、自民党はこの説明に納得せず、6月
日には
実に表しているように思えてならない。
この性格がメディアに向けられた事例が、6月
批判にキレやすい安倍首相
ことは、本誌6月号のこの欄で紹介した通りだ。
に下旬に起きたTBSへの取材拒否問題だろう。
ィアの幹部と積極的に個別懇談の場を設けている
それはある種のメディア懐柔策と取られなくもな
国会最終日となった6月 日、この日までの国
会の動きをまとめる形で取り上げたTBS「NE
い が、 他 方 で メ デ ィ ア を 通 じ て な さ れ る 首 相 批
判、政権批判に対し、過敏に反応することも安倍
WS
再 び 小 此 木 筆 頭 副 幹 事 長 名 で、「報 道 内 容 が 公
正・公平を欠いたことに対する謝罪、また全国多
番組上における謝罪
くの視聴者が貴社報道により誤解を受けたと推察
されることから、NEWS
と訂正を求めます」とする文書を番組プロデュー
サー宛てに送る。
外交姿勢に否定的な見解を示した。これに対して
でいると思われだしている」と指摘、安倍首相の
る日本の外交について、海外では「右傾化が進ん
がインタビューに応える形で、今の安倍首相によ
一つとされた発送電分離に向けた電力システム改
自然エネルギー財団の大林ミカ氏が、重要法案の
し、その上で孫正義ソフトバンク社長が設立した
で は、 重 要 法 案 が 廃 案 に な っ た こ と な ど を 紹 介
る抗議」を行った。国会動向をまとめたこの放送
の筆頭副幹事長名の文書により「報道内容に関す
材拒否は、参議院選挙に向け劣勢が伝えられてい
めき立つことになる。自民党によるTBSへの取
TBS取材拒否が伝えられると、がぜん野党が色
至る。参議院議員選挙を前にして、この自民党の
の取材や番組出演を当面、拒否すると発表するに
め、自民党は7月4日に、党幹部に対するTBS
が取れている。謝罪、訂正はしない」と答えたた
これに対してTBS側は「番組全体はバランス
安倍首相は自身のフェイスブックに、小泉政権下
革を盛り込んだ電力事業法改正案が成立しなかっ
た野党にとっては、自民党に対する格好の攻撃材
料となるからである。
この書き込みはすぐ話題となり、民主党幹事長
りはない」としながらも、一方の主張に偏ってお
人であり、「民間の方の発言を取り沙汰するつも
日に小此木筆頭副幹事長宛てに、番組プロデュー
彦報道局長名で文書を出した。内容的には6月
TBSは7月5日に石破茂幹事長宛てに西野智
の細野豪志氏は、自らのフェイスブックに、安倍
サー名で出した文書と基本的に変わらないものだ
求めたことが問題だというもの。大林氏が一民間
自民党の抗議というのは、大林氏にコメントを
で進められた北朝鮮との外交交渉の担当であった
」の報道内容に対して自民党は、翌 日付
首相 の 特 色 だ ろ う 。
29
り、TBSの報道姿勢は公正公平さに問題がある
書き 込 み を 行 っ て い る 。
はありません」などと、田中氏を痛烈に批判する
6月 日付の毎日新聞で、田中均元外務審議官
23
たことについてコメントしている。
27
首相の田中氏批判を「最高権力者が持つ強大な権
28
( 34 )
26
田中氏の行動に触れながら「彼に外交を語る資格
23
23
12
12
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責決議可決に至る過程について説明が足りず、ま
った。そこでは、「弊社としましては『(首相)問
S
」で予定されていた各党党首による討論に出
した」とコメントするとともに、翌週に「NEW
ることもなく、主張を通した格好を保ったように
狙い、野党や他のメディアからの批判にさらされ
止められかねないものであった』等と、御党より
た民間の方のコメントが野党の立場の代弁と受け
して素早い幕引きを演出したとも言えるのではな
演することにも触れている。安倍首相自ら、率先
与党の側であろう。
思えてならない。どう見ても得をしたのは、政権
倍政権は自らに批判的な意見に対して、すぐ反論
田中均氏、細野豪志氏に対する批判も含め、安
いか。
社としましても、今後一層さまざまな立場からの
このTBS取材拒否事件は、7月4日に自民党
対応のしたたかさは、安倍政権の特色にすらなっ
利な形での落とし所に導いていく。そのメディア
や抗議を行い、その収拾に当たっても、自らに有
が 発 表 し、 翌 5 日 に は 解 除 さ れ た こ と も あ っ て
てきているように思える。
意見を、事実に即して、公平公正に報道して参る
自民党は5日付でこの件に関して、同党のホー
か、この件を報じた他メディアは自民党の横暴を
所存 で す 」 と 記 し て い る 。
ムページに経緯を掲載。そこでは、「7月5日夕
それ以上に、今回のTBSへの抗議を振り返っ
過敏に反応する傾向が強くなっている点である。
批判しつつも、TBS側の対応を弱腰と見なす報
TBS側は、謝罪はしないとの立場を貫いたは
メディア幹部との個別の懇談の場が用意される一
刻、TBSテレビの西野智彦報道局長が小此木八
至 る 過 程 に つ い て の 説 明 が 足 り て い な か っ た』
ずだった。しかし、自民党は「TBSの事実上の
方で、小さな批判であってもメディアに対して恒
て気になるのは、抗議をするのかしないのかの判
『民 間 の 方 の コ メ ン ト が 野 党 の 立 場 の 代 弁 と 受 け
謝罪があったので、取材拒否を解除した」と流布
常的に抗議を行っていけば、報道機関の側が萎縮
道が多かった。また、この件に関して「どっちも
止められかねないものであった』等、わが党の指
し続けた。もちろん、これに対してTBS側は、
してしまい、政権に対して批判的な言説を語らな
