随 想 <随 想> 人生は夢なり 堀井 妙泉 三月とは言え、未だ雪に埋もれて暮らしていると、 「春眠暁を覚えず」と口遊 むだけで、ほっかりと日溜まりに入ったような暖かさを感じてしまう。春の心地 よい眠りの中に美しい小鳥の啼き声なども聴こえて、夜明けになってもなかなか 目が覚めない。まさにあこがれの泰平の眠りである。 年を取るにつれて睡眠時間が短くなるのは、 エネルギーが少なくなったからで、 赤ん坊がよく眠るのはエネルギーが沢山あるからだという。いつ頃からか定かで はないが、夜明け迄眠れないことや、夜中に目が覚めてしまい、眠ろうと焦るあ まり神経が疲れて、翌日は何をしても効率が上がらず、無駄な時間を過ごしてし まう。そんな不眠の恐怖を何年か経て、この頃はなんとか泰平の眠りを手に入れ ることが出来た。お酒を適量たしなむのもよいでしょうが、私の場合は適宜な運 動をした時が一番安眠出来る。調子に乗って歩き過ぎたり、泳ぎ過ぎても、全身 の神経が覚醒して、かえって眠れなくなるようだ。お酒にしても運動にしても、 自分に合った限度を見つけることが大切であり、快眠の歓びは不眠の闇を通って 来た者には格別である。赤ん坊だけでなく人間にとって眠ることがいかに重要な 生命活動の源であるかを、年と共に実感している。 庭を見ると、雪に埋もれて骨ばかりの牡丹のひと株も、目に見えない根が真っ 暗な大地に伸びてゆき、栄養を吸い上げながら、艶然と花の咲く日を夢見ている のかも知れない。 眠っている時に見る「夢」のなかに、人間の豊かな精神活動を見いだしたのは - 47 - フロイトであるが、フロイトより更に深い層の無意識の存在に気づいたのがユン グであるという。深い層の無意識は「心」の次元を超える領域として、類人的(サ イコイド)の領域と呼ばれているが、このような深層の無意識について、東洋人 の方が西洋人よりもはるかによく知っていたようだ。唯識派の説く第八識の阿頼 耶識として、早くから仏典などにも出ており、人間存在の根本をなす意識の流れ のことを発見している。多くの経験を蓄積して個性を形成し、すべての心的活動 のよりどころとなるものであるが、これを放っておくと大変なことになりかねな い。この深層の無意識を、仏陀の説いた「空」の意識まで深めようとし、禅定に よってひたすら磨いて来た人に、鎌倉時代初期の名僧として人々に崇められてき た明恵上人がいた。 明恵の生きた時代は平家から源氏へ、源氏から北条へとあわただしく権力の座 が移り、その間は戦が絶えず、人々に及ぼした悲惨は甚だしいものであったと推 察される。当時の人々は浮世のことは夢のようにはかなく、無常であるからと、 現実から目をそらし、来世主義の生き方に傾いた人も多かったようだ。来世主義 とは「現実の人生は仮の世であり、死後の来世こそ真実の世である」というもの で、乱世の人たちには絶望の果ての一つの救いとなったのであろう。大乗仏教の 人生観とはかなり違ったテーゼである。どのように違うのか少し道草をして、二 つの歌を鑑賞してみたい。 みることはみなつねならぬうきよかなゆめかとみゆるほどのはかなさ 上覚 ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷へる人をたすけむ 明恵 上覚は明恵が父母を亡くした後、九歳の時出家に導いた叔父にあたる人で、当 時の教養人の中に入っていた。歌意はわかりやすく浮き世のことは、定まりもな く夢のように儚く無常であると詠嘆している。 明恵の歌は、この世は夢だ、無常だなどと嘆いているよりも、そうと知ったな - 48 - らばその夢から覚めて、 路頭に迷っている人達を助けてやることだと詠っている。 明恵の歌の背景には実際に戦に巻き込まれ、命からがら逃げてきた女、子供を多 く救っている事実があるが、何よりも強く響いてくるのは【人生畢竟夢なり】と いう大乗仏教の人生観を根にすえた自由な働きである。