センター試験トライアル

センター試験トライアル 第1回
01 オリエント世界とギリシア世界
1 古代エジプト
古代エジプトの宗教について述べた次の文①〜④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
①エジプト人は,霊魂の不滅を信じてミイラを作った。
②ピラミッドは,中王国時代に最も盛んに建造された。
③アメンホテップ4世(イクナートン)は,従来の多神崇拝を禁じ,アトン神のみを信仰するように人民に強制した。
④エジプト王はファラオと呼ばれ,神の化身と考えられていた。
◇正解は②。中王国が誤り。ピラミッドは古王国時代に最も盛んに建造された。ギゼーのクフ王のものが有名である。
◎ナイル川流域の孤立的(閉鎖的)地形 エジプトはナイルの賜 ̶ヘロドトス
◎ノモス…文明初期に成立の集落国家,渓谷地帯の上エジプトとデルタ地域の下エジプトに収斂
◎古王国…都メンフィス・ピラミッド時代でピラミッド建設,王の称号はファラオ
◎中王国…都は上エジプトのテーベ,テーベの市神アモンと最高神ラーが同一視→アモン=ラー信仰
◎ヒクソス…中王国末期から馬と戦車の軍事力でシリア方面よりエジプトに進出し支配
◎新王国…ヒクソスを追放し,シリアまで進出,都はテーベ
・アメンホテプ4世がアモン神否定→アトン一神教の改革でイクナートンと改名
・テーベのアモン神神官に対抗,テル=エル=アマルナに遷都し自由で写実的なアマルナ美術
・小アジアの印欧系ヒッタイトとシリアをめぐり対抗→海の民の出現で打撃
◎アッシリアに征服…前7世紀アッシリアに征服→アッシリアのオリエント統一
◎四王国の一…アッシリアの滅亡後,リディア・メディア・新バビロニアと抗争
◎アケメネス朝に征服…前6世紀アケメネス朝に征服→アケメネス朝のオリエント統一
2 ヒッタイト
ヒッタイトに関して述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①ヒッタイトは鉄製の武器や馬がひく戦車を用いてオリエント世界に勢力を広めた。
②ヒッタイトは,セム語系の言語を話し,海上交易に活躍した。
③ヒッタイトは,ホスロー1世の時に最盛期を迎え,西方に遠征した。
④ヒッタイトの宗教は,のちに中国に入って景教と呼ばれた。
◇正解は①。ヒッタイトは馬がひく戦車の戦術で古バビロニアを滅ぼした。その後,鉄製武器の使用を開始し,その製法を独占した。ヒッ
タイト滅亡後に鉄器製造技術はオリエント各地に拡大した。
②ヒッタイトはインド=ヨーロッパ系なので誤り。セム系で海上交易に活躍したのはフェニキア人
③ホスロー1世は,6世紀のササン朝ペルシアの君主なので誤り。
④後に中国に入って景教と呼ばれた宗教は,ネストリウス派キリスト教。ヒッタイトの時代にはキリスト教は成立しておらず誤り。
◎インド・ヨーロッパ系で前18世紀頃小アジアのボアズキョイを拠点
・前16世紀に馬と戦車を用いて古バビロニアを滅ぼす
・前14世紀頃最初に鉄器を使用,ミタンニを服属させ,小アジアで新王国と対峙
・前13世紀に新王国のラメス2世とカデシュの戦い→海の民の侵攻などで前12世紀頃滅亡
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3 ユダヤ教
ユダヤ教について述べた次の文①〜④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
①ユダヤ教は,選民意識とメシア(救世主)待望を特徴とする。
②ユダヤ教は,ゾロアスター教の影響がみられる。
③ユダヤ教は,多神教である。
④「旧約聖書」は,ヘブライ人の律法・預言・文学などをまとめたものである
◇正解は③。多神教が誤り。ユダヤ教はヤーヴェの一神教が特徴である。
4 ダレイオス1世の治世
ダレイオス1世の政治に関する次の①〜④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
①全国は州に分けられ,各州は総督(サトラップ)によって統治された。
②州の統治を監視するため,王に直属する監察官が派遣された。
③スサを中心に道路が建設され,駅伝制が整えられた。
④服属する異民族はすべて,ペルシア人の風習を強制された。
◇正解は④。強制が誤り。服属した民族には自民族の風習や信仰が許容された。
②王に直属する監察官が「王の目」「王の耳」
③スサからサルデスに到る街道は,「王の道」と称された
◎ダレイオス1世…アケメネス朝3代目の王。インダス流域からエーゲ北岸までの大領土
・サトラップ(知事)を王の目・王の耳(巡察使)が監視
・王の道建設し,駅伝制を整備
・従来の首都スサに加え,新都ペルセポリスをイランに建設
・イオニア植民都市ミレトスの反乱を鎮圧→アテネに遠征軍派遣もマラトンの戦いに敗北
5 エーゲ海の文明
エーゲ海域に成立した文明にして述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①クレタ文明やミケーネ文明は鉄器を使用する鉄器文明であった。
②ミケーネ文明は堅固な城塞を持ち,国王の権力は強大で農村からの貢納を徴収していた。
③ギリシア人の植民都市に由来する都市には,マルセイユやウィーン,パリ,ロンドンがある。
④ギリシアのポリスの交易は,主に穀物を輸出してオリーブ油やぶどう酒を輸入するものだった。
◇正解は②。ミケーネ文明はホメロス『イーリアス』のトロヤ戦争の伝承に見られるように,軍事的性格が強く堅固な城塞を築いた。城壁を
持たなかったクレタ文明との相違である。
①エーゲ文明は青銅器文明だった。鉄器の普及は海の民によるヒッタイトの滅亡後であり,海の民の出現は,エーゲ文明の滅亡との
関係が指摘されている。前後関係に注意。
③マルセイユはギリシア人植民都市マッサリアだが,ロンドン(ロンディニウム),パリ(ルティティア),ウィーン(ウィンドボナ)はローマの
植民市が起源。ギリシアの植民市は黒海と地中海の沿岸であり,これらの都市はいずれも地中海沿岸ではない。
④ポリスの交易は,穀物を輸入し,オリーブ油やぶどう酒を輸出するものだった。
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6 ポリスの法
ポリスの法に関連して述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①スパルタではヘイロータイ(ヘロット)が法の制定に参加した。
②アテネではクレイステネスが陶片追放の法を定めた。
③スパルタではドラコンが法を制定して国の体制を定めた。
④アテネではペイシストラトスが貴族と平民の争いを調停して法を定めた。
◇正解は②。クレイステネスは,血縁的部族制を地縁的部族制にあらためる改革も行った。
①ヘイロータイは被征服者の先住民で,スパルタの完全市民に隷従していた。
③ドラコンはアテネで成文法の制定をおこなった人物。スパルタの体制は,リュクルゴスによって定められた。
④ペイシストラトスは,僭主制を樹立した人物。貴族と平民の調停を図ったのはソロン。
7 前4世紀のポリス社会の変化
前4世紀のポリス社会の変化について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ
①ポリス市民間の貧富の差が拡大した。
②土地を失うポリス市民が現れた。
③ポリスの間に傭兵の使用が広まった。
④ポリス市民としての意識や結束が強まった。
◇正解は④。貧富の拡大や傭兵の使用による市民皆兵原則の崩壊は,ポリス市民団の結束をゆるがせ,ポリスの弱体化につながった。
8 ギリシアの建築
パルテノン神殿について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
a パルテノン神殿の建つ丘は,アクロポリスと呼ばれている。
b パルテノン神殿は,ヘレニズム文化の影響下で建設された。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は②。aは正しい。ギリシアのポリスは,アクロポリスの丘の周囲に集住して成立する。
bは誤り。パルテノン神殿は,ギリシアのアテネの建築物であり,ペルシア戦争で破壊されたものを,ペリクレス時代にフィディアスが指
揮して再建した。
◎ドーリア式…簡素で荘重・アクロポリスのパルテノン神殿が代表
パルテノン神殿…フィディアスが再建を監督,本尊の「アテナ女神像」を制作
◎イオニア式…優雅・渦巻き柱頭でアクロポリス北側のエレクティオン神殿が代表
◎コリント式…繊細華美でヘレニズム期に流行
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02 地中海世界
9 ヘレニズム文化
ヘレニズム文化について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①コスモポリタニズムとは,市民共同体のポリスへの帰属を前提とした時代風潮である。
②プトレマイオス朝の都アレクサンドリアには王立研究所のムセイオンがあった。
③個人の心の安静を快楽とし,快楽追求を説くストア派の哲学が生まれた。
④アルキメデスは地球の周囲の長さ(子午線)を計測した。
◇正解は②。プトレマイオス朝のムセイオンでは自然科学の研究が盛んだった。
①のコスモポリタニズムは世界市民主義と訳し,個人主義とともにポリスの役割が低下した時代状況を背景にポリスの枠を越えた世界に
帰属意識を求めた風潮である。
③心の平安を快楽としたのはエピクロス派。ストア派は禁欲を主張した。
④アルキメデスは浮体の原理。子午線の長さ(地球の周長)の計測はエラトステネス。
◎東西に伝播→インドのガンダーラ美術(ギリシア風仏像)に影響
◎自然科学…プトレマイオス朝のムセイオンが研究の中心
・エラトステネス…子午線の長さ(地球の周長)を測定
・アリスタルコス…地動説を唱える
・アルキメデス…シチリア島シラクサ出身。浮体の原理,ポエニ戦争でローマ兵に殺害
・エウクレイデス…平面幾何学を大成
◎哲学…ポリス衰退期の文化
→個人主義,コスモポリタニズム…人間をポリスや国家の枠を越えた世界市民
・ストア派…ゼノン創始・禁欲による心の平安を説く
・エピクロス派…エピクロス創始・精神的快楽の追求を説く
10 ローマ共和政
ローマの共和政について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①貴族と富裕平民から形成された新貴族(ノビレス)の力が強くなり,彼らの意向は無視できないものになった。
②アテネの場合と異なり,終身議員で構成される元老院が大きな力を持っていた。
③ホルテンシウス法によって元老院の決議のみが法と認められることになり,元老院の力は一層強まった。
④征服戦争が続けられた結果,市民の中核をなす中小農民は没落し,貧富の差はますます拡大した。
◇正解は③。ホルテンシウス法では元老院の承認を経ずに平民会の決議が国法となった。これは,今まで平民のみを拘束して貴族を
拘束しなかった平民会の法が,平民と貴族の別なくローマ市民全体を平等に拘束することを意味し,ここに法の下の平等が実現して
事実上貴族と平民の身分対立が解消された。しかし,この時には①の文にあるように,ノビレスによる官職の独占が事実上確立してい
た。
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11 ローマ帝国の皇帝
ローマ帝国について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ
①ローマ帝国の領土は,コンスタンティヌス帝の時代に最大となった。
②ローマ皇帝の使者とされる者が,後漢を訪れた。
③カエサルは初代ローマ皇帝となった。
④4世紀には,軍隊が皇帝を乱立する軍人皇帝時代となった。
◇正解は②。マルクス=アウレリウス帝に比定される大秦王安敦の使者が,現ヴェトナムのフエにあたる日南郡を訪れたとの記録が『後漢
書』にある。
①領土の最大は五賢帝の一人トラヤヌス帝の時代。
③初代皇帝はカエサルではなくオクタヴィアヌス(アウグストゥス)。
④軍人皇帝時代は3世紀。3世紀は,世界各地で大帝国が崩壊した危機の世紀であった。
◎アウグストゥス…プリンケプス(第一の市民)と称し元老院を尊重しつつ前27年帝政(元首政)
◎五賢帝(96-180)…ネルヴァ,トラヤヌス(領土最大),ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(『自省録』のストア派哲学者,大秦王安敦)
◎カラカラ(198-217)…212年帝国居住の全自由民にローマ市民権を付与,ローマに大浴場建設
◎ディオクレティアヌス(284-305)…軍人皇帝時代了,ドミナトゥス制,四分統治,キリスト教迫害
◎コンスタンティヌス(324-337)…313年ミラノ勅令でキリスト教公認,325年ニケーア公会議
330年ビザンティウムに遷都しコンスタンティノープルと改称
◎ユリアヌス(361-363)…キリスト教からミトラ教に改宗し, 背教者
◎テオドシウス(379-395)…キリスト教国教化,395年の死後,帝国は東西に分裂
12 ポリス
ギリシアの地域について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①前8世紀には,ギリシア各地にポリスが形成されるようになった。
②前5世紀に,ギリシアの諸ポリスはアケメネス朝ペルシアと戦った。
③前4世紀に,マケドニアはギリシアの諸ポリスを支配した。
④5世紀には,ギリシアは西ローマ帝国の支配下にあった。
◇正解は④。西ローマ帝国が誤り。ローマ帝国は4世紀末に東西に分裂し,ギリシアは東ローマ帝国の領域となった。したがって5世紀
のギリシアを支配していたのは東ローマ帝国である。
◎前8世紀ころよりアクロポリス(城山)中心に貴族が指導し集住(シノイキスモス)で成立
◎アクロポリス…神殿が建てられ,国家祭祀の場,公金を保管する国庫の役割も
◎アゴラ…中央広場で市場や役所,裁判所が開かれ,市民の公共生活の中心
◎城壁で囲まれた市域と周辺の田園からなる
◎市民の大多数は田園に居住し,少数の奴隷を用いてクレーロス(持ち分地)を耕作
◎ポリスは母市も植民市もそれぞれが政治的に独立した都市国家
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13 ローマ帝国
ローマ帝国について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アケメネス朝ペルシアと戦った。
②アレクサンドロス大王によって併合された。
③イスラーム教を国教とした。
④アウグストゥスによって帝政が始まった。
◇正解は④。オクタヴィアヌスがアウグストゥスの称号を元老殷から受け,前27年に帝政の開始。
①②アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王の後継帝国の,アンティゴノス朝マケドニア,セレウコス朝シリア,プトレマイオス朝エジ
プトを次々と征服・併合したのがローマ帝国。
③イスラーム教が誤り。4世紀末にテオドシウス帝がキリスト教を国教としている。
14 ローマの建築
ローマの建築物として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
① ピサ大聖堂
② コロッセウム
③ サーンチーのストゥーパ
④ ポタラ宮殿
◇正解は②。コロッセウムはローマにある円形闘技場。
①のピサ大聖堂は,中世イタリアのロマネスク建築の代表。
③のストゥーパは,仏教で仏舎利をおさめる塔。インド中部にあるサーンチーのものが代表。
④のポタラ宮殿は,チベットのダライ=ラマの宮殿。
◎フォルム…ギリシアのアゴラにあたる公共広場でパンテオンや元老院も存在
◎軍道…アッピア街道など軍道を整備(全ての道はローマに通ず)
◎ガール水道橋…フランスに残るローマ時代の建築物
◎コロッセウム…ローマの円形闘技場で,剣奴のショーなど実施( パンとサーカス )会場に
◎凱旋門…戦勝記念の凱旋パレードのために建設
◎パンテオン…ハドリアヌス帝が建設したローマ最大の円蓋建築,万神殿
15 キリスト教
キリスト教について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ
①イスラーム教を批判したイエスの教えをもとに成立した。
②ペテロは異邦人の使徒と呼ばれ,ユダヤ人以外に積極的に布教した。
③ユリアヌス帝によって国教とされた。
④『新約聖書』を経典とする。
◇正解は④。
①イスラーム教ではなくパリサイ派
②ペテロではなくパウロ。ペテロは第一の使徒。
③ユリアヌスではなくテオドシウス。ユリアヌスはキリスト教からミトラ教に改宗した“背教者”である。
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03 イラン世界と南・東南アジア世界
16 パルティアとササン朝
パルティアとササン朝について述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
① パルティアの建国者はアルデシール1世である。
② パルティアはローマと抗争し,三頭政治家のクラッススを敗死させた。
③ ササン朝のホスロー1世はクシャーナ朝を征服した。
④ ササン朝のシャープール1世は突厥と結んでエフタルを滅ぼした。
◇正解は②
①アルデシール1世はササン朝の建国者,パルティアの建国者はアルサケスであり,ここからパルティアのことをアルサケス朝ともいう。ま
た,中国名の安息もアルサケスの音を写したものとされる。
③ホスロー1世ではなくシャープール1世。
④シャープール1世ではなくホスロー1世。
17 インダス文明
インダス文明について述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
① 支配者の陵墓であるピラミッドが建立された。
② モエンジョ=ダーロやハラッパーで,整然と計画された都市が建設された。
③ メソポタミアの楔形文字を刻んだ印象が使用されていた。
④ マニ教の聖典であるヴェーダが作られた。
◇正解は②。
①ピラミッドはエジプト。インダス文明では支配者の陵墓や王宮,神殿などが見られないことが特徴。
③印章にはメソポタミアの楔形文字ではなく,未解読のインダス文字。
④ヴェーダはバラモン教の経典で,作成はインダス文明後のアーリア人。
18 カースト制
カースト制度について述べた次の文①〜④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
① この制度は,4つに区分される種姓ヴァルナと,職業や生まれを意味する数千のジャーティが結合したものである。
② ヴァルナの枠外に,最も差別される階層として不可触民が置かれた。
③ バラモンは輪廻転生思想で,ヴァルナ制のもとでの身分の序列を正当化した。
④ 現在ではジャーティは消滅し,ヴァルナの区分のみがカーストとなっている。
◇正解は④。現在のインドのカースト制度では,まずどのジャーティに属するかが重要であり,一般にカーストという場合はジャーティを
指す。
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19 南アジアの宗教
南アジアの宗教について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①バラモン教は,ヴァルナ制度を批判した。
②大乗仏教は,上座部仏教を批判した。
③ジャイナ教は,バラモン教を批判した。
④シク教は,イスラーム教の影響を受けて成立した。
◇正解は①。「批判した」が誤り。バラモン教は,ヴァルナ制度の身分制度に立脚する宗教であった。
②大乗仏教は,個人の解脱を目指す上座部仏教を小乗と称して批判し,菩薩信仰に基づき,万人の救済を重視した。
③ヴァルダマーナが創始したジャイナ教は,仏教と同様にヴァルナ制度を否定してバラモン教を批判した。
④シク教は,イスラーム教の影響を受けたナーナクによって,偶像崇拝やヴァルナ制を批判する一神教的な宗教として成立した。
20 インドの宗教
仏教・ジャイナ教などは,バラモン教を批判する新しい思想であった。このことに関連して述べた次の文①〜④のうちか
ら,正しいものを一つ選べ。
① バラモン教は,『アヴェスタ』を聖典とする宗教である。
② 『ヴェーダ』は,インダス文明を築いた民族がのこした宗教文献である。
③ ジャイナ教の開祖ヴァルダマーナは,徹底的な不殺生主義を説いた。
④ 仏教やジャイナ教は,祭祀階級であるバラモンに最大の支持者を見出した。
◇正解は③不殺生主義と苦行がジャイナ教の特徴。
①『アヴェスタ』はゾロアスター教の聖典でバラモン教の聖典は『ヴェーダ』。
②『ヴェーダ』はアーリア人が作成。
④バラモンではなく,クシャトリヤやヴァイシャの支持。
◎バラモン教…バラモンが祭司。ヴェーダを聖典。輪廻思想でヴァルナ制を正当化
祭式主義への新宗教の批判→内面の思索を重視するウパニシャッド哲学
◎ジャイナ教…前6世紀頃クシャトリヤ出身のヴァルダマーナ創始
ヴァルナ否定。苦行重視し不殺生を強調
◎仏教…前6世紀頃クシャトリヤ出身のゴータマ=シッダールタ創始
・ヴァルナ否定・苦行否定し八正道の実践による輪廻転生からの解脱を説く
・マウリヤ朝のアショーカ王はダルマ(法)を重視
◎上座部仏教…個人の修行による救済を重視
◎大乗仏教…菩薩信仰を重視し,大衆の救済を説く,ナーガルジュナの理論化
・5世紀にナーランダー僧院が創建(∼12世紀)され教学研究盛ん
・民衆より遊離→ヴァルダナ朝崩壊後の混乱で王朝と大商人の保護を失うと衰退
◎ヒンドゥー教…バラモン教に民間の信仰や慣習融合し徐々に成立
・偶像崇拝の多神教で特定の教義や聖典にもとづく宗教ではない
・維持神ヴィシュヌと破壊神シヴァが人気で神との一体化を求めるバクティ運動も発生
・二大叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』は,王子をヴィシュヌ神の化身として重視
◎マヌ法典…ヴァルナ秩序に基づきヒンドゥー教徒の日常生活の規範を定める
◎シク教…16世紀初にイスラーム教の影響でナーナク創始,カースト否定,パンジャブに勢力
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21 玄奘法印時の王と王朝
唐僧の玄奘が訪れた当時のインドの王と王朝の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。。
①
ハルシャ=ヴァルダナ—ヴァルダナ朝
②
アショーカ—マウリヤ朝
③
チャンドラグプタ1世—グプタ朝
④
カニシカ—クシャーナ朝
◇正解は①。玄奘は,グプタ朝崩壊後,7世紀初めにカナウジを都に北インドを統一したヴァルダナ朝のハルシャ=ヴァルダナ王に謁見
し,ナーランダ僧院に留学している。
22 近代インドの宗教対立
19世紀になると,西洋式教育を受けたインド人知識人の間で,宗教・社会改革運動が起こったが,この動きを西洋の思
想・文化の流入による民族の危機と受け止めた人々は,復古主義的改革を主張した。このような論争を通じ,人々の間に
は次第に,インド土着の[ ア ]的文化こそが真の民族的伝統であり,13世紀以降インドに広まった[ イ ]的文化とは互
いに相容れないとする思想が形成され,インド・パキスタン分離独立への端緒が開かれていったのである。
文章中の空欄[ ア ]と[ イ ]に入れる宗教の名の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
① ア—ゾロアスター教
イ—ヒンドゥー教
② ア—ゾロアスター教
イ—イスラーム教
③ ア—ヒンドゥー教
イ—ゾロアスター教
④ ア—ヒンドゥー教
イ—イスラーム教
◇正解は④。ヒンドゥー教は,輪廻転生説に立ち,カースト制度を前提とするインドの諸宗派の総称である。イスラーム教は,1206年にイ
ンド最初のイスラーム王朝である奴隷王朝が成立すると,スーフィーなどがインドを訪れるようになり,彼らの活動を通じて広がっていっ
た。
23 東南アジアの歴史
東南アジアの歴史について述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
① 初期文化として権威者が象徴として銅鐸を用いたドンソン文化がある。
② アンコール朝は12世紀にヒンドゥー教寺院としてアンコール・ワットを建設した。
③ 2世紀末にはモン人が現在のヴェトナム南部でチャンパーを建国した。
④ 現在のベトナム北部の黎朝は,モンゴル軍の侵入を3回撃退し,チュノムという文字が普及した。
◇正解は②。アンコール・ワットはスールヤヴァルマン2世をヴィシュヌ神の化身として祭るヒンドゥー教寺院として建立された。
①銅鐸が誤り。ドンソン文化で権威の象徴として用いられたのは銅鼓。
③チャンパーを建国したのはチャム人。モン人は6世紀頃から11世紀にかけてチャオプラヤー川下流にドヴァーラヴァティー,13世紀
にビルマ南部でペグー朝を建設した。
④黎朝ではなく陳朝。黎朝は15世紀に明から独立しチャンパーを征服した王朝。
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24 東南アジアの宗教と国家
東南アジアと南アジアにおける諸宗教と国家の関係について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選
べ。
① 黎朝は,イスラム王朝であった。。
② マジャパヒト王国は,ヒンドゥー教国であった。
③ ゴール朝は仏教を国教とした。
④ マラッカ王国は,儒教を国教とした。
◇正解は②。13世紀末にジャワ島に成立したマジャパヒト王国は,東南アジア最後のヒンドゥー教の大国である。
①黎朝は15世紀に成立した大越国の王朝で,大乗仏教や儒教が信仰された。
③ゴール朝はアフガニスタンに建国のイスラーム王朝
④マラッカ王国はイスラームに改宗した東南アジア最初の本格的イスラーム王朝
25 東南アジアの歴史
16世紀後半から17世紀前半までの東南アジアについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
① ジャワ島の中央部から東部にかけて,イスラーム教のマタラム王国が台頭した。
② ヴェトナムに陳朝が成立した。
③ マレー半島では,マラッカ王国が海上交易で繁栄していた。
④ タイでは,スコータイ朝が交易で繁栄していた。
◇正解は①。その他ジャワ島西部にバンテン,スマトラ島北部にアチェ王国が成立している。②は13世紀。③は15世紀,④は13世紀で
ある。センター試験では,世紀を問う問題に注意。
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04 東アジア世界の形成
26 殷
古代中国の殷墟について述べた次の文①〜④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
①殷墟は殷後期の首都,大邑商の跡遺跡である。
②殷や周は都市国家邑の連合体としての王朝であった。
③殷墟では宮殿や住居の跡だけでなく,大規模な殉葬墓も発見されている。
④殷墟は陝西省の渭水の流域で発見された。
◇正解は④。殷墟は河南省の安陽市で発見。渭水の流域で発展は周である。
◎前1500年頃∼前11世紀,確認できる最古の王朝
◎商邑(大邑商,現河南省安陽市小屯村)を中心とした邑の連合体,遺跡を殷墟
◎出土品
・青銅製の武器・祭器…青銅器文明証明(青銅器に施された文字を金文)
・殉葬遺骨・亀甲・獣骨に刻まれた卜辞(文字を甲骨文字)…神権政治証明
◎神権政治…卜辞による占いで政治を決定
27 春秋戦国
西周から春秋戦国時代についてのべた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①周では封建制が行われたが,周の封建制は自由な個人間の契約関係が特徴である。
②春秋時代に黄河流域の諸侯は北方遊牧民を率いて台頭した楚に対抗し,会盟を結んだ。
③戦国の七雄とは燕・斉・韓・魏・趙・秦・楚の七国である。
④戦国時代には富国強兵策を取る諸侯によって大規模な灌漑事業が行われ,新開地は宗族と呼ばれた氏族共同体
に分与されていった。
◇正解は③
①周の封建制は宗族間の血縁秩序に基づいていたことが特徴である。自由な個人間の契約関係はヨーロッパ中世の封建制の特徴。
②楚は,南方の長江流域に台頭した。
④新開地は県として直接統治され,家族単位で農民の入植が進められた。
◎周の鎬京から洛邑遷都(前770)以後の時代,前半を春秋,前403年より後半を戦国
・春秋の名称は,孔子編纂とされる魯の国の年代記で五経の一つ「春秋」から
・春秋時代は周王室を尊重,覇者の地位を目指すex.斉の桓公・晋の文公
・戦国は各国が王を称し,実力万能の下克上の時代,晋の三分裂(韓・魏・趙)で開始
→燕・斉(都は臨淄)韓・魏・趙(都は邯鄲)・秦・楚(長江流域)の戦国の七雄
・鉄製農具と牛耕→家族単位の農耕可能→氏族共同体の邑解体→血縁秩序動揺→封建制から郡県制へ
・青銅貨幣普及,燕斉は刀銭(武具),韓魏趙は布銭(農具),秦は環銭,楚は蟻鼻銭(貝貨)
・秦は法家の宰相,商鞅を登用し,郡県制を整備して強大化→咸陽を都。秦王政の統一へ
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28 春秋戦国の社会変化
春秋末期から戦国にかけての生産力増大に関連して述べ文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①木綿の生産が盛んに行われていた。
②農耕には牛が用いられるようになった。
③農耕には鉄製農具が用いられていた。
④交易の発展にともない,青銅の貨幣が使用された
◇正解は①。木綿の生産は元以降で,それ以前は麻と絹が衣料の中心だった。
◎鉄製農具・牛耕の普及…生産性が向上し,家族単位での農業経営が可能
氏族共同体の土地の共有と,共同耕作が崩壊し,血縁秩序に基づく封建制が動揺
◎諸侯の富国策…鉄器を用い治水灌漑事業を行い,新開地の開発→秦孝公の商鞅の変法
・自営農民を基盤の国家経営…家族単位で入植した農民に土地を与え,納税と軍役を負担
・郡県制…土地を県として,役人を派遣して直接管理,変質した邑も,新たに県に再編
29 皇帝の称号の始まり
中国での「皇帝」の称号の始まりについて述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①強大な権力をもって神権政治を行っていた殷の君主は,自らを「皇帝」と称していた。
②周代の封建制の成立とともに,「皇帝」の称号が用いられるようになった。
③中国を統一した秦王の政は,「皇帝」の称号を創始した。
④周辺諸国の朝貢が始まった漢の時代に中国の君主は「皇帝」の称号を用いるようになった。
◇正解は③。殷や周では君主の称号は「王」である。秦の始皇帝が皇帝の称号を開始している。
30 始皇帝
始皇帝について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①班超を西域に派遣した。
②戦国時代の諸国を統一し,中国を統一した。
③李自成の乱を平定した。
④卑弥呼の使者を迎えた。
◇正解は②。始皇帝は,前221年に中国を統一した秦の王で,統一後,皇帝の称号を採用した。
①班超は後漢の時代の人物
③李自成の乱は,1644年に明を滅ぼした農民反乱で,呉三桂が先導した清によって鎮圧された。
④卑弥呼が使者を送ったのは,3世紀の三国時代の魏である。
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31 秦漢帝国