郎 筆 頭 副 幹 事 長、 萩 生 田 光 一 総 裁 特 別 補 佐 を 訪
摘を重く受け止めるとのことでありました。更に
政治部長名で「放送内容について謝罪・訂正はし
くなる状況が生まれはしないかということであ
断レベルをどんどん下げ、軽微な政権批判にも、
『今 後 一 層 さ ま ざ ま な 立 場 か ら の 意 見 を、 事 実 に
ておりません」とのコメントを発表するが、その
どっち」といったコメントをする識者もいた。
即して、公平公正に報道して参る所存』とのこと
る批判的な言説は、思いのほか少ないと言える。
る。現に、政権成立から7カ月がたち、ハネムー
加えて、メディア界全体の問題として捉えてお
参 院 選 が 自 民 党 の 大 勝 利 で 終 わ り、 安 倍 首 相
後の報道を見ると、TBSは自民党に押し切られ
め、党役員の出演や取材に関して一時停止を解除
かなくてはならないのは、TBSが取材拒否を受
は、政権運営をますますやりやすくなった。その
でしたので、わが党としてもそれら全てを合わせ
しました」と記載している。面白いことに、自民
ける状況を目の前にして、政権与党によるメディ
ような政治状況であるからこそ、ウオッチドッグ
ン期間はとうに過ぎているのに、安倍政権に対す
党のホームページには、TBS西野報道局長名で
ア全体への横暴、表現の自由に対する危機と捉え
た格好になってしまったのではなかろうか。
出した文書にはない「ご迷惑をお掛けしました」
(音 好宏 =上智大学教授)
が重要になってくるのだ。
(権 力 を 監 視 す る 番 犬) と し て の メ デ ィ ア の 役 割
この問題を長引かせることは得策でないと判断
るには至らなかったのではないか。
ちなみに同日夜、BSフジの「プライムニュー
した自民党は、党の面目を保ったままの幕引きを
とい う 文 言 が 出 て く る 。
てT B S テ レ ビ 側 か ら の 事 実 上 の 謝 罪 と 受 け 止
ね、『ご迷惑をお掛けしました』『問責決議可決に
軽微な政権批判にも過敏反応
指摘を受けたことについて重く受け止めます。弊
23
ス」に生出演した安倍首相は、「この問題は決着
( 35 )
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)
パブリシティー権等でタレント勝訴
マスメディア関連の裁判を見る(
(
)
藤 英 雄
書籍は、専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を
目的とするものであり、この行為は原告らのパブ
リシティー権を侵害するなどと主張した。
被告は受忍限度を超えない写真と主張
一方、被告は次のように反論した。
出版の目的が原告らに関するさまざまなエピソ
に伝えることにあるから、専ら公益を図る目的に
佐
K BIG WAVE」と、翌年 月から 月に
かけ「コンプリートお宝フォトファイル」の統一
当たる。しかも、各書籍に掲載されている原告ら
ードを紹介しつつ、芸能人としての歩みをファン
名に、それぞれ嵐の個人名を冠した5冊の写真集
の写真のうち、コンサート会場や記者会見等の公
を訴 え た 第 2 事 件 。 と も に 平 成 年 4 月
U N お宝フォトBOOK BOMB !」、同 年 開の場所での原告らの容貌や姿態を撮影したもの
8 月 に 「 K A T ─ T U N Phto & Episodo の中に、一般人の感受性を基準として、撮影や掲
」のほか、同 年3月から9月にか 載を望まないようなものは見当たらない。記者会
Tough Guys
け「コンプリートお宝フォトファイル」の統一名 見等では、カメラマンが原告らの肖像写真を撮影
行している原告らの姿を撮影したもの──に大別
芸能活動を離れた私生活で、私服姿で路上等を通
等の公開の場所で原告らの姿を撮影したものと②
これらの写真は、①コンサート会場や記者会見
が当然の前提であるから、原告らに無断で写真が
の原告らの容貌や姿態は、公衆の目に触れること
も、記者会見やコンサート会場等の公開の場所で
得 た カ メ ラ マ ン が 撮 影 し た も の で あ る。 そ も そ
は、その写り具合等から見て、主催者から承諾を
ティー権侵害として総額5千4百余万円、第2事
1事件は東京地裁(高野輝久裁判長)がパブリシ
件は同地裁(大須賀滋裁判長)がパブリシティー
に同グループの個人名や連名を冠した4種類の写
第1事件の原告は(株)ジャニーズ事務所に所属
できる。原告側は、私生活や芸能活動、容貌およ
撮影され、その写真が公表されたとしても、原告
的に承諾されているし、コンサート会場での写真
するタレントで、アイドルグループ「嵐」のメン
びファッション等の情報は公共の利害に関する事
らの人格的利益の侵害が社会生活上受忍すべき限
原告はジャニーズ事務所の「嵐」など
バーとして芸能活動を行う5人と、同事務所所属
実ではなく、これらを撮影して写真集として販売
居 住 地 は 東 京 都 港 区)。被 告 は(株)ア ー ル ズ出版
(東京都文京区)。
本件各書籍を購入する。そうであるから、本件各
専ら原告らの肖像等を鑑賞することを目的として
原告らは人気のあるアイドルで、一般の読者は
仕事のためにスタジオ等に出入りする場面を撮影
姿を撮影した写真も、そのほとんどは、原告らが
また、私服姿で路上等を通行している原告らの
度を超えるとは言えない。
タレントでアイドルグループ「KAT─TUN」
20
する社会的な必要性もないと主張。
18
のメンバーとして芸能活動を行う6人(いずれも
は知 財 高 裁 に 控 訴 し て い る 。
し、これを種々のメディアで使用することが包括
