TITLE: 海難事故の怖さ

海難事故の怖さ
2012 年の新年早々、イタリアの豪華客船コスタ・コンコルディア号が座礁横転した。 現
地はイタリア半島西岸の北緯 42 度、東経 11 度、水深 25mのジオリ島沿岸の浅海...。 よ
くぞ 11 万 5 千トン、全長 270m、喫水線 8.2mもの巨船を こんな小島の浅瀬に接近させた
ものだ。 ...タイタニック号の事故が 1912 年だから丁度 100 年目の海難事故である。
座礁のあったティレニア海は、地中海の一部でイタリア半島西岸をコルシカ島、サルデ
ニア島、シチリア島の三島が丸く囲んだ中海の様な海である。 最大水深は約 3700mで南へ
行くほど海底火山の多い危険な海である。 シチリア島の北には常時噴煙を上げているスト
ロンボリ島の火山がある、ストロンボリ式...という一噴火形態のモデルになった有名火山
である。 また最近ではこの付近の海域で海底火山の一つが崩落寸前との情報があり、イタ
リアの火山学者が大津波の可能性を警告していた。 ...地学的には長靴の様な形をしたイ
タリア半島が反時計回りに移動しているので、その分だけティレニア海の海底が東西に引
っ張られていて、不安定な海になってしまっる。
各国にほぼ共通の海難審判法には、★ 海や川、湖で起きる船舶事故の態様について...
1、船舶の運用に関連した船舶又は施設の損傷、2、船舶の構造、設備又は運用に関連し
た人の死傷、3、船舶の安全又は運航の阻害、の 3 点を定義付けしている。 ★ また海難
事故の種類には1、沈没、2、転覆、3座礁・触底・乗揚げ、4、故障による漂流、5、落
水、火災浸水等があり、★ 事故原因には1、操船技術のミス、2、判断ミス...気象海象、
天候に対する不注意、法規や慣行の誤解、見張り不十分の事故、3、船舶の航行能力、4、
船舶の整備・運用に関連するもの等がある。 ★ 海難事故には人的・物的・自然への損害
が付きものであり、法的扱いは、民事、刑事上の追及の他に運輸安全委員会による事故究
明があり、故意・過失については懲戒が課される。
過去、世界最大の海難事故は 1912 年に北大西洋上で氷山に衝突して沈没したイギリスの
豪華客船タイタニック号事件であり、日本最大の海難事故は 1954 年(S29) 台風通過を誤
認して津軽海峡で遭難した青函連絡船の洞爺丸事件である。 何れも夫々 乗客乗員
2200
名、1155 名が犠牲になった。 ...さて 2012 年現在、世界で最大の豪華客船はアメリカのオ
アシス・オブ・ザ・シー号であり、船の仕様は1、全長 361m、2、幅 47m、3、総トン数
225千 t 、4、喫水線不明、5、最大乗客数は 6300 名である。 今回座礁したコスタ・...
号は以下同様に 270m、35m、115 千 t 、8.2m、3700 名であり、日本郵船の飛鳥Ⅱは同様
に 240m、30m、50 千 t 、7.5m、940 名の規模である。 ...因みに パナマ運河の拡張工
事が終了すると大型船の通行可能の上限は、全長 366m、幅 49m、喫水線 15m となる。
我国では、7~9 世紀にかけて延べ 5000 人が遣唐使として唐の長安に向けて出発している
が、4 割が帰還してない。 原因の殆どは渡航中の海難事故に依るものである。 ...古墳時
代の舟を大型化しただけの遣唐使船には竜骨がなく、横波に弱い平底の箱型構造 (100 人
乗り)の外洋船だった。 船隊は四隻編成で東シナ海の大波に翻弄されながら、各船がただ
大陸の何処かに辿り着ければと云う風任せの航法で航海を続けた。 次の 14~16 世紀の日
宋交易の盛んな時代には、ジャンクやアラビア帆船の構造を採りいれた航洋船が建造され
航法も進化して海難事故は大幅に減少している。 17 世紀、鎖国時代に入ると大型船の使用
禁止令がだされ大名も商人も船の大きさを最大千石 (150t ) に制限された。 ...遭難の
多かった北前船の場合、構造はモノコック (応力外皮構造) 型で大きなタライみたいな
船で、固定された甲板は無く 追い風の吹く日の沿岸航行以外には使えなかった。
今回のコスタ・...号の海難事故では幸い生存者が多く事故当時の船客の状況等について
の証言も多い。 ...停電中の傾いた船から脱出しようと先ず、男性客が我先にと梯子やロ
ープめがけて殺到し客同士が騒乱状態であった事、泣き叫ぶ人々の声で船内放送は聞き取
れず、その間を突いて船長が先に脱出していた事...等が報道された。 ...延べ 20 ヵ国、
3270 名の乗客は死と隣り合わせで、しかも何ら情報を持たない人々であり乗客を責めても
仕方あるまい。 ...昔、タイタニック号の船長は自らの意志で船と共に沈み殉職した、片
や軍人なので当然と云えば当然だが、1910 年(M43 年) 旧日本海軍の潜水艦が広島湾で訓
練中に沈没、艇長佐久間大尉以下 14 人が殉職した。 後日引き上げられた艇内では最後ま
で規律を守り配置についた侭の様子が伝えられた。 ...だが、現代のサラリーマン船長や
下請会社の船長に同様の忠誠心を期待するのは酷であろう。