漢代の中国について述べた文として正しいものを,次の次の①〜④のうちから一つ選べ。
①前漢の都は洛陽であり,後漢の都は長安である。
②漢の高祖の帝国支配体制は,郡県制と呼ばれ,地方ごとに官僚を派遣し統治させる方法であった。
③後漢の西域都護班超が派遣した甘英は,ローマ帝国の首都に到達した。
④宦官と官僚の対立が激化し,166年に宦官による官僚弾圧事件の党錮の禁が起こった。
◇正解は④。党錮の禁を機に漢の政治は乱れた。道教の源流の一つでもある太平道を創始した張角は,困窮化した華北地方の農民
を先導し,漢王朝の打破を呼びかけ黄巾の乱を起こした。
①洛陽と長安が逆。前漢の都が長安で,後漢の都が洛陽である。
②漢の高祖は官僚を派遣して統治する郡県制と,功臣(後には一族に代える)などを王として地方に封じる封建制を併用する郡国制を
実施した。
③甘英は条支国(シリアと推定される)。まで至ったものの,そこから引き返した。
◎始皇帝…秦王の政,中国統一,皇帝の称号を採用,都は咸陽で南海郡設置,万里の長城建設
・法家の李斯を宰相に郡県制の中央集権,度量衡の統一,半両銭の鋳造,儒家弾圧し焚書坑儒
・土木事業などの負担と中央集権化への各地の不満→陳勝・呉広の乱
◎高祖(劉邦)…項羽に勝利し前漢を開く(前202),都は長安(渭水流域で現西安付近)
郡国制(中央郡県,周辺封建)匈奴の冒頓単于に敗
◎景帝…前154年一族諸王の呉楚七国の乱を鎮圧し,実質郡県制へ
◎武帝…匈奴攻撃,張騫の大月氏派遣,敦煌郡設置,衛氏朝鮮滅ぼし楽浪郡・南越を滅ぼし南海郡
・財政…五銖銭鋳造,均輸法・平準法の物価調整,塩鉄酒の専売
・内政…董仲舒の献策で儒学の官学(五経博士),郷挙里選の官吏推薦制
◎王莽…前漢の外戚で新建国(後8),周を理想とする復古政策→混乱→赤眉の乱で滅亡(後23)
◎光武帝(劉秀)…洛陽を都に漢を復興(後漢,後25)・漢委奴国王印
◎1世紀末に西域都護の班超が北匈奴を討ち,中央アジアに進出→甘英のローマ帝国派遣失敗
◎衰退…後漢は,2世紀後半に宦官と外戚の専横→儒教官僚との対立→166年党錮の禁
・黄巾の乱…184年太平道の張角が組織した農民反乱で黄色の頭巾を標識
→各地の豪族が割拠→魏の曹丕に禅譲し,後漢滅亡(後220)
32 九品中正
九品中正について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①この制度は,三国時代に呉によって始められた。
②家柄に関係なく,人物本位の評価が行われた。
③豪族はこの制度により,官僚となる道を閉ざされたので不満を持った。
④中正官と呼ばれる担当の役人が,人物の評価を行った。
◇正解は④
①呉ではなく魏の文帝(曹丕)が開始した。
②人物本位ではなく家柄判定となり,門閥貴族の形成をまねいた。
③豪族がこの制度によって官吏に登用され,その上層部が門閥化した。
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05 東アジア世界の発展
33 唐
唐初の統治体制について述べた文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①中央官庁の三省のうち,門下省が詔勅の草案を作成した。
②六部のうち,官吏の任免など人事は礼部がおこなった。
③辺境民の統治にあたっては,自治を認める間接統治の羈縻政策がとられた。
④周辺諸国全てに君臣関係である冊封関係を強要した。
◇正解は③。ちなみに羈縻政策では,都護府を設置して異民族の監督をおこなっている。
①詔勅の草案作成は中書省。門下省は貴族の牙城で詔勅の審議。
②官吏の任免など人事は吏部。礼部は文教で祭祀や科挙の実施。
④突厥・ウイグル・吐蕃などは冊封関係ではなく家族関係,日本のように朝貢のみの国も存在。
◎高祖(李淵)…隋の部将で突厥の支援により唐(618 907)を建国,都を長安
◎太宗(李世民)…中国統一,貞観の治で律令体制を完成,東突厥を服属も高句麗遠征は失敗
・三省…中書省(詔勅の草案)・門下省(詔勅の審議)・尚書省(詔勅の実施,六部を管轄)
・科挙実施のため,孔穎達らに『五経正義』編纂を命じる
◎高宗…領土最大,西突厥・高句麗を滅ぼす。辺境支配に都護府
◎則天武后…高宗の皇后で,中国史上唯一の女帝となる。
◎玄宗…治世前半は開元の治も,府兵制の負担大より募兵制に転換→節度使が台頭
治世後半は楊貴妃を寵愛→755年安禄山による安史の乱→ウイグルの支援で鎮圧
◎徳宗…780年宰相楊炎の献策で両税法を制定,現住地で資産に応じ夏秋二期銭納
◎黄巣の乱…875年山東の塩の密売人王仙芝と黄巣の反乱,四川を除く全土に拡大
◎滅亡…907年節度使朱全忠(元黄巣軍の部将)に滅亡→開封を都に後梁の建国
34 則天武后
唐の則天武后の治世について述べた文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。。
①周という国号が用いられ,唐王朝は一時中断した。
②塩の専売制度が実施され,塩の密売人による黄巣の乱がおこった。
③辺境防衛軍の司令官である節度使の中から,ソグド系の安禄山が台頭した。
④李白や杜甫らの詩人が活躍した。
◇正解は①。則天武后は国号を周としたため,「武周革命」と呼ぶ。
②塩の専売制は安史の乱時で,黄巣の乱は唐末なので時代が違う。
③安禄山の台頭は,則天武后の後の玄宗の時なので時代が違う。
④李白や杜甫が活躍したのは,玄宗皇帝の時代。
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35 8世紀の唐
8世紀の唐の政策について述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①辺境民統治のために,都護府が初めて設置された。
②節度使を内地に置いたが,彼らは次第に独立性の強い地方勢力となった。
③儒教経典の解釈を統一するため,『五経大全』を編纂した。
④均田制を維持するため三長制の農村統治制度を開始した。
◇正解は②。8世紀半ばの安史の乱鎮圧後に節度使を内地にも設置したので正しい。
①都護府は7世紀から設置されている。
③唐では『五経大全』ではなく『五経正義』が編纂され,命じたのは太宗なので時期も7世紀。
④三長制は,北魏で均田制と共に開始された農村統制制度。
36 中国の北方民族
騎馬遊牧民について,6世紀に台頭し,国家を築いた騎馬遊牧民として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①スキタイ
②突厥
③月氏
④匈奴
◇正解は②。突厥は6世紀に台頭し,ササン朝のホスロー1世と結んでエフタルを滅ぼしている。
①スキタイは,前6世紀に南ロシア草原で台頭しアケメネス朝と抗争。ギリシアと交易。
③月氏は匈奴に追われ,前2世紀にアム川流域に移動して大月氏国。漢の武帝が張騫を派遣。
④匈奴は戦国時代から中国を脅かし,秦・漢と抗争。
◎匈奴…スキタイの影響で騎馬民族化,秦始皇帝が万里の長城,前漢高祖が冒頓単于に敗北
・武帝…張騫を大月氏に派遣,匈奴と戦い甘粛奪取→敦煌郡など4郡設置
・前1世紀東西に分裂→東匈奴が漢と同盟→南北に分裂→北匈奴は班超に敗北→西走
・南匈奴は五胡の一つで西晋を滅ぼす
◎鮮卑…匈奴に代わりモンゴル高原支配,→八王の乱を機に五胡の一つとして華北侵入
→拓跋部の北魏が439年華北統一→孝文帝の漢化政策
◎柔然…鮮卑の華北移動後,5∼6世紀にモンゴル高原支配し北魏に対抗→突厥に滅亡
◎突厥…6世紀ササン朝のホスロー1世と結びエフタルを滅,柔然を滅ぼし隋・唐を圧迫
◎ウイグル…8世紀半ば突厥に代わり,安史の乱で唐を援助,9世紀半ばキルギスに滅
・イラン系ソグド人の東西交易保護→絹馬交易が盛ん,ソグド文字よりウイグル文字
◎遼…五代十国期に契丹人の耶律阿保機が建国し渤海を滅ぼす
後晋の建国を助け華北の一部燕雲十六州を獲得,1004年に北宋と澶淵の盟
◎西夏…11世紀にチベット系タングート人の李元昊が甘粛地方に建国し宋を圧迫
◎金…東北地方でツングース系女真人の完顔部の阿骨打が遼より自立
宋と結び遼を滅ぼし,1127年靖康の変で北宋を滅ぼす→淮河以北の華北を支配
◎モンゴル帝国…1206年チンギス=ハンがモンゴル高原を統一し建国
オゴタイ=ハンが1234年金を滅ぼし華北を支配
フビライ=ハンは1271年国号を元とし,1279年南宋を滅ぼし中国全土を支配
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37 遊牧世界と農耕世界
遊牧世界と農耕世界のかかわりについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①戦国時代に,五胡と呼ばれる諸民族が,華北で国を建てた。
②エフタルは,突厥とササン朝によって滅ぼされた。
③月氏は,安史の乱の際,唐に援軍を送った。
④匈奴を挟撃するため,後漢の張騫が西域に派遣された。
◇正解は②。6世紀,ササン朝ホスロー1世の時代である。
①戦国時代が誤り。五胡は,西晋が八王の乱で混乱したのを機に,華北に進出し5世紀初めから建国。
③月氏が誤り。安史の乱の際,唐に援軍を送ったのは,ウイグル。
④後漢が誤り。張騫を派遣したのは,前漢の武帝。
38 信仰
信仰について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①古王国時代のエジプトでは,太陽神ラーが信仰された。
②ヴィシュヌは,マニ教の主神である。
③義浄が仏法を求めて,クシャーナ朝を訪れた。
④ネストリウス派キリスト教は,拝火教と呼ばれる。
◇正解は①
②ヴィシュヌは,ヒンドゥー教の維持神。
③義浄が訪れたのは,ヴァルダナ朝崩壊後のインド
④拝火教と呼ばれるのは,ゾロアスター教
39 唐から宋の科挙合格者
次にあげる人物は,いずれも唐代から宋代にかけての科挙の合格者である。それぞれの人物について述べた文として正
しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①欧陽脩や蘇軾は,唐代を代表する文筆家である。
②顔真卿は,宋代を代表する書家である。
③宋の王安石は,新法と呼ばれる改革を行った。
④秦檜は,元との関係をめぐり主戦派と対立した。
◇正解は③
①欧陽脩と蘇軾は,宋代の文筆家で,唐宋八大家。唐代の八大家は,韓愈と柳宗元。
②顔真卿は,力強い書風で知られる書家だが,安史の乱で義勇軍を率い活躍した唐代の人物。
④元が誤り,秦檜は南宋初期の宰相で,金との和平を主張し,主戦派の岳飛と対立した。
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40 澶淵の盟
澶淵の盟に関連して述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①宋はこの条約締結の後,西夏との間にも和約を結んだ。
②この条約を締結した時の遼の皇帝は耶律阿保機であった。
③この条約の結果,遼は国力を増し,中央アジアに勢力を広げてカラ=キタイ(西遼)を建てた。
④宋側でこの条約を締結するよう主張したのは,旧法党に属する官僚であった。
◇正解は①
②耶律阿保機は916年に遼建国時の皇帝,澶淵の盟は1004年。
③西遼は,金に遼が滅ぼされたため,遼の一族の耶律大石が建国した。
④澶淵の盟などで財政が悪化したため,11世紀後半に王安石が新法改革を開始し,それに反対したのが司馬光らの旧法党なので,
澶淵の盟の時点では旧法党は存在しない。
41 劉邦と耶律大石
歴史上の建国者について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
a 劉邦は項羽をやぶり,長安を都とした。
b 耶律大石は,西遼(カラキタイ)を建てた。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は①。abともに正しい。
42 元
モンゴル帝国に関連して,モンゴル人の支配下における出来事について述べた文として誤っているものを,次の①〜④
のうちから一つ選べ。
① オゴタイ=ハンは金を滅ぼし,カラコルムに都を置いた。
② 元では,イスラーム世界の科学の影響で,授時暦が作成された。
③ 元の支配下では,漢人が重用され,西域出身の色目人は蔑視された。
④ 従来の大運河が補修され,また大都に至る新運河が建設された。
◇正解は③。色目人が蔑視されたが誤り。元では色目人は財務官僚などとして重用された。
②授時暦は郭守敬が作成。一方,中国の文化は,中国絵画がイル=ハン国を通じイランの細密画(ミニアチュール)に影響を与え,火
薬・羅針盤・活版印刷術の中国の三大発明は,イスラーム世界を経由してルネサンスの三大発明のもととなった。
◎フビライ=ハン…1260年即位し,1264年大都へ遷都,1271年国号を元とする
・1279年南宋を滅ぼして中国統一,ビルマのパガン朝も征服
・日本(鎌倉幕府)・ヴェトナム(陳朝)・ジャワ(マジャパヒト王国成立)への遠征は失敗
・チベット仏教のパスパを登用,チベット文字よりパスパ文字作成,ウイグル文字と公用文字
◎モンゴル人が支配層に西域以西の色目人が財務官僚,旧金の住人を漢人旧南宋の住人を南人
→モンゴル人第一主義と評す,士大夫を冷遇し,科挙も一時停止→後に復活
◎駅伝制(ジャムチ)の整備,大運河を修築し,新運河も開削,海運も整備→杭州・泉州の繁栄
・銀との兌換を保障された紙幣の交鈔を発行
◎滅亡…14世紀の寒冷化による自然災害,チベット仏教への出費による財政悪化
→白蓮教徒による紅巾の乱→明の朱元璋に滅亡
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06 東アジア世界の展開
43 明の洪武帝と永楽帝
14〜15世紀に明が行った内政について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①王朝成立の基盤となった地域を重視して,建国の最初から,北京に都を置いた。
②朱子学を官学とし,儒教経典の国定注釈書として『五経正義』を編纂させた。
③賦役黄冊・魚鱗図冊などを作らせて,財政の確立を図った。
④尚書省を廃止し,その管轄下にあった六部を皇帝直属とした。
◇正解は③。
①建国の最初に都とされたのは金陵で,現南京。
②『五経正義』は,唐の太宗が孔穎達に命じたもの。
④尚書省ではなく中書省。
◎太祖洪武帝(朱元璋)…江南を基盤に明を建国,都金陵(後の南京),北元を滅ぼす
・宰相を止め,中書省廃止し,六部を皇帝に直結,一世一元制,朱子学を官学
・村落行政…里甲制で,里長と甲首が魚鱗図冊(土地台帳),賦役黄冊(租税台帳)管理
里老人に六諭を唱えさせ,民衆を教化
・海禁政策…前期倭寇対策のため,民間人の交易や海外渡航を禁止し交易を朝貢のみ
◎永楽帝…建文帝に対し,靖難の役で反乱し即位。北京遷都。内閣大学士設置
・対外積極策:モンゴル高原に親征,陳朝滅亡後のヴェトナムを占領
・朝貢貿易振興:鄭和のインド洋派遣,足利義満を日本国王に冊封し,勘合貿易
44 海禁
明代前期に実施された海禁政策について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①民間貿易をいっさい禁じ,外国人には朝貢貿易のみを認めた。
②海禁政策のために,日本は勘合貿易ができなくなった。
③海禁政策を徹底させるため,はじめて市舶司が置かれた。
④中国人の渡航は認めたが,外国人を貿易から締め出した。
◇正解は①
②民間貿易を禁止する海禁政策の下で,貿易は朝貢貿易のみとなったが,日本は足利義満が冊封を受けた結果,勘合貿易として行
われた朝貢貿易への参入を許された。
③市舶司は,唐代に玄宗が広州においたのが始まり。
④中国人の海外渡航を禁止した。
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45 明清の交易政策
16世紀の中国をめぐる通行について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ブラジルで産出された大量の銀が中国に流入した。
②中南米のスペイン植民地から,フィリピンを経由して中国に達する貿易航路が開かれた。
③ポルトガルは,泉州を拠点として中国との貿易を行った。
④鉱山開発のため,中国から中南米に大量の労働者が流入した。
◇正解は②。メキシコ銀を中国にもたらしたガレオン船貿易の説明である。
①ブラジルはポルトガルの植民地。スペインが中国に運んだのは,現ボリビアのポトシ銀山など,中南米のスペイン植民地各地で産出
された銀。
③ポルトガルの中国貿易の拠点はマカオ。
④中国人労働者が各地に流入するのは,黒人奴隷貿易廃止後の19世紀。
◎14世紀後半は,中国は元末明初で紅巾の乱など混乱,日本も南北朝の動乱時代
・日本と中国の中央政府の統制低下を背景に,民間武装商人の倭寇(前期倭寇・日本人中心)が活動
◎明洪武帝の海禁政策…民間人の貿易を禁じ,朝貢貿易(勘合貿易)のみ(琉球王国が繁栄)
◎明永楽帝の積極政策…鄭和の南海遠征で,南海諸国の朝貢を促す→マラッカ王国を基地
・室町幕府の足利義満を冊封(建文帝時が最初)→倭寇取締で前期倭寇鎮静化
◎後期倭寇…海禁に不満な中国商人中心に16世紀前半に盛ん,中国の生糸と日本銀
◎海禁緩和…1567年に緩和。中国商人と日本商人(17世紀初朱印船貿易)が東南アジアで出会い貿易
・ポルトガルはマカオ,オランダは台湾拠点に日中中継貿易に参入
・スペインは新大陸の銀(メキシコ銀)を太平洋を越え,マニラまで
◎清朝の海禁強化…台湾の鄭氏一族に対抗→1683年台湾統一で翌年緩和→華僑の増大
→1757年に乾隆帝はヨーロッパ貿易を広州に限定,特許商人の公行に独占
46 明
明の時代に起こった出来事について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①中国で日本銀が流通した。
②禅宗と呼ばれる仏教の一派が生まれた。
③戯曲『西廂記』が生まれた。
④臨安(現在の杭州)に都が置かれた。
◇正解は①明代には日本銀と中国生糸の交易が盛んになり,16世紀前半には後期倭寇の密貿易で,1567年の海禁緩和後は,東南ア
ジアでの日本商人と中国商人の出会い貿易や,ポルトガル・オランダの中継貿易で日本銀が流入した。スペインとの交易でメキシコ銀
ももたらされ,これを背景に銀納の一条鞭法が生まれた。
②禅宗は南インドのバラモン僧達磨(ダルマ)によって南北朝期に普及が始まった。
③『西廂記』は元代の元曲の傑作。
④臨安を都としたのは,靖康の変で華北を金に奪われた南宋である。
47 明
次の文章中の空欄[ ア ]と[ イ ]に入れる国の名の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
明代中期から,長江下流域では絹織物や綿織物などの手工業が発展する一方,穀倉地帯は長江中流域に広がり,
「[ ア ]熟すれば天下足る」という言葉が生まれた。山西商人や新安商人が活躍し,各地の都市に互助組織である会館
や[ イ ]が置かれた。
① ア—湖広
イ—公所
② ア—湖広
イ—租界
③ ア—蘇湖(江浙)
イ—公所
④ ア—蘇湖(江浙)
イ—租界
◇正解は①。宋代は長江下流域が穀倉地帯で,「江浙熟すれば天下足る」と言われた。租界は,中国の主権が及ばない事実上の列強
の植民地で,アヘン戦争後,上海に設けられたのが始まり。
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48 清の君主
清朝の乾隆帝の治世について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ジュンガルを征服した。
②軍と行政の最高機関として軍機処が設置された。
③ロシアとの間にキャフタ条約を締結した。
④ホラズム朝(ホラズム・シャー朝)を滅ぼした。
◇正解は①。ジュンガルを征服し,新たに獲得した中央アジア東部地域を新疆と命名した。
②と③は雍正帝の治世。
④はモンゴル帝国を建国したチンギス=ハーンの業績
◎ヌルハチ…1616年女真統一し後金建国,満州八旗の軍制
◎ホンタイジ…チャハル部征服しモンゴル帝国の大ハン位の継承主張,李朝朝鮮を属国
明に対抗し,国号を清,漢軍八旗・蒙古八旗を創設
◎順治帝…1644年中国征服,中国の皇帝権も継承主張
呉三桂の先導で李自成の乱を鎮圧,復明運動の鄭成功の抵抗
◎康熙帝…1683年中国統一,呉三桂の三藩の乱を鎮圧し,鄭氏台湾を征服
・ロシアとネルチンスク条約(1689),ジュンガルと抗争しダライ・ラマを保護下
・典礼問題発生し,イエズス会以外のキリスト教布教を禁止
◎雍正帝…軍機処設置し行政・軍の最高機関,ロシアとキャフタ条約(1727)
・キリスト教布教を禁止
◎乾隆帝…理藩院整備し藩部の間接統治,ジュンガルを平定。中央アジア東部を新疆
・直轄領…満州・中国本土・台湾
藩部…モンゴル・新疆・青海・チベット
・1757年対欧米の貿易港を広州に限定,公行に貿易を独占→イギリスのマカートニーと会見
・大編纂事業で『四庫全書』
̶20̶
49 中国におけるキリスト教布教
中国におけるキリスト教布教や宣教師の活動について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選
べ。
①イエズス会は,布教する際に中国人の祖先崇拝を否認した。
②ネルチンスク条約で,キリスト教布教の自由が認められた。
③ブーヴェは,『皇輿全覧図』の製作に携わった。
④マテオ=リッチは,清朝の宮廷で活動した。
◇正解は③
①イエズス会は祖先崇拝を容認。後発のフランチェスコ派などが批判し,典礼問題発生
②ネルチンスク条約は,1689年に清とロシア帝国の国境を定めたもの。キリスト教布教の自由は,1860年のアロー戦争の北京条約。
④清朝が誤り。マテオ=リッチは明朝末期。
◎景教…唐代にササン朝よりネストリウス派キリスト教伝わる
◎モンテ=コルヴィノ…元代に大都でカトリック布教
◎マテオ=リッチ…明末イエズス会によるカトリック布教の開始
→典礼(孔子・祖先崇拝儀礼への参加)承認
・アダム・シャール…西洋暦法紹介
・フェルビースト…天文・砲術に優れる
・ブーヴェ…『皇輿全覧図』(実測による最初の中国地図),『康煕帝伝』
・カスティリオーネ…円明園(バロック建築)建設で乾隆帝期まで宮廷画家として活躍
◎典礼問題…他派の典礼批判→教皇が典礼を異端→康熙帝はイエズス会以外禁止
→雍正帝がキリスト教布教禁止
◎北京条約…アロー戦争の講和条約でキリスト教布教の承認
50 高句麗と三韓
高句麗について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①4世紀に,楽浪郡を滅ぼした。
②5世紀に,百済や新羅と対立した。
③6世紀に,百済を滅ぼした。
④7世紀に,唐と戦った。
◇正解は③。百済は7世紀に新羅と唐の連合軍に滅ぼされた。
◎高句麗…紀元前後にツングース系の部族が東北地方に建国。313年楽浪郡を滅ぼす
・広開土王(位391-412)…別称好太王。倭の侵入撃退し、朝鮮半島の大半支配
息子長寿王が碑文(広開土王碑文)建立し、丸都城(国内城)より平壌に遷都
・7世紀初 隋の煬帝の3度の高句麗遠征撃退,唐の太宗の2度の遠征を撃退
◎三韓…3世紀−4世紀中頃韓民族の三韓成立。部族国家から統一国家へ
・馬韓(西部)→百済…6世紀聖明王期に日本に儒教・仏教を伝来
・弁韓(南部)→加羅(加耶・任那)…金官加耶中心。日本府の存在疑問。新羅に滅
・辰韓(東部)→新羅…都慶州。唐の高宗と結び660年百済を滅
→663年白村江の戦いで日本軍撃破→668年高句麗を滅す→半島より唐の勢力を撃退
◎渤海(698-926)…高句麗の遺民が大祚栄に率いられ靺鞨族と建国,都は上京竜泉府
→唐の律令体制導入し,日本とも交流→926年契丹の耶律阿保機に滅亡
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51 中国と朝鮮の官吏任用制
中国と朝鮮の官吏登用制度について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①殷は,郷挙里選により官吏を登用した。
②三国時代の呉は,九品中正(九品官人法)を定めた。
③元は,殿試を始め,皇帝の独裁体制を強化した。
④高麗は,科挙を採用した。
◇正解は④。高麗の前の新羅は,骨品制の氏族的身分制度だったが,高麗で科挙を開始した。
①殷が誤り。漢。
②呉が誤り。魏。③元が誤り,北宋。
◎郷挙里選…前漢の武帝の時,郡国長官が儒教的基準で人材推薦→豪族の官界進出の開始
◎九品官人法…九品中正,魏の文帝の時開始。中央より派遣の中正官が九段階に人物判定し推薦
「上品に寒門なく下品に勢族なし」→有力豪族は門閥を形成し、貴族成立
◎科挙…隋の文帝創始。試験による官吏任用制
・唐…貴族優位
・宋…太祖趙匡胤が、最終合格者に対する皇帝試験の殿試を導入し,君主独裁強化
・元…一時中断→復活
・明…洪武帝が朱子学を官学→大義名分論(君主と臣下の別の強調)が秩序維持に好都合
・清…科挙を振興→1905年に光緒改革の開始にともない廃止
・高麗…科挙を採用も,受験資格限定。武班と文班からなる両班成立→李朝で支配階層
52 12世紀の世界
12世紀に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①イベリア半島では,ナスル朝が滅んだ。
②中央アジアでは,ホラズム朝が倒された。
③タイでは,アユタヤ朝が成立した。
④日本では,鎌倉幕府が開かれた。
◇正解は④。鎌倉幕府は12世紀末に開かれた。
①ナスル朝の滅亡は,レコンキスタの完成で1492年のこと
②ホラズム朝は,チンギス=ハンによって倒された。チンギス=ハンの即位は1206年だから13世紀。
③東南アジアにおけるタイ人の国は,13世紀にスコータイ朝が,14世紀にアユタヤ朝が成立した。
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07 イスラーム世界の形成と発展
53 初期イスラームの特徴
イスラーム教に関して述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ
①イスラーム教ではモーセやイエスを偽予言者として否定した。
②イスラーム教ではムハンマドの像がつくられ,崇拝の対象となった。
③法学者のウラマーたちによって,イスラーム法のシャリーアが整備された。
④イスラーム暦は,エジプトの太陽暦をもとに作成された。
◇正解は③,アッバース朝ではシャリーアの施行がカリフの責務となった。
①イスラームではモーセとイエスはムハンマドとともに3大預言者とされる。
②イスラームは偶像崇拝否定を徹底するので誤り。
④ヒジュラを元年とするイスラーム暦は,太陰暦で1年が10日ほど短い。
◎ムハンマドの啓示を集めた『クルアーン(コーラン)』を聖典,メッカのカーバを神殿
◎唯一神アッラーを信仰,モーセ・イエスも預言者でユダヤ教徒・キリスト教徒は啓典の民
◎シャリーア…イスラーム法,コーランやムハンマドの言行をウラマー(法学者)が解釈
アッバース朝期に成立し,その施行がカリフの責務となる
54 イスラームの宗教
イスラームの宗教について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①断食は,五行の一つである。
②偶像崇拝を禁止している。
③預言者ムハンマドは,迫害を逃れてメッカに移住した。
④イスラーム教における礼拝所はモスクと呼ばれる。
◇正解は③。メッカが誤り。ムハンマドは,メッカでの迫害を逃れてメディナに移住した。
55 イスラーム世界形成期の統治体制
ジズヤとハラージュに関連して述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ハラージュとは,被征服民に課せられた人頭税のことである。
②被征服地の住民は,イスラーム教への改宗を強制された。
③ウマイヤ朝では,アラブ人にもハラージュが課せられた。
④アッバース朝では,アラブ人と非アラブ人の差別は,イスラーム教徒である限り廃止された。
◇正解は④。アッバース朝では,非アラブ人の登用も進んだ。
①ハラージュは土地税。
②税を支払えば改宗は免除された。
③ウマイヤ朝ではアラブ人は免税特権。
◎正統カリフ時代・ウマイヤ朝…征服者のアラブ人を優遇するアラブ帝国
・カリフの指導下にアラブ人の大征服運動が展開
・征服地の異民族にジズヤ(人頭税)とハラージュ(地租)を課す体制でアラブ人は免税特権
・マワーリー(非アラブ人の改宗者)の不満
◎アッバース朝…ムスリム(イスラーム教徒)の平等を実現し,イスラーム帝国
・マワーリーのジズヤは免除され,ジズヤはジンミー(支配下の非改宗者,庇護民)のみ
・アラブ人の免税特権廃止でアラブ人にもハラージュを課す
・税制面でムスリムの平等を実現し,イラン人の官僚・軍人への登用も進む
・シャリーア(イスラーム法)確立,スンナ派信仰の擁護とシャリーアの施行がカリフの責務
・大宰相を頂点とする官僚制が整備され,給与支払いのアター制が実施
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56 イスラーム世界展開期の統治体制の変化
イスラームの統治制度について述べた文として誤っているものを次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アッバース朝は,当初は宰相(ワズィール)を中心とする中央集権システムをとった。
②アッバース朝は,当初官僚や軍人に対してアターと呼ばれる給与支払い制度をとった。
③ファーティマ朝は,軍人に徴税権を与える代わりに軍役を課すイクター制を開始した。
④セルジューク朝の宰相ニザーム・アル・ムルクはイクター制を整備し,普及させた。
◇正解は③。ファーティマ朝が誤り。イクター制を開始したのはブワイフ朝。
◎イスラーム世界の分裂
・アッバース朝の衰退…カリフ側近のマムルーク軍人の台頭で内政が混乱,アター制も実施困難
・地方軍事政権の自立…イラン系やトルコ系の地方軍事政権の分立が進む
・カリフ権の分裂…10世紀にファーティマ朝がカリフを称しアッバース朝カリフの権威を否定
→後ウマイヤ朝もファーティマ朝に対抗するためカリフを称し,3カリフ国の鼎立
◎統治体制の変化
・ブワイフ朝がアッバース朝カリフの政治的実権奪う→カリフの権威は宗教面に限定
・ブワイフ朝は大アミール,セルジューク朝はスルタンとして政治権力を行使
・ブワイフ朝は軍人に対し,一定地域の徴税権を与えるイクター制を実施→各王朝に継承
57 イスラームの東方拡大
イスラームの東方拡大に関連して述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ウマイヤ朝は中央アジアで,タラス河畔の戦いで唐に勝利した。
②ササン朝から自立したゴール朝がアフガニスタン最初のイスラーム王朝となった。
③インドに成立した最初のイスラーム王朝はアイバクが建国した奴隷朝である。
④カラハン朝はモンゴル帝国によって滅ぼされ,中央アジアにキプチャク=ハン国が成立した。
◇正解は③。1206年にデリー=スルタンの最初の王朝として始まった奴隷王朝が,インドに成立した最初のイスラーム王朝である。
①ウマイヤ朝ではなくアッバース朝。タラス河畔の戦いは,アッバース朝成立(750)翌年の751年。
②ゴール朝が誤り。ガズナ朝である。
④カラ=ハン朝は12世紀に西遼(カラキタイ)によって滅ぼされた。
58 近世のイスラーム帝国
モンゴル帝国解体後のイスラーム諸国について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①サファヴィー朝はヨーロッパ諸国へも絨毯などの絹織物を輸出した。
