2010年2月 シンガポール川下り紀行報告書

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シンガポール川下り紀行報告書
北大探険部2年石毛康介
2010〃/14∼24°。
2月14日から24日にかけて川下りを目的にシンガポールを訪問してきました。その報f
その報告を行
います。
装備ジャーニー(ナタリー号)空気入れライフジャケット
行程表
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2009年12月20日齢寒千歳川下り決行・ナタリー号と会う
2010年2月14日17:00成田空港出発
.23:55シンガポールチャンギ国際空港着
2月15日10:00シンガポール川下見
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2月16日観光・
'2月16日13:00ホウガン近郊川下見18:00歓迎会
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2月18日9:00フェリー搭乗9:0Oインドネシア・ビンタン島着
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11:00河口12:00川下り開始13:00連行14:00ジムニー搭乗
15:00焼き飯食べるオダさんに会う
18:00フェリーターミナルfヘオダさんと再会
20:00フェリー搭乗翠:0Oシンガポール着23:00オダさんと別れる
2月19日終日へトヘト
2月20日8:30オダさんからカヌークラプの情報をいただく
キ”豹:00インド人街と他の街との境が川であることを見つける
2月21日13:00パシリス駅周辺の川を下見
16:00カヌークラブの人と接触ウビン島への旅をすることに
17:3Oシンガポール人のWilliamsとセントーサ島へ。川ばかりみてしまう。
2月22日11:00AmosとCarolに会う。僕含めて3人でいくことに
12:00シンガポーsideから出発13:00ジョホール湖喪横翫ウビン島へ
15:00マレーシアsideに到着16:00ウビン村へ17:"シンガポール本島着
17:30Amos,Carol,Justin達と別れる。ダブルパドルと手作りパドルを交換する。
19:30姉の上司とシンガポールで2番目に高い山(lOom)に登頂。御馳走される。
2月23日午前観光午後荷支度→チャンギ国際空港へ空港泊
2月24日7:0oシンガポールチヤンギ国際空港発
14:“成田空港着
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第一章シンガポールで川下りはできるのか?
シンガポールは赤道直下の北緯1度17分、東経103度51分、マレー半島の最南端にあるシ
ンガポール島を領土とする国家であり、総面積700平方km(東京23区ぐらい)ほどである。
人口500万人、公用語は中国語、英語、マレー語、タミル語である。政治体制は人民行動党
の一党独裁制であり、野党の存在は認めるものの、厳しい弾圧や制限などで議席はほとん
ど与党が占めている。シンガポールは他のアジアよりも経済発展を成功させた国である。
その要因は1970年代から始めた徹底的に国をきれいにする政策であった。なぜなら経済発
展を目指す際、欧米がら金融システムのノウハウを手に入れるために欧米人に来てもらう
必要があった。しかし、欧米人は雑然としたアジアの町並みや汚い通り、トイレ、貧弱な
インフラが嫌いである。それらの問題を解決することこそ欧米人がシンガポールに訪れる
機会を増やし、結果シンガポールの経済発展につながるということである。
そのためにシンガポールでは禁止事項が多い。まず有名なところでポイ捨て禁止、ガム
の禁止である。それらのペナルティーは高額な罰金はもちろんのこと、鞭打ち刑もある。
その他にも横断歩道以外での横断禁止、MRT(シンガポールの高架鉄道)内での飲食禁
止、指定場所以外での喫煙禁止などなど。おもしろいものでは、鉄道内にドリアンを持ち
込むことも禁止である。このように禁止事項が多いのは初代大統領リー・クワン。ユーが
性悪説を基に前述した政策実現を目指したためだ。しかしこのような厳しい決まりは市民
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から不平もある。
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(シンガポール金融の中心街CanonEOS1000SEF28-200mmPhotobyKOSUKE)
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★現地日本人駐在員のお話
ポイ捨て・ガム罰金は日本でも有名な話であるけど、実際はそこまで厳しくない。
ここ最近はポイ捨てもよく見かける。鞭打ち刑であるが、5回やる場合ただ5回打つだけ
でない。1回目で服が裂け、2回目で皮膚が裂け、3回目で骨が砕ける。失神したら水をか
けて目覚めさせて4回目、5回目と打つ。だからむちやしちやだめよ・
しかし、これら政策のおかげでシンガポールはかつてない繁栄を迎えた。シンガポール
は東南アジアの金融の中心となり、各国の大企業がシンガポールに支店をおくようになっ
た。水道・電気・交通などのインフラも整っており、どこ行ってもきれいに整地されてい
る。市内には次々と高層ビルが建設され、海岸は埋め立てられていき、そして今現在もシ
ンガポールは成長中である。
しかしここで不安になる。こんなどこもかしこも整地されているシンガポールで、罰則
が厳しいシンガポールで、はたして川下りはできるのであろうか?