権のほか、一部はプライバシー権侵害として56
日、第
ルグループ所属の男性2グループ 人が出版社を
訴えた第1事件と、放送や映画に出ているタレン
を発行した。また、平成 年8月に「KAT─T
11
真集を出版した。
10
0万円の損害賠償を言い渡した。第1事件の被告
17
肖像を無断で書籍に掲載されたとして、アイド
平成 年(ワ)第26989号損害賠償等請求事件
平成 年(ワ)第46450号パブリシティ権侵害差止等請求事件
64
トの女性 人が無断掲載などを理由に別の出版社
22 21
被告は平成 年9月に「嵐 お宝フォトBOO
19
( 36 )
26
21
11
25
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したものであり、芸能活動を離れた純然たる私生
から、原告のパブリシティー権を侵害するものと
有する顧客吸引力の利用を目的とするものである
とドレス姿の写真が掲載されており、これに性的
代、正服を着用した高校生時代の通学途中の写真
る。これは原告のパブリシティー権を侵害する。
活の場面ではない、このような写真が撮影され、
一方、原告らが持つ肖像権は、所属するジャニ
また、原告が芸能人になる前の通学途中の写真は
な関心を呼び起こさせる不当な内容の記述があ
ーズ事務所のグループ会社を当事者として、出版
一般に知られていないもので、プライバシー権の
して、不法行為法上違法となる」と断定した。
契約を締結しているが、その際、発行者から受け
侵害に当たる」と主張。
それが公表されたとしても、原告らの人格的利益
の侵害が、社会生活上受忍すべき限度を超えると
は言 え な い な ど と 反 論 し た 。
る許諾料は小売り価額の %を優に超える。そこ
東京地裁は第1事件を、「原告の肖像等それ自
に販売数を掛けた1億7千余万円を請求。裁判所
で、今回の損害額は小売り価額1300円の %
を利用して利益を得ようとするバブリシティー権
掲載したもので、これは原告の顧客吸引力の高さ
顧客吸引力を利用した不法行為
体を独立して観賞の対象となる商品等として使用
は、書籍販売の実利に疑問があるとして減額した
原告Bさんは「私生活上の写真と氏名を大きく
し、専ら原告の肖像等の有する顧客吸引力の利用
上、残余の書籍の破棄を認めた。
表紙に「メジャーデビューまで、お宝190カッ
また、KAT─TUNグループの書籍は、その
断し た 。
を鑑賞の対象とすることを目的とするもの」と判
とは認められない」とした上、「この書籍は写真
本件各写真の添え物であって独立した意義がある
の枚数やその取り扱い方等に照らすと、コラムは
あるが、写真とは格別の関連はないから、各写真
止策などを要求。同出版社も謝罪したが、その後
楽事業者協会を通して笠倉出版社に謝罪と再発防
属するプロダクションが会員になっている日本音
年4月、この雑誌に無断で掲載された被告らの所
被 告 出 版 社 は、「E NJ O Y M AX」の 題 名
を柱にしたアダルト雑誌を出版している。平成
同社代表取締役や発行人、編集長ら計3人。
人)。被 告 は
(株)
笠 倉 出 版 社 (東 京 都 台 東 区) と
港 区 5 人、 新 宿 区 4 人、 渋 谷 区 3 人、 品 川 区 2
その他の原告
る」などとした。
開を欲しないものでプライバシィー権を侵害す
のうち2枚の写真は芸能人になる前の他人への公
得ようとするパブリシティー権の侵害。この記事
せる不当な内容の記述を大きく掲載したもので、
それに想像を基に読者の性的な関心を呼び起こさ
原告C さんは、「デビュー前後の写真と氏名、
指摘した。
いものであるからプライバシー権を侵害する」と
もので、かつ、これは一般にいまだ知られていな
したものは、他人への公開を欲しない事柄に係る
の侵害。さらに、卒業アルバム等の私生活を撮影
を目的とするものであるから、原告のパブリシテ
ィー権を侵害するものとして、不法行為上、違法
第2事件の原告は、テレビ放送や映画に出演し
アダルト雑誌に学童時代の写真も
写真脇の文章は「短い記述を添えただけ」で、
ている芸能人 人(居住地は東京都目黒区7人、
とな る 」 と し た 。
さらに2本のコラムは「比較的まとまった文章で
トでつづる成長の軌跡」との記載があるように、
も 発 売 が 止 ま ら ず、 損 害 賠 償 請 求 訴 訟 に 発 展 し
人は、パブリシティー権侵害の
これは原告の顧客吸引力の高さを利用して利益を
原告を被写体とする写真を大量に掲載した写真集
た。
となる商品等として使用し、専ら原告の肖像等の
は、原告の肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象
着用した小学生時代、白い服を着用した中学生時
原告の請求のうち、Aさんは「スクール水着を
のであるか否かについて、実務の現場で具体的に
リシティーやプライバシー権を違法に侵害するも
被告は「芸能人に係る肖像等や記事内容がパブ
みの請求だった。
18
21
( 37 )
10
10
であるとし、「被告が写真を書籍に掲載する行為
21
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決は平成 年1月1日発行の「メデイア展望」拙
稿参照)に続き、上告審も侵害を認めなかった。
事の目的や意義、肖像等を公表する必要性等の諸
事情を比較衡量し、社会通念に基づいてプライバ
判断することが極めて困難を伴うことは明らかで
ある。もし、出版社において出版にかかる個々人
最高裁は、これらをパブリシティー権の侵害と言
ればならないとする初判断を示したものである。
シー侵害の有無を判断する必要があると解するの