②オスマン帝国ではトルコ系騎兵のイェニチェリが,軍の主力を担った。
③オスマン帝国は1517年にはエジプトのマムルーク朝も滅ぼした。
④ムガル帝国のアウラングゼーブ帝のジズヤ復活は,ヒンドゥー勢力の反発をまねいた。
◇正解は②。トルコ系騎兵が誤り。イェニチェリは,キリスト教徒の村落から税として青少年を強制徴用するデウシルメ制に基づく。徴用さ
れた青少年はイスラーム教徒に改宗され,一部は宮中の官僚となり,大部分は君主直属の常備歩兵部隊であるイェニチェリの兵士と
なった。
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59 オスマン帝国の台頭
オスマン帝国について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
① スレイマン1世の時代が最盛期であった。
② 国教はシーア派のイスラーム教であった。
③ バルカン半島に誕生した後,小アジアへ進出した。
④ ベルリン会議により,ボスニア=ヘルツェゴビナの統治権を得た。
◇正解は①。スレイマン1世は16世紀前半で,第一次ウィーン包囲やプレヴェザ海戦を行った。
②国教はスンニ派で,シーア派のサファヴィー朝と抗争した。
③小アジアで建国した後,バルカンに進出している。
④1878年に露土戦争で敗北し,その後開催されたベルリン会議でオーストリアにボスニア=ヘルツェゴビナの行政権を与えた。
◎小アジアに建国…1299年オスマン1世建国→トルコ系騎士シパーヒーと歩兵イェニチェリで台頭
◎バルカンに進出…アドリアノープル占領,セルビアなどバルカン諸国の連合軍を撃破
◎ティムールに敗北…1402年バヤジット1世がアンカラの戦いで敗北し,一時中断
◎ビザンツを滅す…1453年メフメト2世がコンスタンティノープル占領→イスタンブルと呼称
◎セリム1世…1514年サファヴィー朝に勝利→1517年マムルーク朝を滅ぼしメッカ・メディナ管理
イスラーム教スンニ派の長としてシーア派のサファヴィー朝に対抗
◎スレイマン1世全盛…ハンガリーを支配し,1529年ウィーン包囲,プレヴェザ海戦も勝利
60 オスマン帝国
ビザンツ帝国を滅亡させた帝国の名として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ロシア帝国。
②モンゴル帝国。
③オスマン帝国。
④ムガル帝国。
◇正解は③。ビザンツ帝国は1453年に,オスマン帝国のメフメト2世によって滅ぼされた。
61 南アジアの文化や出来事
南アジアの文化や出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アーリヤ人は,ガンジス川流域に進出し,農耕を行った。
②上座部仏教の思想は,ナーガールジュナ(竜樹)によって確立された。
③ゴール朝は9世紀にインドに侵入した。
④ムガル帝国のアクバル帝は,パータリプトラに都を置いた。
◇正解は①
②上座部仏教が誤り。大乗仏教である。
③ゴール朝のインド侵入は12世紀。13世紀初に征服したインド部分がアイバクによって奴隷王朝として独立する。
④パータリプトラはマガダ国の都。アクバルが都を置いたのは,アグラ
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62 兵制や兵士
兵制や兵士について述べた文として。最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ポエニ戦争後,重装歩兵として従軍した農民は経済的に豊かになった。
②八旗は,馴治帝が創設した軍隊である。
③イェニチェリは,オスマン帝国の常備軍であった。
④フランク王国では,テマ制(軍管区制)の下で屯田兵制が行われた。
◇正解は③。イェニチェリは,キリスト教子弟を改宗させて組織した常備歩兵軍団だった。
①「経済的に豊かになった」が誤り,没落したので,グラックス兄弟の改革につながった。
②順治帝が誤り。後金を建国したヌルハチが創始した。
④フランク王国が誤り。7世紀以降のビザンツ(東ローマ)帝国である。
63 イスラーム都市の施設
次の文章中の空欄[ ア ]と[ イ ]に入れる語の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
プラトンが開いた学園であるアカデメイアでは,[ ア ]の皇帝ユスティニアヌスによって6世紀に異教の温床として廃止さ
れるまで,約900年間存続した。中世になると,今日のヨーロッパの大学の原型が出現している。イスラーム世界では,
[ イ ]と呼ばれる機関で法学を中心とした教育が行われた。
① ア—西ローマ帝国
イ—スーク
② ア—西ローマ帝国
イ—マドラサ
③ ア—東ローマ(ビザンツ)帝国
イ—スーク
④ ア—東ローマ(ビザンツ)帝国
イ—マドラサ
◇正解は④。ユスティニアヌスは東ローマ全盛期の皇帝で地中海世界を回復した。マドラサは,モスク(礼拝所)に附属した教育機関
で,ウラマー(法学者)の育成などをおこなった。スークは,アラビア語で市場(ペルシア語でバザール)のこと。
◎モスク…礼拝所で都市の中心,金曜日には集団礼拝が行われる
・モスクには学校のマドラサが付属,ウラマー(イスラーム諸学を修めた学者)を育成
◎スーク…市場でペルシア語でバザール,屋根付きの大規模なスークも存在
◎キャラバンサライ…主要街道沿いに建設の隊商宿で,ラクダを用いた隊商貿易の拠点施設
◎ワクフ…有力者が土地などを寄進した信託財産で,その収益で都市施設を維持
64 イスラームの文化
イスラーム世界の文化について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アラベスクは,イスラーム様式の人物画である。
②ミニアチュールと呼ばれる音楽の様式が発達した。
③『千夜一夜物語』は史書である。
④アッバース朝時代に,多くのギリシア語文献がアラビア語に翻訳された。
◇正解は④。アッバース朝下のバグダードでは“知恵の館”と名付けられた機関でギリシア語文献のアラビア語翻訳が行われた。
①アラベスクは装飾文様で,唐草文やアラビア文字を図案化したものである。
②ミニアチュールは,繊細な細密画でイスラームの美術様式である。
③『千夜一夜物語』はインド・イラン・アラビア・ギリシアなどの説話の集大成で,16世紀のカイロで現在の形にまとめられた。
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65 イスラーム文化の広がり
イスラーム教とその文化の広がりについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①7世紀に,ベルバル人が建てたムラービト朝は,イスラーム王朝であった。
②11世紀にマラッカ王がイスラーム教に改宗した。
③イル=ハン国は,フラグの治世にイスラーム教を国教とした。
④東アフリカでは,イスラーム文化の影響を受けてスワヒリ文化が生まれた。
◇正解は④。東アフリカ沿岸のキルワやマリンディは,インド洋交易圏に属し,象牙や砂金を求めて到来したアラブ人商人が居留した。
そのため,現地語とアラビア語が融合したスワヒリ語が生まれ,東アフリカの共通語となってスワヒリ語文化圏が成立した。
①7世紀が誤り。11世紀
②11世紀が誤り。15世紀初。
③フラグが誤り。ガザン=ハン
66 スーフィズム
イスラーム神秘主義について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①神との一体化をめざした。
②スーフィーと呼ばれた。
③インドへのイスラーム教の浸透に寄与した。
④イスラーム教と仏教を融合して,シク教を創始した。
◇正解は④。仏教が明確な誤り。シク教は,イスラーム神秘主義のスーフィズムとヒンドゥー神秘主義のバクティとの交流の影響を受けて
生まれた。
◎スーフィズム…9世紀頃より信仰の形式化に反発しておこった神秘主義で修行者をスーフィー
・ガザーリーが正統派教学内で理論化→神秘主義教団(タリーカ)活動し,聖者崇拝も盛ん
・東南アジア・アフリカへのイスラーム普及に貢献
・18世紀ワッハーブ派がスーフィズム否定の運動
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08 ヨーロッパ世界の形成
67 8世紀の世界
カロリング朝フランク王国が建国された8世紀に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうち
から一つ選べ。
①ピピンはランゴバルド王国を滅ぼした。
②カール大帝は,マジャール人を撃退した。
③唐の太宗の治世は,開元の治と呼ばれた。
④ハールーン=アッラシードの治世が始まった。
◇正解は④ アッバース朝のハールーン=アッラシードとフランクのカール大帝はほぼ同期
①ランゴバルド王国を滅ぼしたのは,カール大帝
②マジャール人を撃退したのは,10世紀東フランクのオットー大帝
③太宗が誤り。唐の8世紀で開元の治は,玄宗
68 カール大帝の父王
カール大帝の父王について述べた文として正しいものを次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ローマ教会が正統とする教説を初めて受け入れ,フランク王国とローマ教皇を結びつけた。
②東方から移動してきたマジャール人を撃退し,国内への侵入を防いだ。
③トゥール=ポワティエ間の戦いでイスラーム教徒の軍勢を退けた。
④後の教皇領の起源となる領地をローマ教皇に寄進した。
◇正解は④,カールの父ピピンは王権奪取に教皇の支持を得たため,ランゴバルドから奪ったラヴェンナ地方を教皇に寄進した。
①の内容はフランク王国建国者のクローヴィス。
②の内容は東フランク王にして初代神聖ローマ皇帝のオットー1世。
③の内容はカールの祖父カール=マルテル。
69 ノルマンの建国
9世紀頃からノルマン人はヨーロッパ各地に進出して国家を建設した。このことに関連して述べた文として誤っているもの
を,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①北フランスに進出したノルマン人は,ノルマンディー公国を建てた。
②地中海に進出したノルマン人は,両シチリア王国を建てた。
③ドニエプル川流域に進出したノルマン人は,キエフ公国を建てた。
④ドナウ川流域に進出したノルマン人は,ハンガリー王国を建てた。
◇正解は④。ハンガリー王国を建国したのはアジア系のマジャール人なので誤り。
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70 封建制と荘園制
西欧の荘園制について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①荘園の農奴は,領主直営地での賦役である労働地代の義務を負った。
② 荘園の農奴は,農民保有地の生産物を貢納として納める生産物地代の義務を負った。
③荘園の農奴は,教会に対しても税を納めた。
④荘園の農奴には,移動の自由が認められていた。
◇正解は④。移動の自由が誤り。中世の荘園の農奴には,移動の自由や職業選択の自由はなかった。
◎封建制…ローマ末期の恩貸地制とゲルマンの従士制が結合,土地の授受による主従関係
・双務的契約関係で諸侯は不輸不入権,教会や修道院も土地の寄進を受け,聖界諸侯
◎荘園制…農奴は移動の自由なく領主裁判権に服し,結婚税・死亡税・十分の一税(教会に)負担
・領主直営地 ここでの週3回ほどの耕作=賦役(労働地代)
・農民保有地 生産物の一部を領主に治める=貢納(生産物地代),その他共有地も存在
71 ユスティニアヌス帝の業績
ユスティニアヌス帝について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①聖ソフィア(ハギア=ソフィア)聖堂を建設した。
②北アフリカのヴァンダル王国を滅ぼした。
③イタリア半島の領土をすべて失った。
④『ローマ法大全』を編纂させた。
◇正解は③。イタリア半島の領土を失ったのではなく,東ゴート王国を滅ぼしてイタリア半島を回復した。しかし,ユスティニアヌス帝の死
後,東ローマ帝国はイタリア北部から撤退し,代わってランゴバルド王国が成立する。
◎北アフリカのヴァンダル王国・イタリアの東ゴート王国征服し地中海世界回復
◎ラヴェンナが北イタリアの拠点→聖ヴィターレ聖堂に「ユスティニアヌス帝と廷臣」のモザイク壁画
◎ササン朝のホスロー1世と対抗
◎ビザンツ式の聖ソフィア聖堂再建し,皇帝が教会を支配する皇帝教皇主義を強調
◎養蚕業を振興
◎トリボニアヌスらに『ローマ法大全』編纂させ,ローマ法を集大成
◎プラトンが開設したアカデメイアの学院を異教的と閉鎖→学者はササン朝に亡命
72 8世紀までのビザンツ帝国
ビザンツ帝国について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①軍管区制(テマ制)が採られた。
②農民に土地を与えて軍役を課した。
③聖像禁止令(聖像崇拝禁止令)が出された。
④政教分離が徹底された
◇正解は④。政教分離が誤り。ビザンツ帝国は,皇帝が教会を支配する皇帝教皇主義が特徴で,政教分離ではない。
◎ユスティニアヌス帝(527-565)…東ローマ帝国の全盛
・東ゴート,ヴァンダルを滅ぼす,ハギア・ソフィア聖堂再建,養蚕業振興,ローマ法大全
・五本山の大司教の任命権を握り,皇帝に政教両権が集中する皇帝教皇主義
◎イスラームの侵入で領土縮小,ギリシア語が公用語化
・軍管区(テマ)制で地域担当の軍司令官が地方行政の長,中央集権体制を維持
→兵士に土地を与え自営農民とする屯田兵制が同時に施行
◎レオン3世(717-741)…726年聖像禁止令,テマ制と屯田兵制で防衛体制強化
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73 東欧諸国のキリスト教受容と建国
スラヴ世界のキリスト教受容について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ブルガリア王のリューリクは,ギリシア正教に改宗した。
②キエフ公国のウラディミル1世は,ギリシア正教に改宗した。
③セルビア人の間では,ローマ=カトリックが広く受容された。
④ポーランド人の間では,ギリシア正教が広く受容された。
◇正解は②
①リューリクが誤り。リューリクはノブゴロドの建国者。
③セルビア人はおもにギリシア正教を受容
④ポーランド人はおもにローマ =カトリックを受容
◎東スラヴ人…ロシア人などドニエプル流域に進出したルーシを祖
・ルーシ…ルマン人の一派で,ビザンツ帝国との交易路支配狙い進出
・リューリク建国→キエフ公国ウラディミル1世ギリシア正教受容,東スラヴ人に同化
・13世紀モンゴルのバトゥの西征でキエフ公国滅亡→キプチャクハン国の下モスクワ大公国台頭
◎西スラヴ人…ポーランド人・チェック人などでカトリック受容
・ポーランド…14世紀リトアニアと連合しヤゲウォ朝→ドイツ騎士団と対抗
・チェコ…10世紀ベーメン王国建国→11世紀神聖ローマ帝国に併合,都プラハ
→15世紀初にプラハ大学でフスの改革運動→フス処刑でフス戦争
◎ハンガリー…ウラル語系マジャール人,カトリック受容
10世紀東フランクのオットー1世に敗北,パンノニアに建国
◎南スラヴ人…クロアチア・スロヴェニアはカトリック,セルビア・ブルガリアはギリシャ正教
・ブルガリア…アジア系ブルガール人が7世紀南スラヴ族を支配し建国,先住スラヴ人に同化
・セルビア…11世紀中ごろ王国建国し,14世紀前半全盛も14世紀末オスマン帝国に敗北
◎ルーマニア人…ラテン系のルーマニア人がもと,ギリシア正教受容
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09 ヨーロッパ世界の発展と社会の変動
74 三圃制
三圃制農業について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①三圃制農業は休耕地と耕作地に土地を二分する農業である。
②三圃制農業では豚の放牧などのため,共有地を必要とした。
③耕地と耕地の間には生け垣や柵などで境が設けられた。
④三圃制農業や新技術の普及にともなって農村共同体の解体が進んだ。
◇正解は②。休耕地や共有地で豚などの家畜の放牧を行ったことが三圃制の特徴。
①秋耕地,春耕地,休耕地に三分する農業。
③耕地と耕地の間に柵などがない開放耕地が特徴である。
④共同農業の必要から,農村共同体の結合は強化された。
75 ヨーロッパの農村や都市
ヨーロッパの農村や都市について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①11世紀に,イギリスでは,牧羊を目的に囲い込みが行われた。
②12世紀に,エルベ川以東に,農場領主制(グーツヘルシャフト)が行われた。
③ギルドは,生産・流通の自由競争を保障するために組織された。
④ハンザ同盟は,リューベックを盟主とした。
◇正解は④。ハンザ同盟は,中世北ドイツの都市同盟で,北海・バルト海貿易を支配した。
①11世紀が誤り。16世紀に,毛織物工業の発展を背景に行われた。ヘンリ8世の大法官であったトマス=モアが,『ユートピア』で「羊が人
間を食う」と批判している。
②農場領主制(グーツヘルシャフト)が誤り。12世紀に行われたのは,東方植民である。グーツヘルシャフトは,16世紀以降エルベ川以
東で普及した。
③ギルドは,自由競争を抑制し,ギルド員で利益を分配することも目的だった。
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76 中世ヨーロッパの都市と交易
ヨーロッパの11〜13世紀の商業の発達・都市の勃興について述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①手工業親方と職人・徒弟との間には,自由・対等の関係があった。
②北方商業圏と地中海商業圏の接点にあたる北イタリアでは大きな市が定期的に立った。
③東方貿易において,西ヨーロッパは銀を輸出し,香辛料を輸入した。
④自治都市(都市共和国,コムーネ)は,王権が弱体であったイギリスで特に発達した。
◇正解は③,他の輸出品は毛織物・木材・鉄,輸入品はビザンツから絹織物など。
①手工業者は徒弟制度のもと,正規のギルド員は親方だけで厳しい身分秩序があった。
②北イタリアではなく,フランスのシャンパーニュ地方。
④自治都市(コムーネ)は,イギリスではなくイタリアで発展した。
◎都市は領主より自治権を獲得…独自の法と裁判権,相互扶助と競争抑制のためギルド形成
・初期大商人中心の商人ギルドが市政を独占→手工業者は同職ギルドを結成し闘争
・同職ギルドは,親方・職人・徒弟の序列(徒弟制)があり,ギルド員は親方のみ
・イタリア…周辺農村も支配し,自立した都市共和国(コムーネ)へ
・ドイツ…皇帝に直属し,諸侯と政治的に対等な帝国都市(自由都市)
◎都市同盟…都市は同盟を結び,独自の軍事力を有し,交易の支配や封建勢力との抗争を展開
・ロンバルディア同盟…イタリアでミラノを盟主,神聖ローマ皇帝のイタリア政策に対抗
・ハンザ同盟…北ドイツ都市を中心,リューベックを盟主にデンマーク王に対抗
◎遠隔地商業…十字軍(東方貿易)や東方植民(北方貿易)で遠隔地商業発達
・北方貿易(バルト海・北海)…リューベック盟主のハンザ同盟主導vsデンマーク王
・フランドルの毛織物・イギリスの羊毛と北欧の木材・海産物,東欧の毛皮・穀物との交換
・東方(レヴァント)貿易 海港…ジェノバ・ピサ・ヴェネツィア内陸…ミラノ・フィレンツェ
南ドイツの銀やフランドルの毛織物とビザンツの絹織物,イスラーム世界の香辛料との交換
・フランスのシャンパーニュ地方で定期市→14Cフランドル地方の沿海交易で衰退
◎豪商出現 ・フッガー家…南ドイツのアウクスブルク拠点に銀を支配
・メディチ家…北イタリアのフィレンツェ拠点,銀行業や東方貿易で繁栄
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77 修道院
修道院について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①6世紀にベネディクトゥスは,モンテ=カッシーノに修道院を建てた。
②8世紀にクリュニー修道院を中心とする教会改革運動が起こった。
③11世紀に始まった叙任権闘争の結果,東西教会の分離が起こった。
④14世紀の教会大分裂(シスマ)を批判して,托鉢修道会運動が起こった。
◇正解は①
②教会改革運動は11世紀に本格化。
③叙任権闘争は11世紀に起こったが,東西教会の分裂の原因ではない
④托鉢修道会運動は13世紀初頭に認可され,カトリック教会に位置づけられた。
◎ベネディクトゥスが,イタリアのモンテ=カッシーノに修道院を開く
祈り,かつ働け を標語。清貧・服従・貞潔の共同生活を営む
◎クリュニー修道院…フランスに建設,11世紀に教会の粛清運動(聖職売買や聖職者の妻帯を批判)
◎シトー修道会…11世紀より,大開墾事業の中心として活躍 祈り働け の戒律重視
◎托鉢修道会…清貧の共同体を主張し,荘園財産などを否定した都市型修道会
・フランチェスコ派…13世紀,イタリアのアッシジの聖者フランチェスコが托鉢修道会運動開始
・ドミニコ派…13世紀,スペイン人ドミニコが南フランスに拠点,異端審問と教学研究に活躍
『神学大全』のトマス=アクィナスもドミニコ派修道会士
◎イエズス会…16世紀,イグナティウス=ロヨラが結成,反宗教改革や海外布教に活躍
◎ヘンリ8世…首長法でイギリス国教会を確立すると,修道院を解散させ,その財産を没収
78 死後の世界や墓地
死後の世界や墓地について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①古代エジプト人は,オシリスによって死者が審判を受けると信じていた。
②古代ローマのカタコンベは,キリスト教の国教化とともに造られ始めた。
③イスラーム教は,輪廻からの解脱を説いた。
④中世末にヨーロッパで描かれた「死の舞踏」は,最後の審判の様子を示している。
◇正解は①。そのために「死者の書」が作られた。
②カタコンベでは,キリスト教の迫害期に集会が開かれたとされる。
③イスラーム教は,ユダヤ教,キリスト教と同系の一神教で最後の審判思想。
④「死の舞踏」は,ペストの流行を背景に,骸骨の形をした死が,どんな身分,年齢であろうと迎えにくるというさまを描いたもの。
79 封建制の危機
西ヨーロッパの14〜15世紀は一般に「封建制の危機」の時代といわれている。この時期の社会と経済に関する説明として
適当でないものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①領主直営地における賦役の廃止は,農民の経済的地位の向上に重要な役割を果たした。
②ジャックリーの乱は,農民に対する収奪の再強化などに反抗して起こった。
③領主の貨幣需要の増大,戦費の増加などにより,領主財政は危機に見舞われた。
④この時期の初めに,価格革命と呼ばれる急激な物価上昇が起こった。
◇正解は④。価格革命は16世紀の現象である
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80 15世紀の西欧
15世紀に起こった出来事について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①神聖ローマ帝国では,金印勅書が出され,七選帝侯に皇帝選出の権限が与えられた。
②コンスタンツ公会議が開かれ,教会大分裂(シスマ)が解消された。
③百年戦争が終結し,イギリスがカレーを除いて撤退した。
④イギリスでは,ヘンリ7世がテューダー朝を開いた。
◇正解は①。金印勅書は1356年で14世紀の出来事。
②は1414年,③は1453年,④は百年戦争後のばら戦争終結による出来事で1485年
81 イギリスの身分制議会
イギリスの身分制議会について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①リチャード1世の悪政に対して貴族たちが認めさせたマグナカルタが基礎となった。
②ジョン王の悪政に対して反乱を起こしたシモン=ド=モンフォールの議会が起源となった。
③イギリス議会は国王の課税に対する協賛権を持ち,貴族院と庶民院の二院制をとった。
④エドワード3世が地域代表や都市の代表を加えて開催した議会は模範議会と呼ばれる。
◇正解は③,ちなみにエドワード3世の時に上下両院に分離した。
①リチャード1世が誤り。ジョン王。
②ジョン王が誤り。ヘンリ3世。
④エドワード3世が誤り。エドワード1世。
◎プランタジネット朝期に成立し発展
・大憲章(マグナカルタ)…1215年ジョン王の悪政に貴族が反抗,封建的特権を確認
「王といえども法に従う」原則と,国民代表による課税協賛を定め憲政の基本文書に
・モンフォールの議会…1265年ヘンリ3世に反乱したシモン・ド・モンフォールが開催
・模範議会…1295年エドワード1世が開催,市民・騎士の代表も加え後世の範
・上下両院成立…エドワード3世時(14C)から,上院(貴族院)と下院(庶民院)に分離
82 中世のイタリア
中世のイタリアについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①神聖ローマ皇帝のイタリア政策にジェノヴァを中心とするロンバルディア同盟が対抗した。
②両シチリア王国は,ビザンツやイスラームの先進文化流入の窓口となった。
③イタリア統一を望む教皇派と,イタリアの分裂維持を望む皇帝派の対立が続いた。
④フィレンツェに台頭したフッガー家は,ルネサンスの保護者となった。
◇正解は②。首都パレルモではギリシア語文献のラテン語訳が行われ,12世紀ルネサンスの拠点となった。
①ジェノヴァが誤り。ミラノ。
③教皇派と皇帝派が逆。
④フッガー家が誤り。メディチ家。フッガー家は南ドイツアウクスブルクの豪商。
◎875年にカロリング朝が断絶
◎北部にジェノヴァ・ヴェネツィア・フィレンツェなど都市共和国
◎ミラノを中心とするロンバルディア同盟が皇帝のイタリア政策に対抗
◎中部にローマ教皇領,南部に12世紀ノルマン人が両シチリア王国
→両シチリア王国の首都パレルモは,ビザンツ・イスラーム文化残り12世紀ルネサンスの拠点
◎教皇党(ゲルフ)と皇帝党(ギベリン,イタリア政策を支持し統一望む)の抗争
◎1494年フランスのシャルル8世の侵入を機にイタリア戦争開始(∼1559)
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10 16∼18世紀のヨーロッパ(1)
83 古代アメリカ文明
アメリカ大陸の先住民の諸文明について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。。
①インカ文明では,鉄器が用いられていた。
②ユカタン半島では,キープ(結縄)を用いるマヤ文明が発展した。
③アンデス高地では,テオティワカン文明が栄えた。
④メキシコ高原では,アステカ王国の都テノチティトランが建設された。
◇正解は④
①アメリカ大陸の先住民の文明では,鉄器は未使用
②キープは,アンデスのインカ文明
③テオティワカン文明はメキシコ高原
◎共通性格 青銅器文明(鉄器は未使用)・とうもろこしが穀物・馬は存在せず
・テオティワカン…メキシコ中央高原中心。トルテカ族形成し1∼10世紀繁栄
・アステカ…メキシコ高原
・マヤ…ユカタン半島
象形文字あり テノチティトランを都 1521年コルテスに滅亡
象形文字あり,数学・天文学発展
・インカ…アンデス高原キープ(結縄)使用(文字なし) クスコ都 1533年ピサロに滅亡
84 イベリア半島の歴史
イベリア半島の歴史について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ポルトガルは12世紀,神聖ローマ帝国から独立した。
②スペイン国王カルロス1世は,ポルトガル王を兼ねた。
③スペインの作家セルバンテスが,『ドン=キホーテ』を著した。
④グラナダに,ロココ式を代表するアルハンブラ宮殿が建設された。
◇正解は③
①神聖ローマ帝国が誤り。隣国のカスティリャから独立した。
②カルロス1世が誤り。ポルトガル王を兼ねたのは,息子のフェリペ2世。
④ロココ式が誤り。アルハンブラ宮殿は,イスラーム建築の傑作。
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85 大航海
大航海時代について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①マガリャンイス(マゼラン)は,ポルトガル王の命を受けて大西洋を南下した。
②トスカネリの大地球体説は,コロンブスの航海に影響を与えた。
③ポルトガルの王子エンリケは,アフリカ西海岸の探検を行わせた。
④コロンブスはスペイン女王イサベルの援助を得ていた。
◇正解は①。ポルトガルが誤り。マガリャンイスはポルトガル人だが,スペイン王の命を受けて西回り航路探査のために地球周航の航海
を行った。
◎ポルトガル…アフリカ回りインド航路,エンリケ航海王子開始
・バルトロメウ=ディアス…1488喜望峰(ジョアン2世命名)到達
・ヴァスコ=ダ=ガマ…1498カリカット到達→香辛料貿易
・カブラル…1500ブラジル漂着→サトウキビ栽培の開始
・アジア進出…1510インドのゴア占領,1511マラッカ占領
◎スペイン…新大陸進出,西回りアジア航路でフィリピン(マニラ)拠点
・コロンブス…トスカネリの大地球体説とマルコ=ポーロの『世界の記述』の影響
イサベル女王の支援で1492出港し,西インド諸島サンサルバドル島に到達
・アメリゴ=ヴェスプッチ…1500中米地域を探検し,新大陸説提唱
・バルボア…1513パナマ地峡を横断し,太平洋を発見
・マゼラン…ポルトガル人で1519世界周航を試みる→フィリピン到達
86 カール5世とスレイマン1世
次の文章を読み,空欄と空欄に入れる人名の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
ハプスブルク家は,16世紀の[ a ]時代にスペインやオーストリアなど広大な領域を支配した。これに対抗するため,フ
ランスのフランソワ1世は,宗教の壁を越えてオスマン朝の[ b ]と同盟を結んだ。
①a-カール4世
b-スレイマン1世 ②a-カール4世 b-セリム1世
③a-カール5世
b-スレイマン1世 ④a-カール5世 b-セリム1世
◇正解は③。カール5世とスレイマン1世。
カール4世は1356年に金印勅書を発布した皇帝,セリム1世はマムルーク朝を滅ぼした君主。
87 近世初期の出来事
15世紀後半から16世紀後半に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ドイツでは,シュマルカルデン同盟が結成された。
②インドでは,マラータ同盟が結成された。
③イギリスでは,ワットタイラーの乱が起こった。
④中国では,紅巾の乱が起こった。
◇正解は①。ルターの宗教改革で,ルター派諸侯が結成したのがシュマルカルデン同盟である。従って16世紀前半なので,正しい。
②マラータ同盟は,デカン高原でムガル帝国のアウラングゼーブ帝に対抗したシヴァージーが17世紀後半に建国したマラータ王国が,
18世紀になって王権が弱まり,諸侯の連合体として成立したもの。
③ワットタイラーの乱は,百年戦争期のイギリスで14世紀に起こった。
④紅巾の乱は,元末の14世紀に起こり,乱出身の朱元璋が1368年に明を建国した。