第2章ジャーニー号(ナタリー号)との出会い
2009年12月中旬、装備庫を整理していると緑色の小さな船を発掘した。さっそく膨らま
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せてみると全長およそ1.5mで一人乗りのゴムボートであった。さっそく芝田(チョロ松)
奥井(アパッチ)とともに凍てつく千歳川へ船を出しに行った。この船の長所はなんとい
ってもこのコンパクトさ。アキレス号も載せて3人が軽自動車1台で川下りが出来てしまう
のもこの小ささのおかげである。その代わり、機能面においてやや不完全なところもあっ
た。まず入ってきた水を排出できないのと、バランスをとるのが難しいために、激流にな
ると操船がままならないという点である。つまり空知川や尻別川のような川には不向きで
あり、流れの穏やかな千歳川や湖、そしてマングローブの川など
がまさにナタリー号のフィールドなのである。マングローブの
川!ぼくはまだ北海道の川しか下ったことがなく、内地や他の
世界の川に興味があった。とくに、川を短パン−つで暑い熱帯地
方を川下りしてみるという北海道では夏でも考えられないよう
なことをしてみたかった。ウェットスーツの窮屈さから逃れたかったのである。ナタリー
号のコンパクトさはまさにその願いを実現するにうってつけなのである。なぜなら国内の
南方や海外へ行くときに船ではなく飛行機に乗る場合、個人の重量制限が20kgまでと
いうのが多い。それを超えると高い追加料金を払わなければ乗れないのである。ナタリー
号なら全備重量13kg、スーツケースに入れると17キログラム。他にほとんど荷物を載
せられないが何とか運べる重量である。よし、来年の夏に西表島かタイかフィリピンで川
下りしよう!そう思っていた矢先に朗報が入った。なんと証券会社に勤める姉が1月から
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シンガポールに駐在することになったという。ちょうどいい!姉の家を基地にしてシンガ
ポールで川下りしよう!しかし、シンガポールに川があるのだろうか?調べてみてもシン
ガポール川という川ばっかり出てくる。しかもボートで勝手に下れるかどうかについては
全く不明。グーグルアースでの地図が数少ない有力な情報だ。行かないと分からないこと
もある。現地に赴いて実際川を見て探して良さそうな川があれば下ろう。そう決意し、成
田空港ぺ向かった。
第3章下れない!?シンガポール川&ホウガン郊外側il
成田空港でお預けに持つが24kgで追加料金を請求されたため、むりやり4キロ分を
手荷物として何とか持ち込み7時間半のフライトへ。途中、飛行機頭痛に襲われ大変な思
いをしたものの無事にシンガポールの大空港、チヤンギ国際空港へ到着した。北海道は-9℃
だったのにこっちはいきなり30℃・体がびっくりする。この日は2月15日でチャイニーズニ
ューイヤー、旧正月とかぶってしまった。そのため中国系のシンガポーリアンはみな休暇
中であり、働いている人はマレー系やインド系の人たちばっかりである。チヤンギ国際空
港からMRTで20分、シンガポールの中心市街に位置するクラークキー駅で降りる。この
駅は日本でグーグルアースで見たシンガポール川に最も近い駅である。
早速川沿いを歩いて下見することにした。シンガポール川は川幅30メートル、とても穏
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やかな流れで水質はあまりきれいそずではなかった。この川を下ると河口にいるマーライ
オン像と会うことができるのである。目標としていた川をみつけほっとしたが、すぐに恐
ろしい看板を発見してしまった。なんと遊泳禁止のマークが、さらには川に入ることすら
禁止するマークが描かれた看板が立てられているではないか。さらにリバータクシーと称
する中型船がうじゃうじゃ航行している。禁止されなくても危険でこれでは漕げない。も
しリバータクシーの出てない深夜などでここにボートを出した場合でもシンガポール政府
の制裁はどのようなものかは分からないが、この川で下る場合は現地でのさらなるリサー
チが必要であると判断。他の川を探すことにする。こうしてシンガポール川さがしの旅が
始まった。
シンガポール3日目、MRTでホウガン駅というところに降りた。ここはシンガポールの
北中央に位置し、地図上ではすぐ近くに川幅30mぐらいの川が描かれている。ホウガン
駅はシンガポールの郊外であり、観光スポットは一切なく、シンガポール人民が住む公団
住宅がたくさん並んでいる。シンガポール人の85パーセントはこの公団住宅に住んでい
る。歩くこと30分、ようやく目指していた川を発見する。川の名前は分からないが川幅