しかし、パブリシティー権は「現時点では、そ
これまで下級審の判決では何度も出ている「パ
に対し、事後的な裁判手続き等で判断される場合
版社側は出版内容の確認に多大な人的時間的資源
の価値を算定する手法がないから、その毀損に関
ブリシティー権」だが、最高裁で「不法行為法上
うには、「専ら」顧客吸引力の利用が目的でなけ
を費やさざるを得ず、経済的に見ても雑誌の出版
わる損害額を算定する手法もないのであって、当
の違法」として認知されたことで、権利の先行き
が相当である」との判断を示した。
行 為 が お よ そ 不 可 能 と な っ て し ま う」 と 反 論 し
該額を立証することは極めて困難と言わざるを得
ので、①肖像の利用権は譲渡可能か②その権利は
き そん
た。
が見えてきた。しかし、独立した明文の法がない
個々の賠償額はプライバシー侵害を訴えた1人
死後も継続するか③継続可能なら承継できるか、
する表現媒体の寄与があってこそ形成されるもの
人) で、 1 人 平 均 は
高160万余円(2人)から最低7万7千円(2
しかし、民法の不法行為は、請求権の消滅時効
ィ権概説第2版・木鐸社刊』参照)
。
など、課題はあるようだ(内藤篤著『パプリシテ
に 万円、2人に各 万円の慰謝料を加算し、最
であり、その寄与を軽視して、芸能人がこれら表
に、掲載した書籍の破棄は在庫が確認できないと
を 「加 害 者 ヲ シ リ タ ル 時 ヨ リ 3 年 間」 と し て お
り、不都合とは言えない。
に、パブリシティー権を侵害するものとして、不
る顧客吸引力の利用を目的とすると言える場合
【後書き】双方の判決とも、
「専ら肖像等の有す
送もしくは記事等は、同意が要求される使用には
州法は「ニュース、公共的な事項、スポーツの放
たは肖像写真」と生存者に限定。カリフォルニア
ヨーク州は「生存している個人の氏名、肖像画ま
米国のパブリシティー権は州の制定で、ニュー
東京地裁は、「原告らのように芸能活動を行う
法行為上違法となると解するのが相当である」と
該当しない」と歯止めを掛けている。
「専ら」の利用であれば権利侵害
者は、社会的実態として芸能活動と関連するその
した平成 年2月2日の最高裁第1小法廷判決を
も述べられない場合があることは公知の事実であ
イエット体操の参考に、歌手2人が歌って踊り、
この最高裁判決は、女性週刊誌に掲載されたダ
価値を算定する手法がない。(損害の)額を立証
だ少なく、今回の第2事件でも、裁判所は「その
と抗 弁 し た 。
私生活上の事実が公表されることが常態化し、そ
る。従って、そのような事実を考慮すれば、原告
することは極めて困難」と嘆いている、これも裁
権侵害で訴えられた事件。一、二審(知財高裁判
(朝日新聞社社友)
判例が増えれば解決していくだろう。
人 気 だ っ た 「ピ ン ク レ デ ィ ー」 の 振 り 付 け 写 真
わが国の「パブリシティー権」紛争は、まだま
引用した内容となっている。
の判断は、極めて慎重にされる必要がある」など
万 6 千 余 円 だ っ た。 さ ら
現媒体による表現の内容に関して容易に排他的な
して認めなかった。
さらに、「顧客吸引力は芸能情報誌をはじめと
パブリシティー権は価値算定手法がない
ない」とした。
と同等の態様で注意を尽くすことを強いれば、出
22
れについて芸能活動を行う者の側から特段の苦情
『専 ら 顧 客 吸 引 力 を 利 用 す る 目 的』 が あ る か 否 か
っ て、 パ ブ リ シ テ ィ ー 権 の 侵 害 の 成 否 に 関 す る
権利行使をすることは許されるべきではない。従
20
26
の私生活上の肖像等の芸能活動との結び付きの程 (モノクロ)を掲載し、出版社がパブリシティー
度、肖像等の公表による具体的な被害の程度、記
( 38 )
40
らのような芸能活動を行う者については、その者
24
No.620
メ デ ィ ア 展 望
2013.8.1
●特派員リレー報告 ︵ ︶
共同通信ニューヨーク支局長
国産・無差別テロにたじろぐ米国民
リベラル政策だけで聖戦思想絶やせず
船 津
靖
やはり愛国的な響きの言葉が返ってくる。
この1年、ニューヨークで見ていて大きな事件
と言えば、ハリケーン﹁サンディ﹂のニューヨー
人を含む
人が射殺さ
ク直撃、昨年 月に東部コネティカット州のサン
ディフック小学校で児童
日、東部マサチュー
任。運命の切れ端でも見つかるかと⋮⋮﹂という
動する大先輩から﹁不惑を過ぎて初のアメリカ赴
際テロ組織アルカイダ系のイスラム聖戦主義者が
遠望できる。2001年の米中枢同時テロで、国
南に向いた窓から金融街ウォールストリートが
停 電 し、 都 市 機 能 が ま ひ し た。 こ の 町 が か つ て
のアパートを含めマンハッタンの南半分が数日間
﹁サ ン デ ィ﹂ で は 沿 岸 部 が 洪 水 に 見 舞 わ れ、 私
マラソン開催中に起こした連続爆弾テロである。
セッツ州に住むイスラム教徒の兄弟がボストン・
れた事件、そして今年4月
26
はがきをもらった。不惑どころか私は 代半ばで
もニューヨークで最も美しい摩天楼だ。
20
15
12
20
もう 年ほど前だが、ニューヨーク支局長に異
30
湾 岸 戦 争、 中 東 和 平、 ア フ ガ ン ・ イ ラ ク 侵 攻 な
ロンドンと旧大陸を転々としながら、ソ連崩壊、
る気もするが、それまでモスクワ、エルサレム、
た。いまさら、運命の切れ端を見つけても遅過ぎ
初 め て 新 大 陸 に 赴 任 し、 2 回 目 の 夏 が 巡 っ て き
れた超高層ビル﹁1︵ワン︶WTC﹂だ。今年5
年にちなんで1776㌳︵約541㍍︶に計画さ
ルが建ち並ぶ。ひときわ目立つのが、米国独立の
