モデル ー ベトナムにおける社会主義とマルクス主義

モデル
ー
ベトナムにおける社会主義とマルクス主義
B.L
(ベトナム)理科一類
要約:ベトナムが社会主義に従ったこととマルクス主義は誤りだったのか、ベトナムの歴史を考察して
判断する。また社会主義とマルクス主義はモデルの意味を持つことを明らかにした。そのためには、社
会主義とマルクス主義を考慮するときにモデルの視点で考えなければならない。
キーワード:社会主義、マルクス主義、モデル、解釈
I.
はじめに
この数年前からインターネットの普及とともに、審査・検閲を受けず、自由な発言、意見がネットに
たくさん載っている。最近、私は”意見”、Radio Free Asia、Wikipedia などのウェッブサイトでベトナ
ム人、特に外国に住んでいる難民と留学生が書いた「ベトナム社会主義」および「マルクス(Marx)主義」
を告発・皮肉する記事をよく見かける。グーグルに、ベトナム語で「社会主義」のキーワードを入力す
ると、「ベトナムが社会主義に従ったのは大きな誤り」とか「マルクス主義は間違い」など、三分の二
以上が反対する記事である。このことについて、本論文では、「ベトナムにおける社会主義モデル」に
ついて、モデルの視点から意見を述べたいと思う。
II.
ベトナムにおける社会主義
1.社会主義とは
社会主義とはマルクスの学説で、資本主義に続いて現れるとされる共産主義社会の第一段階を指す。
共産主義は、私有財産の否定と共有財産制の現実によって貧富の差をなくそうとする思想である。
その第一段階は、生産力があまり高くないため、能力に応じて労働し、労働に応じた分配を受けるが、
生産力が高度に発展したら必要に応じて分配を受けるのである。マルクス主義では植民地・従属国の被
圧迫民族解放などの理論も書いてある。マルクス主義の継続・発展であるマルクスーレーニン
(Marx-Lenin)主義によると、資本・植民・帝国主義を打倒するのに労働者が指導階級の役として全世界
の労働者・農民の連盟を作らなければならないとしている。
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2.なぜベトナムはマルクス-レーニンの社会主義モデルに従ったか
1858 年にフランスの軍隊はベトナムに来て東洋半島の侵略を始めた。当時、人口の 7 割以上が農民
であったベトナムでは、フランスの企業がたくさん建てられて、半分の農民は企業で働かされて、労働
者(企業で働く人の意味)になったのである。
ベトナムがフランスに圧迫される環境で育った ホーチミン(Ho Chi Minh)は 1911 年に渡欧、30 年間
フランス・イギリス・ロシアなどいろいろな国を訪れて母国を開放する方法を探した。そして、ホーチ
ミンはマルクス・レーニン主義に出会ったのである。人口の大部分を占める労働者・農民の利益を守る
マルクス・レーニン主義によって、人口の基層階級を励ますことができ、ベトナムにある植民地主義と
帝国主義を打倒できると考えた。そして、フランスとアメリカに対する戦勝は、その時期のベトナムに
社会主義モデルを応用したために得られたものであろう。
3.戦争後のベトナムの社会
1954 年にフランスに対する Dien Bien Phu(地名) の戦勝の後で、北部でホーチミンは、社会主義を
目指して、農業と工業を共産化した。フランスと封建に搾取された労働者たちは熱心に社会主義事業に
貢献し、また中国のアドバイスにより、たくさんの地主・商家・作者・知識人が刑を宣告されることに
なった。1975 年、国の統一後、それ以前にアメリカに支配された南部も共産化された。しかし、天災
と野心的な工業事業の失敗のため、ベトナムの経済は危機的な状況になってしまった。そして、共産党
などのせいで、80 年台に 100 万人以上が難民として外国に逃げた。つまり、英語の“boat people”も
この事件から生じたわけである。
90 年台ソ連の崩壊の後、中国は先に多くの社会と経済の改革を行った。ベトナムもそれにならって、
市場経済と民主化を行い、経済的問題が克服されだんだん発展してきたのである。
以上をふまえて、「ベトナムが社会主義に従ったのは大きな誤り」や「マルクス主義は間違い」など
の記事について読者はどう思うだろうか。
III.
