イラク自衛隊派兵延長問題

<グローカルの眼(39)>
イラク自衛隊派遣延長問題
小倉 英敬
12月8日、小泉政権は臨時閣議を開き、イラクに派兵されている自衛隊の派遣期限を
1年延長する閣議決定を行った。そもそも派遣延長は国会にて議論すべき問題である。そ
れを閣議で決定することには、国民の意向は反映されていない。他方、小泉政権が盲目的
に追随してきたブッシュ政権は、イラク開戦時の情報偽造工作問題や情報漏洩問題で危機
に瀕し、支持率も40%を割り、明らかに地盤沈下しつつある。このようなブッシュ政権
に追随し続け派兵を継続することは、中東地域だけでなく、世界全体の日本に対する信頼
を損ないかねない、誤った外交政策である。本稿では、自衛隊の派兵延長に関する問題点
を整理しておきたい。
一.派兵延長
12月8日、小泉政権は、同14日に期限切れを迎える自衛隊のイラク派兵を1年間再
延長するため、臨時閣議を開き「イラク特措法」に基づく基本計画を変更する手続きをと
った。これに先立って、3日に額賀防衛庁長官が陸上自衛隊が派遣されているサマワを視
察し、
「治安は良くなりつつある」と報告をした。しかし、翌4日には、サマワにおいて陸
自車両が自衛隊の駐屯に反対するシーア派のサドル派系住民の抗議デモに取り囲まれ、投
石される事件が発生している。
陸自はこれまで、北部、東北、中部、西部の4方面隊から、延べ約4400人を派遣し、
主にサマワにおいて給水活動を実施してきた。だが、日本政府のODAによって浄水装置
が設置されたため、この給水活動は本年2月に終了している。陸自派遣部隊の給水能力は
1日当たり250~280トン、それに対して、浄水装置の能力は1日当たり約3000
トンである。また、浄水装置の費用は1億7400万円であったのに対し、政府がこれま
でイラク派兵に投じた費用は予算ベースで約648億円に達している。給水活動の終了後、
陸自は活動の中心は学校などの公共施設や道路の復旧・整備に向けられている。
臨時閣議において決定された基本計画の変更では、陸自部隊の撤退条件が挿入され、そ
れによれば「部隊の活動については、国民議会選挙の実施や新政府の樹立などイラクでの
政治プロセスの進展の状況、イラク治安部隊への治安権限の移譲など現地の治安にかかわ
る状況、ムサンナ州で任務についているイギリス軍やオーストラリア軍をはじめとする多
国籍軍の活動状況、構成の変化などの諸事情を政府としてよく見極め、現地の復興の進展
状況等を勘案して、適切に対応する」とされている。
いわばイギリス軍やオーストラリア軍が撤退すれば、派遣期間中であっても陸自部隊も
撤退するとの方向性を示したものである。11月上旬から中旬にかけてオーストラリア国
防軍司令官やイギリス軍の現地部隊司令官が、2006年春にも撤退する見通しを示して
いることから、派遣期間は1年延長されたものの、小泉政権はオーストラリア軍によるイ
ラク警察を訓練する任務が終了する来年5月ごろを目処に、陸自部隊を撤兵させることを
考えていると見られている。
このようなイギリス軍やオーストラリア軍の撤退、さらには陸自部隊の撤退の前提とな
るのは、国民議会選挙や新政府の樹木が大きな問題なく進展することであろう。12月1
5日には国民議会選挙が実施される。今回の国民議会は、定数275議席のうち230議
席は18ある州ごとに設けられた選挙区単位の比例代表制で選出され、残り45議席はキ
リスト教徒の少数派政党などに配慮した「全国区」とし、各州で一定の票を得ながら議席
を獲得できなかった政党などの救済に当てられる。同選挙後、イラクの正式政府が発足す
る。
今回の国民議会選挙の特徴は、本年1月に実施された国民議会選挙には参加しなかった
スンニ派のイラク・イスラム党が、反米勢力や諸部族に影響力をもつ「イラク民衆会議」と
組んで「イラク合意戦線として参加するため多くのスンニ派が投票すると予想されること
と、前回選挙で過半数を占めたシーア派が「世俗派」と「宗教派」に分裂していることで
ある。
「宗教派」はジャファリ首相のダワ党がハキーム師率いる「イスラム革命最高会議」