易センタービル︵WTC︶の跡には新しい高層ビ
イフル協会︵NRA︶の隠然たる政治力が改めて
どい事件が起きてもなお銃規制強化を阻む全米ラ
産物もあった。小学校乱射事件では、これほどひ
海面上昇や異常気象への米国民の意識を高める副
地であることを思い起こさせ、地球温暖化による
乗っ取った旅客機が激突、崩壊した2棟の世界貿 ﹁ニューアムステルダム﹂と呼ばれた海沿いの低
した。審美的にはクライスラーと比べるべくもな
というナショナリズムの象徴である。そうした愛
でエンパイア・ステートビルに譲ったものの、く
だ。﹁世界で最も高いビル﹂の栄誉は 1年足らず
高さ319㍍で、大恐慌直後の1930年の完成
もに﹁アメリカは前に進んでいくしかない﹂と、
法がない﹂という米国人らしい現実的な意見とと
が﹃何もないまま﹄よりはるかにいい﹂﹁他に方
の民主党系の人々に聞いても﹁特徴がなく平凡だ
せんとう
浮き彫りになった。ボストンの爆弾テロは米同時
月に全米一、世界で3番目の高さに達した。
場所で日本人 人を含む約2750人が命を落と
年前、﹁グラウンド・ゼロ﹂と呼ばれたあの
ど、米国の強大な力を外から見てきた身には、米
外交政策の基底を成す政治的伝統や人々の社会意
識にじかに触れられる場所に身を置けるのは幸運
なこ と だ 。
い が、 米 政 府 や 多 く の 愛 国 的 米 国 人 に と っ て は
先日、マンハッタン中心部にあるクライスラー
国主義を中南部的、共和党的と斜めに見る都会派
﹁アメリカは負けない、必ず勝つ。繁栄し続ける﹂
ビルの高層階を訪ねる機会があった。 階建て、
グラウンド・ゼロに540㍍の超高層ビル
24
すんだ銀色に輝く優美な尖塔を持つこのビルは今
世界貿易センタービル跡地に建設さ
れた超高層ビル「 1 WTC」(2013年
7 月18日、筆者撮影)
12
( 39 )
50
77
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メ デ ィ ア 展 望
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規模な無差別テロで、国際関係に関する人々の意
テロ以来初のイスラム過激派による米本土での大
は断たれた。両親は 年に別居、離婚し、それぞ
模の大会に出場できなくなる資格変更があり、夢
スラム教徒を殺している。悪魔が罰せられないで
ジョハルは逮捕の直前、米政府は﹁罪のないイ
識に 複 雑 な 影 響 を 与 え た 大 事 件 で あ る 。
いるのを見過ごせない﹂とボートに書き付けてい
する祝日﹁愛国者の日﹂だった。兄弟は当初、7
れダゲスタンに帰った。弟ジョハルは敬愛する兄
兄はチェチェン系の独立運動やテロに神経をと
月4日の米独立記念日にボストンで自爆テロを起
た。犯行の実行日は米独立戦争の戦闘開始を記念
がらすロシアの情報機関から注目され、米連邦捜
こす計画で、ニューヨークの繁華街タイムズスク
の直接的な影響下に置かれた。
この爆弾テロで8歳の男児、中国人女子留学生
査局︵FBI︶や米中央情報局︵CIA︶にも照
米に亡命したイスラム教徒の兄弟が実行
ら3 人 が 死 亡 、 約 2 6 0 人 が 負 傷 し た 。 4 月 日
エアでのテロも計画していたという。7月
日の
会が行った。兄は 年前半にロシア南部チェチェ
夜、容疑者の男2人はマサチューセッツ工科大学
︵MIT︶で警官を射殺し車で逃走、住宅街での
警察との銃撃戦で1人が射殺され、もう1人は
日夜、民家裏庭のボートの中に隠れているところ
に特 殊 部 隊 が 突 入 、 負 傷 し て 逮 捕 さ れ た 。
2人はチェチェン系イスラム教徒の兄弟だっ
た。 射 殺 さ れ た 兄 タ メ ル ラ ン ・ ツ ァ ル ナ エ フ
ン共和国を訪問、ボストンの穏健なイスラム教徒
た。有罪の場合、最高刑は死刑だ。
罪 状 認 否 で、 ジ ョ ハ ル 被 告 は 罪 状 を 全 て 否 定 し
聖戦主義者は暴力的で非合理的か
と公然と対立するようになった。兄と違い弟は、
周囲の友人らに気付かれることはなかったが、兄
の影響によりイスラム聖戦主義者の文書をパソコ
れ大西洋を越えた最初期の移民が植民して築い
東部ボストン周辺は、旧大陸の迫害や貧困を逃
今年6月末に﹁大量破壊目的の殺人武器使用﹂
た。ハーバード大学はじめ全米有数の大学を抱え
ンでダウンロードするようになっていった。
の罪状を挙げた起訴状によると、それらは
た爆弾の製法を説明するアルカイダのオンライン
︵ ︶は中央アジアのキルギスで幼少期を過ごし、 市販の圧力鍋に花火の火薬やクギ、金属球を詰め
知るはずの若者が﹁国産テロ﹂﹁反米無差別テロ﹂
寛容だ。そこで育ち、自由な米社会の長所もよく
るリベラルな土地柄で、移民や難民の受け入れに
など
ロシア南部ダゲスタン共和国を経て、父とジョハ
雑誌﹁インスパイア﹂の記事や、アフガニスタン
に走った事件は衝撃だった。兄弟が通った、生徒
︶ と、 逮 捕 さ れ た 弟 ジ ョ ハ ル ・ ツ ァ ル ナ エ フ
ルは 年3月に政治亡命が認められ渡米した。翌
で爆死した高名なイスラム神学者アブドル・アッ
︵
10
会で2年連続チャンピオンになっていた。父の期
どによると、兄タメルランは地元のボクシング大
が一般的な見方だ。ニューヨーク・タイムズ紙な
に進学した人気者の弟が引きずられた、というの
主義に傾斜した兄に、マサチューセッツ州立大学
米国で将来が閉ざされ、急速に過激なイスラム
軍の無人機空爆により殺害され、息子も翌月に同
も有名だ。アウラキ師は 年9月、イエメンで米
カイダの指導者ビンラディンの師匠だったことで
ン川西岸ジェニン近郊出身のアッザームは、アル ﹁恩をあだで返された﹂ことへの当惑を示す米国