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88 修道院
修道院について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
a クリュニー修道院で,教会改革運動が起こった。
b ヘンリ8世は,修道院を解散し,その財産を没収した。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は①。ともに正しい。
◎ベネディクトゥスが,イタリアのモンテ=カッシーノに修道院を開く
祈り,かつ働け を標語。清貧・服従・貞潔の共同生活を営む
◎クリュニー修道院…フランスに建設,11世紀に教会の粛清運動(聖職売買や聖職者の妻帯を批判)
◎シトー修道会…11世紀より,大開墾事業の中心として活躍 祈り働け の戒律重視
◎托鉢修道会…清貧の共同体を主張し,荘園財産などを否定した都市型修道会
・フランチェスコ派…13世紀,イタリアのアッシジの聖者フランチェスコが托鉢修道会運動開始
・ドミニコ派…13世紀,スペイン人ドミニコが南フランスに拠点,異端審問と教学研究に活躍
『神学大全』のトマス=アクィナスもドミニコ派修道会士
◎イエズス会…16世紀,イグナティウス=ロヨラが結成,反宗教改革や海外布教に活躍
◎ヘンリ8世…首長法でイギリス国教会を確立すると,修道院を解散させ,その財産を没収
89 三十年戦争と主権国家体制
次の文章中の空欄[ ア ]と[ イ ]に入れる国の名の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
ヨーロッパの主権国家の形成において,三十年戦争は重要な画期となった。同戦争終結時に結ばれた[ ア ]条約によ
り,[ イ ]の皇帝の権力は制限され,帝国内の諸領邦(諸侯)の主権が確認された。
① ア—ウェストファリア
イ—神聖ローマ帝国
② ア—ウェストファリア
イ—ビザンツ帝国
③ ア—サン=ステファノ
イ—ビザンツ帝国
④ ア—サン=ステファノ
イ—神聖ローマ帝国
◇正解は①。ウェストファリア条約では,主権の不可侵が確認され,主権国家体制が成立した。領邦の主権が認められたことで,神聖
ローマ皇帝の権威は失墜した。
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90 三十年戦争
三十年戦争について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①スウェーデン王グスタフ=アドルフは,カトリック陣営の中心となって戦った。
②スペイン国王フェリペ5世は,カトリック陣営を支援した。
③ヴァレンシュタイン将軍は,プロテスタント陣営の中心となって戦った。
④フランスの宰相リシュリューは,プロテスタント陣営を支援した。
◇正解は④。旧教国フランスは,反ハプスブルク政策で新教のスウェーデンを支援した。
①カトリックが誤り。プロテスタント。
②フェリペ5世は18世紀初めスペイン継承戦争で即したブルボン朝の君主
③ヴァレンシュタインはカトリック陣営の中心
◎原因…アウクスブルクの和議の不備→南のカトリック諸侯と北の新教諸侯の対立
ハプスブルク家がベーメンに旧教政策→ベーメンの新教徒反乱で勃発
◎経過…ベーメン反乱の鎮圧→傭兵隊長ヴァレンシュタインの活躍で旧教側優勢
→新教側を支援し,デンマーク王クリスティアン4世参戦もヴァレンシュタインに敗北
→新教側を支援し,スウェーデン王グスタフ・アドルフ参戦(途中で戦死)し形勢逆転
→フランスが,ルイ13世の宰相リシュリューの反ハプスブルク政策で新教側に参戦
◎結果…1648ウェストファリア条約で決着
・アウクスブルク の宗教和議を確認し,カルヴァン 派も承認
・ドイツの領邦国家の主権がほぼ承認→神聖ローマ帝国の有名無実化
・スイス・オランダ がハプスブルク家からの正式独立を達成
・フランスがアルザスなどライン左岸,スウェーデンが西ポンメルンなどバルト海沿岸獲得
→フランスとスウェーデンは,神聖ローマ帝国の帝国議会への出席権を確保
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11 16∼18世紀のヨーロッパ(2)
91 17世紀のヨーロッパの君主
17世紀のヨーロッパの君主について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ブルボン朝のアンリ4世は,サン=バルテルミの虐殺により,ユグノーを弾圧した。
②ステュアート朝のジェームズ1世は,王権神授説を唱えた。
③エリザベス1世は,人民憲章を発布した。
④ルイ15世は,宰相リシュリューを登用し,三部会を招集した。
◇正解は②。
①アンリ4世は王になる前は,ユグノーの指導者であった。またサン・バルテルミの虐殺は,ブルボン朝成立以前である。
③人民憲章は,19世紀のチャーティスト運動で掲げられたもの。
④ルイ15世ではなくルイ13世
92 ブルボン朝の君主
ブルボン朝のフランスについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ルイ14世の即位後,フロンドの乱が起こった。
②フレンチ=インディアン戦争で勝利を収めた。
③ルイ16世は,リシュリューを用いて財政改革に当たらせた。
④ルイ13世の統治下でナントの勅令が廃止された。
◇正解は①。
②フレンチ・インディアン戦争はイギリスに敗北した
③リシュリューが仕えたのは,ルイ16世ではなくルイ13世
④ナントの勅令廃止は,ルイ14世
◎アンリ4世…ユグノー戦争中即位しブルボン朝創始,ユグノーからカトリックに改宗
1598年ナントの王令で個人の信仰の自由承認,東インド会社の創設,ケベック開発
◎ルイ13世…1615年三部会停止,宰相リシュリューが三十年戦争介入,絶対王政強化
◎ルイ14世…幼年時の宰相マザラン,1648年ウェストファリア条約,フロンドの乱を鎮圧
・親政期の財務総監コルベール,王立マニュファクチュア・東インド会社再建・ルイジアナ建設
・ヴェルサイユ宮殿建設し太陽王も1685年ナントの勅令廃止でユグノーの国外流出
◎ルイ15世…オーストリア継承戦争・七年戦争に参加→財政の悪化
93 近世のヨーロッパ
16世紀から18世紀の時期に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①イギリスでは,ヴィクトリア女王によって,イギリス国教会が確立された。
②ロシアでは,ピョートル1世によって,ペテルブルク(サンクト=ペテルブルク)が建設された。
③フランスでは,コルベールが自由貿易政策を推進した。
④ドイツでは,関税同盟が発足した。
◇正解は②
①ヴィクトリア女王が誤り。ヘンリ8世である。ヴィクトリア女王は19世紀。
③自由貿易政策が誤り。コルベールは重商主義(貿易差額主義)政策を推進した。
④時期が誤り。ドイツ関税同盟の発足は,ウィーン体制下の七月革命後の1834年。
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12 西欧諸国の海外進出と環大西洋革命
94 移動と移住
人々の移動や移住について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①イギリスのピューリタンが,北アメリカに移住して植民地を建設した。
②ロロの率いるノルマン人の一派が,イギリスにノルマン朝を建てた。
③ウマイヤ朝の一族が,小アジアに後ウマイヤ朝を建てた。
④ドイツ騎士団が,レコンキスタ(国土回復運動)を行った。
◇正解は①。ピルグリム=ファーザーズのプリマス上陸を機にニューイングランド植民地を建設した。
②イギリスのノルマン朝が誤り。ロロが建てたのは,北フランスのノルマンディー公国。
③小アジアが誤り。後ウマイヤ朝は,イベリア半島。
④レコンキスタ(国土回復運動)が誤り。東方植民。
95 17世紀のヨーロッパ諸国の海外進出
17世紀のヨーロッパ諸国の海外への進出について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①オランダはバタヴィアに根拠地を置いた。
②エンリケ航海王子は,西アフリカ沿岸における探検を推進した。
③スペインは,ケベックを中心にカナダ植民地を建設した
④ロシアは,アラスカを領有した。
◇正解は①。
②エンリケ航海王子は,17世紀ではなく15世紀
③ケベック中心にカナダ植民地を建設したのはスペインではなくフランス
④ロシアのアラスカ領有は,17世紀でななく18世紀
96 印紙法反対の論拠
次の文①〜④のうちから,印紙法反対の論拠を一つ選べ。
①この法は東インド会社にアメリカにおける茶の独占権を与えるもので植民地人にとって容認しがたい。
②歳入確保のために植民地で関税を徴収することは認められない。
③国王は本国議会の同意なしに課税することはできない。
④植民地人の代表がいない本国議会には,植民地に課税する権限はない。
◇正解は④。この考え方が,「代表無くして課税なし」の標語に表された。
①これは茶法に関するもの。
②印紙法は,出版物に印紙貼付を義務づける直接税なので関税関連法ではない。
③印紙法は本国議会の同意のもとで制定されたため,植民地人が反発した。
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97 フランス革命急進期の政体変化
普通選挙を定めた憲法を制定した機関として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①国民議会
②立法議会
③国民公会
④総裁政府
◇正解は③。
国民公会ではジャコバン派が主導してジャコバン憲法と通称される男子普通選挙を定めた憲法が制定された。しかし,非常時を口実
に実施はされなかった。テルミドールの反動でジャコバン派が打倒されると,ジャコバン憲法に代わって財産資格制限選挙を定めた
1795年憲法が制定され,これに基づいて総裁政府が成立した。①の国民議会では,最初の憲法である1791年憲法が制定されたが,
財産資格選挙と立憲君主制が特徴であり,この憲法に基づいて立法議会が招集された。
◎三部会…1789年開催,アベ=シェイエス「第三身分とは何か」
・テニスコートの誓いで国民議会(憲法制定議会)
◎国民議会(憲法制定議会)…成立直後にバスティーユ襲撃事件
・封建的特権の有償廃止・人権宣言の発布→ヴェルサイユ行進で国王をパリに連行,立憲君主制改革
・ヴァレンヌ逃亡事件…ミラボーの死きっかけに国王一家逃亡事件→国民の信頼失墜
◎立法議会…1791年憲法で成立の立憲君主制,右派フイヤン(立憲王政)左派ジロンド(穏健共和)
・革命戦争の開始→義勇軍の募集→「ラ・マルセイエーズ」が歌われ,後に国家
・八月十日事件…義勇兵とサンキュロットが王宮占領し,王権停止
・ヴァルミーの戦い…国民公会招集直前にフランス義勇軍がプロイセン軍撃破,ゲーテの従軍
◎国民公会…1792年男子普通選挙で成立の第一共和政
・国王ルイ16世処刑→第一回対仏大同盟→ジャコバン派(急進共和)の恐怖政治
・公安委員会に軍事と行政の権限集中,ロベスピエールの独裁
・封建的特権無償廃止→小土地保有農の増加
・理性の崇拝と革命暦…キリスト教とキリスト教に基づく西暦の拒否(革命暦は1805年末に廃止)
・テルミドールの反動…1794年ロベスピエールの逮捕と処刑
98 国民軍の成立
フランス革命の過程で生まれた,国王の常備軍に代わる,国民の担う新しい軍隊について述べた次の文①〜④のうちか
ら,下線部の誤っているものを一つ選べ。
①立法議会の呼びかけに応じて,民衆の義勇軍が生まれた。
②義勇軍の一隊が歌ったラ=マルセイエーズは,後にフランスの国家となった。
③義勇軍を加えたフランス軍は,まずワーテルローの戦いで,プロイセン軍を破った。
④国民公会の実権を握ったジャコバン派は,徴兵制をしいた。
◇正解は③。ワーテルローではなくヴァルミー。ワーテルローは,百日天下で復活したナポレオンが,最終的にプロイセンとイギリスに敗
北した戦い。ヴァルミーの戦いにプロイセン側で従軍したゲーテが,「この日,この地より世界史の新しい時代が始まる」と評したとされ
る。
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99 総裁政府
総裁政府の説明として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ
①ロベスピエールを中心とする公安委員会に権力が集中していた
②この政府は事実上,ジャコバン派の革命独裁であった。
③物価の高騰を抑えるために,経済活動を厳しく統制した。
④1795年憲法に基づく,ブルジョワ勢力中心の政府であった。
◇正解は④。権力が分散しすぎて弱体であり,王党派と急進派の左右の攻撃で動揺した。
①ジャコバン派主導時の国民公会である。
②総裁政府は反ジャコバン派のブルジョワ勢力が中心だった。
③最高価格令で経済を統制したのは,国民公会。
◎総裁政府…1795年憲法(共和国3年憲法)の財産制限選挙で成立
・穏健共和派主導も,5人の総裁と2つの議会への権力の分散により弱体
・王党派のクーデタ(1795)…ナポレオン(コルシカ島出身)起用されて鎮圧
・バブーフの陰謀事件(1796)…急進派で私有財産の廃止を唱え,政府転覆計画も処刑
→強力な指導者を求める世論→ナポレオンが台頭
・イタリア遠征(1796-97)…ナポレオン総司令官。オーストリア撃破し,カンポフォルミオ和約
→第1回対仏大同盟崩壊,ナポレオン戦争の開始
・エジプト遠征(1798-99)…アブキール湾の戦いでネルソンに敗北し孤立
・第2回対仏大同盟…イギリス小ピットの提唱,各国の攻勢に総裁政府の威信低下
→エジプト遠征から帰国のナポレオンがブリュメール18日のクーデタで政権奪取
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13 ナポレオン戦争とウィーン体制
100 ナポレオン時代
ナポレオンと同時代の各国の状況について述べた文として正しいものを,次の次の①〜④のうちから,一つ選べ。。
①オーストリアでは,シュタインとハルデンベルクによって近代化が推進された。
②スペインでは,フランスの支配に対する抵抗運動が起こった。
③インドでは,全インド=ムスリム連盟が結成された。
④ポーランドでは,シモン=ボリバルが独立運動を指導した。
◇正解は②
①オーストリアが誤り。シュタインとハルデンベルクの改革はプロイセンである。
③全インド=ムスリム連盟の結成は20世紀初頭なので誤り。
④ポーランドが誤り。シモン=ボリバルは南米の独立運動指導者。
◎総裁政府…ナポレオンがイタリア遠征で台頭→エジプト遠征で英印連絡の遮断を試みる
◎統領政府…エジプト遠征から帰国後1799年ブリュメール18日のクーデタで成立,第一統領で独裁
・フランス銀行の設立・アミアンの和でイギリスと和平・ナポレオン法典の編纂
◎第一帝政…1804年人民投票でナポレオン1世
・トラファルガーの海戦(1805)…イギリスのネルソンに敗北し,イギリス上陸作戦断念
・アウステルリッツの戦い(1805)…ロシア・オーストリア軍に勝利し,大陸覇権の開始
・ライン同盟(1806)…ナポレオンを盟主に西ドイツ諸邦で結成→神聖ローマ帝国の滅亡
・大陸封鎖令(1806)…ベルリンで発布し,大陸諸国とイギリスの通商断絶→不況まねき反発
→イギリスは逆封鎖で対抗→スペイン植民地とイギリスの通商拡大,中南米独立運動の活発化
・ティルジット条約(1807)…プロイセンに勝利し締結,旧ポーランド領にワルシャワ大公国
→プロイセンはシュタインとハルデンベルクによる上からの近代化(農奴解放など)
・スペイン反乱(1807)…ナポレオンの侵攻に対するスペイン民衆の抵抗戦争
・ロシア遠征(1812)…ロシアの大陸封鎖令違反に断行
→モスクワ占領も退却し,ナポレオン軍壊滅
・ライプチヒの戦い(1813)…普・墺・露に敗北→パリ陥落→退位し,エルバ島へ
・ワーテルローの戦い(1815)…百日天下後の最後の決戦で敗北→セントヘレナ島へ
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101 産業革命の綿工業の発明
綿工業の技術革新について述べた次の文(a)〜(d)のうち,正しいものを一つ選び記号で答えよ。
①飛び杼の発明者は,カートライトである。
②ジェニー紡績機の発明者は,ハーグリーブズである
③水力紡績機の発明者はクロンプトンである
④力織機の発明者はジョン=ケイである
◇正解は②。ジェニー紡績機は多軸紡績機とも言う
①飛び杼(梭)の発明はジョン=ケイ,カートライトは力織機の発明
③水力紡績機の発明はアークライト,クロンプトンはミュール紡績機の発明者
④力織機の発明はカートライト,ジョン=ケイは飛び杼(梭)
◎インド産綿布の人気(キャラコ熱),大西洋三角貿易でのアフリカへの綿布輸出も需要
→リヴァプール商人がマンチェスターに黒人奴隷貿易の利益を投資,綿花も西インドより
・飛び梭(飛び杼)…ジョン=ケイの発明。織布速度が2倍に→紡績機の発展を促す
・ジェニー紡績機…ハーグリーヴズ発明。多軸紡績機
・水力紡績機…アークライト発明。操作を単純化し,動力に水力→蒸気機関へ
・ミュール紡績機…クロンプトン発明。ジェニーと水力の長所を統合
・力織機…カートライト発明。織布部門
◎中世以来の毛織物工業に代わって19世紀初めには綿工業がイギリスの国民産業に
◎同時期に進行の農業革命による第二次囲い込みが労働力を提供
102 七月革命の影響
パリで活動したロマン派の作曲家ショパンは,祖国ポーランドへの想いを作品に託した。彼の生涯(1810〜1849年)の間
にポーランドで起こった事件について述べ文として正しいものを,次の①〜④のうちから,一つ選べ。
①第3次ポーランド分割が行われた。
②カルボナリが革命に成功した。
③ロシアに対する蜂起が起こった。
④ナポレオンがワルシャワ大公国を滅ぼした。
◇正解は③。ショパンは,七月革命を機としたポーランドの対ロシア蜂起が失敗に終わった怒りと哀しみの中で,「革命」を作曲したとい
われている。
①はショパンの生前。②のカルボナリはイタリアで革命も成功していない。④ワルシャワ大公国は,1807年にナポレオンによって誕生
◎ベルギー独立…1830年ブリュッセルで蜂起,オランダより独立
→1831年イギリスの支持でベルギー王国の成立
◎ポーランド 反乱…ロシアのニコライ1世に鎮圧(1831)され,ポーランド立憲王国消滅
cf.ポーランド出身のロマン主義音楽家ショパンが「革命」を作曲
◎ドイツ反乱…西南ドイツの小邦中心に憲法制定要求の暴動→これを機に自由主義運動が再生
◎イタリア反乱…カルボナリ蜂起(1831)→オーストリア軍越境して鎮圧→青年イタリア党結成
◎イギリス第一次選挙法改正(1832)…有産市民に選挙権・腐敗選挙区撤廃
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103 七月革命と二月革命
スタンダールについて述べた次の文章の空欄[ ア ]と空欄[ イ ]に入れる人の名と語の組合せとして正しいものを,
下の①〜④のうちから一つ選べ。
『赤と黒』の作者であるスタンダールは,1812年の[ ア ]によるロシア遠征に参加した。その後,[ ア ]が没落すると,
ブルボン復古王政を倒した革命によって成立した[ イ ]の下で,外交官としてトリエステ領事などを歴任した。
①ア-ナポレオン
イ-七月王政
②ア-ナポレオン イ-第二共和政
③ア-ガリバルディ
イ-七月王政
④ア-ガリバルディ
イ-第二共和政
◇正解は①。スタンダールの『赤と黒』は,ナポレオン没落後の復古王政の腐敗を描いた作品としても知られている。復古王政を倒した
革命は,七月革命であり,これによってオルレアン家のルイ・フィリップを王とする七月王政が成立した。七月革命を倒した二月革命の
後,第二共和政が成立する。ガリバルディは,イタリア統一運動に功績を残したイタリアの愛国者
◎七月革命:ブルボン復古王政の反動政治に対する不満背景
・シャルル10世のアルジェリア出兵→七月勅令→七月革命→シャルル10世の亡命
・オランダからベルギーが独立,ロシアからのポーランド独立運動は失敗(ショパン「革命」)
・イギリスでは1832年に第一次選挙法改正→腐敗選挙区の改廃と有産市民(ブルジョワ)に参政権
◎二月革命:オルレアン家ルイ=フィリップの七月王政が大ブルジョワ優位
・1846年クラクフ蜂起…ポーランド人がガリツィアで蜂起。1848年革命の先駆け
・穏健共和派と社会主義者の改革宴会で参政権要求→二月革命→ルイ=フィリップの亡命
・臨時政府に社会主義者ルイ=ブランも参加,国立作業場の設置も批判
・国立作業場廃止に労働者が六月暴動も鎮圧→12月の大統領選挙でルイ=ナポレオン当選
104 ドイツ三月革命
ドイツの三月革命に関連して述べた次の文①〜④のうちから,正しいものを一つ選べ。
①ウィーンで暴動がおこり,オーストリアは共和政となった。
②ベルリンで暴動がおこり,宰相メッテルニヒは亡命を余儀なくされた。
③ドイツの統一を議論するため,フランクフルトに国民議会が開かれた。
④三月革命を機に関税同盟が結成され,経済面での統一が実現されることとなった。
◇正解は③。プロイセンを中心とする小ドイツ主義が決議されたが,挫折した。
① 共和政が誤り。オーストリアの共和政以降は,第一次世界大戦が契機。
② ベルリンが誤り。メッテルニヒの亡命を引きおこしたのはウィーン。
④ 三月革命が誤り。関税同盟の結成は,1834年。
◎三月革命…1848年フランスの二月革命の影響,各地で自由主義者の政権,憲法の制定→挫折
・ウィーン(三月革命)暴動…メッテルニヒは英に亡命。憲法制定など公約→帝政政府復活し挫折
・ベルリン(三月革命)暴動…憲法制定公約→自由主義内閣成立も保守派の反撃→欽定憲法
◎フランクフルト国民議会…当初大ドイツ主義(オーストリアのドイツ人地域とベーメン含む)優位
→オーストリアは帝国全体のドイツ国家編入を主張し大ドイツ主義に反対
→小ドイツ主義勝利も,プロイセン王の帝冠拒否で統一挫折
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105 1848年革命
19世紀前半の自由主義運動について述べた文として正しいものを,次の次の①〜④のうちから,一つ選べ。。
①ウィーン体制下のドイツでは,自由と統一を求めるカルボナリが結成された。
②ブラジルは1822年に共和国として独立を達成した。
③七月革命の結果,ベルギーがフランスから独立した。
④コシュート(コッシュート)は,ハンガリーの1848年革命(三月革命)を指導した。
◇正解は④。1849年にはハンガリーの独立を宣言したが,失敗した
①カルボナリはイタリア。ドイツはブルシェンシャフト。
②共和国が誤り。ブラジルはポルトガルの王室が皇帝として帝政国家として独立。
③フランスが誤り。ベルギーはオランダから独立した。
◎1848年のフランス二月革命は各地で自由主義・民族主義運動に影響し『諸国民の春』
・ウィーン(三月革命)暴動…メッテルニヒは英に亡命。憲法制定など公約→帝政政府の復活
・ベルリン(三月革命)暴動…憲法制定公約→欽定憲法
・フランクフルト国民議会…ドイツ統一話し合いも,大ドイツ主義と小ドイツ主義対立
・ハンガリー民族運動…49年にコッシュートが独立宣言→クロアティアは皇帝側,ロシア軍に弾圧
・ベーメン民族運動…チェック人,パラツキーの指導でスラヴ民族会議,プラハで自治要求運動
・サルデーニャ王国の対墺宣戦…カルロ=アルベルト王が立憲王政転換を公約し,挑むも敗北
・ローマ共和国…サルデーニャ王国敗北後,マッツィーニら共和派が教皇領にローマ共和国建国
・ポーランド独立運動…プロイセン領ポズナニで発生→露・普・墺軍に鎮圧
・チャーティスト運動…1937年頃,人民憲章(ピープルズ・チャーター)掲げて開始
・普通選挙・議員の財産資格廃止・無記名投票・選挙区平等・議員歳・議会の毎年開催要求
・1848年の 諸国民の春 の時期に高揚も,内部分裂と弾圧で以後衰退
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14 19世紀の欧米(1)
106 商業・製造業にかかわる出来事
イギリスの商業・製造業にかかわる出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①イギリスは,マカートニーを派遣して清に自由貿易を認めさせた。
②イギリスでは,機械を打ち壊すラダイト運動が起こった。
③茶法の廃止をきっかけに,イギリスの北米植民地で,ボストン茶会事件が起こった。
④ナポレオンは,イギリスとアメリカ合衆国の間の通商を断絶させるために,大陸封鎖令を出した。
◇正解は②。1810年代に,イギリスでは技術革新に反対する手工業者や熟練労働者がラダイト運動を行った。
①18世紀末に清に派遣されたマカートニーは,乾隆帝と会見したが,自由貿易の要求は拒絶された。
③「廃止」が誤り。東インド会社に免税茶の独占販売権を与える茶法に反対して,ボストン市民が東インド会社の船を襲い,積み荷の茶
を投棄したボストン茶会事件が起こった。
④「アメリカ合衆国」が誤り。大陸封鎖令は,イギリスと,ヨーロッパ大陸諸国との通商を断絶させ,イギリス産業に打撃を与えると共に,大
陸市場をフランス産業に与え,フランス産業を育成するために出された。
107 イギリスの自由主義改革(経済)
工業化の進展を背景とした重商主義批判や,工業育成政策について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちか
ら一つ選べ。
①イギリスのアダム・スミスは,『資本論』を著した
②フランスのベンサムは自由放任を主張した
③イギリスでは,19世紀に,地主の利益を保護する穀物法が廃止された。
④オーストリアでは,19世紀後半に,宰相メッテルニヒの下で工業化が推し進められた。
◇正解は③。1846年に保守党ピール内閣によって穀物法は廃止された。
①『資本論』が誤り。アダム・スミスの著作は『国富論』。『資本論』はマルクス。
③ベンサムが誤り。ベンサムはイギリスの功利主義者。正しくは重農主義者のケネー。
④メッテルニヒは1848年に失脚しているので,19世紀後半に宰相ではない。
◎産業革命で世界の工場…産業資本家はスミスやリカードの古典派経済学背景に自由貿易主張
→シティの金融業界も貿易の拡大が金融拡大につながるため支持
◎東インド会社の特権制限…重商主義機関で貿易特権に批判,インド統治機関へ変貌
・茶を除くインドでの東インド会社貿易独占権廃止(1813)…産業資本家,特に木綿工業界の要請
・東インド会社のインドでの商業活動全面禁止(1833)
・東インド会社の中国貿易独占権・茶貿易独占権廃止(1834)
◎穀物法問題…1815年制定,穀物の価格下落防止のため高関税を課して輸入制限,地主保護を目的
・反穀物法同盟結成(1839)…マンチェスターで結成。産業資本家のコブデンとブライト中心
物価抑制で労働者の賃金を抑制し,国際競争力の維持を目的
・穀物法廃止(1846)…保守党ピール内閣,直接の契機はアイルランドのジャガイモ飢饉
◎航海法廃止(1849)…重商主義から自由貿易への転換完了。地主層は金融を通じ,支配力維持
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108 19世紀のイギリス
19世紀のイギリスについて述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①労働組合法が制定された。
②ラッダイト運動が起こった。
③世界の工場と呼ばれ繁栄を謳歌した。
④女性に参政権が認められた。
◇正解は④。女性に参政権が認められたのは,第一次世界大戦中の1918年の第4回選挙法改正によってである。19世紀中の選挙法
改正では,女性参政権は実現していない。第1回は1832年で有産市民,第2回は1867年で都市労働者,第3回は1884年で農場と鉱
山の労働者に参政権であった。
109 学校や教育
学校や教育に関する歴史について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選
べ。
a イギリスでは,19世紀後半,教育法(初等教育法)が制定された。
b アズハル学院は,ファーティマ張時代のカイロに設立された。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は①でともに正しい。
110 近代のユダヤ人問題
ユダヤ人をめぐる出来事について述べた次の文文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ
選べ。
a フランスにおいて,ドレフュス事件が起こった。
b ユダヤ人の間で,シオニズム運動が起こった。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は①で共に正しい。19世紀末のフランスにおいて,ユダヤ系のドレフュス大尉がドイツのスパイと疑われ,国論を二分した事件が
ドレフュス事件である。結果としてドレフュスの冤罪が明らかになり,ドレフュスを擁護した共和派が,反ユダヤ主義の下でドレフュスを
犯人とした反共和派に対して優位にたった。一方,このドレフュス事件を取材したオーストリアのユダヤ系ジャーナリストヘルツルに
よって,ユダヤ人の故郷復帰(建設)運動であるシオニズム運動が起こった。
◎フランス革命でユダヤ人に市民権→各国への同化の傾向
◎19世紀民族主義の台頭→ユダヤ人迫害が再燃(反ユダヤ主義=アンチセミティズム)
・ドレフュス事件…ユダヤ系のドレフュス大尉がドイツのスパイと疑われた冤罪事件
→ユダヤ人のパレスティナ復帰運動であるシオニズム運動台頭の契機
・ポグロム…東欧,特にロシア帝国でのユダヤ人迫害,アレクサンドル2世暗殺後激化
→東欧系ユダヤ人の西欧やアメリカ合衆国への移民の動き
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111 19世紀ヨーロッパの政治動向
19世紀におけるヨーロッパの政治動向について述べた文として正しいものを次の①〜④のうちから,一つ選べ。
①イタリアでは,カヴールらによってローマ共和国が樹立された。
②イギリスでは,審査法の廃止によって非国教徒も公職に就けるようになった。
③フランスでは,六月暴動が起こって第二帝政が大きく揺さぶられた。
④ハンガリーは,クロアチアの支援でオーストリアから独立した。
◇正解は②。国教徒に公職を限定した審査法は1828年に廃止された。
①はカヴールが誤り。カヴールはサルデーニャ王国の宰相。正しくはマッツィーニ。
③は六月暴動が誤り。六月暴動は第二共和政で国立作業場廃止に反対して起こった
④ウィーン体制崩壊時にハンガリーは独立を図ったが失敗した。この時,ハンガリーの宗主権下にあったクロアチアは,オーストリアを支
持した。
112 ビスマルクの内政
ビスマルクのとった政策として正しいものを,次の文の①〜④のうちから一つ選べ。
①社会主義思想の拡大を抑えるために,カトリックの普及をはかる文化闘争を行った。
②共産主義を抑えるために,社会民主党と妥協してこれを与党化した。
③1879年からは,工業界とユンカー(鉄と麦の同盟)のために自由貿易政策をとった。
④社会主義者鎮圧法を制定するとともに,他方で社会政策を実施して労働者をなだめようとした。
◇正解は④。これをアメと鞭の政策と呼ぶことがある。
① 文化闘争はカトリックとの闘いであり,それが終息に向かう頃に社会主義者との対立が本格化した。