20メートル、両岸はがっちり護岸
され、船を下ろすのはちょっと大変
そうだ。水は茶色く濁っていてやや
汚そう。流れはなぜ河口から上流へ
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ホウガン近郊の川
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禁止の立て看板
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流れているように見える。そしてしばらく河口側へ向かって歩くと見覚えのある看板が。
そう、シンガポールノllで目撃した遊泳禁止十入水禁止の看板が。ここにもあるのかとびっ
くりする。まさかシンガポールの川すべてにこの看板があるのでは・・そんな予感がふと
頭をよぎる。そしてその予感は見事に的中し、その後の僕を悩ませるのであった。
その日の夜姉の勤めている会社の人たちが歓迎会をひらいてくれた。シンガポールで長
ー雨
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く勤務している人もいて、みんな肌がこんがり焼けてい
る。ここでシンガポールに川下りできる川はないか聞い
てみるが、情報は得られなかった。もしかしたらシンガ
ポールで川下りはできないのではないか。そうしたら札
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幌からわざわざ担いできたこの装備たちは一体何のた
めに存在しているのか?おもり?僕は葛藤しながらふ
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するととあるところに一筋(うねうねした)の青い線。
とインドネシアの地図を眺めた。するととあるところに一筋(うねうねした)の青い線。
もしやこれは川?インドネシアなら口うるさく取り締まる人たちなんていないかも。行こ
う!インドネシア!その日に日本から持ってきた手作りパドルを組み立て、そして翌日僕
はインドネシア行のフェリーターミナルへ駆け込んだ。
夕
第4章インドネシア・ビンタン島セポン川
第一部セボン川マングローブの野望
インドネシア。ピンタン島はインドネシアのリ
アウ諸島に位置し、面積は1886km2、人口40万
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人の島である。シンガポールからはシンガポール
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海峡を隔てて46kmのところに位置し、高速フエリ
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ポールドルで往復50$ぐらいである。ちなみに自
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分はこのときカウンターの若い男の言うまま、60
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ドル払ってしまった。つまり、10$ぽったぐられたのである。額はたいしたことないもの
の、やはり悔しい思いをした。さらにインドネシアに入国する際には日本人はビザ代を払
わなければならなく、その額10$である。はずであつた。というのもほんのつい最近にピ
ザ代が値上がったらしい。その額25$。しかもこれはシンガポール$ではなくUS$。つ
まり33シンガポール$。ぼくはシンガポールから100$しか持ってきていなかったので、
帰りの電車賃を考えるとあと使えるお金は5$ぐらい。つまりインドネシア、ビンタン島
に着いた瞬間からぼくは一文無しになってしまったのである。
ビンタン島の上半分はリゾート地であり、フェリーに同乗していた300人中の”・9%はそ
のリゾート地へ行く。しかし、フェリーターミナルからは遠いので皆バスやタクシーで行
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ってしまう。そして唯一取り残された僕はひとり南側にあるセボン川へ歩き出した。セボ
ン川は河口から下ることにした。上流からセボン川へアプローチする場合はタクシーをチ
ャーターしないといけないぐらい遠いので今回はあきらめる。途中、タクシーに乗らない
かとインドネシア人が追いかけてくるが、金がないので振り切る。がしつこく乗ってくれ
と追いかけてくる。遠すぎて歩いてはいけないと(そんなわけはない)色々言っていた。
しかし、よく見ると彼の右手には観光用のビンタン島の地図が握られているではないか!