した。イスラエルが占領したパレスチナのヨルダ
た論文などだ。兄弟は記事に基づいて爆弾を製造
部で米国人のアンワル・アウラキ師が序文を付し
をもらい、米市民権も得たばかりだったのに﹂と
らっておきながら﹂﹁弟は英語が上手で、奨学金
ぜ⋮⋮﹂と絶句した。﹁米国に政治亡命させても
10
11
だが、 年に
人が死亡したロンドン同時テロ
人も少なくなかった。
待に応え、米国でボクサーとして成功するのが夢
様の方法で殺された。
近郊 の 家 に 合 流 し た 。
年7月に母とタメルラン、姉妹2人もボストン
02
だった。しかし 年、市民権のない移民は全米規
75
03
56
﹁テ ロ 組 織﹂ と い う 言 葉 の ﹁極 悪﹂ イ メ ー ジ、 貧
の 自 爆 犯 4 人 も パ キ ス タ ン 系 の 英 国 人 だ っ た。
05
( 40 )
11
12
18
19
の出身国が カ国に及ぶという高校の校長は﹁な
19 26
ザームの論文、﹁アラビア半島のアルカイダ﹂幹
30
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2013.8.1
を備 え た 思 想 を 提 示 し た 。
スラム教徒の﹁誤り﹂を指摘し、彼なりの体系性
技術の力を十分に認識し、欧米がたたえる穏健イ
1年半以上滞在した後だ。クトゥブは欧米の科学
サイード・クトゥブが過激化したのは米国各地に
る。 年にナセル・エジプト大統領に処刑された
﹁テ ロ リ ス ト﹂ へ の 理 解 を 妨 げ て い る よ う に 思 え
的で非合理的と決め付けられがちで、そのことが
脳﹂しているという印象から、聖戦主義者は暴力
し い 少 年 を マ ド ラ サ ︵イ ス ラ ム 神 学 校︶ で ﹁洗
のある特定のイデオローグからネットを通じ、世
で聖戦思想を絶やすことはできない。それは人気
困対策、移民の同化支援などリベラルな政策だけ
父はサウジアラビア有数の富豪だった。教育や貧
長という超名門の出だ。前指導者ビンラディンの
ル大学総長、母方の祖父は医学者でカイロ大学総
学教授、叔父は千年の歴史を誇るカイロのアズハ
団分派であるジハード団出身のアルカイダ現指導
サダト・エジプト大統領を暗殺したムスリム同胞
した脅威の現実感は次第に薄らいでいたが、過去
以後、軍・情報関係者の最大の責務だった。そう
だった。これを絶対に阻止することが、同時テロ
ビブで大量破壊兵器︵WMD︶を使用すること﹂
模の破壊は﹁テロリストがニューヨークやテルア
のだろう。かつて、想定される最悪の黙示録的規
いるという。生物の自己防衛本能が関係している
学医学部を卒業したエリート軍医だった。父は大 ﹁悪い情報﹂にずっと強く感応するようにできて
者、アイマン・ザワヒリは成績抜群で、カイロ大
のものではないことが示された。
を思い知らせた。人間の意識は﹁良い情報﹂より
模無差別テロの脅威が、過ぎ去ってはいないこと
しかしボストンの爆弾テロは、米本土での大規
ボストン連邦地裁で開かれたジョハル・ツァルナエフ被告裁判の
法廷スケッチ(2013年 7 月10日、ロイター=共同)
クトゥブを尊敬し、イスラエルと和平を結んだ
演説で、反米感情をあおると批判される無人機攻
を指摘していた。オバマ大統領は5月下旬の国防
ちの暴力的な過激派﹂の脅威増大と探知の難しさ
米国防情報局︵DIA︶の年次報告は﹁米国育
界 の 果 て ま で 広 が っ て い く。 米 国 内 の ど こ で も
﹁殉 教﹂ と い う 名 誉 あ る 甘 美 な 死 に、 イ ス ラ ム 教
徒の若者を駆り立てる力がある。
足かせの中東・イスラム
平にも、シリア内戦にも積極的な関与をしてこな
いる。米国は﹁アラブの春﹂にも、パレスチナ和
日はないほど、東アジアの大国の存在感は増して
織の活動が活発化している。米の国内政治にも影
勢力﹁イラク・イスラム国﹂などアルカイダ系組
派の一角﹁ヌスラ戦線﹂や、イラクの反政府武装
折しも、アサド政権打倒を目指すシリア反体制
撃の対象限定と共に、﹁過激派のネットワークに
かった。あるいは、できなかった。シェールガス
響力を持つ同盟国イスラエルは、既成秩序が動揺
さしもの米同時テロも、人々の記憶に絶えず上
によるエネルギー革命で中東の重要性低下もささ
する中東諸国で核・化学・生物等のWMDが拡散
的を絞った取り組み﹂や、ボストンのような﹁国
やかれる。オバマ政権は日本を含む西太平洋地域
する事態を深刻に懸念し、断固として実力で阻止
ってくるほどではなくなりかけていた。米軍はイ
の安全保障とビジネスチャンス獲得の双方の理由
する構えだ。米国が中東やイスラム世界との屈折
産型テロ﹂への対処の重要性を強調した。
で、外交の重心を中東偏重から東アジアへ﹁リバ
した関係から抜け出せる日は、来そうにない。
ラクから撤退した。米国で中国が話題に上らない
ランス﹂しようと努めていた。
( 41 )
66
No.620
メ デ ィ ア 展 望
2013.8.1
有山輝雄 著
(吉川弘文館=4700円、税別)
Ⅰ
14
港を経て日本へ船便で伝わる外国語新聞を基に
開港地の横浜で英字新聞が作成され、翻訳した
記事が日本語の新聞に海外情報として掲載され
た。日本は無意識のうちに「イギリス系新聞チ
ェーンの末端」に位置付けられた。
第2部「国際ニュース通信への願望」では、
ほう が
海外情報収集・対外発信の萌芽を、ロイターと
の直接契約に至る過程から考察している。英字
紙の翻訳・転載に頼る日本の新聞は「ロイター
の正規受信者ではなく中古ニュースの転載受信
者」であった。しかし、日清戦争直前には日本
政府がロイターと密約し、日本に有利なニュー
