人間をもっとも尊い存在とするチュチェ思想 日本キムイルソン主義研究会会員 鈴木 博 世界に戦火を拡大する反動勢力の暴力的支配は民衆に大きな犠牲を強い、深い傷跡を残 しています。 筆舌に尽くしがたい困難に直面しながら、人びとは自らの尊厳を守り平和に暮らす日が 来ることを信じて粘り強くたたかっています。自主性を掲げる民衆のたたかいは、平和は ただ待っていれば実現するのではなく、たたかいとるものであることを示しています。 民衆の願いは、自主と平和の未来社会を指し示す現時代の指導思想を手にすることによ って初めて実現されます。正しい指導思想が打ち立てられれば、人びとは幸せで生きがい のある人生を送ることができるようになりますし、政治も人びとのために機能し、各国の 関係も平和と協調にもとづいて発展させていくことができるようになるでしょう。 チュチェ思想に学び、広め、適用していく活動を積極的におし進めることによって、愛 と信頼に満ちた自主の社会、平和な新世界が実現するのは疑いのないことです。 1、人間中心の哲学 時代の要求に応える進歩的な思想は、社会的運動の発展においてきわめて重要な役割を 果たします。 民衆は正しい思想を手にするとき歴史の自主的な主体として登場し、新しい社会を目的 意識的に力強くきずいていくようになります。 進歩的な思想とは、時代と人びとの根本的要求を反映し、人類の進むべき道を指し示す 思想です。 思想の科学性は、学問的にはそれを裏づける哲学において論じられます。 哲学は世界総体を研究対象として世界観を解明する学問であり、あらゆる科学の基礎とな り方向を与える総合科学といえます。 それにたいして自然科学も社会科学もいずれも個別科学であり、一定の分野や範囲を研 究対象としています。 資本主義社会においては、階級社会の本質を隠蔽して自己の支配体制を維持しようとす る支配層の利害関係によって、自然科学だけが科学として位置付けられ、哲学や社会科学 は科学の範疇から除かれてきました。そのために資本主義社会においては哲学や社会科学 を系統的に学ぶ機会が限られていました。 こうしたなかで私たちが自己の意思によってチュチェ哲学を学ぶことは大きな意義があ るといえます。 これまで民衆の思想生活に影響を及ぼしてきた哲学を大きく宗教哲学とマルクス・レー ニン主義哲学に分類することができます。 宗教哲学もマルクス・レーニン主義哲学もチュチェ哲学も、いずれも民衆の幸せを実現 することを目的にしている点に共通性を見出すことができます。 宗教哲学は階級的抑圧が激しくなる時代的な背景のなかで生まれました。人びとは現実の 世界があまりにも矛盾に満ち過酷であるために、永遠の生命と絶対的な愛の実現を宗教の 教義のなかに求めてきました。 社会主義は、一部のものだけが豊かな生活を享受し圧倒的な民衆が貧困に苦しむ社会で はなく、また一部の者が権力をもって民衆を支配する社会でもなく、みんなが平等で家族 のように仲睦まじく生きたいという民衆の念願を反映して生まれました。 マルクスは社会主義を空想から科学に転換し、レーニンはロシア革命を勝利に導き、社会 主義を現実のものとしました。 チュチェ哲学は、人類史上初めて登場した人間中心の哲学です。 マルクスは哲学の使命と関連して、真の哲学はプロレタリアート解放の武器にならなけれ ばならない、そのためには世界を解釈することにとどまらず、世界を変革することに寄与 すべきであると述べました。 しかし単に実践すればよいのではなく、どのような実践をするのかが問われています。 チュチェ哲学は、哲学の使命をたんに実践に寄与することではなく、人間の運命開拓に寄 与することにあると明らかにしました。 宗教は、神や仏を絶対的に肯定しながら、人間は神や仏を信じ依拠することをもって救 われ、死後、神や仏の国である天国や極楽で永遠に幸せに暮らせると説きました。 マルクス主義哲学は、社会の根本矛盾を生産の社会的性格と生産手段の私的所有関係に 求め、生産手段を私的所有から社会的所有に移行し、労働者階級の権力を樹立すれば、す べての人びとが幸せに暮らせる社会が実現すると論証しました。 