脳梗塞の予防(Vol.30)

脳卒中は、日本人の長寿と健康を妨げる重大な疾患で
す。なかでもその70%を占める脳梗塞は、生命予後とと
もに後遺症によって生活予後を著しく悪化させる代表的
な生活習慣病として対応が迫られています。多くの大規模
な調査や研究によって、脳梗塞に関する発症と再発の実
態はかなり明らかになってきており、予防のための新し
い薬剤も登場しています。これらのことをめぐって、高木
誠先生にお話をうかがいました。
東京都済生会中央病院神経内科部長
高木 誠先生
脳出血は、かつては日本人の死因の大きな部分
脳卒中の分類と脳梗塞
を占めていましたが、戦後大幅に減少しました。
●●厚生労働省の日本人の死因統計では、ガンや
今では脳梗塞が脳卒中のおよそ70%を占めるに
心臓病の増加が注目され話題になることが多いよ
至っています。
T I A(一過性脳虚血発作)は、24時間以内に麻
うに思いますが、脳卒中の現状はどのようなもの
でしょうか。
痺などの脳血管障害の症状が消えてしまうものを
高木
確かに死因統計をみるとガン、心臓病が多
いいますが、脳梗塞の前駆症状として重要視され
いようにみえますが、ガンはいろいろな臓器の悪
ます。脳梗塞発症者の20∼30%くらいがこの前
性腫瘍を集計した数であり、同様に心臓病も心筋
駆症状を経験すると考えられています。
梗塞や心不全といった様々な疾患が集計されてい
ます。単独の臓器の循環障害としては脳卒中が圧
脳梗塞の3つの病型
倒的であり、日本人の長寿と健康に最も大きな関
係をもつ病気だといえるでしょう。
●●脳梗塞には3つの病型があげられていますが、
ただ脳卒中にもいくつかの病型があり、それぞ
どのような違いがあるのですか。
れ特徴が異なります。
(図1)
高木
図1 脳卒中の分類
脳卒中
脳
血
管
障
害
表1
TIA
アテローム血栓性梗塞 ラクナ梗塞
心塞栓性梗塞
成因
主幹動脈の
アテローム硬化
穿通枝の
細動脈硬化
心内血栓
による塞栓
脳梗塞
アテローム血栓性脳梗塞
危険因子
高血圧、糖尿病、
脂質代謝異常、喫煙
高血圧
ラクナ梗塞
心塞栓性梗塞(心原性塞栓)
無症候性
その他
監修:高木誠
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脳梗塞の臨床病型
脳出血
くも膜下出血
臨床病型をまとめると表1のようになります。
塞栓源心疾患
(心房細動など)
退院時 ※1 63%
ADL自立
89%
63%
急性期
死亡率
0%
10%
※1
6%
※1 済生会中央病院データ 監修:高木誠
図2
脳梗塞の病型別の頻度
表2
平成11年度全国156施設
高血圧の分類
血圧分類
収縮期血圧
拡張期血圧
(mmHg)
(mmHg)
Normal
<120
Prehypertension
120 -139
or
80 - 89
Stage1
hypertension
140 -159
or
90 - 99
Stage2
hypertension
>160
or
>100
その他
アテローム
血栓性梗塞
6%
33%
N=15,831
ラクナ梗塞
39%
22%
心塞栓性梗塞
and
山口武典:厚生科学研究費補助金(健康科学総合研究事業)
研究報告書,
4-33,2000(一部改変)
ラクナ梗塞の成因はアテローム血栓性梗塞より
<80
JNC 7,2003
ントロールが有効な予防法となります。
細い1mm以下の細動脈の動脈硬化ですが、小さ
高血圧治療の目標は、さまざまな指針が出され
な病巣がいくつも見つかること(多発梗塞)があり
てきましたが、次第に厳しくなってきています。今年
ます。心塞栓性梗塞は主に心臓でできた血栓が脳
報告された米国JNC第7次レポート(The Seventh
に流入して、比較的太い動脈を一瞬に詰まらせて
Report of the Joint National Committee on Prevention,
しまうものです。
Detection, Evaluation, and Treatment of High Blood Pressure)