スの発信が試みられた。日清戦争後は新聞社が
直接ロイターと契約、新聞シンジケートを設立
して高額な契約料を各新聞社で分担する方法も
取られた。また、独占権を認めた大北電信とは
1912年に通信契約の改定を行った。西欧列
強がそうであったように、中国や朝鮮半島への
覇権を進める日本にとり、電信敷設権は必要不
可欠なものであった。
第3部「帝国日本の生成と西欧情報覇権」で
は、日露戦争後にニュースの収集・発信が日本
人 の 手 に 移 っ て い く 過 程 を 論 じ て い る。 例 え
ば、朝日新聞はロイターからの脱却を試み、タ
イムズ紙と契約した。そして、 年には国際通
信社と東方通信社が設立された。本書では国際
通信社の詳細な経営分析がなされている。外務
省も対外発信や情報機構の充実を政策として考
え、中国情報を重視し東方通信社を支援した。
本書では東アジアへの帝国主義政策の一つと
して電信敷設や通信社を取り上げている。帝国
主義後発国の日本にとっても電信や通信社は覇
権に必要なアイテムであった。多数の出資国の
利害と国際関係の均衡を取って交渉を進める大
北電信と、大英帝国ロイターの交渉方法を比較
しながら読むのも面白い。著者はロイター文書
館 に 残 る 契 約 書 類 を 発 掘、 詳 細 に 考 察 し て い
る。ロイターと日本政府・新聞社・通信社の契
約を日清戦争など歴史的事象とともに考える
こうかつ
と、ロイターの狡猾さも見えてくる。著者の言
葉では「ニュースの商人ロイター」となるが、
あくまでもビジネスとして契約するロイターを
日本的思考で動かすのは難しいことが分かる。
第 2 巻 で は ロ イ タ ー か ら の 脱 却、 新 聞 聯 合
社・同盟通信社の設立、さらには無線電信が登
場する。通信社と電信技術の地殻変動が起きる
中で日本の覇権主義が論じられる。
当時の新聞に掲載された海外記事を比較調査
しているのも本書の特色である。私が読者に勧
めたいのは、明治の新聞紙面を実際に見ること
で あ る。 現 在 と 明 治 の 紙 面 構 成 は だ い ぶ 異 な
る。発信地・電報本数などビジュアルな検討方
法なので、紙面を一見すると、より一層理解が
深まるだろう。著者が明らかにした事実や成果
を研究史のみならず、新たな通信社史として踏
まえていきたい。帝国主義下にありながらもロ
イターや大北電信のグローバルな企業性も見え
てくる。読み応えのある一冊であった。
(佐藤 純子 =常磐大学国際学部非常勤講師)
( 42 )
『情報覇権と帝国日本
~海底ケーブルと通信社の誕生』
本書の特色は、通信社の歴史のみで捉えがち
な対外発信を、海底電信敷設という物理的視点
を加え論じていることである。日本の対外発信
を考える時、1870年に結ばれた4社間協定
を思い起こす。アバス、ロイター、ボルフ、A
Pの4社による通信協定は世界を分割し、日本
はロイターの管轄下に組み込まれた。そのため
日本からの自由な対外発信は制約された。本書
では通信社協定に加え、海底電信敷設でも日本
が西欧列強の帝国主義の影響を受けていたこと
を示している。つまり、日本の対外発信には通
信社協定と電信契約という二重の障壁があった
という視点である。
第1部「海底電線と通信社の到来」では 世
紀の情報通信社会における日本の位置付けを論
じている。唐船風説書・オランダ風説書をはじ
めとする江戸時代の対外情報システムを著者は
「変 化 が な い こ と を 確 認 す る ネ ガ テ ィ ブ な 情 報
収集活動」という。日本国内ではいまだ対外発
信という概念さえない時代、帝国主義を背景に
した電信網拡張競争は進み、清(中国)への中
継地として日本は注目される。電信敷設技術も
費用もない日本は、デンマークの大北電信の支
配を受ける。一方、欧米列強の通信社も勢力を
伸ばし、幕末日本の情報はイギリスの覇権の中
に入っていた。イギリスからシンガポールや香
19
No.620
メ デ ィ ア 展 望
2013.8.1
晋三首相が選挙戦で強調していたのは、例
景気回復への有権者の期待と並んで、安倍
に 終 わ り ま し た。「ア ベ ノ ミ ク ス」に よ る
▼参議院選挙は予想通り、自民党の圧勝
ったものです。
アによる批判へのこらえ性を切らすとすれば、困
能が挙げられますが、最高権力者の首相がメディ
て「ウオッチドッグ」(権力を監視する番犬)機
ィア談話室」参照)。メディアの重要な役割とし
したのが小泉進次郎・青年局長でした。 ( 保田)
受け止めるべきだ」と自民党内で一人、苦言を呈
批判されるのは宿命だ。そこは受け流し、時には
論、批判すべきではない」「首相が何をやっても
▼首相の田中氏批判に「個人の名前を挙げて反
国も国務省の報道官が「言語道断で不快だ」と
えば尖閣諸島をめぐる中国との紛争でも
「日 米 同 盟 の 絆 を 取 り 戻 し た か ら 安 心 し て く だ さ
い」 と い う 安 全 保 障 論 で し た 。
強く批判するなど批判の声が上がった。
に安倍政権で回復したのでしょうか? 実態は逆
で、歴史認識に関する首相発言などから、相当ギ
関する発言で国内外から大きな批判を招いた橋
参院選の結果が明らかになり、従軍慰安婦に
することにした」と発言、驚いた当時の野田佳
が日本の国を守るため東京都が尖閣諸島を購入
太郎氏は昨年、尖閣諸島の領有問題で「日本人
▼だが、オバマ米政権との「日米の絆」は本当
クシャクしているのではないかと指摘する声さえ
下徹大阪市長が共同代表を務める「日本維新の
彦政権(民主党)が同諸島の「国有化」に踏み
維新の会のもう一人の共同代表である石原慎
出始めています。今月号のトップに据えた時事通
会」は伸び悩んだ。メディアの寵児を自任する