宗教哲学は神や仏に依拠することによって、マルクス主義哲学は社会制度の変革によっ て人びとの幸せを実現しようとしたのです。 それにたいしてチュチェ哲学は、生きている人間、民衆こそがもっとも尊く有力な存在 であることを明らかにし、みんなが仲睦まじく助け合って生きることのできる新しい社会 は 世界と自己の運命の主人であることを自覚した民衆の団結した力によって実現できる ことを明らかにしました。 チュチェ哲学は、歴史上はじめて哲学を人間のために人間中心に展開し、人間が自己の 力を信じ、人間中心の世界を創造する思想的担保を与えました。 人間と社会の発展法則 マルクス・レーニン主義の哲学的基礎は弁証法的唯物論です。 弁証法的唯物論は、世界が物質によって成り立っているとする唯物論と世界は物質の運動 によって変化発展することを明らかにした弁証法によって成っています。 レーニンは、物質を意識の外に客観的に存在する実在であると定義し、物質は変化発展 しても、物質にたいする哲学的理解は不変であると主張しました。 しかしながら人間を他の物質と同じように単なる客観的実在とみなすことによっては、 人間について正しく解明したことにはなりません。人間を他の低級な物質と同じように客 観的実在としてのみ規定することによっては、人間のように発達した存在の本質的特徴を 見出すことは困難です。 マルクス・レーニン主義が解明した弁証法は、物質世界の運動発展の一般的特徴を明ら かにしています。弁証法の解明によって、民衆は自らを縛る奴隷的境遇は神から与えられ た固定的なものではなく、変えていくことができるという思想理論的担保を手にしました。 しかしマルクス・レーニン主義の弁証法は、単純で低級な物質の運動の特徴を物質一般の 特徴として解明したために、もっとも発展した人間と社会の運動について正しく解明する ことはできませんでした。そのため民衆が奴隷的くびきから解放された後、人間はどのよ うにして発展していくべきかを知ることができませんでした。 弁証法には、対立物の闘争と統一の法則、量から質への転換の法則、否定の否定の法則の 三大法則が含まれています。 対立物の闘争と統一の法則は、発展の原因を矛盾に見出すものです。 マルクスは、矛盾を運動発展の源泉とみるヘーゲルの見解を批判的に取り入れ、矛盾を 自然と社会発展の源泉とみなし、世界には対立物が存在し、対立物がたえず分裂と統一を 繰り返しながら、発展していくことを明らかにしました。 自然界において対立物の闘争と統一の法則は正当性をもちえますが、それを社会的運動 にも同じように適用しようとするところから、さまざまな偏向が生じました。一つは、対 立を絶対化するところから社会主義制度を樹立した後も、民衆内部の対立や矛盾を強調し、 団結をかちとるうえで困難をもたらした問題です。団結は仲間や民衆を信じ愛する思想の 現実的表現です。従来の社会運動では資本主義社会における階級対立が強調され、団結は 労働者が資本家とたたかうための手段として位置付けられる傾向がありました。統一より も対立を主にする考え方に立つと階級敵とは果敢にたたかうことができても、打倒すべき 対象がいなくなった後、主人としての立場にたって仲間と大衆を信頼し愛し、団結してい くことが難しくなります。 人間と社会の運動においては、対立と闘争を絶対化してはならないし、闘争はあくまで も新しく高い水準で統一していく方向でおこなわれなくてはなりません。人間関係を発展 させるためには、互いの共通性や相手の長所を見ることを基本におきながら人間的絆を結 んでいくことが重要です。 量から質への転換の法則では、従来、量的変化と質的変化の形態上の違いを重視しまし た。量的変化は漸次的になされ、質的変化は急激におこなわれるというものです。量質転 換の法則を社会的運動にそのまま適用した結果、社会においても先に量的な変化が起こり、 それが一定の水準に達した後、質的変化が急激に起きると考えられてきました。 マルクスは、生産力が高度に発展した国において革命の客観的な条件が成熟するとの見 解を明らかにしました。