また、頻度を図2に示しましたが、最近次第に
では表2のように、収縮期120 -139mmHgまた
アテローム血栓性梗塞の増加、特に大都市での増
は拡張期80 - 89mmHgというレベルの血圧であ
加傾向がみられるといわれています。
っても、「前高血圧」
(prehypertension)として
治療の対象にするべきだと勧告しています。
実際、日本のデータ(久山町研究)でも、J N C
脳梗塞の発症予防の
ポイント(一次予防)
の前高血圧に相当する軽症の集団は、脳梗塞、脳
●●脳梗塞は生活習慣病であり、予防が重要だと
低いほど脳卒中の発症は少ないということが示さ
いわれていますが、そのポイントについてお聞か
れています。
せください。
高木
心塞栓性梗塞は、心臓の不整脈(特に心房
出血ともに増加傾向が認められ、血圧は低ければ
アテローム血栓性梗塞
細動)などが原因ですので、その治療が有力な予
この病型の危険因子は高血圧に、糖尿病、脂質
防策になります。心房細動は高齢者に多く現れま
代謝異常(高コレステロール血症など)、喫煙が加
すから、注意が必要です。
わり、心筋梗塞と共通する動脈硬化対策が求めら
アテローム血栓性梗塞とラクナ梗塞はどちらも、
脳自体の血管の動脈硬化が原因です。
ラクナ梗塞の危険因子
ただ、この2つの間にも、表1でみられるように
危険因子に違いがあります。ラクナ梗塞では、高
血圧が最も重要な危険因子であり、この十分なコ
れています。コレステロールが高い人をスタチン
系の高脂血症薬で治療すると脳梗塞が減ることが
わかってきたのですが、これはコレステロール低
下という要因だけではなく、スタチン系薬の血管
保護作用などの直接効果も関係しているという議
論もあります。
糖尿病は、太い血管から細い血管までびまん性
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に傷害し、ことに高血圧と重なると危険はさらに
症者といえども、また高齢者といえども、十分な
高くなります。日本人は高血圧、糖尿病が両方と
降圧が有用だということがわかってきています。
も多い人種だとみられており、注意しなければな
降圧の目標はおよそ140/90mmHg未満、糖尿
りません。
病などのリスクがある場合は130/85mmHg未
満が目安とされています。
コレステロールについても、明白なエビデンス
脳梗塞の再発防止
(二次予防)
は得られておらず、Jカーブ現象、つまり下げ過
ぎるとかえって再発が増えるのではないかという
●●脳梗塞は再発防止が重視されていますが、そ
意見もあるのですが、私は、高齢者も含めて、き
の実態はどのようなものでしょうか。
ちんとコントロールして下げた方がよいと考えて
高木
います。
脳梗塞の再発率は5年でおよそ30%といわ
再発予防には外科手術という手段もあります。
れています。発病後1年間がおよそ10%、その後
毎年5%程度の再発があります。また、T I Aもそ
頸動脈内膜剥離術や、ステントを入れて狭窄した
の病態は軽い脳梗塞ですから、同じような率で本
頸動脈を拡張することが、症例によっては有効と
格的な脳梗塞を発症する危険があると考えなけれ
されています。虚血部位にバイパス血管を設けて
ばなりません。
血流改善をはかるバイパス術もかつてはよく行わ
れていましたが、十分なエビデンスが得られず、
危険因子のコントロール
最近ではあまり行われなくなりました。
再発防止策の基本は、一次予防と同じです。つ
二次予防の薬剤
まり危険因子を強力に抑えるとことです。
(表3)
血圧管理については、以前は、脳梗塞患者はす
脳梗塞の二次予防には、薬剤が重要な役割を果
でに脳の血管が狭窄しているのだから、あまり血
たしています。抗血小板薬3種類、抗凝固薬1種類
圧を下げると循環障害を増強するのではないか、
が使われています。
という考え方があり、降圧を手控える傾向があり
抗凝固薬のワルファリンは不整脈があって心塞