② ビスマルク時の社会主義政党は,ドイツ社会主義労働者党で,社会民主党と共産党はまだ成立していない。
③ 自由貿易政策が誤り,保護関税法を制定し,保護関税政策をとった。
◎ビスマルク…1862年プロイセン首相,鉄血政策でドイツ統一,1890年までドイツ宰相
◎文化闘争…1871−80年。中央集権化に反対する南部カトリックが中央党結成し対立
◎社会主義者鎮圧法…1878年。皇帝狙撃事件を口実に,ドイツ社会主義労働者党を弾圧
◎社会政策…病気・災害・養老・廃疾などの保険制度を実施し労働者を国家に統合
◎保護関税法…1879年重工業(ex「死の商人」クルップ)とユンカーの農業保護(鉄と麦の同盟)
113 文化闘争
統一後のドイツで,文化闘争の中心となった政党の名として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①共産党
②中央党
③社会民主党
④社会主義労働者党
◇正解は②。中央党は南西ドイツのカトリック教徒や,プロイセンのポーランド人カトリック教徒の政党。
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15 19世紀の欧米(2)
114 クリミア戦争
クリミア戦争について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ナイティンゲールは,国際赤十字の一員として,戦場で看護にあたった。
②ロシアは,ギリシア正教徒の保護を口実に,オスマン帝国と開戦した。
③ベルギー・フランス両国は,オスマン帝国を支援し,ロシアと戦った。
④パリ条約によって,ロシアは黒海の支配権を獲得した。
◇正解は②。聖地管理権の代わりに,ギリシア正教徒の保護権を要求して開戦した。
① 「国際赤十字の一員」が誤り。国際赤十字はまだ成立していない。ナイティンゲールを称賛していたデュナンが,イタリア統一戦争時
の体験をもとに提唱する。
③ベルギーが誤り。イギリスまたはサルデーニャ
④ 黒海はパリ条約によって,中立化(非武装化)が図られた。
◎原因…フランスの聖地管理権獲得→ギリシア正教徒保護権要求し1853年ロシアがトルコに宣戦
◎内容…英・仏・サルデーニャがトルコ側に参戦し,セヴァストポリ要塞の攻防戦→ロシア敗北
◎結果…1856年パリ条約で黒海を中立化・ドナウ川航行の自由
・ロシアはベッサラビアをオスマン帝国へ
・モルタヴィア・ワラキアの自治承認にナポレオン3世尽力し,威信向上
◎参加した人物
・トルストイ…ロシアの文豪。『セヴァストポリ物語』でクリミア戦争を描く
→その戦争体験は,後にナポレオンのロシア遠征を背景とした『戦争と平和』に反映
・ナイティンゲール…イギリスの女性運動家。看護婦制度を創始し,クリミア戦争で活躍
→のちに赤十字運動に貢献
115 露土戦争とベルリン会議
1878年のサン=ステファノ条約で独立が承認された国として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ
①モンテネグロ ②ギリシア
③セルビア
④ルーマニア
◇正解は②。ギリシアはすでに1830年のロンドン会議で国際的に独立が承認されている。
◎露土戦争(1877-78)…ボスニア・ヘルツェゴビナ,ブルガリアでギリシア正教徒の蜂起
ロシアはギリシア正教の首長の立場を強調し、列強の干渉を防ぎ単独でトルコに勝利
◎サンステファノ条約(1878)…ルーマニア・セルビア・モンテネグロの三国の独立承認
ブルガリアを自治公国とし、ロシアの保護下→地中海進出可能に
◎ベルリン会議(1878)…サンステファノ条約にイギリスとオーストリア反発し開戦の危機
ビスマルクが「誠実な仲買人」として仲裁。ウィーン会議以来の大会議
◎ベルリン条約(1878)…ロシアのバルカン南下は阻止され、中央アジア・東アジア進出に転換
・三国独立承認。見返りにオーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナの行政権
→ロシアのパン=スラブ主義とオーストリアのパン=ゲルマン主義の対立激化
・ブルガリア領土縮小と露の保護権取消で露の地中海進出阻止。英はキプロス島も獲得
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116 モンロー宣言
合衆国のモンロー大統領について述べた次の文章の空欄[ ア ]と空欄[ イ ]に入れる語の組合せとして正しいもの
を,下の①〜④のうちから一つ選べ。
1823年12月,連邦議会にあてた年次教書において,[ ア ]と[ イ ]との相互不干渉などの外交方針を唱えた。これ
がモンロー宣言と言われている。
①ア-アメリカ大陸
イ-アジア
②ア-アメリカ大陸
イ-ヨーロッパ
③ア-アフリカ大陸
イ-アジア
④ア-アフリカ大陸
イ-ヨーロッパ
◇正解は②。米欧相互不干渉が原則であった。これをモンロー主義という。
117 合衆国の発展
19世紀前半のアメリカ合衆国について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アメリカ=メキシコ戦争に勝利して,オレゴンとフロリダをメキシコから獲得した。
②民主党は北部を支持基盤とした。
③先住民(インディアン)はその居住地を奪われ,保留地に強制移住させられた。
④西部への入植を促進するためにモンロー宣言が出された。
◇正解は③。1830年にジャクソン大統領によって強制移住法が制定された。
① オレゴンとフロリダが誤り。カリフォルニアとニューメキシコ。オレゴンは,ポーク大統領時にイギリス領カナダとの間で分割し,フロリダ
はモンロー大統領時に購入した。
② 北部が誤り。民主党の基盤は南部にあり,北部を基盤としたのは共和党である。
④ モンロー宣言は,1823年米欧相互不干渉の宣言で,孤立主義がアメリカ外交の基本となった。
◎ジェファソン(1801-09)…独立宣言起草。リパブリカン党指導し、1800年の革命
フランスのナポレオンよりミシシッピ以西ルイジアナ購入
◎米英戦争(1812-14)…ナポレオン戦争中のイギリスの通商妨害きっかけ
戦争中にイギリス工業製品の流入が絶え,北部に綿工業を中心とした工業が自立
◎モンロー(1817−25)…1819年スペインよりフロリダ買収。1823年モンロー宣言で孤立主義
米欧両大陸の相互不干渉と,アメリカ大陸での合衆国の指導的地位を主張
◎インディアン強制移住法…1830年ミシシッピ以西の居留地へ。ジャクソン大統領
◎マニフェスト・デスティニー…1840年代の領土拡大を正当化する言葉として登場
・テキサス…1836年アメリカ系移民がメキシコに反乱し、独立宣言→45年併合
・カリフォルニア…1848年米墨戦争(46∼48)の勝利でニューメキシコと共に獲得
→金鉱発見され,ゴールドラッシュで太平洋岸の開発
・オレゴン…1846年イギリスとのオレゴン協定で北緯49度をカナダとの国境として二分
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118 合衆国の黒人奴隷制
南北戦争前のアメリカ合衆国における奴隷制について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜
④のうちから一つ選べ。
a 黒人奴隷が使用される綿花プランテーションが拡大した。
b 西部で新しい州が誕生すると,奴隷制を認めるかどうかをめぐり,対立が起こった。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は①。ともに正しい。
a18世紀末のホイットニーの綿繰り機の発明と,イギリス産業革命の発展は,合衆国南部でイギリス輸出用の綿花プランテーション拡大を
もたらし,黒人奴隷も増加した。
b西部で新しい州が誕生すると,奴隷州か自由州かで対立し,1820年にミズーリ協定で妥協したが,1854年にカンザス-ネブラスカ法で
ミズーリ協定が否定されると,奴隷制反対派を中心に共和党が結成され,南北の対立が激化した。
◎17世紀にヴァージニア植民地で黒人奴隷制度導入,主にタバコプランテーションで普及
◎19世紀末ホイットニーの綿繰り機発明→アメリカ南部が綿花栽培地域→黒人奴隷制度拡大
→イギリス産業革命の原料綿花の7割∼8割を合衆国南部が供給→南部の自由貿易主張
◎西部に成立する新州が奴隷州か自由州かが,南北の政治対立の焦点に
・1820:ミズーリ協定…ミズーリ州を奴隷州とするが,以後北緯36度30分以北自由州と規定
・1851:アンクル=トムの小屋…ストウ夫人著。奴隷解放運動に影響
・1854:カンザス=ネブラスカ法…奴隷制は人民投票で→ミズーリ協定否定され対立激化
→カンザス=ネブラスカ法反対で共和党成立
119 南北戦争前の南部と北部の対立
南北戦争にまで至った南部と北部の対立について述べた文として正しいものを,次の文の①〜④のうちから一つ選べ。
①南部は保護貿易を主張した。
②奴隷制擁護を唱えて,共和党が結成された。
③北部は中央政府の権限強化を唱えたのに対し,南部は州の権利の尊重を主張した。
④リンカンが奴隷解放宣言を出すと,南部が反発して南北戦争となった。
◇正解は③。北部は連邦主義,南部は集権主義。
① 南部は自由貿易を主張。保護貿易主張は北部。
② 擁護が誤り。共和党は,奴隷制拡大の反対者が集まって結成した。
④ 前後関係が逆。1961年に南北戦争が始まったのち,1963年に奴隷解放宣言。
◎北部…北東部中心に工業が発展・保護貿易・連邦主義・共和党・奴隷制反対
◎南部…綿花のプランテーション・自由貿易・州権主義・民主党・奴隷制賛成
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120 南北戦争後の南部と黒人問題
南北戦争後の黒人について述べた文として誤っているものを次の①〜④のうちから一つ選べ。
①奴隷だった黒人の多くは,シェア・クロッパー制のもとで白人地主に隷従する小作人となった。
②奴隷解放後も,黒人に対する人種的偏見は残り,法的にも差別された。
③奴隷解放後に南部では白人による黒人迫害団体が結成され,活動した。
④ホームステッド法によって南部の大農場主の土地は,奴隷だった黒人に分配された。
◇正解は④。ホームステッド法は,西部の公有地で開拓農民への土地の提供を定めたもの。解放された黒人には土地が分与されず。
選択肢①のシェア・クロッパー制が普及した。
◎南北戦争後の10年間は北軍の軍政→旧大農場主は没落し,白人小農民や新興産業資本家台頭
◎憲法修正第13条で奴隷解放の条文化,14条で市民権,15条で選挙権の保障
◎解放後の南部では地主に土地・農具を依存するシェア・クロッパー制が成立
→黒人は小作人として白人地主に隷従
◎軍政(再建期間)終了後,南部諸州は黒人取締法(ブラックコード)で黒人の人権を制限
◎19世紀末,最高裁判所も,「分離しかし平等」原則を承認し,黒人隔離政策(ジム=クロウ)容認
◎テネシー州で結成のクー・クラックス・クラン(KKK)など黒人迫害の秘密結社が暗躍
121 写実主義文学
19世紀に活躍した人物について述べたものとして,下線部が誤っているものを一つ選べ。
①バルザックは,写実主義の代表的な作家で,『ゴリオ爺さん』などの作品を残した。
②セーヌ県知事ルイ=ブランは,パリの大改造を行い,街路や下水道などを整備した。
③ピアノの詩人と呼ばれるショパンは,祖国ポーランドへの思いを曲に託した。
④ドラクロワは,ロマン主義の代表的画家で,七月革命を題材に『民衆を率いる自由の女神』を描いた。
◇正解は②。ルイ=ブランは第二共和政の臨時政府で国立作業場を設立した社会主義者。パリ大改造を指導したセーヌ県知事はオス
マン。
◎写実主義…ロマン主義の理想・感情重視と現実軽視に、醜悪面も含めての現実描を主張
ウィーン体制崩壊と産業革命の進展による社会の変化を背景
・スタンダール…フランス写実主義の先駆者、青年期にナポレオン戦争に参加
『赤と黒』 副題は「1830年代史」王政復古期の世相を背景に青年の野心と挫折
・バルザック…フランス写実主義の先駆者、作品群によって社会総体の再現を意図
『人間喜劇』 『ゴリオ爺さん』を含む諸作品の総称で、独立した作品が他の作品と関連
・フロベール…フランス写実主義の確立者 「ボヴァリー夫人は私だ」
『ボヴァリー夫人』 副題「地方風俗」 田舎医者の妻の不倫と自殺
・ディケンズ…イギリスの下層社会を哀歓を持ってリアルに描き社会の不正を指摘
『二都物語』 フランス革命時代のロンドンとパリを舞台
・サッカレー…イギリス上流社会を風刺、ディケンズと19世紀イギリス文学を代表
『虚栄の市』 上流社会の虚栄と俗物根性を批判
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122 19世紀の科学と医学
19世紀以降の医学や科学上の業績について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①フランスのキュリー夫妻は,X線を発見した。
②ドイツのコッホは,細菌学の研究を行った。
③オーストリアのメンデルは,相対性理論を提唱した。
④イギリスのファラデーは,エネルギー保存の原則を発見した。
◇正解は②。結核菌など発見。フランスのパスツールと競って細菌学を発展させた。
① X線が誤り。キュリー夫妻が発見したのはラジウム。X線はレントゲンの発見。
③ 相対性理論が誤り。メンデルは遺伝の法則。相対性理論はアインシュタイン。
④ エネルギー保存の法則はマイヤーとヘルムホルツ。ファラデーは電磁気の研究である。
◎自然科学,実験科学の成果が技術開発に転用,第二次産業革命の背景に
・マイヤー,ヘルムホルツ…独,エネルギー保存の法則:内燃機関の発明に道
・ファラデー…英,電磁気の研究:電信・電話・各種電気製品などの発明に道
・リービヒ…独,有機化学の基礎:化学肥料や,化学繊維の発明に道
・レントゲン…独,X線の発見
・ダーウィン…英,1859年『種の起源』・進化論→社会進化論に影響
・メンデル…オーストリア,遺伝の法則
・パストゥール…仏,低温殺菌法→ワイン・乳製品の長期保存を可能に・狂犬病予防
・コッホ…独,結核菌,コレラ菌発見
・キュリー夫妻…夫仏,妻ポーランド,ラジウムの発見
・ノーベル…スウェーデン,ダイナマイトの発明→ノーベル賞の創設
123 空想的社会主義者
19世紀に活動した社会主義者の名として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①サン=シモン ②ディズレイリ
③フーリエ
④ロバート=オーウェン
◇正解は②。ディズレイリは19世紀後半のイギリス自由党の政治家。
①サン・シモンはアメリカ独立革命にも参加したフランスの貴族で,フランス革命政権による財産没収に応じ,来るべき産業社会の合理
的運営を主張してナポレオン3世やレセップスにも影響を与えた。マルクスとエンゲルスによって空想的社会主義者に分類された。な
お,マルクスとエンゲルスは,③のフーリエと④のロバート・オーウェンの3人を三大空想的社会主義者とした。
③フーリエは協同組合を基盤とした社会主義を構想したフランスの社会主義者
④ロバート・オーウェンはニューラナークで経営した紡績工場で労働者を保護し,アメリカで共産社会建設を試みて失敗したイギリスの社
会主義者,工場法を提唱した。
◎空想的社会主義…マルクス以前の社会主義をエンゲルスが命名,人道的見地から理想社会構想
・ロバート=オーウェン…イギリス,工場法の制定や労働組合・協同組合の育成に尽力
・スコットランドのニューラナークで紡績工場経営し,労働者の環境改善,工場に幼稚園設置
・アメリカのニューハーモニー平等村の理想社会建設の実験は失敗
・サン=シモン…フランス,アメリカ独立戦争に参戦,合理的産業社会の実現を提唱
・フーリエ…フランス,協同組合的理想社会を提唱
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16 ヨーロッパの進出とアジア・アフリカ(1)
124 イスラーム改革運動
イスラーム世界に起こった改革運動として正しいものを次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アフガーニーは,イスラーム教徒の連帯を訴えるパン=イスラーム主義を説いた
②シリアでは,世直しを求めて新興宗教のバーブ教徒が反乱を起こした
③イランではフランスへのタバコ利権割譲に反対してタバコ=ボイコット運動が起こった
④イランでは,1907年の英露協商に反対して,イラン立憲革命が起こった
◇正解は①。アフガーニーはウラービー運動やタバコ・ボイコット運動に影響を与えた
② シリアが誤り。バーブ教徒の乱はイラン
③ フランスが誤り。イギリスへの利権譲渡
④ イラン立憲革命は,1907年の英露協商の前に,1905年に日露戦争の日本の勝利の影響を受けて始まっているので誤り。
◎ワッハーブ派…18世紀半ばムハンマド=ブン=アブドゥル=ワッハーブが創始
・反近代的な復古主義でスーフィズムを否定,オスマン帝国を批判しアラブ民族主義へも影響
・サウド家の支持→アラビア半島にワッハーブ王国→サウジアラビアの源流
◎パン=イスラーム主義…アフガーニーが提唱,西洋に対するムスリムの団結を主張し専制を批判
・ウラービー運動(エジプト)・タバコ・ボイコット運動(イラン)などに影響
・ムハンマド=アブドゥフが近代思想とイスラームを調和→復古主義・近代主義双方に影響
◎汽船・鉄道の発達によるメッカ巡礼の増加で人的交流拡大し,改革思想の伝播,民族運動に影響
125 近代のエジプト
19世紀末のエジプトで起こった民族運動として正しいものを次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ラダイト運動
②ワッハーブ運動
③ウラービー運動
④チャーティスト運動
◇正解は③。ウラービー=パシャの乱,ウラービー革命の呼び方もある。
① ラダイト運動は,19世紀初期のイギリスで起こった機会打ち壊し運動。
② ワッハーブ運動は,18世紀のアラビア半島でサウド家と結びついて起こったイスラームの復古主義運動で,スーフィズムなどを否定し
た。現在のイスラーム原理主義運動にも影響している。
④ チャーティスト運動は,1830年代から40年代のイギリスで起こった労働者の参政権要求運動。人民憲章(ピープルズ・チャーター)を
掲げた。
◎エジプトの自立…ナポレオンのエジプト遠征に派遣の義勇軍からムハンマド=アリー台頭
・1805年ムハンマド=アリーが太守→イギリス軍撃退(1807),マムルークを一掃
・フランスの支援で綿花栽培など殖産興業・富国強兵策,スーダンも征服(1819)
◎ムハンマド=アリー朝(1840-1952)…ナポレオンのエジプト遠征の混乱後に自立
・ロンドン会議(1840)…領域をエジプトとスーダンに限定し,オスマン帝国の属国として世襲権
英パーマストン外相はロシアにウンキャルスケレッシ条約も破棄させ,ロシア南下も阻止
・イギリス=トルコ通商条約がエジプトにも適用され,イギリス製品流入で産業破壊
→南北戦争による綿花の高騰もあり,綿花栽培に特化しモノカルチャー化
・近代化の挫折…フランス人レセップスと進めたスエズ運河建設など近代化政策で外債増加
・財政破綻…1875年イギリス首相ディズレーリにスエズ運河株売却も財政破綻→英仏の干渉
・ウラービー運動(1881-82)…アフガーニーとムハンマド=アブドゥフの思想的影響
「エジプト人のためのエジプトを主張」しウラービー=パシャの決起で立憲制導入
→イギリスが単独出兵し,エジプト占領→イギリスによるエジプトの保護国化(1882)
・1918年にワフド(代表)党の運動→1922年独立→1936年完全独立
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126 イギリスのインドでの戦い
イギリスがインドやその周辺で行った軍事行動について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①19世紀に,シク教徒勢力を破り,インド北西部を征服した。
②シパーヒー(セポイ)と呼ばれるイギリス人の傭兵を使用した。
③アフガニスタンへのサファヴィー朝の介入を警戒して,アフガン戦争を引きおこした。
④20世紀に,マラータ戦争を行い,インド南部を征服した。
◇正解は①。西北部のパンジャーブ地方を支配したシク教国は1849年征服された。
② イギリス人が誤り。シパーヒーはインド人の傭兵だった。
③ サファヴィー朝が誤り。カージャール朝またはロシアが正しい。サファヴィー朝は18世紀前半に滅亡している。
④ 20世紀とマラータ戦争が誤り。ベンガル地方制圧後,イギリスは南部のマイソール王国攻略に向かい,18世紀末にマイソール戦争で
征服した。
◎カーナティック戦争(1744-63)…初期フランスのデュプレクスに劣勢も最終的に勝利
◎プラッシーの戦い(1757)...フランスとベンガル太守連合軍にクライブの東インド会社軍勝利
一部地域の徴税権獲得しインド覇権の第一歩。1758年ベンガル知事設置し初代にクライブ
◎マイソール戦争(1767-99)…4回にわたり抗争。マイソール王国を打倒し,南インド支配を確立
◎マラーター戦争(1775-1818)…3回にわたり戦う。マラーター同盟をやぶり,デカン高原支配を確立
◎シク戦争(1845-49)…2回にわたり戦う。シク教国を破り,パンジャーブ制圧。インド支配の確立
◎シパーヒーの乱(1857-59)…1857年インド大反乱,東インド会社の傭兵シパーヒーが挙兵
→反乱軍はデリー占領しムガル皇帝の統治権復活宣言→イギリスはデリーを攻略し乱を鎮圧
→1858年ムガル帝国を滅ぼし,東インド会社を解散して本国直接統治に転換,直轄領と藩王国
◎インド帝国…1877年ディズレイリがヴィクトリア女王に戴冠,藩王国への統治強化
127 スリランカ
スリランカ(セイロン島)の歴史について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アショーカ王の布教により,中国から仏教が伝播した。
②オランダは,16世紀初めにこの島を領有し,貿易活動の拠点とした
③イギリスはオランダに替わって,この島を獲得した。
④第二次世界大戦前に,フランスからの独立を果たした。
◇正解は③。ウィーン議定書で正式にイギリスがオランダからセイロン島を獲得した。
① 中国からが誤り。インドから。
② 16世紀初めにセイロン島に進出したのはポルトガル。オランダは17世紀にポルトガルからセイロン島を奪った。。
④ 第二次世界大戦前ではなく後に,フランスからではなくイギリスから独立した。
128 ヨーロッパ人のアジアでの活動
ヨーロッパ人のアジアでの活動について述べた次の文a〜cが,年代の古いものから順に正しく配列されているものを,下
の①〜⑥のうちから一つ選べ。
aフランシスコ=ザビエルが,アジアで布教活動を行った。
bオランダとイギリスの間で,アンボイナ事件が起こった。
cイギリスが,インドを直接統治下に置いた。
①a→b→c
②a→c→b
③b→a→c
④b→c→a
⑤c→a→b
⑥c→b→a
◇正解は①。aザビエルは,反宗教改革運動の担い手となったイエズス会の結成メンバーであり,16世紀に活躍している。bオランダ商
館員が香辛料諸島でイギリス商館員を虐殺し,イギリスを東南アジアから撤退させたアンボイナ事件は,1623年に起こっている。cイギ
リスが東インド会社を解散させてインドを直接統治下に置いたのは,シパーヒーの乱中の1858年である。
̶56̶
129 労働力の移動
世界市上見られた広域的な労働力の流れについて述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④
のうちから一つ選べ。
a 東南アジアがヨーロッパ諸国に植民地化されると,中国から移住し労働に従事する者がとだえた。
b ヨーロッパ諸国の中には,19世紀に,奴隷貿易を禁止する動きがあった。
①a—正 b—正
②a—正 b—誤
③a—誤 b—正
④a—誤 b—誤
◇正解は③。
aの誤りは「途絶えた」の部分。各地のプランテーションの労働力として,中国人の流入はむしろ増大した。bのヨーロッパ諸国における黒
人奴隷制度の廃止によって,それに代わる安価な労働力が求められ,インド人と中国人が各地の農場や鉱山にクーリー(苦力)という
名の最底辺の労働者として送られた。
130 第一次世界大戦以前の東南アジア民族運動
東南アジアの民族運動について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ジャワ島ではパン=イスラーム主義の影響を受けたアチェ王国がフランス支配に抵抗した。
②ファン=ボイ=チャウらは,日本へ留学する東遊(ドンズー)運動を起こした。
③海峡植民地では,イギリスからの独立を目指すサレカット=イスラームが結成された。
④ビルマでは小説家で医師のホセ=リサールが民族運動を開始した。
◇正解は②。しかしドンズー運動は,日仏協約を結んだ日本政府によって弾圧され挫折した。
① ジャワ島とフランスが誤り。アチェ王国はスマトラ島北端でオランダに対抗した。
③ サレカットイスラームは,イギリスの海峡植民地ではなく,ジャワでオランダに対抗して成立した。
④ ビルマが誤り。ホセ=リサールはスペイン植民地のフィリピンで民族運動を開始した人物。
◎タイ…ラタナコーシン朝のラーマ5世の近代化改革で独立維持
◎ヴェトナム…ファン=ボイ=チャウが維新会結成→日露戦争後,日本留学の東遊運動
◎フィリピン…ホセ=リサールの民族運動開始→アギナルドの独立蜂起→米西戦争
→アメリカの支配→アギナルドの対米戦争
◎インドネシア…サレカット=イスラーム(イスラーム同盟)の自治要求運動
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131 植民地化以前のアフリカ王国
アフリカの地域で起こった出来事について述べた次の文a〜cが,時期の古いものから順に正しく配列されているものを,
下の①〜⑥のうちから一つ選べ。
aヴァスコ=ダ=ガマが,喜望峰を経由してインドへ向かった
bブール(ボーア)人がオレンジ自由国を建てた。
cイスラーム教を受けいれたマリ王国が成立した。
①a→b→c
②a→c→b
③b→a→c
④b→c→a
⑤c→a→b
⑥c→b→a
◇正解は⑤
aのヴァスコ=ダ=ガマは,インドのカリカットに1498年に到着した。
bブール人がオレンジ自由国を建てたのは,19世紀の前半
cマリ王国の成立は13世紀。サハラ縦断貿易で繁栄し,14世紀のマンサ=ムーサのメッカ巡礼が有名。
◎クシュ王国(前10C 後4C)…ナイル上流スーダン地域の黒人王国,エジプト文明の影響
◎メロエ王国(前7C 後4C)…メロエ遷都後のクシュ王国の別称,アクスム王国に滅亡
◎アクスム王国(前2C 後7C)…アビシニア高原(エチオピア)に進出し建国
4世紀単性論派のキリスト教受容,ササン朝と競合しつつ紅海航路に進出
◎ガーナ王国(8C以前 11C)…西スーダンで金と岩塩のサハラ縦断貿易。ムラービト朝に滅亡
◎マリ王国(13C 15C)…西スーダン支配,イスラーム受容しマンサ=ムーサ王のメッカ巡礼
交易都市としてニジェール川流域のトンブクトゥが繁栄,イブン=バットゥータ来訪
◎ソンガイ王国(15C-16C)…マリ王国に交替,トンブクトゥに黒人大学,モロッコに滅亡
◎モノモタパ王国(11C-19C)…アフリカ南部でジンバブエ(石造遺跡有名)中心に繁栄
東岸のマリンディなど,スワヒリ語(アラビア語と現地語融合)文化圏の都市に金など供給
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17 ヨーロッパの進出とアジア・アフリカ(2)
132 アヘン戦争
アヘン戦争に関連して述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ
①戦争の過程で,民衆の組織した自衛団がイギリス軍に対して抵抗した地域もあった。
②中国は,1842年の南京条約で,イギリスにマカオを割譲した。
③アメリカは,中国と黄埔条約を結び,イギリスと同様な権利を得た。
④イギリスは,左宗棠のアヘン取締りを契機に開戦した。
◇正解は①。広州郊外で民衆の平英団がイギリス軍を撃退した。
② マカオが誤り。マカオはポルトガルが明から得た居留地。正しくは香港島。
③ 黄埔条約が誤り。黄埔条約はフランス。アメリカが結んだのは望厦条約。
④ 左宗棠が誤り。左宗棠は洋務派の官僚で,イリ事件でロシアと交渉した人物。正しくは林則徐。
◎1757年乾隆帝が貿易港を広州一港に限定,貿易は特権商人公行が独占し朝貢貿易として処理
◎イギリス東インド会社は対中国茶貿易が片貿易となり銀が流出
・マカートニー…18世紀末,乾隆帝に謁見も朝貢使節とみなされ対等な交渉は不可
・アマースト…19世紀初,三跪九叩頭拒否で交渉不可
◎英製綿製品をインドへ,インドのアヘン(原料ケシで専売)を中国へ輸出,三角貿易で銀を回収
◎中国では中毒患者が増加し社会問題,銀が流出→銀価高騰し結果的に重税に
◎1834年中国貿易独占権廃止→アヘン密輸急増ex.ジャーディン・マセソン商会(怡和洋行)
◎道光帝がアヘン厳禁論の林則徐を欽差大臣→アヘン没収を口実に1840年イギリスが開戦
◎林則徐の罷免→盟友魏源が西洋研究を継承し,『海国図志』著す→明治維新に影響
◎イギリスが清朝に強行の最初の侵略戦争。広東の住民は平英団結成し三元里で対抗
◎1842年南京条約で講和
133 1860年代までの清とロシアの条約
ロシアと清との関係について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①清は北京条約によって,沿海州をロシアに割譲した。
②清は,トルコマンチャーイ条約によって,ロシアに治外法権を認めた。
③ロシアは,キャフタ条約によって,サハリンを所有した。
④ロシアは,ネルチンスク条約によって,イリ地方を清に返還した。
◇正解は①。アロー戦争の調停を口実とした北京条約で,ウスリー江以東の沿海州をロシアに割譲した。
② トルコマンチャーイ条約はイランのカージャール朝とロシアとの条約。
③ キャフタ条約は雍正帝期の清とロシアがモンゴルの国境を定めた条約。ロシアがサハリンを獲得したのは,日本との1875年の千島・
樺太交換条約によってである。
④ ネルチンスク条約は康熙帝期に東北地方とロシアとの国境を定めた条約。清朝に対するイスラーム教徒反乱のイリ事件に乗じてロシ
アはイリ地方を占領したが,左宗棠のイリ事件鎮圧もあって。イリ地方の返還に応じ,国境を確定するイリ条約を結んだ。
134 清朝末期
清朝末期の時代に起こった出来事について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①変法運動は,明治維新を改革モデルとした。
②洪秀全の指導で,太平天国が樹立された。
③アヘン戦争での敗北によって,公行が廃止された。
④日清戦争での敗北によって,上海など5港が開港された。
◇正解は④。日清戦争が誤り。上海が開港するのは,アヘン戦争の敗北で締結した南京条約によってである。
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135 中国の改革運動
康有為や彼の指導した運動について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①彼の運動の挫折による清朝の弱体化は,日清戦争での敗北の一因となった。
②彼は,中国国民党の創設の中心人物となった。
③彼は,日本の明治維新から影響を受けていた。