マルクスの学説によれば、社会主義革命は20世紀初頭において 生産力が高度に発展したイギリスやドイツで起きるはずでした。 しかし実際は、むしろ経済的発展の立ち遅れた資本主義国であるロシアで最初の社会主 義革命が勝利しました。ついで社会主義革命が起こったのも中国、朝鮮、ベトナム、キュ ーバなど経済的な発展が遅れた生産力の低い植民地、半植民地国でした。 社会主義革命の歴史的経緯からみても量質転換の法則を社会運動にそのまま適用するこ とに問題があることは明らかです。社会運動では、質があって初めて量の拡大が可能とな ります。資本主義社会から社会主義社会への移行も、資本主義社会のなかで社会主義思想 が創始され、社会主義思想を信念として生活と活動に適用する集団が形成され運動するこ とによって実現していきます。 民衆のために生きたたかうことを喜びとする思想を確立し、広範な人びとを団結させう る資質を体得した人間の集団を形成し、活動をおこなっていくことが社会主義社会を実現 する担保となります。社会活動において高い質をもった集団を形成していれば多くの人に 影響力を与えることができますが、逆に高い質を前提にして活動していなければ、どれだ け多くの人を集めても発展は中断される可能性があります。 否定の否定の法則にたいする従来の理解は、一旦事物を否定した後、つぎの肯定が生ま れる、自己否定の過程を経て物質が発展するというものでした。 否定がより高い次元での肯定、前進につながるという見解をもって生態系など客観世界の 事象を説明することができます。 しかし人間の場合は、否定の上に前進を展望することができません。人間は自己否定よ りも新しいものにたいする肯定を基本にして発展が促されていきます。人間の発展を規定 するものは肯定的なもの、新しいものであるということができます。人間の発展において は否定の果たす役割よりも新しいものにたいする肯定の果たす役割を前面に出さなくては なりません。人間は高い目標を明確にすれば、現在の不十分性を努力して克服し、目標を 実現することができます。人間が発展していくためには、より高い段階に目標をはっきり と設定し、不十分点を大胆に認めながら自己を変革するために努力することが求められま す。 社会主義社会も資本主義を否定すれば自ずと展望できるのではなく、未来社会の表徴を 明確に描き、未来社会に至る方途を手にした主体の運動によって実現していきます。 人間は自主性を生命とする社会的存在 チュチェ哲学が新しく解明した重要な内容は、人間の本質的特性です。 チュチェ哲学は、人間は自主性、創造性、意識性をもった社会的存在であることを明ら かにしました。 人間は客観的に実在する物質的存在ですが、単なる物質的存在にとどまるものではあり ません。人間は物質世界のなかでもっとも発達した存在です。 物質の客観的実在性のみから人間を理解すると、人間を自然の一部としてしかみること ができません。 社会的存在とは、社会関係をもって目的意識的に生きる存在であることを意味します。 マルクス主義では、生産力、生産関係、自然地理的条件、人口密度などを政治や文化、法 律や思想などと区別し社会的存在と呼びました。チュチェ思想では、社会的存在は自然的 存在と区別される概念として規定し、人間のみを指しています。 チュチェ哲学が解明した人間の本質的属性は、自主性、創造性、意識性です。 自主性とは、世界と自己の運命の主人として生き発展しようとする社会的存在である人 間固有の属性です。 自主性はあらゆる従属や束縛に反対し、世界の主人になろうとする性質です。支配や隷 属に反対し、自らの尊厳を守り、他の人びとの生活にも責任をもとうとするのが自主性で す。人間は、自分自身が何ものにも束縛されず自由であるばかりでなく、周りの多くの人 びとのことも考えてその人たちのためにも生きていきたいという要求をもっています。 人間の自主性には、集団の自主性と個人の自主性があります。個人の自主性は、個人が 集団に尽くす過程で集団から保障される自主性です。多くの人びとを愛し、民衆と運命を ともにしていく人のみが民衆の愛を受けることができ、もっとも生きがいのある幸福な人 生を送ることができます。 