ました。しかし、多くの調査研究から、やはり発
栓性梗塞の危険が高い方の一次予防、発症後の二
次予防に使われます。ラクナ梗塞とアテロ
表3 危険因子の管理(AHAガイドラインより)
ーム血栓性梗塞では、ワルファリンは、ア
危険因子
ゴール
スピリンなどの抗血小板薬の効果を上回る
高血圧
臓器障害なし SBP<140mmHg かつ DBP<90mmHg
臓器障害あり SBP<135mmHg かつ DBP<85mmHg
ことはないというエビデンスが2001年に
喫煙
禁煙
発表され、この2つの病型では、抗血小板
糖尿病
血糖<126mg/dL
薬が第一選択になっています。
脂質
LDL <100mg/dL
HDL >35mg/dL
T C <200mg/dL
T G <200mg/dL
抗血小板薬は、日本ではアスピリン、チ
クロピジン、シロスタゾールが使われ、そ
アルコール
適度な消費(≦2杯/日)
の再発抑制効果は20∼40%程度とみられ
運動
30 - 60分、3 - 4回/週(中等度の運動)
ます。
体重
≦ 理想体重の120%
【アスピリン】すでに100年の歴史がある
監修:高木誠
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古い薬剤でその特徴がよくわかっていて、
価格も安いなどのメリットがあり、脳梗塞の再発
かに、シロスタゾールは3時間という違いがあり
防止の第一選択薬となっています。副作用として
ます。
胃腸障害があります。再発予防効果としては20∼
30%程度です。
また最近、脳梗塞の患者さんでMRIのT2*WIと
いう画像診断で、微小出血がわかるようになって
【チクロピジン】アスピリンと同等あるいはやや上
きています。これにより出血のリスクが高いと判
回る効果が認められていますが、投与開始後2カ
断された症例には、シロスタゾールをまず考える
月間は2週に1回の血液検査が義務づけられていま
べきではないかと考えています。
す。この問題をクリアする新薬としてクロピドグ
レルが欧米で上市されていますが日本ではまだ未
脳梗塞予防と薬剤師の役割
承認です。
【シロスタゾール】日本で開発された薬剤で、最近
●●脳梗塞予防、ことに二次予防を行う上で、薬
脳梗塞二次予防の適応が取得されました。まだエ
剤師の役割をどのように考えておられますか。
ビデンスの例数が少ないのですが、40%程度の良
高木
好な予防効果が認められています。ことに日本人
いることが多く、多種類の薬を飲んでおられる方
に多いラクナ梗塞で有意の効果が認められていま
が少なくありません。このような場合の薬剤の相
す。この薬剤は今後使用経験が集積されていく中
互作用のチェック、また、関連する情報を医師に
で、より適切な使い方が確立していくと思います。
フィードバックしていただきたいと思います。
副作用として頭痛、頻脈があります。
脳梗塞の患者さんは、合併症を沢山抱えて
長期の辛抱強い闘病が必要な疾患ですから、服
薬のコンプライアンスの維持、患者さんとのコミ
抗血小板薬の特徴
ュニケーションも、薬を手渡す薬剤師の方々に期
待される点が多いと思います。
●●この領域へ新規参入したシロスタゾールの特
徴をもう少しうかがえますか。
高木
再発抑制効果はプラセボとの比較で、全梗
塞で有意差があり、ラクナ梗塞にも効果がありま
した。アテロ−ム血栓性梗塞で有意差が出ていな
いのは例数が少ないためで、同じような効果があ
ると予想できます。
抗血小板療法の最大の問題点である易出血性、
脳出血の誘発という問題も、プラセボと比べても
むしろ少ないことが認められています。
また、アスピリンやチクロピジンは投与を止め
てもその抗血小板効果が7∼10日は残存するの
で、手術、抜歯などをすぐには始められないとい
う不便な面があります。シロスタゾールは2日程
度で効果が消えます。効果発現はチクロピジンが
2∼3日かかるのに対して、アスピリンはすみや
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