シンガポールで地図が手に入らなかったのでこれはとても幸運だった。さっそく地図をち
ょうだいと言ってみると快く地図をくれた。ありがとう。そしてタクシーに乗ってという
がそれはまた笑顔で丁重に断るとようやくすごすごと去って行った。
そしてまた歩き始める。ビンタン島はシンガポールよりもこころなしか日差しが強いよ
うに感じる。たまにインドネシア人が家の前でのんびり座っているのを見ると、とても住
みやすそうな世界だと思う。彼らはのんびり生きていても日本のように責められることは
ないのである。そんな光景をみながら歩くこと40分たらず、セボン川河口付近に到着した。
セボン川の河口付近の流れは穏やかなものの、川幅が500m以上ありそうなほど広く、ナタ
リー号で漕いでも大丈夫なのかと不安になる。しかしせっかくここまで北海道からはるば
るナタリー号を運んだのだからもう後にはひけない。さっそくナタリー号や手作りパド
ル・ラフジャケットを取り出す。ここでウェットスーツがいらないという点だけですごい
解放感だ。着替えなくてもいい。今着ている服にそのままライフジャケットを着ればいい。
服が濡れたらどうする?この日差しならすぐ乾くだろう。ナタリー号を膨らまそうとした時、
麹合
釣りをしていた2人組の青年が近づいてきた。さっそく空気を入れるのを手伝ってもらう。
インドネシア人はとても人懐っこい。それによく笑う。彼らにお礼としてシンガポールか
ら持ってきたスニッカーズ(チョコレート)をあげた。スニッカーズはビンタン島の炎天
下でドロドロに溶け、とてもぶにぶにしていて、彼らは一度きまずそうな顔をしたが受け
取ってくれた。ありがとう。
そしてすべての準備が整った。いよいよ船を川に出す。この時、胸は不安でいっぱいだ
二。いよいよ船を川に出す。この時、胸は不安でいっぱいだ
った。しかし、いざ船を漕ぎだした時、ナタリー号はするするつと進んでいくではないか!
した時、ナタリー号はするするつと進んでいくではないか!
「いける!」この瞬間胸の不安はすべて吹き飛び、湧き上か
「いける!」この瞬間胸の不安はすべて吹き飛び、湧き上が
るような興奮が体中を駆け巡った。10分ほどぐるぐる漕ぐ
練習をして、いざ上流へ向かって進んだ。
いま漕いでいるこの風景、北海道にはない川の姿だ。辺り
はうっそうとしたマングローブで覆われている。なんか変な
生き物の声が聞こえる。ぱおぱお言っている。手作りパドル
も絶好調である。試しに本流傍のマングローブ林の中に入っ
セボン川河口にて青年とナタリー号U‘i湾弘」Rノ'u、嘩望.。'。”、Lバー'T 〃lui々、'一、咳/”‐/'r1.マー!、ーへ−
てみる。この中は流れがなく、時間がゆっくり流れている気
がした。そのため川を漕いでいる時の時間の感覚も日本の激流とは全く異なる感じがした。
本流にもどり上流へ漕いでいると地元のマングローブツアーの観光客を乗せたボートが走
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っている。手を振るとみんな振り返してくる。のどかだ。上流の方へさらに進もうとパド
ルを漕ぐペースをあげる。しばらくするとナタリー号
の中に水がたつぷたぷ入ってきたので排水のために