人間のみならず一切の存 在がみな死に向かって生きており、その死を回避出来ないのであれば、この死か ら目をそらさず、世のため人のために生きる叡智ある生き方のことである。明恵 はこの世は夢であるとはっきり自覚し、その醒めた目で自らの夢を見ていたので あろう。彼が夢の記録を書き始めたのは、十九歳の時からで、六十歳で帰寂する 一年前まで続けており、この膨大な夢の記録は、世界精神史においても稀有な遺 産だと言われている。 文献によれば夢の種類もいろいろあり、 例えば (禅観の夢) 、 (心身凝然の夢) 、 (自己虚勢の夢) 、 (文殊顕現の夢) 、 (上昇の夢) 、 (女性の夢) など、これはほんの一部分に過ぎないが、よく忘れもせずに記録したものだと感 動する。 白洲正子は『明恵上人』のなかで次のように述べている。 「明恵の夢は夢では ない、覚めている時の生活の延長であり、そういう意味では、やはり過去の記憶 と呼べるかも知れません。ただ、心理学者と違う所は、彼の夢は生きていること です。研究の材料ではなく、信仰を深めるための原動力なのであって、夢と日常 の生活が、不思議な形でまじり合い、からみ合って行く様は、複雑な唐草文様で も見るようです。 」と言っている。とくに信仰を深めるための原動力が、明恵の夢 ・ ・ ・ であるという所に、私はどきりとした。 明恵は覚めている時も、眠っている時も、≪正念相続≫が切れ目なく持続して いたのであろう。見える部分も見えない深層の無意識もすべて含めて、自己の存 在であり人生である。明恵にはその見えない部分を『夢の記』として記録し、純 粋に自らを磨いて来たのであった。 私が明恵上人を知ったのは、もう三十年ほど前のことである。北海支部の道場 で、如々庵老師に教えていただいた。何かの折に老師が【ながきよの夢をゆめぞ としる君やさめて迷へる人をたすけむ】という先に引用した明恵上人の歌を誦さ - 49 - れて、わたしに、明恵上人を勉強したらどうかと仰って下さった。 「はい」と返事 はしたものの、その頃の私は前衛短歌にのめり込んでいたので、あまりの時代落 差に途惑っていたようだ。 それから歳月が流れ、秋も深まったある日、小樽の文学館に於いて、河合隼雄 梅原猛 松井孝典の三氏揃ってのシンポジュームが開かれることを知り、友人と 連れ立って参加した。 「人類の幸せ」という同一問題をテーマにした会で、河合氏 はユング研究家、夢分析家として。梅原氏は仏教研究家。松井氏は惑星物理学者 として。それぞれが違った立場から、異なった面を強調し、白熱的な講演であっ た。松井氏は科学の側から哲学の領域に斬り込もうとする論理であるが、理屈が 多くよく分からなかったが、河合氏の話された「宗教と科学の接点に立つ」とい う明恵上人のお話が強く印象に残った。受付に並べられた著書を幾冊か購入し、 遅蒔きながらぼつぼつと味わっているが、八十歳になったから見えてくるものも あり、ありがたいことである。 明恵は〔我が死なんずることは、今日に明日を継ぐに異ならず〕と、まことに 深々とした生死観を述べている。 春が待ち遠しいなーと、一日一日過ごしているが、一日毎に死に近づいている ことも確かなこと。小鳥の声や、樹々の葉を吹く風の声に囲まれ、 「春眠暁を覚え ず」と暖かい眠りの中で〈死〉を迎えたいものである。 (平成 21 年『あけぼの』16 号より転載) ■著者プロフィール 堀井妙泉(本名/美鶴) 昭和3年、函館市生まれ。歌人。新墾賞、北海道歌人 会賞、北海道新聞短歌賞、日本歌人クラブ北海道ブロ ック賞受賞。平成2年より同人歌誌『英』編集発行人 を務める。昭和 44 年、人間禅芳賀洞然老師に入門。 現在、人間禅主幹布教師。庵号/蓮昌庵。 - 50 -
© Copyright 2024 Paperzz