切り、中国の猛反発を招いた。石原氏は今日の
軽過ぎる政治家の発言
信社解説委員の鈴木美勝氏の講演記録は、そうい
氏も、自分の発言がこれほどまでに有権者の反
日中対立の火種をつくった張本人だ。
▼経済優先の〝慎重運転〟に徹しているかに見
す。訪米した中国の習近平国家主席、韓国の朴槿
が 確 立 さ れ て い る と は、 と て も 思 え な い 状 態 で
化されています。しかし両国の首脳間の信頼関係
が居酒屋で気炎を上げているのならともかく、
いと』と伝えた」との氏の発言。サラリーマン
普天間基地司令官に『もっと風俗業を活用しな
が必要なことは誰だって分かる」「沖縄の米軍
国で慰安婦制度を活用していた」「慰安婦制度
ートしてくれたのは参考になった。「いろんな
取材現場から、橋下発言の舞台裏を詳細にリポ
本誌7月号で共同通信社の西野秀氏が大阪の
者や政治家が他国のナショナリズムに対し、ナ
ショナリズムに偏していると映る。だが、為政
求める韓国は、国民の目から見て日本以上にナ
ける中国や、執拗に慰安婦問題の謝罪と補償を
かに尖閣諸島周辺海域で強圧的な海上行動を続
極的な、国家主義的な考えの持ち主である。確
倍晋三首相の3氏は、いずれも憲法改正にも積
義は国際的にも定まっていない」と答弁した安
石原、橋下両氏と、4月に国会で「侵略の定
ちょう じ
う背 景 を 知 る 上 で 興 味 深 い も の で す 。
発を買うとは予想しなかったに違いない。
える安倍首相ですが、時折、怒りが爆発して地金
政治家の公式発言とはとても思えない。慰安婦
ショナリズムだけで対抗していては外交とは言
確かに、自衛隊と米軍との制服組間の交流は強
が出るようです。それが露呈したのが元外務審議
問題は、韓国との間で個人への補償などをめぐ
えない。
それ は 明 ら か で す 。
分にとどまった安倍・オバマ会談とを比べれば、
恵大統領への米側の厚遇ぶりと、わずか1時間
官、田中均氏の発言(村山談話をそのまま踏襲し
って確執が続いている外交問題である。当然、
(長野県須坂市 荻原莞二
しつよう
ないとした首相発言に懸念表明)に対する異例の
韓国は「日本の政治家がまた妄言」と反発。米
)
フェイスブック上での名指し攻撃と、TBSへの
45
( 43 )
編集後記
取材拒否事件でした(本誌「放送時評」と「メデ
76
No.620
メ デ ィ ア 展 望
2013.8.1
2013.8.1
メ デ ィ ア 展 望
No.620
調 査 会 だ よ り
◎小渕敏郎氏を講師に講演会開催
◎「マイブック」欄を新設しました
公益財団法人新聞通信調査会は 7 月31日
今月号から「調査会だより」に「マイブッ
(水)、通信社ライブラリーで講演会を開い
ク」欄を設けました。本誌読者が自分の新刊
た。講師は共同通信社政治部副部長の小渕敏
書を紹介したい場合にご利用ください。新刊
郎氏、演題は「参院選後の安倍政権~国政選
書を 1 冊、当会宛てに郵送くださるととも
挙なき 3 年間の進路」だった。主な講演内容
に、本の読みどころ、キャッチフレーズなど
は次号( 9 月号)に掲載する予定です。
を書いた原稿をメール添付で送稿ください。
原稿の字数は本のタイトル、著者名、出版
社、本の価格を含め270字以内でお願いしま
す。毎月15日を翌月号の原稿締め切りとしま
石井 勇人(共同通信社前橋支局長)
す。
農業超大国アメリカの戦略
~ TPP で問われる「食料安保」
◎「関東大震災写真展」を開催
新潮社(2013年)1600円
(公財)新聞通信調査会は関東大震災の被害
■米国は日本市場の何を狙っているのか■
状況などを写した写真展「関東大震災90年~
「世界のパン籠」として
電通報道記録と市民が集めた写真記録」を下
の 米 国 の 役 割 は 低 下 し、
記要領で開催します。展示するのは日本電報
2001年の中枢テロ以降「食
通信社の送信電文と写真、市民カメラマン撮
の安全」への関心が高まっ
影・収集の写真など約50点で入場は無料です。
ている。生産要素を大量に
【期間】 8 月 1 日(木)
~ 9 月30日(月)
投入する大規模営農の危う
【時間】午前10時半~午後 4 時
さが認識され、オバマ政権は家庭菜園の普及
【会場】通信社ライブラリー
に力を入れている。巨大で複雑な米国の農業
(新聞通信調査会と同じ場所です)
を生産現場、種子ビジネス、農機メーカー、
穀物商社、大学・研究機関、政府・議会など
分野別にばらばらに解剖することで、米国の
農業政策の狙いや食料安全保障に対する姿勢
を浮き彫りにした。
定価150円 1 年分1,500円(送料とも)
発行所 公益財団法人 新聞通信調査会
〒105-0001 東京都港区虎ノ門 1 - 5 -16(晩翠ビル)
☎ 03-3593-1081(代)
E-mali:chosakai@helen.ocn.ne.jp
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印刷所 株式会社 太平印刷社
ISSN 2187-2961 Ⓒ新聞通信調査会2013
2013年8月1日(木)~ 2013年9月30日(月)
開場時間10:30~16:00
東京都港区虎ノ門1-5-16 晩翠ビル4階 新聞通信調査会 通信社ライブラリー
協力 独立行政法人 防災科学研究所
〔訃報〕
公益財団法人 新聞通信調査会
村石 富行氏(むらいし・とみゆき=元時事
通信社編集局次長、元エディターセンター代
表) 6 月15日死去、79歳。喪主は妻の利子
(としこ)さん。自宅は埼玉県入間郡三芳町
北永井840-52。
株式会社 共同通信社フォトセンター
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