自主性は自主的要求として表現されます。個人の自主的要求と個人主義的な要求とはま ったく異質のものです。個人主義的要求は、集団の上に個人をおき、個人のために集団を 犠牲にする要求として現れ、集団の要求と対立していきます。それにたいして個人の自主 的要求は、集団のために服務し、集団の利益と結びつくものです。 人間の生きがいと喜び、人間として生きる実感は、人間の本質的属性である自主性を発 揮し輝かせて生きることにより得ることができます。 創造性は、世界を自己の要求に合わせて目的意識的に改造し、自己の運命をきりひらこう とする社会的存在の属性です。 意識性は、世界と自己を把握し改造する活動を規制し調整する社会的存在の属性です。 意識は、人間の脳髄の高度な機能であり、大きく思想意識と知識に分けることができます。 自主性、創造性、意識性は、人間の活動で統一的に表現されます。 社会的運動は主体の運動 チュチェ哲学によって初めて人間を中心にした社会発展の法則が解明されました。 チュチェ哲学は、社会的運動を主体の運動、人間の運動としてとらえています。 マルクス・レーニン主義哲学は、物質世界一般の発展法則を社会発展にも適用し、自然 と同様に人間の社会も一定の法則をもって発展すると論じました。 マルクス・レーニン主義哲学は社会の発展段階を社会制度と関連して区別し、原始共産 制社会から奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義社会、共産主義社会へと発 展していくと明らかにしました。 レーニンは、社会革命が起きる条件を三点にわたって示しています。 一つは、民衆が極度に貧しくなること、二つは、資本主義社会における最終段階として経 済恐慌に陥ること、三つは、帝国主義国間の対立が激化し、自国の帝国主義が弱体化する ときです。 ロシア革命によって人類史上初めての社会主義国家が誕生しましたが、以後、世界では レーニンの示した条件のもとで社会主義革命が勝利することはありませんでした。 このことからも客観的な条件の成熟によって自ずと人びとの意識や行動が変わり、社会運 動が発展するとみなすことはできません。 チュチェ哲学は、社会歴史的運動は自然の運動と区別される固有の法則をもっておこな われることを明らかにしました。社会的運動も物質の運動という点では自然の運動と共通 性をもっています。しかし自然の運動には主体がないのにたいして社会的運動には主体が あります。自然の運動は、物質世界一般に作用する法則にそって自然発生的になされます が、社会的運動は主体の主動的な作用と役割によって発展していきます。 チュチェ哲学は、人間が正しい思想意識をもって集団を形成し、目的意識的に活動する ことによって社会が発展することを明らかにしています。民衆が社会発展において決定的 役割を果たすためには、自主的な思想意識をもって活動することが求められます。 2、チュチェ思想を民衆の幸せのために 民衆が社会の主人となり、新しい社会をきずいていくうえで、指導思想は不可欠です。 キムジョンイル総書記は、キムイルソン主席の革命思想が、チュチェ思想を基本にする 思想、理論、方法の全一的体系であることを明らかにしました。 チュチェ哲学は、世界と人間の関係に関する問題、世界における人間の地位と役割に関 する問題を哲学の根本問題として新たに提起し、人間があらゆるものの主人であり、すべ てを決定するという哲学的原理を明らかにしました。 チュチェの哲学的原理にもとづいてチュチェの理論、チュチェの方法が明らかにされま した。 チュチェの理論のなかには、社会主義共産主義建設理論、現代帝国主義論、党に関する 理論、文学芸術に関する理論、教育に関する理論など多くが含まれています。 チュチェの方法は、革命と建設の主人である民衆の力に依拠し、民衆の力を最大限に発 揮させて革命と建設をおし進める方法です。 チュチェの方法のなかで重要な位置を占めているのが、革命的大衆路線です。 これまでの革命理論においては民衆にたいする指導の問題は十分に解明されていませんで した。