一度上陸し、排水後再出発をする。しばらく漕いでい
ると後ろからモーターボートの音がしてきた。いやな
予感がしたので全力で漕いだ。しかしやはりモーター
ボートは速く、僕の行く先を遮るような形で止ま
り、''Hi!!Hello!''と言ってくるではないか。''Hello''かえ
しつつも全力で回避、漕ぐがついてくる。そして彼は
インドネシア・セボン川にてしつつも全力で回避、漕ぐがついてくる。そして彼は
笑顔でおもむろに''dangerous!!''と言っている。そし
て''snake!''どうやら蛇がこの先たくさんいるから危ないとも言っているようだ。「分かっ
た。気をつけながらいくよ。」といって先に行こうとするも追いかけてくる。必死に漕ぐ。
追いかけてくる。しかしここでなんということだろうか。不覚にも自作のパドルが真二つ
に折れてしまう。そう、ネジ止めを2か所にしかしていなかったために負荷に耐えきれな
かったのである。この時ラフテイングで若さんが言っていた言葉を思い出す。「船から落
ちてもパドルは離すな!」そう、パドルがあれば自分の体を船代わりにしてパドルで船や
岸まで戻れる。しかし、パドルが流されたら船があっても流されるままになってしまう。
今回は板があるのでかろうじて船自体は漕げるものの、逃走行為は困難になった。あきら
いてモーターボートに乗せられて地元のマングロー農ブツアーの小屋へ連れてかれた。なん
ということだろうか。まだ漕ぎはじめて50分ぐらい。絶対1時間も漕いでない。落胆し
ながら着いた小屋にはニコニコしたインドネシア人が何人かいて僕にミネラルウオーター
を御馳走してくれる。とても親切だ。
すると英語が話せる中国系と思われるかわいい女の人がでてきて蛇がいて危ないから漕
いじやだめよと言われる。本流だけなら大丈夫だろうと言ってみるが、今度はモーターボ
ートがいるから危ないと言われる。ここはボート出したら逮捕されるのかと聞いたがそう
わけではなさそうだ。彼らはすごく親切でいい人たちだ。身を案じて止めてくれるという
ことに僕は感謝しなければならないが、マングローブツアーをする人たちの川を犯したと
いうことであるのかなと詮索してしまう。他に漕げる川はないかと聞いてみるものの、遠
くの湖なら漕いで大丈夫と言ってくる。タクシーを手配しようとしてくれたが、お金がホ
ントにないので丁重に断った。それに僕は川を漕ぎたいのだ。とりあえずぷにぶにのスニ
ッカーズをお礼にいくつかあげてすごすごとスタート地点に歩いて戻った。
あの青年たちはもうどこにもいなくなっていた。シンガポールでは思った以上に漕げる
川が全くなく、さらにわざわざインドネシアまでいって行った「セボン川川下り」は50
分(15分は逃走劇)で終了という情けない結果に終わり、まさに落胆状態であった。
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第二部イマム、そしてオダさんとの出会い
シンガポールへ戻るフェリーは「セボン川上流到達。
引き返し」を考えて最終便を予約してある。あと7時間
もあるのである。お金もなくあまりにも暇すぎたので日
向ぼっこしていると遠くからエンジン音が。よくみると
スズキのジムニー(JA11型)ではないか!