モデル
1.モデルの概念
モデルを辞書で調べるといろいろな意味がある。その中でも、模型・見本・模範の意味について考え
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てみよう。その意味の例としていくつかの挙げることができる。
まず、橋を建築する前に、模型で環境の影響、橋の構築を研究しなければならない。そして、たくさ
んの模型、提案の中で一番適切なものを用いて実際の橋を築くのである。
もうひとつの例は時刻表である。旅行の計画を立てるときには、あらかじめいろいろな列車に実際に
乗って決めるわけではなく、列車の“時刻表”で前もって情報を手に入れる。この場合、時刻表は現実
の列車の運行を表現したものである。この概念の上に、マルクス・レーニンの社会主義の研究・理論は、
社会の一つのモデルと考えられるだろう。
2. 現実とモデル
以下の図を見てみよう。
たくさんの問題を解決するために、現実の状態ではなく、モデルで研究・処理しなければならない。
3つの過程、すなわち1)モデル化、2)モデル世界の中の処理、3)解釈に注意してほしい。
マルクス主義の例を考えてみよう。モデル化とは問題把握の過程である。そして、マルクス主義は 19
世紀の西欧における第一次工業革命と初期資本主義からモデル化されたものである。モデル化された問
題は、モデル世界の中で各種の分析・理論を用いて、モデルの結果・結論を導く。マルクス・エンゲン
は哲学的基礎としての弁証法的唯物論で、労働者階級の革命運動の戦略・戦術、被圧迫民族解放などの
理論を提示した。
そして、モデルの結果から解釈の過程によって現実問題に応用するのである。マルクス主義とマルク
ス・レーニン主義に基づいて、ソ連・中国・ベトナム・キューバなどは社会主義モデルを実現したので
ある。今まで失敗した国もあり、そのモデルを修正した国もあり、またはキューバのように原初のモデ
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ルを行っている国もある。
IV.
ベトナムにおける社会主義とマルクス主義―モデルの視点からの考え
マルクス主義を批判する人は主に 2 つの理論を展開している。一つはマルクスとエンゲンが、19 世
紀の西欧における第一次工業革命と初期資本主義を研究し、地域と時代に限定された主観的な理論であ
るにもかかわらず、世界に対し一般化してしまったという批判。もう一つは現実のソ連などの社会主義
の崩壊を根拠として、マルクス理論のいくつの項目が間違いと指摘する批判である。
私の 15 年間学校で勉強した知識を用いて、二人の世界的に偉い哲学者マルクスとエンゲルスの一生
の研究を真理か虚偽か判断できないが、モデルの視点から意見を述べたいと思う。
マルクス主義に反対する人はただモデル化とモデル世界の中の処理の2つの過程だけに注目してい
る。
しかしながら、一つのモデルのそれだけを見て間違いと結論づけるのは誤りである。理解する過程の
方が間違う可能性もある。実はたくさんの研究者によって社会主義の国々はマルクス主義を応用したが、
その過程において多くの欠点が存在した。一つは、社会主義は資本主義に続く社会制度だとマルクス学
説に書いてあるが、中国・ベトナムなどは資本主義を跳び越して、封建制度から社会主義へと進んだの
である。資本主義の発展した技術と生産力が必要であったのだが。またそれらの国の政権支配にはマル
クス主義と離れて、官僚・横領などいろいろな問題があった。
一方、モデルは人間の理想的知恵によって形成されたため、絶対正確か絶対間違いのないモデルしか
なく、ある環境・時期についてそのモデルが適切か不適切かという問題がある。
橋の例をとると、最初一番適切な模型を用いて建てたが、環境が変化したら、その模型・提案は不適
切となってしまう。その場合に橋を砕いて新しい橋を建築するわけではない。ベトナムが従属国の時に、
植民地主義および帝国主義を打倒するためには、マルクス主義は一番適切なモデルだったと考えるが、
国の独立の時期に、社会主義の基本的な条件が整っていないためモデルを修正する必要があっただろう。
市場経済を行ったのは一つの修正と考えられる。
更に、マルクス主義は人類の原始社会から現代社会まで歴史的に把握する史的唯物論で、19 世紀の西
欧に限られた主観的な理論ではない。そして、今までに、マルクス学説の誤りを示しさらに納得できる
学説はまだ提示されていない。
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V.
結論
問題を解決するには、モデルで処理する過程が大切である。それは1)モデル化、2)モデル世界
の中の処理、3)解釈
という 3 つの過程がある。モデルの誤りを判断するとき、以上の三つの過程を
考えなければならないだろう。モデルは人間の知識のみで創造されたため、絶対正確か絶対間違わない
というモデルがなく、ある環境・時期に対してそのモデルは適切か不適切か、それが問題である。
参考文献
ベトナムの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E5%8F%B2
参考資料
「ベトナムの歴史の要点」
1858:フランスはベトナムを侵略。ベトナムは農業国だった。
1911-1941:Ho Chi Minh(ベトナムの元大統領)が渡欧。マルクス-レーニン主義を知る。
1945 年 3-9 月:日本がフランスと連帯し、ベトナムに上陸。100 万人が餓死。
1945 年 9 月 2 日:Ho Chi Minh はベトナムの独立宣言を発表。国家経済を共産化。
1947:フランスは再びベトナムを侵略。
1954:Dien Bien Phu の戦闘で、ベトナムはフランスに勝利。
1956:アメリカは南部に来る。ベトナムはいわゆる“人民戦争”を行う。
1972:ハノイでアメリカが敗戦。
1975:ベトナムは独立。その後ソ連にならって、社会主義に進む。
1990:ベトナムは中国にならって、様々な改革を行った。
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