と組んで、これにサドル派も合流して「統一イラク連合」を形成しているのに対して、「世
俗派」のチャラビ副首相の「イラク国民会議」が「統一イラク連合」から離脱して独自に
参加しようとしている。このように選挙はシーア派2勢力、スンニ派2勢力、クルド人勢
力の5陣営による混戦が予想される。
二.ブッシュ政権の地盤沈下
しかし、イギリス軍やオーストラリア軍が来春に向けて撤退の可能性を探っている事情
の背景には、開戦前にブッシュ政権によって行われたイラクの大量破壊兵器の所持に関数 R
情報偽造工作疑惑があり、戦争の大儀が疑われ始めたという国際情勢の変化があることは
確実であることは確実である。
イラク開戦前の2002年9月8日付け『ニューヨーク・タイムズ』は、国防省担当の
ゴードン記者とミラー記者の署名入りで「イラクは大量破壊兵器の廃棄に合意してから1
0年以上にわたり、核兵器を入手しようとする試みを強化し、世界中で核兵器製造用の物
資を探し回っている」との記事を掲載した。この記事掲載に先立って、「イラクがニジェー
ルから核兵器製造用の物資を探し回っている」との秘密文書をブッシュ政権が入手し、そ
の調査のため現地へ派遣されたウィルソン元ガボン大使が、同年3月に情報の信憑性を否
定する報告書を提出した。このウィルソン大使に対する報復として、同大使の妻がCIA
の秘密情報員であるとの機密情報をミラー記者や『タイムズ』誌のクーパー記者に暴露、
クーパー記者らがこの情報を公表した。こうして機密情報漏洩事件に発展し、10月28
日には連邦大陪審が、リビー副大統領主席補佐官を偽証など5つの容疑で起訴した。今後
ロープ大統領次席補佐官にも起訴がおよぶ可能性も取り沙汰されている。
しかし、問題は機密情報漏洩問題だけではなく、開戦時における情報操作問題にある。
12月7日、ブッシュ代期政権に国防総省内のネオ・コン派のトップとしてイラク戦争の
必要性を主張していたウォルフォウィッツ前国防副長官(現世会銀行総裁)が講演のなか
で、
「イラクに大量破壊兵器の危険が全くないと確信していれば、ほかのやり方があったか
もしれない」と、結果的にイラク侵攻が必要だとは限らなかったともとれるような発言を
した。しかし、ウォルフォウィッツ前国防長官こそ、ブッシュ(父)政権において湾岸戦
争後の1992年に、イラクに対する「予備的自衛権」に基づく先制攻撃を攻防副長官の
名で当時のチェイニー国防長官(現大統領)に提言した人物であり、イラク侵攻策の提案
者であり、これまで一貫して大量破壊兵器がなくてもイラク戦争に踏み切った判断は正し
かったとの立場をとってきた。
今回の講演においても、大量破壊兵器の存在が完全に否定された現時点の証拠を戦争前
に得ていたとしても、
「危険がないと確信できたかどうかはわからない」と前置きしたうえ
で、
「確信できていれば、イラク国内の反体制派をもっと支援することも想定できた」と発
言した。大儀なきイラク戦争の責任者の一人が軌道修正しようとしているのか。同前副首
相は、湾岸戦争後の1992年初頭に、反対制派を支援してもフセイン政権を打破できな
かったからこそ、
「国防政策の指針」と題する提言書を当時のチェイニー国防長官に提出し、
イスラエルの国家としての存立を優先するネオ・コン派の立場から「予防的自衛権」に基
づく先制攻撃論を展開したのではなかったか。明らかに、戦争責任者が侵攻を正当化して
いるように見受けられる。
さらに、ウォルフォウィッツ前国防副長官は、チェイニー副大統領やラムズフェルド国
防長官とともに情報操作に関与していた可能性がある。講演での発言は、関与を否定する
ことに目的があったともうかがえる。情報偽造に関しては、CIAなどの通常軍事情報を
担当する情報機関のほかに、チェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官がそれぞれ直
轄する「ホワイトハウス・イラクグループ」
(2002年8月設置)と国防総省内の特殊計
画局を設置し、情報操作や世論操作に従事していたとされる。先記の「ウラン購入」に関