④彼の運動は,雍正帝を樹立した保守派の西太后により失敗した。
◇正解は③。そのため戊戌の変法を百日維新と呼ぶことがある。
① 変法運動は日清戦争の敗北を契機に高揚して行くので誤り。
② 中国国民党創設の中心は孫文。
④ 雍正帝を擁立したが誤り。雍正帝は康熙帝と乾隆帝の間の皇帝。当時の皇帝は光緒帝であり,光緒帝は変法運動を支持し,戊戌の
政変で幽閉された。
◎洋務運動…太平天国の乱を鎮圧し台頭した曾国藩や李鴻章ら漢人官僚が推進
・西太后の支持のもと,同治中興の安定
・中体西用で,伝統的儒教体制を維持した上で,軍事技術や近代工場システム導入
◎変法運動…孔子を革新思想家とする公羊学の康有為と弟子の梁啓超が中心
・変法自強で明治維新をモデルに立憲君主制の導入を主張
・日清戦争の敗北を機に高揚→光緒帝の下で戊戌の変法も西太后ら保守派に弾圧
・康有為,梁啓超は日本に亡命,梁啓超は立憲(保皇)派を組織し革命派の孫文に対抗
◎清末新政…義和団事件で敗北した清が,日露戦争の日本の勝利をきっかけに立憲制導入図る
・科挙の廃止・内閣制度・憲法大綱発表・国会開設の公約
◎革命運動…孫文がハワイで興中会組織し開始,日露戦争で東京で中国同盟会,三民主義で共和政
・1911年幹線鉄道国有化問題から四川暴動→武昌蜂起で辛亥革命
136 義和団事件
義和団事件について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①義和団事件は山西省で勃発した。
②義和団は「扶清滅洋」をスローガンに掲げた。
③8カ国連合軍にはポルトガル軍が参加していた。
④北京議定書により外国軍隊の上海駐留が認められた。
◇正解は②。
① 山西省が誤り。義和団は,ドイツの急激な進出を受けた山東省で発生した。
③ 八カ国連合軍は欧州6列強(英仏露独墺伊)に日米,ポルトガルが誤り。
④ 上海ではなく,公使館地区があった北京。
◎内容…白蓮教系の武術結社,義和拳教がキリスト教排斥の仇教運動(「除教安民」)
・「扶清滅洋」を掲げ,ドイツ進出の山東半島で排外運動を展開→北京に進出し公使館地域を包囲
・清朝保守派は義和団と結び列強に宣戦→日露米英伊墺仏独の8ヵ国連合軍に敗北
◎北京議定書…外国軍隊の北京駐留を承認,賠償金など→清朝の半植民地化が進む
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137 中国同盟会と革命派
中国同盟会や革命派について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。。
①中国同盟会は,日本で組織された。
②中国同盟会は,後に中国共産党へと発展した。
③革命派の人々は,東遊(ドンズー)運動を推進した。
④孫文は,清朝と交渉し,宣統帝を退位させた。
◇正解は①。1905年,日露戦争の勝利後の東京で,孫文を中心に革命諸派を結集して結成された。
②共産党が誤り。孫文が組織するのは国民党である。
③東遊運動は,日露戦争後,ヴェトナムのファン・ボイ・チャウが推進した日本留学運動である。
④宣統帝を退位させたのは,孫文でなく袁世凱
138 近代の李朝朝鮮
19世紀後半の朝鮮の政治や対外関係について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①日朝修好条規によって,釜山など3港の開港が決定された。
②甲申政変(事変)は,清の支援によって決行された。
③甲午農民戦争を契機にして,清と日本は朝鮮から全面的に撤兵した。
④日本と第二次日韓協約を締結した。
◇正解は①。
② 清ではなく日本の支援。しかし清朝の介入で親日開化派の金玉均たちは弾圧された。
③ 全面的に撤退ではなく,日清戦争を開始。
④ 問題文に19世紀後半とあることに注意。第二次日韓協約は1905年で20世紀。
◎大院君政権(1863∼73)…高宗李太王の父が摂政として政権。鎖国政策で日本の開国要求拒否
◎閔氏政権(1873∼1894)…李太王の妃閔妃の一族が1873年大院君より政権奪取
・開国と漸進的近代化政策を採り,壬午軍乱後は清朝に接近し事大(親清)政策
・江華島事件…1875年日本軍艦の挑発に江華島砲台が発砲→日朝修交条規締結のきっかけ
・日朝修好条規…1876年第一条朝鮮の独立,治外法権,関税自主権喪失,釜山など開港
・壬午軍乱…1882年大院君派の兵士のクーデタも清朝鎮圧
・甲申政変…1884年親日開化派の独立党の金玉均らのクーデタ。清朝介入し失敗
・天津条約…1885年甲申事変の日清両国の処理条約。両国軍撤兵。将来の出兵は事前照会
・甲午農民戦争…1894年東学教(キリスト教に対抗)の信徒中心におこる
・指導者は全
準,政府は清朝に鎮圧依頼,日本も出兵
・日清戦争→日本勝利,東学軍も日本が鎮圧→下関条約で清朝は朝鮮の独立承認
◎親露派政権(1895∼1905)
・三国干渉で親露派台頭→閔妃暗殺事件で日本勢力後退
・1897年国号を 大韓帝国と改称し自立図る
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18 帝国主義と第一次世界大戦
139 無政府主義とマルクス主義
社会主義思想について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ロバート=オーウェンは,ニューラナークで工場を建設し,自らの理想の実現に努めた。
②マルクスは,人類の歴史を階級闘争の歴史であるととらえた。
③ナロードニキは,農村共同体を基盤とする社会主義を構想した。
④プルードンは,中央集権的な国家権力による社会変革を主張した。
◇正解は④。プルードンは,中央集権的な国家権力の解体を唱えた無政府主義の祖のフランスの社会主義者。その思想はバクーニン
に影響を与えた。プルードン派とバクーニン派は,第1インターナショナルでマルクス派と対立し,あいついで除名された。
◎無政府主義(アナーキズム)…国家や政府の権力を否定,小共同体の相互扶助を重視
・プルードン「財産とは何か」…フランス人でサンディカリスム(労働組合主義)に影響
・バクーニン…ロシア人で無政府主義大成,ナロードニキ(ミール基盤の社会主義構想)に影響
◎マルクス主義者…唯物史観・階級闘争による発展段階説
・マルクス…ドイツ,マルクス主義創始『資本論』,第一インターナショナルの規約起草
・エンゲルス…ドイツ,1848年マルクスと共同で『共産党宣言』
・レーニン…帝国主義を分析,ロシア革命の指導者
・ローザ=ルクセンブルク…スパルタクス団からドイツ共産党を創始,ポーランド出身の女性革命家
140 西欧の社会主義政党
イギリス労働党について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①マルクス主義を信奉する知識人たちによるフェビアン協会が,中核であった。
②ディズレーリに率いられて,対外膨張政策を進めた。
③労働党の前身である労働代表委員会は,第一次世界大戦中に結成された。
④議会を通じて,労働者の権利の拡大や生活水準の向上を目指した。
◇正解は④。マルクス主義の革命路線を否定し,議会主義の漸進路線をとった。
① マルクス主義が誤り。フェビアン協会は革命路線を否定した。
② これは,帝国主義時代の保守党の説明なので誤り。
③ 第一次世界大戦中が誤り。労働代表委員会は,第一次世界大戦前の1900年に結成
◎社会民主党…ドイツ,1875年社会主義労働者党成立,1878年社会主義者鎮圧法で弾圧
・1890年公認され,社会民主党と改名,マルクス主義採用もベルンシュタインの修正主義台頭
・1889年,各国の社会主義政党や労働組合が組織した第二インターナショナルの中心
◎労働党…イギリス,知識人中心のフェビアン協会など諸団体が1900年労働代表委員会結成
1906年労働党に改組,マルクス主義の社会民主連合不参加,革命否定の漸進的社会主義路線
◎(統一)社会党…フランス,1905年に議会主義的社会主義者や労働組合が結成
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141 ブーランジェ
フランスの軍人ブーランジェについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①第三共和政の下で,政権を獲得しようとして,共和政を危うくした。
②第三共和政の下で,ドイツのスパイとして逮捕されたが,実は冤罪であった。
③第二次世界大戦中に,ヴィシーに親ドイツ的な政府をつくった。
④第二次世界大戦後に,アルジェリアの独立を認めた。
◇正解は①。これがブーランジェ事件である。
② ドレフュスの説明である。
③ ヴィシーに対ドイツ協力政権を作ったのは,ペタン
④ ド=ゴールの説明。第二次世界大戦中に亡命政府を組織してレジスタンスを指導し,第5共和政の初代大統領としてアルジェリアの独
立を承認する一方,部分的核実験停止条約に反対して独自の核武装を追求するなど,第二次世界大戦後のフランスに一時代を築
いた。
142 ドイツ帝国の政治
ドイツ帝国の政治について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
a ビスマルクの失脚後,社会主義者鎮圧法が制定された。
b 第一次世界大戦前に,スパルタクス団が結成された。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は④。a社会主義者鎮圧法はビスマルクの下で制定され,ドイツ社会主義労働者党を違法とした。ビスマルク失脚によって社会
主義労働者党は,合法化され,社会民主党と改称した。b社会民主党の最左派だったローザ=ルクセンブルクとカール=リープクネヒト
は,第一次世界大戦が勃発すると戦争反対派が社会民主党から分離して結成した独立社会民主党に参加し,スパルタクス団を結
成。さらに独立社会民主党から分かれてドイツ共産党を結成した。
143 ロシア第一革命
ヨーロッパにおける立憲政治と議会制の発展について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選
べ。
①ロシアでは1905年に首相ストルイピンが十月勅令を出し,国会の開設を約束した。
②イギリスでは,数次にわたる選挙法改正で,選挙権が拡大された。
③ドイツ帝国では,男性普通選挙制による帝国議会が置かれた。
④フランスでは,普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)の敗北後,第三共和政が成立した。
◇正解は①。ストルイピンが誤り。十月勅令を出したときの首相は,ウィッテである。
◎日露戦争(1904-05)…戦争による経済の悪化で厭戦気運→1905年に革命発生
◎血の日曜日事件…請願目的のデモに宮廷守備隊が発砲し,革命が発生
◎ソヴィエト結成…労働者の代表会議で,ストライキやデモ繰り返し,革命の中心
◎ポチョムキン号の反乱…黒海艦隊の戦艦で水兵反乱→軍内に革命拡大し,政府は戦争遂行断念
◎十月勅令…皇帝ニコライ2世はウィッテを首相に任命,憲法制定と国会開設を公約
◎ストルイピン反動(1906-11)…保守派の首相で革命派弾圧,農村共同体ミールを解体
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144 アメリカ合衆国の帝国主義
アメリカ合衆国の対外拡大について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①セオドア=ローズヴェルト大統領の下で,グアムを獲得した。
②植民地獲得のため,セシル=ローズをアフリカへ派遣した。
③パン=アメリカ会議を開き,ラテンアメリカ諸国への影響力を強めた。
④フランスからキューバを購入した。
◇正解は③。ヨーロッパ列強の干渉を排し,合衆国がアメリカ大陸を指導する考えを,拡大モンロー主義ということがある。パン=アメリカ
会議は,その現れであった。
① グアムを獲得した米西戦争は,セオドア=ローズヴェルトではなくマッキンリー大統領であった。
② セシル=ローズはイギリスのケープ植民地首相である。
③ キューバは,米西戦争に際して,スペインから独立させ,後に保護国とした。
◎パン・アメリカ会議…1889年ワシントンで開催,アメリカ大陸諸国に指導権を主張
◎フロンティア消滅…1890年宣言,これを機にアメリカ合衆国企業の海外進出本格化
◎米西戦争…1898年スペインからのキューバ独立反乱に乗じ開戦
パリ条約でキューバの独立(後に保護国),フィリピン・グアム・プエルトリコ獲得
◎ハワイ併合…米系移民がハワイ王朝倒し共和政→併合運動→1898年米西戦争中に併合
◎マッキンリー大統領(1897-01)…米西戦争,ハワイ併合(1898)で帝国主義政策を開始
門戸開放宣言(1899)…国務長官ジョン・ヘイの名で 門戸開放・機会均等 主張
◎セオドア・ローズヴェルト大統領(1901-09)… 棍棒外交 で武力を背景にカリブ海政策を推進
コロンビアからパナマを独立させ,パナマ運河建設開始
◎ウィルソン大統領(1913-21)… 第一次世界大戦に参戦(1917)
→「14ヵ条」で国際連盟の設立構想を示す
145 同盟体制の推移
第一次世界大戦前の協力関係や参戦の理由について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①三国同盟は,ドイツ・スペイン・オーストリアによる協力関係である。
②三国協商は,イギリス・ロシア・フランスによる協力関係である。
③日本は,フランスとの同盟を理由にドイツに宣戦した。
④ロシアは,サライェヴォ事件をきっかけとしてセルビアに宣戦した。
◇正解は②。露仏同盟と,英仏協商と英露協商が組み合わさった関係であった。。
① スペインが誤り。三国同盟は,ドイツ・オーストリア・イタリア。
③ フランスが誤り。イギリスとの日英同盟を口実。
④ ロシアが誤り。サライェヴォ事件は,オーストリアの帝位継承者夫妻暗殺事件。
◎三帝同盟(1873−78)…独・墺・露。フランスの孤立を目的にビスマルクが結んだ最初の同盟
→1878年のベルリン条約にロシアが不満→崩壊→1881年三帝協商で復活→86年崩壊
◎三国同盟(1882−1915)…独・墺・伊。仏のチュニジア保護国に伊反発きっかけ
→未回収のイタリアめぐる伊・墺の対立で,20世紀初頭事実上崩壊
◎再保障条約(1887−1890)…独・露。他国の戦争に中立を約束しロシアとフランスの接近防止
→ヴィルヘルム2世の親政で破棄
◎露仏同盟…1891年締結しフランスの孤立終了,フランス資本のロシア流入
◎日英同盟…1902年ロシアの南下に対抗し結成,一次大戦の日本の参戦口実,四カ国条約で消滅
◎英仏協商…1904年日露戦争の参戦回避で調停,エジプトを英,モロッコを仏の勢力圏とする
・英縦断政策と仏横断政策の対立解消→ドイツの進出に対抗
◎英露協商…1907年バルカン半島へ再進出したロシアが独墺と対立しイギリスに接近し締結
・イラン北部を露,イラン南東とアフガニスタンを英と勢力範囲調停
◎露仏同盟に英仏協商,英露協商を加え,三国協商成立,三国同盟に対抗
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146 列強のアフリカ分割政策
ドイツの対アフリカ政策について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①マダガスカル島を領有した。
②二度にわたるモロッコ事件を起こした。
③エチオピアを侵略し,植民地とした。
④ファショダ事件でフランスと対立した。
◇正解は②。フランスのモロッコ領有に反対し,タンジール事件とアガディール事件を起こした。
① マダガスカル島はドイツではなくフランスが領有。
③ エチオピア侵略を試みたのはドイツではなくイタリア。イタリアは19世紀末アドワの戦いでエチオピアに敗北した。1935〜36年にムッソ
リーニが侵略して植民地とした。
④ スーダンをめぐりファショダ事件でフランスと対立したのはイギリス。
◎イギリス縦断政策…ウラービー=パシャの乱鎮圧しエジプト保護国,スーダンのマフディーの乱鎮圧
・1898年ファショダ事件でフランスの譲歩
・ケープ首相セシル=ローズはボーア人のトランスヴァール共和国とオレンジ自由国狙う
・1899年植民地担当大臣ジョセフ=チェンバレン主導で南ア戦争開始→南アフリカ連邦を形成
◎フランス横断政策…1830年よりアルジェリア進出,1881年チュニジア保護国→サハラ地域へ進出
・ジブチとマダガスカル確保し横断政策→ファショダ事件で譲歩→1904英仏協商でモロッコ
◎ベルギー…コンゴ進出,国王がスタンリーの探検を援助し進出→ベルリン会議で承認
◎イタリア…アドワの戦いでエチオピアに敗北
→1911年イタリア=トルコ戦争開始→トリポリ・キレナイカ(現リビア)獲得
◎ドイツ…ベルリン会議後進出し,カメルーン・東アフリカ・西南アフリカなど獲得
→ヴィルヘルム2世はモロッコ事件(タンジール事件・アガディール事件)でフランスと対立
147 第一次世界大戦の各国の動向
第一次世界大戦中の各国の動向について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①スウェーデンは,中立国ベルギーに侵攻した。
②アメリカ合衆国は,戦争終結まで中立を維持した。
③ドイツとロシアがマルヌで戦った。
④イギリスは,自国の植民地であるインドから兵士を動員した。
◇正解は④。イギリスはインドに自治を約束し,多くのインド人を兵士として動員した。
① スウェーデンではなくドイツがベルギーに侵攻。イギリス参戦の口実となる。
② アメリカ合衆国は1917年にドイツの無制限潜水艦作戦を口実に参戦。
③ マルヌの戦いは,1914年にドイツ軍の侵攻をフランスが阻止した戦い。
148 第一次世界大戦中の外交
第一次世界大戦の期間中の外交について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちか
ら一つ選べ。
a ドイツは,バルフォア宣言を出した。
b フランスは,フサイン=マクマホン協定を結んだ。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は④でともに誤り。バルフォア宣言もフサイン=マクマホン協定も,現在のパレスチナ問題の要因となったイギリスの外交である。イ
ギリスは1915年にメッカの太守フサインに,戦後のアラブ人国家建設を認めるフサイン=マクマホン協定を結びながら,翌年の1916年
にはフランス・ロシアとオスマン帝国を分割するサイクス=ピコ協定の密約を結び,そして1917年にパレスチナにユダヤ人国家建設を認
めるバルフォア宣言を出した。
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149 第一次世界大戦の終結
キール軍港の」水兵反乱をきっかけに起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ
選べ。
①ドイツがイギリスとブレスト=リトフスク条約を結んだ。
②ドイツは太平洋の植民地を日本に占領された。
③ドイツが無制限潜水艦作戦に踏み切った。
④ドイツ革命が起こり,帝政が終わった。
◇正解は④。この後ドイツ革命で成立した社会民主党中心の臨時政府が休戦条約を結んだ。
① ブレスト=リトフスク条約は,ドイツがロシアと結んだ条約で,水兵反乱より前。
② 内容は正しいが,ドイツが太平洋植民地を日本に占領されたのは,1914年。
③ 無制限潜水艦作戦は1917年でキール軍港水兵反乱より前。
◎平和に関する布告…1917年11月ソヴィエト政権は無併合・無賠償・民族自決で即時停戦を主張
→連合国の無視に帝政ロシア政府の秘密外交を暴露→連合国の国民に衝撃
◎十四ヵ条の平和原則…1918年アメリカのウィルソン大統領発表,「平和に関する布告」に対抗
・秘密外交禁止,公海の自由,経済障壁除去,軍備縮小,民族自決,国際的平和機関の創設など
◎ブレスト=リトフスク条約…1918年3月独ソの講和→ドイツは西部戦線で大攻勢も失敗(3-4月)
◎同盟国の降伏…9月ブルガリア,10月トルコ,11月オーストリアの降伏
◎ドイツ十一月革命…1918年11月キール軍港の水兵反乱きっかけ,労働者評議会のレーテが成立
・社会民主党主流派を中心に臨時政府が成立→皇帝ヴィルヘルム2世退位でドイツ共和国
・臨時政府が連合国とコンピエーニュの森で休戦条約(1918.11)を締結
・スパルタクス団(ドイツ共産党)がベルリンで蜂起(1919.1)
・鎮圧され,指導者のローザ=ルクセンブルクとカール=リープクネヒトが惨殺
◎パリ講和会議…1919年1月,敗戦国ドイツとソヴィエト政権は出席を許されず
主要出席者…米:ウィルソン・英:ロイド・ジョージ・仏:クレマンソー・日:西園寺公望
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19 ロシア革命とヴェルサイユ体制
150 20世紀前半のロシア
20世紀前半のロシアについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①モスクワで,血の日曜日事件が起こった。
②レーニンは,第二次世界大戦の継続に反対した。
③二月(三月)革命後,ケレンスキーが臨時政府の首相となった。
④ソヴィエト政権では,社会革命党が一党独裁を行った。
◇正解は③
①モスクワが誤り。日露戦争中の1905年に血の日曜日事件が起こったのは,ペテルスブルク。
②レーニンが継続に反対したのは,第一次世界大戦。
④社会革命党が誤り。ソヴィエト政権で一党独裁を行ったのは,共産党である。
151 ソヴィエト政権の経済政策
ソヴィエト連邦について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①三月革命(二月革命)が起こると同時に,ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立した。
②首都がモスクワからペトログラードに移された。
③世界恐慌への対策として,新経済政策(ネップ)が採用された。
④農業の集団化が行われ,コルホーズが組織された。
◇正解は④。1928年からの第一次五カ年計画で実施され,多くの餓死者を出した。
① ソヴィエト社会主義共和国連邦の発足は,1922年になってから。
② モスクワからペトログラードではなく,ペトログラードからモスクワである。
③ 戦時共産主義の荒廃に対して1921年から実施されたが,世界恐慌前の1928年には第一次五カ年計画に代わった。
◎戦時共産主義…1918−21年。 すべてを戦場へ スローガン。私企業を禁止し労働者工場管理
農民から穀物強制徴用し,食糧は配給制→農民の労働意欲失われ,飢饉発生
◎新経済政策…1921−28年。 資本主義への譲歩 ,大企業や銀行は国有化のまま
・ネップ制(NEP)とも呼称。小規模の私営企業と小農経営承認。1927年までに経済の回復
→1922年のラパロ条約でドイツと国交など国際関係好転
→1922年ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースでソヴィエト社会主義共和国連邦
→1924年ソヴィエト社会主義憲法を制定
◎五カ年計画…第一次,1928−33年。スターリン推進し,重工業に重点。工業化にはある程度成功
農業の集団化推進し,コルホーズ(集団農場)とソフホーズ(国営農場)
→クラーク抹殺や強制移住で農業に大打撃。飢饉発生
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152 スターリンの独裁と粛清
1936年のソ連憲法に関連して述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①この憲法に基づいて設立されたチェカ(非常委員会)は,反革命勢力を取り締まった。
②この憲法の制定後に第2次5カ年計画が開始され,経済建設が進められた。
③この憲法が制定された時のソ連の指導者は,反対派に対する大規模な粛清を行った。
④この憲法が制定された時のソ連の指導者は,チェチェン人や朝鮮人など少数民族を優遇した。
◇正解は③。この指導者はスターリンである。
① チェカは,十一月革命後に既に設立されていた。
② 第二次五カ年計画は1933年からなので,既に始まっていた。
④ スターリンはチェチェン人や朝鮮人を中央アジアの強制移住で迫害した。
◎レーニンの死…1924年死亡。後継争い激化。スターリンを批判した遺書は公開されず
◎トロツキー…全世界の社会主義化を主張した世界革命論を唱える
スターリンが唱えた一国社会主義論(一国だけで社会主義可能)に1925年敗北
◎スターリン独裁…30年代初頭より,その死まで独裁
・第一次五カ年計画(1928-33)…重工業を重視,農業集団化と飢餓輸出強行→数百万人の餓死
・粛清(1934−38)…反対派の大量処刑で独裁体制確立
・スターリン憲法(1936)…民主的諸規定も,実際には市民的権利は守られず
153 国際連盟
国際連盟について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①設立時からアメリカ合衆国が加盟していた。
②設立時,ドイツは加盟していなかった。
③大西洋憲章に基づいて設立された。
④安全保障理事会が紛争処理に強い権限を持ち,常任理事国には拒否権が認められた。
◇正解は②。国際連盟は,敗戦国ドイツとソヴィエト政権を除外して発足した。
① アメリカは,孤立主義に回帰した上院がヴェルサイユ条約を批准せず,国際連盟に参加しなかった。
③ 国際連盟は大西洋憲章ではなく,ヴェルサイユ条約によって成立した。
④ この内容は国際連合。国際連盟には安全保障理事会はなく,制裁手段も経済のみ。
◎ウィルソン大統領が十四ヵ条の平和原則で構想→1920年ヴェルサイユ条約で発足
◎最初の集団的安全保障機構で本部ジュネーヴ,総会・理事会・事務局の三機関が中心
◎イギリス・フランス・日本・イタリアが常任理事国→26年加盟のドイツも
◎未参加国…アメリカ合衆国−上院が孤立主義に回帰し,ヴェルサイユ条約批准拒否で
◎除外国 ドイツ−ロカルノ条約締結後の26年に加盟。33年脱退
ソ連−34年加盟。39年12月フィンランドに侵略戦争を行い,除名
◎欠点…制裁手段が経済手段のみ,総会の全会一致の原則
◎専門機関…国際司法裁判所(本部ハーグ)・国際労働機関ILO(本部ジュネーヴ)
◎脱退…33年日本,続いてドイツの脱退,39年イタリア・スペインの脱退
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154 賠償金問題と相対的安定
1920年代に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①賠償金取り立てを強化するドーズ案によって,ドイツ経済が打撃を受けた。
②シュトレーゼマンが,インフレーション対策のために改革を行った。
③スターリンの提唱で,不戦条約が結ばれた。
④ドイツが,再軍備宣言を行った。
◇正解は②。シュトレーゼマンは,レンテンマルクを発行して1923年の大インフレーションを収束した。
①ドーズ案は,賠償金支払いを緩和し,アメリカがドイツを支援するもので,ドイツ経済は復興した。
③スターリンが誤り。不戦条約を提唱したのはフランスの外相ブリアンとアメリカの国務長官ケロッグ。
④ドイツが再軍備を宣言したのは,ヒトラー政権の1935年で,1920年代ではない。
◎ラパロ条約(1922)…ドイツはソ連と相互承認し関係強化,賠償も相互相殺
◎ルール占領(1923∼25)…ドイツの賠償支払い遅延にフランス右派政権とベルギーが強行
→ドイツ政府はストライキで消極的抵抗→ドイツ経済悪化し超インフレ発生
◎シュトレーゼマン内閣成立(1923)…レンテンマルク発行しインフレ抑制に成功
◎ドーズ案(1924)…アメリカの対ドイツ支援と支払い条件の緩和
→ドーズ案の成立を受け,フランス左派政権がルール撤兵を実施
◎ロカルノ条約(1925)…ラインラント非武装と相互不侵略を約束のヨーロッパの安全保障条約
→ドイツの国際連盟加盟(1926)と常任理事国承認
→フランスの外相ブリアンとドイツの外相シュトレーゼマン尽力
◎パリ不戦条約(1928)…紛争解決手段としての戦争を放棄し日本を含む15ヶ国調印
ブリアン(仏外相)とケロッグ(米国務長官)尽力
155 女性の権利
欧米の女性の権利や地位の変化について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①アメリカ合衆国の女性参政権は,第二次世界大戦の後に実現した。
②イギリスでは産業革命期に,女性や子どもが,安価な労働力として工場で雇用された。
③ローザ=ルクセンブルクが,スパルタクス団の指導者として活躍した。
④第一次世界大戦中,欧米の参戦国の中には,女性の職場進出が進んだ国もあった。
◇正解は①。第二次世界大戦が誤り。第一次世界大戦後の1920年ウィルソン民主党政権で実現した。。
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156 黄金の20年代と白人中産層の保守化
1920年代のアメリカ合衆国の政治や社会について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ウィルソン大統領が,「十四ヵ条の平和原則」を発表した。
②ロンドンのシティに代わって,ニューヨークのウォール街が国際金融の中心となった。
③黒人音楽のジャズが普及した。
④禁酒法が敷かれていた。
◇正解は①。14ヵ条は,戦争中の1918年に出されているので,20年代ではない。
◎債務国から債権国へ転換…大戦当初中立を維持し連合国・同盟国双方と交易,英仏の戦債引き受け
→ロンドンのシティ(ロンバート街)にかわり,ニューヨークのウォール街が世界金融の中心に
◎フォード社(T型フォード)のオートメーション生産方式が他産業に普及→大量生産・大量消費
・大衆消費社会出現…電気冷蔵庫・電気洗濯機の普及,月賦制度
・娯楽産業…ラジオ・映画産業拡大,ジャズ(黒人音楽)・プロスポーツ(大リーグなど)
◎ウィルソン大統領…禁酒法(1919)・女性参政権(1920)
◎共和党政権(ハーディング→クーリッジ→フーヴァー)自由放任・高関税で大企業優遇
◎外交は孤立主義へ回帰も,賠償問題のドイツ支援やアジア・太平洋問題では積極的な役割
◎革新主義の理想後退,貧富の格差拡大→WASP(白人中産層)保守化(アメリカニズムの強調)
・黒人の北部都市への移動(南部での農業不況背景)→スラム街・ゲットーの形成・KKK復活
・ロシア革命への恐怖→サッコ-ヴァンゼッティ事件でイタリア系無政府主義者が冤罪で処刑
・イタリア系(旧教徒)東欧系(旧教徒・ユダヤ教徒)移民増大,文化摩擦→禁酒法の背景
・アジア系移民→排斥運動→1924年排日移民法で日系移民禁止し,南欧・東欧も割当制限
157 アメリカ合衆国の産業・経済
アメリカ合衆国の産業・経済について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①19世紀後半,エディソンがダイナマイトを発明した。
②フォードは,自動車の大量生産方式を生み出した。
③19世紀前半,映画産業が繁栄した。
④農業調整法(AAA)によって,農産物価格の引き下げが行われた。
◇正解は②。第一次世界大戦後,T型フォードが大量生産され,大量生産・大量消費社会が到来した。
①ダイナマイトの発明はスウェーデンのノーベル。エディソンは,電灯・蓄音機・映画など。
③19世紀前半が誤り。映画産業は,第一次世界大戦後のアメリカで大発展した。