チュチェの方法が明らかにされることによって、民衆が革命と建設の主人としての 地位を占め、その役割を発揮することが保障されるようになりました。 自主性が花開く未来社会 社会的運動を民衆に依拠して発展させるためには、目標となる未来社会の姿を明らかに することが重要です。 未来社会の表徴を人間のもつ本質的特性にもとづいて、主に四つの点にわたってみるこ とができます。 一つは、未来社会は、自主性が擁護され自主性が花開く社会であるということです。ま た未来社会に至る過程、方途も自主性を擁護しながら進めていくことが求められます。 未来社会は、民衆の政治生活、経済生活、文化生活が自主的な社会であるといえます。 政治は、民衆のために民衆自身がおこなうものです。いま日本では、政治を一部の人が 担当し、政治の目的も民衆から離れたところにおかれています。 文化生活も民衆の自主的な生活に服務するものとして発展させなくてはなりません。芸 術作品は、人間の自主性発露を促し啓発するものとして機能することが求められます。文 学でいえば、人間が葛藤しながら自主的人間に成長していくプロセスを描くのが良いでし ょう。 二つは、未来社会は、創造的な人間の本性が実現する社会であるといえます。 未来社会は、人間の創造的な力が発揮される社会です。人間は本来、多方面にわたる高い 創造的能力をもっています。しかし階級社会では非常に狭い分野の専門家の育成が重要視 された結果、人間は総合的な力を発揮しないまま、個別分野の知識や行動に制限された活 動をおこなうようになっています。 教育基本法の改悪も人間の創造性を全面的に擁護するうえで大きな問題を含んでいます。 人間は高度の技術と知識をもつと同時に歌も歌い、スポーツもして、さまざまな分野に優 れた能力をもつ人間に育成することが大切です。 三つは、人間の意識性が高く発揮される社会であるということです。 未来社会は、自主的で集団主義的な意識が高く発揚されることにより実現され発展してい きます。 四つは、みんなが助け合い、みんなのことを考える強い絆で支えられた社会であるとい うことです。 未来社会は、人と人が信頼と愛情で結ばれ、ともに発展していく社会です。 従来の理論では、人間が鎖から解放され新しい社会制度が樹立されれば、自ずと理想社会 が実現すると説きました。また理想社会の表徴も、経済が発展して物があふれ、真の平等 が実現した社会であると言われてきました。しかし、それだけで人間が幸せになるわけで はありません。 チュチェ思想は、人間の本質的特性にもとづき理想社会の表徴を明らかにしたところに 大きな特徴があります。 チュチェ思想を信念として生きる チュチェ思想は人間中心の思想であり、チュチェ思想にそった人間の活動によって現実 社会が人間中心に変革されていきます。 抗日革命闘争時期、遊撃隊には食料がなく農民が隊員を思って牛を一頭持ってきたこと があります。 隊員たちはこれで飢えがしのげると喜びますが、キムイルソン主席は牛につけた銅銭を みて、牛が農民によって大切にされてきたものだと話し、農民に返すことを命じます。主 席は隊員に牛を食べさせたいという気持ちを抑え、農民に牛を返していきます。 同じようなことが解放後にもありました。主席がキムジョンイル総書記を伴って農村に 行ったとき、農民が土地をもらったお礼にと牛を差し出しました。主席は牛がいなくなっ たらどうやって農作業をするのかと心配し、農民に牛を返しました。 チュチェ思想は、現実に適用してこそ力を発揮し、チュチェ思想を身につけた人間が活 動することによって、愛あふれるたたかいの主体が形成されていきます。 またチュチェ思想を信念として広範な人びとのなかに広めていくことによって、日本と 世界を自主化する運動を速いスピードで前進させていくことができます。 個々の活動家においてもチュチェ思想を深く学び、チュチェ思想の要求にそってたゆみ なく努力していくことによって、活動方法や作風が人間中心にうちたてられ、多くの人び とが社会変革の主体として登場していくようになります。 