する機密情報はこれらの機関による合作であった疑いがあるとされている。情報漏えい事
件の捜査を担当しているフィッツジェラルド特別検察官らは、情報偽造工作まで調査を拡
大している。
このようなイラク開戦前の偽造情報工作の容疑もあり、リビー首席補佐官の起訴後に行
われた世論調査では、ブッシュ大統領に対する支持率がCBSの調査で35%、ピュー・
リサーチ・センターの調査では36%に低下している。開戦前に情報操作があったと確信す
る人も43%、リビー主席補佐官の起訴を「国家にとって重要な事件」と考える人が79%
に達している。情報が偽造され、それが開戦の根拠とされたのであれば、その戦争によっ
て既に2000名以上が戦死した米軍兵士の「死」の意味が問われることになろう。
これに追い討ちをかけているのが、アメリカがルーマニアなどの東欧諸国にCIAの秘
密収容所を設置しており、それらの収容所に移送する途中でドイツなどの空港施設を無断
で使用した問題である。
12月5日、ライス国務長官がこの問題に関して声明を発表し、「国民保護は政府の第一
の責務」であり、
「時としてそれが誤解されることもある」と強弁するとともに、移送事実
については認めながらも、
「取り調べはアメリカ国内法と条約に基づいて行われ、拷問は行
っていない」と反論した。しかしながら、12月6日、ドイツを訪問中のライス国務長官
と会談したメルケル・ドイツ首相は、会談のなかで、「国際テロとの戦いに際しても国際法
と民主主義を守るべきである」と注意を喚起している。また、この問題に関してはアーバ
ー国連人権高等弁務官(カナダ出身)も、「秘密収容所施設の利用は拷問の一形態である」
と懸念を表明している。アメリカは国際社会が納得できるような形で事実を公表すべきで
あろう。
11月末、ブッシュ大統領は演説のなかで、「イラクの部隊が経験を積み、政治プロセス
が進めば、対テロ作戦能力を失わずに米軍の兵力レベルを減らすことができる」と述べ、
「出
口」を模索しているかのような発言を行った。だがイラクは、米軍兵力の縮小を可能とす
るような情勢にはない。いずれにせよ、イラク戦争に関連して、アメリカの国家としての
威信が低下し、ブッシュ政権の地盤が沈下しつつことは確かである。
三.イラク派兵の是非を再考せよ
小泉首相は、任期終了前に、少なくとも陸自独自の撤退を実現したい意向のようである。
しかし、その前に、偽造情報に基づいて開始されたイラク戦争に、ブッシュ政権に追随し
て自衛隊を派兵したことの是非に関して、改めて再考すべきだろう。
「先に日米同盟ありき」
の姿勢はもはや通用しない。日米関係が「是々非々」であるというなら、
「非」については
批判し、盲目的に追随する姿勢は改めるべきである。
しかし、問題はそれほど単純なものではないだろう。ポスト冷戦期のアメリカの「ひと
り勝ち」の状況の下で、アメリカが多国籍企業や国際金融機関などとともに「グローバル
権力」を形成し、日本に対して「グローバル秩序」の防衛を共同負担することを求めてい
る現在の国際環境を、根本的に再考することから始めるべきである。現在の新自由主義的
な「経済のグローバル化」と、アメリカの軍事的覇権が一体となった世界システムのあり
方を真剣に議論する必要がある。そして、対米追随ではない、アジアに軸足を置いた、も
う一つの国家戦略を模索する時期なのではないか。
イラクからの撤退を急ぐとともに、その是非を再考し、それを契機として日米関係のあ
り方をもう一度根底から検討すべきである。2006年3月には在日米軍再編問題の最終
報告書が作成される予定である。
「在外米軍部隊・基地の再編計画」(トランスフォーメー
ション)に呼応するような在日米軍の再編のあり方も、
「グローバル権力」中心と化し、同
盟国(=追随国)だけを重視する路線に基づいて軍事的覇権を拡大させているアメリカの
あり方に関する議論も含めて再考されるべきである。今や、多くの地方自治体も在日米軍
再編成問題の当事者となっている。その意味では絶好の機会である。そのためには、大き
な発言力をもつ超党派の政治的主体の形成も不可欠である。
(12月10日記)