④引き下げが誤り。世界恐慌に対するニューディール政策の一環だったAAAは,農産物の作付面積を制限し,農産物価格の引き上げ
を図った。
158 近現代ヨーロッパ史の出来事
1923年より前に起こった出来事について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①クローン羊が誕生した。
②デパートが出現した。
③ニューヨークの株式取引所で株価が暴落し,世界恐慌のきっかけとなった。
④ロシアは,パン=ゲルマン主義を掲げて,南下政策を進めた。
◇正解は②。デパートは,第二帝政下のフランスで出現し,19世紀末には欧米の代表的都市に開店した。
①クローン羊の誕生は,1996年のイギリス。
③ニューヨークのウォール街での株価の暴落は,1929年である。
④パン=ゲルマン主義が誤り。パン=スラヴ主義である。
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20 戦間期のアジア・アフリカ
159 イスラーム世界の改革運動
イスラーム世界の改革運動や政治運動について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①スーダンでは,ドイツに対して抵抗するマフディー運動が起こった。
②ワッハーブ派は,イスラーム教の原点への回帰を主張した。
③パフレヴィー朝で,タバコ=ボイコット運動が起こった。
④トルコ共和国で,青年トルコ革命が起こった。
◇正解は②。ワッハーブ派は18世紀に復古主義を唱え,スーフィズムを否定した。アラビア半島の豪族サウード家と結んでワッハーブ王
国を建国した。このワッハーブ王国が現在のサウジアラビアの起源である。
①ドイツが誤り。マフディー運動は19世紀末にスーダンでイギリスの進出に対して起こった。
③パフレヴィー朝が誤り。イランでイギリスへのタバコ利権譲渡に反対して起こったタバコ=ボイコット運動は,カージャール朝の時代で
あった。
④青年トルコ革命は,オスマン帝国時代の1908年にミドハト憲法復活を要求して起こった革命である。トルコ共和国は,ケマル=パシャが
組織したアンカラ政府が,オスマン帝国に代わって建国した。
160 戦間期のアジアの民族運動
中東諸国の近代化について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①エジプトでは,ドイツ支配下で急激な近代化が試みられた。
②イランではタンジマートが実施された。
③シリアでは,レザー=シャー(レザー=ハーン)が殖産興業を推進した。
④トルコではムスタファ=ケマル(ケマル=アタチュルク)が政教分離を実施した。
◇正解は④。カリフ制の廃止,女性解放などケマルのトルコ革命は政教分離を原則とした。
① エジプトはドイツの支配下ではなく,イギリスの支配下に入った。急激な近代化は,イギリスの支配下に入る以前に試みられていた。
② タンジマートはイランではなくオスマン帝国の近代化改革。
③ レザー=シャーはシリアではなく,イランでカージャール朝に代わるパフレヴィー朝を建設した人物。
◎第一次世界大戦で民族資本成長,「平和に関する布告」と「十四ヵ条」の民族自決提唱
◎トルコ…ケマル=パシャがギリシア・トルコ戦争に勝利しトルコ革命,トルコ共和国建国
◎エジプト…ワフド(代表)党の独立運動でエジプト王国がイギリスより独立
◎イラン…レザー=シャーがカージャール朝に代わりパフレヴィー朝建国
◎アフガニスタン…第三次アフガン戦争でイギリスより独立
◎インド…ガンディーの非暴力不服従運動→ネルーがラホール大会でプールナ=スワラージ
◎ビルマ…アウンサンがタキン党を指導し独立運動
◎ヴェトナム…国民党の蜂起失敗後,ホー=チ=ミンが共産党を結成
◎インドネシア…アジア最初の共産党結成(1920)→スカルノが国民党結成し独立運動
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161 第一次世界大戦後のインド民族運動
ガンディーの起こした運動について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①塩の行進を行った。
②全インド・ムスリム連盟を結成した。
③サティヤーグラハを唱えた。
④南アフリカで人種差別と闘った。
◇正解は②。全インドムスリム連盟は,1906年にイギリスの支援でヒンドゥー中心の国民会議派にイスラーム教徒が対抗するため結成さ
れた。
① 第二次非暴力不服従運動は,専売品である塩を製造するための「塩の行進」から。
③ ガンディーは非暴力不服従を「真理の把握」の意でこのように称した。
④ ガンディーは第一次世界大戦中にインド帰国前に,南アフリカで活躍して名声を得ていた。
◎ガンディー…南アフリカでインド人の地位向上運動に成果→1915年インドに帰国
・1917年イギリスの自治約束を機にインドの若者を戦場に送る運動→イギリスが反故
・1919年イギリスのローラット法制定(令状なしの逮捕・裁判なしの投獄を可)
→アムリットサル事件…パンジャーブの集会にイギリス軍の無差別発砲
・非暴力運動(サティヤー・グラハ 真理の把握 )を展開し,独立運動に民衆動員
第二次非暴力不服従運動(1930∼34)では, 塩の行進 を行う
◎ネルー…1929年ラホール大会でプールナ・スワラージ(完全独立)決議,独立後初代首相
◎新インド統治法…独立運動の懐柔のため、連邦制と州自治制の確立を主眼
完全独立の要求は無視し,中央の財政・防衛・外交はイギリスが支配
◎第二次世界大戦……国民会議派は戦争に非協力方針で,インド退去運動を展開
・会議派急進派のチャンドラ=ボースは,ドイツ・日本に接近
・ジンナー指導の全インド=ムスリム連盟は反国民会議派,親イギリスで戦争に協力
→イスラーム教優勢地域を宗教国家パキスタンとして分離することを主張
162 新文化運動
新文化運動について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①新青年』は,陳独秀によって創刊された
②金玉均は,口語による文学を提唱した。
③儒教道徳を批判する八・一宣言が発表された。
④胡適は,『阿Q正伝』を発表した。
◇正解は①。『新青年』は北京大学教授の陳独秀によって,上海で創刊された。
② 金玉均は,朝鮮の独立党の指導者。口語文学の提唱は,胡適。
③ 八・一宣言は,長征途上の共産党が,内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を訴えた宣言。
④ 『阿Q正伝』は,胡適ではなく魯迅によって書かれた。
◎陳独秀…上海で「青年雑誌」(後に「新青年」)創刊,北京大学教授,中国共産党の初代委員長
◎李大釗…北京大学教授で新文化運動でマルクス主義を紹介,陳独秀と上海で中国共産党を結成
◎胡適…アメリカ留学中の1917年に白話(口語)による文学を提唱(文学革命),北京大学教授
◎魯迅…『狂人日記』で白話文学を実践,『阿Q正伝』などで中国社会の問題点を描く
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163 東清鉄道と南満州鉄道
中国東北地域で起こった出来事について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①軍閥の張作霖が爆殺される事件が起こった。
②南満州鉄道が爆破される柳条湖事件が起こった。
③中国共産党が長征を行い,奉天に根拠地を移した。
④リットン調査団が派遣され,調査を行った。
◇正解は③。中国共産党が拠点を移したのは,奉天ではなく陝西省の延安。
① 1928年,北伐軍に敗北した張作霖が関東軍に爆殺された張作霖爆殺事件である。
② 柳条湖事件は,関東軍が起こし,満州事変となった。
④ リットン調査団の報告で国際連盟が満州国を承認しなかったため,日本が国際連盟を脱退した。
◎東清鉄道…1896年三国干渉の見返りにロシアが敷設権。ウラジヴォストークとシベリア鉄道を結ぶ
・1898年ロシアの遼東半島南部租借,旅順・大連建設,ハルビンと旅順を東清鉄道の支線が連結
・1905年ポーツマス条約で遼東半島南部の租借権と東清鉄道の旅順・長春間を獲得
◎南満州鉄道…東清鉄道の旅順・長春間を改称,護衛のため関東軍が駐屯,日本の東北地方進出の中核
・奉天事件…1928年北伐に敗北した奉天派の張作霖を関東軍が爆殺→張学良が南京国民政府に帰順
・柳条湖事件…1931年関東軍が柳条湖で南満州鉄道を爆破→張学良軍のしわざとして満州事変開始
164 満州国
中国東北部に建てられた満州国について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから
一つ選べ。
a 日本は清朝最後の皇帝であった溥儀を執政として満州国を建てた。
b 国際連盟は,リットン調査団を派遣し,満州国を承認した。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は②。「承認した」が誤り。国際連盟は満州国を承認せず,そのため1933年日本は国際連盟を脱退した。
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165 戦間期の中国共産党
中国共産党について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①南京国民政府の統治下で結成された。
②反帝国主義運動を指導して,三・一運動を起こした。
③中華ソヴィエト共和国臨時政府を打倒した。
④農村を拠点とする革命運動を行った。
◇正解は④。毛沢東が井岡山から農村工作を開始し,勢力を回復した。
① 中国共産党が結成された1921年は,北京の軍閥政権が国際的承認を得ていた。
② 三・一運動は,日本の植民地支配に対して1919年に朝鮮で起こった民族運動。
③ 共産党は瑞金において,中華ソヴィエト共和国臨時政府を「打倒」したのではなく「樹立」した。
◎結成…北京大学教授の陳独秀を初代委員長,李大釗らと上海で結成
陳独秀と李大釗は新文化運動と五・四運動の指導者で,李大釗がマルクス主義を中国に紹介
◎第一次国共合作…コミンテルンと国民党の協力背景,1924年に成立
連ソ・容共(共産党員の国民党入党)・扶助工農がスローガン
◎国共分裂…北伐中の1927年,蔣介石の上海クーデタが契機
◎復活…毛沢東の農村革命で共産党の紅軍が増強→瑞金を拠点→国共内戦へ
◎中華ソヴィエト共和国臨時政府…満州事変中の1931年に設立宣言,主席毛沢東
◎長征…国民党の攻勢に瑞金を放棄,1934年より陝西省の延安に向けて移動
◎八・一宣言…1935年共産党が,日本の進出に対し,内戦の停止と統一戦線を提唱
◎西安事件…張学良が共内戦を停止→蔣介石を監禁→共産党の周恩来の斡旋で協力に同意
◎日中戦争…1937年盧溝橋事件で開始→1940年汪兆銘の親日南京政府樹立
◎第二次国共合作…1937年日中戦争を機に成立,紅軍は,新四軍,八路軍として解放区拡大
166 中華民国
中華民国について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。。
①イギリスから香港が返還された。
②張学良は,抗日政策に一貫して反対した。
③国民革命軍が,北伐を行い,北京に入城した。
④日中戦争終結後,第1次五カ年計画を実施した。
◇正解は③。南京国民政府の国民革命軍は,1928年に北京に入城した。
①イギリスが1997年に香港を返還したのは,中華人民共和国。
②張学良は,1936年抗日政策を主張し,共産党と休戦し,督戦に訪れた蔣介石を監禁する西安事件を起こした。
④第一次五カ年計画を実施したのは,日中戦争後の国共内戦に勝利した共産党を中心に,1949年に建国された中華人民共和国。
167 清朝滅亡後の中国
清朝滅亡後の中国について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①李鴻章は郷勇を組織し,外国勢力と戦った。
②中国共産党の指導で,コミンテルンが結成された。
③日中戦争中,国民政府は首都を重慶に移した。
④第二次世界大戦中,ヤルタ会談に参加した。
正解は③。日中戦争中に,首都を南京から武漢,武漢から重慶と移した。
①李鴻章が戦ったのは,太平天国の反乱軍。時代も清滅亡以前である。
②コミンテルンの指導で,コミンテルン中国支部として中国共産党が結成された。
④ヤルタ会談が誤り。カイロ会談。
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21 世界恐慌と第二次世界大戦
168 国会議事堂放火事件
国会議事堂は,ときに歴史的建造物としての性格も持つ。ベルリンの国会議事堂もその一例である。この議事堂は,1894
年,帝国議会のために建設された。第一次世界大戦後,共和国の黒海議事堂となったが,1933年2月に放火事件が起こ
ると,首相就任直後であった[ ア ]は[ イ ]を弾圧し,独裁体制を敷くことになる。
文章中の空欄[ ア ]に入れる人の名と[ イ ]に入れる政党の名の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから
一つ選べ。
① ア—エーベルト
イ—共産党
② ア—エーベルト
イ—ナチス
③ ア—ヒトラー
イ—共産党
④ ア—ヒトラー
イ—ナチス
◇正解は③。エーベルトは,第一次世界大戦末期に社会民主党の臨時政府の中心となり,初代のドイツ共和国大統領となった人物。
169 世界恐慌への対応
世界恐慌への欧米諸国の対策について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①イギリスが金本位制を停止した。
②フランスがオタワ会議を主催した。
③ニューディール政策では,農産物の生産調整と価格安定が図られた。
④ナチス=ドイツが,公共事業や軍需生産によって失業の解消を図った。
◇正解は②。フランスが誤り。オタワ会議は,英連邦の経済会議でブロック経済をスターリングブロックの採用が決まった会議。イギリスが
主催した。
① マクドナルド挙国一致内閣で金本位制を停止。通貨ブロック形成を可能。
③ 農業調整法AAAの内容である。
④ アウトバーン建設や,四カ年計画による軍需生産を行った。
◎英:マクドナルド労働党内閣…失業保険の削減→マクドナルドが労働党を除名,労働党内閣崩壊
マクドナルド挙国一致内閣…金本位制停止,ウェストミンスター憲章で自治領と本国対等
→オタワ会議で特恵関税のスターリングブロック
◎仏:ブルム人民戦線内閣(36)…有給休暇や週40時間労働制の導入
◎米:フーヴァー政権…フーヴァーモラトリアム(31)で戦債・賠償を1年支払い猶予
フランクリン・ローズヴェルト政権…ニューディール政策,NIRA/AAA/TVAの修正資本主義
◎日:満州事変(31∼32)…関東軍が柳条湖事件を口実に開始し,溥儀を元首に満州国建国(32)
◎独:ナチス政権…アウトバーンなど大土木事業,四カ年計画,再軍備による軍需産業育成
◎伊:ファシスタ党政権…1922年ローマ進軍でムッソリーニが樹立,エチオピア侵略(35)
◎西:人民戦線内閣(36)…土地改革計画も,フランコの反乱でスペイン内戦
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170 労働問題に対する各国ないし国際機関の取り組み
労働問題に対する各国ないし国際機関の取り組みについて述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一
つ選べ。
①フランスの二月革命で成立した臨時政府は,国立作業場を設置した。
②国際連盟に,国際労働機関(ILO)が付置された。
③アメリカ合衆国では,ワグナー法によって労働者の団結権が確定した。
④イギリスでは,マクドナルド内閣の下,労働組合が合法化された。
◇正解は④。マクドナルドが誤り。グラッドストーン。イギリスでは,19世紀後半自由党のグラッドストーン内閣で労働組合法が成立し,労
働組合が合法化された。
171 1930年代の出来事
1930年代に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①シベリア鉄道が完成した。
②モンゴル人民共和国が成立した。
③オタワ会議(イギリス連邦経済会議)が開催された。
④キューバ危機が生じた。
◇正解は③。オタワ会議は,世界恐慌に対応するため,マクドナルド挙国一致内閣によって1932年に開催され,ブロック経済が採用さ
れた。
①シベリア鉄道は1891年から建設が始まり,1901年に一応の完成。全線開通は日露戦争中の1904年である。
③モンゴル人民共和国は,ソ連に次ぐ2番目の社会主義国で,1924年に成立している。
④ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設しようとして発生したキューバ危機は,1962年。
172 ファシズム
ファシズムに関連して,1930年代のヨーロッパ諸国の政治情勢について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうち
から一つ選べ。
①コミンフォルムの方針転換により,スペインの人民戦線内閣が成立した。
②イギリスでは,ロイド=ジョージが,挙国一致内閣を組織した。
③ドイツでは,ヒトラーがミュンヘン一揆を起こした。
④フランスでは,ブルムを首班とする人民戦線内閣が成立した。
◇正解は④。1935年のコミンテルンの人民戦線戦術の採用で,1936年にスペインとフランスで人民戦線政府が成立した。フランスは社
会党のブルムが首班となった。
① コミンフォルムが誤り。コミンテルンである。
② ロイド=ジョージが誤り。第一次世界大戦中の挙国一致内閣の首班。イギリスでは1931〜1935年までマクドナルド挙国一致内閣が成
立した。
③ 年号問題の変形。ヒトラーのミュンヘン一揆は,超インフレ中の1923年で,1930年代ではない。
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173 ナチス
ナチス=ドイツについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ロカルノ条約に調印した。
②ビスマルクが富国強兵に努めた。
③キール軍港で水兵の反乱が起こった。
④日独伊防共協定を締結した。
◇正解は④。ナチスが政権を握ったのは,1933年。スペイン内戦中の1937年,日・独・伊のファシズム諸国は,反共産主義・反コミンテル
ンで一致し,日独伊防共協定を締結した。
①ロカルノ条約は,1920年代のヴァイマル共和国時代,シュトレーゼマン外相の協調外交で調印。
②ビスマルクは,1871年のドイツ帝国樹立を導いたプロイセンの首相で,ドイツ帝国の初代宰相。
③キール軍港の水兵反乱は,第一次世界大戦末期の1918年で,ドイツ十一月革命のきっかけ。
174 ナチスのユダヤ人迫害
ナチス=ドイツのユダヤ人迫害について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ナチス=ドイツは,ユダヤ人をゲットーと呼ばれる居住区に強制的に住まわせた。
②ナチス=ドイツは,ユダヤ人をアウシュヴィッツ(オシフィエンツィム)などの収容所で虐殺した。
③シオニズムは,ナチス=ドイツのユダヤ人迫害に対抗して生まれた。
④アインシュタインは,ナチス=ドイツのユダヤ人迫害を逃れて亡命した。
◇正解は③。シオニズムは,19世紀末のフランスのドレフュス事件を機にヘルツルの提唱でうまれた。。
◎社会進化論の人種理論に基づき迫害,スラヴ人も奴隷民族とみなす。ロマ(ジプシー)も迫害
◎ニュルンベルク法(1935)…ユダヤ人を血統で規定し,市民権を制限する差別法
◎シオニズム運動によるパレスチナへの入植が進展→現地のアラブ人(パレスチナ人)との対立
◎水晶の夜(1938)…ナチス党指揮のもと,親衛隊などのユダヤ人に対する集団迫害事件
◎ホロコースト…第二次世界大戦中のユダヤ人に対する絶滅政策
ゲットー(集中居住区)に隔離→ポーランドのアウシュヴィッツ収容所などに輸送し実施
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175 第二次世界大戦の戦い
第二次世界大戦について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ポーランドに侵攻したドイツに対して,ソ連が宣戦布告し,開始された。
②フィンランドは中立を維持した。
③ソ連は,スターリングラードの戦いでドイツ軍を破り,攻勢に転じた。
④連合軍がノルマンディーに上陸すると,イタリアは無条件降伏した。
◇正解は③。戦局逆転の戦いとして,勝敗を決したノルマンディー上陸作戦と並び重要。
① ソ連が宣戦布告しが誤り。英仏が宣戦。ソ連はドイツと直前にポーランド分割を密約した独ソ不可侵条約を結んでおり,ドイツ軍に続
いてポーランドに進撃して東半分を占領した。
② フィンランドは,ソ連に侵略戦争をしかけられた。独ソ戦が始まると,ドイツ側に立って参戦した。
③ イタリアが無条件降伏したのは,ノルマンディー上陸に先立つ地中海作戦で連合軍が北アフリカからシチリアを経てイタリアに上陸し
たため。
◎スターリングラードの戦い(1942 43)…現ボルゴグラード付近での戦いでソ連勝利し戦局逆転
◎シチリア上陸作戦(1943)…カサブランカ会談で決定,連合軍がシチリア島占領,本土にも上陸
イタリアのムッソリーニ政権崩壊し,パドリオ政権の無条件降伏→ドイツの北イタリア占領
◎パルチザン闘争…ユーゴスラヴィアでティトーが指導,ゲリラ戦でドイツ軍を追放
◎レジスタンス…フランスなどで行われた占領ドイツ軍に対する抵抗運動
◎ノルマンディー上陸作戦(1944)…テヘラン会談で決定,総司令官はアイゼンハウアー
連合軍のフランス上陸成功独ソの第一戦線に続く第二戦線の形成に成功し,戦局決定
◎ミッドウェー海戦(1942)…日本海軍はアメリカ海軍に敗北し,劣勢に
176 北欧の歴史
アイスランド・スウェーデン・デンマーク・ノルウェーについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選
べ。
①ノルマン人は,原住地であるアイスランドから,ノルウェーに進出した。
②デンマークには,16世紀にルター派が広まった。
③ノルウェーは,ウィーン会議により,独立を認められた。
④スウェーデンは,第二次世界大戦中,ドイツに占領された。
◇正解は②。北欧地域はルター派が広がり,新教地域となった。三十年戦争時には,まずデンマーク王が新教派を支援して介入し,そ
の敗退後,スウェーデン王のグスタフ=アドルフが新教派を支援して介入している。
①ノルウェーからアイスランドに進出した。
③ウィーン会議でデンマーク領からスウェーデン領にかわり,後にスウェーデンから独立した。
④スウェーデンは,占領されず,中立を保った。
◎ノルマン人…北方ゲルマン人で原住地にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンを建国
8世紀頃より北海・バルト海中心に通商や略奪遠征,アイスランド・グリーンランド進出
◎カヌート(クヌート)の帝国…11世紀デンマーク・イングランド・ノルウェーの王を兼ねる
◎カルマル同盟(1397∼1523)…デンマーク女王マルグレーテ主導し成立の北欧3国の同君連合
スウェーデンがデンマークに対抗,1523年に離脱して解消→スウェーデンとデンマークの抗争
◎ルター派信仰…16世紀に北欧諸国はルター派を導入し,新教地域に
◎グスタフ=アドルフ…スウェーデン王で,フランスと同盟し,新教陣営を支援して三十年戦争参戦
◎ウェストファリア条約(1648)…スウェーデンは北ドイツの一部を獲得しバルト海に覇権
◎北方戦争(1700-1721)…スウェーデンのカール12世がロシアのピョートル1世に敗北し覇権失う
◎ウィーン議定書…1815年,デンマークはノルウェーをスウェーデンに割譲
◎デンマーク戦争(1863-64)…デンマークはドイツに敗れシュレスウィヒ=ホルシュタインを失う
◎ソヴィエト=フィンランド戦争(1939-41)…ソ連の侵略戦争→ソ連の国際連盟除名
◎ドイツの占領…1941年ドイツはデンマーク・ノルウェーを占領,スウェーデンは中立維持
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177 オセアニア
オセアニア地域で起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①クックが,18世紀にオセアニアを探検した。
②イギリス領となったオーストラリアでは,先住民マオリ人が土地を奪われた。
③スペイン領であったハワイは,アメリカ合衆国に併合された。
④ミッドウェー海戦では,日本軍がアメリカ軍に壊滅的な打撃を与えた。
◇正解は①。クックの探検により,オーストラリアやニュージーランドがイギリス領となった。
②マオリ人が誤り。正しくはアポリジニー。マオリ人は,ニュージーランドの先住民
③スペイン領が誤り。19世紀に統一王国を形成していた。
④日本軍とアメリカ軍が逆。
◎17世紀にオランダのタスマン,18世紀にイギリスのクックが探検
◎オーストラリア…先住民はアポリジニー,
・イギリスの探検家クックが1770年に領有宣言
・19世紀半ば金鉱発見。牧羊業も発展し移民増加
→but白豪主義で有色人種の移民は第二次大戦後まで禁止
・自治領…1891年オーストラリア連邦として自治領。タスマニア併合
・太平洋安全保障条約ANZUS…1951年米・豪・ニュージーランドの集団安全保障
◎ニュージーランド…先住民はマオリ人
・世界最初の女性参政権,1907年にイギリスの自治領
◎ハワイ…1810年カメハメハ1世のハワイ統一,太平洋航路の中継地も白人の入植と伝染病で人口減
・1830年代より広東からの中国系移民がサトウキビ栽培に従事→1894年孫文の興中会結成
・共和制移行…1893年アメリカの砂糖業者がリリウオカラニ女王を退位,事実上アメリカ人支配
・アメリカに併合…1898年マッキンリー大統領,ハワイ併合
◎タヒチ…フランス領,後期印象派の画家ゴーギャンが滞在,フランスはニューカレドニアも領有
◎ドイツ領南洋諸島…マリアナ諸島,カロリン諸島,ビスマルク諸島など
→赤道以北は第一次世界大戦後日本の委任統治領に
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22 現代の世界(1)戦後体制
178 社会主義国
社会主義国について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①第二次世界大戦中,ソ連は,コミンフォルムにより,西欧諸国に社会主義革命を普及させようとした。
②モンゴル人民共和国が,1950年代初めに成立した。
③第二次世界大戦後,アメリカ合衆国によるベルリン封鎖をきっかけに,ドイツ民主共和国が成立した。
④キューバ革命の結果成立したカストロ政権は,1960年代初めに社会主義を宣言した。
◇正解は④。キューバの社会主義宣言でアメリカとの対立が激化し,キューバ危機となった。
①コミンフォルムは,第二次世界大戦後の冷戦で結成されるので誤り。
②モンゴル人民共和国は,1920年代に成立。ソヴィエト連邦に次ぐ社会主義国。
③アメリカ合衆国が誤り。ソヴィエト連邦。
179 ブレトン=ウッズ体制の推移
国際系座の秩序について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
① フリードリヒ=リストは,『海洋自由論』を著した。
② 国際通貨基金(IMF)は,ヨーロッパ共同体(EC)の専門機関として設立された。
③ アメリカ合衆国のニクソン大統領は,ドルと金の交換を停止した。
④ 東南アジア諸国連合(ASEAN)は,アジア太平洋経済協力会議(APEC)に改組された。
正解は③。これがドル=ショックである。
①フリードリヒ=リストがグロティウスの誤り。リストは,ドイツの歴史学派経済学の祖
②IMFは,ヨーロッパ共同体ではなく,国際連合の専門機関
④ASEANと,APECは別組織で,現在もともに存在している。
◎ブレトン=ウッズ体制…ブロック経済の反省より,国際間自由貿易の体制構築へ
・ブレトン=ウッズ連合国通貨金融会議(1944)…戦後の国際貿易体制の会議。英ケインズも参加
・国際復興開発銀行(世界銀行)IBRD(1945)…途上国の開発を援助
・国際通貨基金IMF(1945)…初期金ドル本位制で金とドルの交換を保障しドルを国際基軸通貨
→ドルと各国通貨の為替相場を固定して国際貿易の推進
・関税と貿易に関する一般協定(ガット )GATT(1947) …世界的な関税引き下げを推進
→1995年に世界貿易機関(WTA)に改組し,国際貿易を監督
◎ドル・ショック(ドル危機)…アメリカの財政と国際収支の悪化でブレトン=ウッズ体制崩壊
・1971年ニクソン大統領がドルと金の交換停止と10%の輸入課徴金を宣言
→スミソニアン協定でドルの切り下げと輸入課徴金の撤廃で主要10カ国の合意
→1973年に日本とECが変動相場制に移行しスミソニアン協定も崩壊
◎プラザ合意…レーガン大統領の減税と小さな政府政策→アメリカの財政・貿易赤字拡大
→日米経済摩擦が発生し,アメリカは日本に市場開放・内需拡大・輸出規制を求める
・1985年G5(先進5カ国の蔵相・中央銀行総裁)がプラザホテルでの会議でドル安政策を合意
̶80̶
180 環境問題への取り組み
国際連合について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①パリ会議で,国際連合憲章が採択された。
②安全保障理事会は,構成国全てが拒否権を持つ全会一致原則で運営される。
③朝鮮戦争への国連軍の派遣は,安全保障理事会で否決された。
④1990年代初めに,地球サミット(国連環境開発会議)を開催した。
◇正解は④。1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催し,NGOも参加した。
① パリ会議が誤り。国連憲章を採択したのは,ドイツ降伏後のサンフランシスコ会議。
② 安全保障理事会の拒否権は,5常任理事国のみで非常任理事国はもたない。
③ 朝鮮戦争への国連軍は,ソ連がボイコットしていたため拒否権を行使しなかった安全保障理事会で承認された。
◎国連人間環境会議…1972年ストックホルムで開催,「かけがえのない地球」をスローガン
人間環境宣言を採択
◎地球サミット(国連環境開発会議)…1992年リオデジャネイロで開催,NGO(非政府組織)も参加
リオ宣言…自然と調和した経済開発の必要を訴え,具体策としてアジェンダ21計画も発表
◎京都会議(地球温暖化防止会議)…1997年温暖化防止に向けた先進国の取り組みを協議
京都議定書…温室効果ガス削減目標織り込むも,アメリカブッシュ政権が離脱
181 南北問題
20世紀後半の諸問題について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①南アフリカ共和国では,エンクルマ政権の下で,人種隔離政策(アパルトヘイト)の終結が宣言された。
②チリでは,1960年代に成立したアジェンデ軍事政権の下で,累積債務が増大した。
③1970年代に開かれたネルー・周恩来会談では,地域紛争解決のための平和五原則が発表された。
④国連貿易開発会議(UNCTAD)は,南北問題の解決に取り組んだ。
◇正解は④。国連貿易開発会議が南北問題の協議の場となっている