活動は、活動家が身につけている思想理論の現実的表現です。 個々の活動家が正しい思想をどれほど信念化しているのかは、その人の活動に現れてい きます。 チュチェ思想は人間の利益から出発して世界に対応する観点と立場を明らかにしていま す。 チュチェ思想にもとづいた活動は、まずあらゆる活動を人間の自主的権利と利益を守る 方向でおこなうことを要求します。 さらにチュチェ思想にもとづいた活動は、世界のすべてのものを人間の自主的志向と要 求の実現に向かうようにはたらきかけることを要求します。 チュチェ思想の要求とは反対に人との活動を第一義的におこなわず、課題を達成するこ とを自己目的化する活動がおこなわれる場合、人びとが社会変革の主体として成長してい く道を遮ってしまいます。 活動は必ず人との活動を基本にしなくてはなりません。チュチェ思想は人間を力強い存 在にする活動をあらゆる活動に優先させることを求め、人間の創造的役割を高める方法で 問題を解決することを求めます。 人にたいする活動を正しくおしすすめるためには、人を深く了解することが前提となり ます。 人間の認識活動には感性的認識と理性的認識の二つの側面があります。 感性的認識は、事物を現象的に把握する認識活動であり、動物一般がおこなっている認 識活動で単に物質世界を反映する受動的なものです。 人間は動物一般がおこなう感性的認識だけではなく、理性的認識をおこなうことができ ます。理性的認識は事物を概念、判断、推理などを通して内的本質的に把握することです。 感性的認識と理性的認識の二つの連関のなかで人間は認識活動をおこない、物事を主体 的に判断し、対応することができます。 人を正しく把握すると同時に、相手が主人として生きる思想、自主的な人間になるため の思想をもつように活動することが大切です。 活動は民衆にたいする愛と信頼にもとづいておこなわれるものです。活動をおこなうう えで、妥協して相手への要求性を引き下げたり、思想活動をおこなわず実務的、形式的な 対応ばかりとるのでは、愛と信頼にもとづく活動であるということはできません。 またチュチェ思想は、革命と建設の決定的力量は民衆であることを明らかにしました。 チュチェ思想は民衆が革命と建設の主人としての立場を守り、主人としての役割を全うす るように活動することを要求します。民衆が主人として登場するためには、目的意識的に 幅広い運動を計画し実践していくことが求められます。自覚した意識の高い人たちだけが 運動を担うのではなく、幅広い各界各層の人びとが担う新しい運動をつくっていくことが 重要です。 幅広い運動を形成するためには、時代の流れを正しく見極めながら、何よりも人びとの 気持ちを深く理解することが求められます。活動家が民衆から離れた正義を振りかざし、 民衆の思想感情を無視して政治的課題を提起したとしてもそれを実現することはできませ ん。正義はあくまでも民衆と結合してこそ意味をもってきます。 広範な人びとを網羅した幅広い運動をおこなうためには、活動家は誰とでも協調できる 資質をもつことが大切になってきます。誰とでも協調できる広さをもつということは、信 念を弱め迎合することとは区別されます。逆に信念がない人は幅広い運動を形成し前進さ せることができません。正しい思想を信念化することにより、広範な人びとに依拠した運 動を発展させることができます。 わたしたちがりっぱに生活し活動をおこなうようにするための鍵も、正しい思想をもつ ことができるか否かに関わっています。正しい思想を体得し、自らの思想を豊かにし発展 させること以外に、社会的運動を前進させる方途はありません。 チュチェ思想は、人間が世界のなかでもっとも尊く力強い存在であることを明らかにし ました。チュチェ思想を深く学ぶことによって人間にたいする揺るぎない信頼と誇りがみ なぎり、新しい社会への展望も明らかになります。 自主性を高く掲げ多くの人びとと団結して進む行く手には、自主、平和、協調の新世界 が輝いています。
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