しかも古いタイプで僕が好きな車だ。大はしやぎで「ジ
ムニー1ジムニー!」と追いかげると中から笑顔のおじさ
一!」と追いかげると中から笑顔のおじさん2人でてきて車談義をはじめた。
写真を撮ったりしているとおじさん達が乗せてあげると
しているとおじさん達が乗せてあげるとありがたいことを言ってくる。遠
慮なく助手席に転がり込む。これが人生初のジムニー搭乗で
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忍
ある。そしてオレオレ村という胡散臭い観光用の村まで乗せ
てってくれた。ありがとう。彼らとはそこで別れ、オレオレ
村に入ってみた。中国人の観光客がいる。観光用と言っても
見るべきところはほとんどなく、胡散臭い商品をたくさん売
イマムとバイクつ
L Vっている店が並んでいるだけであった。
,Oノ占か亙匝んでい'Oたけであった。
縁石に暇そうなインドネシア人が座っていたので混じって座るとなにやらニコニコして
いるおじさんがいたので挨拶してみる。すると彼は片言の日本語を話すではないか。名前
叫互,=e
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人と知り合いらしく、いろんな人に僕を紹介してくれた。
圃覇 遍醗謡邑
跨屯
はmam(イマム)というらしい。彼はこの村のいろんな
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僕は腹ペコだと言ってみると彼は近くの地元民が使う飯
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屋までバイクに乗せて案内してくれた。そこで焼き飯と
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コーラを頼む。全部で4$。ぎりぎりセーフだ。そこで
ご飯を食べながらイマムや他のインドネシア人に川につ
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ビンタン島にて食堂
いて聞き込みをしてみた。なんでも、もう少し南側に行けばだれもいないから自由に漕げ
そうな川があるよということだつた。地図で見るとセボン川河口から201皿ぐらい離れた場
所にある。この日は日帰りのために無理ではあるが、次回挑戦する際の重要な情報であっ
た。食堂でカメラを回しながらのんびりしていると、イマムが日本人観光客が歩いている
と指をさして言っていた。その方向をみると40∼50歳ぐらいの日本人の男の人が歩いてい
た。イマムの友人が僕のところまで連れてきてくれた。僕は挨拶をした。彼はOdaさんとい
う方で、今回は観光でビンタン島に来たということである。
この時は少し話しただけでOdaさんとはすぐに別れてしまったが、この後意外なところ
で再会する。そしてこの出会いがシンガポール、川下りの旅の重要なポイントになったの
である。
第三部シンガポールへの帰還
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イマムがしきりに北部の海岸へ連れて行ってくれると言ってくれた。しかし僕はここで警
戒してしまった。イマムが親切すぎる気がしたからだ。もしかしたらバイクで誰もいない
ところまで連れて行き、金品を強奪しようと企んでいるのではないだろうか。そんな不安
が僕の頭をよぎった。僕はイマムの誘いを断った。そして逃げるようにフェリーターミナ
ルへ向かった。イマムと会ったのはこれが最後であった。
フェリーターミナル蕊歩いている途中、帰りのフェリーのチケットをポケットに入れっ
ぱなしであったこと思い出す。やぱい。もしかしたら川で流されてしまったかもしれない
急いでポケットに手を入れるとそこにはぶよぶよした物体がある。おそるおそる取り出し
てみるとなんとふやけたフェリーチケットではないか1焦りながら開こうとするもびりび
りとさけていくチケット。一部消失しながらもなんとかビニール袋の中に広げることがで
きた。そして歩くこと30分、何とかフェリーターミナルへ到着したのである。
フェリーの手続きの時間まで2時間もある。日本から持って生きた一眼レフカメラでイ
ンドネシアを撮ってみた。インドネシアの風景は北海道と全く違う。植物も空の色も。そ
れに時間の流れがゆっくり流れているふとマングローブ林の方へ眼を向けるとさっきまで
見えなかった網目のような根っこが見えている。これは海がlowtide,干潮になったためだ。
干潮時にはたくさんの生き物が見られることがあるので早速岸辺に降りてみたが、カニ
などは見当たらなかった。そのかわりなぜか大きな猫が歩いていた。
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(N&onCOOIPIXL165.7-17.1mm".8・4.7インドネシア・ビンタン島にて)
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猫も逃げ、日が暮れて辺りが暗くなり、すこしこころ細くなったころ、フェリーターミナルの方に見覚
えのある人影が見えた。なんと先ほどOdaさんだった。帰りのフェリーが同じだったのだ。そしてフェリ
ーターミナルで僕にコーラとピンタンビールを御馳走してくれた。Oda日本さんは日本の企業の技術
者の方で、半年前にシンガポールに転勤できたらしい。海外勤務は何度も経験しているみ
たいで、インドネシアやシンガポール、上海で経験したことなどいろいろ教えてくれた。
そしてそのまま一緒にフェ°リーに乗り込んでシンガポール、タナメラターミナルへ帰還し
た。タラメナターミナルからはなんとタクシーも便乗させてくれた。
や
廷.3−4
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