① エンクルマが誤り。エンクルマは黒人最初の独立であるガーナの元首。
② アジェンデが誤り。アジェンデは軍事政権ではなく,チリで社会主義政権を建設しようとし,CIAが支援した軍部のピノチェトのクーデ
タで打倒された人物。
③ ネルー・周恩来会談は,1970年代ではなく1954年。
◎背景…ブレトン=ウッズ体制による国際貿易の拡大→先進国と発展途上国の経済格差も拡大
・経済協力開発機構OECD発足(61)…マーシャルプランで成立の欧州経済協力機構OEECを改組
→発展途上国支援も,発展途上国は先進国優位の新植民地主義による経済支配助長と批判
・国連貿易開発会議UNCTAD(64)…先進国有利の貿易体制の改善と発展途上国の発展目標
◎資源ナショナリズムの高揚
・第一次石油危機(73)…第四次中東戦争に際し,アラブ石油輸出国機構OAPECが石油戦略発動
→石油輸出国機構OPECによる原油価格引き上げで世界経済に衝撃
→スタグフレーション(不況下の物価上昇)発生
・新国際経済秩序樹立宣言NIEO(74)…途上国の資源を利用する先進国中心の国際経済秩序見直し
国連資源特別総会にて採択,発展途上国の資源ナショナリズムを反映
・サミット(先進国首脳会議,75)…米英仏独伊日,仏提唱,パリ郊外ランブイエで開催
→当初はエネルギー問題対応が目的,カナダ参加→ロシアも参加し主要国首脳会議と名称変更
◎新興工業経済地域NIESの台頭…工業化に成功して台頭した諸国や地域
・70年代:ブラジル・メキシコ・アルゼンチンや,香港・台湾・韓国・シンガポール
・開発独裁…韓国:朴正熙,シンガポール:リー・クアンユー,マレーシア:マハティールなど
◎南南問題…石油などの資源保有国・工業化を開始した国・従属経済構造の貧困国の格差拡大
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23 現代の世界(2)アメリカ・ヨーロッパ・アフリカ・中東
182 差別や人権をめぐる動き
差別や人権をめぐる動きについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①フランスでは,人権宣言の採択後,バスティーユ襲撃が起こった。
②第二次世界大戦前,国際連盟の総会で,世界人権宣言が採択された。
③アメリカ合衆国では,第二次世界大戦後,公民権運動が高まった。
④南アフリカ共和国では,マンデラ大統領の就任後,人種隔離政策が撤廃された。
◇正解は③。アメリカでは第二次世界大戦後,キング牧師の指導で公民権運動が高揚し,1964年に公民権法が制定された。
①バスティーユ襲撃の後,これに刺激されて地方で農民反乱が相次ぐと,国民議会は封建的特権の廃止(地代は有償)を宣言した。こ
の結果,農民反乱はおさまり,自信を得た国民議会は,ラファイエットを中心に人権宣言を発布した。
②世界人権宣言は,第二次世界大戦後成立した国際連合で採択された。
④南アフリカ共和国では,1991年に人種隔離政策(アパルトヘイト)が撤廃された後,1994年に黒人最初の大統領としてマンデラが就任
した。
183 戦後ラテンアメリカ諸国
米ソ対立や宇宙開発について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①朝鮮戦争では,ソ連軍を主力とする国連軍が,アメリカ軍と戦った。
②ソ連が世界初の人工衛星を打ち上げた後,キューバにミサイル基地を建設すると,米ソ間の緊張が高まった。
③ソ連は,アメリカ合衆国に先駆けて。人類初の月面着陸に成功した
④イラク軍がクウェートから撤退し湾岸戦争が終わると,米ソ首脳はマルタ島で会談し,冷戦の終結を宣言した。
◇正解は②。1957年のスプートニク打ち上げで,ICBMも開発し,1962年にキューバ危機を引きおこした。
① 国連軍は,アメリカ軍を中心に組織された。国連軍と戦ったのは,中国人民解放軍からなる義勇軍。
③ 人類最初の月着陸は,アメリカのアポロ宇宙船。
④ マルタ会談で冷戦の終結が確認された後,湾岸戦争が発生した。
◎冷戦構造…1947年リオ協定で米国中心の集団安全保障→1948年米州機構(OAS)成立
◎キューバ…1959年キューバ革命でカストロとゲバラが親米独裁のバティスタ政権打倒
キューバ危機(1962)…ソ連フルシチョフ政権のミサイル基地建設→米ケネディ政権海上封鎖
◎チリ…アジェンデ社会主義政権(1970-73)が選挙で成立→社会主義化政策
合衆国の中央情報局(CIA)支援の軍部クーデタでピノチェト軍部独裁政権→新自由主義経済
◎アルゼンチン…軍事政権(1976-82)がイギリスとフォークランド諸島めぐり紛争(1982)も敗北
◎ニカラグア…ソモサ一族の親米独裁政権をンディニスタ民族解放戦線が打倒(1979)
◎地域協力…アメリカ・カナダ・メキシコで北米自由貿易協定(NAFTA)結成
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184 ヨーロッパの統合
次の年表に示した[a]〜[d]の時期のうち,ヨーロッパ共同体(EC)が発足した時期として正しいものを,下の①〜④のう
ちから一つ選べ
1923年 『パン=ヨーロッパ』公刊
[a]
1949年 ヨーロッパ審議会設立
[b]
1958年 ヨーロッパ経済共同体発足
[c]
1992年 マーストリヒト条約調印
[d]
2002年 ユーロ流通開始
① a
② b
③ c
④ d
◇正解は③。ヨーロッパ共同体は,1952年発足のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体と,1958年発足のヨーロッパ経済共同体,ヨーロッパ原子
力共同体の3つの機関が,1967年に統合して成立した。その後1992年のマーストリヒト条約の調印とその発効によって,1993年にヨー
ロッパ連合(EU)が発足した。
◎第一次世界大戦後…クーデンホフ=カレルギーのヨーロッパ統合運動,ブリアンの賛同
◎ECSC(石炭鉄鋼共同体)…仏外相シューマンが鉄・石炭の国際管理提唱
独・仏・伊とベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)で成立
◎EEC(経済共同体),EURATOM(原子力共同体)…57年にローマ条約に調印し結成
→イギリスは対抗し,ポルトガル・北欧3国・スイス・オーストリアとEFTA結成
◎EC(ヨーロッパ共同体)…67年ECSC,EEC,EURATOMの三機関が統合され成立
◎拡大EC…73年イギリス・アイルランド・デンマークの加盟承認で最初の拡大
◎EU…マーストリヒト条約で93年発足,共通市民権,共通通貨,共通外交目標
1999年通貨統合を実現→2002年に統一通貨ユーロ導入(イギリスは未参加)
◎EUの拡大…2004年にバルト3国や東中欧諸国など10カ国参加
185 第二次世界大戦後のドイツ
「ベルリンの壁」の建設と崩壊の間の時期に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから
一つ選べ。
①ソヴィエト連邦によって,コミンフォルムが結成された。
②西ドイツ首相ブラントが,東欧諸国との関係改善を進めた。
③アメリカ合衆国とイギリスを中心として,北大西洋条約機構(NATO)が結成された。
④サンフランシスコ平和条約によって,日本が独立を回復した。
◇正解は②。壁の建設は,1961年。1950年代後半の雪解けから一転し,翌年にはキューバ危機が発生するなど,東西関係が再び緊張
していた時期である。崩壊は,1989年の東欧革命。②は,1970年代初頭のデタントの時期なので,正解。
①コミンフォルム結成は,狭義の冷戦開始の時期で,マーシャル=プランに対抗して1947年である。
③北大西洋条約機構は,ベルリン封鎖中の1949年である。
④サンフランシスコ平和条約は,1950年の朝鮮戦争勃発後の1951年である。
◎アデナウアー(43-63)…キリスト教民主同盟,ドイツ連邦共和国初代首相,臨時首都ボン
・パリ協定(1954)で主権回復→翌年NATO加盟。ソ連とも国交回復(1955) 奇跡の経済復興
・ベルリンの壁…1961年東ドイツが東西ベルリンの間に建設し,東西分断の象徴
◎ブラント(69-74)…社会民主党,東方外交を行い,緊張緩和(デタント)に貢献
・ソ連−西ドイツ武力不行使協定(1970)
・西独−ポーランド条約(1972)…国境をオーデル川・ナイセ川と認める
・東西ドイツ基本条約(1972)…相互承認を行い翌年国連同時加盟を実現
◎コール(82-98)…キリスト教民主同盟,ベルリンの壁崩壊(1989)→ドイツ統一(1990)
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186 ヨーロッパの政治家
ヨーロッパの政治家について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①マッツィーニが,初代イタリア国王となった。
②チャーチルが,「鉄のカーテン」演説を行った。
③スターリンは,農業の集団化を批判した。
④ド=ゴールは,ワルシャワ条約機構からの脱退を決定した。
正解は②。1946年にアメリカにおいて,ソ連の脅威を訴える演説を行った。
①マッツィーニは,青年イタリアを組織した共和派の人物。初代国王は,ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世。
③スターリンの農業集団化を,フルシチョフが批判した。
④ド=ゴールが脱退したのは,NATOの軍事部門。
187 ソ連の軍事介入
ソヴィエト連邦について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①第一次世界大戦後,フランスとの間でラパロ条約を結んだ。
②第二次世界大戦勃発後,独ソ不可侵条約を結んだ。
③第二次世界大戦中,バルト3国を併合した。
④ゴルバチョフ政権下で,チェコスロヴァキアに軍事介入した。
◇正解は③。フィンランドにも侵略戦争を行い,国際連盟から除名された。
① フランスが誤り。ラパロ条約は,ドイツとソヴィエト政権で締結。
② 第二次世界大戦勃発後が誤り。独ソ不可侵条約は第二次世界大戦の直前。
④ ゴルバチョフが誤り。ブレジネフ。1968年プラハの春を弾圧した。
◎ハンガリー動乱(1956)…55年第20回共産党大会のスターリン批判→ブダペストで反ソ暴動
首相ナジ・イムレはワルシャワ条約機構脱退を宣言→ソ連軍の介入→ナジ・イムレ処刑
◎プラハの春弾圧(1968)…ドプチェク指導の「人間の顔をした社会主義」で言論の自由など改革
・ソ連・東ドイツ・ポーランド・ハンガリー・ブルガリアの五国軍介入し,弾圧
・ソ連のブレジネフ政権は衛星国の主権を制限するブレジネフドクトリンを発表
◎アフガニスタン介入(1979∼89)…親ソ派支援の軍事介入→新冷戦激化→ゴルバチョフの撤退
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188 第二次世界大戦後のソ連首脳
ソヴィエト連邦崩壊後に起こった出来事について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①フルシチョフ首相が,平和共存を提唱した。
②プーチンが,ロシアの大統領となった。
③チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故が起こった。
④ロシア軍が,アフガニスタンに侵攻した。
◇正解は②。
①フルシチョフの平和共存提唱は,1950年代後半のこと。1959年にはアメリカを訪問してアイゼンハウアーと会談している。
③チェルノブイリ原子力発電所事故は,ゴルバチョフ政権下の1986年にウクライナで起こった。秘密主義体質の欠陥が明らかになり,グ
ラスノスチ(情報公開)の改革が進むことになった。
④ロシアのアフガニスタン侵攻は,1979年ブレジネフ政権下で起こった。これを機にアメリカとの新冷戦の対立が激化した。
◎スターリン…冷戦,コミンフォルム結成(47),ベルリン封鎖(48),コメコン結成(49)
◎フルシチョフ…ソ連共産党第20回大会で対米平和共存とスターリン批判
→ハンガリー暴動は鎮圧,訪米しアイゼンハウアーと会談,キューバ危機克服
◎ブレジネフ…チェコスロヴァキアの プラハの春 弾圧,70年代初頭デタント→アフガン侵攻(79)
◎ゴルバチョフ…ペレストロイカの改革と 新思考外交 で冷戦の終結に努力
・ウクライナで発生のチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故を機にグラスノスチを強調
・1987年中距離核戦力(INF)全廃条約でヨーロッパの核ミサイルの撤廃
・1989年マルタ会談で冷戦終結確認し,アフガニスタンからの撤退
・1991年反ゴルバチョフクーデタ機にソ連邦の消滅
◎エリツィン…ロシア共和国大統領でソ連邦を解体,チェチェン紛争
◎プーチン…ロシア共和国2代大統領,ロシアの安定を回復
189 第二次世界大戦後のユーゴスラヴィア
かつてユーゴスラヴィアを構成した地域の歴史について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ボスニア=ヘルツェゴビナは,ベルリン会議(1878年)の結果,オーストリア=ハンガリー帝国から独立した。
②第一次世界大戦のきっかけとなったサライェヴォ事件が起こった。
③社会主義政権末期,チャウシェスクの独裁体制がしかれていた。
④セルビア共和国が独立を宣言すると,内戦が始まった。
◇正解は②。ボスニアのサライェヴォで,オーストリアの帝位継承者夫妻がセルビア人青年に暗殺された。
①ユーゴスラヴィア地域のうち,ベルリン会議で独立したのは,モンテネグロとセルビア。
③チャウシェスクの独裁体制はルーマニア。
④セルビアではなく,スロヴェニアとクロアチアの独立宣言。
◎パルチザン闘争…ユーゴスラヴィアでティトーが指導,ゲリラ戦でドイツ軍を追放
◎共産主義体制…第二次世界大戦後,共産主義政権成立し共産圏の一員
◎非同盟中立…スターリンと対立し48年コミンフォルム除名。以後は非同盟中立推進
◎第一回非同盟諸国首脳会議…1961年ベオグラードで開催。国内的にも独自の社会主義
◎ユーゴスラヴィアの解体…ティトーの死後,民族対立が激化し,解体へ
・クロアティア・スロヴェニアが独立宣言(91)。内戦→独立,マケドニアも独立を宣言
・ボスニアの独立宣言(92)→セルビア、クロアチア、モスレム三勢力のボスニア内戦(∼95)
・モスレム人中心の独立宣言にセルビア人反発,首都サライェヴォの包囲戦で犠牲多数
・セルビアとモンテネグロで新ユーゴスラヴィア連邦
・コソヴォ紛争(99)…セルビアのアルバニア人地区をめぐる紛争激化→NATOのセルビア空爆
・ユーゴスラヴィアがセルビア・モンテネグロと改称(03)
・セルビア・モンテネグロがセルビアとモンテネグロに分離(06)
・コソヴォ自治区がセルビアより独立を宣言(08)
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190 パレスティナ問題
パレスティナ問題について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①国際連合は,パレスティナを分割する案を採択した。
②パレスティナ国家の建設を目指して,パレスティナ解放機構(PLO)が活動した。
③ナセル大統領の下で,エジプトはイスラエルと平和条約を結んだ。
④パレスティナ解放機構(PLO)とイスラエルは,パレスティナ暫定自治協定に調印した。
◇正解は③。ナセルが誤り。サダト大統領が,1979年に平和条約を締結した。
◎パレスティナ分割案(47)…国際連合で,パレスチナをユダヤ人とパレスチナ人に分割
◎第一次中東戦争(48)…パレスティナ分割案をアラブ諸国拒否、イスラエル建国宣言直後に宣戦
→アラブ諸国大敗し、パレスティナ難民発生。国際連合調停
◎第二次中東戦争(56)…エジプトのアスワン・ハイダム建設への英米の協力停止
→ナセルのスエズ運河国有化宣言→イスラエル出兵→イギリス・フランス出兵
→米・ソの反対と国連即時停戦決議で撤兵→アラブ民族主義高揚
→エジプトの主導で,パレスチナ難民を組織化しPLO(パレスチナ解放機構)成立(64)
◎第三次中東戦争(67)…イスラエルが先制攻撃で圧勝
→エジプト領シナイ半島・シリア領ゴラン高原・ヨルダン川西岸・ガザ地区占領
→PLO(パレスチナ解放機構)がアラファト議長のもとゲリラ闘争を激化
◎第四次中東戦争(73)…エジプト(サダト大統領)・シリアが失地回復目指す→引き分け
→OAPEC(アラブ石油輸出国機構)石油戦略(親イスラエル国に原油輸出禁止)→石油危機発生
◎エジプト・イスラエル平和条約(79)…米カーター仲介,エジプトサダト,イスラエルベギン
エジプトがイスラエルを承認→1982年までにイスラエルがエジプトにシナイ半島返還
◎インティファーダ(87)…イスラエル占領地のパレスティナ住民による抵抗運動
◎パレスチナ暫定自治協定(93)…ノルウェーの仲介でガザ地区とヨルダン川西岸イェリコの自治
→PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相がワシントンで調印→21世紀に対立再燃
191 イスラーム世界の武力衝突
イスラーム世界の武力衝突にかかわる出来事について述べた次の文文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の
①〜④のうちから一つ選べ。
a 湾岸戦争では,多国籍軍が派遣された。
b アメリカ合衆国で同時多発テロが起こった後,パレスチナ暫定自治協定が結ばれた。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は②。aは正しい。イラクのサダム=フセインのクウェート侵攻に対し,アメリカの提唱で多国籍軍が組織され,イラクを撤退させた。
bは誤り。パレスチナ暫定自治協定は,1993年にイスラエルのラビン首相とパレスティナ解放機構のアラファト議長によって結ばれた。
同時多発テロは2001年に4機のアメリカ旅客機が乗っ取られ,ニューヨークやワシントンのビルに突入した事件。前後関係が逆。
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192 第二次世界大戦後のアフリカ
アフリカについて述べた文として下線部の誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①15世紀,鄭和の遠征艦隊の一部はアフリカ東岸に到達した。
②19世紀,リヴィングストンはアフリカ内陸部の探検を行った。
③リベリアは19世紀に独立し,共和国となった。
④アンゴラは1970年代に,スペインから独立した。
◇正解は④アンゴラはスペインではなくポルトガルから独立している。
①鄭和の遠征は15世紀初頭の明の永楽帝の命によって開始。
②イギリスのリヴィングストンとベルギー王のためコンゴ探検を行ったスタンレーが探検家で重要。
③リベリアは,19世紀にアメリカ合衆国の解放奴隷が移住し建国した。
◎第二次世界大戦終了時の独立国…エチオピア・リベリア・エジプト・南アフリカ連邦
◎非黒人国家の独立…リビア・スーダン・モロッコ・チュニジアなど独立に先行
◎黒人国家の独立開始…エンクルマの指導で,イギリスよりガーナ独立
◎アフリカの年…1960年17ヵ国が一挙に独立→butコンゴなど動乱続く
◎アルジェリアの独立…1962年フランス第五共和政のド=ゴール政権が独立を承認
→アフリカ独立諸国首脳会議が開催され,アフリカ統一機構(OAU)設立(1963)
◎ポルトガル植民地の独立…本国の軍事独裁体制の崩壊でアンゴラ・モザンビーク独立(1975)
◎アパルトヘイトの終焉…南ローデシアが黒人国家ジンバブエ,南アフリカ共和国も91年撤廃
→ANC(アフリカ民族会議)のネルソン=マンデラが黒人最初の大統領(1994)
◎現在の紛争…ソマリア紛争・ルワンダ虐殺(1994)・スーダンのダルフール虐殺・コンゴの混乱
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24 現代の世界(3)アジア・太平洋
193 インド・パキスタンの歴史
インド・パキスタンの歴史について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①イギリス東インド会社の傭兵(シパーヒー)の蜂起をきっかけに,インドで大反乱が起こった。
②インド国民会議派は,ベンガル分割令を公布した。
③第一次世界大戦で,インド人兵士が戦線に動員された。
④インドとパキスタンは,カシミール地方の帰属をめぐって戦争をした。
◇正解は②。インド国民会議派は,イギリスが民族運動の分断を狙って出したベンガル分割令に反対し,カルカッタ大会を開催して急
進派のティラクの主導のもとに四綱領を採択した。
194 独立後のインド
第二次世界大戦後の国家の分断・分離や統一について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選
べ。。
①朝鮮半島は,アメリカ合衆国と中国とによって分割占領された。
②ジュネーヴ休戦協定によって,南北ヴェトナムが統一された。
③緊張緩和が進むなか,1970年代に東西ドイツが統一された。
④1970年代に,パキスタンから分離してバングラデシュが独立した。
◇正解は④。東パキスタンの独立運動をインドが支持し,第三次インド・パキスタン戦争で独立達成。
①中国が誤り。第二次世界大戦後,合衆国とソ連に分割占領され,国家の分離につながった。
②インドシナ戦争のジュネーヴ休戦協定は,2年後の統一選挙が規定されたが,実現しなかった。
③東西ドイツの統一は,1989年の東欧革命で“ベルリンの壁”が崩壊した後の1990年。
◎労働党アトリー政権の独立承認→インドとパキスタン(東西パキスタンに分離独立)
◎第一次インド=パキスタン戦争(47-49)…カシミールの帰属をめぐって対立
◎ネール首相(47-64)…インド初代首相で非同盟政策推進し,第三勢力指導
・48:ガンディー暗殺…イスラームとヒンドゥーの対立背景にヒンドゥー至上主義者に暗殺
・50:インド憲法制定…アンベードカルが起草し,カースト制を否定
・54:平和五原則…周恩来との会談で発表→55年アジア=アフリカ会議で活躍
・59:中印国境紛争…チベットのダライ=ラマ亡命契機
◎第二次インド・パキスタン戦争(65)…建国以来のカシミール問題をめぐる対立
◎インディラ=ガンディー首相(66-84)…ネールの娘,シク教徒に暗殺
◎第三次インド=パキスタン戦争(71)…バングラデシュ(東パキスタン)の独立をインド支持
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195 シンガポール
次の文章中の空欄[ ア ]と[ イ ]に入れる国の名の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
中国系住民が全人口の7割以上を占めるシンガポールは,ある国の植民地であったが,第二次世界大戦後の1942年以
降は[ ア ]の支配下に置かれた。戦後は以前の宗主国の支配下に戻ったが,1965年には[ イ ]から独立した。
① ア—イギリス
イ—マレーシア
② ア—日本
イ—インドネシア
③ ア—イギリス
イ—インドネシア
④ ア—日本
イ—マレーシア
◇正解は④。イギリスの植民地だったシンガポールは,第二次世界大戦で日本の支配下に置かれた。第二次世界大戦後,1963年のマ
レーシアの結成に参加したが,華人中心だったためマレー人優遇政策を採るマレーシアと対立し,1965年に分離独立することとなっ
た。
◎イギリス領…1819年ラッフルズがジョホール王より買収。海峡植民地の中心
◎独立…1963年マレーシア結成に参加→1965年マレーシアより分離独立,華僑中心の都市国家
・第二次世界大戦中の1942年に日本軍に占領→華僑の虐殺事件
・リー・クアンユー首相(任65-90)…権威主義的な開発独裁も経済的発展を実現
196 イギリスの植民地
イギリスの植民地になった地域について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①ガーナは,エンクルマの指導の下に独立した。
②ケープ植民地は,イギリスがフランスから獲得した。
③マレー半島では,マレー連合州(マライ連邦)が結成された。
④ビルマ(ミャンマー)は,インド帝国に併合された。
◇正解は②。フランスが誤り。ケープ植民地は,ウィーン会議でイギリスがオランダから獲得した。
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197 インドシナ戦争・ヴェトナム戦争
フランスの海外植民地の一つであったヴェトナムについて述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選
べ。
①フランスがディエンビエンフーで敗北した。
②フランスが,バオ=ダイ政権を滅ぼした。
③ホー=チ=ミンが,ヴェトナム共和国の独立を宣言した。
④ソヴィエト連邦に支援されたゴ=ディン=ディエムが,政権を樹立した
◇正解は①。第二次世界大戦後のヴェトナム独立をめぐるインドシナ戦争での戦いである。
②バオ=ダイ政権は,インドシナ戦争中フランスがヴェトナム南部のヴェトナム国の政権として樹立。
③ヴェトナム共和国が誤り。ヴェトナム北部を確保し,ヴェトナム民主共和国として独立を宣言。
④ソヴィエト連邦が誤り。ゴ=ディン=ディエムは,アメリカ合衆国の支援を受けた。
◎インドシナ戦争…ヴェトミン中心の独立宣言に,南部確保のフランスが再侵略
・東西冷戦の代理戦争となり,反共政策でアメリカがフランスを支援
・ヴェトナム民主共和国建国宣言…1945年大統領ホー=チ=ミン
・インドシナ戦争開始…暫定協定でフランスが独立承認→本協定中の1946年12月に開始
・ヴェトナム国発足…1950年フランスが南部に樹立,主席バオ=ダイ(阮朝の君主)
・ディエン=ビエン=フーの戦い…1954年フランス軍が敗北
・ジュネーヴ休戦協定…1954年締結,北緯17度線を境界に南北2分→2年後統一総選挙
→アメリカは調印拒否し介入
◎ヴェトナム戦争…南ヴェトナムの内戦から,アメリカと北ヴェトナムとの直接交戦へ
・ヴェトナム共和国(南ヴェトナム)発足…1955年アメリカの支援で成立,首都サイゴン
バオ=ダイ追放しゴ=ディン=ディエム大統領→統一選挙拒否→独裁政治
・南ヴェトナム解放民族戦線結成…1960年北ヴェトナムの支援で成立し解放区拡大
・北ヴェトナム爆撃(北爆)…1965年ジョンソン大統領開始→ヴェトナム戦争本格化
ソ連・中国は北ヴェトナム支援,アメリカ内でもヴェトナム反戦運動とドル危機
・パリ和平協定…1973年停戦しアメリカのニクソン政権が撤退
・ヴェトナム共和国崩壊…1975年北ヴェトナムの攻勢で首都サイゴン陥落
・ヴェトナム社会主義共和国…1976年統一ヴェトナムとして発足→ドイモイ(刷新)の開放政策
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198 毛沢東と周恩来
周恩来について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
a 中華ソヴィエト共和国臨時政府の主席であった。
b 中華人民共和国の初代首相に就任した。
① a−正 b−正
② a−正 b−誤
③ a−誤 b−正
④ a−誤 b−誤
◇正解は③a,1931年,瑞金を首都として成立した中華ソヴィエト共和国臨時政府の主席は毛沢東である。
◎毛沢東(1893∼1976)
・紅軍を率いて農村工作を開始→瑞金を首都に中華ソヴィエト共和国臨時政府,初代主席
・国共内戦に勝利し,1949年北京を首都に中華人民共和国建国,初代国家主席
・ 大躍進 提唱→1958年開始の第二次五カ年計画も,人民公社の集団化に失敗し挫折
・国家主席を劉少奇に譲る→劉少奇と鄧小平の調整政策を走資派(資本主義志向)と反発
・文化大革命…1966年開始の毛沢東の奪権闘争,紅衛兵を扇動し,劉少奇らを実権派と批判
◎周恩来(1898∼1976)
・西安事件…1936年に張学良が蔣介石を監禁した事件で,両者を仲介
・中華人民共和国初代首相…1949年就任,実務を担当し,外交でも活躍
・平和五原則を1954年インドのネルーと提唱,1955年アジア・アフリカ会議参加
・1971年国際連合加盟,1972年ニクソン訪中を実現
199 台湾史
台湾の歴史について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
①16世紀にイギリスが交易の拠点を築いた。
②三国干渉によって日本から清に返還された。
③中国共産党との内戦に敗れた蔣介石が逃れてきた。
④1950年代に新興工業経済地域(NIES)として注目された。
◇正解は③。1949年に大陸で中華人民共和国が建国され,台湾が中華民国の拠点となった。
①台湾に交易の拠点を築いたのは,17世紀のイギリス。
②三国干渉によって返還されたのは,遼東半島。
④1950年代が誤り。NIESの台頭は,1970年代。
◎16世紀まで…マライ・ポリネシア(オーストロネシア)語族(日本では高砂族と称す)が先住民
◎オランダ支配…1624年台南付近にゼーランディア城建設,スペイン駆逐,日中中継貿易の拠点
◎鄭氏台湾…反清復明運動を続ける鄭成功(国姓爺)が1661年オランダより奪う
◎清朝直轄領…1683年三藩の乱を鎮圧した康煕帝が鄭氏を降伏させ直轄領→福建からの移民増加
◎日本植民地…1895年日清戦争の下関条約で。日本占領当初,劉永福らが台湾民主国を称し抵抗
◎中国返還…1943年のカイロ会談(ローズヴェルト・チャーチル・蔣介石)で台湾の返還を確認
◎二・二八事件…大陸出身の外省人と,台湾の本省人の対立から本省人の暴動を弾圧,犠牲2万人
◎台湾国民政府…1949年国共内戦に敗北した蔣介石が台湾に転出,1971年まで国連議席を保持
◎NIES…1970年代に工業成長が注目されたアジアNIES(新興工業経済地域)の一
◎蔣経国…蔣介石の長男で1978年総統就任。86年戒厳令を解除し,野党の民進党を公認
◎李登輝…蔣経国を継承し88年総統。民主化推進し,96年初の総統直接選挙で再選
◎陳水扁…2000年の総統選で野党の民進党が勝利し,総統
◎馬英九…2008年の総統選で国民党が政権を奪回し,総統
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200 第二次世界大戦後のアジア・アフリカ
第二次世界大戦後のアジア・アフリカの国々の成立過程や経験についてのべた文として下線部の正しいものを,次の
①〜④のうちから一つ選べ。。
①アフリカで多くの国々が独立した1970年は,「アフリカの年」と呼ばれた。
②1980年,イランとイラクの間で戦争が起こった。
③1980年,中国では光州事件が起こった。
④フィリピンから分離した東ティモールが,2002年に独立国となった。
◇正解は②。ホメイニによるイスラーム政権が成立したイランに対し,革命輸出の阻止を口実にイラクのサダム=フセインが侵攻し,イラ
ン・イラク戦争が起こった。
①アフリカの年は,1960年である。
③光州事件は,韓国における民主化要求運動を,全斗煥が指揮する軍が弾圧した事件である。
④東ティモールは,ポルトガルの植民地だったのをインドネシアが占領し,その後インドネシアから独立した。
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